私の哲学百章(最初の試み)

私の哲学百章(最初の試み)


はじめに                                      
 
 哲学とはフィロソフィア
 智恵(ソフィア)を愛する(フィロ)事です
 「智恵を愛する」
 これは人間であれば誰でも行っている事です
 人間は皆哲学者なのです
 勿論私もその一人です
 その一人として
 この書を企画したのです

 哲学とはまた言葉を愛する事でもあります
 言葉を通じて智恵を愛していくのです
 今ここに私にとって
 智恵を愛していく上で重要と思われる
 百の言葉を選び出しています
 しかしこれは絶対的なものではありません
 書き進めて行く内に少しずつ変わって行くと思います
 それはそれで良いと思うのです
 何故なら智恵はその時々なのですから

 この「私の哲学は百章」は
 百の言葉を通じて智恵を愛して行こうと言う試みなのです
 百の言葉の中には以前に思索したものありますが
 そうでないものもあります
 以前に思索したからと言って
 そのとおり書き現されるとは限りません
 たぶん変わった言葉となって現れてくるでしょう
 何故なら智恵はその時々なのですから

 この百章を書き終えた時
 私は思います
 これが私かと
 そしてそれを私は誇りに思います
 何故ならそこには常に智恵が一緒に居たのですから
 そして私は貴方方にも勧めるのです
 一緒に智恵を愛そうではありませんかと

 私は未だ書き終えていないのに
 もう書き終えた様な事を言っています
 私は預言者なのでしょうか
 それに近いものがあります
 智恵は乗り移るのです
 智恵が乗り移った時
 時空を超える事が出来るのです
 近未来であれば予言する事も出来るのです
 自分の事であれば尚更

 私は序「はじめに」を書こうとしたのに
 もう結「おわりに」を書こうとしています
 これも智恵の成せる業です
 どうか見て下さい 
 百の言葉に百の智恵が宿るのを
 そしてこう感嘆してください 
 哲学(智恵を愛する事)は何と素晴らしい事かと


第1章   智恵について                                         

 私は迷いました
 第一章に何を持ってくるかを
 しかしやはり智恵しかないのでしょう
 この書の目的が智恵を捜し求める旅なのですから

 さて智恵とは何でしょう
 はっきり言って私は知りません
 しかしその効能は知っています
 智恵を求める時 そこには幸せがあると
 その為にこそ 智恵を求めているのかもしれません

 さて智恵の事は誰に聞けば良いのでしょう
 知恵者ソロモンが居ます
 彼に聞いてみました
 ソロモンは言いました
 「主を畏れることは智恵の初め」と
 ここに智恵の秘密が隠されているのでしょうか
 もしそうであれば
 また新たな疑問が湧いて来ます
 主とは何かと

 私はもう智恵の輪環の中に入ろうとしています
 智恵とはそんなものなのかもしれません
 そんな智恵の輪環の中で新たな発見をします
 そんな時思います
 幸せをみっけと
 しかしそれは智恵の始めにしか過ぎないのです
 その智恵の輪環の中で
 人は一歩一歩幸せへと近づいて行くのです
 それこそが幸せの極意なのです

 私は取り付かれたように話します
 今日のこの着想 これは今日が初めてです
 その楽しさに私はこの様に浮かれているのです
 結局智恵とはそんなものなのかもしれません
 
 私は初めに言いました
 智恵とは何か知らないと
 それは今も変わりません
 私は思います
 智恵の多様性多面性
 それに人はいつも驚かされ踊らされています
 結局智恵とはそんなものではないかと

 「主とは何か」「智恵とは何か」
 それに第一章で答えを出すには時期尚早です
 百章をかけてじっくりと解き明かして行きたいと思います

 さてもう少し時間が有るので
 質問を出して置きます
 これを念頭に置いて置けば
 智恵への理解も深まるというものです
 「智恵は働きか存在か?」

 最後にソロモンの言葉をもう一つ
 主はその道の初めにわたしを造られた
 いにしえの御業になお先立って
 永遠の昔わたしは祝別されていた
 太初 大地に先立って
 わたしは生み出されていた 云々

 智恵有る者は私よりも先に智恵を理解するのかもしれません
 舌が砂糖の味をすぐ知るように

 もう少し時間があるので ヨハネの言葉を一つ
 初めに言があった
 言は神と共にあった
 言は神であった
 この言は初めに神と共にあった
 万物は言によって成った
 成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった
 言の内に命があった
 命は人間を照らす光であった
 光は暗闇の中で輝いている
 暗闇は光を理解しなかった

 これこそが智恵の真理なのか
 私の智恵の旅は続く


第2章   言葉について                               

 第二章は必然として 言葉でしょう
 初めに言葉があった
 何時から言葉はあったのでしょう
 万物が成る前から
 当然でしょう
 万物は言葉に依って成ったのだから

 言葉は神と共にあった
 言葉は神であった
 この公案を理解する者は
 この世を理解するものです
 しかしここではこれに深入りしない事にしましょう
 神の事は妄りに口にすべき事ではないのでしょうから

 さて言葉とは何でしょう
 深く考えた事がありますか
 話し言葉?書き言葉?
 私たちは何の為に話し
 何の為に書いているのでしょう
 そこに言葉の神秘があります

 私がずばり答えましょう
 それは世界を創造する為です
 私は私の世界を
 貴方は貴方の世界を創造する為に
 話し続け書き続けているのではないですか
 少なくとも私はそうです
 私は私の世界を確固とする為
 この様に書き続けているのです
 
 書き言葉と話し言葉
 どちらが世界創造に役立っているか
 それは百倍も千倍も書き言葉です
 話し言葉は
 せいぜい世界を糊塗する位です
 だからおしゃべりを神様は嫌うのです
 勿論対話と言う
 素晴らしい話し言葉の手法があります
 しかしこれを駆使出来るのは僅かな人です
 そしてこれとて
 書き言葉に比べれば数段落ちるものです
 書き言葉は世界創造のエースなのです
 神様は苦々しく思いながらも
 これを応援して呉れるのです
 これが文字の力です
 文字については
 別に章立てをして書いていくつもりですので
 ここでは敷衍しないで置く事にします

 さて言葉が何の為に存在しているか分かりましたか
 分かったら
 初めに言葉があった
 言葉は神と共にあった
 言葉は神であった
 この言葉の意味も自ずから分かると言うものではないですか

 さて貴方方に質問しましょう
 言葉とは存在か働きか?
 どこかで聞いた様なフレーズですね
 この辺りに智恵と言葉の神秘が隠されているのかもしれませんね

 さてここで智恵と言葉が遭遇する事になりました
 智恵と言葉はどう違うのでしょう
 ここで第一章に挙げて置いた
 ソロモンの言葉とヨハネの言葉を思い出してください
 ソロモンの言葉は智恵について述べたものであり
 ヨハネの言葉については言葉について述べたものです
 どうです
 非常に似ているとは思いませんか
 異口同音だとは思いませんか
 ここで私の断定は差し控えて置きます
 皆様方の判断にお任せしたいと思います
 何故なら
 私は最初に言いました
 智恵とは何かは知らないと
 そう言った者が
 智恵とは言葉であると断定したら可笑しい事になるでしょうから

 さてヨハネの言葉をもう少し読み続けましょう
 ヨハネは言っています
 言葉の内に命があった
 そうなると
 言葉は存在するものと言う事になるのではないでしょうか
 命あるものは存在するのではないでしょうか
 命があって存在しないと言うのは如何にも可笑しいですよね

 さてもう少し読み続けましょう 
 命は人間を照らす光であった
 ここで分かる事は
 命は働きであると言うことですよね

 さてここで整理して置きましょう
 言葉は存在であり
 命は働きである
 この事に異存は無いですよね
 異存が無いと言う前提の基で
 こう断言します
 言葉とは命であると
 そうなるとこうなりますね
 言葉は存在であり働きである
 命もまた存在であり働きである
 そして言葉と命は同じであると
 もしこれが本当なら
 言葉を蔑ろに出来ないですよね 
 言葉を言霊と置き換えれば
 より理解しやすいと思います

 言霊の幸ふ国 日本
 古代の日本はそんなにも素敵な国だったのです

 日本の方々よ
 もう少し言葉を大切にしようではありませんか


第3章   世界について                             

 世界とは所与でしょうか
 それとも創造されたものでしょうか
 これによって世界は大きく変わって来ます

 私の世界と言えば
 一点一画の残りも無く
 全て私が創造したものです
 そう言えたらどんなに素敵な事か

 正直言えば
 私の世界は
 旧世界と新世界が入り混じっています
 旧世界とは所与の世界の事であり
 新世界とは今私が創造しつつある世界の事です
 この新世界が旧世界を包んだ時
 私はこの世界の支配者と成るのです

 アレキサンダーを見てください
 彼は世界地図を塗り替えました
 それは彼の想像のそして創造の力です

 ヨハネは言いました
 万物は言葉によって成った
 言葉に依らずに成ったものは何も無かったと
 ここに世界創造の秘密が隠されています

 アレキサンダーは
 彼の師アリストテレスより
 世界創造の秘儀を伝授され
 その様に世界を創造しました
 もし彼の師がプラトンであれば
 もっと別な方法で世界を創造した事でしょう
 それはイエスに近い世界創造の法だったのかもしれません
 しかしそれは全て時の神が決める事です

 さて貴方の世界はどんな世界ですか
 この世から与えられた世界ですか
 それとも貴方自身が創造している世界ですか

 もし貴方が智恵と言葉の秘儀を知っていたら
 毎日が楽しい筈です
 何故なら毎日が世界創造の日々だから

 世界創造の秘儀
 それは日々新たにです
 日々新たに生まれる事によって
 日々旧世界を駆逐し
 日々新世界を創造する事が出来ます
 そして新世界が旧世界を覆った時
 貴方はこの世の王となるのです
 貴方の一挙一動によって世界が動くのです
 アレキサンダーを見なさい そしてイエスを

 少し議論が飛躍したので
 ここで世界を定義して置きましょう
 世界とは何でしょう
 それは地球でしょうか
 そうです
 地球上の人間界
 これを世界と呼びます
 具体的に言えば百数十カ国の国々です
 そこには十数億の人々が屯しています
 勿論そこには自然もあります
 何故なら人間は自然でもあるのですから
 この総体が世界です

 さてここでもう一度世界創造の意味を考えて見ましょう
 この地球
 これは貴方が創ったものですか
 その自然
 それは貴方が創ったものですか
 それからその人間
 それは貴方が創ったものですか
 そして国々や都市や民族や宗教やその他全て
 それは貴方が創ったものですか
 そこに世界創造の秘密が隠されています

 もし貴方が創造したのであれば
 貴方は創造主です
 そして勿論この世の王です
 もしそうでなければ
 貴方はこの世の奴隷です
 貴方はこの世の王ですか
 それともこの世の奴隷ですか

 智恵と知識の違いを知っていますか
 智恵は統一し
 知識は分割します
 統一は王のシンボルではないですか
 そして分割は隷属を意味するのではないですか

 もし貴方が智恵の人であれば
 貴方はこの世の王です
 しかし貴方が知識だけを愛すれば
 貴方は自らを奴隷へと落として行きます
 智恵と知識 似て非なるものです
 注意が必要です

 さてこの当たりで世界を総括しましょう
 こう質問すれば一番良いのでしょう
 世界は一か多か
 もし一と答えた貴方
 貴方はこの世の王でありそして創造主です
 もし多と答えた貴方
 貴方はこの世の隷属の民です
 貴方は常にその多に因って支配されるのです

 世界について分かりましたか
 そして世界創造の意味について
 もう少し敷衍して行きたいのですが
 今日はこれで終わりにします

 人は生きている限り
 創造し続けなければ意味が無いのです
 世界創造
 それは貴方に課せられた課題なのです
 そして貴方はその世界を持って
 あの世へと渡るのです
 もしその世界が真善美に満ちた世界であれば
 貴方はこの世に天国を創った事になります
 イエスと成るかブッダと成るか
 ブッシュと成るか小泉と成るか
 それは全て貴方の選択次第なのです

 世界創造
 それは貴方に課せられた課題なのです


第4章   実存について                             

 この世界は実存か架空か
 誰もが実存と答えるのではないでしょうか
 そうでなければ私自身も存在しないのですから

 実存主義 実存哲学と言うものがありました
 それは自分自身を中心に据えたものです
 「我思う 故に 我有り」
 これが実存主義の第一原理です
 そしてそれは近代と言う時代の第一哲理だったのです

 近代の始め
 自我が芽生えました
 そしてそれは時代と共に発展し
 そして錯綜して行きました
 人は次第に自我に自信がもてなくなりました
 それでもやはり近代の人々は
 「我思う 故に 我有り」
 と叫び続けていたのです
 
 しかし20世紀に突入し現代になると
 人々は次第に自我に不安を持ち始める様になりました
 この世は果たして実際に存在しているのだろうかと
 そんな時起こったのが実存主義の運動です
 「我思う 故に 我有り」
 実存主義者たちはまた声高に叫び始めたのです
 そしてそれは細々とではありますが
 今に脈々と脈打っているのです

 「我思う 故に 我有り」=実存哲学は
 何時の時代にも脈々と脈打っているのです
 それが大きく花開いたのが
 ルネッサンスと古代です
 勿論古代の前にも実存哲学は何度も何度も花開きましたが
 私たちはそれを文献で確認できるのは古代からです
 古代ギリシア古代インド古代中国古代ユダヤ等々
 古代において実存哲学が百花繚乱のごとく咲いたのです

 それからルネサンス
 永い眠りから覚めたごとく
 人々は自我を謳歌したのです
 「我思う 故に 我有り」と

 勿論中世においても実存哲学は存在していたのですが
 「神有り 故に 我有り」と言うドグマの中で
 人々は大手を振って実存哲学を掲げる事が出来なかったのです
 その重石が取れた時
 雨後の竹の子のごとく
 自我が一斉に芽生えたのです
 それがルネサンスなのです

 古代ギリシア古代インド古代中国古代ユダヤ等々
 その時代の実存哲学は鮮烈無比です
 それまで燻ぶり続けていた自我が
 文字を手に入れた時
 一挙に具現化して行ったのです
 我々は古代哲学を目にする時
 我々の自我が打ち震えるのを覚えます
 自我はいつでも待っているのです
 「我思う 故に 我有り」と宣言できる日を

 中世においては神が自我を弾圧していました
 さて21世紀に入った現代において
 人々は自我を謳歌しているのでしょうか
 答えは否です
 この21世紀に入った現代においては
 中世の神よりも更に強力な弾圧者が
 自我を弾圧しようとしています
 その弾圧者の名は科学
 現代の人々は世界の実存を確信できなくなって来ています
 何故なら「我思う 故に 世界有り」なのですから
 自由と確信に満ちた自我があってこそ
 自由と確信に満ちた世界が存在するのです
 実存とは自由と確信に満ちた自我の事を言うのです
 今その自我が科学によって弾圧を受けているのです

 中世を脱皮してルネサンスがあったように
 科学を脱皮しなければ自我の謳歌は有り得ないのです
 科学を脱皮する方法とは

 お教え致しましょう
 それこそが哲学
 科学は世界を限り無く分割しようとしています
 それでは誰も世界を認識出来なくなって行きます
 これでは誰も世界の実存を確信出来なくなります
 哲学とは統一です
 統一に依らなければ誰も世界を認識出来ないのです

 科学が収束し
 哲学の再興があった時
 その時
 また自我の謳歌が起こるのです
 その時代を何と呼ぶか
 それは後世の人に任せます

 哲学の再興
 それは何時の時代にもあります
 最後の哲学の再興
 それがあの実存主義運動です
 今度の哲学の再興が何時あるかは分かりません
 しかしそれはそう遠い事ではないでしょう
 何故なら我々の自我はこんなにも飢えているのですから
 哲学の再興
 それを何と呼ぶかは別にして
 それはいつも実存の哲学なのです
 「我思う 故に 我有り そして世界有り」なのです

 実存とは確信に満ちた自我の事です
 そして確信に満ちた自我を鍛えるには哲学しかないのです


 第5章   自分について                                

 自分 自我 自己 私
 この私が存在するから 世界も存在する
 これが実存主義です
 私はいつも実存主義です

 さてこの私は何時生まれたのでしょう
 受精の時でしょうか
 生物学的にはそうです
 しかし私は未だ私を知る事が出来ませんでした
 私が私を知った時
 その時実存主義の私は生まれたのです
 それではそれは何時だったのでしょう

 胎内から生まれ出でた時
 その時がその時なのでしょうか
 そうではありません
 その時私は未だ私を知る事は出来ませんでした
 でもその時私を知るための一切が働き出したのです
 それが知覚感覚です
 私は知覚感覚を頼りにこの世界を漫歩しました
 それでも私は私を見出す事が出来ませんでした

 私が最初に私を見出したのは
 きっとあの時です
 その時が幸せと喜びに満ちていたら
 私はきっと幸せと喜びに満ちた人生を送っていたでしょう
 それは貴方方も同じ事です
 しかし私は断言します
 その時は多少なりとも憂いを帯びていたと
 その憂いが為
 この世はこんなに憂いに満ちているのです

 もしこの憂いのままに生きそして死んで行くのであれば
 人生は惨めです
 でもそれは良くしたものです
 それを救わんが為の方法が存在しているのです
 それが実存の哲学です
 実存の哲学は貴方に新生を約束するのです
 「我思う 故に 我有り」
 これは
 「我思う 故に 世界有り」と同義語なのです
 新生
 これによって人は創造主と成る資格を得るのです

 自分自己自我私
 私たちはあの時以来の私とずっと一緒です
 そして死ぬ時まで一緒だと思っています
 確かにそのとおりです
 あの時の私は私が死ぬ時までずっと一緒に付いて来るのです
 今も一緒です
 しかしです
 その私以外にもう一人の私が居るのです
 その私に気付く事
 これが新生です
 その私に気付いた時
 また別な世界が回り始めるのです
 これが新生です
 これが為 実存の哲学があるのです

 私は前に言いました
 実存とは確信に満ちた自我だと
 その確信は何処から生まれのか
 そこに実存の秘密が隠されているのです

 よく真我とか言います
 また聖霊だとかアートマンだとか
 これが実存の正体です
 この実存に裏打ちされた時
 私は強くなり
 この世に確固とした世界を築き上げて行く事が出来るのです

 真我 聖霊 アートマンでは馴染がないと思います
 そこで馴染みの言葉に置き換えたいと思います
 それは精神
 精神とは精なる神の事なのです
 その精なる神 精神への気付きが
 新生と呼ばれるのです

 精神に気付く事によって
 古い私が新しい私へと変わっていくのです
 それを回心とも回向とも呼んでいるのです

 古い自分と新しい自分
 貴方方は未だ新しい自分に気付いていないのかもしれませんね
 新しい自分に気付く方法
 それが実存の哲学なのです


 第6章   精神について                              

 精神一到何事か成らざらん
 精神は全てを可能にするのです
 精神は斯くも偉大なのです

 精神に全てを傾注する事により全てが可能となる
 何故か
 それは精神が
 精なる神だからです

 神は八百万の神と言われるぐらいたくさんいます
 我々は困った時
 それぞれの神に願を懸けます
 そして願が成ったとか成らなかったとか
 一喜一憂するのです
 しかしです
 精神 精なる神は
 それぞれの神とは別格なのです
 それは名が示すとおり
 精なる神なのです
 精神 精なる神は
 八百万の神々の中の
 精なる神なのです

 ギリシアの神々の中で言えば
 さしずめゼウスです
 ゼウスが如何に神々を統べているか
 その様に 精神 精なる神は
 我々の全ての神々を統べているのです

 もし精なる神 精神が全てを統べていなければ混乱です
 精神一到何事か成らざらん
 この言葉をここでもう一度噛み締めてみて下さい
 精神分裂と精神集中
 その違いが如何に大きいか分かると言うものです

 精神分裂病とは精神 精なる神によって
 諸々の神を統べきらなくなった状態の事を言います
 この状態を治す法
 それは精神 精なる神への回帰しかないのです
 でも誰もその事を言いません
 機会があったらその事を公にしたいと思います

 さて私は精神 精なる神と
 八百万の神々を対比させました
 如何なる八百万の神々が居るか
 これを明らかにすれば
 精神 精なる神が如何に優れているか分かると言うものです
 八百万の神々を知るにはギリシア神話が格好です

 まずはマルス
 ギリシア神話を齧った人ならすぐ分かると思います
 そうです 軍神 戦の神です
 軍神も立派な神なのです
 それどころか広辞苑によると
 マルスはローマの三主神の一つに数えられているようです

 次にミューズ
 言わずと知れた詩神ですね
 私の憧れの神の一人です

 エロスにビーナス どちらも恋の神
 ガイアとウラノス 天と地の神
 それからエウノミア(秩序)デイケ(正義)エイレネ(平和)
 更にニクス(夜)タナトス(死)モイラ(運命)
 そしてモモス(非難)ネメシス(憤り)エリス(争い)等々
 実に様々な神々を数え上げています
 八百万の神々と言う意味が分かったと思います
 ところで貴方は知らず知らずのうちに
 モモスやネメシスやエリスに自らを捧げているのではないですか
 そうならない為にも
 精神 精なる神が必要なのです

 精神 精なる神が
 八百万の神々を統べなければならないと言う意味分かりましたか
 精神 精なる神は
 秩序も正義も平和も争いも死も運命も勿論恋も
 全てを統べなければいけないのです
 そうでないとその世界は混乱なのです

 精神の意味が少しは分かりましたか?・・・

 精神一到何事か成らざらん
 貴方が全てを精神に集中出来たら
 貴方には不可能な事は何も無いのです
 これは嘘偽りではありません
 古今東西の聖人と言われる人たちが
 異口同音に言っている事なのです
 もし全てを精神
 精なる神に集中出来たらの話ですが・・・


第7章   神について                             

 神の事は妄りに口にするな
 と言った諺があります
 当然だと思います
 神の事をああだこうだと言う内に
 神は偶像に成り下がってしまうからです

 それでは神の事は一切口にしてはいけないのでしょうか
 そうではありません
 神への賛歌は幾らしてもし過ぎると言う事はないのです
 神はその事をお望みなのです

 貴方方は如何なる時
 神への感謝の言葉を捧げますか
 貴方の望みが叶った時ではないですか
 そこに貴方と神との関係があります

 貴方が心から願った事は全て叶えられる
 これが貴方と神との関係です
 貴方は言います
 私の願うものは何も叶えられないと
 はっきり言います
 貴方はそれを心から望んでいないと
 貴方は何を願うべきか未だ知らないでいるのです

 貴方方は未だ本当の自分を知らないでいるのです
 貴方が本当の自分を知った時
 貴方はこう願います
 神よ 私から離れないで下さいと
 これが貴方方の心からの願いです
 何故なら神は貴方の全存在なのですから

 神の事は妄りに口にするなと言っておきながら
 私は好き勝手に神の事を口にしています
 これは許されるのでしょうか
 許されます
 何故ならこれは私が言っているのではないのですから

 人間の全存在は神
 我々はその神を
 我々に宿った精なる神 精神に依って知ります
 精神が語る時
 それは神からの言葉です
 我々はその様にして神を知るのです
 そしてそれ以外に神を知る方法は無いのです

 私と神と精神
 それは三位一体なのです
 私が語る時
 それはこの世の屑としての私です
 しかし精神 精なる神が語る時
 それは神の言葉となるのです

 神の子と成る為には
 まず本当の自分を知らなければなりません
 そしてそこに精神 精なる神を見つけなければなりません
 精神を知った時 貴方は始めて神の子と成るのです

 精神を知った時
 貴方は幸福を約束されます
 何故なら貴方の願う事は全て叶えられるのでから
 それが神の子の特権です

 神の子
 我々人間は全て神の子です
 しかしそれを我々は忘却の彼方に押しやっています
 その忘却の彼方に辿り着く方法
 それが精神です
 そしてその精神を知る為には
 自分に沈潜しなければいけないのです

 さて我々は神の子
 では神とは如何なる存在か
 神とは人間の全存在
 それ以下では偶像と成るし
 それ以上では人間から離れてしまう

 アニミズムの人たちが言います
 森に神々がいるではないかと
 確かに居ます
 しかしそれは人間が森と対話した時
 その時生まれ出でたものです

 別な人たちが言います
 天地創造神はいないのかと
 確かに居ます
 でもそれは人間が天地と対話した時
 その時生まれ出でたものです

 その様にして八百万の神々が生まれ出でていたのです
 私はそれらの神々を神々と呼びますが神とは呼びません
 神とは人間の全存在
 それ以上でもなくそれ以下でもないのです
 強いて言えばこう言えるのかもしれません
 神とは全ての人間が想像し得る全てと
 でもそれでは神を偶像と化する事になります
 私は神を偶像と化したくは無いのです

 既存の言葉で一番近い言葉を当てると
 ヨハネ福音書第1章の冒頭から第5節までです
 この書の第1章に掲げたヨハネの言葉と同じです

 「言は神であった」?


第8章   人間について                                

 人間とは何者でしょう
 ダビデは言っています
 神より少し劣るものとして人間を創られたと
 私もその様に思います
 だからこの様に神を憧れるのだと思います

 我々は神に成る事は出来ません
 しかし限り無く神に近づく事が出来るのです
 イエスは言っています
 我々は神の子だと
 だから我々はこの様に神に憧れるのだと思います

 ダビデやイエスは常に神のお側に仕えました
 だからあの様に神から高く掲げれられたのです
 さて神とは何でしょう
 そして神の子である人間とは一体何者なのでしょう

 さて人間は何時発生したのでしょう
 その起源はダーウインに求められますよね
 この地球上に生命が発生した時
 その時が人間の生命の起源ですよね
 しかしそれはあくまでも生命の起源ですよね

 それでは我々人類
 生物学的分類によると
 哺乳類霊長目ヒト科ホモサピエンス種という事になりますが
 この人間は何時生まれたのでしょう
 既にここに答えが出ていますよね
 ホモサピエンスとは智恵のヒトと言う意味です
 ここに人間の起源が示されているのです

 さて智恵とは何でしょう
 ここに人間の秘密が凝縮されているのです
 智恵を解き明かした時
 人間とは何か
 その答えも明らかになるのです

 私はずばり言います
 智恵とは神が授けるもの
 だから我々は神の子だと

 神とは言であった
 智恵は言の子でなくして誰の子なのでしょう
 私は神と智恵の秘密を暴露しようとしているのでしょうか
 いえこれも智恵の一里塚です

 さて大分飛躍してしまいましたが
 イメージは掴めて貰えたと思います
 人間が何時生まれたか
 それは生物学的人間に神が智恵を授けた日
 その時ヒトがホモサピエンスに成ったのです

 私ははっきり言います
 未だホモサピエンス種に成っていない人間がいると
 この地球上の人間は全てヒト科の属しますが
 全ての人間がホモサピエンス種ではないと
 一般的に人間は一科一種だと言われていますが
 私はこう言います
 ヒト科にはホモサピエンス種とそうでない種がいると
 貴方は智恵のヒトですか
 それとも智恵無きヒトですか 
 その違いは唯一つ
 神を愛しているかいないかの違いだけです

 言は神であった
 言に依って全てが成った
 言を愛して愛し抜けば
 その世界はどんなにか素晴らしい事でしょう
 だから智恵のヒト(ホモサピエンス)と成るべきです
 智恵を通じて言がふんだんに与えられるのですから

 もっともホモサピエンスを知性のヒトと訳すれば
 この地球上の人間は皆ホモサピエンスです
 ヒトは知る事無しには一日も生きていけない存在なのですから

 智恵と知識 似て非なるものです
 次の章ではこの事を述べて行きたいと思います


第9章   知識について                                   

 智恵と知識は似て非なるものです
 知識はこの世の力
 智恵はかの世に渡る為の道具です
 譬え智恵が無くても
 知識があればこの世の第一人者になれます
 しかし知識が無ければこの世はどうにも渡っていけないのです

 同じ人間だとします
 そのうちの一人は高校を卒業してすぐに会社に入社したとします
 もう一人は大学を卒業して入社したとします
 二人は同じコースを歩むのでしょうか
 そうではありませんよね
 後者は部長まで行きますが
 前者は課長止まりですよね
 これが知識の力の差
 大学4年間の知識の力の差なのです

 彼らは同じ人間ですが
 大卒の男は高卒の男に対してこう思います
 俺は大学で4年間学んだ
 その力があると
 そして高卒の男もその様に思います
 ここに歴然とした4年間の力の差が出るのです
 そしてそれは埋まる事無く
 どんどん広がって行くのです
 それが知識の力の差なのです

 さて今度は違う人間です
 共に大卒だとします
 一人は部長止まりですが
 もう一人は取締役から社長へと出世しました
 この違いは何でしょう
 ずばり知識の差です
 
 どんな知識か
 まずは業務に関する知識
 この知識が無ければ上に上がろうにも上がれません
 業務に関する知識が同じ様だったら
 どの様な知識の差によって昇進の差が出るのでしょう
 ずばりそれは人に関する知識の差です
 中間管理職以上はこの差に左右されると言っていいでしょう

 人の痛い所痒い所 強い所弱い所を知り抜かなければ
 上への道は開けて来ないのです
 譬え業務に関する知識が如何にあろうと
 一匹狼では上への道は開かれていないのです
 何故なら彼には人に関する知識が無いのですから

 さて人に関する知識をつけるにはどうすればいいのでしょう
 ずばりノミュニケーションです
 飲む事によって彼らは心を開き合い
 痛い所痒い所を知り合うのです
 彼らはそれによって主従関係を結び
 お互いに拘束し合うのです
 その拘束関係が広がれば広がる程
 彼の上への道は開けて来るのです
 
 人に関する知識
 これが地位を築く上で最も強力な知識なのです

 さて人が求めるものは富地位名誉
 富を得る為にはどの様な知識が必要なのでしょう
 名誉を得る為にはどの様な知識が必要なのでしょう
 これについては機会があったら考える事にします

 知識と智恵は似て非なるもの
 知識はこの世の力なり
 そういう風に定義しました
 この知識を確固たるものとするメソッドがあります
 それが科学
 富もこの恩恵を大いに被っているのです
 科学については次章述べて行きたいと思います


第10章   科学について                                

 科学はこの世を分断する道具です
 科学によってこの世にたくさんの世界が出来ました
 そしてそれぞれに第一人者が生まれたのです
 今はその第一人者ごとの争いの世界です
 さて今貴方はどの世界にいるのでしょう

 科学は富を得る為の道具です
 自然から富を搾取する為の道具です
 勿論人間も自然ですから
 人間もその搾取の対象です

 始めから科学に対する猛烈な批判を加えました
 しかしこれはし過ぎてもし過ぎる事は無いのです
 私が放って置いてご覧なさい
 科学はますます蔓延りますよ
 貴方が身動き出来ない程に

 私は思います
 科学がこの世の王になって久しいと
 科学が力を増せば増すほど私たちは分断されてしまうのです
 すなわち科学に隷属される事になるのです

 貴方は自由の民である事を望みますか
 それとも隷属に甘んじますか

 私には聞こえて来ました
 これが隷属と言うのなら
 それに甘んじると
 結構
 貴方は科学からの富の分配に預かるかもしれませんが
 貴方の精神も科学に隷属させなければいけないのですよ
 貴方のその自由な精神を

 私に聞こえて来ました
 貴方の言う事が
 貴方が言う事は分からないと

 貴方は知らないのですか
 精神は統一を求める事を
 科学は貴方の分裂を強います
 統一と分裂の狭間で
 貴方は更に分裂を重ねていく事になるのです
 もっとも精神の存在を知らない方には
 その様な葛藤は無いかもしれません
 彼は何も知らないままに
 科学の隷属に甘んじる事になるでしょう
 それが現実です

 しかし私は貴方方に精神の存在を知らせました
 それでも貴方方は未だ科学を信仰しようと言うのですか

 哲学と科学
 共に同じ学がついていますが
 全くの別物です
 哲学は統一を求め
 科学は分断します
 科学は分断されたその世界で
 貴方の精神が働く事を強要します
 貴方はその世界で第一人者に成る様頑張ります
 そして貴方は第一人者に成りました
 さてそれは何を意味するのでしょう

 はっきり言います
 それは富の搾取が進んだ事を意味します
 自然はその分失われ
 人間性もその分失われたと言う事を意味します
 貴方は自然の破壊に加担したのです
 勿論その自然には人間も含まれます

 私は言います
 もう科学は止そうじゃないか
 哲学に帰ろうじゃないか
 ストップ ザ科学
 リターン ザ哲学と

 貴方方は言います
 科学を止めたら世界は退歩して行くのではないかと
 そのとおりです
 貴方の身の回りを装っているその煌びやかな物質は
 次第に失せていきます
 そして最後には自然に還って行きます
 ルソーは言いました 自然に還れと
 ブッダの根本思想もそれです
 老子の無為自然も

 貴方方は言います
 それでは遣って行けないと
 ごもっとも
 でも自然破壊
 人間を含めたその自然破壊に未だ加担するつもりですか
 それはいや?
 だったら哲学と科学に折り合いをつけようではありませんか
 それが現在全世界で進行している
 世界環境問題なのです
 この問題に頭を突っ込んで見なさい
 哲学と科学の鍔迫り合いが見える筈です
 哲学が勝ちを収めた時
 この世界は良い方向に進むでしょう
 しかし私は予言します
 科学が勝つと
 そして人は自然を搾取し続けると
 何故なら
 人々がこれ程科学を信仰しているから

 心ある貴方
 哲学に回向しませんか