哲学詩集『百章』
~私と神との間で、私と知恵と言葉たち~
第1章 『私』について
私とは何者か
私とは私
私とは私の全て
私とは私の創造主
「我思う 故に我あり」
これが私の『私』に関する定義である
私が考えている時に私は存在する
私が考えていない時には私は存在しない
世の人は言う
私は常に存在していると
彼らは私の事を深く考えた事がないのである
死んだ様に眠っている私に考える私が存在するかと
私は一人か
いいえ 私には常に付き添う者がいる 彼の名は知恵
第2章 『知恵』について
知恵とは何者か
私の随伴者
私は私と知恵との共同作業で私の世界を創造する
私のこの世界は私と知恵の共同作業の賜物
世の人は言う
知恵と言う存在者は私の中にはいないと
彼らは知恵の事を知らないかまたは見ようとしない
もし知恵の存在を知ったら・・・
もっとも知恵の存在を知っていようといまいと
知恵は貴方方の中に存在している
貴方方のその世界は貴方方と知恵との共同作業で生まれたもの
しかし貴方方が知恵の存在に目を遣った時そこに眩いばかりの世界が現出する
知恵とは何か
知りたければ私に付いて来なさい 懇切丁寧に教えて上げよう
第3章 『言葉』について
言葉とは何か
私と知恵の婚姻に因って生まれた子供たち
この子供たちに依って私の世界が創り上げられる
貴方の世界は美しき善き世界か
美しき善き子供たちを生むのは誰か
私であり真善美に溢れた知恵と言う胎
さあ諸君もう分かったか 私と知恵の結婚の秘密が
そして私と知恵と言葉の三位一体の神秘が
さあ諸君何をぐずぐずしている
早く知恵を愛しなさい
そうすれば知恵は貴方の為に美しき善き子供たちを、そして時には真理に満ちた子供を生み出して呉れるだろう
その子供たちによって貴方の世界が創られていく
私と知恵と言葉の三位一体の神秘
この神秘を解き明かすのが哲学
第4章 『哲学』について
哲学とはphilosophia
知恵(sophia)を愛する(philo)事
知恵とは何か
知っていたら言いなさい
もし私が知恵とは真善美に溢れた本当の貴方自身だと言ったら
貴方は信じるか
もし私が知恵とは貴方の主であり貴方の霊であり貴方の神であると言ったら
貴方は信じるか
もし私が知恵とは真善美と言う存在であり真善美と言う力であり真善美と言う働きであると言ったら
貴方は信じるか
もし私が知恵とは究極の貴方だと言ったら
貴方は信じるか
人は何故 知恵を愛するのか
知恵が真善美に溢れた究極の私だからなのではないか 「汝自身を知れ」
第5章 『真理』について
哲学には真善美と言う三つの法門がある
最初の法門が美であり 次の法門が善であり そして最後の法門が真理である
この最後の法門を潜った時 人は自由になる
「真理は貴方を自由にする」
「真理とは何か」
ピラトは聞いたがイエスは答えなかった
真理とは知恵を愛し抜いたその先に現われる法門である
ピラトには未だその準備が出来ていなかった
真理とは一か多か
もし真理が一つであれば求める価値はある
しかし真理が多であれば 誰も真理は得られない
「道生一 一生二 二生三 三生万物」この辺りに真理のヒントがある筈
とにかく知恵を愛し抜きなさい
そうすればその先に真理の法門が現われて来る筈
第6章 『善』について
善とは哲学の第二法門
善とはgood God
善とは神に由来するもの
だから神を求めない者には善は無縁
貴方方は言うのか
神とは宗教人の為のもの
我々宗教と無縁の者には善もまた無縁なのかと
貴方方は未だそんな事を言うのか 神とは宗教人の為のものだけと思っているのか
しかし貴方方がそう言い張るのであれば仕方がない 私もまたこう言うしかない
貴方方には善は無縁だと
貴方方のその善は何に由来するのか
貴方自身に由来するのか 私ははっきり言っておこう それは偽善だと
善とはgood God神に由来するもの だから神を求めない者には善もまた無縁
善もまた秩序あるその世界の先にしか生まれて来ないものかも知れない
第7章 『美』について
美は哲学の最初の法門
この法門を潜らなければ人は哲学へと入って行けない
ところで美とは何か
それはずばり自然 自ずから然りと言う自然
人は自然に美を学ばなければならない
しかし不思議な事だが
自然に美を学べば善も自ずと付いて来る
善と美は一卵性双生児
美しき人は善き人であり 善き人は美しき人である
この事に異を唱えるのか
貴方方は未だ十分に美を学んでいない もっと美を究めなさい
どうです 美しき人は善き人であり 善き人は美しき人でしょう
美と善は哲学の同門
自ずから然りと言う自然に美を学びなさい そうすれば善も自ずから然りとなる
第8章 『自由』について
自由とは自らに由るを由とする
そう言い切る為に必要な事は自信 すなわち自らを信じる事
自らを信じる為に必要な事は哲学 すなわち知恵を愛する事
何故知恵を愛すれば自信が付くのか
哲学とは知恵を愛する事
それは真善美に溢れた自分自身を愛する事
それは私の主であり私の霊であり私の神を愛する事
そんな私を愛すればどうして自信が付かない事があろう
「真理は貴方を自由にする」
「汝自身を知れ」
真理と自由とはそんな関係か
しかし真理は私に取っては未だ闇の中
これからも一生懸命 知恵を愛する事にしよう
そうすればその先に真理が現れ 私を真の自由に導いて呉れる事だろう
第9章 『快楽』について
私は快楽主義者である
私はエピクロスの徒である
快楽以上に私を動かす何ものがあろう
私は精神快楽主義者
快楽には二つの種類がある
一つは肉体の快楽であり 他の一つは精神の快楽
肉体の最高の快楽は男女の交合のその瞬間
精神の最高の快楽は私と知恵との交合のその時
前者の快楽は強烈でほんの一瞬 また欲望が疼く
しかし後者の快楽は温和で永続するが如く
私が知恵を離さない限り 私たちは目眩めく世界を旅する
別れの時私たちは再会を約束する 知恵は決して裏切らない
さて貴方たちの快楽とは如何なる快楽か
教えて欲しい
第10章 『幸福』について
幸福とは何か
そこには様々なグラデーションがある
私はこう聞こう 貴方にとって至福の時とは如何なる時かと
そこには一つの答えがある
やはりあの宣伝文句の様に珈琲を飲んでいる時か
それとも酒を呑んでいる時か それとも恋人と一緒の時か それとも温泉に入っている時か それとも・・・
至福の時の態様に拠って精神の態様が分かる
哲学の時すなわち知恵を愛する時が至福の時と言う者はいないのか
幸福と言う言葉を突き付けられた時 多くの人が思うのが家庭の幸福
そうそれこそ幸福の原型
幸せな者にとっての天国の原型は幼き頃の幸福な家庭の様子
そこには必ず哲学者 すなわち知恵を愛する父と母が居た
貴方の家庭は幸福か
もし幸福な家庭を築きたければ 父よ母よ哲学者(知恵を愛する者)たれ
第11章 『精神』について
精神とは何か それは精なる神
さて八百万の神々の中で精なる神とは如何なる神か
諸君はもう分かって呉れたと思う
知恵と言う名の神である事を
しかしこれでは現在通用している精神と言う概念とかけ離れてしまう
そこで私は精神界と言う概念を持ち込む
精神界とは私と知恵の遊び場 私と知恵の踊り場
私が知恵を愛する場所 すなわち哲学界であると
私たちが精神界に居る限り 私たちは不幸になる事はない
しかし精神界を離れると 忽ち私たちは肉の欲に絡まれてしまう
私たち人間とは精神と肉体の婚姻の結果生まれた子供
精神を純粋に保つ方法を形而上学また純粋哲学と言い 精神と肉体の良好な関係を保つ方法を倫理学と言う
私たち人間は神の子であると共に肉の子
だから神を愛すると共に肉の人でもある隣人をも愛さなければならないのである
第12章 『思想』について
思想とは思い想う事
人は一瞬も休まず思想し続けている 死んだ様に眠っている時を除いて
私がこの事を唱えると 多くの人は必ず異を唱える
彼らは思想すなわち思い想う事を深く考えた事がないのである
「我思う 故に我あり」
私が思想している時私は存在し 私が思想していない時私は存在しない
貴方の一日を振り返ってみなさい 思想していない時があるかと
感覚と言う言葉がある 感覚とは言葉に成らない言葉で思想する事である
五感が貴方に迫る
貴方は物凄い勢いで言葉に成らない言葉で思想し続けている
試しに貴方の一分を切り取って見なさい
貴方の五感 すなわち貴方の目が耳が鼻が舌が肌が貴方に如何に思想を強要しているか しかし貴方はそれを解き解す事は出来ない
思想とは思い想う事
要は何を思想し何を思想しないかと言う事 そこに意志が働く
第13章 『意志』について
意志とはこの世に打って出る私
この意志に依って私が生きる
意志とは思想界の祭主
この意志に依って私が香り輝く
私たち人間は精神と肉体の子
私たちは一瞬も休まず思想し続けている
そしてその大半は肉の欲から来ている
何故なら肉から絶えず生きよと言う命令が下されているから
精神は肉を基礎として生きている
肉が存続し続けなければ精神は生きていけない
だから肉の欲は満たして上げなければならない
しかしそこには自ずから限度と言うものかがある
意志の強い人と言う人がいる
彼らは肉を良犬良馬の如く飼い馴らしている
第14章 『性』について
性とは心に生まれるもの
男性女性知性感性品性個性悟性仏性神性天性 これらは生まれつきのものか
私ははっきり言おう
これらは思想の結果である もっと端的に言えば意志の結果であると
私は言った 人は死んだ様に眠っている時以外は一瞬も休まず思想し続けていると
であればこれらの全ての性もまた全て思想の結果ではないかと
私は言った 感覚と言う思想も含めて思想界の祭主が意志であると
であればこれらの全ての性もまた全て意志の結果ではないかと
あの人は男らしい
全て思想の結果であり 意思の結果なのではないのか
貴方は言うのか 男性とは雄の生殖器の備わっている人間だと
狼の中で育てられ そして今でも狼として生きているその人間を貴方は男性と呼ぶのか
性とは心の中に生まれたもの それらは全て思想の結果であり意志の結果である
神性 仏性 悟性 天性もまた思想の結果であり意志の結果である
第15章 『気』について
気とは祭壇に漂う煙
意志は思想界の祭主
この意志が祭壇で思想を焼べる時に漂う煙が気
この気を一緒に吸うと元気にも陽気にも陰気にもなる
あの人は殺気立っている
この人は祭壇で如何なる思想を焼べているのか
怒りか憎しみか殺意か
これらの思想は不完全燃焼のまま悪臭を漂わす
気功と言う言葉がある
気に依って功を成そうと言うものである
祭壇に真善美に溢れた思想を焼べて
自らを隣人をそして世界をその気で包もうと言うものである
私はその気が自らを超え隣人を超え更に地域国家世界を超えて天気と成った人を知っている
その人の名はイエスでありブッダ
第16章 『心』について
心とは精神と肉体の葛藤の場
そこは思想が渦巻く修羅の場
その思想を祭壇に捧げるのが私と言う祭主
私がその思想を完全に焼き尽くす事が出来ればそこには香気が漂う
私と知恵と精神と心と思想と肉体が同心円を描けば完成された人間
聖人と呼んで良いだろう
精神一到何事か成さざらん
全ては思いのまま
もし私と知恵と精神と心と思想と肉体がモザイク模様を描けば
それは散々に分裂した私
私は誰 私は何を成せば良いの
精神分裂病と言う病が現代を覆おうとしている
私と知恵と精神と心と思想と肉体が同心円を描く為に必要な事
それは私と知恵の臥所である精神を大切にする事 そうすれば心も思想も肉体も自ずとそれに相応しい同心円を描く
第17章 『経験』について
経験と観念は思想の両輪
経験だけでは科学の子に成り下がってしまう
観念だけでは空虚な観念論者と成ってしまう
「学びて思わざれば則ち罔(くら)し 思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」
経験と観念で思想の大輪を咲かせたのは誰か プラトン
彼が如何に学んだか そして如何に世界を旅した事か
それは聖人賢人哲人たちは皆同じ事
イエスにしてもブッダにしても孔子にしても同じ事 経験は観念の母
究極の観念とは何か
それは世界を思想する事であり 神を思想する事
経験なしに世界を思想する事も出来ないし 神を思想する事も出来ない
経験は観念の母
経験とは五感で学ぶ事
早い内に知恵を学びそして世界を旅する事 そうすれば偉大な観念論者にも成れる
第18章 『観念』について
私は典型的な観念論者である
観念で世界を描こうとしている 観念で神に近づこうとしている
私は思うばかりで学ばない殆(あや)うき者か
きっとそうだ だが観念は楽しい だから観念論者は決して絶える事は無い
私は思う
もっともっと勉強をしていたら もっともっと旅行をしていたらと
そうすれば私の観念はもっと世に通用していただろうにと
しかしそれは後の祭り それでも私は観念論者を止めない
究極の観念論者とは如何なる論者か
それは神を論じる者であり 世界を論じる者
私のこの詩集は何の為に作成しているのか
それは神を論じる為であり 世界を論じる為
結局観念論者とは哲学者 知恵を愛する者に他ならない
大いなる哲学者と成る為には大いなる経験が必要 学ぶに遅すぎる事はない
第19章 『感覚』について
感覚とは思想 すなわち思い想う事
私がこの事を唱えると多くの者は必ず異を唱える
私は一分で貴方を承服させよう
さあ一分間 目を開けたまま何もせず何も考えずに居なさい
さあどうです
感覚器官が貴方に思想を迫って来たでしょう 特に視聴覚器官が
しかし貴方はそれを言葉にする事は出来なかった
しかし貴方はそれを言葉に成らない言葉で思想していた
感覚器官は思想の賜物です
貴方が生まれて来た時から感覚器官は貴方に思想を迫って来た
そして貴方は一瞬も休まず思想し続けて来た
その思想の賜物が貴方の感覚器官です
感覚器官は貴方の事を何でも知っています
だから貴方を迷わすのです 感覚を断つ事は可能か
第20章 『知識』について
知識とは何か
それは知恵の欠片
だから知識を幾ら集めても知恵ある者とは成らない
知恵ある者と成る為にはやはり知恵を愛さなければならい
哲学とは学問の王道 学問の起源
科学はこの哲学を起源として生まれた
科学とは知恵の欠片たちを拾い集めたもの
それらがあまりにも多くなったので科々(しなじな)の学が出来上がってしまった
始めに神学が生まれた その次に医学と法学が その次に・・・
現在科々の学はどれ程あると言うのか
東京大学には千以上の研究室があると言う
しかし科々の学はそんなものではあるまい そして更に増殖中
知識は何処まで増え続けて行くのか それは人類滅亡のその時まで
嘗ての知識は知恵の欠片たちだったが 現代の知識は知識が知識を限りなく生むと言う癌になってしまった
第21章 『記憶』について
記憶の大海があるから
私が私でいられる
もし記憶がなければ
私は誰???
その記憶の大海は貴方の思想の大海
貴方が生まれて来てからと言うよりも貴方のその受精の瞬間からの思想の全て
勿論感覚と言う思想も含む
だから貴方は貴方で居られる
受精から誕生までのその感覚は混沌
だから私たちに神話が生まれる
誕生のその瞬間に「光あれ」と言う神話が
そこに私が居て知恵が居た
もし貴方の記憶の彼方に幸福な子供時代があるのなら
貴方は優しさに包まれた天国を描く事も出来る 勿論それも記憶の賜物
第22章 『論理』について
論理とは文法
AはBである 主語述語
これで全てである
論理を飾りたいならこれに修飾語を付け加えればよい
論理は生来 文法も生来 言葉もまた生来
言葉を自然に語れば論理も文法も自ずと生れ来る
この論理を分析しようとするのが論理学
そしてこの論理学を得意とするのが科学の子供たち
記号論理学なるものがあると言う
論理を数学に置き換えようとするものである
正に科学の子供たちのお遊びではないか
彼らがその数学で如何なる論理を述べようとしているのか きっと私たちは笑い出してしまう
しかし数にはマッジクがある そのマジックで現代の科学が生まれた
私たち哲学者は知恵をそのマジックから守らなければならない
第23章 『数』について
数には魔法がある
いやその様に思われて来た
ピタゴラスは数の神秘を説いた
誰もそれを解く事が出来なかった
そして現代になり数が現代を覆った
数は現代の主となった
誰も彼に太刀打ち出来ないかの様だ
数は現代に君臨し続ける
私たちは数の魔法を解く事が出来ない
何故ならその言語があまりにも不可解だから
しかしその言語を解き明かした時
私たちはその魔法を笑い出してしまう
私たち哲学者が行うべき事
それは数の魔法を白日に晒し出す事 そして一緒に笑い出す事だ
第24章 『物』について
物とは原子に換算されるもの
この世界には物と心がある
物は自然の中に存在し 心は人間の中に存在する
この二つによって世界が描かれてきた
物と心が調和している時はとても素敵な世界だった
この素敵な時代を今でも憧れる人たちがいる
彼らを芸術家と言う
彼らは今でも物と心の調和を理想に活動し続けている
しかし現実世界に目を遣ると
物が屹立している
この立役者が数
そして数を主と奉る 数学物理学化学生物学等々の科学のお歴々
物に寄せて思いを陳ぶる歌 物心 物の哀れ 日本にもそう言う時代があった
しかし現代ではその心までをも原子に換算しようとしている
第25章 『科学』について
科学は数に依って勝利した
勿論原子も数の子
原子に依って物を説明し尽くそうとしている
そして心までをも
哲学者よ 知恵を愛するものよ それで本当に良いのか
心までをも科学に数に明け渡して良いのか
科学は数に依って心を封印しようとしている
心が封印された暁に 哲学者よ知恵を愛する者よ 貴方は知恵に何と申し開きをする積りか
天使と悪魔と言う言葉がある
天使を知恵に喩え 悪魔を数に喩えたなら 哲学者よ貴方ならどう思う
数が科学と言う手法を使いこの世界を席巻しようとしている
正に現在が悪魔と天使の戦いの場なのではないのか
哲学者よ 知恵を愛する者よ 貴方たちの使命は
この科学の世に知恵を開放して上げる事なのだよ
第26章 『大学』について
大学とは何か
大いに学ぶ所
何を学ぶのか
知恵を
大学を科々(しなじな)の学の場としてはならない
哲学担当教授よ 貴方こそが教授の中の教授
大学を総括せよ そして科学を采配せよ
決して科学者に堕してはならない
学生よ
貴方たちは大学に何を学びに来たのか
知恵ではないか
科学の子供たちよ 先ずは知恵を学べ その上で科学に知恵を生かせ
大学とは知恵を大いに学ぶ場
大学が正常に機能したら この日本だって知恵の王国に成る事もまた可能
第27章 『瞑想』について
瞑想とは無を想う事
人が無に成る事が出来れば如何に幸せな事か
そこには何の悩みも無い
それを喩えれば涅槃か死
有余涅槃 無余涅槃と言う言葉がある
無余涅槃とは完全なる死 そこには肉体も精神も何の痕跡も残さない
有余涅槃とは命だけを残し その他の全てを滅却する事
瞑想とは有余涅槃に至る道 完全なる死の疑似体験
もし完全なる死を体験出来ればそこには大きなエネルギーが生まれる
すなわち新生と言うエネルギーが 無限の可能性が
「日々新たに」
瞑想とは日々死に日々生まれる為の方法
多くの聖人賢人が日々瞑想に励んだが
未だ誰も完全なる死を体験した者はいない しかし擬似死だけで十二分
第28章 『死』について
死とは何か
心臓死か 脳死か 細胞死か それとも精神死か
死を如何に考えるかに依って死生観が変る
人は何故通夜を営むのか
私は人間の細胞がどの様にして死んでいくのか知らない
土葬に付した場合 細胞はどの様な順序で死んでいくのか
ひょっとしたら脳細胞が最後に死ぬのではないか
そうであれば四十九日の意味も分かる
脳細胞が死ぬ時まで 私と知恵は随伴する
そして最後のその瞬間に人生の全てを総括して昇天する
その最終期限が四十九日
その最終期限までに人生を総括出来なければ怨霊としてこの世に残る事になる
現在は火葬 三日目までには昇天しなければ成らない事になっている 果たして皆昇天出来ているのか
最も素晴らしい死とは心臓死と共にこの世の全てを善しと総括して昇天する事 死生観の一考察
第29章 『無』について
無とは何か
私たちはそれを全く想像する事が出来ない
強いて想像するとすれば死後の世界が完全なる無の世界であるとすればその世界
しかし私たちは死ぬ事が出来ないから 完全なる無については想像する事は出来ない
私たち人間とは考える存在である
だから私たちは常に存在している
私たちが考えていない時 私は存在していないのだから 無の可能性がある
しかし私たちは常に考えているので 私たちは無を想像する事が出来ない
結局私たちが無を考える時 死を考えなければいけない
死後ももし私たちが考えなければいけないのであれば そこには地獄煉獄天国が生まれて来る
私たちは死後はもう考えたくない
そこに無の発想が生まれ 無余涅槃と言う思想が生まれて来る
結局 死と無は同根
私たちは瞑想により無を思い 完全なる死を希求する (そして新生を)
第30章 『悟り』について
悟りとは何か
それは人間の生と死を知り尽くす事
その為に必要な事が哲学と瞑想
哲学で生を知り尽くし 瞑想で死を知り尽くす
哲学とは私が知恵を愛する事
その過程で世界が創造される
瞑想とは私を殺す事
そこに無限の世界が広がる
もし私が完全に死ぬ事が出来ればそこに大いなる可能性が広がる
すなわち新生と言う可能性が
それを悟りとも言う
悟りとは古い人間を殺し 新しい人間を生み出す事
瞑想で古い人間を殺し 哲学で新しい人間を生み出す
瞑想哲学どちらも大切だが より素敵な世界創造の為には哲学の方がより大切
31章 『天国』について
天国とはかの世の理想世界
かの世には二つの概念がある
一つは精神世界 他の一つは死後世界
精神世界の天国創造は哲学の仕事 死後世界の天国については宗教の専管
この世に生きながら天国に住む
何と楽しい事ではないか
それを可能にするのが哲学
哲学によって貴方の中に精神の王国 天国が創造される
もし貴方が死後の世界に天国を望むのであれば宗教に入らねばならない
何故なら私たちは死ぬ事が出来ないから
死後の世界から帰還したと言う人たちが創造したその宗教に入らねばならない
しかし貴方はその天国を心から信じる事が出来ない 何故なら貴方は現代の子 科学の子だから
哲学とはこの世に天国を打ち立てる事 何と素晴らしい事ではないか
それは現代の子科学の子でも可能だ ただし知恵を愛する必要がある
第32章 『理想』について
私は始めて知った
理想主義なるものがある事を
私は典型的な理想主義者である
私はこの世に理想の王国を打ち立てようとしている
私が打ち立てようとしている理想の王国とは
知恵の王国
先ずは手始めに日本を知恵の王国に仕立てる
そして行く行くは世界の全ての国々を知恵の王国に仕立てる
プラトンは哲人王国の理想を描いた
彼の理想とする王国は哲学者がその国の王と成る事であった
しかし私の知恵の王国はそんなものではない
人民も哲学者 為政者も哲学者 そしてその国には知恵の光が止む事がない
世界中に知恵の王国が築かれる為に必要な事
それは人類がホモサピエンスではなくホモソフィアに成る事 それこそが革命の中の革
第33章 『革命』について
革命とは命が革(あらた)まる事
これまでも世界各地で様々な革命が起きたが
その中で最も大きな革命とは何か
それはイエスの革命
イエスの革命でどの様に命が革まったのか
それは知恵を愛せよとに命が革まったのである
これまではごく限られた人のものであった知恵を多くの人に開放したのである
そしてイエスは叫び続けたのである「知恵を愛せよ」と
イエスの叫びは多くの人に受け入れられた
そして社会は変った
しかし世界は完全に変わる事はなかった
やはりユダヤの神を拭い去る事は出来なかった
私の訴える革命 哲学革命もイエスの革命と全く同じである
しかし私はユダヤの神を比喩に使う事はなく直裁に訴える 知恵を愛せよ普遍を愛せよと
第34章 『祈り』について
私は祈ろう この世に知恵の王国が築き上げられますようにと
祈りこそが最も強烈な意志ではないか
私は私の祭壇に知恵の王国実現の為の様々な思想を焼べる事にしよう
その思想の香りが私を越え隣人を越え地域国家を超え世界を包みますようにと
祈りとは思想を集結させるもの
そこには強い意志が必要
例えば知恵の王国が実現しますようにとか
その意志があればばらばらな思想が一つに集結する
祈りとは私と知恵と精神と心とそして思想を一つに集結させる為のもの
そこには綺麗な同心円が描かれる
精神一到何事か成さざらん
祈りとは思想を一つに集結させる為のもの
私は祈る事にしよう この世に知恵の王国が築かれますようにと
さて貴方は何を祈りますか 何か祈る事がありますか
第35章 『信仰』について
信仰とは信じ仰ぐ事
何を信じ
何を仰ぐのか
勿論神だろう
さて神とは何だろ
そこには二つの概念がある
私の神と大いなる神
アートマンとブラフマン
私たちはどちらの神に祈るのか
アートマンにかそれともブラフマンにか
勿論アートマンにである
何故ならアートマンこそがブラフマンの仲介者だから
勘の良い人なら分かって呉れたと思う アートマンの正体を
イエスやダビデは如何に祈ったか 私の主よ私の神よと その意味も分かって呉れたと思う
第36章 『平和』について
私は神社仏閣の祭壇の前で人が祈るのを見ていた
何と祈るのかを
そこで一番多かったのが平和である
家庭が平和でありますように 世界国家が平和でありますようにと
イエスの弟子たちの挨拶はこうであった
「平和がありますように」と
山上の垂訓の一節
「平和を実現する人々は幸いである その人たちは神の子と呼ばれる」
私たちは何故平和を希求するのか
それは私たちが神の子であるから
私たちが平和を心から願っている時 そこに何が臨在しているのか
それは紛れもなく神の霊であり 私の言葉に直せば知恵
「平和がありますように」
それは知恵から知恵へ その知恵の連携の中に平和が生まれ来る
第37章 『正義』について
正義とは正しくて義(ただ)しい事
この世にそんな正義があるのか
イラクの正義とアメリカの正義は同じか
同じであれば争いなど生まれないだろう
正義とは争いの手段か
戦争とは正義同士の戦いか
そして勝ったほうが真の正義となる
勝てば官軍負ければ賊軍「力は正義なり」
選挙戦
私の方が正しくて義しいのです
この世の全ての争いは正義の争いではないか
正義にはもううんざり そう思わないで下さい
正義とは知恵が正しくて義しいと認証した事
そしてその正義は連携する だから平和の中には必ず正義が存在するのです
第38章 『芸術』について
芸術とは何か
それは精神を描く事
「芸術は長く 人生は短し」
私たちの精神はこれ程までに広大なのに それを描く為の時間の何と短い事か
芸術の為の芸術 芸術至上主義
芸術はそれ程までに尊いのか
当然である
この世の珠玉は全て芸術で出来上がっている
聖書 聖典 仏典 経典 そして珠玉なる哲学書の数々
これらは全て芸術である
精神を写し取ったもの
至高なる精神をその言葉のままに写し取ったものである
芸術には様々な表現手段があるが
やはり芸術の中の芸術と言えば精神をそのままに表現する芸術 詩と言う事になろう
第39章 『詩』について
詩とは何か それは言葉のままに 精神のままにである
哲学とは知恵を愛する事
最も素晴らしい詩とはその瞬間を写し取ったもの
だから最も素晴らしい詩とは哲学詩と言う事になろう
ダビデの詩篇を知っているか
あれこそが正に哲学詩
ダビデが知恵を愛した瞬間の数々
だからこそダビデの詩篇が新約聖書の精神となった
聖書 聖典 仏典 経典
これらの数々が哲学詩である事に異議を唱える者はもういないだろう
珠玉なる哲学書
もしその哲学書の全文が貴方の精神を踊らし続ければそれは間違いなく精神の書 すなわち哲学詩である
哲学詩 これこそが詩の中の詩 芸術の中の芸術 芸術の王
抒情詩 これは感情のままに 他の芸術と並列になる 哲学詩こそが芸術の王 他の芸術は哲学詩の従僕となる
第40章 『音楽』について
音楽とは精神の芳香
私たちが知恵を愛する時 そこに楽しき音の音(ね)が漂う
仏像彫刻のその光背には何が描かれているか
ミューズの神々ではないか
貴方は純粋に知恵を愛した事があるか
そこには楽しき音の音が広がっているではないか
ダビデが如何にそれを竪琴に合わして歌った事か
旧約聖書のダビデの詩篇を見よ
音楽とは哲学詩の従僕
その意味が分かって頂けただろうか
とびっきりの音楽を楽しみたいのなら知恵を愛しなさい
そこには音にも表現出来ない素晴らしい音の音が広がっているから
もし純粋な精神作業の中で創られた音楽があるのならそれは必ず貴方を酔わす
ダビデの歌の様に オルフェの歌の様に そして孔子が肉の味を三ヶ月も忘れたと言う韶の音楽の様に
第41章 『絵画』について
絵画とは具象
最も素晴らしき絵画とは自然に似せて創られたもの
人間も自然
だから最も素晴らしき肖像画とは自然に似せて創られた人間となる
美は哲学の最初の法門
私たちは最初に自然に美を学んだ
美を体得した時 そこに詩が生まれた
そして次に絵を描きたくなった
絵は瞬間芸術
その一枚の絵の中に全てを閉じ込めなければならない
だから最も素晴らしき絵とは自然をその中に閉じ込めたものとなる
絵画は無声詩と言われる
私たちは自然に似せて創られた絵画を見る時
そこに画家の知恵を愛した過程を見る事が出来る だから絵画を無声詩とも呼ぶ
第42章 『読書』について
読書と思索と作文
この三つによって精神的人間は作られる
この中で最初に行うべき事が読書
読書によって精神が涵養され耕される ここから精神的人間が作られていく
何を読むかが大切
もし精神的人間に成りたいのであれば精神の書を読む必要がある すなわち哲学書を
哲学書とは聖人賢人哲人たちが知恵を愛した過程の書
私たちはその過程を学ぶ事に依って 私たち自身の知恵を愛する方法を学ぶ
何を読むかが大切
もし精神的人間に成りたいのであれば古代の哲学書を読む必要がある
何故ならそこに知恵が綺羅星の如く輝いているから
私たちは古代の哲学書を読む事に依って知恵とは何かを確信する
私たちは知恵をイエスにブッダにソクラテスに孔子に老子に学びたいのではないのか
知恵と知識を混同してはならない
第43章 『思索』について
古代の哲学書を読む事に依って思索が深まる
そして思索の何たるかを知る
思索とは思いの糸を手繰り寄せる事 一種の釣り
古代の哲学書を読むとどうしても思索の糸を手繰り寄せたくなる
思索とは宝探し
精神の深海に眠る宝を探す事
私たちは古代の哲学書を読む事に依って 私たちの精神の深海に知恵と言う宝がある事を知る
思索とはその宝捜し
宝探しには二つの方法がある
一つは読書であり 他の一つが作文
読書とは聖人賢人哲人たちをガイドに知恵探しの旅を楽しむ事 私たちは旅の途中知恵を発見したと思うが家に帰り着くとその知恵が消えている事に気付く
作文とはその知恵を保存する方法 その為にはもう一度自分一人で宝探しの旅に出掛けなければならない
読書と思索と作文 この三つによって哲学的人間となる
読書に思索は付随するが 作文の為には思索をフル活用しなければならない
第44章 『作文』について
読書と思索と作文
これが哲学的人間に成る為の三種の神器
読書と思索 これによって哲学的人間としての素養は高まる
そして作文によってその素養が確定する
人は絶え間なく思想し続けている
そしてその思想は際限が無い
この際限ない思想の内の大切な思想を確定させる方法が作文である
作文によって大切な思想すなわち精神が永続性を持つようになる
イエスは何故現代まで生き延びているのか そして何故指導者としてあの様に高く聳え立っているのか
ブッダは 孔子は 老子は ソクラテスは
全ては作文の為である
作文によってイエスは現代まで生き延び そして指導者として活躍し続けている
よく著作は子供に喩えられるがどうして子供であろう 私自身である
作文によって私は永遠の命を得る
第45章 『旅』について
偉大な哲学者と成る為には
読書思索作文は大切である
しかしこれにも増して大切なものが旅である
旅に依って読書思索作文は完成する
古代の偉大な哲学者と言う人たちが如何に旅をしたか
イエス ブッダ 孔子 ソクラテス プラトン等々
読書作文思索によって垣間見た知恵が旅によって自らの知恵へと変貌していく
もしブッダが旅の途中で老人病人死人を見なければ 彼には四苦八苦と言う概念は生まれなかった
旅は五感の書
旅により自然を知り人を知る
可愛い子には旅をさせろ
若者よ貴方が偉大な哲学者になりたいのなら 知恵が何たるかを知り抜いたら旅に出なさい
私は修行として千日世界徒歩旅行を勧める
ブッダが勧めそして自らも行った行脚である 世界を肌で知る事に依って貴方に偉大な哲学者と成る素地が出来る その素地の上に更に知恵を愛しなさい
第46章 『覚醒』について
覚醒とは目覚め
哲学的な用法から言えば迷いからの目覚め
人は何故覚醒剤を使うのか
迷いから目覚めたいからではないのか
実を言うと私も覚醒剤を使用している
昔のアラブの偉いお坊さんが使っていた覚醒剤である
こんな場で公表していいのか 警察が取締りには来ないだろうか
その名は珈琲
本当の覚醒は瞑想によって起きるのだろう
しかしその方法を確立していないので次善の策を講じている
先ずは机の上に顔を伏せてうたた寝をする この世に死ぬと言う事である そしてその目覚めの後覚醒剤を飲む
迷いから覚めた様な気分になる
本当の覚醒は瞑想によって起きるのだろう
しかしそれまでは覚醒剤に代行させる事としよう
第47章 『創造』について
覚醒と創造
それは瞑想と哲学と同じ事
瞑想によってこの世に死に 新たな世に生まれる
そして哲学によって新世界を創造する これが覚醒と創造 瞑想と哲学
東洋は瞑想 西洋は哲学
東洋は死んでは生まれたが 新たな世界を創造する事が出来なかった
西洋は新世界を創造したように見えたが それはやはり旧世界だった
東洋は死んでばかり 西洋は死ぬ事が出来なかった 新たな哲学は瞑想の上に成り立つ
創造とは想像
私たちはどの様な世界を望んでいるのか
無限に発展する世界か
私たちはその無限分の1を享受する為に存在するのか 何と空しい事か
人よ 目覚めよ その為にこの世に死ね
そして真に私たちに必要な世界を創造しようではないか
第48章 『人間』について
人間とは肉体と精神の子
だから私たちは人の子とも神の子とも呼ばれる
人間とは人間(じんかん)
私たちは肉体を伴って始めて人間と呼ばれる
精神でいる時 人は何の束縛も無く自由である
しかし肉の衣を着せられるや否や肉の束縛を受けるようになる
ここに二つの人種が生まれる
精神を愛し続けようとする人種と肉と仲良くやって行こうと言う人種と
前者には常に精なる神 精神が寄り添う
彼らを哲学者 すなわち知恵を愛する人と呼ぶ
後者からは次第に精神が離れて行き 終いには精神の存在を忘れてしまう
彼らをこの世の人と呼ぶ
人間としての理想 それは精神と肉体の調和
ギリシア彫刻を見よ そこには完成された人間像がある そしてそこには常にギリシアの哲学者たちが寄り添っている
第49章 『自我』について
自我とはエゴ
この世の私を生かそうとする私
肉体の声に聞き耳を立てようとする私
精神の声を押し殺そうとする私
自我に因ってこの世の私は生きている
自我が無ければ私は一日たりとも生きていけない
自我は生命維持装置
そして自我と科学は密約を結んだ それが現代
自我が叫ぶ
私を楽にして呉れと
それに科学が応答する
唯々諾々 と
現代は自我の時代
私たちは何処まで楽になれば気が済むと言うのか それは無限だから科学も無限
第50章 『肉体』について
肉体の悪魔と言う映画があった
肉体は本当に悪魔なのか
そんな事は絶対に無い
肉体とは肉の体 肉の塊
ではどうして肉体の悪魔と言う概念が生まれのか
それはまるで自我が肉体であるかの様に語るから
自我は完全なる肉体の代弁者
自我とは人間に宿った肉体の守護者
自我は決して知恵を愛する事はない
何故なら知恵を愛すれば肉の命が疎かになるから
自我とは考える私 そして知恵を愛するのも私
この二人の私が私の中で葛藤する そんな時自我を悪魔に喩えたりする人もいる
肉体を駿馬の様に扱えたら最高
そんな人は英雄ともなる しかしそこには常に知恵を愛する私と自我との絶えざる戦いがある
第51章 『欲望』について
欲望とは何か
肉の欲 肉が欲する事か
決してそんな事ではない 肉は欲する事などない
欲望とは自我
肉体は命
命が命を維持する為には命が必要となる
命は命を欲する
その声を代弁するのが自我 そしてその態様が欲望
自我は絶えず欲望し続ける
単なる肉体の代弁者だけであるだけなら自我は可愛かった
しかし自我は自ら欲望する様になり肉体をその様に飼い馴らしてしまった
そこから無限の欲望が生まれた そして科学がそれに応じた
食べたい 肉体の素直な声である
自我はそれに修飾語を増やし続けた 美味しいものを食べたい 極め付けの美味を食べたい等々 それに科学が呼応した 現代は自我の時代 欲望の時代
第52章 『差別』について
平等
それは自由と共に革命の旗頭であった
人は何故差別するのか
そして革命によって差別は無くなったか 否
人間が人間である限り差別は無くならない
何故なら人間は肉体と精神の子供だから
そこには絶えず自我が付き纏うから
自我は欲望し差別し続ける
自我は命の代弁者
命は命を欲する
命を得る為に他の命を食べる必要がある
この命は食べて宜しい それが自我の命令 その態様が差別
もし自我だけの世界だったらどうなると思う
弱肉強食 徹底した差別の世界 現代もまたそれに近いのではないか
第53章 『争い』について
何故争いが起こるのか
それは人に自我があるから
争いの系譜はこうである
自我は欲望を旗頭に差別する そしてそこに争いが生まれる 単純な系譜である
戦争と言う言葉がある
それは争いと戦い
戦いと言葉には高貴な意味合いもある 軍神マルス 正義の戦い 勇気ある戦い fight等々
しかしそれは取って付けた言葉 戦争とは常に巨大な自我と自我との争い
争いは個人だけでなく集団でも起こる
何故か それは自我が連携するから
自我は欲望を基礎として連携する
そこには必ず争いが生まれる 自我だけの社会は常に争いだけの世界
争いを止める方法 それは自我を必要最小限に止める事
その為に必要な事 それが哲学 知恵を愛する事 そして知恵の王国を築く事
第54章 『苦悩』について
苦悩の系譜は争いの系譜と同じ事
少し詳しく述べると次に様になる
人間とは精神と肉体の子
精神の守護神として知恵が寄り添い 肉体の守護神として自我が寄り添う
精神と肉体がその正しい関係 すなわち主従関係を正しく守っていれば
争いや苦悩などと言ったものは生まれては来ない
その関係が崩れる事に依って争いや苦悩が生まれる
すなわち自我が独り立ちする事に依ってこの世の苦悩が生まれる
自我は欲望を主張する
しかしこの世の物は限られる そこに差別が生まれる
俺食う人 お前食われる人 そこに争いが生じる
争いに勝ち続ければ苦悩は生じない しかしそんな事はあり得ない これが苦悩の系譜
苦悩の無い世界 平穏無事な世界が生まれる為に必要かつ十分な条件とは何か
貴方への宿題とします 前章参照の事
第55章 『感情』について
感覚と感情はどの様に違うのか
どちらも思想と言う事では同じだがその歴史に違いがある
感覚は貴方の受精の時から貴方と一緒だが
感情は貴方に自我が生まれた時からである
それは生命の歴史と人類の歴史に比す事が出来る
感覚は長年の歴史の中でオーソライズされており その権威を疑う事をしない
それに引き換え感情の歴史はあまりにも短いので何時も右往左往
感覚は無意識の思想であり 感情は意識上の思想
感情について快不快起源説がある それに倣うと
快い感情とは知恵を愛している時の感情の事となり
不快な感情とは自我に囚われている時の感情の事となる
自我はもっともっと 自我と共にある時その感情は満たされる事はない
恋とは自我に囚われている時の代表的状態
男は女をもっともっと食おうとし 女は男をもっともと食おうとするが どちらも食われない そして時に知恵が訪れる だから人は恋を止められない もし知恵の訪れがなければ誰も恋などしない
第56章 『世間』について
世間と言う世界は狭い
世間に知られずに居る事は出来ない
だから世間並みに世間体を気にしながら世間を渡らなければならない
そして渡る世間は鬼ばかり 世間苦に悩まされる
世間は牢獄
この牢獄から自由に成る為にはこの牢獄から脱出しなければならない
ブッダは出世を説いた イエスは神の国を説いた
私は知恵の王国を説こう
この中では私の知恵の王国が最もお気軽だ
この世に居ながらかの世の住人にも成る事が出来る それはこうである
この世に居る時はこの世の住人となり それ以外の時はかの世(知恵の王国)の住人となる
どうです お気軽でしょう
私たちの苦悩は世間に囚われている事から起こる
世間をきっぱり切り離せば そこには自由な世界すなわち哲学界が広がっている
第57章 『人生』について
人生を如何に生くべきか
人間は精神と肉体の子
であれば精神を最高度に発揮し肉体を最高度に発揮する事 それが人の生きる最高の道なのではないか
かのギリシア哲学の様に そしてかのギリシア彫刻の様に
精神を最高度に発揮し 肉体を最高度に発揮する為には一つの条件が必要である
それは精神と肉体が主従関係を結ぶ事
肉体は常に精神に付き従う その代わり精神は肉体を労わると言う
これによってかのギリシア彫刻の様な人間が生まれる
ギリシアにヘラクレスと言う英雄が居た
彼こそが精神と肉体を最高度に発揮した人間である
だから彼は人間でありながら神として祭られた
人は神の子であると共に人の子 だから肉体も鍛えなければならない
健全なる肉体に健全なる精神が宿る
肉体を精神の奉仕者とする為の学問 それが倫理学である
第58章 『行為』について
行為に依って精神が発現される
「主よ主よと言う者が皆 天の国に入る訳ではない
天の父の御心を行う者だけが入るのである」
私たちは行為に依って人の子と共に神の子と成る
マザーテレサと言う人物が居た
彼女は死後間も無く聖人に列せられた
数々の奇跡を行ったと言う理由で
その奇跡とは隣人を愛したと言う行為
この事例に依って隣人を愛する行為が如何に難しいかが分かる
奇跡と言う位に
神を愛する事はある程度易しい
しかし神を愛する様に人は愛する事はこの上なく難しい
心を尽くし精神を尽くし思いを尽くして貴方の神である主を愛する事 そして隣人を自分の様に愛する事
この行為によって人は聖人になる
第59章 『徳』について
倫理学とは徳を学ぶ事
徳とは何か
知恵を愛する様に人を愛する事
それの何と難しい事か
哲学には三つの部門がある
一つは形而上学または純粋哲学 知恵(神)を学ぶ
二つ目は論理学 自然を学ぶ
三つ目が倫理学 人間を学ぶ もっと端的に言えば人間を愛する方法を学ぶ
この三つの中でもっと難しいのが倫理学
何故なら倫理学を完全にマスターする為には形而上学と論理学をマスターした上で「徳」と言う実習科目をマスターしなければならないから
それの何と難しい事か
貴方の肉体の悪魔 自我を完全に貴方の配下に治めなければならないのだから
聖人と言う人たちがいる
彼らは哲学三部門をマスターした上に「徳」と言う実習科目を完全にマスターした人たちの事である
第60章 『勇気』について
徳にはどれ程の種類があるのか
煩悩が百八あるのだから徳の数もそれ程あるのだろう
しかし今回はそれを数え上げる事はしない
今回はその中から勇気を取り上げる
勇気こそが全ての徳の中で最も高貴な徳である
勇気こそが徳の中の徳 徳の王
勇気によって全ての徳が全うされる
勇気に全ての徳が従う
勇気とは何か
一言で言えば 知恵を行為に移す事
それの何と難しい事か その為には自らの自我を打ち負かすと共に相手の自我も組み伏せねばならない それはまるでヘラクレスの戦いの様
イエスはそれを何と自然に遣ってのけた事だろう
勇気の為に必要な事 それは祈り
イエスであれば神の王国が実現します様にであり 私の場合であれば知恵の王国が実現します様にとなる
第61章 『忍耐』について
忍耐とは勇気に従う第一の従者
忍耐とは勇気の道筋を整えるもの
忍耐によって勇気が力を発揮する
忍耐は勇気の為に全ての徳を束ねる
勇気によって知恵が行為となる
勇気が無ければ知恵は実現しない
勇気こそが徳の中の徳 徳の王
そして忍耐はその徳を統べる
忍耐は全ての徳の教育係り
忍耐によって徳が力を得る
忍耐によって節制が力を得 忍耐によって寛容が力を得 忍耐によって諸々の徳が力を得る
忍耐は全ての徳の教育係り
最も素晴らしい徳は勇気 何故なら勇気によって知恵が行為となるから
そして忍耐は勇気に従う第一の勇者 忍耐は勇気の道筋を整えるもの 忍耐とは荒れ野の叫ぶ者の声「主の道を整え その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ者の声
第62章 『中庸』について
中庸の徳と言うものがある
これこそがこの世を渡って行く為の最高の徳である
この世とかの世の真ん中を 肉体と精神の真ん中を
裁判官の様な徳である
右にも左にも振れない
この徳の道を真っ直ぐに歩めば何処に行く
自分の目指すその目標に
中庸の徳こそが自己実現の最も近道
私の様に知恵を愛せよ哲学に励めよと言えば煙たがれるし
また科学一辺倒でも同じ様な事
哲学とも言わず科学とも言わず唯我が道を行く
傍目には聖人君子の様に写る
中庸は調和の徳
この徳に依って人は最高級の哲学者と成る
第63章 『愛』について
愛こそが全てを覆う
愛こそが快楽の原点
愛無しには如何なる快楽も生まれない
愛の無い世界は苦痛の世界
愛とは快楽に向かおうとする志向
この世は愛に満ちている
要は如何なる愛に向かうかと言う事である
愛はアガペーからエロスまで
アガペーとは精神的愛 エロスとは肉体的愛
人を愛する 勿論そこにもアガペーがありエロスがある
エロスに立脚すれば一人の人しか愛する事しか出来ない
しかしアガペーに立脚すれば全人類をも愛する事が出来る
先ずはエロスから始め そしてアガペーで完成させる
これが愛の道
第64章 『家族』について
家族とは何か
そこは愛の実践の場
エロスに始まりアガペーで完成する
しかし愛の家族がこの世にどれ程在ると言うのか
家族の始まりは何処にあるのか
勿論結婚にある そこはエロスの場
結婚にエロスが無ければどうして家族が生まれよう
子供が生まれて始めて家族が成立する
もし父と母が哲学者 すなわち知恵を愛する人であれば
そこには天国の概念が生まれる
その家族に生まれた子供は天国を憧憬する
そしてその子供たちが父となり母となり天国が承継されていく
愛の家族の実現の為に必要な事 それは夫婦となるべき人が哲学の子である事
愛の家族の実現 そこからこの世の天国 知恵の王国の第一歩が始まる
第65章 『結婚』について
結婚 そこには神秘がある
精神と肉体の結婚によって人間が生まれた
私と知恵の結婚によって言葉が生まれ世界が生まれた
それでは哲学者の男と哲学者の女との結婚で何が生まれるのか 愛の家族
私たちは何の為に結婚するのか
欲望の為にか 経済の為にか 家事の為にか そして肉体と精神の安定の為にか
そうこれら為にするのがこの世の結婚
そしてこれらの結婚によりこの世が再生産されて行く
貴方は結婚に何を望むか 愛の家族!
であれば先ずは哲学すなわち知恵を愛する事を学びなさい
そして知恵を愛する事を学んだら知恵を愛する人と結婚しなさい
私は保証する そこに愛の家族が生まれる事を
愛の家族の中から 人の子であると共に神(知恵)の子である子が生まれる
その子は貴方方両親の誉れであると共に知恵の王国実現の道先案内人となる
第66章 『子供』について
さて貴方方は結婚によって晴れて夫婦になった
貴方方の成すべき事は何か
そう人の子であると共に神の子である子を生み育てる事
であれば私がエロスを差し上げよう その快楽により先ずは精神の快楽の子を生みなさい
子供はこの世の宝
この子供たちによって新しい世界が創造される
もし貴方方が新しい世界 この世の天国とも呼ばれる知恵の王国を見たいのであれば 善き子供たちをこそ生みなさい
善き子とは誰の子か それは神の子であり 知恵の子 その為には先ず貴方方が哲学者とならなければならない
この世の宝である子供たち
この子供たちにどんな教育を施そうか
神(知恵)の子となる為以外の如何なる教育があろう
哲学者たる大人たちよ 哲学一貫教育を実現させようではないか
子供たちによって新しい世界が創造される
哲学者たる大人たちよ 知恵の子を生み 知恵の子を育てる為に一生懸命になろうではないか
第67章 『教育』について
教育とは何か
平凡社百科事典によるとeducationの語源educatio(抽き出す)にあると言う
何を抽き出すのか
知恵以外の何があると言うのか
これまでの教育の間違い
それは知識を与えるとの思い込み
この思い込みによって如何なる弊害が生じたか
それは知恵の黙殺であり知識の増長
現代を見なさい
知識万能の時代ではないか
知識こそがこの世の力 知識はこの世の万能手形
皆が知識へ知識へと靡く
私が唱える教育とは哲学一貫教育
この教育によって日本が知恵の王国となる
第68章 『環境』について
自然環境 社会環境 生活環境 家庭環境 教育環境 職場環境等々
私たちは環境によって作られる
今私たちに求められているのは如何なる環境を作るかと言う事
もしこれらの環境が虹の様な同心円で描かれたら貴方はどう思う
私は先に私と知恵と精神と心と思想と肉体の同心円の事を説いた
もしこれらが綺麗な同心円を描けばそれは聖人と一緒だと
精神一到何事かなさざらんと
環境もこれと全く同じ事
全ての環境の中心に私がいる
そしてその私に知恵が寄り添い 精神界を形成し
その精神界を中心に家庭 生活 社会環境等々が形成され それらを全部包んで自然環境が形成され そしてそれらを全部包んで世界と言う環境が形成される
私と知恵が素晴らしい精神界を創り上げれば その他の環境も自ずから素晴らしいものとなり その結果として素晴らしい世界が創造される事になる
What a wonderful world 何と素敵な世界 それは私と知恵によって創られる世界
だから私は言うのである 素敵な世界を創り上げたいのなら 哲学一貫教育が必要であると
第69章 『生活』について
生活とは生き活きと生きる事
その為に必要な事は何か
快楽
何故なら快楽こそが全ての生きとし活ける者の活力源だから
私たち人間は精神と肉体の子
精神も快楽を求め 肉体も快楽を求める
精神の快楽も無限 肉体の快楽も無限
さて私たちはそれを如何に按分すべきか
理想の生活人
彼は精神の快楽の為に全ての肉の行為を従事させている
そしてその肉の行為によって隣人を楽しいませている
理想の生活人 彼は知恵を愛する者であると同時に知恵を愛するように隣人を愛する者
全ての哲学の黄金律 知恵を愛しなさい そして知恵を愛する様に隣人を愛しなさい
これが当然に生活の黄金律ともなる 何故ならそこにこそ精神的快楽の源泉があるから 人は快楽によって行為する
第70章 『習慣』について
習慣とは習い慣らう事
何に習い何に慣らうのか 最初は父母に
もし父母が哲学者すなわち知恵を愛する人であれば 彼は生まれた時から 知恵を愛する事を習い 知恵を愛する事に慣らう事になる
彼は生まれた時から知恵を愛する事が習慣となる 何と素晴らしき事か
私たちは今哲学一貫教育を実現させようとしている
これから父母と成る人よ すなわち全ての若者よ どうか哲学者と成って下さい
私がこれから哲学者と成る為の方法を伝授します
哲学者と成る為の方法 これも全て習慣です
先ずは一週間の時間割を決めて下さい
起床就寝出社帰宅その他諸々の生活時間を決め込んで下さい
そしての残りの時間を哲学すなわち知恵を愛する時間に充てるのです
そうすれば貴方は必ず哲学者になります 知恵を愛さずにはおれなくなります
若者よ 貴方が哲学者に成った時
そこからこの日本が哲学の王国(知恵を愛する国)へと変っていくのです
第71章 『勉強』について
勉強とは勉めて強いる事
何を勉めて強いるのか 肉体を
何の為に 精神の為に
勉強とは精神の為に肉体を勉めて強いる事
一般的に勉強と言えば学校時代の学習の事を言う
それでいい
要は何を学習させるかである
学習の第一目標 それは精神の為に肉体を勉めて強いる事を学ばせる事 ヘラクレスの様に成る為に イエスの様に成る為に
しかし子供たちはこの世の事を知らない
国語数学理科社会音楽美術技術家庭体育道徳等々
先ずはこれらの学問によってこの世の事を教えてあげる
そ してこれらの基礎の上に精神を飛翔させてあげる
「学びて思わざれば則ち罔し 思いて学ばされば則ち殆し」
子供時代に勉めて強いてこの世の事を学ばせる そしてこの基礎の上に大いなる哲学者と成って貰う これが勉強の意義
第72章 『仕事』について
仕事とは仕え事
何に仕えるのか
先ずは神(知恵)にそして隣人に
仕事によってこの世は素晴らしい世界に成る筈であった
ところが現実はそうはならなかった
何故か
それは私たちが知恵ではなくて自我に仕える事になったから
その為に仕事は増えた 無限大に
私たちの欲望は止まる事はない
その欲望の数だけ仕事が増えて行く
仕事の為の仕事
科学がそれに加担した
私たちはここらで自らの仕事の事を考えて良いのではないか
果たして私の仕事は必要かと もしそう思ったのなら知恵に仕えなさい きっとそこに貴方の仕事がある
第73章 『恋愛』について
恋愛とは男女の愛
これは普遍の愛であり亡くなる事は無い
恋愛によってこの世が創造ざれていった
生めよ 増やせよ 地に満てよと言いつつ
しかし私は現在の日本の恋愛を断罪する
もしそこに生殖を伴った行為があったとしたらそれは結婚しなければならない
もし生殖を伴う行為を行いながらその生殖を防ぐ手立てを講じつつ恋愛を続けているのであれば 私はその恋愛を見下げ蔑む
何故ならそれは肉体の快楽以外の何ものでも無いから
私は決して恋愛を否定しているのではない
むしろ推奨する 恋愛によって人は天国へも昇る事が出来る
かのダンテ神曲を見よ
しかしそれはプラトニック(純愛)である限り
恋愛に生殖を持ち込んではならない 私はそれを断罪する
現在の日本はあまりにも女性の純潔を見下げている
第74章 『友』について
真の友とは如何なる友か
それはアガペーに基づく友
それは時空をも超える
私たちはイエスを ブッダを ソクラテスを 孔子を友とする事が出来る
現実的な友とは如何なる友か
それはエロスに基づく友
遊び仲間 飲み仲間 仲良しこよし カラオケ仲間
肉がなければ成立しない
エロスからアガペーへ
これが友の成長段階
子供の時は皆エロスの友 肉の交わりにより成立する
しかし大人になるにつれて肉を落とし精神への交わりへと昇華していく
私の理想とする世界 知恵の王国では皆がアガペーに基づいて交わっている
それは哲学革命後の世界 友よそんな世界は嫌かね
第75章 『家庭』について
家庭生活
家庭は生活の場である
そこには社会の全ての営みがある
家庭は国家の縮図
もし家庭が天国の様であれば その国家も天国のよう
家庭が天国の様に成る為に必要な事 それは知恵
私と知恵により精神界が形成され それを核に私と言う人間が生まれる
そしてその私を核に家庭が生まれる
家庭の構成要因
それは父と母と子
彼らは皆 知恵の子
知恵は連携する どうです 知恵の王国が出来上がったでしょう
さあ哲学者の皆さん
先ずは貴方の家庭を知恵の王国の見本としてこの世に差し出して下さい
第76章 『現代』について
現代とは何か
それは今私が生きている時代
現代は何時の時代にもあったか
私はそれに対してはノーと言いたい
こんな時代は嘗てはなかった
しかし今後はある
そしてその現代に未来はない
私たちがその現代に泳ぎ疲れた時 人類も消滅する
地球は後何億年も存在するのだろうが
人類消滅の時はそれ程先の事ではない
この現代が続く間に 多分人類は消滅する
私たち現代人が人類消滅の時を視る
現代とは何か それは欲望と自我の時代 そして際限の無い科学の時代
もし人類存続を夢見るのであれば ホモサピエンスからホモソフィアに成る必要がある
第77章 『情報』について
情報とは情の報
情報は私たちの感情を掻き立てる
新聞がテレビが雑誌が新刊書がインターネットが
休む事無く私たちの感情を掻き立てる (ストップ ザ 情報)
現代は情報の時代 科学の時代 欲望の時代
この三つが黄金のトライアングルを描く
情報を遮断しない限り
私たちはこの魔の三角から抜け出る事は出来ない (ストップ ザ 情報)
試みに情報を一切遮断して御覧なさい
そこには大いなる世界が広がる
イエスは私たちに何と忠告した「奥まった自分の部屋に入って戸を閉めて」と
何故ならそこに大いなる世界が現出するから
情報に追われ続ける限り 私たちは知恵に回帰する事は出来ない
情報の遮断 そこに哲学者への道があり 知恵の王国実現の鍵がある
第78章 『大衆』について
大衆とはマス
情報により作られた人間の大集団
情報が右を向けと言えば右を向き 左を向けと言えば左を向く
もし大衆に成りたくないのであれば 情報を遮断する必要がある
哲学者と大衆
哲学者とは知恵を愛する人
大衆とは情報を愛する人々
大衆は情報無しには生きていけない
哲学者も大衆も連携する
哲学者は知恵により連携し 大衆は情報により連携する
哲学者は常に同じ方向を目指す すなわち知恵の王国を
大衆は情報の赴くままに右往左往 彼らは戦場へも赴く
哲学者よ 貴方は哲学者に成りたいですか それとも大衆に成りたいのですか
哲学者よ この辺りで一度哲学者同士連携してもいいのではないですか
第79章 『都会』について
花の都 東京 ♪
人は都会へ都会へと靡く
何故か
それは都会が快楽の都だから
都会は招く 欲望で欲望を
人は欲望に魅せられ
そして欲望から抜け出せなくなる
人は欲望に塗れながら都会をさ迷う
都会は欲望の街
こんな街から抜け出せる者がどれ程いる事だろう
田舎は天国 都会は地獄 ♪
こんな歌を歌いながら都会から抜け出せる者がどれ程いる事だろう
現代日本においては津々浦々まで欲望の街になってしまった
こんな欲望の街において自然人であり続ける事が出来るだろうか 都会人対自然人
第80章 『政治』について
政治は権力の行使
この権力を如何に行使するかによって政体が決まる
もし一人の人が自分の為に権力を行使すれば独裁政治
この権力を民衆が行使すると言うのであれば民主主義
現代においては民主主義がもっと素晴らしい政体である と誰もが言う
この政体に異を唱えればそれこそ総すかんを食う
しかし果たして民主主義がもっと素晴らしい政体なのだろうか
もっともっと素晴らしい政体があるのではなかろうか
貴方は聞くのか それがどんな政体かと
それでは答えよう
哲学者の哲学者による哲学者の為の政治 すなわち哲人政治であると
哲人政治とは知恵を愛する事によって知恵が花開く世界の事 それはイエスの唱えた神の王国と同じ事
民主主義政治のその先にあるのは 衆愚政治 自我と欲望の世界
哲人政治のその先にあるのはこの世のユートピア 知恵の王国
第81章 『経済』について
経済とは「経国済民」「経世済民」
弱きを助け強きを挫く
経済こそが真の政治
果たして現在の日本経済はその機能を果たしているのか
経済とは所得再分配
現在の日本経済の所得再分配法則は強きを助け弱きを挫く 弱肉強食の法則
強き者は更に強く 弱き者は更に弱く
生活保護も当てにさせないぞ
何時から日本はこんな経済になったのか
嘗ては皆中流と言う時代があったと言うのに
弱肉強食 徹底した競争原理の導入
これらを成したのは昭和生まれの哲学なき政治家たち そしてその傾向は更に続く
弱きを助け強きを挫く「経世済民」 真の経済を望むのなら
哲学者よ 貴方たちが政治家に成る必要がある 哲人政治事始
第82章 『社会』について
社会とは社(やしろ)の会
社こそが社会の原点
現在の日本に社があると言うのか
社とは「神を祝い祭る斎場」(広辞苑)
現在の日本社会は都会社会 欲望社会
現在の日本には社が亡くなってしまった
現在の日本において社の代わりをなしているのが欲望と自我 それに科学が加担している
現在の日本社会において欲望は止む事は無く増大し続ける
言霊の幸ふ国
それは嘗ての日本の呼称であった
嘗ての日本においては社を中心に言霊が幸ほっていた
言霊の幸ふ国日本と知恵の王国日本は同じ事 温故知新 故きを温めて新しきを知る
哲学者よ 今こそが哲学革命の時
哲学者よ 私と一緒に事を起こそうではないか 知恵の王国の実現に向けて
第83章 『法律』について
法律とは「国会の両議院が可決して成立する法の一形式」広辞苑
果たしてこの日本にその法律が幾つあるのか 1800弱
もしそれらの全条文を見たいのなら 「電子政府の総合窓口」の法令検索を見なさい
貴方はその法律を全部読むのに丸一年かかるでしょう 一日に5つの法律を読むとして
法律は何の為にあるのでしょう
国民の為でしょうか
私たちはその法律の一つもろくに知りません
しかしこう言われます「法律を知らなかったでは済まされないと」
一体法律とは何の為にあるのでしょう
私がずばりお答えしましょう
それは官僚の為にあると
法律とは官僚機構を維持するため手段 お墨付きであると
もし貴方が究極の知恵の王国の住人に成ったのであれば
その住人に必要な法律の条文はこれだけです「知恵を愛しなさい そして知恵を愛するように人を愛しなさい」
第84章 『体制』について
体制とは「社会組織の様式 社会を一個の有機体に見立てて言う」広辞苑
嘗て共産主義体制と言う体制があった
それは理想の体制の様に思われた
しかし脆くも崩れ去ってしまった
現在のこの世界の体制は資本主義体制
それは拝金主義 欲望社会
欲望の為なら何でも許される社会
大量殺人も許される 資本主義となってからの戦争を見よ
資本主義体制は自我に基づく社会
欲望を基礎とし 差別を基礎とし 争いを基礎とする
アメリカを見よ
もし貴方が争いの無い社会を望むのであれば哲学主義体制を望まねばならぬ
自我と知恵の争い
資本主義社会体制の後に来るのは哲学主義社会体制 それは知恵の王国の事
第85章 『国家』について
国家とは何か
それは世界を分割する方法
世界地図を見て御覧なさい
そこには綺麗に色分けされた国家がある
国家はどの様にして成立したのか
それは自然と風土と民族言語宗教文化歴史等々の絡み合いの中で成立してきた
最も自然な形で成立した国家が最も安定した国家となる
日本はそう意味では最も安定した国家の一つである
日本はまた先進国家でもあると言われる
先進国家でもありまた最も安定した国家に住む我々日本人はこの日本国国家に満足しているのか
何かが足りない? 私が教えてあげよう それが大和魂であると
やはり第二次世界大戦の断絶は大きかった 初めての敗北により日本は大和魂を失くしてしまった
大和魂 それは国家を愛する魂 その魂の基礎は家庭にある そして私自身に
知恵への回帰 そこから新しい大和魂が生まれる 知恵の王国日本に向けての一考察
第86章 『日本』について
言霊の幸ふ国 日本
嘗ての日本には言霊が飛び交っていた
現在の日本に飛び交っているのは情報と言う知識
知識と知恵 この差はあまりにも大きすぎる
言霊の幸ふ国日本と知恵の王国日本は同じ事
私はこの日本を知恵の王国とする為に哲学革命を起こす
哲学革命とは知恵を愛する事に依ってこの世の命を革(あらた)める事 この世の命が知恵へと向かう
イエスがかの地で革命を起こした様に 私は今この日本でその革命を起こす
日本にはそう言う素地がある
「言霊の幸ふ国 日本」
それが何時の時代だったかは知らない
しかしその言葉を信じてこの日本に哲学革命を起こす 知恵の王国実現に向けて
さあ心ある哲学者よ 先ずは私と一緒に行動しなさい 貴方方の子孫の為に
哲学者よ 知恵の王国を思い描きなさい それが貴方の知恵の王国日本だ!
第87章 『風土』について
風土とは風と土
風によって風俗が生まれ
土によって土俗が生まれ
そして風土により民族が生まれた
風土は民族の養い親
砂漠には砂漠の民を養い育て この日本では日本民族を養い育てた
日本の風の何と彩り豊かな事か 温風微風薫風冷風涼風寒風北風南風東風西風秋風春風順風松風等々
そして日本の土の何と豊穣な事か
貴方方の祖先はこの風土に養い育てられた
しかし貴方方は違う
貴方方は欲望の街都会に生まれた都会子
貴方方都会子には風も土も縁が亡くなった 何故なら土が無ければ彩り豊かな風は吹かないから
貴方方は風土に見捨てられ そして自然を捨てた
この日本民族にどんな将来があるのか このまま更に欲望の街を突き進むのか
第88章 『民族』について
民族と言語と宗教
それは同じ数だけあった
アマゾンの未開地域を見よ
そこには民族の数だけ 言語と宗教がある
嘗ての日本もそうであった
しかしここに朝鮮民族が渡来して一気に日本を統一した
そして歴史の書により日本民族が生まれた
誰も歴史の書 すなわち文字が生まれる以前の日本の事を知る事が出来ない アマゾンの未開部族が百年前の事を知る事が出来ない様に
最も歴史の古い民族とは ユダヤ
彼らは数千年も歴史を遡る事が出来る 神と人間の起源まで
ユダヤ民族は散々に散らされた
それでも彼らは歴史を継続する その固有の言語と宗教で
さて貴方に聞こう この日本に日本民族と言うものが存在するのかと
多くの者がこう答えるだろう 私は日本人だが日本民族ではない と 何故なら日本民族と答える為に必要な事が言霊 大和魂だから
第89章 『言語』について
言語とは言(ことば)を語る
言とは「言は神と共にあった 言は神であった この言は初めに神と共にあった 万物は言によって成った」と言う言である
この言を語る為に言語が生まれた
言語の起源を突き詰めれば神に至る 神を語る為に言語が生まれた
貴方はバベルの塔の神話を知っているか
嘗ては世界中皆同じ言葉を使っていた
彼らはその言葉を使って協力し 天まで届く塔を建てようとした
それが届きそうに成ったので 神も恐れをなして言葉を混乱(バベル)させた
言葉の力は凄い
もし世界中同じ言葉を使っていたら 人は秩序の塔によって天まで届き得た
しかし神はそれをお望みに成らなかった
何故か
その混乱した言語により民族が生まれ宗教が生まれた
そしてその民族によりその宗教により争いが生まれている 神は何をお望みになったのか
第90章 『宗教』について
宗教とは宗(みたまや)の教え
嘗て人は社(やしろ)に集り 御霊屋で教えを受けていた
そこには言霊が咲き誇っていた
「言霊の幸(さきはう)国 日本」とはそう言う時代の事
しかしバベルの塔の崩壊の頃から 言語が乱れ民族が乱れ宗教が乱れた
神は憐れんで 神からの使者を二回に分けて送った
一回目は紀元前5世紀の頃 その頃の使者はブッダ ゾロアスター 孔子 老子 ソクラテスたち 彼らは地を均した
そして二回目がイエス・キリスト 彼によって宗教が再統一される筈であった
しかし現況はご覧のとおり
彼はやはりユダヤの神を引き摺ってしまった
そして今ここに新たな宗教が開かれようとしている
その宗教のその先にあるのが知恵の王国
その宗教はこう説く
「自らの社に集い 自らの御霊屋で 知恵から直接教えを受けなさい」と そしてその知恵の連携により知恵の王国を築き上げなさいと
第91章 『文化』について
文化とは文(ふみ)に化し 文(あや)に化す
何を文(ふみ)に化し 何を文(あや)に化すのか
勿論思想を 思いと想いを
私たちは文化によってその時代のその地域の精神を読み取る事が出来る
さて現代日本は如何なる事を思い想っているのか
先ずは文(ふみ)の代表 文学を見てみよう 何と言う貧困なる精神よ
次に文(あや)の代表 美術を見てみよう これまた貧困なる精神よ
現代日本は何を思想しようとしているのか 物欲か自我か欲望か
現代日本人は自然を忘れてしまった
それが故の貧困である
何を文(ふみ)に化し 何を文(あや)に化すのか
知恵をと高らかに言い切る者は一人もいないのか
哲学者よ これからは貴方の時代だ
貴方の知恵を文(ふみ)に化し 文(あや)に化しなさい 哲学者こそがその時代その地域その民族のメルクマールである 哲学者よ これからが貴方の時代だ
第92章 『歴史』について
歴史は文(ふみ)に始まる
日本の歴史は古事記に始まった
日本の歴史は皇統記
その歴史の何と連綿としている事よ
天皇はメルクマール 目印
私たちは天皇を繋ぐ事に依って日本の歴史を読み取る事が出来る
試しに昭和天皇を呼び出してご覧なさい
そこには郷愁の昭和がある そして明治天皇には凛とした明治が
学校で学ぶ歴史を見てご覧なさい
そこでは天皇が黒く塗り潰されている
私たちは断絶の日本史しか読み取る事が出来ない
もし大和魂を復活させたいのなら 先ずは初代天皇から今上天皇までの元号を覚えさせる必要がある 何故ならそこに彩り豊かな日本があるから
言霊の幸ふ国 日本 その言霊は天皇により引き継がれている
先ずは元号に学びなさい そこに日本の精神が込められている
第93章 『地球』について
我が故国地球 この地球を如何に見よう
私は一万年の旅から今帰って来る所である
何と言う地球の青と白と緑のコントラストよ
そこにはもう嘗て現代と言っていた頃の文明は無い
人類は滅亡したのか
私は目を凝らした
そこはまるで天国の様 そしてそこに確かに人類が居た
私は彼らに聞いた 貴方たちは誰ですかと 彼らは答えた 私たちはホモソフィアですと
私は聞いた
嘗ての現代と言う時代に居たホモサピエンスはどうなったのですかと
彼らは自我と欲望の果てに消滅してしまいました この地球を食い潰した果てに
しかしホモサピエンスの中で哲学者と言う人たちだけが生き残りました 私たちはその子孫ですと
おお 何と素晴らしき一万年後の地球よ
確かにそこに人類が居た しかしそこはホモソフィアの世界だった イエスが夢見た世界であり 私が夢見た世界だった
第94章 『自然』について
自然とは自ずから然り 無為自然 東洋の思想だった
西洋は自然を屈服させようとした 科学の世界
西洋が東洋を圧倒した
そしてこの世界は科学の世界と成った 現代と言う時代の様相
科学は止む事が無かった
科学は自然を食い尽くしていった
自然が有限とも知らずに
科学は崖っぷちに立った 食い物が亡くなったと
そして自然とホモサピエンスは消滅して行った
これがホモサピエンスの成れの果て
科学は自然を食い尽くそうとしたが結局自然に食い潰されてしまった
ホモサピエンスの因果応報の成れの果て
そして立派な自然が残った
その自然を楽園に無為自然の哲学者たちがホモソフィアの世界を再生した 言霊の幸ふ世界を
第95章 『宇宙』について
宇宙とは有限か無限か
その概念の中に神の概念が入ってくる
科学者たちは有限だと言う そして様々な理論を打ち立てようとする
その理論の何と笑うべき事か 一万年後の世界から来た私に取って
私たちは笑う
紀元前の科学者たちの宇宙観を
現在の科学者たちのしている事も同じ事
私たちは決して神に成る事は出来ない
宇宙に始まりがあり終わりがあるのか
私たちはそれをどうやって想像しようと言うのか
ビッグバンか お笑い草ではないか
宇宙を考える時 哲学者は敬虔に成らざるを得ない
敬虔な哲学者カントも「我が上なる星空」を見てこう思ったのだろう
宇宙の果ての果てと言うものがあるのだろうか そして宇宙の始まりと言うものがあったのだろうか 確かにロマンを掻き立てる しかし現秩序で満足すべきではないか と
第96章 『世界』について
世界と宇宙
その境界を定めなければ世界論が宇宙論となってしまう
世界とは私たちが立脚しているこの世界
現実的に言えばこの地球と言う存在であり この地球上に起こる全ての事となる
私は第1章から順次この世界を眺めて来たが
この世界は私に取って満足すべき世界だったのだろうか
それに対する答え
私のこの世界は現在生成中 そして私によって如何なる世界にもなる事が可能と それが私の感想
この世界は私の誕生の時から生まれた
私の誕生と共に知恵が寄り添って呉れた
私は知恵の事を知らなかったが知恵は私に常に寄り添って呉れた
私はある時知恵を知った そこから私と知恵の二人三脚の世界の再創造が始まった そしてそこには常に言葉が従った
世界とは私と知恵の二人三脚で生み出す言葉の世界
もしその言葉の世界が真善美に溢れた世界なら理想世界と言う事になる
第97章 『法』について
法とは秩序
この世のものの全ての秩序
その秩序の根源をと問われれば神と言う事になる
神以外に如何なるものがこの世の全ての秩序を保つと言うのか
勘違いしないで欲しい
ここで言う法とは秩序の事であって 法律の事ではない
宇宙にも法則があると言うのであれば その法も含む
しかし私はここで言って置こう 人間の分際で宇宙の法など考えるなと
法によって私たちは行動し考えている
この法を根源に近い所で捉えれば 私たちは自由になる
「真理は貴方を自由にする」
法と真理は同じ事なのか
「道生一 一生二 二生三 三生万物」ここに法の根源がありそう
道が神で 一が法か それとも道が神でありかつ法なのか だとすれば一は何か そして二は 三は
第98章 『時間』について
貴方はカーラと言うインドの神を知っているか
この神はこの世のものを全て残らず飲み尽す
この世のものはこの神から逃れる事は出来ない
この神の正体は時間 であれば時間こそがこの世の法か
確かに時間はこの世のもの全てを統べている
もし時間が無ければこの世のものは何一つ存在し得ない
例えば現在の地球宇宙がそのままの空間であるとしよう
しかしそこに時間が無ければ現在の地球宇宙は存在し得ない
カーラは全てのものを飲み干すと共にこの世のものを生み出しているのか
であればカーラこそがこの世の法か
宇宙と言う空間も時間が存在したから存在しえたのではないか
では聞こう カーラは何時カーラを生み出したのか
全てのものの根源に還る時
私たちは神と言う概念に突き当たる 神とは何か 第100章で答えたいと思う
第99章 『普遍』について
この世に遍く存在するもの
それは時間と言う法なのではないか
時間が無ければこの世のものは何一つ存在し得ない
だが聞こう かの世にも時間が存在するのか
かの世に時間が存在するか否か
これによって普遍の概念も 法の概念も変ってくる
時間はこの世の支配者かも知れないが
かの世に時間の支配が及ばないのであれば 新たな支配者の概念が生まれて来る
この世にもかの世にも遍く存在し法王としての権限を保つもの
そんな支配者が居るとしたら誰か
人間はこの世もかの世も含めてそんな偉大なる指導者を思い描いてきた
そして嘗ても在り今も在り今後も在ると言う存在として 神と言う概念を育ててきた
しかし現代においてはこの神と言う概念を捨てようとしている
かの世はあるのか 結局はかの世を如何に思想するかによって神の概念が変ってくる
第100章 『神』について
「我思う 故に我あり」
私とは考える存在である
私が居てこの世界がありそして宇宙もある
私が居なければ ひょっとしたら神は存在しないのではないか
これが現代の考え方である
そして私の考え方でもある
しかし私は神に憧れている
私が考える存在としてこの世に生まれた以上 私を含めこの世の全てを統べる何者かが存在するのではないか
私は私の及ぶ限り考えた
そしてその考えの先にその者が存在した
ダビデやイエスが主よ我が神よと呼びかけたその存在である
ソロモンはそのもの事を知恵とも呼んだ
私たちは知恵を通じて総宇を知る
知恵こそが私の神であり その神を通じてこの世かの世の全ての秩序(法)を知ろうとする そしてその思想の及ぶ限りの先に立って理想の世界を眺めた時にそこに存在する法の体系が神と言う存在なのか知れない だから結局神とは考える存在の私が生み出すものなのかも知れない と
あとがきに代えて『哲学革命』
哲学とはphilosophia 知恵(Sophia)を愛する(philo)事
哲学革命とは知恵を愛する事に依ってこの世界を変えていこうとする革命です
知恵とは何か
そこには様々な意味合いがあります
一般的に言えば知恵袋とかおばあちゃんの知恵と言った所でしょう
これはまた生活の知恵と置き換えられる事も出来るでしょう
私の言う知恵は勿論これらの事も含みますが
もっと大きな概念があります
私の言う知恵を最も端的に現しているのがソロモンの知恵です
ソロモンの知恵は旧約聖書「箴言」に鏤められていますが
最も端的に言い表しているのが箴言の第8章です
知恵が呼びかけ 英知が声を上げているではないか
高い所に登り 道のほとり 四つ角に立ち
城門の傍ら 町の入り口 城門の通路で呼ばわっている
人よ 貴方に向かって私は呼びかける 人の子らに向かって私は声を上げる
浅はかな者は熟慮する事を覚え 愚かな者は反省す事を覚えよ
聞け 私は指導者として語る 私は唇を開き 公平について述べ
私の口は誠を唱える 私の唇は背信を忌むべき事とし
私の口の言葉は全て正しく よこしまな事も曲がった事も含んでいない
・・・・・・・・
私は知恵 熟慮と共に住まい 知識と慎重さを備えている
主を畏れる事は悪を憎む事 傲慢 驕り 悪の道 暴言を吐く口を私は憎む
私は勧告し 成功させる 私は見分ける力であり 威力を持つ
私によって王は君臨し 支配者は正しい掟を定める
・・・・・・・・・
主はその道の初めに私を造られた いにしえの御業になお先立って
永遠の昔 私は祝別されていた 大初 大地に先立って
私は生み出されていた 深淵も水のみなぎる源も未だ存在しない時
・・・・・・・・・
さて 子らよ 私に聞き従え 私の道を守る者はいかに幸いな事か
諭しに聞き従って知恵を得よ なおざりにしてはならない
私に聞き従う者は日々私の扉をうかがい 戸口の柱を見る者はいかに幸いな事か
私を見い出す者は命を見い出し 主に喜び迎えて頂く事が出来る
・・・・・・・・・
この知恵は何処に存在していると思いますか
貴方の中にこそです
しかし私たちはそれに気付きません
何故なら誰もそんな事を教えて呉れないからです
哲学革命の第一歩はこの知恵を教える事から始めます
「汝自身を知れ」
哲学の第一歩です
自分自身を知らずにどうして世界を知る事が出来ましょう
個性を伸ばす教育と言いながら
「汝自身を知れ」と言うこの尊い教えを教える事はほとんどありません
何故なら教師自身がこの意味を本当に知らないからです
「汝自身を知れ」
この為に必要な事が 哲学 すなわち知恵を愛する事なのです
知恵とは何か
これこそが本当の私自身です
真善美に溢れた私自身なのです
私たちが知恵を愛すれば愛する程 この知恵は輝きだします
この知恵を至上のものと考えた時 この知恵は神にも変わります
知恵を如何に考えるかは個人の判断にもなりますが
少なくとも知恵を愛する事がなければ
巷に言う『本当の自分』を知る事は出来ないのです
巷では本当の自分を知りなさいと決まり文句の様に唱えていますが
その唱えている本人は実の所 本当の自分自身を知らないのです
もう一度箴言の第8章の抜書きを読み直して下さい
知恵は第三者の様に語っていますよね
これが知恵の知恵たる所以なのです
私自身の中で語りながら第三者の立場は決して崩さないのです
だから私たちは知恵と語りながらより高い世界を目指して行けるのです
良く良心の声とか言いますよね
それが知恵です
ソロモンはそれを知恵と呼んでいますが
ダビデやイエスは私の主とか私の神とか呼んでいます
「私」のと付く場合は知恵の事と解して下さい
大いなる神に呼び掛ける時に
知恵以外に如何なる仲保者が居ると言うのでしょう
この知恵を第三者としてしっかり把握する事
それが哲学です
この知恵を神の段階まで引き上げた時
その人は宗始者ともなる事が出来ます
そう言う意味での知恵の事を知らなければ知恵を知る事は出来ません
知恵は私の中で第三者の様に語りますが
初めからいきなり語るのではありません
知恵は私たちの中に存在しています
しかしそれは育てて上げなければ
知恵は決して第三者の様に語る事はないのです
知恵もやはり栄養を必要としているのです
それが読書です
知恵の魂を呼び出す様な読書をして上げなければならないのです
俗に言う呼び水です
知恵は知恵に呼応するのです
イエス ブッダ ソロモン ダビデ 孔子 老子 ソクラテス プラトン エピクロス セネカ等々の本を読んで御覧なさい
それこそ知恵と知恵が呼応し合って バチバチと火花が散ります
その段階に成って始めて貴方の知恵が目覚めるのです
貴方の中に知恵は存在していますが
多分今の貴方の中では休眠状態でしょう
先ずは紀元前の偉大な哲学者たちの本を読んで御覧なさい
貴方の知恵は確かに目覚めます
哲学革命のスタートはそこからです
では哲学革命のゴールは何処でしょう
第一段階のゴールはこの日本を知恵の王国とする事です
そして最終ゴールはこの地球全体が知恵の王国と成る事です
勿論夢物語です
それでは現実的なゴールは?
哲学革命の結社の設立です
そして同人誌『哲学革命』の創刊です
私の言う哲学者 それは知恵を愛する者の事ですが
この日本にも相当居ると思います
しかし彼らは身を潜める様にこの日本に住んでいます
私は百章でも書きましたが
これからは哲学者の時代です
哲学者が連携すれば この日本も変るのです
そう言う意味でのこの結社の設立とこの同人誌の創刊は哲学革命の第一歩となるのです
知恵には無限のグラデーション(階調)があります
たまに聞こえる良心の声から
それこそ顔と顔を見合わせて語り合う様な知恵まで
知恵は全ての人間に存在する良心の声 第三者の声です
現在ではこの知恵と言う存在は全く黙殺されています
この結社 この同人誌ではそれを高らかに謳うのです
その目的は日本中の人に『知恵』と言う概念を先ず認めて貰い
そしてこの『知恵』を経験して貰うのです
そうすれば日本は必ず変ります
知恵が連携し呼応しあう社会
何と言う素晴らしい世界でしょう
その一歩として同人誌を成功させたいものです
下記が同人誌『哲学革命』発刊要領です
同人誌『哲学革命』の発行について
1 趣旨
知恵は全ての人間に存在する良心の声 第三者の声です
現在ではこの知恵は完全に黙殺されています
この同人誌『哲学革命』ではこの知恵に関するあらゆる投稿 記事を受け付けて知恵に関する総合雑誌とし 知恵を広く日本国民に容認させる事を目的とします
なおここで言う哲学とは知恵を愛する事の謂いです
カント研究とかヘーゲル研究とかはそれが『知恵』に関するものでない限り受け付けません
レベルは『知恵』の概念が分かる子供以上としますが
中心層は中学校高学年 高校生 大学生及び結婚前までの青年層とします
何故なら結婚までに『知恵』が何かをはっきり知って貰いたいからです
すなわち結婚によって「知恵の子」を生み育てて貰わんが為です
なお雑誌名『哲学革命』が刺激的過ぎると言うのであれば
『哲学(知恵を愛する事)』等にしても構わないと思います
哲学革命とは穏やかな社会改革です。
現代はあまりにも科学一辺倒です
哲学と科学の程好いバランス社会 そんな社会を目指しての哲学革命なのです
2 発行方法
月刊
書店販売を原則とするが 国会図書館 都道府県立図書館 大学図書館には寄贈する
3 発行元
哲学革命の会 なおこの名称が刺激的過ぎると言うのであれば
哲学(知恵を愛する)会等何でもいいです
以上が同人誌『哲学革命』の発刊要領です
もし上記の趣旨に賛同して頂けたら 商業ベースでも何でもいいので是非発刊して欲しいものです
知恵の連携 これによって社会は必ず変ります
その為には「私は知恵を愛しています」「私はこの様に知恵を愛しています」と言う事を高らかに謳う場が必要なのです
その第一歩が同人誌『哲学革命』なのです
哲学詩集『百章』のあとがきに代えて『哲学革命』
哲学詩集『百章』 目次
第1章 『私』について
第2章 『知恵』について
第3章 『言葉』について
第4章 『哲学』について
第5章 『真理』について
第6章 『善』について
第7章 『美』について
第8章 『自由』について
第9章 『快楽』について
第10章 『幸福』について
第11章 『精神』について
第12章 『思想』について
第13章 『意志』について
第14章 『性』について
第15章 『気』について
第16章 『心』について
第17章 『経験』について
第18章 『観念』について
第19章 『感覚』について
第20章 『知識』について
第21章 『記憶』について
第22章 『論理』について
第23章 『数』について
第24章 『物』について
第25章 『科学』について
第26章 『大学』について
第27章 『瞑想』について
第28章 『死』について
第29章 『無』について
第30章 『悟り』について
第31章 『天国』について
第32章 『理想』について
第33章 『革命』について
第34章 『祈り』について
第35章 『信仰』について
第36章 『平和』について
第37章 『正義』について
第38章 『芸術』について
第39章 『詩』について
第40章 『音楽』について
第41章 『絵画』について
第42章 『読書』について
第43章 『思索』について
第44章 『作文』について
第45章 『旅』について
第46章 『覚醒』について
第47章 『創造』について
第48章 『人間』について
第49章 『自我』について
第50章 『肉体』について
第51章 『欲望』について
第52章 『差別』について
第53章 『争い』について
第54章 『苦悩』について
第55章 『感情』について
第56章 『世間』について
第57章 『人生』について
第58章 『行為』について
第59章 『徳』について
第60章 『勇気』について
第61章 『忍耐』について
第62章 『中庸』について
第63章 『愛』について
第64章 『家族』について
第65章 『夫婦』について
第66章 『子供』について
第67章 『教育』について
第68章 『環境』について
第69章 『生活』について
第70章 『習慣』について
第71章 『勉強』について
第72章 『仕事』について
第73章 『恋愛』について
第74章 『友』について
第75章 『家庭』について
第76章 『現代』について
第77章 『情報』について
第78章 『大衆』について
第79章 『都会』について
第80章 『政治』について
第81章 『経済』について
第82章 『法律』について
第83章 『社会』について
第84章 『体制』について
第85章 『国家』について
第86章 『日本』について
第87章 『風土』について
第88章 『民族』について
第89章 『言語』について
第90章 『宗教』について
第91章 『歴史』について
第92章 『文化』について
第93章 『地球』について
第94章 『自然』について
第95章 『宇宙』について
第96章 『世界』について
第97章 『法』について
第98章 『時間』について
第99章 『普遍』について
第100章 『神』について
あとがきに代えて『哲学革命』