哲学詩集Ⅲ(2009年1月~2009年10月)
哲学フォーラムと哲学教育 2009/ 1/ 8 22:21
拝啓 皆様へ
私は、哲学フォーラムを提唱している者です。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものです。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事です。
この哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス“と言う者が常駐し、哲学対話室を訪れた者とこの哲学ボランティア“ソクラテス“が対話を行なう事となります。
哲学ボランティア“ソクラテス“は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、空き教室等を利用するものとします。
大学に設置する哲学対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとします。
公民館に設置する哲学対話室についても、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を一時借用するものとします。
以上、哲学対話室は、とても簡単な仕組みです。
哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス“と哲学対話室として使用する為の部屋だけです。
哲学ボランティア“ソクラテス“は、無報酬ですし、哲学対話室として使用する為の部屋の使用料も無償です。
ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円もかからないのです。
しかしそうは言っても、一気に、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置する事には無理がありますので、哲学対話室の展開は、二期に分けて実施するものとします。
第一期において、全ての大学及び公民館に哲学対話室を設置するものとし、第二期において、全ての小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置し、哲学対話室の展開を完成させるものとします。
なお、第二期については、第一期の哲学対話室の運営が成熟した後、そのノウハウを活用して展開するものとします。
この内、第一期の哲学対話室の展開は、とても簡単なのです。
先ず、大学に設置する哲学対話室ですが、大学には教官、院生、卒業生、関係者等々、優れた“ソクラテス“が大勢います。
彼らの内で、特に哲学(知恵を愛する事)に熱心な者で、哲学ボランティア“ソクラテス“グループを組織し、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、哲学対話室を開設する仕組みを作れば、後は自動的に運営されて行く事になります。
次に、公民館に設置する哲学対話室ですが、公民館の地区内には、多くの小学校、中学校、高校があります。
学校の教師は、“ソクラテス“たるべき人々です。
勿論、哲学を愛する多くの市民がいます。
彼らの内で、特に哲学(知恵を愛する事)に熱心な者で、哲学ボランティア“ソクラテス“グループを組織し、公民館に自主活動グループとしての届出を行なった上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、哲学対話室を開設する仕組みを作れば、後は自動的に運営されて行く事になります。
この第一期、すなわち、全ての大学及び公民館への哲学対話室の設置が完成する事により、日本は哲学的に成熟した国家へと歩み出す事になるのです。
それが、『哲学フォーラムめぐり』です。
哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が、自らの師を求めて、また自らの友を求めて、日本国中の哲学フォーラム(哲学対話室)を巡るようになるのです。
嘗ての古代ギリシアのように!
『土曜の午後は哲学フォーラムで!!』
これが、知恵を愛する人々の合言葉となるのです。
日本国中の知恵を愛する老若男女が、毎週土曜日の午後、大学及び公民館の哲学フォーラムに集う事となるのです。
私は今回、哲学フォーラムについて、下記の通り、平成21年1月10日付けで、多くの関係者に提唱しました。
http://www.geocities.jp/sophialover007/
もし皆様が、この関係者でしたら、どうか皆様がその中心となって、哲学フォーラムを推進して頂きたいと思います。
もし皆様が、この関係者でなければ、どうか皆様が中心と成って、哲学ボランティア“ソクラテス“グループを組織して頂き、公民館に哲学対話室を開設して頂きたいと思います。
なお、哲学フォーラムは、哲学教育の一環として行なうものです。
この掲示板が、哲学フォーラムと、そして哲学教育(知恵を愛する為の教育)に関する対話の・
美しき善き言葉による教育(哲学教育の趣旨 2009/ 1/10 23:16
myoshifujiさんへ
返信有難うございました。
「絵本と童話のすすめ」
http://homepage2.nifty.com/hogodouwa/
読ませて頂きました。
myoshifujiさんの仰る通りだと思います。
私の提唱する哲学一貫教育も、myoshifujiさんの思想と全く同一です。
すなわち、美しき善き言葉による教育です。
人は言葉によって生きています。
要は如何なる言葉によって生きるかです。
もし、人が、幼い頃、美しい言葉、善き言葉の環境の下で育てば、その人は一生死ぬまで、美しき善き言葉は心を離れないでしょう。
しかしもし、索漠とした言葉の環境の下で育てば、その人は矯正される事が無ければ、一生索漠とした言葉の中で暮らす事になります。
とても悲しい事ではありますが・・・
しかし矯正により、矯正後、その人は一生美しき善き言葉の中で暮らす事も可能なのです。
その矯正こそが、哲学、すなわち知恵を愛する事なのです。
知恵を愛する事により、その人は一生、快楽と幸福の生活を送る事になるのです。
知恵にはそんな神秘があるのです。
よく回心と言う言葉を使いますよね。
回心とは、心を知恵に向ける事なのです。
それでは、知恵とは何でしょう。
それは、真善美に溢れた自分自身の事です。
myoshifujiさんは、知恵に目を向けた。
そして、知恵に願った。
だから、myoshifujiさんの心の中からは、美しき善き言葉が溢れて来るのです。
しかし、多くの人はこの事を知りません。
哲学一貫教育では、全ての国民を対象に、一生涯に渡って、その事を教えて上げるのです。
そうすれば、日本国民全てが、myoshifujiさんの様な、優しい心の持ち主になるのです。
もし、そうなれば、この地上に天国を創る様なものです。
勿論、御伽噺ですけどね・・
理想世界と現実世界。
かつては、この二つが拮抗していました。
宗教がその理想世界を創出していました。
しかし現代になり、宗教が喪失してしまいました。
現代人は理想の世界を創出出来なくなっているのです。
しかしその現代人にも理想世界を創出する方法が残っているのです。
その方法が哲学です。
知恵を愛する事です。
myoshifujiさんが、行なっている正にその事です。
すなわち、美しき善き言葉の創出です。
理想世界と現実世界の橋渡し、それが哲学です。
私たちは現実を生きています。
だから、現実に生きていかなければなりません。
しかし、現実だけに生きていると、美しき善き言葉は枯渇してしまいます。
現実に居る時は、現実を生きる。
しかし、現実を引いたら、「一人部屋に入り戸を閉める」です。
信仰の時代にはそこで祈りが捧げられたのですが、現代にあっては、そこで、哲学(知恵を愛する行為)が繰り広げられるのです。
哲学において理想世界を創出し、そしてその理想世界を現実世界に齎す、それも哲学の仕事です。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って、その様な機会を提供する事なのです。
なお、哲学一貫教育では、「読書」「思索」「作文」「対話」と言う四つの機会を提供する事になります。
哲学フォーラムは、この中の「対話」の為の機会の提供と言う事になります。
おって、小中高校哲学一貫教育では、小中高校の12年間に渡って、徹底的に「読書」と「思索」と「作文」の機会を提供します。
すなわち、哲学の授業を、週2時間とし、週の最初に、ある哲学テーマ(勇気、忍耐、自然等々)に関する古今東西の名著の中の名文中の名文を数編黙読し、週の最後の時間に、その1週間に、その哲学テーマについて、思索した結果を、作文として纏める事になります。
この教育の結果により、myoshifujiさんの提唱する絵本と童話は、全ての大人がすらすら書けるようになるのです。
美しき善き言葉の蓄積が無ければ、やはり美しき善き言葉は書けないのです。
これは メッセージ 2 myoshifuji さんに対する返信です
哲学一貫教育と哲学革命(喩えです) 2009/ 1/11 12:14
miraizou nihonnさんへ、はじめまして。
miraizou nihonnさんは、漢字で書くと、“未来像 日本”となるのですね。
miraizou nihonnさんも、日本の未来を描いているのですね。
所で、日本はこのままで良いのでしょうか。
それとも、革命、改革が必要なのでしょうか。
私的に言わせて貰えば、革命が必要です。
国民の全ての命が革(あらた)まれば、良いと思います。
それは暴力的な革命ではなく、音も無く進行する革命です。
その革命のキーワードは、哲学、すなわち、知恵を愛する事です。
全ての国民が、知恵を愛するようになれば、哲学革命は成功です。
私は、その為にこそ、哲学一貫教育を提唱しているのです。
以上は理想です。
理想は、置いておいて、miraizou nihonnさんが提出した質問に対して、私への質問ではありませんが、私なりにお答えいたします。
先ずは、『現代社会において、薄っぺらな、若者たちの文化って?』についてです。
文化とは、文(ふみ)に化す、文(あや)に化すと言う意味です。
私は、若者の文化ではなく、この日本の文化をずばり断罪します。
その象徴が、女性の茶髪です。
これは、人間の尊厳を傷つける行為であり、日本人及び東洋人としてのアイデンティティを傷つける行為です。
いかれたお兄ちゃんお姉ちゃんたちが、茶髪にするのは分かります。
それは、ずばり体制への反発を意味しているのでしょうから。
しかし、今のこの日本を見てください。
世の全ての女性が茶髪ではないですか。
これの意味する所は、自然なるものの糊塗、自然なるものへの決別です。
こんな社会の文化がどんなものか、後は押して知るべしです。
文化とは、自然なるものの真善美を表現する所に、その真髄があります。
人間も自然です。
その自然の真善美を表現してきたのが芸術です。
西洋の優れた画家に日本人の女性の肖像画を描いて下さいと言った場合、彼は何と答えると思いますか。
『こんな化け物の様な女性は描けない!!!』です。
ルソーは言いました。「自然に帰れ」と
日本人の女性よ、貴方たちも自然に帰るべきではないですか。
『自らの美しき本姓を隠して、貴方たちは何を企んでいるのですか?』
これが、第一の質問に対する答えです。
これで、世の全ての女性を敵に回した事になりますね・・・
次に『子は親の鏡って言われるけど、哲学的にその親ってどうなん?問題になし?』
人は環境によって育ちます。
お相撲さんの家に育った子は、お相撲さんになります。
あの若乃花だって横綱に成れたのです・・
哲学一家、すなわち、知恵を愛する両親の下に生まれた子は、真善美に溢れた子供になります。
哲学とは、知恵を愛する事。
哲学とは、真善美を求める事。
哲学を愛する両親は、真善美を愛し、真善美を求めています。
その子供には、当然に真善美の属性が身に付く事になるのでしょう。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学を愛する両親は、全ての人に真善美に溢れた自分自身が存在している事を知っています。
だから子供にこう言うのです。
『一人部屋に入って戸を閉めて、本当の自分自身を求めないさい』と
勿論、その為の準備として、善き本を買い与え、善きお話をして上げるのです。
これは、myoshifujiさんの提唱と一致する所です。
最後に『先ず哲学的に、今の社会情勢の分析から教えてもらえませんか』ですが・・・
この世はいつも、この世のあの世に分かれています。
すなわち、理想世界と現実世界です。
理想世界を描く人は、現実世界を嘆くでしょう。
その中で、菩薩と言われる人々は、現実世界を理想世界に近づけるよう努力する事でしょう。
しかし、理想世界を描く事の無い人は、この世に翻弄されるだけです。
この世は、いつも理想世界を描く僅かな人と、多くの群集(群れを成す人々)から成っています。
哲学革命は、この群集を、哲学者、すなわち知恵を愛する人々、理想世界を描く人々に変える事です。
これにより、日本は今の日本とは全く違った国家になるのです。
それは、『哲学国家 日本』です。
これまで有り得なかった国家です。
秘密を少し漏らすと、これはプラトンが描いた理想国家ではなく、イエスが描いた神の国と同じ事です。
イエスの描いた神の国家は、神の元に国家を創造する事です。
哲学国家は、知恵の元に、国家を創造する事です。
その意味する所は、ほとんど同じです。
これは メッセージ 3 miraizou_nihonn にさん対する返信です
哲学フォーラムの可能性について 2009/ 1/11 23:23
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございました。
そして、心温まる声援『第二段階として、哲学革命なら、大賛成です。同じ考えの者も多数いると思います』有難うございました。
とても気を強くしている所です。
miraizou nihonnさんが第一段階として考えている事は、『利権の構造を取り除く事が、全てを前進させる早道だと思います』と言う事ですが、この事が可能なのでしょうか。
確かに可能です。
しかし、その為には、全ての国民が利権から離れなければいけません。
全ての国民は、何らかの利権団体に所属しています。
その利権団体が、利権を得る事については、何も言いません。
しかし、他の利権団体の利権を求める行為が発覚すると、とやかく言うのです。
今、路頭に迷っている派遣社員の方々だってそうです。
彼らが、トヨタ、ホンダ、日産の会社に勤めている時は、それぞれの自動車会社が、また自動車業界団体が、利権行為に走ったとしても、多分何も言わなかったと思います。
元々、資本主義社会とは、利権行為に走る仕組みになっているのです。
利益追求活動と利権行為は、どのように違うのでしょうか。
五十歩百歩です。
利権行為が無くなる為に必要な事、
それが資本主義社会から哲学主義社会への変革です。
帝国資本主義から共産主義への変革は、暴力革命によって成し遂げられました。
資本家を根こそぎにすると言う方法で。
しかし、現代資本主義から、哲学主義への変革は、音も無く行なわれるのです。
その為に必要な事、それが哲学者(知恵を愛する者)の連帯です。
私とmiraizou nihonnさんともう一人、三人が連帯を組む事が出来れば、哲学革命は必ず起こります。
『三人が心を同じくする所には、私も居る』からです。
ここで言う私とは、知恵の事です。
知恵による連帯、これが哲学革命なのです。
知恵とは、各自それぞれに存在します。
知恵とは、それぞれが理想を求める時に現出する「それ」です。
喩えを使うと、混乱してしまいますので、ここではっきり言って置きますが、それは、「言(ことば)」であり、「言葉」です。
ここで言う「言(ことば)」とは、言葉に成らない言葉と解して下さい。
より善き言葉になろうとしている存在もしくは可能性と解してください。
言葉とは、書き言葉、話し言葉になった言葉と解して下さい。
私たちが理想を求める時、知恵はその求める程度に応じて言葉を下すのです。
この知恵と言うものは各自にそれぞれに存在していますが、この知恵はまた世界人類に共通なのです。
だから、私たちは知恵において兄弟なのです。
この兄弟の連帯によって、哲学革命が行なわれるのです。
この論理は、実を言うと、イエスの革命の論理と全く同じなのです。
私たちが知恵を愛すれば愛する程、私たちの違いが無くなって来るのです。
その事を喩えとして、神の子とか、仏の子とか言い表すのです。
miraizou nihonnさんも外に求めずに、「一人部屋に入って戸を閉めて、自分自身を求めて下さい」
多分、そこに世界の英知がある筈です。
尤もこんな事と言うと失礼になりますが、その為には、やはりそれなりの美しき善き言葉の蓄積が必要なのです。
その美しき善き言葉の蓄積と言う事が、聖人賢人たちの言葉を学ぶと言う事なのです。
私の言う哲学一貫教育では、小学校、中学校、高校の12年間に渡って、古今東西の名著の中の名文中の名文を徹底的に読ませます。
聖人賢人の言霊が彼らに乗り移れば、彼らはもうこの世に騙される事も無くなるのです。
そして、自らの知恵の導きによって、自らを律して行く事になるのです。
その暁が、哲学国家 日本と言う事になります。
ここまで来れば、夢物語ですが、しかし知恵の連帯によって、日本は少しずつ変わって行くのです。
ですから、どうか哲学革命の同志と成って下さい。
先ずその始めの仕事が、日本国中の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事なのです。
公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)は、理想を真面目に語り合う場と成るのです。
理想の自分自身、理想の社会を語り合う場となるのです。
それぞれの目と目の中に。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、知恵と知恵の交換の場と言う事に成ります。
それは「言葉」による交換であり、「言」による交換となります。
「言」は、往々にして目による交換となるのかも知れません。『以心伝心』他で!
もし、宜しければ、『哲学フォーラム(哲学対話室)』の可能性について、この場で一緒に語り合って頂けないでしょうか・・・。
これは メッセージ 8 miraizou_nihonn さんに対する返信です 公民館への哲学対話室の設置について 2009/ 1/12 11:31
yunikoさんへ、はじめまして。
『昔から言われるように、永遠の存在を追及するようになるのが、本来の魂の求めるところなのです』
正にその通りだと思います。
その模範を、聖人賢人たちが、私たちに残して呉れています。
私たちは、その模範を追求する事により、その「永遠の存在」を探し求める事が出来るのです。
yunikoさんは、それを求め続けて、「存在性」と言う概念に行き着いたのだと思います。
ホームページを見させて頂いたのですが、今一つ、存在性の意味が分かりませんでした。
何故なら、エネルギーとか、エントロピーとか、難しい科学用語が出て来るからです。
私たちにとって、永遠の存在と言う者は、そんなに難しい事なのでしょうか。
「永遠の存在」は、私たちの中にこそ、あるのではないでしょうか。
難しい科学用語の先に、「永遠の存在」があるのであれば、科学者しか永遠の存在に辿り付けない事になってしまいますね。
それでは、永遠の存在は、私たちには何のゆかりも無いものになってしまいますね。
私が、これまで、聖人賢人たちから学んで来た「永遠の存在」とは、そんな彼方にあるのではなく、私たちの中にこそあるのです。
山のあなたの空遠く、幸い住むと人は言う
多くの人がその幸いを求めて、志半ばで、死んで行ってしまいました。
高い志を持ちながらも。
千里の道も一歩から。
その一歩が反対の方向であったら、結局その求める所から、二千里も離れた所に行き着いた事になってしまいますね。
その二千里先で、本当の自分の行き場所を見つけた時、その人は、「ああ!」と嘆き、そこに佇むしかないのでしょうか??
いいえ、決して損なことはありません。
千里だろうと、四万キロだと構いません。
ただ振り返れば良いのです。
それを回心と言います。
その言葉の通り、心を回すのです。
そうすると、そこにその人の求めていたものが在ると言う事になるのです。
これは古今東西の聖人たちが口を揃えて言っている事ですよね。
多分、yunikoさんの言う「存在性」もそんな所だと思うのですが、私に理解し易いように答えて頂ければ有難く思います。
私にとっての「永遠の存在」とは知恵であり、知恵の連帯による知恵です。
私はその為に「哲学革命」を提唱しており、その一貫として「哲学一貫教育」を提唱し、そのまた一環として「哲学フォーラム」を提唱しています。
哲学フォーラムとは、日本国中の小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置すると言うものですが、当座は、全国の公民館に哲学対話室を設置する事を提唱しています。
その概要については、これまで説明しているのでご理解して頂いていると思います。
掲示板は、文字による対話として、とても素晴らしいものです。
しかし、独善を免れません。
目と目を合わせて対話する事により、その思想は更に発展して行くのです。
現在、この日本に目と目を合わせて、この掲示板にあるよう真面目な話をする場はありません。
「大学の哲学科には、そう言う場所があるよ」と言ってしまえば、哲学(知恵を愛する事)は私たちには何のゆかりも無いものとなってしまいます。
哲学、philosophia、知恵を愛するとは、大学哲学科の専管なのでしょうか。
いいえそうではありません。
知恵を愛するとは、自我の芽生えた子供から、死ぬ直前のご老人までが行なう事なのですが、現在の日本ではそれが等閑にされているのです。
公民館に設置する哲学対話室は、そんな機会提供の場と成るのです。
yunikoさんは、「永遠の存在」を確認した人だと思います。
yunikoさんが、公民館の哲学対話室に鎮座し、哲学対話室を訪れた人と対話を行なえば、多くの人がまた、「永遠の存在」の存在を確認する事でしょう。
秘伝口伝、以心伝心の中で。
公民館への哲学対話室の設置方法は、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者10名程度で、哲学フォーラム地区名を組織して頂き、公民館に自主活動グループとして届出を行なった上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の会議室を一時借用して、哲学対話室を開設するという事になります。
仕組みが整えば、後は自動的に運営されて行く事になります。
今日本国民は、対話を求めているのです。
それも真面目な。
哲学対話室は真面目な事を真面目に話す別世界なのです。
そこにおいて、魂の開放が行なわれるのです。
ああ、本当の仲間がここに居たと!
どうかお仲間とお誘い合い、お近くの公民館に哲学対話室を設置して頂きたいと思います。
これは メッセージ 9 yuniko99 にさん対する返信です
nihonn dannjiさん及びmiraizou nihonnさん 2009/ 1/12 23:11
nihonn dannjiさんへ はじめまして
今日の午前中に、19と21の投稿があったので、返信しようと思って掲示板を開いたらびっくりです。
本当は、19と21に対して、十分に時間をかけて返信する積もりだったのですが、時間が押してしまって、十分な返信が出来ないようです。
私は、nihonn dannjiさんの思想は、よく理解できます。
投稿番号でいくと、19、32、36等です。
明日以降じっくりと対話が出来たら嬉しく思います。
それから、miraizou nihonnさんへ
投稿番号61、それが私の基本思想です。
明日以降、それを敷衍出来たらと思っています。
なお、私は、平日は一つ、休日でも二つ位しか投稿できませんので、その積もりでお付き合い出来たら嬉しく思います。
これは メッセージ 19 nihonn_dannji1616 さんに対する返信です
哲学対話室の基本方針 2009/ 1/13 23:46
yunikoさんに nihonndannjiさんへ
返信有難うございます。
昨晩掲示板を開いた時には、呆然としてしまい意気消沈してしまいましたが、今晩今開いたら、私の理想とする哲学対話が展開されているではないですか。
こんなにも世界は変わるのですね。
先ずは、yunikoさんの投稿番号63に対してお答えしたいと思います。
公民館への哲学対話室の展開が、今の所、私の最大の関心事なのですから。
「ソクラテスの産婆術」、それこそが、正に、哲学対話室の真髄です。
“ソクラテス”が自分の主義主張をしまくったら、多分、その哲学対話室は1回でお終いです。
その哲学対話室を知る人は、もう二度と、その哲学対話室には、足を運ばないと思います。
哲学対話室の真髄、それはその人も持っている素晴らしいものを最大限に引き出して上げる事なのです。
現在は軽佻浮薄の時代です。
一昔前よりは、少しはその感は少なくなったとは思いますが、底流はやはり軽佻浮薄です。
この軽佻浮薄の時代にあって、真面目な事を語らう場はありません。
真面目な事の最大の事、それは、「素晴らしき自分自身の確認」ですが、そんな事を語らう場はありません。
確かに掲示板上には、少しはあるかも知れません。
yunikoさんとnihonndannjiさんの対話はその良い例です。
お二人とも、自分自身の存在の素晴らしさを良く知っているから、お互いを尊重しあい、対話を続けて行く事が出来るのです。
しかし、それは稀な例です。
ましてや、目と目を合わせての場においては、そんな機会は用意されていません。
学校、職場、飲み屋等々を考えてもそれは分かると思います。
そこで最も幅を利かせているのは、“笑い” です。
次に“からかい”そして、それに類するものが続きます。
こんな娑婆において、『自分自身って、本当に素晴らしい存在なのだろうか』
そんな事を考えさせる暇さえ与えて呉れません。
子供たちはこの世のレールの上を
そして大人たちも
僅かにこの世の軋轢にあって、自らを振り向いて、そこに素晴らしき自分自身を発見する事あります。
偶然の賜物として。
しかし、そうではないのです。
人間とは、皆が皆、素晴らしい存在なのです。
その事を知らしめようとした人々が、イエスであり、仏陀であり、孔子であり、老子であり、ダビデであり、ソロモンであり、ソクラテス・プラトンであり、セネカであり、マルクスアウレリウスであり、その他諸々の聖人、賢人、哲人と言われる人々なのです。
彼らはその素晴らしき自分自身に、ある名を付して、それを熱心に求めるように導いたのです。
イエスであれば、聖霊またはキリスト、
孔子であれば、仁
老子であれば、道
ダビデであれば、主
ソクラテス、プラトン、セネカ、マルクスアウレリウスであれば、知恵またはダイモーン
そして、ソロモンであれば、『知恵』
哲学、philosophiaとは、知恵を愛する事。
ソクラテス、プラトンは知恵を愛する事を勧め、その人格体として、ダイモーンを措定したのです。
この中で最も成功したのは、イエスにおける「聖霊またはキリスト」であった事は、お分かりになると思います。
クリスチャンが聖霊に素晴らしい事を祈る時、その聖霊はその祈りに応じて素晴らしいものを下さるのです。
イエスの属性の付いた素晴らしいものを。
しかし、そのものは、イエスが与えたものではありません。
その人は、その人に中にあった素晴らしいものなのです。
しかし、それがアウトプットされる時は、イエスの言葉に翻訳されて出て来る事になりますが。
とにかく、哲学対話室とはそこまで行きませんが、その人に眠る素晴らしい存在を引き出した上げる為のものなのです。
その為にも、哲学ボランティア“ソクラテス”は、産婆役に徹しなければ成らないのです。
なお、哲学対話室の対話は、原則1対1です。
何故、二人以上の“ソクラテス”が居なければならないかと言うと、安全弁の為です。
それは人身上の問題もあるでしょうし、思想上の問題もあります。
大の大人が子供に、国粋主義を吹聴しても困るし、公民館と言う立場上、宗教・信条等を吹聴しても困るからです。
“ソクラテス”が産婆役に徹しているかを確認する為です。
※ 2000字を超えたので、NO72続きます。
これは メッセージ 63 yuniko99 さんに対する返信です
哲学対話室の基本方針その2 2009/ 1/13 23:50
※ NO71「哲学対話室の基本方針」からの続きです。
尤も人によっては、1対1の対話より、あのプラトンの「饗宴」にあるような対話を望む人も居るでしょうか、その時は臨機応変に対応する為にも、二人の“ソクラテス”が必要なのです。
今多くの国民が、本当の自分自身を外に出したがって居るのに、出せないで居るのです。
哲学対話室は、この世における別世界なのです。
理想を語る別世界なのです。
ここで本当の自分自身を出した後、また現実世界に戻って行く事になるのです。
殺人、自殺等々は、本当の自分自身が見出せないで足掻いた結果なのです。
多くの人は殺人者を憎みますが、最も憎むべきはその殺人者を育てた環境と言う事になるのかも知れません。
死刑囚の獄中の改悛の情を聞いて下さい。
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや、悪人をや」
死刑囚は回心の機会が与えられますが、自殺者には、その機会が与えられないのです。
哲学対話室の全国展開において、自殺者は、激減するのです。
素晴らしき自分自身を確認した人がどうして自殺をするでしょう。
その事は、お二人が良く理解している筈です。
この尽くせない素晴らしい自分自身、
しかしその時間を確認する事の何と少ない事よ!
『芸術は長し、人生は短し』
主義主張、私利私欲、そしてこの世の自分自身を捨てれば、そこに滾滾とした泉がありますよね
『知恵』と言う泉が
どうか一緒になって、公民館への哲学対話室の設置について、考えてみてください。
niihonndannjiさんの投稿番号67の「マルクスとエンゲルスの共産主義を現実化するには、人間のかなりの高い意識改革が必要になるのです。哲学で上げるか、宗教でするしかないのでしょう。」
これに関連して敷衍したい所ですが、時間になってしまったようです。
また明日もよろしくお願いします。
これは メッセージ 71 sophialover007 さんに対する返信です
哲学一貫教育の基本方針 2009/ 1/14 23:18
alpha delta ganmaさんへ、はじめまして。
私は教師ではありません。
また教育関係者でもありません。
私は哲学にとても関心のある者です。
その流れの中で、最近教育にも関心を持つ様になりました。
そして、この哲学と教育を組み合わせて、哲学一貫教育と言う方法を考え出したのです。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学の機会を提供するものです。
この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。
一 小中高校哲学一貫教育
二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
三 大学教育学部における徹底した哲学教育
四 哲学読本大全(全100巻)の作成
五 哲学フォーラム
紙幅の制限がありますので、ここでは、この哲学一貫教育における所の「哲学」の意味について、説明させて頂きたいと思います。
俗に言う哲学とは、「デカンショ、デカンショで日が暮れた」と言う様に、デカルト、カント、ショウペンハウワー等の哲学文献を研究し、それらを議論する事が哲学と言われていますが、哲学一貫教育で言う所の「哲学」とは、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事です。
私に言わせて貰えば、この哲学(知恵を愛する事)こそが、教育の最終目標だと思っています。
哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。
哲学とは、真善美を求める事。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学の最終目標は、真善美に溢れた自分自身を知る事なのです。
これはまた、真の教育の最終目標でもあるのではないでしょうか。
私は、教育は、二つの柱から成っていると思います。
一つは、知識の伝達です。
これは、国語、社会、数学、理科、英語等々、俗に言う教科と言われるものです。
も一つは、知恵を愛する事を教える教育です。
知恵は教える事が出来ません。
知恵は各自がそれぞれに見つけなければなりません。
しかし、知恵と言う存在が在る事を教えて上げ、その知恵を愛するように教えて上げなければ、多くの人間にとって知恵は無縁のものとなります。
国語、社会、数学、理科、英語等々教科と言われるもので教えるものは、知識、すなわちデータの伝達です。
これらは無機質なものです。
これら無機質な知識を、総合的な、生きた有機体に纏めるのが、知恵の役目なのです。
その為には、確固たる、生きた、核心が無ければならないのです。
その確固たる生きた核心が知恵であり、その総合的に生きた有機体がまた知恵と呼ばれるのです。
哲学とは、その確固たる生きた核心を愛する事であり、その核心の基に、生き生きとした総合的な有機体を育て上げる事であり、そしてその有機的な世界を愛する事なのです。
かなり抽象的で、分かり難いと思いますが、もし私と対話をして頂ければ、その内に分かって来ると思います。
alpha delta ganmaさんは、高校教師との事、私の提唱する小中高校哲学一貫教育が、実際の学校の現場で適用出来るか、一緒にお付き合い出来れば、とても嬉しく思います。
なお、小中高校哲学一貫教育は、「読書」「思索」「作文」「対話」「行為(経験)」から成っています。
小中高校哲学一貫教育は、各学年とも週2時間の哲学授業とします。
週の最初の時間に、ある哲学テーマ(知恵、勇気、忍耐、自然、環境等々)について、古今東西の名著の中の名文中の名文を数編読み、週の最後の時間に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を、作文として纏める事になります。
対話は、小中高校に設置される哲学対話室で行なわれる事になります。これについては、課外とします。
行為(経験)については、総合学習、特別活動等と連携させるものとします。
これが小中高校哲学一貫教育の概要です。
小中高校哲学一貫教育の目標は、自ら学び、自ら考え、自らにおいて自らを確立させる為の教育と言う事になります。
素晴らしき自分自身を知り、その素晴らしき自身を核にして、自らの素晴らしき世界を築く事、これが哲学一貫教育の目標となります。
【alpha delta ganmaさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=a4a4a4ma4a4a4moca4bda4a6a1aa2v&sid=1086165&mid=2351
これは メッセージ 72 sophialover007 にさん対する返信です
哲学一貫教育の基本方針 その2 2009/ 1/15 23:11
alpha delta ganmaさんへ
返信有難うございました。
「自信」、これこそが全ての人間が持つべきものです。
全ての人が、自信を持ってこそ、この社会は尊厳と敬愛に満ちた社会となるのです。
しかし、多くの人は、自分に自信を持つ事が出来ません。
何故でしょう。
答えは簡単です。
自分自身を信じる事が出来ないからです。
現在の教育において、子供たちに自信を持たせる事は出来ません。
何故でしょう。
答えは簡単です。
自分自身を信じさせる教育を行なっていないからです。
尤も一部の自信を付けさせる事は出来ます。
勉強が一番であるとか、スポーツが一番であるとか、しかしその自信は比較によるものです。
比較の対象が変わった時、その自信は失せてしまいます。
例えば、中学校でずっと一番であった子供が、進学校に行って中位の成績であれば、その子は、中学校の時に持っていたあの自信はもう持ち得なくなってしまうでしょう。
比較の中の自信とはそんなものです。
上には上がいるのです。
自信の本質とは、そんなものではありません。
自信とは、その言葉通り、自分自身を信じる事なのです。
さて、ここで大きな問題が出て来ます。
自分自身とは何かと。
この問題を自分自身で解決出来れば、その人は自分自身を信じる事が出来るようになります。
ここでは、回りくどい言い回しはしない事にします。
哲学一貫教育の趣旨を理会して頂く為にも。
自分自身とは、「考える私」であり、考える先に居る所のもう一人の私、すなわち『知恵』の事です。
この知恵から一時も離れる事無く、この知恵と対話をし続ける事が出来れば、その人は「神の子」とも「仏の子」ともなります。
神の子であり、仏の子である者が、どうして自分自身を信じられないと言う事がありましょう。
知恵とは、考える私と神と繋ぐ仲立ちなのです。
古来多くの聖人賢人たちが、この存在を見付け、多くの人に声を高らかに叫んで来ましたが、多くの人はそれに耳を貸そうとはしませんでした。
勿論、その教えの有難さを理解して、それぞれの教えの門に入った人も多くはいるのですが。
その典型がクリスチャンたちです。
キリスト教において、考える私と神との仲立ちをして呉れるのが、聖霊と呼ばれる存在なのです。
しかし、この聖霊と言う存在は、「山のあなたの空遠く」に居る訳ではないのです。
貴方の中にこそ、居るのです。
神も喩え、聖霊も喩えです。
宗教においては、最も強烈な言葉を使って、無知な人々を誘って上げるのです。
「火宅の喩え」です。
キリスト教の「聖霊」
バラモン教の「アートマン」
ソクラテスの「ダイモーン」
ストア派の「内なる自然」
孔子の「仁」
老子の「道」
ダビデの「主」
そして、ソロモンの『知恵』
そして、更には今私が読んでいる「伝習録」の中で、王陽明が晩年には、これしか言っていないと言う位しつこく何度も何度も繰り返して言っている「良知」
これらを一番ポピュラーの言葉に翻訳すれば『知恵』なのです。
哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。
この哲学の奥義を知らなければ、哲学は人を専門馬鹿にしか導かないのです。
私の言う哲学一貫教育の奥義を少しは理解して頂けたでしょうか。
私の言う哲学一貫教育では、全ての子供に、そして全ての大人に、この知恵の存在を知らしめ、そしてその知恵を愛するように仕向ける事なのです。
そうして始めて、全ての人が自分自身に自信を持てるようになるのです。
その時、始めて尊厳と尊敬に満ち満ちた社会が生まれ事になるのです。
哲学一貫教育は、そのような理想社会を創る為のメソッドなのです。
ここで最後に念を押して置きますが、私の言う哲学一貫教育では、「知恵」とはこう言うものです、だから「知恵を愛しなさい」なぞと言う事は一言も言いません。
哲学一貫教育におけるその為の手段は、古今東西の名著の中の名文中の名文と言う事になります。
その名文、すなわちその言葉が時代を超えて輝き続けている理由は、そこに知恵が存在しているからです。
哲学一貫教育では、各自がそれぞれにその言葉から知恵を学ばなければならないのです。
【alpha delta ganmaさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=
これは メッセージ 73 sophialover007 さんに対する返信です
miraizou nihonnさんへ 2009/ 1/15 23:18
miraizou nihonnさんへ
全くmiraizou nihonnさんの言う通りだと思います。
miraizou nihonnさんの言葉を基に、私なりに発展させて行きたいのですが、今日はもう時間が押していますので、明日以降返信したいと思います。
これは メッセージ 75 miraizou_nihonn さんに対する返信です
yunikoさんへ 2009/ 1/15 23:28
yunikoさんへ
返信有難うございました。
yunikoさんの質問に対して、お答えしながら、私の哲学一貫教育の考え方を述べさせて貰いたいのですが、時間が押していますので、明日以降返信させて頂きたいと思います。
所で、教育大学出身との事、私は哲学一貫教育の一つの柱として、「大学教育学部における徹底した哲学教育」を立てています。
その趣旨は、勿論、哲学的(知恵を愛する)素養に優れた教師を育成する事です。
この、『大学教育学部における徹底して哲学教育』についても、一緒に対話出来たらとても嬉しく思います。
これは メッセージ 74 yuniko99 にさん対する返信です
公民館哲学(哲学フォーラム)について 2009/ 1/17 12:37
yunikoさんへ
返信有難うございました。
それから素敵なネーミング『公民館哲学』有難うございました。
この言葉を聞いて、新たなインスピレーションが湧いて来ました。
私は、公民館における哲学対話室(哲学フォーラム)の設置は、哲学一貫教育におけるほんの一部だと思っていましたが、『公民館哲学』と銘を打つ事によって、『公民館哲学』を哲学一貫教育の根本に据える事も可能ではないかと思うようになりました。
勿論、日本が哲学国家に成った時は、小中高校大学哲学一貫教育が行なわれる事になりますが、それまでは『公民館哲学』を哲学教育の中心に据えるべきだと思うようになりました。
何故なら、小中高校大学哲学一貫教育は、千尋の山ほども険しいのですから。
私の言う哲学教育の基本は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「行為(実行)」です。
この内、「公民館における哲学対話室の設置」で対象としてきたのは、「対話」だけだったのですが、『公民館哲学』と銘を打つ事によって、これら全てを対象とするものとします。
その為に必要なものが、哲学講座と、哲学読本と、哲学対話室と言う事になります。
これらをばらばらに運用すると、哲学の一体性が保たれないので、これらは、一つの場で運用するものとします。
その運用の場を『哲学フォーラム』と名付ける事にします。
『哲学フォーラム』の中で、哲学講座が行なわれ、哲学対話が行われる事になります。
『哲学フォーラム』の開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
この時間内に、哲学講座が行われ、哲学対話が行われる事になります。
それらの運用については、各フォーラムがそれぞれに工夫をして行う事になりますが、標準的な雛形を次に示す事にします。
先ずは、哲学ボランティア“ソクラテス”10名以上で『哲学フォーラム』を組織して頂き、公民館に自主活動グループとして届出を行った上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の会議室を借用するものとします。
毎週土曜日の午後2時から午後5時まで『哲学フォーラム』を開設し、ここで哲学講義を行い、その後、哲学的対話を行う事にします。
なお、哲学対話だけを望む人に対しては、哲学対話室の開設時間中、自由に哲学対話が行える仕組みを整えて置くものとします。
おって、哲学フォーラムは、全ての国民に開放するものとします。
フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとします。
哲学講座は、基本的には「哲学読本」により行うものとします。
「哲学読本」とは、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものとします。
「哲学読本大全(全100巻)」が完備していれば、それを利用すれば良いのですが、「哲学読本大全(全100巻)」の完成は遠い先の話となりますので、「哲学読本」については、各フォーラムで作成して頂くものとします。
哲学講座は、1年間50単位を基本とするものとします。
1単位は、30分から1時間とします。
各フォーラムにおいて、先ずは、年間の哲学テーマ50を決定するものとします。
この50の哲学テーマについて、哲学ボランティア“ソクラテス”は、各哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を10編以上、その本のコピーを提出するものとします。
(哲学フォーラムが軌道に乗ったら広く一般市民からも募集するものとします。)
1編の名文の文章量は、4000字前後とします。本の頁数で言うと、4頁くらいでしょうか。
これらをファイルに綴冊して、「哲学読本」とします。
「哲学読本」は、哲学フォーラムの開設時間中は、哲学フォーラムに備え付けて置くものとします。
哲学講座は、この哲学読本を使用して行う事となります。
一回の哲学講座で、一つの哲学テーマを取り上げる事にします。
一回の哲学講座において、2人または3人の哲学ボランティア“ソクラテス”が、その哲学テーマに対して、自分が提出した古今東西の名著の中の名文中の名文を講読するものとします。
哲学講座はこれだけです。
誰でも講師に成り得るのです。
自分が感動した名文を、その名文に即して伝えるだけですので、誰でも出来ると思います。
※ 2000字を超えたので、「公民館哲学(哲学フォーラム)その2」に続きます。
「公民館哲学(哲学フォーラム)その2」で、哲学フォーラムの真髄をお伝えしたいと思います。
これは メッセージ 79 yuniko99 さんに対する返信です
公民館哲学(哲学フォーラム)について no2 2009/ 1/17 12:42
※ 「公民館哲学(哲学フォーラム)」からの続きです。
この哲学講座の後、哲学的対話が行われる事になります。
この哲学講座を基に、より活発な哲学対話が行われる事になります。
哲学対話の形式は1対1でも良いし、饗宴のような数人による対話でも良いのです。
ただし、1対1では何でも言えるのだが、数人となると苦手だと言う人も多くいると思いますので、必ず1対1の対話が出来る仕組みを作って置く事が、哲学対話の運営においては、とても大切になります。
この1対1の哲学対話では、その哲学フォーラムを訪れた人の関心に応じて、哲学対話が行われる事になります。
「あの“ソクラテス”と話したいが為、この哲学フォーラムに来るのです」と言う人が生まれて来るのです。
これまでの説明の中で、この哲学フォーラムが、私の言う所の哲学教育の基本である、「読書」「思索」「作文」「対話」「行為」の内、「読書」と「対話」を満たした事になります。
次に「思索」と「作文」ですが、これがこの哲学フォーラムの真骨頂となるのかもしれませんが、「哲学文集」の作成です。
哲学フォーラムでは、定期的に「哲学文集」を作成するものとします。
この「哲学文集」については、勿論哲学ボランティア“ソクラテス”に提出して頂く訳ですが、広く市民も対象とするものとします。
「哲学文集」の作成方法は、提出のあった原稿をファイルにするだけです。
とても簡単でしょう。
この「哲学文集」は、哲学フォーラムの開設中は、哲学フォーラムに備え付けて置くものとします。
この「哲学文集」は、出来るなら毎月発行するものとします。
この「哲学文集」によって、対話を超えて更にその人となりを理解する事が出来るようになるのです。
どうです。
哲学フォーラムが凄く魅力のあるものに成ったでしょう。
哲学フォーラムには、哲学講座があり、哲学読本があり、哲学文集があり、哲学対話がある。
そこは哲学だらけ、すなわち知恵が飛び交うのです。
さて、最後に「行為」ですが、これは本人の意志を待つしかありませんが、哲学フォーラムで知恵に染まった人は、その美しき良き意志を行為に移すに事については、それ程、躊躇しなくなします。
それこそが、知恵を愛する事の神秘なのです。
知恵とは素晴らしき貴方自身。
その貴方自身を行為に移す事について、何を躊躇する必要があるのでしょう。
世の人は認めて呉れなくても、哲学フォーラムの人々はしっかり認めて呉れるのです。
哲学フォーラムは、最初は10人でスタートしますが、最終的には千人万人を目指したいものです。
そうすれば、その美しき善き行為はとても容易いものとなるのです。
何故なら、みんながみんな、自分自身の良き理解者なのですから・・・。
これは メッセージ 81 sophialover007 さんに対する返信です
公民館への哲学フォーラムの設置について 2009/ 1/18 11:04
miraizou nihonnさんへ
miraizou nihonnさんの投稿に対して十分な返信をしていませんでしたので、今日纏めて返信したいと思います。
先ずは、投稿番号61の中にある「仏や、イスラムの教え、その他の神々、皆原点は同じだと思います。」ですが、私もその通りだと思います。
その見解については、投稿番号71に記載して置きましたの、ご覧頂ければと思います。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=71
私たちの心の中には、本来“善”が輝いています。
しかしこの世に覆われて、その“善”が暗まされています。
私たちがたまたま、その“善”に気付いた時、そこから哲学(知恵を愛する事)が始まるのだと思います。
もし、心の中にあるこの“善”に気付かなければ、その人に取って哲学(知恵を愛する事)は、無縁となってしまうのです。
哲学教育とは、この“善”(知恵)を気付かせる為の教育なのです。
私の哲学一貫教育は、壮大なものです。
この教育の実現は、現在の所、ほとんど無理でしょう。
しかし、公民館への哲学フォーラムの設置なら、実行しようと思えば直ぐにでも出来るのです。
例えば、miraizou nihonnさんが、哲学仲間(知恵を愛する仲間、私はそれを哲学ボランティア“ソクラテス”と呼んでいますが)10人で、哲学フォーラム地区名を組織し、お近くの地区公民館に自主活動グループとして届出を行った上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、地区公民館の会議室を借用し、哲学フォーラムを開設し、そこに哲学仲間が二人以上常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行う仕組みと整えれば、それで哲学フォーラムがスタートするのです。
とても簡単な仕組みなのです。
miraizou nihonnさんは、哲学の本質を理解されている方だと思います。
miraizou nihonnさんが、哲学フォーラム(対話室)に鎮座し、哲学フォーラムを訪れた者と対話を続ければ、きっとその人の中の“善”が輝き出して来ると思います。
哲学フォーラムとはそんな仕組みなのです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、その為にも、“産婆役”に徹しなければならないのです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、“善”を引き出す産婆役に徹しなければならないのです。
哲学フォーラムは、それぞれのフォーラムの“ソクラテス”が知恵を出し合って運営していく事が基本ですが、単独でそれぞれ行っても、その哲学フォーラムの存在が世に知れる事はほとんどないと思います。
そこで私は、哲学フォーラムのネットワークを構想しているのです。
それが、哲学フォーラム都道府県です。
各都道府県ごとに、それぞれの哲学フォーラムのセンターとして、哲学フォーラム都道府県を設置するのです。
哲学フォーラム都道府県の事務局は、各都道府県に設置されている国立大学教育学部の哲学担当教官の研究室とします。
私はその為に、国立大学教育学部の哲学担当教官に、三度ほど、哲学フォーラムと哲学教育の事を提唱しています。
もしmiraizou nihonnさんが、地区公民館に哲学フォーラムを設置したいと言うのであれば、私からmiraizou nihonnさんの住んでいる都道府県の国立大学教育学部の哲学担当教官に書簡を送って良いですよ。
哲学フォーラムは、教育学部の哲学教育と何ら齟齬する所はありません。
哲学担当教官は、きっと相談に乗って呉れると思いますよ。
ひょっとした、私もその哲学フォーラムに参加しようと仰って呉れるかも知れませんよ。
そうなれば、miraizou nihonnさん所属の哲学フォーラムが、miraizou nihonnさんの住んでいる都道府県の哲学フォーラムのフロンティアとなると思います。
そこから、一気にmiraizou nihonnさんの住んでいる都道府県に哲学フォーラムが広がって行くと思います。
そして、そこから更に全国に!
miraizou nihonnさんの様に、哲学の本質を理解している人は得がたいのです。
どうか、親しい哲学仲間(知恵を愛する仲間)と公民館への哲学フォーラムの設置について、話し合ってみては下さいませんか。
なお、公民館の哲学フォーラムに工夫によって、本当に知恵に溢れたフォーラムと成り得るのです。
それについては、投稿番号81と82に記載していますので、ご覧下さい。
公民館への哲学フォーラムの設置について 2009/ 1/18 12:02
kittydanielxさんへ
返信有難うございました。
確かに、私の提唱する哲学一貫教育は壮大です。
この全体像が実現するのは、ほとんど無理かも知れません。
しかし、公民館への哲学フォーラムの設置は、それ程難しいものではありません。
kittydanielxさんは大学講師のとの事。
哲学を象牙の塔に閉じ込めてはいけないと思います。
多分、そう言う思いからこの掲示板を立てられているのだと思いますが、もう一歩踏み込んで、お近くの地区公民館に哲学フォーラムを設置して頂けないでしょうか。
方法は簡単です。
kittydanielxさんが中心と成って、哲学仲間を10人集め、哲学フォーラム地区名を組織し、お近くの地区公民館に自主活動グループとして届出を行った上で、毎週土曜の午後2時から午後5時まで、公民館の会議室を借用し、哲学フォーラムを開設し、そこに二人以上の哲学仲間が常駐し、哲学フォーラムを訪れた者と哲学対話を行う仕組みを整えれば、それで哲学フォーラムはスタートするのです。
とても簡単な仕組みでしょう。
kittydanielxさんが構成員となるこの哲学フォーラムは、きっとその地区で大評判と成る筈です。
毎週土曜日の午後は、その公民館は大繁盛です。
何故なら、大学の哲学担当教官が哲学対話に応じて呉れるからです。
尤もkittydanielxさんも大学のお仕事でお忙しいですので、毎週哲学フォーラムで哲学対話を行う必要はありません。
もし出来れば、1月に1回、そうすれば、kittydanielxさんの哲学フォーラムは大繁盛です。
月に1回が難しければ、2月に1回でも良いと思います。
この哲学フォーラムの代表は大学哲学担当教官なのです、それだけで多くの市民がその哲学フォーラムに集まる事になるのです。
人寄せパンダみたいなものになってしまいますが、それで良いと思います。
多くの市民が、哲学(知恵を愛する事)に興味を持つようになれば、哲学フォーラムは大成功なのです。
哲学(知恵を愛する事)を知ってしまえば、哲学(知恵を愛する事)を止める事は出来ないでしょうから。
なお、私は、各都道府県の各哲学フォーラムのセンターとして、哲学フォーラム都道府県を構想しています。
そして、その事務局は、各都道府県に設置されている、国立大学教育学部の哲学担当教官の研究室に置くものとしています。
私は、その為に、哲学教育と哲学フォーラムの事について、三回、国立大学教育学部の哲学担当教官に提唱しています。
もし、kittydanielxさんが、お近くの公民館に哲学フォーラムを設置する意思があれば、kittydanielxさんが住んでいる都道府県国立大学の教育学部の哲学担当教官に書簡を送っても良いですよ。
哲学フォーラムは、教育学部の哲学教育と何ら齟齬する所は無い筈ですから。
教育学部の哲学担当教官は、きっと相談に応じて呉れると思いますよ。
そして、きっとこう言って呉れると思いますよ。
kittydanielxさんの哲学フォーラムを、この県の哲学フォーラムの“魁”にしようと!
大学の哲学担当教官としのkittydanielxさんは、本当に本当に得がたい存在なのです。
返信をお待ちしています。
【kittydanielxさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552019921&tid=bf7a47a4a49b9bbeaf3x652jbdqjtbd80q0w2q&sid=552019921&mid=1016
これは メッセージ 83 sophialover007 さんに対する返信です
言葉の力による世直し 2009/ 1/18 21:57
myoshifujiさんへ
返信有難うございました。
言葉の大切さ、言葉の力については、共通認識が出来た訳ですが、この言葉を使って世直しは出来ないものでしょうか。
次はある書物の第1章第1節に書かれているものです。
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。」
ここで言う“言”とは何でしょう。
そして、その“言”と言葉はどう違うのでしょう。
それからもう一つ、この“言”は、山のあなたの空遠くにあるのでしょうか、それとも私たち自身の中に在るのでしょうか。
それからもう一つ、この“言”は、他の言葉で言い換える事は出来ないのでしょうか。
【myoshifujiさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=bcaba3a4rbgc0za4ka49a4kbbr6a1a4r0ia4fa4bfa4a4&sid=1086165&mid=168
これは メッセージ 84 sophialover007 さんに対する返信です
【私は知恵】 2009/ 1/19 23:18
myoshifujiさんへ
私は知恵。
熟慮と共に住まい、知識と慎重さを備えている。
主を畏れる事は、悪を憎む事。
傲慢、驕り、悪の道、暴言を吐く口を、私は憎む。
私は勧告し、成功させる。
私は見分ける力であり、威力を持つ。
私によって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める。
君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、私によって治める。
私を愛する人を私も愛し、私を捜し求める人は私を見出す。
私のもとには富と名誉があり、すぐれた財産と慈善もある。
私の与える実りは、どのような金、純金にも勝り、私の齎す収穫は精選された銀にも勝る。
慈善の道を私は歩き、正義の道を私は進む。
私を愛する人は嗣業を得る。
私は彼らの倉を満たす。
以上はある書の1節です。
哲学とは、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事。
とも言われます。
この二つをどのように解釈しますか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
myoshifujiさんへ
返信有難うございました。
私の提唱する哲学一貫教育の基本は、「読書」「思索」「作文」「対話」です。
すなわち、言葉による教育です。
戦前の教育には、「作文」の授業があったようにも聞きます。
フランスのリセ(進学校)の3年においては、週7時間の哲学の授業があるとの事です。
そして、その主眼は、「作文」との事です。
現代日本の教育においても、「作文」の授業を取り入れても良いとは思いませんか。
「作文」を書く為には、「読書」「思索」は必然となり、そこから「対話」も生まれて来ます。
小中高校大学において、週1時間の「作文」の時間を作れば、この日本は変わると思いませんか。
作文を書く為には、自分の中に入っていかなければなりません。
私は思います。
小中高校大学の16年間毎週作文を書き続ければ、多くの日本人が、『知恵』に気付くようになると。
人よ、
貴方に向かって私は呼びかける。
人の子らに向かって私は声を上げる。
浅はかな者は熟慮する事を覚え、愚かな者は反省する事を覚えよ。
聞け、私は指導者として語る。
私は唇を開き、公平について述べ、私の口は誠を唱える。
私の唇は背信を忌むべき事とし、私の口の言葉は全て正しく、邪な事も曲がった事も含んでいない。
理解力ある人には、それが全て正しいと分かる。
知識に到達した人は、それが全て真っ直ぐであると分かる。
銀よりもむしろ、私の諭しを受け入れ、精選された金よりも、知識を受け入れよ。
知恵は真珠に勝り、どのような財宝も比べる事は出来ない。
以上も、『知恵』の言葉です。
【myoshifujiさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=bcaba3a4rbgc0za4ka49a4kbbr6a1a4r0ia4fa4bfa4a4&sid=1086165&mid=173
これは メッセージ 86 sophialover007 さんに対する返信です
王陽明の知恵 2009/ 1/20 23:05
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございました。
miraizou nihonnさんは、私を理解して呉れる数少ない人だと思います。
私は今、王陽明の「伝習録」を読んでいます。
昨日、一通り読み終わりました。
大感動です。
また、私に『知恵の書』が加わりました。
昨日の言葉は、旧約聖書「箴言」の第8章です。
「箴言」は、正に「知恵」と言う言葉のオンパレードですが、この「伝習録」もそれに負けず劣らずです。
王陽明は、「知恵」の事を「良知」と呼んでいます。
明日以降、この王陽明の知恵について、その言葉に即して述べて行きたいと思います。
『ソロモンの知恵』と『王陽明の知恵』は、全く同じです。
【miraizou nihonnさんのメッセージ】
http://post.messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=r&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=95
これは メッセージ 95 miraizou_nihonn さんに対する返信です
知行合一 2009/ 1/22 23:32
言葉が先か、行為が先か。
私は“言”が先だと思いますが、
王陽明は「知行合一」と言う思想を唱えました。
qualia2002sightさんにお聞きしますが、
何を訓練するのですか。
仁義礼智信ですか?
その基は“言”です!
尤もqualia2002sightさんの言う様に、
子供の教育においては、「仁義礼智信」の型は大切です。
しかしやはりそれにも増して、言葉の教育が大切です。
qualia2002sightさんのその優しさは、お母さんの“言”と言葉に育てられたのではないですか。
qualia2002sightさんのその凛々しさは、お父さんの“言”と言葉に育てられたのではないですか。
さて、ここで公案です。
“言”とは何でしょう。
【qualia2002sightさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=bcaba3a4rbgc0za4ka49a4kbbr6a1a4r0ia4fa4bfa4a4&sid=1086165&mid=178
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=bcaba3a4rbgc0za4ka49a4kbbr6a1a4r0ia4fa4bfa4a4&sid=1086165&mid=175
これは メッセージ 97 sophialover007 にさん対する返信です
[ 2009/ 1/24 12:40
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「人間の目的は永遠の存在を追究することにある。」
正にその通りだと思います。
「真の目的と人間の合意は必要」
これについては、「人間の目的は永遠の存在を追究することにある。」と言う目的について、人間全ての合意、もしくは多くの人間の同意が必要である、と言う風に解釈して宜しいでしょうか。
私はその為にこそ、「哲学フォーラム」を提唱し、「哲学一貫教育」を提唱しているのです。
ここで一番問題となるのは、“永遠の存在”です。
この“永遠の存在”について、深く対話出来たら、嬉しく思います。
私は今、王陽明の「伝習録」を読んでいます。
その中で気になる二つの言葉を下記に置いておきます。
「良知の人心に在るや、万古に渡り、宇宙に塞がって同じからざるなし」(良知が人に在るのは、時間的には万世に亘り、空間的には宇宙全体に塞がっていて、同じでないものはないのだ。)
「」
※ 本来の面目とは、「(仏教用語)天然のままにして、少しも人為を加えていない衆生の心の本性を言う。仏性」(広辞苑)
【yunikoさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=96
これは メッセージ 98 sophialover007 さんに対する返信です
自我とは、良知とは、仏性とは、知恵とは 2009/ 1/24 13:06
myoshifujiさんへ
myoshifujiさんの言う「自我と言う存在」は、私たちの中に在るのですか、それとも宇宙の何処かに存在しているのですか。」
myoshifujiさんの言う所の「自我」の定義をもう少し詳しくして頂ければ有り難く思います。
なお、私は今王陽明の「伝習録」を読んでいます。
その中で気になる言葉を二つ置いて置きます。
「良知の人心に在るや、万古に渡り、宇宙に塞がって同じからざるなし」(良知が人に在るのは、時間的には万世に亘り、空間的には宇宙全体に塞がっていて、同じでないものはないのだ。)
「本来の面目は、即ち、我が聖門の所謂、良知なり」
※ 本来の面目とは、「(仏教用語)天然のままにして、少しも人為を加えていない衆生の心の本性を言う。仏性」(広辞苑)
ここで言う「良知」とmyoshifujiさんの言う所の「自我」とはどんな違いがあるのでしょうか。
ここで私の考えを述べさして貰うと「自我」とは、「考える私」の事です。
デカルトの言う「我思う、故に我在り」という所の私です。
よくこの言葉を評して近代人の自我と読んでいますが。
この自我は人間が人間に成った時から存在しているものです。
そして「良知」すなわち「知恵」とは、その自我に先立って存在し、いつもその自我を指導している存在なのです。
しかし、王陽明が言う様に、誰もその事に気付かないのです。
尤も、この事は王陽明だけが言っている事ではなく、全ての聖人と言われる人はその事を言っているのです。
それぞれの言葉、それぞれの喩えを用いて。
私は、myoshifujiさんは、その「良知」と言う存在を知っている方だと思っているのですが、未だ気付いてはいないのですか。
【myoshifujiさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=bcaba3a4rbgc0za4ka49a4kbbr6a1a4r0ia4fa4bfa4a4&sid=1086165&mid=183
これは メッセージ 99 sophialover007 さんに対する返信です
『永遠の存在』について 2009/ 1/25 0:12
yunikoさんへ
返信有難うございました。
私は、yunikoさんの言われる事はほとんど分かりますが、一つだけ分からない所があります。
それは、下記です。
「永遠に存在し続ける事ができるかどうか。これは人の寿命ではなく、そのような永遠の存在が、たすきの様に繋がっていく先に何があるかと言う事です。
そこには、性質で出来た精神(意識)を持ったエネルギーの最も理想的にこの宇宙に調和した姿です。」
私は温故知新を私の思想の宗としています。
特に古代の聖人賢人たちの思想をその基としています。
今回のyunikoさんの上記の言葉は、私がこれまで学んできた聖人賢人たちの言葉にないものです。
上記のyunikoさんの思想は、yunikoさんが独自に発明した思想ですが、それとも誰か参考にした思想がありますか。
私の想定する「永遠の存在」とは、嘗て在り、今も在り、そして未来にも在ると言うその存在です。
そしてその存在は、山のあなたの空遠くにあるのではなく、私自身の中にこそ見出せるものなのです。
だから私たちはそれに倣う者として一生懸命に努力をするのです。
私が今回、王陽明の「伝習録」で見出した『良知』がそれに当ります。
私が古代の聖人賢人たちの書を読むのは、それを見出さんが為です。
その存在は、決して極め尽くす事は出来ません。
例えば、現在の世界の人全てが、1万年をかけても、その存在を極め尽くす事は出来ません。
もっと極端な事を言えば、世界に人類と言うものが発生し、そしてその人類が滅亡するまで、その存在した人類全てが、それを極め尽くそうとしても、極め尽くす事は出来ません。
だから、比喩的に「永遠の存在」と呼ぶのです。
しかしその存在は、宇宙のかなたに存在するのではなく、私たち一人一人に存在しているのです。
だから私たちは「神の子」「仏の子」と呼ばれるのです。
神に似る者として、仏に似る者として、
それが私たち人間に与えられた使命なのです。
そして、その使命を果たそうとする時、この上ない至福と快楽が齎されるのです。
だから、その存在に気付いた者は、その行為を決して止める事はしないのです。
「天の国は次のように喩えられる。
畑に宝物が隠されている。
見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」
【yunikoさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=101
これは メッセージ 101 yuniko99 さんに対する返信です
永遠の存在と『哲学フォーラム』 2009/ 1/25 12:33
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「エネルギーと性質の宇宙における調和状態、それがすなわち『永遠の存在』である。」
と言う風に、yunikoさんの思想を解釈して宜しいですか。
その場合、霊のエネルギーは、どの程度、宇宙の調和に貢献するのですか。
それともう一つ、「宇宙」をどのように定義していますか。
【yunikoさんのメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=104
私は、形而上の問題を、科学的に分析する事は好みません。
現代の弊害、それは科学一辺倒主義にあるのですから。
古今東西、聖人賢人哲人と言われる人々が形而上の問題について、様々に述べていますが、それは全て喩えです。
その喩を自分にどのように生かすか、それこそが、哲学、知恵を愛すると言う事なのです。
哲学、それは自分が幸福になる為の学問です。
多くの真の哲学者がこのように言っています。
私利私欲を捨てて天理に任す。
これが哲学の道であり、幸福の道であると。
私が今読んでいる、「伝習録」では、王陽明がこれでもかこれでもかと言う位、徹底的にその事を述べています。
「温故知新」
一緒に古代古典を学んでみませんか。
それが、私が提唱する、哲学一貫教育であり、哲学フォーラムなのです。
yunikoさんのお好きな古代古典の中の一文をお聞かせ下さい。
私がそれに対して解釈します。
そしてその解釈に対して、意見を下さい。
それを繰り返す事によって、その一文の思想が私たちのものになっていくのです。
それが、「対話」であり「弁証」なのです。
そして、私が提唱している『哲学フォーラム』の理想なのです。
“温故知新”
これは メッセージ 103 yuniko99 さんに対する返信です
「自然に帰れ」、「内なる自然」 2009/ 2/ 7 13:22
yunikoさんへ
『公民館哲学』への声援有難うございます。
yunikoさんの様な方々が、公民館の「哲学フォーラム」に鎮座し、哲学フォーラムを訪れる人々と哲学対話を交わして頂ければ、その公民館は美しき善き言葉(心)の花園になるのは、間違いないと思います。
何故なら、産婆役に徹して、哲学フォーラムを訪れた人々の美しき善き言葉(心)を最大限に引き出して上げるでしょうから。
しかしそうは言っても、yunikoさんに、公民館に設置する哲学フォーラムの第一号の『哲学ボランティア“ソクラテス”』に成って頂く為には、やはり無理があると思います。
何故なら、言い出しっぺの私が、何も作業を行っていないからです。
しかしもし、公民館哲学(公民館に設置する哲学フォーラム)が、全国的に展開される事となれば、yunikoさんがその中心メンバーと成って、活躍していただけるものと信じています。
そう言う訳で、これからその準備作業を始めたいと思います。
yunikoさんもどうかご協力お願いしたいと思います。
その準備作業の第一は、公民館の哲学フォーラムで、どの様な哲学対話が成立するかと言う事の検証です。
この事については、私とyunikoさんの間では、その端緒に手を付けていますよね。
すなわち、私の105番のメッセージに対する、yunikoさんの107番の返信がそれに当ります。
「哲学者の言葉ですが、ルソーの『自然に帰れ』と言うのはどういう意味でしょうか?」
私は、105番で、yunikoさんの好きな古代古典の一文をお聞かせ下さいと言いました。
それに対する返信が、上記のyunikoさんの言葉です。
私のメッセージに対して、正確に返信して頂いていますが、実を言うと私の意に適っている訳ではないのです。
私は、105番のメッセージで、yunikoさんの好きな古代古典の一節(起承転結の分かる4行程度の文)をお聞かせ下さいと、言うべきだったと思っています。
起承転結の分かる4行程度の文章であれば、私たちはある程度の共通認識の下に、その聖人賢人哲人の言葉について、対話を進めて行く事が出来ます。
しかし、一言の言葉だけだと、私たちはその言葉の定義から始めなければなりません。
もし、その定義が間違っていたら、私たちのその聖人賢人哲人の言葉に対する対話は、その聖人賢人哲人たちの真意とは違った方向に進む事になります。
もし、私とyunikoさんが、ある「一つの言葉」について、共通認識を得たとします。
それは、二人にとってはとても大切な事です。
しかし、それは聖人賢人哲人の真意とは違っているのです。
「三人が私の名によって求める所には私も居る」
「我ら三人行えば、必ず我らが師を得る」
「三人寄れば文殊の知恵」
三と言う数字はとても大切なのです。
もし、起承転結のはっきり分かる文章であれば、私たちはその聖人賢人哲人たちの言葉について、それ程対話を進めなくても、直ぐにその言葉について、共通認識を得る事が出来るようになると思います。
その言葉について、私とyunikoさんの共通認識が得られたと言う事は、私とyunikoさんとその聖人賢人哲人と三人の間で共通認識が得られた事になります。
その時は、その言葉を、私たち自身の言葉として取り入れて良いのではないでしょうか。
もし、その様にして対話を進めて行けば、私たちは多くの聖人賢人哲人たちの言葉を自分の物にして行く事が出来るのではないでしょうか。
『学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し』
私は、今回『自然に帰れ』の言葉を頂いた時、ルソーがその言葉をどの様な文脈で使っているのかと思い、「エミール」をぱらぱらと、本当にぱらぱらと捲ったのですが、見付かりませんでした。
尤ももっともっと詳しく読めば何処かに出て来るのかも知れませんが、私にはその様な時間がないので、敢えてしていません。
しかし、その代わりと言っては何でしょうが、「自然」に関するルソーの定義らしきものを見出したので、次にその一文を示したいと思います。
※ 2000字と超えますので、次のメッセージに続きます。
これは メッセージ 183 yuniko99 さんに対する返信です
「自然に帰れ」、「内なる自然」その2 2009/ 2/ 7 13:28
※ 前のメッセージ(185番)『「自然に帰れ」、「内なる自然」』からの続きです。
私は、今回『自然に帰れ』の言葉を頂いた時、ルソーがその言葉をどの様な文脈で使っているのかと思い、「エミール」をぱらぱらと、本当にぱらぱらと捲ったのですが、見付かりませんでした。
尤ももっともっと詳しく読めば何処かに出て来るのかも知れませんが、私にはその様な時間がないので、敢えてしていません。
しかし、その代わりと言っては何でしょうが、「自然」に関するルソーの定義らしきものを見出したので、次にその一文を示したいと思います。
「万物を創る者の手を離れる時、全ては良いものであるが、人間の手に移ると全てが悪くなる。人間はある土地に他の土地の産物を作らせたり、ある木には他の実を生らせたりする。風土、環境、季節をごちゃ混ぜにする。犬、馬、奴隷をかたわにする。全てのものをひっくり返し、全ての物の形を変える。人間は醜いもの、怪物を好む。何一つ自然がつくったままにしては置かない。人間そのものさえそうだ。人間も乗馬のように調教しなければならない。庭木みたいに、好きなように捻じ曲げなければいけない。」(「エミール」第一編第一節)
「良心!良心! 神聖な本能、滅びる事なき天上の声、無知無能ではあるが、知性を持つ自由な存在の確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を神と同じ様な者にしてくれるもの、御身こそ、人間の本性を優れたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P172)
「私たちには、人間の憶見が入り組んだこの広大な迷宮の中で、それほど費用にかからない、いっそう確実な案内者が居るのだ。けれども、そう言う案内者が存在すると言うだけでは足りない。それを見分け、その後に、ついていけるようにならなければならない。それが全て人の心に語りかけるものながら、その言葉を聞く人がごく少ないと言うのは、一体何故だろう。ああ、それはつまり、その言葉は『自然』な言葉なのだが、一切の事が私たちにそれを忘れさせてしまったからだ。良心は、内気である。良心は、世間から離れた静かな生活が好きなのだ。社交界とそのざわめきは良心を怯えさせる。良心は、そこから生まれると人が言っている偏見こそ、その最も残酷な敵なのだ。偏見に会うと、良心は、逃げていくか、黙ってしまう。偏見の騒々しい声は、良心の声を押し殺し、聞こえなくしてしまう。狂信は大胆にも良心の姿を借りて、その名において罪悪を命じる。良心は、何処へ行っても相手にされない。ついに。意気消沈して、私たちには何も語らなくなる。私たちに答えようとはしなくなる。そして、長い間、良心を無視していると、容易くそれを追い払えなかったのと同じ様に、容易く呼び戻す事を出来なくなる。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P173)
「良心こそ、人間の本当の案内者だ、魂に対して良心は、肉体に対する本能と同じ様なものなのだ。良心は、『自然』に従い、決して道に迷う事はない。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P165)
『自然に帰れ』とは、人間の内なる自然、『良心』に帰れと言っているのではないでしょうか。
私の『哲学(知恵を愛する事)』は、この良心を求める旅だと言っても良いと思います。
この良心と言う言葉は、古今東西の聖人賢人哲人たちが、様々なお国言葉で、様々に言っています。
ストア派で言えば、「内なる自然」でしょうか。
今私が読んでいる伝集録の王陽明であれば、「良知」でしょうか。
尤も王陽明は良心の事を無知無能とは言っていません。
ずばり良知良能です。
ルソーの言葉を王陽明の言葉で言い換えると次の様になるのでしょうか。
「良知!良知! 神聖な本能、滅びる事なき天上の声、良知良能(もしくは全知全能)であり、知性を持つ自由な確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を聖人と同じ様なものにしてくれるもの、御身こそ、人間の本性を優れたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。」
そして、それは私の言う所の『知恵』です。
なお、私の言う『知恵』は、「ソロモンの知恵」同じです。
これは メッセージ 185 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムと『知恵』の解釈について 2009/ 2/ 8 12:13
minamino nannnosoさんへ
はじめまして
nihonn dannjiさんへは挨拶をしておりましが、minamino nannnosoさんへは挨拶をしておりませんでしたので、この様に挨拶させて頂きます。
今日、改めて、minamino nannnosoさんとnihonn dannjiさんの投稿を見させて頂きました。
生粋の科学者でいらっしゃるのですね。
そして哲学者でいらっしゃる。
科学者であり哲学者である、私の理想とする科学者像です。
そんな理想とする人に会えたのですから、私の思想をぶつけて行きたいと思います。
きっと科学的見地、哲学的見地から意見を頂けるものと思っています。
今、私が行おうとしているのは、「哲学の普及」です。
私は、その為に、『哲学一貫教育』と言うものを提唱しています。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学の機会を提供しようとするものです。
この哲学一貫教育は、次に五つの柱から成っています。
一 小中高校哲学一貫教育
二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
三 大学教育学部における徹底した哲学教育
四 哲学読本大全(全100巻)の作成
五 哲学フォーラム(哲学対話室)の設置
ご覧頂いてもお分かりの様に、私の提唱する『哲学一貫教育』は壮大なものです。
これを一気に実現する事は不可能です。
そう言う事で、今私は、上記の五つの柱の内、五番目の「哲学フォーラム(哲学対話室)」の設置を提唱しているのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すると言うものです。
哲学フォーラム(哲学対話室)の概要については、私の1番目の投稿を見て頂きたいと思います。
哲学フォーラムの内、小学校、中学校、高校に設置する哲学フォーラムに(哲学対話室)については、学校教育上の規制等があり、直ぐに実行する事は難しいと思いますが、大学及び公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)の設置については、ほとんど規制がないので、実行しよう思えば直ぐにでも実行する事が可能です。
そう言う訳で、今私は、大学及び公民館への哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を提唱しているのです。
大学及び公民館の哲学対話室は、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
これにより、日本国民は、何処にいても、毎週土曜日の午後、哲学的対話が楽しめる事になります。
“土曜日の午後は哲学フォーラムで!!”
これが哲学を愛する人々の合言葉となるのです。
「今日は時間に余裕があるので、県庁所在地まで出向いて、あの大学の哲学対話室で楽しもう」と言う事にもなるのです。
なお、大学に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については、当面は、各都道府県に設置されている国立大学教育学部の哲学教育担当教室が中心に成って、教育学部のある国立大学に設置するものとします。
私は、その為に、国立大学教育学部の哲学担当教官に、この事を提唱しています。
何故、国立大学教育学部の哲学教育担当教室が中心になるかと言えば、『哲学フォーラム』が『哲学一貫教育』の一環として行われるからです。
以上が、私が今、提唱している、「大学及び公民館への哲学フォーラム(哲学対話室)の設置」の概要です。
ご意見を頂ければ有難く思います。
なお、私の言う哲学とは、philosophia、知恵を愛する事です。
この解釈について、どの様なご意見がありますか。
この解釈がある程度妥当だとした場合、その時の『知恵』をどの様に解釈しますか。
先ずは、この辺りからご意見を頂ければ、とても有難く思います。
これは メッセージ 186 sophialover007 さんに対する返信です
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事! 2009/ 2/10 23:31
nantetusukiさんへ
はじめまして
私の言う哲学とは、普通に使われている哲学とは少し趣を事にします。
私の言う哲学とは、philosophia、すなわち知恵(sophia)を愛する(philo)事です。
私はこの『知恵』を求めて、古今東西の哲学書(知恵を愛するの書)を経巡っていると言っても過言ではありません。
yunikoさんが、哲学フォーラムにご理解を示して呉れたので、哲学フォーラムで実際に行われる哲学対話について、実証してみようと思い、私は下記のように提案したのです。
「温故知新」
一緒に古代古典を学んでみませんか。
それが、私が提唱する、哲学一貫教育であり、哲学フォーラムなのです。
yunikoさんのお好きな古代古典の中の一文をお聞かせ下さい。
私がそれに対して解釈します。
そしてその解釈に対して、意見を下さい。
それを繰り返す事によって、その一文の思想が私たちのものになっていくのです。
それが、「対話」であり「弁証」なのです。
そして、私が提唱している『哲学フォーラム』の理想なのです。と
この私の提案に対して、yunikoさん次のような返信がありました。
哲学者の言葉ですが
ルソーの「自然に帰れ」と言うのはどういう意味でしょうか? と
私はそこで「エミール」をぱらぱらと捲ってみたのです。
そしてそこに『良心』と言う言葉を見出したのです。
私は少なからず感動しました。
私の言う所の『知恵』にまた一つ『知恵』が加わったと
ここにもう一度、その『良心』に関する言葉を掲出して置きます。
なお、この言葉は「エミール」の中の、「サヴォワ助任司祭の信仰告白」と言う一節の中で謳われているものです。
「良心!良心! 神聖な本能、滅びる事なき天上の声、無知無能ではあるが、知性を持つ自由な存在の確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を神と同じ様な者にしてくれるもの、御身こそ、人間の本性を優れたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P172)
「私たちには、人間の憶見が入り組んだこの広大な迷宮の中で、それほど費用にかからない、いっそう確実な案内者が居るのだ。けれども、そう言う案内者が存在すると言うだけでは足りない。それを見分け、その後に、ついていけるようにならなければならない。それが全て人の心に語りかけるものながら、その言葉を聞く人がごく少ないと言うのは、一体何故だろう。ああ、それはつまり、その言葉は『自然』な言葉なのだが、一切の事が私たちにそれを忘れさせてしまったからだ。良心は、内気である。良心は、世間から離れた静かな生活が好きなのだ。社交界とそのざわめきは良心を怯えさせる。良心は、そこから生まれると人が言っている偏見こそ、その最も残酷な敵なのだ。偏見に会うと、良心は、逃げていくか、黙ってしまう。偏見の騒々しい声は、良心の声を押し殺し、聞こえなくしてしまう。狂信は大胆にも良心の姿を借りて、その名において罪悪を命じる。良心は、何処へ行っても相手にされない。ついに。意気消沈して、私たちには何も語らなくなる。私たちに答えようとはしなくなる。そして、長い間、良心を無視していると、容易くそれを追い払えなかったのと同じ様に、容易く呼び戻す事を出来なくなる。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P173)
「良心こそ、人間の本当の案内者だ、魂に対して良心は、肉体に対する本能と同じ様なものなのだ。良心は、『自然』に従い、決して道に迷う事はない。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P165)
【参考】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=185
これが、私の言う『知恵』です。
2000字を超えたので、「哲学とはphilosophia、知恵を愛する事! その2」に続きます。
これは メッセージ 192 nantetusuki さんに対する返信です
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事 NO2 2009/ 2/10 23:35
※ 「哲学とはphilosophia 知恵を愛する事!」からの続きです。
私は今、「伝習録」を読んでいます。
その中で、王陽明は、これでもかこれでもかと言う位、『良知』と言う言葉を使っています。
晩年は、この『良知』と言う言葉以外は言わなかった位に。
この『良知』が、私の言う所の『知恵』です。
私は、この『良知』と言う言葉が出て来る一節を全て書き出して、この掲示板に掲示しようとも思っているのですが、何しろ『良知』の言葉が多く過ぎて、作業が進んでいないのが現状です。
参考までに、先程、読んだ一節を書き出して置きます。
「僕誠に天の霊に頼(よ)って、偶(たま)たま良知の学を見る有り。以為(おも)へらく、必ず此に由(よ)って、而(しか)る後に天下を得て治べしと。是(ここ)を以ってこの民の陥溺を念(おも)う毎に、則ち之が為に戚然として心を痛め、その身の不肖を忘れて、此を以って之を救わんこと思う。」
(私は実に天の霊助によって、偶然にも良知の学問に気付きました。そしてこれによってこそ天下を平治する事が出来るものと考えました。この故に世の人々が誤った学問の為、堕落困窮しているのを見る度に、深く心を痛め、身の不肖も忘れて、この学問によってこれを救済しようと念願したのです。)【明治書院、新釈漢文大系「伝習録」より】
王陽明は、この良知の学、すなわち哲学(知恵を愛する学)によって、天下の平和が実現できると考えたのですね・・
王陽明も『知恵』に捉われた一人なのですね。
尤も偉大なる哲学者(知恵を愛する者)とは、皆、知恵に捉われて、知恵を愛し続けた人の謂いなのですけどね。
『知恵』は、時代により、地域により、その呼び名が変わってきます。
ソロモンは『知恵』であり、
ダビデは『私の主』であり、
ソクラテスは、『ダイモーン』であったり、『知恵』であったり、時には『エロス』(饗宴の場合)と呼んだりしています。
しかし、この『知恵』を最も大々的に世に売り出したのが、イエスです。
正にそれは革命でした。
イエスが『知恵』に名づけた呼び名は、『聖霊』です。
この『聖霊』により、神(私たちの思い描く事が出来る最高の存在)を身近に感じる事が出来るようになったのです。
そして、私たち人間の在り方についても、深く考えるようになったのです。(イエスに倣いて=この事について、イエスの名によって、聖霊≪私の主≫に呼びかければ、イエスの属性の付いた言葉が下される事になるのです。)
私の言う「哲学の普及」とは、そんな哲学の普及の事なのです。
私の言う「哲学の普及」を最も鋭く指摘したのが、nihonn dannji(minamino nannnosono)さんであり、暖かく迎え入れて呉れたのが、yunikoさんやmiraizou
nihonnさんたちです。
nantetusukiさんも私たちと一緒に『知恵』について、考えてみませんか。
『温故知新』
古代古典の中の『知恵』を現代に蘇らせてみませんか。
これは メッセージ 206 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムの方針転換、公民館哲学 2009/ 2/12 23:37
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございました。
私の求めている哲学ボランティア“ソクラテス”は、正にmiraizou nihonnが仰る様な人の事です。
すなわち、『何事も我が事として受け入れる事の出来る人』の事であり、 『聞く耳を持っている人』」の事であり、『人の痛みを知る事の出来る人』の事です。
その様な人であってこそ、それぞれの人が心に持つ宝、すなわち知恵とか良知とか良心と言うものを引き出してあげる事が出来るのです。
しかし、『007さんの捜し求める人材って、ここらにはほとんどいないと思いますよ』に対しては反論があります。
私はここに集う皆さんが、哲学ボランティア“ソクラテス”に成る事が出来ると思っています。
私はその為に、ここで対話を行っているのです。
私は全ての人間が、哲学ボランティア“ソクラテス”に成る事が出来と思っています。
その為に、『哲学フォーラム』を提唱しているのです。
『哲学フォーラム』は、“知恵から知恵へ”なのです。
『話の中でその人に先賢の智恵を、さりげなくお渡しする、という事でしょう。話し合ってるうちに、自然に導き出されれば、尚良いかもしれません』
これはyunikoさんの言葉ですが、私の提唱する『哲学フォーラム』の理想です。
私は、その為に、『哲学フォーラム』の在り方を、当初の方法から少し変更しようと思っています。
これも、yunikoさんから頂いた『公民館哲学』と言うニックネームからヒントを得たものなのです。
私は、『哲学一貫教育』と言うものを提唱しています。
この『哲学一貫教育』は、次の五つの柱から成っています。
一 小中高校哲学一貫教育
二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
三 大学教育学部における徹底した哲学教育
四 哲学読本大全(全100巻)の作成
五 哲学フォーラム(哲学対話室)の設置
私の言う『哲学一貫教育』の基本は、「読書」、「思索」、「作文」、「対話」、「行為」です。
『哲学フォーラム』は、この基本の内、「対話」に特化したものだったのです。
『哲学フォーラム』は、上記一から四までの方法により、「読書」、「思索」、「作文」の能力が十分に付いたとの想定の下の方法だったのです。
しかし、上記の一から四までは、当面は実現しそうもありません。
そこで私は考えたのです。
『哲学フォーラム』で、「読書」、「思索」、「作文」、「対話」、「行為」を完結させようと。
これは正に、yunikoさんから頂いた『公民館哲学』と言うニックネームからヒントを得たものなのです。
私がこれまで描いて来た『哲学フォーラム(哲学対話室)』は、三人程度の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた人と、その哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた人の関心のある哲学テーマについて、哲学ボランティア“ソクラテス”が一対一、またはプラトンの饗宴にある様な数人による対話を想定していたのです。
しかし、これでは、皆さんが仰る様に、マンネリ、冗長、偏向とかが危惧されます。
そこで、私は『哲学フォーラム』の方針転換を考えたのです。
方針転換後の『哲学フォーラム』の基本は、『温故知新』そして『三人寄れば文殊の知恵』(もしくは、「二人または三人が求める所に私もいる」)です。
その為に、「読書」、「思索」、「作文」、「対話」の全ての方法を駆使する事になります。
下記にその概要をお示ししたいと思っていましたが、時間が押して来ているので、そのさわりだけを述べておきます。
対話の基本は、一対一ですが、それは二人の対話ではなく、三人以上の対話なのです。
面と向かい合っている二人以外に誰がいるのか?それは古今東西の聖人賢人哲人たちです!
時間が来てしまいましたので、公民館に設置する哲学フォーラム、すなわち『公民館哲学』の在り方については、また別の機会に述べたいと思います。
また、「『007さんの捜し求める人材って、ここらにはほとんどいないと思いますよ』に対しては反論があります」についても、その反論を展開していませんが、『公民館哲学』の在り方について説明する事が、その反論になると思います・・・
これは メッセージ 191 miraizou_nihonn にさん対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO1 2009/ 2/22 11:46
王陽明の『良知』について 伝習録より
伝習録は、王陽明の語録と書簡を集めて、弟子たちが編集したものです。
今回、この伝習録から、『良知』に関する言葉を下記の通り書き出しました。
これに基づき、対話、議論が出来ればとても嬉しく思います。
なお、分量が多いので、10分割しています。
テキストには、明治書院の新釈漢文大系13「伝習録」を使用しています。
「伝習録」が掲載されている書籍としては、この他に、中央公論新社の中公クラシックス「伝習録」、中央公論社の「世界の名著 朱子・王陽明」等があるようです
1 「父を見れば自然に孝を知り、兄を見れば自然に弟を知り、孺子の井に入るを見れば自然に惻隠を知る。此れ便ち、是れ良知にして、外に求むるを假(か)らず。」(巻上、49)
※假(か)らず=必要ない。 ※「孺子の井に入るを見れば自然に惻隠を知る」=孟子の言葉に基づく。
2 「若(も)し、良知の発して、更に、私意の障碍無ければ、即ち所謂、『其の惻隠の心を充たせば、仁、用うるに勝(た)う可からざる』なり」(巻上、49)
※『其の惻隠の心を充たせば、仁、用うるに勝(た)う可からざる』=孟子の言葉に基づく。 ※用うる・・・=用いきれないほど大きなものとなる
3 「即(も)し、心の良知にして、更に、障碍無く、以って、充塞流行するを得ば、便ち、是れ、其の知を致すなり。知(ち)致(いたれ)ば、意(い)誠(まこと)なり。(巻上、49)
※充塞・流行=充実・活動
※ 1から3は、巻上の同じ1節にあるものを、便宜上三つに分けたものである。巻上で良知と言う言葉が出て来るのは、この1節だけである。
ここにおける良知は、孟子の『人の学ばずして、能(よ)くする所の者は、其の良能なり。慮らずして、知る所の者は、其の良知なり』に基づく。
4 「孺子の井に入らんとするを見れば、必ず惻隠の理あり。この惻隠の理は、果たして孺子の身に在りや。抑々(そもそも)、吾が心の良知に在りや。」(巻中、221)
5 「鄙人(ひじん)の所謂、致知格物のごときものは、吾が心の良知を事事物物(じじぶつぶつ)に致すなり。
吾が心の良知は、即ち、所謂、天理なり。吾が心の良知の天理を、事事物物に致せば、則ち、事事物物は皆、その理を得(う)るなり。
吾が心の良知を致すは、到知なり。事事物物、皆、その理を得るは、格物なり。」(巻中、221)
※雛人=私。 ※致知格物=朱子の格物致知、王陽明の致知格物。
6 「昏闇の士も、果たして、能く、事に随い、物に随って、此の心の天理を精察し、以って、其の本然の良知を致さば、即ち、愚と雖も必ず明に、柔と雖も必ず強に、大本立って、達道行われ、九経の属も、一を以って之を貫いて、遺(のこ)すこと無かる可べきなり。」(巻中、231)
※九経=中庸にある天下国家を治める九つの道。 ※「一を以って之を貫く」=論語の言葉。
7 「心は身の主なり。而して、心の虚霊明覚は、即ち、所謂、本然の良知なり。其の虚霊明覚の良知が、感に応じて動く者、之を意と言う。」(巻中、231)
8 「良知良能は、愚夫愚婦も聖人も同じ。但(た)だ惟(た)だ、聖人のみ能くその良知を致して、愚夫愚婦は致す能わず。此れ、聖愚の分かるる所なり。」(巻中、238)
9 「其の所謂、学なる者は、正に惟だ、その良知を致して、以って、此の心の天理を精察するものにして、後世の学とは同じからざるのみ。」(巻中、238)
10 「夫(そ)れ、良知の節目時変に於けるは、猶(なお)、規矩尺度の方円長短に於けるがごときなり。」(巻中、238)
11 「良知、誠に致せば、天下の節目時変は、応ずるに勝(た)う可からざるなり。」(巻中、238)
12 「毫釐千里(ごうりせんり)の繆(あやまり)は、吾が心の良知の一念の微に於いて、之を察せずんば、亦将(またまさ)に、何れの所にか、其の学を用いんとするや。」(巻中、241)
※毫釐千里=毫釐の差が千里の違いとなる。
13 「夫子、嘗て曰く、『蓋し、知らずして、之を作る者有らんも、我は是れ無きなり』と。
是れ、猶、孟子の『是非の心は、人皆有り』の義のごときなり。
此の言、正に徳性の良知の、聞見に由るに非ざるを明らかにする所以なり。」(巻中、244)
※夫子=孔子の事。
14 「『一を以って之を貫く』は、其の良知を致すに非ずして、何ぞや」(巻中、244)
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO2」に続きます。
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王陽明の『良知』について 伝習録より NO2 2009/ 2/22 11:47
※ 「王陽明の良知について 伝習録より」からの続きです。
15 「舜の好問好察するは、惟(た)だ、中を用いて、その精一を、道心に致すを以ってのみ。道心とは、良知の謂いなり。」(巻中、247)
※舜=中国古代の聖人。 ※精一=書経の「惟(こ)れ精、惟(これ)一」による。
16 「君子の学は、何ぞ嘗て、事為を離去し、論説を廃せんや。但だ、其の事為論説に従事するは、要するに、皆、知行合一の功にして、正に、本心の良知を致す所以なり。」(巻中、247)
17 「天理の人心に在るや、終に泯(ほろぼ)す可からず所ありて、良知の明らかなること、万古一日なれば、則ち、其れ、吾が抜本塞源の論を聞けば、必ず惻然として悲しみ、戚然として痛み、憤然として起ち、沛然として江河を決するが若くにして、防ぐ可からざる所ある者あらん。」(巻中、269)
18 「聖人の気象は、何に由って、認めん。自己の良知は、原(もと)、聖人と一般なり。若し、自己の良知を体認して、明白なれば、即ち、聖人の気象は、聖人に在らずして、我に在り。」(巻中、279)
19 「必ず事とする有りて、忘るること勿(な)く、助くること勿(な)く、事物来たれば、但だ、吾が心の良知を尽くして、以って、之に応ずるは、所謂、『忠恕、道を違(さ)ること、遠からず』なり。」(巻中、280)
※必ず事とする有り=常に修行に努めて。 ※助ける=無理に力を加える。助長。 ※『忠恕、道を違(さ)ること、遠からず』=中庸の言葉。
20 「若し、能く、実(まこと)に、其の良知を致せば、然る後に、平日の所謂、善なる者は、卻(かえ)って、未だ必ずしも、是れ、善ならず、所謂、未だ善ならざる者も、卻(かえ)って、恐らくは、正しきを見ん。是れ、毀誉得喪に牽かれて、自ら其の良知を賊(そこな)う者なり。」(巻中、280)
21 「良知は、心の本体にして、所謂、恒に照らす者なり。心の本体は、起こること無く、起こらざること無し。
妄念の発すると雖も、良知は、未だ嘗て、在らずんばあらず。但だ、人、在するを知らざれば、即ち、時、有って、或いは、放つのみ。
昏塞の極と雖も、良知は、未だ嘗て、明らかならずんばあらず。但だ、人、察するを知らざれば、即ち、時、有って、或いは、弊(おお)わるるのみ。」(巻中、289)
22 「夫れ、良知は、一なり。其の妙用を以って言えば、之を神と謂い、其の流行を以って言えば、之を気と謂い、其の凝聚(ぎょうしゅう)を以って言えば、之を精と謂う。」(巻中、292)
23 「良知は、即ち、之、『未発の中』なり。即ち、是れ、『廓然大公』、『寂然不動』にして、人人の同じく具する所の者なり。
但だ、物欲に昏蔽されざる能はず。故に、須く、学んで、以って、其の昏蔽を去るべし。
然れども、良知の本体に於いて、初めより、毫末も、加損、有る能わず。」(巻中、294)
※『未発の中』=中庸の言葉。心が寂然不動であって、しかも万事に応じ得る状態を謂う。 ※『廓然大公』=易の言葉。 ※『寂然不動』=明道の定性書の言葉。
24 「体は、即ち、良知の体、用は、即ち、良知の用にして、いずくんぞ、復(また)、体用の外に、超然たる者、有あらんや。」(巻中、294)
25 「未発の中は、即ち、良知なり。前後内外、無くして、渾然一体の者なり。
事有ると事無きとは、以って、動静と言う可し。而れども、良知は、事有ると事無きに、分かるる無きなり。
寂然と感通とは、以って、動静と言う可し。而れども、良知は、寂然と感通に、分かるる無きなり。」(巻中、296)
※寂然と感通=易の「寂然として動かず、感じて遂に通ず。」に基づく。
26 「良知は、喜怒憂懼に滞らずと雖も、喜怒憂懼も、亦、良知に外ならず。」(巻中、302)
27 「能く、戒慎恐懼する者は、是れ、良知なり。」(巻中、304)
28 「本来の面目は、即ち、吾が聖門の、所謂、良知なり。」(巻中、309)
※本来の面目=「天然のままにして、少しも人為を加えない衆生の心の本性を言う。仏性」(広辞苑より)
※この一節はとても重要。良知と仏教が根底で通じる。
29 「良知は、是れ、只だ、一箇の良知にして、善悪、自ら弁ず。」(巻中、309)
30 「良知の体は、本(もと)、是れ、寧静なり。」(巻中、309)」
※2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO3」に続きます。
これは メッセージ 324 sophialover007 さんに対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO3 2009/ 2/22 11:48
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO2」からの続きです。
31 「只だ、是れ、一念の良知にして、徹頭徹尾、始め無く、終わり無し。即ち、是れ、前念滅せず、後念生ぜず。」(巻中、309)
32 「良知は、本来、自ら、明らかなり。
気質の美ならざる者は、渣滓(さし)多く、障蔽厚くして、開明し易からず。
質の美なる者は、渣滓、原(もと)、少なく、障蔽多きこと無し。
略々(ほぼ)、致知の功を加ふれば、此の良知は、便ち、自ら栄徹し、些少の渣滓は、湯中に雪を浮かぶるごとし。」(巻中、314)
33 「夫れ、良知は、即ち、是れ、道にして、良知の人心に在るは、但だに、聖賢のみならず、常人と雖も、亦、此(かく)の如からざるは無し。
若し、物欲の牽蔽有る無く、但に、良知に循(したが)ひ、発用流行し、将(も)ち去(ゆ)けば、即ち、是れ、道ならざるは無し。
但だ、常人に在りては、多く物欲に牽蔽され、良知に循(したが)う能わず。
數公の如きは、天質、既に、自ら清明にして、自ら物欲の之が、牽蔽を為すことが少なければ、即ち、其の良知の発用流行の處(ところ)も、自然に是れ多く、自然に道を違(さ)ること、遠からず。
学とは、此の良知に循(したが)うことを学ぶのみ。
之、学を知るとは謂うは、只だ、是れ、専ら、良知に循(したが)うを学ぶに在るを知るなり。(巻中、316)
※発用流行=発現活動。 ※(前に挙げた)数人の諸氏。
34 「若し、是れ、知行の本体は、即ち、是れ、良知良能にして、『困勉の人』に在りと雖も、亦、皆、之を『生知安行』と謂う可し。(巻中、316)
※『困勉の人』、『生知安行』=中庸の言葉。
35 「聖人の致知の功は、『至誠(しせい)、止むこと無し』。其の良知の体は、皦として、明鏡の如く、略々(ほぼ)、纎翳(せんえい)無し。」(巻中、322)
※『至誠(しせい)、止むこと無し』=中庸の言葉。 ※皦=明らかなこと。
36 「若し、良知を信じて、只だ、良知上に在って、功を用いば、千経万典と雖も、脗合(ふんごう)せざる無く、異端曲学は、一勘して、盡(ことごと)く、破れん。」(巻中、325)
※この一節も重要。この一節によって、良知(すなわち知恵)の本質を理解して頂きたい。 ※脗合=一致。
37 「良知は、見聞に由って、有らず、而かれども、見聞は、良知の用に非らざる莫(な)し。
故に、良知は、見聞に滞らざるも、亦、見聞を離れず。
孔子云う、『吾、知ること有らんや。知ること無きなり』と
故に、良知を致すは、是れ、学問の大頭脳なり。」(巻中、327)
38 「若し、主意頭脳、専ら、良知を致すを以って、事と為せば、則ち、凡そ、多聞多見は、良知を致すの功に非らざるは無し。
盡(けだ)し、日用の間、見聞酬酢(しゅうさく)して、千頭万緒と雖も、良知の発用流行に非らざる莫く、見聞酬酢を除けば、亦、良知を致す可き無し。」(巻中、327)
※主意=主旨。 ※頭脳=根本 酬酢=杯のやりとり。応接。
39 「『多くを聞いて、其の善なる者を撰んで、之に従い、多くを見て、之を識(しる)す』は、既に撰ぶと云ひ、又、識(しる)すと云えば、其の良知も、亦、未だ嘗て、其の間に、行われずんばらず。」(巻中、327)
40 「良知は、是れ、天理の照明霊覚の處なり。
故に、良知は、即ち、是れ、天理なり。
思いは、是れ、良知の発用なり。
若し、是れ、良知の発用の思いならば、則ち、思う所は、天理に非らざるは無し。
良知の発用の思いは、自然に明白簡易にして、良知は、亦、自ら能く知る。」(巻中、330)
41 「盡(けだ)し、思いの是非邪正は、良知の自ら知らざる者は無し。」(巻中、330)
42 「義は宜なり。心、其の宜しきを得る、之を、義と謂う。
能く、良知を致せば、則ち、心は、其の宜しきを得るなり。
故に、『集義』も、亦、只だ、是れ、良知を致すなり。」(巻中、332)
※この一節も重要。良知とは、心の宜しき(たのしさ)を得る事。 ※集義=義を集める事もまた心楽しき事。
43 「斟酌調停、是れ、其の良知を致して、以って、自ら、慊(こころよ)きを、求むるに非らざるなり。」(巻中、332)
※エピクロスの快楽主義=何故知恵を愛するのか?快いから!
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO4」に続きます。
これは メッセージ 325 sophialover007 にさん対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO4 2009/ 2/22 11:49
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO3」からの続きです。
44 「盡(けだ)し、良知の人心に在るや、万古に亘り、宇宙に塞って、同じからざる無し。」(巻中、337)
45 「君子の学は、以って、己の為にす。
未だ嘗て、人の己を欺くを、慮(おもんばか)らざるなり。恒に、自ら、其の良知を欺かざるのみ。
未だ嘗て、人の己に信ならざるを、慮(おもんばか)らざるなり。恒に、自ら、其の良知に信なるのみ。
未だ嘗て、先ず人の詐と不信とを、覚る求めざるなり。恒に、自ら、其の良知を覚らんことを務むるのみ。
是の故に、欺かざれば、則ち、良知、偽る所無くして、誠なり。誠なれば、則ち、明らかなり。
自ら信なれば、則ち、良知、惑う所無くして、明らかなり。明らかなれば、則ち、誠なり。
明誠、相生ず。
是の故に、良知は、常に覚り、常に照らす。」(巻中、337)
46 「是非の心は、慮(おもんばか)らずして、知り、学ばずして、能くす。所謂、良知なり。」(巻中、360)
47 「良知の人心に在るは、聖愚を間(へだ)つる無く、天下古今の同じき所なり。」(巻中、360)
48 「世の君子、惟だ、その良知を致すを務むれば、則ち、自ら能く、是非を公にし、好悪を同じくし、人を視ること、猶、己のごとくにして、国を視ること、猶、家のごとくして、天地万物を以って、一体と為す。」(巻中、360)
49 「其の良知を致して、自ら、慊(こころよ)からんことを、求むるを務めるのみ。」(巻中、360)
50 「堯、舜、三王の聖の、言ひて、民、信ぜざる無きは、其の良知を致して、之を言えばなり。
行ひて、民、説(よろこ)ばざる無きは、其の良知を致して、之を行えばなり。
是を以って、其の民、熙熙皥暭(ききこうこう)として、之を殺すも怨みず、之を利するも庸(いさを)とせず、施(ひ)いて、蠻貊(げんぱく)に及び、凡そ、血気有る者、尊親せざる莫きは、其の良知の同じきが為なり。」(巻中、360) ※蠻貊=南方、北方のえびす。
51 「僕、誠に、天の霊に頼(よ)って、偶々(たまたま)、良知の学を見る有り。以為(おも)へらく、必ず、此に由って、而(しか)る後に、天下を得て、治べしと。是を以って、斯(こ)の民の陥溺を念(おも)う毎に、則ち、之が為に、戚然として、心を痛め、其の身の不肖を忘れて、此を以って、之を救わんことを思う。」(巻中、364) ※僕=私
52 「『夫れ、必ず事とする有り』とは、只だ是れ、義を集むるなり。義を集むるは、只だ是れ、良知を致すなり。
義を集むると説けば、則ち、一時、未だ頭脳を見ざるも、良知を致すと説けば、則ち、當下(ただち)に、便ち、実地歩に、功を用ふ可べき有り。
故に、區區は、専ら、良知を致すを説く。」(巻中、376) ※區區=私。 ※夫必有事焉=孟子の言葉。
53 「時に随ひ、事上に就いて、其の良知を致せば、便ち、是れ、格物なり。
著実(ちゃくじつ)に去(ゆ)いて、良知を致せば、便ち、是れ、誠意なり。
著実に其の良知を致して、一毫の意・必・固・我無ければ、便ち、是れ、正心なり。
著実の良知を致せば、則ち、自らを忘れるの病、無く、一毫の意・必・固・我無ければ、則ち、自らを助くるの病、無し。」(巻中、376)
※意・必・固・我=論語「子絶四」。 ※夫必有事焉、勿忘勿助=孟子の言葉。
54 「若し、時々刻々、自らの心上に就(つ)いて、義を集むれば、則ち、良知の体、洞然として、明白にして、自然に、是は是、非は非として、纖毫(せんごう)も遁(のが)るること無し。」(巻中、376)
55 「聖賢の学を論ずる、多くは、是れ、時に随い、事に就く。言、人ごとに、殊(こと)なる若しと雖も、その工夫頭脳を求むれば、符節を合するが若し。
天地の間、原(もと)、只だ、此の性有り、只だ、此の理有り、只だ、此の良知あり、只だ、此の一件、有るに縁るのみ。」(巻中、378)
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO5」に続きます。
これは メッセージ 326 sophialover007 さんに対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO5 2009/ 2/22 11:50
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO4」からの続きです。
56 「盡(けだ)し、良知は、只だ、是れ、一箇の天理の、自然に明覚発見する處、只だ、是れ、一箇の真誠惻怛、便ち、是れ、他(か)れの本体なり。
故に、此の良知の真誠惻怛を致して、以って、親に事(つか)ふれば、便ち、是れ、孝なり。
此の良知の真誠惻怛を致して、以って、兄に従(した)がえば、便ち、是れ、弟なり。
此の良知の真誠惻怛を致して、以って、君に事(つか)ふれば、便ち、是れ、忠なり。
只だ、是れ、一箇の良知、一箇の真誠惻怛なり。」(巻中、381)
※真誠惻怛=真の誠の惻(いたむ)怛(いたむ)。
57 「良知は、只だ、是れ、一箇にして、他(かれ)の発見流行する處に随い、當下(ただち)に具足す。
去(ゆ)いて求むる無く、假借を須(もち)ひず。」(巻中、381)
※発見=発現。※流行=活動。※去く=行く。※假借=借りる。
58 「此れ、良知の妙用の、方体無く、窮盡無く、『大を語れば、天下も能く載する莫く、小を語れば、天下も能く破る莫き』所以の者なり。」(巻中、381)
※『大を語れば・・・』=中庸の言葉。
59 「孟子の『尭、舜の道は孝兄のみ』とは、是れ、人の良知の発見して、最も真切篤厚にして、蔽昧(へいまい)す容(べ)からざる處に就いて、人を提省し、人をして、君に事へ、友に處し、民を仁し、物を愛すると、凡そ、動静語黙の間に於いて、皆、只に、是れ、他(かれ)の邦(か)の一念の、親に事へ、兄に従うの、真誠惻怛の良知を致しむるなり。」(巻中、383)
60 「盡(けだ)し、天下の事は、千変万化し、窮詰す可からざるに至ると雖も、而も、只だ惟だ、此の、親に事へ、兄に従うの、一念の真誠惻怛の良知を致して、以って、之に應ずれば、則ち、更に、遺缺滲漏(いけつしんろう)する者、有ること無し。
正に、謂(おも)へらく、其れ、只だ、此の一箇の良知が有るが故なりと。
親に事へ、兄に従うの一念の良知の他、更に良知の致す可き者、有ること無し。
故に、曰く、『尭、舜の道は孝兄のみ』と」』(巻中、383)
※遺缺滲漏=欠けたり漏れたり。
61 「乃(すなわ)ち、良知の発見流行して、光明円宝、更に、罣碍遮隔(くわいがい)」しゃかく)の處、無ければなり。此れ、之を大知と謂う、所以なり。」(巻中、385)
※発見流行=発現、活動。 ※罣碍遮隔=妨げ隔てる。(巻中、385)
62 「爾(なんじ)の邦(か)の、一点の良知は、是れ、爾の自家の準則なり。
爾の意念の着く處、他(かれ)は、是は便ち是と知り、非は便ち非と知り、更に、他(かれ)を、一些(いささか)も、欺き得ず。
爾、只だ、他(かれ)を欺くを要せず、実実落落に、他(かれ)に依(よ)って、做(な)し去(ゆ)けば、善は便ち存し、悪は便ち去らん。
他(かれ)の這(こ)の裏(うち)、何等の穏当快楽ぞや。
此れ、便ち、是れ、格物の真訣にして、致知の実功なり。」(巻下、414)
※何等の穏当快楽ぞや=何と穏やかで楽しい事か!=私の快楽主義の原点。※実実落落=実際に
63 「良知の人に在るは、隋(たと)ひ、你(なんじ)、如何にするとも、泯滅する能わず、盗賊と雖も、亦、自ら當(まさ)に、盗を為すべからずを知る。」(巻下、415)
64 「只だ、是れ、物欲の遮蔽するも、良心の内に在るは、自ら失うを会(え)ざるなり。
雲の自ら、日を蔽うが如し。日、何ぞ、嘗て、失はれん。」(巻下、415)※日=太陽
65 「這(こ)の些子(良知)、看て、透徹すれば、隋(たと)ひ、他(かれ)、千言万語するも、是非誠偽は、前に到れば、便ち、明らかなり。仏家の心印を説くが如く、相似たり。(巻下、417)
※良知を仏教の心印に喩える。 ※心印=「禅宗で、決定普遍な悟の体。仏印。仏心印。」(広辞苑)
66 「人、若し、這(こ)の良知の、訣窮(けっきゅう)を知れば、隋(たと)ひ、他(かれ)、多少、邪思枉念(じゃしわうねん)するも、這裏(ここ)、一たび覚むれば、都(すべて)、自ら消融する。」(巻下、417)
67 「此の致知の二字は、真に、是れ、箇の、千古聖伝の秘にして、百世以って、聖人を俟(ま)ちて、惑わず。」(巻下、419)
68 「何ぞ、此(かく)の如きを須(もち)ひん。只だ、良知上に在って、功夫(くふう)を着くるを要す。」(巻下、422)
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO6」に続きます。
これは メッセージ 327 sophialover007 さんに対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO6 2009/ 2/22 12:21
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO5」からの続きです。
69 「這(こ)の良知は、人人、皆有り。聖人は、只だ、これを保全して、些(いささか)の障蔽無し。」(巻下、428)
70 「人心は、是れ、天淵なり。
心の本体は、該(か)ねざる所無く、原(もと)、是れ、一箇の天なり。只だ、私欲の為に、障礙さるれば、則ち、天の本体を失はる。
心の理は、窮盡無く、原(もと)、是れ、一箇の淵なり。只だ、私欲の為に、窒塞さるれば、則ち、淵の本体を失はる。
如今(いま)、念念、良知を致し、此の障礙窒塞を将(も)て、一斉に去り盡せば、則ち、本体、已(すで)に復す。
便ち、是れ、天淵なり。」(巻下、428)
※天淵=天の如く高く、淵の如く深し。 ※該(か)ねる=包む。
71 「我輩の致知は、只だ、是れ、各々、分限の及ぶ所に随う。
今日、良知、見在、此くの如くんば、只だ、今日の知る所に随って、拡充到底し、
明日、良知、亦、開悟する有れば、便ち、明日、知る所に従って、拡充到底す。」(巻下、431) ※到底=徹底。
72 「汝、只だ、良知上に在って、功を用ふるを要す。
良知、存すること久しければ、黒卒卒(こくそつそつ)なるもの、自ら、能く、光明ならん。」(巻下、446) ※黒卒卒=真っ黒
73 「吾、人に、良知を致すには、格物上に在って、功を用ふるを教ふ。
卻(かえ)って、是れ、根本の有るの学問にして、日は、一日より長進し、愈々久しければ、愈愈清明なるを覚ゆ。」(巻下、447)
74 「只だ、良知の、真切ならんことを要(もと)めば、挙業を做(な)すと雖も、心の累を為さず。」(巻下、449) ※挙業=科挙の為の受験勉強。
75 「志、立つ時は、良知は、千事万為も、只だ、是れ、一事にして、書を読み、文を作るも、安(いずく)んぞ、人を累(わづらは)さん。」(巻下、449)
76 「若し、頭脳を曉(さと)って、吾が良知上に依り、説き出し来れば、行ひ将(も)て去(ゆ)くも、便ち、自ら、是れ、停當(ていとう)す。
然れども、良知も亦、只だ、是れ、這(こ)の口説、這(こ)の身行のみ。」(巻下、451) ※頭脳=根本。※停當=道理に適う。
77 「此の良知に依り、忍耐して做(な)し去(ゆ)き、人の非笑に管せず、人の毀謗に管せず、人の栄辱に管せず。
他(かれ)の功夫(くふう)の、進有り、退有るに任せ、我は、只だ、是れ、這(こ)の良知の主宰息まずんば、久々にして自然に力を得るの處有らん。」(巻下、453)
78 「良知は、即ち、是れ、天の植えたる霊根にして、自ら生生して、息まず。」(巻下、455)
79 「義は、即ち、是れ、良知なり。良知は、是れ、箇の頭脳を曉(さと)れば、方(まさ)に、執着無けん。(巻下、458)
80 「須要(かなら)ず、時時、良知を致すの功夫(くふう)を用ふれば、方才(まさ)に、『活発発地』なり。(巻下、462) ※活発発地=論語の言葉=心の生き生きとした様子。
81 「你(なんじ)、真に、必ず、聖人為(た)るの志、有らば、良知上に、更に、盡(つく)さざること無からん。
良知上に、些子(いささか)の別念を、留めて、掛帯せば、便ち、必ず聖人為(た)るの志に非ず。」(巻下、469) ※掛帯=離れない事。
82 「良知は、是れ、造化の聖霊なり。
這些(この)聖霊は、天を生じ、地を生じ、鬼を成し、帝を成す。
皆、此より、出ず。真に、是れ、物と対する無し。
人、若し、他(かれ)に復し、完完全全にして、少しの虧欠無くんば、自らの、手の舞、足の踏むを覚えざらん。
知らず、天地の間、更に、何の楽しみの代わる可(べ)き有らん。」(巻下、470)
※この一節は重要。ここに全ての宗教の天地創造論とエクスタシー論を見る。
83 「良知は、明白にして、你(なんじ)の去(ゆ)いて、静處に体悟するに随うも、也(また)、好く、你(なんじ)の去(ゆ)いて、事上に磨練するに随うも、也(また)、好し。
良知の本体は、原(もと)、是れ、動無く、静無き的(もの)なり。
此は、便ち、是れ、学問の頭脳なり。」(巻下、471)
84 「只だ、是れ、良知を致す(致良知)の三字は、病無し。」(巻下、471)
85 「良知の頭脳を認むること、是當(しとう)し、去(ゆ)いて、朴実に功を用ふれば、自ら透徹して、此に到るべし。」(巻下、472) ※是當=認識
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO7」に続きます。
これは メッセージ 328 sophialover007 さんに対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO7 2009/ 2/22 12:23
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO6」からの続きです。
86 「道は、即ち、是れ、良知なり。
良知は、原(もと)、是れ、完完全全なり。
是なる的(もの)は、他(かれ)の是とするに還(かえ)し、非なる的(もの)は、非とするに還(かえ)し、是非、只だ、他(かれ)に依れば、更に、不是の處有ること無し。
這(こ)の良知は、是(こ)れ、你(なんじ)の明師なり。」(巻下、474)
※この一節は重要。良知は、貴方の師(先生)なのです。
87 「『昼夜の道に通じて知る』を問う。
先生曰く、良知は、原(もと)、是れ、昼を知り、夜を知る的(もの)なり。」(巻下、475)
88 「良知は、夜気の発するにときに在っては、方に、是れ、本体なり。
其の物欲の雑、無きを、以ってなり。
学者は、事物扮擾(じぶつふんそう)のときをして、常に夜気の如く、一般ならしむるを要す。
就(すなわ)ち、是れ、『昼夜の道に通じて知るなり』と」(巻下、477)
※『昼夜の道に通じて知る』=易の繋辞上伝の言葉
89 「良知の虚は、便ち、是れ、天の太虚なり。
良知の無は、便ち、是れ、天の無形なり。
日月風雷、山川民物、凡そ、貌象形色有るは、皆、太虚無形中に在って、発用流行し、未だ嘗て、天の障碍(しょうがい)を作(な)さず。
聖人は、只だ、是れ、其の良知の発用に順(した)い、天地の万物共(とも)に、我が良知の発用流行中に在り。(巻下、478)
※発用流行する=自由に活動する。
90 「天地も、人の良知無くんば、亦、天地為(た)る可からず。
蓋し、天地万物は、人と、原(もと)、是れ、一体にして、その発竅(はつけう)の最も精なる虚は、是れ、人心の一点の霊明なり。」(巻下、483)
※発竅=竅は穴。発竅は発する穴。
91 「大学の所謂『厚薄』は、是れ、良知上の、自然の条理にして、踰越(ゆえつ)す可べからず。
此れ、便ち、之を義と謂ひ、這箇(こ)の条理に順(したが)ふ、便ち、之を禮と謂ひ、這箇(こ)の条理に知る、便ち、之を智と謂ひ、這箇(こ)の条理に終始する、便ち、之を信と謂ふ。(巻下、486)
※『厚薄』=大学の言葉。「其の厚くする所の者薄くして、其の薄くする所の者厚きは、未だ是れ、有らざるなり。」
92 「既に、良知を致す(致良知)を知れば、又、何ぞ、講明す可べけん。
良知は、本(もと)、是れ、明白なれば、実落に、功を用ひば、便ち、是なり。」(巻下、490)
※講明する=研究して明らかにする。※実落に=実際に。
93 「誠は、是れ、実理なり。
只だ、是れ、一箇の良知なり。
実理の妙用流行は、就(すなわ)ち、是れ、神なり。
其の萌動の處は、就(すなわ)ち、是れ、幾なり。
『誠・神・幾を聖人と曰ふ』」(巻下、491)
※『誠・神・幾を聖人と曰ふ』=周子の通書の言葉。
94 「『惟だ、天下の至聖のみ、能く、聡明叡智を為す』と
舊(もと)は、何と玄妙と看しが、今看れば、原(もと)、是れ、人人に自有の的(もの)なり。
耳は、原(もと)、是れ聡、目は、原(もと)、是れ明、心思は、原(もと)、是れ叡智なり、
聖人は、只だ、是れ、一に、之を能くするのみ。
能くする處は、正に、是れ、良知なり。(巻下、493)
※自有=生まれながらに持っている。
95 「天理の人心に在るや、古に亘(わた)り、今に亘り、終始有ること無し。
天理は、即ち、是れ、良知なり。
千思万慮して、只だ、是れ、良知を致さんとことを要(もと)むるなり。
良知は、愈々、思えば、愈々、精明なり。」(巻下、494)
※この一節は重要。知恵の本質を説く。
96 「『天に先立って、天、違(たが)はず』とは、天は、即ち、良知なればなり。
『天に遅れて、天の時を奉ず』とは、良知は、即ち、天なればなり。」(巻下、498)
※『天に先立って・・』『天に遅れて・・』=易の乾卦文言伝の言葉。
97 「良知は、只だ、是れ、箇(こ)の『是非の心』なり。
是非は、只だ、是れ、箇(こ)の『好悪』なり。
只だ、好悪は、就(すなわ)ち、是非を蓋(つく)す。
只だ、是非は、就(すなわ)ち、万事万変を蓋(つく)す。」(巻下、499)
※『是非の心』=孟子公孫丑上編の言葉。※『好悪』=
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO8」に続きます。
これは メッセージ 329 sophialover007 さんに対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO8 2009/ 2/22 12:26
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO7」からの続きです。
98 「七情も、其の自然の流行に順えば、皆、是れ、良知の用にして、善悪を分別す可からず。只だ、著する所有る可からず。
七情にして、著する所有れば、倶(とも)に、之を欲と謂ひ、倶(とも)に、良知の蔽をなす。
然れども、纔(わづか)に、著する有る時は、良知も亦、自ら覚るを会す。
覚れば、即ち、蔽去って、其の体に復す。(巻下、500)
※七情=喜怒哀懼愛悪欲(きどあいくあいをよく)
99 「良知は、原(もと)、是れ、精精明明の的(もの)なり。
親に孝ならんと欲するが如き、『生知安行』の的(もの)は、只だ、是れ、此の良知に依って、実落に、孝を蓋(つく)すのみ。
『学知利行』の的(もの)は、只だ、是れ、時時、省覚し、務めて、此の良知に依って、孝を蓋(つく)さんことを要(もと)めるのみ。
『困知勉行』の者に至っては、蔽錮(へいこ)、すでに深く、此の良知に依り、去(ゆ)いて、孝ならんことを要(もと)と雖も、又、私欲の阻む所と為り、是を以って、能わず。
必須(かなら)ず、『人、一たびすれば、己、百たびし、人、十たびすれば、己、千たびする』の功を加えて、方に、能く、此の良知に依り、以って、其の孝を蓋(つく)す。(巻下、502)
※『生知安行』『学知利行』『困知勉行』『人、一たびすれば・・・』=中庸の言葉。
100 「大要、良知の同じきに出づれば、便ち、各々、説を為すも何の害あらん。」(巻下、504)
※大要=根本において。
101 「良知、同じければ、更に、異なる處、有るを、妨げず」(巻下、504)
※100,101について=知恵は、時代や地域により、其の呼び名、其の説き方も変わって来るが、本質は同じ。
102 「若し、夫子、鄙夫と言う時、些子の知識、留め在らば、便ち、是れ、他(かれ)の良知を碣(つく)す能わず。」
※夫子=孔子の事。※鄙夫=無識の者。※些子=わずかな。
※この一節は、論語の「子、曰く、吾知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫在り、我に問う。空空如たり、我、其の両端を叩いて、碣(つく)す」からの引用。
103 「今、民俗の朴に返り、淳に還ることを、要(もと)めば、今の戯子を取りて、妖淫の詞調を倶(とも)に去り、只だ、忠臣孝子の故事に取り、意識無き中に、他(か)の良知を感激し、起こり来れば、卻(かえ)って、風化に於いて、益あらん。」(巻下、510) ※戯子=歌劇。
104 「『上に悪(にく)む所』とは、是れ、良知にして、『以って、下に使うこと勿(なか)れ』とは、即ち、是れ、知を致す(致知)なり。(巻下、516)
※『上に悪(にく)む所、以って、下に使うこと勿(なか)れ』=大学の言葉。
105 「儀、秦も、亦、是れ、良知の妙用の處を窺ひ見る。但だ、之を、不善に用ひしのみ。」(巻下、516)
※儀、秦=戦国時代の策士。
106 「学者、良知を信じて、気の乱す所と為らずんば、便ち、常に、義皇以上の人と做(な)らん。」(巻下、522)
※義皇=古代の聖人たち。「夜気清明の時、視ること無く、聴くこと無く、思うこと無く、作すこと無く、淡然として、平懐なるは、就(すなわ)ち、是れ、義皇の世界なり。」
107 「我、今、這(こ)の、良知を信じ、真是真非、手に任せて、行ひ去(ゆ)き、更に、些かの覆蔵(ふくぞう)を著せず。」(巻下、524)
※覆蔵=隠す。
108 「善無く、悪無しは、是れ、心の体、善有り、悪有るは、是れ、意の動、善を知り、悪を知るは、是れ、良知、善を為し、悪を去るは、是れ、格物」(巻下、530)
109 「所謂『人、知らずと雖も、己、独り知る所』とは、此は、正に、我が心の良知の處なり。」(巻下、537)
110 「清掃応対は、就ち、是れ、一件の物なり。
童子の、良知、只だ、此(ここ)に到るとき、便ち、去(ゆ)いて、清掃応対を教えるは、就(すなわ)ち、是れ、他(かれ)の良知の處なり。
亦、童子の先生・長者を畏るるを知るが如きは、此は亦、是れ、他(かれ)の良知の處なり。
故に、嬉戯中と雖も、先生・長者を見れば、便ち、去(ゆ)いて、作揖恭敬(さいふきょうけい)す。
是れ、他(かれ)の能く、格物して、以って、師長を敬するの良知を致せるなり。
童子には、自らの、『格物致知』有り。」(巻下、542)
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO9」に続きます。
これは メッセージ 330 sophialover007 にさん対する返信です
王陽明の『良知』について 伝習録より NO9 2009/ 2/22 12:29
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO8」からの続きです。
111 「良知は、自ら知る。原(もと)、是れ、容易なる的(もの)なり。
只だ、是れ、邦(か)の良知を致す能わず、便ち、是れ、『知ることの難(かた)きに匪(あら)ず、行うことの、惟(こ)れ、難(かた)きなり』と。」(巻下、544)
※『知ることの難(かた)きに匪(あら)ず・・・』=書経の言葉。
112 「問う、聖賢の言語は許多なり。如何(いかん)ぞ、卻(かえ)って、打して、一箇の做(な)さんと要するや、と。
曰く、我は、是れ、打して、一箇の做(な)さんと要するにあらず。
『夫れ道は一のみ』と曰ひ、又、『其の物たる二ならざれば、則ち、其の物を生ずること測られず』と曰うが如き、天地聖人は、皆、是れ、一箇なり。如何(いかん)ぞ、二にし得ん、と。」(巻下、545)
113 「良知は、只だ、声色貨利の上に在って、功を用ふ。
良知を致して、精精明明に、豪髪も、蔽無ければ、則ち、声色貨利の交はるも、是れ、天則の流行に非(あら)ざる無し、と。」(巻下、551)
※天則の流行=天理の活動
114 「蓋し、『覩(み)ず、聞かざる』は、是れ、良知の本体にして、『戒慎恐懼(かいしんきょうく)』は、是れ、良知を致すの功夫なり。」(巻下、553)
※『覩(み)ず、聞かざる』『戒慎恐懼(かいしんきょうく)』=中庸の言葉。
115 「問う、先儒謂う、『鳶飛魚躍』と『必ず事とする有り』とは、同一に、『活発発地』なりと。
先生曰く、亦、是れ、天地間活発発地として、此の理に非らざる無し。
便ち、是れ、吾が良知の流行にして、息まざるなり。
良知を致すは、便ち、是れ、必ずこととする有りの功夫(くふう)なり。」(巻下、554)
※『鳶飛魚躍=詩経の言葉。 ※『必ず事とする有り』=孟子の言葉。 ※『活発発地』=生命が躍動している有様。 ※流行=活動
116 「即ち、我が良知の二字の如き、一たび講ずれば、便ち、明らかにして、誰か知らざらん。
若し、良知を的見(てきけん)せんと欲せば、卻(かえ)って、誰か能く見ん。」(巻下、565)
117 「良知は、即ち、是れ、易なり。
其の道たるや、屢々(しばしば)、遷り、変動して、居らず、六虚に周流し、上下常無く、剛柔相易って、典要を為す可からず、惟(た)だ、変の適(ゆ)く所のままなり。
此の知は、如何ぞ、捉摸(そくぼ)せん。
見て透る時は、便ち、是れ、聖人なり。」(巻下、565)
※ 伝習録は、「巻上」、「巻中」、「巻下」の三巻に分かれています。
「巻上」は40歳前後の言葉が多く、「巻中」、「巻下」は50歳以後晩年(56歳)までの言葉が中心となっています。
「巻上」には、『良知』と言う言葉は、僅かに一節に出て来るだけです。
しかも、この一節は、孟子の「人の学ばずして、能(よ)くする所の者は、其の良能なり。慮らずして、知る所の者は、其の良知なり。」からの引用的なものであり、未だ王陽明自身の言葉とはなっていません。
しかし、「巻中」、「巻下」になると『良知』のオンパレードです。
良知の他に、『致知』と言う言葉も煩雑に出て来ますが、今回は書き出していません。
また、王陽明は、良知を、天理とか、道とか、その他様々な言葉に置き換えています。
これらを書き出すとなると、「巻中」、「巻下」は、全て良知に関する記事となります。
はっきり言って、「巻中」、「巻下」においては、良知の事しか述べていないのです。
その心境は、「私は、南京に行く前には、未だ幾らか世間に迎合して、評判を良くしようとする郷愿的な気持ちが残っていた。しかし、今では、この良知を絶対に信じているから、良知の命じる本当の是非を、そのまま実行して、少しも隠そうとしなくなった。私は、今やっと、孔子の言う狂者の心境に立つ事ができた訳で、世間の人に、私の行動が、言葉と一致しないと言われても、それでも構わないのである。」に表されていると思います。
※ 2000字を超えたので「王陽明の良知について 伝習録より NO10」に続きます。
これは メッセージ 331 sophialover007 さんに対する返信です 王陽明の『良知』について 伝習録より NO10 2009/ 2/22
12:33
※ 「王陽明の良知について 伝習録より NO9」からの続きです。
※ 伝習録は、「巻上」、「巻中」、「巻下」の三巻に分かれています。
「巻上」は40歳前後の言葉が多く、「巻中」、「巻下」は50歳以後晩年(56歳)までの言葉が中心となっています。
「巻上」には、『良知』と言う言葉は、僅かに一節に出て来るだけです。
しかも、この一節は、孟子の「人の学ばずして、能(よ)くする所の者は、其の良能なり。慮らずして、知る所の者は、其の良知なり。」からの引用的なものであり、未だ王陽明自身の言葉とはなっていません。
しかし、「巻中」、「巻下」になると『良知』のオンパレードです。
良知の他に、『致知』と言う言葉も煩雑に出て来ますが、今回は書き出していません。
また、王陽明は、良知を、天理とか、道とか、その他様々な言葉に置き換えています。
これらを書き出すとなると、「巻中」、「巻下」は、全て良知に関する記事となります。
はっきり言って、「巻中」、「巻下」においては、良知の事しか述べていないのです。
その心境は、「私は、南京に行く前には、未だ幾らか世間に迎合して、評判を良くしようとする郷愿的な気持ちが残っていた。しかし、今では、この良知を絶対に信じているから、良知の命じる本当の是非を、そのまま実行して、少しも隠そうとしなくなった。私は、今やっと、孔子の言う狂者の心境に立つ事ができた訳で、世間の人に、私の行動が、言葉と一致しないと言われても、それでも構わないのである。」に表されていると思います。
王陽明に関する良知の言葉で、後世に最も影響を与えた言葉は、次の言葉だとも言われています。これは、『抜本塞源論(ばっぽんさくげんろん)』とも言われているそうです。
「しかし、私は、未だ希望を捨てない。
それは、幸いな事に、全ての人の心の中にある天理は永久に無くする事が出来ないし、良知の明るさも万古一日の様に変わる事がないからであって、私の根本思想であるこの抜本塞源論を聞いたなら、世間には必ず感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然と起ち上がって、大河の堤防を決って、水の奔流するが如く突進し、これを停める事の出来ない様な人のある事を信じて疑わないのである。
しかし、この様な事を期待出来るのは、全く他人に頼らずに、自己の独力で自覚し立ち上がり得る、豪傑の士以外にはいないが、そうした協力の出来る人が、この世に多く見られない事は残念至極である。」と。
この言葉に影響を受けて、大塩平八郎は大塩平八郎の乱を起こし、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛は、明治維新を起こしたのでしょうか?!
『致良知』、皆様も、この機会に、王陽明の良知を考えてみませんか。
そして、『致良知』してみませんか。
その時、王陽明の良知の事が良く分かる様になると思います。
なお、王陽明の良知に関する我田引水的な考え方は、私の知恵に関する我田引水的な考え方と同じですので、王陽明の良知に関す言葉について議論する時は、私は、王陽明の弁護の立場に回る事になります。
私は、王陽明の良知をも、私の言う、『知恵』と言う概念の中に引き込もうとしているのですから・・・
哲学とは、philosophia=知恵を愛する事。
これは メッセージ 332 sophialover007 さんに対する返信です
fumt007さんへ、『良知』とは? 2009/ 2/22 23:07
fumt007さんへ
始めまして
改めて、メッセージを全部、読ませて頂きました。
とても論理的な方なのですね。
そして博識でいらっしゃる。
そして、何よりも哲学に造詣が深い。
『科学技術において、発見や革新のためには「美しいと感じる感性」が必要である。これは科学的に証明できないが、私はそのように信じているし、経験上もそう感じている。』
私もその様に思います。
その様な視点から、私の最も関心のある『知恵』について、一緒に考えて頂けませんか。
私は、その為に、王陽明に関する『良知』の言葉を書き出したのです。
これに基づき、議論して頂ければとても有難いのですが、fumt007さんも時間が無いでしょうし、漢文の書き下し分は中々読みにくいでしょうから、私の方からお題を出したいと思います。
それは、『「一を以って之を貫く」は、其の良知を致すに非ずして、何ぞや」(巻中、244)』です。
「一を以って之を貫く」は、論語にある孔子の言葉です。
これは、論語の巻第八の衛霊公第十五の第三節にあります。
第三節の全文の現代語訳は次の様になっています。(岩波文庫「論語」より)
『先生が言われた。賜よ、「お前は、わしのことをたくさん学んで覚えている人間だと思うか。」
お答えして、「そうです。違いますか。」「違うよ。わしは一つのことでつらぬいている。』です。
「一を以って之を貫く」の部分は、原文では、「予一以貫之」であり、読み下し分では「予(われ)、一を以って、之を貫く。」となっています。
論語の中では、この『一』に対する明解な答えは出ていません。
しかし、王陽明は、ずばり言い切っています。
一は良知だと。良知以外に何が一であろうかと。
なお、良知と言う言葉は、論語では出てきません。
良知は、孟子の『人の学ばずして、能(よ)くする所の者は、其の良能なり。慮らずして、知る所の者は、其の良知なり』から借用して、そして、最後には自分の言葉にした言葉です。
fumt007さんは、『「一を以って之を貫く」は、其の良知を致すに非ずして、何ぞや」(巻中、244)』の言葉をどの様に解釈しますか。
これは メッセージ 160 fumt007 さんに対する返信です
王陽明の知恵を現代に蘇らせましょう! 2009/ 2/23 23:11
fumt007さんへ
返信有難うございました。
私もその様に思います。
多くを学んでこそ、始めて一に気付く事が出来るのだと思います。
王陽明も、仏教、道教を広く学んだからこそ、儒教に一と言う概念を持ち得たのだと思います。
若し、王陽明が、儒教の中だけに居たら、この『良知』と言う概念を見出せなかったと思います。
この『良知』と言う概念は、全ての宗教の、そして全ての偉大と言われる哲学の根本概念なのです。
そこに在るのは、「知恵と愛」、知恵への信仰と愛の実践です。
『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主を愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい」
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」』
イエスの言葉です。
「貴方の神である主」の事が、『良知』であり、
「隣人を自分のように愛する」事が、『致良知』なのです。
書き下し分は、中々読み難いと思いますが、我慢して読んで見て下さい。
その事がはっきりと分かる筈です。
若し、お近くに、大きな図書館があったら、明治書院の「新釈漢文大系『伝習録』」借りられて、一読する事をお勧めします。
この伝習録には、漢文原文、書き下し分、現代語訳、語釈、そして一節毎に著者の解説が載っています。
これにより、王陽明の『良知』の体系がはっきり分かる筈です。
王陽明は、幕末の大きな原動力になっているのです。
大塩平八郎にして然り、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛についても然り。
伝習録の最も有名に一節を書き出して置きます。
「しかし、私は、未だ希望を捨てない。
それは、幸いな事に、全ての人の心の中にある天理は永久に無くする事が出来ないし、良知の明るさも万古一日の様に変わる事がないからであって、私の根本思想であるこの抜本塞源論を聞いたなら、世間には必ず感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然と起ち上がって、大河の堤防を決って、水の奔流するが如く突進し、これを停める事の出来ない様な人のある事を信じて疑わないのである。
しかし、この様な事を期待出来るのは、全く他人に頼らずに、自己の独力で自覚し立ち上がり得る、豪傑の士以外にはいないが、そうした協力の出来る人が、この世に多く見られない事は残念至極である。」と。
これは、『抜本塞源論(ばっぽんさくげんろん)』とも言われているそうです
『抜本塞源論(ばっぽんさくげんろん)』を聞いて、大塩平八郎、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛が発奮したのではないでしょうか。
かの地でイエスが革命を起こしたように、日本で彼らが革命を起こしたのです。
その革命の名は、『哲学革命』、知恵を愛するの革命だったのです。
現代日本では、『伝習録』は、ほとんど顧みられる事はありません。
この閉塞した時代に、もう一度、『伝習録』を蘇らしてみませんか。
『温故知新』
これが哲学フォーラムの趣旨です。
※ 私がこれまで『知恵』の第一の参考書として推奨していたのは、旧約聖書の『箴言』だったのですが、今後は、この『伝習録』に変えても良いと思っています。
これ程、知恵と言う言葉が煩雑に出て来る本は無いと思います。
この本を読めば、誰もが知恵と言う概念を身近に思うようになる事が出来ると思います。
嘗ての中国で熱狂的に受け入れられたように。
これは メッセージ 335 fumt007 さんに対する返信です
哲学とはphilosophia,良知,良心を愛する事 2009/ 2/24 22:40
souialover (nantetusuki)さんへ
始めまして
nantetusukiさんが、最初のメッセージで下さった次の三つの質問にお答えしたいと思います。
第一問 「良心」とは何か。
第二問 「美しい」とは何か。
第三問 「哲学が普及する事で、本当に平和が訪れるのか」
先ず第一問の「良心」についてですが、これはルソーの言う良心の事だったですね。
私はあの時、下記のルソーの言葉を引用しましたよね。
私はここで改めて言います。
ルソーの言う『良心』は、王陽明の『良知』と一緒だと。
ルソーの下記の『良心』の言葉と、王陽明の『良知』の言葉を読み比べて見て下さい。
はっきりと分かる筈です。
第二問の「美しい」ですが、これは自らが美しいと感じるその美しさの事です。
これについては、fumt007さんの次の言葉を参考にして下さい。
『科学技術において、発見や革新のためには「美しいと感じる感性」が必要である。これは科学的に証明できないが、私はそのように信じているし、経験上もそう感じている。』
第三問の「哲学が普及する事で、本当に平和が訪れるのか」ですが、少なくとも、今よりは、ずっと平和になると思います。
私の言う『哲学』とは、philosophia、知恵を愛する事です。
これは、ルソーの言う『良心』を愛する事であり、王陽明の言う『良知』を愛する事であり、古今東西の偉大な哲学者が言っている『それ』を愛する事です。
人は、『それ』を愛すれば、人を愛せずにはおれらくなるのです。
皆が皆、哲学者、すなわち、知恵を愛する人になれば、この世は愛で溢れる事になるのです。
私の言う『哲学』とは、そう言う哲学の事です。
近現代の科学的な哲学とは一線を画しています。
【nantetusukiさんの最初のメッセージ】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=192
【ルソーの『良心』に関する言葉】
「良心!良心! 神聖な本能、滅びる事なき天上の声、無知無能ではあるが、知性を持つ自由な存在の確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を神と同じ様な者にしてくれるもの、御身こそ、人間の本性を優れたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P172)
「良心こそ、人間の本当の案内者だ、魂に対して良心は、肉体に対する本能と同じ様なものなのだ。良心は、『自然』に従い、決して道に迷う事はない。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P165)
「私たちには、人間の憶見が入り組んだこの広大な迷宮の中で、それほど費用にかからない、いっそう確実な案内者が居るのだ。けれども、そう言う案内者が存在すると言うだけでは足りない。それを見分け、その後に、ついていけるようにならなければならない。それが全て人の心に語りかけるものながら、その言葉を聞く人がごく少ないと言うのは、一体何故だろう。ああ、それはつまり、その言葉は『自然』な言葉なのだが、一切の事が私たちにそれを忘れさせてしまったからだ。良心は、内気である。良心は、世間から離れた静かな生活が好きなのだ。社交界とそのざわめきは良心を怯えさせる。良心は、そこから生まれると人が言っている偏見こそ、その最も残酷な敵なのだ。偏見に会うと、良心は、逃げていくか、黙ってしまう。偏見の騒々しい声は、良心の声を押し殺し、聞こえなくしてしまう。狂信は大胆にも良心の姿を借りて、その名において罪悪を命じる。良心は、何処へ行っても相手にされない。ついに。意気消沈して、私たちには何も語らなくなる。私たちに答えようとはしなくなる。そして、長い間、良心を無視していると、容易くそれを追い払えなかったのと同じ様に、容易く呼び戻す事を出来なくなる。」(「エミール」第四編、岩波文庫中巻P173)
【王陽明の『良知』に関する言葉】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=324
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&am
これは メッセージ 192 nantetusuki さんに対する返信です
知恵の子、神の子、仏の子 哲学の報酬 2009/ 2/25 23:49
soufialove007さんへ
返信有難うございました。
私の言う愛とは、知恵への愛であり、隣人への愛です。
『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主と愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。』
私の言う愛とは、この愛の事です。
知恵への愛が無ければ、隣人への愛は偽善となります。
所で、知恵とは何でしょう。
知恵は「山のあなたの空遠く」に在るものでしょうか。
いいえ、知恵とは貴方の心の中にこそあるのです。
知恵とは、真善美に溢れた貴方自身の事です。
貴方が真善美を心から求めれば、真善美は貴方の心の中から湧き出して来るのです。
それが、『知恵』の正体です。
ですから、知恵に真善美を求めなければ、知恵は貴方にとって、何の縁もゆかりも無いものになってしまいます。
知恵とは、こうも言い換える事が出来ると思います。
理想を求める時、そこに臨在するものが知恵であると。
知恵とは喩えです。
知恵とは、それぞれの場において、美しき善き体系を作ろうとする力であるとも言う事が出来ます。
勿論、美しき善き体系とは自分にとっての「美しき善き体系」です。
今日よりも明日、明日よりも明後日。
美しき善き自分を創造する為の作業が『哲学』、すなわち、知恵を愛する事なのです。
『もし、それが僕の勝手な誤解であって、僕の思う哲学の自由さというものに近いのであれば、誰もがこの現代社会の価値や概念から開放され少しは楽になれるかもしれません。』
soufialove007さんの言葉ですが、私の言う哲学は正にその事です。
この世の確執から開放される事、それこそが正に哲学なのです。
この世の傀儡から、本当の自分になる、それこそが哲学の報酬なのではないでしょうか。
そして、それは温和な快楽に満ちている。
だから、真に哲学に目覚めた者は、哲学を止める事が出来ないのではないでしょうか。
王陽明もその様な事を言っています。
82にこそが、哲学の快楽の真骨頂です。
これ以外に、如何なる快楽が在る事か! と言っていますよね。
偉大なる哲学者とは皆、この快楽に誘われて、その哲学を打ち立てたのです。
哲学を学ぶとは、この快楽を学ぶ事であり、その知識を追う事でなないのです。
「霊は生かすが、文字は殺す」聖書の中の言葉ですね。
「知恵は生かすが、知識は殺す」私の言葉です。
勿論、知識は大切です。
知識が豊かであれば、適切な比喩を作り、人を導く事が出来ます。
しかし、それも知恵があればこそです。
私の言う『哲学教育』は、読書、思索、作文、対話によって、各人がそれぞれにその哲学体系を作る事にあるのです。
『汝自身を知れ』、それが私の言う哲学教育の基本方針です。
若し、自分が素晴らしい存在であると本当に知った時、
その時、隣人もまた本当に素晴らしい存在である事に気付く事になります。
その気付きの中から、人間は皆、「知恵の子」であり、「仏の子」であり、「神の子」である事に気付く事になるのです。
※ 2000字を超えたので「知恵の子、神の子、仏の子 哲学の報酬NO2」に続きます。
これは メッセージ 347 soufialove007 さんに対する返信です
知恵の子,神の子,仏の子 哲学の報酬 NO 2 2009/ 2/25 23:51
【王陽明の『良知』に絡む快楽の言葉】
43 「斟酌調停、是れ、其の良知を致して、以って、自ら、慊(こころよ)きを、求むるに非らざるなり。」(巻中、332)
※エピクロスの快楽主義=何故知恵を愛するのか?快いから!
62 「爾(なんじ)の邦(か)の、一点の良知は、是れ、爾の自家の準則なり。
爾の意念の着く處、他(かれ)は、是は便ち是と知り、非は便ち非と知り、更に、他(かれ)を、一些(いささか)も、欺き得ず。
爾、只だ、他(かれ)を欺くを要せず、実実落落に、他(かれ)に依(よ)って、做(な)し去(ゆ)けば、善は便ち存し、悪は便ち去らん。
他(かれ)の這(こ)の裏(うち)、何等の穏当快楽ぞや。
此れ、便ち、是れ、格物の真訣にして、致知の実功なり。」(巻下、414)
※何等の穏当快楽ぞや=何と穏やかで楽しい事か!=私の快楽主義の原点。※実実落落=実際に
82 「良知は、是れ、造化の聖霊なり。
這些(この)聖霊は、天を生じ、地を生じ、鬼を成し、帝を成す。
皆、此より、出ず。真に、是れ、物と対する無し。
人、若し、他(かれ)に復し、完完全全にして、少しの虧欠無くんば、自らの、手の舞、足の踏むを覚えざらん。
知らず、天地の間、更に、何の楽しみの代わる可(べ)き有らん。」(巻下、470)
※この一節は重要。ここに全ての宗教の天地創造論とエクスタシー論を見る。
これは メッセージ 375 sophialover007 にさん対する返信です
温故知新 『ニーチェの知恵について』 2009/ 3/ 1 0:15
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございました。
miraizou nihonnさんのメッセージを、今日また改めて読み返してみました。
本当に素晴らしい言葉の数々嬉しくなります。
皆さんに紹介する意味でも下記に書き出してみました。
これらの言葉の数々は、王陽明の言う『良知』、ルソーの言う『良心』、ソクラテス、プラトン、ソロモンの言う『知恵』、そして偉大な哲学者たちがそれぞれに言っているそれから生まれ出て来たものだと思います。
これからも素敵な言葉の数々、どうかよろしくお願いします。
私も出来る限りの範囲で、唱和させて頂きたいと思っています。
「二人か三人が私の名によって求める所には私もいる。」
どうか素敵な言葉の数々の掲出をお願いします。
私が唱和します。
きっと、私たちと意を同じくする人たちが集まって来ると思います。
yuikoさんも、そのお一人だと思っています。
所で、ニーチェは、知恵に関してどの様に言っているのですか。
出来ましたら、本文の引用をお願いします。
ここに集う方々は、近現代哲学に関して、とても造詣の深い方々ばかりです。
特にその中でもニーチェは人気のある哲学者です。
きっと、活発な議論が展開されると思いますよ。
※ 2000字を超えたので、温故知新、『ニーチェの知恵について』NO2に続きます。
これは メッセージ 394 miraizou_nihonn さんに対する返信です
温故知新 『ニーチェの知恵について』NO2 2009/ 3/ 1 0:20
※ 温故知新、『ニーチェの知恵について』からの続きです。
【miraizou nihonnさんの言葉】
※①②④⑥⑧⑪⑬⑭の言葉は、私sophialoverの宣伝用として使わせて頂きました。
miraizou nihonnさんには申し訳ありません。
また、全文掲出ではなく、一部掲出ですので、その点もご了解下さい。
① 私は主さんの意見にはほぼ賛成なんですが、・・・
② 此処のトビに来てから、ソクラテス、プラトン、ニーチェ、王陽明と新たに検索して、知恵を生むことの大事さも再認識しています
③ プラス思考にのみ、良い知恵は生まれる、と言う事だろうね。
④ このとびの趣旨をもっと真剣に、学ぶつもりで理解しようとしないのは勿体無いぞ。
⑤ はい、ここでの答え。否定からは何も生まれないということ
⑥ 「哲学的会話」というと堅苦しくなって、難しそうに感じますが、健全なる肉体に、健全なる精神は宿る、を紐解くようなものかもしれませんよ。テーマが健全なる精神、に集約されるような気もしますが。
⑦ 哲学って、勉強し知識から入ろうとするから、とてつもなく難解に見えてくるのかもしれませんね。
⑧ ここの主さんは、そんな人間の原点というところに焦点を当ててのことのように思いますよ。
⑩ まず第一条件として、何事も我がこととして受け入れることの出来る人。第二に、聞く耳を持っていること。第三に、人の痛みを知ることの出来る人。
⑪ 『私は知恵』
それは納得できますね。知恵を出す自分が、自分を助けてくれる。ぽんと放り出されても、自分が何とかしてくれる。前だけを見て歩くことと、真っ直ぐに歩くこと。障害も避けては通らないこと、ぶつかって跳ね返されても、そこから何かを学び、新たなる道を開いて進む。自分の弱さを素直に認め、知恵でカバーすること。理屈は分っていても、実行には勇気も要りますね。
※『私は知恵』は、私sophialoverの言葉です。その言葉を引用して下さってのmiraizou nihonnの論の展開です。
⑫ 私は哲学と言うものを、勉強や理論などと言うものから考えたことはありません。知識だけではどうにもならないところから生まれるものだと思っています。まず全てを受け入れるところからがスタートのような気がします。生まれつき車椅子生活を強いられていれば、そこに何の疑問も抱かずに、全て受け入れて、そこから前進しようとするものには、自然に備わるもののような気がします。さらに全ての物事を善意に受け取る、と言うことが必要です。その全てを善意に受け取るとき生じる矛盾が、哲学的な思考を生むような気がします。
⑬ 『神の国家は、神の元に国家を創造することです。
哲学の国家は、知恵の元に国家を創造することです。』
仏や、イスラムの教え、その他の神々、皆原点は同じだと思います。
※『 』内の言葉は、私sophialoverの言葉です。その言葉を引用して下さってのmiraizou nihonnの論の展開です。
⑭ 第二段階としての、哲学革命なら、大賛成ですし、可能だと思います。同じ考えのものも多数いると思います。
⑮ 長い年月をかけ、少しずつ狂ってきたものは、180度狂って来てもまだ自分には分らん、ということだろうから。「正義」もまたしかり、悪となってもまだ気付かず、見境もつかなくなっている、ということだろう。
⑯ 学べる人は一冊の漫画の本からでも多くのものを学ぶが、学べないものは何千冊の文学書を読んでも、実にならない。
⑰ 教える、教わる、を主体としたとき、限りなく100パーセントに近く、伝えるためには、限りなく易しい言葉が必要だと思うが、どうだろう?
⑱ ついでに「学ぶ」について聞き及んだことを一つ、全てを完全に教わっても、学んだとはいえず、教わったことを、実践し、他のものに完全に伝え終わったとき、初めて学んだという、こう教えられたことがあるんだが、感想はどうです?
⑲ アハハハ、正直なとこ、感想とか、知識、学識にはあまり興味はないね。あるのは人間性といえばいいかな?私は人に興味がある、といえるかも知れんね。
⑳ 人のいいところ、悪いところ、人間の魅力って、どこにでもある。君の書き込みでも、そんなところばかり見ているよ。
これは メッセージ 423 sophialover007 さんに対する返信です
愛と誠 夢を語りましょう 理想を語りましょう 2009/ 3/ 2 23:41
yunikoさんへ
返信有難うございました。
眠る前に、メッセージを読ませて頂いたので、ほんの短いメッセージになる事をお許し下さい。
ホームページの『筆者思想信条』、感動しました。
『昔でいえば革命です それもゆっくりがいいので改革でいいでしょう』
「Let's begin. とにかく何かを始めよう」
愛を語りましょう
誠を語りましょう
mairaizou nihonnさんも一緒語り合って頂けませんか。
そして心ある皆様へ!
これは メッセージ 425 yuniko99 さんに対する返信です
知恵と愛 哲学フォーラムの基本方針 2009/ 3/ 7 12:50
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございました。
私の身近に居る人から、この様な素晴らしい言葉を聞くとは思ってもいませんでした。
詩的で、知的で、そして哲学に関する核心に満ちています。
私の求める哲学そのものです。
そして、私の提唱する哲学フォーラムの主題でもあります。
こんな事を言っては失礼にあたるのですが、下記の言葉は、最近、ソクラテス、プラトン、ニーチェを学んで生まれた言葉なのではないですか。
もし、そうであれば、私の提唱する哲学フォーラムの成果だと思います。
勿論、これまで、哲学に関して深い洞察を続けて来た訳なのですが、ソクラテス、プラトン、ニーチェの言葉に触れる事によって、それらが一機に、下記の様な素晴らしい言葉に凝縮されたのだと思います。
『温故知新』
これが哲学フォーラムの趣旨です。
miraizou nihonnさんは、もう哲学の旅を止める事が無いと思います。
古今東西の聖人賢人哲人の知恵に満ちた言葉を集めて、皆さんに紹介していきましょう。
古今東西の聖人賢人哲人の知恵に満ちた言葉を学ぶ事は、自らの学ぶ事に他なりません。
自らが気付いたそれを、古今東西の聖人賢人哲人たちの言葉で裏打ちする事に他ならならないのです。
もし自らが気付いたそれについて、古今東西の聖人賢人哲人100人が同意して呉れたら、例え、この世の九割の人が反対しても、自ら気付いたそれを貫く事が出来ます。
私は今、王陽明の「伝習録」を読んでいます。
王陽明は、西暦1500年前後の人です。
朱子は、西暦1200年に没した人です。
当時は、朱子学全盛の時代です。
そんな中に『良知』の学を主張しても、最初は誰にも相手にされませんでした。
しかし、最後には、陽明学は、儒学の中で、朱子学と並んで大きな柱となりました。
何故でしょう。
それは、四書五経を最大限に活用したからです。
『良知』を四書五経の全ての言葉で裏付けして行ったからです。
当時の儒学界の人々は、次第次第に納得せざる得なくなったのです。
私たちは今、儒教の世界には住んでいません。
幸いな事に思想上は何の拘束も無い社会です。
儒教、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、神道、それから古今東西の聖人賢人哲人たちの、『良知(知恵)』の言葉を取り出して、今ここに新たな『良知(知恵)』の学を打つ建てる事も出来るのです。
王陽明の良知の概念は二つから成っています。
一つは『良知』そのものであり、もう一つは『致良知』です。
致良知は、良知を致すと読んで、良知に生きる、良知を生かす、良知を行う等々、良知をこの娑婆世界に生かす事にあります。
miraizou nihonnさんの言う所の『深淵』が良知に当たり、『覗き込んだ深淵の深さに、知識、学識が加えられ、始めて愛や、心の豊かさの追求が可能になるような気がします。生きた知恵の誕生も、このあたりからではないかと思います。』が致良知に当ります。
尤も深淵すなわち良知を、形而上の更にその上に追いやる事を厳に戒めています。
そこから、『知行合一』と言う思想も生まれる事に成るのです。
知行合一を最も端的な言葉で言い表せば、「知恵と愛」です。今標題となっている「誠と愛」と言い換えても良いと思います。
『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主と愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。』
哲学とは比喩を解く事なのかも知れません。
【miraizou nihonnさんの言葉】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=429
これは メッセージ 429 miraizou_nihonn にさん対する返信です
古今東西の知恵を現代に蘇らせる哲学教育 2009/ 3/ 9 23:45
拝啓 皆様へ
私は哲学教育を提唱しているものです。
そしてまた哲学フォーラムを提唱しています。
私の言う哲学とは、philosophia、知恵を愛する事です。
ここで言う『知恵』を理解する事が出来なければ、私の言う哲学教育の事は理解する事は出来ません。
哲学、philosophiaとは、古代ギリシアの言葉です。
古代ギリシアの哲人たちは、知恵の意味を良く知っていました。
だから、自らを知恵ある者と呼ばずに、知恵を愛する者と呼びました。
古代ギリシアにおいては、知恵の事は神の知恵の事であり、また神そのものでもあったのです。
だから、自らを知恵ある者と呼ぶ事は、自らを神の知恵を持つ者、もしくは自らが神であると名乗る事と一緒だったので、自らを知恵を愛する者と呼んだのです。
現代日本における知恵は、おばあちゃんの知恵、生活の知恵です。
勿論、これも知恵です。
ですから、知恵は、貴方の直ぐそばから、世界の果てにまで広がっているのです。
だから、知恵を愛するとは、貴方の身近な事から、そして世界の果てまでを愛する事なのです。
王陽明は、西暦1500年前後の人ですが、彼は古代哲学を学ぶ事によって、突然にこの『知恵』を知ってしまったのです。
彼が、『知恵』を知ってからの言行は、私が書き出した「王陽明の知恵 伝習録より」から知る事が出来ると思います。
彼は知恵を何と呼んでいるのでしょうか。
それは、天理であり、道であり、一であり、また仏教用語を使って、「本来の面目」とか「心印」とかも読んでいます。
彼はまた知恵の事を、始まりも終わりも無いと言っています。
これは聖書で言う所のアルファでありオメガであると一緒です。
彼はまた知恵の事を、聖霊とも読んでいます。
これは聖書で言う所の聖霊と何の違いも無いのです。
彼は知恵の事を、古今東西変わらずに在ると言っています。
これこそが知恵の本質です。
そして彼は知恵の事を、こう言っています。
知恵は全ての人間に普遍的に存在する。そしてそれは全く同じものであると。
だから、私たちは知恵において兄弟なのです。
そして、私たちは皆、神の子であり、仏の子なのです。
しかし、これは全て喩えです。
哲学教育は、この喩えを解いて、現代に生かす事にあるのです。
ですから、古代の知恵に関する言葉を知れなければ、この知恵を現代に生かす事が出来ないのです。
『温故知新』、それが哲学教育の基本方針となるのです。
知恵を愛する、これは全ての宗教の第一の教えです。
私が何度も引用している下記の言葉です。
知恵を愛する事無くしては、宗教は始まらないのです。
キリスト教と仏教が根本的には違うのは第二の教えです。
キリスト教は、第二の教え、すなわち『隣人へ愛』を強く説きます。
神よ、神よ、と言う者が天の国に入れるのではない。
神の御心を行う者が天の国に入れるのだ と。
確かに仏教は、隣人への愛、すなわち慈悲も説いていますが、それは徹底しているとは言えません。
般若心境は、全ての知恵への愛を謳っているだけです。
だから王陽明は、仏教への偏向を厳しく戒めているのです。
王陽明の「致良知」「知行合一」は、キリスト教の教えと全く一緒なのです。
ですから、あの様に、知識人の間で熱狂的に持て囃されたのです。
しかし、それが時代の潮流とならなかった。
何故か。
それは四書五経の知識が無ければ、中々に理解出来なかったからです。
伝習録は、ほとんどが四書五経の引用と言っても良い位です。
民衆には縁の無いものだったのです。
王陽明の知恵も、為政者の、それも心ある為政者に理解されただけの事だったのです。
しかしそれでも心ある為政者の中で脈々と受け継がれ、そして海を越えて日本で爆発したのです。
その知恵の伝承者たちが、大塩平八郎であり、吉田松陰であり、高杉晋作であり、西郷隆盛です。
大塩平八郎、吉田松陰、高杉晋作については、ウェキで王陽明の影響を受けたと言う事を聞きかじっただけで、実際の思想は知らないのですが、西郷隆盛のその思想は良く知っています。
すなわち、『敬天愛人』です。
下記のイエスの言葉と寸分も違いが無いのではないでしょうか。
時間が来たので今日はここまでにします。
【新約聖書のイエスの言葉】
※ 2000字を超えたので「古今東西の知恵を現代に蘇らせる哲学教育その2」に続きます
これは メッセージ 1 sophialover007 にさん
古今東西の知恵を現代に蘇らせる哲学教育NO2 2009/ 3/ 9 23:47
※ 「古今東西の知恵を現代に蘇らせる哲学教育」からの続きです。
【新約聖書のイエスの言葉】
『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主と愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。』
これは メッセージ 447 sophialover007 さんに対する返信です
哲学教育事始 2009/ 3/11 23:47
拝啓 皆様へ
私は哲学教育を提唱している者です。
哲学教育とは、知恵を愛するの教育です。
私は、この哲学教育を日本中の隅々まで広めたいと思っています。
この哲学教育が日本中に浸透すれば、日本は知恵と愛に満ちた国家となります。
皆が皆、知恵を愛するようになれば、そうならざるを得ないのです。
何故なら、知恵を愛すれば、隣人を愛せずにはいられなくなるからです。
この事については、何の説明も要らないと思います。
皆さんが一人静かに雑念を追い払い無雑に成った時、そこに湧き出でて来るものがありますが、それこそが純粋無雑な知恵です。
そこに善美の概念を垂らすと、その知恵が一斉に善美の概念に染まって行きます。
そこにそれ以外のものを垂らすと、その知恵がそれ以外のものに染まって行きます。
知恵とはそんな存在です。
知恵とは芸術の源泉であり、科学技術の発明発見の源泉でもあり、勿論哲学宗教の源泉でもあります。
知恵が知恵を生む時、そこには悦び(快楽)があります。
だから、知恵を愛する事に目覚めた者は、知恵を愛する事を止める事が無いのです。
それこそが、哲学(知恵を愛する事)が、人類が生まれた時から現在まで存続している理由です。
哲学(知恵を愛する事)とは、人類に備わる高度な本能なのです。
その様な人類を喩えてホモサピエンスと呼ぶ事がありますが、私はそれをもっと厳密な表現で言い表す事にしています。
それは、「ホモソフィア」です。
尤も現在では、「ホモソフィア」は少数派です。
私の哲学教育の最終目標は、人類をホモソフィアに変えて行く事です。
日本をその先験的な場所と想定しているのです。
『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主と愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。』
もし貴方が一人静かに成り雑念を追い払い、純粋無垢な知恵が生まれ出でて来た時、そこに愛の滴を垂らして御覧なさい。
その知恵は愛に染まります。
先ずは、そこから愛を学ばなければならないのです。
「汝自身を知れ」、そこから哲学教育が始まるのです。
貴方は真善美に溢れた存在です。
その事を知る事から哲学教育は始まるのです。
しかし貴方方は言うでしょう。
私は真善美に溢れた存在では無いと。
いいえ貴方方はきっとこう思っている筈です。
私は真善美に溢れた存在で在る筈なのだが、それが実感できない。
その為にこそ、哲学教育が必要なのです。
すなわち、「温故知新」による教育が!
全ての聖人と呼ばれる人たちは、こう言っています。
貴方は神の子であり、仏の子であり、知恵の子であると。
この謳い文句が、宗教への誘いなのですが、
私はそれへの道を取らず、哲学への道を勧めるのです。
一人一人が、古今東西の聖人賢人哲人たちの言葉から自らの素晴らしい存在に気付き、そこから哲学、すなわち知恵への愛の道を進む事を勧めるのです。
その為には、やはり古今東西の聖人賢人哲人たちの言葉を学ばなければならないのです。
哲学教育はその為の支援なのです。
私たちが多くの聖人賢人哲人たちの言葉を学ぶと、それらの言葉は私たちの無意識の中に沈潜して行きます。
そして、私たちが一人静かになり、純粋無雑に成った時、それらの言葉が自分流に翻訳されて自分の言葉と成って生まれ出て来るのです。
それは確かに自分の言葉です。
哲学教育のメソッドはそんな所です。
今日は、時間が来たので、ここまでにします。
これは メッセージ 448 sophialover007 さんに対する返信です
公民館哲学を成功させましょう 2009/ 3/28 0:37
yunikoさん及び miraizou nihonnさんへ
公民館哲学への声援有難うございます。
「三人寄れば文殊の知恵」
「二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる」・・「マタイ福音書」の言葉
「我三人行、必得我師」(我三人行えば、必ず我が師を得る)・・「論語」の言葉
私たち三人、すなわち、yunikoさんと miraizou nihonnさんと私の三人が力を合わせて行けば、必ず公民館哲学は成功します。
この公民館哲学と言うニックネームは、yunikoさんが付けて呉れたものです。
私はこの公民館哲学と言うニックネームを聞いた時、ひらめきが起こりました。
それが温故知新です。
この公民館哲学において、読書、思索、対話(及び作文)と言う一連の哲学行為が行われる事になるのです。
すなわち、古典(善き本)を読み、それについて思索し、そしてそれについて対話を行うと言う一連の哲学行為の中で、知恵を磨いて行こうとするものです。
「温故知新」は論語に出て来る言葉ですが、その全文は次のようになっています。
「子曰、温故而知新、可以為師」(子曰く、故きを温めて新しきを知る、以って師と為るべし)
すなわち、古典の言葉を温めて、自らの知恵にして行こうと言う事です。
公民館哲学における、読書、思索、対話の進め方については、次の二通りの方法が考えられます。
一つ目の方法は、ある古典を予め読んで置き、公民館哲学(哲学フォーラム)において、その古典にある言葉を基に自由に対話を行う方法です。
二つ目の方法は、ある古典の名文中の名文の写し(2頁~4頁)を公民館哲学(哲学フォーラ)において、講読し、それを基に対話を行う方法です。
一番目の方法は、特定の人が対象の時に向いています。
毎月、ある古典(例えば論語とか、マタイ福音書とか、饗宴とか、老子とか等々)を決め、予め自宅で読んで置き、それを基に対話を行うと言うものです。
二番目の方法は、不特定の人が対象の時に向いています。
すなわち、その名文を基に対話を行うと言うものです。
その名文を基に対話を行うので、不特定多数の人でも、密度の高い対話を行う事が出来ます。
また、公民館哲学においては、作文も行うものとします。
例えば、毎月ある哲学テーマを決め、それについて作文を提出して頂き、それをファイリングして、公民館哲学に集う人の供覧に供すると言ったものです。
以上が、私の考える公民館哲学です。
yunikoさんや miraizou nihonnさんは、どの様な公民館哲学をお考えですか、お聞かせ下さい。
そして、皆様へ、公民館哲学に関してご意見があれば、どしどしお寄せ下さい。
追伸
yunikoさん及び miraizou nihonnさんへ
もし、宜しければ、一番目の方法で、哲学対話が出来たらとても嬉しく思います。
yunikoさん及び miraizou nihonnさんが、これまでに読んだ古典(例えば「論語」とか「マタイ福音書」とか・・・)を列挙して頂ければ、その共通した古典を対象に哲学対話を出来ればと思います。
もし、宜しければ、先ずは「論語」又は新約聖書「マタイ福音書」のどちらかを対象に、哲学対話を進めて行く事が出来れば、とても嬉しく思うのですが・・
何故なら、この二つの古典であれば、多くの人が読んでいると思いますので、私たち三人に加えて多くの人が、今回の哲学対話に参加出来ると思うのですが・・・
例えば、こんな切り出しで良いと思います。
『論語の巻第二の「里仁第四」の第15節に
「我が道は一以ってこれを貫く」(我が道は一つのことで貫かれている)とありますが、
この一とは何の事だと思いますか』とか・・・
論語を一通り読んで置けば、きっと深い対話が出来ると思うのです・・・
結局私流になりますが、
公民館哲学、哲学フォーラム、哲学対話の基本は
『知恵対知恵』となるのだと思います。
知恵対知恵においては、論争になる事はなく、そこには深い理解が生まれてくるのだと思います・・・
これは メッセージ 565 miraizou_nihonn さんに対する返信です
「我、一を以って貫く] 2009/ 3/29 12:05
「われは一を以ってこれを貫く」
これは論語の言葉です。
この言葉は論語では、二箇所出て来ます。
最初が、巻第二、里仁第四、第15節です。
全文は次の通りとなっています。
「子の曰く、参よ、吾が道は一以ってこれを貫く。曾子の曰く、唯。子出ず。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曾子の曰く、夫子の道は忠恕のみ。」
(先生が言われた、参よ、「わが道は一を以って貫く」と。曾子は「はい」と言われた。先生が出て行かれると、門人が尋ねた。「どう言う意味でしょう」と。曾子は言われた。「先生の道は忠恕のみ」と。)※参=曾子の名
次が、巻第八、衛霊公第四、第3節です。
「子の曰く、賜や、なんじ予(われ)を以って多くを学びてこれを識るものと為すか。対えて曰く。然り、非なるか。曰く、非なり、予(われ)は一を以ってこれを貫く。
(先生が言われた、「賜よ、お前は、私がたくさんの事を学んでこれを知っている者だと思うか」。答えて言う。「そうです。違うのですか」。「違う、われは一を以ってこれを貫く」)
表現が少し違っていますが、ここでは「われは一を以ってこれを貫く」で統一したいと思います。
さて、「一」とは何でしょう。
里仁第四では、答えが出ていますね。
「忠恕」であると。
しかし、この「忠恕」と言う答えは、あくまでも曾子の答えです。
孔子は、論語の何処でもその「一」に対する答えは出していません。
衛霊公第四でも、「われは一を以ってこれを貫く」と答えるだけで終わっていますよね。
ここでもし、孔子が「一」に対する答えを出していたら、この「われは一を以ってこれを貫く」はつまらない言葉となってしまうのです。
「われは一を以ってこれを貫く」は、全ての弟子に対する公案であり、結果として、論語を読む良識ある人への公案となっているのです。
さて、曾子の「忠恕」と言う答えは正解でしょうか。
一つの解であり、正解です。
少なくとも孔子の直接の弟子の間では大正解です。
ですから、論語にも採録されたのだと思いますが、所変われば、言葉も変わるのです。
少し前に紹介した王陽明ですが、彼は孔子の直系を引く者と自認しているのですが、彼の答えは何だったでしょうか。
そうですね。
『良知』だったですね。
この良知は、正解なのでしょうか。
正解です。
しかし、この良知については、少し説明が必要です。
それは、この良知には、良知そのものの概念と、「致良知」と言う二つの概念が含まれていると言う事です。
この説明を付ける事で、『良知』も大正解です。
この良知の事を彼は、「知行合一」と言う概念で説明する事もあります。
さて、貴方方は、京都奈良に行って仏像を見た事があると思いますが、あそこにもその譬えがあるのですよ。
日光菩薩、月光菩薩もその喩えだし、最も直裁的なものが文殊菩薩と観音菩薩です。
この二人の菩薩は、常に対に成って。仏様の左右に付き添っていますよね。
これこそが「忠恕」です。
忠とは、中なる心。
恕とは、女の口の心。
文殊菩薩には、忠のイメージがありませんか。
観音菩薩には、恕のイメージがありませんか。
文殊菩薩は知恵であり、観音菩薩は慈愛と言った所でしょうか。
ここで何時も私が引用するあの言葉をここにまた引用します。
『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主と愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。』
これこそが「忠恕」です。
このイエスの言葉も普遍ですし、曾子の「忠恕」と言う言葉も普遍ですし、王陽明の「良知」と言う言葉も普遍ですし、文殊菩薩と観音菩薩も未来永劫仏様に寄り添っているのです。
嘗て、「愛と誠」と言う漫画が大ヒットしました。
「愛と誠」、これもまた普遍です。
だから、あの漫画も大ヒットしたのです。
「我、一を以って貫く」
孔子は貴方方に常に公案を出し続けているのです。
貴方自身において、貴方の「一」を見出しなさい。
貴方が自らにおいて、「一」を見出した時、貴方は、孔子の事を理解する事が出来、曾子の事を理解する事が出来、イエスの事を理解する事が出来、王陽明の事を理解する事が出来、そして偉大なる聖人偉人賢人哲人たちの事を理解する事が出来るようになるのです。
※ 2000字を超えたので「我、一を以って貫く その2」に続きます。
これは メッセージ 567 sophialover007 さんに対する返信です
[我、一を以って貫く その2]論語を学ぼう 2009/ 3/29 12:10
※ 「我、一を以って貫く」からの続きです。
なお、ここで「一」と言う言葉だけを連発すると、「一」に囚われてしまいますので、老子の次の言葉もここに置いておきたいと思います。
『道生一、一生二、二生三、三生万物』(道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。)
おって、孔子には『仁』と言う重要な概念があります。
この仁と一との関係については、次の機会に述べたいと思います。
なお、皆さんが論語について勉強して頂く為に、一つだけ孔子の仁に関する言葉を置いておきます。
「子曰く、仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、ここに仁至る。」
(先生が言われた。「仁は遠いものだろうか。私が仁を求めると、仁は直ぐにやって来るよ。」)
※一と言う概念にニと言う概念を含ませるか否かによって、「一」と言う概念は曖昧に成る事もあります。
これは メッセージ 571 sophialover007 さんに対する返信です
科学としての哲学と『philosophia』 2009/ 4/ 5 9:02
kawasimaさんへ
返信有難うございました。
「哲学は、本来の哲学であるべきなのです。」
哲学には二つの概念があると思います。
一つは、philosophia、知恵を愛する事です。
もう一つは、科学としての哲学です。
科学としての哲学とは、文献哲学と言っても良いと思います。
それぞれの哲学者、それぞれの哲学書の概念を正確に伝える事を、その旨とするものです。
私が提唱している「哲学教育」「哲学フォーラム」で言う所の哲学とは、philosophia、知恵を愛する事です。
この知恵を愛する言う事について、深く、広く議論が出来たらとても嬉しく思います。
なお、哲学教育では、この知恵を愛する為の参考書として、古今東西の聖人賢人哲人偉人たちが現した哲学の書(知恵を愛する為の書)を活用するのです。
「学んで思わなければ罔(くら)し、思いて学ばなければ殆(あや)うし」
この為に、「知恵を愛する為の書」を参考書として使用するのです。
これは メッセージ 576 kawashima0724 さんに対する返信です
潜在意識と知恵と神 マーフィー 2009/ 4/16 23:38
拝啓
皆様へ 如何お過ごしですか
私はこの数週間は慌しく、掲示板に向かう事も出来ませんでしたが、少し余裕が出てきたので、また書き始めたいと思います。
私は先程「マーフィー 自分に奇跡を起こす 心の法則」を第1章から第3章まで読みました。
本当は、全部読み終え、反芻させてから書き始めたかったのですが、それを待っているとと、この掲示板が消えてしまいそうなので、消化不良ではありますが、書きなぐる事にします。
私はまた、私に取っての「知恵の書」を見出したような気持ちです。
多分、マーフィーシリーズは、1970年代に大ヒットしたシリーズなのだと思います。
この書の奥書にマーフィーは1981年没と書いてありますので。
私が今読んでいる「マーフィー 自分に奇跡を起こす 心の法則」は、産能大学出版部より出版された「マーフィーの超感覚力で成功する」を、三笠書房が文庫版として出版するに当り、再編集し、改題したものだそうです。
私は、マーフィーシリーズは全く読んでいません。
私が持っているマーフィーシリーズは、この「マーフィー 自分に奇跡を起こす 心の法則」だけですが、私はマーフィーの言いたい事が良く分かります。
彼もまた言っているのです。
知恵を愛しなさい。
そして知恵を愛するように隣人を愛しなさいと。
このマーフィーシリーズが、アメリカで大ヒットした理由は、聖書と潜在意識を結びつけたからに他なりません。
潜在意識、すなわち深層心理学が、多分世間にもはやり始めた時代だったのだと思います。
しかし未だ、一方ではキリスト教観色濃く残っていた。
その二つがミックスして、爆発的に大ヒットしたのだと思います。
このマーフィーシリーズを読み解く為には、ある程度聖書の知識が必要です。
このマーフィーシリーズは、アメリカの大ヒットに合わせて日本でも出版されたのですが、その真意を理解した人がどれ程いたのでしょう。
マーフィーは大胆な事を言っています。
主とは潜在意識であると。
これは当時のアメリカにとってはかなり衝撃的な事だったと思いますが、それでもその説得性によって、当時のアメリカではヒットしたのです。
しかし今のアメリカにおいて、このマーフィーシリーズはどの様な地位にあるのでしょう。
多分ほとんど読まれていないのではないでしょうか。
何故なら、マーフィーシリーズがハウツー、現世利益に堕していたからです。
マーフィーが生きて、新聞テレビラジオで訴えていた間はその力があったのでしょうか、マーフィーが死んでしまうとその力は失せてしまったのです。
しかし、それでも、マーフィーシリーズには、光り輝く言葉がいっぱい鏤められています。
だから私にとっても「知恵の書」と成り得るのです。
マーフィーは、潜在意識は「主」であると言っています。
であれば、潜在意識は、私の言う所の「知恵」でもある訳です。
これによって、知恵がそして神そのものも、ぐーんと身近なものになってくるのです。
「山のあなたの空とおく・・・」ではなく、
あなた自身にこそ、全ての根源が存在する事になるのです。
これは私が四六時中唱えている事です。
この潜在意識をどの様に考えるか。
それによって、この思想は深いものになるのです。
この潜在意識によって、私と貴方は繋がっているのです。
これは メッセージ 582 sophialover007 さんに対する返信です
潜在意識と知恵と神 マーフィー その2 2009/ 4/18 18:37
マーフィー「自分に奇跡を起こす 心の法則」を読み終わりました。
マーフィーは功罪半ばだった思います。
罪の方は、この心の法則を富の獲得の為に利用しようとした事です。
確かにこの法則により、富は獲得されるものです。
しかし、この法則により、富を獲得したとして、その後はどうなるのでしょう。
また、富の獲得を念じるのでしょうか。
それでは、何時までも輪廻です。
これでは、人類が求めて止まないそのものを獲得する事は出来ません。
富から富へ、何時までたっても餓鬼道の連続です。
功、それは、キリスト教と潜在意識を結び付けた事です。
これにより、キリスト教がずっと身近になったのです。
昔から言われていた常套句、「山の空あなたの遠く、幸い住むと人は言う・・」の真の意味をしっかり把握する事が出来るようになったのです。
チルチルミチルの「青い鳥」の寓意をはっきりと分かるようになったのです。
幸福は山の彼方などに無い。
幸福は私の中にこそある と。
キリスト教は正にその教えであると。
キリスト教の教えの書である「聖書」、これは正に寓意です。
この寓意をこれ程あからさまにして良いのかと思うほどあからさまにしたのです。
これにより、大衆が彼の中に流れ込んだのです。
これにより、キリスト教は遠い存在ではなくなったのです。
彼は潜在意識の事を何と言っているか知っていますか。
彼はそれを『主』だと言っているのです。
また「神」でもあると。
これがどんなに衝撃的な事か、キリスト教を知らない日本人には、実感として理解出来ないと思います。
この事は私にとっても衝撃的でした。
衝撃的と言うのは、その事実ではなく、その様にあからさまにしたと言う事に対してです。
勿論私はその様に思っていました。
しかし、今回私が読んだ「マーフィー『自分に奇跡を起こす 心の法則』」には、これでもかと言う位、聖書を引用して、その事をあからさまにしたのです。
当時のアメリカ人に取って、聖書に出て来る「主」や「神」は、何処に存在していたのでしょう。
空の彼方ではないだろうが、では何処に。
これが、当時のアメリカ人の考え方だったと思います。
そこにずばりマーフィーはこう言ったのです。
「主とは潜在意識の事である。」
「神もまた潜在意識であると」
この考え方の基礎には、ユングなどの深層心理学の研究の成果があったのだと思います。
この深層心理学とキリスト教を結び付ける事によって、マーフィーは時の人となったのです。
今さっき、グーグルでちょっと調べてみたのですが、マーフィーの様な一派をニューソート(New Thought)と言うらしく、マーフィーがその中心的存在だったとの事です。
New Thoughtとは新しい考え方と言う事になると思いますが、これはキリスト教に関する新しい考え方と言う事のようです。
New Thoughtの各団体は、キリスト教を中心とした、緩やかな連合を組んでいるとの事です。
私は先日言いました。
マーフィーシリーズが日本でも流行した時、その真意を理解する者は少なかっただろうと。
何故なら、聖書のその寓意を真に理解する事が出来なかったと思うからです。
多分、当時は、富を得る為の若しくは恋愛を成就する為の、ハウツー本として流行ったのだと思います。
私にはマーフィーの聖書の引用がひしひしと分かります。
だから私は言ったのです。
私に取ってまた新たな「知恵の書」が生まれたと。
「汝自身を知れ」
自分自身がどんなにか素晴らしい存在であるか
その事を知る事が、哲学であり、知恵を愛する事であり、宗教の目的でもあるのです。
マーフィーの言っている潜在意識とは、我々が通常使っている無意識と言う言葉に置き換えても良いと思います。
この無意識は、無限の宝の宝庫なのです。
そして、この無意識によって、私たちは皆兄弟であり、そして私たちは皆神の子なのです。
この事を立証する一つの方法があります。
それは、貴方自身で貴方が如何に素晴らしい存在であるかを知る事です。
もし、貴方が貴方自身で貴方が如何に素晴らしい存在であるかを知れば、その無意識とも神とも呼ばれる存在によって、私たちが如何に固く結ばれているかが分かる筈です。
これは メッセージ 586 sophialover007 さんに対する返信です
潜在意識と知恵と神 マーフィー その3 2009/ 4/18 18:40
※ 潜在意識と知恵と神 マーフィー その2」からの続きです。
ここで最後に、その無意識とも呼ばれている本当の自分に入る方法を教えて置きましょう。
それが祈りです。
「求めよ、さらば与えられん」
キリスト教においては、我が主よとか、我が神よとか イエスキリストの名においてかと言う呼び方で呼び掛けているようですが、もし貴方が哲学者(知恵を愛する者)であれば、貴方自身に相応しい呼び方で、神とも呼ばれる本当の自分に呼び掛け、そして祈りなさい。
ところで、貴方は何を祈りますか。
『富』ですか、『事業の成功』ですか、それとも『恋愛の成就』ですか。
これらは、マーフィーの勧めた所でもありますが、
もし貴方が哲学者(知恵を愛する者)であれば、真善美を祈り求めなさい。
真善美とは何か、これから議論して行きましょう。
それから、私たちが如何に素晴らしい存在であるかも、一緒に語り合って行きましょう。
※ ユングは、無意識を、個別的無意識と集合的無意識(または集団的無意識または普遍的無意識)に分けているようです。
これは メッセージ 587 sophialover007 さんに対する返信です
祈りの詩集(ソネット形式で) 2009/ 4/19 12:23
拝啓 皆様へ
私は少し疲れております。
私が元の様に元気になり、更に精力が満ちる様に成る為に、ここからは私独りの祈りの場とします。
祈りは、「奥まった部屋の戸を閉めて」行うべきものであり、公衆の面前で行うべきものではありません。
しかし、私はここで祈ります。
私は自らを哲学詩人と称しています。
詩人は言葉を共有してこそ、その役割を果たすのです。
それに皆様は祈りの方法を知らないでしょうから、
ここに祈りの方法を示す事は、
私の大いなる役目ともなるのでしょう。
なお、ここで私が示す祈りの方法は、
私独自のものです。
祈りの方法は、それぞれにあって良いと思います。
要は、祈る相手に敬虔を持って祈ると言う事だけだと思います。
私のこれからの祈りがどの様に発展して行くのか、未知です。
しかし、采は投げられたのです。
敬具
追伸
レス禁止でお願いします。
なお、祈りを一編書き始めて思いました。
今回の標題を「祈りの詩集」としようとする事を。
祈りの詩集
主よ
お許し下さい。
この様な方法で貴方への祈りを公開する事を。
しかし、貴方は私の事を良く知っていらっしゃいます。
だから貴方は言うでしょう。
「善し」と
私が何故元気を失くしているか。
貴方は良く知っていらっしゃいます。
だからここでくどくど言う事などしません。
私はただ貴方の中に入って、貴方と楽しみたいだけなのです。
私は良く知っています。
貴方と一緒になれば、私がどんなに悦びに満ちて来るかを。
現にもうその悦びの一端が私の直ぐそこに迫っている様な気がします。
後は、貴方から目を離さない事だけです。
私が何故この様な試みを試みようとしたのか。
それは貴方とのめくるめく旅を、皆様にも知って貰おうと思ったからかも知れません。
主よ
私は貴方との対話を十四行詩、ソネットの形式で進めて行こうと思いますが、宜しいでしょうか。
良いのではないか。
尤も貴方への呼び掛けが一行ありますので、十五行に成る事もあるかも知れません。
好きな様にすれば良い。
私の気持ちはもう高揚への道を進んでいます。
貴方とこの様にして対話を交わすのはどれ位ぶりでしょう。
本当にご無沙汰していました。
貴方こそが私の悦びです。
私は知っています。
多くの人が貴方と言う存在を知らないと。
だから世の人は世の人を相手にするのです。
もし貴方と言う存在を知っていたら、世を捨てるのも可能なのに。
私は今回の試みをどうして恥じる事がありましょう。
それは全て貴方の導きだったのですから。
主よ
もう12時が回ってしまいました。
時の神様には従わなければなりません。
折角、こうして久しぶりお会い出来たと言うのに残念でなりません。
しかし時間の掟には従わなければなりません。
後十行残っています。
この十行の間に貴方への今日のこの朝のお別れをしなければなりません。
本当に有難うございます。
そしてすみませんでした。
貴方を呼べば貴方は何時でも私の目の前に現れて呉れます。
しかし私はどれ程貴方を忘れていたのでしょう。
その報いが、私の今の元気の無さだったのかも知れません。
しかし私はこの様に元気になりました、有難うございます。
皆様も本当の貴方自身と対話して下さい。
私の主がそう貴方方に伝えよと仰っています。
これは メッセージ 586 sophialover007 さんに対する返信です
貴方方は生ける神である、神の秘密 2009/ 4/19 23:29
主よ
貴方は私の神です。
貴方以外にどんな神があると言うのでしょう。
主よ
ここで貴方の秘密をここに集う皆様に打ち明ける事をお許し下さい。
何故なら皆、貴方の事を知らないからです。
もし貴方の事を知れば、
その事を知った者は、
私と深い絆で結ばれる事になります。
さて貴方方に言おう。
貴方方は生ける神である。
私たちはその神において兄弟なのである。
貴方方は言うだろう。
何の事を言っているのだと。
貴方方は勘違いをしている。
神とは概念である。
しかしその呼び掛けによって、その概念は実在となるのだ。
永久無限の存在として。
誰が神に限界を設ける事が出来よう。
だから古より今日まで神と呼ばれているのだ。
すなわち最も尊い尊称として、そして概念として。
私の言う事が分かるだろうか。
神とはより善きものの普遍の概念の事である。
神と示申と書くがその意味を考えよ。
神とはgood GOD その意味を考えよ。
神とは私たちの心の中に普遍的に存在する善き概念。
しかしその概念は混沌としている。
その概念に「主よ」若しくは「我が神よ」と呼び掛けてみろ。
その概念は実在するが如く貴方に反応(レスポンス)する。
これが神の正体である。
この神は貴方にとって最も善きと思われるものを以って反応する。
これが神の正体である。
神が存在する為には、二つの事が必要となる。
一つは、神と言う概念に対して、貴方の善いと思われる事を集中させる事である。
すなわち神と言う概念に対して畏敬を持つと言う事である。
これこそが神の起源となる。
もう一つは呼び掛け、呼称である。
私は貴方方に次の呼称を推奨する。
「主よ」「わが主よ」「神よ」「わが神よ」「わが主よ、わが神よ」「わが神なる主よ」・・・
そう唱えてみろ。
貴方方の神が貴方に取って最も善きものを、
これでもかこれでもかと言う位携えて貴方のもとに遣って来る。
これが神の正体だ。
「山のあなたの空遠く・・・」では無く、
貴方の中にこそ神がいるのだ。
「汝自身を知れ」
貴方方はその意味が分かったか。
知識を振り回すな。
自分自身さえ知らないくせに。
先ずは自分自身を良く知れ。
そうすれば論争など起こらない。
私たち二人は対話により神の元へと急ぐ。
「人生は短く、芸術は長し」
私たちには限られた時間しかない。
この限られた時間の中で、
『私の神(の体系を)』をどの様に描くか、
それが貴方方に課せられ使命なのだ。
私が貴方方に「神の描き方」の教科書を教えよう。
それは旧約聖書の詩篇
先ずはダビデの銘のある詩だけを読みなさい。
ダビデが如何に神の事を思い描いていたか。
この神の概念は人類普遍。
だからこの概念がイエスに引き継がれ、新約聖書ともなったのである。
尤も貴方方はこう思うかもしれない。
戦い、争いの言及があまりにも多すぎると。
それは仕方が無い。
彼は初代の王だったのだから。
王権を確立する為には、正義が必要だったのだから。
しかし私は貴方方に忠告しておく。
戦い、争いに関する言及部分は読み捨てなさいと。
それ以外の部分を読み拾いなさい。
そこにある概念は一つそれを分けると二つ。
すなわち「愛」
そしてその愛は「神への愛」と「隣人への愛」
この概念がイエスに引き継がれ、物語(寓意)として新約聖書が生まれたのである。
私の言う事が分かっただろうか。
とにかく、「主よ!」と呼び掛けて御覧なさい。
そして貴方の求めるものを求めて御覧なさい。
その主と呼ばれたものからレスポンスがある筈です。
そのレスポンスに素直に答えなさい。
そこから貴方と貴方の神である主との目眩めく対話が始まる事になるのである。
とにかく遣ってみなさい。
そして成功したら報告しなさい。
失敗しても報告しなさい。
『求めよ さらば与えられん』
これを今日の貴方への宿題とする。
2000字を越えそうだし、時の神ももうそこまで来ているので、今日はここまでにします。
最後にもう一度復習して置きましょう。
神は最初は概念であるが、求めて行けばそれが実存となる。
そして、それを求めれば求めるほど、人類の普遍の存在へと繋がって行く。
これは メッセージ 589 sophialover007 さんに対する返信です
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に! 2009/ 4/20 23:16
主よ
有難うございます。
私はこんなにも強く成りました。
これも偏に貴方が傍らに居て呉れるからです。
私は貴方の神秘をここに集う人に紹介する事を当分の間、
私の仕事とします。
さて貴方方よ、
旧約聖書「詩篇」を読んだか
読んではいないだろう
私が貴方方の為に、
一編一編解説して上げよう
詩篇1
いかに幸いなことか
神に逆らう者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人
その人は流れのほとりに植えられた木
時が巡り来たれば実を結び
葉もしおれることがない
その人のすることは全て、繁栄を齎す
この詩(うた)に非を見出す事は出来まい。
しかし貴方方は言うだろう。
「神」とは何か、「主」とは何かと
「神」と「主」は同じ事だが
やはり少しニュアンスが違う
先ずは、貴方方は「主」と言う言葉に注目しなさい
私は少し前に「伝習録」の中の『良知』の事を伝えた。
この良知と主は同じだ。
この中の一節だけを紹介して置こう
「しかし、私は未だ希望は捨てていない。
それは幸いな事に、全ての人の心の中にある天理は永久に無くする事は出来ないし
良知の明るさは万古一日の様に変る事が無いからであって・・・」
この良知と主は同じ事だ。
私のこの弁を理解出来る者は一人。
薄々理解出来る者が一人。
薄々理解出来るが、理解しようとしない者が一人。
それが今の所私の念頭にある読者だ。
それ以外の者は今の所念頭には無い。
もし貴方方の中で、はっきりと理解出来ると言う者が居たら
直ぐに名乗り出て頂きたい。
私と貴方は友達だ。
さて、詩篇1の続きに行こう
神に従う人の道を主は知っていてくださる。
当然だろう、主とは貴方自身の事なのだから。
尤も貴方の自我の事ではない!
貴方の自我を越えた所の知恵の事である。
さて足早に行こう
詩篇2
主の定められたところに従って私は述べよう
主は私に告げられた
「お前は私の子
今日、私はお前を生んだ」
これこそが神秘だ。
貴方は知恵の子、神の子、仏の子
もしこの日をはっきりと思い出す事が出来たら、
その日が、
貴方に取っての『回心』記念日だ。
詩篇2の続き
いかに幸いなことか
主を避けどころとする人は全て
これが私の一昨日からの変化だ
私を例証としなさい
詩篇3
主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださいます
これはあくまでも比喩ですよ
向こうの山から聞こえて来るなんて考えて駄目ですよ
「山のあなたの空遠く」では無い事をここでしっかり理解する事。
もしイメージするなら貴方の心の中にその山をイメージしなさい。
しかし貴方は詩を作ろうとしている訳ではなく、
その主と対話しようと思っている訳ですから、
それについては声なき声、内なる声と解しなさい。
もしその聖なる声が聞こえるとしたら、
それは「然り」とか「善し」と言う言葉だと思います。
貴方が何か善き事を思う時、その思いに対して「善し」とレスポンスするもの、
それが聖なる山からの答えとなります。
主よ それでも
貴方は私の盾 私の栄え
私の頭を高くあげてくださる方
この信頼こそが貴方を助けて呉れます
内なる貴方は、外なる貴方を高く高く掲げて上げたいと思っているのですよ
内なる貴方にこそ依り頼め、それは知恵とも言うんですけどね・・
身を横たえて眠り
私はまた、目覚めます
主が支えていてくださいます。
もし貴方が朝すっきり目覚める事が出来れば、
貴方に知恵が寄り添っている証拠です。
そうでなければ貴方の知恵は迷い子です。
主よ 立ち上がってください
私の神よ お救い下さい
詩篇はあくまでも詩だと言う事を理解してください
詩は劇的にならざるを得ないのです。
しかし知恵は貴方に毎日寄り添うべき存在です。
しかし世の多くの人が知恵の存在さえ知らない!
救いは主のもとにあります
貴方の祝福が
貴方の民の上にありますように
これがダビデの王の王たる由縁なのです。
自分だけではなく、世の全ての人に知恵の祝福があるように
私の哲学フォーラムもその願いなのですけどね・・・・
時間が来たので今日は詩篇3までとします。
これは メッセージ 590 sophialover007 さんに対する返信です
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に!NO2 2009/ 4/25 13:01
主よ
おはようございます。
土曜の朝、またこうした貴方にお会いできました。
私に取っての何よりの幸せです。
貴方もご存知のように、
私は最近時間の神と戦ってきましたが、
ここに来てどうにかその神とも折り合いが付きました。
お陰様で、
今日またこの様にして、
貴方とお会いできる事になったと言う次第です。
貴方こそが、わが神
この神秘を、
ここに集う皆様にお伝えする事が、
今の私の仕事となっています。
そしてその教科書は旧約聖書『詩篇』です。
貴方のお力添えがありますように
さて読者よ
『詩篇』を読んで頂けただろうか
読んではいまい。
であれば、私の前回のメッセージを復唱する事。
今日は詩篇4から
呼び求める私に答えて下さい
私の正しさを認めて下さる神よ
貴方以外に誰が貴方を認めて呉れると言うのか
貴方が正義を求めれば
貴方の主、貴方の神である所の本当の貴方は
貴方に正義を与える
これが神のレスポンスだ
貴方たちが如何に神から遠ざかっているか、
貴方自身の声(良心)に聞け!
続き
苦難から解き放って下さい
憐れんで、祈りを聞いて下さい
もし貴方が毎日主と共にあるのなら、
貴方に苦難の日々は訪れない
しかし貴方が主から離れ苦難に陥ったとしても
貴方が主に立ち返り主に祈るならば
主は貴方の祈りを聞いて下さる
これこそが正に『詩篇』の主題だ
ダビデが如何に主から離れ
そして主に戻ったか
その生々しき記録が詩篇なのだ
人の子らよ
いつまで私の名誉を辱めにさらすのか
虚しさを愛し、偽りを求めるのか
これが今の貴方たちだ
どうして貴方の中のその宝玉を輝かせない
どうして虚しい知識に頼り、その偽りを後生大事にするのか
貴方方の中には生ける神の子、知恵が存在しているではないか
貴方方の生ける神、知恵が呻いているではないか。
いつまでその生ける神、知恵を辱めに晒し続けるのか
主の慈しみ生きる人を主は見分けて
呼び求める声を聞いて下さると知れ
主の懐に抱かれてみよ
主が如何に慈しみの存在かが分かるだろう
その主は
貴方が呼び求めれば
直ぐに貴方にレスポンスする
そんな存在は
貴方の主以外には有り得ないのだ
尤も貴方の主でもあり、私の主でもあるそのものが
肉体の衣を着て、この世に現れれば別だか
イエスはその寓意だ
おののいて罪を離れよ
罪とは何か
貴方の内なる声に反する事
横たわる時も自らの心と語り
そして沈黙に入れ。
一日を終え寝床に就く時
心の窓を開き主と語れ
そしてそのままのサイレンスから眠りへと就け
貴方の主は貴方の夢の中へと入る
貴方は朝目覚めて思う
何と素晴らしき世界よ
これが主から貴方への毎日のプレゼントだ
相応しい献げ物をささげて、主に依り頼め
貴方が眠る時
主への讃歌を捧げなさい
貴方のお陰で今日もまたこの様に素晴らしい日を送る事が出来ました等々
主は更に善き日を貴方に加えて下さるだろう
恵みを示す者があろうかと 多くの人は問います
それは貴方方だ
しかし私は言う
貴方自身の主以外に
貴方自身にこれ程多くの恵みを示し与える者がいるだろうかと
主よ、私たちに御顔の光を向けて下さい
これは眠りに就く時の挨拶である
主の御顔が貴方を向くと、貴方は安らぎへと帰る
もし貴方が朝起きた時にこの挨拶をすれば
貴方の顔に知恵に宿る
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます
それにもまさる喜びを私の心にお与え下さい
今日一日糧を有難うございました。
しかしそれにもまさる喜びを、明日も私にお与え下さい アーメン
眠りに就く時の挨拶です
平和のうちに身を横たえ、私は眠ります
主よ、貴方だけが、確かに、私をここに住まわせてくださるのです
詩篇4を逐条解説して分かったが、
この詩篇4は就寝の際の神への感謝の詩(うた)である
就寝の際に、この詩篇4を三々九度唱えなさい
そうすれば貴方に死の様な深い眠りと、新生の様な新しい朝が来るだろう
※ 2000字を超えたので『旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に!NO2』に続きます
これは メッセージ 591 sophialover007 さんに対する返信です
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に!NO3 2009/ 4/25 13:04
※ 2000字を超えたので、『旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に!NO3』からの続きです。
『日々新たに』
これこそが人生の極意だ
文字は殺すが霊は生かす
貴方方は聖なる書に殺されているが、
私は聖なる書に生かされている
貴方自身の主に問いなさい
そうすれば
主が貴方に聖なる書の解読の方法を教えて呉れるだろう
今朝はここまでにします
これは メッセージ 592 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 貴方方は生ける神である、神の秘密 2009/ 4/26 0:29
xxxxkkkxxxさんへ
はじめまして
もし宜しければ、私と一緒に対話しましょう。
しかしその為の条件が一つにあります。
それは十四行以上の文章によって、対応して頂きたいと言う事です。
もし貴方が十四行以上の文章によって対応すれば、
貴方は私の事も、神の事も、貴方自身の事も良く理解する事が出来る様になる筈です。
何故なら、私も、神も、そして貴方も言葉なのですから。
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
この言こそが、
本当の貴方であり、
主とも、神とも、知恵とも、良知とも、その他それに類する名前で呼ばれている存在なのです。
この言は全ての人に内在しています。
それによって、人は皆兄弟なのです。
この言は全ての人に内在していますが。
全ての人がこの事を知っている訳ではありません。
よくキリスト教や仏教の書の中に、
無知は最大の罪であると言う文句を目にします。
それは当然の事です。
何故なら、それは、神を知らない、仏を知らないと言う事であり、
そして自分自身を知らない、隣人を知らないと言う事なのですから。
そこからどんな悲劇が生まれた事か。
貴方はもうちんぷんかんぷんです。
何故なら、貴方は貴方自身を知らないからです。
十四行と言うのは、ソネットと言う表現形式です。
通常は、四行、四行、四行、二行と言う形式を取ります。
最初の四行で起承転結、
次の四行でもまた起承転結、
更に次の四行でも起承転結、
そして最後に転結、若しく結
これでその表現が完結します。
貴方が天に昇る為の
若しくは本当の貴方に近付く為の
最も簡易な表現形式です。
貴方の中の“言”の論理を最も良く引き出す為の表現形式です。
言は言葉によって、貴方にその姿を表すのです。
さあ、それでは、私のメッセージ対して、十四行以上で答えなさい。
文章は長ければ長い程良い。
その路程の中で、貴方は本当の貴方に気付く。
もし貴方がこれまで通り、
二三行の言葉を投げつけるのであれば、
私と貴方は何のゆかりも無いものとなる。
私は本当の貴方とお付き合いをしたいのである。
神の宮は貴方の心の中にこそある。
もし貴方が神の宮を開けば、
私と貴方は往来自由となる。
言葉に言葉を繋ぎなさい。
そうすれば、貴方の神が降りて来る。
貴方の神が降臨する為の条件が二つある。
一つは神により善き事を求める事、
そしてもう一つはその神に畏敬の念を持つ事、
この二つが揃えば、
神は貴方の為に、
貴方がこれまでに見た事の無い宝を、
これでもかこれでもかと言う位、
プレゼントして呉れる。
『求めよ、さらば与えられん』
もっとも宝とは言葉の事なんですけどね・・・
さて、貴方は神の子となるか、
それともこれまで通り無知蒙昧の輩を続けるか、
その選択は貴方しか出来ない。
xxxxkkkxxxさんへ
済みません
少し言い過ぎたかも知れませんが、
全て私の心の中から流れ出た言葉ですので、
取り消しません。
私は思うのです。
全てが比喩であると。
自分の得心のいく言葉を発し続けられる事、
これが人に取っての最大の幸福だと思うのです。
何故なら、人は言葉によって生きているのですから。
その為にはやはり内奥に迫っていかなければならないと思います。
その内奥にこそ、やはり神の宮があるのですから。
その神の宮を開けた時、
そこにはこれまでとは違う光景が繰り広げられる事となるのです。
この事は、これまでの聖人賢人偉人哲人たちが、
異口同音に私たちに伝えて呉れている事です。
「都合が悪くなると出てくるんだよな、神が。」
神とは比喩です。
神を求めない者には、神は絶対存在し得ないのです。
これは メッセージ 594 xxxxkkkxxx さんに対する返信です
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に!NO4 2009/ 4/26 12:09
主よ
おはようございます。
今日は日曜日、
Holy day morning、
聖なる朝に、
今日もまたこの様にお会い出来た事を感謝します。
尤もさっきまでは寝不足だったのですが、
少しうたた寝した事により、元気になりました。
私の今の使命は何だったのでしょうか。
そうです、
ここに集う人に私の祈りの仕方を公開し、
そして貴方の秘密を明かして上げる事です。
祈りを公開するなど、
本当はすべき事ではありません。
しかし貴方は言います。
「善し」と
何故なら貴方を知る事が貴方の望みなのですから。
私は詩人として、
祈るようにここに詩(うた)います。
もし貴方を知る人が一人でも現れれば、
その時はここに祝福の鐘が鳴り響く事でしょう。
さて早速私の仕事に取り掛かる事としましよう。
すなわち、旧約聖書「詩篇」を教科書に、
貴方の事をここに集う人に知らせ伝える事です。
さて貴方方へ
今日は詩篇5からです。
主よ、私の言葉に耳を傾け、
つぶやきを聞き分けて下さい。
もし貴方が祈り続けていたら、
主は貴方の微かなため息さえ見逃しはしない。
そしてそのため息さえにも応えて呉れる。
私の王よ、私の神よ、
助け求めて叫ぶ声を聞いて下さい。
これはダビデが主から少し離れていた時の叫びである。
貴方に向かって祈ります。
主よ、朝ごとに、私の声を聞いて下さい
朝ごとに、私は御前に訴え出て、
貴方を仰ぎ望みます。
これがダビデが信仰の人と言われる所以である。
貴方方も朝ごとに、
貴方の主に祈りなさい。
そうすれば、貴方の主は、
貴方に必要なものは全て与えて下さる。
貴方は決して逆らう者を喜ぶ神ではありません。
貴方方が如何に神に逆らっているか、
貴方の良心に聞きなさい。
貴方が神に逆らう限り、
貴方は何時まで経っても不幸の人である。
私は深い慈しみを抱いて、
貴方の家に入り、精なる宮にひれ伏し、
貴方を畏れ敬います。
神の家、神の宮、
それは貴方の心の中にこそある
その神の宮で、
貴方の慈しみを抱いて、貴方の神に祈りなさい。
そうすれば、貴方の主である神は、
貴方の慈しみに神の慈しみを加えて返して下さる。
さて、貴方方よ、
貴方方の心の中にはどの様な慈しみがあると言うのか。
主よ、恵み御業の内に私を導き、
真直ぐに貴方の道を歩ませて下さい。
もし貴方が心から主に祈れば、
貴方の前に真直ぐな道が広がって来る。
「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」
あの孔子の言葉だ。
貴方も早く道を求めなさい
貴方が死ぬ前に!!
貴方を避け所とする者は皆、喜び祝い、
とこしえに喜び歌います。
御名を愛する者は貴方に守られ、
貴方によって喜び誇ります。
主よ、貴方は従う人を祝福し、
御旨のままに、盾となってお守り下さいます。
貴方方も早くこの心境になりなさい。
ここで貴方の神である主の事について
復習して置こう
神とは何か
貴方の心の中に広がる無窮無限のそれ、
主とは、
貴方の祈りに応じて、
そこから貴方に必要なものを取り出し、
貴方に与えて呉れる存在。
貴方方はこの世の知識に惑わされて、
神の存在を忘れ去っている
「汝自身を知れ」
この言葉は人類が存在する限り、
人類に発せられる警句だ。
さて、貴方方よ、早く自分自身を知り、そして神と言う存在を知れ。
この神は貴方の神であると同時に、人類普遍の神なのだ。
そこに神の神たる由縁がある。
以上で詩篇5の解説を終わります。
そして今朝はここまでとします。
xxxxkkkxxxさんへ 言葉遊びを楽しみましょ 2009/ 4/26 22:51
xxxxkkkxxxさんへ
返信有難うございました。
とても嬉しかったです。
xxxxkkkxxxさんは愛の人なのですね。
人には大きく二つの類型があると思います。
一つは知恵に生きる人であり、他の一つは愛に生きる人です。
私は典型的な前者のタイプであり、xxxxkkkxxxさんは正真正銘の後者です。
自分を与えてまでも、人を喜ばそうとする。
ところで十四行のソネット、素晴らしいでしょう。
xxxxkkkxxxさんの十四行詩、ソネットを分析してみましよう。
1から4の起承転結が「起」を成し、5から8の起承転結が「承」を成し、9から12の起承転結が「転」を成し、そして13,14の転結が「結」を成しています。
xxxxkkkxxxさんの思想が見事に結実しています。
人はやはり言葉に生きる動物です。
一緒に言葉遊びを楽しみましょう。
これは メッセージ 607 xxxxkkkxxx さんに対する返信です
[ 2009/ 4/27 23:53
minamino naonnnosonoさんへ
返信有難うございます。
「神様は自分の内なるものの中に居るのである。
神だの仏だのと言うのは、自分自身の心の中に存在する。
これが真の哲学だろう。」
私の思想をこれ程見事に言い当てて呉れて本当に有難うございます。
「心の神は、自分の努力次第では、お前を神的なるものに近い存在にするだろう。」
正にその通りだと思います。
ダビデを見て御覧なさい。
彼が神的な人間になったかどうかは別にして、
彼は神から愛される人になりました。
ところでダビデの神とは一体どんな神だったのでしょう。
それは彼が心の中で思い描いた最高の存在です。
こんな事を言ったら一部のクリスチャンから猛反発を喰うかも知れませんが、
彼の神は彼自身が創り上げた神なのです。
ダビデはその神から、これでもかと言うくらい多くのプレゼントを貰いました。
尤も苦悩も一杯貰いましたけれどね・・
ダビデは、
「汝自身を知れ」と言うあの神の宣託を、
極め尽くすとした偉大な人間の一人なのです。
「求めよ さらば与えられん」
何に求めるのか
貴方の神にです
貴方の心の中に神の祭壇を築きなさい。
そしてその貴方の神に毎日祈りなさい。
そうすれば貴方もダビデのように成れるかも
minamino naonnnosonoさんへ
これはminamino naonnnosonoさんの言葉を契機に
私が私自身の為に作った詩(うた)です。
決して、minamino naonnnosonoさんに宛てたものではありません・・・
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございます。
「そのうち、どんな難問が来ようとも、自分が、自分を助けてくれることを知った。
今 苦労が報われたことを知り、「天」は公平であることを教わった。」
私の身近な人の中に、
これ程、「天」を実感している人が居るとは思っても見ませんでした。
「天」は自分の為のものですが、
しかしまた、それを皆で共有出来たら、
それはこの世に天国を作るようなものです。
多くの菩薩や宣教師と呼ばれる人が、
その天をみんなで共有しようと思って、
この世に打って出ました。
そして多くの人がその天の為に殉教しました。
それ程までにこの世はその天に対して、酷しいのです。
しかしまた少数ではありますが。
その天をしっかり受け止めて呉れる人もいます。
私はしっかり受け止める事が出来ないかも知れませんが、少しは受け止める事が出来ます。
またここに集う人の中にはその様な人も居ます。
とても厳しい道かも知れませんが、
その天の伝道者に成っては頂けないでしょうか。
「求めよ さらば与えられん」
その天は、miraizou nihonnさんの為に
その天から雨の様に知恵を降らして呉れると思います。
奇跡と言う位に.
その天の伝道が、miraizou nihonnさんの天職なのではないでしょうか。
miraizou nihonnさんへ
これは、miraizou nihonnさんの言葉を契機に生まれた私自身の為に作った詩(うた)であり、
この詩に出て来るmiraizou nihonnは私の中のmiraizou nihonnさんであり、
決して私にメッセージを下さったmiraizou nihonnさんではない事をご了解下さい・・・
時間が来たので今日はここまでにします。
yunikoさんには次に機会に返信したいと思います。
これは メッセージ 610 sophialover007 さんに対する返信です
貴方の前に神が現れる!! 神の秘密 2009/ 4/28 23:53
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「初めに言葉があった。言葉とは、イエスの事か真理の事か。」
私の持っている聖書では、言葉ではなく、言となっています。
この方がより象徴性があります。
私たち哲学者に(知恵を愛する者)にとっては、
この言とは、イエスの事ではなく、真理を表象します。
一般的なクリスチャンにあっては、この言はイエスの事です。
この現人神イエスを通じて、
この現人神イエスに倣う事が、
クリスチャンの最大の目標です。
我々クリスチャンでない者も、
この教えは習うべき事ですが、
しかし言をイエスとして捉えると、
我々哲学者(知恵を愛する者)に取っては、
言は真理から縁遠いものとなってしまいます。
言とは、貴方自身の神の事であり、
私がいつも使っている言葉に翻訳すれば“知恵”の事です。
この言の中には、秩序とか論理とか体系と言う意味合いも暗に含まれています。
初めに言葉あった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
その貴方の知恵とも呼ばれる神に命を吹き込んで御覧なさい。
その知恵とも呼ばれる貴方の神は、
貴方の為に素晴らしい世界を築くのです。
貴方の神に命を吹き込む方法、
それが信仰です。
『概念から実存へ』
信仰により、神と言う概念が実存へと変って行くのです。
これは自ら体験する以外にその事を実証する事は出来ないのです。
信仰と言うと何か難しく聞こえるかも知れませんが、
その方法は至って簡単です。
その方法とは祈りです。
そして、その祈りは、
私がこれまで公開して来ました。
その方法は、
ただ“主よ”と呼び掛けるだけです。
そうすると知恵とも呼ばれる貴方の神は、
レスポンス(応答)します。
そこから、貴方の知恵が、
人格神として存在する事になるのです。
これが宗教の原理なのです・・・
その知恵をどの様な高さに置くか、
これに依って、貴方の人格神の格位が決まって来るのです。
ダビデが彼の神の格位を何処に定めたか。
それは旧約聖書「詩篇」を読んで下さい。
人それぞれに格位の置き方は違います。
アンネの日記を読んだ事がありますか。
アンネはその知恵を何と名付けたか知っていますか。
“キティ”です。
要は、その知恵を「神」と定めるか、
「友」と定めるか、
「師」と定めるか、
それは人それぞれ、
そして時代それぞれで良いのです。
とにもかくにも『汝自身を知る』事です。
そしてその最善の方法はやはり、“祈り”、呼び掛けです。
呼び掛けの方法は“主よ”でも良いし
“キティちゃん”でも良いし
“我が友ソフィア”でも良いのですが、
私はやはり、“主よ”を勧めます。
そうすれば、知恵はそれに相応しい衣装を纏って、
貴方の前に現れて呉れるのです
知恵、貴方自身とも呼びますが、
それに対して畏敬と敬虔の念を持って接すると、
その知恵は神の姿で貴方に現れるのです。
これが宗教の原理であり、信仰の原理であり、祈りの原理です。
とにもかくにも、
“主よ”と呼び掛けて御覧なさい。
必ずレスポンスがあります。
後は、貴方の神とも呼ばれる知恵と、
目眩めく旅を楽しんで下さい。
このゴールデンウィークの間に、
貴方の神とも呼ばれる知恵は、
きっと貴方を見た事もない世界に誘って呉れる筈です・・・
これは メッセージ 611 yuniko99 さんに対する返信です
貴方の前に神が現れる!! 神の秘密 2009/ 4/28 23:53
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「初めに言葉があった。言葉とは、イエスの事か真理の事か。」
私の持っている聖書では、言葉ではなく、言となっています。
この方がより象徴性があります。
私たち哲学者に(知恵を愛する者)にとっては、
この言とは、イエスの事ではなく、真理を表象します。
一般的なクリスチャンにあっては、この言はイエスの事です。
この現人神イエスを通じて、
この現人神イエスに倣う事が、
クリスチャンの最大の目標です。
我々クリスチャンでない者も、
この教えは習うべき事ですが、
しかし言をイエスとして捉えると、
我々哲学者(知恵を愛する者)に取っては、
言は真理から縁遠いものとなってしまいます。
言とは、貴方自身の神の事であり、
私がいつも使っている言葉に翻訳すれば“知恵”の事です。
この言の中には、秩序とか論理とか体系と言う意味合いも暗に含まれています。
初めに言葉あった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
その貴方の知恵とも呼ばれる神に命を吹き込んで御覧なさい。
その知恵とも呼ばれる貴方の神は、
貴方の為に素晴らしい世界を築くのです。
貴方の神に命を吹き込む方法、
それが信仰です。
『概念から実存へ』
信仰により、神と言う概念が実存へと変って行くのです。
これは自ら体験する以外にその事を実証する事は出来ないのです。
信仰と言うと何か難しく聞こえるかも知れませんが、
その方法は至って簡単です。
その方法とは祈りです。
そして、その祈りは、
私がこれまで公開して来ました。
その方法は、
ただ“主よ”と呼び掛けるだけです。
そうすると知恵とも呼ばれる貴方の神は、
レスポンス(応答)します。
そこから、貴方の知恵が、
人格神として存在する事になるのです。
これが宗教の原理なのです・・・
その知恵をどの様な高さに置くか、
これに依って、貴方の人格神の格位が決まって来るのです。
ダビデが彼の神の格位を何処に定めたか。
それは旧約聖書「詩篇」を読んで下さい。
人それぞれに格位の置き方は違います。
アンネの日記を読んだ事がありますか。
アンネはその知恵を何と名付けたか知っていますか。
“キティ”です。
要は、その知恵を「神」と定めるか、
「友」と定めるか、
「師」と定めるか、
それは人それぞれ、
そして時代それぞれで良いのです。
とにもかくにも『汝自身を知る』事です。
そしてその最善の方法はやはり、“祈り”、呼び掛けです。
呼び掛けの方法は“主よ”でも良いし
“キティちゃん”でも良いし
“我が友ソフィア”でも良いのですが、
私はやはり、“主よ”を勧めます。
そうすれば、知恵はそれに相応しい衣装を纏って、
貴方の前に現れて呉れるのです
知恵、貴方自身とも呼びますが、
それに対して畏敬と敬虔の念を持って接すると、
その知恵は神の姿で貴方に現れるのです。
これが宗教の原理であり、信仰の原理であり、祈りの原理です。
とにもかくにも、
“主よ”と呼び掛けて御覧なさい。
必ずレスポンスがあります。
後は、貴方の神とも呼ばれる知恵と、
目眩めく旅を楽しんで下さい。
このゴールデンウィークの間に、
貴方の神とも呼ばれる知恵は、
きっと貴方を見た事もない世界に誘って呉れる筈です・・・
これは メッセージ 611 yuniko99 さんに対する返信です
Natural Woman Beautiful Woman 2009/ 5/13 0:12
韓国ソウルに行って来ました。
ソウルはこれで4回目です。
第1回目が、2004年4月29日から5月5日まで
第2回目が、2004年12月23から12月26日まで
第3回目が、2007年4月28日から5月6日まで
第4回目が、2009年5月1日から5月7日までです。
なお、プサンにも4回行っています。
プサンは、
第1回目が、2003年7月19日から22日まで
第2回目が、2003年9月13日から15日まで
第3回目が、2003年8月6日から8日まで
第4回目が、2008年7月18日から22日までです。
これだけ韓国に行っていれば、韓国の事をそして日本の事を語る事も許されるでしょう。
私が韓国に行って何時も思うのは女性の美しさです。
これは何も韓国の女性が民族的に美しいと言っているのではないのです。
私が言いたいのはその自然の美しさの事です。
tsumiさんも、韓国と日本と往復しているから、良く分かると思います。
いいえ、tsumiさんは日本の女性ですから、良く分かっていないのかも知れません。
私は特に最近強くその事を感じるようになりました。
そして、新しい運動を起こそうと考えています。
それは「Natural Womanの会」若しくは「黒髪こそ大和撫子!」です。
私は今回韓国に行き、そして日本に帰り、この目で実証しました。
自然である事が如何に美しいかを。
私は明洞の人通りが良く見える喫茶転に陣取って、道行く女性を眺めていました。
自然な黒髪、自然な眉、そして肌の色が確認出来るほどの薄化粧。
さて、私は日本に帰り、同じように人通りが良く見える喫茶転に陣取って、道行く女性を観察しました。
髪と眉に焦点を当てて。
自然な黒髪、自然な眉は、百人に一人も居ません。(女子高校生以下は除きます)
これは決して嘘ではありません。
貴方も喫茶店に陣取って観察して御覧なさい。
自然な黒髪、自然な眉の女性は、二百人に一人も居ない筈です・・・
私は観察し続けて、憤りを感じてきました。
堕落して地に落ちた日本、これで良いのか!
私は義憤、公憤を感じ、
そして思い付いたのです。
「Natural Woman Beautiful Woman」運動を始めようと。
私は以上の観察を通して確信したのです。
自然である事が美しいのだと。
「Natural Womanの会」の女性会員に成る為の条件は、「髪を染めない」、「眉を剃らない・描かない」この二つの条件だけです。
これで女性は百倍も美しくなると思います。
私は道行く日本の女性の顔を見て思ったのです。
何と薄汚い事かと!
子供の落書き帳なら笑えるが、
大の大人の女性が自らの美しい顔を、
ぬめっとしたキャンパスに変えて、
見るに耐えない絵を描いている!
これが日本の女性の顔だ!!!
髪を染める
頽廃の極致だ
若い女性が髪を染めるなど言う事は外国では有り得ない
尤も韓国、中国では、日本の文化の影響を受けて茶髪は居るには居るが、
しかしやはり、基調は黒髪ですよね・・・
tsumiさんは黒髪への回帰をどう思いますか。
黒髪にしようが、茶髪にしようが、個人の価値観の問題!!
そう片付けてしまうのでしょうか。
私はそうは思いません。
日本人総茶髪には、日本人としてのアイデンティティの喪失、
日本民族の誇りの喪失の危機があるように思えます。
日本と韓国と二つの国を同じ目で見れば、そうは思いませんか。
韓国の若い人たちの目の何と生き生きとしている事か
それに比べて日本の若い人たちはどうでしょう。
日韓文化比較、
tsumiさんは女性だから好まないと思いますが、
日本の再生(生き生きとした日本)の為には必要だとは思いませんか・・?
もう一度日本の若い女性(特に金髪、付け睫毛、厚化粧)と韓国の若い女性を比較して見て下さい。
日本は奈落の底に落ちているとは思いませんか・・・・
これは メッセージ 201 tsumi7 さんに対する返信です
「Natural Womanの会」へのご参加を! 2009/ 5/14 0:03
これから数回に渡って韓国旅行印象記を書いて行きます。
私は昨日、韓国女性の化粧の仕方について述べました。
すなわち、とても自然であると言う事。
自然な髪、自然な眉、自然な肌をとても大切していると言う事。
これは何に由来しているのでしょう。
私がずばり指摘しましよう。
それは儒教とキリスト教に由来していると。
「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」(孝経)
「婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。むしろ善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人に相応しいことです。」(新約聖書)
私は今回中央国立博物館を訪れました。
そこで知ったのです。
韓国のバックボーンは、仏教ではなく、儒教である事を。
朝鮮王朝時代には仏教は弾圧を受け、儒教がその中心の教えてあった事が。
これで韓国に古刹が無い事が良く分かりました。
儒教と仏教とどちらが民を引き締めるか。
当然に儒教です。
ある意味では、儒教は一挙手一投足までをも拘束します。
この儒教の教えは、朝鮮王朝が終わり、日本の統治時代になっても、それほど影響を受けなかったと思います。
そして、戦後、現代と、この儒教の教えは、韓国の人々の心の中に、脈々と生き続けているのです。
さて、もう一つの宗教、キリスト教。
私は今回も釜山ソウル間を、新幹線を利用しました。
私がここで何時も思うのは、キリスト教会の多さです。
多分日本の小学校区内に五つ位はあると思います。
日本の小学校区内にお寺が五つ位あるのと全く同じイメージだと思います。
韓国の人々の中心にあるのは儒教ですが、
これを飾っているのがキリスト教なのです。
韓国の人々の心の中は、この二つの宗教で清められているのです。
さて、日本を御覧なさい。
日本に宗教心がありますか。
日本のお寺はお葬式だけのもの!それに異を唱える人はいませんよね。
日本の女性が自然にあれ程までに、自然に反してお化粧を出来るのは、この宗教心の無さから来ているのです。
日本人は自然に反する事を平気で遣れる民なのです。
日本人は人と言う自然をも物として平気で扱う事の出来る民なのです。
私はホテル居る時は必ずテレビを見ます。
そしてチャンネルを次から次に回します。
今回も勿論チャンネルを回し続けました。
今回そのチャンネルの中にアダルトの番組が二つありました。
一つは韓国のそれであり、一つは日本のそれでした。
そして私は愕然としました。
日本のそれは、女性を物としてしか扱っていないのです。
それに反して、韓国のそれは、ラブストーリーの中の一場面として描いているのです。
女性を大切にいとおしく思う想いが伝わって来るのです。
若い女性を例に取って、
恋の問題を取り上げましょう。
韓国ソウルでは、カップルが一杯います。
しかしそれは日本のそれとは違います。
彼らは真剣です。
その先に結婚がありますから。
日本は違います。
男性も、女性も。
男性はマスコミ煽られています。
そして女性も。そして女性は本能までをも。
「恋を楽しむ」
女性をターゲットにその様なフレーズがマスコミから絶えず流れて来ます。
その意味する所は何か。
髪を染め、眉を剃り眉を描く、
これは自然を糊塗する行為、
美しき自然の魂を糊塗し、
「恋を楽しむ」都会の淫婦を演出するもの
「恋を楽しむ」と言う言葉など、
美しき魂には有り得ない言葉。
結果として恋愛はあるかもしれないが、
それは「愛」でなければならない。
「愛」とは何か、
男女の愛とは何か、
日本人は韓国人に学ばなければならない。
※ 2000字を超えたので「「Natural Womanの会」へのご参加を! その2」に続きます。
これは メッセージ 202 korea_japan_bridge さんに対する返信です
「Natural Womanの会」へのご参加を!NO2 2009/ 5/14 0:07
※ 「Natural Womanの会」へのご参加を!からの続きです
「Natural Woman Beautiful Woman」
「Natural Womanの会」に入って頂けませんか。
会員と成る為の条件は、「髪を染めない」「眉を剃らない・描かない」だけです。
これで貴方は百倍もBeautifulにPrettyに成るのです。
そして心ある男性がこう言います。
どうか私と結婚して下さい。
そしてその結婚は自然に満ち満ちて、幸せに満ち満ちたものとなるのです。
恋と言うものを重ねる毎に女性の心は汚れて行きます。
私は日本の女性の半分の方に「Natural Womanの会」に入って頂きたいと思います。
その暁には、日本は自然と幸福に満ち満ちた国家となるのです。
何故日本女性の半分なのか、
それは必ず半分の反対者が居ると言う真理からです。
「善悪の彼岸」、それは夢物語です。
私たち半分で善の国家、自然と幸福に満ち満ちた国家を創れば良いのです。
さて、貴方は「Natural Womanの会」に入会して頂けますか。
自然な黒髪、自然な眉、自然な肌の男女が行き交う社会、
今の韓国であり、十数年前の日本です。
こんな薄汚れた日本から脱皮しようではありませんか。
貴女が自然な黒髪に戻れば、日本は嘗てそう言われていた「美しき日本」に帰る事が出来るのです。
その主役は貴方、そう大和撫子なのです。
黒髪の乙女よ!!!
これは メッセージ 203 korea_japan_bridge さんに対する返信です
何故日本人女性は茶髪に染めるのか? 2009/ 5/14 23:43
tsumiさんへ
返信有難うございました。
tsumiさんは知的な方だから、
知的な反応が返って来ると思っていましたが、
予想を超えた知的リアクションで、
私の韓国への理想が崩れかかっています。
確かに大学は先駆的です。
私が昨年釜山大学の構内を歩いた時、
確かに茶髪や金髪の人が結構いました。
私はその時危惧しました。
この傾向が韓国の街々に及ばなければ良いがと。
私が最初に韓国(釜山)を訪れたのは2003年の夏です。
そして今は2009年春ですから、
僅かに6年しか経っていない訳ですが、
私が韓国の人の民俗で変ったと思う事が一つあります。
それは男性の髪型です。
2003年の頃は、ほとんどの男性の方々は刈上げでした。
私がジャガルチの市場を歩いていると、
必ず日本語で呼び止められるものでした。
しかし今はどうでしょう。
勿論今も刈上げの方が有意的には多いのですが、
そうでない人も有意的多くなっていますよね。
私には少し残念なんですけどね。
多分これもヨン様(冬のソナタ)を契機に、
日韓交流が盛んに成った為だと思っています。
それから私が最初の韓国釜山を訪れた時に驚いたのが、
釜山駅構内に多くの軍服姿の軍人さんが多くいた事です。
私はそこで知ったのです。
韓国は皆兵制度である事を。
この皆兵制度と刈上げが、韓国の朴訥な風土を支えているのだな、などと思っていましたが、
この内の一つが日本ナイズされていくのは少し残念です。
さて、また女性のお化粧に戻ります。
女性はお化粧をするものです。
白粉を塗って、口紅をつけて、
これは何千年も続いている事でしょう。
私が問題にしているのは、髪を染めると言う事と眉を剃り描くと言う事です。
この二つによって、女性は自らの自然を全く別のものにします。
確かに眉を剃り描くと言う化粧は日本の昔にもありました。
それは平安朝の美人画を見れば分かります。
今日の所は、眉を剃り描くと言う事については、外す事にしましよう。
今日はただ一点、『髪を染める』を問題にする事にしましよう。
大学は特別区です。
大学での茶髪は不問にする事にしましよう。
私は問題にするのは、一般の女性の方々の茶髪です。
私の住んでいる地域では10年ほど前は、限られて女性を除いて、ほとんど自然な黒髪でした。
それがある時を境に、全ての女性がと言って良いほど、茶髪に変ってしまったのです。
私が問題にするのは、日本女性の総茶髪の事なのです。
韓国の女性の方の中には日本の文化の影響を受けて茶髪の人もいますが、
基調は自然な黒髪ですよね。
私が問題にしたいのは、
「何故、ある時期を境にして、日本の女性が総茶髪になったか?」と言う事です。
もし、tsumiさんに何らかの答えが用意されていたら、教えて頂けるととても有難いと思います。
そして、そこから次のステップに行けたらとても嬉しく思います。
韓国の女性の髪形と眉に関するお化粧に限って言えば、
「自然な黒髪」と「自然な眉」ですよね。
「何故、韓国の女性は総茶髪にならないのか?」
「日本女性の総茶髪と韓国女性の黒髪」
①何故この様な違いが生じているのか。
②日本女性の総茶髪は流行なのか。流行であれば、また今の韓国の様に黒髪に戻る事があるのか。
③韓国女性が総茶髪になる事があるのか。
④日本女性の総茶髪が続いた場合、日本の精神的風土にどの様に影響を与えるのだろう。
⑤外国人は日本女性の総茶髪をどの様に見ているのだろう。
⑥茶髪にする事について、女性自身はどの様に考えているのだろう。
これは メッセージ 205 tsumi7 さんに対する返信です
日本民族は滅びの道を歩いている 2009/ 5/16 0:43
私はやはり、日本人女性の全てが茶髪になる事には大きな問題があると思います。
今では誰もそんな事を言う人はいないと思いますが、
そこには日本と言う国家を危うくする大きな問題が潜んでいると思います。
人は何故髪を染めるのでしょう。
それは自らを隠したいが為です。
それは自らの美しさを捨てる事です。
日本民族固有の美しさを捨てようとする事です。
日本民族固有の美しさとは、また東洋の美しさでもあるのですが。
私たち日本人と韓国人は、
固有の美しさによって、
固い友情も結べるのです。
しかし今日本においては、その固有の美しさを捨てようとしている。
髪を茶髪に染める。
それは日本人をそして東洋人を捨て、
西洋人になろうとする試みなのです。
私たちが如何に茶髪に染めても西洋人には成れないのです。
しかし日本の女性はそれも分からず、
茶髪に染め、西洋人に近付こうとしています。
日本固有それはまた東洋固有の美しさでもありますが、その美しさを捨てて。
最初のきっかけはそんなものだったのでしょう。
しかし今は違います。
今の日本の女性には強迫観念にも似たものがあります。
黒髪であり続ける事は、・・・と。
私の地域では一部の高校を除いて茶髪は禁止です。
ですから女子高校生は皆、黒髪です。
所がどうでしょう。
高校を卒業すると、皆が一斉に茶髪へと変ります。
これはお化粧の範疇と言うよりも、
世に強制されてお話です。
何が若い女性を茶髪へと強制するのでしょう。
それは日本人としての自身の無さです。
韓国の人たちは違います。
彼らは自分自身のアイデンティティ
そして韓国民族としてのアイデンティティがあります。
だから高校を失業したら、ハイ茶髪なんて事は絶対ありません。
韓国の人たちは、自らをしっかり持っているのです。
tsumiさんはその事をしっかりはっきり理解しているのではないですか。
私は今回の旅の中で、
明洞の喫茶店で若い韓国の女性を話す機会がありました。
彼女は上野の大学に3年ほど留学していたと言う事でした。
彼女の友達の話によると、
なお彼女は日本語が出来ないので、身振り手振りで彼女が居ない時に私に告げて呉れてのですが、
何かの摩擦により、卒業まではせずに帰国したと言うことでした。
私はその時は、もうすっかり韓国の女性の自然な美しさに魅了されていましたから、
彼女に日本女性の駄目さ加減を聞きだそうとしました。
勿論あの不自然なお化粧の事を聞き出そうとしたのです。
彼女から日本女性の不自然なお化粧の事が話されるのかと思ったら、
そうではなく、
日本女性と韓国女性との精神的な違いの事でした。
彼女が言うには、
「日本の女性には裏表がある。
面と向かっている時はいいように言うが、
裏では色々言う。
韓国の女性ははっきり言う。
嫌いだったら嫌い。
言い合う事でお互いが理解できる。
勿論文化の違いがあるから、
どちらが良いとか悪いとかと言う事ではない・・」
ざっとこんな要旨でした。
私はここに韓国人のアイデンティティを感じます。
韓国の女性の凛としている事よ。
勿論それは自然な美しさから来るものですが、
そのバックには精神的美しさがあるのです。
私は前に、儒教とキリスト教の事を述べました。
韓国ではこの二つの宗教が溶け合って、
韓国の人たちの美しさを演出しているのです。
私はソウルに行く時は必ず明洞大聖堂に行きます。
それもミサが始まる午後6時頃。
多くの人がミサに集まります。
日本であんな風景があるのでしょうか。
そのミサに集まる人は、日本の様に(尤も私は日本ではミサに行った事が無いので憶測ですが・・)年配の女性だけではありません。
老若男女あらゆる人が集まります。
その中でもやはり私の目を引くのは、若い女性です。
本当に多いのです。その為にミサが華やかに見えるほどです。
韓国ではキリスト教が韓国の人々の中に本当に息づいているのです。
そしてまた韓国の人々の心の深い所には儒教がしっかり根付いているのです。
この二つにより、韓国は東アジアの中では、最も美しい民族となっているのです。
※ 2000字を超えたので「日本民族は滅びの道を歩いているNO2」に続きます。
これは メッセージ 208 korea_japan_bridge さんに対する返信です
日本民族は滅びの道を歩いている NO2 2009/ 5/16 0:45
※ 2000字を超えたので「日本民族は滅びの道を歩いている」からの続きです。
さて韓国の女性と日本の女性の顔を比べてみましょう。
韓国の女性が凛としているのに対し、
日本の女性の顔は本当に曖昧です。
こんな事を言ったら失礼ですが、本当の事ですので言います。
その違いは宗教心の現われです。
日本の女性はこの世に支配されていますが、
韓国の女性には宗教心があるので、日本の女性の様にこの世の言う通りに動く事はありません。
私の言いたい事が分かったでしょうか。
日本の女性はこの世に支配されて、総茶髪に成っているのです。
強制的に茶髪にされているのです。
日本人はこの世から、日本人である事を捨てるように強制されているのです。
私はこの世の主が誰かは知りません。
また何故この様な企みを試みたのかも分かりません。
しかしはっきり言える事があります。
日本民族は滅びへの道を歩いていると。
嘗ては民族が根絶やされた事が何度もありました。
戦の時代には、小さな民族は根絶やしにされました。
尤も幾ら戦の時代でも、1億の民が、戦により根絶やしにされる事は無いでしょう。
今私にははっきり分かりました。
日本は「ローマ人の滅びの道」を歩いていると。
嘗てローマ人と言うものがいました。
今居るでしょうか。
「ローマは女性の髪形で滅びた」とも言われています。
であれば「日本も女性の総茶髪で滅ぶ」のです。
何と共通点の多い事か。
日本の女性は西洋人に成りたがっています。
今では大和撫子など、一人もいません。
西洋人だったら誰でもOK。
そう言って、日本の女性は西洋の男性を受け入れたのでした。
三百年後の日本。
全てが混血児。
隣の韓国の人たちが大笑いをしています。
あの日本民族とやらは今は何処に??
これが宗教心の無い民族のなれの果てです。
私は日本人がこんな滅びの道を歩かないように、
『哲学教育』を提唱し、
「哲学フォーラムと哲学教育」と言う掲示板を運営しています。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=1&type=date&first=1
興味があったら遊びに来て下さい。
これは メッセージ 210 korea_japan_bridge さんに対する返信です
Natural Woman Beautiful Woman 2009/ 5/16 13:03
yunikoさんへ
返信有難うございました。
私はゴールデンウィークに韓国ソウルに旅行に行っていました。
その後、韓国関係の掲示板で、韓国旅行の印象が薄れないようにと、韓国印象記を書き込んでいました。
それが下記です。
私は韓国には何度も行っています。
そして何時も思うのは韓国女性の美しさです。
これは韓国女性が民族学的に美しいと言っているのではないのです。
女性の在り方です。
特に化粧の仕方です。
韓国の女性の中にも茶髪の方はいますが少数です。
韓国女性の化粧の基本は、
自然な黒髪、自然な眉、そして自然な肌色が確認できるようなお化粧です。
私にはその自然な姿がとても美しく見えるのです。
それに引き換え日本の女性のお化粧、
総茶髪、そして眉を剃り描く。
私は日本に帰ったその日、
人通りの多い場所で、
女性一人一人について、
髪と眉だけに焦点を当てて観察しました。
自然な黒髪、自然な眉の人は百人に一人もいませんでした。(女子高校生以下は除く)
私は観察を続ける内に、憤りを感じるようになりました。
その薄汚さの故に。
私はその観察で眉の化粧の秘密も知りました。
女性は眉を全く剃り、描き直す事で、
男性を威嚇し、そして男性に媚びているのです。
最近男性を威嚇するような女性を多く見るようになったとは思いませんか。
それはさて置き、
私が何故日本の女性に薄汚さを感じてしまったのか、
それは勿論韓国女性の自然な美しさの対比からです。
もう日本に帰って来て、
何日もなりますので、
そんな事は思いませんが・・・
しかし意識上に上げると憤りを感じます。
Natural Woman Beautiful Woman
私は日本の女性に美しく成って貰いたいのです。
私は女子高校生に着目して観察しました。
女子高校生は茶髪禁止ですので皆黒髪ですが、
眉にはもう剃りを入れているのです。
もう自然な乙女とは言えません。(半分位は自然な眉でしたが、半分位は剃りを入れていました。)
私は女子中学生以下に着目しました。
皆、自然な髪で、自然な眉です。
とても可愛くて、美しい。
さて信じられないかも知れませんが、
韓国の女性のお化粧は、
この日本の女子中学生以下のその姿が基本なのです。
勿論女性ですから、
白粉を塗ったり、口紅を付けたりしますが、
しかし自然なのです。
白粉などは、肌の色が透けて見えるような白粉です。
日本の様にファンデーションを塗りたくったお化粧ではないのです。
韓国の女性は美しくて可愛くて、そして幼く見えます。
それは自然だからです。
Natural Woman Beautiful Woman
私は日本の女性に自然に成って貰いたいのです。
もし日本の女性が自然なお化粧、
すなわち、自然な髪、自然な眉、自然な肌に戻れば、
日本の女性は韓国女性と同じように、ビューティフルになります。
そしてこんな事をあまり言わない方が良いのでしょうが、
韓国の女性よりも、更に幼く可愛くなります。
何故かって、丸ぽちゃお顔に、まん丸お目目なのですから・・・
さて時間も来たようですので、
今日はこれで終わりにしますが、
次回以降、
日本女性の総茶髪が日本社会に与える影響を考えて行きたいと思っています。
私は女性の茶髪については、
『それは価値観の問題!!』
と言う一言では済ませたくないのです!!!
【Natural Woman Beautiful Woman 韓国旅行印象記】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835396&tid=a5qa1bca5ha5ja1bca4o4z9qbfm&sid=1835396&mid=202#under-deli
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835396&tid=a5qa1bca5ha5ja1bca4o4z9qbfm&sid=1835396&mid=208
これは メッセージ 626 yuniko99 さんに対する返信です
Natural Woman Beautiful Woman 2009/ 5/16 13:19
tsumiさんへ
私は、私の掲示板「哲学フォーラムを哲学教育」に戻りました。
そこでも「Natural Woman Beautiful Woman」シリーズを続けています。
もし興味が向いた時にはどうぞお越し下さい。
尤もこの話題では無く、
哲学、philosophia,知恵(sophia)を愛する(philo)事については更に大歓迎です。
哲学、すなわち知恵を愛する事については、
全ての民族、全ての地域を超えて、
一つに成る事が出来るのですから・・・
【Naturall Woman Beautiful Woman】(哲学フォーラムと哲学教育)掲示板 http://post.messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=627&n=1
これは メッセージ 211 korea_japan_bridge さんに対する返信です
『日本人女性の茶髪を考える』拝啓 皆様へ 2009/ 5/17 12:36
『日本人女性の茶髪を考える』
拝啓 皆様へ
私は何度か韓国や中国に行った事があります。
そこで何時も私が思うのは、日本人女性の茶髪の問題です。
勿論、韓国や中国にも日本の影響を受けて茶髪の方はいますが、基本は自然な黒髪です。
日本においても、10年ほど前までは、一部のおしゃれと言われる人たちが茶髪ではありましたが、基本は黒髪でした。
所がある時期を境に、日本人女性の全てが茶髪に変ってしまいました。
そして現在に至っています。
この「日本人女性のほとんどの人が茶髪である」と言う事について、
哲学的に、心理学的、社会学的に、民俗学的に、風俗学的に、
そして教育学的に語り合ってみませんか。
なお、併せて「女性の眉のお化粧の仕方」についても、語り合いましょう。
今回の問題を討論するに当って、
私が認識している事実は次の通りです。
① 日本においても10年ほど前までは、自然な黒髪であったが、ある時期を境に一斉に茶髪に変ったと言う事。
② 眉のお化粧の仕方についても、何時の頃からかは分からないが、劇的に変って来たと言う事。
ア 眉を全て剃り落とし、新たに描きなおす。(細眉、吊り上げ眉、半分眉等々)
イ 剃りによって眉を変える。(細眉、半分眉等々)
ウ 剃りと描きを半分半分使う。(一部を剃り、一部を描く)
③ 中国や韓国においては、基本的には自然な黒髪、自然な眉である事。
④ 私がある日、髪と眉だけに着目して、街で観察した所、自然な髪でかつ自然な眉の女性は百人に一人も居なかったと言う事。(女子高校生以下は除く)
⑤ 女子高校生は校則で禁止されているので、皆黒髪であるが、卒業と同時に皆茶髪に変って行くと言う事。
⑥ 女子高校生は、皆黒髪であるが、眉を剃っている者(眉を細くする)は相当数いると言う事。
⑦ 女子中学生以下は、皆、自然な黒髪、自然な眉であると言う事。(韓国、中国の女性は、この自然な黒髪、自然な眉を基調にお化粧をしていると言う事。眉の太い女性もいるが、とても生き生きと見えると言う事。)
⑧ 韓国や中国の女性のお化粧はとても自然で、私にはとても美しく、そして幼く見えると言う事。それに比べて、日本人女性のそれは、私には薄汚く見えると言う事。この事は、日本を出て、外国から日本を見なければ分からない事実であると言う事。
⑨ ほとんどの日本人女性が茶髪である事は、とても異様であると言う事。この事は、日本を出て、外国から日本を見なければ分からないと言う事。
⑩ 日本女性の総茶髪化と女子高校生のミニスカート化とは何らかの相関関係があるように思われると言う事。
⑪ 日本女性の総茶髪化により、日本の恋愛観に変化が生じて来た様に思えると言う事。(自然な黒髪、自然な眉の当時、日本女性はとても自然で美しく幼く見えて大切にしたいと言う自然な感情が湧き出ていたが、茶髪、描いた眉等々、その人工物を見た時、男性はそれを物として扱う危険性が出て来たと言う事。)
⑫ 日本女性の総茶髪化とポルノの激化には相関関係があるように思えると言う事。
⑬ 日本女性の総茶髪化により、子供の教育環境に変化が生じて来た様に思えると言う事。(私は黒髪なのに、どうしてお母さんは茶髪なの。黒髪は悪い事なの。高校を卒業したみんなと同じ茶髪になるわ。これで私も立派なレディの仲間入りね。)
⑭ 日本女性の総茶髪化により、日本人の自然観に、変化が生じて来た様に思えると言う事。(屋敷犬。犬に服を着せる等々。)
※ 2000字を超えたので「『日本人女性の茶髪を考える』皆様へNO2」に続きます。
これは メッセージ 627 sophialover007 さんに対する返信です
『日本人女性の茶髪を考える』皆様へNO2 2009/ 5/17 12:39
※ 「『日本人女性の茶髪を考える』拝啓皆様へ」からの続きです。
拝啓 皆様へ
上記認識は私の偏見かもしれません。
しかし、「日本人女性の大半が茶髪である」と言う事については、大きな問題が潜んでいるように思えます。
日本にずっと居ると、女性がみんな茶髪であっても、それほど違和感を覚えないと思いますが、海外旅行から帰って、その事に着目するととても異様なのです。
自分をいったん日本から引き離して、この問題を検討してみて下さい。
韓国は今とてもお手軽です。
週末に足を伸ばして、この事を確認して見てください。
「目からうろこ」です。
私には「日本女性の総茶髪化」には、二つの大きな問題があると思います。
一つは、女性が自らの美しき自然を隠し、自らを人工物に変えると言う事です。
ここに女性のどの様な心理が働いているのか、それは皆様で分析して頂きたいと思います。
二つ目は、男性が人工物は愛せないと言う事です。
自然を愛するのは男性の自然な感情です。
しかしそれが人工物であれば、男性はそれを物として扱うと言うと言う事になってしまうのです。
この二つにより、どんな問題が生じるか、
皆様には良くお分かりになると思います。
恋愛観、家庭観、教育観、自然観等々、
様々なシーンで劇的な変化が生じて来るのです。
しかし日本人にはその事が分かっていないのです。
「井の中の蛙」です。
日本女性を昔の様に、
自然な黒髪、自然な眉に戻して御覧なさい。
男性は女性を愛しく可愛く大切に思い、
女性はそれを自然に受け入れます。
その結果はどうなるのでしょう。
両性の尊重と人間愛の復活です。
『Natural Woman Beautiful Woman』
自然な女性こそ美しき女性
この合言葉の下に、黒髪回帰運動を今日から始めましょう!!
自然へ帰れ
これは メッセージ 632 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 『日本人女性の茶髪を考える』皆様へN 2009/ 5/20 0:15
fumtさん、kamenohonshinさん、japanさん、miraizou nihonさんへ
返信有難うございました。
kamenohonshinさんは流行の問題だと言います。
私に言わせれば、それはもう流行の域を超えていると思います。
fumtさんは価値観の問題だと言います。
確かに価値観の問題ではありますが、それは個人個人の価値観の域を超え、全体主義的な価値観に成っていると思います。
japanさんとmiraizou nihonさんの考え方には共鳴します。
茶髪、それは、ある時期までは、体制への反発の象徴でした。
kamenohonshinさんは、嘗てはそう言う存在であったとの事。
それはそれで、何時の時代にも在り得た事です。
私が今問題にしているのは、日本人女性の全てが茶髪化していると言う事です。
この女性の総茶髪化は徐々に進行して来ていますので、大概の日本人はもうその事に気を留めようともしません。
私もその一人でしたが、数年前韓国に旅行に行った時、その事を愕然と知ったのです。
それから日韓の文化比較に興味を持つようになったのです。
精神性、その事から言えば、韓国の人が日本の人よりもずっとしっかりしている。
私は男性であるので、女性に関してその比較が容易に分かるのです。
男性に関しては、もっと深く観察をしなければ、その事は容易に言えませんが、女性に関しては、韓国の女性の方が日本の女性よりも精神性が高いと思います。
韓国の女性が日本の女性よりも精神性が高い理由として、今私が考えられるのは次の三つです。
一つは宗教性。
二つ目は、韓国が未だに臨戦態勢に在ると言う事。
三つ目は、家族制度が未だしっかりしていると言う事です。
日本女性と韓国女性の比較が最も簡単に出来るのは女子高校生です。
韓国の女子高校生は全く色気がありません。
全くのノーメークです。
日本の女子中学生のように、街の中ではしゃぎ回っています。
子供の部類です。
何故高校生になっても、このように無邪気のままでいれるのか。
それが上に挙げた三つ、すなわち、宗教と国家と家族です。
この三つによって、韓国の女子高校生は守られているのです。
見方によっては縛られていると言う人がいるかも知れませんが、私に言わせればこの三つによって、しっかり守られているのです。
先ず、宗教ですが、韓国の人々は、儒教とキリスト教によってしっかり守られているのです。
釜山からソウルまで新幹線(KTX)がありますが、これに乗って外を眺めていて御覧なさい。
如何に教会の多い事か。
多分日本のお寺よりもずっと多いと思います。
この教会は、日本のお寺のように葬式だけのものではありません。
私はソウルに行った時は、明洞大聖堂のミサに出ます。(クリスチャンではなく観光客として)
午後6から1時間半くらい。
何百人と言う人が祈りを捧げます。
その中に若い女性も一杯います。
これだけで、韓国人女性の精神性、宗教性の高さが分かると思います。
次に儒教ですが、これについては、今回国立中央博物館に行って分かった事なのですが、朝鮮王朝においては、仏教を弾圧し、儒教を国家の教えとしたそうです。
ですので、ソウルの街を歩いてもほとんどお寺は無いのです。
儒教の教えは色々ありますが、こんな教えがあります。
「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」(孝経)
ついでにキリスト教の教え。
「婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。むしろ善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人に相応しいことです。」(新約聖書)
これらにより、韓国の女性は、自然な黒髪、自然な眉であり続けているのです。
勿論それは高い精神性の故です。
※ 2000字を超えたので「日本女性の茶髪を考える 皆様へ」へ続きます。
これは メッセージ 633 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 『日本人女性の茶髪を考える』皆様へNO2 2009/ 5/20 0:19
※ 2000字を超えたので「日本女性の茶髪を考える 皆様へ」からの続きです。
さて、次に国家の問題に移りましょう。
この父親のような国家により、韓国の女性はしっかり守られているのです。
先ず韓国の街、特に駅に行くと、軍服(迷彩服)の軍人の多い事。
たぶん帰省であり、帰隊だと思います。
韓国は国民皆兵なのです。
先ずはこの男たちによって、韓国の女性は守られているのです。
次に国家警察。
韓国の警察には予備警察とか義務警察と言うものもあるとか。
これについては詳しい事は調べてはいませんが・・・
今回の旅である意味では衝撃的な物見をしました。
明洞は、日本の渋谷の様な街、若者が雲霞の如く集まる街です。
(日本人女性の観光客も一杯います。一目で分かります)
ここで500人以上に機動隊が四筋に分かれて大捕り物をしていたのです。
多分反体制的な活動家の集会があり、それらの活動家をごぼう抜きにする大捕り物です。
活動家が見つかると、ある筋から機動隊が大声と共に押し寄せ、群衆の中からその活動家を引っ張り出して、護送車の中へ連れ込んでいくのです。
私が行った5月1日と2日両日に渡ってやっていました。
初日は何がなんだか分からす少し怖かったのであまり近くには近づきませんでしたが、二日目にそれこそそれら大捕り物が一望できる喫茶店に陣取ってその一部始終をみていました。(その喫茶店に何と日本人の多かった事か・・)
日本ではありえないこんな事が韓国ではあるのですね。
三番目に青瓦台。
青瓦台とは大統領府の事です。
この青瓦台の周りは公園風になっています。
その公園の周りに何とSPの多い事か。
頭脳明晰そうな若い私服のSPがあちこちに配置されています。
そして驚いた事に、変装したSPまでいるのです。
私がその公園を回って青瓦台を見物すると、三回も呼び止められました。
一回は笛を吹かれて・・。
本当にピリピリしています。
韓国の女性はこんな強い父親のような国家に守られているのです。
ここでは韓国の国家がどうこうとは言わない事にします。
ただ韓国の女性はこのような強い父親みたいな国家に守れられていると言う事を知って頂ければよいと思います。
次に家族制度。
今日はもう時間もありませんので、韓国家庭の母親の事だけに言及します。
韓国のお母さんは、結婚し、子供が生まれ、子供が乳児から幼児児童に変わる頃までには、ほとんどがパーマに変わって行きます。
これが韓国の母親のイニシエーションなのです。
これにより、立派なお母さんに成ると言う自覚が芽生えて行くのです。
さてもう時間が有りませんの、後は皆さんに考えて頂きたいと思うのですが、
宗教、国家、家族について、
韓国と日本どの様に考えますか。
皆さんもどうか週末韓国ソウルに行って見てください。
韓国の女性が如何に自然で美しいか、
その目が実証して呉れると思います。
そして日本に帰って、髪と眉に着目して、日本女性を見て御覧なさい。
私はこれまで何度も使っているその言葉が思わず口から出て来ると思います。
とにもかくにも、日本女性は不自然です。
その根源が何処にあるのか?
Re: 『日本人女性の茶髪を考える』皆様へN 2009/ 5/24 22:59
kamenohonshinさんへ
返信有難うございました。
kamenohonshinさんの仰る事は良く分かります。
しかし韓国女性の総茶髪化は有り得ないと思います。
私は今回、韓国と日本と比較しましたが、
日本と世界を比較しても同じ事です。
何処の国にも、若い女性のほとんどが髪を染めると言う事など有り得ないのです。
日本女性が高校卒業と同時に茶髪に染める、
これはやはり精神性の問題です。
日本人は付和雷同の民です。
今の日本人には芯になるものがないのです。
ここでまた韓国の事を持ち出しますが、
韓国には宗教があり、そして国家意識があります。
今の日本にはそんなものが全くない。
その象徴が、「女性の総茶髪化」なのです。
嘗ては大和魂とかそんなものがありましたが、
今は無くなりつつあります。
女性の総茶髪化がそれに拍車をかけています。
私は思うのです。
日本にも大和魂に代わる、
何か核になるものが必要だと。
私はそれが哲学だと言っているのです。
これは メッセージ 640 kamenohonshin さんに対する返信です
【日本人女性の茶髪を考える】 20.5.26
拝啓
朝日新聞社東京本社編集局 社会・教育・文化担当部長 殿
私は、よく韓国に観光に行きます。
ソウルと釜山ですが、合わせて8回ほど行っています。
韓国から日本に帰って来て、毎回思う事があります。
そして、最近富に、その印象が強くなって来ています。
それは、日本人女性の茶髪の事です。
韓国人の女性については、日本の影響を受けて、茶髪の人も居るには居ますが、少数です。
韓国人女性のお化粧の基本は、自然な黒髪、自然な眉、自然な肌です。
私には、韓国人女性が、とても自然で、そして美しく可憐に見えます。
それに引き換え日本人女性は、とても不自然で、薄汚く見えるのです。
尤もこの印象は、旅行から帰って来た後の二三日だけの事で、その後はそんな印象は薄れてしまいます。
私は今回、ゴールデンウィークの5月1日から7日まで、韓国ソウルに行って来ました。
そして、その時も、韓国女性の美しさ可憐さに惹かれました。
勿論、見た目だけの事です。
そして、韓国から日本に帰って来たその日、時間があったので、大きな駅の柱の陰に立って、改札口を出入りする女性の髪と眉だけに着目して、観察したのです。
また翌日も、人通りのよく見える喫茶店に陣取って、やはり髪と眉だけに着目して観察しました。
そこで私は愕然としました。
自然な黒髪で、かつ自然な眉の女性は、百人に一人も居ませんでした。(女子高校生以下は除く。)
自然な黒髪の人は、少しは居ましたが、ほとんどの人が眉を剃ったり描いたりしていま
した。
私はこの観察の中で、女性の眉の秘密も知りました。
私は最近、何かしら男性を威嚇する様な女性が増えて来たなと思っていましたが、それは、眉のお化粧の秘密だったのですね。
女性は眉を完全に剃り、描き直す事で、別人へと変貌しようとしているのですね。
眉を完全に剃り、描き直すと言う化粧は、日本人女性には多く見受けられますが、韓国人女性においては皆無です。
さて、また日本人女性の茶髪に帰りましょう。
ある時期までは、茶髪は一部の女性だけでしたが、ある時期を境に日本人女性のほとんどの人が茶髪に変りました。
そして、その現状は今も続いています。
私には、「日本人女性のほとんどが茶髪である」と言うこの事については、単なる流行、単なる個人の価値観と言う域を超えた、何か大きな問題が潜んでいるように思えるのです。
ついては、この「日本人女性のほとんどが茶髪である」と言う問題(日本人女性の総茶髪化)について、哲学的、心理学的、社会学的、教育学的、民族学的、風俗学的に徹底的に分析し、国民にこの問題について、考える機会を与えて頂ければとても嬉しく思います。
編集については、次の様な方法ではどうでしょうか。
1 先ず担当者を決め、彼を2泊3日で韓国ソウルに派遣します。
そして、女性の髪と眉と肌のお化粧だけに着目させて観察させ、レポートを作成させます。
余裕があれば、服装も観察させます。
観察箇所は、国鉄ソウル駅や地下鉄明洞駅の改札口や、明洞の街角等とします。
なお、担当者は男性記者とします。女性記者は、自らが茶髪であり、眉を剃り描き、厚い肌色のお化粧をしているので、純粋にその観察を行う事が出来ないと思うからです。
2 その担当者が日本に帰って来た日及び翌日に渡って、1と同じ方法で観察させ、レポートを作成させます。
観察箇所は、JR東京駅や地下鉄渋谷駅の改札口や、渋谷の街角等とします。
明洞は若者の街で、東京の渋谷に匹敵します。
3 担当者に茶髪の変遷を調べさせます。
茶髪が始めに現れた時期。女性が一斉に茶髪に変った時期、これについては、大都会と地方では少し時間差があるように思えますがその辺りまで。茶髪に関する商品の変遷。茶髪に関する市場規模の変遷。写真・映像等での茶髪の変遷の事実確認等々。
4 担当者に眉のお化粧の変遷を調べさせます。
普通の女性が眉に剃りを入れ始めた時期。普通の女性が眉を完全に剃り落とし描き始めるようになった時期。写真・映像等での変遷の事実確認等々。
5 担当者に肌の化粧法方法の変遷を調べさせます。
ファンデーションの変遷、写真・映像等での変遷の事実確認等々。
6 担当者に茶髪の変遷と国民意識、社会的事件、教育環境、家庭環境、マスコミ環境、恋愛観、男性観、女性観、家庭観、自然観、性風俗等々の変遷とその相関関係を調べさせる。
7 担当者に20歳の日本人女性の100人の顔写真と20歳の韓国人女性の100人の顔写真のアルバムを作成させる。(これは出来たらの話。内部におけるイメージ作りの為に使用する。これにより韓国人女性の自然な美しさと日本人女性の不自然な醜さが強烈な印象として浮かび上がる。)
8 担当者に1から7の資料を基に、総合レポートを作成させる。
9 8の総合レポートを参考にして、
「日本人女性のほとんどが茶髪である」と言う問題(日本人女性の総茶髪化)につて、哲学者、心理学者、社会学者、教育学者、民俗学者、風俗学者等々から意見を頂く。
なお、必ず、茶髪擁護派と黒髪賛美派に分かれるので、それぞれの派閥から、意見を頂くものとする。
10 心理学面については、乳児心理学、幼児心理学、児童心理学、女子中学生心理学、女子高校生心理学、女性心理学、男性心理学、犯罪心理学等々、様々な分野から分析して頂く。
① 乳児・・私のお母さんは茶髪
② 幼児・・私は黒髪なのに、どうしてお母さんは茶髪なの?
③ 児童・・あれ!大人の女性はどうして皆茶髪なの?大人に成ると自然に茶髪になるのかしら?
④ 女子中学生・・茶髪がレディなのね!
⑤ 女子高校生・・男の子は黒髪って野暮ったいと思っているのかしら?
⑥ 高校卒業時の女性・・みんなが茶髪に変って行く!私も早く茶髪にしなくちゃ!みんなに仲間はずれにされちゃう!
⑦ 海外通の男性・・何故日本人女性はこんなにも薄汚いのかね。自然な髪、自然な眉、自然は肌に帰れば、嘗て世界中から愛された、可憐で愛くるしい大和撫子に成れるのにね。それにしても日本人女性は不自然!!
⑧ 西洋人・・・・・何故日本人女性は茶髪にするのでしょうね?西洋人に成りたいと思っているのかしら?
11 1から10を基に、「日本人女性のほとんどが茶髪である」と言う問題(日本人女性の総茶髪化)について、意識調査やアンケート調査を行う。
12 1から11を基に、「日本人女性のほとんどが茶髪である」と言う問題(日本人女性の総茶髪化)について、連載記事を全国版に掲載する。
13 連載記事を単行本として、発刊する。
以下は私の所見です。
「日本人女性のほとんどが茶髪である」と言う問題(日本人の総茶髪化)に関する連載記事は、日本国内に大きな反響を呼び起こします。
そして、連載記事が終わる頃から、日本人女性の黒髪への回帰が急速に起こります。
半年後には、日本人女性の半分が、自然な髪、自然な眉、そして自然な肌に帰っていきます。
そして、その傾向は以後ずっと継続する事になるのです。
この連載記事により、
日本人女性は自らが『裸の王様』であった事に気付き、そして恥じ入るのです。
日本人男性の誰も、日本人女性に面と向かって、
「自然な黒髪を薄汚い茶髪に変えて、それで美しいと思っているの?」と言わないからです。
私は掲示板でこの問題について議論しました。
ほとんどの人は、それは個人の価値観の問題、流行の問題と言う事で片付けてしまいました。
しかし少数ではありますが、それは日本人のアイデンティティに係る問題だと言う人もいました。
私は、それに組します。
自然な黒髪を茶髪に変える。
それは自然に悖る行為です。
それは黒髪と言う自然を、茶髪と言う人工に替えようとする事です。
一種の自然破壊です。
自然破壊が何を齎して来たか?
この自然破壊は心身両面に深く関わり合っています。
この自然破壊は日本人の心をも破壊しようとしているのです。
茶髪の変遷と日本人の心の破壊は符合するが如く相関関係を示しているのです。
性風俗、ポルノの過激化、テレビ番組の俗悪化
男性観、女性観、恋愛観、家庭観等の劇的変化、
誰も気付いていませんが、
日本人の心は荒らされ続けられているのです。
自然こそ、最高の価値観です。
私たちは人工物には尊厳は見出せないのです。
海外に出た事のない日本人に、
日本人女性のほとんどが茶髪である事をどう思いますかと聞いたら、
99パーセントの人が、それは「個人の価値観の問題」と答えます。
日本人は知らず知らずの内に、日本人の心を見失っているのです。
例え、自然な黒髪の方が素晴らしいと内心思っていても、
もうその様に外に向かって面と言う事が、出来なくなっているのです。
何故なら、比較対象がないからです。(韓国女性と比較したら一目なのに・・・)
「女性の茶髪」に関しては、もう日本国内での「自然浄化作用」を失っているのです。
日本の良心、良識である「朝日新聞社」様、
どうぞこの問題を等閑にせず、
真正面から取り組んで頂きたいと思います。
「美しき日本」の再生の為に!
なお、私が問題にしているのは、一部の女性が茶髪になると言う事ではなく、
日本人女性の全ての人が、「右向け右で」茶髪に成って行くと言う事です。
これは高校卒業と同時に一瞬にして行われます。
私はここに民族的危機があると言っているのです。
心理学的、社会学的、教育学的、民族学的、風俗学的手法を用いて、哲学的に考察した時、そこに現代日本の病巣が明らかになると思うのです。
『自然に帰れ』
ルソーの言葉です。
この言葉をキーワードに連載をしたらどうでしょう。
その先に、日本人の美しい魂が見出せたら、連載は成功です。
そのスタートが、日本人女性の黒髪への回帰です。
『Natural Woman Beautiful Woman』
先ずは美しき日本の基礎の基礎である日本人女性が自然に帰る事です。
ここから美しき日本の再生が始まるのです。
敬具
哲学哲男こと橋元隆志
平成21年5月26日
鹿児島県西之表市西之表6387-27
追伸
「身体髪膚、之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。」(孝経)
「何故、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。ましてあなたがたにはなおさらのことではないか。信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」(新約聖書)
「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てと言う朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前で価値があるのです。」(新約聖書)
韓国ソウルに派遣された男性記者が、帰国と同時に、息急いて言います。
「何故、韓国人女性は、あのように自然で美しいのですか?」
私がお答えします。
それは宗教心の精ですよと。
韓国の人々は、儒教とキリスト教が融合した高い宗教心を持っているのです。
KR(韓国国鉄)に乗って郊外へと向かって御覧なさい。
何と教会の多い事か。
日本の小学校区にお寺が5つあるのだとすれば、
韓国のそこには10の教会があると言った具合です。
日本のお寺は葬式だけのものですが、
韓国の教会には少なくとも週1回のミサがあります。
私は韓国ソウルに行った時は、必ず明洞大聖堂のミサに出ます。(観光客として)
そのミサには老若男女一杯です。
とりわけ若い女性が多く、とても華やかな感じです。
次に儒教。
多分ソウルの街を歩いてもお寺にはほとんど出合えないとないと思います。
朝鮮王朝は仏教を弾圧し、儒教をその教えの中心に置いたのです。
この儒教の教えは朝鮮王朝、それから日本統治時代、そして現代と、
途切れる事無く、脈々と韓国の人々の中に息づいているのです。
この儒教とキリスト教がミックスして、韓国の人々は高い宗教心、精神性を保持しているのです。
だから、韓国では、日本のように「右ならへ右」で一斉に茶髪に変る事など有り得ないのです。
一人一人が自らの価値観により、お化粧をする事になるのです。
勿論そのバックボーンにあるのは、前出の儒教やキリスト教の言葉たちと言う事になるのです。
ここで韓国の性風俗の事を述べて置きます。
韓国ソウルには飲食街はありますが、歓楽街はありません。
ここで言う歓楽街とはバー、スナック、ソープ、ヘルス、ストリップなど、
職業女性が男性を相手にサービスを提供する店が立ち並んでいる街と規定しておきましょう。
それから、パチンコ店、ゲームセンター、カラオケ等々もほとんどありません。
韓国ソウル夜の街、その基本は友達同士で飲み合う場です。
それからポルノに関してですが、日活ロマンポルノ時代よりも未だその前の時代と言っていいのではないでしょうか。
日本のように女性を性の商品として扱う事は、少なくとも表向きは無いのです。
韓国女性が如何に性風俗から守られているか、
それは女子高校生を見れば一目瞭然です。
彼女たちは全くのノーメークです。
そして、この言葉は、褒め言葉か、貶し言葉か、分かれる所ですが、
私から言わせれば、最大の褒め言葉となるのですが、
彼女たちには全く色気がありません。
無邪気そのものです。
それは日本の女子中学生みたいなものです。
明洞の街を、女友達同士で、本当に元気よく、はしゃぎまわっています。
その溌剌さが、眩しい位です。
それから女性の事でもう一つ、お母さんの事について述べておきましょう。
韓国の女性は子供が生まれお母さんに成ると、パーマになっていきます。
これは韓国社会の一種のイニシエーションです。
「立派なお母さんに成る!」
「もう男の手櫛は通させない」
こんな家庭環境の中で、子供たちは育っているのです。
それからもう一つ男性の事について、
この事は社会体制に関わる事ですので、
価値判断は全くいたしませんが、
しかし韓国の人々の高い精神性に関わる事ですので、
一言だけ触れて置きます。
それは韓国が「国民皆兵」だと言う事です。
さて日本、
日本は宗教心の無い国家です。
この宗教心の無い国家で、そのアイデンティティを保持させ続けて来たものは、一体何だったのでしょう。
その答えは、『型』です。
最も象徴的な型が、「日本男児」であり「大和撫子」です。
勿論、この型は目に見えるものではありあませんが、
私たちに日本人の心の奥底で息づいていたのです。
日本人女性が茶髪になるまでは。
しかし、日本人女性の全てが茶髪に成る事で、
この「大和撫子」の『型』が完全に崩れてしまったのです。
大和撫子の『型』とは、自然な髪、自然な眉、自然な肌、
そして日本と言う自然風土に裏づけされた、自然な日本人女性の心の事です。
「茶髪になる」
それは自然な自分、本当の自分を捨てて、
別な者になる。若しくは成りたいと言う事を意味しています。
それは自らのアイデンティティを捨てて、他にアイデンティティを求めると言う事です。
それが日本人女性に一斉に起こったのです。
それの意味する所が何か。
お分かりになると思います。
日本人女性は、「大和撫子」、すなわち自然な日本女性を捨てて、
何か新しい女性を求めているのです。
「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」
日本人女性は求めても求められないものを求めているのです。
それは若い女性だけでなく、ヤングママも、オールドママも、そしておばあちゃんも
そして、世の全ての子供、そして男たちが、それに付き合わされているのです。
その結果が、日本人女性のほとんどが茶髪になってから今日までの日本の流れです。
この流れを変えない限り、
日本には明るい未来はないのです。
本当の自分を愛せないのに、
どうして隣人を愛せると言うのでしょう。
先ずは本当の自分と真摯に向き合う事です。
その為にも、黒髪への回帰が必要なのです。
その為にも、日本人女性全員が、自らの茶髪の事を真剣に考えなければいけないのです。
その為にも、今回の連載企画を実現させなければならないのです。
この連載により、日本は劇的に変わるのです。
それは何故か。
それは女性が自らを哲学する事を学ぶからに他なりません。
哲学とは、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事。
それは本当の自分自身を愛する事。
その本質は、『汝自身を知れ』
今回の連載企画により、女性が自らを知る事を学ぶようになるのです。
その結果、現在の日本女性のように「右ならへ右」の女性ではなく、
自らを知る女性となるのです。
自らを知る女性とは如何なる女性か?
それは前出の新約聖書のような女性に成る事。
再掲すると
「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てと言う朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前で価値があるのです。」
この様な女性に教えられて成るのではなく、
自らにおいて、自らを知り、そのようになるのです。
勿論日本はキリスト教国家ではありませんから、
「神の御前」は別な言葉に置き換えれば良いのです。
ここから新しい日本が始まるのです。
そのきっかけは、貴社の連載企画「日本人女性の茶髪を考える」と言う事になるのです。
この「日本人女性の茶髪を考える」と言う連載企画は、
日本中に大反響を巻き起こします。
何故なら、そのスタートにおいて、
日本人女性の全てを敵に回す事になるのですから。
そして、最後に日本人女性に感謝される事になるのか、
最後まで猛反発を食らって連載企画を終わるのか、
それは貴社の編集次第と言う事になります。
そしてそれはどちらでも良い事なのですよね。
新聞社は世論操作をする機関ではない訳ですから。
尤も不買運動が起こったら困るんでしょうけれどね。
とにかく大反響覚悟で連載に突入して下さい。
貴社が日本の良心良識であると自認するのなら・・・
※1 この書簡については、朝日新聞社東京本社編集局社会・教育・文化担当編集部長、毎日新聞社東京本社編集局社会・教育・文化担当編集部長、読売新聞社東京本社編集局社会・教育・文化担当編集部長宛と言う事でそれぞれに送っています。
もし、貴社が独占連載をしたいと言うのなら、他の2社にその旨を申し入れてその様にして貰っても結構ですし、3社それぞれで連載して貰っても結構です。
この書簡に関する著作権及び今回の企画に関する企画権、その他この書面に関する全ての権利を、3社それぞれに付与いたしますので、どうぞ自由勝手にお使い下さい。
なお、今回の書簡は、思いついたまま書いていますので、事実を調査の上、よりグレードアップした形で、連載を実現させて頂ければ、とても嬉しく思います。
※2 この連載企画「日本人女性の茶髪を考える」の本当の目的は、日本国民一人一人が、「茶髪」と言う身近な問題を通して、「自らを考え、自らを知り、自らを愛する」と言う事にあります。
格好いい言葉で言えば、日本国民に哲学の機会を与えると言う事になります。
なお、ここで言う哲学とは、『philosophia(知恵を愛する事)』=『汝自身を知れ』と言う事です。
※3 日本国民は、宗教心の無い国民です。
この国民が世界に誇れる国民と成る為に必要な事は、国民一人一人が哲学的な国 民に成る事だと思います。(嘗てのギリシアのように)
私はその為に、『哲学国家 日本』を提唱し、その実現手段として、『哲学一貫教育』や『哲学フォーラム』を提唱しています。
機会があったら、貴社にも提唱したいと思っています。
なお、「哲学一貫教育と哲学フォーラム」に関しては、文部科学省初等中等教育局長、高等教育局長、生涯学習政策局長及び内閣官房教育再生室長宛には、既に提唱しています。
※4 哲学一貫教育とは、小学校、中学校、高校、大学、公民館に渡って、哲学教育を一貫して行うと言うものです。
哲学フォーラムとは、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学対話室を設置し、地域や世代を超えた哲学対話の場を提供すると言うものです。
なお、ここで言う哲学とは、『philosophia(知恵を愛する事)』=『汝自身を知れ』と言う概念であり、本当の自分自身を知ると言う事です。
本当の自分自身を知るとは、両親や家庭や地域や国家や友情や学校や仕事や恋愛 や真善美と言う概念やその他世界の全てのものを、自分のものとして知ると言う事です。
その為に、哲学一貫教育では、読書、思索、作文の場を提供し、哲学フォーラムでは、対話(や実践の)の場を提供するのです。
※5 高校卒業と同時に、女性が一斉に茶髪になる。
これこそが、日本国民が哲学していない事の証左です。
韓国国民が何故その様な愚かな行動を取らないか、
それは儒教とキリスト教の教えがあるからです。
日本国民は無宗教、
彼らを動かすのは世間であり、マスコミです。
今回の連載企画「女性の茶髪を考える」で、
国民一人一人に自らの事を考えて貰う事にします。
もしそれに成功したら、
次は『哲学国家 日本』への試みです。
「哲学国家 日本」とは、哲学による新たな国創りの事です。
「哲学国家 日本」とは、日本国民の一人一人が哲学者、
すなわち、「自ら考え、自らを知り、自らを愛する」様な国民に成る事です。
「自らを愛する」とは、自らが如何に素晴らしい存在であるかを知る事です。
私は思います。
日本国民、特に若者は、世界で一番愚かな若者だと。
渡航経験の豊富な人には、その事が良く分かります。
しかし日本を出た事が無い者には、その事が分からないのです。
井の中の蛙です。
貴社には渡航経験法豊富な方が一杯いると思いますので、
その様な視点から、
先ずは、今回の連載企画「日本人女性の茶髪を考える」を成功させて下さい。
そして、次のシリーズは、『哲学国家 日本』です。
新聞社は、世論操作はしてはいけないのかも知れませんが、
オピニオンリーダーとして活動する事には、誰も異を唱えない筈です。
「哲学一貫教育」は目からうろこです。
嘗て、ギリシア国民は哲学の民と呼ばれていましたが、
この「哲学一貫教育」により、
今度は、日本国民が哲学の民と呼ばれる事になるのです。
無宗教の日本は、哲学で国を興すしか方法がないのです。
今の日本には何も明るい未来がないのです。
明るい未来とは何か。
それは国民一人一人が生き生きとした社会。
その為に必要な事、
それは国民一人一人が、
自らが如何に素晴らしい存在であるかを知り、
その事を知る事により、他人もまた素晴らしい存在である事を知り、
その事を知る事により、
その連合体である、
地域や国家や地球や世界が如何にかけがえのない社会であるかを知る事です。
その為に必要な事は、
『汝自身を知れ』しかないのです。
汝自身とは、考える貴方の事であり、
その貴方が考える地球や世界、その他諸々の事なのです。
そしてその中心にあるのが『知恵』
哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。
その意味が分かったでしょうか?
この知恵の連帯による国創り、
それが『哲学国家 日本』です。
『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 5/28 23:53
yunikoさんへ
返信有難うございました。
yunikoさんの茶髪に関する考え方と
私の茶髪に関する考え方の根底は同じです。
「都会人が病んでるんじゃない? 日本人も病んでるなあ」
私もその様に思います。
私はこの病んだ日本と建て直す為に、
『哲学国家 日本』と言う概念を打ち立てます。
『哲学国家 日本』とは、哲学による国創りの事です。
『哲学国家 日本』の最終目標は、
日本国民の全てが哲学者に成る事ですが、
それは最終理想と言う事で置いとくとして、
当面の目標は、
日本国民の半数が哲学者に成る事を目指します。
なお、『哲学国家 日本』で言う所の哲学とは、
philosophia、知恵を愛する事です。
ですから、哲学者とは、知恵を愛する者と言う事になります。
『哲学国家 日本』とは、
日本国民の一人一人が、哲学者(知恵を愛する者)に成る事によって、
実現して行く国家の事です。
何も難しい事はありませんよね。
と言うより当たり前の事ですよね。
当たり前の事が当たり前に成る。
その事によって、『哲学国家 日本』は樹立されて行くのです。
なお、yunikoさんはもう、『哲学国家 日本』の立派な一員です。
『哲学国家 日本』の一員として、『哲学国家 日本』の樹立にご協力下さい。
miraizou nihonnさんへ
miraizou nihonnさんは、私の言う『哲学』の概念を最も良く理解して下さっている方だと思います。
『哲学国家 日本』の樹立にご協力下さい。
minamino mannnosoさんへ
minamino mannnosoさんは、私の本質を最初に鋭く見抜かれた方ですよね。
『哲学国家 日本』にご意見を下さい。
kamenohonshinさんへ
返信有難うございました。
kamenohonshinさんは私の言う「哲学」が分からないとの事。
これらから対話を続けて行きましょう。
きっと分かる様に成る筈です。
なお、哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。
知恵とは、kamenohonshinさんの心の中に存在する、
素晴らしい存在の事を言います。
fumtさんへ
fumtさんは素晴らしい論客です。
『哲学国家 日本』の議論に是非ご参加下さい。
fumtさんが参加して頂ければ、
きっと引き締まった議論が展開されて行く事に成ると思います。
皆様へ
『哲学国家 日本』とは、皆様お一人お一人が
哲学者(知恵を愛する者)に成る事によって、
実現して行く国家の事です。
皆様は知恵を愛する者ではないのですか?
是非ご参加を!!
これは メッセージ 641 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/ 1 0:43
>『哲学国家 日本』とは、哲学による国創りの事です。
『哲学国家 日本』の最終目標は、
日本国民の全てが哲学者に成る事ですが、
それは最終理想と言う事で置いとくとして、
当面の目標は、
日本国民の半数が哲学者に成る事を目指します。<
哲学国家とは、国民が自ら考え、判断し、実践する国家であると私は考えます。そのために、知恵を愛すること、すなわち、他者の知恵を尊重し、かつ自身の知恵を信じることが必要になるのではないでしょうか。他者の知恵を尊重するためには、謙虚に学ぶことが不可欠ですし、そのような基礎が有って、初めて自身の知恵を信じることができるのだと思います。
これを実現するための課題は哲学など無用だと考える人達を如何に目覚めさせるかにあるのではないか。そのためには、日本女性の茶髪は良くない、心の内面が滲み出る自然な黒髪が良いのだと言うよりも、付和雷同で茶髪にしてるのであっても個性を拾い上げた方が効果的ではないかと私は思う。
これはsophiaさんとは反対の主張なのだけれども、哲学の捉え方が違うのでしょうか。sophiaさんは韓国の女性は美しい黒髪を肯定し、その理由の一つは家族や社会において守られているからだとしていましたよね。だが、哲学を自ら考え、判断し、実践するものと捉えると、その主体は個人であって、家族や社会に守られていることは個人が主体となる妨げになり、哲学にはむしろマイナスになるように考えられるのですが、どうなのでしょう。
これは メッセージ 651 sophialover007 にさん対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/ 2 23:01
fumtさんへ
返信有難うございました
「哲学国家とは、国民が自ら考え、判断し、実践する国家であると私は考えます。そのために、知恵を愛すること、すなわち、他者の知恵を尊重し、かつ自身の知恵を信じることが必要になるのではないでしょうか。他者の知恵を尊重するためには、謙虚に学ぶことが不可欠ですし、そのような基礎が有って、初めて自身の知恵を信じることができるのだと思います。」
私の提唱する哲学国家をこれほど的確に表現して下さって本当に有難うございます。
この概念に加えるものも無ければ、
この概念から差し引くものもありません。
正にこの概念こそが、
私の提唱する哲学国家です。
「これを実現するための課題は哲学など無用だと考える人達を如何に目覚めさせるかにあるのではないか。」
正にその通りだと思います。
その為に、いかなる方法があるのか、
一緒に考えて頂ければとても嬉しく思います。
「そのためには、日本女性の茶髪は良くない、心の内面が滲み出る自然な黒髪が良いのだと言うよりも、付和雷同で茶髪にしてるのであっても個性を拾い上げた方が効果的ではないかと私は思う。」
確かに本当に哲学国家を実現させようとするのであれば、
fumtさんの仰る事の方が、
より実際的でより実効的なのかも知れませんが、
私はそれには組しません。
やはり哲学者は理想を掲げる者ではなくては成らないと思います。
そして自らの信ずる道を歩かなければ成らないと思います。
fumtさんはこう仰っています。
『心の内面から滲み出る自然な黒髪が良い』と
この表現は私の表現ではありません。
fumtさん自身の言葉です。
私はここでfumtさんにお聞きしたいのですが、
fumtさんは本当に日本人女性の茶髪は良いと思っているのですか。
ここからは私の推論です。
日本人女性の大半が茶髪である以上、
茶髪が良くないと言っても始まらないではないか。
これが日本の潮流です。
そしてこの潮流の中で、
日本はどんどん悪い方向に進んでいるのです。
何が良くて何が悪いのか
その事については今回が議論しない事にしましよう。
ここでは私の価値判断だけを述べて置きます。
その価値判断とは『自然』です。
茶髪は自然に反しています。
それが日本の潮流です。
そしてその象徴が「日本人女性の茶髪」です。
母なる自然の象徴としての女性が、
自らの意志により、
自然に悖る行為を続けているのです。
こんな日本にどんな未来があると言うのでしょう。
私ははっきり言って置きましょう。
メディアに翻弄され続けられる日本しか有り得ないと
この日本を哲学国家へと舵を切る為には、
哲学者が自らの良心に従って、
この世に対して、
声高らかに叫ばなければ成らないのです。
哲学者は決してこの世に迎合してはならないのです。
私は「哲学フォーラム」を提唱しています。
それは日本のあちこちから
日本の良心の声が上がる事を期待しての事です。
自らの良心を声高らかに叫ぶ場所、
そしてそれを心ある哲学者たちと共有する場所、
それが「哲学フォーラム」なのです。
しかしそうは言っても「哲学フォーラム」は立ち上がりそうもありません。
そこで相談なのですが、
どうでしょう。
『哲学国家 日本』(月刊誌)を創刊しようではありませんか。
この月刊誌は同人誌であると共に、書店の店頭に並ぶ月刊誌とします。
この『哲学国家 日本』(月刊誌)において、
哲学者は自らの良心を声高らかに謳い上げます。
それはこれまで有り得なかった雑誌です。
この『哲学国家 日本』(月刊誌)は日本に大反響を巻き起こします。
それは正に日本を半分に割るような喧騒です。
すなわち哲学者と反哲学者に。
勿論ここで言う哲学者とは、知恵を愛する者の謂いです。
ここで私が言うのは僭越なのですが、
yunikoさん、miraizou nihonさん、そしてfumtさんは、
私の言う所の哲学者(知恵を愛する者)です。
fumtさんはとても教養の高い方です。
友達も多いと思います。
どうか『哲学国家 日本』(月刊誌)を話題にしてみて下さい。
そして皆様の反応をうかがって下さい・・・
これは メッセージ 654 fumt007 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/ 2 23:43
yunikoさんへ
返信有難うございました。
yunikoさんは
私の言う所の哲学者です。
すなわち知恵を愛する者であり、
真善美を求める者です。
yunikoさんの真善美を求める姿はとても美しく思います。
真善美を求める方法には二つあると思います。
一つは自らの経験により、真善美に入って行く方法であり、
もう一つは過去の聖人賢人哲人たちの言葉に学ぶ方法です。
yunikoさんは自らの経験により、
自らの真善美に深く入られた方だと思います。
更に自らの内奥深くに存在する真善美に突入する為には、
やはり過去の聖人賢人哲人たちの言葉に学ぶ必要があると思います。
「マタイ福音書」でも良いし
「論語」でも良いと思います。
その中の言葉から受けた感銘を、
声高らかに謳って下さい。
それが「哲学国家 日本」を実現させて行くのです。
私の中の論語のお気に入りの言葉です。
「子の曰く、学んで思わざればすなわち罔(くら)し。思うて学ばざればすなわち殆(あやう)し」
私は思います。
「マタイ福音書」「論語」を理解する必要はないと思います。
その中の一つの言葉、あるいは二つの言葉、あるいは三つの言葉
あるいは十の言葉、あるいは百の言葉を理解して、
自らのものにして行けば良いと思います。
これは メッセージ 653 yuniko99 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/ 4 0:01
fumtさんへ
返信有難うございました
今日はもう時間がありませんので
一言だけ
「個性」の問題について
個性とは何でしょう
それは自分自身を知る事です。
その為に何が必要なのでしょう
「哲学」です
すなわち知恵を愛する事
本当の自分自身を知り
その自分を愛する事
ここから個性が輝きだすのです
個性とは外面を飾る事ではないのです。
私が引用した聖書の言葉がありましたよね。
時間がありませんので
引いては来ませんが
「内面を飾る」
これこそが哲学
ここから個性が輝きだす
もし「個性」を尊重する教育と言うのなら
「哲学教育」しか有り得ないのです
『哲学教育』と『哲学国家』
もう少し突っ込んで議論してみませんか
なお、明日からまた少し留守にします。
もし宜しければ、
その間に
哲学教育とは何、哲学国家とは何
そしてその実現性はあるのか
そんな事を考えて下さればとても嬉しく思います
これは メッセージ 657 fumt007 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/23 21:01
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「右の手のしていることを左の手に知らせるな」
「地の塩たれ」
「人はパンのみに生きるに在らず」
「汝の敵を愛せよ」
どれもこれも素敵な言葉ですよね。
マタイ福音書を基に対話をしていきましょう。
上記四つの中の言葉の内、
今日は「人はパンのみに生きるに在らず」を取り上げたいと思います。
私の持っている日本聖書協会の聖書では、
「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」とあります。
『神の口から出る一つ一つん言葉で生きる』とは一体どう言う事なのでしょう。
yunikoさんの考えをお聞かせ下さい。
これは メッセージ 662 yuniko99 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/23 21:42
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございます。
「大賛成ですよ、とにかく早く第一歩を踏み出すことが求められているような気がしますね。
踏み出すことにより、新たなる知恵、夢、希望は生まれます。
何かの壁にぶつかるほどに、新たな知恵は生まれます、それを信じることが哲学教育の基本となると思います。
兎に角今は、一歩を踏み出すべき時 という考えは、主さんに賛成です。」
miraizou nihonnさんほど、私の言う所の哲学教育を理解して下さる人はいません。
いつも有難うございます。
やはり、哲学教育の第一歩は、哲学フォーラム(哲学対話室)だと思います。
お金が要りませんから。
また、哲学フォーラム(哲学対話室)の実現に向けてチャレンジしてみたいと思います。
これは メッセージ 659 miraizou_nihonn さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 6/30 23:48
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
この解釈については、yunikoさんの言う通りだと思いますが、もう少し具体的に検討していきましょう。
ここでは、「一つ一つの言葉で生きる」と書かれています。
と言う事であれば、一つ一つの言葉を聞いて、それによって生きる訳です。
その一つ一つの言葉は何処から発せられるのでしょう。
yunikoさんの解釈だと、心、魂、精神となるのではないかと思います。
それを言い換えると、
「心から発せられる言葉で生きる」
「魂から発せられる言葉で生きる」
「精神から発せられる言葉で生きる」と成ります。
その通りなのですが、やはり少し曖昧です。
私はそれを
「知恵から発せられる言葉で生きる」と言う風に言い換えます。
または「知恵によって生きる」と
そうすれば、そこに
私と知恵との丁々発止の対話が連想される事になります。
知恵こそが神の口であり、
神の口から発せられる言葉なのです。
私と知恵
それは私たちの心もしくは魂もしくは精神の中に存在する
『我と汝』なのです。
私たちの心の中に知恵を見出した時
私と知恵との悦楽に満ちた対話が続く事になるのです。
私の「哲学一貫教育」そして「哲学フォーラム」の目的は、
国民一人一人に、
この知恵の存在を気付かせて上げる事にあるのです。
yunikoさんはこの知恵の存在を知っていますよね。
この知恵は良知、良心とも呼ばれますし、
また聖霊、デーモン、アートマン等々も呼ばれます。
「所変われば名も変る」です。
この見解について、yunikoさんのお考えをお聞かせ下さい。
それからmiraizou nihonnさんとfumtさんも宜しければお聞かせ下さい。
少し質問を変えます。
yuniko、miraizou nihonn、fumtさんたちは、
自らの思考状態に恍惚に成った事はありませんか。
もう少し質問を変えると
何故自分がこの様な思考が出来るのかと驚いた事はありませんか。
それを比喩として、「神の言葉」とか「知恵」とか「聖霊」とかと呼んでいるのです
それらは脳内生理でも説明できるのかも知れませんが、
しかしその様な状態に成る為には、
自ら本当に善いと思う事に専心しなければならないのです。
そしてその向かう先に、『神』が存在品しなければならないのです。
ここで言う神は比喩です。
その人が想像する最高最善の存在の事です。
しかし現代人は神と言う言葉にアレルギーがあるので、もう想定する事が出来ません。
そこで私は、哲学=philosophia=知恵を愛すると言う概念を生み出しているのです。
ここで言う知恵には、神と言う概念と神の言葉と言う概念があります。
知恵を愛する事によって、知恵(の言葉)を得るのです。
その効果は、キリスト教と一緒です。
キリスト教においては、聖書を使用しますが、
私の言う哲学教育及び哲学フォーラムにおいては、
古今東西の名著の中の名文中の名文を使用します。
その効果は同じです。
キリスト教ではクリスチャン(イエスキリストを愛する者)を育てますが、
哲学教育では哲学者(知恵を愛する者)を育てます
キリストと知恵は同じ意味です
イエスキリストとは、イエスと言う現人(あらひと)と成った知恵(聖霊、神)の事です。
キリスト教では、現人神がお手本ですので、とても感化力があるのです。
やれば私にでも出来る。
クリスチャンはイエスキリストに倣う者とも呼ばれます。
イエスキリストを信じる事が出来ないのなら、
知恵を信じましょう・・・
大いなる秩序の体系を
これは メッセージ 665 yuniko99 さんに対する返信です
拝啓 茂木健一郎先生へ(クオリア日記掲示板) 2009/07/09 23:59:45
クオリア・マニフェスト、読ませて頂きました。
とても素敵な宣言ですね。
そしてこの宣言により、茂木先生は、クオリアに大事に育てて貰いましたね。
しかしあれから10年、マニフェストに関する考えも大分変って来たと思います。
未だ脳内生理学で、クオリアを説明しようと考えているのですか?
クオリア、とても素敵な概念を見付けましたね。
クオリアを愛する事によって、クオリアにこの上なく愛されましたね。
所変われば、名も変る。
この日本において、クオリアと言う概念を普及させた事は、茂木先生の大きな功績です。
何故なら、このクオリアの言う概念は、古今東西の聖人賢人哲人たちが、口を揃えてそれを愛するように言い続けて来たものだからです。
クオリア、それを最も簡単な言葉で言い表せば“知恵”です。
知恵を愛せば、知恵もまた愛す。
これが哲学です。
この哲学が如何に快楽に満ちているか、茂木先生はもう理解していますよね。
知恵、それを別な言葉で言い表せば聖霊です。
これはキリスト教で使われる言葉ですよね。
それから、「主よ」とか「私の神よ」とか言う呼び掛けは、ユダヤ教、キリスト教に共通なものですが、この創始者はダビデです。
ダビデの詩篇を読んで御覧なさい。
ダビデが如何に知恵を神として崇めているかを。
知恵は、貴方の友とも成り、師とも成り、そして神とも成るのです。
貴方は、志向性が大事だとも言っていました、そこに由縁があるのですよ。
ストア派の代表格であるマルクス・アウレリウスは、それを“内なる自然”と呼んでいますよ。
「自省録」を読んで御覧なさい。
それからダビデの子であるソロモンは、そのものずばり“知恵”と言う言葉を使って、その意義を私たちに畳み掛けてきます。
旧約聖書「箴言」を読みなさい。特にその第8章を。
古代インド哲学のアートマンも知恵です。
近世で知恵の熱情の神に囚われたのは、王陽明です。
伝習録を読みなさい。
王陽明は、知恵の事を“良知”と呼んでいます。
それからルソーを突き動かしたのも知恵です。
エミールの「サヴォワ助任司祭の信仰告白」を読みなさい。
彼はそれを“良心”と読んでいます。
知恵とは、貴方の神です。
その神を脳内生理学で極め尽くそうと言うのですか。
仕組みは簡単です。
それは貴方の受精の時から今日までの感覚の総和です。
感覚は言として蓄えられます。
ここで言う感覚とは意識された感覚だけではありません。
意識されなかった感覚も全て含みます。
試しに貴方の部屋の何処かに目をやってください。
貴方は多分それを言葉にしないと思います。
しかし貴方の脳はそれを一瞬の内に、貴方のそれまでの使用可能の言葉によって、貴方の脳に蓄積するのです。
もう一度その目を遣った所に目を返して見なさい。
そして、それを、時間を掛けて言葉に翻訳して御覧なさい。
1時間ないし2時間ないし3時間をかけて・・
天地創造で必ず混沌の時が現れますよね。
あれは何時の時代なのでしょうか?
真夏の正午夏の海
その空の青さを更に青くするのは、貴方の知恵と言う神
夕焼け小焼けの赤とんぼ
その赤を更に赤くするのは、貴方の知恵と言う神
ここに芸術がある
もう脳内生理学は止めましょう。
それよりも、真の哲学教育で行きましょう。
私はその為に『哲学一貫教育』を提唱しています。
この『哲学一貫教育』により、日本は「哲学国家」へと変貌して行きます。
それは革命と言って良い位に。
認識革命ではなく、哲学革命で行きましょう。
知恵と愛と勇気の人々よ、『哲学革命』に大同団結せよ!
※ 次回において、『哲学一貫教育』の事を説明します。
私は今、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方にこの『哲学一貫教育』を提唱しているのです。
人は経験以上に出る事は出来ません。
もしこの経験の中に、イエス、ダビデ、ソロモン、ソクラテス、プラトン、エピクロス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウス、デカルト、ルソー、ゲーテ、トルストイ、孔子、老子、王陽明、聖徳太子、西郷隆盛、釈迦等々、百人千人万人の知恵の言葉があったらどうなるのでしょう。
彼らは必ず知恵を愛する人々になります。
これが哲学一貫教育の大原則です。
「読書」「思索」「作文」「対話」(そして「実践」)
これが哲学一貫教育のメソッドです。
もし宜しければメールを下さい。
古今東西の聖人賢人哲人偉人たちが、如何に知恵を愛したか、研究しましよう。
それから茂木先生の回りの人々とも、この話題について話してみてください。
そこに一つの志向性が見出されるのかも知れません。
それを基に一つの脳内生理学のモデルが見出せるかも知れませんよ。
何故ならそこに人類の普遍があるからです。
ホモサピエンスよりホモソフィアへ
神様は神代の時代より、早く知恵を愛する者になりなさいと
口を酸っぱくして言い続けているのですから・・・・
拝啓 茂木健一郎先生へ(クオリア日記掲示板) 2009/07/11 0:09:24
昨日のコメント、承認・公開有難うございました。
今日は、哲学の奥義に入って行きたいと思います。
なお、ここで言う哲学とは、philosophia、知恵を愛する事です。
哲学には、二つの概念があります。
一つは文献哲学です。
旧帝国大学系の文学部哲学科で行われている哲学の事です。
もう一つは、philosophia、知恵を愛する事です。
これは、国民一人一人の為の哲学です。
私の言う哲学は、この哲学の事です。
この事を先ず、頭の中に叩き込んで置いて頂きたいと思います。
哲学の奥義については、昨日さわりを述べました。
それは、古今東西の聖人賢人哲人偉人たちと言われる人々は、皆、知恵を愛する者だったと言う事でした。
もし、この一節で、哲学の奥義を理解する事が出来れば、茂木先生は本当の賢者です。
さて、茂木先生はどちらでしょうか。
「私たちは、様々な感覚を通して世の中を認識している。夏の朝の庭に出て空を見上げれば、黒みがかった青の広がりが目の中に飛び込んでくる。葉の上についた露を見れば、その丸い形や、表面のつやつやとした光沢が認識される。露に指を当てれば、ひんやりとした感覚が伝わってくる。葉に鼻を近づけると、青臭ささを感じる。そして、あなたは、先ほどから雀がちゅんちゅんと鳴いていたことに気が付く・・・このような感覚の持つ性質は、「クオリア」(qualia)と呼ばれてきた。」
このクオリアも知恵なのですよ。
もし、これを気付きと捉えたらの事ですがね。
茂木先生の言われるクオリアとは、全ての感覚の事ではなく、新たな気付きとしての感覚の事ですよね。
今まで見慣れた世界が新たな様相を呈する。
そんな気付きの感覚をクオリアと呼んでいるのですよね。
それであれば、それは知恵です。
知恵に気付き、知恵を愛す。
この連関の中から素晴らしい世界が創出されて行くのです。
それは一般的に言われている哲学の世界だけ無く、芸術、科学全ての分野においてそうです。
と言うよりも、一挙手一投足が、全て知恵と成り得るのです。
私は古今東西の聖人賢人哲人偉人たちが、どの様に知恵を愛したかを研究しています。
イエス、ダビデ、ソロモン、エピクロス、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、ルソー、孔子、老子、王陽明、釈迦等については、彼らがどの様に知恵を愛したか、その文脈の中で伝える事が出来ます。
ソロモンのそれを挙げてみましようか。
少し長くなりますが、旧約聖書「箴言」の第8章を全部書き写します。
知恵が呼びかけ、英知が声をあげているではないか。
高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち、城門の傍ら、町の入り口、城門の通路で呼ばわっている。
「人よ、
貴方たちに向かって、私は呼びかける。
人の子らに向かって、私は声をあげる。
浅はかな者は熟慮する事を覚え、愚かな者は反省する事を覚えよ。
聞け、私は指導者として語る。
私は唇を開き、公平について述べ、私の口は誠を唱える。
私の唇は背信を忌むべき事とし、私の口の言葉は全て正しく、邪な事も曲がった事も含んでいない。
理解力がある人には、それが全て正しいと分かる。
知識到達した人には、それが全て真っ直ぐであると分かる。
銀よりもむしろ私の諭しを受け入れ、精選された金よりも知識を受け入れよ。
知恵は真珠にまさり、どの様な財宝も比べる事は出来ない。
私は知恵。
熟慮と共に住まい、知識と慎重さを備えている。
主を畏れる事は、悪を憎む事。
傲慢、驕り、悪の道、暴言を吐く口を、私は憎む。
私は勧告し、成功させる。
私は見分ける力であり、威力を持つ。
私によって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める。
君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、私によって治める。
私を愛する人を私も愛し、私を捜し求める人は私を見出す。
私のもとには富と名誉があり、すぐれた財産と慈善もある。
私の与える実りは、どの様な金、純金にもまさり、私の齎す収穫は精錬された銀にもまさる。
慈善の道を私は歩き、正義の道を私は進む。
私を愛する人は嗣業を得る。
私は彼らの倉を満たす。
主は、その道の初めに私を造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
永遠の昔、私は祝別されていた。
大初、大地に先立って。
私は生み出されていた。
深淵の水の漲る源も、未だ存在しない時。
山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、
私は生み出されていた。
大地も野も、地上の最初の塵も未だ造られていなかった。
私はそこにいた。
主が天をその位置に備え、深淵の面に輪を描いて境界とされた時、
主が上から雲に力を持たせ、深淵の源に勢いを与えられた時、
この原始の海に境界を定め、水が岸を越えない様にし、大地の基を定められた時。
御もとにあって、私は巧みな者となり、
日々、主を楽しませる者となって、
絶えず主の御前で楽を奏し、
主の造られたこの地上の人々と共に、楽を奏し、人の子らと共に楽しむ。
さて、子らよ、私に聞き従え。
私の道を守る者は、いかに幸いな事か。
諭しに従って、知恵を得よ。
なおざりにしてはならない。
私に聞き従う者は、日々、私の扉をうかがい、戸口の柱を見守る者はいかに幸いな事か。
私を見出す者は命を見出し、主に喜び迎えていただく事が出来る。
私も見失う者は魂を損ない、私を憎む者は死を愛する者。」
ソロモンの知恵も知恵
そして茂木先生のクオリアも知恵。
要は、知恵を何処に置き、そしてその知恵をどれだけ愛するかと言う事に尽きる。
ソロモンは、知恵を神と同等に置いた。
そして深く愛した。
茂木先生は、知恵をちょっとした感覚に気付きに置いた。
そしてそれをお手軽に愛した。
それだけに違いです。
茂木先生の知恵はこの世に受け入れられたが、
ソロモンの知恵をこの世に受け入れられる事はない。
何故なら、この世がソロモンの知恵を知らないから。
昨日述べた、『哲学一貫教育』では、このソロモンの知恵だけでなく、それこそ古今東西の知恵を学ぶ。
彼らはソロモンの知恵も当然理解できる。
それが、『哲学一貫教育』が完成した後の、日本の社会である。
茂木先生は、勿論、ソロモンの知恵を理解出来ますよね。
ソロモンの知恵は遠い昔のユダヤの世界にあるのではない。
今の貴方のその中にこそあるのだ。
イエスも孔子も老子もそして釈迦の知恵も。
しかし学ばなければその世界は無縁。
「学びて時に習う、また楽しからずや」
※ 脳内生理学でその仕組みは解明する事は出来ますが、決して知恵の言葉は理解する事は出来ないのです。
知恵の言葉はいったん記憶されなければならない。
しかし記憶された言葉は、
今度は新たな「知恵の言」を生み出すのである。
ここに知恵の奥義がある。
哲学=philosophia=知恵を愛する事について、一緒に考えてみませんか。
敬具
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 7/12 13:23
yunikoさんへ
返信有難うございました。
そして「公民館哲学」への応援有難うございます。
「公民館哲学」、是非実現させましょう。
私は今、その下地づくりを行っています。
私はまた、国立大学教員養成学部哲学担当の先生方に「哲学フォーラムと哲学教育」と言う提唱文を送ったのです。
これにより、私は二人の先生方から、趣旨には賛同すると言った旨のお返事を頂いています。
この提唱文については、後日全文掲載しますが、
哲学一貫教育(①小中高哲学一貫教育、②大学及び公民館における哲学教育、③大学教育学部における徹底した哲学教育、④哲学読本大全の作成、⑤哲学フォーラム)を提唱した後、更に実現可能な大学、高校及び公民館における哲学フォーラムの展開を提唱しています。
哲学フォーラム及び哲学教育の中心となるのは、やはり国立大学教育学部の哲学担当の先生方です。
教育学部の先生方は、学校教育の先生方だけでなく、社会教育の先生方も教育しているからです。
『子供に教えても社会になければ子供は馬鹿を見るだけです』
そうです。
哲学教育は、一生涯に渡ってその機会を提供しなければならないのです。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学(知恵を愛する)の機会を提供する教育の事なのです。
しかしそうは言っても、哲学一貫教育はあまりにも壮大すぎる。
であれば、その実現可能な哲学フォーラムから始めよう。
そして、その中でも最も実現可能なものが、公民館における哲学フォーラム、yunikoさんが名付けて呉れた「公民館哲学」なのです。
「公民館哲学」、是非、実現させましょう。
公民館には色々あります。
中央公民館、地域公民館、校区公民館、部落(集落)公民館等々です。
これら全てに、哲学フォーラムが出来れば、それこそ、日本は哲学国家です。
最終の理想形としては、そうあって欲しいものです。
しかし今、私が目指しているのは、地域公民館への哲学フォーラムの設置です。
地域公民館とは、数校の中学校地区を対象とする公民館の事です。
県庁所在地であれば、5から10館位あるのでしょう。
合併前の町村であれば、中央公民館がそれに該当します。
以上が私が今考えている「公民館への哲学フォーラムの設置」、すなわち「公民館哲学」です。
是非、この「公民館哲学」を実現させましょう。
この「公民館哲学」の鍵を握っているのが、国立大学教育学部の哲学担当の先生方です。
先ずは、都道府県所在地の中央公民館に哲学フォーラムを設置しましよう。
設置方法は次の通りです。
① 国立大学教育学部哲学担当の先生を中心に、哲学に詳しい方を講師として、半期(25週、25回)の哲学講座(公民館自主講座)を開催してもらいます。
② 哲学講座卒業生を中心に、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者十数名で、哲学フォーラム○○市中央公民館(自主活動グループ)を組織し、公民館に届出を行った上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の研修室等を借りて、哲学フォーラムを開催するものとします。
以上です。
とても簡単でしょう。
私は私の都道府県で、yunikoさんの都道府県で、実現を目指して、一緒に頑張りましょう。
なお、「公民館哲学」(公民館の哲学フォーラム)の在り方について、これから一緒に検討して行きましよう
私とyunikoさんの『公民館哲学』の為に!!
これは メッセージ 670 yuniko99 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 7/23 23:59
fushioooさんへ
はじめまして
今日は時間がありませんので、手短にお答えしたいと思います。
哲学には、二つの概念があると思います。
一つは文献哲学です。
「デカンショデカンショで日が暮れた♪」と歌われた様に、
デカルト、カント、ショウペンハウワーと言った哲学者の文献を研究する哲学の事です。
もう一つは、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)すると言う概念です。
これは新約聖書の主要概念でもあります。
天の国の喩えです。
「天の国は次のように喩えられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのままに隠しておき、喜びならが帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」
「また、天の国は次のように喩えられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つみつけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
この喩えが分かりますか。
分かれば全てを投げ捨てても、知恵を買い求める筈です。
なお、この事は、miraizou nihonnさんが良く理解しています。
私と知恵と神、
この三位一体に哲学の神秘があるのです。
知恵とは神の言を翻訳して呉れる貴方の師なのです。
今日は時間がありませんの、端折っていますが、哲学(知恵を愛する事)について、対話を重ねて行きましょう。
哲学(知恵を愛する事)の楽しさは、実感しなければ理解する事が出来ないのです。
なお、私一人が言えば、嘘っぽくなりますので、私とfushioooさんとmiraizou nihonnさんの三人で対話を進めて行きましょう。
と言う事で、miraizou nihonnさん、どうか協力お願いいたします。
追って、私は来週の月曜日まで留守にします。
追伸
知恵とは本当の自分自身の事です。
自分自身を信じられなければ、貴方はこの世に何の基盤も無い事になります。
この世の根無し草です。
無知とは何でしょう。
この知恵の存在を知らない事です・・・
もう一つ。
確かにこの知恵から湧き出たものに間違いがあるかも知れません。
それを修正する為、古今東西の哲学者(知恵を愛した者)の言葉から学ばなければならないのです。
古今東西の哲学者たちの言葉は、貴方の知恵を裏付けして呉れるものとなるのです。
「学びて思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」
※ その他の質問については、来週お答えしたいと思います。
これは メッセージ 672 fushiooo さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 7/28 0:06
fumtさんへ
返信有難うございました。
「『神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と言った場合、神は絶対的に正しいはずです。キリスト教を信じる限り。だが、我々の知恵は違う。錯誤に満ちるのが常であり、ときには悪意も混ざる。」
確かにfumtさんの言う通りかも知れませんが、これからの対話を実り多いものにする為に前提を整理して置きましょう。
第一は、キリスト教をどの様に考えているかです。
すなわち、キリストの教えと考えているか、それともキリスト教会の教えと考えているかです。
もしキリスト教会の教えと考えているのならば、私たちはキリスト教について、対話を進めて行く事は出来ません。
何故なら、私はキリスト教会の教義を何も知らないからです。
もしキリストの教えの事だと解すれば、私たちはキリスト教について、対話を進め行く事が出来ます。
何故なら、キリストの教えは、「新約聖書」と言う一冊の本の中に集約されているのですから。
第二は、「知恵」と言う言葉です。
確かに知恵と言う言葉は色々の使われ方をします。
悪知恵もその中の一つです。
しかし今、私たちが話題としている知恵は、
哲学、philosophia、知恵を愛すると言う時の知恵です。
哲学は真善美を求める事だとも言います。
であれば、哲学、philosophia、知恵を愛するとは、真善美を愛すると言う事にもなるのではないでしょうか。
少なくとも、私の哲学、知恵を愛すると言う概念はそうです。
ここで、私とfumtさんの概念が一致しなければ、これからの対話も歯車の噛み合わないものとなるでしょう。
今回は、fumtさんに一歩引いて貰い、哲学=philosophia=知恵を愛する事=真善美を愛し求める事だと解して貰う事にしましよう。
さて、ここで命題に帰ります。
『神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
これはどう言う意味でしょう。
真善美に満ちた言葉で生きると言う事になるのではないでしょうか。
その真善美に満ちた言葉は何処から生まれて来るのでしょう。
自らの中からではないのでしょうか。
真善美を求め、本を読み、賢人と対話を重ね、沈思黙考瞑想し、時には実践を重ね、その結果生まれてくる言葉なのではないでしょうか。
少なくとも、その言葉が生まれて来た時は、その人に取って最高最善の言葉となるのです。
勿論、その人がキリストの教えに帰依していたならば、その言葉はイエスの教えに反する事は有り得ません。
所で、イエスは新約聖書で私たちに何と言っているのでしょう。
私たちの一挙手一投足を縛っているのでしょうか。
いいえ!
イエスが言っているのは、集約すれば次の言葉だけです。
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主を愛しなさい』
これが最も重要な第一の掟である。
第二もこれと同じように重要な掟である。
『隣人を自分のように愛しなさい』
貴方の神である主とは貴方の知恵の事です。
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の知恵を愛しなさい』
そうすれば、知恵は真善美に溢れた言葉を貴方に下す事になるのです。
勿論、その言葉の中には、隣人を愛しなさいと言う命令が内在している事になるのです。
これが、『神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と言う事になるのです。
イエスは聖書の中であれをしなさい、これをしなさい。あれをしては駄目、これをしては駄目とか、一々言ってはいないのです。
ただ、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の知恵を愛しなさい』と言っているだけなのです。
貴方の知恵を貴方の神である主にまで持ち上げる事が出来れば、貴方は立派な宗教の創始者にも成れる事が出来るのです。
要は、貴方の知恵を何処まで信じる事が出来るようになるかと言う事です。
自らの知恵を信じる事が出来ないようであれば、何時まで経ってもこの世の流人と言う事に成ってしまうのです。
※ 真善美とは何でしょう。
「意志と表象」と言う言葉を聞いた事があると思います。
意志とは善を求める事であり、美とはその表象である。
善と美は一卵性双生児。
アポロンとアルミテス。
それでは真とは何か?
これは メッセージ 668 fumt007 さんに対する返信です
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ 2009/ 7/28 23:39
fushiooさんへ
返信有難うございました。
今日は先ず、最初のレスで質問された次の事についてお答えしたいと思います。
「哲学教育」でもっとも教えたい真理とはどのようなことでしょうか。
哲学には二つの概念があります。
一つは文献哲学です。
もう一つは、philosophia、知恵を愛する事です。
私の提唱している哲学一貫教育の目的は、国民一人一人が知恵を愛するようになる事です。
国民一人一人が、知恵を愛するようになれば、日本が真善美に溢れた国家になります。
「哲学国家 日本」、それが私の理想なのです。
哲学、知恵を愛するとは、人間に隠された本能です。
この本能に目覚めれれば、人は知恵を愛さずにはおかなくなります。
しかしこの本能は、この世に隠されたままです。
哲学一貫教育では、この本能をこの世に目覚めさせてあげるのです。
その方法は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「実践」と言う事になります。
なお、実践は個々人の意志に関わる事ですので、哲学一貫教育では、「読書」「思索」「作文」「対話」までをその対象とします。
「読書」においては、古今東西の哲学者(知恵を愛した者)の名著の中の名文中の名文をふんだんに与えます。
この名文を基に、「思索」「作文」「対話」を進めて行くのです。
もしここまで進む事が出来れば、日本に哲学的土壌が生まれる事に成り、後は、加速度的に日本は哲学国家への道を歩む事になるのです。
哲学とは、知恵を愛する事。
それをもっと分かり易く言えば、真善美を求める事。
現在の日本に真善美を求めると言う風潮はありません。
現在の日本に在るのは、否定が懐疑です。
それでは日本には明るい未来は無いのです。
「真善美を求める」、とても素敵な事です。
しかし今の日本でそんな事を言えば、日本人の半分の人が声高にこう答えます。
「真善美とは何か?」または「真善美などと言うものは無いのだよ!」
これが現在の日本です。
悪魔に取り憑かれている。
エクソシスト払い、それが哲学一貫教育なのです。
何故、このような事が起こるのか。
それは科学信仰の為です。
彼らに取っては、絶対的な真善美でなければならないのです。
絶対的な真善美などと言うものは無いのです。
真善美は相対的なものであり、そしてあくまでも個人的なものなのです。
より真善美に近付く、それが哲学なのです。
プラトンの対話編を読んで御覧なさい。
ソクラテスが真善美を断定したでしょうか。
その結末は、今日はここまでにして置きましょう、では無かったのでしょうか。
近現代哲学の弊害、
それは科学に負けまいとして、真善美を断定しようとする所にあります。
哲学は一人一人の為のものです。
そして一人一人にそれぞれの哲学があるのです。
私の哲学一貫教育は、小学校、中学校、高校、大学、そして一生涯に渡って哲学の機会を提供する事にあるのです。
もし日本人が今毎日テレビを3時間見ているのであれば、その内の半分、すなわち1時間30分を「読書」「思索」「作文」「対話」に充てて貰えば、日本は哲学国家への道をまっしぐらに進む事になります。
何故なら、もしその様な習慣が付けば、自由時間全てを哲学に充てる様になるからです。
それが私の言う「知恵を愛する事(哲学)」への本能なのです。
時間もありませんので、もう一つの質問にもお答えしておきます。
「哲学ってそんなに素晴らしいものなのでしょうか?」
哲学(知恵を愛する事)は素晴らしい事です。
哲学(知恵を愛する事)は、快楽に満ちているのです。
エピクロスの快楽主義と言うものを知っていますか。
知っていればその快楽です。
哲学(知恵を愛する事)がどんなに素晴らしい事か、
miraizou nihonnさん(『国と子供』)を訪ねて御覧なさい。
私よりも懇切丁寧に教えて呉れる筈です。
これは メッセージ 676 fushiooo さんに対する返信です
Re: 哲学について 2009/ 8/ 3 22:51
fushiooさんは、「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う事を未だ分かっていないようですね。
「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う概念を最も分かり易く説明しているのは、旧約聖書「箴言」の第8章です。
是非読んで下さい。
そして、この第8章を理解出来たらな、fushiooさんも「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う意味での哲学者と言う事になります。
もし理解する事が出来なければ、文献哲学者と言う事になります。
デカルト、カント、ショウペンハウワー(所謂デカンショ)や
プラトン、ソクラテス、アリストテレスの真善美の体系を絶対的な真善美の体系と思い込んでいるのでしょう。
彼らの真善美の体系は、彼らが行き着いた最後の結論です。
私たちはその真善美の体系の上に、更に自らの真善美の体系を打ち立てる事も出来るのです。
その為には、彼らが知恵を愛したように、私たちも知恵を愛さなければならないのです。
知恵とは何か。
それは貴方の神の事。
ここで神と言う言葉を使えば、
多分fushiooさんも日本人特有の、特に掲示板で不毛の神の論争をやっている人と同じ反応を示すと思いますが、
神とはそんな概念ではないのです。
神とは貴方の主の事です。
これらは全て比喩です。
貴方の神とは、貴方に取っての最高の真善美の体系の事であり、その源泉の事なのです。
貴方の神、貴方の主に真善美を求めれば真善美が下される。
立派な因果応報の法則ではありませんか。
勿論その土台は、古今東西の哲学者(知恵を愛した者)の言葉たちです。
fushiooさんと私の議論はいつまで立っても、平行線です。
何故なら、fushiooさんは知恵を愛すると言う事を知らないからです。
デカルト、カント、ショウペンハウワーの著書を読んで、それが哲学と思っているからです。
デカルト、カント、ショウペンハウワーたちから学ぶべき事は、彼らの著書の体系ではなく、彼らが知恵を愛した正にその現場なのです。
そして、その現場はそんなにはたくさんは無いのです。
デカルトで言えば、「我思う、故に我在り」のあの件です。
あそこで、私は、私と知恵と神との関係を知ったのです。
「聖典」「仏典」そして聖なる哲学書の比喩を知る為には、
先ずは知恵の事を知らなければならないのです。
何故なら、それらは全て知恵のオンパレードなのですから。
その為にも古今東西の哲学書の名文中の名文から学ばなければならないのです。
それが私の提唱する『哲学一貫教育』なのです。
古今東西の哲学書(知恵を愛するの書)の名文中の名文には言霊が乗り移っています。
その言霊をふんだんに与えてあげる事によって、その人に眠る言霊を呼び覚まして上げるのです。
全て比喩ですよ、比喩に議論を吹っかけても無駄ですよ。
「詩作を知ろうと思ったら、詩の国へ行かねばならぬ。
詩人を知ろうと思ったら、詩人の国へ行かねばならぬ。」
全ての聖なる書は詩であり、全て聖なる人は詩人である。
「文字は殺すが、霊は生かす。」
この世の知識をすっかり捨ててご覧なさい。
きっと、聖霊が貴方の為に踊りだしますよ・・
知恵とは何か、聖霊とは何か、貴方の神とは何か、貴方の主と何か、アートマンとは何か
そして貴方の良心とは何か、
貴方の心に聞いて御覧なさい・・
これは メッセージ 679 fushiooo さんに対する返信です
『哲学読本』について 2009/ 8/ 3 23:45
yunikoさんへ
返信有難うございました。
「知識の泉のような哲学の書を読めば、さぞかし愉しく意義深いだろうなと思います。」
今また、『哲学読本』の作成に向けて、関係機関に向けての提唱文を作成中です。
『哲学読本』とは、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
yunikoさんが倫理の教科書に掲載されていた名著の一文に共鳴されたような事を書いていましたよね。
『哲学読本』とは、あれの大々的なものです。
哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものとなります。
yunikoさんが感銘した古今東西の名著の中の名文中の名文を幾つか教えて頂ければとても嬉しいです。
私も一緒に感銘したいと思います。
これは メッセージ 673 yuniko99 さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/ 8/16 23:10
miraizou nihonnさんへ
返信有難うございました。
オバマ大統領は立派な哲学者だと思います。
ソクラテス、孔子、イエスそしてマザーテレサに通ずる哲学者だと思います。
私の提唱する哲学教育は、「読書」、「思索」、「作文」、「対話」までですが、
哲学は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「実践」で完結します。
ソクラテス、孔子、イエスそしてマザーテレサは、「読書」「思索」「作文」「対話」等々の学びにより、自らの真善美の体系を築き上げ、そして実践して行った人たちです。
オバマ大統領もその系譜です。
これまで、どの大統領が、核廃絶の宣言を出来たでしょうか。
彼は自らの道を進もうとしていますが、
茨の道です。
彼を応援してあげましょう。
オバマ大統領は2冊の本を現しています。
この本によって、オバマ大統領の哲学(知恵を愛する)の道を読み取る事が出来ます。
「わたしたちアメリカ人が信心深い国民であることに疑いの余地はない。
直近の調査によれば、アメリカ人の95パーセントは神を信じ、三分の二以上が教会に属し、32パーセントが献身的なキリスト教徒を名乗り、進化論を信じるより天使の存在を信じる人のほうがかなり多い。
信仰は礼拝の場所に限られたものではない。」
これがアメリカの現状だと言うのです。
そして
「深まりゆく宗教への傾倒――わたしにその動きを見抜く洞察力があるとしたら、それが自分の旅してきた道だからかもしれない。」
これがオバマ大統領の哲学(知恵を愛する)の道です。
しかし日本には宗教が無い。
だから日本には哲学が必要なのです。
「わたしたち日本人が哲学(知恵を愛する)の民である事に疑いの余地は無い。
直近の調査によれば、日本人の95パーセントが哲学(知恵を愛する事)を愛し、
三分の二以上が哲学フォーラムに属し、
32パーセントが自らを熱心な哲学者(知恵を愛する者)だと名乗っている。」
「哲学は限られた場所で行われるのではない。
一挙手一投足が哲学なのだ。」
この様な状況になってこそ、哲学的政治家が生まれて来るのです。
『哲学一貫教育』は、その為の方法なのです・・・
これは メッセージ 683 miraizou_nihonn さんに対する返信です
Re: 哲学について 2009/ 8/16 23:41
fushioooさんへ
返信有難うございました。
所で、fushioooさんは議論がしたいのですか、それとも対話をしたいのですか。
もし議論をしたいのなら、私はあまりしたくはありません。
何故なら、議論は優劣をつけずにはおかないからです。
もし対話をしたいのなら、私を理解して下さい。
その先に弁証が待っていますから。
私を踏み台にして、更に高く飛んで下さい。
尤も私もfushioooさんを踏み台にさせて貰いますけれどね・・
対話とは相互理解から生まれて来るのです。
私は前のメッセージで、
fushioooさんの心の中を覗いて見て下さい。
そうすればそこに知恵が見出せるかも知れませんよ、
と言うような事を言いましたが、
心の中を覗いて見ましたか、
多分覗いていないと思います。
尤も覗いても何も見えなかったかも知れません。
知恵とは真善美を求める時に降りて来るものです。
真善美と言うとあまりにも抽象過ぎて良く分からないと思います。
真善美を分かり易く呼び換えると、
夢、希望、理想等々と呼び換える事が出来ます。
理想を追い求めてご覧なさい。
そこに貴方の神が降りて来る。
「私は情熱の神である」
議論で勝とうなどと思わない事です。
オバマ大統領の、またはマザーテレサの理想を追い求める姿に学びなさい・・
これは メッセージ 682 fushiooo さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/ 8/16 23:50
fgnxsさんへ
はじめまして
私は哲学には二つの概念があると思います。
一つは文献哲学です。
もう一つは、philosophia、知恵を愛する事です。
私の哲学は、専ら後者です。
「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う概念について、
fgnxsさんはどの様に思いますか。
これは メッセージ 695 fgnxs416 さんに対する返信です 哲学フォーラムWEB試行 2009/10/ 5 23:28
拝啓 皆様へ
「哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。」
私は哲学フォーラムを提唱している者です。
哲学フォーラムとは、日本全国の小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学対話室を設置すると言うものです。
この哲学対話室において、古今東西の名著の中の名文を基に、様々な哲学テーマについて、老若男女が哲学的対話を交わす事になります。
私は何度か、関係筋に哲学フォーラムを提唱してきましたが、中々実現しそうにありません。
そこでと言っては何ですが、哲学フォーラムが実現するまで、このWEB上で、哲学フォーラムを試行したいと思います。
哲学フォーラムは、上記にも述べましたように、古今東西の名著の中の名文を基に哲学的対話を行う事が基本となります。
何故、古今東西の名著の中の名文を基に行うかと言うと、この哲学フォーラムが止揚を目的としているからです。
フリートーキングであれば、中々止揚する事がありません。
それは掲示板を見ても分かります。
ほとんどは、自分が正しいと主張するだけです。
それでは止揚は有り得ません。
止揚する為には、先ずは相手の主張を自分の中に取り入れなければなりません。
哲学的素養のある人々であればそれも可能ですが、普通の人々には中々難しいものです。
何故か。それは自分が上に立ちたいからに他ありません。
哲学フォーラムではその弊害を取り除く為に、古今東西の名著の中の名文中の名文を利用するのです。
古今東西の名著の中の名文中の名文であれば、誰も最初から異は唱えないでしょう。
そこが味噌なのです。
哲学フォーラムでは次の様に進めます。
先ずは、哲学フォーラムに参加する人は、その名文をそれぞれに読みます。
次に、哲学フォーラムに参加する人は、その名文について、自らの意見を陳述します。
二人居たら二人、三人居たら三人、四人居たら四人、五人居たら五人が、それぞれにその名文について、自らの意見を陳述します。
哲学フォーラムに参加する人が、皆、その意見に関する陳述を終えるまでは、その意見に対して批判を加えてはいけません。
なお、その人の意見を是として、その是の基に、自らの意見を陳述するのは構いません。
哲学フォーラムに参加する人が皆、その名文に対する自らの意見陳述を終えた後は、フリートーキングです。
そのフリートーキングは、皆さんがこれまで体験した事の無い様な素晴らしい対話をなります。
何故か。
それは名文中の名文の知恵が皆様に宿っているからに他ならないからです。
名文中の名文とは何を意味するのでしょうか。
それはそこに知恵が宿っていると言う事を意味しているのです。
先ずは、皆さんがその名文に真剣に向かう事により、その名文の知恵が皆様に乗り移る事になるのです。
ここから哲学フォーラムがスタートするのです。
私の提唱する哲学フォーラムにおいては、先ず哲学読本が必要となります。
この哲学読本には、古今東西の名著の中の名文中の名文が山の様に詰まっているのです。
その名文を基に、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして公民館でそれぞれのレベルで哲学対話が交わされる事になるのです。
この哲学読本には、何万、何十万と言う古今東西の名著の中の名文中の名文が詰まっているのです。(WEBサイトを利用する事になります)
日本全国の小学生、中学生、高校生、大学生、そして市民は、その中の一つの名文を取り出して、哲学対話を交わす事になるのです。
それは天国に至る花道の如く実に様々な花(対話)が咲き乱れる事になるのですが、しかしその真髄は一つなのです。
哲学フォーラムとは、日本国民みんながその一つを目指す旅なのです。
もしその一に辿り着いた人がいたらその人が先生となります。
前の人が後になりながら、後の人が前になりながら、日本国民みんなでその一を求める旅なのです。
さて、それでは前置きはこれ位にして、哲学フォーラムWEB試行の始まりです。
このWEB試行においては、哲学読本がありませんので、各自が名文を提供する事になります。
私が言い出しっぺですので、当分は私の方から名文の提供を行います。
なお、名文の分量は、起承転結がはっきり分かる4000字程度は必要なのですが、掲示板では文字制限もありますので、かなり短い文章になってしまいますが、それは仕方ないと諦めて下さい。
それでは、先ずダビデの知恵から始めましょう。
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵 2009/10/ 6 23:36
何故最初にダビデなのか。
それはダビデの知恵を知る事により、私たちはユダヤ教世界の知恵だけでなく、キリスト教世界の知恵やイスラム教世界の知恵も知る事が出来るからです。
ダビデは古代ユダヤ王国の初代の王です。
しかしそれは何も特筆すべき事ではありません。
何故なら、王国はこれまで数え切れないほど生まれ、そして滅んでいったからです。
現にユダヤ王国も滅びてしまいました。
では何故ダビデが偉大なのか。
それは詩篇と言う作品を残したからに他ありません。
私たちはダビデの詩篇を読みます。
そして思います。
これこそが真の知恵の愛し方だと。
その様にして、ダビデの知恵の愛し方が、ユダヤ教世界の知恵の愛し方のスタンダードとなり、そしてイエスを通じてキリスト教世界の知恵の愛し方のスタンダードとなり、更にはマホメットを通じてイスラム教世界の知恵の愛し方のスタンダードとなっていったのです。
ダビデは知恵を何と呼んだか。
「主よ」、もしくは「私の神よ」です。
それでは、早速詩篇に入っていきたいと思いますが、詩篇に入る前に少しだけ注意しておきます。
ダビデは古代ユダヤ王国の初代の王です。
初代の王に成るとは一体どういう意味があるのでしょう。
そうです。戦(いくさ)です。
戦で外敵を制圧していかなければなりません。
制圧後、今度は内なる敵も生まれてくるのです。
ダビデの詩には、この二つを素材にしたものが多くあります。
ダビデの詩を文字通り読むと、一歩も二歩も三歩も引いてしまいます。
「文字に殺されそうになります。」
ここで大事なのが「文字は殺すが、霊は生かす」と言う言葉です。
私たちは知恵で知恵を読み明かさなければならないのです。
詩篇の作者としてのダビデは、本当に生身の人間です。
イエスやブッダの様に伝聞上の人間ではないのです。
正に詩篇の作者としてのダビデがそこに居るのです。
正に生身の人間がそこに居るのです。
私たちと変わらない人間がそこに居るのです。
だからこそ、ダビデの詩篇は強く私たちの心に強く迫って来るのです。
3000年近い時を経て尚。
私たちは詩篇を通じて、3000年前のダビデと相対するのです。
彼は決して完璧に強い人間ではありません。
ある意味では弱音を吐き続けている人間なのかも知れません。
しかし人前では決して弱音を吐く事はありません。
彼が弱音を吐き続けた相手は、彼の内なる霊、彼の言葉で言えば、彼の主であり、彼の神です。
彼はその彼の内なる霊に対して全幅の信頼を寄せ、そして無垢であろうと努め、そしてその信頼を勝ち得ようとそれこそ一生懸命なのです。幼児の様に、健気に。
私たちはダビデの詩篇を読む時は、弱音を吐き続けるダビデではなく、その内なる霊に対して全幅の信頼を寄せ、無垢であろうと努め、そして幼児のように、健気にその信頼を勝ち得ようとするダビデの姿を読み取るべきなのです。
皆さんはもうお分かりだと思いますが、この内なる霊こそが、哲学philosophia、知恵を愛すると言う時の知恵の他ならないのです。
ダビデは知恵を神にまで高めたのです。
これほどの知恵の愛し方は無いのです。
ダビデの知恵の愛し方に比べれば、ソクラテスの知恵の愛し方は未だ甘いのです。
と言うよりも、ソクラテスはいつもその一歩まで、踏み止まっていたのです。
ダビデに倣うか、ソクラテスに倣うかによって、大きな二つの道があると言っても良いのかもしれません。
尤もソクラテスも伝聞の人です。
私は思います。
やはり生身のダビデから知恵の愛し方を学ぶのが一番だと。
イエスもこのダビデから学んだのですから。
イエスの時代はパクス・ロマーナ。ローマの平和。
ダビデの詩篇から戦をばっさり切り落とし、そこに隣人愛と言う概念を植え込んだのです。
そしてそこから福音書と言う新たな物語を作っていったのです。
ダビデの詩篇にイエスの隣人愛を注ぎ込んで御覧なさい。
そこに福音書が生まれるのです。
※ 「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵2」に続きます。
これは メッセージ 799 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵2 2009/10/ 6 23:38
※ 「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵」からの続きです。
さて、それでは愈々詩篇に入っていきたいと思いますが、もう一つだけ注意をしておきます。
詩篇とは全てダビデの詩だと思っていらっしゃる方が居るかもしれませんが、実はそうではないのです。
詩篇には150の詩がありますが、この詩の中にはモーセとかソロモンとか、それからコラの子とかアサフとか色々な人の詩があるのです。
この中でダビデの詩は、丁度半分の75です。
内訳は次の通りです。
3―32、34-41、51-65、68-71、86、101,103、108-110、122、124、131、133、138-145
今回の哲学フォーラムWEB試行では、このダビデの詩を取り上げます。
次回、上記のダビデの詩から1編を掲載します。
ここから哲学フォーラムWEB試行の始まりです。
私が掲載する詩に対して、皆様の意見を陳述して下さい。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
もし聖書を持っていない人が居ましたら是非購入して下さい。聖書は皆様に取っての一生の座右の書となります。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
これは メッセージ 800 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵3 2009/10/ 8 0:04
さて、それでは愈々ダビデの詩に入っていきましょう。
ダビデの詩は、前述のように、3―32、34-41、51-65、68-71、86、101,103、108-110、122、124、131、133、138-145の75編です。
この内、3から41までは等身大のダビデです。
番号の大きい詩の中には、ダビデの純粋な理想が語られたものもあります。
その様な詩は、私たちをうっとりさせます。
その様な詩から入っていっても良いのですが、それでは生身のダビデを理解する事が出来なくなるかも知れません。
ここは正攻法で最初からダビデの詩を読み解いていく事にしましよう。
それでは詩篇の3の始まりです。
なお、何故上記75編がダビデの詩であるかが分かるかと言うと、詩篇の番号の後に、ダビデの詩であるとの銘があるからです。
それでは詩篇3のスタートです。
その前にもう一つ、私も持っている聖書は、日本聖書協会の聖書ですが、この中で詩篇は、1節の文章を何行かに改行して、詩の形式を保っていますが、掲示板では文字数制限等もありますので、1節の文章を1行としています。それから漢字表記も私が使う表記に改めています。(例:とき→時、わたし→私、あなた→貴方、すべて→全て、ください→下さい。等々)
それでは、先ず詩篇3の始まりです。
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詩篇3 (賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子アサブロムを逃れた時)
主よ、私を苦しめる者は、何処まで増えるのでしょう。
多くの者が私に立ち向かい、多くの者が言います。
「彼に神の救いなどあるものか」と
主よ、それでも、貴方は私の盾、私の栄え、私の頭を高くあげて下さる方。
主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えて下さいます。
身を横たえて眠り、私はまた目覚めます。
主が支えていて下さいます。
いかに多くの民に包囲されていても、決して恐れません。
主よ、立ち上がって下さい。
私の神よ、お救い下さい。
全ての敵の顎を打ち、神に逆らう者の歯を砕いて下さい。
救いは主のもとにあります。
貴方の祝福が貴方の民の上にありますように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上が、詩篇3の全部です。
やはり、戦いもしくは争いが主題となっていますよね。
私は旧約聖書の「サムエル記」、「列王記」、「歴代詩」を読んでいますので、上記の詩の背景が分かるのですが、それはあまり関係ないと思います。
上記の詩をただ単に知恵を込めて読み込めば、知恵が答えて下さると思います。
参考までにその背景を述べると、ダビデは回りに国々を治め、ユダヤにはこれまでに無い繁栄が齎されました。
しかしダビデも年老いてきました。
ダビデには多くの子がいます。
その子の中の一人アサブロムがクーデターを起こしたのです。
ダビデは宮殿を逃げ出し、そしてヨルダン川を渡ったのです。
その時に詠んだ歌です。
最終的にはアサブロム軍は敗走し、アサブロムは敗走途中、木に掛かって死んでしまいます。
ダビデはアサブロムが死んだとの報を聞いてこう嘆いています。
「私の息子アサブロムよ、私の息子よ、私に息子アサブロムよ、私がお前に代わって死ねば良かった、アサブロム、私の息子よ、私の息子よ。」と。
そんな子思いのダビデだったのに、馬鹿息子アサブロムのお話です。
以上が背景ですが、そんな背景は無視して、ダビデの知恵へと向かいましょう。
※ 2000字を超えたので「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵4」に続きます。
これは メッセージ 801 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵4 2009/10/ 8 0:10
※ 「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵3」からの続きです。
この詩のハイライトは、「主よ、それでも、貴方は私の盾、私の栄え、私の頭を高くあげて下さる方。主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えて下さいます。」です。
これこそが正にダビデの知恵です。
そして、皆様お一人お一人に存在している知恵です。
この知恵に、「主よ、それでも、貴方は私の盾、私の栄え、私の頭を高くあげて下さる方。主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えて下さいます。」と呼び掛けて御覧なさい。
知恵は貴方のその呼び掛けに答えて呉れる筈です。
この事は、哲学philosohia、本当に知恵を愛している者であれば、誰でも実感している事です。
ダビデはその知恵に、私の神よ、私の主よと呼び掛けたのです。
そうすると、ダビデの知恵が、ダビデの神となり、ダビデの主となって、ダビデの呼びかけに答えてくれたのです。
『聖なる山』とは詩人ダビデ一流の比喩です。
決して目に見える聖なる山があるなどと考えないで下さいね。
皆さんも知恵を愛し抜けば、その比喩がはっきり分かる筈です。
皆さんも、主よ、私の神よと呼び掛けて御覧なさい。
貴方の知恵はきっと神に昇格する筈です。
騙されたと思って、一週間、『私の主よ、私の神よ』と呼び続けて御覧なさい。
貴方の神なる主または貴方の主なる神が、貴方の聖なる山から答えてくれる筈ですから。
サイレントコールとして。
さて、『私の主よ、私の神よ』に対する報酬は何なのでしょうか。
その一つがサイレントコールです。
貴方はそのサイレントコールを貴方流に読み解けば良いのです。
そしてもう一つが「身を横たえて眠り、私はまた目覚めます。主が支えていて下さいます。」と言う安心感です。
もし貴方が知恵と共に夜を遊び、そして朝、目覚めて御覧なさい。
その時はあの荒井由美の歌にあるように、全てのものがメッセージとなって、貴方に迫ってくるのです。
と言うよりも、生き返った様に、蘇った様に、そして今生まれたかの様に、目覚める事が出来るのです。
これはエピクロスの快楽主義へとも繋がっていきます。
今日はここまでにします。
※ 以上が、私の詩篇3に対する意見の陳述です。
皆様も、詩篇3に対する皆様ご自身のご意見の陳述をして下さい。
それが哲学フォーラムのルールです。
一通り皆様の詩篇3に関する意見の陳述が終わったら、その時からフリー トーキングとなります。
なお、私の意見を是として、その是の上に、自らの意見を陳述するのは 結構ですが、私の意見に対する批判だけは駄目です。それは参加者が一通 り自分の意見の陳述を終えた後、少なくとも、貴方が詩篇3に対する意見の 陳述を終えた後となります。
それが哲学フォーラムのルールです。
哲学フォーラムでは、古今東西の名著の中の名文中の名文、すなわち古 今東西の知恵の上で対話を行う事に意義があるのです。
そうすればその対話にも知恵が宿ると言うものです。
以上よろしくお願いします。
これは メッセージ 802 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵5 2009/10/ 8 23:50
今日は詩篇4です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇4 (指揮者によって。伴奏付き。賛歌。ダビデの詩。)
呼び求める私に答えて下さい。
私の正しさを認めて下さる神よ。
苦難から解き放って下さい。
憐れんで祈りを聞いて下さい。
人の子らよ、いつまで私の名誉を辱めにさらすのか。
むなしさを愛し、偽りを求めるのか。
主の慈しみに生きる人を主は見分けて、呼び求める声を聞いて下さると知れ。
おののいて罪を離れよ。
横たわる時も自らの心と語り、そして沈黙に入れ。
相応しい献げ物を捧げて、主に依り頼め。
恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。
主よ、私たちに御顔の光を向けて下さい。
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びを私の心にお与え下さい。
平和のうちに身を横たえて、私は眠ります。
主よ、貴方だけが、確かに、私をここに住まわせてくれるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「呼び求める私に答えて下さい。私の正しさを認めて下さる神よ。」
そうです。貴方自身だけが貴方の正しさを認めてくれるのです。
貴方以外に誰が貴方の正しさを認めてくれると言うのですか???
貴方が正しく在ろうと努めれば貴方は正しく在り得るのです。
それが貴方と神の関係です。
「横たわる時も自らの心と語り、そして沈黙に入れ。」
もし知恵との快楽の内に眠りにつけたら、素晴らしい目覚めがあります
「人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを私の心にお与えください。」
知恵との交わり以上の喜びはないのです。
何故なら、それは知恵の豊かさを自らの中に取り入れる事なのですから。
「平和のうちに身を横たえて、私は眠ります。」
もし夜眠れないと言う人がいたら、知恵を愛しなさい。
そうすれば、この言葉どおりぐっすり眠れます。
「主、貴方だけが、確かに、私をここに住まわせてくれるのです。」
そうです、貴方自身だけが貴方を貴方の中に住まわせてくれるのです。
貴方以外の誰が、貴方を貴方の中に住まわせてくれると言うのでしょう。
貴方の中にこそ、貴方の素晴らしい居場所があるのです。
早くその居場所を見付けて欲しいと思います。
「主の慈しみに生きる人を主は見分けて、呼び求める声を聞いて下さると知れ。」
貴方が慈しみ生きれば、貴方が貴方を見分けて、貴方の声を聞いて下さるのです。
それが知恵の正体です。
知恵とは理想に生きようとする貴方を応援してくれる貴方自身なのです。
貴方が慈しみに生きようとすれば、知恵は貴方のその度合いに応じて応援してくれます。
貴方が正しさに生きようとすれば、知恵は貴方のその度合いに応じて応援してくれます。
貴方が○○○に生きようとすれば、知恵は貴方のその度合いに応じて応援してくれるのです。
ですから、理想に生きようとする心の無い者には、神は無縁なのです。
今の日本に神が存在するのか!!
皆さんはこれからダビデの詩篇を読んでいくのですが、何を読み取るべきなのか。
それはダビデが如何に正しく生きようとしたかです。
中途半端ではありませんよ。
これほどに徹底できたからこそ、彼の精神が、ユダヤ教世界の精神となり、キリスト教世界の精神となり、イスラム教世界の精神となっていったのです。
「主よ、貴方の裁きを望みます。私は完全な道を歩いてきました。主に信頼して、よろめいた事はありません。主よ、私を調べ、試み、はらわたと心を火をもって試してみてください。」(詩篇26)
これほど自分の正しさを信じる事が出来れば鬼に金棒です。
ですから、ダビデの神はダビデのその度合いに応じて、ダビデを応援したのです。
(尤もこんな事を言っていますが、あちこちでダビデはよろめいているのです。そんな人間味溢れるダビデだからこそ、詩篇は面白いのです。心が強くなる時もあれば、心が弱くなる時もある。これが人間です。)
私はもう、ダビデの神、ダビデの主、ダビデの知恵の秘密を明かしているのでしょうか?
※ 2000字を超えたので「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵6」に続きます。
これは メッセージ 803 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵6 2009/10/ 8 23:52
※ 「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵5」からの続きです。
※哲学フォーラムは、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に対話を進めていくのが、基本ルールです。
ですから、いきなり私の陳述に対する批判は止めて下さい。
先ずは、詩篇3もしくは4に対する皆様のご意見をお聞かせください。
そこから議論対話を進めていくことにしましよう。
そうすれば、私たちはダビデの知恵の土台の上に対話を進めていくことが出来ます。
これは メッセージ 804 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵7 2009/10/ 9 22:44
今日は詩篇5です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇5 (指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。)
主よ、私の言葉に耳を傾け、呟きを聞き分けて下さい。
私の王よ、私の神よ、助けを求めて叫ぶ声を聞いて下さい。
貴方に向かって祈ります。
主よ、朝ごとに、私の声を聞いて下さい。
朝ごとに、私は御前に訴え出て、貴方を仰ぎ望みます。
貴方は決して、逆らう者を喜ぶ神ではありません。
悪人は御許に宿る事を許されず、誇り高い者には御目に向かって立つ事ができず、悪を行う者は全て憎まれます。
主よ、貴方は偽って語る者を滅ぼし、流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
しかし私は、深い慈しみをいただいて、貴方の家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し、貴方を畏れ敬います。
主よ、恵みの御業のうちに私を導き、まっすぐに貴方の道を歩ませて下さい。
私を陥れようとする者がいます。
彼らの口は正しい事を語らず、舌は滑らかで、喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
神よ、彼らに罪を定め、そのたくらみのゆえに打ち倒して下さい。
彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。
彼らを追い落として下さい。
貴方を避けどころ者は皆、喜び祝い、とこしえに喜び歌います。
御名を愛する者は貴方に守られ、貴方によって喜び誇ります。
主よ、貴方は従う人を祝福し、御旨のままに、盾となってお守り下さいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「主よ、私の言葉に耳を傾け、呟きを聞き分けて下さい。」
貴方の言葉に耳を傾け、貴方の呟きを聞き分けてくれるのは貴方自身です。
その事は貴方自身が一番知っている筈です。
貴方は貴方自身に対して敬虔にならなければならないのです。
そうでなければ、貴方は貴方の呟きを聞き分けて貰えませんよ。
「私は、深い慈しみをいただいて、貴方の家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し、貴方を畏れ敬います。」
深い慈しみとは、この世に生きる貴方の愛とそれと貴方自身の中に深く眠る愛の事です。
この二つの愛が貴方自身の中で出会う事によって、神の祝福が齎されるのです。
「主よ、恵みの御業のうちに私を導き、まっすぐに貴方の道を歩ませて下さい。」
貴方は未だ恵みの御業と言う概念を理解できないでしょう。
貴方の知恵を主と仰ぎ見て、その知恵なる主、または主なる知恵と二人三脚をして御覧なさい。
その恵みの御業が実感できるでしょう。
それこそが「私と貴方(知恵)が共に歩む道です」です。
「貴方を避けどころ者は皆、喜び祝い、とこしえに喜び歌います。
御名を愛する者は貴方に守られ、貴方によって喜び誇ります。」
これこそが知恵を愛する事の大報酬です。
哲学が如何に悦びに満ちているか分って頂けましたか。
※ 2000字を超えたので、「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵8」に続きます。
これは メッセージ 805 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵8 2009/10/ 9 22:53
※ 「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵7」からの続きです。
今日は調子が良いので詩篇6に入っていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇6 (指揮者によって。伴奏付。第八調。賛歌。ダビデの歌。)
主よ、怒って私を責めないで下さい。
憤って懲らしめないで下さい。
主よ、憐れんで下さい。
私は嘆き悲しんでいます。
主よ、癒して下さい。
私の骨は恐れ、私の魂は恐れおののいています。
主、いつまでなのでしょう。
主よ、立ち帰り、私の魂を助け出して下さい。
貴方の慈しみに相応しく、私を救って下さい。
死の国へ行けば、誰も貴方の名を唱えず、陰府に入れば、誰も貴方に感謝を捧げません。
私は嘆き疲れました。
夜ごとに涙は溢れ、寝床は漂うほどです。
苦悩に私の目は衰えて行き、私を苦しめる者のゆえに老いてしまいました。
悪を行う者よ、私を離れよ。
主は私の泣く声を聞き、主は私の祈りを受け入れて下さる。
敵は皆、恥に落とされて恐れおののき、たちまち退いて、恥に落とされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは詩人ダビデの泣き節です。
皆様も共感する所があるのではないですか。
貴方も貴方の敵の不幸を神に祈った事が一度や二度や三度ならず、あった筈です。
この詩で大事な所は、次の一句です。
「死の国へ行けば、誰も貴方の名を唱えず、陰府に入れば、誰も貴方に感謝を捧げません。」
ダビデの神はあくまでも現世の神です。
それは当然ですよね。
私自身なのですから。
※哲学フォーラムWEB試行は、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に対話を進めるものです。
現在、旧約聖書の「詩篇」の中のダビデの詩を基に対話を進めようとしています。
現在、詩篇の3から6までを、全文書き出していますので、どれでも結構ですので、先ずはその詩に対する皆様のご意見を陳述してください。
その後、それらを基に対話を進めていきましょう。
そうすればその先に、相互理解と止揚が待っている筈です。
これは メッセージ 807 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵 2009/10/ 9 23:32
ottyanyoriさんへ
返信ありがとうございます。
慈愛の心に満たされてこの世を去る事が出来れば、本当に極楽往生ですね。
その為にこそ、哲学をするのかも知れませんね。
ところで何時、私たちはこの世を去るのでしょう。
分かっていませんよね。
だから私たちは絶えず哲学をしなければならないと言う事になるのですよね・・・
ところで、哲学とはphilosohia、知恵を愛する事。
ottyanyoriさんはこの事を良く理解して下さっていると思いますが、他の人は中々理解して下さらないですよね。
何故だと思いますか。
これは メッセージ 806 ottyanyori さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵9 2009/10/10 12:40
今日は詩篇7です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇7 (シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの)
私の神、主よ、貴方を避けどころとします。
私を助け、追い迫る者から救って下さい。
獅子のように私の魂を餌食とする者から、誰も奪い返し、助けてくれないのです。
私の神、主よ、もし私がこのような事をしたのなら、私の手に不正があり、仲間に災いをこうむらせ、敵をいたずらに見逃したのなら、敵が私の魂に追い迫り、追いつき、私の命を踏みにじり、私の誉れを塵に伏せても当然です。
主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり、憤りをもって身を起こし、裁きを命じて下さい。
諸国を貴方の周りに集わせ、彼らを越えて高い御座に再び就いて下さい。
主よ、諸国の民を裁いて下さい。
主よ、裁きを行って宣言して下さい。
お前は正しい、とがめるところはないと。
貴方は逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし、貴方に従う者を固く立たせて下さい。
心とはらわたを調べる方、神は正しくいます。
心のまっすぐな人を救う方、神は私の盾。
正しく裁く神、日ごとに憤りを表す神。
立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし、弓を引き絞って構え、殺戮の武器を備え、炎の矢を射かけられます。
御覧下さい、彼らは悪をみごもり、落とし穴を掘り、深くしています。
仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
災いが頭上に帰り、不法な業が自分の頭にふりかかりますように。
高くいます主に私は感謝をささげ、いと高き神、主の御名をほめ歌います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この詩の見所は、ダビデが自らを正しいと信じる心です。
「主よ、裁きを行って、宣言して下さい。お前は正しい、とがめるところはないと。」
このように自らを正しいと信じる事ができるからこそ、敵に立ち向かって行く事ができるのです。
その戦いは百戦錬磨。何故なら常に神が寄り添っているから。
自らが絶対に正しいと信じているからです。
その信仰は常日頃の知恵との対話から養われているのです。
「心とはらわたを調べる方、神は正しくいます。
心のまっすぐな人を救う方、神は私の盾。」
常日頃のこの思いがあるからこそ、絶体絶命のその危機にあっても、ダビデは怯まないのです。
※ 2000字を超えたので、「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵10」に続きます。
これは メッセージ 808 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵10 2009/10/10 12:54
※ 「哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵9」からの続きです。
昨日オバマ大統領がノーベル平和賞に決定したとの報がありました。
昨今の政治家の中では、オバマ大統領がダビデに近いと思います。
彼はクリスチャンです。
しかし最初からクリスチャンだった訳ではありません。
彼はほとんど母子家庭で、母から育てられました。
彼の母はとても賢明な人でしたが、無信論者でした。
そんな彼がクリスチャンになったのは、彼が政治家になり、黒人社会に入って行った時の事なのです。
彼は黒人社会のキリスト教会の中に一種独特な連帯を見出したのです。
勿論これはいずれの教会おいても一緒なのですが・・
彼は自らの知恵において、自らの神を、その教会のおいて見出したのです。
その神はオバマ大統領の神であると同時に、Aさんの神であり、Bさんの神であり、Cさんの神なのです。
彼はそのようにして、強力なリーダーとして成長していったのです。
ダビデにおいては、ダビデの神が民衆の神となっていきましたが、オバマ大統領においては、黒人社会の神を自らの神とする事で、黒人社会をまとめていったのです。
勿論、その黒人社会の神とは、キリスト教会の神ですので、それは白人社会へも波及していったのです。
オバマ大統領は、キリストによって、大統領になったのです。
そして、スェーデンのノーベル財団がいち早くそれに反応したのです。
彼の神は、自らの知恵です。
ですから、アメリカ大統領でありながら、核廃絶の宣言を打ち出せる事が出来たのです。
彼は生まれながらのクリスチャンではありません。
自らの意志によって、クリスチャンになったのです。
そこがこれまでの白人大統領のクリスチャンとは違うのです・・・
私は昨日のオバマ大統領の受賞コメントに一瞬思考回路がストップしました。
それは、「受賞はとても名誉な事であり嬉しい。受賞をお受けしたい、しかし私は最高司令官でもある。テロとは毅然として戦う。」と言うものでしたが、ノーベル平和賞受賞のコメントの中で戦いに触れたのです。
彼のこのコメントが彼自身の知恵、すなわちダビデの下記信念から発せられたのか、それともアメリカ大統領としての知恵だったのかは、今後の検証が必要です。
「諸国を貴方の周りに集わせ、彼らを越えて高い御座に再び就いて下さい。
主よ、諸国の民を裁いて下さい。
主よ、裁きを行って宣言して下さい。
お前は正しい、とがめるところはないと。」
ここで私がこの文句を挿入すると、貴方はユダヤ教世界、キリスト教世界、イスラム教世界の対立を煽っているなどと言う人がいると思いますが、 そう言う人は神の事を全く知らない人です。
神を知識でしか知らない人です。
ここで言う「貴方」とは勿論、神の事ですが、それはダビデ自身の知恵に他ならないのです。
私がこの文脈で、この文句を挿入した意図は、「テロとは毅然として戦う」と言うコメントがオバマ大統領自身の知恵から発せられたものだったのか、それともアメリカから発せられたものだったかと言う事なのです。
もしオバマ大統領自身の知恵から発せられたコメントであれば、そのコメントは、ダビデから発せられたものであり、イエスから発せられたものであり、私から発せられたものであり、そして皆さんから発せられたものであり、更にはテロリスト(これは私たちの言い方です・・)から発せられたものとなるのです。
もしそれがアメリカから発せられたものであれば、「諸国を貴方の周りに集わせ、彼らを越えて高い御座に再び就いて下さい」の文句の中の「貴方」を「アメリカ」に言い換える事になります。
私は思います。
やはり、ノーベル平和賞受賞のコメントの中には、戦争の文句は入れるべきではなかったのではないかと。
今日は詩篇から脱線してしまいました。
次回からはまた詩篇に真っ向勝負です・・・
※哲学フォーラムは、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に哲学的対話を進めるものです。
現在、旧約聖書「詩篇」のダビデの詩を基に対話を進めようとしています。
現在、詩篇の3から7までを、当該掲示板上に掲載していますので、どの詩でも結構ですので、皆様の御意見をお聞かせ下さい。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ottyanyoriさんへ
返信ありがとうございます。
ところで、心豊かな人を育てる為にはどうしたらいいのでしょう。
その方法について、考えられる限り教えて下さい。
これは メッセージ 813 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵11 2009/10/10 23:17
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哲学フォーラムとは、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものです。
この哲学フォーラムにおいては、古今東西の名著の中の名文を基に、哲学的対話が展開される事になります。
哲学対話は基本的には次にように展開される事になります。
① 先ずは、参加者各自が、古今東西の名著の中の名文(8000字程度)を読みます。
② 次に、参加者各自が、その名文に関する意見陳述をします。
③ 参加者各自が、名文に関する意見陳述が終えた後は、全くのフリーとキングとなります。
私は今この掲示板上で、哲学フォーラムを試行中です。
最初の「名著の中の名文」として、旧約聖書の「詩篇」の中のダビデの詩を取り上げています。
前回までにダビデの詩を5編(詩篇3,4,5,6,7)掲載していますので、どの詩でも結構ですので、御意見をお聞かせください。
そこから、対話を始めましょう!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
今日は詩篇8を掲載します。
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詩篇8 (指揮者によって。ギティトに合わせて。賛歌。ダビデの詩。)
主よ、私たちの主、貴方の御名は、いかに力強く、全地に満ちている事でしょう。
天に輝く貴方の威光をたたえます。
幼子、乳飲み子の口によって、貴方は刃向かう者に向かって砦を築き、報復する敵を絶ち滅ぼされます。
貴方の天を、貴方の指の業を、私は仰ぎます。
月も、星も、貴方が配置なさったもの。
その貴方が御心を留めて下さるとは、人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう、貴方が顧みて下さるとは。
神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって、造られたものを全て治めるように、その足元に置かれました。
羊も牛も、野の獣も、空の鳥も、海の魚も、海路を渡るものも。
主よ、私たちの主、貴方の御名は、いかに力強く、全地に満ちている事でしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、ダビデは神を如何に考えていたのでしょう。
その秘密がこの詩にあります。
それは、「神に僅かに劣るものとして人を造り・・・」です。
だからダビデはあの様に、毎日毎日、神と対話を重ねたのです。
人と神は相似。ただ、人は神に少し劣るだけ。
神は貴方より少し優れているだけなのです。
しかしその差は絶対に埋まる事はないのです。
だから神はいつも貴方にとっての神なのです。
さて、神の正体は何でしょう。
それは貴方自身の知恵です。
もし貴方が本当に哲学、すなわち知恵を愛していたら、その事が如実に分かる筈です。
知恵は貴方の全ての質問に答えてくれるのです。
貴方に相応しい答えで!
それが貴方の神なのです。
貴方は本当に哲学、すなわち知恵を愛していないし、
またその知恵に求めようともしていません。
だから貴方は暗愚なのです。
「求めなさい。そうすれば与えられる。
探しなさい。そうすれば見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば開かれる。」(マタイ福音書7-7)
マタイ福音書ではこれらを与えるのは、天の父、すなわち神と言う事になっていますが、これは貴方自身の知恵の事です。
貴方自身の知恵以外、貴方に何も与えられないのです。
貴方は比喩を読み取る力が無い。だから文字に殺されているのです。
聖なる書を読む時は、貴方の心のとの相似で読み取らなければならないのです。
もし貴方が哲学、すなわち本当に知恵を愛したいのなら、私が教えてあげよう。
先ずは聖書(日本聖書協会発行)を購入しなさい。
そして詩篇を百遍(百回)読みなさい。
それからここに戻ってきなさい。
私が哲学の神秘を教えてあげる。
これは メッセージ 815 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵1 2009/10/11 0:36
ottyanyoriさんへ
返信ありがとうございます。
私はいつも思っていました。
ottyanyoriさんの人生訓には、風格があると。
それはottyanyoriさんの長い人生、そしてその非凡な体験から読み取った言葉だったのですね。
言葉、これこそが知恵です。
現代日本に不足しているのは、美しき善き言葉です。
ottyanyoriさんが、自らの体験に基づいて、一つの美しき善き言葉をこの世に現せば、この現代日本に美しき善き言葉が一つ増えます。
もしottyanyoriさんが二つ現せば二つ、三つ現せば三つ、百表せば百、千現せば千の美しき善き言葉が、この現代日本に増えて行く事になります。
美しき善き言葉のネットワークと言うのはどうでしょう。
ottyanyoriさんには貴重な長い人生があります。
そこには、美しき善き言葉が一杯埋まっています。
それらを一つ一つ取り出して、美しき善き言葉を編み、それを基に、心ある人たちとネットを組んで行くのです。
そうすれば、この現代日本に美しき善き言葉が満ちて行く事になります。
私たちの人生においてキーワードなる言葉はそれほどありません。
愛、勇気、忍耐、知恵、節制、優しさ、寛容、人生、勉強、仕事等々です。
先ずは、ottyanyoriさんに取って大切だと思われる百のキーワードを決めます。
そのキーワードにottyanyoriさんの貴重な長い人生の焦点を当てるのです。
そうすればそこに美しき善き言葉が生まれ出て来ます。
それを基に、心ある人たちと、美しき善き言葉のネットワークを作るのです。
それがottyanyoriさんの「知恵」を生かす方法だと思います。
楽しい作業になると思いますよ。
知恵は言葉に現さなければ生かす事が出来ないのです。
知恵の言葉とは美しき善き言葉の事です・・・
これは メッセージ 823 ottyanyori さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵1 2009/10/11 6:38
投稿者 : ottyanyori
素晴らしい提案です、自身夢見ていたことが、目の前に現れたようです。
sophialover007 さんの提唱する、知恵を愛する、知恵が生まれる、と言う事、今まさに実感しているところです。
自身コントロール出来ないほどです、あらゆる情報が飛び込んできて、空想は広がるばかり。
3年弱前に、井戸の中から顔を出し、恐る恐る掲示板の散歩から、書き込みを初めて、出会う人事に貴重な進言を貰いました。
まさしく私の中の神が、教師として、また反面教師として、あらゆる人から情報を引き出していく、そんな感じがしています。
情報源としても、一人も無駄な人はいないと感じています。
言い換えれば、『天』は必要の無い人をこの世には送り出していないと言うことなんでしょうね。
今私は、現実と、空想と、妄想との狭間にいるようです。
その垣根が、あってないようなもの、と言う心境です。
これは メッセージ 842 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO12 2009/10/11 12:01
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
哲学フォーラムとは、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものです。
この哲学フォーラムにおいては、古今東西の名著の中の名文を基に、哲学的対話が展開される事になります。
哲学対話は基本的には次にように展開される事になります。
① 先ずは、参加者各自が、古今東西の名著の中の名文(8000字程度)を読みます。
② 次に、参加者各自が、その名文に関する意見陳述をします。
③ 参加者各自が、名文に関する意見陳述が終えた後は、全くのフリーとキングとなります。
私は今この掲示板上で、哲学フォーラムを試行中です。
最初の「名著の中の名文」として、旧約聖書の「詩篇」の中のダビデの詩を取り上げています。
前回までにダビデの詩を5編(詩篇3,4,5,6,7、8)掲載していますので、どの詩でも結構ですので、御意見をお聞かせください。
そこから、対話を始めましょう!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
今日は詩篇9です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇9 (指揮者によって。ムトラベンに合わせて。賛歌。ダビデの詩)
私は心を尽くして主に感謝をささげ、驚くべき御業を全て語り伝えよう。
いと高き神よ、私は喜び、誇り、御名をほめ歌おう。
御顔を向けられて敵は退き、倒れて、滅び去った。
貴方は御座に就き、正しく裁き、私の訴えを取り上げて裁いて下さる。
異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし、その名を世々限りなく消し去られる。
敵は全て滅び、永遠の廃墟が残り、貴方に滅ぼされた町々の記憶も消え去った。
主は裁きのために御座を固く据え、とこしえに御座についておられる。
御自ら世界を正しく治め、国々の民を公平に裁かれる。
虐げられる人に、主が砦となって下さるように。
主よ、御名を知る人は貴方に依り頼む。
貴方を尋ねも求める人は見捨てられる事がない。
シオンにいます主をほめ歌い、諸国の民に御業を告げ知らせよ。
主は流された血に心を留めて、それに報いて下さる。
貧しい人の叫びをお忘れになる事はない。
憐れんで下さい、主よ、死の門から私を引き上げて下さる方よ。
御覧下さい、私を憎む者が私を苦しめているのを。
おとめ城門で貴方の賛美を一つ一つ物語り、御救いに喜び踊る事が出来ますように。
異邦の民は、自ら掘った穴に落ち、隠して張った網に足をとられる。
主が現れて裁きをされる時、逆らう者は、自分の仕掛けた罠にかかり、神に逆らう者、神を忘れる者、異邦の民はことごとく、陰府に退く。
乏しい人は永遠に忘れられる事はなく、貧しい人希望は決して失われない。
立ち上がって下さい、主よ。
人間が思い上がるのを許さず、御顔を向けて異邦の民を裁いて下さい。
主よ、異邦の民を恐れさせ、思い知らせて下さい。彼らが人間に過ぎない事を。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※ 2000字を超えたので、「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵13」に続きます。
これは メッセージ 840 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO13 2009/10/11 12:06
※ 「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵12」からの続きです。
これは王としての、ダビデの歌です。
さてこの詩で言う、主=貴方とは誰の事でしょう。
ダビデ自身の知恵です。
自らの知恵を神にまで高めたダビデの知恵です。
そこにはダビデの全ての願望が込められているのです。
ダビデの知恵もこれに答えない訳にはいかないでしょう。
さて、王としてのダビデがどのような考えを持っていたか。
素晴らしい王ですよね。
「世界を正しく治める。」
「国々の民を公平に裁く。」
「虐げられている人の砦となる。」
「私に依り頼む者を見捨てない。」
「貧しい人の叫びを忘れない。」
これが王としてのダビデの意志です。
ダビデの神に従う人々に対する意志です。
ここで注意しなければいけないのは、ダビデの神は、Aさんの神にもなり、Bさんの神にもなり、Cさんの神にもなっていったのです。
そのようにして、ダビデはユダヤ王国を作っていったのです。
良心ある人々は、誰もダビデの神に反対しないでしょう。
何故なら、ダビデの神は、全ての人の心に宿る、良心そのもの、純粋な知恵そのものだからです。
だからユダヤ王国創建時には、ダビデは熱狂的に迎えられたのです。
しかし時が経て、ユダヤ王国が安泰し、外敵がいなくなると、Xさん、Yさん、Zさんのようにダビデの神(良心、純粋な知恵)に従わない自国内の異邦の民が現れてくるのです。
しかし、ダビデは決して、自らの民に手を下すようなことはしませんでした。
ダビデは彼ら自身の知恵(良心)に委ねたのです。
だから、自らの知恵(良心)に目覚めない者はダビデを侮る事になるのです。
「彼に神の救いなどあるものか。」と
なお、上記詩篇9にある異邦の民とは、主にダビデがユダヤ王国創建時に戦った外敵の事です。
何故、ダビデが彼らを異邦の民を呼んだか、それは彼らが自ら自身の知恵(良心)に従わず、偶像の神に頼り、血祭り等を行っていたからです。
知恵の普遍性、良心の普遍性に目覚めたダビデにとっては、彼らは異邦の民だったのです。
彼の理想は世界王国を作る事にあったのです。
「シオンにいます主をほめ歌い、諸国の民に御業を告げ知らせよ。」
それは知恵の王国!
ダビデが何故、このような大きな仕事をできたのか。
それは、自らの知恵を、「私の主よ、私の神よ」と信じる事が出来たからなのです。
神とは「熱情の神」です。
彼はその神を自らの神と信じる事ができたからこそ、このような大きな仕事が出来たのです。
私のように、それは貴方自身の知恵だよと言えば、その知恵は、そうか貴方はそれ位にしか私の事を思っていないのだな、それではそれに相応しい知恵を授けるとするよ、となってしまうのです。
皆さんもそうでしょう。
皆さんも熱情の神は信じる事が出来ないでしょう。
実を言うと、私は皆さんがいずれかの教会に入って頂ければどんなにか良いと思います。
そうすれば日本はもっともっと良くなります。
しかし、それは私を含めて出来ない事です。
だったら、哲学(知恵を愛する)で行きましょう
そして、哲学フォーラムで、お互いの知恵(普遍の神)を交換する事としましよう。
これは メッセージ 852 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵14 2009/10/11 23:35
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
哲学フォーラムとは、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものです。
この哲学フォーラムにおいては、古今東西の名著の中の名文を基に、哲学的対話が展開される事になります。
哲学対話は基本的には次にように展開される事になります。
① 先ずは、参加者各自が、古今東西の名著の中の名文(4000字程度)を読みます。
② 次に、参加者各自が、その名文に関する意見陳述をします。
③ 参加者各自が、名文に関する意見陳述が終えた後は、全くのフリーとキングとなります。
私は今この掲示板上で、哲学フォーラムを試行中です。
最初の「名著の中の名文」として、旧約聖書の「詩篇」の中のダビデの詩を取り上げています。
前回までにダビデの詩を5編(詩篇3,4,5,6,7、8、9)掲載していますので、どの詩でも結構ですので、御意見をお聞かせください。
そこから、対話を始めましょう!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
今日は詩篇11です。
なお、詩篇10には「ダビデの詩」との銘がありませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇11 (指揮者によって。ダビデの詩。)
主を、私は避けどころとしている。
どうして貴方たちは私の魂に言うのか。
「鳥のように山に逃れよ。
見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ、闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。
世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何かできようか」と。
主は聖なる山にいます。
主は天に御座を置かれる。
御目は人の子らを見渡し、そのまぶたは人の子らを調べる。
主は、主に従う人と逆らう者を調べ、不法を愛する者を憎み、逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り、燃える硫黄をその杯に注がれる。
主は正しくいまし、恵みの業を愛し、御顔を心のまっすぐな人に向けて下さる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この詩は今の世と似ているとは思いませんか。
「世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何かできようか」と。
それに対してダビデはきっぱりと言っていますよね。
「主は聖なる山にいます。
主は天に御座を置かれる。」
これがダビデのスタンスです。
そして知恵を愛する人の変わらないスタンスです。
何故なら知恵は「心のまっすぐな人」の中には常に存在するのですから。
この詩の中で「心のまっすぐな人」と言う言葉が二回も出てきていますね。
これにより、ダビデが如何に「心のまっすぐな人」であろうと努めたかが、よく分かりますよね。
※ 2000字を超えたので、「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵15」に続きます。
これは メッセージ 853 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵15 2009/10/11 23:40
※ 「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵14」からの続きです。
駆け足で行きます。
次は詩篇12です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇12 (指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。)
主よ、お救い下さい。
主の慈しみに生きる人は絶え、人の子らの中から、信仰のある人は消え去りました。
人は友に向かって偽りを言い、滑らかな唇、二心をもって話します。
主よ、全てを滅ぼして下さい、滑らかな唇と威張って語る舌を。
彼らは言います。
「舌によって力を振るおう。
自分の唇は自分のためだ。
私たちに主人などはない。」と
主は言われます。
「虐げに苦しむ者と呻いている者の為に、今、私は立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
主の仰せは清い。
土の炉で七たび練り清められた銀。
主よ、貴方はその仰せを守り、この代からとこしえに至るまで、私たちを見守って下さいます。
主に逆らう者は勝手にふるまいます。
人の子らの中に、卑しむべきことがもてはやされるこのとき。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※ 2000字を超えたので、「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵16」に続きます。
これは メッセージ 861 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵16 2009/10/11 23:44
※ 「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵15」からの続きです。
この詩から、ダビデが如何に舌を制御した人であったかが良く分かりますよね。
しかしダビデの時代もかなり不信仰の時代だったのですね。
「主の慈しみに生きる人は絶え、人の子らの中から、信仰のある人は消え去りました。」
「人の子らの中に、卑しむべきことがもてはやされるこのとき。」
皆さんはきっとこう思っていたでしょう。
ユダヤ王国は、神一色の世界だったと。
しかしそうではなかったのです。
ダビデの神は純粋な知恵の事です。
ですから、ダビデの時代には一人一人の純粋な知恵の連帯から、ユダヤ王国の神が存在していたのです。
勿論、ダビデは知恵の事については、事ある毎に民衆に説きました。
しかしその結果は上記の通りです。
ダビデは王だったのですから、ダビデの神だけを信じるよう粛清すれば、ダビデの神一色にもなれたのですが、決してそんな事は有り得なかったのです。
何故なら、ダビデの神は純粋な知恵だったからです。
純粋な知恵は自由を尊重するのです。
ダビデは知恵の使徒だったのです。
それはイエスと何ら違いはないのです。
ユダヤ王国創建時には、ダビデの知恵の支持率は100パーセントに近かったのでしょうが、王国が長期化するにつれ、その支持率はどんどん下がっていきました。
多分死ぬ直前には50パーセント近くまで下がっていたのかも知れませんね。
クーデターが起きたくらいですから。
それでもダビデは純粋に知恵を愛し続けたのです。
私は詩篇を読んで思います。
これが本当に王の歌なのかと。
ほとんどが苦悩の歌です。
キリスト教殉教者の歌の如きです。
しかしその苦悩の後に大きな喜びがあるのです。
ですから知恵を愛する事に目覚めた者は、たとえどんな事があっても、知恵を愛する事を止めないのです
ここでダビデの知恵とキリスト教会(特に中世のキリスト教会)の神との違いを述べておきます。
それは死後の世界の有無です。
中世の教会においては、死後の世界で、民衆を鷲掴みにしたのです。
ダビデの神は純粋な知恵です。
民衆は自らの知恵で、その神を掴まなければならないのです。
中々に難しい事です。
しかしユダヤ王国創建時には、ダビデと共にみんなでその神を掴んだのです。
ユダヤ王国創建時のユダヤ人は世界で一番賢明な民だったと言って良いと思います。
ユダヤ王国の二代目の王は、ソロモンの知恵で有名なソロモンです。
ここからも当時のユダヤ人が如何に賢明だったかが分かると思います。
しかしユダヤ王国の神、ダビデの神は、自らの自由意志で保持し続けなければなりません。
それは中々に難しい事です。
その末路は、列王記、歴代誌を見れば明らかです。
しかし決して、ダビデの知恵が途絶える事はありませんでした。
その知恵は細々と引き継がれ、そしてイエスへと引き継がれていったのです。
なお、ここでことわりを入れて置きます。
私は先ほど、キリスト教会の死後の世界の事を述べましたが、哲学者イエスが死後の世界をどのように述べたのか、それについては、別に述べる機会があった時、述べたいと思います。
一つだけこう言って置きましょう。
哲学者イエスの考え方とキリスト教会の考え方は全く一緒ではないと・・・
私は思っています。
哲学者イエスも純粋に知恵を愛した者だと・・・
これは メッセージ 862 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵17 2009/10/12 11:30
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
哲学フォーラムとは、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものです。
この哲学フォーラムにおいては、古今東西の名著の中の名文を基に、哲学的対話が展開される事になります。
哲学対話は基本的には次にように展開される事になります。
① 先ずは、参加者各自が、古今東西の名著の中の名文(4000字程度)を読みます。
② 次に、参加者各自が、その名文に関する意見陳述をします。
③ 参加者各自が、名文に関する意見陳述が終えた後は、全くのフリーとキングとなります。
私は今この掲示板上で、哲学フォーラムを試行中です。
最初の「名著の中の名文」として、旧約聖書の「詩篇」の中のダビデの詩を取り上げています。
前回までにダビデの詩を9編(詩篇3,4,5,6,7、8、9、11,12)掲載していますので、どの詩でも結構ですので、御意見をお聞かせください。
そこから、対話を始めましょう!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
今日は詩篇13です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇13 (指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。)
いつまで主よ、私を忘れておられるのか。
いつまで、御顔を私から隠しておられるのか。
いつまで、私の魂は思い煩い、日々の嘆きが去らないのか。
いつまで、敵は私に向かって誇るのか。
私の神、主よ、顧みて私に答え、私の目に光を与えて下さい。
敵か勝ったと思う事がないように、私を苦しめる者が、動揺する私を見て喜ぶ事のないように。
貴方の慈しみに依り頼みます。
私の心は御救いに喜び踊り、主に向かって歌います。
「主は私に報いて下さった」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この詩は、ダビデが落込んでいた時の詩です。
人は誰でも落込みますよね。
ダビデも人の子、落込むのです。
そんな時、ダビデはこんな風に歌ったのですね。
この詩の核心は最後の三行であり、そしてダビデの知恵に対する確信です。
主、すなわち私の知恵は私から離れる事もあるが、そう遠くない時に、また私を訪れると。
その時は、祝い歌を歌おう。そして踊ろうと。
これが知恵を愛する者の確信です。
貴方たちも早く知恵への賛歌が歌えるようになりますように。
※ 2000字を超えたので、「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵18」に続きます。
これは メッセージ 863 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵18 2009/10/12 11:34
※ 「哲学フォーラムWEB試行、ダビデの知恵17」からの続きです。
次は詩篇14です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩篇14 (指揮者によって。ダビデの詩。)
神を知らぬ者は言う。
「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをしている。
善を行う者ははいない。
主は天から人の子らを見渡し、探される。
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに汚れている。
善を行う者はいない。一人もいない。
悪を行う者は知っている筈ではないか。
パンを食らうかのように私の民を食らい、主を呼び求める事をしない者よ。
そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。
神は従う人々の群れにいます。
貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても、主は必ず避けどころとなって下さる。
どうか、イスラエルの救いが、シオンから起こるように。
主が御自分の民、捕われ人を連れかえられる時、ヤコブは喜び踊り、イスラエルは喜び祝うであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この歌の読み解きは少し難しい。
私は次のように読み解く。
ユダヤ王国が立国され、そして時が経った。
ダビデは王である。
しかし彼は強権政治などしない。
何故なら知恵の人だから。
彼は知恵ある人に政治を任そうとする。
しかし彼の心を宮廷の人々は理解しない。
彼らは彼らの知恵、すなわち彼らの良心に従って政治をしようとしない。
そんな彼らを見て、
「神を知らぬ者は言う。
『神などない』と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをしている。
善を行う者ははいない。
主は天から人の子らを見渡し、探される。
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに汚れている。
善を行う者はいない。一人もいない。」と歌ったのである。
しかし彼の知恵を理解している者はいる。
彼はそれを次のように詠んだ。
「神は従う人々の群れにいます。」
そして、そのような人々を「御自分の民」「捕らわれ人」と呼んだ。
ダビデの理想は極めて高い。
ダビデが目指す王国は、知恵の王国。
それはイエスが目指した王国である共に、古今東西の聖人賢人たちが目指した王国。
そして私も目指している王国。
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
哲学を愛する皆様、どうか哲学フォーラムに御参集下さい。
なお、上記の詩をもう少し解釈します。
ユダヤ王国は繁栄を誇ります。
回りの国々、更には遠方の国々がその繁栄を見ようと貢物を持ってきます。
それほどまでに、ユダヤ王国は繁栄したのです。
しかしそんな中に在っても、ダビデはそのような目で一人一人を見ていたのです。
まるで神様のように!
ダビデは理想主義者なのです。
その理想がイエスへと、そしてその後世界へと広がって行ったのです。
皆様はどんな理想を持っていますか???
Re: ottyanyori学兄と論拠しようぜ! 2009/10/12 22:54
spzv9xt9さんへ
はじめまして
ここで自分自身を探求してみませんか。
もし自分自身がこの上なく素晴らしい存在だと分かれば、これ以上に素晴らしい事はありませんよね。
そんな素晴らしい存在をここで探求してみませんか。
Re: ottyanyori学兄と論拠しようぜ! 2009/10/12 23:39
spzv9xt9さんへ
今日はもう時間がありませんので電源を切ります。
明日の午後9時以降対話をしましよう。
その前に一つだけお願いがあります。
それは、『汝自身を知れ』と言う有名な言葉がありますが、これが何を意味すのか、spzv9xt9さん自身のお考えをお聞かせ下さい。
出来る限り長い文章でお願いします。
長ければ長いほど嬉しく思います。
何故なら、その事が、取りも直さず、自分自身の探求なのですから。
もしその探求で自分自身を見出したら、もう対話は必要ありませんよね。
もし対話が必要なら、その先から対話を始めましょう。
勿論、ottyanyoriさんも一緒に。
これは メッセージ 884 sophialover007 さんに対する返信です
Re: ottyanyori学兄と論拠しようぜ! 2009/10/13 21:16
sozv9xt9さんへ
こんばんは
ちょっと失望です。
でも約束ですから来ました。
私が昨お願いした「汝自身を知れ」に対する答えは用意されていますか。
これは メッセージ 890 spzv9xt9 さんに対する返信です
Re: ottyanyori学兄と論拠しようぜ! 2009/10/13 21:30
どのように分かっているのか教えて頂けませんか。
これは メッセージ 895 spzv9xt9 さんに対する返信です
Re: 汝自身を知れ! 2009/10/13 21:58
spzv9xt9さんへ
ありがとうございます。
これでこそ対話です。
次のステップに移って行きましょう。
「自分の無知を自覚し、その自覚にもとづいて、真の知恵を獲得し、その知恵にたって正しい行いをせよ。」
正にその通りだと思います。
この言葉には、次の三つの事が謳われていますよね。
一 無知の知
二 知恵の獲得
三 知恵に基づく行動
それぞれについて、どう言う事なのか、教えて下さい。
これは メッセージ 899 spzv9xt9 さんに対する返信です
Re: 汝自身を知れ! 2009/10/13 23:15
spzv9xt9さんへ
ありがとうございます。
実を言うと「無知の知」について、spzv9xt9さんに対して質問をしましたが、私の中で明確な答えがあった訳ではありませんが、spzv9xt9さんの返答で次のようなことを思いましたがどうでしょう。
それは「知恵」と「知識」と言う概念です。
知識は無限だが、私たちが知り得る知識は限られたものである。
一方、知恵も無限だが、それは全て自分のものと成り得る。何故なら、それは自分自身から発せられたものだから。
少し分かり難いですよね。
ここで話題を変えましょう。
spzv9xt9さんは「知識」について、どう定義しますか。
また、「知恵」について、どう定義しますか。
spzv9xt9さん自身の考えをお聞かせください。
これは メッセージ 901 spzv9xt9 さんに対する返信です
Re: 汝自身を知れ! 2009/10/13 23:34
spzv9xt9さんへ
今日はもう時間がありませんので電源を切ります。
最後に次の文章を掲載しておきます。
これはヨハネ福音書第1章第1節から4節までの文章です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記文章について、「私」と「知恵」と「言葉」と言う概念を念頭に置きながら、解釈してみてください。
すなわち、遠い向こうのお話と言う事ではなく、自分自身に置き換えて解釈しみてください。
これは メッセージ 902 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 汝自身を知れ! 2009/10/14 23:00
allemardositterさんへ
はじめまして
「私」すなわち、仮想の骨太な存在を自我の拠り所とし、
所謂、ニーチェ曰く「意志の力」を持たない
畜群の典型例。
「知恵」それは真理であると信じられているもの。の典型。
>初めに言があった。
「言」によって、あらゆる事象を統制しようと言うセム族の戦略といって良い。
“語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない”
この大きな出発点を踏み出すことが「哲学」である。
とても素晴らしい解釈ありがとうございます。
疑問と意見です。
どうして、「私」が意志の力を持たないのでしょう?
「知恵」それは真理と信じられているもの。
私にとっては、とても愉快な言葉です。
ところで、allemardositterさんは「知恵」を実感した事があるのですか。
尤も、私は知恵が真理だとは思っていません。
それは、「言」も「神」も「霊」も同じです。
それらは、私を高みに引き上げてくれるものです。
「言」とは、神であり、霊であり、知恵です。
そしてそれらが体現されたものが言葉です。
「言」を愛し、神を愛し、霊を愛し、知恵を愛し、「言葉」を愛する、これが哲学です。
決して沈黙してはなりません。
これは メッセージ 911 allemardositter さんに対する返信です
Re: 汝自身を知れ! 2009/10/14 23:26
allemardositterさんへ
由仮説我法 有種種相転 彼依識所変 此能変唯三
謂異熟思量 及了別境識 初阿頼耶識 異熟一切種
不可知執受 処了常与触 作意受想思 相応唯捨受
是無覆無記 触等亦如是 恒転如暴流 阿羅漢位捨
次第二能変 是識名末那 依彼転縁彼 思量為性相
四煩悩常倶 謂我癡我見 併我慢我愛 及余触等倶
有覆無記摂 随所生所繋 阿羅漢滅定 出世道無有
次第三能変 差別有六種 了境為性相 善不善倶非
此心所遍行 別境善煩悩 随煩悩不定 皆三受相応
初遍行触等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同
善謂信慚愧 無貪等三根 勤安不放逸 行捨及不害
煩悩謂貪瞋 癡慢疑悪見 随煩悩謂忿 恨覆悩嫉慳
誑諂与害驕 無慚及無愧 掉挙与昏沈 不信併懈怠
放逸及失念 散乱不正知 不定謂悔眠 尋伺二各二
依止根本識 五識随縁現 或倶或不倶 如濤波依水
意識常現起 除生無想天 及無心二定 睡眠与悶絶
是諸識転変 分別所分別 由此彼皆無 故一切唯識
由一切種識 如是如是変 以展転力故 彼彼分別生
由諸業習気 二取習気倶 前異熟既尽 復生余異熟
由彼彼遍計 遍計種種物 此遍計所執 自性無所有
依他起自性 分別縁所生 円成実於彼 常遠離前性
故此与依他 非異非不異 如無常等性 非不見此彼
即依此三性 立彼三無性 故仏密意説 一切法無性
初即相無性 次無自然性 後由遠離前 所執我法性
此諸法勝義 亦即是真如 常如其性故 即唯識実性
及至未起識 求住唯識性 於二取随眠 猶未能伏滅
現前立少物 謂是唯識性 以有所得故 非実在唯識
若時於所縁 智都無所有 爾時住唯識 離二取相故
無得不思議 是出世間智 捨二麁重故 便証得転依
此即無漏界 不思議善常 安楽解脱身 大牟尼名法
とても素晴らしい名文ありがとうございます、
出典を教えて頂けると、とても嬉しく思います。
未だ全然読み込んでいませんが、allemardositterさんが言われる通り、この言葉通りが私の主張している事だと思います。
私は古今東西の全ての名著(特に古代古典)を哲学、すなわちphilosophia、知恵を愛すると言う概念に統一しようと考えているのです。
私はその観点から全ての古今東西の名著を読んでいますが、私の知恵がそうだと認証してくれます。
私の提唱する哲学フォーラムは、みんながそれぞれにばらばらだと思っているそれを、哲学と言う名の下に統一しようと考えているのです。
私の哲学は文献哲学ではありません。
この日本を少しでも良い方向に持って行こうとする為の,知恵を愛する為の哲学なのです。
これは メッセージ 912 allemardositter さんに対する返信です
Re: 哲学と宗教の違い 2009/10/15 22:48
fushiooさんへ
返信ありがとうございました。
あの時、どうして対話が終わったか、それは自然の成り行きだったと思います。
そしてまたこうして対話が始まる、それもまた自然の成り行きです。
そしてまた対話が終わる、それも自然の成り行きです。
どうしてあの時対話が終わってしまったかと言えば、私に別な用事が出来たと言う事になります。
私の自由時間はごく限られているのです。
その時間をどのように使うかは、私に決定権があります。
あの当時の掲示板の記録を見て貰えば、分かると思いますが、fushiooさんとの対話を最後に、私は長期間掲示板から離れています。
そこには私の様々なプライベートがあるのです。
そしてまた少し時間が出来ました。
そこで哲学フォーラムWEB試行と言う試みを始めたのです。
その試行をする中で、spzv9xt9さんとottyanyoriさんの心温まる対話を目にしたのです。
私もその中に入ろう、そう思って、10月12日「No884」からこの掲示板の対話へと入って来たと言う次第なのです。
私はその中で次のように提案しています。
「spzv9xt9さんへ
はじめまして
ここで自分自身を探求してみませんか。
もし自分自身がこの上なく素晴らしい存在だと分かれば、これ以上に素晴らしい事は ありませんよね。
そんな素晴らしい存在をここで探求してみませんか。」と
私とspzv9xt9さんとottyanyoriさんとの対話の中に、fushiooさんも一緒に入ってみませんか。
何故なら、spzv9xt9さんは、「fisiooo学兄へ、心より感謝!」(No905)、「[fushiooo学兄以外論拠する必要性なし!](No905)と言い、No905では「おいどんは学兄に問い諭していただきたし!」とも言っているのですから。
なお、哲学と宗教は同じか否かと言う質問に対しては次にように答えておきます。
哲学と宗教は違う。
しかし宗教の創始者は皆、哲学者であったと。
イエスしかり、ブッダしかり、マホメットしかり、
空海しかり、道元しかり、親鸞しかり・・・・と
私は彼らの書の中に、彼らが如何に知恵を愛したかを見るのです。
そして、彼らの愛し方の中に、私の知恵の愛し方の相似を見る時、とても嬉しくなるのです。
それが私の読書の楽しみです。
数日前までは、(哲学フォーラムWEB試行の中で)ダビデのそれを楽しんでいたのですが、そんな中、spzv9xt9さんとottyanyoriさんの心温まる対話が目の中に飛び込んで来たのです。
私が何故哲学フォーラムを提唱しているのか、
それは皆さんに古今東西の聖人賢人哲人偉人たちの知恵の愛したかを学んで欲しいからです。
その知恵の愛し方を学べば、不幸になる事はありません。
少なくとも知恵を愛している間だけは。
毎日、1時間でも、知恵と愛し合う時間も持てば、その人は不幸になる事はありません。
何故なら、その1時間の為に、1日の残りの時間を辛抱するようにもなるからです。
私はその事をspzv9xt9さんに提唱したくて、この掲示板の対話に中に入って来たと言う次第です。
現在、対話は中断中です。
尤も、fushiooさんが入って来れば、また対話が再燃するかもしれません。
何故なら、spzv9xt9さんは、fushiooさんに対して、上記のような念を抱いているのですから・・・
これは メッセージ 904 fushiooo さんに対する返信です
Re: 汝自身を知れ! 2009/10/15 23:55
yunikoさんへ
返信ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は哲学書を読む時は、常に哲学(philosophia、知恵を愛する)と言う事を念頭に置きます。
そして、その概念に合う言葉を見付けた時は、とても嬉しくなります。
上記は、そんな言葉の中でも、とびっきり上等なものです。
哲学(philosophia=知恵を愛する)の舞台に立つのは、私と知恵と言葉です。
私とは美しき善きものを求めようとする私です。
そして知恵はそれに答えようとするものです。
私と知恵の結婚、その恍惚の中で生まれ出るもの、それが言葉です。
イエスと聖霊と神、
これが三位一体です。
イエスとは美しき善きものを求める人間の代表。それは私でもあり、貴方でもある。
聖霊とは知恵。
神とは知恵の連合体。
聖霊とは私の神であり、貴方の神である。
それぞれの神を求めた時、そこに共通の神の概念が生まれる。
それは竈の神であり、民族の神であり、教会の神である。
キリスト教会の神、その具現が聖書。
聖書、それは知恵(聖霊)の言葉 。
それは、イエスの知恵の言葉であり、ダビデの知恵の言葉であり、ソロモンの知恵の言葉であり、パウロの知恵の言葉である。
それは全て共通する。
彼らの神(知恵=聖霊)が、私の中にもある。
人間皆兄弟、それは知恵を共有するから・・・
私の知恵とyunikoさんの知恵は奥深い所では一緒。
哲学フォーラムは、それを皆で確認する場所。
この世の全てを捨て、自分自身の深い所に入り込んだ時、そこに私たち共通の神(知恵)が存在する。
「道生一、一生二、二生三、三生万物」(老子)
この言葉と上記ヨハネの言葉を突き合わせれば、何かが生まれるかも知れませんね・・・
これは メッセージ 907 yuniko99 さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/10/17 0:10
ottyanyoriさんへ
返信有難うございます。
下記の詩は、約3000年前の、古代ユダヤ王国の初代の王ダビデの歌ですが、
ottyanyoriさんの心からの歌でもありますよね。(弱きを助け強きを挫く)
ここで言う主とは、ダビデの心からの願いが人格神となったものですが、
またottyanyoriさんの心からの願いの人格神でもありますよね。
この人格神が人と成ったのがイエスであり。
今のottyanyoriさんです。
どうか現人神となって、貧しい人を救って下さい。
確かに今、私はそれを目にしているのです。
「主よ、貴方は貧しい人に耳を傾け、
その願いを聞き、彼らの心を確かにし、
みなしごと虐げられている人の為に裁きをして下さいます。」(詩篇10)
「貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても、
主は必ず、避けどころとなって下さる。」(詩篇14)
「貴方の慈しみ生きる人に貴方は慈しみを示し
無垢な人には無垢に
清い人には清くふるまい
心の曲がった者には背を向けられる。
貴方は貧しい民を救い上げ
高く見る目を引き下ろされる。」(詩篇18)
「主は貧しい人の苦しみを
決して侮らず、蔑まれません。
御顔を隠す事なく、
助けを求める叫びを聞いて下さいます。」(詩篇22)
「主は恵み深く正しくいまし、
罪人に道を示して下さいます。
裁きをして貧しい人を導き、
主の道を貧しい人に教えて下さいます。」(詩篇25)
「私の魂は主を賛美する。
貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。」(詩篇34)
「悪事を謀る者は裁たれ、
主に望みをおく者は地を継ぐ。
しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。
彼のいた所調べてみよ、彼は消え去っている。
貧しい人は地を継ぎ、
豊かな平和に自らをゆだねるであろう。」(詩篇37)
「主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り、
貧しい人、乏しい人を倒そうとし、
まっすぐに歩む人を屠ろうとするが、
その剣はかえって自分の胸を貫き、
弓は折れるだろう。
主に従う人が持っている物は僅かでも、
主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。」(詩篇37)
「神は聖なる宮にいます。
みなしごの父となり、
やもめの訴えを取り上げて下さる。
神は孤独な人に身を寄せる家を与え、
捕らわれ人を導き出して清い所に住まわせて下さる。
背く者は焼けつく地にすまなければならない。」(詩篇68)
「恵み深い神よ、
貴方は貧しい人にその地を備えられた。」(詩篇68)
「主は乏しい人々に耳を傾けてくれます。
主の民の捕らわれ人らを決しておろそかにはされないでしょう。」(詩篇69)
「主は全て虐げられている人の為に、
恵みの御業と裁きを行われる。」(詩篇103)
「私は知っています。
主は必ず、貧しい人の訴えを取り上げ、
乏しい人の為に裁きをして下さることを。」(詩篇140)
これは メッセージ 932 ottyanyori さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/10/17 11:21
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。(ヨハネ福音書第1章)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
言とは、諸刃の剣である。
正しく伝われば、愛や思いやりもはぐくまれるが、受けて次第でいかようにも姿を変え
る。
あらぬ悲しみや、苦しみも言ゆえにである。
国にあっては、繁栄と平和をもたらすか、滅亡と混乱を招くのも言の、伝わり方次第だ。
そこに哲学の必要性が生まれてきたと思う。(ottyanyoriさんの言葉)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ottyanyoriさんは「言」の意味を正しく理解していらっしゃると思います。
一番目の歌と二番目の歌は、全く呼応していると思います。
言のうちに命があった。
その命を愛する事こそが、哲学である。
そこから生まれて来る言葉が、愛であり、思いやりであり、そして国に繁栄と平和を齎す言葉たちです。
ottyanyoriさんの言葉が人の心を捉えるのは、「言」を愛する過程で生まれた言葉だからです。
「言」は言葉に成って、初めて人の心を捉えます。
どうか、「言」の賛歌を謳い続けて下さい。
これは メッセージ 938 ottyanyori さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/10/17 12:16
fushiooさんへ
返信ありがとうございます。
確かに貴方の言う通りです。
人への愛が足りないのです。
「『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
私の天の父の御心を行うものだけが入るのである。」
私はこの事をいつも思っていました。
その為に「哲学フォーラム」と言う概念を生み出したのです。
掲示板は知恵を育む場とはなりますが、愛を育む場とは成り得ないのです。
愛とはある意味ではエロスです。
そこに「人」と言う生身があってこそ成立するのです。
私の提唱する哲学フォーラムとは、全ての小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すると言うものです。
そこでは、人と人が目と目を合わせて対話を行うのです。
そこには当然、fushiooさんの言う信頼関係が生まれます。
その関係の中で、人への愛と知恵への愛が同時に育まれて行く事になるのです。
誰かが言っていましたが、日曜学校みたいなものです。
しかし、そこには神もいませんし、経典もないのです。
哲学フォーラムに人は皆、哲学philosophia、と言う時の知恵を求めてやって来るだけなのです。
だから名称も哲学フォーラムなのです。
私は哲学には二つの概念があると思っています。
一つは文献哲学であり、
他の一つはphilosophia、すなわち知恵を愛するという事です。
私の主唱する哲学は、あくまでも後者です。
広辞苑には次のようにあります
てつがく【哲学】(philosophy)(philosophiaギリシアは愛智の意・・・)
私の言う哲学はこの哲学です。
私はキリスト教会の神は信じていません。
しかしイエスの喩えとしての神は信じています、と言うよりも信じたいと思います。
何故なら私の深い所に存在する私自身なのですから。
美しく、清く、善きものを求めようとする私であり、その私に精一杯応えようとする私なのですから。
全ての哲学は、そこから生まれて来たのではないでしょうか。
プラトンもソクラテスもカントもデカルトもショーペンワウワーも。
勿論、イエスもブッダも孔子も老子もみんなそうです。
哲学フォーラムはとても面白い場所なんですよ。
これは メッセージ 940 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 哲学と宗教 2009/10/17 23:17
ottyanyoriさんへ
一体どうしたと言うのです。
ottyanyoriさんの全てのメッセージが知恵に溢れています。
何か心境の変化があったのでしょうか。
ここからは私の推察です。
きっと、ottyanyoriさんの心の中に「言」が生まれたのですね。
これからottyanyoriさんの素晴らしい世界が築かれて行くのですね。
知恵と愛に満ちた秩序の体系が・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。(ヨハネ福音書第1章)
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哲学の求めるものが、初め秩序であり、秩序のために宗教が生み出されたものと解釈している。
日本の武士道の中に、その秩序があり、宗教を必要としなかった、と言うものである。
日本の秩序は、いつでも一命を投げ出す覚悟のできた、武士である父の背を見て育つ子に受け継がれる、子もまた一命を賭けて人生を歩み始める、ここには宗教の入り込む余地はなかった、と解釈する。(ottyanyoriさんの言葉)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからは、ottyanyoriさんの言葉に対する私の意見です。
その通りです。
真の哲学者には宗教は必要ないのです。
真の哲学者は、自らにおいて、自らの秩序の体系を創り上げ、そしてその体系の中で自らを律して行くのです
彼らに教団,僧団、教会は必要ないのです。
武士道においては、親から子へ、以心伝心、秘伝口伝で、知恵の愛し方が伝えられていったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父の諭し(一例)
わが子よ、
私の言葉を受け入れ、戒めを大切にして、
知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら、
分別に呼びかけ、英知に向かって声を上げるなら
銀を求めるようにそれを尋ね、
宝物を求めるようにそれを捜すなら、
貴方は主を畏れる事を悟り、
神を知る事に達するであろう。
知恵を授けるのは主。
主の口は知識と英知を与える。
主は正しい人の為に力を、
完全な道を歩く人の為に盾を備えて、
裁きの道を守り、
主の慈しみに生きる人の道を見守って下さる。
また貴方は悟るであろう、
正義と裁きと公平は全て幸いに導く、と。
知恵が貴方の心を訪れ、知識が魂の喜びとなり、
慎重さが貴方を保ち、英知が守ってくれるので、
貴方は悪い道から救い出され、
暴言を吐く者を免れる事が出来る。・・・・・・(旧約聖書「箴言6」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ottyanyoriさん以外の皆様へ
ここで言う神や主を、中近東、エルサレム、シオンの山に求めても無駄ですよ。
貴方の心の中にこそ求めなければならないのです。
これは メッセージ 942 ottyanyori さんに対する返信です
哲学フォーラム試行 2009/10/18 12:13
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拝啓 皆様へ
私は哲学フォーラムを提唱しているものです。
哲学フォーラムとは、日本全国の全ての、小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものです。
この哲学フォーラムにおいて、様々な哲学テーマについて、世代を超えた対話が行われる事になります。
この哲学フォーラムにおいては、二つの対話が行われる事になります。
一つは、哲学的素養に優れた人と一般の人々との対話です。
もう一つは、古今東西の名文を基に行う対話です。
後者の対話が円滑に行われるよう、『哲学読本大全』と言うものを作成します。
『哲学読本大全』は、市民にとって大切と思われる哲学テーマについて、古今東西の名文を集めたものです。
当初は、500の哲学テーマについて、100の名文を集める事にしています。
1つの名文の文章量は、起承転結がはっきり分かる4000字程度を想定しています。
『哲学読本大全』は、基本的にはWEB上で公開する事になります。
市民の方々は、『哲学読本大全』から名文を取り出し、それに基づいて対話を行う事になります。
私は現在関係機関に、『哲学読本大全』の作成も含めて提唱していますが、哲学フォーラムが実現するまでには、未だ相当な期間がかかりそうですし、また哲学フォーラムに関する様々なノウハウを手に入れる必要性も感じています。
そう言う事で、当分、この掲示板上において、哲学フォーラムを試行して行きたいと思います。
この掲示板で行う哲学対話はあくまでも、『古今東西の名文を基に行う対話』です。
あるテーマについて、哲学対話を行いたい人は、先ずは名文を掲載し、そしてそれに基づき自分の意見を述べて下さい。
そこからが全てのスタートです。
なお、名文の分量については、その主題へ至る起承転結がはっきり分かる程度の分量として下さい。少なくとも1000字程度はお願いします。500字でも結構です・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
拝啓 皆様へ
私は少し前、哲学フォーラムの試行を宣言し、旧約聖書の「詩篇」のダビデの詩を基に試行を行いましたが、実を言うと皆様からの反応はあまり期待していませんでした。
実際皆様からの反応は皆無でした。
何故か、それは皆様が「神」の事について、ちんぷんかんぷんだからです。
もし、「神」の事をよく知っていたら直ぐにも反応した筈です。
「神」を良く知る為には、自分自身を良く知らなければならないのです。
皆さんは自分自身の事を知らないから「神」の事が全く分からないのです。
「神」には二つの概念があります。
すなわち「私の神」と「神」です。
この「私の神」は貴方自身しか知りえないのです。
もし「私の神」を知る事が出来れば、「神」も知る事が出来るようになります。
旧約聖書の「詩篇」のダビデの詩は、未だ終わってはいないのですが、この程度の総括とし、今度は、本当に皆さんと一緒に哲学フォーラムを試行して行きたいと思っていますので、「神」の概念の全く無い『論語』を対象に、哲学フォーラムを試行して行きたいと思っています。
孔子は弟子の問いに次にように答えています。
「季路、鬼神に事(つか)えんことを問う。子の曰く、未だ人に事(つか)うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼に事(つか)えん。
曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らん。」と
孔子は、「神」についても、「死後世界」 についても、弟子に対しては、ノーコメントだったのです。
孔子の哲学は、純粋な人生哲学です。
この純粋な人生哲学を基に、哲学フォーラムを試行しましよう!!!
なお、先ほど、論語をぱらぱらとめくり,第一から第四までの中の、気に入った言葉(節)を書き出してみました。
次のメセージに掲載して置きます。
もし、皆様がどれかの言葉(節)に対して意見がありましたら、是非陳述して下さい。
そこから哲学フォーラムの始まりです!!
これは メッセージ 1 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラム試行 2009/10/18 12:15
『論語』、第一(學而)より第四(里仁)まで、抜粋、但し節については全文掲載
「子の曰わく、学びて時に習う、亦楽しからずや。朋あり、遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして愠みず、亦君子ならずや。」(學而第1-1)
「子の曰わく、詩三百、一言以ってこれを覆う、曰く思い邪なし。」(為政第2-2)
「子の曰わく、故きを温めて新しきを知る、以って師と為るべし。」(為政第2-11)
「子の曰わく、君子は周して比せず。小人は比して周せず。」(為政第2-14)
「子の曰わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。」(為政第1-15)
「子の曰わく、韶を謂(のたま)わく、美を尽くせり、又善を尽くせり。武を謂わく、美を尽くせり、未だ善を尽くさず。」(八佾第3―25)
「子の曰わく、仁に里(お)るを美(よ)しと為す。択んで仁に里(お)らずんば、焉(いぞく)んぞ知なることを得ん。」(里仁第4―1)
「子の曰わく、唯だ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む。」(里仁第4―3)
「子の曰わく、荀(まこと)に仁に志せば、悪しきこと無し。」(里仁第4―4)
「子の曰わく、朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。」(里仁第4―8)
「子の曰わく、参よ、吾が道は位地以ってこれを貫く。曾子の曰わく、唯(い)。子出ず。門人問うて曰わく、何の謂いぞや、曾子の曰わく、夫子の道は忠恕のみ。」(里仁第4―15)
「子の曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る。」(里仁第4―16)
これは メッセージ 946 sophialover007 さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/10/18 12:25
fushiooさんへ
返信ありがとうございます。
今日は時間がありませんので、簡単にお答えします。
それは、良心です。
それは、全ての人の心に根付いている心根です。
この心に目覚める事が哲学であり、
目覚まそうとするのが宗教です。
これは メッセージ 945 fushiooo さんに対する返信です
哲学フォーラム試行 『論語』 2009/10/18 21:55
皆様へ
一緒に『論語』について、考えてみませんか。
【参考資料】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24940
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24940
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24997
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24997
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25000
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25001
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25002
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25046
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25046
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25049
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25050
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25051
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25053
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25055
これは メッセージ 946 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラム試行 『論語』(修正版) 2009/10/18 22:13
※ 先ほどメッセージ(No949)の中の【参考資料】については、重複、欠落が相当ありましたので、修正版を再度掲示します。
皆様へ
一緒に『論語』について、考えてみませんか。
【参考資料】
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24940
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24964
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24997
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24999
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25000
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25001
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25002
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25046
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25048
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25049
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25050
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25051
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25053
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mi
これは メッセージ 949 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラム試行 『論語』、仁について 2009/10/18 22:38
拝啓 皆様へ
孔子の中心思想は『仁』です。
私は『仁』について、下記のとおり考えています。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=24940
mlc13696さんも下記の通り賛意を示してくれて頂いています。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835217&tid=bfc0a4oa4a4a4ka4ab&sid=1835217&mid=25025
皆様はどのようにお考えですか。
反対意見でも結構ですの、お聞かせ下さい。
これは メッセージ 950 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラム試行 『論語』、仁について 2009/10/18 23:15
fushioooさんへ
「何故、人は、美しく、清く、善きものを求めるのでしょうか。」
それは、それが人間の本能だからです。
私はそれを先ほど良心と呼びましたが、王陽明はそれは「良知」と呼んでいます。
そして、孔子は『仁』と呼んでいます。
私と一緒に『論語』、孔子の仁を考えてみませんか。
それはまた、アートマンとも、道とも、聖霊とも呼ばれます。
それは貴方の心深くに眠っています。
それを呼び覚まさなければならないのです。
『哲学フォーラム』は、その一つの方法です。
哲学フォーラムでは、古今東西の名文中の名文を基にそれを呼び覚まします。
キリスト教会では、その為に、聖書と牧師(神父)さんとそしてクリスチャンたちとともに行います。
ですからその呼び覚ます力はとても強いのです。
しかしまた、一方では教会に拘束される事にもなります。
『哲学フォーラム』は、各自の自由意志に基づき、その良心を目覚めさせてあげるのです。
カントが良心の事をどう言ったか知っていますか。
ルソーが良心の事をどう言ったか知っていますか。
『哲学フォーラム』では、それらを教材とするのです。
勿論良心に目覚めた後は、その良心に基づき、この社会を、出来たら善美に溢れた社会に築き直して行くのです。
それが『哲学フォーラム』です。
『哲学フォーラム』の趣旨を分かって頂けたでしょうか。
『哲学フォーラム』では、神は全く関係ありません。
しかし、イエスやブッダやマホメットの教えは最大限尊重するのです。
何故なら、それこそが、光り輝く良心(知恵)だからです。
これは メッセージ 945 fushiooo さんに対する返信です
Re: 哲学フォーラムと哲学教育 2009/10/19 23:41
fushioooさんへ
哲学とはphilosohia、知恵を愛する事。
これは本能です。
しかし第二の本能と呼ばなければならないのかも知れません。
人間が、この世からかの世に渡った時、
哲学philosphiaが人間の本能となるのです。
知恵を愛さずにはいられない
知恵と私の結婚から生まれて来る言葉たち、
それが哲学の全体系です。
「道生一、一生二、二生三、三生万物」(老子)
これは メッセージ 954 fushiooo さんに対する返信です
『哲学フォーラム』~より良き日本の為に~ 2009/10/21 22:18
badbloodさんへ
はじめまして
「人間の内なる深淵においては、すべてのものに意味がある。」
「今、必要なものは哲学と政治と経済をどう包括して一体化するのに神経を使うべきだ。」
正にその通りだと思います。
その為に、私は『哲学フォーラム』を提唱しています。
哲学フォーラムとは、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものですが、それぞれの哲学フォーラムにおいて、小学生、中学生、高校生、大学生、そして市民は先ず、哲学、すなわち知恵を愛する事を学びます。
そして、その哲学を基に、政治を学び、経済を学び、それを更に社会に生かす事によって、より良き日本を築いて行こうとするものです。
その為にも、日本人の多くの人が「内なる深淵」、すなわち『知恵』を学ばなければならないのです。
知恵の存在を知れば、誰もが知恵を愛さずにはいなくなります。
もし哲学、すなわち知恵を愛する事の楽しさを学べば、もっと素晴らしい世界へ、そんな理想が生まれて来る事でしょう。
そんな理想が響き合う事によって、この日本も素晴らしい国家へと変身して行くのです。
哲学フォーラムとは、そんな仕組みです。
その為にも、多くの日本人が、「内なる深淵」、すなわち『知恵』に気付かなければ為らないのです。
哲学フォーラムの第一の目的は,知恵に気付き,知恵を愛する(哲学する)ようになる事です。
哲学(知恵を愛する事)の楽しさを知れば、それを政治に経済に応用する事になるのです。
これは メッセージ 953 badblood2050 さんに対する返信です
哲学フォーラム試行 『論語』、仁について 2009/10/23 23:10
下記はかつて、私が孔子、論語の仁について、考えた一節です。
下記に基づいて、孔子、論語の仁について、一緒に考えてみませんか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて人の子として教え
すなわち道徳教育だけを推進したと思われている孔子
彼は単なる道徳先生だったのでしょうか
孔子はこう言っています
「予一以貫之」 予(われ)一を以って之を貫くと
この一を読み解く事が
孔子 論語を 読み解く事に他ならないのです
孔子は弟子との対話でこう言っているのです
私は多くの事を学んで知る者と成ったと思っているのか
そうではないのですか 違う
私は一を以ってここに至ったのだと
さて一とは何でしょう
「三人よれば文殊の知恵」
イエスの言葉「二人または三人が私の名によって集まる所には私もいる」
孔子にも同じ様な言葉があります
「我三人行 必得我師」 我ら三人行えば 必ず我らが師を得る
我々は神(主)によって生き
我々が集う所には聖霊も宿る
そんな事を彷彿と予感させませんか
さて孔子の思想の中で中心となるのは
何と言っても「仁」ですよね
孔子の言う仁とは一体何なのか
孔子の言葉に沿って考えて見ましょう
さて仁とは存在なのでしょうか
働きなのでしょうか
それとも状態なのでしょうか
そのいずれでもあります
山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う・・・
仁も遙か彼方にあるのでしょうか
いえ仁もすぐ貴方の側に在るのです
「仁遠乎哉 我欲仁 斯仁至乎」
(仁遠からんや 我仁を欲すれば 斯〈ここ〉に仁至る)
さて仁はどんな性格のものでありどんな力があるのでしょう
「克己復禮為仁 一日克己復禮 天下帰仁焉」
克己して禮に復した時 仁と為るのです
もし貴方が一日克己復禮して仁と為るならば
天下の全てが仁に帰すのです
凄いでしょう仁の力は
仁にはこう言う力もあるのです
「有能一日用其力於仁乎乎 我未見力不足者」
もし貴方が仁おいて一日其の力を用いれば
貴方には出来無い事は何も無いのです
仁にはそんな凄い力があるのです
だから古来君子たちは
「仁以為己任」
仁を己の仕事として来たのです
そしてどん苦難にあってもどんな結末を迎えても
彼らはこう言うのです
「求仁而得仁 何怨乎」
私は仁を求めて仁を得ました 何を怨む事が有りましょう
「欲仁而得仁 焉貪」
私は仁を欲して仁を得ました どうして貪る事など考えたでしょう
さて仁にある人はどう言う状態に為るのでしょう
「苟志於仁乎 無悪也」
仁に志せば悪が無く成るのです
何と言う効用でしょう
「好仁者無以尚之」
仁を好む者については之より尚なる事はないのです
ほとんどパーフェクトですね
「里仁為美」
仁に里(お)れば美しくも成るのです
だから仁に当たっては師に譲る事も無いのです
「当仁不譲於師」
何故なら仁は己自身の中に見出さなければならないもので
他人はその仁を見せてあげる事も
身に付けさせてあげる事も出来ないのです
「為仁由己 而由人乎哉」
その仁を身に付ける為にはやはり
「入大廟 毎事問」
大廟に入って 事毎に問わなければならないのです
私たちの場合であれば
「奥まった部屋に入り戸を閉めて」
主よ主よと祈らなければならないのです
しかし孔子はそんな事は言いませんでした
それは人に事(つかえ)ることが出来ないのに
どうして神に事(つかえ)ることが出来ようか
そう考えたからです
「未能事人 焉能事鬼」
孔子は仁に至る道をこう教えました
「博学而篤志 切問而近思 仁在其中矣」
博く学び志を篤し 切に問い近くを思いなさい
そうすればそこに仁が浮かび上がって来るでしょうと
すなわち孔子は
ソフィア(知恵)による聖霊(仁)への道を説いたのです
ソクラテスプラトンの様に
「朝聞道 夕死可乎」(朝に道を聞けば 夕べに死すとも可なり)
その道は仁への道で無ければ 何への道だったのでしょう
「予一以貫之」(予(われ)一を以って之を貫く)
これは メッセージ 951 sophialover007 さんに対する返信です
哲学とはphilosophia,それは知恵を愛する事 2009/10/24 12:25
【哲学とはphilosophia、それは知恵を愛する事】
哲学とはphilosophia、それは知恵を愛する事です。
この事を正しく認識したら、哲学ほど楽しいものはありません。
しかし多くの日本人はこの事を認識していません。
何故でしょう。
それは、この事を高らかに叫ぶ人がいないからです。
哲学=philosophia=知恵を愛する事。
この概念は、私が持ち出したものではありません。
古代ギリシアでは盛んに言われていた事です。
広辞苑にも次のように記載されています。
てつがく【哲学】(philosophy)(philosophiaギリシアは愛智の意。)・・・・、と。
多くの日本人が考えている哲学の概念は文献哲学です。
デカンショ、デカンショで日が暮れた♪と言う様に、デカルト、カント,ショーペンハウワー等の文献を研究する事、それが日本における哲学の概念です。
そう言う訳で、私はいつも次にように言っています。
哲学には二つの概念があると。
一つは文献哲学であり、
もう一つは、哲学philosophia、知恵を愛する事だと。
勿論、私の提唱する哲学は、哲学philosophia、知恵を愛する事です。
私はこの概念を日本国中に広げたいと思っています。
私はその為に『哲学とはphilosophia、それは知恵を愛する事(仮題)』と言った著書を著したいと思っています。
この著書においては、古今東西の聖人賢人哲人偉人たちが、如何に知恵を愛したかを著したいと思っています。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
皆様へ
当分の間は、『哲学とはphilosophia、それは知恵を愛する事(仮題)』作成に全力を傾注したいと思いますので、対話はお休みにします。
なお、この掲示板をその為のノートにしたいと考えています。
ottaynyoriさん、fumtさん、yunikoさん、そして皆様へ
これまで通り、哲学及び知恵に関する素晴らしい言葉を御寄せ下さい。
励みになります。
これは メッセージ 974 sophialover007 さんに対する返信です
哲学フォーラム
と
哲学一貫教育
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文目次
1 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成20年7月作成:送付せず)・・・・・277
2 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成20年11月16日:メール送信)・・・300
3 各大学哲学担当教官殿宛て(平成20年11月作成:送付せず)・・・・・・・・・・407
4 都道府県教育委員会小中高校教育担当課長殿宛て(平成20年11月28日:メール送信)・・420
都道府県教育委員会社会教育担当課長
5 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成20年12月14日:メール送信)・・・427
都道府県教育委員会教育長
6 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成21年1月9日:メール送信)・・・・437
各都道府県教育委員会教育長
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長
国立大学人文社会学部系哲学担当教官
私立大学人文社会学部系哲学担当教官
日本教育大学協会会長殿
日本教育学会会長
日本哲学会会長
日本倫理学会会長
日本道徳教育学会会長
全国公民館連合会会長
日本PTA全国協議会会長
日本新聞協会会長
文部科学省初等中等教育局長
文部科学省生涯学習政策局長
文部科学省高等教育局長
内閣官房教育再生懇談会 会長
7 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成21年6月24日:郵送)・・・・・・・・・448
8 岩波書店編集局哲学担当編集部長殿宛て(平成21年9月5日:郵送)・・・・・・464
角川書店編集局哲学担当編集部長
新潮社編集局哲学担当編集部長
小学館編集局哲学担当編集部長
集英社編集局哲学担当編集部長
講談社編集局哲学担当編集部長
文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
中央公論社編集局哲学担当編集部長
筑摩書房編集局哲学担当編集部長
河出書房新社編集局哲学担当編集部長
※ 「哲学一貫教育」及び「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の提唱文については、下記一覧表のとおり作成しているが、下記一覧表の1から8までは、平成20年11月に作成した冊子『哲学フォーラムを哲学一貫教育』に掲載済みである。今回掲載の提唱文は、冊子『哲学フォーラムを哲学一貫教育』作成以後に作成したものである。
「哲学一貫教育」及び「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱一覧
提唱年月日 提唱文宛名 冊子 送付
1 H20.02.03 文部科学省初等中等教育局長 ○ 郵送
2 H20.02.10 文部科学省生涯学習政策局長 ○ 郵送
3 H20.02.17 内閣官房長 ○ 郵送
4 H20.03.09 文部科学省初等中等教育局教育課程課長 ○ 郵送
5 H20.03.18 文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官 ○ 郵送
6 H20.04.07 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官 ○ 郵送
7 H20.11作成 各国立大学教育学部哲学教育担当教官 ○ ×
8 冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」送付文
① H20.11作成 各国立大学教育学部哲学教育担当教官 ○ ×
② 〃 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官 ○ ×
③ 〃 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長 ○ ×
④ 〃 文部科学省初等中等教育局教育課程課長 ○ ×
⑤ 〃 文部科学省生涯学習政策局政策課長 ○ ×
⑥ 〃 文部科学省生涯学習政策局社会教育課長 ○ ×
⑦ 〃 文部科学省高等教育局高等教育企画課長 ○ ×
⑧ 〃 内閣官房教育再生懇談会担当室長 ○ ×
⑨ 〃 (社)全国公民館連合会長 ○ ×
⑩ 〃 北海道大学教育学部教育哲学担当教官 (連名)
東北大学教育学部教育哲学担当教官
東京大学教育学部教育哲学担当教官
名古屋大学教育学部教育哲学担当教官
京都大学教育学部教育哲学担当教官
大阪大学教育学部教育哲学担当教官
九州大学教育学部教育哲学担当教官 ○ ×
⑪ 〃 北海道大学文学部哲学担当教官 (連名)
東北大学文学部哲学担当教官
東京大学文学部哲学担当教官
名古屋大学文学部哲学担当教官
京都大学文学部哲学担当教官
大阪大学文学部哲学担当教官
九州大学文学部哲学担当教官 ○ ×
⑫ 〃 朝日新聞東京本社編集局教育担当部長 (連名)
毎日新聞東京本社編集局教育担当部長
読売新聞東京本社編集局教育担当部長
産経新聞東京本社編集局教育担当部長
日本経済新聞編集局教育担当部長 ○ ×
⑬ 〃 日本放送協会報道局教育担当部長 (連名)
日本テレビ放送網報道局教育担当部長
東京放送報道局教育担当部長
フジテレビ報道局教育担当部長
テレビ朝日報道局教育担当部長 ○ ×
⑭ 〃 岩波書店編集局「教育・哲学書」担当編集長 (連名)
講談社編集局「教育・哲学書」担当編集長
小学館編集局「教育・哲学書」担当編集長
新潮社編集局「教育・哲学書」担当編集長
文芸春秋編集局「教育・哲学書」担当編集長
角川書店編集局「教育・哲学書」担当編集長
集英社編集局「教育・哲学書」担当編集長
中央公論新社編集局「教育・哲学書」担当編集長
NHK出版編集局「教育・哲学書」担当編集長 ○ ×
⑮ 〃 各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長 (連名)
各都道府県教育委員会社会教育担当課長 ○ ×
⑯ 〃 各大学哲学担当教官 ○ ×
〃 各新聞社編集局教育担当部長 (連名)
各放送社報道局教育担当部長 ○ ×
⑰ 〃 あとがき ○ ×
9 H20.07作成 国立大学教育学部哲学担当教官 × ×
10 H20.11.16 国立大学教育学部哲学担当教官 × メール
11 H20.11作成 各大学哲学担当教官 × ×
12 H20.11.28 各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長 (連名)
各都道府県教育委員会社会教育担当課長 × メール
13 H20.12.14 国立大学教育学部哲学担当教官 (連名)
各都道府県教育委員会教育長 × メール
14 H21.01.09 国立大学教育学部哲学担当教官 (連名)
各都道府県教育委員会教育長
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長
国立大学人文社会学部系哲学担当教官
私立大学人文社会学部系哲学担当教官
日本教育大学協会長
日本教育学会長
日本哲学会長
日本倫理学会長
日本道徳教育学会長
全国公民館連合会長
日本PTA全国協議会長
日本新聞協会長
文部科学省初等中等教育局長
文部科学省高等教育局長
文部科学省生涯学習政策局長 × メール
15 H21.06.24 国立大学教育学部哲学担当教官 × 郵送
16 H21.09.06 岩波書店編集局哲学担当編集部長 (各通)
角川書店編集局哲学担当編集部長
新潮社編集局哲学担当編集部長
小学館編集局哲学担当編集部長
集英社編集局哲学担当編集部長
講談社編集局哲学担当編集部長
文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
中央公論社編集局哲学担当編集部長
筑摩書房編集局哲学担当編集部長
河出書房新社編集局哲学担当編集部長 × 郵送
16 H21.01.08
~現在 Yahoo掲示板「哲学フォーラムと哲学教育」立ち上げ
メッセージ総数1,159(H21.12.06現在) × 掲示板
※1 1から6までは、「哲学一貫教育」の提唱であり、全て郵送している。
※2 6の東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛てについては、6名の哲学担当教官あてにそれぞれ郵送している。
※3 7は、1から6の仕上げとして、国立大学教育学部哲学担当教官宛てに作成したものであるが、実際の提唱(郵送等)は行っていない。7以後については、主題が「哲学一環教育」から「哲学フォーラム」へ移行している。
※4 8の冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」は、平成20年11月現在までに作成した標題に関する提唱(1から7)を纏め、100部印刷して関係者に送付する予定で作成したものである。また、当該冊子には、当該冊子を関係者に送付する為のた送付文兼提唱文(8の①から⑯まで)も併せて掲載しているが、当該冊子は結局100部は印刷せず、自家保有分の4冊しか印刷していない。当該冊子には、「哲学詩集『百章』」、「私の哲学百章」も掲載している。総頁426。
※5 9から15までは、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」に掲載されていない。今回の『哲学詩集Ⅲ』に掲載する。
※6 9は、1から6の仕上げとして、国立大学教育学部哲学担当教官宛てに作成したものであるが、実際の提唱(郵送等)は行っていない。7の素案と成ったものである。
※7 10は、7をメール送信用に作成し直したものである。10については、実際メール送信を行っているし、またメール送信用に作成し直した冊子「哲学フォーラムと哲学教育」も併せて送信しているが、冊子の方は容量オーバーと言う事で受信拒否もかなり出ている。本文については、ほとんどの大学に送信されていると思われる。
※8 11については、国立、私立の4年制大学の全ての哲学担当教官宛てに送信する為に作成したが、実際には送信していない。
※9 12については、実際にメール送信を行っているが、送信先一覧を作成の上、一斉送信を行った為、かなりの受信拒否が出ている。
※10 13については、実際にメール送信を行っているが、送信先一覧を作成の上、一斉送信を行った為、かなりの受信拒否が出ている。
※11 14については、実際にメール送信を行っているが、送信先一覧を作成の上、一斉送信を行った為、かなりの受信拒否が出ている。なお、送信先(アドレス)を把握できなかったものも相当ある。
※12 10、12.13,14のメール送信については、ウェブマスター宛てに送信したものが大半であり、実際に本文宛先まで送信されたかは確認する事ができない。
※13 15については、国立大学教育学部哲学担当教官宛ての最終提唱として、郵送で実際に提唱している。一教官から賛同のメールがあった。
※14 16については、『哲学読本』の作成に関する提唱として、郵送で実際に提唱している。3社から丁寧な断りが来ている。
※15 17については、平成21年1月8日にyahoo掲示板に「哲学フォーラムと哲学教育」を立ち上げ、現在に至っている。
※16 平成20年度から平成21年度にかけては「哲学フォーラムと哲学一貫教育」に染まっている。
※17 『哲学詩集Ⅲ』に掲載される詩は、全てyahoo掲示板「哲学フォーラムと哲学教育」に掲載されたものである。
※18 現在、「『哲学読本』~哲学、それは貴方の智慧を愛する事~」を作成中である。
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
平成20年7月11日作成(提唱せず)
拝啓
教育学部哲学担当教官 殿
私は哲学に非常に関心を持っている者です。
そして哲学によって、日本が素晴らしい国家に成って行くと考えている者です。
私はその為に、『哲学一貫教育』を提唱しています。
『哲学一貫教育』とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学の機会を提供する事により、
日本国民が哲学的に成熟する事を目指すものです。
私は平成20年2月から3月にかけて、哲学一貫教育に関係のありそうな国の機関等にその提唱文を送っています。
それらについては、別途「哲学一貫教育提唱文」として掲載していますので、時間がありましたら、後ほどご覧頂きたいと思います。
この哲学一貫教育は、四つの柱から成っています。
一つ目は、『小中高校哲学一貫教育』です。
二つ目は、小中高哲学一貫教育を基礎とした『一生涯に渡る哲学一貫教育』です。
三つ目は、『大学教育学部における徹底した哲学教育』です。
四つ目は、あらゆる教育機関、学習機関等に設置する『哲学対話室』です。
これらの内容については、「哲学一貫教育提唱文」の中に詳しく記載していますので、後ほどご覧頂きたいと思いますが、ここではその概要を簡単にご説明したいと思います。
先ずは一番目の『小中高校哲学一貫教育』ですが、これについては、文字通り、小中高校に渡って、哲学教育を一貫して行うと言うものです。
方法としては、小学校、中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、小中高校週2時間の哲学一貫教育を完成させます。
哲学一貫教育においては、『哲学読本』と『哲学ノート』と言う二つの教材を使用します。
『哲学読本』とは、各学年に相応しい哲学テーマを30程度選択し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名作の中の名文中の名文を、3編から5編程度集めたものです。
『哲学ノート』とは、哲学読本の読書を契機として、それぞれの哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を、作文として纏める為のノートです。
授業の進め方としては、月曜日の1限目に哲学読本を黙読します。
すなわち、月曜日の1限目に、一つの哲学テーマに関して、古今東西の名作の中の名文中の名文を、3編から5編程度読む事になります。
金曜日の最後の授業、例えば6限目に、哲学読本を契機に、児童生徒がその哲学テーマについて、月曜日から金曜日までに思索した結果を、哲学ノートに作文として纏める事になります。
これを小学校から高校まで一貫して行います。
小学校低学年は読書能力、作文能力が十分でないので、特別の配慮は必要ですが、単純に計算すると、小中高校の12年間の間に、360の哲学テーマ(1学年30哲学テーマ×12年間=360哲学テーマ)について名文中の名文を読み、360の哲学テーマについて作文を書く事になります。
これにより、児童生徒の哲学能力は、世界に類例が無いと言う程、育成される事になります
次に2番目の柱の『一生涯に渡る哲学一貫教育』ですが、これは小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、一生涯に渡って哲学の機会を提供すると言うものです。
先ず大学ですが、大学においても哲学を必修とし、1年から4年まで、毎週1授業時間受講するものとします。
1年から2年までは教養哲学とし、小中高校哲学一貫教育で学んだ事を集大成します。
3年から4年までは専門哲学とし、それぞれの専攻する学問を哲学するものとします。
次に社会教育分野ですが、全ての図書館、公民館等に哲学講座を設けるものとします。
また、「哲学読本大全(全100巻)」を全ての図書館、公民館等に配備するものとします。
「哲学読本大全(全100巻)」とは、主要な哲学テーマを500程度選択し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名作の中の名文中の名文を、100編程度集めたものです。
次に家庭教育分野ですが、結婚出産等に際して、「親子哲学読本」等を配布し、親子哲学対話の機運を醸成するものとします。
次に3番目の柱の『大学教育学部における哲学教育の徹底』ですが、哲学一貫教育の成否は偏に教師にかかっています。
大学の教育学部で徹底した哲学教育を行い、哲学的に優れた教師を養成します。
具体的には、哲学を必修とし、1年から4年まで、毎年通年で週3授業時間受講するものとします。単位的には48単位となります。
哲学の授業内容及び単位は次の通りとなります。
①西洋思想史・・・4単位(代表的西洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
②東洋思想史・・・4単位(代表的東洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
③日本思想史・・・4単位(代表的日本思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
④宗教・・・・・・4単位(代表的宗教の聖典の500編の名文中の名文から学ぶ)
⑤道徳・・・・・・4単位(代表的な徳に関する500編の名文中の名文から学ぶ)
⑥哲学各論・・・・16単位(哲学各論に関する2000編の名文中の名文から学ぶ)
⑦古代哲学講読・・4単位(古代哲学の古典中の古典10冊を学ぶ)
⑧教科哲学・・・・4単位(中学校の9教科を哲学する)
⑨哲学対話・・・・2単位(哲学対話の技術を学ぶ)
⑩哲学作文・・・・2単位(哲学作文の技術を学ぶ)
⑪哲学対話録作成・授業外(在学中に100の哲学対話を行いその対話録を作成する)
⑫哲学作文集作成・授業外(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)
授業内容の詳細については、東京学芸大学哲学・倫理分野教官宛の「哲学一貫教育提唱文」をご覧頂きたいと思います。
なお、文学部の哲学専門教育と教育学部の哲学教育は根本的に違います。
文学部の哲学専門教育は、デカルト、カント、ヘーゲル等の専門家を育成する事にありますが、教育学部の哲学教育は言葉のプロを育成する事にあります。
すなわち、全ての哲学テーマについて、即座に回答を出せるような教師を育成する事にあります。
教育学部の哲学教育の目標はソクラテスです。
ソクラテスの様に、児童生徒の言葉を巧みに引き出せる教師を育成する事にあります。
その為に、文学部の哲学専門教育の様に限られた哲学者から学ぶのではなく、聖人賢人哲人文学者芸術家英雄等々、あらゆる偉人のあらゆる言葉から学ぶ事になります。
その為に、古今東西の名作の中の名文中の名文から学ぶ必要があるのです。
そして、これは小中高校哲学一貫教育とリンクする事にもなるのです。
また、教育学部の哲学教育では、哲学対話の技術、哲学作文の技術も学びます。
言葉を自由に操り、子供たちを哲学の世界に導く為にはとても大切な技術です。
また、教育学部の哲学教育では、教科哲学と言う特別なプログラムもあります。
これは、子供たちにそれぞれの教科の意義、単元の意義を学ばせる為のものとなります。
次に4番目の柱の『哲学対話室』ですが、これは小学校、中学校、高校、大学、図書館、公民館、その他様々な教育・学習機関に哲学対話室も設けると言うものです。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行う部屋の事です。
10人程度が一同に会して対話出来る程度の規模の部屋を想定しています。
この哲学対話室で、世代を超えた哲学的対話が行われる事になります。
小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室については、児童生徒が利用しやすい午後3時から午後5時まで開設するものとします。
図書館、公民館等に設置される哲学対話室については、児童生徒及び一般市民が利用しやすい午後5時から閉館時間まで開設するものとします。
大学、その他の教育・学習機関に設置される哲学対話室については、その開館時間の範囲内で、児童生徒及び一般市民が利用しやすい時間帯に開設するものとします。
哲学対話室の開設時間には、必ず哲学ボランティア“ソクラテス”が一人以上常駐するものとします。
また、曜日毎に異なる哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。
この哲学対話室において、児童生徒、一般市民、教育・学習機関関係者等々が世代を超えて哲学的対話を行う事になります。
特に、小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室には、多くの哲学ボランティア“ソクラテス”が積極的に入って行き、児童生徒と哲学対話を行う事を奨励するものとします。
以上が哲学一貫教育の概要ですが、この哲学一貫教育の中心となるのは、何と言っても小中高校哲学一貫教育です。
私はその為に、文部科学省等の関係機関等に哲学一貫教育を提唱して来ました。
しかし学習指導要領は最近改正されたばかりです。
この学習指導要領を更に改正して、小中高校哲学一貫教育を実施するまでには、かなりの時間が必要となります。
そこで、私はもっと手っ取り早く、日本を素晴らしい国家に導く為の方策を考えました。
それが、『哲学フォーラム』です。
『哲学フォーラム』とは、先程述べました「哲学対話室」を更に充実させ、その「哲学対話室」の連携により、日本をより素晴らしい国家へと導こうとするものです。
そして、その中心的役割を担うのが、大学の教育学部と言う事になります。
以下に、「哲学フォーラム実施」要領と言う形でその概要を示したいと思います。
哲学フォーラム実施要領
1 趣旨
哲学フォーラムとは、小学校、中学校、高校、大学、図書館、公民館、その他の教育・学習機関等に設置される「哲学対話室」及びその連携により、日本国土に哲学的機運の醸成を図ろうとするものである。
哲学対話室とは、哲学的な対話が行なわれる部屋の事である。部屋の規模は、10人から15人程度が一同に会して対話出来る程度のものとする。
哲学対話室は専用である必要はない。兼用で良い。会議室、研修室等の一時使用で良い。
小学校、中学校、高校、大学(教育学部)に設置される哲学対話室については、月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで開設するものとする。
図書館、公民館等に設置される哲学対話室については、月曜日から金曜日までは午後5時から午後8時(閉館時間が午後8時以前の場合は閉館時間)まで、土日については午後2時から午後5時まで開設するものとする。
2 哲学対話室の運営
哲学対話室は、哲学ボランティア“ソクラテス”により運営するものとする。
哲学対話室の開設時間には、必ず1人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。また、曜日毎に、異なる哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。
哲学対話室は、10人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”により運営するものとする。内、1人を代表とする。
3 哲学ボランティア“ソクラテス”について
哲学ボランティア“ソクラテス”については、如何なる資格も必要としない。
それぞれの哲学対話室の代表に、登録届けを提出する事により、それぞれの哲学対話室の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
なお、登録届けの際に、哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)を必ず提出するものとする。この作文については、哲学対話室に備え付け、哲学対話室の利用者の閲覧に供するものとする。
4 小中高校の哲学対話室について
①小中高校の哲学対話室の開設者は校長とする。
②小中高校の哲学対話室の代表について,学校内の教師とするか、学校外の哲学ボランティアとするかは校長の判断とする。
③学校内の教師が、哲学対話室の“ソクラテス”と成る時は、ボランティアとして扱うのではなく、課外授業(クラブ等の扱いと同じ)として扱い、勤務時間に入れる。ただし、午後5時を過ぎた場合は、ボランティア扱いとする。
④多くの学校内の教師が、哲学対話室の“ソクラテス”となる事を期待する。
⑤小中高校の哲学対話室は、原則として月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとする。
⑥大規模校においては、哲学対話室を複数設置するものとする。
⑦哲学対話室の開設時間には、必ず1人以上の“ソクラテス”が常駐するものとする。
⑧哲学対話室の開設時間には、「哲学対話室」の看板等を掲げ、その下に「誰でも自由に勝手に時間に囚われず入って下さい」の旨の表示をするものとする。哲学対話室は常にオープンにしておくものとする。
⑨哲学対話室における対話方法は、1対1でも良いし、プラトンの饗宴にあるように、哲学テーマを決めての複数人による対話でも良い。
⑩哲学対話室においては、曜日毎に異なる“ソクラテス”が常駐するものとする。
⑪多くの学校外の哲学ボランティア“ソクラテス”が小中高校の哲学対話室に入って来る事を奨励する。
⑫哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学(智恵を愛する事)に関心のある者であれば誰でも良い。父親、母親、PTA会長、商店主、工場長、会社員、工員、教員、農業経営者、老人クラブ会員、青年クラブ会員、大学生等々。ただし、「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」は必ず提出して貰うものとする。また、同作文は児童生徒向けに書いた作文とする。
⑭哲学ボランティア“ソクラテス”の作成した作文については、ファイルにして、哲学対話室に保存し、児童生徒の閲覧に供するものとする。児童生徒はこの作文を参考に、対話をする相手を決める事になる。“ソクラテス”の日割り表を作成するものとする。
⑮校長は、哲学ボランティア“ソクラテス”が作成した作文については、必ず目を通すものとする。また、適宜、哲学ボランティア“ソクラテス”と対話を行い、その適性を判断するものとする。もし、不適性と判断した場合は、当該学校の哲学ボランティアの登録を抹消する事が出来るものとする。
⑯哲学対話室には、児童生徒は、自由に、勝手に、時間に囚われず、許可を受ける事無く入る事が出来るものとする。ただし、対話中の時は静粛を保ち、対話の進行を邪魔する事無く、また対話に入る時は節度を持って対話に入るものとする。哲学対話室は常にオープンをモットーとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。
⑰哲学対話室において、児童生徒は多くの哲学的素養のある大人と哲学対話を重ねる事になる。これにより、児童生徒は哲学的に成熟して行く。哲学対話室は、哲学(智恵を愛する事)を通じての児童生徒と大人の架け橋になる。
⑱哲学対話室において、哲学テーマを提示すると言う意味合いで、週1回程度の割合で、哲学講義を行っても良いものとする。なお、哲学テーマについては、児童生徒に身近なものを選ぶものとする。例えば、友情、勉強、学校、勇気、いじめ、差別、道徳等々。なお教材とし、「哲学読本大全(全100巻)」を積極的に活用するものとする。
⑲一つの哲学対話室については、10以上の“ソクラテス”により運営するものとする。その為にも、哲学ボランティア“ソクラテス”を積極的に活用するものとする。
⑳哲学対話室は、児童生徒が多くの大人を知る機会となる。ここで一生涯の師と成る様な人と巡り会えば幸いである。
○21哲学対話室は、課外授業扱いとし、文部科学省の運営費補助の対象とする。なお、哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗てギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
○22哲学対話室については、全ての小中高校に設置するものとする。
○23哲学対話室の名称は、「哲学対話室」「哲学フォーラム」「哲学の部屋」「哲学広場」「対話室」「広場」「フォーラム」「お話広場」「大人と子供の対話室」等々何でも良い。校長の判断によるものとする。ただし、哲学対話室は、児童生徒と哲学的素養のある大人が哲学的テーマについて、哲学的対話を行う場所であると言う枠組みは壊さないものとする。哲学的テーマとは、「勇気」「智恵」「徳」「勉強」「友情」「学校」「家庭」「環境」「自然」「自殺」「いじめ」「差別」等々、児童生徒にとって、身近な哲学テーマとする。
○24哲学対話室には、「哲学読本大全(全100巻)」を備えるものとする。「哲学読本大全(全100巻)」とは、主要な500の哲学テーマについて、それぞれのテーマ毎に、古今東西の名作の中の名文中の名文を100編集めたものである。この「哲学読本大全(全100巻)」が、児童生徒の哲学のきっかけと成り、また解決の導きとなる。例えば「勇気」と言う哲学テーマについて、古今東西の名作の中の名文中の名文を100編も読めば、児童生徒においても「勇気」の概念が理解できるようになる。そこから、児童生徒は自らにおいて、自らの「勇気」の概念を確立させていく。その過程において、哲学的素養のある大人との哲学的対話がとても重要となるのである。名文の1編の分量は4000字程度とする。なお、「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法については、後述する。
5 図書館、公民館等に設置する哲学対話室について
①図書館、公民館等に設置する哲学対話室の開設者は、哲学ボランティア“ソクラテス”の代表とする。
②哲学ボランティア“ソクラテス”の代表は,10人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”を集め、それぞれのボランティアの登録届けと「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」添付して、哲学対話室開設届けを図書館、公民館等の施設長に提出するものとする。これにより、哲学対話室が開設されるものとする。
③図書館、公民館等に設置される哲学対話室の開設時間は、平日は、午後5時から午後8時(閉館時間がそれより早い場合は閉館時間)までとする、土日は、午後2時から午後5時までとする。
④それぞれの哲学対話室の哲学ボランティア“ソクラテス”に成りたい者は、それぞれの哲学対話室の代表に、登録届けと「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」を提出するものとする。
⑤哲学ボランティア“ソクラテス”の作成した「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」は、哲学対話室の保存し、哲学対話室の利用者の閲覧に供するものとする。
⑥哲学対話室の開設時間においては、「哲学対話室」の看板を掲げ、その下に「誰でも自由に勝手に時間に囚われずに入って下さい」の旨の表示を行うものとする。
⑦哲学対話室には、一般市民は、自由に、勝手に、時間に囚われず、許可を受ける事無く入る事が出来るものとする。ただし、対話中の時は静粛を保ち、対話の進行を邪魔する事無く、また対話に入る時は節度を持って対話に入るものとする。哲学対話室は常にオープンをモットーとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。
⑧哲学対話室は、少数の哲学ボランティア“ソクラテス”で運営しないようにするものとする。なるべく、多くの哲学ボランティア“ソクラテス”の参加を得て、運営する者とする。
⑨その他については、小中高校に設置する哲学対話室に準じるものとする。
⑩哲学対話室に、「哲学読本大全(全100巻)」を備えるものとする。
⑪哲学対話室の開設者については、図書館長、公民館長等の施設長若しくはその施設の職員が成っても良いものとする。その場合は、勤務扱いとする。
⑫図書館長、公民館長等は、哲学講座(週1回の通年講座)を開設するものとする。
⑬哲学ボランティア“ソクラテス”が開設する哲学対話室と図書館長、公民館長等が開設する哲学講座が両輪と成って、哲学的風土が日本に広がって行く事になる。
⑭図書館、公民館等に設置される哲学対話室の名称については、「哲学対話室」「哲学フォーラム」「哲学広場」「哲学の部屋」等必ず,“哲学”の名称を付するものとする。
6 大学の教育学部に設置される哲学対話室(哲学フォーラム)について
①大学の教育学部に設置される哲学対話室については、『哲学フォーラム』と称するものとする。また、哲学フォーラムの後に、大学名を付すものとする。例『哲学フォーラム宮崎』、『哲学フォーラム岩手』、『哲学フォーラム東京学芸』等
②『哲学フォーラム○○』の開設者は、10名以上の教官で構成する哲学フォーラム委員会とする。委員の構成については、哲学分野、教育学部分野、人文科学分野、自然科学分野、芸術分野の各分野からそれぞれ2名以上とする。委員の内、1名を代表とする。代表については、哲学担当教官とする。
④『哲学フォーラム○○』においては、次の事を行う。
ア、小学校、中学校、高校及び図書館、公民館等に設置される哲学対話室との連携。
イ、全国の哲学フォーラムとの連携
ウ、教育学部内の教師と学生との哲学対話の場の提供
エ、教育学部の教師・学生と他の学部の教師・学生との哲学対話の場の提供
オ、教育学部の教師・学生と小中高校の児童生徒及び一般市民との哲学対話の場の提供
カ、「小中高校哲学一貫教育」の研究
キ、小中高校哲学一貫教育を基礎とした「一生涯にわたる哲学一貫教育」の研究
ク、「教育学部の徹底した哲学教育」の研究(哲学的に優れた教師の育成の研究)
ケ、哲学ボランティア“ソクラテス”の育成に関する研究
コ、様々な分野における哲学教育の研究
サ、哲学的風土づくりの研究
⑤『哲学フォーラム○○』の事務局は、哲学フォーラム委員会の代表(哲学担当教官)の研究室とする。
⑥教育学部内の教師と学生の哲学対話、教育学部の教師・学生と他の学部の教師・学生と哲学対話、教育学部の教師・学生と小中高校の児童生徒及び一般市民との哲学対話等々を行う場所として、『哲学フォーラム○○』付属の哲学対話室を設置するものとする。なお、当該哲学対話室については、哲学フォーラム委員会の代表(哲学担当教官)の研究室ではなく、大学図書館の小会議室を使用するものとする。開設日は、月曜から金曜の午後3時から午後5時までとする。小学校、中学校、高校、図書館、公民館等に設置される哲学対話室と同様、哲学ボランティア“ソクラテス”を積極的に活用するものとする。教育学部の教師・院生・学生、他の学部の教師・院生・学生、学外の者等なるべく多くの者に哲学ボランティア“ソクラテス”に成って貰い、なるべく多くの哲学対話室を設置するものとする。当該哲学対話室で経験を踏んだ者が、小学校、中学校、高校、図書館、公民館等の哲学対話室の哲学ボランティア“ソクラテス”として育って行く事となる。
7 全国組織としての『哲学フォーラム日本』
①『哲学フォーラム日本』は、小学校、中学校、高校、図書館、公民館等に設置される哲学対話室及び大学教育学部に設置される哲学フォーラムの連携組織とする。
②『哲学フォーラム日本』の直接の構成員は,大学教育学部に設置される哲学フォーラムとする。
③『哲学フォーラム日本』においては、次の事を行う。
ア、小学校、中学校、高校、図書館、公民館等に設置される哲学対話室及び大学教育学部に設置される哲学フォーラムとの連携
イ、機関紙『哲学フォーラム日本』の刊行
ウ、『哲学読本大全(全100巻)』の刊行
エ、『小中高校哲学一貫教育』の研究と文部科学省への提言
オ、小中高校哲学一貫教育を基礎とした『一生涯にわたる哲学一貫教育』の研究と文部科学省への提言
カ、「教育学部の徹底した哲学教育」の研究(哲学的に優れた教師の育成の研究)と文部科学省への提言
キ、哲学ボランティア“ソクラテス”の育成に関する研究
ク、様々な分野における哲学教育の研究
ケ、哲学的風土づくりの研究
④『哲学フォーラム日本』の事務局は、当分の間、哲学教育の体制の整っている大学に設置されている哲学フォーラム内に置くものとする。
以上が、哲学フォーラムの概要ですが、かなり盛りだくさんであり、全てを一気に実現させる事はとはかなり難しいと思います。
そこで、教育学部の哲学担当の先生方に一つだけお願いがあるのです。
それが、『哲学読本大全(全100巻)』の作成です。
この『哲学読本大全(全100巻)』が完成すれば、上記の『哲学フォーラム』を含めた『哲学一貫教育』が一気にそしてひとりでに進行して行く事になります。
何故なら、この『哲学読本大全(全100巻)』こそが、『哲学一貫教育』の基礎の基礎であり、バイブルとなるからです。
この『哲学読本大全(全100巻)』が完成すれば、日本の教育現場はひとりでに、『哲学一貫教育』へと向かう事になります。
それは『教育革命』と言って良い程の大改革となるのです。
それでは、『哲学読本大全(全100巻)』の作成方法について、『哲学読本大全(全100巻)』作成要領と言う形で述べて行きたいと思います。
なお、作成要領に入る前に、一つだけ大事な事を言って置きます。
それは、この『哲学読本大全(全100巻)』は、全ての国民向けだと言う事です。
決して、哲学の専門家向けのものでは無いと言う事です。
そして、この『哲学読本大全(全100巻)』は、小学校高学年でも読めるものとなるのです。(聖書の様に、全ての漢字にルビを付すると事とします。)
『哲学読本大全(全100巻)』作成要領
1 趣旨
『哲学読本大全(全100巻)』とは、主要な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものとする。
哲学テーマの数については、500とする。
1つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
名著とは、哲学書・思想書だけでなく、聖典・経典、文学書(詩、小説、物語、戯曲、随筆、評論、日記、記録、手記)、歴史書、科学書等、全ての名著を対象とする。
1編の名文の文字数は、4000字以内とする。
2 本の体裁
①A4版、縦書き、4段組とする。
②1巻の頁数は、1200頁程度とする。
③1頁の文字数は、2200文字程度とする。
④最も安価の印刷製本方法によるものとする。(並本、平とじ等)
3 本の内容
①主要な哲学テーマ500について、それぞれに古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
②1編の名文の文字数は,4000字以内とする。
③1編の名文は、見開きの2頁に収めるものとする。
④1編の名文の見出しは、著書名とする。
例、「饗宴より」「新約聖書“マタイ福音書”より」「社会契約論より」「エミールより」「方法序説より」「論語より」「老子より」「道徳書簡集“人生の短さについて”より」「純粋理性批判より」「法華経より」「ファウストより」「神曲より」「草枕より」等。
⑤哲学テーマが異なれば、同じ見出しが付く事となる。また、同じ哲学テーマの中で、同じ著書から2編以上掲出する時は、「饗宴より~その2~」等とする。見出しに著書名が多く掲出されればされるほど、名著としてのイメージが読者に焼き付く事となる。
⑥見出しの後には、名文をそのまま掲載するものとする。名文の文字数は4000字以内とする。なお、古文、漢文については、現代語訳を掲載するものとする。文字数に余裕があれば、古文、漢文と現代語訳を併記しても良い。
⑦名文の後に、著書及び著者の簡単な解説を掲載するものとする。文字数にして、200字前後とする。
⑧『哲学読本大全(全100巻)』は、100巻、500章、50,000節とする。
100巻とは、100冊の意味である。
500章とは、500哲学テーマの意味である。
50,000節とは、50,000の名文(古今東西の名著の中の名文中の名文)の意味である。
⑨1巻(冊)に、5哲学テーマ、500名文を収める。1哲学テーマについて、100名文を収めるので、5哲学テーマ×100名文=500名文=1巻となる。
⑩1名文については、見開き2頁に収める。(1名文については、4000文字以内とする)
⑪哲学テーマについては、日本国民にとって必要な哲学テーマを選定する。なお、その際、中学生、高校生を特に考慮に入れて選定するものとする。
⑫哲学テーマについては、夢、希望、理想、正義、勇気、智恵、愛、友情、地球、自然、環境、生命,勉強、学問、芸術、社会、経済、国家,法、真善美、精神、感情、自分等々、「自分に関する事」「人間関係に関する事」「社会に関する事」「自然に関する事」等、全ての分野を対象とするものとする。
⑬漢字については、日本聖書協会発行の聖書のように、全てにルビを付するものとする。これにより、小学校高学年からでも読む事が出来るようになり、『哲学読本大全(全100巻)』は、文字通り、全ての国民向けの読本となる。
⑭『哲学読本大全(全100巻)』については、全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室に備えるものとする。
4 本の作成方法
①全国の教育学部のなるべく多くの哲学担当教官の参加を得て、「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」を設置する。(俗称100名委員会。)
②「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、哲学教育体制が整っており、かつ学生・院生・卒業生・一般市民等の哲学ボランティアの参加の得やすい大学に設置するものとする。
③「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、作成委員会の委員に対して、哲学テーマを募集する。
④各委員は、それぞれ500の哲学テーマを提出するものとする。
⑤事務局は、各委員より提出された哲学テーマを基に、哲学テーマ一覧表を作成し、各委員にメール送信し、諮り(投票等)、500の哲学テーマを決定するものとする。
⑥事務局は、委員に対して、500の哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑦各委員は、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。各委員は、1つの哲学テーマについて1編以上、全部で500編以上の古今東西の名著の中の名文中の名文の写し(スキャナーで読み込んだ写し)を送信するものとする。
⑧事務局は、送信された古今東西の名著の中の名文中の名文(以下名文と呼ぶ)を、哲学テーマ毎にそのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し、「哲学読本大全(全100巻)資料集」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
⑨各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、それぞれ検討するものとする。
⑩事務局は、次に、全ての大学の教育学部の教師及び教育学部付属学校の教師を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑪各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
⑫事務局は、各教師から送信された名文と⑧で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集」を、それぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」としてファイルを作成し、各教師及び各委員に送信するものとする。
⑬各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
⑭事務局は、次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い)を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑮各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
⑯事務局は、各教師から送信された名文と⑫で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
⑰各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
⑱事務局は、次に、全国民を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑲各国民は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
⑳事務局は、各国民から送信された名文と⑯で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
○21各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
○22事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」をそのままの形で、ウェブ上に公開し、全国民を対象に「哲学読本大全(全100巻)」に掲載して欲しい名文の投票を行う。
○23事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を投票順位毎に編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を作成し、各委員に送信するものとする。
○24各委員は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を基に、それぞれの哲学テーマ毎に、それぞれの名文の中から100の名文を選び、その結果を事務局に送信するものとする。
○25事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」と⑳の集計結果を基に、哲学テーマ毎に、100の名文を決定し、「哲学読本大全(全100巻)素案」を作成し、各委員に送信し、各委員に諮り、哲学読本大全(全100巻)に掲載する50,000の名文(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)を決定するものとする。なお、それぞれの哲学テーマに掲載される名文の順番は、各委員及び全国民からの投票の多かった順とする。
○26事務局は、50,000の名文それぞれについての著者と著書の簡単な解説文(200文字程度)の作成を、専門分野に応じて、各委員並びに教育学部の教師に依頼するものとする。
○27事務局は、「哲学読本大全(全100巻)素案」をテキスト形式に変換し、全ての漢字にルビを付し、50,000の名文に関する著者及び著書の解説、並びに巻頭言や奥書等を加え、最終的な印刷製本の形にした上で、各委員に送信し、諮り、「哲学読本大全(全100巻)」の最終原稿を決定するものとする。
○28事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用原稿とオンデマンド印刷用原稿の2種類のファイルを作成するものとする。
○29ウェブ公開用原稿は、ウェブ上で見易い形式に整えたものとする。
○30オンデマン印刷用原稿については、その原稿を利用すれば、誰でも、同じ「哲学読本大全(全100巻)」が作成できるものとする。印刷製本仕様まで指示するものとする。
○31事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、最大限、哲学ボランティアを活用するものとする。哲学ボランティアは無報酬とする。哲学ボランティアについては、学内、学外から哲学を愛する者を広く募集するものとする。
○32「哲学読本大全(全100巻)」については、オンデマンド印刷製本を行い(業者に発注)、全国の公立図書館及び大学図書館に無償で配布するものとする。
○33「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用とオンデマンド印刷製本用の2種類のファイルを作成し、共にウェブ上で公開する。ウェブ公開用の「哲学読本大全(全100巻)」は誰でも自由に閲覧できるようにするものとする。オンデマンド印刷製本用については、これを利用し、誰でも自由に「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本できるものとする。
○34小学校、中学校、高校及び公民館においては、オンデマンド印刷製本用のファイルを利用して、それぞれにおいて、「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行い、それぞれの図書室に備えるものとする。印刷製本については、業者に外注に出しても良いし、学校等で行っても良い。教育の一環として学校等で行えば、教育的効果がより高くなる。
なお、哲学に関心のある者は誰でも、自由にオンデマンド印刷製本用のファイルを利用して「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行っても良いものとする。
○35以上により、全国の全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校及び公民館の図書室、並びに哲学に関心のある者の書棚に「哲学読本大全(全100巻)」が備わる事になり、『哲学一貫教育』の素地が整う事になる。
○36「哲学読本大全(全100巻)」は、文部科学省の委託事業または補助事業として行う。
○37「哲学読本大全(全100巻)」の作成は、上記のように哲学読本大全(全100巻)作成委員会によって行っても良いが、日本教育大学協会が文部科学省からの直接の補助事業または委託事業として受け、協会内に「哲学読本大全(全100巻)作成部会」を設置して、行っても良い。その方が、哲学教育振興がより図られる事になる。
○38日本教育大学協会の作成部会が、「哲学読本大全(全100巻)」を作成し、その指導の下に、全国の全ての小中高校の図書室並びに大学図書館、公立図書館、公民館図書室等に「哲学読本大全(全100巻)」が備えつけられるようになれば、全国的に哲学的機運が高まり、それに伴い哲学教育への関心が高まり、日本教育大学協会の中に『哲学教育部会』が設置される事となる。この『哲学教育部会』を中心に、「小中高校哲学一貫教育」、「一生涯にわたる哲学一環教育」、「大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成方法)」「哲学フォーラム」「哲学的風土づくり」等の研究が行われ、『哲学一貫教育』が加速度的に進行する事となる。
5 本の作成財源について
①文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う。実費(印刷製本費、配送費、通信費、事務用品等)については全て国庫負担とし、労働の対価については、全て無報酬(ボランティア)とする。ただし、委託事業で実施する場合は、国の基準により報酬を受ける事が出来るものとする
②万が一、文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う事が出来ない場合は、哲学に関心のある者等の寄付により行う。財源負担の考え方は①に同じ。
③公立図書館及び大学図書館に対して、「哲学読本大全(全100巻)」を無償交付するのではなく、それらの図書館においても、上記4の○28にあるように、それぞれの図書館においてオンデマンド印刷製本を行うのであれば、今回の「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、労働の対価を無報酬(ボランティア)でするのであれば、それほど経費はかからず、哲学に関心のある者等の寄付等で十分に行える。
6 著作権及び出版権について
①「哲学読本大全(全100巻)」作成に入る前に、出版社団体等に対して、『哲学教育』の為に利用するのであり、収益事業は全く行わず、ほとんどを無報酬(ボランティア)で行う旨を説明し、著作権料及び出版権料は無償としてもらう。
②それぞれの名文の末尾には必ず、その名文を複写した図書名と出版社名記載するものとする。これにより、その図書の購入の便宜を図る。名文はその出版物(著書)のほんの一部(4000字以内)であり、「本の紹介」に準じたものとして扱ってもらう。
③生存者の名文は、「哲学読本大全(全100巻)」は掲載しないものとする。
④「哲学読本大全(全100巻)」については、廃刊になっている図書の中の名文も利用する。
以上が、「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法です。
「哲学読本大全(全100巻)」作成の一番良い方法は、上記の実施要領の最後の所で述べましたように、日本教育大学協会が文部科学省から委託や補助を受けて作成する方法だと思うのですが、現在の所、協会内に「哲学教育部会」が無い以上、現実的にはかなり難しいと思います。
現在において、一番妥当な方法は、「哲学読本大全作成委員会」方式だと思います。
つきましては、どうか教育学部の哲学担当の先生方で、先ずは「哲学読本大全作成委員会」を組織して頂きたいと思います。
そして、哲学教育の充実した大学において、事務局の労を取って頂きたいと思います。
この「哲学読本大全」については、大いなる可能性があるのです。
この書簡を書き始める時は、その可能性に気付いていませんでしたが、書き続けている内に、その可能性に気付いて来たのです。
現在の所の目的は、「哲学読本大全(全100巻)」のウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とこの2種類のファイルのウェブ上での公開と、「哲学読本大全(全100巻)」(オンデマンドで業者に最も安価の方法で印刷製本させたもの)の公立図書館、大学図書館への無償交付です。
この内の、公立図書館、大学図書館への無償配布にかなりの経費がかかります。
「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本・配送費が100,00円だとします。
そして、公立図書館、大学図書館の数が合わせて5,000だとします。
そうすると、100,00円×5,000図書館=5億円となり、これを委託金・補助金や寄付金で賄おうと思っているのですが、はっきり言って無理です。
と言う事で、今回の「哲学読本大全(全100巻)」作成事業から、公立図書館、大学図書館への無償配布は削除するものとします。
その代わり、全ての公立図書館、大学図書館及び全ての小学校、中学校、高校、公民館等の図書室において、それぞれにおいて、「オンデマンド印刷製本用のファイル」を利用して、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本して、備えるものとします。
哲学読本大全作成委員会では、各図書館、各図書室において、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本し、備え付けるよう、依頼啓発運動を行うものとします。
この方針変換を行う事により、「哲学読本大全(全100巻)」作成事業には大いなる可能性が出てくるのです。
「哲学読本大全(全100巻)」に収められる、古今東西の名著の中の名文中の名文の数は、50,000(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)ですが、この「哲学読本大全(全100巻)」を作成する段階で集められる名文の数は、50,000の何倍にもなるのです。
ここで、もう一度「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法をお浚いして置きます。
先ずは、哲学読本大全作成委員会の委員の先生方から、それぞれの哲学テーマについて1編以上、全部で500編提出して貰う事になっています。
哲学読本大全作成委員会については、教育学部の哲学担当先生方になるべく多く参加して頂くものとしています。
委員の数が100名だとすると、この段階で既に50,000の名文(500哲学テーマ×1名文×100人=50,000名文)が集る事になります。
次に、教育学部及び教育学部付属学校の教師の方々を対象に、名文の募集を行います。
ここでは、全ての教師に500哲学テーマごとにそれぞれ1編以上、全部で500編の名文は求めない事にしますが、なるべく多くの名文を提出して頂くよう依頼するものとします。
例えば、ここで1,000人の教師から、それぞれ100の名文の提出があったとします。
そうすると、ここで100,000の名文(100名文×1,000人=100,000名文)が集る事になります。
ここまでの段階で既に、150,000の名文(50,000名文+100,000名文=150,000名文)が集る事になります。
次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い、場合によっては児童生徒を含めても良い)を対象に、名文の募集を行います。
例えば、ここで10,000人の教師から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
ここまでの段階で、250,000の名文(50,000名文+100,000名文+100,000名文=250,000名文)が集る事になります。
次に、国民を対象に、名文の募集を行います。
例えば、ここで10,000人の国民から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
ここで最終段階と成りますが、ここまでに350,000の名文が集る事になります。
「哲学読本大全(全100巻)」では、この内の50,000名文だけを使用する事になりますが、後の300,000名文は捨てて良いのでしょうか。
決して捨ててはなりません。
これこそが国民の英知です。
これを活用しなくてはなりません。
募集を大々的に行えば、もっともっと名文が集るかも知れません。
この英知を活用してこそ、日本にも哲学的土壌が生まれて来る事になるのです。
それでは、どの様に利用するのか。
それが、ウェブ閲覧用のファイルの作成とオンデマンド印刷製本用のファイルの作成と、この2つのファイルのウェブ上での公開です。
先ずは、各委員、大学教育学部関係教師、全国小中高校教師、及び各国民が、それぞれにスキャナーで読み込み、そしてメールで送信して頂いた名文の写しを、全てテキスト形式に変換します。
そして、それを500の哲学テーマ毎に整理して、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルを作成し、この2つのファイルをウェブ上で公開します。
例えば、350,000の名文が集っていたとすれれば、単純計算をすると、1つの哲学テーマに700の名文がある事なります。
例えば、知恵と言う哲学テーマについて、700の名文がある事になります。
そして、それぞれは、国民一人一人が名文として認めたものです。
その700の名文を読めば、日本人における知恵の概念を理解する事が出来ます。
後は、それらを抽象していけば、日本人おける知恵とそして世界における知恵の普遍的概念に近付いて行く事が出来る事になります。
何故なら、その名文は古今東西の名著の中の名文中の名文なのですから。
しかし、上記の様な作業は、閑暇があり、哲学的思考に慣れた人でなければ、中々出来ない事です。
そこで次に行う事が、その350,000名文を編集し直して、哲学読本の別版を作成する事です。
勿論、別版と言っても、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とその2つのファイルのウェブ上での公開版の事です。
哲学読本の別版としては、次の様なものが考えられます。
これにより、哲学読本がより国民にとって、より身近なものとなります。
なお、公立図書館及び大学図書館においては、別版についても、必ず印刷製本し、哲学読本大全(全100巻)と共に、同じ書架に保管し、『哲学読本コーナー』を設置するものとする。
これにより、『哲学読本シリーズ』は社会的に認知される事になり、ここを基として、『哲学一貫教育』が始まる事になるのです。
なお、この哲学読本シリーズの成否は、偏に哲学ボランティアにかかっています。
「哲学読本大全作成委員会」の下に、「哲学読本大全作成グループ」を設置し、多くの哲学ボランティアに登録して頂くものとします。
そして、この哲学ボランティアの方々に実際の作業(資料集の作成や原文とテキスト形式に変換した本文との読み合わせ等)を行って貰うものとします。
哲学(知恵を愛する事)を愛する人であれば、決して労は厭わないと思います。
事務局のある大学の、教師、学生、院生、卒業生、他の大学の教師、学生、院生、そして一般市民等、なるべく多くの哲学ボランティアを集める事により、この『哲学読本シリーズ』はひとりでに完成して行く事になるのです。
そして、この「哲学読本大全作成グループ」及び「哲学読本大全作成委員会」が「哲学フォーラム日本」へと発展して行き、日本の哲学一貫教育の礎となるのです。
「小学生の為の哲学読本」
「中学生の為の哲学読本」
「高校生の為の哲学読本」
「大学生の為の哲学読本」
「青年の為の哲学読本」
「女性の為の哲学読本」
「社会人の為の哲学読本」
「高齢者の為の哲学読本」
「哲学読本(西洋思想編)」
「哲学読本(東洋思想編)」
「哲学読本(日本思想編)」
「哲学読本(道徳編)」
「哲学読本(宗教編)」
「哲学読本(社会編)」
「哲学読本(自然編)」
「哲学読本(人間編)」
「哲学読本(科学編)」
「哲学読本(教育編)」
「哲学読本(幸福論)」
「哲学読本(平和論)」
「哲学読本(自由論)」
「哲学読本(平等論)」
「哲学読本(戦争論)」
「哲学読本(芸術論)」
「哲学読本(国家論)」
「哲学読本(家族論)」
「哲学読本(結婚論)」
「哲学読本(自殺論)」
「哲学読本(いじめ論)」
「哲学読本(差別論)」
「哲学読本(友情論)」等々必要に応じて作成
※これらの読本について、漢字にルビを付す必要はありません。
以上が哲学読本大全の作成要領です。
以上長々と述べて参りましたが、この書簡で述べた事を整理すると、先ずは『哲学一貫教育』の概要の述べ、次に『哲学フォーラム』の概要を述べ、次に『哲学読本大全』の概要を述べた事になります。
最後に、今後のスケジュールを述べて、この書簡の結論としたいと思います。
①『哲学読本大全』の作業過程において、有識者の中に『哲学一貫教育』に関する関心が高まり、『哲学読本大全』作業母体と中心として、『哲学フォーラム日本』が生まれる。
②『哲学フォーラム日本』の活動により、小学校、中学校、高校、大学教育学部、図書館、公民館等に『哲学対話室』が設置される事になり、日本国中に哲学対話の輪が広がり、日本国中に哲学的機運が醸成されるようになる。
③これらを受けて、文部科学省を中心として『小中高校哲学一貫教育』、『一生涯に渡る哲学一貫教育』、『大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成)』が組織的行われる事になる。
④これにより、日本は哲学的に成熟した国家となり、嘗てのギリシアと並び称されるような国家となる。
⑤これにより、日本人は『哲学の民』と呼ばれる事になり、諸外国から一目を置かれるようになる。
これが『哲学一貫教育』の最終目標です。
すなわち、哲学一貫教育とは、哲学による国づくりの事なのです。
以上でこの稿を締めたいと思うのですが、最後に一言だけ、教育学部の哲学担当の先生方に言って置きたいと思います。
それについては、本文の中でも言っておりますが、文学部の哲学専門教育と教育学部の哲学教育は根本的に違うと言う事です。
文学部の哲学専門教育(特に旧帝大の哲学科等)は、カント、ヘーゲル、プラトン等々の研究家を育成する事にありますが、教育学部の哲学教育は“ソクラテス”を育成する事にあります。
すなわち、『知恵の産婆役』を育成する事にあります。
その為、文学部の哲学専門教育の様に限られた哲学者から学ぶのではなく、古今東西のあらゆる偉大な人々から言葉を学ばなければならないのです。
文学部の哲学専門教育の様に数人の哲学者からだけではなく、数十人、数百人の賢人の言葉から学ばなければならないのです。
その為にも、『哲学読本大全』が必要なのです。
学校の先生は多くの言葉を知っていなければなりません。
そして、その言葉の本質をも知っていなければならないのです。
ソクラテスは,若い内に諸方を旅し、多くの賢人の言葉に触れ、そしてそれぞれの言葉の本質を考え抜きました。
教育学部の学生にもその様な機会が恵まれれば良いのでしょう、現今下では中々難しい事です。
『哲学読本大全』がその肩代わりをするのです。
学生は、『哲学読本大全』の中で多くの賢人の言葉に巡り会います。
もしその言葉が片鱗に触れたら、学生はその原典へと向かうでしょう。
そして、そこでその賢人と語り合う事でしょう。
『哲学読本大全』は、その世界の入り口を示して上げる為のものです。
学生が、例えは知恵について、100の名文を読む。
そしてその内の一つにインスピレーションを感じる。
そこからその賢人の中に入って行く。
『哲学読本大全』は問題解決の間口である。
例えばいじめの問題で悩む。
いじめに関する100の名文を読む。
いじめの本質が分かって来る。
そしてある賢人の中に入って行く。
彼はもういじめに悩む事は無く,新たな世界へと向かう事になる。
教育学部の学生は、4年間の間に、多くの言葉に触れ、多くの賢人に巡り会い、そして多く言葉の本質を抽出していかなければなりません。
その為にも、徹底した哲学教育(48単位)が必要なのです。
小中高校教育は全人教育です。
教師そのものが知恵でなくてはならないのです。
現代の日本の荒廃、それは学校の教師に哲学的素養(知恵)がない事によります。
日本を再生する為には、教育学部における徹底した哲学教育が必要なのです。
そして、徹底した哲学教育により、日本は世界に優れた国家になるのです。
『日本の再生は、教育学部の哲学教育にあり!!!』
これを標語に、哲学教育について考えて頂きたいと思います。
最後に“哲学”の定義をして置きましょう。
哲学とは、philosophia、知恵(sophia)愛する(philo)事。
これは『汝自身を知れ』と同じ事。
教育学部の哲学教育は、全てソクラテスに通じているのです。
『汝自身を知れ』
その為に、ソクラテスは『知恵の産婆役』に徹したのです。
教育学部の学生、将来学校の教師となる者は、“ソクラテス”でなければならないのです。
子供の中に眠る無限の可能性、すなわち“知恵”を引き出す者ではなくてはならないのです。
“知恵とは何か”
これを最後に置いて、この稿を締めたいと思います。
平成20年7月11日
哲学哲男
追伸
「哲学一貫教育提唱文」を別途掲載して置きます。
「哲学一貫教育提唱文」は、最初は平成20年2月3日日付で文部科学省初等中等教育局長宛に、2回目は平成20年2月10日日付で文部科学省生涯学習政策局長宛に、3回目は平成20年2月17日日付で内閣官房長官宛に、4回目は平成20年3月9日日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛に、5回目は平成20年3月18日日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官宛に、6回目は平成20年4月7日日付で東京学芸大学哲学倫理分野教官宛に送っています。
それから、「哲学詩集『百章』」も併せて掲載して置きます。
これは、大学教育学部における徹底した哲学教育のカリキュラムに述べていた『哲学作文集作成(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)』の悪例です。
この「哲学詩集『百章』」は、1つの哲学テーマについて、僅か14行に纏めています。
これは短い時間の中で、取り敢えず100章を纏めてみようと言う趣向からこの様な悪例となっています。
『哲学作文集作成(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)』については、それぞれの哲学テーマについて、「哲学読本」を読み、哲学読本から啓発を受けて「古典原典」を読み、更に哲学的素養のある人々と対話し、また自分自身と対話した結果を纏めたものでなくてはなりません。
それは、1つの哲学テーマについて、何十行、何百行にも及ぶものとなる筈です。
それでこそ、その哲学テーマが自分のもの成っていきます。
学生にはその為の時間が十分にあるのです。
別添の「哲学詩集『百章』」はただのひらめきです。最も悪い例の叩き台として使用して下さい。
もし上記の様な「100の哲学テーマに関する作文集」を卒業までに完成していたら、その学生は十分に“ソクラテス”として資格があると思います。
「100の哲学テーマに関する作文集」の提出を教員採用条件としたら、日本は一気に哲学国家へと向かう事になります。
何故なら、学校の先生全てが“ソクラテス”なのですから・・・。
彼は児童生徒に向かってこう言うでしょう。
『汝自身を知れ』と
そしてまたこう言うでしょう。
「もし自分自身が生まれそうになったら私に言いなさい。私が産婆役に成ってあげるから。」と
学校中に哲学対話の輪が広がります。
“いじめとは何か”
いじめの本質が分かったら、そのいじめっ子は更にいじめを続けるのでしょうか。
哲学対話とは徹底的に自分自身を知る事。
その為には産婆役の“ソクラテス”が必要なのです。
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
平成20年11月16日提唱
電子メール受付担当者 様へ
当該メールを教育学部の哲学・倫理担当の先生に転送して下さいますよう、お願い申し上げます。
なお、このメールでは哲学フォーラムと哲学一貫教育を提唱しています。
拝啓
国立大学教育学部哲学担当教官 殿
私は、哲学一貫教育を提唱している者です。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学の機会を提供するものです。
この哲学一貫教育は、次の5つの柱からなっております。
① 小中高校哲学一貫教育
② 小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
④ 哲学読本大全(全100巻)
⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)
これらの詳細については、下記をご覧頂きたいと思います。
これらの内、①から④までは、予算面や制度面の制約があり、直ぐに実行に移すのは難しい状況にあります。
しかし、哲学フォーラム(哲学対話室)については、予算面や制度面の制約は無く、実行しようと思えば直ぐにでも実行出来ます。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事で、この哲学フォーラムを日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置しようとするものです。
小学校、中学校、高校に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設されます。
この哲学フォーラム(哲学対話室)では、児童生徒と哲学的素養のある大人が哲学的対話を行う事になります。
大学及び公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設されます。
この哲学フォーラム(哲学対話室)では、一般国民と哲学的素養のある者が哲学的対話を行う事になります。
哲学フォーラム(哲学対話室)で哲学対話の相手をする哲学的素養のある者の事を、哲学ボランティア“ソクラテス”と呼ぶ事にしています。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
小中高校に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については空き教室等を利用し、大学に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については大学図書館の会議室を利用し、公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については公民館の会議室を利用する事にしますので、会場使用料は必要ありません。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、その開設時間に、哲学ボランティア“ソクラテス”が二人以上常駐し、その部屋を訪れた者と哲学対話を行うだけの極簡単な仕組みです。
そして、哲学ボランティア“ソクラテス”は無報酬、会場使用料は無料です。
ですから、日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置しても、お金は1円も必要ないのです。
もし誰かが一二の三で号令をかければ、数年の内に、日本全国の小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事も可能なのです。
しかし、そうは言っても、小中高校の数は相当にあります。
これらを含めて一気にと言う事には、やはり無理があると思います。
そこではと言う事で、先ずは、国立大学教育学部と全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂きたいと思うのです。
それらの展開方法については、下記に「全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法」と言う事で示しておりますので、ご参考にして頂きたいと思います。
都道府県下の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事は、それ程難しい事ではありません。
3年もあれば、日本全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事も可能です。
その秘訣は、哲学フォーラム都道府県です。
その流れを簡単に示すと次の通りとなります。
先ずは、国立大学教育学部の哲学担当教官、各都道府県教育委員会の学校教育課長、社会教育課長、各都道府県公民館連絡協議会会長、教育学部関係者、学校関係者、教育行政関係者等で、哲学フォーラム都道府県設立準備会を組織し、設立趣意書等を作成し、設立賛同者を募ります。
そして、設立賛同者が100名になった時、100名の連名で、哲学フォーラム都道府県を設立し、会員を募ます。
会員が500名になれば、都道府県下の公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事はいとも簡単な事です。
哲学フォーラム都道府県の会員が中心と成って、それぞれの公民館で哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すれば良いのです。
その際、小中高校の先生にも、積極的にそれぞれの公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”に成って頂くものとします。
これにより、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の下地も出来上がる事になるのです。
なお、哲学フォーラム都道府県の事務局は、国立大学教育学部の哲学担当教官の研究室に置くものとします
毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、日本全国の公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が開設されている!
何と楽しい事でしょう。
旅先でちょっと公民館に立ち寄る
そして、そこでそこのソクラテスと哲学的対話を行う
楽しい事ではないでしょうか
そんな日本の為に、どうか国立大学教育学部の哲学の先生方にはお骨折りを頂きたいと思います。
何故なら国立大学教育学部の哲学の先生方こそが、その土地にソクラテスを誕生させる事が出来るお人なのですから・・・
敬具
平成20年11月16日
哲学哲男
追伸
私はこれまで哲学一貫教育に関係のありそうな国の機関に対して、哲学一貫教育の提唱をしてきました。
また、その他の関係機関に対してもこれから提唱しようと思い、その素案を作っています。
これらを纏めて、「哲学フォーラムと哲学一貫教育」と言うファイルを作っています。
このファイルも併せて送信します。
なお、このファイルの中で、教育学部における徹底した哲学教育で学生に課する事と成っている、『哲学百章』についても、その作成例を呈示していますので、参考にして下さい。
________________________________________
下記1
哲学一貫教育について
1 趣旨
日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する。
2 内容
哲学一貫教育の柱
① 小中高校哲学一貫教育
小学校、中学校、高校に渡って哲学教育を一貫して行う。
② 小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育
小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、大学教育、社会教育、家庭教育においても哲学教育を一貫して行う。
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
哲学的に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行う。
④ 哲学フォーラム(哲学対話室)
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的な対話を行う部屋の事である。
この哲学フォーラム(哲学対話室)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置する。
⑤ 哲学読本大全(全100巻)
哲学読本大全(全100巻)とは、日本国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文をそれぞれ100編集めて、編集したものである。
この哲学読本大全(全100巻)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、公民館の図書室及び大学図書館並びに公立図書館に配備する。
また、WEB版を作成し、誰でも、何時でも、自由に、無料で、閲覧出来るようにする。
この哲学読本大全(全100巻)が、哲学一貫教育の基本教材となる。
3 哲学の意義
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
哲学とは、真善美を愛する事。
哲学の本質は、「汝自身を知れ」
哲学とは、素晴らしき存在としての自分自身を知る事。
そして、その自分自身により、この世界を再認識する事。
哲学一貫教育では、日本国民の一生涯に渡ってその様な機会を提供する。
具体的には、「読書」と「作文」と「対話」の機会を提供する。
________________________________________
下記2
小中高校哲学一貫教育について
1 趣旨
小学校、中学校、高校に渡って哲学教育を一貫して行う。
2 内容
① 授業時間
授業時間は、小学校、中学校、高校とも、週2時間とする。
② 教材
教材については、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用する。
「哲学読本」とは、それぞれの学年の児童生徒に取って、大切な30の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の中の名文をそれぞれ数編集めたものとする。なお、哲学読本は黙読が原則であるので、全てにルビを付するものとする。
「哲学ノート」とは、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を作文として纏める為のノートとする。
③ 授業の進め方
週の最初の時間に、「哲学読本」(ある哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文の名文数編)を黙読し、週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を「哲学ノート」に作文として纏める。
これを小中高一貫して行う。
なお、小学校低学年は、読書能力、作文能力が十分でないので、教師の読み聞かせと、児童の発表で構成するものとする。
④ 教師の役割
教師の役割は、授業の開始と終了の合図及び授業時間中の静謐の保持のみとする。
児童生徒は、静謐の中で、読書や作文を契機として、自らを学び自らを考える。
教師は、作文について読み込む必要はない。毎週クラス全員の作文を読む事は物理的に無理がある。ただし、作文を書いているかいないかの確認は行なうものとする。作文が書けない児童生徒には作文指導を行なうものとする。
⑤ 哲学テーマ
各学年の哲学読本に取り上げる30の哲学テーマについては、それぞれの学年の児童生徒に取って、最も大切な哲学テーマとする。
なお、学習指導要領の第3章道徳に定める、「自分自身に関する事」、「人とのかかわりに関する事」、「自然とのかかわりに関する事」、「社会とのかかわりに関する事」の4分野からバランスを取って選択するものとする。
⑥ 哲学読本
哲学読本は無償とする。
哲学読本に掲載する古今東西の名著の中の名文中の名文とは、哲学書に限らず、聖典、経典、文学書等、様々な分野の名著の中から選択するものとする。
哲学読本は、各学年ごとに作成する。
哲学読本は、それぞれの教科書出版会社等がそれぞれに出版するものとする。
⑦ 哲学の位置づけ
哲学は教科とせず、現在の道徳と同じく、ただ単に「哲学」とする。
哲学においては、現在の道徳と同じく、児童生徒の評価は行わない。
⑧ 教科と哲学
教科では知識を学び、哲学では知恵を学ぶ。
教科と哲学が両輪と成って、知恵と知識に優れた児童生徒を育成する。
なお、哲学において、各教科を哲学し、必要に応じて、各教科の単元を哲学する。
哲学において、各教科を統括、統合する。これにより、各教科の知識が有機的に結び合わされ、生きた知恵となる。
⑨ 特別活動、総合学習と哲学
特別活動、総合学習は、哲学で自らが学び、自ら考え、自らのものにしたものの実践、体験、体感の場となる。
⑩ 哲学対話室(哲学フォーラム)の設置
全ての小中高校に、哲学的対話を行う為の部屋として、哲学対話室(哲学フォーラム)を設置する。
この哲学対話室(哲学フォーラム)において、児童生徒は、哲学的素養に優れた大人と哲学的対話を行う事になる。
⑪ 人間、自然、社会と哲学
哲学において、人間を、自然を、社会を哲学する。
⑫ 自分と言う存在と哲学
哲学において、自分と言う存在を徹底的に学ぶ。
⑬ 自殺、いじめ、差別と哲学
哲学において、自殺やいじめ、差別等、負の問題についても哲学する。
⑭ 憲法、法律と哲学
哲学において、憲法の主要なテーマである自由、平等,戦争,平和,人権,権利、義務、健康、文化、教育、勤労等を哲学する。
また、必要に応じて、主要な法律の目的、目標,理念等を哲学する。
⑮ 文部科学省所管の法律と哲学
哲学において、「教育基本法」、「芸術文化振興基本法」、「文字・活字文化振興法」、「子供の読書活動の推進に関する法律」等が体現される。
⑯ 道徳と哲学
哲学において、勇気、忍耐、節制、寛容等々の様々な徳を哲学する。
⑰ 読書、思索、作文、対話、行為と哲学
哲学において、読書を行い、思索を行い、作文を書き、対話を行い、そしてこれらの結果が自発的な行為を促す。
⑱ 教養と哲学
哲学は典型的なリベラルアーツである。
3 小中高校哲学一貫教育の意義
小中高校哲学一貫教育においては、児童生徒は、自らに取って身近な様々な哲学テー
マについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、それらについて考え、それら
を作文に纏め、それらを基に対話を行い、また時には実践して、それら様々な哲学テー
マに関する自らの考え方を確立して行く事となる。
また、それら様々な哲学テーマに関する考え方を、自らの中で統合し、有機的な体系
に纏めて行く事となる。
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
知恵を愛するとは、真善美を愛する事。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学の究極の目的は、素晴らしき存在としての自分自身を知る事。
そして、その自分自身により、世界を再構築する事。
哲学一貫教育ではその様な機会を提供する。
なお、小中高校哲学一貫教育においては、これらの基礎となる、「読書」と「作文」の
機会を可能な限り多く提供するものとする。
________________________________________
下記3
小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育について
1 趣旨
小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、更に大学教育、社会教育、家庭教育においても、哲学教育を一貫して行う。
2 内容
① 小学校、中学校、高校
上記「小中高校哲学一貫教育について」の通り
② 大学
大学においても、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で受講するものとする。
1年から2年までは教養哲学とし、小中高校で学んだ哲学を集大成する。
3年から4年までは専門哲学とし、学科、科目等を哲学する。
大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
③ 公民館
公民館において、週1回の通年の哲学講座を開設する。
公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
④ 家庭
家庭においても、哲学的対話(知恵を愛する為の対話)が行われるよう機運を醸成する。
幼児の為の読み聞かせ用の哲学読本を作成する。
3 小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育の意義
哲学とは知恵を愛する事。
哲学とは真善美を愛する事。
哲学の本質は『汝自身を知れ』
哲学により、自分自身の素晴らしさを認識するようになる。
その結果として、家庭や社会や自然の大切さを認識するようになる。
一生涯に渡る哲学一貫教育においては、日本国民の一生涯に渡って、その様な哲学(知恵を愛する)の機会を提供する。
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下記4
大学教育学部における徹底した哲学教育について
1 趣旨
小学校、中学校、高校は全人教育である。
教師が、知恵を愛する者(哲学者)であってこそ、児童生徒に、知恵を愛する楽しさを伝える事が出来る。
哲学的に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、徹底した哲学教育を行う。
2 内容
① 授業時間
哲学は必修とする。
授業時間は週3授業時間(約90分×週3回)とし、これを1年から4年まで通年で受講するものとする。
単位は48単位とする。(4単位が1年学期、2単位が半年学期で計算)
なお、4単位を28授業時間と想定する。
② 授業科目
ア 西洋思想史・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
イ 東洋思想史・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
ウ 日本思想史・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
エ 宗教・・・・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
オ 道徳・・・・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
カ 古代古典講読・・・4単位(古典中の古典10冊を学ぶ)
キ 教科哲学・・・・・4単位(中学校の9教科を哲学する)
ク 哲学対話・・・・・2単位(哲学対話の技術を学ぶ)
ケ 哲学作文・・・・・2単位(哲学作文の技術を学ぶ)
コ 哲学各論 ・・・・16単位(名文中の名文2000編から学ぶ、各論は40編程度)
「人生論」、「人間論」、「自由論」、「平等論」、「平和論」、「幸福論」、「感情論」、「精神論」、「肉体論」、「生命論」、「死生論」、「男女論」、「青少年論」、「友情論」、「恋愛論」、「結婚論」、「家族論」、「生活論」、「習慣論」、「国家論」、「社会論」、「政治論」、「法律論」、「経済論」、「環境論」、「職業論」、「教育論」、「学問論」、「文化論」、「文学論」、「芸術論」、「科学論」、「時代論」、「時間論」、「存在論」、「認識論」、「自然観」、「歴史観」、「世界観」、「地球観」、「宇宙観」、「読書論」、「作文論」、「愛」、「知恵」、「言葉」、「自分」、「神」等々、全部で50哲学テーマとする。(50哲学テーマ×40編=2000編)
タ 哲学対話録作成・・授業外(卒業までに100回哲学対話を行う。その対話録)
チ 哲学作文作成・・・授業外(卒業までに100の哲学テーマに関する作文作成)
※ 西洋思想史、東洋思想史、日本思想史、宗教、道徳、哲学対話、哲学作文、哲学各論については、それぞれ読本を作成するものとする。ここで言う読本とは、それぞれのテーマ毎に名著の中の名文中の名文を集めたものであり、それぞれ思想家や宗教や道徳等を概念的に説明したものではない。
③ 授業の内容
ア 西洋思想史
西洋の代表的思想家28人の思想を学ぶ。
1授業時間に一人の思想家を学ぶ。
学生は、授業前に、西洋思想史読本により、その思想家の名文中の名文約18編(500編÷28時間≒18編、1編当り4000字程度)を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、その思想家の文献学的概念(学説、時代背景等)を講義するものとする。
学生は、出来るだけその思想家の代表的著作を読むものとする。
代表的思想家としては、プラトン、アリストテレス、エピクロス、エピクテトス、セネカ、キケロ、マルクスアウレリウス、アウグスティヌス、ルター、デカルト、パスカル、ロック、スピノザ、モンテスキュー、ルソー、カント、ヘーゲル、ショウペンハウワー、キルケゴール、マルクス、ニーチェ、イソップ、ホメロス、ダンテ、レオナルドダビンチ、シェークスピア、ゲーテ、ニュートン、カエサル等が考えられる。思想家については、所謂哲学者だけでなく、文学者、芸術家、政治家、科学者等も対象とする。
イ 東洋思想史
東洋の代表的思想家28人の思想を学ぶ。
その他については、西洋思想史と同じ。
代表的思想家としては、孔子、老子、墨子、孟子、荘子、孫子、荀子、韓非子、朱子、王陽明、孫文、毛沢東、ダゴール、ガンジー、ヒンズー経典、バラモン経典、ゾロアスター経典、ユダヤ経典、詩経、書経等が考えられる。思想家について、所謂哲学者だけでなく、文学者、芸術家、政治家、更には経典等も対象とする。
ウ 日本思想史
日本の代表的思想家28人の思想を学ぶ。
その他については、西洋思想史と同じ。
代表的思想家としては、聖徳太子、空海、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮、林羅山、中江藤樹、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠、賀茂真淵、本井宣長、二宮尊徳、福沢諭吉、内村鑑三、吉野作蔵、西田幾多郎、和辻哲郎、西行、世阿弥、松尾芭蕉、夏目漱石、西郷隆盛、古事記、日本書紀、風土記、万葉集等が考えられる。思想家について、所謂哲学者だけでなく、文学者、芸術家、政治家、更には古代古典等も対象とする。
エ 宗教
キリスト教(聖書)、仏教(経典)、イスラム教(コーラン)、神道(神典)を学ぶ。
授業時間の割り当ては、キリスト教(聖書)が10授業時間、仏教(経典)が10授業時間、イスラム教(コーラン)が4授業時間、神道(神典)が4授業時間程度とする。
宗教読本の名文の割り当ては、キリスト教(聖書)が200編、仏教(経典)が200編、イスラム教(コーラン)が50編、神道(神典)が50編程度とする。
学生は、授業前に、宗教読本により、その宗教の名文中の名文を読んでおくものとする。
教師はその前提の下に、その宗教の宗教学的概念(学説、時代背景等)を講義するものとする。
学生は出来るだけその宗教の聖典、経典等を読むものとする。
オ 道徳
代表的な28の徳について学ぶ。
1授業時間に一つの徳を学ぶ。
学生は、授業前に、道徳読本により、その徳に関する名著の中の名文中の名文約18編(500編÷28時間≒18編、1編当り4000字程度)を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、その徳に関する文献学的概念(学説、時代背景等)や自らのその徳に関する考え方を講義するものとする。
学生は出来るだけその徳に関する代表的著作を読むものとする。
代表的な徳としては、勇気、忍耐、節制、寛容、正義、中庸、慈愛、高潔、廉恥、礼儀、誠実、良心、奉仕、孝行、自信、平常心、自制心、向上心、反省、克己、分別、優しさ等が考えられる。
カ 古代古典講読
古代の代表的な古典10冊を学ぶ。
2~3授業時間で、1冊の古典を学ぶ。
学生は、授業前に、その古代古典を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、その古代古典を講読する。また、その著作、その思想家に関する文献学的概念(学説、時代背景等)についても講義する。
対象とする古代古典については、次の10冊とする。
「論語」(孔子)、「老子」(老子)、「真理の言葉(発句経)」(ブッダ)、「新約聖書マタイ福音書」(イエス)、「箴言」(ソロモン)、「詩篇」(ダビデ)、「ソクラテスの弁明」(プラトン)、「手紙」(エピクロス)、「道徳論集」(セネカ)」、 「自省録」(マルクスアウレリウス)
※何故古代古典のみを対象とするかと言うと、古代は人間の青少年期にあたり、児童生徒を役する言葉が、それこそ綺羅星の如く鏤められているからである。
キ 教科哲学
中学校で学ぶ9教科(国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術家庭、英語)を哲学する。
3授業時間で、1教科を哲学する。
学生は、授業前に、その教科書を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、その教科及びその教科の重要な単元について、自らの基本的考え方を講義するものとする。
なお、教科哲学は、それぞれの教科担任教師がそれぞれに担当するものとする。
学生は、これらを基に、自らにおいて、それぞれの教科及び重要な単元を哲学するものとする。
各教科の単元を例示すると次の通り。
・国語・・・・読むとは、書くとは、話すとは、聞くとは、文法とは、言語とは、文字とは、言葉とは、詩とは、小説とは、文学とは等々
・社会・・・・社会とは、日本とは、世界とは、歴史とは、地理とは、政治とは、経済とは、倫理とは、法律とは、都会とは、人口とは、資源とは、国家とは、現代とは、戦争とは、文明とは、生活とは、福祉とは、憲法とは等々
・数学・・・・数とは、図とは、式とは、関数とは、微分とは、積分とは、確率とは、比例とは、相似とは、統計とは、円とは、三角形とは等々
・理科・・・・物理とは、化学とは、生物とは、地学とは、物資とは、液体とは固体とは、気体とは、原子とは、分子とは、酸化とは、還元とは、力とは、運動とは、熱とは、光とは、音とは、電気とは、動物とは、植物とは、生命とは、細胞とは、呼吸とは、環境とは、気象とは、天候とは、地球とは、宇宙とは、科学とは、自然とは等々
・音楽・・・・音楽とは、メロディーとは、リズムとは、ハーモニーとは等々
・美術・・・・絵画とは、彫刻とは、工芸とは、デザインとは、美とは等々
・保健体育・・保健とは、健康とは、病気とは、体育とは、スポーツとは等々
・技術家庭・・技術とは、木材とは、金属とは、電気とは、機械とは、栽培とは、家庭とは、食物とは、衣服とは、住居とは、育児とは、生活とは等々
・英語・・・・英語とは、言語とは、文法とは、翻訳とは、国際とは等々
ク 哲学対話
哲学対話の技術を学ぶ。
4授業時間を教師の講義に充て、10授業時間を実習に充てる。
学生は、授業前に,哲学対話読本(100編)を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、哲学対話に関する文献学的概念や自らの哲学対話に関する技術等を講義するものとする。
実習については、5授業時間を1対1の対話に充て、5授業時間を数人での対話に充てるものとする。
学生は、それぞれ毎に、哲学対話録を作成するものとする。
コ 哲学作文
哲学作文の技術を学ぶ。
4授業時間を教師の講義に充て、10授業時間を実習に充てる。
学生は、授業前に、哲学作文読本(100編)を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、哲学作文に関する文献学的概念や自らの哲学作文に関する技術等を講義するものとする。
実習については、教師が選択した10の哲学テーマについて、それぞれごとに哲学作文を作成するものとする。
一つの哲学テーマについて、1授業時間を充てる。
学生は、最終授業後、「哲学十章」として纏めるものとする。
サ 哲学各論
主要な50の哲学テーマについて学ぶ。
一つの哲学テーマについて、2授業時間を充てる。
学生は、授業前に、哲学各論読本(各論40編)を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、哲学各論に関する文献学的概念や自らの考え方を講義するものとする。
哲学各論について、教育学部全ての教師の協力を得て行うものとする。
学生は、出来るだけ、その哲学テーマに関して、更に思想を深め、作文に纏めておくものとする。
シ 哲学対話録作成
哲学対話録作成は、授業外とする。
学生は、卒業までに、100回の哲学対話を行い、その対話録を作成するものとする。
哲学対話録の提出があった時は、哲学担当教師は、「哲学対話録の提出があり、その事実を確認した旨」の認証をするものとする。
哲学担当教師は、哲学対話録を読む必要は無い。哲学対話録の提出の事実があった事だけを確認すれば良い。
哲学対話録は、卒業後、自らの大学時代の哲学の足跡として、対外的に活用して良い。
ス 哲学作文作成
哲学対話録作成は、授業外とする。
学生は、卒業までに、自らに取って大切な100の哲学テーマについて、作文を書き、それを『哲学百章』として冊子に纏め、哲学担当教官に2部提出するものとする。
哲学担当教官は、その1部については、「哲学百章の提出があり、その事実を確認した」旨の認証を行った上で、学生に返還するものとする。他の1部については、大学教育学部図書館等の『哲学百章文庫』に収めるものとする。
哲学百章については、10年で廃棄処分とするものとする。
『哲学百章文庫』が、在学生、卒業生、教官等の共有財産となる。
なお、哲学担当教師は、提出のあった哲学百章を読む必要はない。哲学百章の提出のあった事実の確認と大学図書館の哲学百章文庫への引継ぎだけで良い。
哲学百章は、卒業後、自らの大学時代の哲学の足跡として、対外的に活用して良い。
④ 哲学フォーラム(哲学対話室)の設置
教育学部に、哲学的対話を行う為の部屋として、哲学フォーラム(哲学対話室)
を設置する。
この哲学フォーラム(哲学対話室)については、広く国民に開放する。
この哲学フォーラム(哲学対話室)において、学生は様々な人々と哲学対話と行
う事となる。
4 文学部の哲学教育と教育学部の哲学教育の違い
文学部の哲学教育では、哲学文献を学ぶが、教育学部の哲学教育では、哲学、すなわち“知恵を愛する事”を学ぶ。
その為、いわゆる哲学書だけでなく、聖人、賢人、哲人、文豪、英雄、天才芸術家・科学者・政治家等々、いわゆる偉人と呼ばれる人々の書いた名著(聖典、経典も含む)の中の名文中の名文から学ぶ。
偉人と呼ばれる人々とは、知恵を愛し抜いた人々の謂いである。
教育学部の哲学教育では、先ず偉人たちから知恵を愛する方法を学ぶ。
その後において、自らにおいて知恵を愛する事となる。
教育学部の哲学教育の最終目標は、知恵を愛する人(哲学者)を育てる事にある。
________________________________________
下記5
哲学フォーラム(哲学対話室)について
1 趣旨
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事である。
この哲学フォーラム(哲学対話室)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置する。
2 哲学フォーラム(哲学対話室)の運営
哲学フォーラム(哲学対話室)は、その哲学フォーラム(哲学対話室)に所属する哲学ボランティア“ソクラテス”グループ(10名以上)により運営する。
3 哲学ボランティア“ソクラテス”
哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学フォーラム(哲学対話室)に登録届出と「哲学に関する自らの考え方を纏めた作文」を提出し、その哲学フォーラム(哲学対話室)の代表と哲学対話を終了した時に、その哲学フォーラム(哲学対話室)所属の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
作文については、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、哲学フォーラム(哲学対話室)の利用者の供覧に供するものとする。
なお、哲学ボランティア“ソクラテス”は嘗て存在したソクラテスト同様、無報酬とする。
おって、哲学ボランティア“ソクラテス”については、哲学(知恵を愛する事)の情熱があれば、資格は必要ないものとする。
4 小中高校に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)について
① 趣旨
全ての小中高校に、哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、課外とする。
哲学フォーラム(哲学対話室)において、児童生徒は哲学的素養のある大人と哲学的対話を行う。
② 設置者
設置者は、学校長とする。
③ 運営
運営は、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”グループ(10名以上)とする。
④ 哲学ボランティア“ソクラテス”
学校の哲学ボランティア“ソクラテス”に成る為には、学校長に登録届出と「児童生徒向けに書いた自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出し、学校長と哲学対話を終了した時に、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
作文については、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、児童生徒の供覧に供する。
その学校の教師が、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”に成る時は、この手続きは省略出来る。
その学校の教師が、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”に従事する時間については、勤務扱いとする。なお、5時を過ぎたらボランティア扱いとする。
⑤ 開設時間
月曜日から金曜日までの、午後3時か午後5時までとする。
開設時間においては、必ず二人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、日替わりとする。
⑥ 開設場所
空き教室等を利用する。
⑦ 利用方法
児童生徒は、自由に、勝手に、許可を受ける事無く、哲学フォーラム(哲学対話室)に入室し、哲学ボランティア“ソクラテス”と対話を行う事が出来るものとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重する。
5 大学及び公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)について
① 趣旨
全ての大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
② 哲学フォーラム大学名、哲学フォーラム公民館名
大学においては哲学担当の教師を中心に、公民館においては哲学的素養のある者を中心に、哲学に関心のある者10名以上で「哲学フォーラム大学名」、「哲学フォーラム公民館名」を組織する。
会員は、全て哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
代表には、大学においてはなるべく哲学担当教師に、公民館においてはなるべく哲学的素養のある者に成って頂くものとする。
③ 哲学ボランティア“ソクラテス”
哲学ボランティア“ソクラテス”に成る為には、代表者に登録届出と「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出し、代表者と哲学対話を終了した時に、その大学の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
作文については、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、哲学フォーラム(哲学対話室)の利用者の供覧に供する。
④ 開設時間
毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
開設時間においては、必ず二人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。
⑤ 開設場所
大学においては大学図書館会議室を、公民館においては公民館会議室を利用する。
⑥ 利用方針
哲学フォーラムについては、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に、勝手に、許可無く、哲学フォーラム(哲学対話室)に入室する事が出来、哲学ボランティア“ソクラテス”と哲学的対話が出来るものとする。
フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。
なお、入校制限を行っている大学においてはその範囲内で行う。
⑦ 哲学フォーラム巡り
毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、日本国中の全ての大学及び公民館において、哲学フォーラム(哲学対話室)が開設される事になり、これにより、『哲学フォーラム巡り』と言う新たな社会的な楽しみが創設される事になる。
この『哲学フォーラム巡り』が日本の青少年を育てる事になる。
6 哲学フォーラム都道府県名
各都道府県の哲学フォーラム(哲学対話室)の中心として、国立大学教育学部哲学担当教室に、哲学フォーラム都道府県名を置く。
7 哲学フォーラム日本
日本全国の哲学フォーラム(哲学対話室)の中心として、東京学芸大学「哲学・倫理分野」に、哲学フォーラム日本を置く。
________________________________________
下記6
哲学読本大全(全100巻)について
1 趣旨
哲学読本大全(全100巻)とは、国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文をそれぞれ100編ずつ集めて、編集したものである。
この哲学読本大全(全100巻)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、公民館の図書室及び大学図書館並びに公立図書館に配備する。
また、哲学読本大全(全100巻)のWEB版を作成する。
これにより、日本国民は何時でも、自由な時に、哲学読本大全(全100巻)を読む事が出来るようになる。
哲学読本大全(全100巻)が、哲学一貫教育の基本教材となる。
2 作成方法
① 国民の英知を結集して作成する。
② 国立大学教育学部哲学担当の教師100名を構成メンバーとする、『哲学読本大全(全
100巻)作成委員会』(俗称100人委員会)を組織し、この委員会が中心と成って、
国民の英知を結集して作成する。
③ WEB上に、印刷製本原稿版と閲覧版を掲載する。
印刷製本原稿版を使用すれば、誰でも哲学読本大全(全100巻)を印刷製本できる
仕組みになっている。
全ての小学校、中学校、高校、公民館の図書室及び大学図書館並びに公立図書館は、
この印刷製本用原稿により、印刷製本を行う事となる。
これにより、ほとんど予算をかけることなく、日本国中の全ての図書室と図書館に
哲学読大全(全100巻)を配備する事が可能となる。
④ 1名文の分量は、文字数にして4000字程度。A4版、縦書き、4段組、2頁以内。
⑤ 具体的な作成方法については、「哲学読本作成要領」を参照の事。
3 哲学読本大全(全100巻)の意義
① 哲学読本大全(全100巻)は、専門家向けの読本ではなく、一般国民向けの読本で
ある。
② 哲学読本大全(全100巻)は、全てルビが付してあるので、小学校高学年から読む事が出来る
③ キリスト教国家においては、聖書が国民を育て、イスラム教国家においては、コーランが国民を育てる。日本においては、哲学読本大全が国民を育てる事となる。
________________________________________
別稿
哲学読本大全(全100巻)作成要領
1 趣旨
『哲学読本大全(全100巻)』とは、主要な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものとする。
哲学テーマの数については、500とする。
1つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
名著とは、哲学書・思想書だけでなく、聖典・経典、文学書(詩、小説、物語、戯曲、随筆、評論、日記、記録、手記)、歴史書、科学書等、全ての名著を対象とする。
1編の名文の文字数は、4000字以内とする。
2 本の体裁
①A4版、縦書き、4段組とする。
②1巻の頁数は、1200頁程度とする。
③1頁の文字数は、2200文字程度とする。
④最も安価の印刷製本方法によるものとする。(並本、平とじ等)
3 本の内容
①主要な哲学テーマ500について、それぞれに古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
②1編の名文の文字数は,4000字以内とする。
③1編の名文は、見開きの2頁に収めるものとする。
④1編の名文の見出しは、著書名とする。
例、「饗宴より」「新約聖書“マタイ福音書”より」「社会契約論より」「エミールより」「方法序説より」「論語より」「老子より」「道徳書簡集“人生の短さについて”より」「純粋理性批判より」「法華経より」「ファウストより」「神曲より」「草枕より」等。
⑤哲学テーマが異なれば、同じ見出しが付く事となる。また、同じ哲学テーマの中で、同じ著書から2編以上掲出する時は、「饗宴より~その2~」等とする。見出しに著書名が多く掲出されればされるほど、名著としてのイメージが読者に焼き付く事となる。
⑥見出しの後には、名文をそのまま掲載するものとする。名文の文字数は4000字以内とする。なお、古文、漢文については、現代語訳を掲載するものとする。文字数に余裕があれば、古文、漢文と現代語訳を併記しても良い。
⑦名文の後に、著書及び著者の簡単な解説を掲載するものとする。文字数にして、200字前後とする。
⑧『哲学読本大全(全100巻)』は、100巻、500章、50,000節とする。
100巻とは、100冊の意味である。
500章とは、500哲学テーマの意味である。
50,000節とは、50,000の名文(古今東西の名著の中の名文中の名文)の意味である。
⑨1巻(冊)に、5哲学テーマ、500名文を収める。1哲学テーマについて、100名文を収めるので、5哲学テーマ×100名文=500名文=1巻となる。
⑩1名文については、見開き2頁に収める。(1名文については、4000文字以内とする)
⑪哲学テーマについては、日本国民にとって必要な哲学テーマを選定する。なお、その際、中学生、高校生を特に考慮に入れて選定するものとする。
⑫哲学テーマについては、夢、希望、理想、正義、勇気、智恵、愛、友情、地球、自然、環境、生命,勉強、学問、芸術、社会、経済、国家,法、真善美、精神、感情、自分等々、「自分に関する事」「人間関係に関する事」「社会に関する事」「自然に関する事」等、全ての分野を対象とするものとする。
⑬漢字については、日本聖書協会発行の聖書のように、全てにルビを付するものとする。これにより、小学校高学年からでも読む事が出来るようになり、『哲学読本大全(全100巻)』は、文字通り、全ての国民向けの読本となる。
⑭『哲学読本大全(全100巻)』については、全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室に備えるものとする。
4 本の作成方法
①全国の教育学部のなるべく多くの哲学担当教官の参加を得て、「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」を設置する。(俗称100名委員会。)
②「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、哲学教育体制が整っており、かつ学生・院生・卒業生・一般市民等の哲学ボランティアの参加の得やすい大学に設置するものとする。
③「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、作成委員会の委員に対して、哲学テーマを募集する。
④各委員は、それぞれ500の哲学テーマを選定し、メールで事務局に送信するものとする。
⑤事務局は、各委員より提出された哲学テーマを基に、哲学テーマ一覧表を作成し、各委員にメール送信し、諮り(投票等)、500の哲学テーマを決定するものとする。
⑥事務局は、委員に対して、500の哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑦各委員は、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。各委員は、1つの哲学テーマについて1編以上、全部で500編以上の古今東西の名著の中の名文中の名文の写し(スキャナーで読み込んだ写し)を送信するものとする。
⑧事務局は、送信された古今東西の名著の中の名文中の名文(以下名文と呼ぶ)を、哲学テーマ毎にそのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し、「哲学読本大全(全100巻)資料集」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
⑨各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、それぞれ検討するものとする。
⑩事務局は、次に、全ての大学の教育学部の教師及び教育学部付属学校の教師を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑪各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
⑫事務局は、各教師から送信された名文と⑧で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集」を、それぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」としてファイルを作成し、各教師及び各委員に送信するものとする。
⑬各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
⑭事務局は、次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い)を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑮各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
⑯事務局は、各教師から送信された名文と⑫で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
⑰各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
⑱事務局は、次に、全国民を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
⑲各国民は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
⑳事務局は、各国民から送信された名文と⑯で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
○21各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
○22事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」をそのままの形で、ウェブ上に公開し、全国民を対象に「哲学読本大全(全100巻)」に掲載して欲しい名文の投票を行う。
○23事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を投票順位毎に編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を作成し、各委員に送信するものとする。
○24各委員は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を基に、それぞれの哲学テーマ毎に、それぞれの名文の中から100の名文を選び、その結果を事務局に送信するものとする。
○25事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」と⑳の集計結果を基に、哲学テーマ毎に、100の名文を決定し、「哲学読本大全(全100巻)素案」を作成し、各委員に送信し、各委員に諮り、哲学読本大全(全100巻)に掲載する50,000の名文(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)を決定するものとする。なお、それぞれの哲学テーマに掲載される名文の順番は、各委員及び全国民からの投票の多かった順とする。
○26事務局は、50,000の名文それぞれについての著者と著書の簡単な解説文(200文字程度)の作成を、専門分野に応じて、各委員並びに教育学部の教師に依頼するものとする。
○27事務局は、「哲学読本大全(全100巻)素案」をテキスト形式に変換し、全ての漢字にルビを付し、50,000の名文に関する著者及び著書の解説、並びに巻頭言や奥書等を加え、最終的な印刷製本の形にした上で、各委員に送信し、諮り、「哲学読本大全(全100巻)」の最終原稿を決定するものとする。
○28事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用原稿とオンデマンド印刷用原稿の2種類のファイルを作成するものとする。
○29ウェブ公開用原稿は、ウェブ上で見易い形式に整えたものとする。
○30オンデマン印刷用原稿については、その原稿を利用すれば、誰でも、同じ「哲学読本大全(全100巻)」が作成できるものとする。印刷製本仕様まで指示するものとする。
○31事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、最大限、哲学ボランティアを活用するものとする。哲学ボランティアは無報酬とする。哲学ボランティアについては、学内、学外から哲学を愛する者を広く募集するものとする。
○32「哲学読本大全(全100巻)」については、オンデマンド印刷製本を行い(業者に発注)、全国の公立図書館及び大学図書館に無償で配布するものとする。
○33「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用とオンデマンド印刷製本用の2種類のファイルを作成し、共にウェブ上で公開する。ウェブ公開用の「哲学読本大全(全100巻)」は誰でも自由に閲覧できるようにするものとする。オンデマンド印刷製本用については、これを利用し、誰でも自由に「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本できるものとする。
○34小学校、中学校、高校及び公民館においては、オンデマンド印刷製本用のファイルを利用して、それぞれにおいて、「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行い、それぞれの図書室に備えるものとする。印刷製本については、業者に外注に出しても良いし、学校等で行っても良い。教育の一環として学校等で行えば、教育的効果がより高くなる。
なお、哲学に関心のある者は誰でも、自由にオンデマンド印刷製本用のファイルを利用して「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行っても良いものとする。
○35以上により、全国の全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校及び公民館の図書室、並びに哲学に関心のある者の書棚に「哲学読本大全(全100巻)」が備わる事になり、『哲学一貫教育』の素地が整う事になる。
○36「哲学読本大全(全100巻)」は、文部科学省の委託事業または補助事業として行う。
○37「哲学読本大全(全100巻)」の作成は、上記のように哲学読本大全(全100巻)作成委員会によって行っても良いが、日本教育大学協会が文部科学省からの直接の補助事業または委託事業として受け、協会内に「哲学読本大全(全100巻)作成部会」を設置して、行っても良い。その方が、哲学教育振興がより図られる事になる。
○38日本教育大学協会の作成部会が、「哲学読本大全(全100巻)」を作成し、その指導の下に、全国の全ての小中高校の図書室並びに大学図書館、公立図書館、公民館図書室等に「哲学読本大全(全100巻)」が備えつけられるようになれば、全国的に哲学的機運が高まり、それに伴い哲学教育への関心が高まり、日本教育大学協会の中に『哲学教育部会』が設置される事となる。この『哲学教育部会』を中心に、「小中高校哲学一貫教育」、「一生涯にわたる哲学一環教育」、「大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成方法)」「哲学フォーラム」「哲学的風土づくり」等の研究が行われ、『哲学一貫教育』が加速度的に進行する事となる。
5 本の作成財源について
①文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う。実費(印刷製本費、配送費、通信費、事務用品等)については全て国庫負担とし、労働の対価については、全て無報酬(ボランティア)とする。ただし、委託事業で実施する場合は、国の基準により報酬を受ける事が出来るものとする
②万が一、文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う事が出来ない場合は、哲学に関心のある者等の寄付により行う。財源負担の考え方は①に同じ。
③公立図書館及び大学図書館に対して、「哲学読本大全(全100巻)」を無償交付するのではなく、それらの図書館においても、上記4の○28にあるように、それぞれの図書館においてオンデマンド印刷製本を行うのであれば、今回の「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、労働の対価は全て無報酬(ボランティア)とするので、それほど経費はかからず、哲学に関心のある者等の寄付等で十分に行える。
6 著作権及び出版権について
①「哲学読本大全(全100巻)」作成に入る前に、出版社団体等に対して、『哲学教育』の為に利用するのであり、収益事業は全く行わず、ほとんどを無報酬(ボランティア)で行う旨を説明し、著作権料及び出版権料は無償としてもらう。
②それぞれの名文の末尾には必ず、その名文を複写した図書名と出版社名記載するものとする。これにより、その図書の購入の便宜を図る。名文はその出版物(著書)のほんの一部(4000字以内)であり、「本の紹介」に準じたものとして扱ってもらう。
③生存者の名文は、「哲学読本大全(全100巻)」は掲載しないものとする。
④「哲学読本大全(全100巻)」については、廃刊になっている図書の中の名文も利用する。
以上が、「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法です。
「哲学読本大全(全100巻)」作成の一番良い方法は、上記の実施要領の最後の所で述べましたように、日本教育大学協会が文部科学省から委託や補助を受けて作成する方法だと思うのですが、現在の所、協会内に「哲学教育部会」が無い以上、現実的にはかなり難しいと思います。
現在において、一番妥当な方法は、「哲学読本大全作成委員会」方式だと思います。
つきましては、どうか教育学部の哲学担当の先生方で、先ずは「哲学読本大全作成委員会」を組織して頂きたいと思います。
そして、哲学教育の充実した大学において、事務局の労を取って頂きたいと思います。
この「哲学読本大全」については、大いなる可能性があるのです。
この書簡を書き始める時は、その可能性に気付いていませんでしたが、書き続けている内に、その可能性に気付いて来たのです。
現在の所の目的は、「哲学読本大全(全100巻)」のウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とこの2種類のファイルのウェブ上での公開と、「哲学読本大全(全100巻)」(オンデマンドで業者に最も安価の方法で印刷製本させたもの)の公立図書館、大学図書館への無償交付です。
この内の、公立図書館、大学図書館への無償配布にかなりの経費がかかります。
「哲学読本大全(全100巻)」の1セットの印刷製本・配送費が100,00円だとします。
そして、公立図書館、大学図書館の数が合わせて5,000だとします。
そうすると、100,00円×5,000図書館=5億円となり、これを委託金・補助金や寄付金で賄おうと思っているのですが、はっきり言って無理です。
と言う事で、今回の「哲学読本大全(全100巻)」作成事業から、公立図書館、大学図書館への無償配布は削除するものとします。
その代わり、全ての公立図書館、大学図書館及び全ての小学校、中学校、高校、公民館等の図書室において、それぞれにおいて、「オンデマンド印刷製本用のファイル」を利用して、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本して、備えるものとします。
哲学読本大全作成委員会では、各図書館、各図書室において、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本し、備え付けるよう、依頼啓発運動を行うものとします。
この方針変換を行う事により、「哲学読本大全(全100巻)」作成事業には大いなる可能性が出て来るのです。
「哲学読本大全(全100巻)」に収められる、古今東西の名著の中の名文中の名文の数は、50,000(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)ですが、この「哲学読本大全(全100巻)」を作成する段階で集められる名文の数は、50,000の何倍にもなるのです。
ここで、もう一度「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法をお浚いして置きます。
先ずは、哲学読本大全作成委員会の委員の先生方から、それぞれの哲学テーマについて1編以上、全部で500編提出して貰う事になっています。
哲学読本大全作成委員会については、教育学部の哲学担当先生方になるべく多く参加して頂くものとしています。
委員の数が100名だとすると、この段階で既に50,000の名文(500哲学テーマ×1名文×100人=50,000名文)が集る事になります。
次に、教育学部及び教育学部付属学校の教師の方々を対象に、名文の募集を行います。
ここでは、全ての教師に500哲学テーマごとにそれぞれ1編以上、全部で500編の名文は求めない事にしますが、なるべく多くの名文を提出して頂くよう依頼するものとします。
例えば、ここで1,000人の教師から、それぞれ100の名文の提出があったとします。
そうすると、ここで100,000の名文(100名文×1,000人=100,000名文)が集る事になります。
ここまでの段階で既に、150,000の名文(50,000名文+100,000名文=150,000名文)が集る事になります。
次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い、場合によっては児童生徒を含めても良い)を対象に、名文の募集を行います。
例えば、ここで10,000人の教師から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
ここまでの段階で、250,000の名文(50,000名文+100,000名文+100,000名文=250,000名文)が集る事になります。
次に、国民を対象に、名文の募集を行います。
例えば、ここで10,000人の国民から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
ここで最終段階と成りますが、ここまでに350,000の名文(50,000名文+100,000名文+100,000名文+100,000名文=350,000名文)が集る事になります。
「哲学読本大全(全100巻)」では、この内の50,000名文だけを使用する事になりますが、後の300,000名文は捨てて良いのでしょうか。
決して捨ててはなりません。
これこそが国民の英知です。
これを活用しなくてはなりません。
募集を大々的に行えば、もっともっと名文が集るかも知れません。
この英知を活用してこそ、日本にも哲学的土壌が生まれて来る事になるのです。
それでは、どの様に利用するのか。
それが、ウェブ閲覧用のファイルの作成とオンデマンド印刷製本用のファイルの作成と、この2つのファイルのウェブ上での公開です。
先ずは、各委員、大学教育学部関係教師、全国小中高校教師、及び各国民が、それぞれにスキャナーで読み込み、そしてメールで送信して頂いた名文の写しを、全てテキスト形式に変換します。
そして、それを500の哲学テーマ毎に整理して、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルを作成し、この2つのファイルをウェブ上で公開します。
例えば、350,000の名文が集っていたとすれれば、単純計算をすると、1つの哲学テーマに700の名文がある事なります。
例えば、知恵と言う哲学テーマについて、700の名文がある事になります。
そして、それぞれは、国民一人一人が名文として認めたものです。
その700の名文を読めば、日本人における知恵の概念を理解する事が出来ます。
後は、それらを抽象していけば、日本人おける知恵とそして世界における知恵の普遍的概念に近付いて行く事が出来る事になります。
何故なら、その名文は古今東西の名著の中の名文中の名文なのですから。
しかし、上記の様な作業は、閑暇があり、哲学的思考に慣れた人でなければ、中々出来ない事です。
そこで次に行う事が、その350,000名文を編集し直して、哲学読本の別版を作成する事です。
勿論、別版と言っても、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とその2つのファイルのウェブ上での公開版の事です。
哲学読本の別版としては、次の様なものが考えられます。
これにより、哲学読本がより国民にとって、より身近なものとなります。
なお、公立図書館及び大学図書館においては、別版についても、必ず印刷製本し、哲学読本大全(全100巻)と共に、同じ書架に保管し、『哲学読本コーナー』を設置するものとする。
これにより、『哲学読本シリーズ』は社会的に認知される事になり、ここを基として、『哲学一貫教育』が始まる事になるのです。
なお、この哲学読本シリーズの成否は、偏に哲学ボランティアにかかっています。
「哲学読本大全作成委員会」事務局の下に、「哲学読本大全作成グループ」を設置し、多くの哲学ボランティアに登録して頂くものとします。
そして、この哲学ボランティアの方々に実際の作業(資料集の作成や原文とテキスト形式に変換した本文との読み合わせ等)を行って貰うものとします。
哲学(知恵を愛する事)を愛する人であれば、決して労は厭わないと思います。
事務局のある大学の、教師、学生、院生、卒業生、他の大学の教師、学生、院生、そして一般市民等、なるべく多くの哲学ボランティアを集める事により、この『哲学読本シリーズ』はひとりでに完成して行く事になるのです。
そして、この「哲学読本大全作成グループ」及び「哲学読本大全作成委員会」が「哲学フォーラム日本」へと発展して行き、日本の哲学一貫教育の礎となるのです。
「小学生の為の哲学読本」
「中学生の為の哲学読本」
「高校生の為の哲学読本」
「大学生の為の哲学読本」
「青年の為の哲学読本」
「女性の為の哲学読本」
「社会人の為の哲学読本」
「高齢者の為の哲学読本」
「哲学読本(西洋思想編)」
「哲学読本(東洋思想編)」
「哲学読本(日本思想編)」
「哲学読本(聖典・経典編)」
「哲学読本(道徳編)」
「哲学読本(宗教編)」
「哲学読本(社会編)」
「哲学読本(自然編)」
「哲学読本(人間編)」
「哲学読本(科学編)」
「哲学読本(教育編)」
「哲学読本(幸福論)」
「哲学読本(平和論)」
「哲学読本(自由論)」
「哲学読本(平等論)」
「哲学読本(戦争論)」
「哲学読本(芸術論)」
「哲学読本(国家論)」
「哲学読本(家族論)」
「哲学読本(結婚論)」
「哲学読本(自殺論)」
「哲学読本(いじめ論)」
「哲学読本(差別論)」
「哲学読本(友情論)」等々必要に応じて作成
以上が哲学読本大全の作成要領です。
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別稿
日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法
哲学フォーラム(哲学対話室)を始める為には、お金は必要ありません。
哲学に関心のある者が10名ほど集って『哲学フォーラム』と言うサークルを作り、公民館にサークル活動届けを出し、小会議室を週1回借りる事が出来れば、それで哲学フォーラム(哲学対話室)を開始する事が出来ます。
もし日本の全ての公民館に『哲学フォーラム』が出来たらどうでしょう。
私たちは旅をしながら、哲学フォーラムでその町の哲学者たちと対話を交わす事が出来ます。
何と素敵な事でしょう。
日本を旅する楽しさが100倍にもなるのではないでしょうか。
全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)がある!!そんな素敵な日本!!
しかしこの事は決して自然発生的に生まれる事はありません。
誰かが音頭を取らなければなりません。
誰が音頭を取るのでしょう。
勿論、各都道府県にある、国立大学教育学部の哲学の先生方であるべきです。
と言う事で、日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法をこれからお示ししたいと思います。
『日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法について』
1 趣旨
哲学フォーラム(哲学対話室)は、全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置する事を目指しています。
しかし、小学校、中学校、高校については、学校教育法上の制約もあり、直ぐに設置する事は中々難しい状況にあります。
しかし、公民館においては、有志が集れば直ぐにでも設置する事が出来ます。
ここでは、日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法をお示ししたいと思います。
2 実施主体
各都道府県に設置されている国立大学の教育学部の哲学教室が中心になって実施するものとします。
各国立大学教育学部の哲学教室の先生を中心に、学生、院生、卒業生(小中高校の教師、社会教育、教育行政で活躍されている方々等)、哲学に興味にある方々で哲学フォーラム都道府県を組織するものとします。
【例:哲学フォーラム宮崎】
3 全ての公民館に哲学フォーラムを設置する為の方法
① 先ず、大学のある都市(一般的には県庁所在地)の中央公民館1箇所に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置します。設置日時は毎週土曜の午後2時から午後5時までの3時間とします。哲学フォーラム都道府県の会員の中の県庁所在地に住む十数名で『哲学フォーラム○○市中央公民館』を設置し、○○市中央公民館にサークル届けを提出するものとします。このサークルの中に、大学教育学部の哲学教室の先生も名を連ねるものとします。ここで2年間試行を行い、哲学フォーラム(哲学対話室)に関するノウハウを取得するものとします。
【例:哲学フォーラム宮崎市中央公民館】
② 次に大学のある都市より車で1時間内で行ける、その都道府県の大きな地方都市3箇所を選び、その都市の中央公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものとします。設置日時は毎週土曜の午後2時から午後5時までの3時間とします。哲学フォーラム都道府県のその都市の近くに住む会員の中の十数名で『哲学フォーラム□□市中央公民館』を設置し、□□市中央公民館にサークル届出を提出するものとします。このサークルの中に哲学教室の院生(または有力会員)も名を連ねるものとします。ここで2年間試行を行い、更に哲学フォーラム(哲学対話室)に関するノウハウを取得するものとします。
【例:哲学フォーラム都城市中央公民館、哲学フォーラム延岡市中央公民館, 哲学フォーラム日南市中央公民館】
③ ①②を通じて、すなわち県庁所在地の哲学フォーラム活動及び地方都市の哲学フォーラム活動を通じて、哲学フォーラム都道府県の会員を増やすものとします。会員にについては、小中高校の教師、社会教育や教育行政の関係者になるべく多くなって貰うものとします。
【例:哲学フォーラム宮崎の例で言えば100名以上に会員を増やすものとします。】
④ ①②を通じて得られたノウハウ、すなわち県庁所在地の哲学フォーラム活動及び地方都市のフォーラム活動で得られたノウハウを、都道府県哲学フォーラムの会員に伝授するものとします。また、学校教育関係者、社会教育関係者、教育行政関係者、一般県民等を対象に、哲学フォーラムに関する講演会・研修会等を県内市町村の各中央公民館で開催するものとします。当該講演・研修・広報活動を通じて、哲学フォーラムを社会的に認知して貰おうものとします。なお、当該講演・研修・広報活動は2年間試行するものとします。
【例:哲学フォーラム宮崎の例で言えば1,200人以上を対象に研修会等を行うものとします(毎月1回×12月×2年間×50人=1,200人、述べ24公民館)】
⑤ 以上①から④までが各都道府県に設置されている国立大学教育学部哲学教室が中心と成って行う試行内容となります。6ヵ年計画で行う事となります。
1年~2年目:県庁所在地中央公民館での哲学フォーラム活動
(1公民館:毎週1回×年50週×2年間)
3年~4年目:3地方都市中央公民での哲学フォーラム活動
(3公民館:毎週1回×年50週×2年間)
5年~6年目:各市町村中央公民館での哲学フォーラムに関する研修会
(24公民館:毎月1回×年12月×2年間)
※1 実際の活動は哲学フォーラム都道府県の有力会員に任すものとします。哲学教室の先生は、有力会員等の情報及び現場視察等に基づき、哲学フォーラムに関する研究論文を纏めるものとします。
※2 それぞれの試行後は、大学教育学部の哲学教室は手を引き、それぞれの哲学フォーラムの自主運営に任すものとします。
⑥ ①から⑤のモデル事業を呼び水として、各市町村の公民館に哲学フォーラムが設置されて行く事になります。なお、当初は各市町村の中央公民館に設置する事を目標とし,最終的には全ての公民館に設置する事を目標とする事とします。
【例:宮崎県には約40の市町村があり、約90の公民館があります。当初の目標が40哲学フォーラムであり,最終の目標が90哲学フォーラムとなります】
⑦ 哲学フォーラムの理想形は毎日開設されている事ですが、当面は毎週土曜日の午後2時から5時までの3時間とします。すなわち、土曜日のその時間にその土地の公民館に行けば、その土地の哲学者と対話する事が出来る様な仕組みを組み立てるものとします。これにより、日本を旅する事が楽しみとなるのです。今日はどんな哲学者と会えるかな?
⑧ 哲学フォーラム(哲学対話室)は、その名の示すとおり、哲学に関する広場(対話室)です。そこでは誰彼と無く自由に哲学について対話をする場所です。その趣旨を最大限尊重するものとしますが、当面は次の様に運営するものとします。
ア そこの公民館の哲学フォーラムの会員がソクラテスになるものとします。
イ ソクラテスは哲学フォーラムが開設している時は常に3名以上常駐するものとします。
ウ 一般市民は、自由に、勝手に、許可無く哲学フォーラムに入室出来るものとし、そこにいるソクラテスや一般市民と自由に哲学的対話が行えるものとします。
エ 哲学フォーラム(哲学対話室)は簡単でいいですので。二つに仕切るものとします。一つの哲学対話室ではソクラテスと一般市民が一対一で対話を行えるようにして置きます。もう一つの哲学対話室では数人が一緒に対話を行なえるようにして置きます。
オ 数人で哲学対話を行う哲学対話室では、先ずソクラテス等が基調演説を行い、その演説に基づき対話を重ねて行くものとします。
カ 一対一の哲学対話室では全く自由にその時々のそれぞれの哲学テーマについて対話を進めていくものとします。
ク 哲学フォーラム開設時間中には、数人による哲学対話が1組、一対一の哲学対話が2組以上同時進行で行えるような体制とするものとします。なお、多くの一対一の哲学対話が行われるようになればなるだけ、その哲学フォーラムの魅力が増す事になります。その哲学フォーラムに行けば、自分に関心のある事について対話が出来るからです。その為には、なるべく多くのソクラテスが常駐している事が必要となります。
コ ソクラテス(その哲学フォーラムの会員)は、哲学に関する自らの考えを纏めた作文を(A4版,10頁以上)を作成するものとします。哲学フォーラムではそれぞれの作文を作文集として纏め、哲学フォーラムに備え付け、一般市民の閲覧に供するものとします。一般市民はその作文集を見て、対話の相手を決める事になります。
⑨ 哲学フォーラム都道府県は、全ての各公民館に哲学フォーラムが設置されるよう
の支援するものとします。
⑩ 哲学フォーラム都道府県では、全ての公民館の哲学フォーラムの情報(各哲学フォーラムの開設時間、ソクラテスの氏名及び作文等)を集約し、一般県民に提供するものとします。
⑪ 哲学フォーラム都道府県では、各公民館に設置されている哲学フォーラムの交流会等を行うものとします。
⑫ 哲学フォーラム都道府県では、哲学的対話の機運の醸成を図る為、簡単な『哲学読本』を作成するものとします。また講演会等を実施するものとします。
⑬ 全ての公民館に哲学フォーラムが設置された暁には、哲学フォーラム都道府県は、小中高校への哲学フォーラムの設置を試行するものとします。なお、小中高校への哲学フォーラムの設置は、哲学フォーラム都道府県と都道府県教育委員会が協力して行うものとします。
⑭ 全ての公民館に哲学フォーラムが設置された暁には、哲学フォーラム都道府県の全国的連携組織として『哲学フォーラム日本』を組織するものとします。
⑮ 『哲学フォーラム日本』では次の事を行う事とします。
ア 公民館等に設置されている哲学フォーラム関する情報の国民への提供
イ 哲学フォーラムの在り方の研究
ウ 機関紙「哲学フォーラム日本」の刊行
エ 『哲学読本大全(全100巻)』の作成
オ 哲学一貫教育の研究
カ 哲学的風土づくりの研究
⑯ 全国の全ての公民館に設置される哲学フォーラムについては、毎週土曜日の午後2時から午後5時までは必ず開設するものとします。それ以外の日時の開設は、各フォーラムがそれぞれ実情に応じて決めるものとします。
⑰ 全国の国立大学の教育学部に設置される哲学フォーラム都道府県(大学図書館の小会議室を利用する)についても、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで必ず開設するものとします。
4 日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が設置される事による効果
① 全ての国民に哲学への関心が高まる。
② 哲学フォーラム巡りが、一つの社会的な運動となる。
③ 哲学フォーラム巡りで、日本各地に哲学的友(知己)を作る事が出来る。
④ 哲学フォーラム巡りにおいて、若者が一生の師を見付ける事が出来る。
⑤ 哲学フォーラム巡りにおいて、若者は多くの哲学者(知恵を愛する者)を知る。
⑥ 哲学フォーラム巡りが、若者にとってのイニシエーション(通過儀礼)となる。
⑤ 哲学フォーラムに、優秀な哲学者(ソクラテス)が集る事になる。
⑥ 哲学フォーラムから、優秀な哲学者(プラトン)が生まれる事になる。
⑦ 哲学フォーラムが、若者の哲学的素養を育てる事になる。
⑧ 哲学フォーラムが、響き合い、哲学的風土が生まれる。
⑨ 哲学フォーラムが、若者の知恵比べの場となる。
⑩ 哲学フォーラムにおいて、世代を超えた対話が行われる事になる。
⑪ 哲学フォーラムにおいて、老人より若者への知恵の伝達が行われる。
⑫ 哲学フォーラムにおいて、以心伝心、口伝、秘伝が行われる。
⑬ 哲学フォーラムにおける一対一の対話により、多くの悩みが解決される。
⑭ 哲学フォーラムにおける一対一の対話により、哲学、すなわち知恵を愛する事の楽しみが国民に広がり、日本は哲学国家への道を歩む事となる。これが哲学フォーラムの最終目標となる。
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別稿
小中高校に設置する哲学対話室について
私は前稿、すなわち大学の教育学部の哲学の先生方に出す書簡文を書き終えた後、暫くそのままにして置きました。
そして、今回それを形あるものしようと思った時、小中高校に設置する哲学対話室について、新たな可能性を見い出したのです。
それは、この哲学対話室が、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちを救う最も有効な方法だと気付いたのです。
しかし、前稿で述べたような方法ではその効果が全く出ないので、ここに新たな仕組みを提案する事にしました。
前稿で述べた哲学対話室ついては、どちらかと言うと哲学的に優秀な児童生徒を育成する為のものでした。
その仕組みは、プラトンの「饗宴」と同じです。
すなわち、ソクラテス(哲学的素養に優れた哲学ボランティア)を中心に、様々な哲学テーマについて、数人でまたは一対一で、対話(弁証)を重ねると言う方法です。
これにより、この哲学対話に参加する児童生徒の哲学能力は素晴らしいものに成って行く事は確かです。
しかし、この哲学対話に参加する児童生徒は、元々哲学的素養のある児童生徒たちです。
この哲学対話室には、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは参加する事はありません。
何故ならあまりにもハードルが高いからです。
私はここで思ったのです。
いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは何に落ちこぼれているのかと。
そして分かったのです。
彼らが「ことば」に落ちこぼれている事が。
哲学とは何でしょう。
それはphilosophia、知恵を愛する事。
それでは知恵を愛するとはどう言う事でしょう。
それは「ことば」を愛する事。
そうです。
彼らは、「ことば」を愛する事に落ちこぼれているのです。
原因が分かれば解決は簡単です。
彼らに「ことば」を愛する術を教えて上げれば良いのです。
その方法が哲学対話室と言う事になります。
しかし前稿で述べた哲学対話室では、哲学的に優秀な生徒とあまりにも格差があり、一緒に遣って行く事は出来ません。
ここに新たな仕組みが必要となるのです。
その仕組みが、二つの哲学対話室です。
一つは、前稿で述べた哲学対話室です。
この哲学対話室では、勿論一対一の対話も行なわれますが、通常は数人が一緒に対話する事を想定しています。
この哲学対話室の基本はフォーラム、すなわち広場です。
すなわち誰でも自由に勝手にです。
この様な中に、「ことば」を愛する術を知らない者は入って行く事は出来ません。
彼らの為にもう一つ特別な哲学対話室を作って上げなければならないのです。
その哲学対話室が一対一専用の哲学対話室です。
「ことば」を愛する事に落ちこぼれている者は、どの様に「ことば」を愛して良いのか分かりません。
先ずは、この一対一専用の哲学対話室において、哲学ボランティア‘ソクラテス’が今の彼の「ことば」を全て聴いて上げなければなりません。
彼は‘ソクラテス’誘導の下に「ことば」を語り続けている内に、段々にその「ことば」が発せられる源泉の様なものに気付いて来ます。
そして、今の「ことば」を全部語り終えた時に、その源泉から次々に新たな「ことば」が生まれて来る事に気付いて来ます。
ここまで来れば、「ことば」を愛する方法、知恵を愛する方法が分かって来ます。
すなわち哲学の何たるかを知るようになるのです。
ここまで来ればもう立派な哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)と成るのです。
‘ソクラテス’は産婆役に徹しなければなりません。
*彼らが次々に「ことば」を生み出すように。そして最後には真善美に溢れた「ことば」を生み出すように。
一対一専用の哲学対話室は、哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)育成の為の予備校となるのです。
ここで「ことば」を愛する術を知った者は、自ら「饗宴」、すなわち通常の哲学対話室に飛び込む事となるのです。
「饗宴」すなわち通常の哲学対話室におけるソクラテス(哲学ボランティア)はある程度哲学素養があれば良いのですが、一対一専用の哲学対話室における‘ソクラテス’は、知恵を愛する事、「ことば」を愛する事に優れた者でなくてはなりません。
以上が「小中高校に設置する哲学対話室」に関する新たな発想でした。
※「ことば」を愛する事に落ちこぼれていた児童生徒が、「ことば」を愛するように成った時、その児童生徒の学力は目覚しく伸びる事に成ります。
何故なら、「ことば」は全てを愛するようになるからです。
「ことば」を愛するとは「知恵」を愛する事。知恵を愛するとは哲学。
哲学は根源へと向かい、その根源から世界を再構築する。
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別稿
哲学フォーラム(哲学対話室)の意義
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
それは真善美に溢れたことばを愛する事。
これは全ての人の心の中にある欲求です。
しかし今の日本においてはこの事が等閑にされています。
それは何故か。
それは日本があまりにも軽佻浮薄の時代に泥んで来たからです。
真面目な事を話す事はうざい事。
これが日本の風潮です。
こんな時代にどうして、真善美に溢れたことばを発する事が出来るでしょう。
しかしそれでも多くの人々が真善美に溢れたことばに渇望しているのです。
しかし世に向かってそのことばを発する事は出来ない。
この事は、何時の時代でも程度の差こそあれ同じではありますが、日本はあまりにも酷い。
この世とかの世。
この世とは私たちが住んでいるこの現実世界、かの世とは私たちが思い描く理想世界。
この世とかの世と繋ぐのもまた哲学の役目です。
すなわちかの世のことばをこの世のことばに翻訳し直す事です。
その為にも哲学対話が必要なのです。
一人では独善に成りがちです。
二人で、三人でまたはもっと多くの人数でそれぞれの理想を語り合う。
そこに共通のものも見い出す。
それがその人の当座の普遍となります。
その当座の普遍をこの世のことばに翻訳し直す、これも哲学の仕事です。
その為にも哲学対話が必要となるのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、この世とかけ離れた別世界です。
それでこそ、哲学フォーラム(哲学対話室)の意義があるのです。
ここで彼らは理想の世界を語り合います。
そしてその結果を、僅かかも知れませんが、この世に持ち帰るのです。
勿論その為には、その世界に合わせて翻訳し直さなければなりませんが・・・
哲学フォーラム(哲学対話室)は、何ら恥じる事無く、真善美に溢れた言葉を語り合う場なのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)が増えれば増える程、日本は軽佻浮薄の時代から脱却していく事でしょう。
哲学フォーラム(哲学対話室)が日本中に展開されたその暁には、日本人の体質も変わっていると思います。
その時、日本人は『哲学の民』と呼ばれる事に成るのです・・・・?
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別稿
各都道府県教育委員会 小中高校教育担当課長宛 哲学教育提唱文
各都道府県教育委員会 社会教育担当課長宛 哲学教育提唱文
※この提唱文は、実際には提唱していません。
拝啓
各都道府県教育委員会 小中高校教育担当課長┐
各都道府県教育委員会 社会教育担当課長 ┘ 殿
私は哲学一貫教育を提唱している者です。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟し行く事を目指して行う教育の事です。
この哲学一貫教育は、5つの柱から成っています。
一つ目が、「小中高校哲学一貫教育」です。
これは、文字通り、小中高校に渡って哲学教育を一貫して行うものです。
具体的には、週2時間の哲学の授業を、小中高校の12年間に渡って実施します。
週の最初の時間に、ある一つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編から5編程度黙読します。
週の最後の時間に、その哲学テーマについて、その児童生徒が、その一週間に思索した結果を作文に纏めます。
小学校低学年については、特別の配慮をしますが、単純に計算すると、小学校1年から高校3年までの12年間に、360の哲学テーマ(1年30哲学テーマ×12年間=360哲学テーマ)について、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、360の哲学テーマについて作文を書く事になります。
これにより、世界に類例が無いと言う程に、哲学的に成熟した児童生徒が育成される事になります。
なお、教材としては、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用します。
哲学読本とは、各学年に相応しい30の哲学テーマについて、それぞれの哲学テーマ毎に古今東西の名著の中の名文中の名文を3編から5編程度集めたものです。
哲学ノートとは、児童生徒が、哲学テーマについて、自ら思索した結果を纏める為のノートです。
哲学テーマはそれぞれの学年に相応しいものを選択するものとします。
例としては、知恵、勇気、忍耐、習慣、努力、いじめ、差別、自由、平等,平和、友情、勉強、学校、家族、国家、郷土、自然、季節、風、土、風土、命、環境、挨拶等々、様々な哲学テーマが考えられます。
文部科学省学習指導要領「道徳」に定める、「主として自身に関する事」、「主として他の人とのかかわりに関する事」、「主として自然や崇高なものとのかかわりに関する事」「、主として集団や社会とのかかわりに関する事」の4つの分野からそれぞれバランスを取って選択するものとします。
二つ目が、「小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯にわたる哲学一貫教育」です。
具体的には、大学及び公民館等においても、哲学教育を一貫して行う事になります。
大学においては、哲学を必修として、1年から4年まで通年で、毎週1回、哲学の授業を受けるものとします。
1年及び2年は、教養哲学とし、小中高校で学んだ哲学を集大成します。
3年及び4年は、専門哲学とし、それぞれ学ぶ学科を哲学します。経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学、スポーツ哲学等々
公民館においても、毎週1回、通年で、哲学講座を開設するものとします。
なお、大学における哲学教育も、公民館における哲学教育も、俗に言う哲学文献をまなぶのではなく、大学生及び国民にとって、大事な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ事を基本とします。
三つ目が、「教育学部における徹底した哲学教育」です。
小中高校は全人教育です。
教師は、嘗て存在したソクラテス同様、知恵を愛する者(哲学者)でなくてはなりません。
教師が、知恵を愛する者(哲学者)であってこそ、児童生徒に知恵を愛する楽しさを伝える事が出来るのです。
しかし、現在の学校の教師には、この知恵を愛すると言う哲学的能力に欠けています。
この哲学的能力の無さが、現在の教育の荒廃を招いていると言っても良いと思います。
この哲学的能力を付ける為、大学教育学部において、徹底した哲学教育を行います。
なお、ここで言う哲学的能力、知恵を愛する能力とは、言葉を愛する能力と言い換えても良いと思います。
教育学部においては、哲学を必修とし、毎週3回、1年から4年まで通年で授業を受けるものとします。単位数で行くと48単位となります。
哲学の授業内容を例示すると次の通りです。
①西洋思想史・・・4単位(代表的西洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
②東洋思想史・・・4単位(代表的東洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
③日本思想史・・・4単位(代表的日本思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
④宗教・・・・・・4単位(代表的宗教の聖典の500編の名文中の名文から学ぶ)
⑤道徳・・・・・・4単位(代表的な徳に関する500編の名文中の名文から学ぶ)
⑥哲学各論・・・・16単位(哲学各論に関する2000編の名文中の名文,各論40編程度)
「人生論」、「人間論」、「 自由論」、「平等論」、「平和論」、「幸福論」、「感情論」、「精神論」、「肉体論」、「生命論」、「死生論」、「男女論」、「青少年論」、「友情論」、「恋愛論」、「結婚論」、「家族論」、「生活論」、「習慣論」、「道徳論」、「国家論」、「社会論」、「宗教論」、「民族論」、「民俗論」、「時代論」、「革命論」、「戦争論」、「法律論」、「政治論」、「経済論」、「産業論」、「職業論」、「教育論」、「学問論」、「文化論」、「文学論」、「芸術論」、「文明論」、「科学論」、「時間論」、「自然観」、「歴史観」、「地球観」、「世界観」、「宇宙観」、「読書作文論」、「愛」論、「知恵」論、「言葉」論、「自分」論、「神」論 等々
⑦古代哲学講読・・4単位(古代哲学の古典中の古典10冊を学ぶ)
⑧教科哲学・・・・4単位(中学校の9教科を哲学する)
⑨哲学対話・・・・2単位(哲学対話の技術を学ぶ)
⑩哲学作文・・・・2単位(哲学作文の技術を学ぶ)
⑪哲学対話録作成・授業外(在学中に100の哲学対話を行いその対話録を作成する)
⑫哲学作文集作成・授業外(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)
四つ目が、「哲学読本大全(全100巻)」です。
「哲学読本大全(全100巻)」は、小学校、中学校、高校、大学、公民館等々における哲学一貫教育の教材となるものです。
また、日本国民における「知恵の書」とも成るものです。
キリスト教国家においては「聖書」が、イスラム教国家においては「コーラン」が、国民を育てていきますが、日本においては「哲学読本大全(全100巻)」が、国民を育てて行く事になるのです。
ですから、「哲学読本大全(全100巻)」は、国民の英知を結集して作成しなければならないと言う事になります。
なお、「哲学読本大全(全100巻)」とは、国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を、それぞれ100編集めたものです。
ここで言う、名著とは、哲学書だけでなく、聖典、経典、文学書(小説、戯曲、詩、物語、随筆、紀行文、日記等)、科学書等々全ての名著と言われるものを含みます。
この「哲学読本大全(全100巻)」に、古今東西の偉大と言われる人々(哲学者、宗教家、教育家、文豪、芸術家、科学者、英雄等々)の知恵が凝縮される事になります。
この「哲学読本大全(全100巻)」が哲学(知恵を愛する事)への入り口となります
例えば、児童生徒が、『勇気』に関する、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編読んだとします。
その児童生徒は、『勇気』関するある普遍的なものを予感するでしょう。
そして、その中でも特に強烈な印象を与えた名文の原典を図書館等で借り、その原典を何度も何度も読む事になるのでしょう。
その中で、児童生徒は、その著者と『勇気』に関する哲学的対話を進める事になります。
そして、自分なりに『勇気』に関する概念を身に付ける事になります。
その概念を、哲学的に優れた人々との対話(この対話を行う場所がこれから説明する哲学フォーラム(哲学対話室)と言う事になりますが・・)により、更に深化させ、確信し、そして実践へと結び付けて行く事になるのです。
「哲学読本大全(全100巻)」は、日本国民に哲学(知恵を愛する事)の入り口を示すものとなるのです
五つ目が、「哲学フォーラム(哲学対話室)」です。
これは、日本中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すると言うものです。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的素養のある人(ソクラテス)と、小学生、中学生、高校生、大学生及び国民が、哲学テーマについて、対話をする場所となります。
また、小学生、中学生、高校生、大学生及び国民が、垣根を越えて、哲学的テーマについて対話する場所ともなります。
場所については、小中高校は空き教室等を、大学は大学図書館の会議室を、公民館は公民館の会議室を利用する事になります。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、それぞれの哲学対話室に、哲学的素養のある人(ソクラテス)が常駐する事により、開設される事になります。
小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)については、課外活動として実施するものとし、毎週月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで開設するものします。
大学及び公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)のソクラテスについては、学校の教師だけでなく、哲学ボランティア“ソクラテス”を積極的に活用するものとします
大学及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)については、哲学ボランティア“ソクラテス”が十数人集り、『哲学フォーラム○○』を組織した上で、運営するものとします。
以上が『哲学一貫教育』の概要です。
この内の、一番目の「小中高校哲学一貫教育」ですが、これについては、文部科学省の学習指導要領を改訂しなければならず、哲学的成熟を待つ必要があります。
次に、二番目の「大学及び公民館における哲学教育」ですが、これについては、制度上の制約はありませんが、大学及び公民館における哲学教育の教師、講師体制が十分でないので、やはり哲学的成熟を待つ必要があります。
次に、三番目の「教育学部における哲学教育の徹底ですが、これについても制度上の制約はありませんが、教育学部における哲学教育の教師体制が十分でないので、やはり哲学的成熟を待つ必要があります。
次に、四番目の「哲学読本大全(全100巻)」ですが、これについても制度上の制約はありませんが、編集体制等についての国民的コンセンサスを得る必要があるので、やはり哲学的成熟を待つ必要があります。
次に、五番目の「哲学フォーラム(哲学対話室)」ですが、これについては、制度上の制約も、予算上の制約も、その他何の制約もありません。
設置しようと思えば、明日からでも設置出来るのです。
私は、平成20年2月3日付けの文部科学省初等中等局長宛を皮切りに、平成20年2月3日付で文部科学省生涯学習政策局長宛に、平成20年2月10日付けで内閣官房長官宛に、平成20年2月17日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛に、平成20年3月○日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官宛に、平成20年4月○日付けで東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛に、それぞれ哲学一貫教育を提唱してきましたが、その中心となるのは、上記の一番目から四番目で、五番目の「哲学フォーラム(哲学対話室)」については、その付属的なものとして、提唱してきました。
しかし、私は思ったのです。
無理な事を言い続けても先には進まないと。
それよりも、今出来る事から先に遣るべきだと。
そう言う事で、今回、哲学フォーラム(哲学対話室)を一斉に大々的に提唱する事としたのです。
その為に、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」を100部印刷し、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」送付先名簿一覧の100名の方々に送付しようと準備を進めていたのです。
しかし、その作業の最後の段階で思ったのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)の直接の指揮官たちは、各都道府県教育委員会の「小中高校教育担当課長殿」と「社会教育担当課長殿」でないかと・・。
と言う事で、今回新たに、各都道府県の「小中高校教育担当課長殿」と「社会教育担当課長殿」宛に対しても提唱する事にしたのです。
なお、各課長殿宛に冊子を印刷して送付するとなると相当に負担となるので、メールで送信させて頂く事にしました。
今回のこの各課長殿宛の提唱文も、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」に掲載する事といたしております。
ですから、今回の提唱文ついても、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」送付先名簿一覧の100名の方々も知る事となります。
つきましては、100名の方々とも連係を取り合い、是非哲学フォーラムの実現に向けてご尽力頂きたいと思います。
それでは、「全ての小中高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法」と言うタイトルの下、哲学フォーラム(哲学対話室)の展開方法をお示ししたいと思います。
なお、「全ての大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法」については、今回の冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の中で、国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生方に提唱している所です。
その提唱の中で、国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生方には、各都道府県の哲学フォーラムの中心に成って頂く様にもお願いしている所です。
つきましては、国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生方を中心に、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長殿と社会教育担当課長殿が協力し合って、全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂きたいと思います。
もし、日本全国の全ての、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が設置される事になれば、日本は確かに哲学的に成熟していきます。
この哲学的成熟の度合いに応じて、私がこれまで提唱してきた『哲学一貫教育』、すなわち
① 小中高校哲学一貫教育
② 一生涯に渡る哲学一貫教育(小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う大学、公民館、家庭等における哲学教育)
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
④ 哲学読本大全(日本の『知恵の書』、百年・千年読み継がれる国宝的図書)
も独りでに完成の方向に向かう事になるのです
これにより、日本は世界に秀でた哲学国家と成るのです
哲学、知恵を愛するとは、人間の根源的欲求です。
哲学フォーラム(哲学対話室)で、その根源的欲求が開放されます。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学フォーラム(哲学対話室)で、その素晴らしき自分自身を確認します
哲学とは真善美を求める事。
哲学フォーラム(哲学対話室)に、真善美の花が咲き誇ります。
哲学フォーラム(哲学対話室)が、日本全土に展開される事により、日本国民は確かに哲学的成熟して行くのです。
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別稿
全ての小中高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法
1 趣旨
各都道府県の全ての小中高校及び全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法を述べる。
2 哲学フォーラム(哲学対話室)連絡会
各都道府県に設置されている国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長及び社会教育担当課長並びに各都道府県公民館連絡協議会長の四者で「哲学フォーラム(哲学対話室)連絡会」を設置する。
この連絡会は、審議機関的な存在とする。
3 哲学フォーラム都道府県の設置
国立大学教育学部(教育大学)哲学教室を事務局として、哲学フォーラム都道府県を設置する。
この哲学フォーラムは、大学教師、小中高校教師、教育行政関係者、公民館関係者、大学院生、学生、その他哲学教育に関心のある者の会員組織とする。
哲学フォーラム都道府県では、次の事を行う。
① 小学校、中学校、高校、大学、公民館における哲学フォーラム(哲学対話室)の試行
並びに支援
② 哲学フォーラム(哲学対話室)のノウハウの研究
③ 哲学ボランティア‘ソクラテス’の育成
④ 哲学フォーラム(哲学対話室)と学校教育の連係
⑤ 哲学フォーラム都道府県のホームページの作成(フォーラムの様々な広報を行う)
⑥ 哲学一貫教育の総合的研究
4 全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法
① 県庁所在地の小学校、中学校、高校、各3校計9校に、哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。哲学フォーラム(哲学対話室)試行の開始。
② 哲学フォーラム(哲学対話室)は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設する。
③ 哲学フォーラム(哲学対話室)は、空き教室等を利用する。
④ 哲学フォーラム(哲学対話室)には、必ず二人以上のソクラテスが常駐するものとする。
⑤ 常駐するソクラテスの内訳は、一人がその学校の教師、他の一人が哲学ボランティアとする。なお、二人とも哲学ボランティアでも良い。
⑥ ソクラテスは、日替わりとする。曜日割り当てをする。哲学フォーラム(哲学対話室)を運営する為には、最低10名のソクラテスが必要となる。
⑦ 哲学ボランティア‘ソクラテス’については、特別の資格を要しない。哲学(知恵を愛する事)に興味のある者であれば誰でも良い。
⑧ その学校の哲学ボランティア‘ソクラテス’に成りたい者は、「哲学に関する児童生徒向けの作文」を学校長に提出し、受理され、かつまた学校長と哲学対話を行い、学校長が適性と判断した時、その学校の哲学ボランティア‘ソクラテス’に成る。なお、「哲学に関する児童生徒向けの作文」については、ファイルし、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、児童生徒の供覧に供する。この作文が、哲学ボランティア‘ソクラテス’を選択する、一つの基準となる。おって、その学校の教師がソクラテスに成る時は、作文及び学校長との哲学対話は課さない。
⑨ 哲学ボランティア‘ソクラテス’については、哲学(知恵を愛する事)に興味があり、児童生徒と対話を通じて知恵(ことば)を伝えたい者であれば、PTAの会員、老人クラブの会員、青年クラブの会員、商工会の会員、農業クラブの会員、教師、学生等々、誰でも良い。多くの哲学ボランティア‘ソクラテス’が集まれば集る程、その学校の哲学フォーラム(哲学対話室)は活況を呈し、充実する事となる。なお、その学校の教師がソクラテスとなる時には、勤務(課外活動)として扱う。おって、哲学ボランティア‘ソクラテス’については、嘗てギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
⑩ 哲学フォーラム(哲学対話室)における哲学的対話を通じて、児童生徒が、哲学的素養のある様々な大人を知る事となる。これにより、児童生徒は哲学(知恵を愛する事、言葉を愛する事)において、成熟する事となる。
⑪ 哲学フォーラム(哲学対話室)開設当初は、哲学ボランティア‘ソクラテス’が集まらないと思われるので、哲学フォーラム都道府県の会員が強力なバックアップを行う。
⑫ この小中高校の各3校計9校の試行期間中、哲学フォーラム都道府県の会員は積極的に哲学ボランティア‘ソクラテス’と成り、その学校の哲学フォーラム(哲学対話室)で児童生徒と対話を行い、哲学フォーラム(哲学対話室)のノウハウを取得するものとする。
⑬ 哲学フォーラム都道府県の各会員は、哲学フォーラム(哲学対話室)の試行で得たノウハウを国立大学教育学部の哲学教育の教官に報告するものとする。また、教官も自ら哲学フォーラム(哲学対話室)で児童生徒と哲学対話を交わし、そのノウハウを取得するものとする。教官は、これらを纏めて、哲学フォーラム(哲学対話室)の在り方等に関する提言を行うものとする。
⑭ この試行期間は2年間とする。この試行期間で得たデータ、ノウハウ等を基に、全ての小学校、中学校、高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置していくものとする。
教育委員会小中高校教育担当課長は最大限のバックアップをするものとする。
⑮ 小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)が成功する為には、どれだけ多くの哲学ボランティア‘ソクラテス’を集める事が出来るかに懸かっている。哲学ボランティア‘ソクラテス’は、上述した如く、哲学(知恵を愛する事、言葉を愛する事)に興味があり、対話を通じて知恵を伝えたいと言う思いがあれば誰でも良い。哲学ボランティア‘ソクラテス’を募集する場合は、そこに焦点をおかなければならない。哲学フォーラム(哲学対話室)を端的に表現すれば、それは良識のある大人と児童生徒が対話をする場所となる。これは、今の学校教育において、重視すべき事である。大人と子供の断絶!。哲学フォーラム(哲学対話室)が、大人と子供の架け橋となる。フォーラムとは広場。そこに大人と子供が集る。それは極めて自然な事。しかし日本ではその事が自然に行われていない。哲学フォーラム(哲学対話室)とは、その様な仕組みを整え、その仕組みの中で、大人と子供の対話を回復させようとするもの。勿論大人とは哲学的素養のある者=良識のある者。誰か哲学フォーラム(哲学対話室)に反対する者が居るだろうか?
⑯ 県庁所在地の小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)試行後、5年間で、全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものとする。具体的にそのスケジュールを示すと次の通りとなる。
20年度を大学教育学部及び教育委員会における準備期間とし、
21年度を哲学フォーラム都道府県の組織作りに充て、
22年度から23年度において「都道府県所在地の小中高校(各3校、計9校)」において試行を行い、
24年度から28年度おいて、計画的に展開し、
28年度末に全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を完了させる。
⑰ 各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長は、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開について、最大限の配慮を行うものとする。
⑱ 小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の開設者は学校長とし、運営については、その学校の“ソクラテス”グループが行うものとする。なお、“ソクラテス”グループの中に、その学校の教師が必ず2人以上入るものとする。また、学校長は、適宜それぞれのソクラテスと対話を行い、それぞれの“ソクラテス”の資質及び哲学フォーラム(哲学対話室)の運営実態を把握するものとする。
⑲ 小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)とその地域の公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は連係し合い、協力するものとする。児童生徒が、公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)に参加し易いような環境を作る。
⑳ 哲学フォーラム都道府県は、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開について、最大限協力をするものとする。なお、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”については、なるべく哲学フォーラム都道府県の会員に成って頂くものとする。
○21 哲学フォーラムの展開については、文部科学省各課、各国立大学、各教育委員会、各新聞社、各放送局、各出版社等、主だった関係機関に対して、その支援をお願いしています。もし、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長殿と社会教育課長殿が連係して、一斉に旗振りをして下されば、この哲学フォーラムは一気に国民的運動へと発展して行く事になるのです。哲学フォーラムから真善美のお花が、日本全土に広がって行く事になるのです。どうか、そう言う日本の為に、お骨折りを宜しくお願いいたします。
5 全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法
① 県庁所在地の公民館3ケ所に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。なお、その内の1ケ所は中央公民館とする。哲学フォーラム(哲学対話室)試行の開始。
② 公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については、哲学ボランティア“ソクラテス”十数人で、サークル「哲学フォーラム公民館名(例:哲学フォーラム宮崎市中央公民館)」を組織し、公民館長にサークル届出を提出する事により設置される。
③ 哲学フォーラム(哲学対話室)については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設する。哲学フォーラム(哲学対話室)には、誰でも(日本国民はもとより外国人でも)、自由に、勝手に、時間に囚われずに入室出来るものとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重する。
④ 哲学フォーラム(哲学対話室)については、公民館の会議室を借りて行ものとする。
⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)には、必ず3人以上のソクラテスが常駐するものとする。
⑥ 公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”と成る為には、サークル「哲学フォーラム公民館名」の代表者に、哲学ボランティア“ソクラテス”登録届けを行う事により、その公民館の“ソクラテス”と成る。“ソクラテス”と成る為には、哲学(知恵を愛する事)に興味があれば、資格は必要としない。ただし、登録届出と同時に、自らの『哲学に関する考えた方』を纏めた作文(A4版、5頁~10頁)を提出するものとする。この作文については、ファイルにして哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、哲学フォーラム(哲学対話室)利用者の供覧に供する。これが、“ソクラテス”を知る最初の手掛りと成る。なお、哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗てギリシアに実在したソクラテスト同様、無報酬とする。
⑦ 哲学フォーラム(哲学対話室)においては、プラトンの「饗宴」にあるような数人における対話が1組、一対一の対話が数組、同時に行われる事が出来るような体制を整えた置くものする。一対一の対話が活発になればなるほど、そのフォーラムに多くの人が集る事になる。
⑧ 哲学フォーラム(哲学対話室)開設当初は、哲学ボランティア‘ソクラテス’が集まらないと思われるので、哲学フォーラム都道府県の会員が強力なバックアップを行う。
⑨ この公民館3ケ所の哲学フォーラム(哲学対話室)の試行期間中、哲学フォーラム都道府県の会員は積極的に哲学ボランティア‘ソクラテス’成り、その公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)で一般市民と対話を行い、哲学フォーラム(哲学対話室)のノウハウを取得するものとする。
⑩ 哲学フォーラム都道府県の各会員は、哲学フォーラム(哲学対話室)の試行で得たノウハウを国立大学教育学部の哲学教育の教官に報告するものとする。また、教官も自ら哲学フォーラム(哲学対話室)で一般市民と哲学対話を交わし、そのノウハウを取得するものとする。教官は、これらを纏めて、哲学フォーラム(哲学対話室)の在り方等に関する提言を行うものとする。
⑪ この試行期間は2年間とする。この試行期間で得たデータ、ノウハウ等を基に、全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置していくものとする。
教育委員会社会教育担当課長は最大限のバックアップをするものとする。
⑫ 公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)が成功する為には、どれだけ多くの哲学ボランティア‘ソクラテス’が、その公民館の哲学フォーラムに集るかに掛かっている。哲学ボランティア‘ソクラテス’は、哲学(知恵を愛する事)に興味があり、対話を通じて知恵を伝えたいと言う思いがあれば誰でも良い。哲学フォーラム都道府県でその事の大々的なキャンペーンを張る。
⑬ 県庁所在地の公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)試行後、5年間で、全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものとする。具体的にそのスケジュールを示すと次の通りとなる。
20年度をそれぞれの機関における準備期間とし、
21年度を哲学フォーラム都道府県の組織作りに充て、
22年度から23年度において「都道府県所在地の公民館3ケ所」において試行を行い、
24年度から28年度おいて、計画的に展開し、
28年度末に全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を完了させる。
⑭ 公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開については、哲学フォーラム都道府県は強力なバックアップを行うものとする。
⑮ 各都道府県教育委員会社会教育担当課長は、哲学フォーラム(哲学対話室)展開に対して協力を行うものとする。
⑯ 小中高校に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)とその地域の公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は連係を図るものとする。
⑰ 公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)については、全ての国民に開放するものとする。これにより、哲学フォーラム(哲学対話室)巡りと言う、お遍路と同様な、社会的知的な楽しみが一つ増える事になる。
⑱ 哲学フォーラムの展開については、文部科学省各課、各国立大学、各教育委員会、各新聞社、各放送局、各出版社等、主だった関係機関に対して、その支援をお願いしています。もし、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長殿と社会教育課長殿が連係して、一斉に旗振りをして下されば、この哲学フォーラムは一気に国民的運動へと発展して行く事になるのです。哲学フォーラムから真善美のお花が、日本全土に広がって行く事になるのです。どうか、そう言う日本の為に、お骨折りを宜しくお願いいたします。
6 『哲学フォーラム都道府県』について
哲学フォーラム都道府県については、「3の哲学フォーラムの都道府県の設置」の所で
概要を述べたが、この哲学フォーラム都道府県を中心に、各都道府県の小学校、中学校、
高校、大学、公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)が展開される事になるので、「哲学
フォーラム都道府県について」と言うタイトルで、もう少し詳しく説明を行う事とする。
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別稿
哲学フォーラム都道府県について
1 趣旨
哲学フォーラム都道府県は、各都道府県内の小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”の会員組織とする。
なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”に会員に成って頂くものとするが、全員加入ではなく、任意加入とする。
2 会員登録
哲学フォーラム都道府県の会員に成りたい者は、哲学フォーラム都道府県の事務局に、会員登録届けと「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」(A4版5頁~10頁程度)を提出するものとする。この作文については、各哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”に登録する際に提出した作文と同じもので良い。事務局は会員番号を付与して、本人に対して、登録完了通知を行うものとする。なお、これらの遣り取りは全てメールで行うものとする。
3 会費
入会費は0円、年会費も0円とする。
4 事務局
事務局を、各都道府県に設置されている国立大学教育学部(教育大学)の哲学教室に置く。
5 事務局員
事務局員は、事務局長以下、全て哲学ボランティア“ソクラテス”する。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
大学教育学部哲学教室に負担をかけない様、なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”に事務局員と成って貰う。
6 事業
① 各哲学フォーラム(哲学対話室)の支援
特に各哲学フォーラム設立時においては、強力に支援するもとする。
哲学フォーラム都道府県の会員が、各哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”と成り支援する。
② 哲学フォーラム(哲学対話室)に関する調査研究及び提言
特に最初の数年間(試行期間等)においては、徹底的に調査研究を行い、様々な提言を行うものとする。
③ 哲学ボランティア“ソクラテス”の育成
定期的に哲学ボランティア“ソクラテス”育成講座等を開催する。
④ ホームページ『哲学フォーラム都道府県』の開設
このホームページにおいて、哲学フォーラム都道府県の広報を行う。
ホームページの内容については、次の通りとする。
ア 全ての公民館及び大学の哲学フォーラムの紹介。
①哲学フォーラム名、②所在地、③電話番号、④“ソクラテス”の人員、⑤特色等
※小中高校の哲学フォーラムについては、紹介しないものとする。
イ “ソクラテス”(会員)紹介
全ての“ソクラテス”について、会員登録の際に提出した「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」(A4版、5頁~10頁)をホームページ上に掲載する。なお、氏名については、ペンネーム、哲学名(例:哲学哲男)で良い。また、掲載を希望しない者については掲載しない。
ウ “ソクラテス”の著作紹介コーナー
“ソクラテス”の著作の紹介コーナーを設ける。
これにより、それぞれの“ソクラテス”の全容を知る事が出来る。
エ 哲学テーマに関する意見コーナー
毎月、一つの哲学テーマを決め、各会員の意見を投稿して貰い、掲示する。
これにより、会員の哲学に関する考え方を知る事が出来る。
※会員だけが意見を投稿出来るものとする。会員の考え方を広く知って貰う為のものとする。
オ 哲学フォーラム都道府県及び各哲学フォーラムのイベント等の紹介
シンポジウム、セミナー等の紹介
※当該ホームページにおいては、会員以外からの、意見、投稿、メールは受け付けないものとする。あくまでも、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)とそれぞれの“ソクラテス”の紹介に徹する。実際の哲学対話は、このホームページの情報を元に、それぞれの哲学フォーラムにおいて、それぞれの“ソクラテス”と、目と目を合わせて行って貰うものとする。
⑤ 哲学一貫教育の調査研究及び試行
※「哲学一貫教育の調査研究及び試行」は哲学フォーラム(哲学対話室)が軌道に乗
った後、検討する。当初は俎上に上げない。二兎追う者は一兎も得ず。
7 哲学フォーラム都道府県の設立方法
① 教育学部哲学教室教官、都道府県教育委員会小中高校教育担当課長、同社会教育課長、都道府県公民館連絡協議会長の四者で「哲学フォーラム都道府県設立準備会」を組織する。
この設立準備会の下に、設立準備会事務局を設置する。
事務局員については、哲学ボランティア“ソクラテス”十数名(院生、卒業生、小中高校教師、教育行政関係者、哲学教育に関心のある者等)で組織する。
設立準備会の実際の作業は、この局員たちが担当する。
② 設立準備会において、設立趣意書、会則、事業計画等の素案を作成する。
③ 事務局員は、これら設立趣意書、会則、事業計画書等の素案を基に、設立賛同者を募る。
④ 設立賛同者が百名に成った時、その百名の連名で、正式な「設立趣意書」を作成し、大々的に会員の募集を図る。
⑥ 哲学フォーラム都道府県の設立と同時に、事務局の中に「哲学フォーラム設立支援部」を設置する。なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”にこの哲学フォーラム設立支援部員に成って頂くものとする。哲学フォーラム設立支援の要請があったら、この部員が中心と成って設立の支援を行う。具体的には、その哲学フォーラムの哲学ボランティア“ソクラテス”と成り、各哲学フォーラムの設立当初の運営に協力する。
8 哲学フォーラム都道府県の展開計画
日本全国に小学校が22,693校、中学校が10,995校、高校が5,313校、大学が短期大学を含めて1,190校、公民館が17,143館ある。
これを47都道府県で割り、端数を大胆に整理すると、小学校が400校、中学校が200校、高校が100校、大学が短期大学を含めて10校、公民館が300館となる。
これが各都道府県の平均的な学校数、公民館数である。
全国の約半分の都道府県がこの範囲内に納まる。
この学校数、公民館数を基に、哲学フォーラム都道府県のモデル的な展開計画を示す。
なお、各哲学フォーラム(哲学対話室)には、10名の哲学ボランティア“ソクラテス”が必要となる。
上記のモデルで行くと、各都道府県においては、10,100名(10名×(400校+200校+100校+10校+300館=10,100名)の哲学ボランティア“ソクラテス”(会員)が必要となる。
この数字を基に年次計画を示す。
会員数 哲学フォーラム数
1年目 100名 1(哲学フォーラム都道府県の設立:大学1)
2年目 200名 13(県庁所在地での試行:小3、中3、高3、公3、大1)
3年目 400名 51(近隣市町村での試行:小20、中10、高5、公15、大1)
4年目 1.000名 101(計画的展開:小 40、中 20、高 10、公 30、大1)
5年目 2,000名 201(計画的展開:小 80、中 40、高 20、公 60、大1)
6年目 4,000名 401(計画的展開:小160、中 80、 高 40、公120、大1)
7年目 8,000名 801(計画的展開:小320、中160、高80、 公240、大1)
8年目 10,100名 1,010(哲学フォーラムの完成:小400、中200、高1000、公300、大学10)
※哲学ボランティア“ソクラテス”については、小学校、中学校、高校、公民館の哲
学フォーラム(哲学対話室)のソクラテスを出来るだけ兼務して貰うものとする。そ
れにより、ソクラテスの視野も大きくなり、哲学的対話の幅も広がる。この事により、
実際には、上記会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)の数は、半分以下で足りる事
となる。
9 哲学ボランティア“ソクラテス”について
① 哲学ボランティア“ソクラテス”については、哲学(知恵を愛する事)が好きであれば、如何なる資格も必要としない。
② 小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”に成りたい者は、それぞれの哲学フォーラムに「“ソクラテス”登録届け」と「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出する事により、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”に成る。
③ 哲学フォーラム都道府県の会員に成りたい者は、「会員登録届け」と「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出する事により、哲学フォーラム都道府県の会員に成る。
④ 小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”は、なるべく哲学フォーラム都道府県の会員に成って頂くものとするが、任意加入とする。
⑤ 哲学ボランティア“ソクラテス”については、なるべく小学校、中学校、高校、公民館の哲学フォーラムの“ソクラテス”を兼務して貰うものとする。
⑥ 哲学ボランティア“ソクラテス”については、なるべく多くのご老人に成って貰う。ご老人の知恵を若者に伝達する。
⑦ 哲学ボランティア“ソクラテス”については、読書能力、思索能力、作文能力、対話能力そして徳の実践力のある事に越した事は無いが、しかし敢えてこれらの能力は問わない。唯一、問うのは、哲学(知恵を愛する事)が大好きである事である。
10 哲学フォーラム日本の設立
哲学フォーラム都道府県がある程度成熟したら、哲学フォーラム都道府県の連係組織と
して、哲学フォーラム日本を設立する。
この哲学フォーラム日本が、日本の哲学一貫教育のセンターと成って行く。
11 哲学フォーラムにおける『哲学』の意味
哲学フォーラムにおける『哲学』とは、philosophia、知恵を愛する事。
知恵を愛するとは、真善美に溢れた言葉を愛する事。
それは真善美に溢れた本当の自分自身を愛する事。
哲学フォーラムにおける『哲学』とは、決して、デカルト、カント、ショウペンハウワー等の哲学文献を研究する事ではない。
この定義付けにより、全ての日本国民に哲学が開放されるのである。
これにより、全ての日本国民が哲学者(知恵を愛する者)と成り得るのである。
哲学フォーラムは、日本国民が哲学者と成る為の第一歩である。
そして、哲学一貫教育の完成により、多くの日本国民が哲学者と成って行く。
敬具
平成20年11月 日
哲学哲男
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別稿
東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛哲学一貫教育提唱文
拝啓 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官 殿
私は哲学教育に非常に関心を持っている者です。
何故なら、哲学教育により、日本が素晴らしい国家に成って行くからです。
哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事。
それは真善美を愛し、追求する事。
それは本当の自分を愛し、追求する事。
もし日本の全ての人が哲学的に成熟したらどうなるのでしょう。
日本は劇的に変るのではないでしょうか。
私はその為の教育プログラムを開発しました。
それが『哲学一貫教育』です。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟して行く事を目ざして行う教育の事です。
そして、その中心となるのが『小中高校哲学一貫教育』です。
小中高校哲学一貫教育とは、文字通り、小学校、中学校、高校に渡って、哲学教育を一貫して行う教育の事です。
具体的には、小学校、中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、授業時間週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させます。
授業については、週の最初の時間(月曜日の1限目)に『哲学読本』を読み、週の最後の時間(例えば金曜日の6限目)に哲学読本の読書を契機とした自由作文を『哲学ノート』に書く事になります。
哲学読本とは、それぞれの学年に相応しい哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
具体的には各学年ごとに30の哲学テーマ(1週間で1哲学テーマとします)を設定し、それぞれのテーマについて、古今東西の名文中の名文を3編から5編程度集めたものです。
授業の進め方は次のようになります。
月曜日の1限目に、ある哲学テーマ(例えば勇気)について、『哲学読本』の中の古今東西の名文中の名文を3編から5編程度黙読します。
児童生徒は、この時間にその哲学テーマ(例えば勇気)について、様々に考えます。
また、金曜日の6限目までに、意識的、無意識的にその哲学テーマ(例えば勇気)について考えるかも知れません。
また、本などで、その哲学テーマ(例えば勇気)について、調べるかも知れません。
また、友達や両親やソクラテスと、その哲学テーマ(例えば勇気)について、語り合うかも知れません。
金曜日の6限目に、その哲学テーマ(例えば勇気)について更に考え、そしてその考えを『哲学ノート』に作文として纏めていきます。
これで、哲学の1週間の授業サイクルが終わりです。
また、小中高校哲学一貫教育においては、学校図書館に隣接して、学校の規模に応じて、1から5の哲学対話室を設置します。
哲学対話室は、午後の3時から5時まで開室するものとします。
哲学対話室には、哲学的素養のある教師や哲学ボランティア(ソクラテス)が常駐するものとします。
哲学対話室において、児童生徒は哲学的素養のある大人と知恵の火花を散らす事になります。
以上が小中学校哲学一貫教育です。
小中高校哲学一貫教育の基本は、読書と作文と対話と思索です。
この内の、読書と作文を授業で行い、対話は課外で行われます。
思索については、いずれの場合においても必然に行われる事となります。
小中高校哲学一貫教育はとても簡単な教育方法です。
しかしその効果は絶大なものがあります。
もし、自ら学び、自ら考える児童生徒を育成する事が教育の目標なら、この小中高校哲学一貫教育より、効果のある教育方法は無いと思います。
何故なら、哲学とはphilosophia知恵を愛する事、それは正に自らを学び自らを考える事なのですから。
小中高校哲学一貫教育はとても簡単な教育方法ですが、これが成功する為には二つの条件が必要です。
一つは優れた哲学読本であり、一つは教育学部における徹底した哲学教育です。
何故、優れた哲学読本が必要かと言えば、哲学読本により児童生徒の魂を揺さぶる事から、哲学教育が始まるからです。
何故、教育学部における徹底した哲学教育が必要かと言えば、哲学的に成熟した教師の下でこそ、児童生徒の哲学的能力(知恵を愛する能力、真善美を愛する能力)も伸びていくからです。
ここで、先生を含めて、東京学芸大学「哲学・倫理学分野」の6名の先生方にお願いしたい事があります。
それは、東京学芸大学において小中高校哲学一貫教育を試行して頂きたいと言う事です。
現在の所、小中高校哲学一貫教育を試行する能力があるのは、東京学芸大学だけだと思います。
もし、東京学芸大学の試行が成功すれば、その試行は全国の大学の教育学部に広がって行くと思います。
全国の大学の教育学部での試行が成功すれば、本格的な小中高校哲学一貫教育の実施については、それ程時間を要しないと思います。
当面行う試行の内容は、①中学生の為の哲学読本の作成と、②東京学芸大学付属中学校1年及び2年生を対象とした哲学教育の試行と、③教育学部における徹底した哲学教育の試行です。
下記に試案を示して置きますので、これを叩き台として下さい。
教育を再生すると言うのであれば、小中高校哲学一貫教育しか無いと思います。
そして、そのスタートは東京学芸大学以外に無いと思います。
どうか日本の明るい未来の為にご検討下さるようお願い申し上げます。
敬具
平成20年3月30日
哲学哲男
追伸
私はこれまで国の関係機関に次のとおり哲学一貫教育を提唱しています。
これらを同封して置きますので、ご参考にして下さい。
なお、現在の私の考え方を最も詳しく纏めたものは、4番目のものです。
今回の書簡では、「一生涯に渡る哲学一貫教育」の事については述べていませんが、これについても4番目の提唱の中に記載してあります。
①平成20年2月3日付け初等中等教育局長殿あて
②平成20年2月10日付け生涯学習政策局長殿あて
③平成20年2月17日付け内閣官房長官殿あて
④平成20年3月9日付け初等中等教育局教育課程課長殿あて
⑤平成20年3月18日付け●●学校教育官兼道徳教育調査官殿あて
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記
別稿
中学生の為の哲学読本の作成について
1 趣旨
東京学芸大学付属中学校の1年及び2年生を対象とした哲学教育試行の為、「中学生の為の哲学読本」を作成する。
なお、当該事業については、文部科学省の補助を受けて行うものとする。
2 作成主体
「哲学・倫理学分野」の6名の教師を主体とする「中学生の為の哲学読本作成検討委員会」とする。
3 作成方法
① 中学生に学ばせたい60の哲学テーマを選定する。
② 東京学芸大学の全ての教師及び同大学付属学校の全ての教師を対象に、選定した60の哲学テーマに関する、中学生に読ませたい古今東西の名著の中の名文中の名文の本の写しを、一人当たり10編から100編、提出して貰う。
一名文の文章量は、4000字以内とする。
一名文の文章量は、その一文の中で起承転結がしっかりしており、その一文だけで大意がはっきり分かる程度の分量とする。
なお、名著とは、哲学書だけでなく、文学書(小説、物語、随筆、評論、詩、戯曲)他、全ての名著に及ぶものとする。その哲学テーマに関して書かれてある、名文を切り取る。
③ 提出のあった名文をスキャナーでパソコンに読み込み、テキスト化処理し、それぞれの哲学テーマごとに、それぞれの名文を、A4、横書き、3段組、1頁に整理し収める。
これで「中学生の為の哲学読本資料集」の完成である。
この資料集については、可能であればウェブ上で公開する。
なお、この「中学生の為の哲学読本資料集」については、試行の対象となる学級においては、オンデマンド印刷を行い、数冊備え付けるものとする。
④ 「中学生の為の哲学読本資料集」を基に、60の哲学テーマそれぞれごとに、古今東西の名文中の名文を5編程度(1授業時間で黙読し熟考できる程度の分量とする)選定し、全ての本文にルビを付し、またそれぞれの名文ごとに簡単な書誌を作成し、更に巻頭言等を付して『中学生の為の哲学読本』を完成させる。
⑤ 哲学テーマ例としては、勇気、忍耐、節制、寛容、親切、協力、礼儀、自由、平等、平和、良心、道徳、義務、習慣、努力、勉強、仕事、人生、幸福、友情、家族、青年、大人、男女、人間、国家、郷土、伝統、文化、生活、法、社会、情報、科学、現代、時間、世界、自然、季節、天候、風土、地球、生物、生命、環境、愛、知恵、真善美、言葉、力、意志、自分等々が考えられる。中学生は中学生なりに自分の世界を見詰める必要がある。
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別稿
東京学芸大学付属中学校1年及び2年生を対象とした哲学教育の試行について
1 趣旨
小中高校哲学一貫教育の実現を目指し、東京学芸大学付属中学校1年生及び2年生を対象に、哲学教育を試行する。
当面は直属の付属中学校1校で実施するものとする。
なお、当該事業については、文部科学省の補助を受けて行うものとする。
2 実施主体
「哲学・倫理学分野」の6名の教師を主体とする「中学1年生及び2年生を対象とした哲学教育実施検討評価委員会」とする。
3 試行の内容
① 哲学読本について
ア 別記の「中学生の為の哲学読本の作成について」により、作成した哲学読本を使用する。
イ 哲学読本については、中学校1年及び2年を通じて、同じ読本を使用するものとする。
ウ 哲学テーマは、中学校1年及び2年を通じて、全部で60とする。学年ごとの哲学テーマ数は各30とする。
エ 一つの哲学テーマに関して、古今東西の名文中の名文を5編程度掲載する。
オ 1授業時間に、一つの哲学テーマに関する古今東西の名文中の名文を5編程度黙読する事となる。
② 哲学ノートについて
ア 哲学読本の読書等の契機とした、哲学テーマに関する自由作文を書く為のノートとする。
イ 哲学ノートについては、中学校1年及び2年を通じて、同じノートを使用する。
ウ 1授業時間に、一つの哲学テーマに関する自由作文を、哲学ノートに書く事 になる。
エ 中学校1年及び2年を通じて、全部で60の哲学テーマに関する自由作文を、哲学ノートに書く事になる。
オ エの哲学テーマとは別に、中学校1年の最初の授業時と、中学2年の最後の授業時に、「道徳について」のテーマで、哲学ノートに自由作文を書かせる。
これにより、各自の言語能力、道徳性の発達の度合いを測定する。
③ 哲学の授業の進め方について
ア 月曜日の1限目に哲学読本を読み、金曜日の6限目に哲学読本の読書等を契機とした自由作文を哲学ノートに書く。
イ 授業時間における教師の役割は、授業の開始と終了の合図、及び授業時間の静謐の確保とする。
ウ 授業時間においては、生徒の発言も許さないものとする。
エ 哲学の授業時間(月曜日の1限目と金曜日の6限目)には、学校が静謐に包まれる事になる。
オ 生徒は、静謐の中で、読書及び作文を契機として、自分自身を学び、自分自身を考える。
カ 優秀な生徒たちは、哲学読本の読書を契機として、その哲学テーマ(例えば勇気)について、授業時間以外にも自分自身で考え、友達や両親やソクラテス(哲学ボランティア等)と語り合い、更には哲学読本資料集【一つの哲学テーマ(例えば勇気)について100編以上の古今東西の名文中の名文を集めた資料集】を読み、それらに基づき、その哲学テーマ(例えば勇気)について、自由作文を哲学ノートに書く事になる。これにより、毎週毎週、世界に類例のない優秀な作文群が創出される事になる。これにより、学校の中に哲学的風土(知恵を愛し、求める風土)が生まれる事になる。
キ 哲学については、道徳、総合学習と同じく、生徒の評価は行わない。
ク 教師は、作文を読み込む必要なない。作文を書いているか否かだけの確認で良い。勿論、全ての作文を読み込んで、生徒を理解する事が大いに結構な事だが、毎週30もの作文を読む事は物理的に難しい。哲学の授業の本質は自らを学び自らを考える事にある。なお、評価の所に述べているが、中学校2年の最終時に、生徒の道徳性及び言語能力の発達の度合いを測定する事になる。
コ 哲学の授業における教師の役割は、生徒が自らを学び、自らを考える態度を育成させる事にある。その為には、哲学の授業の時間(月曜日の1限目と金曜日の6限目)に静謐を保つだけで良い。静謐が保たれれば、そして読書及び作文に打ち込めば、自らを学び、自らを考えない訳にはいかない。
④ 哲学読本資料集
ア 別記の「中学生の為の哲学読本の作成について」により作成した哲学読本資料集については、試行を行う学級にはオンデマンド印刷により、数冊備えるものとする。予算的な制約があるのであれば、少なくとも1冊は必ず備えるものとする。
イ この哲学読本資料集が、試行を行う学芸大学付属中学校を、世界に類例のない、哲学的に優れた学校に育てる事となる。
ウ 哲学読本資料集は、60の哲学テーマのそれぞれ一つのテーマごとに、多分100以上の古今東西の名文中の名文が集る事になる。もし、大学の教師及び付属学校の教師それぞれ一人当たり、60の哲学テーマそれぞれごとに、古今東西の名文中の名文を1編提出させたら、一つの哲学テーマに関して、その教師の数だけの古今東西の名文中の名文が集る事になるのである。哲学読本資料集についてはその様な方向で作成するものとする。すなわち、全ての大学及び付属学校の教師にそれぞれの哲学テーマに関して1編以上を提出して貰う。
エ 哲学読本資料集は世界の英知である共に、東京学芸大学の英知でもある。生徒はその名文の真意を確かめたい時は、その名文を選んだ教師に直接に問う事もできる。
オ 哲学読本は、その学校の生徒の哲学的能力の底上げを図るものであり、哲学読本資料集は真に優秀な生徒を育成する為のものである。
⑤ 哲学対話室について
ア 学校図書館に隣接して、または空教室等を利用して、5つの哲学対話室を設置する。
イ 哲学対話室は、午後3時から5時まで開室するものとする。
ウ 哲学対話室には、哲学ボランティア(ソクラテス)が常駐するものとする。
エ 哲学ボランティア(ソクラテス)としては、学芸大学の教師、学院生、学生、付属学校の教師、父兄その他哲学教育に関心のある者なら誰でも良い。
オ この哲学対話室で、生徒と大人の知恵比べが展開される事になる。
カ この哲学対話室で、真に優秀な生徒が育成される事になる。
キ この哲学対話室で、生徒は尊敬する大人を見出す事になる。
ケ この哲学対話室で、「知恵とは何か」、「自分自身を知れとはどういう意味か」等々をおぼろげながら知る事になる。
コ この哲学対和室こそが、正に全人教育の場となる。
サ この哲学対話室から、プラトンが生まれる事になる。
シ この哲学対話室が、日本のアカデミア発祥の地となる。
ス この哲学対話室が、・・・・・。切がありません。
ソ 哲学対話室が哲学一貫教育の完成の場となる。
タ なお、「一生涯に渡る哲学一貫教育」においては、小学校、中学校、高校、大学、図書館、公民館等々、様々な教育学習機関に哲学対話室を設置する事になっています。この哲学対話室で、大人と子供が世代を超えて、知恵の火花を散らす事になります。ここから、日本に哲学的風土(知恵を愛し、真善美を追求し、本当の自分自身を追及する風土、「汝自身を知れ」を知る風土)が生まれる事になります。
⑥ 哲学の授業時間の創出方法について
ア 道徳の授業時間と総合学習の授業時間の一部を回して、週2時間の哲学の授業とする。
イ 「哲学」の文言を使う事が、法令上許されないのなら、現行の「道徳」と「総合学習」の文言をそのまま使用して、上記の哲学教育を実施する。「哲学読本」と「哲学ノート」については、「道徳読本」と「作文ノート」としても良い。
道徳の時間に「道徳読本」を読み、総合学習の時間に「作文ノート」に作文を書く。
⑦ 哲学教育の評価について
ア 試行を行う学校では、中学校1年の最初の授業時と、中学校2年の最後の授業時に「道徳について」をテーマとした自由作文を書かせる。
これにより、試行を行った学校の生徒の、言語能力及び道徳性の発達の度合いを測定する。
イ 試行を行わない学校においては、中学2年の最後の道徳の時間に、「道徳について」をテーマとした自由作文を書かせる。
これにより、試行を行った学校と試行を行わなかった学校の生徒の、言語能力及び道徳性の発達の度合いを測定する。
⑧ 教育学部哲学教育との連携について
小中高校哲学一貫教育を充実させる為に、教育学部において、徹底した哲学教育を行う。
教育学部における徹底した哲学教育の試行について
省略
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別稿
文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛 哲学一貫教育提唱文
拝啓 初等中等教育局教育課程課長 殿
現在、小学校学習指導要領及中学校学習指導要領に関して意見の公募を行なっているとの事、私も国民の一人として意見を述べさせて頂きます。
今回の学習指導要領の改訂で目指している事は、学力の向上であり、道徳教育の充実であり、言語教育の充実だと思います。
この内の学力の向上については、授業時間数の増加の割合に応じて、その効果は出て来ると思います。
もし現在の学力水準が世界10位であるのであれば、その授業時間数の増加割合に応じて、世界の8位か9位くらいにはなると思います。
しかし、道徳教育と言語教育の充実については、何も望めないと思います。
何故なら、現在の学習指導要領と何ら変りが無いからです。
道徳教育の充実と言語教育の充実の為に必要な事、それは良き教材と徹底した反復です。
しかし、今回の学習指導要領では良き教材は望めません。
何故なら教材の作成を現場に任せているからです。
良き教材は国民の英知を結集して作成しなければなりません。
良き教材であれば、児童生徒はひとりでに啓発されていくものなのです。
また、今回の学習指導要領では徹底した反復も望めません。
何故なら、道徳の授業時間数はそのままだし、言語教育を充実させる為の時間も特別に確保していないからです。
なお、主要教科において、言語教育の充実を図ろうとしているようですが、その効果はありません。もし主要教科において言語教育の徹底を図ろうとすれば、現場は混乱し、今回の一番の目的である学力の向上も覚束無くなります。「二兎負う者は一兎も得ず」です。何故なら、現在の各教科の教師にそれだけの言語能力がないからです。
それではどの様な方法があるのか。
『哲学一貫教育』です。
これにより、日本の学力水準は世界に飛び抜けて一位となり、日本人の道徳性及び言語能力は世界に羨望されるほどのものとなるのです・・・。
『哲学一貫教育』、
それは日本国民に哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民になる事を目指すものです。
この哲学一貫教育には二つの概念があります。
一つは「小中高校哲学一貫教育」であり、他の一つは小中高校哲学一貫教育を土台とした、「一生涯にわたる哲学一貫教育」です。
これらについては、下記1の「小中高校哲学一貫教育について」及び下記3の「一生涯にわたる哲学一貫教育」に詳述していますのでご覧頂きたいと思いますが、現在問題としているのは小学校及び中学校の学習指導要領ですので、ここでは、「小中高校哲学一貫教育」に限ってその概要を簡単に説明していきたいと思います。
なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美等を求める事と解して下さい。
この概念が哲学一貫教育を貫く概念となります。
それでは、「小中高校哲学一貫教育」について、箇条書きでその概要を説明していきます。
① 小学校、中学校の「道徳」を廃止し、「哲学」とし、授業時間を週2時間とする。
高校の「倫理」を廃止し、「哲学」としかつ必修とし、授業時間を週2時間とする。
これにより、授業時間週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
② 哲学一貫教育の対象は、「読書」と「思索」と「作文」と「対話」とし、この内、「読書」と「思索」と「作文」を授業の対象とし、「対話」は課外で行われるものとする。
③ 週の最初の時間に「読書」を行い、週の最後の時間に「作文」を行う。
なお、「思索」はそれぞれの時間に当然に行われる。
④ 読書用として『哲学読本』を、作文用として『哲学ノート』を学年ごと作成する。
⑤ 学年ごとに、それぞれの学年に相応しい哲学テーマ(知恵、勇気、忍耐、節制、寛容、愛、友達、勉強、人生、仕事、社会、環境、自然等々、哲学テーマ例については下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事)を30程度選択する。
⑥ 『哲学読本』は、一つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度掲載したものとする。
読書の時間には、一つの哲学テーマに関する古今東西の名文中の名文を3編程度読む事になる。
⑦ 『哲学ノート』は、哲学読本の読書を契機とした、その哲学テーマに関する作文を書く為のノートとする。なお、作文は読書感想文ではなく、そのテーマに関する自由作文とする。
⑧ 学校図書館に隣接して、学校の規模に応じて、『哲学対話室』を1から5設置する。
哲学対話室おいては、児童生徒が哲学的素養のある教師や学校外の哲学的素養のある大人と哲学対話を行なう。
児童生徒は自らの知恵の総力を上げて教師や大人に向かう事になる。
また、哲学対話室においては、学級、学年を超えた児童生徒間の哲学対話も行なわれる。
⑨ 哲学の授業において、教科や教科の単元や必要な場合には教科の単元の中の言葉や公式も哲学する。
哲学教育と教科教育のすみ分けを行なう。
教科教育においては徹底して正確な知識の伝授を行う。
哲学教育おいて知恵(道徳、言語)を学ぶ。
哲学教育と教科教育の両輪により、知恵と知識のバランスの取れた児童生徒を育成する。
⑩ 総合学習や特別活動は、哲学の授業で自らが学んだ概念の実験体験体感の場となる。この事は特別に位置づけをしなくても当然にそうなる。何故なら、哲学とは自らと自らの関係に関する全ての事を学ぶ事だからである。
⑪ 哲学一貫教育の目的は、自ら学び、自ら考え、自らにおいて真善美等を自らのものしようとする児童生徒を育成する事にある。
以上が「小中高校哲学一貫教育」の概要です。
どうです。
道徳性と言語能力に優れ、学習意欲の高い児童生徒が育成されたでしょう・・。
小中高校12年間において、360(1年30テーマ×(6年+3年+3年)=360)の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、そして360の哲学テーマについて作文を書く事になるのです。
これにより、児童生徒の言語能力が如何に向上するか、敢えて言う必要は無いと思いま
す。
そしてその哲学テーマとは全て道徳性に絡むものです。
これにより、児童生徒の道徳性が向上する事についても、敢えて言う必要は無いと思い
ます。
そしてまた哲学の授業では、教科や教科の単元や教科の単元の中の言葉や公式も哲学します。
これにより、教科の知識は生きたものになり、児童生徒の学習意欲は高まる事になります。
更にまた哲学対話室においては、児童生徒は自らが尊敬する哲学的素養のある教師や大人たちと哲学対話を行ないます。
これにより、児童生徒は本当の意味での道徳性と言語能力を身に付ける事になります。
本当の意味での道徳性と言語能力を身に付けた児童生徒には猛烈な学習意欲が湧いてきます。
ここにおいて、本当の意味での、知恵と知識に優れた児童生徒が育成される事になるのです。
どうです。
小中高校哲学一貫教育により、道徳性と言語能力に優れ、学習意欲の高い児童生徒が育成されたでしょう・・・。
哲学一貫教育を徹底すればするほど、道徳性と言語能力に優れ、学習意欲の高い児童生徒が育成されていく事になりますが、教科教育(知識の伝授)も徹底しなければなりません。
哲学一貫教育と教科教育のバランスが必要なのです。
上記の哲学一貫教育は、道徳または倫理の時間を1時間増やし、哲学と言う概念を取り入れるだけです。
それだけでこんなに素晴らしい効果が出るのです。
国家の大計は教育にあり。
学習指導要領の大計は定まったなどと言わず、国家の大計の為に、是非この哲学一貫教育の概念を導入して頂きたいと思います。
哲学一貫教育の素晴らしさは分かった。
しかし時間的にどうしても無理だと仰るのなら、新しい学習指導要領の運用の中で、哲学一貫教育を導入して頂きたいと思います。
その為の方法をこれから述べて参りたいと思います。
哲学一貫教育はとても簡単な教育方法です。
それは「読書」と「思索」と「作文」と「対話」だけです。
この内、哲学の授業で対象とするのは、読書と思索と作文です。
しかも思索は、読書と作文に付随して行なわれますので、哲学の授業で直接対象とするのは読書と作文だけと言う事になります。
毎週、読書の時間を1時間、作文の時間を1時間確保して頂ければ、哲学一貫教育は実質的に完成するのです。
小学校、中学校においては、道徳の時間が1時間確保されていますので、後1時間確保すれば良いだけの話です。
後1時間の確保については二つの方法があります。
一つは、国語の時間の1時間を「読書、作文」の時間に充てる方法です。
他の一つは、総合学習の1時間を「読書、作文」に充てる方法です。
どちらでも良いと思いますが、後者の方がより柔軟に行なえると思います。
方法は次の通り行なえば良いと思います。
総合学習の時間は週2時間ですが、これを月8時間と捉えます。
そしてこの内の毎週1時間計4時間を「読書、作文」の時間に充て、残りの4時間を「体験学習」の時間に充てます。
体験学習は、午後の全ての時間を使って実施するものとします。
すなわち体験学習を月1回実施する事になります。
なお、体験学習は学校を出て、身近な自然や社会と接する機会とすべきだと思います。
体験学習は午後の全てを使って3時間ですので、残りの1時間については体験学習の予習や復習に使えば良いと思います。
以上で、小学校、中学校においては、週2時間の「読書」と「作文」の時間が確保された事とします。
後、高校ですが、高校についてはこれから学習指導要領を作成する事になっているようですので、週2時間の「読書」と「作文」の時間を確保して頂く事としましよう。
これにより、小中高校一貫して週2時間の「読書」と「作文」の時間が確保された事になります。
すなわち、小中高校哲学一貫教育の素地が整った事になります。
なお、ここまで来て分かったと思いますが、哲学一貫教育とは徹底した言語教育の事なのです。
そしてその対象が哲学テーマなのです。
なお、哲学一貫教育で言う所の哲学テーマとは、下記の2の「哲学テーマ例」を見て頂ければ分かると思いますが、それは学習指導要領の「道徳」で定める所の道徳テーマと全く一緒なのです。
哲学一貫教育とは、徹底した言語教育の事であり、徹底した道徳教育の事なのです。
これにより、今回の学習指導要領改訂で目的とした、言語教育と道徳教育の充実が如何に図れるか、敢えて言う必要はないと思います。
どうか、新しい学習指導要領の下、哲学一貫教育の充実を図って頂きたいと思います。
さて、小中高校哲学一貫教育の素地、すなわち週2時間の読書と作文の時間が確保できましたので、今度はこれの実際の運用について述べていきたいと思います。
なお、哲学一貫教育に充てる為の週2時間は、小中高校とも道徳の時間が1時間で、総合学習の時間が1時間と言う想定で話を進めていく事にします。
哲学一貫教育の授業で行われるのは、「読書」と「作文」だけです。
この内、読書については「哲学読本」を読むだけの事であり、作文については哲学読本の読書を契機にした、その哲学テーマに関する自由作文を「哲学ノート」に書くだけの事です。
哲学一貫教育の授業方法はとても簡単なのです。
週の最初の時間を読書の時間に充て、週の最後の時間を作文の時間に充てるだけで、哲学一貫教育は自動的に完成するのです。
今回の運用の中では、道徳の時間を読書の時間に充て、総合学習の時間を作文の時間に充てる事にします。
すなわち、週の最初の時間を「道徳」の時間とし、「哲学読本」を読む
週の最後の時間を「総合学習」の時間とし、「哲学ノート」に哲学テーマに関する自由作文を書く。
これで、新しい学習指導要領の下での哲学一貫教育の完成です。
もっと具体的に目に見える形で整理すると次の様になります。
月曜日の第一限目を「道徳」の時間とし、「哲学読本」を読む。
金曜日の第六限目を「総合学習」の時間とし、「哲学ノート」に作文を書く。
これで、新しい学習指導要領の下、哲学一貫教育の枠組みが出来上がった事になります。
何故週の最初と最後の時間に哲学の授業を持って来るのか。
それは哲学の授業を自省の時間とする為です。
学校が始まる時、自らを省み、学校が終わる時、自らを省みる為です。
なお哲学の授業の意義はこれから山ほど述べると思います。
さてここで一つ問題がありますよね。
「哲学読本」と言う言葉であり、「哲学ノート」と言う言葉です。
ここでは知恵を働かす事としましよう。
学習指導要領には、哲学と言う言葉はありません。
しかし道徳と言う言葉があります。
先程も述べた事ですが、哲学一貫教育で言う所の哲学と学習指導要領で言う所の道徳とはそのテーマに関しては何の違いも無いのです。
ですから、「道徳読本」と「道徳ノート」とする事としましよう。
「哲学読本」と「哲学ノート」と、「道徳読本」と「道徳のノート」には何の違いもありません。
名を捨て実と取る事としましよう。
「道徳読本」と「道徳ノート」の完成です。
この二つによって、新しい学習指導用要領の下、哲学一貫教育を実質的に進めて行こうではありませんか。
しかここでこう言う人々が出て来ると思います。
道徳の時間に「道徳読本」を読むのは分かるが、何故総合学習の時間に「道徳ノート」に作文を書くのかと。
それはある意味ご尤もです。
それではどうしましよう。
ここも知恵の働かせ所です。
道徳と言う言葉が引っかかるのですから、道徳と言う言葉を抜けば良いのです。
すなわち、「道徳ノート」ではなく、「作文ノート」とすれば良いのです。
そうすれば対外的にはとやかく言われる事はありません。
さてこれで新しい学習指導要領の下での、実際の哲学一貫教育の運用が定まりました。
すなわち、月曜日の第一限目を「道徳」の時間とし、「道徳読本」を読む。
金曜日の第六限目を「総合学習」の時間とし、「作文ノート」に道徳読本の読書を契機とした、哲学テーマに関する自由作文を書く。
これで、新しい学習指導要領の下での哲学一貫教育の完成です。
さて、哲学一貫教育に関する物理的条件が整ったので、愈々その内容に入って行きたいと思います。
なお、内容に入る前に一言述べて置きたいと思います。
何故道徳教育が人気がないのか。
それは道徳と言う言葉の為です。
道徳を哲学と変えて御覧なさい。
現場の教師の目の色が変ります。
国民の目の色も変わります。
その結果として、児童生徒の目の色も変わります。
その結果、日本国民は哲学の民となるのです。
哲学とは「汝自身を知れ」、本当の自分自身を知る事です。
哲学教育も道徳教育も目指す所は一緒でも、その情熱に天と地ほどの差が付くのです。
哲学教育では自らが学んだ事を実践します。
道徳教育では教えられた事を実践します。
そこには天と地ほどの差が付くのです。
しかしここで繰言を言っても仕方がありません。
新しい学習指導要領の下、哲学一貫教育の趣旨が徹底するよう、お互い頑張りましょう。
さて、哲学一貫教育ですが、この中で一番大切なものは、『哲学読本』(道徳読本)です。
何故なら、この『哲学読本』(道徳読本)によって、児童生徒を育てていくからです。
キリスト教国家においては、聖書によって子供を育てます。
イスラム教国家においては、コーランよって子供を育てます。
日本においては、『哲学読本』(道徳読本)によって子供を育てるのです。
しかし『哲学読本』(道徳読本)は1冊ではありません。
それぞれの教科書会社がそれぞれに出版します。
また一般の出版会社も競って出版します。
これらの『哲学読本』(道徳読本)がハーモニーをなして、日本の子供たちを育てていくのです。
『哲学読本』(道徳読本)は、学年ごとに作成します。
各学年に相応しい哲学テーマ(勇気、知恵、愛、忍耐、寛容、節制、勉強、友達、学校、仕事、自然、環境等々、哲学テーマ例については下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事)を30程度選択し、それぞれの哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度掲載します。
何故、名文中の名文でなければいけないのか。
それは、名文中の名文と言うものは、時の練磨を経ており、一切の無駄が剥ぎ落とされ、そこに言霊が漂っているからです、
哲学一貫教育は、この言霊により、児童生徒の言霊を揺さぶる事から始めるのです。
何故、一つ哲学テーマに関して、名文中の名文を3編掲載するのか。
それは普遍を学んで貰う為です。
例えば慈愛について、イエスの慈愛の名文、ブッダの慈愛の名文、マホメットの慈愛の名文を3編掲載します。
ここから普遍の慈愛について学んで貰うのです。
この様な方法で、全ての哲学テーマに関して普遍を学んで貰うのです。
『哲学読本』(道徳読本)はイデオロギーを教える為の道具ではありません。
児童生徒が自らにおいて価値を見出し、自らにおいて価値を確立させていく為の道具なのです。
児童生徒が自らのアイデンティティを確立させていく為の道具なのです。
ですから、様々な分野から様々な言葉を与えて上げなければならないのです。
その為にも、国民の英知を結集して作成しなければならないのです。
『哲学読本』(道徳読本)は様々な分野の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
哲学の分野もあれば、文学の分野もあれば、芸術の分野もあれば、科学の分野もあります。
世界はこれまで、たくさんの偉人、賢人、哲人、聖人、英雄、天才芸術家、天才科学者等々を生み出してきました。
彼らの言葉により、児童生徒の心を掴み、その言霊を揺さぶる事から始めるのです。
例を挙げれば、
イエス、ブッダ、マホメット、孔子、老子、聖徳太子、空海、親鸞等々
ソクラテス、プラトン、エピクロス、エピクテトス、セネカ、キケロ等々
デカルト、ルソー、ロック、カント、ショウペンハウワー、西田幾多郎等々
イソップ、ホメロス、ダンテ、シェークスピア、ゲーテ、夏目漱石等々
レオナルドダビンチ、モーツアルト、ベートーベン、ピカソ、世阿弥等々
ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、エジソン、湯川秀樹等々
カエサル、アレクサンダー、ナポレオン、徳川家康、西郷隆盛等々
ナイチンゲール、シュバイツアー、マザーテレサ、野口英世等々
切がありません。
彼らは決して逃げる事はありません。
『哲学読本』(道徳読本)により言霊を揺さぶられた児童生徒は、その名著原典に向かい彼らと対話します。
そしてその対話が終わった時、児童生徒の中に彼らの言霊が宿る事になるのです。
また原典に向かわずとも、一つのテーマに関して名文中の名文を3編読む時、児童生徒の言霊が揺さぶられ、その思考回路が物凄い勢いで回転し、新たなインスピレーションが生まれるかも知れません。
また例えインスピレーションが起こらずとも、名文中の名文を3編も読めば、児童生徒に何らかの変化が起こります。それが名文中の名文、すなわち言霊の由縁なのです。
さて、以上『哲学読本』(道徳読本)の素晴らしさをご理解して頂けたと思いますが、『哲学読本』(道徳読本)をどの様にして作成するか。
ここが哲学一貫教育の成否の分かれ目となります。
例え、『哲学読本』(道徳読本)が如何に高尚であろうとも、財源が無ければそれは日の目を見る事は出来ないのです。
そうです。
『哲学読本』(道徳読本)を無償にする事です。
それでこそ、教科書会社は力を入れて、素晴らしい『哲学読本』(道徳読本)を創っていくと言うものなのです。
現在日本は、道徳退廃国家への道を一途に進んでいます。
道徳教育の充実、これこそが現在の政治上の第一課題です。
『哲学読本』(道徳読本)を無償にする事について誰も反対する人などいません。
法律改正については知恵を出し合って下さい。
なお道徳は教科ではありませんので、検定を受ける必要はありませんが、やはり何らかの審査を受ける必要はあるのでしょう。
国民の英知と言われる哲学者、文学者、芸術家、科学者等々で構成する「『哲学読本』(道徳読本)審査委員会等」で審査して貰っても良いでしょう。
また縦覧に付す形で、国民全てに審査して貰っても良いのではないでしょうか。
『哲学読本』(道徳読本)とは古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
誰がその内容に反対するのでしょう。
さて、素晴らしい『哲学読本』(道徳読本)が出来上がりました。
後はこれの教室での実際の運用です。
これまで何度も言っていますが、週の最初の時間に読書を行い、週の最後の時間に作文を行う事になっています。
ですから、週の最初の読書の時間にこの『哲学読本』(道徳読本)を読む事になります。
さてここからが大切です。
教師は授業の開始と終了の合図以外は何も言葉を発しないものとします。
教師は児童生徒が読書と思索に専念出来るよう、静謐を保つ事とします。
児童生徒からの発言も許さない事にします。
この1時間は学級が静謐に包まれる事になります。
読書は黙読とします。
『哲学読本』(道徳読本)には、一つの哲学テーマに関して、古今東西の名著の中の名文中の名文が3編掲載されています。
また、それぞれの3編の後には簡単な書誌と著者のプロフィールも載せてあります。
『哲学読本』(道徳読本)には全てルビが付されています。
児童生徒はそれぞれの言霊に触れながら、思索を深めます。
児童生徒が如何なる思索を行うか、それに関して教師は一切関与してはなりません。
それが哲学の哲学たる所以です。
しかし善き言霊に導かれた思索は、良き方向へと必ず向かうものです。
これが哲学一貫教育における所の基本理念なのです。
さて無事、週の最初の読書の時間が終わりました。
感想は如何ですか。
教えたい、教えたい、教えたい・・と言う気持ちは山々分かりますが、週に1回はこの静謐の時間が必要なのです。
しかし、この1時間に児童生徒は、名文を学び、そしてその著者を学び、そしてその書誌まで学んでいるのです。
多分この内容を教師が授業と言う形で教えるとしたら、半日はかかると思います。
哲学の目的は知識を受け容れる事ではありません。
自らにおいて自らを思索する事です。
名文中の名文はその契機に過ぎないのです。
しかし名文中の名文には言霊が宿っているので、児童生徒はその言霊に激しく揺さぶられる事になるのです。
一つの哲学テーマについて、聖人、偉人、賢人、哲人たちがあちらと思えばまたこちら、こちらと思えばまたあちらと引き回します。
児童生徒の頭脳はフル回転せざるを得ないのです。
ここにインスピレーションの湧く根拠があるのです。
その名文中の名文は記憶する必要はありません。
その場限りで良いのです。
その名文中の名文は単に契機に過ぎないのですから。
しかしもしその名文が児童生徒にインスピレーションを起こさせたら、その名文は児童生徒の記憶から決して消える事はないのです。
何故なら、その児童生徒は繰り返し、繰り返し、その言葉に帰って行くでしょうから。
もしそんな言葉が児童生徒の中で一杯になったらどうなるのでしょう。
彼らはより聖人偉人賢人哲人たちに近付いていく事になるのではないでしょうか。
例えそうではなくても、彼らの中でその言霊が輝き続けるのです。
それが言霊の由縁です。
哲学一貫教育とはこの言霊を利用する教育なのです。
皆さんを刺激しようと思って言霊と言う言葉を繰り返し使っていますが、言霊とは人の心を力強く揺り動かす言葉と言った程度のものです。
しかし、一旦人の心を強く揺り動かした言葉は、人の心の中に鎮座する傾向があるのです。
その様な傾向のある言葉を譬えて言霊と称しています。
ここでは言霊を次のように定義して置く事にしましよう。
「人の心を強く揺り動かし、人の心に鎮座する傾向のある言葉」と
そして哲学一貫教育では、この言霊を利用すると。
人は言葉により動く動物です。
であれば、言霊により教育する方法が一番手っ取り早いのです。
もしその言霊が住み着けばどうなるのでしょう。
その人はその言霊により動くのではないでしょうか。
現在の国語の本にはそんな言霊はほとんどありません。
市販の道徳読本も似たようなものです。
市販の道徳読本の言葉は一過性において、人の心を動かす事はあるかも知れませんが、その授業限りです。
その原典を見つけようと思っても何処にもありません。
一夜の夢物語も見たような感じしか残りません。
しかし「哲学読本」(道徳読本)はそうではありません。
児童生徒は何時でも原典に向かう事が出来、そしてその原典の中でまた新たな言霊に触れるのです。
言霊には権威が必要です。
何処の誰が書いたか分からないような文章については、人は注意を向けません。
しかしこれこれの文章は、世界で最も著名な人が書いた文章なのですよ。
これだけで、児童生徒はその文章に集中するのです。
貴方方もそうではありませんか・・・。
何処の馬の骨が書いたか知らないようなこの文章は見る価値が無い。
そう言って、即座に雑件書類の中に入り、一年先は廃棄処分となる。
しかしもし、この文章に○○先生と言う署名があれば、その文章は永久保存ともなる。
哲学一貫教育では人間のそうした性向をも利用するのです。
これはちょっと話題からそれますが、最近高校の「現代文」を読んでみました。
そこには言霊はほとんどないばかりか(宮沢賢治の銀河鉄道の夜には言霊を揺さぶられましたが・・)、その文章を追えば追うほど憂鬱になります。
そこにはあるのは現代人の鬱屈した精神です。
「現代文」では、その現代人の鬱屈した精神を追えと言っているのです。
現代人だからそう言う事に成るのでしょうが、しかし学習指導要領で言う所の道徳に関しては一切育てる事は出来ません。
ですから、国語と道徳はきっぱり切り離す必要があります。
道徳においては言霊のシャワーを浴びせます。
国語においては国語の技術を身に付けさせる。
その第一番はやはり漢字の読み書きだと思います。
これは徹底する。その他色々な技術があるのでしょうから、そちらに特化すると言う事になるのでしょうか。
しかし私はやはり思います。
国語においても名著の中の名文中の名文をなるべくたくさん採用した方が良いと。
そうであれば、道徳と国語が相乗作用を起こして、更に一層早く、哲学国家への歩みを速めると。
すみません。
今ここで新たな着想が浮かびました。
それは、国語教育中でも言語教育と道徳教育を行なうと言う事です。
すなわち、すなわち国語教育の中でも哲学一貫教育を行うと言う事です。
その方法はこれまで述べてきた哲学一貫教育と全く一緒です。
すなわち、週の前半の1時間を読書に充て、週の後半の1時間を読書に充てます。
そして、読書の時間には名著の中の名文中の名文を読み、作文の時間にはその名文中の名文を契機とした作文を書きます。
勿論、国語教育の中で行なうので、哲学とか道徳とか言う言葉は使わない事にしますが、その実際は全く哲学一貫教育と一緒です。
すなわち、名文中の名文により、児童生徒の言霊を揺さぶる事から始めるのです。
具体的な運用としては、例えば国語の時間が週6時間であれば、その内の週2時間を哲学一貫教育、すなわち読書と作文の時間に充て、残りの4時間を通常の国語教育に充てるものとします。
哲学(道徳)教育の中での読書の時間には、一つの哲学テーマに関する名著の中の名文中の名文を3編程度読みますが、国語教育の中での読書の時間には一つの哲学テーマに関する名著の中の名文中の名文を1編読む事にします。
哲学(道徳)教育の中での読書は言霊を激しく揺さぶる事を主眼としますが、国語教育の読書においても勿論言霊を揺さぶる事が第一目的ではありますが、読解力の養成についても力点を置く事します。
その為長編の1編とする事とします。
読書は勿論黙読です。その為、ルビを付します。また簡単な著者の略歴や著書の書誌も付します。
国語教育の中での読書の方法は、哲学(道徳)一貫教育の中での読書の方法を全く一緒です。
相違点は、哲学(道徳)教育の中での読書においては一つの哲学テーマに関して3編程度読むのに対し、国語教育の読書においては一つの哲学テーマに関して1編だけを読むと言う事だけです。
そして、国語教育における読書の時間における教師の役割も、哲学(道徳)教育の中での読書の時間における教師の役割と全く同じです。
すなわち、授業の開始及び終了の合図と、その1時間、教室の静謐を保つ事だけです。
その静謐の1時間の中において、児童生徒は名文中の名文、すなわち言霊に激しく揺さぶられ、自らを深く省みる事になるのです。
次に、国語教育における作文のあり方ですが、未だ哲学(道徳)教育における作文のあり方について述べていなかったので、ここで一緒に述べたいと思います。
国語教育における所の作文の時間のあり方と哲学(道徳)教育における所の作文の時間のあり方は全く一緒です。
相違点と言えば、哲学(道徳)教育の授業の中で作成される作文においては、名文を契機とした自由な発想の作文が生まれる傾向があるのに対し、国語教育の授業の中で作成される作文においては、名文を契機とした著者との対話文、すなわち読書感想文が生まれる傾向にあると言う事くらいです。
何故なら、哲学(道徳)教育の読書の時間には一つの哲学テーマに関して名文を3編読むのに対し、国語教育の読書の時間には一つの哲学テーマに関して1編を読み込むからです。
しかし、両者の相違点を強調する事は全く必要ありません。
哲学(道徳)教育における作文においても、国語教育の作文の時間においても、何を書いて良いのです。
作文は自分を確認する為の道具に過ぎないのですから・・・。
哲学(道徳)教育及び国語教育における作文の時間における教師の役割は、哲学(道徳)教育及び国語教育における読書の時間における教師の役割と全く同じです。
すなわち、授業の開始及び終了の合図と、その1時間、静謐を保つ事だけです。
この静謐の1時間の間に、児童生徒は言霊を契機として、自らを省み、そしてそれを文字として記録するのです。
この文字に記録すると言う事が児童生徒の成長にとってとても大切なのです。
言霊によって、児童生徒の言霊は激しく揺さぶられます。
しかしそれはある意味でほんの一時的な事です。
哲学(道徳)の授業が終わる頃には綺麗さっぱり忘れています。
それはそれでも良いのですが、児童生徒の持続的な哲学的成長を望むのであれば、その言霊を文字として記録して置く必要があるのです。
哲学とは自らのとの対話、すなわち自らを相手とした弁証です。
その為には、自らの思想がその前に無ければいけないのです。
しかし人間の記憶力はほんの微々たるものです。
特に自らの思想については。
自らの思想に関する記憶力がほんの微々たるものであること、それは貴方を実験材料にして実証する事ができます。
さて、昨日、1時間前、そして10分前に何を思想したか、思い出してください。
人間の思想に関する記憶力とはその程度のものなのです。
思想とは、思い想う事。
人は一瞬も休まず思想し続けているのです。
人は思想を記憶する事など出来ないのです。
貴方はここでこう言うかも知れませんね。
一日前の事も、一時間前の事も、一分前の事も思い出したくないと。
そうですね、何を思想するかがとても大切ですね。
哲学一貫教育では、名著の中の名文中の名文、すなわち言霊を契機として、すばらしい思想が展開されます。
それは貴方が一日前、一時間前、一分前に思想した事とは大違いですよね。
それは記録に残すべき大いなる思想ですよね。
しかしその児童生徒も一時間後にはその思想が綺麗に飛散霧消しているのです。
偉大なる哲学者とは如何なる人の事か。
それは自らの思想の文字を基に弁証した人の事です。
少し話が反れてしまいましたので、また国語教育に中における作文及び哲学(道徳)教育の中における作文のあり方に戻りたいと思います。
教師は、作文を読み込む必要はありません。
勿論、作文の内容を読み込んで、児童生徒を理解する事は大いに結構ですが、毎週30もの作文を、もし国語教育の中でも作文を行なうと言う事であれば、毎週60(30×2=60)もの作文を読む事は、物理的も時間的にも無理でしょうから。
哲学の本質は自ら学び、自ら考える事にあるのです。
尤も何も書いていない児童生徒に対しては、何でも良いから書くように指導する事は大切です。
また、書き方が分からないと言う児童生徒には、個別に作文指導を行なう事も大切です。
作文指導において、起承転結の4行文の指導はとても有効だと思います。
1行ごとに改行し、4行で起承転結の文を完成させる方法です。
4行の起承転結文が完了したら、1行空白を明けて、次の4行の起承転結文に移っていくと言う方法です。
現在私が遣っているこの方法です。
人の思考回路は起承転結の4行で完結します。
その思考回路のままに作文を書くと言う技術を覚えれば、作文がとても楽になり、楽しみとなります。
作文がどうしても書けないと言う児童生徒にはこの方法は有効だと思います。
パソコン時代の新しい作文の技法として研究してみてください。(尤もソネットと同じです。(4行×3)+2行=14行)
さて、壮大な哲学一貫教育が出来上がってしまいました。
当初提唱した哲学一貫教育は、週2時間の哲学一貫教育だったのですが、途中から新たな発想が入って来て、週4時間の哲学一貫教育になってしまいました。
当初の哲学一貫教育は、読書の時間が1時間と作文の時間が1時間の、合計2時間の哲学一貫教育だったのですが、最終的には読書の時間が2時間と作文の時間が2時間の、合計4時間の哲学一貫教育になってしまいました。
この壮大な哲学一貫教育における所の、授業時間の内訳とその内容を整理すると次のようになります。
① 「道徳」の週1時間を読書の時間とし、「道徳読本(名文中の名文)」を読む。
② 「総合学習」の週1時間を作文の時間とし、「総合学習作文ノート」に作文を書く。
③ 「国語」の内、週1時間を読書の時間とし、「国語教科書(の中の名文中の名文)」
を読む。
④ 「国語」の内、週1時間を作文の時間とし、「国語作文ノート」に作文を書く。
①②が当初の哲学一貫教育であり、③④が国語教育の中の哲学一貫教育です。
ここには哲学と言う文字は出てきませんが、①②③④の一連で徹底した壮大な哲学一貫教育になるのです。
この壮大な哲学一貫教育により、日本の児童生徒の哲学的能力は何処まで伸びる事になるのか。
小中高校の12年間に720(1学年30テーマ×2×(6年+3年+3年)=720)の哲学テーマについて名文中の名文を読み、720の哲学テーマについて作文を書く事になるのです。
これにより、日本の児童生徒の哲学的能力は何処まで伸びる事になるのでしょう。
ここで皆さんに大事な事を言って置きます。
哲学的能力とは、言語力の事であり、道徳性の事であり、学力の事なのです。
哲学的能力が伸びるとは、言語力が伸びると言う事であり、道徳性が伸びると言う事であり、学力が伸びると言う事です。
今回の学習指導要領の改訂の目的は何でしたか。
言語教育の充実であり、道徳教育の充実であり、学力の向上だったのではないですか。
であれば、何よりも先に『小中高校哲学一貫教育』を行なうべきではないですか・・・。
既に学習指導要領案が固まっていますので、直ぐに『小中高校哲学一貫教育』を導入する事は出来ないと思いますが、上記の様な運用試行を行なった上、5年後を目処に正式な『小中高校哲学一貫教育』を導入して頂きたいと思います。
なお、授業時間週4時間の正式な『小中高校哲学一貫教育』の概要を次に示して置きたいと思います。
① 小学校、中学校の「道徳」を廃止し、「哲学」とし、授業時間を週4時間とする。
高校の「倫理」を廃止し、「哲学」としかつ必修とし、授業時間を週4時間とする。
これにより、授業時間週4時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
② 週の2時間を読書の時間とし、「哲学読本」を読む。
週の2時間を作文の時間とし、哲学読本を契機とした、哲学テーマに関する自由作文を「哲学ノート」に書く。
③ 授業時間の調整は次の方法で行なう。
小学校、中学校においては、「道徳」の1時間と「総合学習」の1時間と「国語」の2時間の合計4時間を哲学に回す。
高校においては、「倫理」の1時間と「総合学習」の1時間と「国語」の2時間の合計4時間を哲学に回す。
(なお、国語と現代文は統合し、国語一本にした方が良いと思います。敢えて現代文を学ぶ必要は無いと思います。)
その他については、これまで述べてきた哲学一貫教育と同じとします。
なお、授業時間の時間割は次のようでは如何でしょうか。
月曜第1限目「哲学(読書)」
火曜第6限目「哲学(作文)」
木曜第1限目「哲学(読書)」
金曜第6限目「哲学(作文)」
児童生徒を哲学漬にして上げるのです。
ここで皆さんに念を押して置きたいと思うのですが、哲学教育の対象とする固有の分野があると言う訳ではないのです。
哲学教育の対象とするのは、自分自身に関する事、人間に関する事、社会に関する事、自然に関する事となりますが、これは言い換えると「国語」「社会」「数学」「理科」「美術」「音楽」「保健・体育」「技術・家庭」「外国語」「道徳」等々と言う事になります。
哲学教育と教科教育の対象とする分野は全く一緒なのです。
ただ教育方法が違うだけです。
教科教育においては、その分野の正確な知識を伝授する事が最大の目的です。
哲学教育においては、その分野に関する知恵を学ぶ事が最大の目的なのです。
そして知恵を学ぶ方法が、聖人、賢人、哲人、偉人、天才たちの言葉から学ぶと言う事なのです。
すなわち彼らの言葉の相似を自らの中に見出す事、これが知恵を学ぶと言う事なのです。
哲学とは自分自身を学ぶ事。
「汝自身を知れ」
自らの中にある素晴らしい世界、これを天才たちの言葉により見出しそして確立して行く事、これが哲学なのです。
哲学教育とは言語教育以外の何ものでもないのです。
ですから「読書」と「作文」を徹底しなければならないのです。
勿論一人で。そして静謐の中で。
哲学一貫教育における静謐の保持の意味を理解して頂けたでしょうか。
哲学(philosophia=知恵を愛する事)は決して教える事など出来ないのです。
何故なら哲学とは自ら学び自ら考える事なのですから・・・。
哲学は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「実践」で完結していきます。
この内の「読書」「思索」「作文」については、以上で取り敢えず説明した事にします。
次に「対話」ですが、これが無ければ真の哲学者(知恵を愛する者)は育っていきません。
「読書」により真善美に溢れた言葉を与え続ければ、「思索」「作文」もその方向には向うのですが、やはり独り善がりは免れません。
「対話」により、その独り善がりを是正し、改善し、新たな真善美を確立して行ってこそ、真の哲学者(真善美を愛する者)が育って行くのです。
ですから、対話の相手は、哲学的に素養にある者でなければならないのです。
プラトンにソクラテスが居たように、
曾子に孔子が居たように、
十羅漢にブッダが居たように、
十二使徒にイエスが居たように。
哲学対話の為に、哲学一貫教育では特別な装置を設置します。
その装置とは『哲学対話室』です。
『哲学対話室』は学校図書館に隣接して、学校の規模に応じて1から5設置します。
『哲学対話室』は午後3時から午後5時まで開室する事とします。
哲学対話室には、哲学的素養のある大人が日替わりで常駐します。
児童生徒は、この哲学的素養のある大人に、自らの知恵の総力を挙げて臨みます。
ここに知恵の火花が散る事になります。
児童生徒は、この哲学対話室において哲学修行をする事になります。
そして、自らの尊敬する師を見付けて行く事になるのです。
なお、「一生涯にわたる哲学一貫教育」の所で述べているのですが、哲学対話室は小学校、中学校、高校だけでなく、大学、図書館、公民館等様々な教育・学習機関に設置します。
児童生徒が自らの学校だけでなく、他の小中高校や大学、図書館、公民館等々で哲学対話を行なう事を奨励します。
すなわち、小学生、中学生、高校生、大学生、一般人が入り乱れて哲学対話があらゆる場で行われる事になるのです。
これにより、日本に哲学的風土が形成されて行く事になるのです。
哲学一貫教育が完成した暁には、全ての国民が哲学的に成熟していきます。
あらゆる場で哲学的会話が交わされるようになります。
その様な中で、真に哲学的に優れた者が生まれ育って行く事になります。
彼らが日本をリードし、そして日本は哲学者(真善美を愛する者)たちが統率する哲学(真善美を愛する)国家となるのです。
これで哲学一貫教育の完成です。
哲学一貫教育は目的を果たした事になるのです。
以上の様に「対話」がとても大切です。
ですので、小中高校に設置する「哲学対話室」の運営は細心の注意を払わなければならないのです。
勿論哲学的素養のある教師が、哲学対話室において、児童生徒と哲学対話を行なう事になりますが、それだけでは十分ではありません。
外部の血を大幅に導入しなければなりません。
それでこそ学校も活性化します。
それでこそ児童生徒も自らの尊敬する師を見付ける事が出来るのです。
『週1回2時間の哲学ボランティア(ソクラテスを求む)』、これの大々的なキャンペーンを張ります。
哲学的に優秀な大人が入って来てこそ、学校にも哲学風土が生まれると言うものなのです。
以上で、「対話」に関する説明を終わりたいと思います。
最後に「実践」ですが、これは本人の意志に関する事であり、誰も強制する事は出来ません。
しかし哲学一貫教育により、哲学的に成熟していけば、その実践もより容易になります。
また、「一生涯にわたる哲学一貫教育」(下記3を参照の事)が充実していけば、日本国が哲学的風土(真善美を愛する風土)に包まれますので、その実践はより容易になるのです。
なお、「特別活動」や「総合学習」は、哲学一貫教育で学んだ事の実践の場となります。
その事は特別に位置付けをしなくてもそうなるのです。
何故なら、哲学とは自らの事と自らに関係する全ての事を学ぶ事なのですから・・・。
なお、「総合学習」は学校を出て、身近な自然や社会に触れる機会とすべきです。
何故なら、今回の学習指導要領で定める学校内で行なう「総合学習」については、全て「哲学一貫教育」で引き受けるからです。
以上で、哲学一貫教育における所の、「読書」と「思索」と「作文」と「対話」と「実践」に関する説明を終わりたいと思います。
小中高校哲学一貫教育が成功する鍵は三つあります。
一つ目は、勿論、小中高校での正式な哲学一貫教育の導入です。
二つ目は、「一生涯にわたる哲学一貫教育」です。これについては、下記3の「一生涯にわたる哲学一貫教育について」に詳述しているので後ほどご覧頂きたいと思います。
三つ目が、大学教育学部における徹底した哲学教育です。
教育は教師によって行なわれます。
現在の教育の退廃、それは教師に哲学的素養が無いからです。
教育改革、それは大学教育学部における徹底した哲学教育から始まるのです。
その方法をこれからお示ししたいと思います。
なお、教育学部のおける哲学教育の目的は、ヘーゲル研究家やカント研究家を育てる事ではありません。
小中高校哲学一貫教育を充実させる為です。
その為にも、その教育方法は小中高校哲学一貫教育に準じたもので無ければならない事になります。
教育学部における哲学教育の方法、それもやはり「言霊」による教育となります。
教育学部の学生も言霊で徹底的に揺さぶります。
そこから自らの世界に入って貰います。
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美を追求する事。
哲学とは「汝自身を知れ」、自らを深く追求する事。
哲学とは自らの中に真善美に溢れた世界を築く事。
教育学部の哲学教育ではその様な材料をふんだんに提供します。
哲学的素養のある者とは、知恵を愛する者、自らを深く知ろうとする者、この素敵な世界を愛する者。
教育学部の哲学教育ではその為のカリキュラムをふんだんに提供します。
さて、それではその哲学教育の内容をお示ししたいと思います。
先ず初めにお断りして置きますが、びっくりしないで下さいね。その授業時間の多さに。
しかし、この哲学教育を完全に実施すれば、世界に類例の無い教育学部の学生が養成されます。
その結果として、当然ですが、世界に類例の無い教師たちが誕生して行く事になるのです。
ここでもう一度念を押しておかなければならないと思いますが、哲学教育だけを徹底しなさいと言っているのではありません。
哲学教育と教科(専門)教育を両立させて、徹底しなさいと言っているのです。
哲学教育と教科(専門)教育が両輪で回転してこそ、知恵と知識に優れた学生が育成される事になるのですから・・・。
なお、教科(専門)教育については、これまでの教授法で良いと思います。
それでは、教育学部における哲学教育の内容を説明していきます。
先ず、哲学を必修とします。
哲学の授業については、週3回とし、1年から4年まで通年で受講するものとします。
哲学の総単位数は48単位(4単位×週3回×4年間=48単位)とします。
なお、単位については、90分授業、全期、28授業時間を4単位と想定しています。
半期、14授業時間は2単位となります。
授業内容は以下の通りです。
(省略)
以上が、教育学部における哲学教育の内容です。
膨大なようですが、教育学部の学生が学ぶべきものです。
なお、最近は教育学部の学生でも最初から教師を志向しない者もいるようですので、そ
の様な者にまで、上記の哲学教育を徹底する必要な無いと思います。
上記の哲学教育はあくまでも、教師になる為のものです。
すなわち、教師=全人教育の当人=哲学的素養のあるべき人の為の教育ですので、上記
哲学教育については、教師の免許を取る為の必修科目とする事としましよう。
上記の哲学教育を徹底すれば、言語能力に優れ、道徳性が高く、かつ学習意欲の高い教
師が生まれて来る事については、間違いありませんので・・・。
さて、非常に長くなってしまいましたが、今回の学習指導要領に対して私が言いたい事
を纏めると以下のゴッチクの通りです。
もし一言で言えば次の通りとなります。
『小中高校の学習指導要領の中に小中高校哲学一貫教育を導入して頂きたい。もし正式
に導入できないのであれば、運用の中で実施して頂きたい。小中高校哲学一貫教育とは小学校1年から高校3年までの12年間の哲学テーマに関する徹底した読書と作文教育の事である。この教育により、日本の児童生徒の言語能力及び道徳性は世界に優れたものとなる。』
小学校、中学校、高等学校の学習指導要領の中に、『小中高校哲学一貫教育』を導入して
頂きたい。
『小中高校哲学一貫教育』とは、週2時間の哲学の授業を小学校1年から高等学校3年
までの計12年間継続して行うものである。
哲学教育の内容は、読書と作文と対話とする。
この内、読書と作文を授業の対象とし、対話は課外において行われるものとする。
週の最初の時間を読書の時間とし、週の最後の時間を作文の時間とする。
読書の時間には「哲学読本」を読み、作文の時間には哲学読本の読書を契機とした自由
作文を「哲学ノート」に書く。
なお、「哲学読本」は一つの哲学テーマに関して、古今東西の名著の中の名文中の名文を
3編程度掲載したものである。
哲学一貫教育は、「哲学読本」の名文中の名文により、児童生徒の言霊を震わし、その言
霊の記録を「哲学ノート」に記入する事により、児童生徒の言語能力と道徳性と学習意欲を高めて行く事にある。
対話については、課外において、学校図書館に隣接して設置される「哲学対話室」において行われる。
哲学対話室において、児童生徒は自らの知恵の総力を挙げて、哲学的素養のある大人に向かう事になる。
これにより、本当の意味で、言語能力、道徳性、学習意欲に優れた児童生徒が育成される事になる。
言語能力と道徳性と学習意欲を高める為には、『小中高校哲学一貫教育』しかない。
哲学一貫教育とは、徹底した読書と作文の反復の事である。
そしてそのテーマが哲学(道徳)であると言う事である。
哲学一貫教育とは、徹底した言語教育の事であり、徹底した道徳教育の事である。
なお、『小中高校哲学一貫教育』を完成させる為には、大学教育学部において、徹底して哲学教育を行い、哲学的素養のある教師を育てていかなければならない。
最後に、小中高校哲学一貫教育の基本理念ともなるべき孔子の言葉を置いて、意見の陳述を終えたいと思います。
「學而不思則罔、思而不學則殆」(論語、巻第一、為政第二、第十五節)
敬具
平成20年3月9日
哲学哲男
追伸
以下は、「小中高校哲学一貫教育について」及び「一生涯にわたる哲学一貫教育について」の実施要領並びに「分野別哲学テーマ例」です。
併せてご覧頂きたいと思います。
なお、小学校低学年においては、読書能力、作文能力が十分でないので、特別なカリキュラムを組んでいます。下記1をご参照下さい。
参考資料
下記1「小中高校哲学一貫教育について」
下記2「分野別哲学テーマ例」
下記3「一生涯にわたる哲学一貫教育について」
________________________________________
下記1
【小中高校哲学一貫教育について】
1 趣旨
小学校、中学校、高校において哲学教育を一貫して行う。
2 方法
小学校、中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とする。
高校においては、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とする。
これにより、小中高校における週2時間の哲学一貫教育を実施する。
3 哲学教育の基本的な考え方
哲学教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を求める事とする。
4 哲学教育における目標
自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものとし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する。
5 哲学教育における哲学テーマ
現在の小学校・中学校学習指導要領の道徳のテーマと同じく、①自分に関する事、②他人との関係に関する事、③社会に関する事、④自然に関する事の四分野とし、それぞれの分野ごとに更に哲学テーマを設定する。(各分野における哲学テーマ例は下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事。)
なお、各学年ごとにそれぞれに相応しい哲学テーマを設定する事とし、テーマ数は、各学年ごとに4分野合わせて30程度とする。
6 哲学読本
各学年ごとに1冊作成する。
各学年ごとに設定した30程度の哲学テーマそれぞれ1つごとに、そのテーマに関する3編程度の読み物を掲載する。(授業1時間で読める程度の分量とする。)
なお、読み物は、名著の中から名文中の名文を選択する。
また、読み物は哲学書からだけでなく、広く文学書等(小説、随想、評論、、詩、科学論文等)からも広く採択する。
哲学読本は、黙読が原則であるので、振り仮名を付ける。
※何故読み物は名著の中の名文中の名文でなければならないのか。それはその言葉がその児童生徒が死ぬまで古くならないからであり、その言葉がその児童生徒が死ぬまで魔力を持ち続けるからであり、また児童生徒がその言葉に魅力を感じた時、何時でも原著に向かえるからである。名文中の名文とは時の練磨を経ており何時でも新しい。児童生徒が大人になっても常に新しく在り続ける。すなわちその言葉がその人の中で生き続けるのである。
7 哲学ノート
各学年ごとに1冊作成する。
各哲学テーマについて、児童生徒が書く為の作文ノートとする。(児童生徒は小中高の成長の軌跡を自らにおいて確認できる。)
8 授業の進め方
授業時間は週2時間とする。
週の最初の時間を読書に、週の最後の時間を作文に充てる。
読書の時間には、哲学読本に掲載されている1つの哲学テーマに関する3編程度の読み物を読む。黙読とする。
作文の時間には、そのテーマについての自由作文を哲学ノートに書く。なお、作文は読み物に関する感想文ではなく、読み物を契機にした自由作文とする。
9 哲学教育における読書、思索、作文、対話のあり方
読書については週1時間、作文についても週1時間充てる。
思索については読書の時間及び作文の時間に当然に行われる。また読書時間と作文時間の間にも意識的、無意識的に行われる。
対話については課外に行われる事を期待する。
なお、哲学的素養のある教師が哲学サークルを作り、そこで哲学的対話が行われる事を奨励する。哲学的素養のある教師の下に多くの哲学サークルが生まれる事を期待する。(本来の意味での師弟教育、自らが選択した尊敬する教師の下での師弟教育が行われる事を期待する。アカデミア的な雰囲気が生まれる事を期待する。)
10 哲学教育における評価
哲学教育においては、評価は行わない。作文についても、評価しない。
なお、哲学は教科ではなく、現在の道徳と同じ様にただ単に『哲学』とする。
11 哲学教育における小中学校担任教師の負担の軽減
哲学教育が小中学校の担任教師の負担とならないよう、担任教師の役割は作文が書かれているか否かの確認程度とする。(勿論作文の内容を読み込んで、生徒理解を深める事は大いに結構な事だが、毎週30名の作文を読む事には時間的な制約があると思われる。哲学の本質は自ら学び、自ら考える事にある。)
哲学的対話は、哲学的素養のある教師の下での哲学サークルに期待する。
12 哲学の授業における静謐の確保
哲学の授業の本質は、自ら学び、自ら考え、自らを確認する事にあるので、授業時間中は静謐を保つ事とする。
静謐の中で自分自身を深く考える機会とする。
13 高校における哲学教育
高校における哲学読本については、哲学者、思想家、科学者等の読み物を体系的に整理したものとする。なお、その場合でも解説書ではなく、哲学者、思想家等の原著の一節を切り出したものとする。
なお、高校における哲学教育については、哲学専任教師が担当する。
14 小学校低学年における哲学教育
小学校低学年においては作文能力が十分でないので、作文の時間は設けず、全て読書の時間とする。
読書の時間においては、教師の読み聞かせと児童の発表で構成する。(割合は読み聞かせ3に対して発表1程度とする。読み聞かせであれば、少々高度な内容であっても理解できる。静かに聞く能力を育てる。耳学問の大切さを知らせる。哲学読本は作成する。)
小学校低学年の読書の時間において、哲学の基礎的な問題を網羅する事とする。小学校低学年の読書の時間において、哲学的素養、哲学的素地を身に付けさせる。また、身近な自然についても哲学させる。
嘗ては古老や大人が子供たちに話を聞かせたが、教師がその役割を担うものとする。教師は朗読能力を高めるものとする。教師は現代の語り部となる。
15 哲学教育と他の教科教育等との役割分担
哲学教育において知恵を学び、教科教育において知識を学ぶ。
哲学において、教科(国語、数学、理科、社会等々)を総括し、統合する。
哲学において、教科の知識を生きた知恵に変える。
16 現代における哲学教育の必要性
現代は知識偏重の社会であり、応用能力が低くなってきている。
哲学教育により知恵を学ぶ事により、知恵と知識が共鳴する社会が生まれる。
17 哲学の本質
哲学(知恵を愛する事、真善美を求める事)により、自分が素晴しい存在である事に気付き、それに伴い回りの人間もまた素晴らしい存在である事に気付き、それに伴い社会の大切さを理解するようになる。
また、哲学により自然の美しさ、素晴しさを知る。
哲学教育は、現在道徳教育が目標としている事を実現させる唯一の道である。
18 現在の道徳教育の問題点
現在の道徳教育はあまりにも現場の教師に負担を求めすぎている。
現在の教師の道徳的能力はかなり低い。
その教師が幾ら道徳教育に力を入れても、道徳的能力は高まる事無く、更に低いほうへと落ちて行く。現在の道徳教育はこの悪循環を繰り返している。
子供たちは、素晴しい教材があれば、自ら啓発されていくものである。
19 今回の哲学教育における成否のポイント・・それは哲学読本
今回の哲学教育が成功するか否かは全て哲学読本にかかっている。
哲学読本は、考えるヒントであり、産婆役である。
哲学読本は、児童生徒の中に眠っている素晴しい存在を引き出す為のものである。
児童生徒の中に眠っている素晴しい存在とは、勇気であり、忍耐であり、節制であり、美であり、善であり・・・下記2の「分野別哲学テーマ例」に掲げている全てである。
20 哲学読本の作成方法
哲学読本については、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々の英知を結集して作成する必要がある。
また、国民の英知も結集する必要がある。(児童生徒に読ませたい名文を広く国民から募集する等。)
哲学読本の成否は、古今東西の名著の中からそれぞれの哲学テーマに関する名文中の名文を如何に集めるかにかかっている。哲学読本の成否が哲学教育の成否にかかっている。何故なら、哲学読本は児童生徒の中に眠っている素晴しい存在(勇気、忍耐、節制・・・)を生み出す為の産婆役だから・・・。
哲学読本は、全ての教科書会社がそれぞれに出版するものとする。
また、一般の出版会社が大人、子供それぞれの向けの哲学読本を出版する事を期待する。
21 哲学的対話
嘗ては古老や大人たちとの対話の中から、子供たちの中に眠る素晴しい存在が引き出されていた。
しかし現在はその機能が失われてしまった。
今回の哲学一貫教育においては、学校内に哲学的素養のある教師を中心にその様な哲学的対話の場(サークル)が生まれる事を期待する。
また、地域においても、哲学的素養のある人を中心にその様な場が出来る事を期待する。
哲学(真善美等を愛する事)は、対話によって完成していく。
哲学の授業で学んだ事を、対話で確認し、自分のものにしていく。
その為の様々な哲学サークルが生まれていく事を奨励する。
22 一生涯に渡る哲学一貫教育との連携
小中高校哲学一貫教育を土台として、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等における哲学一貫教育を完成させる。
小中高校哲学一貫教育と大学、社会教育、家庭教育における哲学教育との連携を図る。
具体的には、大学や地域の哲学的素養のある人々が小中高校に入ってきて、児童生徒と哲学的対話が行われる事を期待する。
また、家庭内においても哲学的対話が行われる機運を醸成する。
哲学的対話は担任の教師ではなく、哲学的素養のある教師や哲学的素養のある地域の人々に期待する。なお、哲学一貫教育が成熟してくれば、全ての教師の哲学的素養は高まっていく。(哲学的素養の無い教師は採用されなくなる。採用試験においては哲学に関する筆記及び口実試験を課する。)
なお、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等を通じての一生涯にわたる哲学一貫教育の実施要領については、下記3の「一生涯に渡る哲学一貫教育について」を参照の事。
23 大学教育学部における哲学教育コースの設置
現在の教育学部における哲学の位置付けは、社会科コース及び教育学コースの一部である。
哲学一貫教育を充実させる為、全ての教育学部に『哲学教育コース』を設置する。
24 自殺と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるかに気付く。
この事により、自殺は激減する。
25 差別、いじめと哲学一貫教育
哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか気付く。それにより他人もまた如何に素晴しい存在であるかに気付く。
この事により、差別、いじめは激減する。
26 性教育と純潔教育と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか、また他人も如何に素晴しい存在であるかに気付く事により、自ら純潔を守るようになる。
この事により、現在の過激な性教育(コンドーム及びピル教育=性交教育)は必要なくなる。
27 公衆道徳と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさを知る事により、社会の大切さを知るようになる。
この事により、公衆道徳意識が高まる。
28 環境保護と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさ、社会の大切さ、自然の大切さ、美しさを知るようになる。
この事により、環境保護意識が高まる。
29 教育基本法と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、教育基本法の精神に基づくものである。
哲学一貫教育において、教育そのものを哲学する。
30 芸術文化振興基本法と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、芸術文化振興基本法の精神に基づくものである。
哲学一貫教育において、芸術と文化を哲学する。
31 文字・活字文振興法と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、文字・活字文振興法の精神に基づくものである。
哲学の授業時における360回(35回×(6年+3年+3年))の読書と360回(35回×(6年+3年+3年))の作文、これにより文字・活字文化は飛躍的に発展する。
32 子どもの読書活動の推進に関する法律と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、子どもの読書活動の推進に関する法律の精神に基づくものである。
哲学一貫教育における読書は真の読書家を育てる。
読書は、消費財の消費ではなく、生産財の生産であるべき。良書は無限の富である知恵を人の心の中に育てる。
33 国民の祝日に関する法律と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、法に定める国民の祝日を哲学する。これにより社会に対する理解が深まる。
34 法律と哲学一貫教育
哲学一貫教育においては、全ての法律を哲学する事ができる。
男女共同参画社会基本法、高齢者化社会対策基本法、少子化社会対策基本法、障害者基本法、消費者基本法、土地基本法、海洋基本法、エネルギー政策基本法、原子力基本法、環境基本法、科学技術基本法、食料・農業・農村基本法、森林・林業基本法、水産基本法、災害対策基本法、交通安全対策基本法、食品安全基本法、自殺対策基本法、ガン対策基本法、教育基本法、文化芸術振興基本法、食育基本法等、各種基本法の前文、目的、目標、理念等を哲学する事により、法の求めている精神を理解する事ができ、社会に対する理解が深まる。
35 憲法と哲学一貫教育
憲法には、自由、平等、平和、戦争、人権、権利、義務、健康、文化、教育、勤労等々哲学の対象となるものが多く存在している。
憲法を哲学する事により、法の本質を知るようになり、遵法精神が高まる。
36 教養と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、360の哲学的テーマに関する古今東西の名著を読み、またその360の哲学的テーマ関する作文を書く事になる。これにより、日本人の教養のレベルは現在と比較にならないほど高くなる。哲学一貫教育は日本人の教養のレベルの底上げを図るものである。
37 国際交流と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、日本人の教養、道徳レベルは高まり、草根の国際交流においても恥じる事はなくなる。
38 国際評価と哲学一貫教育
海外より日本人は『哲学の民』と評される事になる。
古代ギリシアの民と比較されるほどになる。
39 真善美と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、日本に真善美が溢れる事になる。これが哲学一貫教育の最終理想である。
40 道徳と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、徳(勇気、忍耐、節制、寛容等々)と呼ばれているものを全て哲学する。
これにより、徳の概念を知り、自らを徳に導く。
41 自分と言う存在と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分が如何に素晴しい存在であるかを知る。
ここから全てが始まる。
自分自身が素晴しい存在であるとは、下記2の分野別哲学テーマ例に記載されてある全てが自分自身の中に素晴しい形で存在していると言う事に気付く事にある。その気付きから、それを引き出し、それを自分のものにしようとする。ここから哲学が始まる。この気付きが無ければ全ての哲学一貫教育は徒労である。この気付きについては、教師は決して教える事はできない。この気付きは児童生徒が自らにおいて気付かなければならない。この気付きを触発させるのが、古今東西の名著の中の名文中の名文である。言霊が言霊に触れて始めて、気付きが起こる。
なお、気付きは、小学1年生、中学1年生、高校1年生それぞれで良い。
おぼろげなるものからよりはっきりしたものへ、ここに小中高校哲学一貫教育の意義もある。
42 社会と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分自身が素晴しい存在である事に気付けば気付くほど、他人もまた同様に素晴らしい存在である事に気付くようになり、その結果、自分と他人との関係集団(家族、学校、国家等々)、すなわち社会もまた大切な存在である事に気付くようになる。更にその社会を取り巻く環境、そして自然もまた大切な存在である事に気付くようになる。
43 自然と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自然の美しさ、素晴しさ、そして自然の妙を知ようになる。
特に小学校低学年においてそれらを気付かせる機会を多く持つものとする。
例、季節、春、夏、秋、冬、朝、昼、夜、天気、晴れ、雨、曇り、雪、動物、犬、猫、牛、植物、草、花、木、森、海、山、川、太陽、月、星、体、目、口、鼻、耳、手、足、頭、土、砂、石、水、金等々
何故なら、自分の中に存在する素晴しいものと自然は相似しているからである。
児童生徒は素晴しい自然の具象の中に、自分自身の中に存在するそれと相似のものを予感する。
44 哲学読本の作成方法
各教科書会社において、名著を1000冊選ぶ。そしてこの名著の中から名文中の名文を数千編選び、これを更に精選し、学年別、分野別、各哲学テーマ別に配して、各学年ごとの哲学読本を作成する。
なお、小中高校を通じての哲学読本に掲載される名文中の名文は約1000編となる((30時間・テーマ×(6年+3年+3年))×3編=1080編≒1000編)
これにより、児童生徒は独りでに訓化されていく。(教師が幾らごちゃごちゃ言っても馬耳東風。知恵は自らでしか学べない。)
45 何故一つの哲学テーマに名文を3編掲載するのか
それは児童生徒に自らにおいて普遍を学んで貰う為である。
例えば、慈愛について、イエスの慈愛の言葉、ブッダの慈愛の言葉、マホメットの慈愛の言葉を掲載する。
この三つの言葉から三人に共通する普遍の慈愛を学んで貰うのである。
全ての哲学テーマについて、この様な方法で普遍を学んで貰う。
哲学一貫教育においては一切のイデオロギーから離れる。児童生徒が自らにおいて価値を学び、自らにおいて価値を確認し、自らにおいて価値を確立していく。アイデンティティの確立。
46 古今東西名著文庫及び哲学読本文庫
哲学読本に掲載した名著原典については、必ず学校図書館に供えるものとする。
また、全ての教科書会社が出版した哲学読本も、必ず学校図書館に供えるものとする。
47 哲学と教科の役割分担
教科の役割は正確な知識の伝授。その評価は知識の量(正確な記憶の量)であるべき。その評価はまたテストであるべき。
哲学はそれらの知識の意義を考え、それら知識を統合し、そしてその知識を自らの生活の中に生かしていく事にある。
現在の教育改革のもどかしさは、教科教育に哲学を求めている事にある。
この役割分担を明確にすれば、効率的に知恵と知識のバランスのある児童生徒が育てていく事ができる。
哲学一貫教育においては、教科を哲学し、教科の単元を哲学し、必要な場合に単元の中の言葉や公式をも哲学する。
これにより、教科は数段面白くなり、児童生徒は積極的に教科を学ぶようになる。
これにより、児童生徒の学力は飛躍的に上がる。世界に飛び抜けての学力国家となる。
そしてその知識は全てぴちぴちと生きているのである。
「哲学の民、日本人」の誕生である。
※哲学は教科とはぜず、現在の道徳と同じく「哲学」とする。なお、『哲学読本』は教科書に準じるものとする。(勿論無償とする。)
48 国語と哲学一貫教育
哲学一貫教育における哲学の授業とは、読書と思索と作文である。
これは国語教育と全く同じ事である。
国語教育の中にこの哲学を組み込んでも良さそうだが、しかしそれでは哲学の機能は全く埋没し効果は0である。
国語教育は他の教科教育と同じくその本質は教える事にある。
しかし哲学教育の本質は、自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものにし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する事にある。その契機が読書であり、その発展が思索であり、その確認が作文である。(確立、確定は対話である。)哲学は決して教える事はできない。
49 現在の道徳教育の問題点
現在の道徳教育の第一の問題点は、道徳を教えようとする事にある。
第二の問題点は、その教える事が何であるかはっきりしていない事にある。教材が無い。
第三の問題点は、教えるべき道徳を教師に求めている事にある。
現在の教師の道徳能力は低い。この教師に道徳を求めても土台無理である。もし教師に道徳教育を強く求めれば、教師は混乱し、その結果として児童生徒も混乱する。現在道徳教育の様に、当らず障らずと言う遣り方は現場の知恵である。
50 徳育と道徳教育と哲学一貫教育
教育再生会議で徳育と言う概念が打ち出された。
その概念については明確でないが、次のように規定するとする。
徳育は、教科であり、教科書がある。(そしてテストもある。)
もし徳育がその様な概念であれば、日本の道徳は現在に比べて比較にならない程よくなる。
教師は、何の迷いも無くその徳を徹底的に教え、児童生徒は何の迷いも無くその徳を徹底的に覚え込む。
これにより、日本の道徳は現在に比べて比較にならないほど良くなる。
一種の教条主義者を育てる事であり、一種のイデオロギー教育だが、その教条、そのイデオロギーはとても良いものであり、私は大賛成である。
しかし、哲学一貫教育における所の『哲学の民、日本人』を育てる事はできない。
善良な教条主義者を育てるか、それとも「哲学の民、日本人」を育てるか、確かに判断に迷う。徳育は哲学一貫教育の道ならしにはなる。徳育を5年間試行し、その後哲学一貫教育に持って行くと言う方法も確かにある。
51 総合学習と哲学一貫教育
総合学習は正に哲学教育の体験、体感の場である。
哲学教育の授業、すなわち読書、思索、作文において、自分自身の素晴しさ、周りの人々の素晴しさ、社会の素晴しさ、自然の素晴しさを概念的に知る。
総合学習においては、これら素晴らしきものを体験、体感する。すなわち人々との対話であり、社会との対話であり、自然との対話である。
具他的には、身近な自然、海、山、川、森、田、畑、公園、公民館、他の小中高校、幼稚園、大学、役場、職場、老人クラブ、婦人会、福祉施設等々考えられる限りの自然、社会に飛び込み、それぞれとの哲学的対話を進める。学校を離れる。
なお、総合学習の時間は月2回程度とし、午後の時間全てを大胆に充てる。(場合によっては昼食の時間も含める。授業時間は1回当たり4授業時間(コマ)とする。)
52 哲学的対話サークル
哲学的素養のある教師が哲学対話サークルを設置する事を奨励する。
また哲学的素養のある地域の人(父兄だけでなく会社、役場、教育機関、公民館等々勤務する人々を含む)が、学校内に哲学対話サークルを設置する事を奨励する。多くのソクラテスが学校入って来る事を期待する。アカデミア的な雰囲気が学校内に醸成される事を期待する。
具体的には、図書室等に隣接して、哲学対話室を学校の規模に応じて1から5程度設置し、哲学的素養のある教師や地域の哲学的素養のある人々が、日替わりで児童生徒との哲学的対話に応じる。
児童生徒は自らの知識を総動員して、自らの尊敬する哲学的素養のある人々に向かう。ある意味では知恵の総力戦である。
哲学対話サークルに通う事が、児童生徒のある意味でのステータスシンボルになる。
哲学対話サークルに通う児童生徒が、学級会活動、児童生徒会活動を牽引するようになり、学校に哲学的雰囲気が醸成される。
彼らが卒業して、世の指導者となり、日本は哲学的国家としての道を進む事となる。
なお、「一生涯にわたる哲学一貫教育」(下記3の要領を参照の事)において、大学、公民館、図書館等においても、それぞれ哲学的対話サークルが設置される事になるが、児童生徒が学校を超えてこれらの哲学的対話サークルと交流する事を奨励する。
様々な哲学的対話サークルにおいて、哲学的対話交流を深める事に依って、真に哲学的に優秀な児童生徒が育成される。彼らが大学等で更に哲学を深め、世に出て指導者となる。これにより、日本は哲学的国家への道を進む事になる。
53 『哲学の民、日本人』、『哲学国家、日本』の誕生
哲学一貫教育により、「哲学の民、日本人」が誕生する事になる。
また、「哲学の民、日本人」の中の真の哲学者が世を指導する事になり、「哲学国家、日本」が誕生する事になる。
54 読書、思索、作文、対話、行為と哲学一貫教育
哲学教育の授業において、読書と思索と作文が行われる。
対話については、哲学的対話サークルにおいて行われる。
行為は自らが行う。誰も行為を強制する事はできない。
読書において真善美等が想起され、思索において真善美等が深められ、作文において真善美等が確認され、対話において真善美等が確定確立され、行為によって真善美等が実践される。
55 哲学の意義と哲学国家日本
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美等を愛する事。
哲学国家日本とは真善美等の溢れる国家となる。
しかし真善美は一つではない。
日本国の真があり、日本国の善があり、日本国の美がある訳ではない。
真善美は国民一人一人にそれぞれある。
哲学国家日本とは、国民一人一人の真善美等がハーモニーをなす国家の事である。
しかし、それら国民一人一人の真善美は一つのものに集約される傾向にある。
それが日本人である所以であり、また人間でもある所以である。
その一つとは知恵と言って良いのかも知れない。
56 哲学一貫教育の究極の基礎、それは『汝自身を知れ』
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
知恵とは何か。それは究極の意味での本当の自分自身。
その本当の自分自身を突き詰めて行くと、人類の普遍の様なものに突き当たる。
そこから、猛烈な知識欲が湧き上がる。
そこから、人間の素晴しさ、社会の大切さ、自然の素晴しさ、大切さを知るようになる。
そこから、隣人愛、兼愛、慈愛、仁、惻隠、人類皆兄弟等々と言った思想が生まれて来る事になる。
そこから、真善美等々と言った諸々の思想が生まれて来る事になる。
知恵とは何か。それは本当の自分自身。そこは無限の宝の宝庫。知恵の泉。打ち出の小槌。
哲学一貫教育の基礎、それは『汝自身を知れ』にある。
57 結論
哲学一貫教育の素晴しさを縷々述べてきましたが、未だ述べたりません。
と言うよりも、哲学一貫教育の素晴しさにはきりが無いのです。
哲学一貫教育は現代の全ての問題を綺麗さっぱりと解決して呉れる魔法のです。
自殺、いじめ、差別、不登校、無気力、学力低下、道徳低下、性の乱れ等々、現代の全ての問題を哲学一貫教育は綺麗さっぱり解決して呉れるのです。
その魔法の秘密は『汝自身を知れ』にあります。
どうか皆さんも汝自身を知って下さい。
そうすれば『哲学一貫教育』以外如何なる方法も無い事に気付く筈です。
どうか哲学一貫教育を推進して下さい。
________________________________________
下記2
【分野別哲学テーマ例】
分野 字 哲学テーマ
参考 小
低 小
高 中学 高校
自分 私 私 自分、自己、自我、私、僕、俺 ○ ○ ○ ○
自分 感 感覚 五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、見る、聞く ○ ○ ○ ○
自分 感 感情 愛情、友情、喜怒哀楽、優しさ ○ ○ ○ ○
自分 感 感動 ○
自分 思 思想 思い想う事、人はいつも思想している ○ ○ ○ ○
自分 思 思索 ○
自分 知 知恵 ○
自分 知 知識 ○
自分 意 意識 ○
自分 志 志 ○
自分 心 心 ○ ○ ○ ○
自分 精 精神 ○
自分 理 理性 ○
自分 論 論理 ○
自分 喜 喜怒哀楽 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ ○
自分 意 意志 意志により精神・肉体が統一される ○ ○ ○ ○
自分 勇 勇気 ○
自分 忍 忍耐 ○
自分 節 節制 ○
自分 質 質素 質素、簡素 ○
自分 節 節約 節約、倹約 ○
自分 清 清潔 ○
自分 整 整理 整理整頓 ○
自分 元 元気 ○
自分 情 情熱 ○
自分 正 正直 正直、素直、率直 ○
自分 高 高潔 高潔、高尚 ○
自分 清 清廉 清廉潔白 ○
自分 廉 廉恥 廉恥、羞恥、 ○
自分 良 良心 ○
自分 冷 冷静 ○
自分 平 平常心 ○
自分 自 自制心 ○
自分 慎 慎重 ○
自分 丁 丁寧 ○
自分 忠 忠実 ○
自分 誠 誠実 ○
自分 堅 堅実 ○
自分 篤 篤実 篤実、篤行、篤志、篤学 ○
自分 分 分別 ○
自分 克 克己 ○
自分 決 決意 決意、決心、決断 ○
自分 信 信念 ○
自分 正 正義 ○
自分 中 中庸 ○
自分 柔 柔和 柔和、温和 ○
自分 敬 敬虔 ○
自分 信 信仰 ○
自分 祈 祈り 祈念、祈願 ○
自分 夢 夢 ○
自分 希 希望 ○
自分 理 理想 ○
自分 努 努力 ○
自分 練 練習 練習、訓練、練達、修練、練成 ○
自分 習 習慣 ○
自分 経 経験 ○
自分 積 積極性 ○
自分 学 学習 ○
自分 向 向上心 ○
自分 反 反省 ○
自分 探 探究 探究、研究 ○
自分 表 表現 ○
自分 創 創造 ○
自分 自 自分 ○
自分 自 自由 自由、自主、 ○
自分 自 自信 ○
自分 真 真 ○
自分 善 善 ○
自分 美 美 ○
自分 力 力 ○
自分 孤 孤独 ○
自分 畏 畏敬 ○
自分 言 言葉 ○ ○ ○ ○
自分 価 価値 価値論 ○
自分 人 人生 人生観 ○
自分 世 世界 世界観 ○ ○ ○ ○
自分 幸 幸福 幸福論 ○ ○ ○ ○
自分 読 読書 思想の契機 ○
自分 作 作文 思想の完成 ○
自分 勉 勉強 知識、知恵の統一 ○ ○ ○ ○
自分 哲 哲学 philosophia=知恵を愛する事。真善美等の探究 ○ ○ ○ ○
関係 学 学校 学校、小学校、中学校、高校 ○ ○ ○ ○
関係 人 人間 人間、人 ○ ○ ○ ○
関係 人 人類 ○
関係 家 家族 家、家族、家庭 ○ ○ ○ ○
関係 父 父母 父、母、親 ○
関係 兄 兄弟姉妹 兄、弟、姉、妹 ○
関係 伯 伯父・伯母 伯父、伯母、従兄弟 ○
関係 祖 祖父母 ○
関係 祖 祖先 ○
関係 子 子孫 ○
関係 子 子供 子供の日に寄せて ○
関係 誕 誕生 ○
関係 親 親族 ○
関係 大 大人 ○
関係 友 友 友、友達、友情、友愛、親友 ○ ○ ○ ○
関係 先 先生 ○
関係 先 先輩・後輩 ○
関係 男 男性 ○
関係 女 女性 ○
関係 老 老人 高齢者 ○
関係 青 青年 青年、青春 ○
関係 少 少年 少年・少女 ○
関係 偉 偉人 偉人、賢人、哲人、聖人、英雄 ○ ○ ○ ○
関係 愛 愛 ○ ○ ○ ○
関係 慈 慈悲 慈悲、慈愛 ○
関係 仁 仁 仁愛、仁徳、 ○
関係 博 博愛 ○
関係 道 道徳 倫理、人倫 ○ ○ ○ ○
関係 倫 倫理 ○
関係 礼 礼儀 礼儀、行儀 ○
関係 儀 儀式 儀式、儀礼 ○
関係 行 行為・行動 行い ○ ○ ○ ○
関係 親 親切 ○
関係 寛 寛容 ○
関係 従 従順 ○
関係 謙 謙虚 謙遜、謙虚、謙譲 ○
関係 献 献身 ○
関係 孝 孝行 ○
関係 奉 奉仕 ○
関係 協 協力 協同、協調 ○
関係 共 共感 共感、共鳴、共存共栄、共同、調和 ○
関係 切 切磋琢磨 ○
関係 尊 尊敬 尊敬、敬愛 ○
関係 尊 尊厳 尊厳、威厳 ○
関係 恩 恩 報恩 ○
関係 感 感謝 ○
関係 敬 敬老 敬老の日に寄せて ○
関係 勤 勤労 勤労感謝の日に寄せて ○
関係 品 品格 品格、品性、品位、品行 ○
関係 信 信用 信用、信頼 ○
関係 公 公平 ○
関係 公 公正 ○
関係 公 公共心 公徳、公衆道徳 ○ ○ ○ ○
関係 平 平等 ○
関係 秩 秩序 ○
関係 常 常識 日常、常識 ○
関係 冠 冠婚葬祭 慶弔 ○
関係 交 交際 ○
関係 挨 挨拶 ○
関係 対 対話 対話、会話 ○ ○ ○ ○
関係 会 会議 会議、協議、論議、討議 ○
関係 議 議論 議論、弁論、言論 ○
関係 意 意見 ○
関係 説 説明 説明、説得 ○
関係 集 集団 集団、集い ○
関係 約 約束 約束、契約、誓約 ○ ○ ○ ○
関係 義 義務 ○
関係 責 責任 ○
関係 権 権利 ○
関係 自 自立 自立、独立、立志、立身 ○
関係 旅 旅 ○
社会 社 社会 ○ ○ ○ ○
社会 生 生活 ○ ○ ○ ○
社会 衣 衣食住 衣服、食事、住居 ○ ○ ○ ○
社会 仕 仕事 ○
社会 職 職業 ○
社会 労 労働 ○
社会 産 産業 農業、林業、水産業、商業、工業 ○ ○ ○ ○
社会 国 国家 建国記念日 ○ ○ ○ ○
社会 文 文化 文化の日 ○ ○ ○ ○
社会 文 文明 ○
社会 平 平和 ○ ○ ○ ○
社会 伝 伝統 ○ ○ ○ ○
社会 環 環境 ○ ○ ○ ○
社会 地 地球 ○ ○ ○ ○
社会 地 地域 ○
社会 郷 郷土 ○ ○ ○ ○
社会 資 資源 ○
社会 土 土地 ○
社会 生 生産 ○
社会 道 道具 ○
社会 町 町・村 ○
社会 祭 祭 ○
社会 祝 祝日 それぞれの国民の祝日の意義を哲学する ○
社会 公 公園 ○
社会 図 図書館 ○
社会 博 博物館 ○
社会 道 道 道、道路 ○
社会 港 港 ○
社会 都 都市 都市、都会 ○
社会 安 安全 安全、安心、保安 ○
社会 福 福祉 社会福祉、援護、介護、看護、保護 ○
社会 制 制度 社会制度 ○
社会 体 体制 社会体制 ○
社会 集 集団 ○
社会 組 組織 ○
社会 国 国民 ○
社会 民 民衆 民衆 ○
社会 情 情報 新聞、テレビ、マスコミ、インターネット ○
社会 世 世界 現代世界、古代世界、世界情勢 ○ ○ ○ ○
社会 国 国際 国際化、国際交流 ○
社会 言 言語 ○
社会 民 民族 ○
社会 宗 宗教 ○
社会 法 法 法、決まり ○ ○ ○ ○
社会 憲 憲法 憲法記念日 ○ ○ ○ ○
社会 法 法律 ○
社会 政 政治 ○
社会 経 経済 ○
社会 地 地理 ○
社会 歴 歴史 ○
社会 教 教育 ○
社会 文 文学 ○
社会 科 科学 ○ ○ ○ ○
社会 芸 芸術 ○ ○ ○ ○
社会 学 学問 ○ ○ ○ ○
社会 国 国語 言(ことば) 教科を哲学する ○
社会 数 数学 数 〃 ○
社会 理 理科 理(ことわり) 〃 ○
社会 社 社会 社(やしろ) 〃 ○
社会 美 美術 美 〃 ○
社会 音 音楽 〃 ○
社会 技 技術 技(わざ) 〃 ○
社会 体 体育 体(からだ) 〃 ○
社会 時 時間 ○ ○ ○ ○
社会 時 時代 ○
社会 現 現代 ○
社会 古 古代 古代哲学者たちの素晴しさを知る ○
自然 自 自然 ○ ○ ○ ○
自然 季 季節 ○ ○ ○ ○
自然 春 春 春分の日に寄せて ○
自然 夏 夏 夏至に寄せて ○
自然 秋 秋 秋分の日に寄せて ○
自然 冬 冬 冬至の日に寄せて ○
自然 天 天気 天気、天候 ○ ○ ○ ○
自然 雨 雨 ○
自然 晴 晴れ ○
自然 曇 曇り ○
自然 風 風 ○
自然 天 天文 天文、宇宙 ○ ○ ○ ○
自然 太 太陽 ○
自然 星 星 ○
自然 月 月 ○
自然 空 空 ○
自然 朝 朝 ○
自然 昼 昼 ○
自然 夜 夜 ○
自然 気 気候 ○
自然 風 風土 風土、風俗 ○
自然 災 災害 天災、自然災害、地震、台風、大雨 ○
自然 生 生物 ○
自然 生 生命 ○
自然 動 動物 ○ ○ ○ ○
自然 犬 犬 ○
自然 猫 猫 ○
自然 牛 牛 ○
自然 鳥 鳥 ○
自然 虫 虫 ○
自然 魚 魚 ○
自然 植 植物 ○ ○ ○ ○
自然 花 花 ○
自然 草 草 ○
自然 木 木 緑の日に寄せて ○
自然 森 森 ○
自然 大 大地 ○ ○ ○ ○
自然 土 土 ○
自然 水 水 ○
自然 火 火 ○
自然 海 海 海の日に寄せて ○
自然 山 山 ○
自然 川 川 ○
自然 田 田・畑 ○
自然 色 色 ○
自然 体 体 体、身体、肉体 ○ ○ ○ ○
自然 目 目 ○
自然 耳 耳 ○
自然 口 口 ○
自然 鼻 鼻 ○
自然 手 手 ○
自然 足 足 ○
自然 呼 呼吸 ○
自然 心 心臓 ○
自然 脳 脳 ○
自然 命 命 ○ ○ ○ ○
自然 健 健康 ○ ○ ○ ○
※1 分野は、小学校・中学校学習指導要領「道徳」に定める4分野と同じである。
「自分」は自分自身に関する事、「関係」は他人との関係に関する事、「社会」は社会に関する事、「自然」は自然に関する事である。
※2 「小低」とは小学校低学年の事、「小高」とは小学校高学年の事である。
「小低」「小高」「中学」「高校」の○印は学ぶべきステージの単なるイメージである。
※3 「知恵」と「愛」については、毎学年において取り上げるものとする
※4 上記の哲学テーマは全て児童生徒の中に存在しているものである。哲学一貫教育ではこれらを教える事ではなく、これらが素晴しい形で自らの中に存在している事を気付かせる事にある。これらの存在を気付かせてあげる方法が名文中の名文と言う事になる。言霊が言霊に触れて、これらが自らの中に素晴らしい形で存在している事に気付いていくのである。
________________________________________
下記3
【一生涯に渡る哲学一貫教育について】
1 趣旨
日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民になる事を目指す。
なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を愛する事と解する。
2 方法
① 小学校、中学校、高校
・小中学校の道徳を廃止し、哲学とし、週2時間とする。
高校の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、週2時間とする。
これにより、週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
哲学の授業においては、読書、思索、作文を対象とする。週の最初の時間に読書を、週の最後の時間に作文を行う。思索はそれぞれの時間に行われる。
なお、小中高校哲学一貫教育の詳細については、上記1の「小中高校哲学一貫教育について」を参照の事。
・小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、学校内の教師、児童生徒だけでなく、大学や地域の哲学的素養のある人が入り込み、哲学的対話が行われる事を奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。
② 大学
・哲学を必修とする。
・講義は週1回とし、1年から4年まで通年で受講するものとする。
・1年から2年までは教養哲学とする。小学校、中学校、高校で学んできた哲学を完成させる。なお2年次の最終学期には、自らの哲学体系を纏め、評価を受けるものとする。
・3年から4年までは専門哲学とする。それぞれの学部、例えば「経済」「経営」「法律」「社会」「教育」「工学」「医学」「理学」「文学」「体育」等、そのものについての様々な文献を研究し、それぞれに関する自らの哲学を確立する。自らの経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学、等々を完成させる。
・大学における哲学においては、「哲学―専門哲学―専門知識」に関する知恵・知識の有機的な体系を完成させる事を目的とする。(専門馬鹿にならず、哲学的素養のある科学者を育てる事を目的とする。)
・大学内に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、大学内の教師、学生だけでなく、他の大学の教師や学生、地域の人々、更には小中学校の教師、児童生徒が入り込み、様々な哲学的対話が行われる事を奨励する。
④ 社会教育
・公民館、図書館に哲学講座を開設する。
・図書館の哲学関係図書の充実を図る。
・成人の日に際して、古今東西の名文中の名文を集めた哲学読本(一生涯を通じての座右の書となるよう読本とする。広辞苑サイズ)を財団等を通じて配布する。
・公民館及び図書館に哲学対話室を設置する。哲学対話室においては、地域の人々だけでなく、小学校、中学校、高校、大学の教師や児童、生徒、学生が入り込み、多くの哲学的対話が行われる事を奨励する。
⑤ 家庭教育
・結婚に際して、結婚、家族、人生等に関する名文中の名文を集めた哲学読本を財団等を通じて配布する。
・家庭内における哲学的対話が図れるような機運を醸成する。
・学校の哲学一貫教育と連携し、親子の哲学的対話の図れるよう機運を醸成する。親子で一緒に哲学読本を読み、親子で一緒に哲学テーマについて語るような機運
を醸成する
・第一子出産に際して、幼児読み聞かせ用の哲学読本を財団等を通じて配布する。読み聞かせ運動を展開する。
⑥ 哲学的対話(哲学対話室)
・小学校、中学校、高校、大学、公民館、図書館等に哲学対話室を設置する。
これらの対話室では、小学校、中学校、高校、大学の教師、児童、生徒、学生、地域の人々が垣根を越えて哲学的対話が行われることを奨励する。
特に、大学や地域の哲学的素養のある人が、小中高校に入り込み、学校内の対話室において児童生徒と哲学的対話が行われることを奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。
・様々な場において多くの哲学的対話が行われる事により、日本全土に哲学的な雰囲気が醸成される。
3 哲学一貫教育の役割分担
哲学一貫教育は、読書、思索、作文、対話、行為によって完結する。
この内の、読書、思索、作文については、小学校、中学校、高校の哲学の授業において徹底底的に行われる。また大学において更に深められる。学校卒業後は、それぞれのステージの生涯学習で行われる。なお、公民館講座、図書館講座等において、その様な機会を提供する。また。成人式、結婚、出産等に際して、それぞれのステージに相応しい哲学読本を財団等を通じて配布する。
対話については、様々な場に設置される哲学対話室において行われる。
行為については、自らの意志において行う。
※日本はかつて「言霊の幸ふ国」(広辞苑)と呼ばれていました。哲学一貫教育では再度その様な国創り(真善美に溢れた国創り)を目指します。哲学一貫教育とは言霊による国創りの事なのかも知れません。
万葉集「言霊の幸ふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり」
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
各大学哲学担当教官宛て
平成20年11月作成(提唱せず)
哲学、倫理等の担当教官がいない大学については、学長等にお渡し下さい。
長文ですが、最終的には、貴大学への哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を提唱しています。
なお、返信は一切不要です。
拝啓
各大学哲学担当教官 殿
私は哲学一貫教育を提唱している者です。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟する事を目指して行う教育の事です。
この哲学一貫教育は大きく次の5つの柱から成っております。
① 小中高校哲学一貫教育
② 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
④ 哲学読本大全(全100巻)の作成
⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)の設置
①の「小中高校哲学一貫教育」とは、小中高校の12年間に渡って哲学教育を一貫して行うと言うものです。
具体的には、哲学の授業を週2時間とし、週の最初の時間にある哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編から5編程度読み、週の最後の時間にその読書を契機とし、その1週間の間に、その哲学テーマについて思索した結果を作文として纏める事となります。
これを小中高校の12年間一貫して行います。
小学校低学年では特別な配慮をしますが、単純に計算すると、小中高校12年間の間に、360の哲学テーマ(1年30哲学テーマ×12年間=360哲学テーマ)について、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、360の哲学テーマについて作文を書く事になります。
これにより、世界に類例が無いと言う程に哲学的に成熟した児童生徒が育成される事に成ります。
②の「小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う哲学一貫教育」ですが、これについては、小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、更に大学や公民館、家庭においても哲学教育を行うと言うものです。
大学については、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で毎週1回哲学の授業を受講するものとします。
なお、1,2年においては、教養哲学とし、小中高校で学んだ事を集大成します。
3,4年においては専門哲学とし、自ら学ぶ各学科を哲学するものとします。経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学、福祉哲学、スポーツ哲学、科学哲学等。
公民館においては、週1回の通年の哲学講座を開設するものとします。
家庭においても、哲学教育が行われるよう教材等の提供を行うものとします。
③の「大学教育学部における徹底した哲学教育」の実施ですが、これは哲学(知恵を愛する事)に優れた教師を育成する為に行います。
教育学部において哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週3回の哲学の授業を受講するものとします。
④の「哲学読本大全(全100巻)」ですが、これは、小中高校哲学一貫教育、大学における哲学教育、公民館における哲学教育、家庭における哲学教育等、全ての哲学一貫教育における教材となるものです。
哲学読本大全(全100巻)とは、国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編ずつ集めたものです。
哲学読本大全(全100巻)は、WEB上でも、無料で公開するものとします。
哲学読本大全(全100巻)は、小学校高学年でも読めるようルビを付すものとします。
哲学読本大全(全100巻)は、日本における『知恵の書』と成るものです。
⑤の「哲学フォーラム(哲学対話室)の設置」ですか、これは、全国全ての小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すると言うものです。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事を言います。
以上が、哲学一貫教育の概要ですが、これらの詳細については、今回添付しています、「冊子『哲学フォーラムと哲学一貫教育』メール送信用」をご覧頂きたいと思います。
なお、上記の①から⑤の内、①から④までは、予算上の制約、制度上の制約等があり、直ぐに実行に移す事は難しい状況にあります。
しかし、⑤の「哲学フォーラム(哲学対話室)の設置」については、何の制約もありません。
もし、設置しようと思えば、明日からでも設置する事が出来ます。
哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するのにお金は1円も要らないのです。
ただ、哲学ボランティア“ソクラテス”の情熱だけがあれば良いのです。
そう言う事で今回私は、哲学フォーラム(哲学対話室)に関係のあると思われる機関に対して、哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を提唱しています。
つきましては、貴大学においても、どうか哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂きたいと思います。
下記に、参考までに、その設置要領をお示ししたいと思います。
『大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の要領』
1 趣旨
大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の要領を示す。
2 哲学フォーラム大学名
① 哲学担当教官を中心に、哲学に関心のある教官、院生、卒業生その他で哲学フォーラム大学名(例:哲学フォーラム東京大学)を組織する。
② 代表は哲学担当教官、事務局は哲学担当教官の研究室とする。
③ 哲学フォーラム大学名が哲学フォーラム(哲学対話室)を運営する。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的な対話を行う部屋の事である。
※哲学の担当教官が居ない大学においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある教官等を中心に哲学フォーラム大学名を組織するものとする。
3 哲学ボランティア“ソクラテス”
① 哲学フォーラム大学名の構成員は全て、哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
② 哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者と哲学的対話を交わす事となる。
③ 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
④ 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、知恵を愛する事(哲学)に熱心な者とする。
⑤ 哲学フォーラム大学名設置後は、なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”を募るものとする。
4 哲学フォーラム(哲学対話室)の開設
① 哲学フォーラム(哲学対話室)については、毎週土曜日午後2時から午後5時の間、大学図書館の会議室を借りて開設するものとする。
② 哲学フォーラム(哲学対話室)は、その大学の関係者だけでなく、日本国民全てにその門戸を開くものとする。
③ 哲学フォーラムの開設時間中は、『哲学フォーラム(哲学対話室)』の表示を行い,更にその下に、「誰でも自由に勝手に許可無くお入り下さい」「この部屋は誰もが気軽に自由に哲学的テーマについてお話をする為の広場です」等々の表示をするものとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限アピールするものとする。
④ 哲学フォーラム開設時間中には、必ず二人以上の“ソクラテス”が常駐するものとする。なお、訪問者が多い場合は、それに応じて“ソクラテス”の数を増やして行くものとする。
⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)において、“ソクラテス”と訪問者が一対一で、または数人で様々な哲学テーマについて哲学対話を交わす事になる。
5 各大学、各公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)との連係
各大学、各公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)と、連携、交流を図るものとする。
なお、全国全ての大学及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)は、必ず、毎週土
曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとする。
これにより、『哲学フォーラム巡り』と言う新たな社会的な楽しみが生まれる事になる。
若者を中心に『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』と言う合言葉も生まれる事にな
る。
6 小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)との連携
大学の哲学フォーラムの“ソクラテス”は、なるべく多くの小中高校及び公民館の哲
学フォーラムの“ソクラテス”と成るものとする。
特に、院生、学生は積極的に小中高校の哲学フォーラムの“ソクラテス”と成るもの
とする。
7 哲学ボランティア“ソクラテス”の誕生
哲学フォーラム(哲学対話室)において、哲学ボランティア“ソクラテス”との哲学対話を重ねる事により、哲学に熱心な者の中から、新たな哲学ボランティア“ソクラテス”が生まれる事となる。
この哲学ボランティア“ソクラテス”が、また地域で、学校で、家庭で哲学対話を重ねる事により、また哲学に熱心な者の中から、新たな哲学ボランティア“ソクラテス”が生まれる事になる。
この様にして、多くの哲学ボランティア“ソクラテス”が誕生して行く事となる。
8 哲学フォーラムにおける『哲学』の意義
哲学フォーラムにおける『哲学』とはphilosophia、知恵を愛する事。
知恵を愛するとは、真善美に溢れた言葉を愛する事。
真善美に溢れた言葉を愛するとは、真善美に溢れた自分自身を愛する事。
哲学フォーラムにおける『哲学』の本質は、『汝自身を知れ』にある。
なお、真善美に溢れた言葉を愛する為には、真善美に溢れた言葉に触れなければいけない。
この真善美に溢れた言葉を集めたものが、哲学読本大全(全100巻)である。
哲学読本大全により、真善美に溢れた言葉に触れる事により、その真善美に溢れた言葉が自分自身の中に存在している事を知るようになり、また哲学対話により、その真善美に溢れた言葉が相手の中にも存在している事を知るようになる。
この様な事を繰り返して行く内に、その真善美に溢れた言葉が自分自身のものと成って行く。
そして、その結果として、真善美に溢れた自分自身を知る事となるのである。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、素晴らしき存在としての自分自身を確認する場となる。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、必ずや、素晴らしき大学生を育てます。
どうか、貴大学においても、哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して下さい。
敬具
平成20年11月 日
哲学哲男
追伸
「冊子『哲学フォーラムと哲学一貫教育』メール送信用」を添付します。
当該冊子『哲学フォーラムと哲学一貫教育』は、これまで関係機関に提唱してきたて哲学一貫教育に関する提唱文を纏めたものです。
その一覧については、巻末の通りです。
それぞれの提唱の内容を簡単に示すと次の通りです。
1の文部科学省初等中等教育局長宛の提唱文が、哲学一貫教育に関する最初の提唱です。
この提唱では、主に小中高校哲学一貫教育の事を述べています。
2の文部科学省生涯学習政策局長宛の提唱文は、教育振興基本計画の策定に向けて広く意見を募集しているとの事であったので、それに合わせて提唱しています。
提唱の内容は、書き出しと結びを除いて、ほとんど1と同じ内容となっています。
3の内閣官房長宛の提唱文は、教育再生会議の最終報告「社会総がかりで教育再生を」が出されたので、それに対する意見と言う事で提唱しています。
提唱の内容は、書き出しと結びを除いて、ほとんど1と同じ内容となっています。
4の文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛の提唱文は、文部科学省学習要領に関して広く意見を公募しているとの事であったので、それに合わせて提唱しています。
なお、この提唱の中で、哲学一貫教育に関する考え方が飛躍的に発展しています。
この提唱の中で、大学教育学部部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)を提唱しています。
また、改定後の文部科学省学習要領の中での、小中高校哲学一貫教育の実施の方法についても提唱しています。
「哲学読本大全(全100巻)」と「哲学フォーラム」を除く、哲学一貫教育の考え方が、この提唱の中でほぼ確定しています。
5の文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官宛の提唱文は、哲学一貫教育の直接の担当者である学校教育官兼道徳教育調査官宛に、これまでの1から4までの提唱文を添えて、哲学一貫教育の実施に関して檄文的に提唱しています。
6の東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛の提唱文は、東京学芸大学における哲学一貫教育の試行を提唱しています。
試行内容については、「東京学芸大学付属中学校1年及び2年生を対象とし哲学教育の試行について」、「中学生の為の哲学読本の作成について」、「教育学部における徹底した哲学教育の試行について」と言う形で示しています。
7の各国立大学教育学部哲学教育担当教官宛の提唱文は、これまでの哲学一貫教育に関する提唱の総まとめとして提唱しています。
この提唱の中で、「哲学読本大全(全100巻)」と「哲学フォーラム」の概念が強く打ち出される事になります。
それらについては、「哲学読本大全(全100巻)作成要領」、「哲学フォーラム実施要領」、日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法について」と言う形でその内容を提示しています。
8の各国立大学教育学部哲学教育担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱文の中で、各国立教育学部哲学教室が中心と成って、各都道府県の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
9の東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
なお、この提唱の中で、東京学芸大学が、日本全国の全ての哲学フォーラムのセンターとしての『哲学フォーラム日本』の事務局の役割を担うよう提唱しています。
10の文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長宛の提唱文及び、
11の文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、両課長が中心と成って、日本全国の全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
12の文部科学省生涯学習政策局政策課長宛の提唱文及び、
13の文部科学省生涯学習政策局社会教育課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、両課長が中心と成って、日本全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
14の文部科学省高等教育局高等教育企画課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、高等教育企画課長が中心と成って、日本全国の大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
また、大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成)の重要性も提唱しています。
更に、高等教育企画課長が中心と成って、全ての大学を結集して、『哲学読本大全(全100巻)』を作成するよう提唱しています。
15の内閣官房教育再生懇談会担当室長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、「哲学」による国創りを提唱しています。
16の(社)全国公民館連合会長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、日本全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
17の北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の教育学部教育哲学担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、教育哲学における哲学の意義を提唱しています。
18の北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の文学部哲学担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、それぞれの大学の文学部の哲学教室が中心となって、それぞれの大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
この7大学の哲学フォーラムが、日本における哲学フォーラムの象徴とも成るような事も提唱しています。
19の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞の編集局教育担当部長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、哲学フォーラムの全国展開に協力支援して下さるよう提唱しています。
20の日本放送協会、日本テレビ、東京放送網、フジテレビ、テレビ朝日の報道局教育担当部長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、哲学フォーラムの全国展開に協力支援して下さるよう提唱しています。
21の岩波書店、講談社、小学館、新潮社、文芸春秋、角川書店、集英社、中央公論新社、NHK出版の編集局「教育・哲学書」担当編集長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、各出版社毎に、『哲学読本大全(全1巻)』を出版するよう提唱しています。
また、上記出版社だけでなく、多くの出版社が『哲学読本大全(全1巻)』を出版するよう、併せて提唱しています。
以上の8から21の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の郵送の際の、送付状として作成しています。
以下の22から24提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
22の各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長と社会教育課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
この提唱の中で、各都道府県における小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の具体的な展開方法を提唱しています。
また、各都道府県の哲学フォーラムの中心となる『哲学フォーラム都道府県』についても、「哲学フォーラム都道府県について」と言う形で明確に提唱しています。
23の各大学哲学担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
この提唱の中で、それぞれの大学において哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
「大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の要領」と言う形でその具体的要領を提示しています。
24の各新聞社編集局長及び各放送社報道局長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
この提唱の中で、各都道府県の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開について、積極的に協力支援して下さるよう提唱しています。
以上が、哲学一貫教育に関する提唱の一覧です。
この内、1から7までは、過去に提唱したものであり、8から24までは今回提唱するものです。
これまでは、主に小中高校哲学一貫教育や大学教育学部における哲学教育を提唱して来ましたが、今回は哲学フォーラム(哲学対話室)を中心に提唱しています。
小中高校哲学一貫教育や教育学部における徹底した哲学教育については、制度上や予算上の制約がありますが、哲学フォーラム(哲学対話室)については、制度上、予算上の制約は何もありません。
日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するのにお金は1円も要らないのです。
この事については,7から24までの提唱の中で繰り返し説明して来たので、もうお分かりに成って頂けていると思います。
今回、哲学フォーラム(哲学対話室)に関係あると思われる全ての機関に対して提唱しています。
つきましては、皆様方のそれぞれの場で、または関係機関と連係を取り合って、哲学フォーラム(哲学対話室)の全国展開の早期実現を図って頂きたいと思います。
なお、そうは言いましても、全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するとなると、相当数の哲学ボランティア“ソクラテス”が必要となります。
それら“ソクラテス”が一気に集まるとも思いません。
と言う事で、当座は、全国の全ての大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事を目標とする事といたしましよう。
そして開設日時も、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする事にいたしましよう。
これにより、哲学フォーラム(哲学対話室)の全国的展開が現実味を帯びる事になります。
大学の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”は、大学関係者(教官、院生、卒業生等)や哲学に関心のある者で十分に賄えるでしょう。
公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”は、その地域の小中高校の教師や哲学に関心のある者で十分に賄えるでしょう。
大学及び公民館での哲学フォーラム活動が十分に成熟し、そこから多くの“ソクラテス”が生まれたら、その時小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)を考える事としましよう。
当座の目的はこうなります。
「全国の全ての大学及び公民館において、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで哲学フォーラム(哲学対話室)を開設する。」と
これで、“全国哲学フォーラム巡り”が可能になりますが、
当座の合言葉はこうなります。
『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』 お茶をとか
どうか皆さん、そんな楽しみの為、哲学フォーラムに集結して下さい!
今回の提唱は限がありませんので、これで終わりにします。
どうか皆様よろしくお願いいたします。
何時か何処かの哲学フォーラムでお会い出来る事を楽しみしています!
哲学哲男
哲学一貫教育提唱一覧
提唱年月日 提唱文宛名 備考
1 H20.02.03 文部科学省初等中等教育局長 ☆
2 H20.02.10 文部科学省生涯学習政策局長
3 H20.02.17 内閣官房長
4 H20.03.09 文部科学省初等中等教育局教育課程課長 ☆
5 H20.03.18 文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官
6 H20.04.07 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官
7 H20.11. 各国立大学教育学部哲学教育担当教官 ☆
8 H20.11. 各国立大学教育学部哲学教育担当教官
9 〃 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官
10 〃 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長
11 〃 文部科学省初等中等教育局教育課程課長
12 〃 文部科学省生涯学習政策局政策課長
13 〃 文部科学省生涯学習政策局社会教育課長
14 〃 文部科学省高等教育局高等教育企画課長 ★
15 〃 内閣官房教育再生懇談会担当室長
16 〃 (社)全国公民館連合会長
17 〃 北海道大学教育学部教育哲学担当教官
東北大学教育学部教育哲学担当教官
東京大学教育学部教育哲学担当教官
名古屋大学教育学部教育哲学担当教官
京都大学教育学部教育哲学担当教官
大阪大学教育学部教育哲学担当教官
九州大学教育学部教育哲学担当教官
18 〃 北海道大学文学部哲学担当教官
東北大学文学部哲学担当教官
東京大学文学部哲学担当教官
名古屋大学文学部哲学担当教官
京都大学文学部哲学担当教官
大阪大学文学部哲学担当教官
九州大学文学部哲学担当教官 ★
19 〃 朝日新聞東京本社編集局教育担当部長
毎日新聞東京本社編集局教育担当部長
読売新聞東京本社編集局教育担当部長
産経新聞東京本社編集局教育担当部長
日本経済新聞編集局教育担当部長
20 〃 日本放送協会報道局教育担当部長
日本テレビ放送網報道局教育担当部長
東京放送報道局教育担当部長
フジテレビ報道局教育担当部長
テレビ朝日報道局教育担当部長
21 〃 岩波書店編集局「教育・哲学書」担当編集長
講談社編集局「教育・哲学書」担当編集長
小学館編集局「教育・哲学書」担当編集長
新潮社編集局「教育・哲学書」担当編集長
文芸春秋編集局「教育・哲学書」担当編集長
角川書店編集局「教育・哲学書」担当編集長
集英社編集局「教育・哲学書」担当編集長
中央公論新社編集局「教育・哲学書」担当編集長
NHK出版編集局「教育・哲学書」担当編集長 ★
22 〃 各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長
各都道府県教育委員会社会教育担当課長 ★
23 〃 各大学哲学担当教官 ★
24 〃 各新聞社編集局長
各放送社報道局長 ★
25 〃 あとがき(または追伸) ◎最終結論
※1 1から6は提唱文、7から24は送付状兼提唱文。
※2 7から21の宛先には冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」を郵送。なお各大学には任意の1名の教官宛に1冊郵送。
※3 22から24の宛先には、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信。電子メール受付窓口の無い機関には送信していない。
※4 ☆印の付いている、1、4,7は基本的な提唱文。
※5 ★印の付いている、14,18,21,22,23,24においては、基本的な提唱文で提唱していない新たな内容の提唱を行っている。
※6 提唱の内容は少しずつ変わって来ている。番号の大きい提唱が、現在の考え方と近いものとなる。
※7 25のあとがき(または追伸)が最終結論となる。すなわち
『全ての関係機関が協力し合って、全ての大学及び公民館において、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで哲学フォーラム(哲学対話室)を開設する。』がこの冊子の最終結論となる。
○注 当該メールを送信する時点におきましては、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」は、未だ印刷しておらず、郵送もしていない事をお断りしておきます。
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
都道府県教育委員会小中高校教育担当課長宛て
都道府県教育委員会社会教育担当課長
平成20年11月28日提唱
電子メール受付担当者様へ
当該メールを教育委員会の義務教育担当課長、高校教育担当課長及び社会教育担当課長にそれぞれに転送して下さいますようお願い申し上げます。
なお、当該メールでは、小学校、中学校、高校、公民館等への哲学対話室の設置を提唱しています。
拝啓
各都道府県教育委員会 小中高校教育担当課長 ┐
├ 殿
各都道府県教育委員会 社会教育担当課長 ┘
私は哲学一貫教育を提唱している者です。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟する事を目指して行う教育の事です。
この哲学一貫教育には、次の5つの柱があります。
① 小中高校哲学一貫教育
② 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
④ 哲学読本大全の作成
⑤ 哲学対話室の設置
これらの詳細については、下記を見て頂きたいと思います。
これらの内、①から④までは、予算面、制度面の制約があり、直ぐに実行に移す事は難
しい状況にあります。
しかし、⑤の哲学対話室の設置については、予算面、制度面の制約は何も無く、実行しようと思えば直ぐにでも実行する事が出来ます。
哲学対話室とは、文字通り、哲学的な対話を行う部屋の事です。
⑤の哲学対話室の設置とは、この哲学対話室を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置しようとするものです。
小学校、中学校、高校の哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで、空き教室等を利用して開設するものとします。
大学及び公民館については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、大学においては大学図書館の会議室を、公民館においては公民館の会議室を借用して、開設するものとします。
この哲学対話室には、その開設時間には、必ず2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。
この哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学対話室において、小中高校においては児童生徒と、大学及び公民館においては一般国民と、哲学的対話の相手をする事になります。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
哲学対話室とは、とても簡単な仕組みです。
哲学対話室に、その開設時間だけ、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、その開設時間に、哲学対話室を訪れた者と、哲学的な対話を行う。
唯、これだけの事です。
そして、会場使用料は無償であり、人件費も無償です。
ですから、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円も必要としないのです。
唯、必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”だけと言う事になります。
しかし、そうは言っても、日本全国に小学校が22,693校、中学校が10,995校、高校が5,313校、大学が1,190校、そして公民館が17,143館あります。
これら全てに、一気に哲学対話室を設置するとなると、哲学ボランティア“ソクラテス”の絶対数が不足する事になると思います。
そこで、私が提案したいのは、『先ずは全ての公民館に哲学対話室を設置する』です。
全国で公民館の数が17,143館です。
これを都道府県に換算すると365館(17,143館÷47都道府県≒365)となります。
また市町村に換算すると10館(17,143館÷1,782市町村≒10)となります。
公民館に設置される哲学対話室は、週1回土曜の午後2時から午後5時まで開設されだ
けです。
そして、そこに2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するだけです。
ですから、1公民館に2人の哲学ボランティア“ソクラテス”が居るだけで良いのです。
しかし、それでは、2人の哲学ボランティア“ソクラテスに負担がかかり永続性が担保されません。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、余裕を持ちながら、哲学的対話を楽しまなければなりません。
と言う事で、哲学ボランティア“ソクラテス”の担当を4週間に1回とする事します。
そうすると、1公民館に8人(2人×4週間)の哲学ボランティア“ソクラテス”が居るだけ良い事になります。
これを市町村に換算すると80人(8人×10公民館=80人)、都道府県に換算すると2,920人(8人×365公民館=2,920人)、日本全国に換算すると137,144人(8人×17,143公民館=137,144人)の哲学ボランティア“ソクラテス”が必要となります。
これだけの哲学ボランティア“ソクラテス”が集まれば、日本全国の全ての公民館に哲学対話室を設置する事が可能となります。
果たしてこの事は可能なのでしょうか。
私に言わせれば、いとも簡単な事です。
しかし、これを全国規模で行うとなると漠然とし、その実効性は薄いかも知れません。
しかし、都道府県単位で行えば、いとも簡単に行えるのです。
その仕組みが、『哲学フォーラム都道府県』です。
哲学フォーラム都道府県とは、その都道府県内の哲学対話室の中心となるものであり、哲学ボランティア“ソクラテス”の中心となるものです。
哲学フォーラム都道府県が設立されれば、そこに哲学(知恵を愛する事)に熱意のある者がたくさん集まってきます。
彼らが、哲学ボランティア“ソクラテス”と成って、それぞれの公民館に哲学対話室を立ち上げ、彼らが自主的に哲学対話室を運営して行く事になるのです。
哲学フォーラム都道府県を上手く立ち上げれば、2,920人だけではなく、10,000人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が集まる事にもなります。
もし、そうなれば、その都道府県内の全ての、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学対話室を設置する事も可能となるのです。
それでは、これから、哲学フォーラム都道府県の立ち上げ方をお示ししたいと思います。
この哲学フォーラム都道府県の中心となる人物は、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長と社会教育担当課長と各都道府県に設置されている国立大学教育学部の哲学担当の先生です。
この三人が黄金の三角形を描く事で、哲学フォーラム都道府県は万全のものとなるのです。
そして、その三角形の頂点には、いつも国立大学教育学部の哲学担当先生が居る事になります。
それでは、その手順をお示ししたいと思います。
先ずは、国立大学教育学部の哲学担当の先生と都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長と社会教育担当課長の三者で哲学フォーラム都道府県の構想を練ります。
次に、大学関係者、教育関係者、その他哲学に関心のある者10名程度で、哲学フォーラム都道府県設立準備会を組織します。
この設立準備会の事務局は、国立大学教育学部の哲学担当の先生の研究室とします。
研究室の院生、学生等が事務局の作業を担当するものとします。
次に、設立準備会で、設立趣意書案、会則案等を作成し、設立発起人を募ります。
設立発起人が100名に成った時、100名の連名で、哲学フォーラム都道府県を正式に設立します。
設立発起人が中心と成って、1,000名を目途に、哲学フォーラムの都道府県の会員を募ります。
哲学フォーラム都道府県の会員が1,000名に成った時、哲学フォーラム都道府県の会員が中心と成って、各市町村の中央公民館に哲学対話室を設置するものとします。
後は、各市町村の中央公民館の哲学対話室と哲学フォーラム都道府県が連携して、都道府県内の全ての公民館に哲学対話室を設置して行くものとします。
以上が、各都道府県の内の全ての公民館に哲学対話室を設置する為の手順となります。
上手に行えば、5年間で日本国中の全ての公民館に哲学対話室を設置する事が可能だと思います。
なお、哲学フォーラム都道府県の全国的連携組織として、『哲学フォーラム日本』を設立します。
哲学フォーラム日本の事務局は、東京学芸大学「哲学・倫理分野」グループに設置するものとします。
私は、今回、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当教育課長及び社会教育担当課長に、この提唱をする前に、下記の通り、国立大学教育学の哲学担当の先生方に、今回と同じ様な提唱を行っています。
哲学フォーラムの都道府県の中心は何と言っても、国立大学教育学部の哲学担当の先生方であるべきです。
何故なら、彼らこそが、その都道府県のソクラテスであるべきであり、また彼らが新たなソクラテスを生み出す存在であるべきなのですから。
彼らから近い内に、哲学フォーラム設立準備会の話が来ると思います。
その時は、どうか協力して頂きたいと思います。
なお、その時は、各都道府県の公民館連絡協議会の会長にも話をつけて頂きたいと思います。
さて、5年後には、日本国中の全ての公民館に哲学対話室が設置される事になります。
これが、如何に楽しい事か、哲学(知恵を愛する事)に興味のある人なら分かると思います。
私たちは、毎週土曜日の午後2時から午後5時に、公民館に行けば、日本国中のソクラテスと会う事が出来るのです。
これが、如何に楽しい事か、哲学(知恵を愛する事)に興味のある人なら分かると思います。
さて、最後に哲学の秘儀をお示しして置きたいと思います。
哲学とはpilosophia、知恵を愛する事。
哲学とは、真善美を求める事。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学とは、真善美に溢れた自分自身を愛し求める事なのです。
決して、でかんしょ、すなわちデカルト、カント、ショーペンハウワー等の哲学文献を研究する事ではないのです。
哲学対話室は、その機会を提供するものなのです。
哲学、それは物心付いた子供から、死ぬ直前のお年寄りまで、行うべき事です。
しかし、日本ではあまりにもその事が等閑にされています。
哲学対話室は、その機会を提供するものなのです。
『汝自身を知れ』
もし日本人全てが、真善美に溢れた自分自身の存在を知ったらどうなるでしょう。
現在の教育問題、社会問題は全て解決です。
そして、その先には真善美に溢れた日本が存在するのです。
哲学の深い意味をもう一度自分自身で考えた上で、どうか哲学対話室の全国展開にご協力頂きたいと思います。
なお、『哲学(知恵を愛する事)』は秘儀ですから、あまり人に言いふらさないほうが良いと思います。
自分自身に沈潜させた上で、どうか哲学対話室の全国展開にご協力頂きたいと思います。
敬具
平成20年11月28日
哲学哲男
追伸
私は、これまで、文部科学省初等中等教育局長、文部科学省生涯学習政策局長、内閣官房長官、文部科学省初等中等教育局教育課程課長、文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育調査官兼道徳教育調査官及び東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官あてに哲学一貫教育に関する提唱文を書簡として送っていますが、それらを纏めて『哲学一貫教育と哲学フォーラム』と言う冊子を作成しています。
そのファイルも併せて添付しますので、ご参考にして下さい。
※ 下記は、平成20年11月16日付けで、国立大学教育学部の哲学担当の先生に宛てに、
メール送信した「哲学対話室設置に関する」提唱文です。
国立大学教育学部の哲学担当の先生と小中高校教育担当課長と社会教育担当課長が連
携をすれば、公民館への哲学対話室の設置はいとも簡単に行われるのです。
『土曜日の午後は公民館の哲学対話室で!!』
これが、日本国中の小学生、中学生、高校生、大学生、そして日本国民の合言葉に成
りますように。
この哲学対話室で、あらゆる世代の人々が哲学的対話を交わす様になるのです。
嘗ての古代ギリシアの『フォーラム』の様に
記
________________________________________
________________________________________
※原文の当該箇所には、「平成20年11月16日付けの国立大学教育学部哲学担当教官宛ての提唱文」全文を掲載しているが、省略する。 なお、上記提唱文は、当該冊子の○○頁から○○頁に掲載されいる。(当該※印注意書きは、平成21年12月8日作成)
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
都道府県教育委員会教育長
平成20年12月14日提唱
※1 国立大学教育学部 哲学担当教官宛送付依頼文
電子メール受付担当者 様
当該メールを、教育学部の「哲学・倫理」担当の先生に転送して下さいますようお願い
申し上げます。
なお、当該メールでは、全ての小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室
を設置する事を提唱しています
※2 各都道府県教育委員会 教育長宛送付依頼文
電子メール受付担当者 様
当該メールを、教育委員会の教育長宛に転送して下さいますようお願い申し上げます。
なお、当該メールでは、全ての小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室
を設置する事を提唱しています
拝啓
国立大学教育学部 哲学担当教官┐
├殿
各都道府県教育委員会 教育長 ┘
私は、哲学フォーラムを提唱している者です。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しようとするものです。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行う部屋の事です。
私はまた、哲学一貫教育を提唱しています。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供しようとするものです。
この哲学一環教育は、次の五つの柱から成っています。
一 小中高校哲学一貫教育
二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
三 大学教育学部における徹底した哲学教育
四 哲学読本大全(全100巻)
五 哲学フォーラム
この哲学一貫教育の内、一から四までは、予算面、制度面の制約があり、直ぐに実行するのは難しい状況にあります。
しかし、哲学フォーラム(哲学対話室)については、予算面、制度面の制約は無く、実行しようと思えば直ぐにでも実行する事が出来ます。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学及び公民館に、哲学対話室を設置するものですが、この哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”と言う者が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を交わす事になります。
この哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て古代ギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、空き教室等を利用するものとします。
大学に設置される哲学対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室が開設されている時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとします。
公民館に設置される哲学対話室についても、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室が開設されている時間だけ、公民館の会議室を一時借用するものとします。
哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と部屋だけです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は無報酬ですし、部屋の使用料も無償ですので、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に、哲学対話室を設置しても、お金は一円もかからないのです。
なお、哲学対話室及び哲学ボランティア“ソクラテス”の、各都道府県のセンター的組織として哲学フォーラム都道府県を、全国的組織として哲学フォーラム日本を設置するものとし、事務局については、哲学フォーラム都道府県については、国立大学教育学部の哲学教室に、哲学フォーラム日本については、東京学芸大学の哲学教室に置くものとします。
以上、哲学フォーラム(哲学対話室)は、とても簡単な仕組みです。
しかし、その効果はとても大きいのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)が、全国に浸透して行けば、哲学一貫教育に関する認識が高まってきます。
もし、哲学一貫教育が全国的に展開される事となれば、日本は確実に哲学的に成熟した国家となります。
そして、プラトンが目指した理想国家に近付く事にもなるのです。
理想国家は別にしても、哲学フォーラム(哲学対話室)は、とても簡単な仕組みです。
大学教育学部と教育委員会が連携をすれば、直ぐにでも実行する事が可能です。
どうか、より良き日本の為に、大学教育学部と教育委員会が連携し合い、協力し合って、早期に哲学フォーラムを実現させて頂きたいと思います。
敬具
平成20年12月6日
哲学哲男
追伸
私は、これまで、文部科学省初等中等教育局長、文部科学省初等中等教育局教育課程課長、文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官、文部科学省生涯学習政策局長、内閣官房長、東京学芸大学哲学担当教官、国立大学教育学部哲学担当教官、各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長及び社会教育課長宛に、哲学一貫教育の提唱を行なってきました。
また、大手の新聞社、放送局、出版社、更には、各大学哲学担当教官(国立大学教育学部哲学担当教官を除く)にも提唱しようと思い、その素案を作成しています。
そして、これらを纏めて「哲学フォーラムと哲学一貫教育」と言うファイルを作成しています。
もし、ご希望があれば、メール送信したいと思いますので、ご連絡下さい。
なお、私の書き送るものについては、全て著作権フリーです。
大学においては、教官や学生に、教育委員会においては、教育行政担当者や学校関係者にメール送信するなり、コピーを配布するなどして、議論して頂ければ、有難く思います。
おって、下記に「哲学一貫教育」の概要と「哲学フォーラム」の概要を示して置きますので、議論の材料として下さい。
もし、意見や質問がありましたら、哲学ネーム等(例:哲学哲男)で結構ですので、ご連絡下さい。
最後に、私は大学関係者でもなく、教育関係者でもありません。
哲学(知恵を愛する事)を愛する一市民です。
その様な者として、お見知りおき頂ければ有り難く思います。
記
________________________________________
哲学一貫教育について
1 趣旨
日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する。
2 内容
① 小中高校哲学一貫教育
小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行なう。
授業時間については、各学年とも週2時間とし、週の最初の時間に、ある哲学テーマに関する、古今東西の名著の名文中の名文を数編黙読し、週の最後の時間にその読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を作文として纏める。
教材として、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用する。
哲学読本は、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの学年の児童生徒に取って、大切と思われる30の哲学テーマを選択し、それぞれの哲学テーマごとに、古今東西の名著の中の名文中の名文を数編集めたものとする。
哲学ノートも、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を作文として纏める為のノートとする。
1週間の間に、一つの哲学テーマについて、読書し、思索し、作文に纏める事となる。
小中高校哲学一貫教育においては、自ら学び、自ら考える事を大原則とする。
② 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、大学、公民館、家庭においても哲学教育を一
貫して行なう。
○ 大学においても、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週1授業時間受講するものとする。
1年及び2年については、教養哲学とし、小中高校で学んだ事を更に発展させ、完成させる。
3年及び4年については、専門哲学とし、専攻する学科の学科、科目、単元等を哲学する。
○ 公民館において、通年で、毎週1回哲学講座を開設する。
国民に関心のある哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文等を素材として、講義を行なう。
○ 家庭においても、哲学的対話が行なわれるよう、対話の為の素材等を提供する。
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
哲学的素養のある教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して
行なう。
哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週3授業時間受講するものとする。
授業内容は次の通り。なお、1年通期4単位を25授業時間として想定している。
○ 西洋思想史(4単位、25授業時間)
西洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 東洋思想史(4単位、25授業時間)
東洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 日本思想史(4単位、25授業時間)
日本の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 道徳(4単位、25授業時間)
代表的な25の徳(勇気、忍耐、節制、寛容、正義等々)について、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの徳を対象とする。
○ 宗教(4単位、25授業時間)
キリスト教、仏教、イスラム教、神道、その他の宗教について、その聖典、経典の名文中の名文から、それぞれの宗教を学ぶ。
授業時間については、それぞれ4~6授業時間程度とする。
○ 哲学各論(16単位、100授業時間)
主要な100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの哲学テーマを対象とする。
○ 教科哲学(4単位、25授業時間)
中学校で学ぶ9教科について、その教科書を素材として、その教科や教科の単元等を哲学する。
授業時間については、各教科2~3授業時間程度とする。
○ 古代哲学講読(4単位、25授業時間)
古代哲学の古典中の古典10冊を講読する。
例:論語(孔子)、老子(老子)、饗宴(プラトン)等々
授業時間については、1冊2~3授業時間程度とする。
○ 哲学対話(2単位:12授業時間)
哲学対話の技術を学ぶ。
10の哲学対話を行ない、その対話録を纏める。
○ 哲学作文(2単位:12授業時間)
哲学作文の技術を学ぶ。
10の哲学テーマについて、作文を書く。
○ 哲学対話要録作成(授業外)
卒業までに、100回の哲学対話を行ない、その要録を作成する。
○ 哲学作文作成(授業外)
卒業までに、100の哲学テーマについて、作文を書き、それを冊子に纏める。
④ 哲学読本大全(全100巻)
国民に取って大切と思われる500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名
文中の名文を、それぞれのテーマごとに100編集めて、編集したものとする。
1名文の分量は、4000字程度とする。
哲学読本大全については、WEB上で、閲覧用及びオンデマンド印刷・製本用の、2種類のファイルを公開するものとし、誰でも、自由に、無料で閲覧及び印刷・製本が出来るものとする。
なお、小学校、中学校、高校、公民館の図書室、及び大学の図書館、並びに公立図書館においては、それぞれにオンデマンド印刷用ファイルを利用して、印刷・製本を行い、必ず備え付けるものとする。
哲学読本大全については、小学校高学年から読めるよう、ルビを付すものとする。
この哲学読本大全が、全ての哲学一貫教育の基本教材となる。
哲学読本大全については、国民の英知を結集して作成するものとする。
⑤ 哲学フォーラム
日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置
する。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行なう事になる。
小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとする。
大学及び公民館に設置する対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。
3 哲学の意義
哲学一貫教育における所の哲学の意義は、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)
事。
哲学とは、真善美を求める事。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学一貫教育における所の哲学とは、真善美に溢れた自分自身を愛し求める事。
哲学一貫教育における所の哲学は、デカンショ、すなわち、デカルト、カント、ショ
ウペンハウワー等の哲学文献を研究する事でない。
________________________________________
哲学フォーラムについて
1 趣旨
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館
に哲学対話室を設置するものである。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者
と哲学的対話を行なう事となる。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て古代ギリシアに実在したソクラテスと同様、
無報酬とする。
2 小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室について
① 設置者は、学校長とする。
② 運営は、哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学(知恵を愛する事)に関心のある父兄、地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
③ 開設時間は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時までとする。
④ 部屋については、空き教室等を利用する。
⑤ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。児童生徒は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
⑥ 哲学対話室は、課外とする。
3 大学に設置される哲学対話室について
① 設置及び運営は、哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学担当教官を中心に、哲学に関心のある教官、院生、学生等々で構成するものとする。
② 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
③ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとする。
④ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
4 公民館に設置される哲学対話室について
① 設置及び運営は、哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学に関心のある地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
② 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
③ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を一時借用するものとする。
④ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
5 哲学フォーラムめぐり
大学及び公民館の哲学対話室については、全て、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設し、全ての国民に開放するものとする。
これにより、国民はどこにいても、毎週土曜日の午後には、どこかの哲学対話室において、哲学的対話を行なう事が出来るようになる。
また、哲学フォーラムめぐりを目的として、日本国中を旅する事も可能となる。
哲学フォーラムめぐりが活発になれば、哲学の輪が日本国中に広がる事になる。
『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』が哲学に関心のある国民の間で合言葉となる。
6 哲学フォーラム都道府県
哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の都道府県のセンター的な組織として、哲学フォーラム都道府県を設置する。
事務局については、国立大学教育学部哲学担当教室に置くものとする。
7 哲学フォーラム日本
哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の全国的組織として、哲学フォーラム日本を設置する。
事務局については、東京学芸大学哲学担当教室に置くものとする。
9 国立大学教育学部と都道府県教育委員会の連携について
哲学フォーラムは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものですが、哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と部屋だけです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、無報酬ですし、部屋の使用料も無償です。
ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円もかからないのです。
国立大学教育学部と都道府県教育委員会(管内の市町村教育委員会も含む)が連携すれば、直ぐにでも、日本全国に、哲学対話室を展開する事が可能です。
何故なら、学校教師は、本来“ソクラテス”であるべき人であり、大学教育学部は“ソクラテス”を生み出す機関なのですから。
つきましては、国立大学教育学部と都道府県教育委員会が連携して『哲学フォーラムプロジェクト』を組んで頂き、先ずは国立大学教育学部と日本全国の全ての公民館に哲学対話室を設置して頂きたいと思います。
心より 哲学哲男より。
何故なら、私こそが、『哲学フォーラムめぐり』を一番に切望している者なのですから・・・。
※ ところで“ソクラテス”とは、何者でしょう。
それは、知恵を愛し抜いた第一級の哲学者(知恵を愛する者)です。
学校の教師は、哲学者(知恵を愛する者)でなければなりません。
学校の教師が、哲学者(知恵を愛する者)であってこそ、児童生徒に知恵を愛する楽しさを伝える事が出来ます。
哲学教育の第一歩は、教師が哲学者(知恵を愛する者)となる事から始めなければならないのです。
ところで“知恵”とは何でしょう。
美しき善き言葉の源泉。
それは、私における所の一つの喩えです。
知恵とは何か。
それは、各自がそれぞれにおいて、答えを視い出ださなければならないのです。
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
各都道府県教育委員会教育長
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長
国立大学人文社会学部系哲学担当教官
私立大学人文社会学部系哲学担当教官
日本教育大学協会長
日本教育学会長
日本哲学会長
日本倫理学会長
日本道徳教育学会長
全国公民館連合会長
日本PTA全国協議会会長
日本新聞協会長
文部科学初等中等教育局長
文部科学生涯学習政策局長
文部科学高等教育局長
内閣官房教育再生懇談会会長
平成21年1月9日提唱
拝啓
国立大学教育学部 哲学担当教官 ┐
各都道府県教育委員会 教育長 │
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長 │
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長 │
国立大学人文社会学部系 哲学担当教官 │
私立大学人文社会学部系 哲学担当教官 │
日本教育大学協会 会長 │
日本教育学会 会長 │
日本哲学会 会長 ├ 殿
日本倫理学会 会長 │
日本道徳教育学会 会長 │
全国公民館連合会 会長 │
日本PTA全国協議会 会長 │
日本新聞協会 会長 │
文部科学省 初等中等教育局長 │
文部科学省 生涯学習政策局長 │
文部科学省 高等教育局長 │
内閣官房 教育再生懇談会 会長 ┘
私は、哲学フォーラムを提唱している者です。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものです。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事です。
私はまた、哲学一貫教育を提唱しています。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供するものです。
この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。
一 小中高校哲学一貫教育
二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
三 大学教育学部における徹底した哲学教育
四 哲学読本大全(全100巻)の作成
五 哲学フォーラム
この内、一から四までは、予算面、制度面の制約があり、直ぐに実行に移す事は難しい状況にありますが、哲学フォーラムについては、予算面、制度面の制約は無く、実行しようと思えば、直ぐにでも実行する事が出来ます。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものですが、この哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”と言う者が常駐し、哲学対話室を訪れた者とこの哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学的な対話を行なう事になります。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗てギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、空き教室等を利用するものとします。
大学に設置する哲学対話室については、毎週土曜日の、午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を、一時借用するものとします。
公民館に設置する哲学対話室についても、毎週土曜日の、午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を、一時借用するものとします。
以上、哲学対話室は、とても簡単な仕組みです。
哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と哲学対話室として使用する為の部屋だけです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は無報酬ですし、哲学対話室として使用する為の部屋の使用料も無償です。
ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円も要らないのです。
しかし、そうは言っても、一気に、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に、哲学対話室を設置する事には無理がありますので、哲学対話室の展開については、二期に分けて実施するものとします。
第一期において、全ての大学及び公民館に哲学対話室を設置するものとし、第二期において、全ての小中高校に哲学対話室を設置し、哲学対話室の展開を完成させるものとします。
なお、第二期については、第一期の哲学対話室の運営が十分に成熟した後、そのノウハウを積極的に活用して展開するものとします。
この内、第一期、すなわち、大学及び公民館への哲学対話室の設置は、とても簡単なのです。
先ず、大学への哲学対話室の設置ですが、大学には、哲学担当教官、その他教官、院生、卒業生、関係者等々、優秀な“ソクラテス”が大勢います。
彼らの内で、特に哲学(知恵を愛する事)に熱心な者で、哲学ボランティア“ソクラテス”グループを組織し、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、大学図書館の会議室で、哲学対話室を開設する仕組みを作れば、後は自動的に運営されて行く事になります。
次に、公民館に設置する哲学対話室ですが、公民館の地区内には、多くの小学校、中学校、高校があります。
学校の教師は、“ソクラテス”たるべき人々です。
勿論、哲学を愛する多くの市民もいます。
彼らの内で、特に哲学(知恵を愛する事)に熱心な者で、哲学ボランティア“ソクラテス”グループを組織し、公民館に自主活動グループとしての届出をした上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の会議室で、哲学対話室を開設する仕組みと作れば、後は自動的に運営されて行く事になります。
第一期、すなわち、日本国中の全ての大学と公民館への哲学対話室の設置が完成すると、日本は哲学的成熟への道を歩み始める事になるのです。
それが、『哲学フォーラムめぐり』です。
哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が、自らの師を求めて、または自らの友を求めて、日本国中の哲学フォーラム(哲学対話室)を巡る事になるのです。
嘗ての古代ギリシアのように!
『土曜日の午後は哲学フォーラムで!!』
これが、知恵を愛する者たちの合言葉となるのです。
毎週土曜日の午後、知恵を愛する老若男女が、哲学フォーラム(哲学対話室)に集う事になるのです。
大学及び公民館への哲学対話室の設置は、日本の明るい未来を切り開く、きざはしとなるのです。
どうか、皆様のご協力をお願いいたします。
その為に先ず、都道府県ごとに、国立大学教育学部哲学担当教官、都道府県教育委員会教育長、新聞社編集局「哲学・教育」担当部長、国立大学人文社会学部系哲学担当教官、私立大学人文社会学部系哲学担当教官、都道府県公民館連絡協議会長、都道府県PTA連絡協議会長等を構成員とする、「哲学フォーラム(哲学対話室展開)支援委員会」を組織して頂き、大学及び公民館への哲学対話室の展開について、積極的に協力支援して頂きたいと思います。
なお、「哲学フォーラムと哲学教育」の議論の場として、下記のとおり、ヤフー掲示板の「学校と教育」→「教育問題」→「全般」に『哲学フォーラムと哲学教育』と言う掲示板を立ち上げました。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=1&type=date&first=1
どうか、皆様の積極的な議論をお願いしたいと思います。
おって、私はこれまで、文部科学省初等中等教育局長、文部科学省生涯学習政策局長、文部科学省初等中等教育局教育課程課長、文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官、東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官、内閣官房長官、国立大学教育学部哲学担当教官、各都道府県教育委員会教育長宛に、それぞれ、哲学一貫教育と哲学フォーラムに関する提唱を行なってきました。
それらを纏めて、下記のとおり、ホームページを作成しました。
http://www.geocities.jp/sophialover007/
ご参考にして下さい。
なお、私の著作物は、全ての著作権フリーです。
コピーを配布するなり、関係者に送信するなり、ホームページに貼り付けるなり、要約を機関紙に掲載するなり、自説の中に取り入れるなり、積極的ご活用頂き、どうか『哲学フォーラムと哲学一貫教育』の実現に向けてご協力をお願い申し上げます。
敬具
平成21年1月10日
哲学哲男
追伸
下記に、「哲学一貫教育」と「哲学フォーラム」の概要を示して置きますので、参考にして下さい。
記
________________________________________
哲学一貫教育について
1 趣旨
日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する。
2 内容
① 小中高校哲学一貫教育
小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行なう。
授業時間については、各学年とも週2時間とし、週の最初の時間に、ある哲学テーマに関する、古今東西の名著の名文中の名文を数編黙読し、週の最後の時間にその読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を作文として纏める。
教材として、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用する。
哲学読本は、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの学年の児童生徒に取って、大切と思われる30の哲学テーマを選択し、それぞれの哲学テーマごとに、古今東西の名著の中の名文中の名文を数編集めたものとする。
哲学ノートも、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を作文として纏める為のノートとする。
1週間の間に、一つの哲学テーマについて、読書し、思索し、作文に纏める事となる。
小中高校哲学一貫教育においては、自ら学び、自ら考える事を大原則とする。
⑤ 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、大学、公民館、家庭においても哲学教育を一貫して行なう。
○ 大学においても、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週1授業時間受講するものとする。
1年及び2年については、教養哲学とし、小中高校で学んだ事を更に発展させ、完成させる。
3年及び4年については、専門哲学とし、専攻する学科の学科、科目、単元等を哲学する。
○ 公民館において、通年で、毎週1回哲学講座を開設する。
国民に関心のある哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文等を素材として、講義を行なう。
○ 家庭においても、哲学的対話が行なわれるよう、対話の為の素材等を提供する。
⑥ 大学教育学部における徹底した哲学教育
哲学的素養のある教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行なう。
哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週3授業時間受講するものとする。
授業内容は次の通り。なお、1年通期4単位を25授業時間として想定している。
○ 西洋思想史(4単位、25授業時間)
西洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 東洋思想史(4単位、25授業時間)
東洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 日本思想史(4単位、25授業時間)
日本の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 道徳(4単位、25授業時間)
代表的な25の徳(勇気、忍耐、節制、寛容、正義等々)について、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの徳を対象とする。
○ 宗教(4単位、25授業時間)
キリスト教、仏教、イスラム教、神道、その他の宗教について、その聖典、経典の名文中の名文から、それぞれの宗教を学ぶ。
授業時間については、それぞれ4~6授業時間程度とする。
○ 哲学各論(16単位、100授業時間)
主要な100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの哲学テーマを対象とする。
○ 教科哲学(4単位、25授業時間)
中学校で学ぶ9教科について、その教科書を素材として、その教科や教科の単元等を哲学する。
授業時間については、各教科2~3授業時間程度とする。
○ 古代哲学講読(4単位、25授業時間)
古代哲学の古典中の古典10冊を講読する。
例:論語(孔子)、老子(老子)、饗宴(プラトン)等々
授業時間については、1冊2~3授業時間程度とする。
○ 哲学対話(2単位:12授業時間)
哲学対話の技術を学ぶ。
10の哲学対話を行ない、その対話録を纏める。
○ 哲学作文(2単位:12授業時間)
哲学作文の技術を学ぶ。
10の哲学テーマについて、作文を書く。
○ 哲学対話要録作成(授業外)
卒業までに、100回の哲学対話を行ない、その要録を作成する。
○ 哲学作文作成(授業外)
卒業までに、100の哲学テーマについて、作文を書き、それを冊子に纏める。
⑦ 哲学読本大全(全100巻)
国民に取って大切と思われる500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を、それぞれのテーマごとに100編集めて、編集したものとする。
1名文の分量は、4000字程度とする。
哲学読本大全については、WEB上で、閲覧用及びオンデマンド印刷・製本用の、2種類のファイルを公開するものとし、誰でも、自由に、無料で閲覧及び印刷・製本が出来るものとする。
なお、小学校、中学校、高校、公民館の図書室、及び大学の図書館、並びに公立図書館においては、それぞれにオンデマンド印刷用ファイルを利用して、印刷・製本を行い、必ず備え付けるものとする。
哲学読本大全については、小学校高学年から読めるよう、ルビを付すものとする。
この哲学読本大全が、全ての哲学一貫教育の基本教材となる。
哲学読本大全については、国民の英知を結集して作成するものとする。
⑤ 哲学フォーラム
日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置する。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行なう事になる。
小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとする。
大学及び公民館に設置する対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。
3 哲学の意義
哲学一貫教育における所の哲学の意義は、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事。
哲学とは、真善美を求める事。
哲学の本質は、『汝自身を知れ』
哲学一貫教育における所の哲学とは、真善美に溢れた自分自身を愛し求める事。
哲学一貫教育における所の哲学は、デカンショ、すなわち、デカルト、カント、ショウペンハウワー等の哲学文献を研究する事でない。
________________________________________
哲学フォーラムについて
1 趣旨
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものである。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行なう事となる。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て古代ギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
2 小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室について
⑦ 設置者は、学校長とする。
⑧ 運営は、哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学(知恵を愛する事)に関心のある父兄、地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
⑨ 開設時間は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時までとする。
⑩ 部屋については、空き教室等を利用する。
⑪ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。児童生徒は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
⑫ 哲学対話室は、課外とする。
3 大学に設置される哲学対話室について
① 設置及び運営は、哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学担当教官を中心に、哲学に関心のある教官、院生、学生等々で構成するものとする。
⑤ 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
⑥ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとする。
⑦ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
4 公民館に設置される哲学対話室について
① 設置及び運営は、哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学に関心のある地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
⑤ 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
⑥ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を一時借用するものとする。
⑦ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
5 哲学フォーラムめぐり
大学及び公民館の哲学対話室については、全て、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設し、全ての国民に開放するものとする。
これにより、国民はどこにいても、毎週土曜日の午後には、どこかの哲学対話室において、哲学的対話を行なう事が出来るようになる。
また、“ソクラテス”を求めて哲学フォーラムめぐりが可能となる。
哲学フォーラムめぐりが活発になれば、哲学の輪が日本国中に広がる事になる。
『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』が哲学に関心のある国民の間で合言葉となる。
6 哲学フォーラム都道府県
哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の都道府県のセンター的な組織として、哲学フォーラム都道府県を設置する。
事務局については、国立大学教育学部哲学担当教室に置くものとする。
7 哲学フォーラム日本
哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の全国的組織として、哲学フォーラム日本を設置する。
事務局については、東京学芸大学哲学担当教室に置くものとする。
9 国立大学教育学部と都道府県教育委員会の連携について
哲学フォーラムは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものですが、哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と哲学対話室として使用する部屋だけです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、無報酬ですし、哲学対話室として使用する部屋の使用料も無償です。
ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円もかからないのです。
国立大学教育学部と都道府県教育委員会(管内の市町村教育委員会も含む)が連携すれば、直ぐにでも、日本全国に、哲学対話室を展開する事が可能です。
何故なら、学校教師は、本来“ソクラテス”であるべき人であり、大学教育学部は“ソクラテス”を生み出す機関なのですから。
つきましては、国立大学教育学部と都道府県教育委員会が連携して『哲学フォーラムプロジェクト』を組んで頂き、先ずは国立大学教育学部と日本全国の全ての公民館に哲学対話室を設置して頂きたいと思います。
心より 哲学哲男より。
何故なら、私こそが、『哲学フォーラムめぐり』を一番に切望している者なのですから・・・。
※ ところで“ソクラテス”とは、何者でしょう。
それは、知恵を愛し抜いた第一級の哲学者(知恵を愛する者)です。
学校の教師は、哲学者(知恵を愛する者)でなければなりません。
学校の教師が、哲学者(知恵を愛する者)であってこそ、児童生徒に知恵を愛する楽しさを伝える事が出来ます。
哲学教育の第一歩は、教師が哲学者(知恵を愛する者)となる事から始めなければならないのです。
ところで“知恵”とは何でしょう。
美しき善き言葉の源泉。
それは、私における所の一つの喩えです。
知恵とは何か。
それは、各自がそれぞれにおいて、答えを視い出ださなければならないのです。
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
平成21年6月24日提唱
【哲学フォーラムと哲学教育】
拝啓
各国立大学 教員養成学部 哲学担当教官 殿
私は哲学に関心のある者です。
そして、哲学によって、日本が素晴らしい国家に成ると思っている者です。
私はその為に、哲学一貫教育を提唱しています。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する教育の事です。
この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。
① 小中高校哲学一貫教育
② 大学及び公民館における哲学教育
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
④ 哲学読本大全の作成
⑤ 哲学フォーラム
先ず、①番目の小中高校哲学一貫教育ですが、
これは小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行う教育の事です。
具体的には、小学校及び中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、現在の倫理を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、小学校、中学校、高校の12年間に渡る、授業時間週2時間の哲学一貫教育を完成させます。
授業においては、読書と作文を行います。
教材としては、哲学読本と哲学ノートを使用します。
哲学読本とは、各学年に相応しい哲学テーマを35(1年間に授業可能な週の数を想定)選定し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度集めて、編集したものです。
哲学ノートとは、児童生徒が、哲学テーマに関する作文を綴る為のノートの事です。
授業は次のように進めます。
先ず、週の最初の時間に、哲学読本の中の一つの哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度読みます。
次に、週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間の間に思索した結果を、哲学ノートに作文として纏めます。
これを小学校、中学校、高校の12年間続けて行います。
これにより、児童生徒は12年間の間に420(35哲学テーマ×12年間=420)の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、420の哲学テーマにについて、作文を書く事になります。
これにより、児童生徒の哲学的素養が、自然に育つ事になります。
また、小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置します。
哲学対話室とは、児童生徒と哲学的素養のある大人が、1対1で、もしくは数人で哲学的対話を行う部屋の事です。
哲学対話室は、課外とし、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
この哲学対話室において、児童生徒は自らにおいて自らの師を見出す事になります。
そしてこの哲学対話室から、真に哲学的に優れた児童生徒が育って行く事になります。
次に、②番目の大学及び公民館における哲学教育ですが、
大学においても、哲学を必修とします。
授業時間については、週1授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
これにより、小学校、中学校、高校、大学の哲学一貫教育が完成する事になります。
また、公民館においても、毎週1回哲学講座を開催するものとします。
これにより、一生涯に渡る哲学一貫教育が完成する事になります。
また、大学及び公民館においても、哲学対話室を設置するものとします。
大学及び公民館に設置する哲学対話室については、広く国民に開放するものとします。
これにより、哲学に関心のある人々が、大学及び公民館の哲学対話室に集まる事になり、日本に哲学風土が根付く事になります。
なお、大学及び公民館の哲学対話室については、当分の間、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
“土曜日の午後は哲学対話室で!”
この合言葉の下、土曜日の午後に、児童生徒を含め、哲学に関心のある者が、大学及び公民館の哲学対話室に一斉に集まる事になります。
これにより、大きな哲学的エネルギーが生まれる事になります。
次に③番目の大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)ですが、
国づくりの基礎は、教育です。
教育の基礎は、教師です。
哲学的素養に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行います。
授業時間は、週3授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
授業の内容は、小中高校哲学一貫教育と連動したものとなります。
カリキュラムを示す次の通りです。
① 哲学
古今東西の名著(哲学書)の中の名文中の名文を基に、哲学に関する主要なテーマを哲学します。
② 宗教
キリスト教、仏教、イスラム教、神道、ユダヤ教、ヒンズー教等経典の中の名文中の名文を基に、宗教に関する主要なテーマを哲学します。
③ 文学
古今東西の名著(文学書)の中の名文中の名文を基に、文学に関する主要なテーマを哲学します。
④ 社会科学
古今東西の名著(社会科学図書)の中の名文中の名文を基に、社会科学に関する主要なテーマを哲学します。
⑤ 自然科学
古今東西の名著(自然科学図書)の中の名文中の名文を基に、自然科学に関する主要なテーマを哲学します。
⑥ 憲法
日本国憲法、アメリカ憲法、イギリス憲法、フランス憲法、中国憲法、韓国憲法等の条文を基に、日本国憲法の主要なテーマを哲学します。
⑦ 教科哲学
中学校で履修する9科目について、教科書を基に、各教科及び各教科の主要な単元を哲学します。
⑧ テーマ哲学
日本国民に関心のあると思われる100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に、その概念を哲学します。哲学テーマ例としては、知恵、愛、勇気、忍耐、節制、友情、仕事、勉強、学校、国家、社会、家族、自然、環境等々
⑨ 芸術
古今東西の名画、名曲の鑑賞を基に、芸術に関する主要なテーマを哲学します。
⑩ 日本思想史
日本の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事によって、日本の思想の流れを哲学します。
⑪ 西洋思想史
西洋の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事 によって、西洋の思想の流れを哲学します。
⑫ 古代古典講読
古典中の古典10冊を講読します。なお、古典については、「論語」、「老子」、「マタイ福音書」、「バガヴァッド・ギーター」、「ダンマバダ(法句経)」、「饗宴」、「自省録」、「エピクロス『手紙』」、「エピクテトス『語録』」、「セネカの『道徳論集』の1編」、「旧約聖書『詩篇』、『箴言』」等々、半日または一日で読み切る事の出来るものを対象とします。
⑬ 哲学百章の作成
自らに関心のある100の哲学テーマについて、自らにおいて哲学し、その結果を、哲学百章として、冊子に纏めるものとします。
⑭ 哲学対話百録の作成
哲学対話を100回行い、その対話録を、哲学対話百録として、冊子に纏めるものとします。
⑮ 小中高校の哲学対話室への参加
小中高校の哲学対話室に参加し、児童生徒と哲学対話を行うものとします。また、大学及び公民館の哲学対話室にも積極的に参加するものとします。
大学教育学部の哲学教育の目的は、児童生徒を生き生きとした言葉の世界に誘う事の出来る教師を育成する事にあります。その為にも、生き生きとした生きた言葉から学ばなければならないのです。
次に、④番目の哲学読本大全の作成についてですが、
哲学読本大全とは、国民に関心のある500の哲学テーマを選定し、それぞれ哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集めて編集した読本の事です。
この哲学読本大全は、国民の英知を結集して作成するものとします。
1編の文章量は、文庫本4頁程度とします。
作成方法を示すと次の通りとなります。
① 哲学読本大全作成委員会(以下委員会と言う)を設置します。
② 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、国民にとって大切な哲学テーマを募集します。
③ 委員会において、500の哲学テーマを選定します。
④ 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集します。
募集の方法は、名文の箇所をコピーして郵送等で送付して貰うか、名文の箇所をスキャナーで読み込み電子メール等で送信して貰う方法によるものとします。
⑤ 委員会において、募集のあった名文を全てスキャナーで読み込み、テキスト形式に変換した上で、哲学テーマ毎にパソコン上で整理します。
⑥ 委員会において、500の哲学テーマ毎に、100の名文を選定します。
⑦ 委員会において、それぞれの名文毎に、簡単な書誌を作成します。
⑧ 委員会において、⑤⑥⑦を基に、パソコン上において、哲学読本大全を作成します。
哲学読本大全は、WEB閲覧用とオンデマンド印刷製本用の2種類を作成するものとします。
WEB閲覧用については、誰でも自由に無料で、閲覧できるものとします。
オンデマンド印刷製本用については、誰でも自由に無料で、これを利用して、オンデマンド印刷製本ができるものとします。(商用ベースは除く)
⑨ 都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室においては、オンデマンド印刷製本を行い、哲学読本大全コーナーを設け、利用者の用に供するものとします。
⑩ 哲学読本大全は、国内の出版社の協力を得て作成するものとします。
哲学読本大全には、名文毎に、出典を記載するものとします。例えば「岩波文庫『論語』:(㈱岩波書店」と言う風に。
哲学読本大全が、各出版社の本の紹介を兼ねるものとする事で、出版社の協力を得るものとします。
⑪ 哲学読本大全は、第1シリーズ、第2シリーズと言う風に、定期的に新たなものを作成して行くものとします。
哲学テーマは、シリーズ毎に新たに選定する事としますが、重複しても構わないものとします。
例えば、「愛」と言う哲学テーマについては、シリーズが10回続いたとしても、必ず10回全てに入って来ると思います。何故なら、「愛」に関する名文は尽きる事が無いからです。
⑫ 哲学読本大全作成システムが完成する事により、日本に言葉の花園が生まれる事になり、そして哲学的風土が根付く事になるのです。
人生に悩む若者が哲学読本大全を開きます。
そこには人生に関する名文が、100あるいは200あるいは300並んでいます。
彼はそれを一つ一つ読んで行きます。
そして彼は気付きます。(ある大切な事を)
その様にして、一人また一人と、日本に哲学者(知恵を愛する者)が増えて行く事になるのです。
次に、⑤番目の哲学フォーラムですが、
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を開設し、それらの支援組織として、市町村に哲学フォーラム市町村、都道府県に哲学フォーラム市町村、全国的組織として哲学フォーラム日本を組織する事の総体を言います。
この哲学フォーラムが、日本の哲学的風土作りをリードして行く事になります。
以上が、哲学一貫教育の概要ですが、これら全てを直ぐに実行する事は難しい状況にあります。
小中高校哲学一貫教育(授業)については、文部科学省の学習指導要領を改訂しなければならず、直ぐに実行する事は難しい状況にあります。
また、大学及び大学教育学部における哲学教育(授業)についても、大学間におけるコンセンサスが得られるまでは、中々難しいと思います。
しかし、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が集まれば、直ぐに出来る事があります。
それが哲学フォーラムです。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を開設し、それらの支援組織として、市町村に哲学フォーラム市町村、都道府県に哲学フォーラム都道府県、全国的組織として哲学フォーラム日本を組織するものですが、その概要を示すと次の通りとなります。
先ず、小学校、中学校、高校、大学及び公民館に開設する哲学フォーラム(哲学対話室)ですが、これは全て同じ形式を取ります。
哲学フォーラム(哲学対話室)の大きさは、小学校、中学校、高校の教室程度とします。
場所については、小学校、中学校、高校は空き教室等を利用するものとします。大学については、大学図書館の研修室を、公民館については、公民館の研修室を一時借用するものとします。
開設日時は、小学校、中学校、高校においては、毎週月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時までとします。大学及び公民館においては、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとします。
哲学フォーラム(哲学対話室)の開設時間には、常時、2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。この哲学ボランティア“ソクラテス”が哲学対話室を訪れた者と哲学対話を交わす事になります。
哲学フォーラム(哲学対話室)においては、1対1の対話と数人による対話が同時に進行できる体制を整えておくものとします。
1対1の対話においては、哲学対話室を訪れた者と哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学対話室を訪れた者が対話したい哲学テーマについて、1対1で対話を行うものとします。
数人による対話は、対話する哲学テーマを予め決めて置き、それぞれの哲学テーマについて、数人が古今東西の名著の中の名文中の名文を基に基調講演(数分程度)を行い、その基調講演を基に、参加者全員で対話を行うものとします。プラトンの「饗宴」のイメージです。ここで大切な事は、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に対話を進めて行く事にあります。自説を強調するディベートでは、勝敗を競う事で終わってしまいます。哲学対話室における対話の目的は、優勝劣敗を決する事にではなく、弁証、ダイアログ、昇華にあります。
次に開設方法ですが、
小学校、中学校においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その学校の教師、保護者、OB及びその校区内の住民等で哲学フォーラム○○小学校(中学校)を組織するものとします。哲学フォーラム(哲学対話室)に常駐する哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その学校の教師、保護者、OB及びその校区内の住民等並びに哲学フォーラム市町村の会員等々とします。哲学フォーラム市町村の会員等が小学校、中学校の哲学ボランティア“ソクラテス”と成る事で学校の負担が軽減される事になります。また、これにより、児童生徒はより多くの哲学的素養のある大人と対話する事が出来るようになり、その視野が大きく広がって行く事になります。
高校においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その学校の教師、保護者、生徒代表、OB等で哲学フォーラム○○高校を組織するものとします。その他については、小学校、中学校の哲学フォーラムと同様とします。
大学においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その大学の教師、院生、学生、OB等で哲学フォーラム○○大学を組織するものとします。その他については、小学校、中学校の哲学フォーラムと同様とします。
公民館においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その地域内の住民及びその市町村の市民で哲学フォーラム○○公民館を組織するものとします。その他については、小学校、中学校の哲学フォーラムと同様とします。なお、ここで言う公民館とは数小学校校区を対象地域とする地域公民館の事を言います。校区公民館、部落公民館、集落公民館等で呼ばれる、1小学校校区以下の地域を対象とする公民館について、当分の間、哲学フォーラム開設の対象からは外すものとします。なお、将来的には可能性大です。町の隅々から哲学をささやく声が聞こえてくれば、もう日本は哲学国家です。
以上が、小学校、中学校、高校、大学及び公民館に開設する哲学フォーラム(哲学対話室)の概要です。
次に、これらの哲学フォーラム(哲学対話室)の支援組織である、哲学フォーラム市町村、哲学フォーラム都道府県、哲学フォーラム日本の概要について述べて行きたいと思います。
先ず、哲学フォーラム市町村ですが、
これは、市町村内の小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラムの支援を行う事になります。
具体的には、次の事を行います。
① 哲学フォーラムの広報
② 哲学フォーラムの開設支援(開設の為のノウハウの提供等)
③ 哲学フォーラムの運営支援(哲学ボランティア“ソクラテス”としての参加等)
なお、哲学フォーラム市町村は、哲学(知恵を愛する事)に関心のある者が、個人資格で参加する会員組織とします。
哲学フォーラム市町村の会員は、哲学ボランティア“ソクラテス”として、市町村内の小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)に参加するものとします。
次に、哲学フォーラム都道府県ですが、
これは、都道府県レベルで、小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラムの支援を行う事になります。その他については、哲学フォーラム市町村と同様とします。
次に、哲学フォーラム日本ですが、
これは、全国レベルで、小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラムの支援を行う事になります。その他については、哲学フォーラム市町村と同様とします。
以上が、哲学フォーラムの概要ですが、この哲学フォーラムを完成させるのにお金はほとんど要らないのです。
何故なら、哲学ボランティア“ソクラテス”(哲学フォーラム○○の会員)は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬だからです。
そして、それぞれの哲学フォーラムの施設使用料も、無償だからです。
哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が集まれば、この哲学フォーラムは完成する事になるのです。
しかし、そうは言っても、この哲学フォーラムが自然発生的に動き出す事はありません。
何故なら、哲学フォーラム(哲学対話室)と言う概念が、国民に無いからです。
この哲学フォーラムが動き出す為には、その初期段階において、哲学フォーラム(哲学対話室)の概念の普及と哲学フォーラム(哲学対話室)の開設の支援を行う組織が必要となってきます。
それが、哲学フォーラム全国研究会(これが哲学フォーラム日本の母体となります)と言う事になります。
哲学フォーラム全国研究会とは、各国立大学教員養成学部の哲学担当等の先生方で組織する、哲学フォーラムに関する研究会の事です。
この哲学フォーラム全国研究会では、主に次の二つの事を行います。
一つは、哲学フォーラム(哲学対話室)の概念の普及です。
もう一つは、研究会の各会員(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)が中心となって、各都道府県所在地おいて、哲学フォーラム都道府県所在地(例:哲学フォーラム鹿児島市)の設立を支援すると共に、モデル的な哲学フォーラム(大学1校、高校1校、公民館1館)の開設を支援する事です。
哲学フォーラム都道府県所在地(例:哲学フォーラム鹿児島市)が設立され、モデル的な哲学フォーラム(哲学対話室)が開設されれば、これらを基に、都道府県所在地における哲学フォーラムの展開が自律的に行われる事になります。
都道府県所在地における哲学フォーラム(哲学対話室)の展開が完成すれば、これをモデルに、他の市町村へは、速やかに波及する事になります。
これらの動きが、各都道府県で同時並行的に起これば、一気に哲学フォーラムが完成する事になります。
この先導的な働きをするのが、哲学フォーラム全国研究会と言う事になります。
なお、哲学フォーラム(哲学対話室)については、大学、高校及び公民館を先行させ完成させるものとします。中学校及び小学校については、大学、高校及び公民館の展開が完成し、かつ十分に成熟した後、検討するものとします。
以下に、鹿児島市(県庁所在地)における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの展開のモデルをお示ししたいと思います。
なお、このモデルにおいては、大学、高校、公民館とも、哲学フォーラム(哲学対話室)は、週1回開設する事とし、開設時間については、大学及び公民館が、土曜日の午後2時から午後5時まで、高校が、平日の午後3時から午後5時まで開設する事を想定しています。
また、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)には、常時2人の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとし、哲学ボランティア“ソクラテス”は、月に1回担当する事を想定しています。(1哲学フォーラム当たり、10人の哲学ボランティア“ソクラテス”(2人×5回=10人)を想定しています。)
また、哲学ボランティア“ソクラテス”は、原則として全員が哲学フォーラム鹿児島市の会員になる事を前提としています。
以上の前提の下で、鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの展開を,
5期で完成させるモデルを以下にお示ししたいと思います。
なお、鹿児島市には、端数整理をすると、大学が5校(短大を含む)、高校が20校、地域公民館が15館あります。
第1期:哲学フォーラム全国研究会の会員の先生(鹿児島大学教育学部の哲学担当の先生)が中心に成って、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者を会員とする、哲学フォーラム鹿児島市を組織します。
第2期:哲学フォーラム鹿児島市が中心になって、大学1校、高校1校、公民館1館に
おいて、モデルとなるような哲学フォーラム(哲学対話室)の開設を支援するものとします
モデルとしては、鹿児島大学、鶴丸高校、中央公民館を選定するものとし、それぞれ、哲学フォーラム鹿児島大学、哲学フォーラム鶴丸高校、哲学フォーラム中央公民館と称するものとします。
それぞれの哲学フォーラムの開設方法は、次の通りとします。
鹿児島大学においては、哲学に熱心な大学内の教師、院生、学生、OB等10名程度で、哲学フォーラム鹿児島大学を組織するものとします。
鶴丸高校においては、哲学に熱心な高校内の教師、学生、保護者、OB等10名程度で、哲学フォーラム鶴丸高校を組織するものとします。
中央公民においては、哲学に熱心な鹿児島市民10名程度で、哲学フォーラム中央公民館を組織するものとします。
それぞれの哲学フォーラムの会員は、哲学フォーラム鹿児島市の会員にもなるものとします。
それぞれの哲学フォーラムは、当初は10名程度の会員でスタートするものとしますが、それぞれの哲学フォーラムの趣旨に賛同する者は、誰でも、それぞれの哲学フォーラムの会員になって頂くものとします。また、同時に哲学フォーラム鹿児島市の会員にもなって頂くものとします。
それぞれの哲学フォーラムの会員が、哲学フォーラム鹿児島市の会員になるシステムを取る事で、哲学フォーラム鹿児島市の会員は自動的に増えて行く事になります。
哲学フォーラム鹿児島市の会員は、自らが所属する哲学フォーラム(哲学対話室だけでなく、それ以外の哲学フォーラム(哲学対話室)にも、哲学ボランティア“ソクラテス”として、積極的に参加するものとします。
このシステムにより、それぞれの哲学フォーラムは、より軽い負担で哲学フォーラム(哲学対話室)を運営して行く事が出来る事となります。
第3期:大学5校、高校5校、公民館5館を目標に、哲学フォーラムの開設を支援するものとします。
この目標が達成された時点で、哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)は、150名(10名×15哲学フォーラム)以上となります。
第4期:大学5校、高校10校、公民館10館を目標に、哲学フォーラムの開設を支援するものとします。
この目標が達成された時点で、哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)は、250名(10名×25哲学フォーラム)以上となります。
第5期:大学5校、高校20校、公民館15館、すなわち鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの完成を目標に、支援するものとします。
この目標が達成された時点で、哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)は、400名(10名×40哲学フォーラム)以上となります。
なお、第5期の鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムのシステムが完成した時の哲学フォーラム鹿児島市の会員は400名ではなく、1,000名にはなっている筈です。
何故なら、400名とは、それぞれの哲学フォーラムの開設時の会員数の積算だからです。
それぞれの哲学フォーラム開設後、それぞれの哲学フォーラムに賛同する者が、次々とそれぞれの哲学フォーラムと哲学フォーラム鹿児島市の会員になっていきますから、実際は400名ではなく、それ以上と言う事になります。
その数は3倍を下回る事はないでしょう。
ですから、少なく見積もって1,000名です。
哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)が、1,000名いると言う事は何を意味するのでしょうか。
それは、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)が、週1回でなく、週2回でも、週3回でも開設が可能になる事を意味します。
特に、高校においては、週に複数回の開設要望が出て来ると思いますが、それにも対応する事が出来るようになります。(高校生たちは、学校に居ながらにして、知恵を愛する多くの大人たちと対話が出来るようになるのです。素晴らしい事だとは思いませんか。多分、毎日哲学フォーラム(哲学対話室)を開設しても、応じきれないような盛況になると思います。高校生たちは知恵比べのつもりで、または真剣に自分の求めるものを求める為に、哲学フォーラム(哲学対話室)に集う事になります。)
鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムのシステムが完成すれば、他の市町村には速やかに波及して行く事になります。
この波及段階で、哲学フォーラム鹿児島県が組織される事になります。
哲学フォーラム鹿児島県の会員は、哲学フォーラム各市町村の会員となります。
ですから、それぞれの大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの会員=各市町村の哲学フォーラムの会員=哲学フォーラム鹿児島県の会員と言う関係が成り立つ事になります。
全ての哲学フォーラムは、個人の資格として参加する事なります。
哲学フォーラム鹿児島県が組織されれば、市町村を超えた哲学フォーラムの交流が行われる事になります。
以上が、鹿児島における、大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの展開モデルです。
この展開モデルが、日本全国の各都道府県で同時並行的に行われれば、数年の内に、日本全国の大学、高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が開設される事になります。
日本全国の全ての大学、高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が開設される!
その最終形は、大学及び公民館においては、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、高校においては、毎週月曜日から金曜日の午後3時から午後5時まで開設される!
この最終形を想像してみてください。
日本にどのような変化が起こるのでしょうか。
これらは全て、各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方で組織される哲学フォーラム全国研究会の設立と、哲学フォーラム全国研究会の会員の方(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)が行う哲学フォーラム県庁所在地の設立支援と各県庁所在地におけるモデル的な哲学フォーラム(大学1校、高校1校、公民館1館)の開設支援から始まるのです。
なお、哲学フォーラム県庁所在地の設立の際に、モデル哲学フォーラムの関係者にも、会員になって頂き、モデル哲学フォーラムとその後の県庁所在地における哲学フォーラムの展開方法を示しておけば、後は哲学フォーラム県庁所在地が自律的に展開して行く事になります。
何故なら、人が誰もが哲学(知恵を愛する事)を愛して止まない存在だからです。
極端な事を言えば、哲学フォーラム全国研究会の会員の方(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)は、哲学フォーラム都道府県庁所在地の設立趣意書を作成し(させ)、都道府県所在地における哲学フォーラムの展開方法を作成し(させ)、哲学に熱心な者を十数名集め(させ)て、哲学フォーラム都道府県所在地の設立会を開催する(させる)だけで良いのです。
後は、哲学フォーラム県庁所在地が、自律的に展開して行く事になります。
哲学フォーラム全国研究会の会員の方(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)は、その後は、象徴的存在(代表または顧問等)として、存在して頂ければ良いのです。
哲学フォーラムには、大きな可能性があります。
より良き日本の為に、どうか哲学フォーラムを御検討下さいますようお願いいたします。
哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。
この日本にもう少し哲学的風土(知恵を愛する風土)が生まれたら良いと思います。
最後に、先生方のますますのご清祥をご祈念申し上げまして、今回の提唱を終わりたいと思います。
敬具
平成21年6月24日
哲学哲男こと橋元隆志
〒891-3101 鹿児島県西之表市西之表6387-27
Mail:sofialover@nifty.com
追伸
当該提唱文は、別表の先生方に郵送しています。
別表は、各国立大学のホームページより、教員養成学部の哲学担当の先生方だと思われる先生方を選んで作成したものです。
どうか、先生方同士で、哲学フォーラムについて、御検討頂して頂きたいと思います。
より良き日本の為に。
【哲学フォーラムと哲学教育】郵送先一覧
番号 所 属 教官名 都道府県名
1 北海道大教育大学札幌校 中川大準教授 北海道
2 北海道大教育大学函館校 後藤壽也教授 〃
3 北海道大教育大学旭川校 佐々木周準教授 〃
4 北海道大教育大学釧路校 川﨑惣一準教授 〃
5 北海道大教育大学岩見沢校 一條和彦準教授 〃
6 弘前大学教育学部 山田史生準教授 青森県
7 岩手大学教育学部 宇佐美公生教授 岩手県
8 東北大学教育学部 池尾恭一教授 宮城県
9 宮城教育大学 太田直道教授 〃
10 秋田大学教育文化学部 立花希一教授 秋田県
11 山形大学地域教育文化学部 田口茂準教授 山形県
12 福島大学人間発達文化学類 小野原雅夫準教授 福島県
13 茨城大学教育学部 木村競教授 茨城県
14 筑波大学人間学群教育学類 米澤茂教授 茨城県
15 宇都宮大学教育学部 山田有希子助教授 栃木県
16 群馬大学教育学部 村上隆夫教授 群馬県
17 埼玉大学教育学部 渋谷治美教授 埼玉県
18 千葉大学教育学部 田中健夫教授 千葉県
19 東京学芸大学 荒井洋一教授 東京都
20 東京学芸大学 稲見正治教授 〃
21 東京学芸大学 小林春夫教授 〃
22 東京学芸大学 藤井健志教授 〃
23 東京学芸大学 栗原裕次準教授 〃
24 東京学芸大学 井ノ口哲也準教授 〃
25 横浜国立大学教育人間科学部 下城一教授 神奈川県
26 山梨大学教育人間科学部 今義博教授 山形県
27 新潟大学教育学部 長岡成夫教授 新潟県
28 上越教育大学 松田慎也教授 〃
29 富山大学人間発達科学部 野平慎二準教授 富山県
30 金沢大学人間社会学域 岡崎文明教授 石川県
31 福井大学教育地域科学部 小林道徳教授 福井県
32 信州大学教育学部 茂木秀淳教授 長野県
33 岐阜大学教育学部 坂内栄夫教授 岐阜県
34 静岡大学教育学部 馬居政幸教授 静岡県
35 愛知教育大学 大澤秀介教授 愛知県
36 三重大学教育学部 秋元ひろと教授 三重県
37 滋賀大学教育学部 小池澄夫教授 滋賀県
38 京都教育大学 平石隆敏教授 京都府
39 大阪教育大学 岩田文昭教授 大阪府
40 兵庫教育大学 森秀樹準教授 兵庫県
41 神戸大学発達科学部 稲場圭信準教授 〃
42 奈良教育大学 伊豆蔵好美準教授 奈良県
43 和歌山大学教育学部 天野雅郎教授 和歌山県
44 鳥取大学地域学部 河合務講師 鳥取県
45 島根大学教育学部 山崎亮教授 島根県
46 岡山大学教育学部 宮崎宏志準教授 岡山県
47 広島大学教育学部 畠中和生準教授 広島県
48 山口大学教育学部 岡村康夫教授 山口県
49 鳴門教育大学 斎木哲郎 徳島県
50 香川大学教育学部 石川徹準教授 香川県
51 愛媛大学教育学部 壽卓三教授 愛媛県
52 高知大学教育学部 尾崎道彦教授 高知県
53 福岡教育大学 堀豊準教授 福岡県
54 佐賀大学文化教育学部 後藤正英教授 佐賀県
55 長崎大学教育学部 篠原駿一郎教授 長崎県
56 熊本大学教育学部 八幡英幸準教授 熊本県
57 大分大学教育福祉科学部 神崎秀紀準教授 大分県
58 宮崎大学教育文化学部 伊座敷隆弘教授 宮崎県
59 鹿児島大学教育学部 種村完司教授 鹿児島県
60 琉球大学教育学部 小屋敷琢己準教授 沖縄県
※ 上記大学は、全て日本教育大学協会会員大学です。
追記
哲学フォーラムが完成し、更に哲学一貫教育が完成すれば、哲学教育の中心は、旧帝国大学文学部の哲学講座と各国立大学教育学部(教員養成学部)の哲学教育講座に二分される事になります。
旧帝国大学文学部の哲学講座では、現在と同じく文献哲学を行う事になります。
各国立大学教育学部の哲学教育講座では、本来の意味での哲学、philosophia、知恵を愛する為の教育が行われる事になります。
なお、各国立大学教育学部の哲学教育講座は、7名程度の教官(西洋思想史、東洋思想史、日本思想史、美学・芸術学、宗教学、倫理学・道徳教育、教育哲学等)で構成される事になります。
各国立大学教育学部の哲学教育講座では、小中高校の教師や哲学ボランティア“ソクラテス”の育成の他、各国立大学の共通科目としての哲学科目も担当する事になります。
旧帝国大学以外の各国立大学においては、哲学教育の中心が、現在の文学部から教育学部に完全にシフトする事なります。
そしてまた、国立大学教育学部哲学教育講座が、各都道府県における哲学的センターとなって行くのです。
「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
岩波書店編集局哲学担当編集部長宛て
角川書店編集局哲学担当編集部長
新潮社編集局哲学担当編集部長
小学館編集局哲学担当編集部長
集英社編集局哲学担当編集部長
講談社編集局哲学担当編集部長
文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
中央公論社編集局哲学担当編集部長
筑摩書房編集局哲学担当編集部長
河出書房新社編集局哲学担当編集部長
平成21年9月6日提唱
【哲学読本の作成について】
~哲学一貫教育実現の為に~
拝啓
株式会社岩波書店 編集局 哲学担当編集長 殿
私は哲学に関心のある者です。
そして、哲学によって、日本が素晴らしい国家に成ると思っている者です。
私はその為に、哲学一貫教育を提唱しています。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する教育の事です。
この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。
① 小中高校哲学一貫教育
② 大学及び公民館における哲学教育
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
④ 哲学読本大全の作成
⑤ 哲学フォーラム
先ず、①番目の小中高校哲学一貫教育ですが、
これは小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行う教育の事です。
具体的には、小学校及び中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、現在の倫理を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、小学校、中学校、高校の12年間に渡る、授業時間週2時間の哲学一貫教育を完成させます。
授業においては、読書と作文を行います。
教材としては、哲学読本と哲学ノートを使用します。
哲学読本とは、各学年に相応しい哲学テーマを35(1年間に授業可能な週の数を想定)選定し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度集めて、編集したものです。
哲学ノートとは、児童生徒が、哲学テーマに関する作文を綴る為のノートの事です。
授業は次のように進めます。
先ず、週の最初の時間に、哲学読本の中の一つの哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度読みます。
次に、週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間の間に思索した結果を、哲学ノートに作文として纏めます。
これを小学校、中学校、高校の12年間続けて行います。
これにより、児童生徒は12年間の間に420(35哲学テーマ×12年間=420)の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、420の哲学テーマにについて、作文を書く事になります。
これにより、哲学的素養のある児童生徒が育つ事になります。
また、小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置します。
哲学対話室とは、児童生徒と哲学的素養のある大人が、1対1で、もしくは数人で哲学的対話を行う部屋の事です。
哲学対話室は、課外とし、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
この哲学対話室において、児童生徒は自らにおいて自らの師を見出す事になります。
そしてこの哲学対話室から、真に哲学的素養に優れた児童生徒が育って行く事になります。
次に、②番目の大学及び公民館における哲学教育ですが、
大学においても、哲学を必修とします。
授業時間については、週1授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
これにより、小学校、中学校、高校、大学の哲学一貫教育が完成する事になります。
また、公民館においても、毎週1回哲学講座を開催するものとします。
これにより、一生涯に渡る哲学一貫教育が完成する事になります。
また、大学及び公民館においても、哲学対話室を設置するものとします。
大学及び公民館に設置する哲学対話室については、広く国民に開放するものとします。
これにより、哲学に関心のある人々が、大学及び公民館の哲学対話室に集まる事になり、日本に哲学風土が根付く事になります。
なお、大学及び公民館の哲学対話室については、当分の間、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
“土曜日の午後は哲学対話室で!”
この合言葉の下、土曜日の午後に、児童生徒を含め、哲学に関心のある者が、大学及び公民館の哲学対話室に一斉に集まる事になります。
次に③番目の大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)ですが、
国づくりの基礎は、教育です。
教育の基礎は、教師です。
哲学的素養に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行います。
授業時間は、週3授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
授業の内容は、小中高校哲学一貫教育と連動したものとなります。
カリキュラムを示す次の通りです。
① 哲学
古今東西の名著(哲学書)の中の名文中の名文を基に、哲学に関する主要なテーマを哲学します。
② 宗教
キリスト教、仏教、イスラム教、神道、ユダヤ教、ヒンズー教等経典の中の名文中の名文を基に、宗教に関する主要なテーマを哲学します。
③ 文学
古今東西の名著(文学書)の中の名文中の名文を基に、文学に関する主要なテーマを哲学します。
④ 社会科学
古今東西の名著(社会科学図書)の中の名文中の名文を基に、社会科学に関する主要なテーマを哲学します。
⑤ 自然科学
古今東西の名著(自然科学図書)の中の名文中の名文を基に、自然科学に関する主要なテーマを哲学します。
⑥ 憲法
日本国憲法、アメリカ憲法、イギリス憲法、フランス憲法、中国憲法、韓国憲法等の条文を基に、日本国憲法の主要なテーマを哲学します。
⑦ 教科哲学
中学校で履修する9科目について、教科書を基に、各教科及び各教科の主要な単元を哲学します。
⑧ テーマ哲学
日本国民に関心のあると思われる100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に、その概念を哲学します。哲学テーマ例としては、知恵、愛、勇気、忍耐、節制、友情、仕事、勉強、学校、国家、社会、家族、自然、環境等々
⑨ 芸術
古今東西の名画、名曲の鑑賞を基に、芸術に関する主要なテーマを哲学します。
⑩ 日本思想史
日本の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事によって、日本の思想の流れを哲学します。
⑪ 西洋思想史
西洋の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事 によって、西洋の思想の流れを哲学します。
⑫ 古代古典講読
古典中の古典10冊を講読します。なお、古典については、「論語」、「老子」、「マタイ福音書」、「バガヴァッド・ギーター」、「ダンマバダ(法句経)」、「饗宴」、「自省録」、「エピクロス『手紙』」、「エピクテトス『語録』」、「セネカの『道徳論集』の1編」、「旧約聖書『詩篇』、『箴言』」等々、半日または一日で読み切る事の出来るものを対象とします。
⑬ 哲学百章の作成
自らに関心のある100の哲学テーマについて、自らにおいて哲学し、その結果を、哲学百章として、冊子に纏めるものとします。
⑭ 哲学対話百録の作成
哲学対話を100回行い、その対話録を、哲学対話百録として、冊子に纏めるものとします。
⑮ 小中高校の哲学対話室への参加
小中高校の哲学対話室に参加し、児童生徒と哲学対話を行うものとします。また、大学及び公民館の哲学対話室にも積極的に参加するものとします。
大学教育学部の哲学教育の目的は、児童生徒を生き生きとした言葉の世界に誘う事の出来る教師を育成する事にあります。その為にも、生き生きとした生きた言葉から学ばなければならないのです。
次に、④番目の哲学読本大全の作成についてですが、
哲学読本大全とは、国民に関心のある500の哲学テーマを選定し、それぞれ哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集めて編集した読本の事です。
この哲学読本大全は、国民の英知を結集して作成するものとします。
1編の文章量は、文庫本4頁程度とします。
作成方法を示すと次の通りとなります。
① 哲学読本大全作成委員会(以下委員会と言う)を設置します。
② 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、国民にとって大切な哲学テーマを募集します。
③ 委員会において、500の哲学テーマを選定します。
④ 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集します。
募集の方法は、名文の箇所をコピーして郵送等で送付して貰うか、名文の箇所をスキャナーで読み込み電子メール等で送信して貰う方法によるものとします。
⑤ 委員会において、募集のあった名文を全てスキャナーで読み込み、テキスト形式に変換した上で、哲学テーマ毎にパソコン上で整理します。
⑥ 委員会において、500の哲学テーマ毎に、100の名文を選定します。
⑦ 委員会において、それぞれの名文毎に、簡単な書誌を作成します。
⑧ 委員会において、⑤⑥⑦を基に、パソコン上において、哲学読本大全を作成します。
哲学読本大全は、WEB閲覧用とオンデマンド印刷製本用の2種類を作成するものとします。
WEB閲覧用については、誰でも自由に無料で、閲覧できるものとします。
オンデマンド印刷製本用については、誰でも自由に無料で、これを利用して、オンデマンド印刷製本ができるものとします。(商用ベースは除く)
⑨ 都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室においては、オンデマンド印刷製本を行い、哲学読本大全コーナーを設け、利用者の用に供するものとします。
⑩ 哲学読本大全は、国内の出版社の協力を得て作成するものとします。
哲学読本大全には、名文毎に、出典を記載するものとします。例えば「岩波文庫『論語』:(㈱岩波書店」と言う風に。
哲学読本大全が、各出版社の本の紹介を兼ねるものとする事で、出版社の協力を得るものとします。
⑪ 哲学読本大全は、第1シリーズ、第2シリーズと言う風に、定期的に新たなものを作成して行くものとします。
哲学テーマは、シリーズ毎に新たに選定する事としますが、重複しても構わないものとします。
例えば、「愛」と言う哲学テーマについては、シリーズが10回続いたとしても、必ず10回全てに入って来ると思います。何故なら、「愛」に関する名文は尽きる事が無いからです。
⑫ 哲学読本大全作成システムが完成する事により、日本に言葉の花園が生まれる事になり、そして哲学的風土が根付く事になるのです。
愛に悩む若者が哲学読本大全を開きます。
そこには愛に関する名文が、100あるいは200あるいは300並んでいます。
彼はそれを一つ一つ読んで行きます。
そして彼は気付きます。(ある大切な事を)
その様にして、一人また一人と、日本に哲学者(知恵を愛する者)が増えて行く事になるのです。
次に、⑤番目の哲学フォーラムですが、
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を開設する事です。
これらの哲学フォーラム(哲学対話室)が、連携し、響き合う事によって、日本に哲学的風土が根付く事になります。
以上が哲学一貫教育の全体像ですが、これら全てを一気に実現させる事には無理があります。
先ず、小中高校哲学一貫教育ですが、これを実現させる為には、文部科学省の学習指導要領を改訂しなければならず、相当の準備期間が必要となります。
また、大学における哲学教育についても、大学間のコンセンサスが得られるまでには相当の時間が必要になると思われます。
しかし、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が集まれば直ぐに出来るものがあります。
それが、哲学フォーラム(哲学対話室)です。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事です。
この哲学フォーラム(哲学対話室)において、1対1の哲学的対話や数人による哲学的に対話が行われる事になります。
この哲学フォーラム(哲学対話室)が、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置される事になるのですが、その様式は全て同じです。
先ず大きさですが、学校の教室程度を想定しています。
この哲学フォーラム(哲学対話室)には、常に哲学ボランティア“ソクラテス”と言う者が2名以上常駐するものとします。
哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者と哲学ボランティア“ソクラテス”が1対1の対話または数人による対話を行う事になります。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
場所については、小学校、中学校、高校については、空き教室等を利用するものとします。
大学については、大学図書館の研修室等を、公民館については、公民館の研修室等を一時借用するものとします。
開設日については、当面は週1回開催するものとします。
小学校、中学校、高校については、平日の午後3時から午後5時まで開設するものとします。(課外活動として行います。)
大学及び公民館については、土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
以上が、当面の哲学フォーラム(哲学対話室)の概要です。
この哲学フォーラム(哲学対話室)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置する事になるのですが、お金は1円も必要ないのです。
何故なら、会場使用料は無償ですし、哲学ボランティア“ソクラテス”も無報酬だからです。
しかしそうは言っても、これらの全ての哲学フォーラム(哲学対話室)を一気に立ち上げるとなると、無理があります。
何故なら絶対数があまりにも多いからであり、また哲学フォーラム(哲学対話室)と言う概念が国民に認知されていないからです。
そこで私は先ず、公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)から展開しようと考えています。
公民館での哲学フォーラム(哲学対話室)の展開のノウハウを利用して、次に大学、そして高校、中学校、小学校と言う順に展開しようと考えています。
なお、公民館には、中央公民館、地域公民館、校区公民館、集落公民館等々様々な公民館がありますが、当面は、社会教育法第21条第1項に基づき設置される公民館(全国で17,143公民館)を対象とする事とします。
公民館における哲学フォーラム(哲学対話室)の展開については、先ず全国の県庁所在地の中央公民館(47館)に設置し、次に全国の各市の中央公民館(783館)に設置し、更にその次に全国の市町村の中央公民館(1,775館)に設置し、そして最終的には全国の全ての公民館(17,143館)に設置しようと考えています。
私はその為に、先ずは私の地元である鹿児島市の公民館(14館)において、哲学フォーラム(哲学対話室)を展開しようと考えているのですが、ここに大きな問題があるのです。
それが、『哲学読本』なのです。
ここで公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の開設方法及び運営方法について、もう少し詳しく説明しておきます。
先ずは開設方法についてですが、
先ずは、公民館において、半年の哲学講座を開設します。
これには、国立大学の教育学部の哲学担当の先生方にも協力して頂きます。※1
次に、哲学講座の卒業生や哲学に関心のある市民で、公民館の自主活動グループとして「哲学フォーラム公民館名」を組織します。
この自主活動グループ「哲学フォーラム公民館名」が、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の研修室を一時借用して、哲学フォーラム(哲学対話室)を開設します。
以上が、開設方法です。
次に運営方法ですが、
哲学フォーラム(哲学対話室)の開設時間中は、常に2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。
この哲学ボランティア“ソクラテス”を中心に、1対1の哲学的対話や数人による哲学的対話が同時並行的に行われる事になります。
1対1の哲学的対話では、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者と哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者が関心のある哲学テーマについて、1対1で対話を行う事になります。
1対1の哲学的対話では、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者は、心行くまで
哲学ボランティア“ソクラテス”と対話を重ねる事が出来ます。
哲学的視座さえ持っていたら、そのテーマは人生相談でも良いのです。
哲学ボランティア“ソクラテス”が哲学的視座さえ持っていたら、それは、人生相談から、哲学的弁証、そして哲学的止揚へと発展して行けるからです。
数人による哲学対話については、あらかじめ対話する哲学テーマを決めて置き、各人がその哲学テーマ関して選んだ古今東西の名著の中の名文中の名文を基に3分程度の基調講演を行った後、それに基づき、数人によるまたはそこに居合わせた人々と対話を進めて行く事になります。プラトンの「饗宴」のイメージです。
この数人による対話のキーポイントは、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に行う事にあります。
何故、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に行うかと言うと、古今東西の哲学者(知恵を愛した者)の知恵の土台の上に、更なる哲学的弁証、哲学的止揚を目的としているからです。
古今東西の哲学者(知恵を愛した者)たちの知恵を借りて対話が始まりますが、それはお互いに取って、思いもかけない思想の発展を齎す事となるのです。それが、哲学フォーラム(哲学対話室)の真髄です。
もしある哲学テーマについてフリートーキングで行えば、それは自説の主張に終始し、対話とはならず、討論に終始してしまう事になります。
討論の目的は勝敗ですので、結局は後味の悪いものとなり、哲学フォーラム(哲学対話室)が存続し得なくなるのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)の目的は、あくまでも対話、弁証、止揚なのです。
評価の定まった古今東西の哲学者(知恵を愛する者)の知恵からスタートする事により、ある程度の客観性を保持したまま、更なる止揚へと発展して行く事が出来るのです。
ある哲学テーマについて、思索し、古今東西の名著の中にその言葉を捜し、そして更に思索を重ねた後、哲学フォーラム(哲学対話室)での対話に臨めば、その対話が如何に素晴らしいものになるお分かりになると思います。
ここで問題が発生するのです。
それが『哲学読本』なのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)のおける数人の哲学対話においては、毎週、対話する哲学テーマが変って行きます。
読書量の豊かな人ならば、その哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を探し出し、それに熟考を重ねた上で、哲学フォーラム(哲学対話室)に望む事が出来ます。
しかし、普通の人は中々そこまで行き着く事が出来ません。
自然、哲学フォーラム(哲学対話室)は、多くの人に取っては縁の無いものとなって行きます。
私の目指す哲学は、市民哲学です。
市民一人一人が、哲学(知恵を愛する事)によって、哲学的に成熟して行く事にあります。
その為には、先人の素晴らしい知恵の言葉が必要なのです。
私の提唱する哲学一貫教育の中の『哲学読本大全』が存在すれば、公民館だけでなく、大学、高校、中学校、小学校においても哲学フォーラム(哲学対話室)は直ぐに立ち上がり、そしてそこでは哲学対話が活発に交わされる事になります。
何故なら、一つの哲学テーマに関して、古今東西の名著の中の名文中の名文が百も二百三百もあるのですから。
彼らはそれらを読み、その中から最も自分に適した名文を基に、哲学フォーラム(哲学対話室)に臨む事が出来ます。
そして、そこに彼らが予期しなかった、更なる弁証、止揚が待っている事になるのです。
『哲学読本大全』は、哲学フォーラム(哲学対話室)だけでなく、哲学一貫教育の基礎の基礎となるものです。
『哲学読本大全』は、日本国民の哲学的素養を育てる為の一大貴重図書なのです。
しかし『哲学読本大全』が実現するまでには、相当な時間が必要です。
そこで編集長様にお願いがあるのです。
それは、貴社独自で『哲学読本』を作成して頂きたいと言う事です。
貴社出版物の中には、それこそ古今東西の名著が山ほどあります。
これらを基に、貴社独自の『哲学読本』を作成して頂きたいのです。
なお、今回の提唱については、次の10社に対して行っています。
①岩波書店、②角川書店、③新潮社、④小学館、⑤集英社、⑥講談社、⑦文藝春秋社、⑧中央公論新社、⑨筑摩書房、⑩河出書房新社
つきましては、別紙「哲学読本作成要領」に基づき、それぞれ各社独自で『哲学読本』を作成して頂きたいと思います。
今回の『哲学読本』は、各社が独自にそれぞれ1冊ずつ発行して頂く事になりますが、規格及び発行時期を合わせる事によって、「哲学読本10冊1セット」の形を取る事にします。
そして、出版社及び哲学教育関係者等で「哲学読本推薦委員会」の様なものを組織し、これとの連携協力の中で、日本国中の全ての都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室及び公民館図書室に「哲学読本10冊1セット」を備え付けて頂くものとします。
その為には、「哲学読本10冊1セット」の価格は、出来るだけ安価に設定する必要があります。
なお、私は今回の提唱の前に、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方(別紙名簿)に、「哲学フォーラムと哲学教育」と言う標題で提唱しています。
この提唱では、先ず哲学一貫教育の概要を説明した後で、哲学一貫教育の5つの柱の内、志のある者が集まれば直ぐにでも実施できる哲学フォーラム(哲学対話室)について、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方が中心になり、多くの哲学(知恵を愛する事)に志のある者を集めて、「哲学フォーラム日本」を組織して頂き、日本全国で哲学フォーラム(哲学対話室)を展開して頂きたいと言うものでした。
お一人の先生からは賛同の意も頂いていますが、実際にはもっと多くの先生方に賛同して頂いていると思っています。
つきましては、別添名簿の先生方ともお話を進めた上で、是非「哲学読本10冊1セット」を実現させて頂きたいと思います。
何故なら、「哲学読本10冊1セット」があれば、哲学フォーラム(哲学対話室)は、いとも簡単に展開できるからです。
この「哲学読本10冊1セット」は、私の提唱する『哲学読本大全』のような絶大な効果はありませんが、それでも実現すれば、今の日本に、哲学の夜明けを齎す事にはなると思います。
私が何故、文学部の哲学の先生ではなく、教育学部の哲学の先生を対象にしているかと言えば、「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う事は、児童生徒学生そして市民の中に生きているものだからです。
教育学部はその哲学を生かす機会に恵まれていますが、文学部においてはそれが望めないからです。
哲学には、二つの概念があると思います。
一つは文献哲学であり、一つはphilosophia、知恵を愛すると言う事です。
文献哲学は、これまで通り、文学部に担当して頂ければ良いと思いますが、
「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う事は、あくまでも教育学部の所管なのです。
私はその為にも、教育学部に対して、哲学一貫教育を提唱しているのです。
今回の『哲学読本』の作成を機会に、私が提唱文を送った別紙国立大学の教育学部の先生方(別紙名簿)と哲学教育について、是非話し合ってみて下さい。
そうすれば、『哲学一貫教育』こそが、日本をより成熟した国家へと導くメソッドだと言う事が分かるようになる筈です。
なお、哲学一貫教育は、①小中高校哲学一貫教育、②大学及び公民館における哲学教育、③教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)、④哲学読本大全の作成、⑤哲学フォーラムの5つの柱から成っていますが、「哲学読本10冊1セット」を契機に次のように展開されていく事になると思います。
一 「哲学読本10冊1セット」を基に、公民館及び大学において、哲学フォーラム(哲学対話室)が展開され始める。
二 公民館及び大学の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開に伴い、哲学読本大全の必要性が要請され、哲学読本大全が作成される。
三 哲学読本大全の完成に伴い、最初は高校に、次に中学校に、そして最後に小学校に哲学フォーラム(哲学対話室)が展開されるようになる。
四 哲学フォーラム(哲学対話室)の全面的展開により、教育学部における徹底した哲学教育が要請されるようになる。また、大学及び公民館における哲学教育も要請されるようになる。更には、小中高校哲学一貫教育が要請されるようになる。
五 一から四の成熟に伴い、文部科学省指導要領が改訂され、小中高校哲学一貫教育が実現する。
六 一から五の成熟に伴い、日本が愈々哲学的に成熟して行く。
以上、最後には夢見物語になりましたが、哲学一貫教育には日本と言う国が、夢を託すだけのものはあると思います。
そして、そのスタートが、「哲学読本10冊1セット」となります。
どうか、別紙「哲学読本作成要領」に基づき、哲学読本を作成して頂きたいと思います。
最後に、編集長様のますますのご清祥を祈念いたしまして、この提唱を終わりたいと思います。
平成21年9月5日
鹿児島県西之表市西之表6387―27
哲学哲男こと橋元隆志
sofialover@nifty.com
『哲学読本』作成要領
1 目的
哲学とは、philosophia、知恵を愛する事、
『哲学読本』は、国民一人一人が知恵を愛する為の参考書として作成する。
2 内容
① 国民に取って大切だと思われる100の哲学テーマについて、それぞれの哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文5編を選定して、編集する。(名文は、全部で500編となる。)
② 名文1編の文章量は、B5版、4段組(または5段組)、縦書き、2頁に収まる分量とする。名文1編の文章量は、4,000字程度か。
③ 名文1編ごとに簡単な書誌を付す。
④ 名文1編とその書誌を見開き2頁に収める。
⑤ 生存者の名文は選定しない。なるべく古典から選定する。
3 規格
① B5版、4段組(または5段組)、縦書きとする。
② 頁数は、1,200頁前後とする。
③ 印刷、製本、紙質は、最も安価なものとする。(なるべく多くの国民に流通する為に)
4 作成方法
① 編集局に哲学読本作成委員会(以下委員会と言う)を設置する。(委員長は哲学担当編集長とする。)
② 委員会において、編集局員等(社員や関係者等も含める)を対象に、国民に取って大切だと思われる哲学テーマを募集する。
③ 委員会において、100の哲学テーマを決定する。
④ 委員会において、100の哲学テーマそれぞれについて、編集局員等(社員や関係者等も含める)を対象に、自社出版物の中の古今東西の名著の中の名文中の名文を募集する。
⑤ 委員会において、それぞれの哲学テーマ毎に、5編の名文を決定する。
⑥ 委員会において、それぞれの名文毎に簡単な書誌を作成する。
⑦ 哲学担当編集長の下、編集、印刷、製本を行う。
※ 印刷については、既存本があるので、これをスキャナー等で読み込み、テキスト形式に変換して、印刷するなど、最も安価な印刷方法を採用するものとする。
5 発行方法
岩波書店、角川書店、新潮社、小学館、集英社、講談社、文藝春秋社、中央公論新社、筑摩書房、河出書房新社の10社が、それぞれに『哲学読本』を発行するものとするが、発行時期、規格等を合わせる事により、「哲学読本10冊1セット」の形をとるものとする。
6 哲学読本推薦委員会
出版社及び哲学教育関係者において、哲学読本推薦委員会を組織し、この委員会推薦の下、日本国中の全ての都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室に「哲学読本10冊1セット」で備えて貰うものとする。また、日本国中の全ての書店において、『哲学読本』キャンペーンを行う。
7 哲学テーマ
様々な哲学テーマが考えられるが、例示すると次のようなものが考えられる。
愛、勇気、忍耐、知恵、節制、寛容、友情、家族、仕事、勉強、兄弟、学校、学問、哲学、科学、政治、経済、社会、国家、結婚、恋愛、道徳、自然、環境、地球、宇宙、力、文学、音楽、芸術、真、善、美、読書、作文、思索、対話、宗教、大人、子供、親、良心、青年、男、女、心、精神、肉体、自分、私、言葉、論理、感情、快楽、死、人生、命、神、克己、性、平和、自由、平等、瞑想、思想、夢、希望、理想、無、歴史、現代、古代、戦争、権力、権威、都会、聖人、英雄、人間、町、村、隣人、親族、関係、光、闇、不安、子孫、先祖、時間、永遠、誠、祭、道、天地(海、山、川、森、天、地)、行動、進歩、未来、過去、老い、病、健康、挫折、信仰、自信、伝統、日本、世界、風土、風俗、民族、言語、認識、常識、良識、知識、大学、教養、禁欲、欲望、少年、遊び、旅、少女、教育、志、季節(春、夏、秋、冬)、地位、名誉、富、感覚、天国、誕生、勤勉、幸福、正義、慈悲、運命、経験、観念、敬虔、畏敬、尊敬、苦悩、生活、朝、夜、食、眠り、法、喜、怒、哀、楽、労働、感動、記憶、創造、祈り、徳、中庸、普遍、習慣、文化、文明、文字、数、直感、意志、神秘、衝動、人格、他
8 哲学読本に掲載する古今東西の名著の中の名文中の名文とは
哲学読本に掲載する古今東西の名著の中の名文中の名文とは、俗に言う哲学分野だけでなく、宗教分野(聖典、仏典、経典等)、文学分野(詩、小説、戯曲、随想、評論等)、社会学分野(地理、歴史、経済、社会、政治、人類学等)、自然科学分野(主に自然科学者の評論・随想等)、芸術分野(主に芸術家の評論・随想等)等々全ての分野の名著の中の名文中の名文を対象とする
9 何故古今東西の名著の中の名文中の名文なのか
何十年、何百年、何千年と生き延びて来た文章は、一切の無駄が剥ぎ落とされ、研ぎ澄まされたものとなっている。言い換えればその文章に言霊が乗り移っている。この言霊により、日本人の言霊を揺さぶる。ここに『哲学読本』の真髄がある。
10 哲学読本の可能性
哲学(知恵を愛する事)に慣れ親しんだ者に取って、哲学読本はその世界を大きくする。『聡明な人は瞬時の間、賢者に仕えても、直ちに真理を知る。――舌が汁の味を直ちに知るように』。哲学(知恵を愛する事)に慣れ親しんだ者は、短い文章の中に聖人賢人哲人偉人たちの真髄を知る。多くの名文中の名文を読む事によって、彼の中に、多くの聖人賢人哲人偉人たちの言霊が乗り移る。彼の魂はより大きなものとなる。また哲学(知恵を愛する事)に初学の人に取っては、一切の無駄が剥ぎ落とされた研ぎ澄まされた文章、すなわち言霊により、哲学(知恵を愛する)の門が開かれる。
11 哲学ブームと哲学国家への道
哲学読本が浸透する事により、哲学を愛する者は更に哲学を愛するようになり、哲学に無知な者には哲学の大きな門が開かれる。これにより、日本に哲学ブームが湧き起こる。この哲学ブームにより、大手出版社がそれぞれにまた哲学読本を発行して行く。この相乗作用により、日本に一大哲学ブームが沸き起こる。この一大哲学ブームを契機に、日本は哲学国家への道を歩む事になる。その最終的仕上げは、『哲学一貫教育』により行う事になる。
12 哲学(知恵を愛する事)と哲学一貫教育
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。その方法は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「実践」。哲学一貫教育では、「読書」「思索」「作文」「対話」までを行う。「実践」は、自由意志で飛翔するしかない。しかしその為には知恵を愛し抜かなければならない。私の言う哲学とは、イエス、ソクラテス、ブッダ、孔子、セネカ、王陽明、ダビデ、エピクロス、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、西郷隆盛等々の系譜に連なるものである。
13 国立大学教育学部哲学担当教官との連携
「哲学=philosophia=知恵を愛する事」は、全ての国民の為のもの。「哲学読本」も全ての国民の為のもの。「国立大学教育学部哲学担当教官」も全ての国民を教育する教育者を育てる為に存在している。故に、哲学読本の作成については、国立大学教育学部哲学担当教官と連携しなければならない。
14 「哲学読本」は哲学国家への道しるべ
哲学(知恵を愛する)は、人間の全ての行動を真善美に導く為にある。現在の日本において、この哲学が如何に貧弱な事か。それは日本には精神的バックボーンがないからである。キリスト教国家においてはキリスト教精神(聖書)があり、イスラム教国家においては、イスラム精神(コーラン)がある。日本において、その代わりをするのが、『哲学読本大全』である。この『哲学読本大全』を中心とした、哲学一貫教育により、日本は世界に冠たる哲学国家となる。「哲学読本10冊1セット」はその為の道しるべとなる。
15 「哲学読本」は道徳教育の主要教材となる
「哲学読本10冊1セット」は、道徳教育の主要教材となるものである。故に、日本国中の全ての小中高校の図書室に納入して貰う。この「哲学読本10冊1セット」により、哲学的素養に優れた児童生徒が育成される事になる。彼らにより、道徳教育から哲学教育への転換が図られる事になる。自ら学び、自ら考え、自らにおいて知恵を自らにした者でない限り、徳は決して自らのものとはならない。
16 道徳教育から哲学教育へ
哲学教育も道徳教育も目指す所は同じである。すなわち自らの行動を真善美に導く為である。しかしその結果には天と地ほどの差が付く。道徳教育ではそれを教えようとする。馬耳東風、馬の耳に念仏。その教えは彼らに届く事は無い。しかし哲学教育ではそうではない。彼らは自らにおいて自らを学ぶ。自らに自らを学んだ事は決して忘れる事が無い。何故ならそれは自らだから。「汝自身を知れ」。哲学の究極の目的は自らを知る事。哲学教育の方法は、「読書」「思索」「作文」「対話」、それらの方法により、自らにおいて自らを学んだ事を、自らにおいて「実践」して行く。ここに哲学が完結する。
結び
今回私が提唱させて頂いた10社の出版社の編集長様とそれから平成21年6月24日付で提唱させて貰った国立大学教員養成学部哲学担当の先生方(別紙名簿)と是非「道徳教育から哲学教育への転換」について御協議頂きたいと思います。
そうすれば、哲学教育こそが最善の道だと分かる筈です。
その際には、私が提唱した「哲学一貫教育」も考慮に入れて下さい。
哲学一貫教育のその先にあるのは、世界に冠たる哲学国家「日本」であり、世界に冠たる哲学の民「日本人」です。
カントを一生研究してもカント馬鹿、哲学馬鹿を育てるだけです。
しかしその人に中に、古今東西の聖人賢人偉人哲人たちの言葉が一杯詰まっているとしたらどうでしょう。それも日本人全ての心の中に。尤もそれを利用するかしないかは個人の自由意志の問題ですが。しかしその存在を教えて上げなければ、それらは全くの無です。
哲学読本は機会の提供です。哲学一貫教育では、日本人の一生涯に渡ってその機会を提供します。その機会を生かすか生かさないかは全く個人の自由意志の問題です。しかし幼い頃から食べ慣れた味は忘れる事が出来ないのです。私に取ってのカレーライスの様に、キリスト教国家の人に取っての聖書の言葉の様に、イスラム教国家の人に取ってのコーランの言葉の様に。
現在の日本は、精神的に貧弱な国家です。
この日本を再興する為には、哲学一貫教育しかないのです。
そしてそのスタートが、「哲学読本10冊1セット」となります。
どうか「哲学読本10冊1セット」の実現に向けて御協力下さい。
追伸
株式会社岩波書店 哲学担当編集長様へ
今回以上のように、10社の哲学担当の編集長様に提唱させて頂きましたが、多分残りの9社様においては、取り合って頂けないと思います。
何故かと言えば、それ程、古今東西の名著のストックが無いからです。
しかし貴社は違います。
貴社の岩波文庫を始めとする古今東西の名著の一群は、本当に群を抜け出しています。
絶版になっているものまで含めると一体何冊あるのでしょう。
千を超えて万に近くあるのではないでしょうか。
私たちはそれら全てを手にする事は出来ません。
例え、手にしたところで、それら全部を読む事は出来ません。
大学の哲学科、特に旧帝国大学系の哲学科においては、一人または数人の哲学者の著書の全てを最初から最後まで読む事を求められるのでしょう。
それこそが正に文献哲学だと思います。
しかし、私たち「知恵を愛する」(哲学)市民に取っては、そんな事は必要ありません。
私たち哲学(知恵を愛する)市民に取って、必要なものは、古今東西の聖人賢人偉人哲人たちの知恵に満ちた言葉です。
勿論、多くの本を読んでそれらを見出す事が一番良いのでしょうが、私たち市民にはそれほど多くの時間がありません。
はっきり言って、現在の多くの市民に取って、古今東西の聖人賢人偉人哲人たちの言葉は無いに等しいのです。
何故かと言えば、現在の日本においては、その様なものを求めようと思っても、その様なものが無いからです。
本文にも書きましたが、キリスト教国家には聖書があり、イスラム教国家にはコーランがあります。
それらの国家においては、幼い時から知恵を求められる様に躾けられ、そしてそこには聖人賢人哲人偉人たちの言葉に満ち満ちた「聖書」「コーラン」があるのです。
日本には宗教的制約が全くありません。
そこには大いなる自由があります。
知恵を求める自由と知恵を求めない自由です。
現在の日本はあまりにも知恵を求めない自由が勝ち過ぎていると思います。
この様な日本ですが、方法によっては、世界に冠たる哲学国家に成り得るのです。
嘗てのアテネの様に。
その方法が、哲学一貫教育です。
そして、その先鞭を付けるのが『哲学読本』です。
私の提唱する『哲学読本大全』が完成すれば、日本は一気に哲学国家への道を歩みます。
しかし『哲学読本大全』の完成が当分難しいと言うのであれば、それに変るものが必要となります。
それこそが正に貴社独自で発行する『哲学読本大全(全10巻)』と言う事になります。
私は今回貴社を含めて10社様に「哲学読本10冊1セット」の提案をさせて頂きましたが、多分何処からも何も反応が無いと思います。
もし、二三ヶ月経っても何も反応が無ければ、貴社独自で『哲学読本大全(全10巻)』を作成して頂きたいと思います。
キリスト教国家の「聖書」、イスラム教国家の「コーラン」に匹敵する様な『知恵の書』を目指して、どうか『哲学読本大全(全10巻)』を完成させて頂きたいと思います
何故「哲学読本1冊」では無く、『哲学読本大全(全10巻)』なのか。
それは日本に一大哲学ブームを湧き起こす為です。
日本国中の書店に、そして日本国中の小中高校大学公民館等の図書館・図書室に大型本10巻1セットの『哲学読本大全(全10巻)』が鎮座していれば、誰でも哲学について考えざるを得なくなります。
しかもその出版元が岩波書店と言う事であれば尚更です。
また、作成方法も、上記作成要領にあるようなちまちましたものであってはなりません。
多くの学識経験者、そして国民を巻き込んだ大々的なものでなくてはならないのです。
大々的に大キャンペーンを張ってこそ、日本に哲学ブームが沸き起こってくるのです。
この『哲学読本大全(全10巻)』には、例えば「愛」について、イエスの言葉もあれば、ブッダの言葉もあれば、マホメットの言葉もあれば、孔子、老子、ダビデ、ソロモン、ソクラテス、エピクロス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウス、王陽明、西郷隆盛、ゲーテ、シャークスピア、ホメロス、夏目漱石、カント、ヘーゲル等々、古今東西の偉人賢人哲人偉人たちの言葉が山ほどに詰まっているのです。
市民はそれぞれを読みます。
そして痛く感動する名文を見付けます。
そしてその市民はその書誌の案内に従って、岩波書店のその本を購入する事になるのです。
『哲学読本大全(全10巻)』は日本に一大哲学ブームを湧き起こしますが、しかしそれはまた、岩波書店の本の紹介の本でもあるのです。
私は、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」6名の先生方(栗原裕次、小林春夫、稲見正浩、小林久泰、井ノ口哲也、藤井健志、荒井洋一の各先生)に、平成20年4月27日付けと平成21年6月24日付で哲学一貫教育に関する提唱を行っています。
平成20年4月27日付の提唱は、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方だけを対象にして提唱だったのですが、その内容は、東京学芸大学及び同付属中学校で哲学一貫教育の試行を行って頂きたいと言うものでした。
平成21年6月24日付の提唱は、全国の国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方に同時に提唱したものですが、その内容は、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方が中心となって、哲学フォーラム(哲学対話室)を全国的に展開して頂きたいと言うものでした。)
また、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方においては、次の様な研究を行っているようです。
東京学芸大学平成20年度重点研究費報告書『教育学部教育における哲学・倫理学の意義と役割に関する研究』(栗原裕次、小林春夫、稲見正浩、小林久泰、井ノ口哲也(代表)、藤井健志、荒井洋一)
更にまた、栗原裕次、藤井健志、井ノ口哲也の先生方においては、次の様な研究も同時に行っているようです。
平成19・20年度東京学芸大学教育改善推進費(トップマネジメント経費)「特別開発研究プロジェクト」研究報告書『道徳に関する諸科学の成果を生かした「道徳の指導法」に関する研究』(山名淳(代表)、松尾直博、赤間祐介、高籔学、栗原裕次、藤井健志、井ノ口哲也、及川英二郎、大石学、小嶋茂稔、田中比呂志、清水保徳、和井内良樹)
東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方は、私の提唱する『哲学一貫教育』について十分理解していると思います。
また、今回貴社宛に提唱した『哲学読本大全(全10巻)』についても、十分理解して呉れると思います。
先ずは、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方に相談してみてください。
きっと良い方向に向う筈です。(渡りに舟なのかも知れません)
『哲学読本大全(全10巻)』は文献哲学者の為のものではありません。
全ての国民の為のものです。
そして、(小学生、)中学生、高校生の為のものです。
その様な視点に立って下さい。
そうすれば、一家に1セット、100万セット販売も夢ではないのです。
最後に、『哲学読本大全(全10巻)』作成要領を示しておきます。
『哲学読本大全(全10巻)』は、哲学教育への道を開くものであり、日本を哲学国家へと導くものです。
どうか全身全霊を傾けて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めて下さい。
そうすれば『哲学読本大全(全10巻)』は、日本における『知恵の書』と呼ばれるようになります。
『哲学読本大全(全10巻)』は、貴社でしか成し得ないのです。
どうか日本の良識として頑張って下さい。
『哲学読本大全(全10巻)』作成要領
1 目的
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
日本国民に哲学(知恵を愛する事)に関心を持って頂く為に『哲学読本大全(全10巻)』を作成する。
なお、岩波書店においては、この書を『知恵の書』として位置づけ、会社一丸となって取り組む。
2 内容
① 国民に取って大切と思われる100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を、それぞれの哲学テーマ毎に50編集めて編集する。
② 名文1編の文章量は、B5版、4段組(または5段組)、縦書き、2頁に収まる分量とする。名文1編の文章量は、4,000字程度か。
③ 名文1編ごとに簡単な書誌を付す。
④ 名文1編とその書誌を見開き2頁に収める。
⑤ 生存者の名文は選定しない。なるべく古典から選定する。
3 規格
① B5版、4段組(または5段組)、縦書きとする。
② 頁数は、1,200頁前後とする。
③ 印刷、製本、紙質は、最も安価なものとする。
※1 『哲学読本大全』には、4,000字程度の古今東西の名著の中の名文中の名文が5,000編(100哲学テーマ×50編=5,000編)掲載される事になる。もし通常の規格であるA5版にすれば、全100巻必要となる。それでは誰も購入出来ない。『哲学読本大全(全10巻)』は全ての国民の為のものである。また、日本国中の全ての都道府県立図書館、市町村立図書館、小中高校図書室、公民館図書室に備えて貰わなければならない。その為にも価格は出来るだけ低く設定しなければならない。印刷、製本、紙質等については、「知恵蔵」や「イミダス」程度とする。なお。販売目標は100万部とする。
※2 印刷については、既存本の名文の箇所をスキャナー等で読み込み、パソコン等でテキスト形式へ変換し、それをそのまま印刷原稿とするなど、最も簡易な印刷方法を採用する。旧仮名遣いのものは、そのまま旧仮名遣いのままとする。現代仮名遣いに直し、日本聖書協会が発行している聖書のように全てにルビを付せば小学生でも読めるが、その様な事をすれば膨大な経費がかかる。出来るだけ安価にして、多くの国民に流通する事を第一の目的とする。今回の『哲学読本大全(全10巻)』については、小学生は対象から外すが、小学校の図書室には納入して貰う。それは教師に読んで貰う為と極めて優秀な高学年の児童に読んで貰う為である。
※3 『哲学読本大全(全10巻)』のセット価格は、2万円をベストする。高くても3万円を超えてはならない。2万円のときは100万部を目標とする(2万円×100万部=200億円)。『哲学読本大全(全10巻)』は、岩波書店の本の紹介の本である事も考慮に入れる事。
3 作成方法
① 編集局長、学識経験者(哲学、宗教、文学、芸術、社会、科学、教育等々)、大学関係者、高校関係者、中学校関係者、公民館関係者、図書館関係者、読者代表等により、「哲学読本大全(全10巻)作成委員会」(以下委員会と言う)を設置する。なお、学識経験者の中には必ず、国立大学教育学部哲学担当教官を入れるものとする。
② 委員会において、『哲学読本大全(全10巻)』の方向付けを決定する。この際、100の哲学テーマも決定する。
③ 岩波書店において、学識経験者及び国民を対象に、100の哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を、大々的に大募集する。書店、学校、新聞等を通じて大キャンペーンを張る。また関係筋の学識経験者からも大募集をする。
④ 岩波書店においても、独自に、翻訳者等の協力を得て、名文の発掘を行う。なお、その際、これまで発行した全ての名著を対象とする。
⑤ 委員会において、④及び⑤を基に、100の哲学テーマそれぞれごとに50編の名文を決定する。
⑥ 編集局において、5,000の名文(100哲学テーマ×50名文=5,000名文)について、簡単な書誌(著者略歴を含む)を作成する。また、委員長等に巻頭言を作成して貰う。
⑦ 岩波書店において、⑥を基に、『哲学読本大全(全10巻)』を発行する。
⑧ 日本国中の全ての、都道府県立図書館、市町村立図書館、小中高校大学公民館の図書館・図書室に購入して貰う。
※1 『哲学読本大全(全10巻)』には、解説は付さない。それぞれの哲学テーマについて、それぞれの名文を基に、それぞれに哲学して貰う。
※2 名文とは何か。それは美辞麗句の事では無い。1000年前においても、現在においても、1000年後においても、変る事の無いそれ(知恵)を宿している文章の事である。
※3 『哲学読本大全(全10巻)』は、100年後においても、1000年後においても、日本における『知恵の書』である事を目指して作成する。
※4 哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。5,000の名文は全て知恵へと向かう。知恵へ辿り着いた時、一人また一人と哲学者(知恵を愛する者)が誕生する事になる。編者は常に、知恵とは何かを念頭においておかなければならない。それで無い限り『知恵の書』は生まれない。
※5 古代古典には知恵が綺羅星の如く耀いている。古代古典からなるべく多く採択するものとする。
※6 編者は、知恵と知識の違いを明確に見極めていなければならない。知恵とは1000年前にも存在したし、1000年後にも存在するそれである。知恵とは何か。それに対する一番良い答えは、1000年前の聖人偉人賢人哲人たちに聞く事である。故に古代古典から多く採択しなければならない。
※7 何故名文の文章量は4000字程度なのか。それは4000字程度であれば、起承転結がはっきりとし、それだけで大意が分かるからである。これより短ければ起承転結が完結せず、様々に解釈されがちになるし、これより長ければ、冗長になる。見開き2ページで名文が完結すると言うのがこの書の売りである。この書は一般国民向けである事を常に念頭においておかなければならない。なお、起用転結がはっきりしていれば、短くても構わない。論語等々。その際は編集に工夫がいる。
4 哲学テーマ
対象とする哲学テーマは、普遍的な哲学テーマでなければならない。何故なら、100年後も、1000年後も『知恵の書』として、在り続けなければならないから。
哲学テーマとして次の様なものが考えられる。
知恵、愛、勇気、忍耐、節制、寛容、友情、恋愛、結婚、家庭、国家、社会、政治、経済、仕事、勉強、兄弟、親子、大人、子供、男、女、老人、青年、哲学、読書、思索、作文、対話、実践、人生、死、命、幸福、快楽、地球、自然、宇宙、世界、時間、時代、歴史、文学、芸術、詩、音楽、肉体、精神、心、神、私、克己、自分、季節、気候、風土、言葉、力、富、名誉、隣人、道徳、宗教、真、善、美、健康、生活、衣食住、教養、知識、理性、悟り、瞑想、敬虔、経験、観念、感情、習慣、意志、信仰、自信、祈り、文化、教育、正義、運命、過去、未来、夢、希望、理想、良心、普遍、法、等々
選択する哲学テーマによって、『哲学読本(全10巻)』の性格が変ってくる。あくまでも『知恵の書』を目指して哲学テーマを決定しなければならない。
現代的課題は採択しない。何故なら、現代的テーマについては、古今東西の名著の中の名文中の名文が無いからであり、また普遍的テーマについての十分な理解があれば、その応用で全て解決できるからである。
5 古今東西の名著の中の名文中の名文の参考例
① 「エピクロス『メノイケウス宛の手紙』」エピクロス(岩波文庫)P65~p69 約4000 字
人は誰でも、未だ若いからと言って、知恵の愛求(哲学の研究)を延び延びにしてはならず、また年取ったからと言って、知恵の愛求に倦む事があってはならない。何故なら、なにびととも、霊魂の健康を得る為には、早過ぎるも遅過ぎるもないからである。・・・・・・・・・・・。テーマとしては『哲学』
② 「エミール(中)」ルソー(岩波文庫)P172~P176 約4000字
・・・・・・・・・。 良心!良心!神聖な本能、滅びることなき天上の声、無知無能ではあるが知性を持つ自由な存在の確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を神と同じような者にしてくれるもの、おんみこそ人間の本性をすぐれたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。・・・・・・・・。テーマとしては『良心』
③ 「旧約聖書『箴言』第8章」ソロモン(日本聖書協会)約3000字
知恵が呼びかけ、英知が声をあげているではないか。
高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち、城門の傍ら、町の入り口、城門の通路で呼ばわっている。
「人よ、貴方に向かって私は呼びかける。
人の子らに向かって私は声を上げる。
浅はかな者は熟慮することを覚え、愚かな者は反省することを覚えよ。
聞け、私は指導者として語る。
私は唇を開き、公平について述べ、私の口は誠を唱える。
私の唇は背信を忌むべきこととし、私の口の言葉は全て正しく、邪なことも曲がったことも含んでいない。
理解力のある人には、それが全て正しいと分かる。
知識に到達した人には、それが全てまっすぐであると分かる。
銀よりもむしろ、私の諭しを受け入れ、精選された金よりも知識を受け入れよ。
知恵は真珠にまさり、どのような財宝も比べることはできない。
・・・・・・・・・。テーマとしては『知恵』
※私は岩波書店が発行している聖書を持っていないので、聖書協会のそれを仮に充てました。
④ 「伝習録巻中『答顧東橋書』」王陽明(明治書院:新釈漢文大系)P262~P270
・・・・・・・。しかし私は未だ希望を捨てない。それは幸いなことに、全ての人の心の中にある天理は永久になくすることができないし、良知の明るさも万古一日のように変ることがないからであって、私の根本思想であるこの抜本塞源論を聞いたなら、世間には必ずや感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然として起ち上がって、大河の堤防を決って水の奔流するごとく突進し、これを停めることのできないような人のあることを信じて疑わないのである。・・・・・・テーマとしては『知恵』
※私は岩波書店が発行している伝習録を持っていないので、明治書院のそれを仮に充てました。なお、伝習録は良知のオンパレードです。良知とは知恵の事です。伝習録は中国近代における大いなる『知恵の書』なのです。なお上記の天理と知恵は同じ事です。参考までに伝習録における良知の書き抜きを添付しておきますので、参考にして下さい。
むすび
最後に、『哲学読本大全(全10巻)』を作成する上において大切な事を一つだけ言って置きます。
それは常に知恵から目を離さないと言う事です。
知恵から目を離さない限り、『哲学読本大全(全10巻)』は知恵に輝く書となるのです。
その為には、先ず、知恵とは何かを知らなければなりませんね。
知恵とは何か、それは真善美を強く求めるその先に現れて来るそれの事です。
ですから、真善美を強く求めない人には、知恵は現れて来ないのです。
知恵とは何か。
その第一の参考書が、旧約聖書『箴言』です。
箴言は知恵のオンパレードです。
先ずはここで知恵の概念を掴んで下さい。
箴言はソロモンの言葉を集めたものです。
ソロモンはソロモンの知恵で有名ですよね。
次なる参考書は、王陽明の『伝習録』です。
伝習録は、良知のオンパレードです。
王陽明の言う良知とは知恵の事です。
王陽明は儒教の人ですが、孔子、孟子等から良知と言う知恵の概念を引き出したのです。
また仏教にも染まった時代があり、良知の事を仏心等にも例えています。
次なる参考書は、旧約聖書『詩篇』です。
詩篇は主にダビデの詩を集めたものです。
ダビデはひっきりなしに、我が神よ、我が主よと呼び掛けています。
その呼び掛けに応じて現れるのが、知恵です。
次なる参考書は、新約聖書です。
新約聖書は、イエスの言葉が中心ですが、その他にパウロの言葉「ローマ人への手紙他」やヤコブ「ヤコブの手紙」、ペテロ「ペテロの手紙」、ヨハネ「ヨハネの手紙」等々の言葉もあります。
彼らの精神とダビデの精神は全く同じです。
真善美を強く求めた!
しかし時代が違ったのです。
ダビデの時代は戦の時代。国を思わなければならなかったのです。
イエスの時代はパックスロマーナ。ローマの平和。
その真善美の中に、隣人愛と言う新たな概念が入り込んで来たのです。
次なる参考書は、仏典。
仏典は数限りなくあってどれを選択して良いか迷いますね。
私は岩波文庫の「真理のことば(ダンマパダ)、感興のことば(ウダーナヴァルガ)」を推薦します。
ここには哲学者(知恵を愛する者)としてのブッダが溢れています。
ここでブッダの知恵を学ぶのが良いでしょう。
しかしこの書においては、ブッダは上記の人々のように、知恵の概念を明確に打ち出していません。
上記の人々は知恵に求めて、知恵を得ると言う方程式が成立するのですが、ブッダの場合は成立しません。
上記の人々は直接的ですが、ブッダは間接的なのです。
ブッダの知恵の秘密は、ニルバーナにあります。
何も求めない、無になる。そこに知恵が湧き出すのです。
次なる参考書は、『老子』。
老子の知恵は簡単ですよね。
そうです、道です。
次なる参考書は、『孔子』。
孔子は少し難しい。
「我、一を以って之を貫く」
次なる参考書は、『バガバッドギター』
知恵の人格神としてのクリシュナ。
なお、古代インド哲学におけるアートマンとは知恵の事。
次なる参考書は、プラトンの『パイドン』。
ここには、プラトン・ソクラテスの知恵及び哲学(知恵を愛する事)に関する秘密が隠されている。
「友よ、本当に哲学者であるならば、そう考えなければならない。と言うのは、あの世以外の何処においても、決して純粋な知恵に出会う事はないだろう、と彼は強く信じているからなのだ。」
どうです。神秘がかっているでしょう。あの世をニルバーナと考えて下さい。そこに純粋な知恵が生まれてくるのではないでしょうか。
この系譜を踏むのが、エックハルト等々の神秘家たちです。
瞑想の中にたくさんの知恵を見る。それが神秘家です。ここで言う知恵とは、その人に取って真善美に溢れた言葉の事です。
知恵には二つの概念があります。
一つは求めるその先の事であり、
もう一つはそこから降りて来た言葉です。
そこから降りて来た言葉とは、その人に取って真善美に溢れた言葉、只それだけの事なのです。
しかし、それがその人に取っては、この上ない至福を感じるのです。
只それだけですが、その人に取っては天国に居る様な平安な快楽を齎すので、知恵を愛する事を覚えた人は、知恵を愛し続ける事になるのです。
多くの哲学者(知恵を愛する者)たちは、その幸福感、すなわちその人に取っての真善美に溢れた言葉だけを味わうのですが、その真善美に溢れた言葉たちを実践しようとする人たちがいます。
それが菩薩です。
聖典仏典は比喩に満ちています。
比喩を知恵で解き解さない限り、聖典仏典はその人を縛ります。
「文字は殺すが、霊は生かす」
霊と言う知恵で聖典仏典を読まない限り、それらは楽しくないばかりでなく、害をも引き起こす事もあります。
しかし霊と言う知恵と共に読めば、聖典仏典ほど楽しい読み物は無いのです。
何故なら、それは脳内ホルモンを盛んに分泌させて呉れるからです。
少し話しが外れてしまったようですね。
さて、次なる参考書は、エピクロス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウスです。
次なる参考書は、全ての古代古典です。
古代古典(BC以前)には、知恵がぎっしり詰まっています。
古代古典をたくさん読めば、誰でも知恵を理解するようになるでしょう。
次なる参考書は、デカルトです。
「我思う、故に、我在り」
ここに近代の知恵が生まれました。
次なる参考書は、古今東西の名著です。
しかし私たちが読書に振り向けられる時間は、1日に1時間もありません。
たくさんの言葉たちは私たちを待っているのに、私たちはそこに辿り着く事が出来ません。
しかしそんな私たちに取って夢の様な書が、岩波書店から出版されるのです。
それこそが正に、『哲学読本大全(全10巻)』なのです。
「誰がこの大地を征服するのであろうか?誰が閻魔の世界と神々と共なるこの世界とを征服するであろうか?わざに巧みな人が花を摘むように、善く説かれた真理の言葉を摘み集めるのは誰であろうか?」(岩波書店「真理の言葉(ダンマパダ)第4章第45節」
それこそが岩波書店です。
岩波書店が日本の英知を結集して、善く説かれた真理の言葉を集めて、『知恵の書』としての『哲学読本大全(全10巻)』作るのです。
しかしその為には、編集者の人々が知恵の事を知り抜いていなければなりません。
先ずは、岩波書店編集局において、哲学テーマ『知恵』について、古今東西の名著の中の名文中の名文を集める事にしましよう。
もし、哲学テーマ『知恵』について、古今東西の名著の中の名文中の名文を500編(同じ著書から何編収録して良い)集める事が出来たら、『哲学読本大全(全10巻)』は完成したも同じです。
後はその線に沿って、国民の英知を結集させましょう。
『哲学読本大全(全10巻)』の名文5,000編(100哲学テーマ×50編=5,000編)は、全て知恵へと向かうものでなくてはなりません。
こう言えます。
5,000の目を通して、知恵を見るのだと。
もしその5,000の目が全て知恵に通じていたとしたら、私たちはこれまでのように、おぼろげではなく、もっとはっきりした形で、知恵を見る事が出来る様になるかも知れません。
それが『知恵の書』の所以です。
さあ!岩波書店の一大事業として頑張りましょう!
追伸2
ここまで来て、もう一つ提唱させて頂きます。
それは、正に『知恵の書』の作成です。
『知恵』に関してだけ、古今東西の名著の中の名文中の名文だけを1,000編集めた『知恵の書(全2巻)』を作成しましよう。
そすれば、『知恵』に関する大センセーションが巻き起こります。
その後で、『哲学読本大全(全10巻)』を作成しましよう。
この二つにより、日本に『知恵』の神が現れる事になるのです。
そうすれば、日本は、哲学国家(知恵を愛する国家)への道を歩き始める事になるのです
追伸3
ここまで来たのですが、ここで本文の提唱を一部変更させて頂きます。
それは、古今東西の名著の中の名文中の名文1編を、B5版、4段組(または5段組)、縦書きの見開き2ページに収めると言うものです。
これが『哲学読本大全(全10巻)』の売りだと思ったのですが、実際に名文を充ててみるとかなり無理があるようです。
勿論、基本的にはこれ位の文章量を確保しないと、起承転結がはっきりとせず、巷にある名言集の様にただ結論だけを述べてしまうのとなってしまいます。
これでは古今東西の名人賢人哲人たちが如何に知恵を愛したか、その現場を押さえる事は出来ません。
基本的には4,000字程度は必要です。
しかしそうは言っても、100字から500字程度で完結してしまう、名文もまた一杯あるのです。
その代表格が、『論語』です。
論語の全ての文章は、「子の日わく」で始まる文章で全て完結します。
短いものは、100字に満たないものあります。
しかしそれらの文章のほとんどは、『哲学読本大全(全10巻)』に入れるべき、名文中の名文です。
と言う事で、名文中の名文1編を、B5版、4段組(または5段組)、縦書きの見開き2ページ(4,000字前後)に収めると言う制限は撤廃するものとします。
短い文章の名文、長い文章の名文、それぞれがそれぞれに知恵の光を耀き出す様な編集をして頂きたいと思います。
なお、『論語』の短い名文を数例上げておきたいと思います。
子の日わく、学んで思わざれば、則(すなわ)ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし。「『論語』巻第一、為政第二、十五節」(岩波文庫)」
テーマとしては「哲学」または「学問」。
学ぶだけで思わない者は専門馬鹿。思うだけで学ばない者は唯我独尊。思って学んで、学んで思って、その繰り返しが哲学、そして本当の学問。
子の日わく、故(ふる)きを温めて新しきを知る、以って、師と為るべし。「『論語』巻第一、為政第二、十一節」(岩波文庫)」
テーマとしては、「哲学」。
古典の中には知恵が一杯詰まっている。これを現代に生かす。それこそが哲学。
子の日わく、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こえ)ず。「『論語』巻第一、為政第二、四節」(岩波文庫)」
テーマとしては「哲学」または「人生」。
知恵を求めて七十年、それが孔子の哲学人生。
子の日わく、政を為すに徳を以ってすれば、譬うれば、北辰の其の所に居て衆星のこれに共(むか)うがごとし。「『論語』巻第一、為政第二、一節」(岩波文庫)」
テーマとしては「政治」。
政治の中心は徳。徳の中心は知恵。知恵を政治に生かす、これが哲人政治。哲学者(知恵を愛する者)の哲学者による哲学者の為の政治、これが哲学国家日本の理想。
子の日わく、詩三百、一言以ってこれを蔽う、日わく思い邪なし。「『論語』巻第一、為政第二、二節」(岩波文庫)」
テーマとしては「詩」。
詩の本質は無邪。現代の詩が如何に邪気に満ちているか。無邪の本質はニルバーナ。ニルバーナの中に知恵の花(詩)が生まれる。
子の日わく、我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。敏にして以ってこれを求めたる者なり。「『論語』巻第一、述而第七、十九節」(岩波文庫)」。
テーマとしては「哲学」。
ここで言う「これ」こそが、正に求めるものとしての知恵であり、知恵を求めた結果としての知恵(の体系)である。
子の日わく、賜(し)や、女(なんじ)予(わ)れを以って、多くを学びてこれを識(し)る者と為すか。対(こた)へて日わく、然り、非なるか。日わく、非なり。予れは一を以ってこれを貫く。「『論語』巻第一、衛零公第十五、三節」(岩波文庫)」。
テーマとしては「人生」または「哲学」または「知恵」。
一とは何か。正にそれが知恵。知恵を求め、知恵から齎された言葉の数々、そしてその実践、それが私の人生。知恵に彩られた人生の何と美しくてそして善に溢れている事か。プラトンは言いましたよね。本当の知恵には死んでからしか会えないと。それでは何の為の哲学(知恵を愛する事)か分からなくなりますよね。あなた方は神のことを知らないから勘違いしている。神とはアブラハムの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神である。神とは生きている神の事である。神はあなた方の心の中に生きている。それを如何に見出すか、その方法こそが哲学(知恵を愛する事)。知恵を愛せば、知恵が愛し返す。これが哲学の因果法則。上述のプラトンの死が本当の死を意味しているのか、それともニルバーナの譬えとしての死なのか。有余涅槃なのか、無余涅槃なのか。プラトンの思想はブッダの思想に近く、孔子の思想はイエスの思想に近い。孔子=イエス路線は、人生をエネルギッシュに生きる。
孔子の言葉は全て知恵から発せられています。
だから、千年、二千年、三千年経とうと古くならないのです。
孔子の言葉に如何に知恵を読み取るか。
先ずは編集者の人々はそこから勉強すると良いと思います。
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」(『老子』講談社学術文庫)
孔子はほとんど「道」の事は言っていません。
「一」も少ないと思います。
ほとんどが「二」か「三」だと思います。
二や三から一そして道に帰って行く事が哲学です。
そしてまた道から一、一から二、二から三と帰って行く事も哲学なのです。
知恵を愛し、そして知恵から下される言葉の数々、これが哲学。
求める対象としての知恵、そして知恵から下される言葉、
これを最も象徴的に語っているのが新約聖書「ヨハネ福音書」の冒頭です。
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つ無かった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
この『言』は貴方の心の中で輝いているのです。
この『言』を理解しなければ、『哲学読本大全(全10巻)』は、『知恵の書』とは成り得ません。
この『言』はヨハネの言葉です。
これはヨハネが象徴として選んだ言葉です。
この『言』について、最も普通に使われている言葉は、『知恵』です。
全ての聖人賢人哲人偉人たちの言葉の中にこの『言』としての『知恵』を見出す事、それが哲学なのです。
その為には、知恵を愛さなければならないのです。
「我が神よ」とか「我が主よ」とか言えば、日本人は誰も付いて来ないでしょう。
しかしそれを『哲学(知恵を愛する事)』と言い換えて御覧なさい。
誰も違和感は持たないでしょう。
そして格好良いと思う者も出て来るでしょう。
この格好良さで、日本人を釣るのです。
イエスも言ってましたよね。
「貴方を人間を釣る漁師にしようと」
さあ、日本の良識である、岩波文庫哲学担当編集長様、
どうか日本人を『知恵』で釣って下さい。
イエスが復活した後、湖に網を投げ入れたら、それこそ網が破れんばかりの大漁だったですよね。
もしそれらの文章全てが、知恵から発せれた言葉であれば、きっとその様になります。
それらは日本人の心を一掴みにするのです。
そしてそれらの言葉は日本人の心の中に輝き続ける事になるのです。
さあ、日本国における知恵の書を目指して、『哲学読本大全(全10巻)』を完成させましょう。
さあ、さあ、日本国の救世主を目指して頑張りましょう。
編集長様、後ずさりしては駄目ですよ。
「思い邪なし」の激を飛ばしただけですから。
ただ古今東西の名著の中の名文中の名文を集めれば良いのです。
それが名著であり、そして名文であれば、そこには必ず知恵が宿っているのですから。
編集長様は、それを集める為のシステムを作るだけで良いのです。
すなわち、日本人の全ての人が、古今東西の名著の中の名文中の名文募集に応じて貰える様なシステムを作れば良いのです。
後は、それら名文をそのシステムの中で編集するだけの話です。
しかしそう言ってもやはり、哲学担当の編集長様には、常に念頭において貰わなければならない事が一つだけあります。
それこそが、『哲学(知恵を愛する事)』です。
知恵とは何でしょう。
どうして古今東西の聖人賢人哲人偉人たちはあの様に知恵を愛したのでしょう。
そしてどうしてあの様な大きな仕事が出来たのでしょう。
ひょっとしたら、知恵がこの世に打って出た時、知恵が愛に変ったのでしょうか。
知恵と愛、
またもう一つのテーマが出て来ましたね。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主を愛しなさい。」
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
これで哲学が完結するのです。
『哲学読本大全(全10巻)』では、知恵と愛、双方から攻めます。
愛とは何か。
それに対する最も素敵な参考書は、プラトンの「饗宴」です。
プラトンの「饗宴」には、実に様々な愛があります。
家族、友達、恋人への愛から、国家への愛、そして知恵への愛。
そしてこの知恵への愛で、全ての愛が完結するのです。
神は愛なり
神は、good、GOD、善し。
愛とは、善しと認める事。
貴方の家族を、貴方の恋人を、貴方の日本を、貴方の地球を、貴方の自然を、貴方の宇宙を、そして貴方自身を、それは知恵とも呼ばれていますが・・
それらの全体系を愛する事、それが愛です。そしてそれらの全体系は神とも呼ばれるのです。
だから神は愛なのです。
神とは本当の貴方の事であり、その貴方が創り上げようとしている愛の全体系の事です。
『汝自身を知れ』、これこそが哲学(知恵を愛する事)そのものです。
さて、哲学テーマに、戻りましょう。
「私」を愛する。
「知恵」を愛する。
私の中の「世界」を愛する。
私の中の「地球」を愛する。
私の中の「国家」を愛する。
私の中の「家族」を愛する。
私の中の「仕事」を愛する。
私の中の「自然」を愛する。
私の中の「勇気」を愛する。
私の中の「寛容」を愛する。
私の中の「節制」を愛する。
私の中のこれらの全ての最高の理想の体系としての可能態としての「神」を愛する。
哲学とは、私と知恵との共同作業で、私の中のそれを愛する事です。
ここで大事な事が唯我独尊にならない事です。
その為に必要な事が、古今東西の聖人賢人哲人偉人たちの対話と言う事になります。
先ずは、プラトンとの対話により、プラトンの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
次に、孔子のとの対話により、孔子の「国家」の上に自分の「国家」を築く。
次に、イエスとの対話により、イエスの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
次に、ブッダとの対話により、ブッダの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
次に、セネカとの対話により、セネカの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
次に、老子との対話により、老子の「国家」の上に自分の「国家」を築く。
次に、西郷隆盛との対話により、西郷隆盛との「国家」の上に自分の「国家」を築く。
この様にして、多くの聖人賢人哲人偉人たちと対話を進めて行けば、その「国家」は自らに取っては偉大なものとなります。
また身近な人々と対話を進めて行けば(これが私の提唱する哲学フォーラム(哲学対話室)なのですが)、その「国家」は、より現実味を帯びた理想国家ともなるでしょう。
そのようにして、私の中の「家族」「友情」「勇気」「節制」「寛容」「世界」「自然」「日本」等々を愛して行く事、それが哲学なのです。
もし、私の中のそれと、世の中のそれが、あまりにも違いすぎると思い、それを是正する為に世の中に出て行く人があれば、彼らを知恵の使徒とか、菩薩と呼ぶのです。
哲学は、「読書」、「思索」、「作文」、「対話」、そして「実践」で完結するのです。
現在アメリカの大統領はオバマ大統領ですが、
彼は実践する哲学者、知恵の使徒と呼んでもいいのかも知れません。
彼は、読書、思索、作文、対話により、自らの理想を築き上げ、その理想と現実の狭間を埋めるべく、政治家に成ったと言ってよいのかも知れません。
オバマ大統領の著書「合衆国再生~大いなる希望を抱いて~」を読めばその事が分かります。
これまでどの大統領が、核廃絶の宣言をする事が出来たでしょう。
私の提唱する哲学一貫教育は、勿論実践する哲学者を育てる事ですが、その為にはやはり自らの中に理想を築き上げなければならないのです。
現在の教育システムには、その理想を築き上げるシステムさえないのです。
『哲学読本大全(全10巻)』は、その第一弾です。
この『哲学読本大全(全10巻)』により、日本国中の大学及び公民館で、哲学フォーラム(哲学対話室)が展開される事になります。
この哲学フォーラム(哲学対話室)において、日本人に取って大切な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に哲学対話が盛んに行われるようになります。
その中で、日本国民が知恵を愛する事に目覚めて行く事なります。
そして、愈々『哲学一貫教育』が実現して行く事になります。
哲学一貫教育のその先に在るもの、それは世界に冠たる『哲学国家 日本』です。
どうか『哲学国家 日本』の為にお力添えを下さい。
最後にこんな事を言えば失笑を買うかもしれませんが、『哲学読本大全(全10巻)』を一番切望しているのは、実は私なのです。
もし、『哲学読本大全(全10巻)』が完成すれば、私の哲学能力は、今の倍以上にはなります。
何故なら、『哲学読本大全(全10巻)』位なら、読み切る事が出来るからです。
こんな事を言えば、更に失笑を招くかも知れませんが、私は名文の中に知恵を読み取る事が出来るのです。
古今東西の聖人賢人哲人偉人たちが、私の目の前で、自ら知恵のエッセンスを披露して呉れるのです。
こんなに嬉しい事はありません。
多分私の脳内ホルモンは出しっぱなしになると思います・・・
しかし駄文だらけだったら大失望です。
名文の選択には知恵を研ぎ澄まして望まなければなりません。
編集長様と日本人皆との知恵比べです。
決して奇を衒ってはいけません。
正攻法で行かなければなりません。
古今東西の名著の中の名文中の名文と言う事を念頭においておけば、ほぼ間違いありません。
そして更に古典中の古典と言う事を念頭においておけば、絶対に間違いありません。
この『哲学読本大全(全10巻)』の下に、哲学ブームを巻き起こしましょう。
私はこの『哲学読本大全(全10巻)』を基に、先ずは鹿児島で、そして段階的に全国規模で、大学及び公民館における哲学フォーラム(哲学対話室)を展開して行きたいと思っています。
また、この『哲学読本大全(全10巻)』を基に、更に、日本国中の哲学教育関係者に、哲学教育の必要性を提唱して行きたいと思っています。
どうか『哲学国家 日本』の為によろしくお願いします。
『哲学読本大全(全10巻)』は、自らが自らを考える為の参考書です。
その為には、一つ一つの文章が、知恵に輝いていなければなりません。
その為には、国民の英知を結集して作らなければならないのです。
例えば、「人生」と言う哲学テーマについて、名文を集める事にしましよう。
『哲学読本大全(全10巻)』では、一つの哲学テーマについて、50編の名文を集める事になっています。
先ずは編集長様ご自身で、「人生」に関する名文を集めて下さい。
何編集める事が出来ましたか。
10編も集める事が出来ましたか。
ふむふむ。??
さて、『哲学読本大全(全10巻)』では、国民の全てを対象に、また多くの学識経験者を対象に、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集します。
何と、「人生」に関して、1000編もの名文が集まりました。
この中から50編を採択です。
どれもこれも知恵に満ちた名文ばかりですね。
これでこそ、『知恵の書』と言えるのです。
さてここでまた提唱です。
これは私が提唱している『哲学読本大全』の考え方でもあるのですが・・
「人生」に関して1000編もの名文が集まったのです。
それぞれの名文は、その人にとって名文です。
編集長様が選んだ10編も、編集長様にとっては大事な名文です。
これら残りの950編を捨てて良いものでしょうか。
決して、1編なりとも捨ててはなりません。
ではどうするのか。
それがインターネット上での公開です。
その作成法を簡単にお示しいたします。
これら全ての名文は、岩波書店発行の本の中に収まっているのです。
ですから、とても簡単なのです。
① 応募のあった名文の本の箇所をスキャナーで読み込みます。1000編ですので、1000回スキャナーで読み込む事になります。少し大変ですが、アルバイトの子にでもさせれば良いでしょう。これで「人生」に関する1000編の名文のストックの出来上がりです。
② ①で読み込んだ1000編の名文を、パソコン等でテキスト形式に変換します。文字の書式を統一し、読み易い様にする為です。後は、これを「人生」と言う哲学テーマの下に、パソコン上で並べるだけです。書誌その他は一切不要です。
③ ①、②の作業で、「人生」に関する1000編の名文集の出来上がりです。
ここまでの経費は10万円位でしょうか。
④ 次に残りの99の哲学テーマについても、同じようにします。
これにより、100の哲学テーマについて、それぞれごとに1000編の名文集の出来上がりです。ここまでの経費は100万円くらいでしょうか。
⑤ ④を基に、「WEB閲覧用の名文集」と「オンデマンド印刷用の名文集」を作成し、インターネット上で公開します。私の提唱する『哲学読本大全』は無料なのですが、岩波書店様は株式会社ですので、そう言う訳にはいかないと思いますので、有料にすれば良いと思います。なお、都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室等使用する場合は、無償に近いものとするものとします。何故なら、この名文集は、岩波書店の本の紹介でもあるのですから。この名文集により、岩波書店の名著の売り上げが倍倍増になるのですから、とても安いものだと思って下さい。これを、『哲学読本大全(全10巻)』と区別する為に、『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』と呼ぶ事にしましよう。
もし、『哲学読本大全(全10巻)』と、『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』の二つが完成すれば、日本は哲学国家への道をまっしぐらに進む事になります。
『哲学読本大全(全10巻)』は、その象徴です。
日本国中の全ての書店、そして日本国中の全ての図書館、図書室に、B5版の大型書籍全10巻がでんと居座っているのです。
誰もが哲学について考えざるを得なくなります。
そして、『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』が、哲学国家への実際の道を切り開いて行く事になります。
この『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』を基に、日本国中の小学校、中学校、高校、大学、公民館等において、哲学(道徳)教育が行われる事になります。
またこの『哲学読本大全集(全100,000編:パソコン版)』を基に、日本国中の小学校、中学校、高校、大学、公民館等において、哲学フォーラム(哲学対話室)が展開される事になります。
哲学教育と哲学フォーラムの両輪によって、日本は一気に哲学国家への道を突き進む事になるのです。
編集長様、栄誉ある仕事だとは思いませんか?!
是非、『哲学読本大全(全10巻)』と『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』の二つの仕事を、全身全霊を込めて完成させて下さい。
日本の精神的貧困を救う為にも・・・
※1 「追伸 株式会社岩波書店 哲学担当編集長様へ」については、他の9社様宛の提唱文の中にも、「この『追伸 株式会社岩波書店 哲学担当編集長様へ』は、岩波書店の哲学担当の編集長様に宛てたものですが、私の哲学教育、哲学読本、哲学フォーラム(哲学対話室)の考え方を熱く語っていますので同封します。失礼な事も書いていますが、お許し下さい。なお、各社共同で発行する「哲学読本10冊1セット」は、やはり無理があると思います。各社がそれぞれに競って「哲学読本」を発行して頂きたいと思います。その事によって、日本はより早く哲学国家への道を歩む事になると思います。おって、この事は岩波書店の哲学担当の編集長様にもお伝えしています。」の旨を付記して、同封していますので、ご了承下さい。
※2 国立大学教育学部哲学担当教官や小学校、中学校、高校、大学、公民館関係者等にこの『哲学読本大全(全10巻)』と『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』を大々的に宣伝しましょう。
そして、日本国中の小学校、中学校、高校、大学及び公民館における哲学(道徳)教育の教材として利用して貰いましょう。
また、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂き、この二つの教材を基に、児童生徒学生そして市民に大いに哲学対話を楽しんで貰いましょう。
なお、『哲学読本大全(全10巻)』の販売目標は下記のとおりとします。
『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』については、『哲学読本大全(全10巻)』販売との抱き合わせとし、その付随サービスとして、無償に近い形で使用させものとします。『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』を単独で使用する場合は、有償でも良いと思います。
『哲学読本大全(全10巻)』の販売目標
① 小学校 40,000部(20,000校×2部:図書室用と指導教師用)
② 中学校 20,000部(10,000校×2部:図書室用と指導教師用)
③ 高校 10,000部(5,000校×2部:図書室用と指導教師用)
④ 大学 3,000部(1,000校×3部:図書室用と指導教師用)
⑤ 公民館 17,000部(17,000公民館:図書室用)
⑥ 図書館 3,000部(3,000図書館:開架用)
⑦ 専門学校 4,000部(4,000校:図書室用)
⑧ 教育委員会 3,000部(3,000委員会:指導教師用)
⑨ 中学生 100,000部(一般読者)
⑩ 高校生 100,000部( 〃 )
⑪ 大学生 100,000部( 〃 )
⑫ 小中高大学教員 100,000部( 〃 )
⑬ 専門学高生 10,000部( 〃 )
⑭ 勤労青年 100,000部( 〃 )
⑮ 上記以外 390,000部( 〃 )
合計 1,000,000部
学校、学生、教員、若者等を主なターゲットとします。何故なら、彼らにより、「哲学国家 日本」が創り上げられて行くからです。
また、「一家に1セット」ももう一つのキャッチとします。それでこそ真に日本が哲学国家への道を歩む事にもなるのですから・・。
※3 『哲学読本大全(全10巻)』及び『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』のコピーを小学校、中学校、高校、大学、公民館における哲学(道徳)教育並びに哲学フォーラム(哲学対話室)で使用する場合、著作権、出版権等は問わないものとします。何故なら、その為にこそ、上記二つを作るのですから。「哲学国家 日本」実現の為に、どうか日本の良識として許諾下さい。
※4 国立大学教育学部哲学担当教官、小学校・中学校・高校・大学・公民館・教育行政係者、市民並びに岩波書店哲学担当編集長等により、哲学教育研究会を組織し、季刊誌「哲学教育」や単行本「道徳教育から哲学教育へ」を発行し、哲学教育への機運を高める。本文にも書きましたが、道徳教育は教えるもの、哲学教育は自ら学ぶもの。いくら徳を教え込んでも馬耳東風、しかし自ら学び自らにおいて自らにした徳は、死ぬまでその人の心から離れない。哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。それは本当の自分自身を知る事。『汝自身を知れ』、これこそが究極の哲学。
自我が芽生えるまでは躾が大事。しかし自我が芽生えた以降、その人を育てるのは哲学(知恵を愛する事:本当の自分自身を知る事)しかない。「我思う、故に我在り」、これこそが自我が芽生えた以降の哲学なのです。
哲学一貫教育提唱一覧
1 平成20年 2月 3日付け 文部科学省初等中等教育局長殿あて
2 平成20年 2月10日付け 文部科学省生涯学習政策局長殿あて
3 平成20年 2月17日付け 内閣官房長官殿あて
4 平成20年 3月 9日付け 文部科学省中等教育局長教育課程課長殿あて
5 平成20年3月18日付け 文部科学省中等教育局長教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官殿あて
6 平成20年 4月 7日付け 東京学芸大学哲学・倫理分野教官殿あて(6名の先生各位あて)
7 平成21年 6月24日付け 国立大学教員養成学部哲学担当教官殿あて(60名の先生あて)
上記の提唱文は下記に掲示しています。
http://www.geocities.jp/sophialover007/
私はこれまで、郵送で、上記の哲学一貫教育の提唱を行っています。
郵送以外にメールでも提唱を行っていますが、それらについては、実際に届いたか確認できないので省略しています。
1が、最初の哲学一貫教育の提唱です。道徳教育と哲学教育の比較で、如何に哲学教育が優れているかを説いています。
2については、「教育振興基本計画」の策定に向けて広く意見を募集しているとの事でしたので、それとの関連の中で、哲学一貫教育の必要性を説いています。
3については、教育再生会議の最終報告「社会総がかりで教育再生を」が出され、広く参画をお願いしたいとの事でしたので、哲学一貫教育こそが教育再生の鍵である旨を提唱しています。
4については、現行の学習要領の中で、哲学一貫教育を試行する方法を説いています。具体的には、「道徳」の1時間と「総合学習」の2時間の内1時間を「哲学」の授業に充て試行すると言うものです。様々な技術的提言も行っています。
5については、哲学教育実施の鍵を握る学校教育官兼道徳教育調査官あてに檄文的な提唱を行っています。
6については、「大学での徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成)」の試行と東京学芸大学付属中学校での「小中高校哲学一貫教育」の試行について提唱しています。
7については、国立大学教員養成学部哲学担当教官が中心と成って、哲学フォーラム日本を組織し、日本全国で哲学フォーラム(哲学対話室)を展開して頂きたい旨の提唱を行っています。
1については、私の哲学一貫教育の思想の原点となったものですので、別添1として添付しておきます。
また、平成20年11月にメールで国立大学教育学部哲学担当教官殿あてに哲学一貫教育の提唱を行っていますが、その時その提唱の別稿として別稿「小中高校に設置する哲学対話室について」と別稿「哲学フォーラム(哲学対話室)の意義」を作成しています。
前者は、哲学対話室が哲学的に極めて優秀な児童生徒を育てるものであると共に、いわゆる落ちこぼれと言われている児童生徒を救う為のものであると書いています。何故そうなのか?読んでみて下さい。
後者については、哲学フォーラム(哲学対話室)の意義を畳み掛けるように説いています。
前者を別紙2、後者を別紙3として添付しておきます。
更に、7については、国立大学教員養成学部の60名の哲学担当先生宛に郵送で提唱しているのですが、その名簿を別紙4として添付しておきます。
どうか60名の先生方と、『哲学一貫教育』について、語り合って下さい。
なお、最後に哲学一貫教育の5つの柱を再掲しておきます。
1 小中高校哲学一貫教育
2 大学及び公民館における哲学教育
3 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学素養に優れた教師の育成)
4 哲学読本大全
5 哲学フォーラム(哲学対話室)
これらの基礎の基礎を為すのが、『哲学読本大全』です。
『哲学読本大全』の中に、小学生、中学生、高校生、大学生、一般市民に取って、必要な哲学読本が一杯詰まっていたら、これを基に、「小中高校哲学一貫教育」が展開され、「大学及び公民館における哲学教育」が展開され、「大学教育学部における徹底した哲学教育」が展開され、「哲学フォーラム」が展開される事になるのです。
私の提唱する『哲学読本大全』は、日本中の出版社を巻き込んで作成するものなのですが、その実現が当分難しいと思うので、次善の策として、岩波書店様にお願いしているのです。
この大事業を成し得るのは、岩波書店様しかないのです。
もし今回提唱したような『哲学読本大全』(「哲学読本大全(全10巻)」と「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」)が完成すれば、日本は必ず哲学国家への道を歩む事になります。
そして岩波書店様の『哲学読本大全』は、国民から常に『知恵の書』として仰がれる事になるのです。
私が編集長になれば、その様な書を作る事が出来ます。
しかし、その為には、国民の英知を結集しなければならないのです。
新聞、テレビ、学校を巻き込んで大々的大キャンペーンを張りましょう。
キャッチ
『貴方の知恵を(古今東西の名著の中の名文中の)名文に託して・・・!』
応募のあった名文が、「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」に必ず掲載される訳ですから、国民の哲学への関心はいやがうえにも高まります。
女子高校生が言います。
次の哲学読本大全の募集はいつですか?と
特等賞は「哲学読本大全(全10巻)」に選ばれる事、一等賞は「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」に掲載される事、空クジはないのですから・・・。
自我の芽生えた幼児から100歳のご老人まで日本中を巻き込んで、大々的に大キャンペーンを張りましょう。
ここで更に提唱です。
「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」については、小学生編、中学生編も作成しましよう。
これで、「哲学読本大全」が文字通り、国民みんなのものとなりました。
「哲学読本大全」は、1期、2期、3期・・・と言う風に期を重ねて行く事にしましよう。
それにより、「哲学読本大全」は、名実共に、国民財産と成って行くのです。
何故なら、「哲学読本大全」の中に国民一人一人の知恵が織り込まれて行くのですから。
さて、岩波書店の発行の名著の中にどれだけの名文中の名文が織り込まれているのでしょう。
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」
岩波書店の中には、イエスだけでなく、ブッダ、マホメット、プラトン、孔子、老子、王陽明、親鸞、空海、西郷隆盛、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、カエサル、ゲーテ等々、数え切れない程の聖人賢人哲人偉人達人英雄文豪たちが居ます。
『私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。』と
とにかく先ずは、第1期を完成させましょう。
全てはそこから始まるのです!
別紙1
拝啓 初等中等教育局長 殿
私は現在の日本を憂えている者の一人です。
しかしまた教育によって日本が素晴しい国家になると信じている者の一人でもあります。
私はその為に哲学一貫教育を提唱します。
哲学一貫教育とは、日本国民に対して、一生涯を通じて哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民をなる事を目指すものです。
なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美を愛する事と解して頂ければ良いと思います。
そして、この哲学一貫教育の中心と成るのが、小中高校哲学一貫教育です。
その具体的実施方法については、下記1の「小中高校哲学一貫教育について」に詳述してありますのでご一読して頂きたいと思います。
現在の教育に不足しているのは知恵の教育です。
知恵と知識が相俟って、素晴しい人間が育っていきます。
しかし、現在の教育はあまりにも知識に偏重し過ぎています。
小中高校哲学一貫教育は、小学校、中学校、高校に渡って哲学教育を一貫して実施する事により、知恵と知識のバランスの取れた児童生徒を育成する事にあります。
小中高校哲学一貫教育の目標は、自ら学び、自ら考える児童生徒の育成です。
すなわち、自らにおいて真善美等を学び、自らにおいて真善美等を考え、そして自らにおいて真善美等を自らのものにしていこうとする児童生徒を育成する事にあります。
その為の方法として、哲学一貫教育においては、読書と思索と作文と対話を実施していきます。
具体的には下記1の「小中高校哲学一貫教育について」をご覧頂きたいと思うのですがが、概要を述べると次の通りです。
小中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、週2時間とします。
高校においては、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、週2時間とします。
これによって、小中高校の週2時間の哲学一貫教育を完成させます。
小中高校一貫教育においては、読書、思索、作文、対話を対象としますが、授業においては、この内の読書、思索、作文のみを対象とします。
対話については、課外において実施されるものとします。(詳細については下記1の「小中高校哲学一貫教育について」をご覧下さい。)
哲学の授業は週2時間としますが、この内の最初の時間を読書に充て、最後の時間を作文に充てます。
思索については、読書の時間及び作文の時間において当然に行われます。また、読書の時間と作文の時間の間においても、意識的、無意識的に思索が行われる事になります。
読書の時間においては、『哲学読本』を読む事になります。
『哲学読本』とは各学年ごとに作成するもので、各学年に相応しい哲学テーマを30ほど選択し、その哲学テーマに関する名文中の名文を古今東西の名著の中から3編程度掲載したものです。なお、名著については、哲学書だけでなく、広く文学書等(小説、随想、評論、詩等)も対象とします。
読書の時間には、それぞれのテーマに関する名文中の名文を3編程度読む事になります。
作文の時間には、読書の時間に読んだ名文中の名文を契機として、その哲学テーマに関する自由作文を『哲学ノート』に書く事になります。
なお、作文は読書感想文ではなく、その哲学テーマに関する自由な発想の作文を尊重する事とします。線画等の併用も認める事にします。
これを小中高校一貫して実施していきます。
これが小中高校哲学一貫教育の概要です。
何だ、それは単に『読書』と『作文』だけではないかと仰るかも知れませんが、確かにその通りです。
しかし、読書量と作文量が違います。
小中高校で360の哲学テーマ(30テーマ×〔6年+3年+3年〕=360テーマ)について、名文中の名文を読み、そしてその360の哲学テーマについて作文を書く事になるのです。
これにより、児童生徒が如何に哲学的に成熟するかお分かりになると思います。
なお、哲学テーマ例については、下記2の「分野別哲学テーマ例」をご覧頂きたいと思います。
児童生徒の中には、これらの素晴しいものが確かに存在しているのです。
しかし、ほとんどは眠ったままです。
哲学一貫教育においては、先ずこれらを児童生徒に気付かせてあげます。
そして、気付いた後は、児童生徒が自らにおいてこれらを育てあげていきます。
気付かせてあげる方法が哲学読本(読書)であり、自らにおいて育て上げる方法が哲学ノート(作文)なのです。
これら素晴しいものの存在に気付いた児童生徒は、自らにおいてそれを考え、自らにおいてそれを学び、自らにおいてそれを自分のものにしようとします。
人間にはその様な本性があるのです。
その本性こそが哲学、すなわち知恵を愛すると言う行為なのです。
哲学一貫教育は、その本性を目覚ます為の方法であり、その本性を育てる為の方法なのです。
哲学一貫教育の成否は、偏に『哲学読本』にかかっています。
何故なら哲学読本によって、児童生徒の中に眠る素晴しい存在を気付かせる事にあるからです。
名文中の名文と言うものには、人を目覚まさせる力があります。
その様な言葉の力で児童生徒の中に眠っている素晴しい存在を引き出してあげるのです。
ですから『哲学読本』は、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々、更には国民の英知を結集して作成する必要があるのです。
素晴しい言葉に触れれば、児童生徒は独りでに啓発されていくものなのです。
現在の道徳教育の弊害は、あまりにも現場の教師に求め過ぎている事にあります。
道徳(哲学)的素養の無い教師に、道徳(哲学)を求めても土台無理なのです。
教師が熱心になればなるほど、自らの価値観を児童生徒に押し付ける事にもなります。
これまで世界は、偉人、賢人、哲人、聖人、英雄、文豪、天才科学者等々を輩出してきました。
これらの人々の『言葉』に触れれば、子供たちは独りでに啓発されていくものなのです。
哲学教育は、『言葉』による教育です。
それも取って置きの素晴しい言葉による教育なのです。
「善く説かれた真理の言葉を摘み集めるのは誰か。」
勿論児童生徒であるべきですが、児童生徒には未だその能力が十分ではありません。
その為に世の大人たちが結集して、素晴しい言葉の範例を示してあげる必要があるのです。
その為に『哲学読本』は、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々だけでなく、国民全ての英知を結集して作成する必要があるのです。
キリスト教国家においては、聖書によって子供たちを育て上げます。
イスラム教国家においては、コーランによって子供たちを育て上げます。
日本においては、『哲学読本』よって子供たちを育て上げるのです。
しかし、『哲学読本』は1冊ではありません。
それぞれの教科書会社がそれぞれに出版します。また、一般の出版会社がそれぞれに競って出版する事も期待します。
これら全ての『哲学読本』がハーモニーを成して、日本の子供たちを育て上げていくのです。
『哲学読本』には、イエスの言葉もあって良いし、ブッダの言葉もあって良いし、マホメットの言葉もあって良いし、孔子、老子の言葉もあって良いし、レーニン、マルクス、毛沢東の言葉もあって良いし、聖徳太子、空海の言葉があっての良いのです。
また、ソクラテス、プラトン、デカルト、カント、ショーペンハウワー、ルソー等々
イソップ、ホメロス、ダンテ、シェークスピア、ゲーテ、夏目漱石等々
カエサル、ナポレオン、徳川家康、西郷隆盛等々
レオナルドダビンチ、ピカソ、ベートーベン、モーツアルト等々
ガリレオ、ニュートン、エジソン、アインシュタイン等々の言葉もあるべきです。
これらの言葉がハーモニーを成して児童生徒を育成していくのです。
『哲学読本』は、主義、主張、イデオロギーを教える為の道具ではありません。
『哲学読本』は、児童生徒にとっての“考えるヒント”なのです。
『哲学読本』を契機に、児童生徒が如何なる世界観、価値観を育てていくかは全て児童生徒に任せるべき事です。
『哲学読本』の言葉の採択基準は、知識ではなく知恵です。
知識は他の教科教育でその正しい知識を教えて行く事になります。
『哲学読本』では、それぞれの各分野の偉人、先人たちが、如何に「知恵を愛した」(哲学した)かを学ぶ事になります。
偉人たちが偉人である由縁は、彼らが知恵を愛しぬいた(徹底的に哲学した)所以によるのでしょうから・・・。
小中高校哲学一貫教育の最終目標は、児童生徒が哲学する(知恵を愛する、真善美を愛する)事を学び、そして自らが哲学する(知恵を愛する、真善美を愛する)ようになる事です。
もし高校卒業までに、哲学(知恵を愛する事、真善美を愛する事)の習慣が付けば、その人は死ぬまで哲学する事を止めないでしょう。
もし全ての国民に哲学の習慣が付けばどうなるのでしょう。
そうです。「哲学の民、日本人」の誕生です。
ここまで来れば御伽噺ですが、『小中高校哲学一貫教育』にはその様な明るい未来があるのです。
どうか、ご一考をお願いいたします。
なお、小学校低学年における哲学教育の在り方、高校における哲学教育の在り方、哲学教育における担任教師の負担軽減の在り方、哲学一貫教育の具体的な方法及び効果等について、下記1の「小中高校哲学一貫について」で詳述していますので、ご一読頂きたいと思います。
色々と長々と述べてきましたが、教育により日本を成熟した社会に導きたいのであれば、小中高校哲学一貫教育しかないと思います。
どうか、ご一考をお願いします。
なお、現在教育課程を研究されている、初等中等教育企画課長、同教育制度改革室長及び教育課程課長並びに同教育課程企画室長にも、同文を回覧、回送して頂ければ有り難く思います。
敬具
平成20年2月3日
哲学哲男sofialover@nifty.com
追伸
日本国民の一生涯に渡る哲学一貫教育についても、下記3の「一生涯に渡る哲学一貫教育について」で記述しています。
この哲学一貫教育は、小中高校哲学一貫教育を土台として、更に大学教育、社会教育、家庭教育等における哲学教育と一貫性をもたせたものです。
この哲学一貫教育の目標とする所は、正に『哲学の民、日本人』の育成です。
こちらについても、どうかご一読をお願いいたします。
参考資料
下記1「小中高校哲学一貫教育について」
下記2「分野別哲学テーマ例」(省略)
下記3「一生涯に渡る哲学一貫教育について」
下記1
【小中高校哲学一貫教育について】
1 趣旨
小学校、中学校、高校において哲学教育を一貫して行う。
2 方法
小学校、中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とする。
高校においては、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とする。
これにより、小中高校における週2時間の哲学一貫教育を実施する。
3 哲学教育の基本的な考え方
哲学教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を求める事とする。
4 哲学教育における目標
自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものとし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する。
5 哲学教育における哲学テーマ
現在の小学校・中学校学習指導要領の道徳のテーマと同じく、①自分に関する事、②他人との関係に関する事、③社会に関する事、④自然に関する事の四分野とし、それぞれの分野ごとに更に哲学テーマを設定する。(各分野における哲学テーマ例は下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事。)
なお、各学年ごとにそれぞれに相応しい哲学テーマを設定する事とし、テーマ数は、各学年ごとに4分野合わせて30程度とする。
6 哲学読本
各学年ごとに1冊作成する。
各学年ごとに設定した30程度の哲学テーマそれぞれ1つごとに、そのテーマに関する3編程度の読み物を掲載する。(授業1時間で読める程度の分量とする。)
なお、読み物は、名著の中から名文中の名文を選択する。
また、読み物は哲学書からだけでなく、広く文学書等(小説、随想、評論、、詩、科学論文等)からも広く採択する。
哲学読本は、黙読が原則であるので、振り仮名を付ける。
※何故読み物は名著の中の名文中の名文でなければならないのか。それはその言葉がその児童生徒が死ぬまで古くならないからであり、その言葉がその児童生徒が死ぬまで魔力を持ち続けるからであり、また児童生徒がその言葉に魅力を感じた時、何時でも原著に向かえるからである。名文中の名文とは時の練磨を経ており何時でも新しい。児童生徒が大人になっても常に新しく在り続ける。すなわちその言葉がその人の中で生き続けるのである。
7 哲学ノート
各学年ごとに1冊作成する。
各哲学テーマについて、児童生徒が書く為の作文ノートとする。(児童生徒は小中高の成長の軌跡を自らにおいて確認できる。)
8 授業の進め方
授業時間は週2時間とする。
週の最初の時間を読書に、週の最後の時間を作文に充てる。
読書の時間には、哲学読本に掲載されている1つの哲学テーマに関する3編程度の読み物を読む。黙読とする。
作文の時間には、そのテーマについての自由作文を哲学ノートに書く。なお、作文は読み物に関する感想文ではなく、読み物を契機にした自由作文とする。
9 哲学教育における読書、思索、作文、対話のあり方
読書については週1時間、作文についても週1時間充てる。
思索については読書の時間及び作文の時間に当然に行われる。また読書時間と作文時間の間にも意識的、無意識的に行われる。
対話については課外に行われる事を期待する。
なお、哲学的素養のある教師が哲学サークルを作り、そこで哲学的対話が行われる事を奨励する。哲学的素養のある教師の下に多くの哲学サークルが生まれる事を期待する。(本来の意味での師弟教育、自らが選択した尊敬する教師の下での師弟教育が行われる事を期待する。アカデミア的な雰囲気が生まれる事を期待する。)
10 哲学教育における評価
哲学教育においては、評価は行わない。作文についても、評価しない。
なお、哲学は教科ではなく、現在の道徳と同じ様にただ単に『哲学』とする。
11 哲学教育における小中学校担任教師の負担の軽減
哲学教育が小中学校の担任教師の負担とならないよう、担任教師の役割は作文が書かれているか否かの確認程度とする。(勿論作文の内容を読み込んで、生徒理解を深める事は大いに結構な事だが、毎週30名の作文を読む事には時間的な制約があると思われる。哲学の本質は自ら学び、自ら考える事にある。)
哲学的対話は、哲学的素養のある教師の下での哲学サークルに期待する。
12 哲学の授業における静謐の確保
哲学の授業の本質は、自ら学び、自ら考え、自らを確認する事にあるので、授業時間中は静謐を保つ事とする。
静謐の中で自分自身を深く考える機会とする。
13 高校における哲学教育
高校における哲学読本については、哲学者、思想家、科学者等の読み物を体系的に整理したものとする。なお、その場合でも解説書ではなく、哲学者、思想家等の原著の一節を切り出したものとする。
なお、高校における哲学教育については、哲学専任教師が担当する。
14 小学校低学年における哲学教育
小学校低学年においては作文能力が十分でないので、作文の時間は設けず、全て読書の時間とする。
読書の時間においては、教師の読み聞かせと児童の発表で構成する。(割合は読み聞かせ3に対して発表1程度とする。読み聞かせであれば、少々高度な内容であっても理解できる。静かに聞く能力を育てる。耳学問の大切さを知らせる。哲学読本は作成する。)
小学校低学年の読書の時間において、哲学の基礎的な問題を網羅する事とする。小学校低学年の読書の時間において、哲学的素養、哲学的素地を身に付けさせる。また、身近な自然についても哲学させる。
嘗ては古老や大人が子供たちに話を聞かせたが、教師がその役割を担うものとする。教師は朗読能力を高めるものとする。教師は現代の語り部となる。
15 哲学教育と他の教科教育等との役割分担
哲学教育において知恵を学び、教科教育において知識を学ぶ。
哲学において、教科(国語、数学、理科、社会等々)を総括し、統合する。
哲学において、教科の知識を生きた知恵に変える。
16 現代における哲学教育の必要性
現代は知識偏重の社会であり、応用能力が低くなってきている。
哲学教育により知恵を学ぶ事により、知恵と知識が共鳴する社会が生まれる。
17 哲学の本質
哲学(知恵を愛する事、真善美を求める事)により、自分が素晴しい存在である事に気付き、それに伴い回りの人間もまた素晴らしい存在である事に気付き、それに伴い社会の大切さを理解するようになる。
また、哲学により自然の美しさ、素晴しさを知る。
哲学教育は、現在道徳教育が目標としている事を実現させる唯一の道である。
18 現在の道徳教育の問題点
現在の道徳教育はあまりにも現場の教師に負担を求めすぎている。
現在の教師の道徳的能力はかなり低い。
その教師が幾ら道徳教育に力を入れても、道徳的能力は高まる事無く、更に低いほうへと落ちて行く。現在の道徳教育はこの悪循環を繰り返している。
子供たちは、素晴しい教材があれば、自ら啓発されていくものである。
19 今回の哲学教育における成否のポイント・・それは哲学読本
今回の哲学教育が成功するか否かは全て哲学読本にかかっている。
哲学読本は、考えるヒントであり、産婆役である。
哲学読本は、児童生徒の中に眠っている素晴しい存在を引き出す為のものである。
児童生徒の中に眠っている素晴しい存在とは、勇気であり、忍耐であり、節制であり、美であり、善であり・・・下記2の「分野別哲学テーマ例」に掲げている全てである。
20 哲学読本の作成方法
哲学読本については、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々の英知を結集して作成する必要がある。
また、国民の英知も結集する必要がある。(児童生徒に読ませたい名文を広く国民から募集する等。)
哲学読本の成否は、古今東西の名著の中からそれぞれの哲学テーマに関する名文中の名文を如何に集めるかにかかっている。哲学読本の成否が哲学教育の成否にかかっている。何故なら、哲学読本は児童生徒の中に眠っている素晴しい存在(勇気、忍耐、節制・・・)を生み出す為の産婆役だから・・・。
哲学読本は、全ての教科書会社がそれぞれに出版するものとする。
また、一般の出版会社が大人、子供それぞれの向けの哲学読本を出版する事を期待する。
21 哲学的対話
嘗ては古老や大人たちとの対話の中から、子供たちの中に眠る素晴しい存在が引き出されていた。
しかし現在はその機能が失われてしまった。
今回の哲学一貫教育においては、学校内に哲学的素養のある教師を中心にその様な哲学的対話の場(サークル)が生まれる事を期待する。
また、地域においても、哲学的素養のある人を中心にその様な場が出来る事を期待する。
哲学(真善美等を愛する事)は、対話によって完成していく。
哲学の授業で学んだ事を、対話で確認し、自分のものにしていく。
その為の様々な哲学サークルが生まれていく事を奨励する。
22 一生涯に渡る哲学一貫教育との連携
小中高校哲学一貫教育を土台として、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等における哲学一貫教育を完成させる。
小中高校哲学一貫教育と大学、社会教育、家庭教育における哲学教育との連携を図る。
具体的には、大学や地域の哲学的素養のある人々が小中高校に入ってきて、児童生徒と哲学的対話が行われる事を期待する。
また、家庭内においても哲学的対話が行われる機運を醸成する。
哲学的対話は担任の教師ではなく、哲学的素養のある教師や哲学的素養のある地域の人々に期待する。なお、哲学一貫教育が成熟してくれば、全ての教師の哲学的素養は高まっていく。(哲学的素養の無い教師は採用されなくなる。採用試験においては哲学に関する筆記及び口実試験を課する。)
なお、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等を通じての一生涯にわたる哲学一貫教育の実施要領については、下記3の「一生涯に渡る哲学一貫教育について」を参照の事。
23 大学教育学部における哲学教育コースの設置
現在の教育学部における哲学の位置付けは、社会科コース及び教育学コースの一部である。
哲学一貫教育を充実させる為、全ての教育学部に『哲学教育コース』を設置する。
24 自殺と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるかに気付く。
この事により、自殺は激減する。
25 差別、いじめと哲学一貫教育
哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか気付く。それにより他人もまた如何に素晴しい存在であるかに気付く。
この事により、差別、いじめは激減する。
26 性教育と純潔教育と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか、また他人も如何に素晴しい存在であるかに気付く事により、自ら純潔を守るようになる。
この事により、現在の過激な性教育(コンドーム及びピル教育=性交教育)は必要なくなる。
27 公衆道徳と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさを知る事により、社会の大切さを知るようになる。
この事により、公衆道徳意識が高まる。
28 環境保護と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさ、社会の大切さ、自然の大切さ、美しさを知るようになる。
この事により、環境保護意識が高まる。
29 教育基本法と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、教育基本法の精神に基づくものである。
哲学一貫教育において、教育そのものを哲学する。
30 芸術文化振興基本法と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、芸術文化振興基本法の精神に基づくものである。
哲学一貫教育において、芸術と文化を哲学する。
31 文字・活字文振興法と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、文字・活字文振興法の精神に基づくものである。
哲学の授業時における360回(35回×(6年+3年+3年))の読書と360回(35回×(6年+3年+3年))の作文、これにより文字・活字文化は飛躍的に発展する。
32 子どもの読書活動の推進に関する法律と哲学一貫教育
哲学一貫教育は、子どもの読書活動の推進に関する法律の精神に基づくものである。
哲学一貫教育における読書は真の読書家を育てる。
読書は、消費財の消費ではなく、生産財の生産であるべき。良書は無限の富である知恵を人の心の中に育てる。
33 国民の祝日に関する法律と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、法に定める国民の祝日を哲学する。これにより社会に対する理解が深まる。
34 法律と哲学一貫教育
哲学一貫教育においては、全ての法律を哲学する事ができる。
男女共同参画社会基本法、高齢者化社会対策基本法、少子化社会対策基本法、障害者基本法、消費者基本法、土地基本法、海洋基本法、エネルギー政策基本法、原子力基本法、環境基本法、科学技術基本法、食料・農業・農村基本法、森林・林業基本法、水産基本法、災害対策基本法、交通安全対策基本法、食品安全基本法、自殺対策基本法、ガン対策基本法、教育基本法、文化芸術振興基本法、食育基本法等、各種基本法の前文、目的、目標、理念等を哲学する事により、法の求めている精神を理解する事ができ、社会に対する理解が深まる。
35 憲法と哲学一貫教育
憲法には、自由、平等、平和、戦争、人権、権利、義務、健康、文化、教育、勤労等々哲学の対象となるものが多く存在している。
憲法を哲学する事により、法の本質を知るようになり、遵法精神が高まる。
36 教養と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、360の哲学的テーマに関する古今東西の名著を読み、またその360の哲学的テーマ関する作文を書く事になる。これにより、日本人の教養のレベルは現在と比較にならないほど高くなる。哲学一貫教育は日本人の教養のレベルの底上げを図るものである。
37 国際交流と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、日本人の教養、道徳レベルは高まり、草根の国際交流においても恥じる事はなくなる。
38 国際評価と哲学一貫教育
海外より日本人は『哲学の民』と評される事になる。
古代ギリシアの民と比較されるほどになる。
39 真善美と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、日本に真善美が溢れる事になる。これが哲学一貫教育の最終理想である。
40 道徳と哲学一貫教育
哲学一貫教育において、徳(勇気、忍耐、節制、寛容等々)と呼ばれているものを全て哲学する。
これにより、徳の概念を知り、自らを徳に導く。
41 自分と言う存在と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分が如何に素晴しい存在であるかを知る。
ここから全てが始まる。
自分自身が素晴しい存在であるとは、下記2の分野別哲学テーマ例に記載されてある全てが自分自身の中に素晴しい形で存在していると言う事に気付く事にある。その気付きから、それを引き出し、それを自分のものにしようとする。ここから哲学が始まる。この気付きが無ければ全ての哲学一貫教育は徒労である。この気付きについては、教師は決して教える事はできない。この気付きは児童生徒が自らにおいて気付かなければならない。この気付きを触発させるのが、古今東西の名著の中の名文中の名文である。言霊が言霊に触れて始めて、気付きが起こる。
なお、気付きは、小学1年生、中学1年生、高校1年生それぞれで良い。
おぼろげなるものからよりはっきりしたものへ、ここに小中高校哲学一貫教育の意義もある。
42 社会と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自分自身が素晴しい存在である事に気付けば気付くほど、他人もまた同様に素晴らしい存在である事に気付くようになり、その結果、自分と他人との関係集団(家族、学校、国家等々)、すなわち社会もまた大切な存在である事に気付くようになる。更にその社会を取り巻く環境、そして自然もまた大切な存在である事に気付くようになる。
43 自然と哲学一貫教育
哲学一貫教育により、自然の美しさ、素晴しさ、そして自然の妙を知ようになる。
特に小学校低学年においてそれらを気付かせる機会を多く持つものとする。
例、季節、春、夏、秋、冬、朝、昼、夜、天気、晴れ、雨、曇り、雪、動物、犬、猫、牛、植物、草、花、木、森、海、山、川、太陽、月、星、体、目、口、鼻、耳、手、足、頭、土、砂、石、水、金等々
何故なら、自分の中に存在する素晴しいものと自然は相似しているからである。
児童生徒は素晴しい自然の具象の中に、自分自身の中に存在するそれと相似のものを予感する。
44 哲学読本の作成方法
各教科書会社において、名著を1000冊選ぶ。そしてこの名著の中から名文中の名文を数千編選び、これを更に精選し、学年別、分野別、各哲学テーマ別に配して、各学年ごとの哲学読本を作成する。
なお、小中高校を通じての哲学読本に掲載される名文中の名文は約1000編となる((30時間・テーマ×(6年+3年+3年))×3編=1080編≒1000編)
これにより、児童生徒は独りでに訓化されていく。(教師が幾らごちゃごちゃ言っても馬耳東風。知恵は自らでしか学べない。)
45 何故一つの哲学テーマに名文を3編掲載するのか
それは児童生徒に自らにおいて普遍を学んで貰う為である。
例えば、慈愛について、イエスの慈愛の言葉、ブッダの慈愛の言葉、マホメットの慈愛の言葉を掲載する。
この三つの言葉から三人に共通する普遍の慈愛を学んで貰うのである。
全ての哲学テーマについて、この様な方法で普遍を学んで貰う。
哲学一貫教育においては一切のイデオロギーから離れる。児童生徒が自らにおいて価値を学び、自らにおいて価値を確認し、自らにおいて価値を確立していく。アイデンティティの確立。
46 古今東西名著文庫及び哲学読本文庫
哲学読本に掲載した名著原典については、必ず学校図書館に供えるものとする。
また、全ての教科書会社が出版した哲学読本も、必ず学校図書館に供えるものとする。
47 哲学と教科の役割分担
教科の役割は正確な知識の伝授。その評価は知識の量(正確な記憶の量)であるべき。その評価はまたテストであるべき。
哲学はそれらの知識の意義を考え、それら知識を統合し、そしてその知識を自らの生活の中に生かしていく事にある。
現在の教育改革のもどかしさは、教科教育に哲学を求めている事にある。
この役割分担を明確にすれば、効率的に知恵と知識のバランスのある児童生徒が育てていく事ができる。
哲学一貫教育においては、教科を哲学し、教科の単元を哲学し、必要な場合に単元の中の言葉や公式をも哲学する。
これにより、教科は数段面白くなり、児童生徒は積極的に教科を学ぶようになる。
これにより、児童生徒の学力は飛躍的に上がる。世界に飛び抜けての学力国家となる。
そしてその知識は全てぴちぴちと生きているのである。
「哲学の民、日本人」の誕生である。
※哲学は教科とはぜず、現在の道徳と同じく「哲学」とする。なお、『哲学読本』は教科書に準じるものとする。(勿論無償とする。)
48 国語と哲学一貫教育
哲学一貫教育における哲学の授業とは、読書と思索と作文である。
これは国語教育と全く同じ事である。
国語教育の中にこの哲学を組み込んでも良さそうだが、しかしそれでは哲学の機能は全く埋没し効果は0である。
国語教育は他の教科教育と同じくその本質は教える事にある。
しかし哲学教育の本質は、自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものにし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する事にある。その契機が読書であり、その発展が思索であり、その確認が作文である。(確立、確定は対話である。)哲学は決して教える事はできない。
49 現在の道徳教育の問題点
現在の道徳教育の第一の問題点は、道徳を教えようとする事にある。
第二の問題点は、その教える事が何であるかはっきりしていない事にある。教材が無い。
第三の問題点は、教えるべき道徳を教師に求めている事にある。
現在の教師の道徳能力は低い。この教師に道徳を求めても土台無理である。もし教師に道徳教育を強く求めれば、教師は混乱し、その結果として児童生徒も混乱する。現在道徳教育の様に、当らず障らずと言う遣り方は現場の知恵である。
50 徳育と道徳教育と哲学一貫教育
教育再生会議で徳育と言う概念が打ち出された。
その概念については明確でないが、次のように規定するとする。
徳育は、教科であり、教科書がある。(そしてテストもある。)
もし徳育がその様な概念であれば、日本の道徳は現在に比べて比較にならない程よくなる。
教師は、何の迷いも無くその徳を徹底的に教え、児童生徒は何の迷いも無くその徳を徹底的に覚え込む。
これにより、日本の道徳は現在に比べて比較にならないほど良くなる。
一種の教条主義者を育てる事であり、一種のイデオロギー教育だが、その教条、そのイデオロギーはとても良いものであり、私は大賛成である。
しかし、哲学一貫教育における所の『哲学の民、日本人』を育てる事はできない。
善良な教条主義者を育てるか、それとも「哲学の民、日本人」を育てるか、確かに判断に迷う。徳育は哲学一貫教育の道ならしにはなる。徳育を5年間試行し、その後哲学一貫教育に持って行くと言う方法も確かにある。
51 総合学習と哲学一貫教育
総合学習は正に哲学教育の体験、体感の場である。
哲学教育の授業、すなわち読書、思索、作文において、自分自身の素晴しさ、周りの人々の素晴しさ、社会の素晴しさ、自然の素晴しさを概念的に知る。
総合学習においては、これら素晴らしきものを体験、体感する。すなわち人々との対話であり、社会との対話であり、自然との対話である。
具他的には、身近な自然、海、山、川、森、田、畑、公園、公民館、他の小中高校、幼稚園、大学、役場、職場、老人クラブ、婦人会、福祉施設等々考えられる限りの自然、社会に飛び込み、それぞれとの哲学的対話を進める。学校を離れる。
なお、総合学習の時間は月2回程度とし、午後の時間全てを大胆に充てる。(場合によっては昼食の時間も含める。授業時間は1回当たり4授業時間(コマ)とする。)
52 哲学的対話サークル
哲学的素養のある教師が哲学対話サークルを設置する事を奨励する。
また哲学的素養のある地域の人(父兄だけでなく会社、役場、教育機関、公民館等々勤務する人々を含む)が、学校内に哲学対話サークルを設置する事を奨励する。多くのソクラテスが学校入って来る事を期待する。アカデミア的な雰囲気が学校内に醸成される事を期待する。
具体的には、図書室等に隣接して、哲学対話室を学校の規模に応じて1から5程度設置し、哲学的素養のある教師や地域の哲学的素養のある人々が、日替わりで児童生徒との哲学的対話に応じる。
児童生徒は自らの知識を総動員して、自らの尊敬する哲学的素養のある人々に向かう。ある意味では知恵の総力戦である。
哲学対話サークルに通う事が、児童生徒のある意味でのステータスシンボルになる。
哲学対話サークルに通う児童生徒が、学級会活動、児童生徒会活動を牽引するようになり、学校に哲学的雰囲気が醸成される。
彼らが卒業して、世の指導者となり、日本は哲学的国家としての道を進む事となる。
なお、「一生涯にわたる哲学一貫教育」(下記3の要領を参照の事)において、大学、公民館、図書館等においても、それぞれ哲学的対話サークルが設置される事になるが、児童生徒が学校を超えてこれらの哲学的対話サークルと交流する事を奨励する。
様々な哲学的対話サークルにおいて、哲学的対話交流を深める事に依って、真に哲学的に優秀な児童生徒が育成される。彼らが大学等で更に哲学を深め、世に出て指導者となる。これにより、日本は哲学的国家への道を進む事になる。
53 『哲学の民、日本人』、『哲学国家、日本』の誕生
哲学一貫教育により、「哲学の民、日本人」が誕生する事になる。
また、「哲学の民、日本人」の中の真の哲学者が世を指導する事になり、「哲学国家、日本」が誕生する事になる。
54 読書、思索、作文、対話、行為と哲学一貫教育
哲学教育の授業において、読書と思索と作文が行われる。
対話については、哲学的対話サークルにおいて行われる。
行為は自らが行う。誰も行為を強制する事はできない。
読書において真善美等が想起され、思索において真善美等が深められ、作文において真善美等が確認され、対話において真善美等が確定確立され、行為によって真善美等が実践される。
55 哲学の意義と哲学国家日本
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美等を愛する事。
哲学国家日本とは真善美等の溢れる国家となる。
しかし真善美は一つではない。
日本国の真があり、日本国の善があり、日本国の美がある訳ではない。
真善美は国民一人一人にそれぞれある。
哲学国家日本とは、国民一人一人の真善美等がハーモニーをなす国家の事である。
しかし、それら国民一人一人の真善美は一つのものに集約される傾向にある。
それが日本人である所以であり、また人間でもある所以である。
その一つとは知恵と言って良いのかも知れない。
56 哲学一貫教育の究極の基礎、それは『汝自身を知れ』
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
知恵とは何か。それは究極の意味での本当の自分自身。
その本当の自分自身を突き詰めて行くと、人類の普遍の様なものに突き当たる。
そこから、猛烈な知識欲が湧き上がる。
そこから、人間の素晴しさ、社会の大切さ、自然の素晴しさ、大切さを知るようになる。
そこから、隣人愛、兼愛、慈愛、仁、惻隠、人類皆兄弟等々と言った思想が生まれて来る事になる。
そこから、真善美等々と言った諸々の思想が生まれて来る事になる。
知恵とは何か。それは本当の自分自身。そこは無限の宝の宝庫。知恵の泉。打ち出の小槌。
哲学一貫教育の基礎、それは『汝自身を知れ』にある。
57 結論
哲学一貫教育の素晴しさを縷々述べてきましたが、未だ述べたりません。
と言うよりも、哲学一貫教育の素晴しさにはきりが無いのです。
哲学一貫教育は現代の全ての問題を綺麗さっぱりと解決して呉れる魔法のです。
自殺、いじめ、差別、不登校、無気力、学力低下、道徳低下、性の乱れ等々、現代の全ての問題を哲学一貫教育は綺麗さっぱり解決して呉れるのです。
その魔法の秘密は『汝自身を知れ』にあります。
どうか皆さんも汝自身を知って下さい。
そうすれば『哲学一貫教育』以外如何なる方法も無い事に気付く筈です。
どうか哲学一貫教育を推進して下さい。
下記2 【分野別哲学テーマ例】(省略)
下記3 【一生涯に渡る哲学一貫教育について】
1 趣旨
日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民になる事を目指す。
なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を愛する事と解する。
2 方法
① 小学校、中学校、高校
・小中学校の道徳を廃止し、哲学とし、週2時間とする。
高校の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、週2時間とする。
これにより、週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
哲学の授業においては、読書、思索、作文を対象とする。週の最初の時間に読書を、週の最後の時間に作文を行う。思索はそれぞれの時間に行われる。
なお、小中高校哲学一貫教育の詳細については、上記1の「小中高校哲学一貫教育について」を参照の事。
・小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、学校内の教師、児童生徒だけでなく、大学や地域の哲学的素養のある人が入り込み、哲学的対話が行われる事を奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。
② 大学
・哲学を必修とする。
・講義は週1回とし、1年から4年まで通年で受講するものとする。
・1年から2年までは教養哲学とする。小学校、中学校、高校で学んできた哲学を完成させる。なお2年次の最終学期には、自らの哲学体系を纏め、評価を受けるものとする。
・3年から4年までは専門哲学とする。それぞれの学部、例えば「経済」「経営」「法律」「社会」「教育」「工学」「医学」「理学」「文学」「体育」等、そのものについての様々な文献を研究し、それぞれに関する自らの哲学を確立する。自らの経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学等々を完成させる。
・大学における哲学においては、「哲学―専門哲学―専門知識」に関する知恵・知識の有機的な体系を完成させる事を目的とする。(専門馬鹿にならず、哲学的素養のある科学者を育てる事を目的とする。)
・大学内に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、大学内の教師、学生だけでなく、他の大学の教師や学生、地域の人々、更には小中学校の教師、児童生徒が入り込み、様々な哲学的対話が行われる事を奨励する。
④ 社会教育
・公民館、図書館に哲学講座を開設する。
・図書館の哲学関係図書の充実を図る。
・成人の日に際して、古今東西の名文中の名文を集めた哲学読本(一生涯を通じての座右の書となるよう読本とする。広辞苑サイズ)を財団等を通じて配布する。
・公民館及び図書館に哲学対話室を設置する。哲学対話室においては、地域の人々だけでなく、小学校、中学校、高校、大学の教師や児童、生徒、学生が入り込み、多くの哲学的対話が行われる事を奨励する。
⑤ 家庭教育
・結婚に際して、結婚、家族、人生等に関する名文中の名文を集めた哲学読本を財団等を通じて配布する。
・家庭内における哲学的対話が図れるような機運を醸成する。
・学校の哲学一貫教育と連携し、親子の哲学的対話の図れるよう機運を醸成する。親子で一緒に哲学読本を読み、親子で一緒に哲学テーマについて語るような機運
を醸成する
・第一子出産に際して、幼児読み聞かせ用の哲学読本を財団等を通じて配布する。読み聞かせ運動を展開する。
⑥ 哲学的対話(哲学対話室)
・小学校、中学校、高校、大学、公民館、図書館等に哲学対話室を設置する。
これらの対話室では、小学校、中学校、高校、大学の教師、児童、生徒、学生、地域の人々が垣根を越えて哲学的対話が行われることを奨励する。
特に、大学や地域の哲学的素養のある人が、小中高校に入り込み、学校内の対話室において児童生徒と哲学的対話が行われることを奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。
・様々な場において多くの哲学的対話が行われる事により、日本全土に哲学的な雰囲気が醸成される。
3 哲学一貫教育の役割分担
哲学一貫教育は、読書、思索、作文、対話、行為によって完結する。
この内の、読書、思索、作文については、小学校、中学校、高校の哲学の授業において徹底底的に行われる。また大学において更に深められる。学校卒業後は、それぞれのステージの生涯学習で行われる。なお、公民館講座、図書館講座等において、その様な機会を提供する。また。成人式、結婚、出産等に際して、それぞれのステージに相応しい哲学読本を財団等を通じて配布する。
対話については、様々な場に設置される哲学対話室において行われる。
行為については、自らの意志において行う。
※日本はかつて「言霊の幸ふ国」(広辞苑)と呼ばれていました。哲学一貫教育では再度その様な国創り(真善美に溢れた国創り)を目指します。哲学一貫教育とは言霊による国創りの事なのかも知れません。
万葉集「言霊の幸ふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり」
別紙2
別稿「小中高校に設置する哲学対話室について」
私は前稿、すなわち大学の教育学部の哲学の先生方に出す書簡文を書き終えた後、暫くそのままにして置きました。
そして、今回それを形あるものしようと思った時、小中高校に設置する哲学対話室について、新たな可能性を見い出したのです。
それは、この哲学対話室が、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちを救う最も有効な方法だと気付いたのです。
しかし、前稿で述べたような方法ではその効果が全く出ないので、ここに新たな仕組みを提案する事にしました。
前稿で述べた哲学対話室ついては、どちらかと言うと哲学的に優秀な児童生徒を育成する為のものでした。
その仕組みは、プラトンの「饗宴」と同じです。
すなわち、ソクラテス(哲学的素養に優れた哲学ボランティア)を中心に、様々な哲学テーマについて、数人でまたは一対一で、対話(弁証)を重ねると言う方法です。
これにより、この哲学対話に参加する児童生徒の哲学能力は素晴らしいものに成って行く事は確かです。
しかし、この哲学対話に参加する児童生徒は、元々哲学的素養のある児童生徒たちです。
この哲学対話室には、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは参加する事はありません。
何故ならあまりにもハードルが高いからです。
私はここで思ったのです。
いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは何に落ちこぼれているのかと。
そして分かったのです。
彼らが「ことば」に落ちこぼれている事が。
哲学とは何でしょう。
それはphilosophia、知恵を愛する事。
それでは知恵を愛するとはどう言う事でしょう。
それは「ことば」を愛する事。
そうです。
彼らは、「ことば」を愛する事に落ちこぼれているのです。
原因が分かれば解決は簡単です。
彼らに「ことば」を愛する術を教えて上げれば良いのです。
その方法が哲学対話室と言う事になります。
しかし前稿で述べた哲学対話室では、哲学的に優秀な生徒とあまりにも格差があり、一緒に遣って行く事は出来ません。
ここに新たな仕組みが必要となるのです。
その仕組みが、二つの哲学対話室です。
一つは、前稿で述べた哲学対話室です。
この哲学対話室では、勿論一対一の対話も行なわれますが、通常は数人が一緒に対話する事を想定しています。
この哲学対話室の基本はフォーラム、すなわち広場です。
すなわち誰でも自由に勝手にです。
この様な中に、「ことば」を愛する術を知らない者は入って行く事は出来ません。
彼らの為にもう一つ特別な哲学対話室を作って上げなければならないのです。
その哲学対話室が一対一専用の哲学対話室です。
「ことば」を愛する事に落ちこぼれている者は、どの様に「ことば」を愛して良いのか分かりません。
先ずは、この一対一専用の哲学対話室において、哲学ボランティア‘ソクラテス’が今の彼の「ことば」を全て聴いて上げなければなりません。
彼は‘ソクラテス’誘導の下に「ことば」を語り続けている内に、段々にその「ことば」が発せられる源泉の様なものに気付いて来ます。
そして、今の「ことば」を全部語り終えた時に、その源泉から次々に新たな「ことば」が生まれて来る事に気付いて来ます。
ここまで来れば、「ことば」を愛する方法、知恵を愛する方法が分かって来ます。
すなわち哲学の何たるかを知るようになるのです。
ここまで来ればもう立派な哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)と成るのです。
‘ソクラテス’は産婆役に徹しなければなりません。
*彼らが次々に「ことば」を生み出すように。そして最後には真善美に溢れた「ことば」を生み出すように。
一対一専用の哲学対話室は、哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)育成の為の予備校となるのです。
ここで「ことば」を愛する術を知った者は、自ら「饗宴」、すなわち通常の哲学対話室に飛び込む事となるのです。
「饗宴」すなわち通常の哲学対話室におけるソクラテス(哲学ボランティア)はある程度哲学素養があれば良いのですが、一対一専用の哲学対話室における‘ソクラテス’は、知恵を愛する事、「ことば」を愛する事に優れた者でなくてはなりません。
以上が「小中高校に設置する哲学対話室」に関する新たな発想でした。
※「ことば」を愛する事に落ちこぼれていた児童生徒が、「ことば」を愛するように成った時、その児童生徒の学力は目覚しく伸びる事に成ります。
何故なら、「ことば」は全てを愛するようになるからです。
「ことば」を愛するとは「知恵」を愛する事。知恵を愛するとは哲学。
哲学は根源へと向かい、その根源から世界を再構築する。
別紙3
別稿「哲学フォーラム(哲学対話室)の意義」
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
それは真善美に溢れたことばを愛する事。
これは全ての人の心の中にある欲求です。
しかし今の日本においてはこの事が等閑にされています。
それは何故か。
それは日本があまりにも軽佻浮薄の時代に泥んで来たからです。
真面目な事を話す事はうざい事。
これが日本の風潮です。
こんな時代にどうして、真善美に溢れたことばを発する事が出来るでしょう。
しかしそれでも多くの人々が真善美に溢れたことばに渇望しているのです。
しかし世に向かってそのことばを発する事は出来ない。
この事は、何時の時代でも程度の差こそあれ同じではありますが、日本はあまりにも酷い。
この世とかの世。
この世とは私たちが住んでいるこの現実世界、かの世とは私たちが思い描く理想世界。
この世とかの世と繋ぐのもまた哲学の役目です。
すなわちかの世のことばをこの世のことばに翻訳し直す事です。
その為にも哲学対話が必要なのです。
一人では独善に成りがちです。
二人で、三人でまたはもっと多くの人数でそれぞれの理想を語り合う。
そこに共通のものも見い出す。
それがその人の当座の普遍となります。
その当座の普遍をこの世のことばに翻訳し直す、これも哲学の仕事です。
その為にも哲学対話が必要となるのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、この世とかけ離れた別世界です。
それでこそ、哲学フォーラム(哲学対話室)の意義があるのです。
ここで彼らは理想の世界を語り合います。
そしてその結果を、僅かかも知れませんが、この世に持ち帰るのです。
勿論その為には、その世界に合わせて翻訳し直さなければなりませんが・・・
哲学フォーラム(哲学対話室)は、何ら恥じる事無く、真善美に溢れた言葉を語り合う場なのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)が増えれば増える程、日本は軽佻浮薄の時代から脱却していく事でしょう。
哲学フォーラム(哲学対話室)が日本中に展開されたその暁には、日本人の体質も変わっていると思います。
その時、日本人は『哲学の民』と呼ばれる事に成るのです・・・・?
索 引 総 覧
哲学詩集Ⅲ 索引
哲学フォーラムと哲学教育(21.01.08)
美しき善き言葉による教育(哲学教育の趣旨)(21.01.10)
哲学一貫教育と哲学革命(喩えです)(21.01.11)
哲学フォーラムの可能性について(21.01.11)
公民館への哲学対話室の設置について(21.01.12)
nihonn dannjiさん及びmiraizou nihonnさんへ(21.01.12)
哲学対話の基本方針(21.01.13)
哲学対話の基本方針 その2(21.01.13)
哲学一貫教育の基本方針(21.01.14)
哲学一貫教育の基本方針 その2(21.01.12)
miraizou nihonnさんへ(21.01.15)
yunikoさんへ(21.01.15)
公民館哲学(哲学フォーラム)について(21.01.17)
公民館哲学(哲学フォーラム)についてNO2(21.01.17)
公民館への哲学フォーラムの設置について(21.01.18)
公民館への哲学フォーラムの設置について(21.01.18)
言葉の力による世直し(21.01.18)
【私は知恵】(21.01.19)
王陽明の知恵(21.01.20)
知行合一(21.01.22)
本来の面目は、即ち、我が聖門の所謂、良知なり(21.01.24)
自我とは、良知とは、仏性とは、知恵とは(21.01.24)
『永遠の存在』について(21.01.25)
永遠の存在と『哲学フォーラム』(21.01.25)
「自然に帰れ」、「内なる自然」(21.02.07)
「自然に帰れ」、「内なる自然」その2(21.02.07)
哲学フォーラムと『知恵』の解釈について(21.02.08)
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事!(21.02.10)
哲学とはphilosophia、知恵を愛する事!NO2(21.02.10)
哲学フォーラムの方針転換、公民館哲学(21.02.12)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO1(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO2(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO3(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO4(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO5(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO6(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO7(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO8(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO9(21.02.22)
王陽明の『良知』について 伝習録より NO10(21.02.22)
fumt007さんへ、『良知』とは?(21.02.22)
王陽明の知恵を現代に蘇らせましょう! (21.02.23)
哲学とはphilosophia,良知,良心を愛する事(21.02.24)
知恵の子、神の子、仏の子 哲学の報酬(21.02.25)
知恵の子、神の子、仏の子 哲学の報酬 NO2(21.02.25)
温故知新 『ニーチェの知恵について』(21.03.01)
温故知新 『ニーチェの知恵について』 NO2(21.03.01)
愛と誠 夢を語りましょう 理想を語りましょう(21.03.02)
知恵と愛 哲学フォーラムの基本方針(21.03.07)
古今東西の知恵を現代に蘇らせる哲学教育(21.03.09)
古今東西の知恵を現代に蘇らせる哲学教育 NO2(21.03.09)
哲学教育事始(21.03.11)
公民館哲学を成功させましょう(21.03.28)
「我、一を以って貫く」(21.03.29)
「我、一を以って貫く その2」論語を学ぼう(21.03.11)
科学としての哲学と『philosophia』(21.04.05)
潜在意識と知恵と神 マーフィー(21.04.16)
潜在意識と知恵と神 マーフィー その2(21.04.18)
潜在意識と知恵と神 マーフィー その3(21.04.18)
祈りの詩集(ソネット形式で)(21.04.19)
貴方方は生ける神である、神の秘密(21.04.19)
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に!(21.04.20)
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に! NO2(21.04.25)
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に! NO3(21.04.25)
Re: 貴方方は生ける神である、神の秘密(21.04.26)
旧約聖書「詩篇」講座 知恵を貴方に! NO4(21.04.26)
xxxxkkkxxxさんへ 言葉遊びを楽しみましょ(21.04.26)
「返礼詩集または応答歌」(21.04.27)
貴方の前に神が現れる!! 神の秘密(21.04.28)
Natural Woman Beautiful Woman(21.05.13)
「Natural Womanの会」へのご参加を!(21.05.14)
「Natural Womanの会」へのご参加を! NO2(21.05.14)
何故日本人女性は茶髪に染めるのか?(21.05.14)
日本民族は滅びの道を歩いている(21.05.16)
日本民族は滅びの道を歩いている NO2(21.05.16)
Natural Woman Beautiful Woman(21.05.16)
Natural Woman Beautiful Woman(21.05.16)
『日本人女性の茶髪を考える』拝啓 皆様へ(21.05.17)
『日本人女性の茶髪を考える』拝啓 皆様へ NO2(21.05.17)
Re: 『日本人女性の茶髪を考える』皆様へ(21.05.20)
Re: 『日本人女性の茶髪を考える』皆様へ NO2(21.05.20)
Re: 『日本人女性の茶髪を考える』皆様へ(21.05.24)
【日本人女性の茶髪を考える】(21.05.26)
『哲学国家 日本』 皆様へ(21.05.28)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.01)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.02)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.02)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.04)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.23)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.23)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.06.30)
拝啓 茂木健一郎先生へ<クオリア日記掲示板>(21.07.09)
拝啓 茂木健一郎先生へ<クオリア日記掲示板>(21.07.11)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ (21.07.12)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.07.23)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.07.26)
Re: 『哲学国家 日本』 皆様へ(21.07.28)
Re: 哲学について(21.08.03)
『哲学読本』について(21.08.03)
Re: 哲学フォーラムと哲学教育(21.08.16)
Re: 哲学について(21.08.16)
Re: 哲学フォーラムと哲学教育(21.08.16)
哲学フォーラムWEB試行(21.10.05)
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵(21.10.06)
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO2(21.10.06)
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO3(21.10.08)
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO4(21.10.08)
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO5(21.10.08)
哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO6(21.10.08)
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哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵(21.10.09)
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哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO10(21.10.10)
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Re: 哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵1(21.10.11)
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哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO16(21.10.11)
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哲学フォーラムWEB試行 ダビデの知恵NO18(21.10.12)
Re: ottyanyori学兄と論拠しようぜ!(21.10.12)
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Re: 汝自身を知れ!(21.10.13)
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Re: 哲学フォーラムと哲学教育(21.10.17)
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哲学フォーラム試行(21.10.18)
Re: 哲学フォーラムと哲学教育(21.10.18)
哲学フォーラム試行 『論語』(21.10.18)
哲学フォーラム試行 『論語』(修正版)(21.10.18)
哲学フォーラム試行 『論語』、仁について(21.10.18)
哲学フォーラム試行 『論語』、仁について(21.10.18)
Re: 哲学フォーラムと哲学教育(21.10.19)
哲学フォーラム試行 『論語』、仁について(21.10.23)
哲学とはphilosophia,それは知恵を愛する事(21.10.24)
【哲学フォーラムと哲学一貫教育提唱文集】
1 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(20.10作成:未送付)
2 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(20.11.16:メール送信)
3 各大学哲学担当教官殿宛て(20.11作成:未送付)
4 都道府県教育委員会小中高校教育担当課長殿宛て(20.11.16:メール送信)
都道府県教育委員会社会教育担当課長
5 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(20.12.14:メール送信)
都道府県教育委員会教育長
5 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(21.01.09:メール送信)
各都道府県教育委員会教育長
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長
国立大学人文社会学部系哲学担当教官
私立大学人文社会学部系哲学担当教官
日本教育大学協会会長殿
日本教育学会会長
日本哲学会会長
日本倫理学会会長
日本道徳教育学会会長
全国公民館連合会会長
日本PTA全国協議会会長
日本新聞協会会長
文部科学省初等中等教育局長
文部科学省生涯学習政策局長
文部科学省高等教育局長
内閣官房教育再生懇談会 会長
6 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(21.06.20:郵送)
7 岩波書店編集局哲学担当編集部長殿宛て(21.09.05:郵送)
角川書店編集局哲学担当編集部長
新潮社編集局哲学担当編集部長
小学館編集局哲学担当編集部長
集英社編集局哲学担当編集部長
講談社編集局哲学担当編集部長
文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
中央公論社編集局哲学担当編集部長
筑摩書房編集局哲学担当編集部長
河出書房新社編集局哲学担当編集部長
哲学詩集Ⅰ 索引(別巻)
哲学詩集 ~知恵を求めて~(15.04.16)
私は哲学詩人(15.04.16)
知恵の効能(15.04.16)
幸せの源泉(15.04.16)
知恵と知識(15.04.16)
命と知恵(15.04.16)
知恵者ソロモンの言葉(15.04.16)
主とは何者?(15.04.16)
ダビデの言葉(15.04.16)
私の主(15.04.17)
主の愛し方(15.04.17)
幸せの素(15.04.17)
主との付き合い方 ダビデの場合(15.04.17)
私の場合(15.04.17)
幸福の源泉(15.04.19)
主との抱擁(15.04.19)
幸せの第一歩(15.04.19)
私の使命(15.04.20)
詩人(15.04.20)
哲学詩人(15.04.20)
古代の哲学者たち(15.04.20)
天国への鍵(15.04.20)
孤独な者たちへ(15.04.21)
ある孤独者の告白(15.04.21)
名あるは万物の始め(15.04.21)
古代哲学を読み漁れ(15.04.21)
自由の為の学 古代哲学 (15.04.22)
自分と自由(15.04.22)
私の誕生記念日(15.04.22)
変幻自在な貴方(15.04.22)
私の楽しみ(15.04.22)
精神界(15.04.22)
人生は短く 芸術は長し(15.04.22)
詩人の真実(15.04.22)
無我の中の自由(15.04.23)
自ら由(15.04.23)
詩人を知りたければ詩人の国へ行け(15.05.07)
言葉は命(15.05.07)
影から光へ(15.05.07)
抒情詩と哲学詩(15.05.07)
哲学詩の世界(15.05.07)
ループの拘束(15.05.07)
律動(15.05.11)
天国の照明(15.05.11)
本当の私 そして本当の貴方(15.05.11)
詩人の悦び(15.05.11)
真実の影(15.05.11)
詩人の真実と人類の真理(15.05.11)
今日私は貴方を生んだ(15.05.11)
高貴な二つの人種(15.05.11)
もっと光を(15.05.11)
ローマの光(15.05.11)
古代ローマ(15.05.11)
光から聖火へ(15.05.11)
光の名残(15.05.11)
聖火の秘密(15.05.11)
1年12月365日8760時間525600分31536000秒(15.05.12)
一秒の神秘(15.05.12)
時はカーラ(15.05.13)
時と友達になれ(15.05.13)
因果応報の原則(15.05.13)
カーラは友達(15.05.13)
時は言葉也(15.05.13)
言葉を大切にしよう(15.05.13)
言葉と時間の追いかけっこ(15.05.15)
饗宴の世界へ(15.05.15)
アガペーへ(15.05.15)
この世を愛す(15.05.15)
愛の中へ(15.05.15)
言葉の饗宴(15.05.17)
ソフィアについて(15.05.17)
一つの真実(15.05.17)
仏教とキリスト教の融合(15.05.17)
私は詩人(15.05.17)
言葉の神秘(15.05.17)
真善美の源泉(15.05.17)
雅歌(15.05.17)
貴方も王そして私も王(15.05.17)
雅歌の秘密そして三位一体の秘密(15.05.17)
知恵と勇気を持って(15.05.17)
貴方は貴方の王国の王(15.05.18)
王国の支配(15.05.18)
王権復古(15.05.18)
綺羅星のごとくそして王のように(15.05.18)
お花畑について(15.05.18)
クセルクセス(15.05.19)
古代歴史の縦軸 ユダヤ(15.05.19)
エデン 名無き世界(15.05.19)
エデンからバビロニアへ(15.05.19)
知恵を求めて三千里(15.05.20)
若者よ 先ずは世界を手に入れておけ(15.05.21)
若者の為の修行 千日世界徒歩旅行(15.05.21)
貴方は行人か詩人か?(15.05.22)
詩人の真実 詩人のアイデンティティ(15.05.22)
若者たちへ(15.05.22)
私は詩人 だから私の言葉は真実(15.05.22)
正義とは?(15.05.23)
古代の正義(15.05.23)
正義の定義(15.05.23)
正義とカーラ(15.05.24)
正義は神の思し召し(15.05.24)
心と言葉と存在と(15.05.24)
私の詩(うた)はしりとり詩(うた)(15.05.24)
ささやかな飛翔 それが詩人の楽しみ(15.05.24)
万葉植物園(15.05.24)
レバノン杉とレバノンの森(15.05.24)
屋久島の森(15.05.24)
日々新たに それは詩人の糧(15.05.24)
一とは?(15.05.25)
ゼロとは そして一とは?(15.05.25)
愚か者たちへ(15.05.25)
詩人の楽しみ(15.05.25)
天職(15.05.25)
私が私である為に(15.05.25)
未だ見ぬ兄弟へ(15.05.25)
人類皆兄弟(15.05.25)
虚無 それは旋律なき空間(15.05.25)
ボレロ(15.05.25)
特急と鈍行(15.05.25)
かの世の見聞録(15.05.25)
羽よ!(15.05.25)
光舞う旋律(15.05.25)
慈愛の為に悲哀の中へ(15.05.28)
天使 それはこの世とかの世の架け橋(15.05.28)
私は今の所コーヒー党(15.05.29)
愛 それは私に取っての要石(15.05.29)
愛の詩人へ(15.05.30)
愛の二重唱(15.05.30)
私の愛する人よ 今何処(15.05.30)
永遠の邂逅(15.05.30)
愛の歌を歌いましょう(15.05.31)
言葉上の兄弟夫婦(15.05.20)
夫婦の資格(15.05.20)
子ども それは言葉の結実(15.05.20)
愛する人へ(15.05.20)
私は愛の人(15.05.20)
愛の宿敵とは(15.05.20)
愛の言葉(15.06.01)
瞳の愛の真実(15.06.03)
始原の愛(15.06.03)
心のままに(15.06.10)
天下天上唯我独尊(15.06.10)
「智恵とは何」 どうぞ教えて下さい(15.06.22)
智恵を探す旅(15.07.05)
智恵への旅(15.07.07)
素晴らしき世界の創造の為に(15.07.0)
智恵の書について(15.07.08)
言葉の役割について(15.07.09)
神の子として(15.07.05)
哲学への愛(15.07.05)
yoschkaさんへ(15.07.12)
神意について(15.07.17)
ちょっと面食らった体験をしました(15.07.28)
ゲーテ詩集と対訳ソフトについてご教示を(15.07.28)
ゲーテ詩集全集について(15.07.30)
真夏の正午の光景 夏の海(15.08.04)
普遍の愛に(15.08.05)
虚空に向かって(15.08.05)
命の木の実(15.08.06)
エデンの園の前にて(15.08.07)
神の国について(15.08.08)
その時間の砂山を齧って置け!(15.08.12)
私は知恵の旅の途中(15.08.05)
来週の火曜日に再会出来たら嬉しいです(15.08.13)
フィレオーについて(15.08.18)
批判はみっともない(15.08.19)
新しき人へ(15.08.19)
yoschkaの門(15.08.20)
yoschkaさんへの詫び状(15.08.20)
神の子 知恵の子 そして詩人(15.08.20)
100年後の地球について(15.08.23)
言霊の世界について(15.08.25)
貴方に似た人を探し求めて(15.08.27)
だから私は智恵を愛す(15.08.27)
至福とは精神の高揚の事(15.08.27)
「真善美」=知恵=哲学(15.08.27)
真理を求めなさい(15.08.27)
「真理」とは何か?(15.08.27)
フィレオー!(15.09.08)
絶望の時 神はあるのでしょうか(15.09.08)
天上への飛翔を夢見て(15.09.08)
ロゴスとアガペー(15.09.18)
旅路の前に(15.09.18)
また語り合える日まで しばしのさようなら(15.09.28)
私と貴方 抒情詩人と哲学詩人(15.10.03)
哲学詩集 ~智恵を求めて~ 第二幕(15.10.09)
智恵の旅(15.10.09)
法の精神(15.10.0)
私は私が好き(15.10.11)
この書は私自身である(15.10.11)
貴方は善(good=God)(15.10.11)
私の存在と神の存在(15.10.11)
もっとも力なき愛の人 詩人(15.10.11)
愛の人は智恵の人(15.10.12)
智恵は種子で愛は果実(15.10.12)
智恵と愛は車の両輪(15.10.12)
彼の名は哲学詩人(15.10.12)
貴方に依り頼む(15.10.13)
未だ恋愛を続けるつもりですか(15.10.13)
愛は同軸(15.10.13)
青への旅立ち その1(15.10.14)
貴方の思いのままに!(15.10.15)
神と時間について(15.10.18)
真の詩人たれ15.10.18)
ロゴスの祭壇のその前で(15.10.19)
善き人よ おやすみなさい(15.10.19)
贖罪の詩(15.10.20)
彼とは何時かきっと会える(15.10.20)
喜びは同時性(15.10.21)
あ(15.10.22)
智恵への信仰(15.10.23)
私のヨーガ(15.10.25)
有余涅槃の世界について(15.10.25)
哲学者は智恵への信仰者?(15.10.25)
アリアードネの糸(15.10.27)
愚か者の結論とならない様に!(15.10.28)
神のみぞ知る(15.10.29)
一つ一つの言葉に思いを込めて(15.11.05)
パリの事を色々教えて下さい(15.11.06)
神からの使者について(15.11.08)
今日からここがユートピアに変わる(15.11.08)
ここは登竜門(15.11.09)
哲学詩人へ(15.11.09)
ユートピア賛歌を 謳え!(15.11.10)
真善美の旗の下に(15.11.10)
私の愛しい人へ(15.11.13)
私の愛しい人々へ(15.11.18)
善き哉善き哉善き言葉でこの世を荘厳しよう(15.11.18)
謳え 悦楽の神秘を(15.11.19)
貴方は言葉である または言霊(15.11.20)
神の様な貴方様へ 詩を謳って下さい(15.11.21)
勧告その一 ホスピタリティが肝要(15.11.22)
宿題その一 「言とは?」 全員必答の事(15.11.22)
ryou5kunnさんへ(15.11.22)
私は言う 「言を謳え 言葉で謳え」と(15.11.20)
ryou5kunnさんへ(15.11.23)
善き思想のデパート「ユートピア」実現の為に(15.11.24)
善き思想の数々を謳って下さい(15.11.24)
「愛の詩(うた)」を謳って下さい(15.11.25)
起承転結の詩を謳って下さい(15.11.27)
神々との対話 序編(15.11.30)
神々との対話 panietzsche編その1(15.11.30)
神々との対話 panietzsche編その2(15.11.30)
神々との対話 lilith_flag編(15.11.30)
神々との対話 hirop編その1(15.11.30)
神々との対話 hirop編その2(15.11.30)
神々との対話 Temporal_anitya編(15.11.30)
神々との対話 第三巻その1(15.12.02)
神々との対話 第三巻その2(15.12.02)
神々との対話 第四巻その1(15.12.05)
神々との対話 第四巻その2(15.12.05)
神々との対話 第四巻その3(15.12.06)
哲学思想ログ 「神はいるか」に行きませんか(15.12.11)
zy2top さんへ そして読者の方々へ(15.12.13)
「智恵への道」を教えて下さい(15.12.13)
「智恵の道」その3(15.12.13)
ユートピアへの第一歩P氏L氏へのお願い(15.12.14)
lilith_flag氏へ hirop氏の詩を味わおう(15.12.15)
神の子への道 それは快楽の道(15.12.16)
panietzscheさんへ素敵な詩を有難う(15.12.17)
科学者よ 歯車の様な論理を鍛えなさい(15.12.18)
死して生 瞑想 十字架 新生(16.01.07)
神の国への第一歩 それが貴方です(16.01.08)
この世は言葉に依って成った(16.01.09)
神の定義 神とは○○ だから神はいる(16.01.09)
人生は短し 芸術は長し L氏へ(16.01.10)
神の様々な定義について 有神無神双方より(16.01.10)
有神論者の方へ 是非菩薩道への道を!(16.01.11)
主を畏れることは知恵の初め 無神論者へ(16.01.11)
畏敬の念を持つ事はそんなにも難しいのか(16.01.12)
ドラマ最終回 お見逃し無く(16.01.12)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より1(16.01.24)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より2(16.01.24)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より3(16.01.25)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より4(16.01.25)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より5(16.01.26)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より6(16.01.27)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より7(16.01.29)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より8(16.01.29)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より9(16.02.02)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より10(16.02.03)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より11(16.02.04)
イエスキリストに倣いて マタイ福音書より12(16.02.05)
仏教徒として 法句経より(16.02.09)
仏教徒として 法句経より2(16.02.10)
仏教徒として 法句経より3(16.02.11)
仏教徒として 法句経より4(16.02.11)
仏教徒として 法句経より5(16.02.12)
仏教徒として 法句経より6(16.02.13)
エピクロスの徒として 「手紙」より(16.02.14)
エピクロスの徒として 「手紙」より2(16.02.15)
エピクロスの徒として 「手紙」より3(16.02.16)
セネカを友として 「人生の短さ」より(16.02.17)
エピクテトスと友として 「要録」より(16.02.18)
M・アウレリウスを友として「自省録」より(16.02.19)
ソクラテス プラトンの徒として「饗宴」より(16.02.20)
古代哲学の旅 中休み(16.02.21)
孔子の徒として 「論語」より(16.02.27)
孔子の徒として 「論語」より2(16.02.28)
孔子の徒として 「論語」より4(16.03.02)
孔子の徒として 「論語」より5(16.03.02)
孔子の徒として 「論語」より6(16.03.02)
孔子の徒として 「論語」より7(16.03.03)
孔子の徒として 「論語」より8(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より9(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より10(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より11(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より12(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より13(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より13(16.03.08)
孔子の徒として 「論語」より14(16.03.08)
老子の徒として 「老子」より1(16.03.13)
老子の徒として 「老子」より2(16.03.13)
老子の徒として 「老子」より3(16.03.13)
老子の徒として 「老子」より4(16.03.13)
老子の徒として 「老子」より5(16.03.13)
老子の徒として 「老子」より6(16.03.13)
老子の徒として 「老子」より7(16.03.14)
老子の徒として 「老子」より8(16.03.14)
老子の徒として 「老子」より9(16.03.14)
存在とは?(16.03.15)
神と言う概念について(16.03.16)
今日は今日の風が吹く(16.03.17)
老子の徒として 「老子」より10(16.03.17)
老子の徒として 「老子」より11(16.03.18)
老子の徒として 「老子」より12(16.03.22)
聖人テスト(未投稿)(16.03.22)
ダビデを師として 「詩編」より(16.03.23)
ダビデを師として 「詩編」より2(16.03.24)
ダビデを師として 「詩編」より3(16.03.26)
ダビデを師として 「詩編」より4(16.03.27)
ダビデを師として 「詩編」より5(16.03.27)
ダビデを師として 「詩編」より6(16.03.28)
ダビデを師として 「詩編」より7(16.03.28)
ダビデを師として 「詩編」より8(16.03.28)
ダビデを師として 「詩編」より9(16.03.28)
ダビデを師として 「詩編」より10(16.03.29)
ダビデを師として 「詩編」より11(16.03.29)
ダビデを師として 「詩編」より12(16.04.01)
ダビデを師として 「詩編」より13(16.04.01)
ダビデを師として 「詩編」より14(16.04.02)
ダビデを師として 「詩編」より15(16.04.03)
ダビデを師として 「詩編」より16(16.04.03)
ダビデを師として 「詩編」より17(16.04.03)
ソロモンを師として 「箴言」より(16.04.04)
ソロモンを師として 「箴言」より2(16.04.04)
ソロモンを師として 「箴言」より3(16.04.04)
ソロモンを師として 「箴言」より4(16.04.04)
ソロモンを師として 「箴言」より5(16.04.05)
ソロモンを師として 「箴言」より6(16.04.05)
ソロモンを師として 「箴言」より7(16.04.06)
ソロモンを師として 「箴言」より8(16.04.06)
ソロモンを師として 「箴言」より9(16.04.07)
ソロモンを師として 「箴言」より10(16.04.09)
ソロモンを師として 「箴言」より11(16.04.09)
ソロモンを師として 「箴言」より12(16.04.09)
ソロモンを師として 「箴言」より13(16.04.09)
ソロモンを師として 「箴言」より14(16.04.09)
ソロモンを師として 「箴言」より15(16.04.12)
ソロモンを師として 「箴言」より16(16.04.12)
ソロモンを師として 「箴言」より17(16.04.13)
ソロモンを師として 「箴言」より18(16.04.13)
知恵の旅 総括(16.04.15)
知恵の旅 総括2(16.04.15)
知恵の旅 総括3(16.04.17)
知恵の旅 総括4(16.04.17)
知恵の旅 総括5(16.04.18)
知恵の旅 総括6(16.04.18)
知恵の旅 総括7(16.04.18)
shophialoverさんへ(16.04.29)
「一」が「仁」であるとの孔子解釈について(16.03.06)
哲学詩集Ⅱ 索引(別巻)
哲学革命 知恵を旗頭にして!(16.04.18)
哲学革命 知恵を旗頭にして!その2(16.04.18)
哲学革命起こる! 同志よ 集合せよ!!(16.05.08)
哲学革命進行中! 同志を求む!!(16.05.09)
哲学革命潜伏中!第一声を待つ!!(16.05.10)
哲学革命!愈々動き出す!!(16.05.11)
哲学革命!進行中!(16.05.13)
哲学革命とは?!(16.05.13)
哲学革命とは?!その2(16.05.13)
哲学革命!続行中!!(16.05.15)
哲学革命!続行中!!その2(16.05.15)
哲学革命!続行中!!その3(16.05.15)
哲学革命!何故知恵に拘るのか?!その1(16.05.16)
哲学革命!何故知恵に拘るのか?!その2(16.05.16)
パリについての討論会(16.09.28)
モンマルトル テルトル広場について(16.09.29)
マイノリティでマジョリティ(16.09.30)
美しきフランス人(16.10.01)
哲学とはphilosophia 知恵を愛する事(17.01.06)
知恵とは?(17.01.06)
哲学革命 序(17.01.07)
panietzcheさん(17.01.08)
哲学革命 panietzscheさんへ(17.01.08)
哲学革命 st toukaさんへ(17.01.08)
哲学革命 私と知恵と心(17.01.08)
哲学革命 私と知恵と心 その2(17.01.09)
哲学革命 私と知恵と心 その3(17.01.09)
哲学革命 私と知恵と心 その4(17.01.09)
哲学革命 心 哲学そして科学(17.01.10)
哲学的対話について t19831984さんへ(17.01.10)
哲学的対話第一章「私について」(17.01.18)
哲学的対話第一章「私について」その2(17.01.18)
哲学的対話第一章「私について」その3(17.01.18)
哲学的対話第一章「私について」その4(17.01.18)
哲学的対話第一章「私について」その4(17.01.19)
哲学的対話第二章「知恵について」(17.01.21)
哲学的対話第二章「知恵について」その2(17.01.21)
哲学的対話第二章「知恵について」その3(17.01.22)
哲学的対話第二章「知恵について」その4(17.01.22)
哲学的対話第三章「言葉について」(17.01.22)
哲学的対話第三章「言葉について」その2(17.01.22)
哲学的対話第二章「知恵について」その5(17.01.27)
哲学的対話第二章「知恵について」その6(17.01.27)
哲学的対話第二章「知恵について」その7(17.01.27)
哲学的対話へのお誘いpさんzさん皆さんへ(17.01.28)
psnietzscheさんへ(17.01.29)
哲学的対話についてpcog ngoさんへ(17.01.30)
哲学的対話についてpcog ngoさんへ その2(17.01.30)
哲学的対話「哲学」皆さんへ (17.02.01)
哲学的対話「哲学」皆さんへ その2(17.02.01)
哲学的対話「哲学」皆さんへ その3(17.02.01)
哲学的対話 waya4さんへ(17.02.04)
哲学的対話 waya4さんへ(17.02.04)
waya4さんへ(未投稿)(17.02.04)
智恵へ(17.02.05)
知識から知恵へ(17.02.05)
哲学と科学(17.02.07)
哲学と科学 その2(17.02.07)
神について(17.02.07)
神について その2(17.02.07)
「哲学道場」開設 来たれ知恵の愛人たちよ(17.02.08)
哲学道場「感情について」(17.02.09)
哲学道場「感情について」 その2(17.02.10)
哲学道場「感情について」 その3(17.02.10)
哲学道場「感情について」 その4(17.02.10)
哲学道場「感情について」 その5(17.02.10)
哲学道場「感情について」 その6(17.02.15)
哲学道場「感情について」 その7(17.02.15)
哲学道場「感情について」 その8(17.02.15)
哲学道場「感情について」 その9(17.02.16)
哲学道場「感情について」 その10(17.02.16)
哲学の旅「国家」について(17.02.19)
哲学の旅「国家」について その2(17.02.19)
哲学の旅「国家」について その3(17.02.25)
哲学の旅「国家」について その3(17.02.25)
哲学の旅「国家」について その4(17.02.25)
Temporal anityaさんへ(17.02.26)
Temporal anityaさんへ その2(17.02.26)
Temporal anityaさんへ その3(17.03.05)
Temporal anityaさんへ その4(17.03.05)
panietzscheさんとhirop321さんへ(未投稿) (17.03.06)
愛を求めて ~愛の詩(うた)~(17.10.07)
愛の詩[愛とは][気高き愛とは][アガペー](17.10.08)
愛の詩[エロスとアガペー][エロスの位格](17.10.09)
愛の詩[イエスの愛の始め][サタンとエロス](17.10.11)
愛の詩[老人と若者][愛の漁(すなどり)網](17.10.11)
愛の詩[サイレントラブ][聖霊の点灯](17.10.13)
愛の詩[イエスのエロス][愛の奇跡](17.10.13)
はじめまして。私は風来坊、風の旅人です(17.10.14)
あなたと出会えてよかった(17.10.14)
Boa sorte!(17.10.14)
目がさめたら(17.10.15)
母なる港へ(17.10.15)
こんなにも素敵な出会い(17.10.15)
感謝感激雨霰(17.10.16)
人の心の何かを求めて(17.10.16)
ずっとずっと‥(17.10.19)
「言霊の幸う国、日本」に向けて(17.10.22)
新しき愛 その先へ(17.10.19)
re:愛しき愛 その先へ(17.10.20)
愛しき愛のその先へ(17.10.21)
re:愛しき愛 その先へ(17.10.24)
愛の戦い(17.10.25)
Re: 愛の戦い(17.10.25)
光さすその方向へ(17.10.26)
Re: 光さすその方向へ(17.10.26)
幸福の島へ(17.10.28)
幸福の島へ その2(17.10.28)
Re: 幸福の島へ(17.10.30)
チルチルミチルの青い鳥のロッテの愛さんへ(17.11.01)
ソネット「知恵と愛」(17.11.11)
ソネット「知恵と愛」第3章、第4章(17.11.11)
風来坊風の旅人 別名sophialoverより(17.11.12)
私は美しきロッテの愛さんが見たいのです。(17.11.14)
哲学革命~理想の社会を目指して~(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その2(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その3(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その4(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その5(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その6(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その7(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その8(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その9(17.12.17)
哲学革命~理想の社会を目指して~その10(17.12.17)
台湾と日本(18.01.05)
台湾と日本 その2(18.01.06)
『女性について』(18.01.08)
男性諸君立ち上がれ、そして「乙女」を守れ(18.01.08)
男性諸君立ち上がれ、そして「乙女」を守れ2(18.01.09)
男性諸君立ち上がれ、そして「乙女」を守れ3(18.01.09)
女性たちよ、貴方の美しさを現しなさい(18.01.09)
風来坊 風の旅人より 風の便り(18.01.21)
Re: 風来坊 風の旅人 さんへ(18.01.22)
知恵と愛を求めて三千里 ロッテの愛さんへ(18.01.26)
sophialover。。。(18.01.29)
素晴らしき世界旅行の第一歩 知恵について(18.02.02)
素晴らしき世界旅行の第一歩 知恵について(18.02.04)
自分自身について 知恵と私(18.02.08)
自分自身について 知恵と私 その2(18.02.08)
「箴言」知恵の勧め~ (18.02.14)
私と知恵と主と神(18.02.19)
私と知恵と主と神 その2(18.02.19)
私と知恵と主と神 その3(18.02.19)
神(18.03.13)
神 その2(18.03.13)
智恵との旅(18.03.23)
ロッテの愛さんへ(未投稿)(18.03.?)
初期資本主義社会 北京の陰と陽(18.05.10)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その2(18.05.10)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その3(18.05.13)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その4(18.05.14)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その5(18.05.15)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その6(18.05.15)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その7(18.05.16)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その8(18.05.16)
初期資本主義社会 北京の陰と陽 その9(18.05.17)
北京の夜は極めて健全である!(18.05.17)
アジアンビューティ ナチュラルビューティ(18.05.17)
アジアンビューティ ナチュラルビューティ2(18.05.18)
ナチュラルビュー ヒューマンビューティ(18.05.21)
言葉の力で言葉の内奥へ(18.05.27)
美しき善き言葉の花園へ(18.05.27)
沈沈 静寂(18.05.28)
はじめまして(18.05.28)
瞑想について(18.07.30)
瞑想について その2(18.07.30)
瞑想について その3(18.07.30)
瞑想について その4(18.08.06)
瞑想について その5(18.08.06)
瞑想について その6(18.08.07)
瞑想について その7(18.08.12)
瞑想について その8(18.08.12)
瞑想について その9(18.08.12)
「それ」について または「そこ」について(18.08.29)
生滅生滅のキラキラの不思議な世界(18.09.02)
末期患者の為の数息観について(18.10.24)
末期患者の為の数息観について その2(18.10.25)
哲学詩集(18.10.29)
『哲学の極意』他3編(18.10.30)
『真の快楽はニルバーナ』他3編(18.11.01)
『哲学者とは?』他3編(18.11.02)
『読者へ』『女性読者へ』他2編(18.11.03)
素敵な詩を有難うございました(18.12.13)
名も無き御使いさんへ 交信を求めます(18.12.13)
個から普遍への旅へ 御使いに誘われて(18.12.16)
子は親の失敗作か? 瞑想(18.12.22)
子は親の失敗作か? 瞑想 その2(18.12.22)
哲学革命(19.06.03)
Re: 哲学革命(19.06.09)
フィロンとパウロ(19.06.09)
『哲学革命』論議、知恵を愛する悦び(19.06.10)
哲学(知恵を愛する事)の勧め(19.06.12)
哲学独裁(19.06.13)
哲学一貫教育 「知恵の王国 日本」の完成(19.06.16)
「哲学革命」熱き炎の中で(19.06.19)
「哲学革命」知恵とは何か?(19.06.20)
ところで(19.06.21)
「哲学革命」の構想について(19.06.21)
「哲学革命」 道徳教育について(19.06.23)
「哲学革命」徳教育または哲学教育(19.06.24)
「哲学革命」道徳教育または哲学教育 その2(19.06.24)
「哲学革命」哲学教育は哲学革命の柱也(19.06.27)
「哲学革命」 徳の事は知恵に聞け(19.06.29)
「哲学革命」子供は偉大な哲学者なり(19.06.30)
「哲学革命」子供は偉大な哲学者なり その2(19.06.30)
「哲学革命」哲学教育の意義及びその方法(19.06.30)
「哲学革命」哲学教育の意義及びその方法 その2(19.06.30)
「哲学革命」知恵は共有してこそ知識となる(19.07.01)
「哲学革命」知恵は共有してこそ知識となる2(19.07.01)
「哲学革命」知識から知恵へ 知恵から知識へ(19.07.04)
「哲学革命」哲学と宗教の違いについて(19.07.06)
「哲学革命」道徳教育のカリキュラム(19.07.08)
「哲学革命」道徳教育のカリキュラム(19.07.18)
「心の教育」と「道徳の時間」(19.07.25)
道徳教育と哲学(知恵を愛する事)について(19.07.27)
哲学(知恵を愛する事)の勧め(19.08.02)
哲学(知恵を愛する事)の勧め その2(19.08.02)
Re: 哲学(知恵を愛する事)の勧め その2(19.08.03)
哲学(知恵を愛する事)の勧め その3(19.08.03)
哲学(知恵を愛する事)の勧め その4(19.08.03)
nakatatatsuya3さんへ 道徳教育について(19.08.03)
他の都市の追随を許さぬ世界一の大都市上海(19.09.20)
上海大改造計画はこうして進められている!(19.09.21)
上海大改造計画のお金は如何にして??(19.09.22)
上海人民政府は立派なお父さん(19.09.22)
道徳と教育と法規(19.09.22)
Re: 上海大改造計画のお金は如何にして?(19.09.22)
Re: 道徳と教育と法規(19.09.22)
上海の道徳 日本の悪徳 道徳施策について(19.09.22)
上海の道徳 日本の悪徳 道徳施策について2(19.09.22)
中国に土地の私有制度はあるのか??(19.09.23)
上海旅行印象記総括(19.09.23)
Re: 中国に土地の私有制度はあるのか??(19.09.24)
超巨大都市「上海」の行方について(19.09.26)
超巨大都市「上海」の行方について その2(19.09.26)
Re: 超巨大都市「上海」の行方について(19.09.29)
上海の道徳政策について(19.10.01)
Re: 上海の道徳政策について(19.10.04)
riquyouren さんへ(19.10.08)
『哲学(知恵を愛する事)』について(19.09.29)
『哲学(知恵を愛する事)』について 序(19.09.29)
哲学(知恵を愛する事)は人を幸福にする(19.09.29)
哲学とは何と素晴らしい学問なのでしょう(19.09.29)
知恵とは? 哲学(知恵を愛する)とは?(19.09.30)
哲学者とは言と命と光を見い出した者の謂い(19.09.30)
『失楽園』!(19.10.06)
知識と知恵 光と影(19.10.06)
自称哲学者よ 先ずは聖書から学びなさい(19.10.06)
「道生一 一生二 二生三 三生万物」と哲学(19.10.06)
知恵から What A Wonderful World へ(19.10.07)
道徳と哲学、『哲学革命』、心ある人たちへ(19.10.08)
上海と日本の道徳、そして『哲学革命』(19.10.12)
日本の道徳教育の惨憺たる現状(19.10.13)
道徳教育から哲学革命へ 知恵の王国日本へ(19.10.13)
哲学とは何?知恵とは何? amazonさんへ(19.10.14)
知恵とは世界・人生の究極の原理也(19.10.14)
習慣こそが哲学革命の原動力 (19.10.16)
知恵の王国とは人類に秘められた理想の王国(19.10.18)
知恵の哲学史について、tocvillieuseさんへ(19.10.18)
そうそう!(19.10.19)
素敵な哲学者amazonさんを祝して 献詞(19.10.19)
聖人賢人哲人たちは何故知恵を求めるのか(19.10.26)
「キリストの受肉」についての一考察(19.10.31)
「私は知恵を愛する者である」について(19.11.01)
「私は知恵を愛する者である」byソクラテス(19.11.01)
知恵と霊について(19.11.10)
『知恵』に関する図書を教えて下さい(19.11.10)
知恵と霊について(19.11.17)
「パイドン」における知恵と哲学(19.11.17)
「パイドン」における知恵と哲学 その2(19.11.17)
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「パイドン」における知恵と哲学 その4(19.11.17)
「知恵と霊」、文芸路線で行きましょう(19.11.17)
baudelaireさんへ 『知恵』について(19.12.05)
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Re: ルーヴル美術館について(20.05.25)
Re: ルーヴル美術館について その2(20.05.25)
釜山旅行記(20.7.24)
釜山旅行記その2(20.07.25)
釜山旅行記その3(20.07.25)
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釜山旅行記その5(20.08.01)
釜山旅行記その6(20.08.01)
釜山旅行記その7(20.08.01)
釜山旅行記その8(20.08.02)
釜山旅行記その9(20.08.02)
Re:夏の日の詩集(20.08.02)
哲学詩集Ⅲ
平成21年12月発行