哲学日誌
記念すべき第1ページ
何を書くべきか
当然智恵だろう
この旅の目的が智恵の探求なのだから
ところで智恵とは何だろう
ソロモンの智恵という言葉がある
知恵者ソロモンとは如何なる人物であったか
まずはソロモンの書を開かねばなるまい
主を畏れることは智恵の初め
無知な者は智恵をも諭しをも侮る
私は思う
ここに全てが集約されていると
主を知ることによって
人は始めて智恵者になるのである
主とは何かって?
それは貴方の心の中に存在する
大事な大事な存在者です
その者に問えば全てが明らかになります
でも人はそれを知らないのです
そして私も
その存在者にいかに近づくか
それがこの旅の目的です
貴方も私と一緒に
存在者への旅に出掛けてみませんか。
心より
読者へ
平成14年 4月6日朝
〈哲学事始〉
普遍と個について
世界には数十億の人がいます
そしてそれぞれにドラマがあります
でも人はそれに目もくれません
何故か
それは人には数十億の目が無いからです
そこで登場したのが詩人です
詩人はそれらを類型化し典型を作りました
そこから人々は人に興味を持つようになったのです
そして哲学が生まれっていったのです
哲学者は詩人でなければなりません
直感により類型化し典型を作らなければ
その先の普遍という世界には進めないのです
詩人は個から普遍への橋渡しです
そして最後の哲学者は それらを
空という普遍に帰していくのです
知恵者 ソロモン(コレヒト)は言います
なんという空しさ
なんという空しさ すべては空しい と
そしてソロモンは現世へ帰っていったのです
ゲーテはお利口さんでした
空の空の世界を知っていましたが
決してその中には入っていかなかったのです
だからあれほど彩りに満ちた詩が生まれていったのです
空の空の世界に入って行った最後の哲学者
良く知っていますよね
そうですね
ブッダでありイエスですね
有余涅槃に入ってからのブッダには
もうドラマは起こり得なかったのです
法華経あれは後世の脚色です
イエスはドラマに満ちた人生でしたが
結局最後は
空の空の世界に入って行ったのです
私は宗教を冒瀆しているのでしょうか
決してそんなことはありません
詩人は誰とでも直接に会えるのです
そして彼らの教えを伝える義務が有り
権利が有るのです
旧約聖書の預言者を見て御覧なさい
彼らはみんな詩人でした
彼らはダビテに会いソロモンに会い
そして救世主に会っていたのです
でも世は彼らを冒瀆家呼ばわりをし
そして退けられていったのです
ホメロスは良かった
相手が純情無垢なギリシャ人だったから
ギリシャ人はそのままに信じ
そしてそれぞれに神を創った
だからギリシャでは
あれ程までに哲学者が哲学を謳歌したのです
それでは日本では?
本井宣長の時代まで
古事記は読まれることはなかったのです
日本では八百万の神々が
その神々だったのです
時にはきつね様がその代わりをしたりして
押して知るべしと言いたいところですが
この検証については
後日時間がある時にしたいと思います
寝る時間が来たので今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
平成14年4月6日夜
〈個と普遍について〉
時は人をひと時も待たない
時と友達になれたらどんなに愉快なことか
時と友達になれるのは
あの幼い時のあのひと時
でも早くしなさいのその一声で
時はその幼子からも去って行く
時は人と思う存分に遊びたかった
だが世は時から人を引き裂いた
その時から時の復讐が始まった
時は大口を空けて人を待っている
人はそんなことには気づかない
人は どんどんと大口の中へと入って行く
人は全くに気づかない
時は透明だから
だが時はあるときその大口を閉ざす
その時から人は闇へと落ちて行く
その過程を我慢出来るか
我慢できれば地獄などには落ちない
だが人は我慢できない
そこでもがき苦しみ
地獄の底へと落ちていく
聡明な者だけにその大口が見える
彼は時と争うことなどしない
時にそっと会釈をしてそっとその傍らを過ぎていく
不思議なことだが
時は決して人には刃向かわない
ただ大口を空けて待っているだけである
その大口が見えるか否か
それが哲学者と凡人との分かれ目となるのである
平成14年4月9日
〈時について〉
時はどうして私に微笑んでくれない
時はいつも私を急き立てるだけ
そして今もそう
私は時を越えて空に遊びたい
だが時はいつも私の前に立ちはだかっている
時を越えることは出来ないのか
時を越える為に必要なこと
それは死ぬこと
死ねば一切の時を越えられる
貴方に問う
死んでしまえば遊べないではないか
貴方に答えましょう
死ぬとはこの世からあの世に渡ること
あの世とは極楽浄土
そこは遊びの世界
哲学の初歩の方々にお教えいたしましょう
遊ぶということこそが哲学の真髄
そしてそこにこそ幸福の源が有る
私は時を飛びかけた
だがまた時の引力に引かれ
時の重力によって
この世に引き戻された
私は眠らなければならない
平成14年4月11日
〈時の微笑〉
自由
この言葉こそ
私が追い求めているもの
私は今自由だ
いや自由に近い
それで良い
真の自由などない
自由もどきで十分
何故自由を求めるかって
それはそこに私がいるから
そして私の存在者たる主がいるから
そこで私は主と思う存分に遊びまわる
それこそが至福の時
その時
私は時を越える
もう時の柵に私は縛られない
自由とは
時の柵を断ち切ること
柵を断ち切れば
貴方には羽が生えてくる
貴方は時を越えて
自由なる世界へと羽ばたく
自由党 自由民主党
人は自由に憧れる
そして党派を作る
だが彼らの求める自由とは
それは金儲けの自由?
そうだとすれば
それは一人の自由人と
百人の奴隷人を生み出す
これが真の自由か?
真の自由とは
自らの内に自らの根源を見出すこと
それを真理とも言う
真理は貴方を自由にする
この言葉を理解する人は
私の友達
そしてイエスの
この言葉こそ
イエスが最後に言いたかった言葉也
真理探究の内に自由が広がる
自由は真理探究のおまけ
だが真理探究の道程がなければ
自由は生まれぬ
自由は真理探究の玉露
そしてマナ
人はそれを食べて不老長寿になる
自由 またの名を至福
自由は真理探究の栄冠
私は自由だ
そう言い切れる人には後光が差す
私は今 自由の一歩手前
それで良い
私はいつでも自由へのチャレンジャー
世の人々よ
貴方方々に聞く
自由とは何だ?
もう陳腐な言葉を捏ね回すのは止せ
自由とは貴方自身に帰ること
そして貴方自身の根源に還ること
その過程以外に自由は存在しない
平成14年4月12日
〈自由について〉
自由 自由 自由
自由万歳
自由があれば何もいらない
自由こそ我が命
貴方は不思議に思うかもしれませんが
結局そうなのです
自由とは貴方自身に還ることなのですから
貴方自身以上に大切なものがありますか
無い筈です
有るという方々
貴方方は嘘をついています
又は世に惑わされています
この世は狡知です
いえこの世はそういうものかもしれません
この世の波長に合う貴方方
貴方方は幸いです
貴方方は波乗りジョニーよろしく
この世の果てまで乗り切るでしょう
貴方の命が尽きるまで
でも波に乗り切れなかった貴方方
貴方方に同情します
貴方方はいつも水を飲まされ踠いています
そんな貴方方の為にこそ私がいるのです
私に付いてきなさい
貴方方を自由にしてあげる
自由という至福の中に連れて行ってあげる
自由とは
自ら由とすること
ここに全てが集約されています
貴方の存在理由
それは貴方なのです
もし貴方が他を生きようとしたら
貴方は貴方になれません
でもこの世は狡知です
貴方が貴方に成れない様に
様々な所に仕掛けがあるのです
仕掛けに掛かったら
貴方は自由にはなれません
この世の隷民となって
この世に隷属しなければならないのです
仕掛けを見破るのは簡単です
世捨て人に成れば良いのです
世捨て人に成れば
仕掛けがはっきり見えます
後は仕掛けを避けて
貴方自身というゴールにまっしぐらに突き進めば良いのです
そこに自由があり至福があるのです
世捨て人に成るとはどういうことかって?
それは恋人に成らない事
父親に成らない事 母親に成らない事
係長に成らない事 課長に成らない事
何て馬鹿な事!
御尤も 御尤も
これは第一級の世捨て人の事
それではこの世にあって世捨て人に成る方法をお教えいたしょう
それは
この世とかの世を自由に往来できるパスポートを手に入れることです
そうすればこの世にあっても自由人と成れるのです
どのような方法かって?
キーワードは時間です
時間はこの世の神様です
時間の掟を守りつつ 時間に感謝をしつつ
時間に縛られない時間を持つということです
すなわち
父親でも無い時間 課長でも無い時間 何所の誰でも無い時間
すなわち
自分自身に還る時間を持つということです
この時間が長ければ長いほど
貴方は自由人として高く飛翔することができるのです
はっきり言っておきます
人は自分自身に還る時
その時 時間を越えるのです
そして空間をも
人はその時 時空を超えて
あらゆることが可能となるのです
そのことを自由とも呼び
また至福の時間とも呼んでいるのです
世の不幸せな方々
貴方方に勧告します
早く自分自身に還りなさいと
そこに貴方の幸せの元があります
この世のことを全て断ち切って
一時間 二時間 三時間と
自分自身の中に入ってごらんなさい
そこは素敵な世界
まさに天国
天国の品は全て持ち帰り自由
そこで得たものをこの世に持ち帰りなさい
そうすればこの世にあっても
自由人として生活することが出来るかもしれません
平成14年4月13日朝
〈自由万歳〉
切り刻まれたこの時間にあって
人は自分自身に還ることが出来るのだろうか
ほとんど出来やしない
少なくとも3時間は欲しい
朝の3時間または夜の3時間
毎日取ることが出来れば
自分自身に近づくことが出来る
そして時にはレーテの川から水を飲むことも出来る
だが現代にあって
それだけの纏まった時間を取れる者がどれ程いるだろうか
会社に時間を盗られ
家庭に時間を盗られ
更に悪いことに
テレビに時間を盗られている
現代にあって
自分自身に還ることの出来る者は
稀有なる存在である
この世の人々は皆
この世の傀儡
すなわち操り人形に過ぎない
操り人形に過ぎない貴方方よ
そうでないと言い切れる者は私にそう言いなさい
私は課長だ 私は部長だ 私は社長だ
そうですか
立派な立派な傀儡ではないですか
はっきり言っておきます
貴方が頑張れば頑張るほど
隷属の民を増やしているのです
そのことを知って行っているのであれば
貴方はこの世に組する人です
かの世では重罰を受けることでしょう
知らずに行っている貴方
貴方も罰を受けずには済みません
だからもう頑張るのは止そうではありませんか
私が頑張らなければどうする
この世は解体し廃退して行くだけではないか
決して心配は要りません
でも習い性となっているのでは仕方がありません
節度を守っていただくことにしましょう
節度とは?
5時に仕事をきっぱり止める 残業は絶対しない
それから有給休暇20日を完全消化する
この2つを守れば社会は変化します
まず貴方の会社で作っている品は必要なくなります
そして貴方はお払い箱になります
貴方はもう頑張る必要がなくなるのです
そして自分自身のことを考えなければならなくなるのです
それは貴方にとって幸いなことなのです
その前にしておかなければならないこがあります
それはテレビの廃絶です
それが出来なければ
テレビはなるべく見ない運動の展開です
この二つによって社会は劇的に変わるのです
革命と言って良いほどに
平成14年4月13日夜
〈切り刻まれた時間の中で〉
日曜日の朝
貴方は何をしますか
おでばいですか
大いに結構
でもその前にすることがあります
クリスチャンが教会に行くように
貴方も貴方自身に御挨拶にいかなければなりません
日曜日はholy day
聖別された日です
何故聖別されているか知っていますか
それはこの世にある者も
週に一度は神の国へ帰れとのご命令なのです
だからクリスチャンでない貴方
貴方は週に一度は貴方自身の国へ還らなければならないのです
クリスチャンは教会に何しに行くのでしょう
それは内なる主に会いに行くのです
神父や牧師はその仲介者に過ぎません
ところで貴方は自分自身の国に何しに行くのでしょう
それは貴方の内なる主に会いに行くためです
結果は全く同じなのです
仲介者を通じてその主に会いに行くか
自分自身でその主に会いに行くかの違いだけです
貴方は自分自身を省みたことがありますか?
有ります
まっ 当然でしょう
それではどれ程?
分かりません
貴方は正直者です
自分自身とは究め尽くせない存在なのです
そして究め尽くそうと思えば思うほど
その存在が素晴らしい存在であることに気付いていくのです
ここではっきり言っておきます
貴方方の大半は皆自分自身を顧みていないのです
貴方方が顧みているのはこの世の自分に過ぎないのです
この世の自分の殻を打ち破って
本当の自分に突入しているのはほんの僅かばかりです
何故分るかって
それはこれ程までに悪口や雑言が横行していることで分かります
本当の自分に突入したものは
他人にも同じ存在を見るのです
彼にとってはもう悪口は存在し得なくなるのです
平成14年4月14日朝
〈日曜日の朝には〉
今日という日は二度と無い
だが今日という日は毎日有る
この二律背反の中にこそ
人生のドラマがある
貴方は前者ですか それとも後者
前者はペシミスト
後者はオプチミスト
両者の対立により
また自らの内の両者の対立により
様々な人生模様が描かれていく
私の考えはこうだ
私は今この瞬間
この様にして机に向かっている
そして今この様な着想を得て言葉にしている
この様な瞬間は二度と無い
そう言う意味では今日という日は二度と無い
だが私は生ある限り
今日も明日も明後日も
この様にして机に向かい
その時々の着想に基づき
それらを言葉にしていく
そういう意味では私にとって
今日という日は毎日毎日やって来る
結局 要は連続性ということになる
今日という素晴らしい日は二度と来ないのでは
そういう危惧が生まれたとき
今日という日は二度と無いという
ペシミストの言葉になって表れるのである
今日という日は素晴らしかった
だが明日も明後日もまたその次の日も
この素晴らしい日は続くといい切れる者
彼の口からは
今日という日は毎日来るという
確信に満ちた言葉が生まれてくるのである
要は習慣性によるのである
その日暮の刹那主義の者にとって
たまたま良き事が巡ってきた場合
その次の瞬間には
今日という日は二度とないという
憂いに満ちた言葉が生まれてくるのである
だが習慣により自分を確立した者にあっては
今日という日は毎日毎日やって来ると
確信を持って言えるのである
結局 要は自分自身に還ることを
肌身を持って覚えたか
すなわち習慣になったかという
一点に集約されることになるのである
肌身をもって自分自身に還ることを覚えた者
彼はこう言い切ります
今日という日は素晴らしかった
だが明日も明後日もまたその次の日も
素晴らしい日は続くと
何故そう言い切れるかって
それは自分自身に還るとは
天国に帰ると同じ謂いなのですから
天国よりも素晴らしい国を
人は思い浮かべることが出来るでしょうか・・・・・
平成14年4月15日
〈今日という日について〉
人は言葉によって生きている
これは私の大発明である
人は言葉無しには一時も生きていけない
試みに
朝起きてから
夜眠るまでの全ての時間を
順を追って調べて御覧なさい
そこに言葉が存在しない時間が有るか無いかを
一瞬たりとも無い筈です
人は息をするかのごとく
言葉を吸い 言葉を吐き出しているのである
いいえ 息をする以上に
言葉を吸い 言葉を吐き出しているのである
納得がいかない
そう言う声が聞こえてきます
御尤も
でも貴方方は言葉を勘違いしているのです
言葉とは発せられたそれ
それだけを言うのではありません
また思考の纏りとしてのそれ
そこまでだけでもありません
言葉とは思考そのものなのです
これで大分分かったと思います
もう一度
朝起きてから夜眠るまでの全ての時間を
検証してみてください
思考していない時間
すなわち言葉が呼吸していない時間が有りますか
無い筈です
その思考が
我々が一般に言う言葉としての纏りを持たないのは
我々の頭脳がそこまで発達していないからです
もし思考
すなわち言葉が呼吸していない時間が有るという者がいたら
貴方は聖人への道が開かれています
その時間を一分十分一時間と延ばして御覧なさい
もしその時間を一時間保つことが出来れば
立派な立派な聖人です
聖人の最終目的は
空の空と言う普遍への突入なのですから
それはブッダの涅槃の世界です
その世界が如何に素晴らしいか
それはブッダの言葉の端端から類推するしか仕方がありません
この世に生きながら別世界を体験することになるのです
パウロの第三の天もこれに近いものです
もしそのような人が居るとしたら
私は貴方の弟子に成りたいと思います
結局結論
人は言葉無しには生きていけないのです
聖人を除いては
平成14年4月16日
〈言葉について〉
聖人とは何でしょう
イエスがそうであり
ブッダがそうであり
また孔子もそうなのでしょう
彼らに共通する事は何なのでしょう
それは個を超えて普遍に突入したと言う事です
イエスのことをイエス・キリストと言います
またブッダのことを釈迦如来とも言います
イエスとは個です
イエスとは実在したその人物のことを言います
一方キリストとは普遍なる存在のことを言います
イエス・キリストとは
普遍なる存在に突入したイエスということになるのです
釈迦如来も同じことです
釈迦とは実在上のその人物のことを言います
如来とは普遍なる存在の意味です
釈迦如来とは普遍に突入した釈迦という意味なのです
貴方の名前を哲男としましょう
もし貴方が普遍なる存在に突入したのであれば
哲男キリストとも哲男如来とも呼ばれることになるのです
そしてその時 普遍なる存在を通じて
イエスとも釈迦とも兄弟になるのです
その時貴方は
神の子とも仏の子ともなるのです
信仰によって人は義とされる
この意味が分かりますか
行為によっては人は義とされないのです
幾ら良い行いを行っても
義しき人とはされないのです
何故だか分かりますか
それは良いと言う行いに
何の基準も無いからです
良いと思って行っていることも
実は悪いことだったりすることもあるからです
善いと言う絶対基準
それは普遍の中から取り出すしか方法が無いのです
だから信仰を持たない者は
幾ら良いと思われる行いを行っても
評価されることは無いのです
この世の良いことが
かの世では悪いことだったりすることも有る訳です
善悪の絶対的基準は
普遍の中にしか無いのです
だから信仰の無い者は
いつも戸惑いの中に居るのです
信仰とは普遍を仰ぎ見ること
普遍とは?
究極の普遍は空の空です
でもこれでは何の規範にもなりません
そこで人は規範となる普遍的な存在者を創り上げたのです
それが神と言う存在です
神とはGOD 善き(good)者と言う意味なのです
神を真似る
これが最高の善き行いとなるのです
民族宗教においては
神は規範的普遍的存在者でした
これが世界的宗教に移行するうちに
神は純粋なる普遍的存在者へと変化していきました
ここにおいて神は純粋なる最高善へと昇華していったのです
人々はそれぞれに神に最高善を見るようになったのです
その時に現れたのがイエス・キリストであり
我々に与えられた聖霊なのです
我々はイエス・キリストを通じて
また我々に与えられたその聖霊を通じて
普遍と言う存在に
自由に行き来することが出来るようになったのです
平成14年4月17日
〈聖人について〉
着想
私は最初の着想によって言葉を書き始める
どのような着想が訪れるのか
私はまったく知らない
だが一旦着想が訪れると
その着想に従い言葉たちが生まれていく
着想とは何?
それは私が追い求めているものから
流れ出る光
私が追い求めているものを思いつつふと見上げると
そこから流れ出でてくる
信仰とは信じつつ仰ぐこと
それは思いつつ見上げることと同じこと
私は何を思っていたのだろう
そして何故見上げたのだろう
その行為の中に
着想の秘密が隠されている
見上げる
それは人間だけに許された行為
犬猫には
真っ直ぐ見詰めることまでしか許されていない
天を仰ぎ見る犬猫をみたことがあるか
天
そこにこそ人間の秘密が隠されている
我々は天を見上げて人間になった
天はその求めに応じて
智恵を数限り無く与えた
だが人間はいつしか天を見上げなくなった
その時から人間と天の断絶が生まれていった
人間は傲慢になった
天を仰がずとも
豊富に蓄えた知識が人を潤した
もう天は必要なくなった
知識は細分化され精緻を極めた
その知識によって全てが可能になると思った
人間の創造さえも
その時
神は天に在ってこう言った
人間達よ行き着く所まで行きなさいと
私はその言葉をめざとくキャッチした
そして考えた
その行き着くその先とは何かと?
そして分かった
それは人間と神との全面戦争なりと
人間たちよ
勝てると思うなら
行き着くところまで行きなさい
だが人間たちよ
いったい貴方は何者?
貴方は川辺に揺れる葦に過ぎなかったのではないか
はっきり行って置きます
今人間は巨大な人間を作ろうとしています
神々にも対抗できるような巨人を
かつて神々と巨人族が争ったように
今また人間はその準備をしているのです
神は天に在ってそれを見て
今大笑いをしているところです
科学の限界とは?
次の機会に考えてみたいと思います
平成14年4月18日
〈着想について〉
推敲について
私は推敲というものをしない
思いつくまま書いていくだけである
何故か?
それは書くという行為が
自分自身を確認する行為だからである
自分自身
これは智恵の無限の宝庫である
だがそれは掘り出さない限り
宝の持ち腐れである
また掘り出さなければ
本当に宝があるのかも分からない
この書くという行為こそが
宝の掘り出し作業なのである
よく物書きは尊敬される
それは彼が宝の採掘人であると共に
宝の施与人であるからである
もっともその宝がいかなる宝でであるか
それを見分ける為には鑑識眼が必要となる
貴方も貴方自身に向かって
まっしぐらに掘り進みなさい
どんな者が与える宝よりも
素晴らしい宝を見出すでしょう
そして宝に対する鑑識眼も付いてくるのです
はっきり言って置きます
貴方の宝は貴方自身の中にしか無いのです
山のかなたの空遠く・・・・・では
貴方は永遠にこの世の迷い子です
我々に与えられた時間は限られています
それに引き換え宝が如何に多いことか
推敲などとてもしておられないのです
書くという行為は
自分自身を確認する為にするもの
誰の為にもしている訳ではないのです
貴方はその書いたものを
インターネットに公開しているではないか?
私は私と同じ心を求めているのです
もし私と同じ心の持ち主が三人集まれば
世界は大きく変わるのです
私は今同志を求めているのです
インターネットは革命の道具です
私と貴方ともう一人
三人がスクラムを組めば
どんなものにも対抗できるのです
そしてこの世に我々の理想を打つ立てることが出来るのです
同志よ革命広場に集結せよ
そんな言葉をいつしか発したいと思っていいます
ソフィーの愛人より
平成14年4月19日
〈哲学広場について〉
歴史について
なんと彩りに満ちた世界なのだろう
人は歴史を振り返ることによって
神々にも似た存在となる
歴史とは私の歴史である
私は何時の時代にも存在した
私は歴史を振り返ることによって
その時代を懐かしく思い出すのである
私は夕べから今朝にかけて
BAPBARIANN EUROPEに居た
私はローマ帝国の市民であった
また蛮族の王であり兵士であった
我々は戦った
そして慰めあった
その慰めの中から
新しい世界への胎動を感じていた
歴史とは栄枯盛衰の夢を見ること
全ては夢のまた夢
夢だからこそ
その世界は彩りに満ち
そしてまた楽しい
我々は第二次世界大戦でさえ
楽しく思い出す
私はアウシュビッツのガス室に居た
また広島の原爆投下の真にその時に居た
私は楽しくその瞬間を思い出す
それもまた夢のまた夢
死とは何か
歴史の中で思い出しなさい
数えられるものなら数え出しなさい
人が生まれてから今日までの
命の数だけあるのです
だからアウシュビッツの死は
広島の死は尊いのです
記念されるべき死は
祈念するようにと
神様が我々に与えたのです
リンカーン ケネデイ ジョンレノン
暗殺はその原型を留めるようにと
神様が命令したものなのです
我々はリンカーンにより民主主義を
ケネデイによりアメリカを
そしてジョンレノンにより音楽を知る様になったのです
死によって世界は大きく変わっていくのです
死は歴史のモニュメントです
四十七士の討ち入り
あれがなければ
元禄文化はあれ程栄えたでしょうか
彼らが死ぬことによって
武の時代が終わり
文の時代が始まったのです
死は尊いのです
貴方の死をいかに生かすか
それが貴方に与えられた命題です
でも貴方はそれをどうすることも出来ないのです
だから歴史に死を学びましょう
様々な死に様を学びましょう
天寿も一つの死に様です
ゲーテは天寿を全うしたと言えるでしょう
彼はその死に際においても
我々に教訓を残したのです
もっと光を!と
この言葉ほど
我々に死を考えさせる言葉があるでしょうか
でも最も偉大な死に様はイエスです
イエスは我々の全ての罪を背負って死んでくださったのです
どの様な罪かは貴方自身が考えるべき問題です
イエスは死んでキリストとなったのです。
貴方方に言っておきます
死は決して一度ではないのです
何度でも死ぬことが出来るのです
出来れば毎日死ぬことが望ましいのです
死の達人をお教えいたしましょう
それはブッダです
ブッダは日に日に死んでいき
そして生きている内に
完全なる死を迎えたのです
このことを有余涅槃と言います
ここで死について
一から学び直すことにしましょう
死とは何でしょう
それはこの世の生を
断ち切ることです
この世に死んでこそ
かの世に渡ることが出来るのです
リンカーン ケネデイ ジョンレノン
彼らは死んだからこそ
我々は彼らを仰ぎ見ることが出来るのです
彼らが今日まで生き延びていたとしましょう
我々は彼らに
皺くちゃなおじいちゃんを見るだけです
我々も同じことです
昨日の私を引きずっていて御覧なさい
今日の私は一日分煤けています
これが二日三日一週間一月一年と
続いて御覧なさい
真の私などもう見ることが出来なくなります
ここできっぱり言っておきます
毎日毎日死ぬことが肝要なのです
毎日毎日死ぬことが出来れば
昨日までの私を
歴史上の人物として見ることが出来ます
それはとても楽しい思い出なのです
昨日までの私を夢物語に見つつ
今日という私を新しく生きる
人生もまた夢また夢物語なのです
平成14年4月20日
〈歴史について〉
情報とは何でしょう
知識とは何でしょう
智恵とは何でしょう
現代という情報化時代にあって
これらがごちゃごちゃになっています
名あるは万物の始め
これらを整理する必要があると思います
このうちで我々を最も突き動かすのは
情報でしょうか 知識でしょうか 智恵でしょうか
もし私がこの世の住人であれば
それは情報です
私がかの世に住んでいれば
それは智恵です
知識はそれら両方の橋渡しです
もし私がかの世の住人であれば
僅かばかりの知識で十分です
後は智恵が導いてくれるでしょう
でもこの世に住んでいればそう言う訳にはいきません
絶えず情報に目を配っていなければなりません
そしてそれに必要な知識も蓄えなければなりません
情報はプロパガンダです
我々を右や左に
上や下に絶えず掻き回しています
我々は落ち着く暇がありません
そして当然の結果として
我々が自分自身に還ることも出来なくなるのです
情報化の時代とは
我々を我々自身から引き離す時代なのです
情報化の時代とはプロパガンダの時代なのです
我々は今引き摺り回されています
そして最後にはあるところに連れて行かれるのです
その最後のある所とは死の縁です
そこで我々は引き返すことも出来ず
死の淵へとダイビングしなければならないのです
そしてそこで待ち受けているのが地獄です
何故かって
それは貴方が自分自身に還れとの命令を守らなかったからです
貴方はその命令を何度も何度も内なる心で聞いた筈です
命令違反は獄裡に繋がれることになっているのです
そしてその獄裡が地獄なのです
もし貴方の罪が軽ければ禁固刑で済むでしょう
でもその罪が重ければ
地獄の獄吏に鞭打たれることになるのです
現代というこの時代は
この世も住みにくく
またかの世にも渡りにくくなっています
古代 中世 近世はそれなりに自分を全うし
それなりにかの世に渡って行きました
近代になってそれが半々になり
現在に至っては1対9以下です
この世からかの世に渡れなかった者が落ちて行く所が
地獄なのです
地獄はこの世以上に過酷です
そこで自分を取り戻すことは至難の業です
だから貴方方に勧告します
早く自分自身に戻り
かの世に渡る準備をしておきなさいと
そうしておけば死の縁に臨んでも
その羽が軽々と貴方をかの国へと運んでくれるでしょうから
でもこの時代に住む人々は可哀想です
かの世に渡ることが如何に難しいか
そこで私は結社を創りたいと思います
なるべく多くの人をかの世に送る為の結社を
この結社には二つの掟があるのです
一つは5時以降仕事は絶対にしない事
他の一つは家の中からテレビを排除する事
この二つによって
飛躍的に自分自身に還る時間が増えてくるのです
テレビこそが
現代における悪魔の手先なのです
テレビは人々から魂を抜き取り
魂の抜けた人間を地獄へと送り込んでいるのです
平成14年4月20日(土)夜
〈情報について〉
________________________________________
詩と散文と論文
詩とは何でしょう
散文とは何でしょう
論文とは何でしょう
この内
散文と論文はこの世の言葉です
この世の常識の言葉です
ここにおいて非常識な言葉を述べると
この世から非難の言葉を受けます
しかし詩は違います
それは非日常の言葉なのです
そこにおいては論理の範囲内で
いえ 人の認識可能な範囲内で
あらゆる表現が許されているのです
たとえば地獄
貴方は信じますか
それは信仰上の問題なのでしょうか
いえ違います
それは思想上の問題です
貴方は地獄を体験したことがあるのです
でもそれを忘れているのです
それを思い出させようとするのが
詩人なのです
そこで世の貴方方は言うでしょう
貴方は本当に地獄を体験したことがあるのかと
それに対して私はこう答えます
体験したことも無いし 記憶にも無いと
ただその言葉を耳にした時
微かなイメージが広がった
私はそれを言葉にしただけであると
だから言っておきます
詩人の言葉を真に受けるのは大馬鹿者だと
それでも詩人のイメージは貴方方に広がって行くのです
そしてそれが
貴方方が地獄を体験した何よりの証拠になるのです
私は前にも言いました
地獄とは思想上の問題であると
そして全てのものがそうなのです
そして貴方が死に望んだとき
それが心臓死の時なのか
脳死の時なのか知りませんが
それら一切の思想が貴方を襲うのです
その時には世界の初めから今まで無く
今後も決して無いほどの大きな苦難が来るのです
だから私は勧告するのです
早く自分自身と友達になっておきなさいと
その時貴方は救うのは
主と呼ばれるその貴方自身しか居ないのですから
と言う風に
詩人はイメージだけから言葉をつないでいくのです
そこにはこの世の常識的な論理の展開はないのです
それでもイメージは貴方の中に広がって行くのです
詩人を知りたければ詩人の国へ行け
詩人の国とは貴方自身の王国のことです
そこで人々は異言風の言葉を語り合います
それでも皆理解しあえるのです
その言葉をこの世の言葉に翻訳するのが
預言者の仕事なのです
と言う風に詩人はイメージだけから言葉をつないでいくのです
でもここではっきり言っておきます
自分自身に還れば還るほど
詩人や預言者の言葉が理解しやすくなるのです
それは
自分自身の中に普遍への通路があるからなのです
その普遍への通路を通じて
世界のことを理解することが出来る様になるのです
平成14年4月21日(日)朝
〈詩と散文と論文〉
________________________________________
世界とは何か
これが今の私の大命題です
もし世界を掴むことが出来れば
キャッチボールよろしく
私は世界を手玉に取ることが出来
世界を支配することが出来るようになるのです
全てに第一原因があります
世界の第一原因とは何なのだろうか
やはり聖書の第一節に戻らなければならないのだろうか
光あれ!
光が第一原因なのだろうか
間違いない
光によってこの世界が明らかになったのだから
光とは?
智恵のことではないのか
ソロモンも言っているではないか
智恵は巷に呼ばわり
広場に声をあげる
雑踏の街角で呼びかけ
城門の脇の通路で語りかけると
智恵と共に居れば
この世界は自ずから明らかに成って来るのではないか
哲学とはフィロソフィア
智恵を愛すること
私は智恵を愛し続ける
そして智恵と共にこの世界を究め
智恵と共にこの世界を支配したい
私の支配する世界は
どの世界よりも慈悲深い
智恵が私と共に居るから
光あれと言われてから
どの位時間が経過したのだろう
現在において現在の世界が存在する
私はそれを現代の科学よろしく
座標軸に落とそうとした
現在の瞬間で捉えれば
三次元の座標軸で表現できると思った
X軸は地球だろうと思った
それは間違いないと思った
Y軸は天だろうと思った
これも間違いないと思った
Z軸においてはたと迷った
初めは人間だと思った
でもそれでは世界は構成されないと思った
そこで閃いたのが命である
我ながら名案だと思った
私はこの世界を三次元の座標軸に留めることに成功した
時間よとまれの命令の元
全てがその時点で止まった
博物館で調べるごとく
それらを一つ一つ調べた
私にはそれらを全て壊す権能もあった
私はそこでまた時間の偉大さに気付かされた
平成14年4月21日夜
〈世界について〉
世界の創造の過程を
今一度振り返って見よう
一日目には光を
二日目には天を
三日目には海と大地と植物を
四日目には日月と星々を
五日目には魚と鳥を
そして六日目に地の獣と人を作られた
我々人間は地の獣と同格として作られたのである
だが末子であった為
神は人一倍可愛がり
この世の権能を全て与えられたのである
だが末子の悪い癖で
彼は増長してしまい
この世の他を顧みなくなってしまったのである
そこで神は彼に注意した
他を顧みよと
それでも彼は顧みなかった
我々人間は命あるものの末子である
我々人間は命あるものの善きものも
そして悪きものも全て引き継いだ
我々人間は我々より先にある
命あるものの全てを理解できる
だが我々は理解しようとはしない
何故か
それは驕っているからである
命あるものの末子たる人間よ
貴方方は何故それ程までに驕るのか
神はそう注意したのである
現在遺伝子研究が科学の最先端である
だがその様なものに関わらずとも
我々は遺伝子のことを理解できる
それは命あるものとの対峙である
命あるものと対峙すれば
その命が我々に
我々の遺伝子のことを教えてくれるのである
そこで私は蝿蚊に向かってこう言うのです
ご先祖様!と・・・・・
平成14年4月22日(月)
〈世界の創造について〉
________________________________________
この世界は
思想によって創られている
紛れも無い事実である
貴方の世界は
どんな思想?
思想とは何?
思い想うこと
これが人間の全てだ
思想と呼んでも思考と呼んでも良い
我々は一瞬も休まず思考しているのである
そしてその思考が貴方の世界を創っているのである
さて貴方の世界はどんな思想?
主義という言葉がある
主義思想という時の主義である
社会主義 資本主義 自由主義etc
様々な主義がある
さて貴方の主義は
私は自由主義者だ
大いに結構
ところで貴方の言う自由とは?
何にも囚われないで自由に生きること
なんと素晴らしい
ところで貴方のいう自由とは?
ちゃんと言っているではないか
何にも囚われないで自由に生きることだと
それでは聞きなおそう
自由に生きるとはどういうことだ
1. ・・・・・・
はっきり言っておく
この世に貴方の自由などひとかけらもないのだ
貴方が自由主義の旗を高く掲げれば掲げるほど
貴方は奴隷人に落ちて行くのである
この世の自由主義とは
資産〈金銭〉活用自由主義
すなわち資本主義の以外の何者でもないのである
金儲けの片棒を担ぐのは貴方の本意ではあるまい
だったらこの世に在って
自由主義者などと声高に叫ぶものではない
自由とは貴方の中にしか存在しないのである
真の自由主義者は大通りなどで叫んだりはしないのである
思想が世界を作る
さて貴方の思想は?
平成14年4月23日(火)
〈思想について〉
________________________________________
今日は5月11日土曜日
そして時は朝
私はこの18日間何をしていたのだろう
はっきり言える事は
思想していなかった事
そして自分に帰る事が無かった事
何故かって
私にとってこの日誌に向かう時以外
私に還る事が無いからである
もっと普遍的に言えば
私にとって書くという行為以外
私に還る方法が無いからである
これは私だけでは無い
世の大半の人はそうである
書くという行為によって
人は階段を上る様に
一段一段と自分自身に近づいて行くのである
書くという行為を行わない者にとっては
365日毎日同じである
イベント(催事)が無い限りは
だが書くという行為を行なっている者は
毎日祭事を興しているのである
自らがみことのりとなって
人の思想は無限大である
だが人の記憶はごく限られている
書くという行為で記録して行かない限り
人はいつもスタート地点なのである
この事の善し悪しは別にして
人は記録によって飛躍的に発展したのである
記録媒体が有る時代と無い時代を比較して御覧なさい
一目瞭然でしょう
これは一人の人間についてもそうなのです
大思想家と言われる人で
書かなかった者が一人でもいるでしょうか
一人もいません
彼らは書くという行為で高楼を築き上げ
更にそこから飛翔しようとしたのです
人一人が行き着けるところ
それが世界です
世界は貴方の為に与えられているのです
その世界をどう構築するか
それが貴方に与えられた使命です
そして書くという行為が
その唯一の道具なのです
平成14年5月11日朝
〈書くという事について〉
私は毎日
世界旅行をしています
今日は東明日は西
風の向くまま気の向くまま
私は世界旅行をしているのです
それは私が老いない為
そしていつまで若くいる為に
人は停滞したときから老い始めていくのです
人は皆それぞれの世界を持っています
その世界の果てに行き着いたと
そう思った時から
人は老い始めていくのです
さて人は何時
その果てに行き着いたと思うのでしょう
その時は二つあります
一つはこの世界の果てに行き着いたと思う時
もう一つはかの世界の果てに行き着いたと思う時
この世界の果てに行き着いたと思う時
それは概ね60歳前後でしょう
その時人は一番高い位に就き
そこから世界を見下ろすのです
そして人はいやがおうでも
またその世界に下りて行くのです
かの世界の果てに行き着いたと思う時
それは実に千差万別です
天寿のその間際まで
かの世界に上り詰める事の出来る者は幸いです
でも世の多くの人が如何に早く老成していることか
かの世界では
80歳でも若者であり得るし
20歳でも老人であり得るのです
私的に言わせれば
その時は40歳から50歳の時でしょう
その時から
人はもう可能性を信じなくなるのです
人には無限の可能性があるのです
青年よ大志を抱け
かの世界の若者に向けた言葉です
私はその言葉を信じて
今日も世界を猟歩しているのです
我が王国を作らんが為に
私の王国はとても住みやすい所です
そこは慈愛と智恵に満ちているのです
その為にこそ世界旅行をしているのです
賢人と慈愛に満ちた人々を探すために
貴方も私の王国の一員と成りませんか
平成14年5月11日夜
〈世界旅行について〉
家族について
それはこの世の天国と成るべき所でした
でも人は地獄にも近い
煉獄に変えてしまいました
何故か
それは人が結婚の意味を知らないままに
結婚してしまったからです
結婚
それはこの世に神の子を創る場だったのです
人は結婚の時死ななければなりませんでした
でも人は自分を生かし
そして神の子を殺してしまったのです
ソクラテスは言います
結婚は30を過ぎてからと
私は言います
結婚は40を過ぎてからと
そうすれば神の子を殺す確率が低くなると
また私は結婚に条件を付けます
自分自身に到達した者
すなわち自分の主を見出した者のみが結婚できると
そうすればこの世は神の国に近くなります
神の子を育てる事
それが家族の仕事なのです
40歳からの20年間
神の子を育てる事が
貴方の仕事なのです
そこで貴方は神の存在を益々知る事になるのです
貴方は神の子から直接教えを頂く事のなるのです
でもこの世は
神の子を世の子に変えることに躍起です
そして貴方方もその片棒を担いでいるのです
家族
それは神の子を世の子に変える為の煉獄なのです
人は40に成るまでは自分を知ることが出来ません
煉獄は自分一人で十分です
煉獄に配偶者や神の子を巻き込むのは止しましょう
煉獄で十分に鍛え上げられ
天国の光が見えた時
結婚することにいたしましょう
そうすればこの世も天国に近づいて行くのです
子供は神の子
自らを殺し自らを捧げなければなりません
子供を神の子と見るか
自らの所有物と見るか
それがその家族の分かれ目です
天国行きが地獄行きの
平成14年5月12日朝
〈家族について〉
瞑想について
人にはそれぞれ調べがあります
その調べに乗って人は生きているのです
今日も明日も明後日も
でもその調べを断ち切る方法があります
それが瞑想です
人々は大概悲しい調べに乗って生きています
年と取れば取るほどに
この悲しい調べを楽しい調べに変えるのが瞑想です
この調べは耳で聞き取る事はできません
でも心の奥底に絶えず流れて私たちを支配しているのです
この調べを消すためには私たちは死ななくてはなりません
この仮想死こそが瞑想なのです
日々新たに
この為には二つの仮想死が必要です
眠りという仮想死と
瞑想という仮想死です
眠りは肉体の仮想死であり
瞑想は精神の仮想死なのです
瞑想によって精神を真っ白にしてこそ
真の再生があるのです
日々新たにとは
日々死に日々生まれる事を意味するのです
その為には瞑想が絶対不可欠要件なのです
瞑想は中庸
全くのニュートラです
悲しくも楽しくもありません
ただ再生しようとするとき
人は楽しく明るく生きようとする傾向を持つのです
その傾向が契機となって
楽しい調べ明るい調べへと変わっていくのです
平成14年5月12日夜
〈瞑想について〉
________________________________________
気について
気についてください
気をつけてください
気はいつも我々と一緒です
気は大気の一つ
気は人に纏わりつき
人を動かします
今貴方に纏わりついている気はどんな気
はっきり言いましょう
今私に纏わりついている気は
あまり良い気ではありません
不機嫌の一歩手前です
でもやはりそれは
大気の一つなのです
この気を振り払うことは
大気を振り払うこと
容易くはありません
それよりも大気に溶け込む方が
より容易です
そうすれば
貴方の個としての気は無くなります
貴方は大気と一緒
貴方は自然に戻るのです
気がつきましたか
気をつけてくだい
気持ちこそ幸福のバロメーターなのです
陽気と陰気
陽気は暖かく
すぐに上へ上へと上がろうとします
陰気は重く
下の方へ這いつくばろうとします
私は何故這いつくばろうとしているのだろう
気圧の精か
そうだ気圧の精だ
気圧の精が私を閉じ込めようとしているのだ
どこに
地上すれすれに
地面を這い蹲るようにと
何故 何故
子供たちの思いを忘れないようにと
そうだその通りだ
私の使命
それは子供たちの幸せ
その為に
私は這い蹲らされているのだ
天を見上げるようにと
私はそこに一つの星を見た
希望の星だ
私はその希望の星に向かって歩いた
するとどうだろう
私は光のシャワーを浴びて
全てが明るくなった
私は思った
これが幸せというものだと
幸せになった者だけが
人をもまた幸せに出来る
幸せとは?
幸せとは気持ち次第
気持ちが光に溶け込んだ時
人は光を体感する
それこそが幸せ
幸せは千差万別
だが光の洗浄を受け
真っ白になった時
その時が一番の幸せ
もうその時気は存在しない
気は昇華して光となる
光 光 光の源氏よ
貴方は光の子?
そう貴方は光の子
大和撫子は貴方に光を見た
この世の人間は気難しき人間
だが光となった時
人は何にも気を使わなくなる
そして気付かなくなる
気は命の源流
そして光は命の昇華
花よ華
私は精華となって天国へ上る
私の今の気持ちを告白しましょう
あの重い気は雲散霧消してしまいました
今はただ羽の生えたような軽い気だけが
僅かに残っているだけです
その気も消えてしまいそう
でもその気は絶対に消えてしまわないのです
何故なら
それが命の源流だから・・・・
平成14年5月17日
〈気について〉
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私たちは楽しくなりたいのです
そこに必要なのは音楽だけです
音楽が在れば人は楽しくなれるのです
耳に聞こえて来る音楽
それがお気に入りであればあるほど
楽しくなるでしょう
疑いますか
音楽の嫌いな人手を上げて
多分いないとは思いますが・・
やはりいましたか
今日は貴方のためにだけレッスンします
どんな音楽が嫌いですか
全部
重症ですね
何故嫌いですか
うるさいから
本当にそうですか
歌を口ずさんだこともないのですか
無い
相当に重症ですね
貴方の心に入らせて頂く事にします
私の声が聞こえますか
聞こえる
だが何故勝手に入ってきた
貴方を楽しませるためですよ
本当か
本当です
私は音楽の精なのですよ
前口上はいい
早く私を楽しませて呉れ
分かりました
まずは窓辺に寄ってください
そして窓をいっぱいに開けてください
何が見えますか
空と裏手の山だけ
大いに結構
いえいえ十二分
空には何が見えますか
青空とぽかりと浮かんだ白い雲
なんと詩的な表現
それだけで楽しいのではないのですか
いえいえ先を続けましょう
貴方に指示を与えます
それを守れば
貴方の心に音楽が浮かび来るのです
窓辺に佇んで
その白い雲を十分間見続けなさい
それではスタート
不思議です
私の心に音楽が浮かび来ました
そして裏山の鳥たちも
それに唱和してくれたのです
私は音楽の楽しみを初めて知りました
どうも有り難うございました
よろしい
今日のレッスンはこれで終わり
音楽は私たちの心に充溢しています
お気に入りの音楽だったり
美しい自然だったり
そして仲の良い友達とのおしゃべりだったり
それらを契機に
心に充溢している音楽が流れ出でるのです
仲の良い友達のおしゃべり
それらはオペラにも似てはいませんか
音楽は何の為に存在するのだろう
人を楽しませる為
当然だろう
苦しむ為に音楽を聴くものなど一人もいないだろうから
それでは楽しみとは何だ
苦しみからの解放 平穏 そして天国への昇華
なるほど
その為に音楽が存在するというのか
音楽にも段階がある
天国への昇華
このためには心内音楽しかない
世間の音楽は
苦しみからの解放
そして平穏の確保の為に存在する
ロック
これは苦しみからの解放の為の音楽である
平穏の中に在るものは
これを嘲ってはならない
見守ってあげなければならない
時にはその中に入って行くことも必要だ
彼らの心の動揺を感じてあげる為にも
ポップス
これは契機の音楽である
彼らは心の動揺を抑えることに一応成功した
彼らは平穏を求めまた天国への昇華を求めて
音楽へと入って行く
彼らは自ずから相応しい音楽を選んでいく
クラシック
人々は疑似体験を求めて演奏会場へと赴く
彼は作曲家と一緒になり
天国への昇華を擬似体験する
平成14年5月18日朝
〈音楽について〉
人は何も無い事に満足していた
食べる物と着る物と住む所さえあれば
だが商品が生まれた事により
人は欲求を書きたてられ
心休まる事が無くなった
今の私がそうかもしれない
パソコンを手に入れた
そこで満足していたら
心安らかな日々が続いただろう
だが私はデジカメが欲しくなった
それに付随してプリンターが
安くて良いものを!
私は店を回り
カタログを手に入れ
本屋で立ち読みをし
ホームページを漁った
それに費やされた時間の如何に莫大な事か
私は最適な物を見つけたと思っている
だが新しい情報が入れば
また一からやり直しである
商品と情報
人はそれに振り回されている
いっそ最初からお金が無いほうが良い
そう云う事に振り回されなくて済むから
だが現代はそう云う事にはなっていない
働けば小金が入る仕組みになっている
人は時間を惜しみ働く
労働と情報と商品
この三つによって
人は時間と自由という
大事な二つのものを切り刻んでいる
人は主に対してどう申し開きをするつもりか
戦前を考えてみよう
いや高度成長の前でよい
その時主婦はどうしていたか
家ででんとしていたのではないか
時間と自由の砦ではなかったのか
今自由の砦は何所にあるのか
時間と自由が切り刻まれるごとに
人間もまた切り刻まれていく
人間の行き先は骨片か
いや その行き先は精神分裂
自由とは
私と私の主が一体と成る事
現代においてどれ程自由があるというのか
現代においては先祖の霊によって
細い糸でかろうじて繋がっているだけである
だがこのまま分裂が続けば
その糸でも繋ぎ得なくなってしまう
その時精神分裂という病に堕ちるのである
その時になって主よと呼びかけても
主はもう答えて呉れなくなるのである
彼は全てから切り離されて
真の孤独を体験することになるのである
耐え難い孤独を!
人はそれに耐えられずに発狂していくのである
精神分裂の患者の道は三つ
発狂か薬による鈍磨か
実在のキリストによる救いか
実在のキリストが彼の主の代役をし
彼の主の記憶を揺さぶるのである
それに彼の記憶が反応した時
彼の主が現れ出で
彼と主は一体となって自由を取り戻し
今度は天国への道を力強く歩み出して行くのである
それは奇跡のように見えるが
貴方の力によって可能なのである
貴方も実在のキリストになって呉れませんか・・・・
平成14年5月18日夜
〈現代の病について〉
________________________________________
昨夜床に就いたのは午前3時半
記憶に無い位の久方ぶり
これも商品の成せる技である
私は最近ADSL(1.5Mps)に変えた
だが動画は見るに耐えない
あの小さな画面
オリジナル画面という窓でどうにか見れる位
2倍画面にするとかなりぼやけ
フル画面にすると早い動きはほとんど見て取れない
そんな中
高画質 フル画面でも可能
色々セットで2400円という
realplayer pulsの宣伝が
ウエブ上から飛び込んで来た
安いものだと思い申し込んだ
ウエブを知らない者の弱み
画面に従い次々に手続きを進めて行くと
1万何某の請求書が出て来た
引き返す方法も分からず
また時間も押していたし
画質が良くなれば良いかと思ってそのまま申し込んだ
それからダウンロードとなった
ダウンロードは割合スムーズにいったが
その後の設定に手間取った
五つ程ソフトが送られて来たが
結局設定を完了したのは
realplayerplusとrealjukeboxplusだけであった
残りはまだ出来ていない
それからが貧乏根性の成せる業
その価格だけの機能があるか検証を始めたのである
そして画質については何の変化も無い事を確認して
床に就いたのが午前3時半という訳である
そしてその事が今日もまた尾を引いている
おお商品よ
貴方は何故それ程までに人を支配する
と言う風に
商品の魅力に取り付かれたものは
恋人ほどではないが
ある一定期間商品に取り憑かれるのである
オシャレに夢中になっている女性たちを見よ
彼らは商品無しには生きていけない
彼女たちの自由は如何ほどか
と言う風に
大上段では言わない
だがやはりこう言おう
現代は女性によって造られたと
繁栄というものは全て女性によって作られるのである
ローマ帝国 ブルボン王朝 大英帝国
両世界大戦後のアメリカ
そして高度成長期の日本
これらの繁栄は全て女性によって造られたのである
しかし繁栄と引き換えに自由を喪失していくのである
何も無い事
これが自由の根源なのである
極言であると言うなら
衣食足りて礼を知る
ここに中庸の自由の本質がある
自由とは
何にも囚われない事
恋人にも 家族にも 商品にも
そうして初めて
これらを含めて
世界をも支配できるのである
慈悲なる世界を
平成14年5月19日朝
〈商品について〉
________________________________________
平成14年5月23日木曜日午前11時
いつもなら職場に居る時間である
それなのにこうして日誌に向かっている
何故か
休みを取ったから
当然の事である
昨夕口腔にトラブルが起き
このままでは職場に行けないと思い
朝一番で歯科に行き処置をしてもらったが
その処置がすこぶる満足いくものであったこと
そして朝の冷気に打たれたことにより
こうしてこの日誌に向かったと言うわけである
休みの日の朝
これはとりわけである
穏やかで何か優しいものに包まれる
その霊気に包まれると
こちらまで穏やかで優しい気持ちになる
同じ朝でも
職場の朝では起こりえない事である
何故か
それはシャットダウンによる
霊気は外気に乗ってやってくる
外気を閉めだすと
霊気は人を包めないのである
OPEN THE WINNDOW
そしてもっと光を
窓辺に花を
そして人の心に花を
人は自然を遠ざけた
だから人は自然に近づかなければならない
自然への接近
それは現代人に課せられた義務なのである
平成14年5月23日朝
〈朝の霊気に打たれて〉
時は過ぎる
無為に過ぎる
無為に過ぎた時間はその人の罪
私はこの数日どれ程無為に時間を過ごした事だろう
そしてその罪の重さは
無為に過ごした時間
それを自覚した時
その時間たちが迫る
私が与えた時間を返せと
1年365日8760時間
貴方はその時間をどう使いましたか
睡眠に8時間
よろしい
掃除洗濯炊事食事用便に4時間
そんなものでしょう
ここからが問題です
残りの12時間をどう使いましたか
1年365日4380時間
人生80年350400時間
貴方はどう使いましたか
そしてどう使うつもりですか
特に若い貴方
貴方に問いたい
平成14年5月28日
〈1年365日4380時間〉
私たちに与えられたこの限られた時間
この限られた時間の中で
我々は何をなせば良いのか
それが問題だ
私たちは何の為に生きているのか
仕事の為か
そんな事はあるまい
幸せになる為か
そうだろう
だが幸せとは
結局
幸せとは幻想なのか
幻想であれば
時間は関係あるまい
時間と幸福の相関
これが今日の私の課題だ
時間を多く持てば持つほど幸せになれるか
これが今日の命題
答えはイエス
人は時間の頸木に繋がれている
この頸木を解くことが幸せの鍵
その為に人は多くの時間を必要とする
時間の頸木を一瞬に取り除く事が出来れば
人には時間は必要ない
だが時間の頸木はあまりにも重い
時間の頸木が一つだと思ってはならない
それは幾十にも繋がり
そして智恵の輪の様に絡みあっている
それを解きほぐすのにどんなに時間のかかることか
もし智恵あるものであれば
解きほぐす事が出来るだろう
智恵の輪だから
そしてそこに喜びを見出すだろう
それこそが幸福の原点
平成14年5月30日
〈時間と幸福の相関〉
________________________________________
Unless one is bornn again
he cannoto see the kingdom of God
久しぶりに本を読んだ
それも英語の本を
新しい力がみなぎるのを感じる
知識 それは栄養
それを久しぶりに実感した
人は本を読まなければ馬鹿になる
独善に陥る
その実例が昨日までの私
本に触発されて更に高い所に昇る
丁々発止
それが智恵の高殿に上る方法
智恵の高殿に上ったとき
始めて世界が見える
その快感は哲学者にしか分かるまい
哲学者も暗中模索である
ひょっとした時にひょっとした言葉に合う
その言葉が智恵の高殿に導く
その快感は哲学者しか味わえない
哲学者はある意味では尊大である
天上天下唯我独尊
これが彼のモットーである
彼はブッダに成りたくて
日夜鋭意努力しているのである
涙ぐましい程に
報われない努力はつらい
それだけに
報われた時の喜びは大きい
千に一つの言葉を求めて
哲学者は今日も
言葉の森を猟歩する
平成14年5月31日
〈言葉の森〉
________________________________________
The words that I speak to you are spirit
and they are life
言葉には命がある
言霊
言霊の幸う国
日本の国だそうです
さて今の日本にどの様な言霊が浮遊していることか
現在日本を支配している言霊
もしあるとすれば
それはエコノミー
日本人は何時お金から離れる事が出来るのか
Do not labor for the food which perishes
but the food which endures to everlasting life
こう言える日本人は未だ出て来ないのか
日本人の程度を知りたければテレビを見よ
グルメ
どこまで舌を肥えさせるきか
衣食足りて礼を知る
衣食足りてとは
飢えと寒さを凌ぐ事だったのではないか
私もかつては
孔子の言葉に近づきつつあった
だが今は平均的な日本人へと近づきつつある
言葉を磨かなければならない
聖人を礼拝しなければならない
今日の私に対する箴言
わざに巧みな人が花を摘むように
善く説かれた真理の言葉を摘み集めるのはだれであろうか
もし私の言葉の倉庫が
善き言葉だけで埋め尽くされたら
私は一体何者
私から出る言葉は
人々を幸せにする
人よ
収集マニアとなるなら
そのようなマニアとなれ
人は物に惑わされ
言葉を失って行った
人よ
言葉の美しさを知れ
言葉の豊穣さを知れ
そうすれば物に惑わされる事は無い
言葉のとりことなれ
美しき善き言葉の
そこは天国の世界
そしてもし貴方がその天界の言葉を
この地界でも使うことが出来れば
貴方は天使
美しき人は美しい言葉を発する
これは真実
よくよく人を観察してごらん
その事がよくよく分かるはず
善き人は善き言葉を
優雅で優しくて美しくて善き人は
その様な言葉を
美しき言葉の展覧会
美しき言葉のコンテスト
その様なものがあれば
この世界ももっと美しくなるだろうに・・・
平成14年6月1日
〈言霊の幸う国〉
________________________________________
The truth shall make you free
真理と自由
私の最も好きな言葉
この二つながらの言葉が
この一文に集約されている
自由と真理
人はどちらを求めるか
当然に自由だろう
真理を求める者は少ないが
自由を求めない者は一人もいない
だがその自由を得る為には
真理が絶対不可欠要件なのである
真理の無いところに自由は無い
さてはて真理とは
真理は一か多か
真理が多であれば
誰も真理を得る事は出来ない
その結果として
誰も自由に成る事が出来ない
当然の帰結として真理は一
そう真理は一なのである
さあ皆さん
真理は一と決まりました
真理を目指して頑張ろうではありませんか
それ程難しくないはずですよ
たった一つを捜すのですから
私たちは幼い頃から
一に接して来ました
数えられない程に
だから一の事を忘れてしまったのかもしれませんね
初心に帰れ
それが一を思い出す方法かもしれませんね
私は始めて一に接した時の事を
ありありと思い出します
それは小学校一年生の算数の授業の時
1と言う数字がとても新鮮に映ったのを
ありありと思い出します
でもその時初めて一に接したのでしょうか
いえ
それは始めて1を習った時の事なのです
もうその時までに
数限りなく一に接していたのです
人は誰も初めて一に接した時の事を
思い出す事は出来ないのです
それでは原初としての一を
誰も知ることは出来ないのでしょうか
はっきり言えばその通りです
でも類推する事は出来ます
それが智恵の力です
一に辿り着いたと言われる人達がいます
彼らの言葉を集めて
そこから類推するのです
それが一番の近道です
もう一つ方法があります
それは一以前に還る事です
そうすれば一が発生した時の事を
いえ
一が発生する時の事を
今の事として知る事が出来るのです
もし出来ればの話ですがね
真理は一です
でも真理以前の状態があるのです
それをなんと呼ぶかは
次の機会に考えたいと思います
平成14年6月1日夜
〈真理と自由〉
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I lay down my life that I may take it again
命を捨てなさい
それはまた取り返すことが出来る
I have power to lay it downn
and I have power to take it again
なのですから
Unless a grain of wheat falls into ground and dies
it remains alone
but if it dies
it produces much grain
と言う事にもなるのですから
とにかく命を惜しまずに
この世人の世の為に頑張りなさい
とこの格言は言っているのです
死について考えた事がありますか
死は人を偉大にも卑小にもするのです
死はモニュメントです
記念碑です
死を如何に生かすか
それがその人の生き様です
生に恋々とする人
それはその場限りです
同期の桜
あれは永遠に我々の胸を打ちます
青春の記念碑として
彼らは死を賭して命を救ったのです
その救われた命
救われるに値したのでしょうか
今のこの世に
死を賭して命を救おうとする若者が
一人でもいるでしょうか
一人もいやしません
個人主義×全体主義なのでしょうか
いえ
それは個×普遍なのです
今の世に
普遍を求める若者は一人もいません
その結果は分裂国家です
最後には
一人だけの国家が
群雄割拠する事になるのです
人が気付かないままに
普遍とは何でしょうか
それは一です
そして真理なのです
真理で結ばれた家族
真理で結ばれた同胞
それを国家と呼ぶのです
貴方にとって真理とは何ですか
そして国家とは
平成14年6月2日朝
〈国家について〉
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I am the way,the truth,and the life
私が道であれば
その道はどんな道だろう
曲がりくねった道か
それとも迷路の様な道か
とにかくその行き着く先は
ちゃんとした所なのだろうか
私が真理であれば
その道は真っ直ぐに真理向かっているはず
でも今の私には真理が見えない
今私はどこを歩いているのか
私の道はどんな道?
人は生きている限り命
だから私は命
命あるところに道がある
これも真理
だが私には真理が見えない
だから今のところ
こう言い換えよう
I am the life,the way,but I can not see the truth
真理とは
それは私が私である事
だが私にはその私が見えない
イエスはこう言った
I am in the Father and the Father in Me
父の中に居る(在る)事が私であると
私には分かる
だが実感できない
私の中に父が居ると言う事は理解できる
だが私が父の中に居ると言う事は実感できない
そこで私は考えた
そして分かった
それは風土の成せる業だと
特に現代と言う風の成せる業だと
私は父以外に
私を預ける場所を見つけなければならない
私は未だ見出していない
だが予感はある
それは無と言う存在
無と言う存在に入った時
私はイエスが感じたような安らぎを感じるだろう
だがイエスの様な力ある技は成すことが出来ないだろう
無とは0と言う母の様な存在
そして1は父
1から全てが生まれた
東洋は未だに0のまま
そして私は0を求め続けている
0への帰納
それが東洋
そして私
1への帰納
そして1からの演繹
これが西洋
日本には1が無い
だから演繹を続ければ続ける程拡散して行き
日本と言う存在が希薄になる
日本人は遂に帰る場所
仮の1まで見失ってしまう
私は東洋人であり日本人
0の近くで遊ぶ事を善しとしたい
平成14年6月2日夜
〈0と1について〉
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When he,the Spirit of truth,has come,
He will guide you into all truth
貴方のガイドとして
the Spirit of truthが居ますか
居る人 手を上げて
貴方は私の兄弟です
私たちは二人三脚です
運命共同体です
何時如何なる時も一緒です
そう言いたいものです
でも彼は気まぐれ
手をつないでないと
目を見つめ合っていないと
すぐに何所かに行ってしまいます
そんなものですよね
真理というものは・・
でも彼は情熱の人
見詰め合っている限り
どこまでも付き合ってくれます
天国のその上までも
だから彼が訪ねてきた時は
ひと時も彼から離れない様にしているのです
そんな健気なわたしです
イエスに侍るマリアの様に
平成14年6月3日
〈精神について〉
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I in them,and You in Me;
that they may be made perfect in one
私たちは集合と言う言葉を知っている
また同心円と言う言葉も
さしずめこれは三重の同心円である
一番外側の円がthey彼らの世界
次の円がI私の世界
そして一番内側の円がYou貴方の世界
いつも中心にあるのは私
私の外側には彼らの世界があり
私の内側には貴方の世界がある
私と貴方が一緒に成った時
対立するのは彼らの世界
私と彼らが一緒に成った時
対立するのは貴方の世界
私と貴方と彼らが一緒に成った時
対立するものは何も無く
完全に一つとなる
三重円は二重円ともなる
そして一つの円ともなる
一つの円には三つの世界が含まれているのである
いえ無数の可能性の世界が
一から二が生まれ
二から三が生まれ
三から全てが生まれた
完全な円にはそんな力があるのである
平成14年6月4日
〈完全なる円について〉
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All thing were made throuth Him,
and without Him nothing was made that was made.
In Him was life
さてこのHim彼とは何者だと思いますか
答えはWordです
そしてこのWordが
The Word became flesh.となったのです
更にこのWordは神秘に満ちています
In the begining was the Word,
the Word was with God,
and the Word was God.となっているのです
言葉を考えるとき
正にこの通りだと思います
言葉によらずに成ったものは何も無いのです
命させも言葉から生まれたのです
ましてや肉体おやです
神は初めに言葉を与えたのです
そして言葉は神であったのです
言葉と神が一体と成った時
私と言う三位一体が生まれたのです
だから私は神の子でもあるのです
私たちは言葉で世界を創っていきます
その言葉が如何なる者であるか
それだけが問題なのです
聞きたくも無い言葉
そんな言葉だけから出来た世界
そんな世界には住みたくないでしょう
だから言葉を大事にしなければならないのです
神を崇めるように
本当は言葉も崇めなければならないのです
平成14年6月5日
〈言葉の神秘について〉
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The words that I speak to you are spirit,
and they are life
私たちは言葉で命の遣り取りを
そして精神の遣り取りを行なっているのです
言葉はそんなにも重要なものなのです
その言葉
その言葉を貴方はどう取り扱っていますか
まさか物の様には扱っていないでしょうね
もしそうなら早く改めなさい
命から逆襲を受けない為にも
精神から見放されない為にも
言葉には言霊がある
神代の時代から言い古されたことわざである
ことわざとは言葉の技
さてこの技を見抜いた者がどれ程いることか
言葉で有頂天に成る者もあれば
死の底に降りていく者もある
言葉は人を天国にも地獄にも送る
その言葉の主
その主こそ
キリストであり精霊である
その精霊でありキリストを崇める時
私たちに豊かな言葉が溢れる
私たちはその言葉で生きる
言霊の幸ふ国 日本
その日本こそ私自身である
そう言いきる為にこそ
私は勉強しているのである
勉強は何の為にするか
それは王国の王と成る為
そして臣民を養う為
我が王国が実り豊かに成る為
我が臣民が幸せに成る為
私は勉強しているのである
言霊の幸ふ国 日本
それが我が領土
私は日本史勉強し直そうと思っている
私が各時代にどの様な役割を演じたのか
もう一度検証してみようと思っている
それによって日本も変わるだろう
私は各時代の精神に働きかける
日本は本当にこれで良いのかと
各時代は私に答えるだろう
その答えによって日本は確実に良くなる
確信こそが全ての原動力
確信が革命を導く
命は言葉
言葉は命なり
言葉が国を変えて行く
各時代よ 豊穣なる言葉を期待する
平成14年6月11日
〈言葉の幸ふ国 日本〉
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私の最大の関心事
それは世界
世界を支配すること
それが私の夢
だが世界は広い
今は暗中模索の中
世界をしっかり見据えた時
世界は私の物に成る
その為にこそ 私は勉強している
世界はあまりにも広い
どこから手を付けて良いのか分からない程
国を支配する為には
政権を掌握すれば足りる
それと同じ事
世界を支配するためにも
押さえ所があるはず
さて世界の中枢は
その前に
世界の定義をしておこう
世界とは人の世
そしてその領域は人の手の及ぶ範囲
であれば世界の領土は地球か
そう
そう考えて間違いない
私は今この地球を支配しようと考えているのである
国家の中枢は政権
ロシアで言えばモスクワクレムリン
アメリカで言えばワシントンホワイトハウス
さて地球の中枢は
ここではっきり言っておきます
いつの世でも
世界の中心は貴方であり
地球の中心も貴方なのです
貴方自身を支配する事
それが世界を支配する事であり
地球を支配する事なのです
ここでまた言葉の神秘に戻ります
全てのものは言葉によって出来た
出来たもののうち一つとして言葉によらないものは無かった のです
ここではっきり言えます
世界を支配する事は
言葉を支配する事
そして言葉は言霊
言霊は霊によって導かれるもの
結局世界は支配し得ないものなのです
でも霊と友達になる事によって
この世界はとても近しいものになるのです
そして共同統治者として権利を得る事も出来るようになるのです
平成14年6月12日
〈世界の共同統治について〉
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白いページ
白いページが私を誘う
貴方は自由よ
何をしてもいいのよと
確かに私は自由だ
何でも出来る
だが何をするかが問題だ
出来ることなら何もしたくない
無になりたい
だがそれは出来ない相談だ
白いページはそれを許さない
と言う訳で
私はこの様に書き綴っている
何も考えないままに
言葉のいずるままに
言葉の泉
その水を飲んだものは渇く事が無いと言う
その通りだろう
その水は甘く飽きることが無い
結局人は言葉によって生きているのである
要はその言葉が如何なる言葉であるかが問題なのである
美しき言葉の狩人
彼は一生その狩に飽きる事が無いだろう
美しき言葉の花束
その花束で毎日毎日私を飾りたい
それが私の夢
私は美しいか
それは私の言葉が美しいかどうかと同義語
鏡を見ている貴方
それが貴方の美しさを決めるのではない
貴方の言葉
それが美しさの標準
さあ人々よ
美しき言葉を求めて町に出よう
そして野に
野には美しき花々と共に
美しき言葉がいっぱい
花々を摘むようにその言葉も摘みましょう
森へ行きましょう娘さんヤッホー♪
森は危険もあるが
神秘もいっぱい
娘よ一人で森に入ろうと言うのか
覚悟は出来ているのか
女が森へ入るとは
命を賭けての冒険
女よ止せ
森に入るのは
森は男が拓くもの
女よ
森のはずれの野において
花束を摘んで待っていろ
男は一人で森に入っていった
うっそうとした森の中へ
男は引き返したいと思った
だがそれは出来ない事だった
女の手前
男は一日の約束で森の中へ入った
男は半日歩き続けた
帰りの担保は
木々に付けた赤い紐
男は天を見上げた
そこには正午の太陽があった
男は寝そべって天を仰いだ
その時天地が一変した
彼は地の神となって天と対峙した
彼は緑の木々を萌え出でさせ
森となって天と対峙した
太陽は熱かったが気持ちが良かった
彼はそのまま眠り込んでしまった
夜となり朝となり
そしてまた正午が廻ってきた
彼は森から大地
大地から人間となって目覚めた
男は何も無かったかのように
帰り支度を始めた
そこで男は気付いた
うんめいの赤い紐が無い事を
彼は疲れ果ててまた眠り込んでしまった
それ以来彼は起きる事は無かった
彼は大地となり森となって
今も天と対峙し続けている
女は帰り
他の男に嫁いだ
今その男が森を切り開きつつある
言葉はランゲッジ
だがロジックは無い
言葉は数千億の回路を経て何処かへ行く
その行き着く先は誰も知らない
知っているとすれば言霊のみか
平成14年6月13日
〈言葉はロジックか?〉それともマジックか
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私は今日本史を勉強している
未だ先史の段階である
日本の先史は三つに分けられる
旧石器時代と縄文時代と弥生時代である
この内旧石器時代と縄文時代には隔絶の差がある
旧石器時代の人類は何万世代を重ねても進化は無かったであろう
ナウマン象が絶滅して現在の象があるように
旧石器時代の人類が絶滅して現在の人類があるのである
一言で言えば温度変化
温度の上昇に伴い毛皮の旧人類は適応出来なくなっていったのである
旧人類は毛皮に包まれていた
彼らは風雨を心配する必要がなかった
彼らは食料を求めて
好きな所で寝 好きな所で起きた
彼らは食料を得る事以外に頭は使わなかった
千年一日 いえ万年一日のごとくだったのである
衣食足りて礼を知る
ここには住が抜けている
わざと抜かしているのである
人間にとって住はあって当然の事
その前提の基にこの警句はあるのである
ところがである
旧人類にとってはこの住は無くて当然の事だったのである
そしてまた衣も無くて当然だったのである
旧人類にとって必要なものは食だけだったのである
当然にそこには礼と言うものは存在し得たかったのである
礼は霊
霊の無い生物体を人間と呼ぶ事については
私は疑問を投げかける
当然旧人類も人類であり
新人類も人類である
ナウマン象がインド象アフリカ象と生殖が可能であったように
旧人類と新人類は生殖は可能であった
確かに新人類は旧人類から生まれた
だが新人類と旧人類の間には隔絶の差があったのである
旧人類は環境変化と個体競争の激化の為に
急速に絶滅していったのである
現在の絶滅危機レッド種の様に
旧人類と新人類は同じ類である
だがやはり種は違うのである
私たちは日本の歴史を考える時
そしてまた日本人を考える時
縄文人から始めなければならないのである
新人類の共通の特徴
それは毛皮が無い事
その為に新人類すなわち人間は
衣食住に頭をふるに使わなければならなくなったのである
そこから文化が生まれ技芸が生まれ
そしてもろもろが生まれていったのである
衣 これは技術であると共に芸術
食 これも同様
住 これも同様
技あるところに芸もまた生まれていくのである
技術と芸術 アポロンとアルミテス
男女(おめ)の双子
私たちは縄文人を考える時
その豊かな技術と芸術にまず目を遣らなければならない
平成14年6月14日
〈縄文文化について〉
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私は考える
自由とは何かと
土曜日の朝 私は何にも束縛されていない
それなのに自由としての開放感が無い
何故か
それはやはり肉体の束縛
人は肉体がフラットな時
精神の自由を得る
今日の私は少し眠り不足
その肉体の束縛が精神の飛翔
すなわち自由を拒んでいる
だが私は知っている
精神が肉体を克服する事を
多分この日誌を書き終える頃には
私の精神は天に昇る途中となっている事だろう
さて今日の話題は
当然日本史?
それでは日本史で進める事としよう
日本史は縄文から始めなければならない
縄文人こそ日本人のルーツ
私は世界史の教科書を見た
勿論山川出版社の詳説世界史を
付け加えて置くが日本史の教科書は
勿論山川出版社の詳説日本史である
この二つが歴史のスタンダードである
私はこの二つで旧石器人類の記述を見た
それによると旧人は毛皮を着用したとあるが
これは嘘である
毛皮に加工するだけの技術があれば
それに相応しい技術芸術が残っている筈である
だが残っているのは打製石器だけ
打製石器は掴み投げると言う動作さえ確保出来れば
自然の法則によって生まれ出るものなのである
彼らは毛皮を着ていたのではなく
彼ら自身が毛皮だったのである
彼らは風雨も冬の寒さもものともしなかったのである
勿論旧人から新人への過渡期
その時代には両人類が並存していた
旧人は夏の暑さの為に毛が抜け出した
そして冬の寒さの為には衣服が必要になっただろう
だが彼らは適応出来ずに自然淘汰され
そして新人類の夜明けが来たのである
それが日本においては縄文人と言うわけである
旧石器人類と縄文人との典型的な違い
それは石器と土器
あの土器の細やかさをみて御覧なさい
あの手の細やかさが
人に技術と芸術を生み出させていったのである
子供たちが土を捏ねる事で発達していくように
縄文人も土を捏ねることによって発達していったのである
睡眠不足は酸素不足
酸素不足は脳の活性化を阻止する
と言う訳で今日は天に昇ることは出来なかったようです
平成14年6月15日朝
〈睡眠不足について〉
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心よ落ち着け
深呼吸をしろ
心が落ち着くまで
日曜日の朝は貴方の為にだけあるのだ
何にも心を煩わすな
貴方自身の存在
それが何よりなのだ
心を落ち着けて貴方の中に入れ
そこに全てのものが存在する
優しさも愛も智恵も
だから深呼吸をして心を落ち着けよ
息を整えることが大切
心静かにして息を整えていると
外界との壁が薄れてくる
私が風となり
風が私の中に入り込む
私と風は一体となり
私は透明の中に流れ込む
私は今こうしてワードに向かっている
しかしこれが禍の元である
私の要求するものは出て来ないし
要求しないものが勝手に出てくる
その操作で十分二十分と時間が過ぎていく
そしてあの平穏は破られていく
ペンとノートだけで十二分
それなのにどうして私はパソコンに向かっているのか
私はこの半年間パソコンに振り回されていると言ってよい
生活様式が変わった
私の自由な時間は座卓と共にあった
だがパソコンが来てからそれが二分された
食後直後の自由な時間
その時間は今でも座卓と共にある
私はその時間を読書などで楽しみたいと思っている
だがその次に来る時間が私を追い立てる
そして心落ち着く間も無くその次の時間が遣ってくる
私は座卓を奥の部屋に押し込み
その奥の部屋からこのパソコンデスクを引いてくる
そして何か追い立てられているように
このパソコンデスクに向かう
二つに二分された時間が
私の自由をも二分する
本当は無のままに
その自由な時間を過せれば良いのだろうが
それは出来ない事
それは死の直前で良い
その時は無と言う自由のままで
かの世にも渡る事が出来るだろうから
勿論やはりそのレッスンは必要である
それが深呼吸である
自由時間の最初と最後に やはりそれは必要であろう
そして自由時間の最中にもそれが訪れたら
それを最優先にするべきなのであろう
BREATHはBLESSに通じる
(本当は小文字で表したいのだがWORDが言う事を聞いてくれない
そのために十分もに二十分もいらいらしたのである)
宜しき呼吸は祝福されるべきものなのである
呼吸によって生が齎され
呼吸によって死に導かれるのである
その最後のときに乱れた呼吸では
平安なるかの世は望めないのである
死のレッスン
それは呼吸のレッスン
オームもしかり
私たちは程よい外気の中に在る時
その風が私たちの呼吸を助けてくれる
私たちは無意識の中に深呼吸をしている
大いなる酸素呼吸による脳の活性化
それによって人は自然を身近に感じ
そして神と言う存在をも
無意識の内に感じているのである
人よ自然の中に出でよ
穢れた知識を外気で洗い落とせ
私は穢れた知識と書いたが
それは何であり
何の為に洗い流す必要があるのか
穢れた知識とは深呼吸を邪魔する全ての知識
貴方方も経験しているであろう 就寝の時
眠るとは最後の深呼吸から無意識の深呼吸に移る事
眠れない貴方方は知らないかもしれないが
その時貴方方は懸命に深呼吸にチャレンジしているのである
その深呼吸を邪魔するのが穢れた知識という訳である
穢れた知識は人によって違う
無意識の深呼吸に入ろうとする時
その穢れた知識が邪魔をするのである
その知識を焼き尽くすのにどれだけ酸素が必要か
それを焼き尽くした後にへとへとになって眠りに就くのである
翌日は酸素不足
元気が出ないのも当然の事
そうだ呼吸だ
私が勉強をしなければならないのは呼吸だ
呼吸によって人は平和平穏平静平安を取り戻す
呼吸によって我々は極楽に達するのだ
私は忘れていた
オーム
座禅も呼吸調伏法
念仏も呼吸調伏法
賛美歌も同じ事
私も私自身の呼吸調伏法を見つけねばならぬ
平成14年6月16日朝
〈呼吸について〉
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深い呼吸からトランスへ移行出来れば最高
時空を超えて何処へでも行ける
だが今の私は浅い呼吸の繰り返し
私は朝誓ったはずではないか
まずは深呼吸からと
それなのにこの有様
全ては時間のなせる業
私は常に時間に追われ
かの死のレッスンである深呼吸も
この通りおざなり
三十分も深呼吸のレッスンをすれば
トランスに入る事が出来るはず
それなのにこの通りおざなり
なにがそうさせるか
それはこの日誌と言う日課
深呼吸のレッスンに三十分も当てれば
この日誌に当てられる時間も三十分前後
それでは何も書けない
その逸る気持ちが私をこの日課に向かわせたのである
私のスケジュールには余裕が無い
いつも前傾 つんのめり
だからいつも浅い息
これでは何時までたっても平安は得られない
回向が必要なのか
平安へと向かう回向が
その為には全てを捨てないといけないのか
それが出来れば最善だろう
だがそれは出来ないこと
今必要なのは次善の策
それは優先順位を変えると言う事
まずは平安
次がアイデンテイテイーの確立
三番目が世界征服
今の貴方は三番目に固執している
それではアイデンテイテイーの確立は覚束ない
ましてや平安は遠い
まずは平安を求めなさい
深呼吸のレッスンを積みなさい
そこから全てが始まるのです
平成14年6月16日夜
〈平安について〉
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猥雑なものが抜け落ちて
真っ白
今はそんな気分です
真っ白な中から
新たなものを創造する
今はそんな気分です
新生
僅かな眠りでも
それが深ければ
全てを洗い流します
新生
日々新たに
日々新たに生まれなければ
人の成長はストップします
日々新たに
真っ白なキャンパスに向かわなければ
人の成長はストップするのです
貴方の精神年齢は今何歳ですか
貴方は未だ成長し続けていますか
それともストップしてしまいましたか
それを見分けるテストをしましょう
さて神とは何ですか
この問いこそが
精神年齢を図る一番のテストなのです
何故なら
精神とは精なる神の事なのですから
精なる神に精通しているならば
貴方は神にも近い存在です
何故ならこの精なる神を通じてでしか
神を知る事はできないのですから
精神年齢は
10歳 20歳 30歳・・・・・・・・100歳と数えます
100歳は神にも等しい存在です
さて貴方の実年齢は何歳ですか
40歳 ホゥ もう人生も半ばですね
それに相応しい精神年齢になっていらっしゃる事でしょう
さて問題です
神とは何でしょう
思いつくままに書き尽くしなさい
一時間でも一日でも一年でも
さあスタートです
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
何も書く事が無い?
はっきり言います
貴方は白痴です
一年あっても書き足りない
何年かかっても書き尽くせない
一生かかっても書き尽くせない
もしそう言う人が居れば
その人は神にも等しい存在です
何故なら死ぬまで神を生み出し続けているのですから
神とはそう言う存在なのです
これでは精神年齢は計れませんね
そこで私が簡易なスケールを発表します
一時間書き続ける事が出来れば
その人の精神年齢は1歳です
十時間書き続ける事が出来れば十歳です
四十時間書き続ける事が出来れば四十歳です
貴方の実年齢と一緒ですね
九十九時間以上書き続ける事が出来れば
その人は九十九歳です
ひょっとしたら九十九年間書き続ける事も有り得るでしょうから
でも百歳は居ない事にします
それは神にも等しい存在ですから
それは無いとする事がこの世の常識ですし
またそれが真実です
九十九歳が
神にもっとも近い存在とします
そしてその人には
神人と言う名称を与える事にします
神人に成る事
それを人生の目標とします・・・?
平成14年6月17日
〈精神年齢について〉
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縄文 弥生 古墳 飛鳥 奈良 平安
砂をいじり土を捏ね回した縄文時代
弥生 如月 桜の季節
すみか遊びに熱中した少年時代
飛鳥のごとく中学生になった
奈良平安と大人への階段を一気に上った
弥生は幼稚園
そして小学一年生
何もかもが物珍しかった
両親の大きな翼の中で
羽ばたきを始めた
やんちゃな小学生
棲家遊び 陣取り合戦に夢中になった
兵隊遊び 王様ごっこも経験した
ある時一人の男の子が思った
僕は王様に成るんだと
そして彼は自ら羽ばたきを始めた
その小高い丘の上から
飛鳥
一風の風が吹き
彼は飛鳥と成った
彼は夢中になって空を飛んだ
その世界は大きくは無かったが
彼には十二分に大きかった
彼は何度も何度も
その世界を飛び回った
そして小高い別な丘を発見して
そこに降り立った
彼にはもう羽は必要なかった
するとどうだろう
彼の肩から羽がするっとすれ落ちた
彼は高校生になっていた
彼はいつも思い出すのである
あの小高い丘から見たその光景を
確かにその世界は彼のものになるはずだった
だがどうあろう
ご覧のとおりだ
そこで彼は思いを凝らして
その記憶を呼び戻そうと努めた
するとどうだろう
あの光景がありありと思い浮かんできたのである
彼はすかさずそれをノートに書き留めた
そこに浮かんできたのは
奈良の都であり 京の都だった
彼は間髪を入れずに
その設計作業に取り掛かった
平成14年6月19日
〈都づくりについて〉
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私たちは知識によって動いている
思想は知識の集まりである
知識の無いところに思想は生まれない
知識と思想は相関関係にある
あるところまでは
そのあるところまでとは
支配組織までである
支配組織においては
知識がピラミッドの様に思想を織り成している
そこにおいては知識無き者は無用の長物
そこにおいて必要なのは高学歴高知識
日本の高等文官試験 中国の科挙
またはフランスの・・・
そこにおいて彼らは知識に知識と積み上げている
彼ら全員が総出に成って
誰がその知識を積み崩せるだろう
この世は全て知識である
新聞にしてもそう テレビにしてもそう
知識に知識を積み重ねている
誰がこの知識を打ち破る事が出来るだろう
だがここに
その知識のピラミッドを打ち壊し
その知識の厚き壁を打ち破る事の出来るものがいる
その名は智恵
智恵は一瞬にしてそのピラミッドを打ち壊す
智恵は一瞬にしてその厚き壁を打ち破る
智恵には秘められた力がある
その大きさは一粒の芥子にも満たない
だがその力は世界をも覆う
智恵 それは思想の原子爆弾
平成14年6月20日
〈智恵の力〉
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哲学と芸術
この二つは何よりも私には親しい
この二つが無ければ
私の生活はいかに虚しいものだったか
ここで言う哲学は
フィロソフィア
智を愛すること
近現代のそれ
それとは違う
近現代のそれ
それは科学哲学
機械を組み立てるように
智を組み立てようとしている
私の哲学は
そんな無味乾燥なものとは違う
私の哲学は芸術
そこには美しさがあり楽しさがある
人は智恵を求める時
そこに楽しさを求めようとする
それが第一の原点である
快楽主義当然のことである
そしてその楽しさには美しさがあり
優雅さがつきまとう
それだけで十二分である
それなのにそれに加えて
真と善もお供する
これ以上何を求めようと言うのか
哲学
それは極楽を求めるの謂いなり
極楽とはよく言ったものではないか
極みの楽しみ
それは何?
それは哲学しかないのである
はっきり言っておきましょう
その極みに連れて行ってあげるのは
智恵以外誰もいないのです
だから智恵を求めなさい
哲学に励みなさいと
私は言っているのです
智恵とは言葉たち
良き言葉たち
その良き言葉たちが
天馬となって
貴方を楽しみの極みへと連れて行ってくれるのです
だから言葉を磨きなさい
良き言葉たちを集めなさい
それが貴方の財産です
それ以外の財産は天国へは持っていけないのです
聖書は何故聖なる書と言われるか知っていますか
それは聖なる言葉たちが集められているからです
そしてその聖なる言葉たちが
貴方を天国へ連れて行って呉れるから
そう言っているのです
聖書 それは天国への門です
お経もそうです
そしてコーランもきっとそうなのでしょう
私たちの心には良き言葉がたくさん書き込まれています
でもそれを自分自身の力だけでは読み込む事が出来ないのです
それを助けてくれるのが聖書でありお経であり良き書なのです
それらを通じて初めてそれらの言葉を読み込む事が出来るのです
英語と一緒です
始めは先生がいなければ読む事は出来ません
でも慣れて来ると自分一人で読む事が出来るようになります
それと一緒です
まずは聖書お経の力を借りましょう
聖書お経を師と仰ぎましょう
そこから良き言葉の世界が始まるのです
平成14年6月21日
〈良き言葉の世界〉
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天皇制は凄い
第一級の世界遺産である
どこに百代以上
その素性を明かせる一族があるというのか
世界に二つと無い
正に人類遺産である
私は今日本史の勉強をしている
そして今日天皇の系図を見た
紛れも無い血のつながり
これだけで第一級の遺産だ
しかしである
このそれぞれの天皇が
それぞれ時代を負っているのである
年号と言う時代を
私は前に時は神様だと書いた
天皇が時を負っているのであれば
天皇は神様ではないか
そういう発想が出て来ても
それはそれで当然だったのだろう
私は今日本史を勉強している
この日本と言う国が如何なる国であるか
如何なる精神を持ち合わせているのか
それを研究するために
そして私は一つの方法思いついた
それは
途切れの無い人から人への流れの中で
その精神の流れを見い出す事だった
私は歴史上の人物のその連綿図を描こうと思っていた
その矢先この天皇の家系図が目に飛びこんで来たのである
天皇は親から子へが大原則である
その流れの中で
その精神は確かに受け継がれて来たのだろう
天皇は象徴であると言われている
それは日本人の象徴であり
日本民族の象徴であり
日本精神の象徴である
私たちがそのアイデンテイテイを見失ったとき
私たちはその流れの中にそれを見つけなければならない
何故ならそれ以外にルーツを見つけられないから
民主主義は個人主義
個人主義は親子の関係も断とうとしている
個か家かその世界観が国を変えて行く
個
もし人が個のままあり続ければそれは偉大である
だが人はそんな事には耐えられない
人は新たな連帯を求める
職場にか
求めようとするがそれは得られない
何か別なものか
求めようとするが結局得られない
民主主義において人々は
結局連帯を求めつつそれを見失っているのである
真の連帯
それは家族にしかないのではないのか
私たちは家族を大事にしています
はっきり言います
それはただ子供を養育しているだけだと
子供の養育なら犬猫だってやっているではないかと
真の家族とは
子供が独立してからの関係を言うのです
そこに連帯があれば
どこに連帯を求める必要があるでしょう
親から子へ 子から孫へ
そこに如何なる精神の伝達があるのでしょう
もしです
もし家族が完全に崩壊しているのなら
新しい家族をつくろうではありませんか
血では無く
魂につながる家族を
私は思います
インターネットはその為にこそ生まれてきたのだと
平成14年6月22日朝
〈インターネット家族〉
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新しき家族を打ちたてよう
このネット上に
私は父ともなり母ともなり
娘ともなり息子ともなり
また孫ともなり祖父母ともなろう
世界皆一家
そんな世界を
このネット上に築き上げよう
我々は肉体を持っている
肉体を持ったままでは
父母は二人
祖父母は四人
ひ祖父母は八人
子供はせいぜい十人
その計算でいくと孫は百人
ひ孫は千人と言う計算になる
これが
肉体を持ったままでのMAXである
だが肉体を離れると
それが無限大になる
家族とは何であろう
肉体的には血のつながり
ではそれを検証してみよう
我々はアダムとイブの子供ではないのか
イザナギノミコトとイザナミノミコトの子供ではないのか
即座に解決ではないか
我々は人間と言う血で結ばれているのである
人類皆兄弟なのである
あと必要なのは愛
強い愛だけである
愛とは?
愛とは善しと認める事
家族とはその構成員として善しと認める事
私は父として貴方を子として認めましょう
私は子として貴方を父として認めましょう
これだけの事
これだけで人類皆一家となれるのです
その可能性に
私と一緒に挑戦してみませんか
平成14年6月22日夜
〈インターネット家族への挑戦〉
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縄文 弥生 古墳 飛鳥 奈良 平安 鎌倉 室町 戦国 安土桃山
そして江戸と流れ行く
我々はこの内飛鳥以降の精神を読み取る事が出来る
古墳以前は考古の分野である
如何に古(いにしえ)を考えようと自由である
歴史は日本書紀始まる
この事を知る人は少ない
聖徳太子 大化の改新 etc
全て日本書紀によるのである
しかもそれはアップデートな記録ではない
日本書紀が書かれたのは
大化の改新後七十数年を経てからである
全て脚色なのかもしれない
だが憲法十二条を聖徳太子が著したのであれば
その頃から文字は存在したのであり
日本書紀はこれらの記録に基にしたものであり
歴史書として信を置いていいのかもしれない
だがやはり腑に落ちない
これ以前の史実の記録が無いことを
焚書による歴史の捏造
日本書紀によりそれが行なわれなかったとは
言い切れないが
そんな事を言い出したら切りが無いので
日本史は日本書紀に始まる
そう言い切って
日本史を始める事にする
そしてまたそれが当然の事なのでもある
何故なら
歴史とは言葉による連綿なのだから
私は昨日図書館で日本書紀を見た
それはまさしく天皇の歴史であった
初代から何代までかの
日本史の始まりは日本書紀
であれば日本史の始まりは
天皇からと言う事になるのではないか
日本の歴史のX軸は天皇
そこに様々なY値がからみあって
歴史は作り上げられてきたのである
天皇はこの大地に時間を刻む天からの使者
その時間をどう使うか
それは私次第貴方次第
平成14年6月23日朝
〈天皇の世紀〉
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私は今花に夢中になりかけている
ここ二三週間で百輪以上は集めた
集めたと言ってもデジカメでである
私はデジカメがこれ程性能が良いものとは思わなかった
私が見た時よりも写したときよりも
倍はきれいに見える
私はそれをスライドショーにして楽しんでいる
私は思った
花には光があると
デジカメにして良く分かった
その時は曇り空だった
花も精彩が欠けていると思った
ところがである
パソコンの画面に映し出すと光り輝いているのである
太陽の反射ではなく
自らの輝きの中で
花は太陽と同じく
自ら輝いているのである
大画面
といっても17インチだが
そこに映し出して良く分かった
こんな楽しみはプリント写真では出来ない
もしそんな事をすればお金が幾らあっても足りない
もしお金があってそうしたとしても
このスライドショーみたいには楽しめない
デジカメはお金も0時間も0
私は断然デジカメに軍配を上げる
私は多分千輪万厘と
花を集めていくだろう
半紙三千枚分でDVD一枚分
その差歴然
17インチ画面が大体半紙に相当する
お金の事を事細かに書き
この哲学紙面には相応しくないとも思ったが
これは革命的なことである
もしデジカメがなかったら
こんな贅沢な遊びは考えられなかっただろう
百万本のバラの花を♪♪♪
そんなお金持ちの気分を
デジカメで味わえるのである
平成14年6月23日夜
〈花遊び〉
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思想犯
そんな言葉があった時代があった
今は完全な死語だが
思想犯は死刑になる事もあった
思想犯が何故それ程までに厳しく罰せられたか
それはその思想が天地をひっくり返すから
それでも地球は動いている
その固い信念がこの世の天地をひっくり返すから
今の時代に思想犯は存在し得ないのか
刑法には当然に存在しない
何故なら思想の自由があるから
どんな思想をしても自由なのか
例えば
この国を変えるには
国会議事堂と霞ヶ関にミサイルをぶち込むしかない
こんな思想をウエブ上に公開しても
警察は私を捕まえには来ない
何故なら私を捕まえる根拠がないから
またインターネットを通じて各自のウエブ上に
この国を変えるには
国会議事堂と霞ヶ関にミサイルをぶち込むしかない
と表示するよう呼びかけても罪にはならない
また各自がその呼びかけ応じて各ウエブ上に
この国を変えるには
国会議事堂と霞ヶ関にミサイルをぶち込むしかない
と表示しても罪にはならない
だがそれが千人万人のウエブ上に表示された時
その時は穏当ではいられない
何故なら思想は伝染するから
昔思想が恐がられたのは
それが伝染病だったからである
だが現在ではそれに対する特効薬が出来たのである
だから思想の自由も保障されているのである
その特効薬とは諜報 日本名では公安
もしそれが伝染病の相を示したら
その特効薬がそれを固くガードして
それ以上広がらないようにしているのである
その特効薬のお蔭で
我々は思想の自由を享受しているのである
しかし私は思う
かつては効能抜群であったその特効薬が
果たしてこのインターネットの海の中で
その効能を十分に果たし得るのかと
そしてまた思う
このインターネットの海の中で
新しい革命思想が生まれつつあるのではないかと
その思想がどんな思想かは私は知らないが・・・・・
平成14年6月25日
〈革命思想について〉
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空虚の中に
空虚が流れる
こんな時は
何をしても物憂い
人の力は思想
思想が空虚の中に落ちていく
思想は思想を生み出しえない
いつまでも果てしない空虚
果てしない空虚
音のない世界
人は楽しもうにも楽しめない
音があって始めて楽しめるもの
おとずれ
音の訪れがあってこそ
楽しい世界が広がると言うもの
馥郁なる音の音よ
私を尋ねて来てお呉
そう叫んでも
その叫び音が大きな空虚の中に落ちていく
私が何度も何度も叫ぶので
その叫び音が空虚に溜まったらしい
私のその叫び音が
空虚の中から反響しだしてきた
もう大丈夫だ
私は私を取り戻した
福音のおとずれ
平成14年6月27日
〈福音について〉
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家族が生活の単位です
家族を離れては
人の生活は安定しません
だから人々は結びついて
家族を構成するのです
家族を持たない者
それを独り者と言います
人は誰でも人生の一時期
独り者になります
それは家族を巣立ってから
結婚するまでの一時期です
でもそれはそれ程長い時期ではありません
人は一人にはそれ程長く耐えられないからです
最近はシングルが多いではないか
そんな声が聞こえてきます
30歳になっても一人 40歳になっても一人 50歳になっても一人
そんな人々がごろりといるではないか
彼らは立派な独り者ではないか
そんな声が聞こえてきます
はっきり言います
彼らは巣立ちしきっていないのです
彼らは家族との絆を残しながら
独り者の呈をしているだけなのです
彼らからその家族との絆を断ち切って御覧なさい
彼らはすぐに不安定不穏当になっていきます
家族との絆はそれ程に強いのです
家族との絆を完全に断ち切って
独りで生活している者がいます
彼らは流浪の民です
でも彼らの心の中には
いつも家族の幻影があるのです
家族の絆を完全に断ち切り
家族の幻影の浮かび来ぬ者
それは聖人をおいて他にはあり得ないのです
独居老人と言う人達がいます
彼らは強いられて独りになっているのです
彼らの心には常に家族の事が去来しているのです
もう家族の事は思いたくない
そう云う気持ちが痴呆へと駆り立てるのです
現代は痴呆が増えています
そして今後もっと増えていくでしょう
求めても求められない絆
切断されてしまった絆
これら傷ついた絆が
痴呆人口を増やしていくのです
痴呆に成らない為には二つの方法があります
一つは家族の絆を死ぬまで大切にする事
もう一つは家族の絆を完全に断ち切って聖人に成る事
二番目の方法は誰にでもできるものではありません
だから人々は一番目の方法を大切にしているのです
その営為の中に痴呆に成らない秘訣があるのです
でも家族の絆が完全に断ち切られた人
貴方方に一番目の方法は残されていません
貴方方は家族の幻影を抱きながら
まっしぐらに痴呆への道を進んでいるのです
家族の絆が完全に断ち切られた人々よ
貴方は幸いです
貴方には聖人への道が残されているのです
家族と言うこの桎梏にも似た絆を
貴方方は完全に断ち切るチャンスが与えられているのです
恵まれた貴方方よ私に付いて来なさい
私と一緒に聖家族をつくろうではありませんか
インターネット家族
そこに聖家族へのの芽生えがある
インターネット聖家族
そこには純粋に子を思う親の気持ち
純粋に親を思う子の気持ちだけからなっているのです
精神とはそう言う存在なのです
この世の家族
それは思い肉体を持っているが為
それに耐え切れず
様々な愛憎が生まれるのです
でもこの聖家族は
純粋に精神だけから成り立っているのです
純粋に精神に入って行けば行くほど
純粋な精神になるのです
純粋な精神の真髄
それは愛と智恵です
インターネット聖家族は
愛と智恵に満ちた家族の事なのです
平成14年6月28日
〈インターネット聖家族〉
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私たちはどうして憎しみ合わなければならないのでしょう
どうして人を嫌悪しなければならないのでしょう
全てこの重い肉体を背負っているからではないでしょうか
私たちが肉体を離れたとき
私たちが如何に素晴らしい存在であるか
独り静かにインタ-ネットに向かい
貴方の思いの丈をその画面に書き綴るとき
その存在をはっきり意識しているはずです
私はそう言う人達を求めているのです
その人々によって
この聖家族は構成されていくのです
私たちは父ともなり母ともなり
息子ともなり娘ともなり
兄弟ともなり姉妹ともなるのです
私たちはその聖家族において
家族の理想郷を作り上げていくのです
聖家族
そこに存在するのは精神だけです
貴方が男である必要はありません
女である必要もありません
年齢職業一切不問です
貴方は男ともなり女ともなり
「幼児ともなり老人ともなり
大臣ともなり乞食ともなるのです
そこに存在するのは純粋な精神だけなのです
精神を純粋に伝える事の出来る方法
それは手紙です
この聖家族は手紙の遣り取りで成長していくのです
父から息子へ 娘から母へ
祖父から孫へ 孫から祖母へ
兄から弟へ 妹から姉へ
叔父から甥へ 姪から叔母へと
様々な手紙の遣り取りの中で成長していくのです
この聖家族の中で一つだけ約束事を作る事にします
それは手紙の冒頭に
手紙の相手先の家族内での続柄を明示し
また手紙の文末に
差出人すなわち自分の家族内での続柄を明示すると言う事です
手紙の文頭へは
父へ 母へ 兄へ 弟へ 姉へ 妹へ 叔父へ 叔母へ等々と言った続柄が表示され
手紙の文末へは
息子より 娘より 弟より 妹より 甥より 姪より等々と言った続柄が表示される事になります
例えば手紙の文頭が父へだったら
手紙の文末には息子よりとか娘よりと言った続柄が表示される事になります
一つ例を挙げます
お父さんとお母さんへ
僕はお父さんとお母さんの子供であった事を誇りに思います
お父さんとお母さんの子供だったからこそ
このインターネット聖家族に参加する事が出来たのです
私はお父さんとお母さんの一粒種として落ちましたが
この聖家族の中で実り多い実を実らさせたいと思っています
私はお父さんお母さんから巣立ちをし今ひとり立ちをしています
そして結婚適齢期と言う時期を迎えています
でも私は結婚しません
僕は桎梏の多い結婚生活よりも
この聖家族の中で生きる事を望みます
お父さんお母さん本当にありがとう
僕はお父さんとお母さんの子供であった事を誇りに思います
息子より
この手紙の受取人は貴方です
貴方は父となり母となり
この息子に対して手紙を書いてあげてください
例えば
息子へ
息子よ 貴方は一つの目標を見つけたみたいですね
それを大事にしなさい
それに突き進んでみなさい
そうすれば新しい展開が開けて来るのです
そこで貴方はまた新しい世界を見つけるでしょう
そのようにして世界をどんどん大きくなっていくのです
息子よ頑張りなさい
私も貴方が息子であった事を誇りに思います
父より
と言うに批判する事無く相手を受け入れ
相手の精神をより良く発展させてやるのが
手紙の受取人の責務なのです
この聖家族の手紙の遣り取りの中には
批判批評というものはありえないのです
何故なら批判批評と言うのは
相手より上に立とうとする精神の表われなのですから
純粋な精神に上も下もないのです
その純粋な精神を育ててあげる事
それが聖家族の一員の役目なのです
この聖家族の中では
例え貴方が孫であっても
祖父母の精神の成長に手助けをして上げられるのです
この聖家族においては
純粋な精神という事では皆兄弟なのです
ただそれが時と場合によって
父ともなり息子ともなると言うだけの事なのです
人類一家皆兄弟
これがこの聖家族の精神なのです
平成14年6月29日朝
〈インターネット聖家族の精神について〉
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今日で太平洋戦争が終わった
後は戦後を残すのみ
そろそろ史観を打ち出さなければならない
だがおぼろげにもその姿は浮かんで来ない
日本と言う魂は何時生まれ
どのようにして継承されてきたのか
それを知る事がなければ
日本史を学んだ意味が無い
私は考えた
そして分かった
それは聖徳太子に始まると
日本書紀を読み返せば
その事は分かるだろう
十七条憲法
そこから日本が始まったのである
西洋の精神がイエスキリストから始まった様に
日本の精神は聖徳太子から始まったのである
聖徳太子の精神は我々に脈々と息づいている
我々は聖徳太子を学び直す事によって
我々の精神を学び直す事出来るのである
そして聖徳太子の精神が
どの様に引き継がれて行ったかを学ぶ事が
日本史を学ぶと言う事なのです
平成14年6月29日夜
〈日本史の原点について〉
雨の日は物憂い
貴方もそうですか
私たちは太陽がなければ
自ら輝けないのでしょうか
そんな事はありません
貴方自身の中に太陽が在るのです
その曇りを取り除きなさい
どうすれば取り除けるのですか
風です
風で吹き飛ばすのです
こんな厚い雲を ですか
物には全て道理があるのです
その道理に従って吹き飛ばすのです
高きから低きに流れる
これは道理ではないかね
御尤もです
ではその道理に従って吹き飛ばしなさい
どの様にしてですか
未だ分からないのか
風はどの様にして吹く
高気圧から低気圧へ
それで十分ではないか
高き心を持つと言う事だ
高き心が鎮座したら
全ての雲を吹き払う
高き心とは?
そこまで私は言わない
先生有り難うございました
心の曇りが吹き払われたようです
さて今日は何に取り掛かるか
歴史か
それともインターネット家族か
歴史は後一日を残すのみだ
これで全て読み切る
我々の心に脈々と流れている
大和精神とは何か
聖徳太子のそれではないのか
そう
だがそれは大和魂とは言わない
日本スピリットである
我々はよく大和魂と言うが
そんなものは存在しない
存在するのは
聖徳太子の日本スピリットなのである
日本と言う国は聖徳太子によって統合された
それ以前は分裂国家である
それ以前の分裂国家を大和というならば
それが大和魂だ
だがそれは恣意に満ちたもの
貴方が思うそれ
それが大和魂だ
貴方は物部氏かもしれないし 蘇我氏かもしれない
日本スピリット
それははっきり言って固有のものではない
イエスキリストが
ユダヤ教とローマ帝国を統合させたように
聖徳太子は
日本神話と儒教 道教 仏教
そしてキリスト教の影響を受けたそれらを
統合したのである
それが憲法十二条なのである
日本の精神はそこから始まっている
それ以前に日本の精神を求めると
日本の精神は混乱する
そしてそれが日本の現状なのである
日本国民よ
憲法十七条に帰れ
聖徳太子に教えを乞え
古事記も日本書紀も
全てこの憲法十七条から始まっているのである
氏族においてはそれぞれのストーリーがある
それが氏族の由縁だろうから
古事記も日本書紀の聖徳太子以前も
その類である
聖徳太子と憲法十七条を表わさんが為に
これらの書は書かれたのである
さて憲法十七条とは
私はその内容は知らない
だがそれを紐解けば
私は私の精神をはっきり知る事が出来るだろう
平成14年6月30日朝
〈憲法十七条について〉
________________________________________
遂に読み終わった
詳説日本史(山川出版社)を
私は日本史を総括しなければならない
私は日本史の勉強方法が分かりかけて来ている
この方法を確立すれば
日本史の勉強はとても容易くなるであろう
歴史とは何か
この事をしっかり理解していなければ
幾ら勉強をしても
歴史の事は分からない
歴史とは
それは精神史以外の何ものでもない
さてそれではその勉強方法について述べよう
歴史とは精神史也
その観点から私は歴史を
政治史と経済史と文化史の三つに分ける
政治史は政権史と制度史に
経済史は農村経済史と都市経済史に
文化史は思想史と芸術史に
これだけで十分だろう
この概念さえしっかり掴んでいれば
日本の精神史を手に取るように
しっかりと掴むことができるだろう
さて勉強方法だが
まずは詳説日本史(山川出版社)を通読しなければならない
知識の無い所には何も生まれないからである
さて我々は詳説日本史により
縄文弥生古墳飛鳥奈良平安鎌倉南北朝室町戦国安土桃山江戸明治大正昭和平成
の各時代があり
そしてそれぞれの時代に
政治経済文化が存在している事が分かった
教科書の知識はこれだけで十分
後はこれを智恵に変えていかなければならない
智恵とはその精神を自分のものにする事
この教科書を通読しただけで
日本の精神を掴み得る者は
万に一人もいないだろう
それなりの努力をしなければならない
読書百遍 意自ずから通じる
百篇も読めば
その精神も浮かび上がってくるだろう
だが誰もそんな時間は持ち合わせていない
そこで浮かび上がってくるのが私の勉強方法だ
この方法で行なえば
短時間の内に日本の精神を掴む事が出来る
まず肝心な事は歴史の始点をどこに置くかと言う事だ
歴史とは精神史
その為には人が存在しなければならない
そしてその人の言葉が存在していなければならない
私はこれまで何度も述べてきているが
日本史の始まりは聖徳太子也なのである
それ以前の事については
考古学者のロマンに耳を貸す程度でよい
さて聖徳太子から歴史が始まったとすると
高々千五百年程度である
十年一日のごとくであれば
高々百五十日である
百五十日の精神の流れを読めば
それで日本の精神が読めるのである
時代を読む事は極めて困難である
ましてやその流れなど
だが政権 制度 農村経済 都市経済 思想 芸術
それらについてはそれ程難しいことではない
特に政権 思想 芸術については
それらは人の流れを時系列に追っていけばよい
まず政権だが
詳説日本史に出てくる政治がらみの人全てを
(大した人数ではないはずである)
時系列的に挙げて御覧なさい
その作業をするだけで
その背後にある精神の流れをしっかり掴む事出来るはずである
思想芸術もその方法で
芸術については文学美術に分けたほうがよりし易いであろう
それぞれの人と対話しながら
時の流れに身を任せて御覧なさい
その精神の流れを貴方にきっと付き添って来る事でしょう
平成14年6月30日夜
〈歴史の研究方法について〉
________________________________________
久々である
7月に入ってから夏休み
日記も中休みと言ったところ
でも私は知っている
人が思考を止めればどんなに弱いかを
それを私はまたも実証した
人は精神が活動している限り
弱くなる事はない
たとえ傍目に弱っていると見えても
本人はそれほど意には介していない
だが精神活動が弱っている時
それは直撃する
精神は盾であり矛である
我々は精神で防ぎ
時には精神で打って出る
その精神が弱っている時
我々は我々を如何に守る事が出来ると言うのか
精神は何にでも変えられる
鈍重な者はそれを棍棒にも変え
それを振り回そうとする
精神軽やかな者は
牛若丸よろしくひらりとかわす
過去をとやかく言うのは止そう
精神はあたり一面を
ふくよかな香りで満たす
そんな人間であろうと
願い続けたいものである
平成14年8月24日昼
〈ふくよかな精神〉
善き本は人を高揚させる
私は今その波に乗って
この日誌に向かおうとしている
私は世界の名著読み始めている
今第1巻だが
全81巻読破出来たら
これ幸いだと思う
私が今読み終えたのは
原始仏典短編8点である
その高揚のままに
この日誌に向かおうとしたが
その高揚の波も次第に薄れようとしている
人の気持ちもそれほどに無常なものである
その本が善き本か否か
その判断基準は一つ
私を高揚させ得るかどうか
何の為に読書をするのか
知識を得る為などではない
それは私が飛翔する為
私が幸福になる為である
幸福は持続するものではない
幸福はパルスである
絶えず発信し続けなければ
その波は止んでしまう
その一つの機関が読書である
経典読誦が日課となっているのは
その為である
私の世界の名著全81巻読破は
かなり冒険である
だがものは読み様である
十分に一回
私の機関を発信させてくれれば
それで十分である
内容は問わない
世界の名著と言うだけで十分であろう
十分に一回
幸福のパルスを発信してくれれば
それで十二分
私は今冒険の時期に来ている
聖書 仏典
そして古代の良書に囲まれていれば
精神は安泰だろう
だがそれでは子供のままである
私が大人になる為
私は近現代への旅に出なければならないのであろう
世界の名著全81巻
それが私に課せられた課題か?
平成14年8月24日夜
〈世界名著の旅〉
________________________________________
仏典はいい
特に小乗仏典は
小乗仏典に浸かっていれば
私の精神は清め尽くされるだろう
それも私の生きる道
南伝大蔵経全百巻位かな?
それを手元において
読み続けるのも私の道かもしれないが
だが私は今冒険の時期
私は今冒険をしなければ
私には飛翔は来ない
私は大いなる飛翔の為に
今冒険に出ているのである
近現代の波に
私は付いていけるだろうか
何も付いていく必要はない
軽く飛翔して
それを眺めるだけでいい
近現代の争論に付いていけるだろうか
何も争論に巻き込まれる必要はない
軽く飛翔して打ち眺めるだけでいい
そしてまた貴方の好きな古代へと還ればいい
フエニックスとなる為には
古代から近現代へ
近現代から古代へと
自由に飛翔できなければならない
その為の予行演習と考えなさい
古代のフエニックス思想を
現代に振りまく為にも
近現代を知らなければならないのである
古代の思想の中にいると
私は幸せになる
私の精神は大きく大きく膨らみ
世界の隅々まで行き渡るように感じる
そして現代過去未来まで
私は精神快楽主義者
精神を高揚させてくれるものは何でも好む
一方精神を引き裂くもの
精神をこの上なく卑小にさせるもの
このようなものには嫌悪を感じる
現代とは
精神をこの上なく小さなものに閉じ込める為の作業である
テレビを見よ
あれほど精神を馬鹿にしたものがあろうか
工学という科学を見よ
人の精神は歯車と変わらなくなった
私は古代に憧れる
そこには大いなる夢がある
子供の頃の様な!
平成14年8月25日朝
〈古代ロマン〉
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夏の名残
私はそれ享受する為
海に行ってきました
朝の曇天にもかかわらず
昼からは少しずつ晴れ渡り
私が帰る間際5時間際には
青空が広がっていましたが
それはもう夏の空ではなく
秋の空そのものでした
それでも私は夏を満喫してきました
海水浴場
それは夏の象徴です
幼児たち少年少女青年お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃん
それらが一緒くたになって
夏を醸し出しているのです
夏の少女
私はそれをずっと追いかけていました
私のスクリーンには
さまざまな光景が映し出されます
でもやはり主人公は
夏の少女なのです
赤ちゃんからヨチヨチ歩きへ
ヨチヨチ歩きから幼児へ
幼児から少女へ
少女から乙女へ
乙女から娘へ
娘から若きお母さんへ
若きお母さんか肝っ玉母さんへ
肝っ玉母さんからおばあちゃんへ
私はそのドラマを
そのスクリーンに看取るのです
そしてそのハイライトは
何と言っても幼女時代の少女です
そこに私は時系列の種を見るのです
幼女
初めて一人立ちした女性のことです
海水浴場をその本性のままに闊歩しています
そこには少女乙女娘若きお母さんの影がはっきり出ているのです
そして肝っ玉母さんの相も
そこにおばあちゃんの姿を認めた時
このドラマはハッピイエンドとなるのです
平成14年8月25日夜
〈夏の少女〉
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哲学革命
その時期は来たのか
猶予はならないのか
私は掲示板で
哲学革命を告知するつもりだった
だが告知板は使えないと言う
それで浮上してきたのが
メーリングリストだ
昨日少し概要を見たが
いけると思った
もちろん公開である
私はそれに次の様に告知する
哲学革命!!!
同士よ 革命広場へ 集結せよ と
私の哲学革命とは?
知恵による時代の変革の事である
物は満ち足りた
物への追求はもう止めよう
それよりも我々の故郷である所の
精神へ還ろう
知恵に回帰しようと
我々は昔
知恵に充ちた者であった
だが物の蓄積とともに
それは我々から遠のいた
今は精神を物に変える事に精一杯だ
精神快楽主義者になるか
物質至上主義者になるか
それが今の分かれ目だ
前者を取る者
我が革命広場に集結せよ
三人寄れば文殊の知恵
三人以上集まれば
この革命は成功する
我が同士よ
革命広場に集結せよ
革命には動機がいる
我々の動機は
精神快楽だ
真善美を求める心だ
物質の刺激による快楽を求めるか
それとも精神による純粋な快楽を求めるか
それだけの違いだ
後者の場合は僅かな物だけで足りる
前者となると一生かかっても足りない
後者の快楽は永続性があるが
前者は一時的だ
どちらを選ぶか
それを国民一人一人に突きつけていく
それが我が哲学革命也
知恵を愛し求める事
真善美の追求が
如何に楽しいか如何に快いか
如何に快楽に満ちているかを
告げ知らせる事が
我々同志の使命也
平成14年8月26日朝
〈哲学革命について〉
采は投げられた
メーリングリストに哲学革命を告知した
果報は寝て待て
48時間以内に登録されるそうである
平成14年8月26日夜
〈哲学革命の告知〉
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精神が響き合わない
精神の様々な要素が響き合ったとき
シンフオニーが生まれる
私はそれを求めて
本を読み文を書く
だが今日はそれが起こらない
空虚なままだ
と言うよりも
重石を頭の中に詰められているみたい
頭が重い
多分酸素が足りないのだと思う
オームを十遍も唱えれば
酸素が十分に供給されて
頭すっきりと言うところだろうが
思うように行かないのが世の常?
私は知っている
酸素供給方法を
それは夢中になる事
今私は文を書き出した
そうするとどうだ
精神と精神がつながり始めた
その力が私を引きこんでいく
この世からかの世へ
その精神のままに書き綴れば
かの国に渡れそうな気がしてくる
この気が大切
この気が私をかの国に
運んで呉れそうな気がする
喜々として気に乗りたい
私は感じた
深い息が一つ吐き出されたのを
勿論無意識の内に
またもう一つ深い息が出た
準備は整いつつあるか
三つ目が出た
四つめは
少し意識して深く深く吸ってみた
先ほどは重石を詰められていると言った
今は違う
今は頭の四肢が痛む
そんな感じだ
その四肢の痛みも次第に和らぎ
筋肉痛に変わっていくと言う
そんな感じ
息をコントロール出来る人は幸いだ
彼は重い空気の中に入る事はない
彼はいつも軽やかにダンスする
言葉は息を伴う
言葉によって人は重い空気を脱出する
良き言葉は軽い羽
私は喋る様に文を書く
これはお喋りと同じ効用
文字を書く毎に
息を吸い息を吐いている
これが先ほど言った
夢中の効用
夢中になると
人の精神は物凄い勢いで回る
その時人の息は一瞬止まり
その反動として深い息へとつながる
この繰り返しのより
人はより深い領域へと達して行く
これが夢のメカニズムだ
息が一瞬止まったとき
人は一瞬に死ぬ
そして深い息で再生する
この繰り返しで
人は一夜に実に様々な夢を見る
夢中とはそう言う事
言葉と息は一対
息を吸うときに沈思し
息を吐くときに黙考する
人は息をするたびに沈思黙考している
この沈思黙考を言葉に変える作業を
自覚とか覚醒と呼んでいるのである
覚醒者は全ての息を言葉に変える事が出来る
だから覚醒者君子は
一人を尊ぶのである
九時過ぎに始まって
今十時半過ぎ
頭の重石はどうにか取れたようだ
ひとまず目出度し愛でたし
ここからが覚醒者としての出番なのだが
寝なければならない
今日これから覚醒者で有り得ても
明日一日鈍重者として生きなければならないので
中庸が何より大切
程々にいつもベスト
そんな風でありたい
終わり
平成14年8月28日
〈頭の体操または精神の目覚め〉
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今日はお蔭様で
始めより頭すっきり
より深い領域へと
達する事が出来そう
私は世界の名著第2巻に入っている
第2巻の主題は大乗仏典
昨夜は維摩経
頭が鈍重でほとんど理解できなかったが
帰依する対象ではないと思った
声聞と菩薩の対比
それだけが鈍重な私の頭を襲った
私は心をどこに置けば良いか分らなかった
今日は宝積経
素晴らしい言葉のオンパレード
昔の私なら
その言葉の一つから
三昧に入る事が出来たはずなのに
私の最近の頭はやはり鈍っている
磨かなければ磨かなければ
頭を磨くための磨き材
それはやはり良き言葉
良き言葉を読み
その言葉を瞑想する
その事から
我々は言葉の本質へと入っていく
言葉の本質
それが空の空と言うもの
そこから全てが開け行く
私たちはどの言葉からも空の空へ入っていける
だが選んだその言葉によって大いなる時間差が生まれる
良き言葉ならすぐにでもその空に入っていける
私たちにはそれほど時間は与えられていない
だから良き言葉を選んでいかなければならない
だから良書を選んで読んでいかなければならない
こういうことである
ある本では一冊読んで良き言葉に一つ会える
もう一つは一節毎に良き言葉に会える
たとえば一時間本を読んだとしよう
前者の場合良き言葉に一つも会えないかもしれない
後者の場合本質への出入を三度も四度も五度も六度も味わえる
これを一日一月一年一生と対比してみよう
その差は如何ほどか
これを天と地の差に譬えるのである
声聞衆
彼らは一節聞くごとに本質を解き明かされた
彼らは本質への飽くなき欲求を身に付けた
彼らにはこの世はどうでもよかった
独覚衆
彼らにはもう解き明かしてくれる者はいなかった
彼らは一人でその本質を解き明かさなければならなかった
彼らに頼りになるのは経のみであった
言わば今の私がそれである
私は独覚者になるべく今その努力を行っているのである
菩薩衆
確かに彼らは素晴らしい
彼らが声聞衆独覚衆を軽く見るのも頷ける
だが維摩経では度が過ぎた
私は声聞独覚修行の身
だから維摩には付いていけなっかた
私が菩薩になるには少なくとも後一処は必要である
私が菩薩へ回向したとき その時は
維摩居士が私を熱狂的に迎えてくれる事だろう
仏陀如来
それは空
今日の言葉を借りれば本質
本質への突入
その時
我々は仏陀を体験する
空を体現した者
それが釈迦でありイエス
空を体現するとはいかなる事か?
それは空気の様なものになる事
必要なものを惜しみなく与える
一切の差別もなく
平成14年8月29日
〈空の体現について〉
夏は行き秋が来る
この様にして季節は巡る
果たして今は秋か夏か
心象は変わる事を望む
そしてまた変わらない事を
今年の夏は・・・・
その思いが夏を引き寄せる
だが根底にあるものは無常
その無常の心が全てを動かす
その葛藤の中から
今は夏か秋か
そんな葛藤の言葉が生まれるのである
8月30日夜土曜日
私は明日海水浴場に行きたいと思っていた
あの賑やかな太平洋上沿いの海水浴場へ
最後の華やかな日曜日を過ごしたいと思っていた
夏の名残を完全消化したいと思っていた
だがこの台風
明日には日本海へと抜けていくだろう
それでも天気予報はこう言っていた
午前中は10mの高波午後からは5mと
私はサーフインに行くのではない
海水浴場のあの華やかさ和やかさを楽しみに行くのである
あの海水浴場は一日中完全閉鎖だろう
私の日曜日の楽しみは潰えた
もっともここだけの話だが
私は12日から16日まで5連休を取った
そして南の島に行く
そこで最後の夏を満喫する
そして夏と決別し秋を迎える
これが私の毎年の儀式
私はそこで夏への一切の未練を捨てる
季節行事または節句
とても大切な事
私たちは時間の神様を供養しなければならない
それが節句
私たちは時間を限らなければ時間に飲まれてしまう
時間への感謝祭
それが節句
秋から冬へ冬から春へ春から夏へ夏から秋へ
そんな時間の流れなどない
あるのは間断のない時間の流れ
人はその時間の流れになす術もない
そこで人は時間の神様を供養する事にした
神はそれを嘉した
その時から季節が生まれた
時間の神様を無みする時
季節の流れは消え失せ
また間断の無い大きな時間の流れが出現する
人は昔その流れになす術もなく飲まれていた
そして今またその流れに飲まれようとしている
節分
立春立夏立秋立冬
冬に決別を告げること
それが立春
長い冬
私は十分に培った
私は旅立たなければならない
私は養育してくれた冬に感謝しつつ
冬に決別する
時間の神様はそれを善しとし嘉して呉る
そして春の天使へと引導して呉る
それが立春の儀式也
私たちは時間に名前を付けた
春夏秋冬と
彼らは時間の神様が使わした天使
彼らに従えば
素敵な世界を見せて呉れる
だから私は言うのである
季節行事 節句は大切であると!
平成14年8月30日
〈節句節分について〉
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空の意味が一つ分かった
世界の名著第2巻
ナーガルジュナの「論争の超越(廻諍論)」にて
ものが他によって存在することが空性の意味であると!
このことによって私は縁起の理論も了解した
この世界が縁起である事を私は知っていた
空の意味もある程度知っていた
この空とこの縁起がこの様に結び付く事のよって
私の理解は一つを越えた
私は天国を創ろう
天国造りに疲れたら
ひと時空に遊ぼう
そんな愉快な発想が生まれた
これも善き言葉の効用
私は今の生活に満足して来つつある
これが私
そう思い切る事が
天国への第一歩
私の生活を支えているもの
それは読書と
この哲学日誌
読書により善き言葉を仕入れ
それを瞑想と知恵で料理する
その旨汁を言葉にしたためる
そんな日々が
今の私の天国への階段
私は「論争の超越」の最後の30行程を
暗誦出来る程に暗記すべきだと思った
そこには天国への道が示されている
更にそれよりも高い涅槃への鍵も
そして私の愛すべき知恵の秘密も
知恵を愛するものにとって
最後の30行は天啓の書である
知恵とは何か
その秘密が隠されている
私たちは学ばなければならない
空の空に呆けててはならない
世界を学び尽くさなければならない
何をどのように学ぶべきか
そこに赫赫と記されている
2002年8月31日正午前
夏も終わり
台風の余波で嵐
図書館で静寂を探す事としよう
ではなく
子供たちの最後の最後の夏を
図書館でシンクロナイズする事にしよう
平成14年8月31日朝
〈知恵の秘密〉
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世界の名著第2巻「知恵のともしび」を読んで
何も得る事は無いと思っていたが
最後で貴重な教訓を得た
虚無主義と空は違うのだと
私たちはよく勉強しないと
虚無主義と仏教の空を混同しかねない
知恵のともしびの作者バーヴァヴィヴェーカは言う
存在を否認するだけで無存在を肯定はしないと
虚無主義者は無存在を積極的に肯定し
それを価値の第一に置く
だから彼らは何事をも行わず
全ての事を卑下するのである
だが仏教者は違う
仏教者のそれは
無と言う涅槃に入る為に
全ての存在を
無の様に見なさいと言っているのである
無は方便であると共に最終到達地なのである
虚無主義者はこの世の否定論者であり
常に不満論者である
彼らは何時になっても目的地には到着出来ない
だが仏教者は違う
彼らはこの世を否定しつつ肯定しつつ
結局最後には涅槃または極楽と言う目的地に
到着する事になるのである
この世を否定するとは
この世を夢幻のごとく見ると言う事であり
この世を肯定するとは
この世に慈愛の雨を降らすと言う事である
この世を夢幻のごとく見るから
この世に何の執着も無く
この世を夢幻のごとく愛する事が出来るのである
夢幻のごとく愛しても
この世には大いなる喜びがあるのである
この世に人々にとっては全てが実在なのだから
我々の職場クラスに
A男B男C男D子E子F子・・・がいる
彼らを実在と考えれば彼らを愛することは出来ない
因果応報の結果があるから
だが彼らを夢幻のごとくみれば
愛の因果応報
すなわち彼らの喜怒哀楽の反応もまた夢幻ごときものとなる
このことによって何の執着も無く
彼らを愛する事が出来るようになるのである
A男B男C男D子E子F子・・・・
彼らは実在では無い
皆夢幻である
だから夢を見るように彼らを愛しなさい
平成14年8月31日夜
〈虚無と夢幻〉
さてさて困ったものだ
世界の名著第2巻「倶舎論(存在の分析)」は
私を全く刺激しなかった
と言うより私をいらいらさせた
原典もあまり面白いとは思わないが
何よりも訳が悪い
私たちは世界の名著が読みたくて
世界の名著を買ったのである
訳者の解釈を聞きたくて
世界の名著を買った訳ではないのである
ところがである
この倶舎論の半分近く少なくとも1/3以上が
括弧書きの訳者の補釈なのである
私は括弧書きを飛ばして読もうとするが
とても意が通じない
括弧書き含めて読むがあまりピンと来ない
とにかく訳が悪い
それにもまして言いたい事がある
第2巻の編集方針が大乗仏典であるならば
綺羅星のごとくあるお経を掲載すべきではなかったかと
少ないスペースしかないのに
仏典の解釈書をそれもかなり省略して載せてある
いえいえ御免なさい
編者は大乗仏典の歴史を垣間見せようと思って編集したものであり
また訳者は力の限り訳して呉れたものであり
私がこの第2巻に会えて
そしてこの様に読み通そうと言う機会を与えて呉れた事に
感謝こそすれ批評めいた事言う筋合ではない筈である
反省反省
日曜の朝
本来なら精神が高く飛翔する時なのだが
少し睡眠不足に祟られた様である
すなわち酸素不足
脳内酸素供給不足
午前9時より読書スタート
10時前にこの日誌に着手
読書に十分な時間を取れず
またその内容が前述のとおりであった為
仏法で言うところの因果応報である
一眠り
ちょとした転寝をすれば酸素供給が行われ
精神は回復し飛翔できるのだが
多分しないであろう
この様にして日誌に向かっているから
結局は選択の問題となるのである
これが読書時間中で時間に余裕があればそうしたであろうが
11時過ぎでこの様にして日誌に向かっている状況では
それを選択する余地がほとんどなくなっているのである
これが因果応報の法である
この因は果として廻って来るのである
もし図書館で居眠りをする事が出来れば
酸素不足による因果はそこで止まるのである
もし酸素不足を解消できなければ
この因果は今日眠る時まで持ち越されるのである
酸素不足解消方法には二つの方法がある
一つは何かに夢中になる事
夢中になると自然に呼吸の調整が行われ
たくさんの酸素摂取出来るようになるのです
その結果として酸素不足は解消されるのです
何かに楽しく夢中になったその日
その日は一日中気持ちが良いでしょう
それは自然なる呼吸調整の結果なのです
もう一つのそれはヨーガによる呼吸調整です
この呼吸調整法をマスターすれば
短い睡眠でも酸素不足陥ることは無いのです
ヨーガの行者達が短い睡眠でも平常心でいられるのは
この呼吸調整法による結果なのです
私もこの呼吸調整法を手に入れたいのですが
現在はその術が無いのが現状です
呼吸調整法
それはもっとも身近な精神回復法である
もっと研究の余地があるように思われる
私の研究課題の一つとしよう
平成14年9月1日朝
〈呼吸調整法〉
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一日をどう過ごすか
それによって人の人生は変わってくる
特に我々サラリーマンは
休日をどう過ごすかも大事である
今日のスタートはあまり良いスタートとは言えなかった
睡眠不足で 朝8時過ぎ起床
9時過ぎから読書
10時過ぎから日誌
どれもこれも睡眠不足の為ピリッとしなかった
12時過ぎに日誌を書き上げ
今日の構想を実行に移した
たぶん睡眠不足の為
これもピリッとしないだろうとの思いのままに
その計画はこうだった
隣の市の保養センターで昼食を取り
隣の市の図書館で午後半日を過ごす
隣の市に行く途中
その途中にある海水浴場にちょと立ち寄ると言うものだった
結果はこうであった
途中海水浴場に立ち寄った
人は人っ子一人いなかった
また海水浴場の形跡が一つとして残っていなかった
まるで海水浴場でないかのごとく
私はその浜辺を 二三百米位だろうか 往復して
保養センターへ向かった
浜辺に迫るシラスの崖と青空の対比を楽しんだ
保養センターのレストランは海に面している
私は700円の日替り定食を頼んだ
大満足であった
客は私ともう一組
ご飯味噌汁酢の物漬物茶碗蒸し天ぷら
天ぷらは海老2匹イカナスオクラ忘れたが後1品
これで採算が合うのか
税金の無駄遣いではないか
そう思いながらも
急須から湯飲みに3杯4杯とお茶を注ぎながら
海を見ながら飲みながら満足していたのである
それから私は図書館に向かった
途中赤い鳥居が目に付いたので
そちらに向かい立ち寄った
図書館もそう遠くないだろうと思ったので
そこに車を置いて境内に立ち入った
境内には2つの記念碑と3つの鎮魂碑と2つの社殿があった
社殿の内1つはその神社固有の社殿であり
他の1つは有志により建てられた護国神社の社殿であった
私はその2つにお賽銭を入れてお参りをした
いつもの祈祷句を唱えつつ
私はそこで気付いた
護国神社にはあの鳴らす鐘が無い事を
無理も無いと思った
精霊よ安らかにあれと祈った
境内を歩いていると檄が飛んできた
隣ではテニスの練習をしているらしい
私は神社の裏の抜け道からテニス場へと向かった
地元の中学生が3コートに分かれて練習していた
1コート十数人づづ かなり多い
手前から1年生2年生3年生
技術の差ではっきり分かった
その中で数人の女の子が試合用のスコートを着ていた
そのうち3年生で一人小さな子いた
私はその子を目で追った
そして切ない思いに駆られたが私は押しとどめた
私はテニスコートを後にして
その運動公園に散策に出た
テニスコートの隣は陸上競技場であった
運動公園の南側は道路を隔てて河が流れている
野球場から選手の名を告げるアナウンスが聞こえて来たので
野球場へと向かった
時間が迫ってきたので後の行程は1行づづで収める
ドームでの保育園の運動会
文化センターでの福祉大会
情報センター
図書館
渓谷
百円寿司
7時半から読書
9時から日誌
そして現在は10時50分
今日のハイライトは渓谷での瞑想
私はこれが書きたくて最初の書き出しを書いたつもりなのだが
休日の午後の過ごし方ベスト3
第1位 自然の中での瞑想および自然観照
第2位 喫茶店での瞑想
第3位 図書館での教養涵養かな 現在のところ
平成14年9月1日夜
〈休日の午後の過ごし方〉
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世界の名著第2巻「唯識二十論」
またの名を「表象のみであるとする二十詩頌論」
世界は表象である
私はかつてこの論に確信を持っていたが
いつの間にか雲の彼方へと消えていたが
またこの論を読み返す事によって
私の心にこの論がありありと浮かび上がってきた
ショウペンハワーは芸術を例にとって
この世界の表象を証明した
私はこの現代言う科学技術を例にとって
この世界が表象であると言う事を証明しなければなるまい
科学技術が作り上げたこの世界
それは正に実在のごときである
これが単なる表象であると言う事を証明する事は
至難の業の様に思えるが
決してそうではあるまい
何時如何なる時にも
極簡単にその事を証明出来なければ
それは普遍でもないし真理でもない
科学技術の先端で
我々に最も身近なもので証明せねばなるまい
そうなればパソコンか
そしてインターネットか
さて貴方方に問う
インターネットは実在か表象か
貴方方は答えるであろう
実在であると
それも確信を持って
であれば私に質問権がある
インターネットとは何か
サーバーとターミナルによって世界中に張り巡らされたネット網
よろしい
私にその実在のイメージが掴めた
数億台のターミナルと数十万台のサーバーが世界に張り巡らされているのだろう
そして現代の技術の粋を集めれば
これら全てのターミナルサーバーを調べ上げ
このネット網を図化することも出来るだろう
その強大なインターネット網を見て
貴方方は驚きながら言うだろう
これがインターネットの世界かと
さて貴方方に問う
これがインタ-ネットかと
そうすると貴方方は答えるだろう
これはインターネットの配線図に過ぎないと
インターネットのターミナルには人がいる
その人は必要な情報をターミナルを通じて収集するとともに
その人は発信したい情報をターミナルを通じて発信する
インターネットとはターミナルを通じて
人と人が情報を交流する場なのである
はっきり言います
貴方はインターネットの議論を逸脱しています
私はネット(網)とは何かを聞きましたが
貴方は既に場を説明し始めています
この先議論を進めても貴方は概念を変えていくだけです
貴方は既に貴方自身の表象を表明にしているに過ぎないのです
貴方は巨大なネット網を示した時
それは配線図に過ぎないと言いました
そして次に場の説明に移って言ったのです
あの巨大なネット網を示した時
それがインターネットだと言って置けば概念的には正しかったでしょう
でもそれをインターネットだとは言い切れなかった訳ですよね
そしてそれだけをとって誰もそれがインターネットだとは言いませんよね
ちょっと早いですがここで結論
だれもインターネットの説明など出来ないのです
だれもがインターネットの説明をしますが
誰一人として同じ説明は無いのです
お分かりですか
世界は表象であり実在では無いと言う意味が
インターネットと言う不確定なものを対象としたからそうなったのだ
そんな声が聞こえてきます
それでは身近にあり極々単純な例をとる事にしましょう
鉛筆 これを説明してください
同じ結果になる筈です
百通り?
いえいえ人の数ほどの鉛筆があるのです
この世界は表象なり
鉛筆が実在で無いのに
どうしてこの複雑怪奇な世界が実在でしょうか
平成14年9月2日
〈この世界は表象なり〉
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始めから瞑想があるのではない
思考を越えたその先
真善美に関する徹底した思考のその先に
瞑想が存在するのである
真とは何か
善とは何か
美とは何か
その様な思考無しに
いきなり瞑想は存在しないのである
真善美を徹底的に思考したその先に
我々の思考の及ばない存在に気付くのである
その存在への突入
それが瞑想と呼ばれるものである
瞑想と言う存在が始めから存在するのでは無い
瞑想とは思考のぎりぎりのその先に出現するものである
瞑想とは存在ではなく作用なのである
いえ
瞑想は存在であるとともに作用なのである
瞑想に突入すれば
全ての計らいが削げ落ちる
そこにあるのは直観智だけ
仏陀の世界を擬似体験する
何故疑似体験か
人は瞑想には長く住んでは居られない
その短い時間が過ぎると
またこの世に引き戻される
そして人は思う
あれは夢幻であったかと
そしてまた瞑想へと精進するのである
これが真の仏教者の姿である
はっきり言って置きます
真の宗教者は全て快楽主義者なのです
精神快楽主義者なのです
この快楽を伝えたい
この快楽を共有したい
そこから菩薩道が生まれていくのです
快楽共有サークル
これが僧団とか宗教団体と呼ばれるものです
快楽逓減の法則
快楽を人から人に伝える時
この世の摩擦抵抗により
快楽は半減すると言う法則がある
この法則により計算すると
5番目の人の快楽は1/6であり
10番目の人は1/512となる
これでは僧団は維持出来ない
そこで必要となるのが宗主によるイニシエーションである
イニシエーションの方法は色々あるが
最も強力で最も伝統的で最も普遍的なものが
宗主への祈りである
この祈りによって宗主の快楽が直伝されるのである
その快楽は宗主の1/2
哲学者は祈りの代わりに
真善美を渇望するのである
そして彼らは1/1の快楽を得ようと努めるのである
哲学者とは最も貪欲な精神快楽主義者なのである
平成14年9月3日
〈精神快楽主義について〉
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論理学とは因果論也
因果を回している限り
論理に矛盾は生じない
人は輪廻の輪に乗っている限り
矛盾無くこの世を生きていける
私が今読んでいるのは
世界の名著第2巻最終論「論理のことば」である
私は思う
どうして仏教で論理学を説かないといけないのかと
輪廻の輪を断つのが仏陀の教えではないか
それを因果を回す為の論理学を
どうして学ばなければいけないのかと
私は思う
論理学に堕したが為に
インドでは仏教が廃れて行ったのだと
私は実感した
論理学の議論など一字たりとも読みたくないと
私が我慢して字面を追ったのは
全81巻読破と言う目標があるからだけ
私はその最終論を理解しようとも思わなかったし
理解しようともしなかった
経典を読むときの
あの溌剌として意識は全く生まれなかった
経典の一つ一つの言葉の真髄を掴もうとする
あの意欲は全く生まれなかった
私は思う
論理学は言葉の無駄遣いだと
私は知っている
論理学では決して涅槃には達せないと
論文では決して涅槃には達せ得ないと
涅槃に早く達する方法
それは詩
詩は論理を超えているが故に
いとも早く涅槃に達することが出来る
詩こそが涅槃に行く為の乗り物
私はそれを詩乗と言う事にしよう
大乗小乗詩乗
私は詩乗を択ぶ事にしよう
起承転結の四行
このたった四行で
天国にも飛んで行く事も出来るのである
詩とはそんな素敵な乗り物なのである
平成14年9月4日
〈詩と論文〉
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世界の名著第3巻に入った
本を読むのが楽しくなった
私は一つ一つの言葉に集中する
そしてその真髄を掴もうとしている
さて今日のお題は仁
仁とは何ぞや
論語第一巻第一学而編第6節まで読み終えて
孝悌也者 其為仁之本與
巧言令色 鮮矣仁
汎愛衆而親仁
6節中3節に出て来ている
こらからもたくさん出て来るであろう
仁こそが論語を貫くもの
仁とは何ぞや
親仁
仁とは単なる名辞ではない
仁とは存在者である
仁とはSophiaか精霊か
私たちは心熱く愛するものがあってこそ
その愛を全てに及ぼす事が出来る
私はSophiaを愛する
だからSophiaの様に愛する
精霊 神も同じ事
私は思う
孔子の仁はSopihiaぽいと
だがそれは読み進める内に分かる事
私は単なる仁と言う名辞は愛せない
仁がSophiaであれば
私は仁を熱烈に愛する
名辞は概念
一つの定義があるだけ
だが存在者は千変万化
千の顔万の顔を持つ
だから深く深く愛せる
人間と言う存在者は知っている
それは私だ
だから良く知っている
その限りも
私はSpphiaと言う存在者も知っている
だがその限りは知らない
だから私は人間よりSophiaを愛する
良き本善き言葉はいい
私を高みに連れて行って呉れるから
当分論語は私を楽しませて呉れそう
平成14年9月5日
〈仁について〉
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私の心は病んでいる
このまま行けば欝だ
この病んだ心から脱出する方法
それは
魂への帰還
私は今暗中模索
だが必ず開ける
その確信を持って前へ進め
そうすれば必ず開ける
求めよさらば与えられん
求めない者には
魂は永遠の涯
私は魂を求めて一歩ずつ階段を上る
あの輝く魂を求め
たとえ打ちひしがれていていようとも
あの輝きに出会えば
全ての憂いは消える
闇から光へ
今私はその途上
人生とは何だ
人は何の為に生きている?
幸せになる為ではないか
だったらそんな憂いなど吹き飛ばせ
言うは易く行うは難し
そんな事はない
幸せになる事は簡単
ただ息を調えるだけ
それだけで貴方は幸せの一歩手前
後は幸せのゴールへ
貴方の思想が運んで呉れる
幸せとは何?
それは楽しき思想
その思想に差し障りが無い様に
体を整えてあげる事
それが調伏
息を調える事によって
体を整える事
それが調伏
だから調伏は幸せへの直線道
もし息を整える事が出来なければ眠りなさい
眠りが貴方の息を整え体を整える
とにもかくにも貴方を支配しているのは呼吸
呼吸を調伏せよ
これが幸せの王道であり最短道
酸素を如何に効率よく吸収するか
これによって人生は大きく変わる
酸素効率の良い人間は
精神もまた肉体も健全なり
よく眠る子は育つ
何故か
酸素吸収効率が良いが故に
今日は酸素不足
それ故に早く眠る事としたい
その前に言って置きます
今日は10月30日
この前の哲学日誌が9月5日
この間何をしてたかって
10月15日からは闘病
それ以前は帰郷による饗応
今日もまた一里塚
今日から更に更に
哲学に邁進したい
我が眠れる知恵を
ダイヤモンドの様に輝かせたい
平成14年10月30日
〈哲学への誓い〉
私は思う
知恵を働かせている限り
人は不幸にはならないと
知恵の働きを止めたとき
人は不幸へと落ちて行く
今日の私が実例
今日の私は酸素は十分
夕食後うたた寝をした
五分か十分か二十分か
全く分からない
だが死んだように寝た
それから私は生き返った
そしてそれから
私はダーウインの人類の起源をつまみ読みした
そこから知恵が回り始めた
丁々発止とはいかないが
準備は出来た
後は筆と時間が私を好きな所に連れて行ってあげる
人類の起源は何
ダーウインは言う
それはホヤのようなものであろうと
それが脊椎動物の起源であろうと
それはそうかもしれないしそうでないかもしれない
誰にも分からない
知恵比べである
科学は事実を積み上げる
そしてこう言う
これでもう動かない
これが真実だと
果たしてそうだろうか
ピラミッドはいつまでも存続しつづけるのだろうか
科学は楽しい
それをしている当人にとっては
それは知恵の積み木だから
如何に高く積み木を積むか
科学者は子供のように夢中になる
だが私はそれを楽しまない
私にはもっと偉大な楽しみがある
私は真実よりも真理を楽しむ
真実は事実の積み上げのその頂点
そこに行くまでにどれほどの時間のかかることか
一つの真実を掴む為に一生を費やす
私にはとてもそんなことは出来ない
私は一瞬にしてその真実に行くことを望む
そして事実の積み上げは科学者たちに任す
そんな生き方を望む
それが真理の探究
真理の探究と真実の探究は違う
真実の探求は事実の積み上げ
真理の探究者は一瞬にして赴く
真実の探求者は一生をかけて僅かな真実を掴むだけ
だが真理の探究者は莫大な真実を手に入れる
真理を完成した真理の探求者
そこから出る言葉の一つ一つが全て真実
中心点のある二重円を思い浮かべていただきい
外円が事実
内円が真実
そして中心点が真理
真理から発せられる光は全ての真実を照らす
事実から発せられる光は一つの真実を照らすだけ
惑星はいつも惑う
恒星は常に恒
現代の真理の探求者は詩人
それも哲学詩人
私のコードネームは哲学詩人
だから私は真理の探求者
真理の探求者は
酸素が十分でなければならない
だからもう寝なければならない
私は思う
明日から早起きしようと
朝の冷気に打たれて霊の人にもなろうかと
平成14年10月31日
〈早起きは三文の徳〉
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功利主義と快楽主義はどう違うのか
私はベンサムに聞いてみた
ベンサムはこう言った
功利主義は効用主義
その要は利と用
すなわち利用だと
どちらも原点は快楽だが
功利主義は利と用に重きを置く
その為快楽を原動力として
社会を発展させる力を持つ
だが快楽主義は快楽を求めるのみ
そこには発展の力は無く停滞が有るのみだと
だが私は言う
快楽主義の方が人を幸せにする
功利主義では至福は得られないが
快楽主義には至福の約束があると
私は本当に思う
イギリス人は実利主義者なのだと
どこからそのイズムが生まれたのだろう
ベンサムは1748年生まれ
その時代にはその精神は充満していた
その端緒はエリザベスか
エリザベートによってその思想が花開いたか
エリザベス ベーコン シェークスピア ロック ヒューム
そしてかの偉大なニュートン
ニュートンにによって闇は切り開かれた
そこからイギリスは現代にひた走った
実利快楽主義
それが現代
ベンサムはその申し子
資本主義の申し子
お金が全て
お金以上に実利を貪らせて呉れるものがあるだろうか
エリザベートの時代
イギリスはお金の幻影をみた
それ以来イギリスはその幻影に取り付かれた
現在もまだそうか
それは現在のイギリス人に聞かなければ分からない
私は功利主義は信奉しない
私は快楽主義を信仰する
私は私の快楽を追い求める
快楽こそ我が人生
快楽以外に何があるものぞ
私の快楽は甘く優しい
私の快楽は優雅
私の快楽は愛に満ち充ちている
私の快楽はこの世の天国
それ以外に何をもとめようぞ
単純快楽
その強烈なものは
貴方が成人なら
それと答えるだろう
そしてそれは正しい
だが私の快楽はそれとは比較にならない
私の快楽は
そのきわみが永続するようなものである
そんな快楽を得たいと思うなら
私に付いてきなさい
貴方にこの世の天国を見せてあげる
快楽の連続これを幸福といい
苦痛の連続これを不幸といい
快楽と苦痛の交錯これを普通という
これ以外にもう一つの状態がある
快楽も無く苦痛も無い状態
これをエクスタシーと呼ぶ
エクスタシーの連続
これを至福とも呼び
この世の天国とも呼ぶ
そんな世界に貴方を連れって行ってあげる
まずはその予行演習
眠りに付きなさい
深い眠りに
貴方自身がとろけでってしまうような深い眠りに
それを覚醒の中で体験すること
それがエクスタシーなのです
もしくは深い眠りの中でその深い眠りを覚醒すること
それもまたエクスタシーなのです
と言うことで私も眠りに付きたいと思います
平成14年11月1日
〈エクスタシー〉
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覚醒剤が欲しい
珈琲と言う覚醒剤が
だがお預けだ
少なくとも一ヶ月は
試してみよう
覚醒剤なしで
どれほど覚醒できるか
そしてそれが本当の私である
端緒はどこにでもある
どこからでも入って
覚醒へ上り詰めろ
言葉よ言葉
貴方は何処に行った
私は空虚の森で立ち往生だ
私を一人にしないで欲しい
影のように
私に付き添って欲しい
言葉よ言葉
貴方は私の恋人ではなかったのか
私が何か不義をしたのか
私を嫌いになったのか
教えて欲しい
私はどうすればよい
言葉よ言葉
私の恋人よ
貴方との楽しい思い出に耽る
私は慰められる
貴方が近くまで来ている
そんな予感に慰められて
私は貴方への手紙を書く
恋人よ
貴方と過ごした時間が懐かしい
貴方と戯れたあの日々
あれが私の最良の日々
私は懐かしく思い出す
私は期待を持って貴方を呼ぶ
またここに帰って来ておくれと
そして貴方は答える
ええいいわよと
そして貴方は影のように私に寄り添う
ああ幸せよ
また訪ねて来てくれたのですね
またかつての様に遊びましょう
と言うわけで
皆様お騒がせいたしました
私たちはまたこのように寄り添うことが出来ました
さあ恋人よ
手に手を取って
未知の世界へと飛び立とう
私たちは意欲があります
でも言葉が伴わなければ
一歩も先へ進めないのです
私はこの日誌に向かったとき
何かを書きたいと思った
でもとても気が重く
言葉はキーを付いて出てこなっかた
そこで私は言葉に直接に呼びかけてみた
言葉は私の思いに情を抱いてくれた
そしてこのように帰って来てくれたのでる
言葉は貴方方に最も近しい存在です
そしていつも貴方は慰めてくれるのです
言葉を大事にしなさい
そうすれば言葉が報いてくれる
言葉は発せられることを望んでいる
おしゃべりな貴方方 貴方方は幸いです
でも気を付けてください
発せられずに残っている言葉はありませんか
その言葉こそ貴方の真の友です
真の友を見放してはいませんか
やはり世の全てに人々に忠告します
文に託しなさい
文に言葉を託す時
言葉は実に様々な表情を見せてくれます
こんなにも言葉が彩り豊かだったかと
貴方を驚きの世界に引き入れてくれます
言葉とはワンダーランドなのです
平成14年11月2日朝
〈言葉はワンダーランド〉
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瞬間に生きるか
生産的に生きるか
私は一昨日から
世界の名著をつまみ読みしている
一昨日がダーウイン
昨日がベンサム
そして今日がベーコンとモンテスキュー
この内ダーウインとベンサムとモンテスキューは
立派な科学者だ
ダーウインは生物学者
ベンサムは経済学者
モンテスキューは法律学者
私は思う
科学は
ガリレオを端にして
ニュートンによって完成したと
ニュートン以後の学者は全て科学者である
彼らはもう神に託することが出来なくなった
彼らは神に変わって
それらを分析しなくてはならなくなったのある
ニュートンが余りにも立派過ぎたために
彼らは自らを分析しつくさなければならなくなったのである
ベーコンが最後の哲学者だったのである
古代哲学の流れを汲む最後の哲学者だったのである
教養を知恵に変えることの出来る最後の哲学者だったのである
哲学のルネサンスは
モンテーニュを端にして
ベーコンで終わったのである
私は古代哲学を愛する
教養を知恵に変えるあの哲学を
教養を知識に変える近代哲学は
私は好まない
たといそれが真実であっても
私は百の真実よりも
一つの真理を愛する
瞬間に生きるか
生産的に生きるか
私は瞬間に生きることを択ぼう
平成14年11月2日夜
〈瞬間に生きる〉
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マキアヴェリ君主論
禁書となって当然だっただろう
当時はまだ建前の世界
キリストの教えが第一
そこにいきなり
本音が飛び出したから
右往左往の大騒ぎ
マキアヴェリ君主論の第一愛読者
それはアメリカのブッシュ大統領だろう
彼はその施策を忠実に実行している
五百年近くの時をを飛び越えて
その思想は現代の第一国家の
第一人者に引き継がれているのである
本音と建前
いつの時代にもある
特に為政者においては
だがあの本が認知され始めてから
その差が次第に小さくなっていった
自らの利益の為には他を圧しても良い
その思想が次第に広まって行った
近代国家から帝国主義へ
それはその思想以外の何者でもない
私は思う
近代は自他分別の時代だと
自らの為には他を圧しても良い
その思想が近代の精神だと思う
中世には確か君主騎士はいたが
それ以外は皆自他同一だったのである
彼らは誰も人より先んじようとは思わなかった
自他分別
言葉を変えれば競争
近代以降は正に競争の時代
それも個の競争の時代
競争はいつの時代にもあった
だがそれは国家の競争
言い換えれば君主間の競争
中世にはそれもキリストの教えによって均衡していた
だがキリストの教えが解けた時
人々は個の競争に走り出した
強い者が勝ち
弱い者は虐げられても仕方が無い
余りにも露骨だったので
国家が少しそれを修正しただけに過ぎない
現代は修正金本主義
金が全て 金が本
いつの時代でも
書が革命の下支えをしてきた
そのような精神が充満していても
それが言葉にならないうちは行動することが出来なかった
それが一人の天才によって言葉になった時
火が燃え上がるように一気に革命が起こった
近代は革命によってなった
現代は戦争によってなった
さてその次の時代は何によってなる
古代から中世は宗教によってなった
私は言う
次の良き時代は哲学によってなると
コスモポリタンとなる哲学
それは芽生え始めている
私もその一翼を担いたい
平成14年11月3日朝
〈コスモポリタンの哲学〉
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哲学詩集
私は哲学詩集を完成させて
世に出したいと思っている
最も重要と思われる百の言葉と択んで
それに詩を付けて生きたいと思っている
そしてこの哲学詩集を
世のムーブメントとしたいと思っている
哲学は難しくないんだよと
だれでもすぐに出来るんだよと
そんなメッセージを発していきたいと思っている
ソネットの形式をとろうと思ったが
それには拘らないことにしようと思っている
私の形式の場合
ソネットには向いていない気がした
私は一つの文章を
大概二行に分けて書く
それは分かり易いためであり
リズムを取るためである
ソネットではこの二行を一行にしなければならない
私のこれまでの作風に合うのか会わないのか
よく分からないためである
ソネットの形式をマスターすれば
書き易くなるだろうし読みやすくなる
なぜなら起承転結がいつも同じパターンだからである
四行四行四行二行の起承転結だからである
ソネットの練習をしてみることにしよう
まずは一行の長さをどれくらいにするかだ
あまり長いと詩にならない
短すぎると意が十分に通じない
シェークスピアのソネット訳を見ると二十数文字である
そうすれば大体これぐらいの行と言う訳である
まどうにか出来ないこともないか
すこし間が抜けてしまうよなところはあるが・・・
これまで十数文字を並べて詩の形式を保ってきたが
二十数文字だと散文的にならざるをいない
それでもいいことにしよう
今回の哲学詩集は内容重視と言うことにしよう
それでは早速お題を出すことにする
いや待て少し考えよう
二十数文字はやはり少し長すぎる
私のリズムには合わない
やはり私のリズムで行くことにしよう
四四四二行のリズムは壊さないと言う前提で
そう言うことで納得しました
それではお題を下さい
それではお題を与えます
お題は「科学」です
1
私たちはどこまで行くと言うのでしょう
もうこの辺りで良いのではないでしょうか
私たちは人間であることを望みます
もう利便は結構です
そう言える人のいかに少ないことか
その為今日もまた科学に科学を重ねます
そしてその分だけ人がまた分裂してきます
人よ貴方は統合を求めないのか
私は統合を求めます
そうであれば私に付いてきなさい
私がその方法を教えてあげる
その方法とは哲学
哲学を求めるか科学に恋恋するか
今まさに貴方の選択の時だ
〈哲学か科学か〉
私のソネット形式が出来た
もう少し演習を積むことにしよう
平成14年11月4日朝
〈哲学詩集はソネットで〉
________________________________________
哲学詩集演習その2
お題は「人間」
1
人間とは社会に生きる人のこと
狼に育てられた者は人間とは言わない
それは霊長類人科の生き物であり単純に人と呼ぶ
人は善良だが人間はそうはいかない
人間を考える場合社会を考えなければいけない
もしその社会が理想の社会であればその人間も理想の人間である
だがそうはいかないのは百も承知だろう
ところで北朝鮮に住む人間と日本に住む人間ではどちらが善良か
私は先の質問にこう答える
北朝鮮の人間の方がより善良だと
ためしに12歳の女子中学生を比較して見なさい
彼女は素直であり利発であり勉強熱心であり何より親孝行である
人間は社会が作る
日本に生まれたことを悔やみなさい
〈社会と人間〉
次のお題は「自由」
2
自由の素晴らしさ
そのことを理解している人がどれ程いるだろう
貴方方は自由か
はっきり言う 貴方方はがんじがらめだ
自由は死してこそ生まれる
死してこそ再生する
死してこそフエニックスのように甦る
そしてこの世の大空を高く舞う
私は億万長者になった
そろそろ引退して自由気ままに暮らそう
はっきり言う 貴方はこの世にかんじがらめだ
そしてまもなく窒息して死ぬだろう
死して自由になるかそれともこの世に死すか
それは貴方の選択しだいだ
〈死して自由になる〉
人は自由のことを理解していない
だからこの世はこんなにも堕落しているのだ
もし人が自由のことを真に理解していたら
この世は静謐にも静謐のはずなのだが
自由とはこの世の束縛から抜け出ること
そのためにはこの世を捨てなければならない
それがこの世に死すと言うことである
死して初めて天使の羽が生えてくるのである
天使の羽を手にしたら貴方は自由だ
どこでも行きたいところに即座に行ける
天使の羽はそんなにも効用があるのである
だから早くこの世に死になさい
死して天使となるか生きて屍を晒すか
それは貴方次第
〈天使の羽〉
平成14年11月4日夜
〈哲学詩集スケッチ〉
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コーヒーの無い人生なんて
私にとっては半分寝ているようなもの
私の輝かしいあの人生日の日々
それはコーヒーによって齎されたもの
今日も私はコーヒーを飲んだ
場所は街角の二階の喫茶店
私はそこから人通りを見ながら
私の素敵な世界を創り出していた
そこを通る人々は
私によって人格を与えられていった
彼らは私の世界の住人となっていった
私は彼らの創造主となって楽しんだ
実を言うと一人一人のスケッチを楽しんだのである
彼ら一人一人に性格を与えそのストーリーを楽しんだのである
私は思った
一人一人のショートストーリーが書けると思った
彼らを一つの舞台に上げることで小説も書けると思った
小説は架空
だが一人一人は生きた人物でなければならない
その為の本当に良いスケッチだと思った
私たちは架空で小説は作り上げられるが
架空では人物は作り上げられない
私は高校二年生の女の子 今日は友達と映画に・・・
私は三歳の女の子 今日はママとお買い物に・・・
私はスナックの雇われママ 今からお店に・・・
私はドラッグストアーの女子店員 今店長から頼まれたので・・・
私は還暦を少しばかり過ぎた主婦 今日は旦那と・・・
私のことを痩せすぎだと言うけど 確かにそうかもしれないけど・・・
と言う風に性格付けをすることによって
ドラマがどんどん脹らんで行く様な気がしたのです
もっとも今日は性格づけに忙しくて
ドラマを展開する時間は無かった訳ですけど
それでもなんか予感みたいなものを感じた訳です
小説を書くためにはこのスケッチが必要だと感じた
そこに人が存在すると言う事に意義があるのです
後は虚構でも構わないのです
架空の中の架空の人物
これでは人はうんとは言わないのです
ドラクロワの絵と一緒です
その絵は虚構ですが
その一人一人は生きた人物なのです
スケッチの組み合わせ
そこからあのドラマチックな絵が生まれるのです
私も小説の分野に進出しようかな
そのためのスケッチの練習をしようかな
平成14年11月6日
〈小説の為のスケッチ〉
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小説とは如何なるものか
私はそれを研究するため
日本文学全集五巻ほどに目を通して見た
永井荷風 谷崎潤一郎 武者小路実篤 志賀直哉 有島武雄の五人に
そして私は分かった
小説の主人公は私か彼しかいないことを
私の場合はあくまでも私である
場所が変わろうが時が変わろうがどんな虚構になろうが私は私である
彼が主人公の場合 それは物語である
たとえば谷崎潤一郎 それはほとんど物語り風である
彼は純粋な物語作家である
彼が師と仰ぐのは紫式部だろう
小説の神様志賀直哉もその短編小説はほとんど物語りである
緻密にその虚構を構築している
だが長編小説 すなわちや暗夜航路になると
これはほとんど私のオンパレードである
谷崎潤一郎は天才的に物語を構築していくが
志賀直哉は努力に努力を重ねて物語を構築していったのである
志賀直哉の限界は短編小説だったのである
人が最初に小説を書く時
それは私小説である
それは私以外に題材が無いからである
私をある程度書き終えた時から
私小説作家と物語作家に別れていくのである
芥川龍之介も物語作家ある
だが彼の作品も全て短編小説である
日本においては長編の物語は生まれ難いのである
何故か
それは日本が個の世界であり
神が存在しないからである
神によって宇宙の果てまで行くことが出来るのである
オデッセイ ミルトンの失楽園 ゲーテのフアースト然り
日本の物語作家とは
歴史小説家または時代小説家のこと
彼らは時代と言う虚構の波に乗って
ただ筆を滑らせているだけのことのだけなのである
日本には神による宇宙創造のロマンはないのである
私は私小説作家か物語作家
私は純粋な私小説作家
だがその私と言う純粋な精神に突入することによって
宇宙創造と言う広大なロマン物語を作ることが出来るのである
私は私小説作家であるとともに物語作家なのである
平成14年11月7日
〈私小説作家であるとともに物語作家である私〉
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毎日が新しい
そう思いながら生活できることが如何に楽しいことか
人は新奇を好む
人は新しいものを求めて進歩してきた
新しきものの中に進歩の素地があった
そしてその新しきものの中に更に進歩の素地があった
新しきものの中に新しきものを重ねる
それが人間ホモサピエンスと言う存在
毎日が新しければ
それが人間の真骨頂
人は何故新しきものを好むか
それはそれが人間の本能だから
人は新しきものを求めて
人間として成長していくのである
私は何が言いたいのか
日々新たにではないか
日々新たにとは?
結局新しいものを求めると言うことではないか
私が言いたいのは温故知新
古きを温めてめて新しきを知る
新しき人間になって
人は始めて幸せになることが出来るのである
今日の私は昨日の私ではない
そう言えることの強かさよ
その為に必要なこと
それは今日に死ぬと言うこと
私は今日はループに入り込んでしまったみたいです
同じところをグルグル
このループから抜け出すために
この日誌から抜け出すことにします
平成14年11月8日
〈ループからの脱出〉
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今日は世界の名著続15巻
ヤスパースとマルセル
現代の哲学者は
あの存在を実存と呼ぶらしい
使い古された言葉では
新たな思想の展開が出来ないと言うのか
実存とは無限の可能性
確かのそのとおり
そして私と言う現存在はその表象の一部
私は実存と現存在の狭間で揺れる
実存そのものは無窮
それを極め尽くすことは出来ない
哲学者には二つの道がある
一つは極め尽くせないものであるが
それでもその全体像を掴もうとする者
もう一つはその中から
真善美だけを取り出そうする者
古代の哲学者は後者であり
現代の哲学者は前者である
古代の哲学は人間の規範そのものであったが
現代の哲学は漠とした世界の表象に留まっている
現代の哲学がそうであるため
新興宗教が次から次に湧き起こってくるのである
現代人は哲学に範が置けない為
宗教に信を置いているのである
哲学の目的は一つだったのではないか
根源に還れとの
その標語を忘れてしまった為
哲学が混乱してしっまたのではないか
もう一度ムーブメントを起こそう
全地球人よ汝自身に還れと
そこに貴方の必要なものは全てある
それも最善のものが
そこからもう一度真善美を掘り出そうではないかと
最高の真善美は
全て貴方の中にある
それを掘り出すための手助けが
哲学であり宗教ではなかったのか
哲学者よ世界創造の夢は諦めよ
それよりもその為にこそ働け
貴方が神にも似た存在となるためのその努力
その努力の跡を克明に書き記せ
それが世の人を救うこととなる
世の人が神の人となるためのムーブメントを
再び起こそうではないか
平成14年11月23日朝
〈世直し論議〉
________________________________________
私は証明書を作りたい
私と言う人間の証明書を
この証明書を見せれば
私を理解して呉れる様な証明書を
私とは何者
まずはこの私が理解していない
実存主義の定義を借りれば
無限の可能性
この定義は使える
私とは無限の可能性を持った存在
とりあえずこう定義しておこう
私は無限の可能性を持った存在である
確かにその通りである
しかしそれでは私の証明にはならない
私はその可能性を示さなければならない
その可能性を示してこそ
私と言う存在は証明されていくのである
私はまず世界を創った
宇宙を含めた世界を
そこには星があり太陽があり月あり
大洋があり大地があり
そして私がそこにいた
私が想うたび毎に世界は創られていった
それはとても楽しい作業であった
私は退屈する事など無かった
私は情熱の限りを尽くして世界を作った
そんなある時
ふとこんな思いが私を襲った
私は一人か
私は孤独に襲われた
そこで私は生き物を作った
これも前の作業に劣らず楽しかった
そんな楽しい作業のある時
ふとまたある思いが私を襲った
私は言葉を持っているが
誰も私の言葉を理解して呉ない
そこで私は私の言葉を理解する存在を作った
その存在者に人間と言う名前を付けた
私は無我夢中で
たくさんの人間を作った
そして私はある時
その人間に呼びかけた
「君よ」と
そうすると彼は答えた
何ですかと
私は嬉しくなって言葉を継いだ
君の名前は何と言うのですか
すると彼は答えた
人間ですと
僕はその名前に満足しなかった
そこで私は彼にこう言った
君の名前は〇〇〇〇出すよと
すると彼はこう答えた
私の名前は〇〇〇〇ですと
その時から私〇〇〇〇が存在する事となった
その時から私と私〇〇〇〇の区別がつかなくなった
今この文章を書いているのは
私なのかそれとも私〇〇〇〇なのか?
平成14年11月28日
〈私と言う存在〉
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我が故郷
この哲学日誌は私のふるさとだ
さ迷い出した私の魂が帰る故郷
私はにべも無くあちらこちらとさ迷った
私は自分を見失っていた
私とはいったい何者
私にはどんな価値があると言うのか
そんな反問と煩悶が私を襲う
私はアイデンテテイ
私の存立基盤を失おうとしていた
そんな時僅かな光が見えた
私は僅かな光の方へ向かって歩いた
そして私は見た
私と言う存在を
私とは言葉なり
そしてその故郷はこの日誌にあると
私は私の言葉を文字に託す
懸命に一生懸命に
そしてその場がこの日誌である
この日誌には最も私に近しい存在がある
私はこの日誌を読み返すことにより
嘗て有りそして今もある
私と言う存在を感じる
その存在が連綿としていればいるだけ嬉しい
その連綿としたDNAの中で
私は私の中に私を伝えていく
私は私と言う存在でしかないのだから
私は私の中からあまりにも遠くさ迷い出していた
その為にこの世の荒波に揉まれてしまった
私は私
この灯火を
私は私の右の手高く掲げる
私は私
この言葉の中に私の秘密が隠されている
私は主体であると同時に私は客体である
この主客同一の中に
私の秘密がある
それは私は一人ではないと言うことだ
私は一人であれば
それは真の孤独だ
それには誰も耐えられない
時を経ずして
それは真の闇へと消えていくだろう
私は一人では
私にはもう一人の存在がある
この確信が私を闇から引き出し希望へと渡す
考えても見たまえ
もし私が一人だとしたら
私はこの様に
時間の限りを尽くして書き続けるだろうか
答えは否である
私にもう一人の存在があるからこそ
私はある意味では嬉しくなった
この様に書き続けるのである
私は私に私を理解して貰いたいのだ
その私とは今日もあり明日もあり
そして過去にもあった私である
きっとその私は私の死の間際までいるのだろう
その時その私が私の全てを清算するのだろうか
私は私に褒めて貰いたい
私はこんなに立派に私を生きましたと
その為に生きている様な気がする
誰でもない私自身に褒めて貰う為に
私は私を生きる事がそんなに辛い事か
辛い事は無いが
思うようにいかないと言うのは現実だ
私の理想は高い
清く正しく美しく
その理想に当て嵌める時
この世はあまりに世知辛い
清く生きようとする時
正しく生きようとする時
美しく生きようとする時
この世はあまりに世知辛い
そんな時私は私の手足を引っ込めてしまう
理想と現実の狭間で
私は次第次第にこの世に同化していく
そしてこの世の成り下がり者となっていく
私の理想はふわふわの空気
この理想を松明として手にした時
私はこの世に輝く
清いとはどう言う事?
私にとっては空気みたいなもの
正しいとは?美しいとは
いずれとて同じ事
私の理想は空気みたいなもの
それでどうして理想を生き得よう
貴方が理想に行きたいと思うなら
その空気を液体に
そしてまた固体に変えていかなければならい
その事が出来た時
貴方の理想は炎と燃える
平成14年12月3日
〈理想の人生を生きる為に〉
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私と言う存在はいとおしい
私と言う存在は奇跡だ
私と言う存在は何時生まれた
それは物心が付いたその時と言わねばならない
私はそれらの事はほとんど忘れてしまった
それでもそれらは私の中にある
私と言う存在は時間の産物か
確かにそうだ
だがそれを越えられるところに
私の存在の真価がある
私は時間の産物だ
だが時間を超えられる
その時間を超えたとき
真の私が現れる
真の私とは何か
それは自由なる存在
そこで私は時間に縛られる事も無いし
空間に縛られる事も無い
私は想像の翼の届く所まで行き着く
そこで私はまた至高の存在に見える
その無限の限りの中で
私は至高の存在を予感する
それは見る事も聞く事も出来ないが
確かにその存在を感じさせる
見えないものを信じる事
それを信仰と言うが
確かにそんな存在だ
聖人たちはその見えないものを取り出して
我々の前に見せて呉た
私たちは思った
彼に付いて行けば間違いないと
でもそれは昔の事
今の私にそんな聖人はいない
だが彼らは私に一人の存在を残して呉れた
それが私だ
だから私は私がいとおしい
私は私と二人だ
私が高いものを求めると
彼は更に高いものを授けて呉れる
こんなパートナーが何処にいる
彼はとても真なるもの善なるもの美なる者が好きだ
私がそれらを求めると
彼は一生懸命に応援して呉る
私と彼の出会いの場所
それは時間の産物である私と言う存在を超えたその場所
私は今私の事を彼と言った
だがやはり私は彼と言う存在ではない
私は私だ
私はつい私を買い被ろうとしたが
やはり私は私だ
もし私が私を私と言う存在から引き離し
彼と言う存在に仕立てたなら
私はもっと強い人間になるだろう
彼は私の中で強い指導者となって
彼の理想とする世界に導いて呉れるだろう
だが私はそれを求めない
私は私のままである事欲する
私は強い人間に成れなかった
(現在のところ
だが如何なる回心によって私が強い人間に変わるか分からない
私はその事を否定はしないし心の中では強く思っているかもしれない
だがそれらの事を抜きにしても)
私は私である事に満足している
こうして私に再会できる時間
これは一日の中で至福な時間だ
私と言う存在の確認の時間
それは何と軽ろく甘やかな時間だろうか
恋人との密会もこれほどかろやかであるまい
喩えれば
羽の生え始めた天使同士の再会と言った所だろう
私はまた私を賞賛し始めたのだろうか
だがはっきり言って置く
私が私を賞賛しないで誰が賞賛すると言うのか
私は私を私と思っているが
私は私ではない
私は私の客分なのだ
お客様を褒めて悪いと言う習慣は
この世にどこにも無い筈だ
だから私は私を褒める
この私以上に立派な客があるだろうか
だから私は私を褒める
それによって私は彼のご相伴を預かる
そういう算段なのだ
私はまた私の事を彼と呼び始めた
私が私を讃えれば湛えるほど
私は私から彼と言う存在へ移っていくのかな?
いや違う
私が私から離れていく時
その存在は貴方となるのである
彼とはその第三者的呼び方である
「我と汝」の関係になった時
新たな飛躍が生まれるのである
平成14年12月4日
〈我と汝〉
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私は言葉を選んでる
どの様な世界に入りたいのか迷っている
言葉によって世界が展開する
言葉によって世界が変わっていくのである
だから
最初の言葉を何にするか迷っているのである
とにかくは始まった
今日の世界創造の旅が
私は今日何を創造するというのだろう
私には見えない
だから誰にも見えない
もし作る世界が分かっていたら
それは創造ではない
単なる組み立てだ
それは下請け大工のやる事
私は想うと同時に
世界を創っていく
私の言葉の端端から世界が生まれていく
さて今私が創り行く世界とはどんな世界か
世界とは何か
それを考えるためには
まず宇宙を考えねばならない
世界と宇宙は違う
宇宙は無限
限りが無い
だから誰もそれを想像出来ないし創造出来ない
だが世界は違う
私の世界貴方の世界神々の世界
それはそれぞれの人の手中だ
だから今日私は私の世界を創る
私が今日創る世界は私の世界の一角だ
それがどんな世界か私には分からない
喩えれば混沌
混沌から目覚めた人間が
世界の創造に着手した
そんな感のある世界だ
混沌はガスを発生させた
そのガスが液化するのを待たねばならない
液化して初めてそれを手に取る事が出来る
液体を手にする事出来ると
それを固体にする事も出来るし
また気体に返すことも出来る
そこから千変万化の世界が生まれる
今はその途中 そんな感じかな
私はとりあえずガスを発生させた
そのガスを無駄にしない為にも
それを抽出しなければいけない
ガスの液化
それが文字にするということである
私は様々な試験管に入った液体を眺める
そして思い出す
あの世界創造の頃の夢を
そして私はそれぞれの液体を組み合わせて
更なる液体を作り
また固体を作り気体を作る
私は錬金師となって世界を創る
平成14年12月5日
〈錬金術的世界創造〉
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ただ今午後10時45分過ぎ
いつもなら筆を置いて床に入る準備をしているところ
それなのにこうして筆をとり始めている
どうしたかって
今日は9時過ぎまで残業
それから明日の食事の準備をし
洗濯をし風呂に入り終わって
やっと自分の時間が持てたところ
いつもだったらやはり寝るところ
だが今日は土曜日
明日は休み
その開放感が
こうして私に筆をとらせたというところ
でもやはりここで筆を折る事にする
経験率がいつも言っているではないか
夜更かしに良いところはないと
だが筆を折る前に一言言って置こう
天晴れだったと
その筆への執着
その一筆が
明日への足掛かりを作ったのだから
今日の私は昨日の私ではない
そして明日の私は今日の私ではない
昨日から今日
今日から明日への橋渡し
それは言葉
そして文字が鉄橋となる
より良き明日のため
貴方は善を積んだ
その事を誉めて天晴れと言おう
明日はきっと晴れる
平成14年12月6日
〈明日は晴天なり 天晴れ天晴れ!〉
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私は天国を求めていた
しかし分かった
まずはこの世を知り尽くさなければならないと
この世の善悪を知り尽くさなければならないと
我々はこの世に住んでいる
この世は修行の場である
修行の場で天国を求めたら放逸になる
この世では
我々に課せられた修行を
立派に果たさなければならない
さて私に課せられた修行とは
それが前述の
この世の善悪を知り尽くす事である
この世の善悪を知り尽くし
善を増やし悪を減らす事によって
私は善なる存在者となる
そうして初めて天国を求める資格が出来る事になる
さて善悪とは
何が悪で何が善か
私はニーチェの「善悪の彼岸」の標題を目にしてから
(もっともそれまでに経典や様々な本を読んで
涅槃に関する知識を持っていたからであるが)
善悪については考えない様になっていた
でもそれでは駄目だと今日思った
善悪をはっきりさせ 悪を切り捨てる
私の生きる上での事であるが
そうしなければ善は育たないし
善で私をいっぱいにする事も出来ないと
そう思ったのである
ところで何が善で何が悪か?
私は思う
善は善き事good
goodの原義はGod
だから善とは
神を真似る事
神に倣う事
神の命令を守る事
そんな類いのものであると
それに違いあるまい
それでは悪とは?
悪なるものは存在しない
悪とは善を行う上での抵抗に過ぎない
だから悪はその場で切り捨てねばならない
悪とは善を行う上で発生する
抵抗の表象に過ぎない
だから即座に切って捨てねばならない
もし善を行わなければ
悪は発生しない
それがこれまでの私の生き方であったが
この人生は修行の場
善の為に闘わなければならないと思った
善とは闘いか?
そうだ
善とは悪との闘いだ
善を起こそうとする毎に
悪が立ち上がる
最初の闘いはきつい
だが闘う毎に慣れてくる
そうして百戦錬磨の勇士なるだろう
アキレスやヘラクレスの様に
そうすれば並み居る敵も恐れをなす
そうすればやすやすと善と与する事になる
だが勇士も人間だ
死ぬ事もあろう
その時は善の主である神様が
並み居る人々の中から
一人嘉してくれるだろう
それが善の栄誉であり報酬である
その栄誉を求めて いざ闘わん
平成14年12月7日朝
〈善の兵士になる〉
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人は死して何を残すか
獅子は死して皮を残すかもしれないが
人が死して残すのは腐れた肉体だけ
誰も見向きもしない
だから地中深く隠す
もし残るものがあるとすれば
言葉に託した精神
そしてこの精神こそが人間であり
その生きている証であった
私は毎日この様に
言葉を文字に託す
これは私の精神を刻む作業
これは未完に終わるが
それでも私の精神を後世に残す
もし私の精神を考証する者がある時
私の精神は如何に位置づけられるのか
私は私の真髄を掴みたい
そうすれば私は人類普遍の友となる
私のこの中にこそ
人類が宝とするそのものがある
私がその宝を見つけ
両手に高く掲げる時
人類が挙って讃える
良くやった善くやったと
そこから人類が生まれ
そして人類がそこに帰っていくところのもの
一粒の精神
私たちの精神はあまりにも分裂し
そしてあまりにも変形してしまった
人類を再生する為の一粒の精神
そんな精神を探してみたい
その精神は私の内奥にある
その一粒を植えると人は再生する
その結果として新たな人類が生まれる
そんな精神を探してみたい
きっとある筈
私の予感
イエスは一粒の種を見つけたか
そして人類に植えたか
その結果が現代人か
ブッダはどうか
確かに彼らはそれを見つけた
だがあまりに世が強すぎた
そして世は更に強くなってきている
その一粒種を見つけるのが不可能ぐらいに
だが確かにそれはある
私はその一粒を見つける為に
今日も明日も明後日も
私の精神の中をさ迷う
それは恩寵によってしか発見出来ないものかもしれないから
平成14年12月7日夜
〈一粒の精神〉
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またもやの夜更かし
一昨昨日誓ったばかりなのに
またの夜更かし
その経験率のごとく
今日は調子は良くない
せっかくの日曜日だと言うのに・・・
実は私が返事を送った主からメールが届いていたから
その相手とは24歳の大学院生の女性
ジェンダーを研究しているとの事
専攻は社会学地域研究との事
私は一昨日ジェンダーに関する意見を送っていた
昨日この日誌を書き終えてメールボックスを見たところ
返事が来ているとの事
私は早速開いた
さすがに大学院の研究生らしく
緻密な文章で書いている
手強いなと思った
更に私のメールネーム
sophialover(知恵の愛人〉の事を笑い種にしている
かちんときた
打ち捨てておこうと思ったが
色々な思いが交錯して
結局書こうと言うことになった
もう11時を過ぎていた
相手が眼前にいなければ
30分もあれば十分に書けたのに
相手が眼前にいる事
おまけに一流大学の大学院の研究生らしいと言う事で
筆は遅々として進まず
十数行のメールを書き終えたのが午前1時半過ぎ
それから床を作り眠りに就いたがそれでも眠れず
結局あの無意識の眠りに就いたのは
多分午前2時半を過ぎていたのだろう
そして8時過ぎの起床
そして今午前10時半という訳であります
日曜日の朝のあの溌剌とした感性は
今の私には無いと言う次第なのであります
私はこの日誌で今日は何が言いたいのか
今日の不機嫌の言い訳を飾る為か
そんな事ではないだろう
この日誌は貴方に突入する為の手段ではないか
不機嫌な日であろうと突入すべきではないか
もし不十分な条件の中でも貴方への突入に成功し
貴方に会えたら物怪の幸いではないか
霧の立ち込める山道
目先の道を頼りに歩く
そんな気分の只今現在
晴れ渡った日には
遠くの連山を見つつ
道端の草花にも目を遣りつつ頂上を目指す
そんな溌剌とした気分は今の私にはない
健全なる肉体に健全なる精神が宿る
酸素不十分
精神が十分な活動が出来ないと嘆く
どうして今日の私の為に
十分な酸素を用意して置いて下さらなかったのですか
精神は更に訴える
私の為に一眠りして下さいと
しかし私は時間には勝てない
もうすぐ11時
今日の日程は詰まっている
自然な眠りに落ちればよいが
文章を書いている間はそれは決して訪れない
文章を書くとは
肉体と精神の共同作業
運動したまま誰が眠れるであろうか
私はこの後彼女への二信を書く
12時までに書き上げねばならない
昼食後
O町立図書館に行き
その後S町のショッピングセンターでコーヒーを飲み
更にS町立図書館に行かなければならない
日程は目白押しなのである
だから眠る訳にはいかないのである
さて彼女に何と書こう
ジェンダーの研究を止めろと書くべきか
いやいやそんな事は書けない
こう書こう
貴方のジェンダーのその個の研究
それを徹底的に推し進めなさいと
そうすればそこに
世界再発見の種が隠されている筈ですよと
この浅薄な社会を変える為に
僕は力を惜しまない
彼女をその為の働き手とする
誓願その一
平成14年12月8日朝
〈誓願と言う事について〉
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今日と言う日は睡眠不足ですっきりしない日であったが
それでもショッピングセンターでのコーヒーは喜悦であった
私にまたあの感覚が戻ってきた
やはり私はコーヒーから離れられない
今日はこの日誌はいつもより30分早く書き始めた
早く眠らなければならない為と
彼女に第二信を書かなければならない為である
私は午前中のメールで彼女に失礼な事を書いてしまった様である
もとよりその様な意図は全く無かったが
受け取った彼女においてその様に思っても不思議ではないと
後々思い少し悔やんできたのである
私は彼女の研究しているジェンダーの事を少し悪し様に言った様な気がしたのである
もとよりそんな気持ちはさらさら無かったのだが
文意の流れ上そう書かざるを得なっかたのである
俗に言う言葉足らずというやつである
本当は彼女が見る前に第二信を書かなければならないのだがもう見ているであろう
そう言う訳でこの日誌も早く書き上げて第二信に着手したいと思う
朝の日誌で彼女に第二信を書かなければならないと書いたが
あれは第一信に変わったのである
私が昨日の彼女の返事に第二信を書こうと思ってメールボックスを開いたところ
なんと昨日の私の返事にまた彼女の返事が来ていたのである
だから私は彼女の返信に対して朝はその第一信を書いたのである
その第一信が先に書いた様に少し失礼なものだったので
第一信を補足するための第二信書を書かなければならいと思っているところなのである
彼女からまた返信が来ているのではないかと言う不安と期待が入り混じっている
時間も押してくるので今日はこの当たりで日誌を閉めたいと思う
平成14年12月8日夜
〈期待と不安の中で〉
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一昨日の夜私は第二信を書いた
舌足らずは解消出来たと思った
昨夜メールボックスを開くと彼女から返事が来ていた
興味深く読ませて頂きましたとは書いてあったが
しかしまたパーソナル上に自己紹介を載せて欲しいと要求してあった
僕はうんざりしてしまった
私はメール上では僕と言う代名詞を使うが
この日誌では不変的に私である
僕と私の間にはやはり大きな隔たりがある
僕と言う代名詞を使う時
そこにはやはり僕ちゃんでありたいという願望があるのである
もし日誌に僕と言う代名詞を使う時
それは僕ちゃんと呼ばれてみたい人に読んで貰いたいと言う
無意識下の願望の基に書いているのである
それは一般的に母親であり
時には父親である事もある
僕とはしもべ
その庇護下にありたいと言う無意識下の叫びなのである
メールも一緒である
もっともメールの場合意識的に使うのだが
僕と言う言葉を使う時
それは貴方の庇護下にありたい
貴方の僕ちゃんという存在でありたいと言う意思表明なのである恋文を考えて御覧なさい
私と言う代名詞を使うだろうか
全て僕と言う代名詞の筈だ
その代名詞を使う毎に
私は貴方の僕ちゃんでありたいと訴え続けているのである
そのような事を潔しとしない人は恋文など書かないのである
だから恋文を書くのは軟弱な男か
恋の為に軟弱になってしまった男しかいないのである
その僕と言う言葉を私はメール上で多用している
僕は軟弱になって
どうか貴方のメル友の一人に入れてくださいませと哀願しているのである
だがそれは当然ではないか
精神と精神が出会う時謙り合うのが精神の約束事ではないか
そしてより謙った精神がより高き精神と言われるのではないか
だから私は意識下のもと
僕と言う言葉を多用もして多くの友を作る事にしよう
このパーソナル上には多くの精神上の友が待っているのだから
平成14年12月10日
〈僕と言う代名詞の根源的な意味について〉
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今日は順調であった
5時半には事務所を出て
7時までには食事洗濯入浴を済ませ
7時僅か過ぎには机に向かい読書を始めた
しばらくするとあの眠りが襲ってきた
眠りに任せ机にうつ伏せになった
それからあの前後不覚の転寝に入った
どれ程眠ったのか全く覚えない
10分か20分か30分か
多分20分前後なのだろう
それからまた次第に読書に入っていった
次第次第に精神が高揚していくのを覚えた
9時少し前に読書を終え
この日誌に向かおうとした
ところがである
昨日書いた分の改行が全く不揃いになっているのである
その修正の為に30分を要してしまった
書き始めからこんな事を書かなければならないと言う事で
私の精神は30分以上も遅いスタートを切る羽目なった次第なのである
下らない前置きはこの位にして
精神へと出陣して行く事にしよう
して今日の目的地は?
今私が読んでいる無量寿経の世界に入っていく事にしよう
無量寿経は今回で2回目である
最初の時は興味を持って読んだのを覚えている
だが時が経つに連れてその感興は薄れて行き
次第に私にとって関心の薄い本になっていた
それがどう言う訳か
その縁を辿れば不思議な縁と言う事になるのだろうが
また読み始める事になったのである
岩波文庫の浄土三部経上巻の無量寿経を読んでいるのだが
これは優れものである
何故と言うに
サンスクリット原典からの翻訳と
漢文読み下しと漢文原典の三つが載せてあるのである
私はまずサンスクリット原典の翻訳を読んだ
それから今漢文の読み下しを読んでいるところであるが
その感興が全然に違う
サンスクリット翻訳で大意を掴んでいた事もあろうが
その読み下し文はビシビシと私の心を打つ
私の精神があのブッダの精神へ還ろうとするのが
手に取る様に良く分かる
私はまた仏陀の世界へと入っていくのであろう
ブッダは優しい
だが私を無為にする
だがそれで良いのではないか
きっとその無為は昔の無為とは違う筈
何故なら私は誓願を立てたから
勿論私は無為を楽しむ
だがそれに浸りきる事はしない
何故なら誓願を立てたから
私は無為の中で斎戒沐浴を楽しんだ後
社会へと打って出る
メールもその一つだろう
私はあの研究者の卵を
その戦士に育てるのではなかったのか
怯むな
と言うことでメールに帰る事にしようか・・・
平成14年12月11日
〈仏陀の世界へ〉
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私にはもう何の憂いも無い
そう言える事の強さよ
私がそうなったと言うのではない
だが一つの憂いが去った
私はもうそれを思わない事にしよう
それだけでも私は強くなれる
私自身を生きる事にしよう
人生は短い
しかし目覚めれば
人生はそれなりに長い
それなりに私自身を生きる事にしよう
その為に必要な事
それはこの世に囚われずに
私自身を生きる事
この世とは何?
この世に囚われるとはどう言う事?
この世とは抵抗勢力
貴方が貴方自身を生きようとする時
立ち起こる様々な抵抗勢力の総称
そしてそれは全て貴方自身から立ち起こる
貴方は左手に楯を右手に剣を持って
それらに立ち向かわなければならない
それらは全て幻
楯を翳せばそれは消えてしまう
だが時として音を立てて向かってくる
その時は楯を翳し続けておれ
次第に音は消えていくであろう
それでも音を立て続けそして楯を越えようとする時
その時は剣を一翳ししろ
そうすれば全て消えてしまう
それでも襲ってくる時は
その時は勇者のごとく戦え
貴方が勝つか幻が勝つか
この世は夢幻
貴方はこの幻を組み伏せない限り
貴方はこの世の囚われ人
この世と言う幻と戦う方法
それには二つある
一つは今述べた様に勇者のごとく戦う方法
もう一つは隠者のごとく
私は後者の立場を取っていた
だが今私は世に立ち向かおうとしている
幻と言うこの世に
平成14年12月16日
〈この世に立ち向かう〉
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この変転極まりないこの世の中で
何か確かなものがあるのだろうか
あればそれにしがみついていたい
だがそんなものはありはしない
あるものは変転極まりないものばかり
何故その様に言えるかって
それは人間が無常という存在だから
もし人間が恒常だったら
そこには何も生まれない
人生も歴史も生も死も
我々は無常を楽しんでいるのである
我々が恒常であればそれは仏様
誰もお地蔵様にはなりたくないだろう
もっとも仏様は別だが・・・
我々は何の為に生きているのだろう
それは仏様になる為
だがそれは死の直前のその時の事
それまでに我々は人生を大いに楽しまなければならない
人生の楽しみとは
それは恍惚
恍惚のブルース
あとはおぼろ♪あとはおぼろ♪
そんな恍惚の楽しみ
それこそが人生最大の楽しみ也
我々はあくせく仕事に励む
何の為に仕事に励むのか
お金を得る為か
そんな事ではない
楽をしたいが為だ
それは老後の為だけではない
1年後1ヵ月後1週間後
いえ今日1日の最後に
楽をしたいが為だ
矛盾している様だが
それが真実だ
動物を見て御覧なさい
そのねぐらに帰るとき
なんと幸せに満ちている事か
体を寄せあい安らかな眠りに落ちる
夢も見ず死んだ様に眠る
そして朝今日生まれた様にまた生きる
あくせくと
だがその終わりの時
またあの安らかな死が待っている
だから動物は毎日あのように
喜々として生きる事が出来るのである
だが人間を見よ
あのような安らかな死を迎えられる者がどれ程いよう
二人と居まい
人は苦渋の夢の中に落ちて行く
さあ我よ
楽しき夢の中へ
と言うわけで第一幕は終わり
第二幕はメール
今日は自己紹介を考える事としよう
これも楽しき夢の為
ゆめゆめ苦渋に満ちたものとなるなかれ
平成14年12月17日
〈楽しき夢の中へ〉
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私には楽しみが見えてきた
雪山だ
雪山賛歌だ
私は山男となってアルプスの雪山を駆け巡る
私は今冬2000メートル級の山々を征服する
どのようにしてかって
それは秘密
雪はきっと私を変えて呉れるだろう
夏の海が私を変えた様に
冬の山もきっと私を代えて呉れるだろう
どのようにかって
それは神のみぞ知る
後のお楽しみ
青の天国と白の天国
白は寂静 寂滅の色か
私は白に何を見るのだろう
それはそこに行かなければ分からない
観念論と経験論
観念の色はどんな経験の色に変わるのか
それを視るのもまた楽しみ
一面の青と一面の白
それは人をモノトーンにする
青に人は何を見るのだろう
白に人は何を見るのだろう
もし青と白のトーンがあれば
人はそこに何を見るのだろう
青は人を幸せにする
白もまた人を幸せにする
白と青に共通するもの
それは無
青は無窮
白は無色
青はどこまでもどこまでも透明
透明を現す手段として青を用いた
白は清廉潔白
心の無色を表す手段として用いた
心が蒼穹であれば
それは何も表しえない
だから白色を仮に置いた
人は白を発明したその時から
その白に様々なものを書き込んだ
もう白は白で無くなった
どんなにどんなに消しても
それは白には戻らない
白は生まれた時から汚れていく
青と白とどちらが強いか
それは青
青はどこまでもどこまでも透明
そこには何も描け得ない
だから青はいつまでも透明
白はその表れた時から汚れ行く
その穢れを誰も止める事は出来ない
私は青を愛する
だが白も愛する
私は毎日白く生まれる
そしてその白は滲んでいく
だがそれは汚れなどではない
立派な文様だ
私はその文様を楽しむ
それは立派な芸術だ
私は青を哲学の為に愛する
そして白を芸術の為に愛する
平成14年12月18日
〈青と白の哲学講義〉
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私の心は雪山へと飛ぶ
雪山は私に何を見せて呉れるのだろう
純白か
純白が意味するのは何なのだろう
雪の白さと砂の白さ
それはどう違うのだろう
美しい女性の肌を讃えて白い肌と言う
その女性の肌は本当に白いのか
白とは例えか
それとも絶対白があるのか
その基準は何か
雲か雪かそれともやはり美しき女性の肌か
黒とは何だろう
三原色がある
全ての色はそれから作られる
そうすると白と黒は色ではないのか
白とは何だ
白はどうして作られる?
そう!
白は白色光
太陽の色
太陽の原色なり
白は無垢
太陽の無垢
穢れ無き光
だから誰もそれを正視できない
だからそれを三つに分けて人に与えた
人はそこから様々な色を作り上げた
人は白の意味を忘れてしまった
白は正視できない光
であれば我々が見ているこの白とは何だ
私には見えてきた
光の色と影の色が
我々は光の色を見ることが出来ない
我々の視力があまりにも弱いから
そこで
我々は影の色を楽しむことにしたのだ
これで了解
白い光と白い影
平成14年12月19日
〈白い光と白い影〉
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主よ と呼びかける事が本当に少なくなりました
私と貴方は離れてしまったのでしょうか
私と貴方の距離は今どれ程なのでしょうか
これはもう修復出来ないのでしょうか
いえそんな事はありません
主よ 呼びかければ貴方はすぐにでも現れて呉れるのです
貴方はそういう存在なのです
主よ 私の主よ
私の為に現れ出でて下さい
どうした 何か困った事でも起きたか
貴方もご存知の様に振られてしまったのです
そんな事で悩んでいるのか
いえそうではないんですが
それでも何か気が塞いでしまうのです
原因は何だ
睡眠不足だと思います
何だ簡単な事ではないか
ぐっすり眠れ
10時までに床に就く事
そうすれば一切が流れる
そうでなければそれが慢性となるぞ
心せよ
分かりました
後1時間貴方と一生懸命遊びたいと思います
私も望む所だ
さてとそれではコーヒーを持って来たいと思います
その様にしなさい
主よ 不思議です
あんなに悩ましていた改行がこんなにスムーズにいっています
どうしてでしょう
貴方の心が映し出されたのですよ
どう言う事ですか
そう言う事だよ
わかりました
心って本当に不思議ですね
心は不可思議なのでしょうか
心は不思議だが不可思議ではない
心は貴方の鏡だよ
貴方の心が空であれば
心は何も思議はしない
しかし貴方の心が二分三分されるとき
心が思議しているかの様に見える
しかしそれは貴方自身でしかない
だからいくら心を思議しようたって
思議する事は出来ないと言う訳さ
貴方の心が一つになるとき
心は澄んで見える様になるものさ
そして貴方とは私なのだよ
私と貴方が一つになる時
心は 澄み渡るものなんだよ
分かったかね
とてもよく分かりました
貴方と一つになる
これこそが幸せの源泉なのですね
そうなのですね
それは貴方が決める事だ
さて私の出番はここまでかな
先生有難うございました
後30分 一人で精神散歩を楽しみたいと思います
今日は本当に有難うございました
またちょくちょく遊びに来て下さいね
貴方が呼ぶ限り いつでも来るよ
それでは
それでは
幸せとは何だ
それは心が一つになる事
心が一つである時
そこには何の患いもない
心が二つに分かれるとは
自分自身との戦いだ
そこに第三者が入ってきてみろ
それは混乱以外の何者でもない
その第三者が悪意の第三者である時
貴方はその第三者の打ちのめされる
何故なら貴方自身が貴方に負けているのだから
もし貴方の心が割れようとする時
その時は貴方の主を呼べ
そうすれば彼が直ちに裁いて呉れるだろう
何故なら彼は別名正義でもあるのだから
彼を大いに活用しなさい
彼は貴方からしゅゆも離れていないのだから
後15分ある
しかし引き際が大切だ
その余裕こそが人生の余裕なのだから
平成14年12月22日夜
〈主と会えて・・・〉
________________________________________
私の心は久しぶりに穏やかです
天気のよい精でしょうか
ぐっすり眠れた精でしょうか
それとも昨夜主に会えた精でしょうか
その全てです
でも第一因を辿ればやはり三番目でしょう
あの忠告が無ければ
今日も睡眠不足の状態だったかもしれないのだから
きっとそうでしょう
主よ 有難うございました
さて今日はこの様に天気のよい日
室内にくすぶってはいけません
出るべき所を探して出なければなりません
さて何処に行くか
O町経由でM市に行く事にしようか
O町のあの公園で昼食を取り
M市の公園や図書館や
街中をぶらぶらする事にしよう
そこに何が有るか
それは神のみぞ知る事
私たちは毎日を神に託さなければなりません
そしてそこで起きた事を糧としなければなりません
しかしその前にして置くべき事があります
それは自省です
それは一人の時間です
そこで貴方は自らを省み
社会を省みなければなりません
そこにはいつも神様が臨在するのです
そこで鍛えた貴方を持って
この世に立ち向かわなければなりません
そうすれば世で起きる全ての出来事が
貴方の糧となるでしょう
11時半です
今日は少し早いけど
世に出るべき時が来たようです
平成14年12月23日朝
〈自省の時 世に出るべき時〉
________________________________________
今日はいい一日だった
これも神様に任せた精だろう
もっとも予定外はあったが
O町の公園のレストラン館は閉館であった
またM市の図書館も閉館であった
だがそんな事は全く関係なかった
O町の公園に着いた時は12時半頃であった
お中も空いていなかったので
公園をぶらりと散歩して
公園の一番にぎやかな場所に腰を下ろした
私はここからの光景が気に入っているのである
それは草原風
子供のにぎやかな声を耳にしながら
その草原の上にぽっかりと浮かんだ雲を見ていると
のほほんとしてくる
いつもそんな気持ちにさせて呉れる場所なのである
私はコーヒーでも飲みながら
悦に入ろうとも思ったが
それはやはり許されなかった
私はここで不思議な光景を見た
それは双子の女の子と三つ子の男の子
どちらもようやく歩き始めたばかりの幼い子供たちであった
私は腰を据えて
特に三つ子の方を研究しようと思ったが
やはり子供たちの両親に悪いと思ったのと
次の時が私を少し急き立てたので
そこをそこそこにして意中の目的地に向かった
それはM市のリバーサイドのレストラン
私はそこで八百円何がしの牛丼定食を頼んだ
その定食は値段相応のものなのだが
ここはサラダーバーが充実しているのである
まず皿であるが
どこそこの焼肉店にある様な
小鉢を少し大きくした様なものではない
大皿である
直径はカレー皿位と思って貰えば良い
次に具であるが
これが充実している
私が取ったものを例にしてあげよ
私が最初に取ったのがポテトサラダ
これはどんな場合でも取るので参考にはなるまい
次に取ったのがイカの塩辛と思ったが
これがイカの梅肉和え
次がブトウその次がメロン
そして大学イモ
どうです安いでしょう
私は満腹になって満足した
そして緑茶を飲みながら窓の外を見ながら
少しずつ悦に入っていった
とこんな風に書いていけばいくら時間があっても足りないので
今日の要点だけ
川原に下りて散歩をした事
堤防道路を上流に向かってドライブした事
堤防道路をドライブしていたら
河岸の高台にあるM町のM神社に突き当たった事
そこで様々な碑を見た事
M町が郷土意識の強い町であることが分かった事
その川で三人の男の子がフナを10匹位釣っていた事
男の子とは小学4年生ぐらいのガキ大将と
その同級生と幼稚園位の男の子
そのガキ大将が本流に流れ込む小川に
一匹のフナを放し取っては放し取っては放している内に何処かに逃げ込んだ事
ガキ大将の命令でみんなでその小川を探し回った事
私が神社を一周し碑を見終わってその高台から川を眺めていると
そのガキ大将が足の裏を怪我したらしく
その同級生が走りながら近くで釣りをしていた親子連れに助けを求めに行き
その父親がハンカチかちり紙で手当てをしつつ
ケイタイで何処かに連絡をした事
それからまた堤防道路を上流に上り
行き止まりになった所で引き返し
下流に向かってやはり堤防道路をドライブした事
M市のK公園でコーヒーを飲みながらサンセットを眺め悦に入った事
コーヒーで悦に入っている私の傍らで二人の女の子
小学1年生か幼稚園年長組
女の子らしい無邪気な会話をずっと続けていた事
その会話を聞いていてその時代の子供たちの精神の範囲が理解できたように思った事
その他色々な事
書き続けて行けば12時を超える事が必至である
もう10時55分
55分もオーバーしてしまっているのでここで強制終了
とにかく今日は良い日だったと言う事
私の糧になっていくだろうと言う事
何事も神様に委ねる事が大切であると言う事
事を起こさなければ何も生まれないと言う事
etc
経験と観念
経験が両輪で観念が車軸なり
観念と言う車軸がぶれない事が大切である事
車軸がしっかりしてこそドライブも快適だと言う事
等々今日は色々な経験が出来て良い日だったと言うことです
お終い
平成14年12月23日夜
〈いい日旅立ち〉
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今私は軌道に乗りつつある
この軌道から外れない事が大切
規則正しいと言う事が一番
その規則の中で世界を見る事が大切
無軌道は疲れる
労多くして功少なし
私には軌道が必要である
時間と言う軌道を逸れる事無く
最も早く目的地に着く為の軌道が
それが規則正しい習慣という訳である
7時起床
5時半帰宅
7時より読書
9時より哲学日誌
10時半就寝
これが今の私のベストだろう
休日は
7時起床
8時より読書
10時より哲学日誌
12時より7時までフリー
7時帰宅
7時半より読書
9時より哲学日誌
10時半就寝
この規則を崩さなければ私は安泰だろう
だがそう行かないのが現実
もうすぐ年末年始休暇
九連休である
私はこの九連休を利用して
雪山へ挑む
二千メートル級の山々を征服するつもりだ
どの様にしてかって それは秘密
乗鞍白馬志賀妙高蔵王の
二千メートル級の山々を征服するつもりだ
どの様にしてかって?
もう分かってしまったかな・・・
私はいったい誰を相手に話しているのだ
茶番はこれで終わり
私の中へと入っていく事にしよう
今日の目的地は?
やはり白の世界だろう
白の意味 白銀とは
私はこの間白の定義をした
光の白と影の白と
雪の白
これは正に影の白だ
この地上で見られる
最も純白な影の白
その一面純白な白は
私に何を想起させるのだろう
太陽か
そうだ
太陽の乱反射だ
私は前にも太陽の乱反射を見た事がある
飛行機の上から
それは大洋が太陽を受けて乱反射していたのである
それはほとんど白だった
または白銀
私は白の意味を瞬く間に理解してしまった
これ以上の理解はあるまい
太陽の光が規則性を持つ時
それは色を持つ
その原則は三原色
その三原色が数学的規則性をもつ時
それぞれの色を持つ
それは無限に連続していくが
それぞれに色を持つ
だがその規則性が破れた時
すなわち無限の乱数になった時
白に還り行く
何故ならどの瞬間においても
その数字を判別できないから
いや違う
我ながら納得出来ない
何故白は白なのだ
手近な物で考究しよう
白紙
白紙は何故白い
白い塗料を塗ってあるのか
違う
曝してあるのだ
そうだ曝してあるのだ
どんな晒し職人が曝すより白くなった
白骨樹というものがある
あれは命が無くなって
曝されて曝された曝されてあの様に白くなったのだ
白骨そのものもそうではないか
白とは命が失せて
それでもなお曝され曝されて生まれる色なのか
それは命のかけらも持たないから無垢?
白砂もそうではないか
貝殻が砕かれ潰され
そして曝され曝されてあの様の白になったのではないか
白とは命が曝された色?
曝すとは正に日の暴力
日に1年365日10年3650日100年36500日曝されて
あの様な白い色になるのである
それでもやはり命のかけらの色を残している
端的に言えば象牙色
あの象牙も立派な晒し職人が曝したものであるが
それでもあの色は残るのである
あの色は命の名残色なのである
さて雪の白
これは世にある白の中でも
最も純粋な白である
何故雪は純白なのか
それは白い雲から生まれたから?
雲は命の源である水が曝されて生まれた色だから?
雪は何故白い
そう問いつつ今日も終わらねばならない
後五日後には私はその白の中にいる
平成14年12月24日
〈雪は何故白い?〉
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後二日間で仕事納め
その後私は九日間の旅に出る
旅は非日常
非日常の九日間に私は何を見るのだろう
私は昨日も言った
規則正しい生活が大切だと
この旅と言う非日常は
その規則正しさを壊す
しかし壊しても得る何かがある
それは非日常と言う規則正しさ
規則正しさの中に求めているのは日常ではない
その規則正しさの中にある非日常である
私は毎日私の中へ旅に出る
その目的は新奇さ
私は私の旅の中で毎日真新しいものに出会う
私はそれに驚きそれを楽しむ
その楽しみの為に毎日旅に出ているのである
そこに求めているのは日常などではない
非日常である
その非日常を求める為に
規則正しい生活が必要なのだ
私は非日常と言う旅に出る
そこでは全てが非日常である
しかし心すべき事が一つある
それは規則正しい生活
矛盾している様だがそうではない
その規則を守れば
非日常を十二分に楽しむ事が出来る
だがそうでなければ
混乱に堕するだけである
その規則正しい生活とは
10時半に床に就き7時に起きる事
これさえ守れば
楽しい非日常が約束される
私よ心せよ!
私は時間の掟を何よりも大切にする
その掟の中では何をしても自由だ
だが掟を破ると時間は厳しい
私は何度も厳罰を受けた
それが骨身に沁みている
だから私は掟を遵守する
その第一の掟は
10時半に床に就くと言う事
これさえ守れば私の心身は常に一如だ
10時半に床に就く
思想の余韻を楽しむ
真の眠りが12時だったとする
それでも私は思想とその余韻を十分に楽しんだと言う満足の元に
あの深い眠りに就く
12時に床に就いたとする
一秒一秒が責め苦である
思想は帳消しにされ
時間が一秒一秒責め立てる
何の心地よさがあろう
翌日は睡眠不足で一日が台無しである
「眠りについてからの余韻」
これが明日への活力の素であり
人生への明るい未来なのである
平成14年12月25日
〈時間の掟〉
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新年明けましておめでとうございます
今日は1月6日
日誌の書き始めです
行ってきました
八泊九日の旅に
一泊目は新宿
二泊目は乗鞍
三泊目は白馬
四泊目は長野善光寺
五泊目は妙高
六泊目は車山
七八泊目は新宿
色々な事がありました
経験は観念の母なり
私は観念に遊ぶ人間です
しかしそこには経験が無ければならないのです
あの偉大な観念論者であり
且つまた偉大な経験論者であるゲーテ
彼があのように偉大であったのは
ローマ旅行があったからこそであろう
あのローマの素地の中で
ゲーテの観念は花開いたのである
さて私は
その白また白の世界の中で
私には如何なる観念の花が咲いたのか
白また白の世界
右も左も前も後も上も下も無い白い世界
その中で私は如何に存在するのか
そこにあるのは大地に接した私の足とその固体的存在
もし私の足が大地と接していなかたっら
私と言う固体的存在は
白い宇宙空間に消え去ってしまっただろう
それほどに雪の白とは何も無いのである
車山高原山頂の吹雪の中で感じた事
眠い
眠りの中でここまで来た
時も良い頃
この辺りで眠る事にしよう
眠りの中に大いなる神秘がある
その神秘へと突入する事にしよう
夢よ!私へ舞い降りて来い
そして私を貴方の夢路へと連れて行って呉
私の愛しい夢路よ恋しい人よ
平成15年1月6日
〈夢路恋し〉
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私に許された時間は1時間
シンデレラのそれよりも短い
その1時間の中で
私は何処まで行けるのか
タイムショック
時間との勝負だ
私は誓ったではないか
時間とは争わないと
それを何だ
時間との勝負だ
笑わせるのじゃない
柔らかな時間の中で
たおやかに生きる
それこそが人生の真骨頂
時間と争って何になる
時に切り刻まれるだけだ
止めておけ
その様に忠告して下さるのは誰ですか
ひょっとして私の主ではありませんか
長い事ご無沙汰していました
私はこうして元気にしています
ただ時間には恵まれていませんが
でもそれも一時の事
今に悠久の時が迎えに来てくれるでしょう
貴方と一緒に居れば
貴方は悠久と言う別名でもいらっしゃるから
悠久永遠久遠
人々が憧れるもの
貴方はその代名詞
貴方のその中に居ると
私は悠久を感じる
悠久の彼方にこそ
無限と言う貴方の存在がある
ひと時の転寝の中で
世の塵を全て洗い流した
私は新生した
そんな気持ちで
今この日誌に向かっている
ああ眠りのなんと心地の良い事か
如何なるものにも変えがたい
この神聖なる新生に無くてはならぬもの
それが居眠り
居たまま眠る
これが奥義
横になっては駄目
居ながらにして眠る
これが奥義
30分経過
何も時と争っているのではない
時が私に目配せをしたのだ
私はそれを受けて言葉にしただけ
時がこう言ったのである
なかなかやるじゃないと
だから私も時を讃えて
時の言葉を口にしたと言う訳
タイムイズマネー
時は金なり
時は本当にお金なのだろうか
その通り
時に魂を預けてご覧なさい
時はいくらでもお金を降らせて呉れますよ
本当ですか
本当です
でも貴方はいくらお金を積んでも
その魂を買い戻す事は出来ませんよ
それで好ければ
時に魂を預けなさい
私は時と争う事などしません
時をいつも讃えます
しかし時と与したくはありません
私は悠久の時を願うのです
私は時と言う概念を持ちたくないのです
たとえ1時間の中でも悠久の時を過ごしたいのです
それは難しい事かもしれませんが不可能ではありません
3時間もあればその可能性はぐんと高まる事でしょう
1日に連続3時間私の中に帰る事が出来れば
私は毎日を悠久の時の中で暮らす事が出来るのだがなあ
あと15分
でも時は私を追い立てる事はしません
時と私は腕を組んで悠々と歩いているがごときです
私が時に擦り寄ったのではありません
時が私に擦り寄ったのでもありません
時と私が一緒になったのです
時と私が一緒に成った時
そこに悠久という時が生まれるのです
平成15年1月7日
〈悠久の時〉
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時は中々微笑んで呉ない
それでもその与えられた時間を精一杯生きる事が
時を讃える事に他ならない
只今の時間
午後10時00分
私に与えられた時間は30分
この30分を精一杯生きる事が
私を生きると言う事
生きると言う事と生かされると言う事は違う
起きてから眠るまで
人はほとんど生かされている
誰に生かされるかと言われれば
端的に言えば神様
しかし感謝の仕方を知らなければ
それは世となる
そしてもっと端的に言えば時
時の頸木から自由になる為には
自らを生きなければならない
自分に帰る
自分にどっぷりと還る
その時こそ
時の頸木から自由になる
私にとってその時とは
正にこの日誌に向かう時
私は私の言葉をこの日誌に書き連ねる
それは誰の言葉でもない
私自身の言葉だ
その言葉を確認する時
私が私である事を確認するのである
ちょっと昔流行った言葉で言えばアイデンティティ
私はこの日誌に向かう事によって
私自身を確認し私自身を確立するのである
誰もこの私を打ち負かす事は出来ない
何故ならそこには私しか居ないから
純粋な私が確立されるのである
純粋な私とは
世に惑わされない私の事
私が私になればなるほど
私は世に惑わされなくなる
そして時にも
その時私が百歳でも
二十歳の青年になる事が出来る
「時をかける少女」と言う映画があったが
私は正に時をかけるのである
私になる
それは時空を超える事なのである
無自覚な時
私たちは常に生かされている
世にか時にか神様にかである
世に生かされているのは家畜のごときもの
時に生かされているのは自然な姿だろう
それでもやはり時に頸木を掛けられている
神様に生かされている者
彼らは使命を帯びた者たち
彼らは神の子としてこの世に生きる
彼らには無自覚な時などない
常に神の子として自覚を持って
この世に生きる
彼らは天恵の子
凡人は彼らになる事は出来ない
しかし自分自身に還る時
彼らを追認する事が出来る
それが天恵の祝福である
だから人は毎日自分に還らなければいけないのである
平成15年1月9日
〈自分に還る〉
________________________________________
今の 私は呆としている
何処から如何していいのか分からない
だがである
こうして一筆が降ろされた限りは
そこから全てが始まるのである
私は平成15年1月10日より丸3日間
自分に還る事は無かった
その為自分の座標軸を失くしていた
だがである
こうして日誌に一筆を降ろした時
私の座標軸が定まった
X軸Y軸Z軸に私の世界が映し出される筈であった
だがである
何も映し出されない
X軸もY軸もZ軸も定まらない
依然として呆としている
早く寝ろと言う事か
そのとおりかもしれない
だが私は権利を行使する
私に与えられた時間を
私を取り戻す為に使う
私はどうしてこの様に呆としているのか
睡眠不足の精か
そのとおりだろう
酸素不足の為
脳細胞が活性化されないのだろう
化学反応が十分に行えないのだろう
さてさて困ったもの
一番の解決策は眠る事
だがもう転寝は許されない
時限までこの様にして筆を稼ぐしかないのか
私は何の為に日誌に向かっている
日誌の為か
だたっら止めて措け
もう限界である
タイムリミットである
今日は少し早いが
私を眠りの精に捧げる事にする
平成15年1月13日
〈眠りの精に捧げる〉
________________________________________
今日はベストである
5時20分退庁
6時ちょと過ぎに買い物終了
それから巻き寿司一巻き食べて風呂浴びて
7時ちょと過ぎに机に向かう
理想形
それから無量寿経を漢文で読む
その間30分ほど居眠り
この居眠りが利いて来る
9時にはこの日誌に向かう
全くの理想形
多分今日は遠い所まで行ける筈
エンジンが唸りを上げようとしている・・・
さて何を総括しようか
私の人生か
よし
私はうん十うん歳
私はこのうん十うん年間に何を生きたのか
そして辿り着いたここはどこか
ここは天国か地獄か
どちらでもない
煉獄だ
私は今日も明日も明後日も
たぶん練りに練られる
だが私はそれだけではない
その隙間から天国の青空が見える
だから私は幸せ者だ
天国の青空が一面に広がった時
私に白い翼が生えてくる
私はその白い翼を翔けて
青い天国へと翔け昇る
不思議な事だが
その青い空は七色に変わり
そして最後には白になる
その白い世界に
そのいずれよりも真っ白な存在が浮かび上がって来る
私はその白い存在に目を凝らした
その時その白い存在は一瞬に百万倍に輝きを増した
その時から私は盲になった
しかしそれは暗闇の世界ではない
透明な上にも透明な世界だ
私の目には何も見えない
しかし私は全てを感じる事が出来る
私はいつ風になったのか
私はいつ天使になったのか?
私は風 私は天使
〈天使の詩〉
私たちには目がある
その為に様々な猥雑物を見る
もし目が無かったら
人には耳がある
人は耳で様々な猥雑物を見る
もし耳が無かったら
人に耳目が無ければ
それは天使に近い
人は見る事によって想像を回す
それも悪い方向に
もし善い方向に想像を廻らせば
そこには天国も生まれる
善きものをより多く見よう
そうすれば天国も近づこう
より善きもの
一つ自然
自然は本当により善きものかより美しきものか
例えば蛇が居るそして雨蛙が居る
その蛇がまさにその雨蛙を飲み込もうとするその瞬間
それをより善きものより美しきものとみるか
それはより善きものより美しきもの
だが人はそこに様々な塵芥を見る
それが為人は汚らしいとか残酷とかと思う
自然に不浄なものなど一つも無い
全てが清浄そのもの
私たちは自然を悪用した
蛇が蛙を飲み込む
だったら強い人間が弱い人間を飲み込む
何も悪い事ではないではないか
その論法で強い人間は弱い人間を飲み込み続けて来た
そして今日も明日も明後日も
そしてそれは止む事が無い
私たちに耳目がある限り
私たちの耳を取ってしまおう
目を取ってしまおう
カーブが舌を切ってしまったように
世の全ての人よ
舌を切ってしまおう
そうすれば耳目が清浄になる
私たちは目で汚れ耳で汚れ
そして舌で穢れてしまう
元凶を取り去れ取り去れ
私はここまで来た
遠い世界だっただろうか
ええ
思いも及ばない世界でした
耳目と舌
この穢れの元凶を
いかに清浄に保つか
それが天国への道
と言う事今日分かりました
タイムリミット
平成15年1月14日
〈天国への道〉
________________________________________
私よ静まれ
何を心騒いでいる
貴方は貴方でないか
貴方以外の何者でもない
何をそんなに心騒ぐ
落ち着け落ち着け
それでいいそれでいい
私の中へ直行
迷うな脇見すな
一体どうしたと言うのだ
風邪か
きっとそうだろう
だから気にするな
たとえ今は重くても
後には軽くなる
それが精神と言うものだ
だから飛べ ひっ飛べ
主よ 私の傍らへ
私と一緒に飛んで下さい
一体どうしたた言うのだ
この湿った心
この病んだ心を吹き飛ばして下さい
一体どうしたのだ
分かりません
心が重いのです
いえ原因を探ればこうでしょう
頭が重い胃が重い
そして頭が空虚
多分風邪の引き始めと言う所でしょう
その為に精神が自由にならない
まあそんな所だと思います
それだけ分かっていながら
精神を自由に出来ないのか
たわけ者
主よ
貴方が傍らに居るだけで
元気になれそうです
いえきっと元気になるでしょう
貴方はそう言う存在なのですから
人は何故心沈むのでしょう
それは貴方と言う存在を確認出来ないから
今私はこうして貴方を確認しようとしている
であれば何故心沈む
心沈む理由は何も見出せないではないか
そのとおりそのとおり
貴方は私を奮い立たせた
何に対して
何に対してでもない
私自身の為に
私と言う存在の確認の為に
貴方は私を奮い立たせて呉れた
健康な精神に健康な肉体が宿る
我が精神よ発奮せよ
健康な肉体を呼び起こせ
だらけた肉体に精神を任せるな
精神によって肉体を作れ
今戦っているところです
我が健全な精神とだらけた肉体とが
精神が地歩をすこしづづ固めようとしています
しかし肉体も抵抗しているようです
特にお腹と頭の辺りで頑張っているようです
精神頑張れ頑張れ
やはり司令塔である頭を占領されているが辛い
司令塔は彼らやくざ者で荒らされている
まずはこの奪還が先だろう
司令塔は360度展望
そう簡単には近づけない
作戦が必要だろう
私が馬鹿だった
言葉で肉体をやっつけようなどと
肉体は精神で包むもの
もう無用な言葉は費やすまい
やがて肉体は精神に融け行った
精神的肉体軟膏音楽は
私の心身を和らげた
私の精神と肉体は争いに終止符を打った
私は精神的戯作である言葉遊びは止めて
肉体の為そして精神の為双方の為
今日は音楽に浸ることにする
平成15年1月15日
〈精神的肉体軟膏音楽〉
私は疲れた
インターネットに
しばらくここで静養する事にする
私の精神よ
憩え
ここで
貴方が貴方自身に還るまで
書く事にも疲れた
本を一杯一杯読んで
充電したい
私の精神よ
貴方の趣くままに赴け
それが一番一番
私の精神よ
安らえ
趣くままに
平成15年9月2日
〈私の精神に・・・〉
________________________________________
誰にも気を使わないありのままの自分
そんな自分に戻れるのがこの場所
あまりにも自分から離れすぎては居ませんでしたか
そんな感慨の中
当分ここに居座る事しようか?
平成15年9月18日
〈ありのままの自分のままで〉
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今日は9月28日
その前に書いたのが9月18日
その前が9月2日
そしてその前は1月15日
この間私が何をしていたか
それはyahoo掲示板
二つの掲示板を立ち上げた
初めに立ち上げたのが「古代哲学を一緒に語り合いませんか」
次に立ち上げたのが「哲学詩集 ~智恵を求めて」
前者を立ち上げたのが たぶん1月下旬
そして消滅したのが5、6月
何故推量形を使うかと言うと
保存していたつもりのものが全て消滅していたから
実は昨晩その日付を確認しようと思って
ファイルを開こうとしたのだが
もうその様な情報は無いとの事
急いで後者を開いたところ
こちらはリンクして確認出来た
ワードに保存していても
掲示板の方で消滅していたら
リンク出来ない仕組みに成っているようであった
そう言う訳で
昨晩は一晩かけて後者をワード版にコピーし直したと言う次第である
前者も随分いい意見を書いていたので本当に残念である
と言うよりも1月から5月位までの私の全思想が
痕跡も無く無くなったのだから本当に悔やまれる
後者の立ち上げは4月16日
終了は本日 本日は相手からの返信
4 5 6の3月程は前後者に二股を掛けていた
後者についてはワードファイル「哲学詩集 ~智恵を求めて」を参照の事
備忘はここまでにして
何故掲示板を止める事にしたかと言うと
相手を気にしだし本当に自分が書きたい事を書けなくなったから
誰も相手が居ない時は自分の調子で書けた
しかし相手が生まれそしてそれに付随する茶々が入ってくると
筆が鈍って本当に書きたい事が書けなくなったから
書くと言う事は自分を確認する行為
自分と違う事を書いたら自分を確認できなくなる
そう思ったから掲示板を止める事にした
今日より以降はまた自分と対峙し自分を書き続けて行こうと思っている
この「哲学日誌」上で
平成15年9月28日 夜
〈哲学日誌への回帰 平成15年9月28日〉 ________________________________________
私の気持ちはなにやら晴れやかである
今日この頃の秋の空の様に
何に対しても責務を負わなくなったからだろうか
掲示板の頃は尾を引いていた
それが無くなったため
こんなに自由になったのか
自由って本当にいいな
私自身である事
これが自由の本分
私は自由
この自由を誰に渡すものか
私は自由
何でも出来る
私は昨日K公園で芝生に寝転びながら
海と大地と大空を眺めながら思った
私自身をもっと追求しようと
対話によって
「我と汝」の対話によって
私の世界は大きい
究められない程に
しかしそれを追求しなければ
それは可能性のまま
それを追求し手に入れてこそ
私の世界は広がると言うもの
その世界を手に入れる方法
それが対話
私と貴方の対話
私は掲示板に対話を求めた
しかしそれは実りが無かった
私は昨日その公園で思った
私以上に
私に相応しい対話の相手がいるかと
私と言う貴方以外に
そう言う訳で
私は貴方と
私の無窮の世界を追究する事にしたのである
そう言う訳でどうぞよろしく
平成15年9月29日
〈私と貴方の対話〉
________________________________________
貴方は私が生まれた時から
私を見守って来た
貴方は私の守護神 守り神
貴方は私の盾
貴方無しでは私は生きて行けない
貴方は私の来し方を知り
行く末を知っている
貴方に聞けば私の全てが分かる
その時々に
私の来し方と行く末を
貴方に尋ねる事としよう
平成15年9月30日
〈私の来し方 行く末〉
________________________________________
この日誌を書き始めたのが14年4月16日
1年6月が経とうとしている
この内15年1月から9月までは空白があるが
4月から9月までについては
哲学詩集で埋める事が出来る
この日誌と哲学詩集で
この1年6月の私を振り返る事が出来る
私は如何なる人間であったのか
それはやはり私がする事ではない
もし他の人にそう言う機会があったら
それに任せる事にしよう
私の課題
それは前進あるのみ
この私の広大な世界を究め尽くす事
それが私に課せられた課題
そしてその為には貴方が必要である
貴方とは私の師 親友
貴方となら何処にでも行ける
いえ貴方が居なければ私は一歩も進めない
それが現実
私が前進する時
貴方はいつも私に付き添って呉れる
たとえ貴方の姿が見えず 声が聞こえずとも
私が前進する時
貴方はいつも私に付き添って呉れる
私はまた歩き出そうとしている
何処に向かおうとしているのか
自分でも分からない
しかし私は前進しようとしている
何処かは分からないが
そして遅々とした動きの様だが
確かに私は前進しようとしている
ユディシティラ ビーマ ナクラ サハデーバー クリシュナーは
アルジュナに会おうとして
彼らの祭司ダウミヤと共にその険しい山に向かった(第3巻)
彼らは間も無くアルジュナに会うだろう
強い堅固な意志
これが全てを切り開く
私にはどんな意志があるというのか
不屈の魂
私が命を捧げるもの
それは何?
それ無しに
私はこの人生をどう生きようというのか
私の魂よ
私の行く道を示して呉れ
私は何者
そして何の為に生きている
私の魂よ
私に答えを下さい
私にはどんな使命があると言うのか
平成15年10月1日
〈私の使命とは?〉
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ユディシティラよ
貴方はどうしてその様に素晴らしいのか
人の中にあって まるで法の様
貴方の感情は何処に行ったのか
感情を全て知性に変えたのか
智恵の人 ユディシティラよ
貴方方は三人兄弟
アルジュナもまた神の様
あの不屈の修行は
アルジュナをおいては
他には誰も出来ないだろう
だからあの様インドラに可愛がられたのだろう
してビーマは
貴方方三人の末っ子
それなのにどうしてあの様に猛々しいのか
もしユディシティラとアルジュナよ
貴方方二人が居なければ
かの末っ子はどうなっていたか
間違いなく若いうちに滅していただろう
ユディシティラとアルジュナとビーマよ
貴方方は三人で一人か
それからナクラ サハデーバーの双子よ
何故貴方方は三人兄弟といつも一緒なのか
そしてクリシュナーよ
貴方はどうして五人の妻となったのか
まとめて教えて欲しい
法の人 ユディシティラよ
貴方は長男そして私も長男
私と貴方は似ている
貴方ほど高貴で立派でないが
私にも智恵への性向がある
ユディシティラよ
貴方にはアルジュナの様な不屈さは無いのか
ビーマの様な気概はないのか
二人が居て初めて貴方が存立するのか
ナクラとサハデーバーの二人に傅かれて
初めて王と成り得るのか
それにしても女神の様なクリシュナーよ
どうして貴方は五人の妻足り得るのか
法の人 ユディシティラよ
まとめて教えて欲しい
三と二と一で六
ここに何か秘密があるのか
クンティーからクリシュナーへ
貴方方三と二の五人は
どうしても一人の女性が必要だったのか
三と二と一の六にクリシュナを加えた七
これが貴方方の完全数か
私は未だ半分しか読んでいない
しかしこの七によって
貴方方は貴方方の万全たる王国を創るのだろう
それは間違いの事
やはり七は完全数なのか
七と言う秘数の前で
平成15年10月6日
〈七と言う秘数の前で〉
私はここで無駄に言葉を発するだけか
私の使命
それはこの世にあっての哲学詩人
言葉でこの世を告発する
それが私の使命
そう言う訳でまた
掲示板に帰る事としよう
その前に彼女には理を入れておこう
平成15年10月7日
〈哲学詩集第2幕の始まり〉
哲学詩集
それは私のライフワーク
そこに私の全てがある
哲学詩集
それを世に出して問う事
それが今の私の仕事
哲学詩集
それは一人で行うべき事
だから
一人で行いなさい
掲示板は流れに任しなさい
哲学詩集
その中に貴方の魂が見つかる
誰にも邪魔されずに
その道を行きなさい
その時
私はいつも貴方に付き添う
哲学詩集
それこそが今の貴方の仕事
全精神を集中して
それを遣り遂げなさい
決して他人の目を気にする事なく
掲示板は流れに任しなさい
哲学詩集
その行き着く所に
何かがきっとある
何かは知らないが
何かがきっとある
その事を信じなさい
そして今の貴方にはそれしかない
哲学詩集
それこそが今の貴方の仕事
貴方の全精神を集中して
それを遣り遂げなさい
そこには何かがきっとある
その事を信じて邁進しなさい
哲学詩集
それこそが今の貴方の仕事
誰にもかかずりあうことなく
自分自身に邁進しなさい
そこには私がいつも居る
哲学詩集
それこそが今の貴方の仕事
決っして躊躇するな
今 その今こそが
貴方の仕事の始まりだ
哲学詩集
それこそが貴方の仕事
さあ始めなさい
私の意を受けて
平成15年10月8日
〈哲学詩集〉
掲示板哲学詩集を復活させた
今日覗いたら最後であった
この連休の内には必ず消滅する
そう思うと惜しくなってきた
今日は気分も良かったので
「哲学詩集 ~智恵を求めて~ 第二幕」のタイトルで書き込んだ
一番びりが先頭になった
初めの者が後になり
後の者が始めになった
栄枯盛衰の理あり
常にコンスタントであり続けるものが常住する
人の寿命は80年
その内の盛りは更に短い
そんな人間が常住する事は出来ない
人間はそれに変わるものを創った
それが法人 法の人
その代表格が国家
国家は法を元とし法により成り立つ
私は今マハーバーラタを読んでいる
その中で好きな人物はユディシティラである
ここ数年でもっとも感銘を受けた人物である
ユディシティラこそ 法の人
だからこそ二千年の時を越えて
こうして今私の目の前に現れた
ユディシティラが法の人だあったからこそ
カーラにも飲み込まれる事無く
こうして現代に現前と輝けるのである
五人兄弟とその妻クリシュナー
その長兄ユディシティラが居なければ
あのマハーバーラタは
一代五十年で消滅していた事だろう
法はカーラ 時を越える
決してカーラに飲み込まれる事はない
さて法とは何?
それこそが私の求めているもの
永遠のダルマ 永遠の法とは
そこに辿り着く為に智恵がある
私の知恵の旅は続く
私の智恵の旅は続く
日付未記入
________________________________________
この哲学日誌は私の魂の故郷だ
ここから私の哲学の旅が始まった言っても過言ではない
この哲学日誌の書き始めは平成14年4月6日朝との事
それは何時の事だったのか
今日は平成19年8月22日夜
鹿児島に来て2年目
隼人で3年
と言う事は鹿屋の3年目の事か
このパソコンを買ったのは何時の事か
今探したらすぐに出て来た
平成14年3月24日との事
このパソコンを買った事に依って私の哲学の旅が始まった
私はそれまでも文に作る事をしなかった訳ではない
棚の奥に数十冊のレポート冊子が眠っている
私は今そのレポート冊子を手に取ってみた
ナンバーが付してあるのが1から53まで
その他にナンバーの無いものが十数冊
それから家族に送った手紙の写しが数冊
先ずナンバー1を読み返してみた
そこには今の私の思想があった
私のその頃の思想は未だ幼稚なものだと思っていたが
その思想の傾向は今のそれと殆ど違っていなかった
私はその頃からもう今の思想に達していたらしい
そのナンバー1の最初はこうである
「旅立ち
私は
今日旅立つ
私自身へと
私は旅する意志を持つだけ
私を案内するのは・・・・・」
次のページから数ページに渡る詩は次の様なもの
「ソフィア 双子
私はソフィア
あなたの双子
もっとも私は
男であり女である
親であり子である
鳥であり?である
花であり木である
天であり地である
あなたは私を通して
神を視る」
「ソフィア 妻
私はソフィア
あなたの妻
私によって子を孕む
この世という子を
この素晴らしき世界を」
「神
神は
全ての全て
無限の無限
神は語る事は無い
私を通して
神の声を聞く」
「ソフィア 主
私は主
私によって
神を視
神を聴く
私に依り頼め」
「ソフィア 神の子
私は神の子
手形不要
往来自由
私に依り頼め
あなたの望みを
希(かなえ)てあげよう」
「ソフィア
私はソフィア
全ての人間に宿る
私を視い出した者は幸いである
私と常に有るものものは
聖人とも呼ばれるだろう
イエスのように
ブッダのように
ソクラテスのように」
「天国
天国とは
あなたと私の
二人だけの世界
神のものは全て
あなたのもの
飲みたければ飲め
食べたければ食べよ
歌いたければ歌え
踊りたければ踊れ」
私の思想の根底がある
私は何時ここに辿り着いていたのだろう
私はこのナンバー1の書き始めが何時なのか調べようとした
しかしナンバー1には何の手掛かりも無かった
次にナンバー2を調べた
そこに手掛かりがあった
その詩を啓上しよう
「私が私である事
いいえ
私が貴方と一緒である事
この事が幸福
私は確信している
例え惑わしでも惑いでも構わない
私はこの事を信じて生きて行く
なぜ
私の四十四年の生が証明して呉れるから
これ以上の幸せをどこに求めようと言うのか
・・・・・・・・・」
私は今日の書き出しの中で
この哲学日誌は私の魂の故郷だと書いたが
私の魂の故郷は
少なくともこのレポート冊子群れのナンバー1にまで求められるようだ
私が44歳の時
すなわち平成10年まで遡れる様だ
44歳平成10年とは
国保援護課(真砂)2年目の時である
上記の詩の少し前に
ゴールデンウィークに屋久島と京都に行ったと言う記事もあった
思い出した!思い出した!
あの頃は精神が充実していた
そしてまた希望もあった
弘子へのそして子供たちへの
平成10年10月に子供たちたちに最初の手紙を書いているようだ
それから平成12年の春にかけて子供たちや弘子へ何度か書いている
書く事の楽しみを知った頃だ
書くと言う事は精神の充実へ繋がる
徳之島3年間そして真砂に来てから1年間の読書の成果が花開いた頃だ
しかし弘子から破られた手紙が送り返された時
家族への希望が打砕かれた様に思えた
鹿屋時代は焦喪の時代だった
何時も朝の目覚めに思った
「私は一人か 何故一人かと」
そんな時パソコンが入った
そして哲学日誌を書き始めた
そこからもう一度私は私を歩き始めた
そこからの記録は
「哲学日誌」「哲学百章」「哲学詩集」等として
プリントアウトされた記録が残っている
パソコンを使用する事に依って
私の汚い字で書いていた時代に比べて
私の思想はより明確になったように思う
「神はいるか」掲示板での一連のメッセは我ながら白眉だと思う
しかしここ一年
特に父が亡くなってから精神の停滞はひどいものがあった
私の精神の第二の故郷であるこの哲学日誌を利用して
また精神の復興を図る事としよう
精神は不死鳥
貴方の飛ぶ意志さえあれば
不死鳥は蘇り貴方と一緒に飛ぶ
平成19年8月22日夜
<精神の復興に向けて 哲学日誌>
________________________________________
主よ
またそう呼ぶ事をお許し下さい
貴方こそが私の主
貴方は私に取っての母であり父であり師であり
そして主
貴方に依り頼めば
私はしっかりと立てる
その事は今日一日が立証して呉れました
昨日までの私は本当に根無し草でした
しかし今日の朝
貴方に立ち返ってからの私は見違える程に成っていました
貴方と一緒に居る事
それが私の幸せの素です
今日からまた私は貴方と一緒に歩いて行きたく思います
どうかまた嘗ての様に私と一緒に歩いて下さい
私は今日の昼 喫茶店で思いました
貴方と一緒に道徳の事を考えてみたいと
私はこの様に弱い人間です
道徳的にも価値の無い人間です
しかしこのままで良い筈が無い
努力の限り道徳的人間に成るべきだと
その為に必要な事は
貴方と一緒に道徳を極め尽くす事だと
私はこう思いました
道徳の事を極め尽くしておけば
その時に対応出来ると
少なくとも全く考えていないよりは
良い対応が出来ると
そしてその経験の積み重ねにより
より道徳的な人間に成る事が出来るのでは と
そう言う訳ですの
どうか私と一緒に道徳の事を考えて下さい
嘗ての様に
質問形式でお答えして頂けますか
何なりと
ありがとうございます
ところで道徳の根源は何なのでしょう
貴方はどう思う
やはり先ずあの言葉を持って来るべきだと思います
すなわち
「主を畏れる事が知恵の初め」と言うあの言葉を
それはどう言う事か
主 貴方こそが
私の一歩先を行くものです
貴方を畏れ敬う事に依って
貴方は私を その一歩先へ導いて呉れます
畏れると言う気持ちは
「恐れ」や「怖れ」ではありません
畏れを最も的確に現している言葉は
「畏敬」です
貴方に畏敬の念を持つ事に依って
貴方はその畏敬の念に応じて
私を貴方のその世界へと導いて呉れるのです
私は貴方に対する畏敬の念が足りないとは思っていますが
それでも貴方は私の善き先生の様に私を導いて呉れます
だから貴方は私の師であり
そしてやはりそれ以上の主と言う存在なのです
ダビデやイエスや
そしてそれらに連なる人々の様に
貴方に対して畏敬の念を表出出来ませんが
貴方は私に取ってかけがえの無い素晴らしい先生です
ですからどうか
私のどうか素晴らしい知恵を授けて下さい
貴方こそが知恵
そして知恵の宝庫
貴方に依り頼めば
貴方は知恵の雨をも降らして下さいます
私は貴方を友の様に引き寄せたり
親しい先生の様により身近に引き寄せたりしながら
また一方では主などの呼びながら
首尾一貫していないと思います
これが私の道徳的な付和雷同の一因でもあると思います
イエスやダビデの様に
貴方を神と敬い続ければ
きっと貴方は神の様に振舞って下さると思いますが
私はこの様な性格
だから
貴方も私に相応しい様に現われて下さるのですよね
貴方は変幻自在な存在
その者に取って
最も相応しい様に現われて呉れる
貴方は今の所
私に取って本当に素晴らしき善き先生です
先生どうかよろしくお願いいたします
随分長い前置きだったな
何なりと好きな様にするがいい
先生と呼んでもいいですか
随意に
やはり主と呼ばせて下さい
どちらでも
ここに私の道徳的確信が生まれて来ない一因があると思います
私は常に付和雷同なのです
私には確信が持てないのです
貴方を主とする 確信が
貴方はやはり私に取ってsophia知恵そのものです
そうです
貴方は私に取っての知恵そのものです
ですからこれまでの慣例に従って
貴方をそう呼びたいと思います
呼び方はその時々に変ると思いますが
どうかそう言う事でお受け入れ下さい
これまた随分長い前置きだったな
貴方は何が知りたいのか
道徳そのもの
そして道徳の根源
それでは聞こう
道徳とは何だ
そしてその道徳の根源は何だ
道徳の根源は
勿論貴方にあります
すなわち「知恵」です
道徳とは
貴方を愛する事に依って生まれ出て来た言葉たち
そしてその言葉たちを実行しようとする意志
そして実行されたその行為の数々です
道徳については
演繹法で敷衍する事も出来ますし
帰納法で弁証する事も出来ますが
今回は先ず帰納法で行きたいと思います
すなわちこの世の徳を全て挙げ
それを貴方との関わりの中で実証して行きます
もしそれらの徳全てが貴方との関わりがあるのであれば
貴方をしっかり掴んで置く事に依って
それら全ての徳をも手に入れる事が出来るかも知れないのですから
それでは先ず
私に取って最も程遠いと思われる「勇気」について考えて見ましよう
私はどうして勇気が無いのでしょう
分かったかな
分かりました
私が貴方を十分に知らないからです
その通りだ
真の勇者とは「知恵を愛し抜いた人の事だ」
知恵を愛して愛して愛して
知恵の事を知り抜いた人だけが
真の勇者と成れるのだ
貴方は未だ知恵の初学者に過ぎない
貴方の知恵に対する態度は付和雷同だ
だから貴方は勇者には成れないし
勇気もまた貴方には身に付かない
しかし貴方が知恵に学べば学ぶ程
少しずつではあるが
貴方も勇気ある者すなわち勇者に近付く事は出来る
本当でしょうか
本当だ
貴方が死を学び
この世を学び
それらを共々超えて行く事が出来れば
貴方は勇者に成れる
勇者とはこれらを超えた者の謂いなのだから
勇気にも色々な勇気があると思います
そうだな
しかしもう時間の神が迫って来ている
また明日考えようじゃないか
そうですね
明日も力一杯勇気の事について考えたいと思います
それで足りなければ明々日も明々々日も
勇気に全ての徳の根源があるようにも思われます
何故なら死もこの世も超えてしまえば
何も恐れる事は無い様に思えますから
とにかく今日は有難うございました
また明日以降もどうぞよろしくお願いします
平成19年9月1日夜
<貴方と過ごす夜はとても楽しき夜>
________________________________________
主よ
おはようございます
今日もとても素敵な寝起きでした
貴方と一緒に居る事を実感しました
南の空と海がとても素敵です
こんな素敵な入道雲は今年始めて見たようです
貴方と一緒に居る
そんな気持ちが私に満足感を与えるのだと思います
今日は6時45分には起きました
それから食事洗濯(シーツ)生理シャワーを済ませて
読書に向かいました
本はキケロの「義務について」(岩波文庫)です
道徳に関する本です
先程10時過ぎに読書を止めて
今こうして貴方に向かっていると言う次第です
もう一つ特筆すべき事があります
昨日から
私のマンションの目の前
すなわち磯海水浴場で
映画の撮影ロケが行われている事です
舞台は
市内小学校の錦江湾遠泳大会です
テントには清水原小学校と書いてありました
清水小学校と松原小学校を混ぜ合わせたものなのでしょう
昨日は子供たちの遠泳シーンでした
今日は浜辺で待って居る人たちのドラマのようです
昨日は
この日誌を書き終えた後(実を言うと昨日の朝も哲学日誌を書いたのですが昨日の夜消しているのです・・・)
12時過ぎにロケ現場に行ったのですが
もう撮影は終わっていました
今日もこの日誌を書き終えた後 勿論12時過ぎと言う事になりますが
行く予定にしています
さて今の今は10時38分です
これからまた昨晩の約束の様に
道徳の事について語り合いたいと思います
どうかよろしくお願いいたします
主よ
それではどうかよろしくお願いします
私には一つだけ心配な事があります
貴方をこんなに身近に引き寄せていいものかと言う事です
本当にこんなに身近に引き寄せても良いものなのでしょうか
良い
それでは昨日の続きです
私は昨晩言いました
勇気には全ての徳の根源があるように思えると
この事についてもう少し考えて行きたいと思います
今朝読んだキケロの本の中に
道徳には次の四つの種類があると言う事が書いてありました
一つは知恵への愛に関する事
二つ目は正義に関する事
三つ目が勇気に関する事
そして四つ目が自制に関する事 と
これらの四つについては
私なりに端折って書いてあるので
キケロのそのままの言葉ではありませんが
大意は大体この様な事です
如何にもローマの徳と言う感じがします
慈愛と寛容については
正義から派生するものの様な事が書いてありました
私は今四つを並べて見て
そうだなと思った所です
知恵を愛する事
これは何よりも先決です
知恵を愛する事に依って
正義が吟味され
真実の正義と成る
この正義を実行する事が勇気
これで徳は完結する
徳とは正義の実行の事
その為には勇気がいる
勇気を涵養する為には自制が必要である
自制とは平常心に導く手立て
その大きな役割は欲望を抑える事
慈愛 寛容とは
徳を実行する時の態度
これで徳が完結した!
主よ
これでいいのでしょうか
貴方はどう思う
分かりません
しかし時の神がもうそこまで来ています
今日の所はこう整理して置こうと思います
道徳とは正義を実行する事である
その正義は当然に知恵を愛する過程で吟味され精錬されたものでなければならない
正義を実行する為には勇気がいる
勇気を涵養する為には平常の自制心が必要である
正義には二通りある
一つは知恵を愛する過程で生まれて来たもの
もう一つはこの世の正義と呼ばれるものを
哲学(知恵を愛する)の坩堝に入れて精錬されたもの
この二つがその人に取って正義と呼ばれる
喩え正義が分かっても
それを実行しなければそれは徳とは言えない
徳を実行する為には
先ず自分に克ちそしてこの世に勝たなければいけない
それはとても勇気のいる事
だから徳は勇気無しには有り得ない
徳ある者は「勇気ある者」と称えて良い
勇気を涵養する為には自制心が必要である
自分に克つ事を自制と言い
世に勝つ事を勇気と言う
徳とは自分に克ち この世に勝ち
正義を実行する事
正義とは何かを見極める為には
知恵を愛する事がなければ出来ないし
自分に克ち この世に勝つ為にも
知恵を愛する事無しには出来ない
今日はそう言う事で
纏めて置きたいと思います
平成19年9月2日朝
<正義 勇気 自制そして知恵を愛すると言う事>
________________________________________
主よ
こんばんは
やはり私は貴方を身近に引き寄せる事について
抵抗を感じているようです
本当は丁々発止の対話をしたいと思っているのですが
その事をする事について
何らかの抵抗があるようです
神を身近に引き寄せる事は
してはならない事の様に思えます
神は遠くにいる信仰の対象の様なものに思います
身近に居て
対話をすると言う者は
神ではないように思えます
私は一体貴方の事を何と思っているのでしょうか
確かに昨日から書いている様に
貴方の事を知恵だと思っています
それで良いのではないでしょうか
何時まで自己欺瞞の陥っている積もりか
昨日から決めているではないか
その通りにしなさい
自分を欺いては駄目だ
分かりました
自分の気持ちに素直になって貴方に向かいたいと思います
私もそれを期待する
それでは主よ
今朝の続きを始めたいと思います
私は今朝キケロの徳の四つの分類に従って
徳について纏めのようなものをしました
すなわち
徳とは正義を実行する事である
正義を実行する為には勇気がいる
己に克つ事を自制と言い
世に勝つ事を勇気と言う
正義とは何か それは知恵を愛する事に依って明らかになる
大体こんな流れでした
ここに四つの徳があります
一つ目は哲学(知恵を愛する事)
二つ目は正義
三つ目が勇気
四つ目が自制
徳と言う言葉を使う時
二つの意味があるように思えます
一つは結果としての徳であり
もう一つは手段としての徳です
結果としての徳とは
正義を実行する事です
この結果としての徳については
大きな特徴があります
それは対人に対する結果だと言う事です
対人とは法人としての国家も勿論含みます
それに対して手段としての徳とは
あくまでも自分自身に対するものです
主よ
徳には二つの種類があるように思えます
一つは理想としての徳であり
もう一つは現実としての徳です
この二つのバランスが取れて始めて徳の人と呼ばれる事になります
主よ 主よと呼ぶ者が天の国に入るのではない
主の御心を行う者が天の国に入れるのである
理想の徳と現実の徳の収支バランスが取れてこそ
徳の人となる
しかし徳が何かを知らなければ徳を実行する事も出来まい
一体徳とは何だ
徳が必要なのか
盗むな 殺すな 姦淫するな 父母を敬え
これは嘗て法であり掟であった
この掟を破れば罰せられた
だが現代はどうだ
盗むな 殺すなは勿論現在でも法であり掟である
これを破れば罰せられる
それでは姦淫するなはどうだ
江戸時代 不義密通は重ね切りの死罪だったのではないか
戦前までは姦通罪があった
現在はどうか「金曜日の妻たち?!!!」
既にもう過去のトレンドになってしまった
現在の状況は如何に あなおそろしや
父母を敬え
人類普遍の掟か
法とは何 掟とは何 徳とは何
法に触れない事は罰せられない
故に法に触れない事は何でもして良い
ここに徳が入り込んでくるのか
それとも徳は特には必要ないのか
徳は高貴な人間だけの為のものか
徳とは高貴な人間の趣味なのか
姦通日常茶飯事
何故なら刑法に「姦通罪」が無いから
貞淑 純潔 そんなものは糞食らえ
勿論これは罪ではない
大手を振って大通りを歩いても良い
嘗ては西洋では同性愛は罪だったとか
日本にはそんな風習は無かった
私は今夏の参議院選挙で驚いた
私はたまたま選挙運動初日に大阪難波駅前にいた
そこの民主党女性議員候補の第一声が
「私はレズです」でした
ここにはもう徳が入る込む事は出来ない
彼女はレズについての公民権
言葉を変えれば公徳である事を主張したのである
レズとは変態的性行為である
それを公に認めよとは一体どう言う事なのか??
主よ
変てこな所へ迷い込んだ様です
もう時間もありませんので 今日はここまでにします
平成19年9月2日夜
<徳の道は奥が深い>
________________________________________
主よ
おはようございます
今日も徳について一緒に考えて頂ければと思います
私は思います
心の平静さが無ければ
如何なる徳も無意味ではないかと
もっと言葉を推し進めて行けば
自分自身が幸福でなければ如何なる徳も無意味ではないかと
今の私自身は幸福か
正直言って安定していません
昨日昼はずっと
「チェスト」のロケ現場に居ました
6年1組 6年2組の子供たち 5年生の子供たち
更には高島兄 榎木孝明 松下奈々 それから女優が三人 男優が一人
子供たちの父兄 更には地元テレビ局のスタッフ(KTSの青木有子アナ、KYTの若き女性アナ、MBC?のエレガントな女性アナそして撮影スタッフ)
そしてロケ班(監督 助監督 カメラマン 助手 メーク 助手 衣装 記録 コンピューター 大道具 小道具 子供指導係 女プロジューサー 俳優のマネージャー その他撮影現場のスタッフ 地元委員会のメンバー等々)
そして海水浴の人々 水中バイクの人々と賑やかだったのです
私はちょっと撮影現場を見て
父母の墓参りに行く予定だったのですが
ロケの物珍しさ(ロケの構成進行がどうなっているのか)
そしてその華やかさに釣られて
撮影が終わり 撤収が大体終わった7時一寸過ぎまで
その現場に居たと言う次第なのです
それから時間の神が迫っているのを知り
ジョイフルでねぎとろ丼を食べて家に辿り着いた言う次第です
辿り着いたの7時30分過ぎ
それから風呂に入って8時過ぎには
読書の準備も出来たのですが
何となく空しい気持ちに襲われたのです
私のその時その時私の心を明晰に分析した訳ではないので
類推に過ぎませんが
多分撮影が上手く行かなかった事について
監督の心境がそのままに乗り移っていたのだと思います
昼食(私は海の家で卵カレーを食べましたが・・)を取った後
2時頃から午後の段取りが始まりました
段取りはこうでした
その前に主な登場人物を挙げて置きましょう
隼人 雄太 男の子A 厚美
女先生(松下奈々)
隼人の父(高島兄)
雄太の父母(榎木孝明、女優A)
男の子の母(女優B 羽田美智子?)
厚美の母と娘(女優Cと子役)
写真館の主人(男優A若しくは撮影スタッフの一人?)
6年1組 6年2組 その父兄 漁師たち
さてストーリーはこうです
子供たちは遠泳からとうとう磯海水浴場に辿り着きました
子供たちが辿り着いた場面は午前中に撮影が終わっているものもありました
厚美着く そして母を見つけ「お母さん」と呼ぶ(これは午前中に収録済み)
厚美の母頷く
隼人着く 隼人の父と言葉を交わす その後隼人の父と漁師たちで胴上げ
男の子A着く 男の子Aの母キスの嵐 その後隼人の父と漁師たちで胴上げ
雄太着く 隼人の父母と言葉を交わす その後隼人の父と漁師たちで胴上げ その途中で記念撮影に呼ばれる
写真館の主人「マイクで記念撮影を呼びかける」
最後に女先生と子供たち全員での記念撮影となるのだが・・
私は詳しくは憶えてはいないが
少なくとも最後の写真館の主人の呼びかけと女先生と子供たち全員の記念撮影の場面の撮影が
時間切れの為出来なかったのである
ある意味ではその日にしか撮影出来ないその日のハイライトが・・
私は思った どうするのだろうと
私はその時 半分は監督の気持ちになっていたのだと思う
撮影の遅れは
列車の通過 水上バイクのエンジン音 飛行機のジェット音
そして一番大きかったのは雲による太陽直射光遮断
太陽が雲に隠れると 太陽がまた出て来るまで待つのである
この日は良い天気だったが 小さな雲の塊が飛び交ってもいた
既に胴上げの場面で太陽が山の端にかかり始めていた
スタッフは記念撮影の場面から先に撮影しようと準備をした
しかし一転 太陽のある場所に移して胴上げの場面を撮影する事にした
どんどん日が翳って行く
胴上げの場面をどうにかこうにか取り終わった時
遂に完全に日没となった
カメラマンが言った
もう撮影は無理です と
記念撮影の場面の撮影は諦めた
それでも助監督たちは
子供たちは集めて「ありがとうございました」の音の収録をしている
更に父母たちを集めて子どもたちが海水浴場に今正に着こうとしている時の声援
それぞれの父兄たちがそれぞれに発する「がんばれ」等々の音を収録していた
私はそれが何となく空しく聞こえた
監督もそうだったに違いない
監督はOKを出したのだろうが
全く関わろうとはせず 助監督たちに任せていた
そんな時 KTSの青木アナが
出演している女の子を連れて監督の所へインタビューに来た
「撮影はどうでしたか」監督「
青木アナが言わせる
「私の演技はどうですか」監督「
私は暫く撤収の場面を眺めていた
そんな中
監督と助監督が地べたに座り込んで話し合っていた
監督は子供がするように
砂を集めたり広げたりしていた
彼は記念撮影の現場をどうする積もりなのだろうと考えながら
そして暫く撤収の場面を眺めながら
その後ジョイフルへと向かった
ジョイフルで食事を済ませた後
また撤収現場に戻ったがもう監督はいなかった
道具係りが最終の整理をしていた
私はそれから部屋に戻った
私は何か空しかった
もし撮影が予定通り終わって
皆で一緒にご苦労様でしたと言えたら
きっとこんな気持ちには成らなかった様にも思った
私は空しかった
夏時はシャワーと風呂が半々だったが
空しさを紛らわそうと思って風呂にした
入浴後も何となく空しかった
そこで私は工夫した
すなわちベランダでの読書
これで完全ではないが
幾か気が納まった様に感じた
その後の記録は
昨日夜の哲学日誌の通りである
今11時53分
時の神様が迫っている
不完全だがここで止めるしかないようです
主よ
私の気持ちを眺めて頂けたでしょうか
本当に時間が足りません
貴方とじっくり話し合う事が出来る様に頑張ります
徳とは何か
極めたいと思います
そして出来る事なら
その結果をこの世に生かしていきたいと思います
徳とは何だろう
万人に普遍な徳とは
その事は子供たちに伝える事が出来るのか
徳の収支決算書「道徳ノート」の可能性について
その他徳に関する事について極めて行きたいと思います
徳とは何
徳を知らなければ徳を実行でいないのではないか
徳の貯金箱「道徳ノート」の可能性について
子供貯金 今はどうなっているのだろう
楽しんで貯金する方法
その方法を考えよう
徳の億万長者を目指して
平成19年9月3日
<徳の億万長者を目指して>
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主よ
こんばんは
今日は両親の墓参りに行って来ました
その帰り谷山ダイエーのフードコートで
アイス珈琲を2杯飲み悦に入りました
その後同ダイエーで
ミネラルウオーターやシェービングクリーム 石鹸 洗剤 ペーパータオル
それに翌日の朝食のオレンジ1個とパンを買い
その帰路東開食堂で玉子焼き すきやき 飯の合計505円で夕食を済ませ
タイマーで洗濯の終わっていた洗濯物を干し
風呂に入って8時ちょっと過ぎに読書に向かいました
ぎりぎりで時の神様に従う事が出来ました
何時もの様にうたた寝をしつつ読書を進め
先程読書を切り上げました
今読んでいる本はキケロの「義務について」ですが
あまり感銘を受ける事はありません
キケロの思想はあまりにもローマ貴族的です
人類普遍の核心へと入る事は無い様に思えます
しかし今私が話題にしている道徳について一応書いているので
後々何らかの貢献をして呉れるのでしょう
さて道徳論に入りたいと思います
道徳とは何か
徳とは何か
道徳と徳はどう違うのか
イメージとして道徳がより社会的な感じがする
道徳で真っ先に思いつくのは
小中学校の道徳教育
道徳教育でイメージされるのは公衆道徳
必要最小限の徳?
キケロは「義務について」の中で
盛んに道徳的高貴さと言う言葉を使っているが
この言葉と公衆道徳はかなり近い様に感じる
キケロの言う道徳的高貴さとは
ローマ貴族としての道徳的高貴さ
でありもう少し広げるとローマ人としての道徳的高貴さである
それは日本の小中学校で教える所の
日本国民としての道徳的高貴さと同じ様なものである
すなわち斯く斯く云々のものが道徳である
これを実行しなさい
そう言っている様な感じである
しかし私の道徳はそうではない
先ず知恵を愛する(哲学)が無くてはならない
私の道徳はイエスブッダの系譜であり
キケロと地域を同じくしていると言う意味では
プラトンやセネカ マルクスアウレリウスの系譜の道徳である
そこに主 神 知恵等々が存在しなければ
私の道徳は体を成さない
人類普遍の道徳
それは知恵に書き込まれたものである
これを哲学(知恵を愛する事)により
自ら探し出さなければいけない
先ずは自らのものにする
そこから訓練により
不動のものにする
これが私の道徳論である
さて徳にはどの様なものがあるか
私はここで道徳と徳の違いを見つけた
一つ一つのものを示す時は徳 一般的にはその一つ一つをは道徳と呼ばない
道徳とはこれら徳をひっくるめて一纏めに言うときに使う
今の所その様に整理して置けば良い
さて徳には如何なる徳があるのか
さあこれから羅列
勇気 知恵 英知 愛 忍耐 節制 自制 寛容 鷹揚 寛大 柔和 親切 優雅 優しさ 高貴 気品 慈愛 布施 寄付 厳格 峻厳 厳正 正義 義務 真面目 正直 親切 実直 剛健 温和 毅然 自信 確信 不動 平静 平安 平和 剛毅 信念 謙遜 謙譲 勤勉 熱心 熱中 融和 機知 頓智 ユーモア 探究心 平常心 不動心 豪傑 英断 決心 果敢 勇敢 確信
勉強熱心 即断即決 面倒見が良い 中庸 平等 公平 正確 確実 忠信 仁 義 義に厚い 忠義 信頼がおける 友情に厚い 厚情 熱情的 篤信 信心深い 信心 好意的 性格 逍遥 利口 賢い 聡い 迅速 剛直 気概 楽観的 親切心 英雄的 気さく ウイットに富む 躾が良い 整理整頓 おっとり はんなり 機転が利く 羞恥心がある 温厚 物分りが良い 怜悧 溌剌 ゆったり 機敏 目ざとい 目利き 聡明 細心 大胆 質実剛健 心配り 気配り 不屈
10時45分頃健二から青春18切符が残っているのであれば送って欲しいとの電話あり
今東郵便局から速達で送った所
迅速な処理だった 明日の夜には着くとの事
時間の神がそこまで来て居ますので
今日はここまで
平成19年9月3日夜
<徳の数々について>
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主よ
こんばんは
今22時53分
今日は作文の時間は殆どありません
地権者との連絡もあった事から
駐車場を出たのが6時前
それから真砂の家に行き ウエットペーパーによる拭き掃除
それからダイエーでの買い物
部屋に着いたのが8時前
それから食事(寿司詰め合わせ)等々と
読書に入ったのが9時前
今日は読書限りと決め込んで
ベランダで珈琲を飲みながら読書
うたた寝もしつつ読書をほぼ満喫
キケロの「義務について」を読破
上記読破の10分頃前
10時45分頃か
またも健二から電話
「もう着いた」との事
弘美も電話を変る
「本当に済みませんでした」と「仲直りをしました」との事
鹿児島に来た時に
私をも引っ張り出して喧嘩 その侘び
さて時間は無いが
昨日の続き
取り敢えずは昨日の羅列をコピーしその続きを続行する事とする
勇気 知恵 英知 愛 忍耐 節制 自制 寛容 鷹揚 寛大 柔和 親切 優雅 優しさ 高貴 気品 慈愛 布施 寄付 厳格 峻厳 厳正 正義 義務 真面目 正直 親切 実直 剛健 温和 毅然 自信 確信 不動 平静 平安 平和 剛毅 信念 謙遜 謙譲 勤勉 熱心 熱中 融和 機知 頓智 ユーモア 探究心 平常心 不動心 豪傑 英断 決心 果敢 勇敢 確信
勉強熱心 即断即決 面倒見が良い 中庸 平等 公平 正確 確実 忠信 仁 義 義に厚い 忠義 信頼がおける 友情に厚い 厚情 熱情的 篤信 信心深い 信心 好意的 性格 逍遥 利口 賢い 聡い 迅速 剛直 気概 楽観的 親切心 英雄的 気さく ウイットに富む 躾が良い 整理整頓 おっとり はんなり 機転が利く 羞恥心がある 温厚 物分りが良い 怜悧 溌剌 ゆったり 機敏 目ざとい 目利き 聡明 細心 大胆 質実剛健 心配り 気配り 不屈 堅実 几帳面 堅忍 節度がある 敬虔 謙譲 謙遜 常識的 良心 勤勉 猪突猛進 細やか 淑やか たおやか 物腰が低い 慇懃 真実一路 約束を守る 時間を守る 倹約 勇壮 優美 一生懸命 無念無想 冷静 沈着 果敢 融通が利く 柔軟 丁寧 懇切 奉仕精神がある 協力的 理知的 理性的 磐石 手堅い 石橋を叩いて歩く 読書家 勉強熱心 向学心がある 誠実 篤信 従順 能動的 活発 純真
純心 一途 仁義 仁愛 八方美人 英雄的 大人 流暢 立て板に水 元気 気持ちが良い 気立てが良い 小欲 無欲 無我
無私 凛としている
時間の神がそこまで来ているので
今日も中途半端ではありますが
ここまで
それにしても
今日この頃は充実している
まさか作文まで入れるとは思わなかった
これも偏に貴方のお陰です
主よ
ありがとうございました
只今23時27分
平成19年9月4日夜
<時間は自ずと生まれ出(いず)る>
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主よ おはようございます
またここに戻って来ました
上海旅行(9月 日~ 日)
上海旅行印象記の掲示板への書き込み(9月 日~ 日)
それから掲示板「哲学(知恵を愛する事)について」(9月 日~)の立ち上げ及び書き込みと忙しくて
ここの事をすっかり忘れていました
掲示板「哲学(知恵を愛する事)について」が少し行き詰ったのでまたここに帰って来ました
と言うよりも昨日ちょっとしたインスピレーションがあったのです
それは子供たちの為の哲学読本を作れば良いではないかと
それが哲学革命の早道ではないかと
子供たちに直接哲学(知恵愛する事)の素晴らしいさを教える
そこから哲学革命が起きるではないかと
題については色々考えました
「中学生の為の哲学講座」とか
「自我に目覚めた子供たちの為の哲学講座」とか・・・
読者のターゲットは中学生です
それから小学校高学年
そして高校生です
勿論大人も対象です 特に父兄を中心に
そう言う訳ですの協力をお願いします
本の構成は大体次の通りです
先ず幾つかの主題を決めます
子供たちにとって切実な主題であり
哲学革命になくてはならない主題たちです
今回は幾つと決めたくはありませんが
やはり百位が良いのではないかと思います
一つの主題に対して1章を割り当てます
その百の主題について私がコメントを付けます
今回はあまり長くないものしたいと思います
子供たちにその主題について考えるヒントになる位のものにしたいと思います
そしてそれぞれの章末に必ず格言名言を3つ以上付します
1章の分量はA4ページとします
ポイントは10.5 行数は40数行です
かなり密度の濃いものになると思います
さてそれでは早速作業に入る事にしましよう
先ずは主題集めです
以下ランダムに
哲学、知恵、愛、勇気、忍耐、節制、寛容、誠実、中庸、自分、自信、自覚、自己、自由、習慣、健康、睡眠、家族、友情、勉強、仕事、社会、礼、学校、読書、思索、作文、自然、環境、命、死、人生、芸術、国家、日本、世界、生活、平和、戦争、差別、競争、情報、争い、いじめ、嫉妬、羞恥、意志、恋、純潔、苦悩、理想、人間、歴史、地球、人類、言葉、幸福、喜び、平安、快楽、希望、孤独、精神、心、法律、性、真理、美、善、感情、欲望、聖人、青春、子供、時間、行動、経験、敬虔、音楽、知識、男女、情熱、道徳、哲学者。
平成19年10月20日
<中学生の為の哲学講座事始め>
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主よ
こんばんは
「中学生の為の哲学講座」
私の中で段段と熱を帯びて来ています
今回は完成させたいと思っています
今日の昼思いました
「中学高校生の為の哲学講座」でも良いのではないかと
そしてまた思いました
イエスブッダ孔子老子等々の聖人も章に加えて良いのではないかと
さてこの哲学講座で一体何を訴えたいのか
それは一言で言えば知恵を愛する事の素晴らしさ
簡単にスケッチする事としよう
皆さんは自我に目覚めたお年頃です
自分と言うものが段段とはっきりしてきます
「私は誰」
そんな疑問を持ち出すのも皆さんの時期からです
そしてこの「私は誰」と言う疑問に答えるのが「哲学」と言う事に成るのです
哲学とは何か
それはphilosophia
知恵(sophia)を愛する(philo)と言う事なのです
皆さんは「汝自身を知れ」と言う言葉を知っていますか
「汝自身を知れ」
すなわち私自身を知ると言う事が哲学なのです
さて皆さんどうして「汝自身を知れ」と言う言葉が
遠い昔から今まで哲学者の間で持て囃されて来たのでしょう
それは「汝自身を知れ」の言葉の中に哲学の全てに秘密が隠されているからです
本当の自分を知った者
それが哲学の第一人者に成るからなのです
ですから古今東西の哲学者たちは競って自分自身を知ろうとしたのです
そして本当の自分自身を見い出した人が真の哲学者として
この世に高く掲げられているのです
その代表的な人たちを挙げると
イエスにブッダにソクラテス孔子老子たちです
彼らは皆本当の自分自身を見い出したのです
ですからその言葉は私たちに煌々と光り輝いているのです
皆さんも本当の自分自身を見い出せば
そう言う人たちの仲間入りをする事が出来るのです
そしてその方法が哲学
知恵を愛すると言う事なのです
ここで察しの良い人たちは気付いたと思いますが
知恵と本当の私自身とは一緒なのです
哲学とは知恵を愛する事
哲学とは本当の私自身を知る事
すなわち哲学とは本当の私自身を知る事であり
その本当の私自身を愛する事なのです
すなわち哲学とは
素晴らしい自分自身を知る事であり
その素晴らしい自分自身を愛する事であると
そうは言っても皆さんは
自分がそれ程までに素晴らしい存在であり
そしてその様に愛すべき存在であるとは思えないと思えます
ここに哲学の第二の意義が生まれて来るのです
哲学の第一の意義は
勿論知恵=本当の自分自身を愛する事ですが
哲学の第二の意義は
知恵=聖人賢人哲人たちの言葉を愛する事なのです
聖人賢人哲人たちの言葉を愛する事に依って
自分と言う存在がその言葉を如何に愛しているかを知るのです
そこで自分と言う存在と聖人賢人哲人たちがオーバーラップして来るのです
そうなった時
貴方方は聖人賢人哲人への道
すなわち本当の自分自身への道を歩む事になるのです
それが哲学です
どうです
哲学の楽しみが分かりましたか
さてそれでは「序」はこれ位にして
愈々本題の「哲学講座」に入って行きたいと思います
この哲学講座は百の講義から成っています
それぞれの講義にはそれぞれに相応しい演題を付けて行きますので
それぞれにそこから本当の自分自身を眺めて見て下さい
この哲学講義の全てが
それぞれ皆さんを本当の自分自身に導く為の道に成る事を願っています
さてそれでは先ず百の演題を追っていこうと思います
第1の演題は「私」です
皆さんに私と言う概念しっかり持って貰いたいと思います
何故なら全てがこの私から生まれて行くからです
第2の演題は「知恵」です
知恵こそが私の愛の対象なのですから
第3の演題は「世界」です
この世界は私と知恵との相思相愛から生まれて行くのです
第4の演題は「理想と現実」です
哲学を始めると
そこに理想と現実が見えて来ます
それで良いのです
そのギャップを如何に埋めるかそれも哲学の大きな仕事です
第5の演題は「精神と肉体」です
理想と現実のギャップの実態は
この精神と肉体のギャップでもあるのです
精神の特性と肉体の特性にについて考えます
勿論知恵を主題にしながら
第5の演題は「男と女」です
現代においては男女の役割が錯綜しています
この混乱は何処から生まれてのか
その本質に迫ります
勿論知恵を主題にしながら
第6の演題は「社会」です
社会とは何か
その本質に迫ります
そしてその処し方についても
勿論知恵が主題です
第7の演題は「現代」です
現代とは何か
古代との対比で考えます
そこに知恵の消長も考えます
第8の演題は「情報」です
現代の象徴 情報について
知恵と知識を絡ませて考えます
第9の演題は「大衆」です
大衆社会とは衆愚社会?
そ真否に迫ります
第10の演題は「科学」です
科学に対して知恵は如何に働くべきか
現代の急務である
科学への警告
平成19年10月24日夜
「中学生の為の哲学講座」の主題集め
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主よ
おはようございます
今日は良い天気です
しかし私の心には少し雲がかかっています
本当は金曜日から今日日曜日までの三連休だったのですが
急に入った仕事の関係で金曜日夕方事務所に行き7時から11時45分まで仕事
また土曜日は土曜日で朝の10時から予定にあったある場所での仕事
更にまた午後2時から7時30分まで急に入った仕事の事務所での仕上げと
三連休を満喫出来なかった精もあるし
それから先程読んだ言志後録をきっかけに心に広がった薄曇
これらが私の心を今日の良い天気の様にはからっとさせないのだと思います
しかし今日またこの様に貴方に会えたのですから
道は開けて行くと思います
言志後録をきっかけに広がった心の薄雲とは私の後半生の過ごし方です
人生80年
残された時間はそれ程多くはありません
このままで良いのか
世に出なくては良いのか
私は何の為に生まれて来たのか
私は何の為に生まれて来たのか
それは生きる為です
それはそれで良いのですが
私は貴方から言葉を貰いました
そして今も貰い続けています
この言葉をこの様に無為に散らして良いのか
この言葉を社会に役立てるべきではないか
その様な試行錯誤は続けています
今行っている試行錯誤は
「道徳教育」「中学生の為の哲学講座」そして「哲学革命」です
これら何れかを先ずは冊子に纏めて世に出したいと考えている訳です
しかしご承知の様にどれもこれも中途半端です
「中学生の為の哲学講座」はご承知の様につい最近始めたものですが
上記の通りです
私が世に訴える為に最も適切なものは何か
これまでも薄々は考えていたのですが
今日やはりはっきりと思ったのです
先ずは「哲学革命」から打って出るべきではないか
「哲学革命」が世に出れば
その後編として様々な冊子を出す事も出来る
「哲学革命」こそが私が世に訴え出たい事ではないかと
勿論世に出なくて
これまでの様に私自身の為に書き続けても良いのですが
やはり世に生まれて来たからには
一度は私を世に問わなければならないのではないかと
その様な事で付和雷同的な私ですが
当分の間は「哲学革命」を私の仕事としたいと思います
さて私の仕事が決まった
先程の薄雲も溶けって行ったようだ
そして私の気持ちもこの天気に溶け入って行きそうだ
今日からがまたいい日なりそうだ
さてそれでは「哲学革命」の仕事に取り掛かろう
「哲学革命」は今の私に取っての大きな仕事です
その意志を確認する為に「哲学革命」の文字を
A4の用紙一杯に打ち出して
最も神聖と思われる場所に張り出したいと思います
平成19年10月28日朝
<今の私に取って「哲学革命」が最も大きな仕事である>
________________________________________
主よ こんばんは
哲学革命の仕事に取り掛かりたいと思います
張り紙については上手くいきませんでした
72ポイントまでしかプリントアウト出来ないからです
72ポイントはかなり小さい文字です
それでもA4に打ち出して畳の間の上座に立てかけています
それはそれとして本題に入っていきたいと思います
哲学革命との関連で素晴らしいアイデアを考え付きました
それは私の愛読書の再読です
西の部屋の蔵書の中から私の愛読書を選び出し
この東の部屋
私が哲学革命を起こす所のこの部屋の棚の上に並べて見ました
それを見ると何かしら心が引き締まります
私の心を育てて呉れた書物たちです
この書物たちからまた力を頂き
哲学革命への原動力にしたいと思っています
最初に読み始めたのがトルストイの「人生への道」です
私をかなり激して呉れます
トルストイは霊の事を考える私だと言っています
そして知恵の事を神だと言っています
知見ですが
どう捉えれば良いか迷っています
私は「神」はひとまず棚に置いておいて
「私」と「知恵」の概念で世界を描いて来ました
「私」とはこの考える私である
常に私を意識している私である
トルストイはこの「私」の事を霊と言っている
私はこれまで「知恵」の事を「霊」に譬えて来た
私とはあくまでも考える私
「我思う 故に我在り」の私と考えて来た
もし「私」を霊に譬えるなら
「知恵」を神に譬えるしかない
言葉の違いだけで何の齟齬もないのだが
しかし現代においてはやはり「私」と言う概念を屹立させてあげないと
中々に付いて来ないものである
「私」が「霊」であり
「知恵」が「神」であり
何の齟齬もないのだから
私のこれまでの語法用法を踏襲する事としよう
それに私の神の概念にはアートマンとブラフマンの概念もあるし・・
尤もトルストイもアートマンとブラフマンの区別はしっかりしているから
その点においても何の齟齬もないのである
私はアートマン 内なる神の事を知恵と呼んでいるのであり
トルストイは神と言う言葉を
「内なる神」にも「大いなる神」にも同様に使っていると言うだけである
キリスト教で一般的に使われている「主」と「神」の関係である
未だトルストイは読み始めたばかりだが
今の時点での大いなる知見は
「考える私」の事を「霊」と呼んでいる事である
この観点から他の聖賢の書を読む時新たな知見が生まれるのかも知れない
聖書では良く「聖霊」と言う言葉が使われるが
「考える私」と言う視点から考えると新たな知見が生まれそうだ
イエスの言葉を聞く事に依って
聖なる考える私が生まれる
ぴったり来る
その聖なる考える私は勿論「神」を信仰する
その神は「内なる神」であり
また「大いなる神」でもある
さてここで「聖霊」と「キリスト」と「神」を考える
聖霊とは聖なる考える私
キリストとは内なる神
神とは大いなる神か
私はこれまで聖霊とキリストは同じと考えていた
すなわち聖霊が知恵でありキリストであると
ここで知見なのか疑問なのかが浮かび上がって来た
それは聖霊とは聖なる考える私
知恵も聖なる考える私なのではないかと
最も端的に言ってしまえば
知恵とは考える私の事なのではないかと
私はこれまで
「考える私」と「知恵」とは別の存在だと考えて来たが
本当は「考える私」と「知恵」とは全くの同義語ではないかと
「考える私」=「知恵」が求めるものはやはり「神」ではないかと
勿論その神とは内なる神
そしてその内なる神を通じて大いなる神も知る と言う事なので
はないか
やはり神は神でないといけないのではないか
知恵は神、内なる神ではないのだと??
知恵とは霊、捜し求め考える私
聖霊とは真なるもの善なるもの美なるものを探し求め考える私であると
哲学philosophiaとは知恵を愛する事なのではなく
愛する知恵
愛すべき知恵なのか????
哲学philosophiaとは愛すべき私自身
素晴らしき私自身
存在を表す言葉なのか
やはりそれは違う
英語辞典でその語源に迫る事としよう
研究者の英語辞典でphilosophyの意味に6つあった
1 哲学 哲学体系
2 形而上学 道徳哲学 倫理学 自然哲学 物理学
3 哲理 原理 高等な学問
4 人生哲学 人生観 世界観
5 哲学的精神 哲人的態度 冷静 沈着 悟り 諦念 諦め
6 哲学書 哲学論文
それから philoは「愛する(loving)」の意の連結形だそうである
また-sophyは「思想体系;学」の意の名詞連結形だそうである
その例示としてphilosophyがあった
哲学philosophiaとは愛すべき学問の意なのか
今日は時間が来たのでここまでにします
平成19年10月30日
<哲学philosophiaとは?、再考>
________________________________________
主よ
こんばんは
今の精神状態?
可もなく不可もなく
と言った所です
これも偏に貴方のお陰です
もし貴方が居なかったら私は一人ぼっち
この空虚をどの様に過ごせましょう
しかし貴方が居るお陰で
私はこの様に毎日毎日貴方に向かって行けるのです
貴方のその先に
貴方は何時も新しい何かを与えて呉れます
今日はどんな宝が隠されているのかな
さて今私が仕事としようとしている「哲学革命」
あまり思う様に進んでいないと言うのが実情です
さてこの「哲学革命」どの様に進めたらいいのでしょうね。
哲学とはphilosophia知恵を愛する事
哲学革命とは知恵を愛する事に依って社会を変えていこうとする運動です
ところで知恵とは何でしょう
知恵とは貴方です
私が貴方を愛せば
貴方は私に御褒美を授けて呉れます
その御褒美とは真善美に溢れた言葉です
その言葉を受ける時
私はとても嬉しくなります
それが為
この様にして毎日毎日貴方を訪ね求めているのです
貴方は決して私を空手では返しません
こんな楽しいい事が何処にあるのでしょう
私が哲学革命と打ち出すのも
この楽しみを共有したいからに他なりません
しかし今の所そう言う人に出会えていません
それなのに哲学革命を起こそうと言うのは無謀なのでしょうか
そうですね
無謀ですよね
私は今分かりました
私の哲学革命が軌道から外れている事が
私の「哲学革命」はあくまでも詩でなければならないのです
私は何かしら啓蒙書の様なものを意識しているから先に進まないのだと
縦横無尽に哲学革命を謳えば良いのだ
世の人よ 私に付いて来い と
それこそ「熱情の神」の翼を借りて
さあ謳いだそう
「哲学革命」を
世の人々よ
何故貴方方は知恵を愛さない
主よ ありがとうございます
「哲学革命」の活路が見えて来ました
そう!!
「哲学革命」は貴方と一緒で無ければ成功し得ないものなのですね
今日から哲学革命を始めます
平成19年11月1日夜
<哲学革命の活路が見えて来た>
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主よ おはようございます
下記の詩集「哲学革命」は11月1日夜から書き始め
11月3日に頓挫したものです
何故頓挫したのか
一つは気持ちの問題です
私は昨日鹿屋に行きました
勿論も目的は秋の鹿屋バラ園です
車を港に走らせるまでは難と言う事はなかったのですが
車が港の駐車場に着いた時
船は今しがた港を離れ
港内で旋回している最中でしたが
次の船がかなり近くまで来ており
それ程待たずに済むなと思いながらも
少しは残念に思ったのでした
思えばここから昨日の心の痛みが始まった様に思います
その時少し思いました
鹿屋バラ園までの接続が上手く行くだろうかと
しかし船が段々近付いて来たので
その思いを何時しか消え
先ずは岸壁まで向かいました
そしてその先にある突堤の先まで行こうなどと考えていました
その岸壁には一人に釣り人がいました
私は釣り人に誘われて海の中を覗き込んだのです
暫く覗き込んでいると
何やら小さく光るものが一杯
私の目の前に飛び込んで来たのです
そうです
小さい小魚の群れです
しかしそれは一塊の何かの様に海の中を動き回るのです
勿論形を崩しならではありますが
私は一瞬何万匹居るのかななどと思いましたが
しかしそれはあんまりだな
しかしそれでも数千匹は居るななどと思いました
そんな始めて見る光景に夢中になると
もう船はすぐ近くまで来ていました
あの突堤の先まではいけないな
そう思いターミナルへと向かいました
さて船に乗り込み
予定通りうどんに掻き揚げと半熟卵をトッピングしたものを注文し
南の海に向かっている窓辺の席で食べました
途中私の右隣に座った中年の女性が
「景色がいいんですね」と話しかけてきました
私も生返事に「そうですね」と言いながらうどんを食べ終わった
ここまでは私の気持ちはどうと言う事はなかった
それから2階席の後ろのデッキに行き
260円のハーゲンダッツのナッツを散らばしたチョコレートアイスクリームバーを自販機で買い
前には鹿児島 右手には桜島 左手には薩摩半島の遠景と海が見える一番前の席に陣取りました
私はここで思いました
何て固いアイスクリームだ
歯は大丈夫かなと
それから品質管理がなっていないな
私は前には310円で買った記憶があったので
この商品は相当昔のものではないかなどと勘ぐり
消費期限の表示などを探し出したのだ
消費期限は無かったが
ここで一つ発見した
ハーゲンダッツはドイツではなく
フランス製だった
製造元はフランスと書いてあり
また輸入と言う表示もあった
そんな思いをしながらアイスクリームを食べ終わりました
余談ですが何時もここでは思うのでうがまた今回も思ったのですが
こんな高いアイスクリームを食べる者などいないだろうと
あの百円何がしのアイスクームの自販機を置けば飛べる様に売れるだろうになどと
しかしハーゲンダッツを食べていたのは私だけでなかった
私の左後ろに居た体の体の大きい30台半ばのサラリーマン風の男は
最初はあの円形の箱入りのアイスクリームを食べ
その後に今度は私と同じバーを食べていた
またもう一人左側の海に面したベンチに座っていた小柄な外人も食べていた
二人と私と一緒にもうどんを食べていた者たちである
デッキには五六組は居た
結構華やいだ雰囲気ではあった
アイスクリームを食べ終わった後
そのデッキに陣取り
小さくなっていく鹿児島の街を
それから右手に大きくなっていく桜島の姿を
そして南の海を遠く眺めていました
天気は上天気です 秋晴れ 行楽日和です
しかし私の心は浮き浮き成らないのです
この辺りから私のその日の沈んだ気持ちが始った様な気がします
今になってその気持ちを分析すれば
多分鹿屋バラ園までの接続が上手く行かないだろう
その思いが心に広がり
それを契機に私の鹿屋への無意識が暗雲の様に広がっていったのだと思います
その無意識についてはまた後程述べます
私は船に乗っている間も垂水港に着いた時の段取りを考えていました
さて垂水港に着きました
私は三番目に垂水港の改札口を通過しました
一番目と二番目は
小さな女の子とそのおばあちゃんです
その光景は分かりますよね
女の子が一等賞で走り抜け
おばあちゃんがその後を追うと言う・・・
先ずは予定通り駐車場券の機械処理をし
それからバス停に向かいました
鹿屋バラ園直行の高山バスはいないかと
いつもの停車場の近くに小型バンがいます
あれかなと目を凝らしますが
何やら少し古過ぎる様な気がします
そしてやはり小型過ぎると
私はそこまで行く事無く判断しました
あれは高山バスではないと
それではと言う事で
鹿児島交通のバス停に戻りました
何時は本当は船が着いた時
バスが待ているのですが
その日はその事はあまり考えませんでした
何しろ高山バスの事が頭にありましたから
そう言う訳で鹿児島交通のバス停に戻って
時刻を調べると
何と13時55分
その後は15時何がし分となっています
私が垂水港に着いたのは13時30分前でしたから
あと30分近くもある・・・
その時また思いました
今日は鹿屋バラ園まで行けるのだろうかと
しかし後30分もあります
私はどうしようかなと思いました
先のバス停まで歩いて行こうかな
垂水の町を知る為になどとも思いましたが
その時船の上から見た突堤を思い出したのです
思い出すや
私はその突堤に向かった歩き始めました
突堤の根元に着き
そこから突堤の先まで両側に海を見ながら歩きました
主に右側の海底を見ながら
右側は河の出口に当たる辺りで
砂がかなり堆積していて浅いのです
浅い所に強い光が当たっているので
透き通った感じて海底まで見下ろせるのです
それが珍しくて・・・
その様にして突堤の先まで歩きました
通常であれば
かなりハイな気持ちになるのですけど
その様な浮き浮きした気持ちにならないのです
さて先端まで着きました
時間を見ました
もうあまり時間が無いな
そう思ってかなり足早に歩き始めした
突堤を半分以上返った時
時計を見るともうあまり時間はありません
バスはもうバス停で待っています
私は走り始めました
2分程前には着きバスに乗り込みました
結構乗っています
誰も座って居ない席は最後尾と途中右側の1席だけです
私は海側の席に座りたいと思ったので
その止まっている状態で最後尾の左側の席に座ったのです
それから暫くして気付きました
海側は右側の席ではないかと
早速移ろうとすると
今正に乗込んできた女性もそこを目指しました
タッチの差で私がそこに席を占め
多分彼女は最後尾に回ったと思います
さてバスは走り出しました
2時を過ぎた太陽は
通路側に座っていても容赦なく入ってきます
さっき言った様に
私は走り込んでバスに乗ったのです
その太陽の人汗交じりのその暑さで
何かしら気が晴れないのですね
勿論鹿屋バラ園に行けるかなと言う思いが混じって
先程述べた様に席は満席状態です
満席と言うのは一人でも座っていれば満席と数えての事なんでけど
カーテンを閉めればいいのでしょうけど
それでは外が見えない
そう言う訳でその様な状態でバスに揺られていた訳ですが
半分ほど走った所ででしょうか
反対側の席が空きました
私はそそくさとそちらの席に移ったと言う次第です
反対側の席に移ってからは暑さの不機嫌はなくなりましたが
それでも何か気が晴れないのです
そしてバスの道行きの中で思ったのです
今日は鹿屋バラ園には行かない
前住んで居た所や鹿屋の街を楽しもうと
その二つの気持ちが半々を占めていたと思います
さて航空隊前に着きました
そして鹿屋バラ園行きのバスの時間を確認しました
15時01分
後30分近くか
鹿屋バラ園発が17時00分だから
1時間40分近くは遊べるな
そこで鹿屋バラ園行きは決ったのです
さて後30分をどうす過ごすか
前居た所に行くしかないではないか
ここから私のその日の最大の嘆きが始まったのだ
航空隊バス停から右手に自衛隊官舎を見ながら前居た住宅へ
先ず私の心に飛び込んで来たのは
子供たちが良く遊んだ自衛隊の中にある児童公園
遊具は一つだけ残され後は何も無かった
それから前住んで居た住宅を見た
それからあの住宅内の児童公園
私の嘆きは最大に達した
その頃の遊具で残っているのは二つ
子供たちが目の前に浮かんできた
それから道路を隔ててもう一つの公園に向かった
そこにはブランコが一つ
前のまま様な気がするが確信は持てない
子供がまた目の前に浮かんだ 痛い
15時少し過ぎバスが来た
私は帰りのバスの時間を聞いた
右手には野球場と陸上競技場がある
痛い 痛い
あの土手で子供たちと綿毛を飛ばして遊んだ
ああ ああ
そして鹿屋バラ園に着いた
バラはそれまでの嘆きを全て消し飛ばして呉れた
それからコスモスは秀逸であった
17時のバスに乗り
航空隊前で乗り換え鹿児島に変えれば良かったものを
鹿屋の街に向かった
北田交差点前は様変わり
その後も色々嘆きはあったが
19時40分の最終バスで鹿児島へ
西駅のジョイフルで11時前まで食事と珈琲悦
それが昨日の日記
やはり鹿屋に私の嘆きがある
無意識有意識 私を嘆かせる
そんな沈んだ気持ちたちが
詩集「哲学革命」を止めさえたのかも知れない
時間を大部押してしまった
只今12時46分
詩集「哲学革命」
【哲学革命 序】
哲学とはphilosophia
知恵(sophia)を愛する(philo)事
哲学革命とは
知恵を愛する事に依って
社会を変えて行こうとする運動です
【知恵とは?】
知恵とは何か
それは貴方の中に存在する大事な大事な存在者です
その者に問えば貴方の求めているものが与えられるのです
知恵とは何か
それは打ち出の小槌
それを振れば貴方の求めているものが与えられるのです
知恵とは何か
それは知恵の泉
その泉は枯れる事無く滾々と知恵を湧き出し続けるのです
知恵とは何か
それは貴方の中に存在する大事な大事な存在者です
【人は何故知恵を求めるか】
人は何故知恵を求めるのか
それは知恵を求める事が快楽だからです
この快楽を覚えた者はもう知恵を愛さずにはいられなくなります
哲学とはphilosophia 知恵を愛する事
【知恵とは本当の貴方自身です】
人よ
幸福に成りたいですか
だったら知恵を愛しなさい
知恵は貴方が如何なる境遇にあろうとも貴方を幸せにして呉れます
世の不幸せな人々よ
貴方の為にこそ知恵が存在するのです
知恵とは本当の貴方自身です
【心の詩を謳いましょ】
不幸とは何でしょう
歌を忘れたカナリヤです
歌を忘れたカナリヤよ
もう一度貴方自身を謳いなさい
楽譜は貴方の心の中にあります
さあ謳いなさい
知恵が貴方を導いて呉れます
【知恵は貴方の心の友です】
知恵って
何て素晴らしい存在でしょう
不幸な時にこそ
付き合って呉れるのですから
こんな素晴らしい友がいるでしょうか
知恵とは貴方の心の友です
【人類はね 知恵において皆兄弟なのです】
人類皆兄弟
その意味する所はね
みんなの心の中に知恵が存在していると言う事なのですよ
だからね 知恵を見つけた人はみんなと兄弟に成れるのですよ
でもね みんながみんな知恵を見つけている訳ではないのです
だからね そんな人にね 兄弟姉妹と呼びかけても知らん顔をするのですよ
でもね 知恵を見つけた人は貴方を優しく抱きしめて呉れますよ
哲学革命とはね そんな社会を目指しているのです
【哲学革命の原理】
哲学とはphilosophia 知恵を愛する事
もし人類皆が知恵を愛する様になったらどうなる
そうだね
世界人類皆兄弟だね
哲学革命の原理はそんな所にあるんだよ
【哲学革命はね 知恵に突入する為のきっかけづくりなんだ】
ところで知恵って何でしょうね
それはね 貴方の心の中に存在している素晴らしい存在です
そしてそれは私の中にも存在しているし
そして世界人類みんなの中にも存在しているんだよ
本当はね
皆その素晴らしい存在の中に入りたいと思っているのだけど
何かしらこの世が邪魔をしているんだね
だからその中に入って行く為にはなんらかのきっかけが必要なんだ
哲学革命はね そんなきっかけ作りをしようとしているんだよ
【皆が知恵を愛すると 世界は素敵な世界へと変る】
もしね 学校で知恵を愛する事は素晴らしい事なんですよ
だからみんな一生懸命知恵を愛する様にしましょうね って
先生が子供たちに呼びかけたら どうなる
みんな一生懸命知恵を愛する様に成るよね
そしたらこの世界はどうなると思う
それはね What A Wonderful World 何と言う素晴らしい世界と成るんだよ
【若者よ 熱き心を求めなさい 知恵と言う熱き心を】
この詩集はね
君たち中学生に贈るよ
それから高校生にもね
勿論大人の人も読んで下さいね
でもね
やはり君たち中高生に贈るよ
君たちは何かしら熱い心に燃えているよね
しかしそれが何だか分からない
大人に成った僕が教えて上げるよ
それこそが知恵なんだ
熱き心
真と善と美を求める熱き心
それが知恵なんだよ
【哲学は理想郷への片道切符である】
中学生よ
君たちは自我に目覚める頃だ
君たちは理想を描き
現実を見詰める
そのギャップに悩む
青春の蹉跌だ
多くの者がその後もその蹉跌に悩み続ける
それは理想への道行きが分からないからだ
私が君たちへその道行きを教えて上げよう
それこそがphilosophia哲学 知恵を愛する事だ
哲学は理想郷への片道切符である
君たちはその理想郷から帰って来る時
その悩みが小さくなっている事を感じるだろう
そしてこう思うのだろう 今日も明日も頑張るぞ と
【意志とは善悪の判断 知恵によってその判断が明瞭になる】
ところで意志って何だろう
それはしようと言う気持ちだね
ところで何をしようと思うのだろう
良い事をだね
ところで悪い事をしようと言う事があるだろうか
あるよね 例えば○○だね
何故○○をしょうと思うのだろう
それは○○が見付からなければ
それがその人に楽しみを与えて呉れるからだよね
結局意志とは善悪の選択の事なのだね
若い人は善悪の判断が十分で無いからその時々の判断に迷うんだね
哲学 知恵を愛すると言う事はね
自分自身で善い事と悪い事をはっきり見極める事なんだよ
だから知恵を愛する人々は日々新たに善い人間に成って行く事が出来るんだよ
【知恵は君たちの意志を奮い立たせ理想へと向かわせる】
知恵って何でしょう
それは君たちの理想です
君たちが理想に向かえば向かう程
知恵は君たちを助けて呉れるんだよ
知恵はね 善き言葉で君たちを導いて呉れるのだよ
君はその言葉でまた「しよう」と言う気持ちになる
知恵はね 善き言葉で君たちの意志を奮い立たせて呉れるんだよ
だから理想を求めなさい
<詩集「哲学革命」頓挫>
平成19年11月3日過ぎ?
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今日は平成19年12月21日金曜日
只今の時間は午前11時23分
何故この時間に哲学日誌に向かっているのか
実は今日仕事をずる休みをしたのである
今日は係の忘年会であった
かねてからこの忘年会には出たくないと思っていた
幸いに昨日からちょっと寒気がし頭が痛かった
それでと言う事で
昨日夕方から今日休む事を半ば決めていたのである
さすがに昨日晩は疲れていたので
10時前に床に就いていた
NHKFMの「年間ベスト百」の40位から21位までを10時45分まで聞き
「年忘れアドベンチャー」を11時まで聞き
そしてラジオを切り本格的な眠りに就いた
その晩はその前も机に向かいながらも半眠りの状態だったし
床に就いてから11時までの間にも半眠りを繰り返していたので
今朝目覚ましとタイマーラジオが鳴った時は
かなりすっきりと目覚めた
ここで少し昨日の決断が鈍った
職場に行くべきか 休むべきかと
そんな躊躇を床でしている間に
目覚まし時計が7時40分を指さしていた
そこで決断した
今日は休むぞと
それから起き上がりカーテンを開けた
カーテンを開けた時 蟠りが一切に吹き飛んだ
それから事を淡々と運び
生理まで済ませ、
8時25分過ぎに職場に休む旨の電話を入れ
風呂に入り机へと向かった
今日は真っ直ぐに哲学日誌に向かう事を決めていたのだが
精神高揚の為には少し読書をしてからの方がいいのかななどと思って
今読んでいるエックハルト説教集の中の続き「神が魂の内に子を生むと言う事について」を読んだ
少し精神が高揚した
エックハルトの言っている事は分かるが
私が一つだけ体験できない事がある
それが「離脱」である
離脱とは無我の状態の中での悟りの事である
私が到達できないのはこの状態である
この状態に入る為には作文では絶対駄目である
座禅等の手法を用い行為を一切捨て去らなければならない
時間が無いのか 私は未だ一度もこの手法を使っていないのである・・・
説教「神が魂の内に子を生むと言う事について」を二度読んだ
その後哲学日誌に向かう事にしていたが
不覚にも本を読むその姿で深い居眠りに入ってしまった
その眠りから覚めた時目覚まし時計は午前10時を指していた
どれ程寝たのかな?と思った
この一週間
前の金曜日12月14日から昨日までは
この数年で最も悪い一週間の一つであった
悪いと言う意味は
「自分で自分の精神を突き放した」と言う意味である
私が精神を投げ捨てると
そこに入り込んで来るのは肉体に寄り添う私である
私はある程度目覚めていたが
しかしその肉体に寄り添う私を放任していた
そのきっかけは12月14日金曜日の課係長会の忘年会であった
その忘年会の中で女幹事からメンバー24名の全員の
「今年一年の反省」をとの発案があったのである
時間が来たのでここ迄にする
私はこの一週間精神を全く顧みなかった
そして肉体に寄り添う私を放任していた
それを一つの実験の様に覚めた目で見ながら
そしてある意味では昨日 今日を精神再興の日に決めたのである
もし今日また係の忘年会に行けば
また悪夢が繰り返されるのではないかと怖れてもいたのである
そして今日私はこのようにしてまた精神を再興した
今日は一日中に家に居る予定である
そのように身支度も整えている
この後 里芋の煮っ転がしを料理(皮付きのまま茹でて皮を剥き醤油を付けて食べる)する予定である
その後またこの日誌に向かうかも知れない
平成19年12月21日12時28分
<精神の再興について>
________________________________________
只今
平成19年12月21日14時46分
先程から2時間16分経った勘定である
この間里芋の煮っ転がしを料理し食べ
そしてエックハルト説教集の
「魂の内にある火花について」と「三つの内なる貧しさについて」をそれぞれ二度読んだ
この内の「三つの内なる貧しさについて」を読んでいる時は
半ば居眠りしながら読んでいた
相当に睡眠不足なのか
それとも慢性的な酸素不足になっているか・・・
さて「三つの内なる貧しさについて」についての「私」の記述については
近代の自我精神に通じる所がある
ひょっとしたら
デカルトもこのエックハルトから学んでいたのではないかとも推察される
「我思う 故に我あり」と言う近代精神である
そして近現代の神についても
その近現代の神においては被造物は必要としないのである
もっとも必要であれば利用しても構わないが・・・
さてそれではその2節を抜粋する事としよう
「私が未だ私の第一原因の内にあった時、私は神を持つ事は無く、そこでは私が私自身の原因であった。私は何も意志せず、何も求める事が無かった。何故ならば、私は何ものにも囚われる事の無い一つの有であり、真理を享受しつつ、私自身を認識するものだったからである。そこで私が意志したのは私自身であり、その他は何も意志する事が無かった。私が意志したのは私自身であった。そして私であったものは、私が意志したものだった。ここにおいて、私は神と全てのものに囚われ事無くあったのである。しかし私が自由な意志決定により外へ歩み出て、私の被造的有を受け入れた時、私はそこで一人の神を持ったのである。何故ならば、被造物が存在する以前には、神は未だ「神」では無く、むしろ神は、神があったところのものであったからである。被造物が生じ、その被造的有を受け入れた時に、神は神自身においてでは無く、被造物において神となったのである。」
「しかし突破において、私は私自身の意志、神の意志及び神の全てのわざ そして神自身にも囚われる事が無い。突破においては、私は一切の被造物を超え。「神」でも無く、被造物でも無く、むしろ私は私があったところのものであり、今もこれからも絶える事無くあり続けるところのものである。この突破において、私は全ての天使を超えた彼方へと私を連れ行く一つの飛躍を受け取る。この飛躍の内で、私は神が「神」としてある全て、神的なわざの全てをもってしても私を満足させる事が出来ないほどの大きな豊かさを受け取るのである。何故ならば、この突破においては、私と神が一であると言う事が私に与えられるからである。そこで私は私があったところのものであり、増える事無く減る事も無い。何故ならば、そこでは私は一切の事物を動かす不動の原因だからである。ここに到って、神はその人の内に如何なる場ももはや見い出す事は出来ない。人はこの貧しさによって、彼が永遠の過去からあった、そしてこれからも絶える事なくありつづけるものを手に入れる事が出来るのである。ここに到って、神は精神と一であり、そしてこれこそが人の見い出す事の出来る極限の貧しさなのである。」
第一節目の「私」は近現代の「私」である
第二節目の「私」はもっと奥が深い
この「私」は悟りに到った時の私である
そしてこの「私」こそが
正に現在の精神世界ブーム 瞑想ブームにおいて
もっとも持て囃されている「私」なのである
「私」と「神」の合一
そこに至福があり
私の欲しいものが全て手に入るのである
もっともこれはイエスキリストの教えなのだが
イエスキリストは譬えを使った為
理解出来る者はほとんど居なかったが
エックハルトは譬えを使わずに
あまりにも神という言葉を直裁に使った為
体制から反発を喰らったのである
エックハルトの教えは自らが言っているように全ての人に理解出来るものではない
それ故理解出来ない体制派から反発を喰らったのである
譬えを信じるかそれとも奥義を信じるか
体制は譬えを取ったのである
しかし近現代では譬えをそのまま信じる事が出来なくなった
そこにデカルト カントが生まれ
遂にはニーチェが生まれてしまった
しかしそれでも神は死んでいない
何故なら神と私はその奥の奥の奥城で一なのだから・・・
「エックハルトより」
平成19年12月21日15時52分
<エックハルトの教えより>
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哲学日誌目次
哲学事始(14.04.06朝)
個と普遍について(14.04.06夜)
時について(14.04.09)
時の微笑(14.04.11)
自由について(14.04.12)
自由万歳(14.04.13朝)
切り刻まれた時間の中で(14.04.13夜)
日曜日の朝には(14.04.14朝)
今日という日について(14.04.15)
言葉について(14.04.16)
聖人について(14.04.17)
着想について(14.04.18)
哲学広場について(14.04.19)
歴史について(14.04.20)
情報について(14.04.20夜)
詩と散文と論文(14.04.21朝)
世界について(14.04.21夜)
世界の創造について(14.04.22)
思想について(14.04.23)
書くという事について(14.05.11朝)
世界旅行について(14.05.11夜)
家族について(14.05.12朝)
瞑想について(14.05.12夜)
気について(14.05.17)
音楽について(14.05.18朝)
現代の病について(14.05.18夜)
商品について(14.05.19朝)
朝の霊気に打たれて(14.05.23朝)
1年365日4380時間(14.05.28)
時間と幸福の相関(14.05.30)
言葉の森(14.05.31)
言霊の幸う国(14.06.01)
真理と自由(14.06.01夜)
国家について(14.06.02朝)
0と1について(14.06.02夜)
精神について(14.06.03)
完全なる円について(14.06.04)
言葉の神秘について(14.06.05)
言葉の幸う国 日本(14.06.11)
世界の統治について(14.06.12)
<言葉はロジックか?>それともマジックか(14.06.13)
縄文文化について(14.06.14)
睡眠不足について(14.06.15朝)
呼吸について(14.06.16朝)
平安について(14.06.16夜)
精神年齢について(14.06.17)
都づくりについて(14.06.19)
智恵の力(14.06.20)
良き言葉の世界(14.06.21)
インターネット家族(14.06.22朝)
インターネット家族への挑戦(14.06.22夜)
天皇の世紀(14.06.23朝)
花遊び(14.06.23夜)
革命思想について(14.06.25)
福音について(14.06.27)
インターネット家族(14.06.28)
インターネット家族の精神について(14.06.29朝)
日本史の原点について(14.06.29夜)
憲法十七条について(14.06.30朝)
歴史の研究方法について(14.06.30夜)
ふくよかな精神(14.08.24昼)
世界名著の旅(14.08.24夜)
古代ロマン(14.08.25朝)
夏の少女(14.08.25夜)
哲学革命について(14.08.26朝)
哲学革命の告知(14.08.26夜)
頭の体操または精神目覚め(14.08.28)
空の体現について(14.08.29)
節句節分について(14.08.30)
知恵の秘密(14.08.31朝)
虚無と夢幻(14.08.31夜)
呼吸調整法(14.09.01朝)
休日の午後の過ごし方(14.09.01夜)
この世界は表象なり(14.09.02)
精神快楽主義について(14.09.03)
詩と論文(14.09.04)
仁について(14.09.05)
哲学への誓い(14.10.30)
早起きは三文の徳(14.10.31)
エクスタシー(14.11.01)
言葉はワンダーランド(14.11.02朝)
瞬間に生きる(14.11.02朝)
コスモポリタンの哲学(14.11.03朝)
哲学詩集はソネットで(14.11.04朝)
哲学詩集スケッチ(14.11.04夜)
小説の為のスケッチ(14.11.06)
私小説家であるとともに物語作家である私(14.11.06)
ループからの脱出(14.11.08)
世直し論議(14.11.23朝)
私と言う存在(14.11.28)
理想の人生を生きる為に(14.12.03)
我と汝(14.12.04)
明日は晴天なり 天晴れ天晴れ!(14.12.06)
善の兵士になる(14.12.07朝)
一粒の精神(14.12.07夜)
誓願と言う事について(14.12.08朝)
期待と不安の中で(14.12.08夜)
僕と言う代名詞の根源的な意味について(14.12.10)
仏陀の世界へ(14.12.11)
この世に立ち向かう(14.12.16)
楽しき夢の中へ(14.12.17)
青と白の哲学講義(14.12.18)
白い光と白い影(14.12.19)
主と会えて・・・(14.12.22夜)
自省の時 世に出るべき時(14.12.23朝)
いい日旅立ち(14.12.23夜)
雪は何故白い?(14.12.24)
時間の掟(14.12.25)
夢路恋し(15.01.06)
悠久の時(15.01.07)
自分に還る(15.01.09)
眠りの精に捧げる(15.01.13)
天国への道(15.01.14)
精神的肉体軟膏音楽(15.01.15)
私の精神に・・・(15.09.02)
ありのままの自分のままで(15.09.18)
哲学日誌への回帰(15.09.28夜)
私と貴方の対話(15.09.29)
私の来し方 行く末(15.09.30)
私の使命とは?(15.10.01)
七と言う秘数の前で(15.10.06)
哲学詩集第2幕の始まり(15.10.07)
哲学詩集(15.10.08)
私の知恵の旅は続く(15.10.?)
精神の復興に向けて 哲学日誌(19.08.22夜)
貴方と過ごす夜はとても楽しき夜(19.09.01夜)
正義 勇気 自制そして知恵を愛すると言う事(19.09.02朝)
徳の道は奥が深い(19.09.02夜)
徳の億万長者を目指して(19.09.03)
徳の数々について(19.09.03夜)
時間は自ずと生まれ出る(19.09.04夜)
中学生の為の哲学事始め(19.10.20)
「中学生の為の哲学講座」主題集め(19.10.24夜)
今の私に取って「哲学革命」が最も大きな仕事である(19.10.28)
哲学 philospphiaとは?再考(19.10.30)
哲学革命の活路が見えて来た(19.11.01夜)
詩集「哲学革命」頓挫(19.11.03?)
精神の復興について(19.12.21朝)
エックハルトの教えより(19.12.21昼)