哲学一貫教育Ⅱ

哲学フォーラムと哲学一貫教育(平成20年11月~平成21年9月)


「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文目次


1 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成20年7月作成:送付せず)・・・・・277
2 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成20年11月16日:メール送信)・・・300
3 各大学哲学担当教官殿宛て(平成20年11月作成:送付せず)・・・・・・・・・・407
4 都道府県教育委員会小中高校教育担当課長殿宛て(平成20年11月28日:メール送信)・・420
  都道府県教育委員会社会教育担当課長
5 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成20年12月14日:メール送信)・・・427
  都道府県教育委員会教育長
6 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成21年1月9日:メール送信)・・・・437  
  各都道府県教育委員会教育長    
  各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長 
  各放送社報道局「哲学・教育」担当部長 
  国立大学人文社会学部系哲学担当教官 
  私立大学人文社会学部系哲学担当教官 
  日本教育大学協会会長殿        
  日本教育学会会長          
  日本哲学会会長           
  日本倫理学会会長          
  日本道徳教育学会会長        
  全国公民館連合会会長        
  日本PTA全国協議会会長       
  日本新聞協会会長          
  文部科学省初等中等教育局長     
  文部科学省生涯学習政策局長     
  文部科学省高等教育局長       
  内閣官房教育再生懇談会 会長    
7 国立大学教育学部哲学担当教官殿宛て(平成21年6月24日:郵送)・・・・・・・・・448 
8 岩波書店編集局哲学担当編集部長殿宛て(平成21年9月5日:郵送)・・・・・・464      
  角川書店編集局哲学担当編集部長
  新潮社編集局哲学担当編集部長
  小学館編集局哲学担当編集部長
  集英社編集局哲学担当編集部長
  講談社編集局哲学担当編集部長
  文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
  中央公論社編集局哲学担当編集部長
  筑摩書房編集局哲学担当編集部長
  河出書房新社編集局哲学担当編集部長

※ 「哲学一貫教育」及び「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の提唱文については、下記一覧表のとおり作成しているが、下記一覧表の1から8までは、平成20年11月に作成した冊子『哲学フォーラムを哲学一貫教育』に掲載済みである。今回掲載の提唱文は、冊子『哲学フォーラムを哲学一貫教育』作成以後に作成したものである。

「哲学一貫教育」及び「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱一覧

提唱年月日 提唱文宛名 冊子 送付
1 H20.02.03 文部科学省初等中等教育局長 ○ 郵送
2 H20.02.10 文部科学省生涯学習政策局長 ○ 郵送
3 H20.02.17 内閣官房長 ○ 郵送
4 H20.03.09 文部科学省初等中等教育局教育課程課長 ○ 郵送
5 H20.03.18 文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官 ○ 郵送
6 H20.04.07 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官 ○ 郵送
7 H20.11作成 各国立大学教育学部哲学教育担当教官 ○ ×
8 冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」送付文
① H20.11作成 各国立大学教育学部哲学教育担当教官 ○ ×
② 〃 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官 ○  ×
③ 〃 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長 ○ ×
④ 〃 文部科学省初等中等教育局教育課程課長 ○  ×
⑤ 〃 文部科学省生涯学習政策局政策課長 ○ ×
⑥ 〃 文部科学省生涯学習政策局社会教育課長 ○  ×
⑦ 〃 文部科学省高等教育局高等教育企画課長 ○ ×
⑧ 〃 内閣官房教育再生懇談会担当室長 ○  ×
⑨ 〃 (社)全国公民館連合会長 ○ ×
⑩ 〃 北海道大学教育学部教育哲学担当教官    (連名)
   東北大学教育学部教育哲学担当教官
   東京大学教育学部教育哲学担当教官
   名古屋大学教育学部教育哲学担当教官
   京都大学教育学部教育哲学担当教官
   大阪大学教育学部教育哲学担当教官
   九州大学教育学部教育哲学担当教官 ○ ×
⑪ 〃 北海道大学文学部哲学担当教官       (連名)  
   東北大学文学部哲学担当教官
   東京大学文学部哲学担当教官
   名古屋大学文学部哲学担当教官
   京都大学文学部哲学担当教官
   大阪大学文学部哲学担当教官
   九州大学文学部哲学担当教官 ○  ×
⑫ 〃 朝日新聞東京本社編集局教育担当部長    (連名)
   読売新聞東京本社編集局教育担当部長
   産経新聞東京本社編集局教育担当部長
   日本経済新聞編集局教育担当部長 ○ ×
⑬ 〃 日本放送協会報道局教育担当部長      (連名)
   日本テレビ放送網報道局教育担当部長
東京放送報道局教育担当部長
フジテレビ報道局教育担当部長
テレビ朝日報道局教育担当部長 ○ ×
⑭ 〃 岩波書店編集局「教育・哲学書」担当編集長  (連名)
講談社編集局「教育・哲学書」担当編集長
小学館編集局「教育・哲学書」担当編集長
新潮社編集局「教育・哲学書」担当編集長
文芸春秋編集局「教育・哲学書」担当編集長
角川書店編集局「教育・哲学書」担当編集長
集英社編集局「教育・哲学書」担当編集長
中央公論新社編集局「教育・哲学書」担当編集長
NHK出版編集局「教育・哲学書」担当編集長 ○  ×
⑮ 〃 各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長 (連名)
各都道府県教育委員会社会教育担当課長 ○ ×
⑯ 〃 各大学哲学担当教官 ○ ×
〃 各新聞社編集局教育担当部長        (連名)
各放送社報道局教育担当部長 ○  ×
⑰ 〃 あとがき ○ ×
9 H20.07作成 国立大学教育学部哲学担当教官 × ×
10 H20.11.16 国立大学教育学部哲学担当教官 × メール
11 H20.11作成 各大学哲学担当教官 × ×
12 H20.11.28 各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長 (連名)
各都道府県教育委員会社会教育担当課長 × メール
13 H20.12.14 国立大学教育学部哲学担当教官       (連名)    
各都道府県教育委員会教育長 × メール
14 H21.01.09 国立大学教育学部哲学担当教官       (連名)
各都道府県教育委員会教育長
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長
国立大学人文社会学部系哲学担当教官
私立大学人文社会学部系哲学担当教官
日本教育大学協会長
日本教育学会長
日本哲学会長
日本倫理学会長
日本道徳教育学会長
全国公民館連合会長
日本PTA全国協議会長
日本新聞協会長
文部科学省初等中等教育局長
文部科学省高等教育局長
文部科学省生涯学習政策局長 × メール
15 H21.06.24 国立大学教育学部哲学担当教官 × 郵送
16 H21.09.06 岩波書店編集局哲学担当編集部長      (各通)
角川書店編集局哲学担当編集部長
新潮社編集局哲学担当編集部長
小学館編集局哲学担当編集部長
集英社編集局哲学担当編集部長
講談社編集局哲学担当編集部長
文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
中央公論社編集局哲学担当編集部長
筑摩書房編集局哲学担当編集部長
河出書房新社編集局哲学担当編集部長 × 郵送
16 H21.01.08
~現在 Yahoo掲示板「哲学フォーラムと哲学教育」立ち上げ
メッセージ総数1,159(H21.12.06現在) × 掲示板
※1 1から6までは、「哲学一貫教育」の提唱であり、全て郵送している。
※2 6の東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛てについては、6名の哲学担当教官あてにそれぞれ郵送している。
※3 7は、1から6の仕上げとして、国立大学教育学部哲学担当教官宛てに作成したものであるが、実際の提唱(郵送等)は行っていない。7以後については、主題が「哲学一環教育」から「哲学フォーラム」へ移行している。
※4 8の冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」は、平成20年11月現在までに作成した標題に関する提唱(1から7)を纏め、100部印刷して関係者に送付する予定で作成したものである。また、当該冊子には、当該冊子を関係者に送付する為のた送付文兼提唱文(8の①から⑯まで)も併せて掲載しているが、当該冊子は結局100部は印刷せず、自家保有分の4冊しか印刷していない。当該冊子には、「哲学詩集『百章』」、「私の哲学百章」も掲載している。総頁426。
※5 9から15までは、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」に掲載されていない。今回の『哲学詩集Ⅲ』に掲載する。
※6 9は、1から6の仕上げとして、国立大学教育学部哲学担当教官宛てに作成したものであるが、実際の提唱(郵送等)は行っていない。7の素案と成ったものである。
※7 10は、7をメール送信用に作成し直したものである。10については、実際メール送信を行っているし、またメール送信用に作成し直した冊子「哲学フォーラムと哲学教育」も併せて送信しているが、冊子の方は容量オーバーと言う事で受信拒否もかなり出ている。本文については、ほとんどの大学に送信されていると思われる。
※8 11については、国立、私立の4年制大学の全ての哲学担当教官宛てに送信する為に作成したが、実際には送信していない。
※9 12については、実際にメール送信を行っているが、送信先一覧を作成の上、一斉送信を行った為、かなりの受信拒否が出ている。
※10 13については、実際にメール送信を行っているが、送信先一覧を作成の上、一斉送信を行った為、かなりの受信拒否が出ている。
※11 14については、実際にメール送信を行っているが、送信先一覧を作成の上、一斉送信を行った為、かなりの受信拒否が出ている。なお、送信先(アドレス)を把握できなかったものも相当ある。
※12 10、12.13,14のメール送信については、ウェブマスター宛てに送信したものが大半であり、実際に本文宛先まで送信されたかは確認する事ができない。
※13 15については、国立大学教育学部哲学担当教官宛ての最終提唱として、郵送で実際に提唱している。一教官から賛同のメールがあった。
※14 16については、『哲学読本』の作成に関する提唱として、郵送で実際に提唱している。3社から丁寧な断りが来ている。
※15 17については、平成21年1月8日にyahoo掲示板に「哲学フォーラムと哲学教育」を立ち上げ、現在に至っている。
※16 平成20年度から平成21年度にかけては「哲学フォーラムと哲学一貫教育」に染まっている。
※17 『哲学詩集Ⅲ』に掲載される詩は、全てyahoo掲示板「哲学フォーラムと哲学教育」に掲載されたものである。
※18 現在、「『哲学読本』~哲学、それは貴方の智慧を愛する事~」を作成中である。
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「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
 平成20年7月11日作成(提唱せず)

拝啓
 教育学部哲学担当教官 殿

 私は哲学に非常に関心を持っている者です。
 そして哲学によって、日本が素晴らしい国家に成って行くと考えている者です。
 私はその為に、『哲学一貫教育』を提唱しています。
 『哲学一貫教育』とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学の機会を提供する事により、
日本国民が哲学的に成熟する事を目指すものです。

 私は平成20年2月から3月にかけて、哲学一貫教育に関係のありそうな国の機関等にその提唱文を送っています。
 それらについては、別途「哲学一貫教育提唱文」として掲載していますので、時間がありましたら、後ほどご覧頂きたいと思います。

 この哲学一貫教育は、四つの柱から成っています。
 一つ目は、『小中高校哲学一貫教育』です。
二つ目は、小中高哲学一貫教育を基礎とした『一生涯に渡る哲学一貫教育』です。
三つ目は、『大学教育学部における徹底した哲学教育』です。
四つ目は、あらゆる教育機関、学習機関等に設置する『哲学対話室』です。

これらの内容については、「哲学一貫教育提唱文」の中に詳しく記載していますので、後ほどご覧頂きたいと思いますが、ここではその概要を簡単にご説明したいと思います。

先ずは一番目の『小中高校哲学一貫教育』ですが、これについては、文字通り、小中高校に渡って、哲学教育を一貫して行うと言うものです。
方法としては、小学校、中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、小中高校週2時間の哲学一貫教育を完成させます。
哲学一貫教育においては、『哲学読本』と『哲学ノート』と言う二つの教材を使用します。
『哲学読本』とは、各学年に相応しい哲学テーマを30程度選択し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名作の中の名文中の名文を、3編から5編程度集めたものです。
『哲学ノート』とは、哲学読本の読書を契機として、それぞれの哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を、作文として纏める為のノートです。
授業の進め方としては、月曜日の1限目に哲学読本を黙読します。
すなわち、月曜日の1限目に、一つの哲学テーマに関して、古今東西の名作の中の名文中の名文を、3編から5編程度読む事になります。
金曜日の最後の授業、例えば6限目に、哲学読本を契機に、児童生徒がその哲学テーマについて、月曜日から金曜日までに思索した結果を、哲学ノートに作文として纏める事になります。
これを小学校から高校まで一貫して行います。
小学校低学年は読書能力、作文能力が十分でないので、特別の配慮は必要ですが、単純に計算すると、小中高校の12年間の間に、360の哲学テーマ(1学年30哲学テーマ×12年間=360哲学テーマ)について名文中の名文を読み、360の哲学テーマについて作文を書く事になります。
これにより、児童生徒の哲学能力は、世界に類例が無いと言う程、育成される事になります

次に2番目の柱の『一生涯に渡る哲学一貫教育』ですが、これは小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、一生涯に渡って哲学の機会を提供すると言うものです。
先ず大学ですが、大学においても哲学を必修とし、1年から4年まで、毎週1授業時間受講するものとします。
1年から2年までは教養哲学とし、小中高校哲学一貫教育で学んだ事を集大成します。
3年から4年までは専門哲学とし、それぞれの専攻する学問を哲学するものとします。
次に社会教育分野ですが、全ての図書館、公民館等に哲学講座を設けるものとします。
また、「哲学読本大全(全100巻)」を全ての図書館、公民館等に配備するものとします。
「哲学読本大全(全100巻)」とは、主要な哲学テーマを500程度選択し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名作の中の名文中の名文を、100編程度集めたものです。
次に家庭教育分野ですが、結婚出産等に際して、「親子哲学読本」等を配布し、親子哲学対話の機運を醸成するものとします。

次に3番目の柱の『大学教育学部における哲学教育の徹底』ですが、哲学一貫教育の成否は偏に教師にかかっています。
大学の教育学部で徹底した哲学教育を行い、哲学的に優れた教師を養成します。
具体的には、哲学を必修とし、1年から4年まで、毎年通年で週3授業時間受講するものとします。単位的には48単位となります。
哲学の授業内容及び単位は次の通りとなります。
①西洋思想史・・・4単位(代表的西洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
②東洋思想史・・・4単位(代表的東洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
③日本思想史・・・4単位(代表的日本思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
④宗教・・・・・・4単位(代表的宗教の聖典の500編の名文中の名文から学ぶ)
⑤道徳・・・・・・4単位(代表的な徳に関する500編の名文中の名文から学ぶ)
⑥哲学各論・・・・16単位(哲学各論に関する2000編の名文中の名文から学ぶ)
⑦古代哲学講読・・4単位(古代哲学の古典中の古典10冊を学ぶ)
⑧教科哲学・・・・4単位(中学校の9教科を哲学する)
⑨哲学対話・・・・2単位(哲学対話の技術を学ぶ)
⑩哲学作文・・・・2単位(哲学作文の技術を学ぶ)
⑪哲学対話録作成・授業外(在学中に100の哲学対話を行いその対話録を作成する)
⑫哲学作文集作成・授業外(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)
授業内容の詳細については、東京学芸大学哲学・倫理分野教官宛の「哲学一貫教育提唱文」をご覧頂きたいと思います。
なお、文学部の哲学専門教育と教育学部の哲学教育は根本的に違います。
文学部の哲学専門教育は、デカルト、カント、ヘーゲル等の専門家を育成する事にありますが、教育学部の哲学教育は言葉のプロを育成する事にあります。
すなわち、全ての哲学テーマについて、即座に回答を出せるような教師を育成する事にあります。
教育学部の哲学教育の目標はソクラテスです。
ソクラテスの様に、児童生徒の言葉を巧みに引き出せる教師を育成する事にあります。
その為に、文学部の哲学専門教育の様に限られた哲学者から学ぶのではなく、聖人賢人哲人文学者芸術家英雄等々、あらゆる偉人のあらゆる言葉から学ぶ事になります。
その為に、古今東西の名作の中の名文中の名文から学ぶ必要があるのです。
そして、これは小中高校哲学一貫教育とリンクする事にもなるのです。
また、教育学部の哲学教育では、哲学対話の技術、哲学作文の技術も学びます。
言葉を自由に操り、子供たちを哲学の世界に導く為にはとても大切な技術です。
また、教育学部の哲学教育では、教科哲学と言う特別なプログラムもあります。
これは、子供たちにそれぞれの教科の意義、単元の意義を学ばせる為のものとなります。

次に4番目の柱の『哲学対話室』ですが、これは小学校、中学校、高校、大学、図書館、公民館、その他様々な教育・学習機関に哲学対話室も設けると言うものです。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行う部屋の事です。
10人程度が一同に会して対話出来る程度の規模の部屋を想定しています。
この哲学対話室で、世代を超えた哲学的対話が行われる事になります。
小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室については、児童生徒が利用しやすい午後3時から午後5時まで開設するものとします。
図書館、公民館等に設置される哲学対話室については、児童生徒及び一般市民が利用しやすい午後5時から閉館時間まで開設するものとします。
大学、その他の教育・学習機関に設置される哲学対話室については、その開館時間の範囲内で、児童生徒及び一般市民が利用しやすい時間帯に開設するものとします。
哲学対話室の開設時間には、必ず哲学ボランティア“ソクラテス”が一人以上常駐するものとします。
また、曜日毎に異なる哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。
この哲学対話室において、児童生徒、一般市民、教育・学習機関関係者等々が世代を超えて哲学的対話を行う事になります。
特に、小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室には、多くの哲学ボランティア“ソクラテス”が積極的に入って行き、児童生徒と哲学対話を行う事を奨励するものとします。

以上が哲学一貫教育の概要ですが、この哲学一貫教育の中心となるのは、何と言っても小中高校哲学一貫教育です。
私はその為に、文部科学省等の関係機関等に哲学一貫教育を提唱して来ました。
しかし学習指導要領は最近改正されたばかりです。
この学習指導要領を更に改正して、小中高校哲学一貫教育を実施するまでには、かなりの時間が必要となります。
そこで、私はもっと手っ取り早く、日本を素晴らしい国家に導く為の方策を考えました。
それが、『哲学フォーラム』です。
 『哲学フォーラム』とは、先程述べました「哲学対話室」を更に充実させ、その「哲学対話室」の連携により、日本をより素晴らしい国家へと導こうとするものです。
 そして、その中心的役割を担うのが、大学の教育学部と言う事になります。
 以下に、「哲学フォーラム実施」要領と言う形でその概要を示したいと思います。

哲学フォーラム実施要領

1 趣旨
  哲学フォーラムとは、小学校、中学校、高校、大学、図書館、公民館、その他の教育・学習機関等に設置される「哲学対話室」及びその連携により、日本国土に哲学的機運の醸成を図ろうとするものである。
  哲学対話室とは、哲学的な対話が行なわれる部屋の事である。部屋の規模は、10人から15人程度が一同に会して対話出来る程度のものとする。
  哲学対話室は専用である必要はない。兼用で良い。会議室、研修室等の一時使用で良い。  
小学校、中学校、高校、大学(教育学部)に設置される哲学対話室については、月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで開設するものとする。
図書館、公民館等に設置される哲学対話室については、月曜日から金曜日までは午後5時から午後8時(閉館時間が午後8時以前の場合は閉館時間)まで、土日については午後2時から午後5時まで開設するものとする。
  
2 哲学対話室の運営
  哲学対話室は、哲学ボランティア“ソクラテス”により運営するものとする。
  哲学対話室の開設時間には、必ず1人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。また、曜日毎に、異なる哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。
 哲学対話室は、10人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”により運営するものとする。内、1人を代表とする。 

3 哲学ボランティア“ソクラテス”について
  哲学ボランティア“ソクラテス”については、如何なる資格も必要としない。
  それぞれの哲学対話室の代表に、登録届けを提出する事により、それぞれの哲学対話室の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
  なお、登録届けの際に、哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)を必ず提出するものとする。この作文については、哲学対話室に備え付け、哲学対話室の利用者の閲覧に供するものとする。

4 小中高校の哲学対話室について
 ①小中高校の哲学対話室の開設者は校長とする。
 ②小中高校の哲学対話室の代表について,学校内の教師とするか、学校外の哲学ボランティアとするかは校長の判断とする。
 ③学校内の教師が、哲学対話室の“ソクラテス”と成る時は、ボランティアとして扱うのではなく、課外授業(クラブ等の扱いと同じ)として扱い、勤務時間に入れる。ただし、午後5時を過ぎた場合は、ボランティア扱いとする。
 ④多くの学校内の教師が、哲学対話室の“ソクラテス”となる事を期待する。
 ⑤小中高校の哲学対話室は、原則として月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとする。
 ⑥大規模校においては、哲学対話室を複数設置するものとする。
 ⑦哲学対話室の開設時間には、必ず1人以上の“ソクラテス”が常駐するものとする。
 ⑧哲学対話室の開設時間には、「哲学対話室」の看板等を掲げ、その下に「誰でも自由に勝手に時間に囚われず入って下さい」の旨の表示をするものとする。哲学対話室は常にオープンにしておくものとする。
⑨哲学対話室における対話方法は、1対1でも良いし、プラトンの饗宴にあるように、哲学テーマを決めての複数人による対話でも良い。
 ⑩哲学対話室においては、曜日毎に異なる“ソクラテス”が常駐するものとする。
 ⑪多くの学校外の哲学ボランティア“ソクラテス”が小中高校の哲学対話室に入って来る事を奨励する。
 ⑫哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学(智恵を愛する事)に関心のある者であれば誰でも良い。父親、母親、PTA会長、商店主、工場長、会社員、工員、教員、農業経営者、老人クラブ会員、青年クラブ会員、大学生等々。ただし、「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」は必ず提出して貰うものとする。また、同作文は児童生徒向けに書いた作文とする。
 ⑭哲学ボランティア“ソクラテス”の作成した作文については、ファイルにして、哲学対話室に保存し、児童生徒の閲覧に供するものとする。児童生徒はこの作文を参考に、対話をする相手を決める事になる。“ソクラテス”の日割り表を作成するものとする。
 ⑮校長は、哲学ボランティア“ソクラテス”が作成した作文については、必ず目を通すものとする。また、適宜、哲学ボランティア“ソクラテス”と対話を行い、その適性を判断するものとする。もし、不適性と判断した場合は、当該学校の哲学ボランティアの登録を抹消する事が出来るものとする。
 ⑯哲学対話室には、児童生徒は、自由に、勝手に、時間に囚われず、許可を受ける事無く入る事が出来るものとする。ただし、対話中の時は静粛を保ち、対話の進行を邪魔する事無く、また対話に入る時は節度を持って対話に入るものとする。哲学対話室は常にオープンをモットーとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。
 ⑰哲学対話室において、児童生徒は多くの哲学的素養のある大人と哲学対話を重ねる事になる。これにより、児童生徒は哲学的に成熟して行く。哲学対話室は、哲学(智恵を愛する事)を通じての児童生徒と大人の架け橋になる。
 ⑱哲学対話室において、哲学テーマを提示すると言う意味合いで、週1回程度の割合で、哲学講義を行っても良いものとする。なお、哲学テーマについては、児童生徒に身近なものを選ぶものとする。例えば、友情、勉強、学校、勇気、いじめ、差別、道徳等々。なお教材とし、「哲学読本大全(全100巻)」を積極的に活用するものとする。
 ⑲一つの哲学対話室については、10以上の“ソクラテス”により運営するものとする。その為にも、哲学ボランティア“ソクラテス”を積極的に活用するものとする。
 ⑳哲学対話室は、児童生徒が多くの大人を知る機会となる。ここで一生涯の師と成る様な人と巡り会えば幸いである。
 ○21哲学対話室は、課外授業扱いとし、文部科学省の運営費補助の対象とする。なお、哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗てギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
 ○22哲学対話室については、全ての小中高校に設置するものとする。
 ○23哲学対話室の名称は、「哲学対話室」「哲学フォーラム」「哲学の部屋」「哲学広場」「対話室」「広場」「フォーラム」「お話広場」「大人と子供の対話室」等々何でも良い。校長の判断によるものとする。ただし、哲学対話室は、児童生徒と哲学的素養のある大人が哲学的テーマについて、哲学的対話を行う場所であると言う枠組みは壊さないものとする。哲学的テーマとは、「勇気」「智恵」「徳」「勉強」「友情」「学校」「家庭」「環境」「自然」「自殺」「いじめ」「差別」等々、児童生徒にとって、身近な哲学テーマとする。
 ○24哲学対話室には、「哲学読本大全(全100巻)」を備えるものとする。「哲学読本大全(全100巻)」とは、主要な500の哲学テーマについて、それぞれのテーマ毎に、古今東西の名作の中の名文中の名文を100編集めたものである。この「哲学読本大全(全100巻)」が、児童生徒の哲学のきっかけと成り、また解決の導きとなる。例えば「勇気」と言う哲学テーマについて、古今東西の名作の中の名文中の名文を100編も読めば、児童生徒においても「勇気」の概念が理解できるようになる。そこから、児童生徒は自らにおいて、自らの「勇気」の概念を確立させていく。その過程において、哲学的素養のある大人との哲学的対話がとても重要となるのである。名文の1編の分量は4000字程度とする。なお、「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法については、後述する。

5 図書館、公民館等に設置する哲学対話室について
 ①図書館、公民館等に設置する哲学対話室の開設者は、哲学ボランティア“ソクラテス”の代表とする。
 ②哲学ボランティア“ソクラテス”の代表は,10人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”を集め、それぞれのボランティアの登録届けと「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」添付して、哲学対話室開設届けを図書館、公民館等の施設長に提出するものとする。これにより、哲学対話室が開設されるものとする。
 ③図書館、公民館等に設置される哲学対話室の開設時間は、平日は、午後5時から午後8時(閉館時間がそれより早い場合は閉館時間)までとする、土日は、午後2時から午後5時までとする。
 ④それぞれの哲学対話室の哲学ボランティア“ソクラテス”に成りたい者は、それぞれの哲学対話室の代表に、登録届けと「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」を提出するものとする。
 ⑤哲学ボランティア“ソクラテス”の作成した「哲学に関する考え方を纏めた作文(A4版10頁以上)」は、哲学対話室の保存し、哲学対話室の利用者の閲覧に供するものとする。
 ⑥哲学対話室の開設時間においては、「哲学対話室」の看板を掲げ、その下に「誰でも自由に勝手に時間に囚われずに入って下さい」の旨の表示を行うものとする。
 ⑦哲学対話室には、一般市民は、自由に、勝手に、時間に囚われず、許可を受ける事無く入る事が出来るものとする。ただし、対話中の時は静粛を保ち、対話の進行を邪魔する事無く、また対話に入る時は節度を持って対話に入るものとする。哲学対話室は常にオープンをモットーとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。
 ⑧哲学対話室は、少数の哲学ボランティア“ソクラテス”で運営しないようにするものとする。なるべく、多くの哲学ボランティア“ソクラテス”の参加を得て、運営する者とする。
 ⑨その他については、小中高校に設置する哲学対話室に準じるものとする。
 ⑩哲学対話室に、「哲学読本大全(全100巻)」を備えるものとする。
 ⑪哲学対話室の開設者については、図書館長、公民館長等の施設長若しくはその施設の職員が成っても良いものとする。その場合は、勤務扱いとする。
 ⑫図書館長、公民館長等は、哲学講座(週1回の通年講座)を開設するものとする。
 ⑬哲学ボランティア“ソクラテス”が開設する哲学対話室と図書館長、公民館長等が開設する哲学講座が両輪と成って、哲学的風土が日本に広がって行く事になる。
 ⑭図書館、公民館等に設置される哲学対話室の名称については、「哲学対話室」「哲学フォーラム」「哲学広場」「哲学の部屋」等必ず,“哲学”の名称を付するものとする。

6 大学の教育学部に設置される哲学対話室(哲学フォーラム)について
 ①大学の教育学部に設置される哲学対話室については、『哲学フォーラム』と称するものとする。また、哲学フォーラムの後に、大学名を付すものとする。例『哲学フォーラム宮崎』、『哲学フォーラム岩手』、『哲学フォーラム東京学芸』等
 ②『哲学フォーラム○○』の開設者は、10名以上の教官で構成する哲学フォーラム委員会とする。委員の構成については、哲学分野、教育学部分野、人文科学分野、自然科学分野、芸術分野の各分野からそれぞれ2名以上とする。委員の内、1名を代表とする。代表については、哲学担当教官とする。
 ④『哲学フォーラム○○』においては、次の事を行う。
  ア、小学校、中学校、高校及び図書館、公民館等に設置される哲学対話室との連携。
  イ、全国の哲学フォーラムとの連携
  ウ、教育学部内の教師と学生との哲学対話の場の提供
  エ、教育学部の教師・学生と他の学部の教師・学生との哲学対話の場の提供
  オ、教育学部の教師・学生と小中高校の児童生徒及び一般市民との哲学対話の場の提供
  カ、「小中高校哲学一貫教育」の研究
  キ、小中高校哲学一貫教育を基礎とした「一生涯にわたる哲学一貫教育」の研究
  ク、「教育学部の徹底した哲学教育」の研究(哲学的に優れた教師の育成の研究)
  ケ、哲学ボランティア“ソクラテス”の育成に関する研究
  コ、様々な分野における哲学教育の研究
  サ、哲学的風土づくりの研究
 ⑤『哲学フォーラム○○』の事務局は、哲学フォーラム委員会の代表(哲学担当教官)の研究室とする。
 ⑥教育学部内の教師と学生の哲学対話、教育学部の教師・学生と他の学部の教師・学生と哲学対話、教育学部の教師・学生と小中高校の児童生徒及び一般市民との哲学対話等々を行う場所として、『哲学フォーラム○○』付属の哲学対話室を設置するものとする。なお、当該哲学対話室については、哲学フォーラム委員会の代表(哲学担当教官)の研究室ではなく、大学図書館の小会議室を使用するものとする。開設日は、月曜から金曜の午後3時から午後5時までとする。小学校、中学校、高校、図書館、公民館等に設置される哲学対話室と同様、哲学ボランティア“ソクラテス”を積極的に活用するものとする。教育学部の教師・院生・学生、他の学部の教師・院生・学生、学外の者等なるべく多くの者に哲学ボランティア“ソクラテス”に成って貰い、なるべく多くの哲学対話室を設置するものとする。当該哲学対話室で経験を踏んだ者が、小学校、中学校、高校、図書館、公民館等の哲学対話室の哲学ボランティア“ソクラテス”として育って行く事となる。

7 全国組織としての『哲学フォーラム日本』 
 ①『哲学フォーラム日本』は、小学校、中学校、高校、図書館、公民館等に設置される哲学対話室及び大学教育学部に設置される哲学フォーラムの連携組織とする。
 ②『哲学フォーラム日本』の直接の構成員は,大学教育学部に設置される哲学フォーラムとする。
 ③『哲学フォーラム日本』においては、次の事を行う。
  ア、小学校、中学校、高校、図書館、公民館等に設置される哲学対話室及び大学教育学部に設置される哲学フォーラムとの連携
  イ、機関紙『哲学フォーラム日本』の刊行
  ウ、『哲学読本大全(全100巻)』の刊行
  エ、『小中高校哲学一貫教育』の研究と文部科学省への提言
  オ、小中高校哲学一貫教育を基礎とした『一生涯にわたる哲学一貫教育』の研究と文部科学省への提言
  カ、「教育学部の徹底した哲学教育」の研究(哲学的に優れた教師の育成の研究)と文部科学省への提言
  キ、哲学ボランティア“ソクラテス”の育成に関する研究
  ク、様々な分野における哲学教育の研究
  ケ、哲学的風土づくりの研究
④『哲学フォーラム日本』の事務局は、当分の間、哲学教育の体制の整っている大学に設置されている哲学フォーラム内に置くものとする。

以上が、哲学フォーラムの概要ですが、かなり盛りだくさんであり、全てを一気に実現させる事はとはかなり難しいと思います。
そこで、教育学部の哲学担当の先生方に一つだけお願いがあるのです。
それが、『哲学読本大全(全100巻)』の作成です。
この『哲学読本大全(全100巻)』が完成すれば、上記の『哲学フォーラム』を含めた『哲学一貫教育』が一気にそしてひとりでに進行して行く事になります。
何故なら、この『哲学読本大全(全100巻)』こそが、『哲学一貫教育』の基礎の基礎であり、バイブルとなるからです。
この『哲学読本大全(全100巻)』が完成すれば、日本の教育現場はひとりでに、『哲学一貫教育』へと向かう事になります。
それは『教育革命』と言って良い程の大改革となるのです。

それでは、『哲学読本大全(全100巻)』の作成方法について、『哲学読本大全(全100巻)』作成要領と言う形で述べて行きたいと思います。
なお、作成要領に入る前に、一つだけ大事な事を言って置きます。
それは、この『哲学読本大全(全100巻)』は、全ての国民向けだと言う事です。
決して、哲学の専門家向けのものでは無いと言う事です。
そして、この『哲学読本大全(全100巻)』は、小学校高学年でも読めるものとなるのです。(聖書の様に、全ての漢字にルビを付すると事とします。)


『哲学読本大全(全100巻)』作成要領

1 趣旨
  『哲学読本大全(全100巻)』とは、主要な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものとする。
  哲学テーマの数については、500とする。
  1つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
  名著とは、哲学書・思想書だけでなく、聖典・経典、文学書(詩、小説、物語、戯曲、随筆、評論、日記、記録、手記)、歴史書、科学書等、全ての名著を対象とする。
  1編の名文の文字数は、4000字以内とする。

2 本の体裁
 ①A4版、縦書き、4段組とする。
②1巻の頁数は、1200頁程度とする。
③1頁の文字数は、2200文字程度とする。
④最も安価の印刷製本方法によるものとする。(並本、平とじ等)

3 本の内容
 ①主要な哲学テーマ500について、それぞれに古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
 ②1編の名文の文字数は,4000字以内とする。
 ③1編の名文は、見開きの2頁に収めるものとする。
 ④1編の名文の見出しは、著書名とする。
  例、「饗宴より」「新約聖書“マタイ福音書”より」「社会契約論より」「エミールより」「方法序説より」「論語より」「老子より」「道徳書簡集“人生の短さについて”より」「純粋理性批判より」「法華経より」「ファウストより」「神曲より」「草枕より」等。
 ⑤哲学テーマが異なれば、同じ見出しが付く事となる。また、同じ哲学テーマの中で、同じ著書から2編以上掲出する時は、「饗宴より~その2~」等とする。見出しに著書名が多く掲出されればされるほど、名著としてのイメージが読者に焼き付く事となる。
 ⑥見出しの後には、名文をそのまま掲載するものとする。名文の文字数は4000字以内とする。なお、古文、漢文については、現代語訳を掲載するものとする。文字数に余裕があれば、古文、漢文と現代語訳を併記しても良い。
 ⑦名文の後に、著書及び著者の簡単な解説を掲載するものとする。文字数にして、200字前後とする。
 ⑧『哲学読本大全(全100巻)』は、100巻、500章、50,000節とする。
  100巻とは、100冊の意味である。
  500章とは、500哲学テーマの意味である。
  50,000節とは、50,000の名文(古今東西の名著の中の名文中の名文)の意味である。
 ⑨1巻(冊)に、5哲学テーマ、500名文を収める。1哲学テーマについて、100名文を収めるので、5哲学テーマ×100名文=500名文=1巻となる。
 ⑩1名文については、見開き2頁に収める。(1名文については、4000文字以内とする)
 ⑪哲学テーマについては、日本国民にとって必要な哲学テーマを選定する。なお、その際、中学生、高校生を特に考慮に入れて選定するものとする。
 ⑫哲学テーマについては、夢、希望、理想、正義、勇気、智恵、愛、友情、地球、自然、環境、生命,勉強、学問、芸術、社会、経済、国家,法、真善美、精神、感情、自分等々、「自分に関する事」「人間関係に関する事」「社会に関する事」「自然に関する事」等、全ての分野を対象とするものとする。
 ⑬漢字については、日本聖書協会発行の聖書のように、全てにルビを付するものとする。これにより、小学校高学年からでも読む事が出来るようになり、『哲学読本大全(全100巻)』は、文字通り、全ての国民向けの読本となる。
 ⑭『哲学読本大全(全100巻)』については、全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室に備えるものとする。

4 本の作成方法
 ①全国の教育学部のなるべく多くの哲学担当教官の参加を得て、「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」を設置する。(俗称100名委員会。)
 ②「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、哲学教育体制が整っており、かつ学生・院生・卒業生・一般市民等の哲学ボランティアの参加の得やすい大学に設置するものとする。
 ③「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、作成委員会の委員に対して、哲学テーマを募集する。
 ④各委員は、それぞれ500の哲学テーマを提出するものとする。
 ⑤事務局は、各委員より提出された哲学テーマを基に、哲学テーマ一覧表を作成し、各委員にメール送信し、諮り(投票等)、500の哲学テーマを決定するものとする。
 ⑥事務局は、委員に対して、500の哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑦各委員は、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。各委員は、1つの哲学テーマについて1編以上、全部で500編以上の古今東西の名著の中の名文中の名文の写し(スキャナーで読み込んだ写し)を送信するものとする。
 ⑧事務局は、送信された古今東西の名著の中の名文中の名文(以下名文と呼ぶ)を、哲学テーマ毎にそのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し、「哲学読本大全(全100巻)資料集」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
 ⑨各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、それぞれ検討するものとする。
 ⑩事務局は、次に、全ての大学の教育学部の教師及び教育学部付属学校の教師を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑪各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
 ⑫事務局は、各教師から送信された名文と⑧で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集」を、それぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」としてファイルを作成し、各教師及び各委員に送信するものとする。
 ⑬各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
 ⑭事務局は、次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い)を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑮各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
 ⑯事務局は、各教師から送信された名文と⑫で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
⑰各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
⑱事務局は、次に、全国民を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑲各国民は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
 ⑳事務局は、各国民から送信された名文と⑯で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
 ○21各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
 ○22事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」をそのままの形で、ウェブ上に公開し、全国民を対象に「哲学読本大全(全100巻)」に掲載して欲しい名文の投票を行う。
 ○23事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を投票順位毎に編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を作成し、各委員に送信するものとする。
 ○24各委員は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を基に、それぞれの哲学テーマ毎に、それぞれの名文の中から100の名文を選び、その結果を事務局に送信するものとする。
 ○25事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」と⑳の集計結果を基に、哲学テーマ毎に、100の名文を決定し、「哲学読本大全(全100巻)素案」を作成し、各委員に送信し、各委員に諮り、哲学読本大全(全100巻)に掲載する50,000の名文(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)を決定するものとする。なお、それぞれの哲学テーマに掲載される名文の順番は、各委員及び全国民からの投票の多かった順とする。
 ○26事務局は、50,000の名文それぞれについての著者と著書の簡単な解説文(200文字程度)の作成を、専門分野に応じて、各委員並びに教育学部の教師に依頼するものとする。
 ○27事務局は、「哲学読本大全(全100巻)素案」をテキスト形式に変換し、全ての漢字にルビを付し、50,000の名文に関する著者及び著書の解説、並びに巻頭言や奥書等を加え、最終的な印刷製本の形にした上で、各委員に送信し、諮り、「哲学読本大全(全100巻)」の最終原稿を決定するものとする。
 ○28事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用原稿とオンデマンド印刷用原稿の2種類のファイルを作成するものとする。
 ○29ウェブ公開用原稿は、ウェブ上で見易い形式に整えたものとする。
 ○30オンデマン印刷用原稿については、その原稿を利用すれば、誰でも、同じ「哲学読本大全(全100巻)」が作成できるものとする。印刷製本仕様まで指示するものとする。
 ○31事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、最大限、哲学ボランティアを活用するものとする。哲学ボランティアは無報酬とする。哲学ボランティアについては、学内、学外から哲学を愛する者を広く募集するものとする。
 ○32「哲学読本大全(全100巻)」については、オンデマンド印刷製本を行い(業者に発注)、全国の公立図書館及び大学図書館に無償で配布するものとする。
○33「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用とオンデマンド印刷製本用の2種類のファイルを作成し、共にウェブ上で公開する。ウェブ公開用の「哲学読本大全(全100巻)」は誰でも自由に閲覧できるようにするものとする。オンデマンド印刷製本用については、これを利用し、誰でも自由に「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本できるものとする。
○34小学校、中学校、高校及び公民館においては、オンデマンド印刷製本用のファイルを利用して、それぞれにおいて、「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行い、それぞれの図書室に備えるものとする。印刷製本については、業者に外注に出しても良いし、学校等で行っても良い。教育の一環として学校等で行えば、教育的効果がより高くなる。
  なお、哲学に関心のある者は誰でも、自由にオンデマンド印刷製本用のファイルを利用して「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行っても良いものとする。
 ○35以上により、全国の全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校及び公民館の図書室、並びに哲学に関心のある者の書棚に「哲学読本大全(全100巻)」が備わる事になり、『哲学一貫教育』の素地が整う事になる。
 ○36「哲学読本大全(全100巻)」は、文部科学省の委託事業または補助事業として行う。
 ○37「哲学読本大全(全100巻)」の作成は、上記のように哲学読本大全(全100巻)作成委員会によって行っても良いが、日本教育大学協会が文部科学省からの直接の補助事業または委託事業として受け、協会内に「哲学読本大全(全100巻)作成部会」を設置して、行っても良い。その方が、哲学教育振興がより図られる事になる。
 ○38日本教育大学協会の作成部会が、「哲学読本大全(全100巻)」を作成し、その指導の下に、全国の全ての小中高校の図書室並びに大学図書館、公立図書館、公民館図書室等に「哲学読本大全(全100巻)」が備えつけられるようになれば、全国的に哲学的機運が高まり、それに伴い哲学教育への関心が高まり、日本教育大学協会の中に『哲学教育部会』が設置される事となる。この『哲学教育部会』を中心に、「小中高校哲学一貫教育」、「一生涯にわたる哲学一環教育」、「大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成方法)」「哲学フォーラム」「哲学的風土づくり」等の研究が行われ、『哲学一貫教育』が加速度的に進行する事となる。

5 本の作成財源について 
 ①文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う。実費(印刷製本費、配送費、通信費、事務用品等)については全て国庫負担とし、労働の対価については、全て無報酬(ボランティア)とする。ただし、委託事業で実施する場合は、国の基準により報酬を受ける事が出来るものとする
 ②万が一、文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う事が出来ない場合は、哲学に関心のある者等の寄付により行う。財源負担の考え方は①に同じ。
 ③公立図書館及び大学図書館に対して、「哲学読本大全(全100巻)」を無償交付するのではなく、それらの図書館においても、上記4の○28にあるように、それぞれの図書館においてオンデマンド印刷製本を行うのであれば、今回の「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、労働の対価を無報酬(ボランティア)でするのであれば、それほど経費はかからず、哲学に関心のある者等の寄付等で十分に行える。

6 著作権及び出版権について
 ①「哲学読本大全(全100巻)」作成に入る前に、出版社団体等に対して、『哲学教育』の為に利用するのであり、収益事業は全く行わず、ほとんどを無報酬(ボランティア)で行う旨を説明し、著作権料及び出版権料は無償としてもらう。
 ②それぞれの名文の末尾には必ず、その名文を複写した図書名と出版社名記載するものとする。これにより、その図書の購入の便宜を図る。名文はその出版物(著書)のほんの一部(4000字以内)であり、「本の紹介」に準じたものとして扱ってもらう。
 ③生存者の名文は、「哲学読本大全(全100巻)」は掲載しないものとする。
④「哲学読本大全(全100巻)」については、廃刊になっている図書の中の名文も利用する。


以上が、「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法です。
「哲学読本大全(全100巻)」作成の一番良い方法は、上記の実施要領の最後の所で述べましたように、日本教育大学協会が文部科学省から委託や補助を受けて作成する方法だと思うのですが、現在の所、協会内に「哲学教育部会」が無い以上、現実的にはかなり難しいと思います。
現在において、一番妥当な方法は、「哲学読本大全作成委員会」方式だと思います。
つきましては、どうか教育学部の哲学担当の先生方で、先ずは「哲学読本大全作成委員会」を組織して頂きたいと思います。
そして、哲学教育の充実した大学において、事務局の労を取って頂きたいと思います。

この「哲学読本大全」については、大いなる可能性があるのです。
この書簡を書き始める時は、その可能性に気付いていませんでしたが、書き続けている内に、その可能性に気付いて来たのです。

現在の所の目的は、「哲学読本大全(全100巻)」のウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とこの2種類のファイルのウェブ上での公開と、「哲学読本大全(全100巻)」(オンデマンドで業者に最も安価の方法で印刷製本させたもの)の公立図書館、大学図書館への無償交付です。
この内の、公立図書館、大学図書館への無償配布にかなりの経費がかかります。
「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本・配送費が100,00円だとします。
そして、公立図書館、大学図書館の数が合わせて5,000だとします。
そうすると、100,00円×5,000図書館=5億円となり、これを委託金・補助金や寄付金で賄おうと思っているのですが、はっきり言って無理です。
と言う事で、今回の「哲学読本大全(全100巻)」作成事業から、公立図書館、大学図書館への無償配布は削除するものとします。
その代わり、全ての公立図書館、大学図書館及び全ての小学校、中学校、高校、公民館等の図書室において、それぞれにおいて、「オンデマンド印刷製本用のファイル」を利用して、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本して、備えるものとします。
 哲学読本大全作成委員会では、各図書館、各図書室において、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本し、備え付けるよう、依頼啓発運動を行うものとします。
 この方針変換を行う事により、「哲学読本大全(全100巻)」作成事業には大いなる可能性が出てくるのです。

 「哲学読本大全(全100巻)」に収められる、古今東西の名著の中の名文中の名文の数は、50,000(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)ですが、この「哲学読本大全(全100巻)」を作成する段階で集められる名文の数は、50,000の何倍にもなるのです。

 ここで、もう一度「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法をお浚いして置きます。
 先ずは、哲学読本大全作成委員会の委員の先生方から、それぞれの哲学テーマについて1編以上、全部で500編提出して貰う事になっています。
 哲学読本大全作成委員会については、教育学部の哲学担当先生方になるべく多く参加して頂くものとしています。
 委員の数が100名だとすると、この段階で既に50,000の名文(500哲学テーマ×1名文×100人=50,000名文)が集る事になります。

次に、教育学部及び教育学部付属学校の教師の方々を対象に、名文の募集を行います。
ここでは、全ての教師に500哲学テーマごとにそれぞれ1編以上、全部で500編の名文は求めない事にしますが、なるべく多くの名文を提出して頂くよう依頼するものとします。
 例えば、ここで1,000人の教師から、それぞれ100の名文の提出があったとします。
 そうすると、ここで100,000の名文(100名文×1,000人=100,000名文)が集る事になります。
 ここまでの段階で既に、150,000の名文(50,000名文+100,000名文=150,000名文)が集る事になります。

 次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い、場合によっては児童生徒を含めても良い)を対象に、名文の募集を行います。
 例えば、ここで10,000人の教師から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
 そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
 ここまでの段階で、250,000の名文(50,000名文+100,000名文+100,000名文=250,000名文)が集る事になります。

次に、国民を対象に、名文の募集を行います。
 例えば、ここで10,000人の国民から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
 そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
 ここで最終段階と成りますが、ここまでに350,000の名文が集る事になります。
 「哲学読本大全(全100巻)」では、この内の50,000名文だけを使用する事になりますが、後の300,000名文は捨てて良いのでしょうか。
 決して捨ててはなりません。
 これこそが国民の英知です。
 これを活用しなくてはなりません。
 募集を大々的に行えば、もっともっと名文が集るかも知れません。
 この英知を活用してこそ、日本にも哲学的土壌が生まれて来る事になるのです。

 それでは、どの様に利用するのか。
 それが、ウェブ閲覧用のファイルの作成とオンデマンド印刷製本用のファイルの作成と、この2つのファイルのウェブ上での公開です。
 先ずは、各委員、大学教育学部関係教師、全国小中高校教師、及び各国民が、それぞれにスキャナーで読み込み、そしてメールで送信して頂いた名文の写しを、全てテキスト形式に変換します。
 そして、それを500の哲学テーマ毎に整理して、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルを作成し、この2つのファイルをウェブ上で公開します。
 例えば、350,000の名文が集っていたとすれれば、単純計算をすると、1つの哲学テーマに700の名文がある事なります。
 例えば、知恵と言う哲学テーマについて、700の名文がある事になります。
 そして、それぞれは、国民一人一人が名文として認めたものです。
 その700の名文を読めば、日本人における知恵の概念を理解する事が出来ます。
 後は、それらを抽象していけば、日本人おける知恵とそして世界における知恵の普遍的概念に近付いて行く事が出来る事になります。
 何故なら、その名文は古今東西の名著の中の名文中の名文なのですから。
 しかし、上記の様な作業は、閑暇があり、哲学的思考に慣れた人でなければ、中々出来ない事です。

 そこで次に行う事が、その350,000名文を編集し直して、哲学読本の別版を作成する事です。
 勿論、別版と言っても、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とその2つのファイルのウェブ上での公開版の事です。
 哲学読本の別版としては、次の様なものが考えられます。
 これにより、哲学読本がより国民にとって、より身近なものとなります。
 なお、公立図書館及び大学図書館においては、別版についても、必ず印刷製本し、哲学読本大全(全100巻)と共に、同じ書架に保管し、『哲学読本コーナー』を設置するものとする。
 これにより、『哲学読本シリーズ』は社会的に認知される事になり、ここを基として、『哲学一貫教育』が始まる事になるのです。
 なお、この哲学読本シリーズの成否は、偏に哲学ボランティアにかかっています。
 「哲学読本大全作成委員会」の下に、「哲学読本大全作成グループ」を設置し、多くの哲学ボランティアに登録して頂くものとします。
 そして、この哲学ボランティアの方々に実際の作業(資料集の作成や原文とテキスト形式に変換した本文との読み合わせ等)を行って貰うものとします。
 哲学(知恵を愛する事)を愛する人であれば、決して労は厭わないと思います。
 事務局のある大学の、教師、学生、院生、卒業生、他の大学の教師、学生、院生、そして一般市民等、なるべく多くの哲学ボランティアを集める事により、この『哲学読本シリーズ』はひとりでに完成して行く事になるのです。
 そして、この「哲学読本大全作成グループ」及び「哲学読本大全作成委員会」が「哲学フォーラム日本」へと発展して行き、日本の哲学一貫教育の礎となるのです。
 「小学生の為の哲学読本」
 「中学生の為の哲学読本」
 「高校生の為の哲学読本」
 「大学生の為の哲学読本」
 「青年の為の哲学読本」
 「女性の為の哲学読本」
 「社会人の為の哲学読本」
 「高齢者の為の哲学読本」
 「哲学読本(西洋思想編)」
 「哲学読本(東洋思想編)」
 「哲学読本(日本思想編)」
 「哲学読本(道徳編)」
 「哲学読本(宗教編)」
 「哲学読本(社会編)」
 「哲学読本(自然編)」
 「哲学読本(人間編)」
 「哲学読本(科学編)」
 「哲学読本(教育編)」
 「哲学読本(幸福論)」
 「哲学読本(平和論)」
 「哲学読本(自由論)」
 「哲学読本(平等論)」
 「哲学読本(戦争論)」
 「哲学読本(芸術論)」
 「哲学読本(国家論)」
 「哲学読本(家族論)」
 「哲学読本(結婚論)」
 「哲学読本(自殺論)」
 「哲学読本(いじめ論)」
 「哲学読本(差別論)」
 「哲学読本(友情論)」等々必要に応じて作成
 ※これらの読本について、漢字にルビを付す必要はありません。
 以上が哲学読本大全の作成要領です。
 

以上長々と述べて参りましたが、この書簡で述べた事を整理すると、先ずは『哲学一貫教育』の概要の述べ、次に『哲学フォーラム』の概要を述べ、次に『哲学読本大全』の概要を述べた事になります。
最後に、今後のスケジュールを述べて、この書簡の結論としたいと思います。

 ①『哲学読本大全』の作業過程において、有識者の中に『哲学一貫教育』に関する関心が高まり、『哲学読本大全』作業母体と中心として、『哲学フォーラム日本』が生まれる。
 ②『哲学フォーラム日本』の活動により、小学校、中学校、高校、大学教育学部、図書館、公民館等に『哲学対話室』が設置される事になり、日本国中に哲学対話の輪が広がり、日本国中に哲学的機運が醸成されるようになる。
 ③これらを受けて、文部科学省を中心として『小中高校哲学一貫教育』、『一生涯に渡る哲学一貫教育』、『大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成)』が組織的行われる事になる。
 ④これにより、日本は哲学的に成熟した国家となり、嘗てのギリシアと並び称されるような国家となる。
 ⑤これにより、日本人は『哲学の民』と呼ばれる事になり、諸外国から一目を置かれるようになる。

これが『哲学一貫教育』の最終目標です。
すなわち、哲学一貫教育とは、哲学による国づくりの事なのです。

 以上でこの稿を締めたいと思うのですが、最後に一言だけ、教育学部の哲学担当の先生方に言って置きたいと思います。
 それについては、本文の中でも言っておりますが、文学部の哲学専門教育と教育学部の哲学教育は根本的に違うと言う事です。
 文学部の哲学専門教育(特に旧帝大の哲学科等)は、カント、ヘーゲル、プラトン等々の研究家を育成する事にありますが、教育学部の哲学教育は“ソクラテス”を育成する事にあります。
 すなわち、『知恵の産婆役』を育成する事にあります。
 その為、文学部の哲学専門教育の様に限られた哲学者から学ぶのではなく、古今東西のあらゆる偉大な人々から言葉を学ばなければならないのです。
 文学部の哲学専門教育の様に数人の哲学者からだけではなく、数十人、数百人の賢人の言葉から学ばなければならないのです。
 その為にも、『哲学読本大全』が必要なのです。
 学校の先生は多くの言葉を知っていなければなりません。
 そして、その言葉の本質をも知っていなければならないのです。

 ソクラテスは,若い内に諸方を旅し、多くの賢人の言葉に触れ、そしてそれぞれの言葉の本質を考え抜きました。
 教育学部の学生にもその様な機会が恵まれれば良いのでしょう、現今下では中々難しい事です。
 『哲学読本大全』がその肩代わりをするのです。
 学生は、『哲学読本大全』の中で多くの賢人の言葉に巡り会います。
 もしその言葉が片鱗に触れたら、学生はその原典へと向かうでしょう。
 そして、そこでその賢人と語り合う事でしょう。
 『哲学読本大全』は、その世界の入り口を示して上げる為のものです。
 学生が、例えは知恵について、100の名文を読む。
 そしてその内の一つにインスピレーションを感じる。
 そこからその賢人の中に入って行く。
 
『哲学読本大全』は問題解決の間口である。
例えばいじめの問題で悩む。
いじめに関する100の名文を読む。
いじめの本質が分かって来る。
そしてある賢人の中に入って行く。
彼はもういじめに悩む事は無く,新たな世界へと向かう事になる。

教育学部の学生は、4年間の間に、多くの言葉に触れ、多くの賢人に巡り会い、そして多く言葉の本質を抽出していかなければなりません。
その為にも、徹底した哲学教育(48単位)が必要なのです。
小中高校教育は全人教育です。
教師そのものが知恵でなくてはならないのです。

現代の日本の荒廃、それは学校の教師に哲学的素養(知恵)がない事によります。
日本を再生する為には、教育学部における徹底した哲学教育が必要なのです。
そして、徹底した哲学教育により、日本は世界に優れた国家になるのです。
『日本の再生は、教育学部の哲学教育にあり!!!』
これを標語に、哲学教育について考えて頂きたいと思います。

最後に“哲学”の定義をして置きましょう。
哲学とは、philosophia、知恵(sophia)愛する(philo)事。
これは『汝自身を知れ』と同じ事。

教育学部の哲学教育は、全てソクラテスに通じているのです。
『汝自身を知れ』
その為に、ソクラテスは『知恵の産婆役』に徹したのです。

教育学部の学生、将来学校の教師となる者は、“ソクラテス”でなければならないのです。
子供の中に眠る無限の可能性、すなわち“知恵”を引き出す者ではなくてはならないのです。

“知恵とは何か”
これを最後に置いて、この稿を締めたいと思います。

平成20年7月11日
哲学哲男

追伸
「哲学一貫教育提唱文」を別途掲載して置きます。
「哲学一貫教育提唱文」は、最初は平成20年2月3日日付で文部科学省初等中等教育局長宛に、2回目は平成20年2月10日日付で文部科学省生涯学習政策局長宛に、3回目は平成20年2月17日日付で内閣官房長官宛に、4回目は平成20年3月9日日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛に、5回目は平成20年3月18日日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官宛に、6回目は平成20年4月7日日付で東京学芸大学哲学倫理分野教官宛に送っています。
それから、「哲学詩集『百章』」も併せて掲載して置きます。
これは、大学教育学部における徹底した哲学教育のカリキュラムに述べていた『哲学作文集作成(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)』の悪例です。
この「哲学詩集『百章』」は、1つの哲学テーマについて、僅か14行に纏めています。
これは短い時間の中で、取り敢えず100章を纏めてみようと言う趣向からこの様な悪例となっています。
『哲学作文集作成(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)』については、それぞれの哲学テーマについて、「哲学読本」を読み、哲学読本から啓発を受けて「古典原典」を読み、更に哲学的素養のある人々と対話し、また自分自身と対話した結果を纏めたものでなくてはなりません。
それは、1つの哲学テーマについて、何十行、何百行にも及ぶものとなる筈です。
それでこそ、その哲学テーマが自分のもの成っていきます。
学生にはその為の時間が十分にあるのです。
別添の「哲学詩集『百章』」はただのひらめきです。最も悪い例の叩き台として使用して下さい。
もし上記の様な「100の哲学テーマに関する作文集」を卒業までに完成していたら、その学生は十分に“ソクラテス”として資格があると思います。
「100の哲学テーマに関する作文集」の提出を教員採用条件としたら、日本は一気に哲学国家へと向かう事になります。
何故なら、学校の先生全てが“ソクラテス”なのですから・・・。
彼は児童生徒に向かってこう言うでしょう。
『汝自身を知れ』と
そしてまたこう言うでしょう。
「もし自分自身が生まれそうになったら私に言いなさい。私が産婆役に成ってあげるから。」と

学校中に哲学対話の輪が広がります。
“いじめとは何か”
いじめの本質が分かったら、そのいじめっ子は更にいじめを続けるのでしょうか。
哲学対話とは徹底的に自分自身を知る事。
その為には産婆役の“ソクラテス”が必要なのです。
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「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
平成20年11月16日提唱

 電子メール受付担当者 様へ
 当該メールを教育学部の哲学・倫理担当の先生に転送して下さいますよう、お願い申し上げます。
 なお、このメールでは哲学フォーラムと哲学一貫教育を提唱しています。

 拝啓
 国立大学教育学部哲学担当教官 殿

 私は、哲学一貫教育を提唱している者です。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って、哲学の機会を提供するものです。
 この哲学一貫教育は、次の5つの柱からなっております。
 ① 小中高校哲学一貫教育
 ② 小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育
 ③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
 ④ 哲学読本大全(全100巻)
 ⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)

 これらの詳細については、下記をご覧頂きたいと思います。
 これらの内、①から④までは、予算面や制度面の制約があり、直ぐに実行に移すのは難しい状況にあります。
 しかし、哲学フォーラム(哲学対話室)については、予算面や制度面の制約は無く、実行しようと思えば直ぐにでも実行出来ます。

 哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事で、この哲学フォーラムを日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置しようとするものです。
 小学校、中学校、高校に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設されます。
 この哲学フォーラム(哲学対話室)では、児童生徒と哲学的素養のある大人が哲学的対話を行う事になります。
 大学及び公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設されます。
 この哲学フォーラム(哲学対話室)では、一般国民と哲学的素養のある者が哲学的対話を行う事になります。
 哲学フォーラム(哲学対話室)で哲学対話の相手をする哲学的素養のある者の事を、哲学ボランティア“ソクラテス”と呼ぶ事にしています。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
 小中高校に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については空き教室等を利用し、大学に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については大学図書館の会議室を利用し、公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については公民館の会議室を利用する事にしますので、会場使用料は必要ありません。
 哲学フォーラム(哲学対話室)とは、その開設時間に、哲学ボランティア“ソクラテス”が二人以上常駐し、その部屋を訪れた者と哲学対話を行うだけの極簡単な仕組みです。
 そして、哲学ボランティア“ソクラテス”は無報酬、会場使用料は無料です。
 ですから、日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置しても、お金は1円も必要ないのです。
 もし誰かが一二の三で号令をかければ、数年の内に、日本全国の小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事も可能なのです。

 しかし、そうは言っても、小中高校の数は相当にあります。
 これらを含めて一気にと言う事には、やはり無理があると思います。
 そこではと言う事で、先ずは、国立大学教育学部と全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂きたいと思うのです。
 それらの展開方法については、下記に「全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法」と言う事で示しておりますので、ご参考にして頂きたいと思います。

 都道府県下の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事は、それ程難しい事ではありません。
 3年もあれば、日本全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事も可能です。
 その秘訣は、哲学フォーラム都道府県です。
 その流れを簡単に示すと次の通りとなります。
 先ずは、国立大学教育学部の哲学担当教官、各都道府県教育委員会の学校教育課長、社会教育課長、各都道府県公民館連絡協議会会長、教育学部関係者、学校関係者、教育行政関係者等で、哲学フォーラム都道府県設立準備会を組織し、設立趣意書等を作成し、設立賛同者を募ります。
 そして、設立賛同者が100名になった時、100名の連名で、哲学フォーラム都道府県を設立し、会員を募ます。
 会員が500名になれば、都道府県下の公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事はいとも簡単な事です。
 哲学フォーラム都道府県の会員が中心と成って、それぞれの公民館で哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すれば良いのです。
 その際、小中高校の先生にも、積極的にそれぞれの公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”に成って頂くものとします。
 これにより、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の下地も出来上がる事になるのです。
 なお、哲学フォーラム都道府県の事務局は、国立大学教育学部の哲学担当教官の研究室に置くものとします

 毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、日本全国の公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が開設されている!
 何と楽しい事でしょう。
 旅先でちょっと公民館に立ち寄る
 そして、そこでそこのソクラテスと哲学的対話を行う
 楽しい事ではないでしょうか
 そんな日本の為に、どうか国立大学教育学部の哲学の先生方にはお骨折りを頂きたいと思います。
 何故なら国立大学教育学部の哲学の先生方こそが、その土地にソクラテスを誕生させる事が出来るお人なのですから・・・
敬具
平成20年11月16日
哲学哲男


追伸
私はこれまで哲学一貫教育に関係のありそうな国の機関に対して、哲学一貫教育の提唱をしてきました。
また、その他の関係機関に対してもこれから提唱しようと思い、その素案を作っています。
これらを纏めて、「哲学フォーラムと哲学一貫教育」と言うファイルを作っています。
このファイルも併せて送信します。
なお、このファイルの中で、教育学部における徹底した哲学教育で学生に課する事と成っている、『哲学百章』についても、その作成例を呈示していますので、参考にして下さい。
 

________________________________________
下記1
哲学一貫教育について                                

1 趣旨
  日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する。

2 内容
  哲学一貫教育の柱
  ① 小中高校哲学一貫教育
    小学校、中学校、高校に渡って哲学教育を一貫して行う。
  ② 小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育
    小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、大学教育、社会教育、家庭教育においても哲学教育を一貫して行う。
  ③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
    哲学的に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行う。
  ④ 哲学フォーラム(哲学対話室)
    哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的な対話を行う部屋の事である。
    この哲学フォーラム(哲学対話室)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置する。
  ⑤ 哲学読本大全(全100巻)
    哲学読本大全(全100巻)とは、日本国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文をそれぞれ100編集めて、編集したものである。
    この哲学読本大全(全100巻)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、公民館の図書室及び大学図書館並びに公立図書館に配備する。
    また、WEB版を作成し、誰でも、何時でも、自由に、無料で、閲覧出来るようにする。
    この哲学読本大全(全100巻)が、哲学一貫教育の基本教材となる。

3 哲学の意義
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
  哲学とは、真善美を愛する事。
  哲学の本質は、「汝自身を知れ」
  哲学とは、素晴らしき存在としての自分自身を知る事。
  そして、その自分自身により、この世界を再認識する事。
  哲学一貫教育では、日本国民の一生涯に渡ってその様な機会を提供する。
  具体的には、「読書」と「作文」と「対話」の機会を提供する。
  ________________________________________

下記2
小中高校哲学一貫教育について                            

1 趣旨
  小学校、中学校、高校に渡って哲学教育を一貫して行う。

2 内容
  ① 授業時間
    授業時間は、小学校、中学校、高校とも、週2時間とする。
  ② 教材
    教材については、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用する。
    「哲学読本」とは、それぞれの学年の児童生徒に取って、大切な30の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の中の名文をそれぞれ数編集めたものとする。なお、哲学読本は黙読が原則であるので、全てにルビを付するものとする。
    「哲学ノート」とは、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を作文として纏める為のノートとする。
  ③ 授業の進め方
     週の最初の時間に、「哲学読本」(ある哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文の名文数編)を黙読し、週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を「哲学ノート」に作文として纏める。
これを小中高一貫して行う。
なお、小学校低学年は、読書能力、作文能力が十分でないので、教師の読み聞かせと、児童の発表で構成するものとする。 
  ④ 教師の役割
    教師の役割は、授業の開始と終了の合図及び授業時間中の静謐の保持のみとする。
    児童生徒は、静謐の中で、読書や作文を契機として、自らを学び自らを考える。
    教師は、作文について読み込む必要はない。毎週クラス全員の作文を読む事は物理的に無理がある。ただし、作文を書いているかいないかの確認は行なうものとする。作文が書けない児童生徒には作文指導を行なうものとする。
  ⑤ 哲学テーマ
    各学年の哲学読本に取り上げる30の哲学テーマについては、それぞれの学年の児童生徒に取って、最も大切な哲学テーマとする。
    なお、学習指導要領の第3章道徳に定める、「自分自身に関する事」、「人とのかかわりに関する事」、「自然とのかかわりに関する事」、「社会とのかかわりに関する事」の4分野からバランスを取って選択するものとする。
  ⑥ 哲学読本
    哲学読本は無償とする。
    哲学読本に掲載する古今東西の名著の中の名文中の名文とは、哲学書に限らず、聖典、経典、文学書等、様々な分野の名著の中から選択するものとする。
    哲学読本は、各学年ごとに作成する。
    哲学読本は、それぞれの教科書出版会社等がそれぞれに出版するものとする。
  ⑦ 哲学の位置づけ
    哲学は教科とせず、現在の道徳と同じく、ただ単に「哲学」とする。
    哲学においては、現在の道徳と同じく、児童生徒の評価は行わない。
  ⑧ 教科と哲学
    教科では知識を学び、哲学では知恵を学ぶ。
    教科と哲学が両輪と成って、知恵と知識に優れた児童生徒を育成する。
    なお、哲学において、各教科を哲学し、必要に応じて、各教科の単元を哲学する。
    哲学において、各教科を統括、統合する。これにより、各教科の知識が有機的に結び合わされ、生きた知恵となる。
  ⑨ 特別活動、総合学習と哲学
    特別活動、総合学習は、哲学で自らが学び、自ら考え、自らのものにしたものの実践、体験、体感の場となる。
  ⑩ 哲学対話室(哲学フォーラム)の設置
    全ての小中高校に、哲学的対話を行う為の部屋として、哲学対話室(哲学フォーラム)を設置する。
    この哲学対話室(哲学フォーラム)において、児童生徒は、哲学的素養に優れた大人と哲学的対話を行う事になる。
  ⑪ 人間、自然、社会と哲学
    哲学において、人間を、自然を、社会を哲学する。
  ⑫ 自分と言う存在と哲学
    哲学において、自分と言う存在を徹底的に学ぶ。
  ⑬ 自殺、いじめ、差別と哲学
    哲学において、自殺やいじめ、差別等、負の問題についても哲学する。
  ⑭ 憲法、法律と哲学
    哲学において、憲法の主要なテーマである自由、平等,戦争,平和,人権,権利、義務、健康、文化、教育、勤労等を哲学する。
    また、必要に応じて、主要な法律の目的、目標,理念等を哲学する。
  ⑮ 文部科学省所管の法律と哲学
    哲学において、「教育基本法」、「芸術文化振興基本法」、「文字・活字文化振興法」、「子供の読書活動の推進に関する法律」等が体現される。
⑯ 道徳と哲学
    哲学において、勇気、忍耐、節制、寛容等々の様々な徳を哲学する。
⑰ 読書、思索、作文、対話、行為と哲学
    哲学において、読書を行い、思索を行い、作文を書き、対話を行い、そしてこれらの結果が自発的な行為を促す。
  ⑱ 教養と哲学
    哲学は典型的なリベラルアーツである。

3 小中高校哲学一貫教育の意義
  小中高校哲学一貫教育においては、児童生徒は、自らに取って身近な様々な哲学テー
マについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、それらについて考え、それら
を作文に纏め、それらを基に対話を行い、また時には実践して、それら様々な哲学テー
マに関する自らの考え方を確立して行く事となる。
  また、それら様々な哲学テーマに関する考え方を、自らの中で統合し、有機的な体系
に纏めて行く事となる。
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
  知恵を愛するとは、真善美を愛する事。
  哲学の本質は、『汝自身を知れ』
  哲学の究極の目的は、素晴らしき存在としての自分自身を知る事。
  そして、その自分自身により、世界を再構築する事。
  哲学一貫教育ではその様な機会を提供する。
  なお、小中高校哲学一貫教育においては、これらの基礎となる、「読書」と「作文」の
機会を可能な限り多く提供するものとする。

________________________________________

下記3
小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育について              

1 趣旨
  小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、更に大学教育、社会教育、家庭教育においても、哲学教育を一貫して行う。

2 内容
  ① 小学校、中学校、高校
    上記「小中高校哲学一貫教育について」の通り
  ② 大学
    大学においても、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で受講するものとする。
    1年から2年までは教養哲学とし、小中高校で学んだ哲学を集大成する。
    3年から4年までは専門哲学とし、学科、科目等を哲学する。
    大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
  ③ 公民館
    公民館において、週1回の通年の哲学講座を開設する。
    公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
  ④ 家庭
    家庭においても、哲学的対話(知恵を愛する為の対話)が行われるよう機運を醸成する。
    幼児の為の読み聞かせ用の哲学読本を作成する。

3 小中高校哲学一貫教育を基礎とした一生涯に渡る哲学一貫教育の意義
  哲学とは知恵を愛する事。
  哲学とは真善美を愛する事。
  哲学の本質は『汝自身を知れ』
  哲学により、自分自身の素晴らしさを認識するようになる。
  その結果として、家庭や社会や自然の大切さを認識するようになる。
  一生涯に渡る哲学一貫教育においては、日本国民の一生涯に渡って、その様な哲学(知恵を愛する)の機会を提供する。
  ________________________________________

下記4
大学教育学部における徹底した哲学教育について                          

1 趣旨
  小学校、中学校、高校は全人教育である。
  教師が、知恵を愛する者(哲学者)であってこそ、児童生徒に、知恵を愛する楽しさを伝える事が出来る。
  哲学的に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、徹底した哲学教育を行う。

2 内容
  ① 授業時間
    哲学は必修とする。
    授業時間は週3授業時間(約90分×週3回)とし、これを1年から4年まで通年で受講するものとする。
    単位は48単位とする。(4単位が1年学期、2単位が半年学期で計算)
    なお、4単位を28授業時間と想定する。
  ② 授業科目
   ア 西洋思想史・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
   イ 東洋思想史・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
   ウ 日本思想史・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
   エ 宗教・・・・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
   オ 道徳・・・・・・・4単位(名著の中の名文中の名文500編から学ぶ)
   カ 古代古典講読・・・4単位(古典中の古典10冊を学ぶ)
   キ 教科哲学・・・・・4単位(中学校の9教科を哲学する)
   ク 哲学対話・・・・・2単位(哲学対話の技術を学ぶ)
   ケ 哲学作文・・・・・2単位(哲学作文の技術を学ぶ)
   コ 哲学各論 ・・・・16単位(名文中の名文2000編から学ぶ、各論は40編程度)
     「人生論」、「人間論」、「自由論」、「平等論」、「平和論」、「幸福論」、「感情論」、「精神論」、「肉体論」、「生命論」、「死生論」、「男女論」、「青少年論」、「友情論」、「恋愛論」、「結婚論」、「家族論」、「生活論」、「習慣論」、「国家論」、「社会論」、「政治論」、「法律論」、「経済論」、「環境論」、「職業論」、「教育論」、「学問論」、「文化論」、「文学論」、「芸術論」、「科学論」、「時代論」、「時間論」、「存在論」、「認識論」、「自然観」、「歴史観」、「世界観」、「地球観」、「宇宙観」、「読書論」、「作文論」、「愛」、「知恵」、「言葉」、「自分」、「神」等々、全部で50哲学テーマとする。(50哲学テーマ×40編=2000編)
タ 哲学対話録作成・・授業外(卒業までに100回哲学対話を行う。その対話録)
   チ 哲学作文作成・・・授業外(卒業までに100の哲学テーマに関する作文作成)
   ※ 西洋思想史、東洋思想史、日本思想史、宗教、道徳、哲学対話、哲学作文、哲学各論については、それぞれ読本を作成するものとする。ここで言う読本とは、それぞれのテーマ毎に名著の中の名文中の名文を集めたものであり、それぞれ思想家や宗教や道徳等を概念的に説明したものではない。
  ③ 授業の内容
   ア 西洋思想史  
     西洋の代表的思想家28人の思想を学ぶ。
     1授業時間に一人の思想家を学ぶ。
     学生は、授業前に、西洋思想史読本により、その思想家の名文中の名文約18編(500編÷28時間≒18編、1編当り4000字程度)を読んでおくものとする。
     教師は、その前提の下に、その思想家の文献学的概念(学説、時代背景等)を講義するものとする。
     学生は、出来るだけその思想家の代表的著作を読むものとする。
     代表的思想家としては、プラトン、アリストテレス、エピクロス、エピクテトス、セネカ、キケロ、マルクスアウレリウス、アウグスティヌス、ルター、デカルト、パスカル、ロック、スピノザ、モンテスキュー、ルソー、カント、ヘーゲル、ショウペンハウワー、キルケゴール、マルクス、ニーチェ、イソップ、ホメロス、ダンテ、レオナルドダビンチ、シェークスピア、ゲーテ、ニュートン、カエサル等が考えられる。思想家については、所謂哲学者だけでなく、文学者、芸術家、政治家、科学者等も対象とする。
   イ 東洋思想史
     東洋の代表的思想家28人の思想を学ぶ。
     その他については、西洋思想史と同じ。
     代表的思想家としては、孔子、老子、墨子、孟子、荘子、孫子、荀子、韓非子、朱子、王陽明、孫文、毛沢東、ダゴール、ガンジー、ヒンズー経典、バラモン経典、ゾロアスター経典、ユダヤ経典、詩経、書経等が考えられる。思想家について、所謂哲学者だけでなく、文学者、芸術家、政治家、更には経典等も対象とする。
   ウ 日本思想史
     日本の代表的思想家28人の思想を学ぶ。
     その他については、西洋思想史と同じ。
     代表的思想家としては、聖徳太子、空海、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮、林羅山、中江藤樹、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠、賀茂真淵、本井宣長、二宮尊徳、福沢諭吉、内村鑑三、吉野作蔵、西田幾多郎、和辻哲郎、西行、世阿弥、松尾芭蕉、夏目漱石、西郷隆盛、古事記、日本書紀、風土記、万葉集等が考えられる。思想家について、所謂哲学者だけでなく、文学者、芸術家、政治家、更には古代古典等も対象とする。
   エ 宗教
     キリスト教(聖書)、仏教(経典)、イスラム教(コーラン)、神道(神典)を学ぶ。
     授業時間の割り当ては、キリスト教(聖書)が10授業時間、仏教(経典)が10授業時間、イスラム教(コーラン)が4授業時間、神道(神典)が4授業時間程度とする。
     宗教読本の名文の割り当ては、キリスト教(聖書)が200編、仏教(経典)が200編、イスラム教(コーラン)が50編、神道(神典)が50編程度とする。
学生は、授業前に、宗教読本により、その宗教の名文中の名文を読んでおくものとする。
     教師はその前提の下に、その宗教の宗教学的概念(学説、時代背景等)を講義するものとする。
     学生は出来るだけその宗教の聖典、経典等を読むものとする。
オ 道徳
     代表的な28の徳について学ぶ。
     1授業時間に一つの徳を学ぶ。
     学生は、授業前に、道徳読本により、その徳に関する名著の中の名文中の名文約18編(500編÷28時間≒18編、1編当り4000字程度)を読んでおくものとする。
     教師は、その前提の下に、その徳に関する文献学的概念(学説、時代背景等)や自らのその徳に関する考え方を講義するものとする。
     学生は出来るだけその徳に関する代表的著作を読むものとする。
     代表的な徳としては、勇気、忍耐、節制、寛容、正義、中庸、慈愛、高潔、廉恥、礼儀、誠実、良心、奉仕、孝行、自信、平常心、自制心、向上心、反省、克己、分別、優しさ等が考えられる。
   カ 古代古典講読
     古代の代表的な古典10冊を学ぶ。
     2~3授業時間で、1冊の古典を学ぶ。
     学生は、授業前に、その古代古典を読んでおくものとする。
     教師は、その前提の下に、その古代古典を講読する。また、その著作、その思想家に関する文献学的概念(学説、時代背景等)についても講義する。
     対象とする古代古典については、次の10冊とする。
     「論語」(孔子)、「老子」(老子)、「真理の言葉(発句経)」(ブッダ)、「新約聖書マタイ福音書」(イエス)、「箴言」(ソロモン)、「詩篇」(ダビデ)、「ソクラテスの弁明」(プラトン)、「手紙」(エピクロス)、「道徳論集」(セネカ)」、     「自省録」(マルクスアウレリウス)
     ※何故古代古典のみを対象とするかと言うと、古代は人間の青少年期にあたり、児童生徒を役する言葉が、それこそ綺羅星の如く鏤められているからである。
   キ 教科哲学
     中学校で学ぶ9教科(国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術家庭、英語)を哲学する。
     3授業時間で、1教科を哲学する。
     学生は、授業前に、その教科書を読んでおくものとする。
     教師は、その前提の下に、その教科及びその教科の重要な単元について、自らの基本的考え方を講義するものとする。
     なお、教科哲学は、それぞれの教科担任教師がそれぞれに担当するものとする。
     学生は、これらを基に、自らにおいて、それぞれの教科及び重要な単元を哲学するものとする。
     各教科の単元を例示すると次の通り。
     ・国語・・・・読むとは、書くとは、話すとは、聞くとは、文法とは、言語とは、文字とは、言葉とは、詩とは、小説とは、文学とは等々
     ・社会・・・・社会とは、日本とは、世界とは、歴史とは、地理とは、政治とは、経済とは、倫理とは、法律とは、都会とは、人口とは、資源とは、国家とは、現代とは、戦争とは、文明とは、生活とは、福祉とは、憲法とは等々
     ・数学・・・・数とは、図とは、式とは、関数とは、微分とは、積分とは、確率とは、比例とは、相似とは、統計とは、円とは、三角形とは等々
     ・理科・・・・物理とは、化学とは、生物とは、地学とは、物資とは、液体とは固体とは、気体とは、原子とは、分子とは、酸化とは、還元とは、力とは、運動とは、熱とは、光とは、音とは、電気とは、動物とは、植物とは、生命とは、細胞とは、呼吸とは、環境とは、気象とは、天候とは、地球とは、宇宙とは、科学とは、自然とは等々
     ・音楽・・・・音楽とは、メロディーとは、リズムとは、ハーモニーとは等々
     ・美術・・・・絵画とは、彫刻とは、工芸とは、デザインとは、美とは等々
     ・保健体育・・保健とは、健康とは、病気とは、体育とは、スポーツとは等々
     ・技術家庭・・技術とは、木材とは、金属とは、電気とは、機械とは、栽培とは、家庭とは、食物とは、衣服とは、住居とは、育児とは、生活とは等々
 ・英語・・・・英語とは、言語とは、文法とは、翻訳とは、国際とは等々     
   ク 哲学対話
     哲学対話の技術を学ぶ。
     4授業時間を教師の講義に充て、10授業時間を実習に充てる。
     学生は、授業前に,哲学対話読本(100編)を読んでおくものとする。
     教師は、その前提の下に、哲学対話に関する文献学的概念や自らの哲学対話に関する技術等を講義するものとする。
     実習については、5授業時間を1対1の対話に充て、5授業時間を数人での対話に充てるものとする。
     学生は、それぞれ毎に、哲学対話録を作成するものとする。
   コ 哲学作文 
     哲学作文の技術を学ぶ。
     4授業時間を教師の講義に充て、10授業時間を実習に充てる。
     学生は、授業前に、哲学作文読本(100編)を読んでおくものとする。
     教師は、その前提の下に、哲学作文に関する文献学的概念や自らの哲学作文に関する技術等を講義するものとする。
     実習については、教師が選択した10の哲学テーマについて、それぞれごとに哲学作文を作成するものとする。
     一つの哲学テーマについて、1授業時間を充てる。
     学生は、最終授業後、「哲学十章」として纏めるものとする。
   サ 哲学各論
     主要な50の哲学テーマについて学ぶ。
     一つの哲学テーマについて、2授業時間を充てる。
     学生は、授業前に、哲学各論読本(各論40編)を読んでおくものとする。
教師は、その前提の下に、哲学各論に関する文献学的概念や自らの考え方を講義するものとする。
     哲学各論について、教育学部全ての教師の協力を得て行うものとする。
     学生は、出来るだけ、その哲学テーマに関して、更に思想を深め、作文に纏めておくものとする。
   シ 哲学対話録作成
     哲学対話録作成は、授業外とする。
     学生は、卒業までに、100回の哲学対話を行い、その対話録を作成するものとする。
     哲学対話録の提出があった時は、哲学担当教師は、「哲学対話録の提出があり、その事実を確認した旨」の認証をするものとする。
     哲学担当教師は、哲学対話録を読む必要は無い。哲学対話録の提出の事実があった事だけを確認すれば良い。
     哲学対話録は、卒業後、自らの大学時代の哲学の足跡として、対外的に活用して良い。
    ス 哲学作文作成
     哲学対話録作成は、授業外とする。
     学生は、卒業までに、自らに取って大切な100の哲学テーマについて、作文を書き、それを『哲学百章』として冊子に纏め、哲学担当教官に2部提出するものとする。
     哲学担当教官は、その1部については、「哲学百章の提出があり、その事実を確認した」旨の認証を行った上で、学生に返還するものとする。他の1部については、大学教育学部図書館等の『哲学百章文庫』に収めるものとする。
     哲学百章については、10年で廃棄処分とするものとする。
     『哲学百章文庫』が、在学生、卒業生、教官等の共有財産となる。
     なお、哲学担当教師は、提出のあった哲学百章を読む必要はない。哲学百章の提出のあった事実の確認と大学図書館の哲学百章文庫への引継ぎだけで良い。     
     哲学百章は、卒業後、自らの大学時代の哲学の足跡として、対外的に活用して良い。
  ④ 哲学フォーラム(哲学対話室)の設置     
    教育学部に、哲学的対話を行う為の部屋として、哲学フォーラム(哲学対話室)
を設置する。
    この哲学フォーラム(哲学対話室)については、広く国民に開放する。
    この哲学フォーラム(哲学対話室)において、学生は様々な人々と哲学対話と行
う事となる。

4 文学部の哲学教育と教育学部の哲学教育の違い
  文学部の哲学教育では、哲学文献を学ぶが、教育学部の哲学教育では、哲学、すなわち“知恵を愛する事”を学ぶ。
  その為、いわゆる哲学書だけでなく、聖人、賢人、哲人、文豪、英雄、天才芸術家・科学者・政治家等々、いわゆる偉人と呼ばれる人々の書いた名著(聖典、経典も含む)の中の名文中の名文から学ぶ。
  偉人と呼ばれる人々とは、知恵を愛し抜いた人々の謂いである。
  教育学部の哲学教育では、先ず偉人たちから知恵を愛する方法を学ぶ。
  その後において、自らにおいて知恵を愛する事となる。
  教育学部の哲学教育の最終目標は、知恵を愛する人(哲学者)を育てる事にある。
  
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下記5
哲学フォーラム(哲学対話室)について                                        

1 趣旨
  哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事である。
  この哲学フォーラム(哲学対話室)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置する。

2 哲学フォーラム(哲学対話室)の運営
  哲学フォーラム(哲学対話室)は、その哲学フォーラム(哲学対話室)に所属する哲学ボランティア“ソクラテス”グループ(10名以上)により運営する。

3 哲学ボランティア“ソクラテス”
  哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学フォーラム(哲学対話室)に登録届出と「哲学に関する自らの考え方を纏めた作文」を提出し、その哲学フォーラム(哲学対話室)の代表と哲学対話を終了した時に、その哲学フォーラム(哲学対話室)所属の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
  作文については、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、哲学フォーラム(哲学対話室)の利用者の供覧に供するものとする。
  なお、哲学ボランティア“ソクラテス”は嘗て存在したソクラテスト同様、無報酬とする。
  おって、哲学ボランティア“ソクラテス”については、哲学(知恵を愛する事)の情熱があれば、資格は必要ないものとする。

4 小中高校に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)について
 ① 趣旨
   全ての小中高校に、哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、課外とする。
   哲学フォーラム(哲学対話室)において、児童生徒は哲学的素養のある大人と哲学的対話を行う。   
② 設置者
   設置者は、学校長とする。
③ 運営
   運営は、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”グループ(10名以上)とする。
 ④ 哲学ボランティア“ソクラテス”
   学校の哲学ボランティア“ソクラテス”に成る為には、学校長に登録届出と「児童生徒向けに書いた自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出し、学校長と哲学対話を終了した時に、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
   作文については、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、児童生徒の供覧に供する。
   その学校の教師が、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”に成る時は、この手続きは省略出来る。
   その学校の教師が、その学校の哲学ボランティア“ソクラテス”に従事する時間については、勤務扱いとする。なお、5時を過ぎたらボランティア扱いとする。
 ⑤ 開設時間
   月曜日から金曜日までの、午後3時か午後5時までとする。
   開設時間においては、必ず二人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、日替わりとする。
 ⑥ 開設場所
   空き教室等を利用する。
 ⑦ 利用方法
   児童生徒は、自由に、勝手に、許可を受ける事無く、哲学フォーラム(哲学対話室)に入室し、哲学ボランティア“ソクラテス”と対話を行う事が出来るものとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重する。

5 大学及び公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)について
 ① 趣旨
   全ての大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。
 ② 哲学フォーラム大学名、哲学フォーラム公民館名
   大学においては哲学担当の教師を中心に、公民館においては哲学的素養のある者を中心に、哲学に関心のある者10名以上で「哲学フォーラム大学名」、「哲学フォーラム公民館名」を組織する。
   会員は、全て哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
   代表には、大学においてはなるべく哲学担当教師に、公民館においてはなるべく哲学的素養のある者に成って頂くものとする。
 ③ 哲学ボランティア“ソクラテス”
   哲学ボランティア“ソクラテス”に成る為には、代表者に登録届出と「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出し、代表者と哲学対話を終了した時に、その大学の哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
   作文については、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、哲学フォーラム(哲学対話室)の利用者の供覧に供する。
 ④ 開設時間
   毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
   開設時間においては、必ず二人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとする。
 ⑤ 開設場所
   大学においては大学図書館会議室を、公民館においては公民館会議室を利用する。
 ⑥ 利用方針
   哲学フォーラムについては、全ての国民に開放するものとする。
   国民は、自由に、勝手に、許可無く、哲学フォーラム(哲学対話室)に入室する事が出来、哲学ボランティア“ソクラテス”と哲学的対話が出来るものとする。
   フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。
   なお、入校制限を行っている大学においてはその範囲内で行う。
 ⑦ 哲学フォーラム巡り
   毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、日本国中の全ての大学及び公民館において、哲学フォーラム(哲学対話室)が開設される事になり、これにより、『哲学フォーラム巡り』と言う新たな社会的な楽しみが創設される事になる。
   この『哲学フォーラム巡り』が日本の青少年を育てる事になる。

6 哲学フォーラム都道府県名
  各都道府県の哲学フォーラム(哲学対話室)の中心として、国立大学教育学部哲学担当教室に、哲学フォーラム都道府県名を置く。

7 哲学フォーラム日本
  日本全国の哲学フォーラム(哲学対話室)の中心として、東京学芸大学「哲学・倫理分野」に、哲学フォーラム日本を置く。

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下記6
哲学読本大全(全100巻)について                                             

1 趣旨
  哲学読本大全(全100巻)とは、国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文をそれぞれ100編ずつ集めて、編集したものである。
  この哲学読本大全(全100巻)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、公民館の図書室及び大学図書館並びに公立図書館に配備する。
  また、哲学読本大全(全100巻)のWEB版を作成する。
  これにより、日本国民は何時でも、自由な時に、哲学読本大全(全100巻)を読む事が出来るようになる。
  哲学読本大全(全100巻)が、哲学一貫教育の基本教材となる。

2 作成方法
 ① 国民の英知を結集して作成する。
 ② 国立大学教育学部哲学担当の教師100名を構成メンバーとする、『哲学読本大全(全
100巻)作成委員会』(俗称100人委員会)を組織し、この委員会が中心と成って、
国民の英知を結集して作成する。
 ③ WEB上に、印刷製本原稿版と閲覧版を掲載する。
   印刷製本原稿版を使用すれば、誰でも哲学読本大全(全100巻)を印刷製本できる
仕組みになっている。
   全ての小学校、中学校、高校、公民館の図書室及び大学図書館並びに公立図書館は、
この印刷製本用原稿により、印刷製本を行う事となる。
   これにより、ほとんど予算をかけることなく、日本国中の全ての図書室と図書館に
哲学読大全(全100巻)を配備する事が可能となる。
 ④ 1名文の分量は、文字数にして4000字程度。A4版、縦書き、4段組、2頁以内。
 ⑤ 具体的な作成方法については、「哲学読本作成要領」を参照の事。

3 哲学読本大全(全100巻)の意義
 ① 哲学読本大全(全100巻)は、専門家向けの読本ではなく、一般国民向けの読本で
ある。
 ② 哲学読本大全(全100巻)は、全てルビが付してあるので、小学校高学年から読む事が出来る
 ③ キリスト教国家においては、聖書が国民を育て、イスラム教国家においては、コーランが国民を育てる。日本においては、哲学読本大全が国民を育てる事となる。

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別稿
哲学読本大全(全100巻)作成要領

1 趣旨
  『哲学読本大全(全100巻)』とは、主要な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものとする。
  哲学テーマの数については、500とする。
  1つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
  名著とは、哲学書・思想書だけでなく、聖典・経典、文学書(詩、小説、物語、戯曲、随筆、評論、日記、記録、手記)、歴史書、科学書等、全ての名著を対象とする。
  1編の名文の文字数は、4000字以内とする。

2 本の体裁
 ①A4版、縦書き、4段組とする。
②1巻の頁数は、1200頁程度とする。
③1頁の文字数は、2200文字程度とする。
④最も安価の印刷製本方法によるものとする。(並本、平とじ等)

3 本の内容
 ①主要な哲学テーマ500について、それぞれに古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集める。
 ②1編の名文の文字数は,4000字以内とする。
 ③1編の名文は、見開きの2頁に収めるものとする。
 ④1編の名文の見出しは、著書名とする。
  例、「饗宴より」「新約聖書“マタイ福音書”より」「社会契約論より」「エミールより」「方法序説より」「論語より」「老子より」「道徳書簡集“人生の短さについて”より」「純粋理性批判より」「法華経より」「ファウストより」「神曲より」「草枕より」等。
 ⑤哲学テーマが異なれば、同じ見出しが付く事となる。また、同じ哲学テーマの中で、同じ著書から2編以上掲出する時は、「饗宴より~その2~」等とする。見出しに著書名が多く掲出されればされるほど、名著としてのイメージが読者に焼き付く事となる。
 ⑥見出しの後には、名文をそのまま掲載するものとする。名文の文字数は4000字以内とする。なお、古文、漢文については、現代語訳を掲載するものとする。文字数に余裕があれば、古文、漢文と現代語訳を併記しても良い。
 ⑦名文の後に、著書及び著者の簡単な解説を掲載するものとする。文字数にして、200字前後とする。
 ⑧『哲学読本大全(全100巻)』は、100巻、500章、50,000節とする。
  100巻とは、100冊の意味である。
  500章とは、500哲学テーマの意味である。
  50,000節とは、50,000の名文(古今東西の名著の中の名文中の名文)の意味である。
 ⑨1巻(冊)に、5哲学テーマ、500名文を収める。1哲学テーマについて、100名文を収めるので、5哲学テーマ×100名文=500名文=1巻となる。
 ⑩1名文については、見開き2頁に収める。(1名文については、4000文字以内とする)
 ⑪哲学テーマについては、日本国民にとって必要な哲学テーマを選定する。なお、その際、中学生、高校生を特に考慮に入れて選定するものとする。
 ⑫哲学テーマについては、夢、希望、理想、正義、勇気、智恵、愛、友情、地球、自然、環境、生命,勉強、学問、芸術、社会、経済、国家,法、真善美、精神、感情、自分等々、「自分に関する事」「人間関係に関する事」「社会に関する事」「自然に関する事」等、全ての分野を対象とするものとする。
 ⑬漢字については、日本聖書協会発行の聖書のように、全てにルビを付するものとする。これにより、小学校高学年からでも読む事が出来るようになり、『哲学読本大全(全100巻)』は、文字通り、全ての国民向けの読本となる。
 ⑭『哲学読本大全(全100巻)』については、全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室に備えるものとする。

4 本の作成方法
 ①全国の教育学部のなるべく多くの哲学担当教官の参加を得て、「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」を設置する。(俗称100名委員会。)
 ②「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、哲学教育体制が整っており、かつ学生・院生・卒業生・一般市民等の哲学ボランティアの参加の得やすい大学に設置するものとする。
 ③「哲学読本大全(全100巻)作成委員会」の事務局は、作成委員会の委員に対して、哲学テーマを募集する。
 ④各委員は、それぞれ500の哲学テーマを選定し、メールで事務局に送信するものとする。
 ⑤事務局は、各委員より提出された哲学テーマを基に、哲学テーマ一覧表を作成し、各委員にメール送信し、諮り(投票等)、500の哲学テーマを決定するものとする。
 ⑥事務局は、委員に対して、500の哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑦各委員は、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。各委員は、1つの哲学テーマについて1編以上、全部で500編以上の古今東西の名著の中の名文中の名文の写し(スキャナーで読み込んだ写し)を送信するものとする。
 ⑧事務局は、送信された古今東西の名著の中の名文中の名文(以下名文と呼ぶ)を、哲学テーマ毎にそのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し、「哲学読本大全(全100巻)資料集」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
 ⑨各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、それぞれ検討するものとする。
 ⑩事務局は、次に、全ての大学の教育学部の教師及び教育学部付属学校の教師を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑪各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
 ⑫事務局は、各教師から送信された名文と⑧で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集」を、それぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」としてファイルを作成し、各教師及び各委員に送信するものとする。
 ⑬各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
 ⑭事務局は、次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い)を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑮各教師は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
 ⑯事務局は、各教師から送信された名文と⑫で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その2」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
⑰各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
⑱事務局は、次に、全国民を対象に、上記⑥と同じ要領で、500の哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を募集するものとする。
 ⑲各国民は、上記⑦と同じ要領で、それぞれの哲学テーマに相応しい古今東西の名著の中の名文中の名文の写しをスキャナーで読み込み、事務局に対してメールで送信するものとする。
 ⑳事務局は、各国民から送信された名文と⑯で作成した「哲学読本大全(全100巻)資料集その3」をそれぞれの哲学テーマ毎に、そのままの形(スキャナーで読み込んだ写しのままの形)で編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」としてファイルを作成し、各委員に送信するものとする。
 ○21各委員は、送信された「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を基に、「哲学読本大全(全100巻)」のあり方について、再度それぞれ検討するものとする。
 ○22事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」をそのままの形で、ウェブ上に公開し、全国民を対象に「哲学読本大全(全100巻)」に掲載して欲しい名文の投票を行う。
 ○23事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その4」を投票順位毎に編集し直し、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を作成し、各委員に送信するものとする。
 ○24各委員は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」を基に、それぞれの哲学テーマ毎に、それぞれの名文の中から100の名文を選び、その結果を事務局に送信するものとする。
 ○25事務局は、「哲学読本大全(全100巻)資料集その5」と⑳の集計結果を基に、哲学テーマ毎に、100の名文を決定し、「哲学読本大全(全100巻)素案」を作成し、各委員に送信し、各委員に諮り、哲学読本大全(全100巻)に掲載する50,000の名文(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)を決定するものとする。なお、それぞれの哲学テーマに掲載される名文の順番は、各委員及び全国民からの投票の多かった順とする。
 ○26事務局は、50,000の名文それぞれについての著者と著書の簡単な解説文(200文字程度)の作成を、専門分野に応じて、各委員並びに教育学部の教師に依頼するものとする。
 ○27事務局は、「哲学読本大全(全100巻)素案」をテキスト形式に変換し、全ての漢字にルビを付し、50,000の名文に関する著者及び著書の解説、並びに巻頭言や奥書等を加え、最終的な印刷製本の形にした上で、各委員に送信し、諮り、「哲学読本大全(全100巻)」の最終原稿を決定するものとする。
 ○28事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用原稿とオンデマンド印刷用原稿の2種類のファイルを作成するものとする。
 ○29ウェブ公開用原稿は、ウェブ上で見易い形式に整えたものとする。
 ○30オンデマン印刷用原稿については、その原稿を利用すれば、誰でも、同じ「哲学読本大全(全100巻)」が作成できるものとする。印刷製本仕様まで指示するものとする。
 ○31事務局は、「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、最大限、哲学ボランティアを活用するものとする。哲学ボランティアは無報酬とする。哲学ボランティアについては、学内、学外から哲学を愛する者を広く募集するものとする。
 ○32「哲学読本大全(全100巻)」については、オンデマンド印刷製本を行い(業者に発注)、全国の公立図書館及び大学図書館に無償で配布するものとする。
○33「哲学読本大全(全100巻)」については、ウェブ公開用とオンデマンド印刷製本用の2種類のファイルを作成し、共にウェブ上で公開する。ウェブ公開用の「哲学読本大全(全100巻)」は誰でも自由に閲覧できるようにするものとする。オンデマンド印刷製本用については、これを利用し、誰でも自由に「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本できるものとする。
○34小学校、中学校、高校及び公民館においては、オンデマンド印刷製本用のファイルを利用して、それぞれにおいて、「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行い、それぞれの図書室に備えるものとする。印刷製本については、業者に外注に出しても良いし、学校等で行っても良い。教育の一環として学校等で行えば、教育的効果がより高くなる。
  なお、哲学に関心のある者は誰でも、自由にオンデマンド印刷製本用のファイルを利用して「哲学読本大全(全100巻)」の印刷製本を行っても良いものとする。
 ○35以上により、全国の全ての、公立図書館、大学図書館、小中高校及び公民館の図書室、並びに哲学に関心のある者の書棚に「哲学読本大全(全100巻)」が備わる事になり、『哲学一貫教育』の素地が整う事になる。
 ○36「哲学読本大全(全100巻)」は、文部科学省の委託事業または補助事業として行う。
 ○37「哲学読本大全(全100巻)」の作成は、上記のように哲学読本大全(全100巻)作成委員会によって行っても良いが、日本教育大学協会が文部科学省からの直接の補助事業または委託事業として受け、協会内に「哲学読本大全(全100巻)作成部会」を設置して、行っても良い。その方が、哲学教育振興がより図られる事になる。
 ○38日本教育大学協会の作成部会が、「哲学読本大全(全100巻)」を作成し、その指導の下に、全国の全ての小中高校の図書室並びに大学図書館、公立図書館、公民館図書室等に「哲学読本大全(全100巻)」が備えつけられるようになれば、全国的に哲学的機運が高まり、それに伴い哲学教育への関心が高まり、日本教育大学協会の中に『哲学教育部会』が設置される事となる。この『哲学教育部会』を中心に、「小中高校哲学一貫教育」、「一生涯にわたる哲学一環教育」、「大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成方法)」「哲学フォーラム」「哲学的風土づくり」等の研究が行われ、『哲学一貫教育』が加速度的に進行する事となる。

5 本の作成財源について 
 ①文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う。実費(印刷製本費、配送費、通信費、事務用品等)については全て国庫負担とし、労働の対価については、全て無報酬(ボランティア)とする。ただし、委託事業で実施する場合は、国の基準により報酬を受ける事が出来るものとする
 ②万が一、文部科学省の委託事業もしくは補助事業で行う事が出来ない場合は、哲学に関心のある者等の寄付により行う。財源負担の考え方は①に同じ。
 ③公立図書館及び大学図書館に対して、「哲学読本大全(全100巻)」を無償交付するのではなく、それらの図書館においても、上記4の○28にあるように、それぞれの図書館においてオンデマンド印刷製本を行うのであれば、今回の「哲学読本大全(全100巻)」の作成については、労働の対価は全て無報酬(ボランティア)とするので、それほど経費はかからず、哲学に関心のある者等の寄付等で十分に行える。

6 著作権及び出版権について
 ①「哲学読本大全(全100巻)」作成に入る前に、出版社団体等に対して、『哲学教育』の為に利用するのであり、収益事業は全く行わず、ほとんどを無報酬(ボランティア)で行う旨を説明し、著作権料及び出版権料は無償としてもらう。
 ②それぞれの名文の末尾には必ず、その名文を複写した図書名と出版社名記載するものとする。これにより、その図書の購入の便宜を図る。名文はその出版物(著書)のほんの一部(4000字以内)であり、「本の紹介」に準じたものとして扱ってもらう。
 ③生存者の名文は、「哲学読本大全(全100巻)」は掲載しないものとする。
④「哲学読本大全(全100巻)」については、廃刊になっている図書の中の名文も利用する。


以上が、「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法です。
「哲学読本大全(全100巻)」作成の一番良い方法は、上記の実施要領の最後の所で述べましたように、日本教育大学協会が文部科学省から委託や補助を受けて作成する方法だと思うのですが、現在の所、協会内に「哲学教育部会」が無い以上、現実的にはかなり難しいと思います。
現在において、一番妥当な方法は、「哲学読本大全作成委員会」方式だと思います。
つきましては、どうか教育学部の哲学担当の先生方で、先ずは「哲学読本大全作成委員会」を組織して頂きたいと思います。
そして、哲学教育の充実した大学において、事務局の労を取って頂きたいと思います。

この「哲学読本大全」については、大いなる可能性があるのです。
この書簡を書き始める時は、その可能性に気付いていませんでしたが、書き続けている内に、その可能性に気付いて来たのです。

現在の所の目的は、「哲学読本大全(全100巻)」のウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とこの2種類のファイルのウェブ上での公開と、「哲学読本大全(全100巻)」(オンデマンドで業者に最も安価の方法で印刷製本させたもの)の公立図書館、大学図書館への無償交付です。
この内の、公立図書館、大学図書館への無償配布にかなりの経費がかかります。
「哲学読本大全(全100巻)」の1セットの印刷製本・配送費が100,00円だとします。
そして、公立図書館、大学図書館の数が合わせて5,000だとします。
そうすると、100,00円×5,000図書館=5億円となり、これを委託金・補助金や寄付金で賄おうと思っているのですが、はっきり言って無理です。
と言う事で、今回の「哲学読本大全(全100巻)」作成事業から、公立図書館、大学図書館への無償配布は削除するものとします。
その代わり、全ての公立図書館、大学図書館及び全ての小学校、中学校、高校、公民館等の図書室において、それぞれにおいて、「オンデマンド印刷製本用のファイル」を利用して、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本して、備えるものとします。
 哲学読本大全作成委員会では、各図書館、各図書室において、「哲学読本大全(全100巻)」を印刷製本し、備え付けるよう、依頼啓発運動を行うものとします。
 この方針変換を行う事により、「哲学読本大全(全100巻)」作成事業には大いなる可能性が出て来るのです。

 「哲学読本大全(全100巻)」に収められる、古今東西の名著の中の名文中の名文の数は、50,000(500哲学テーマ×100名文=50,000名文)ですが、この「哲学読本大全(全100巻)」を作成する段階で集められる名文の数は、50,000の何倍にもなるのです。

 ここで、もう一度「哲学読本大全(全100巻)」の作成方法をお浚いして置きます。
 先ずは、哲学読本大全作成委員会の委員の先生方から、それぞれの哲学テーマについて1編以上、全部で500編提出して貰う事になっています。
 哲学読本大全作成委員会については、教育学部の哲学担当先生方になるべく多く参加して頂くものとしています。
 委員の数が100名だとすると、この段階で既に50,000の名文(500哲学テーマ×1名文×100人=50,000名文)が集る事になります。

次に、教育学部及び教育学部付属学校の教師の方々を対象に、名文の募集を行います。
ここでは、全ての教師に500哲学テーマごとにそれぞれ1編以上、全部で500編の名文は求めない事にしますが、なるべく多くの名文を提出して頂くよう依頼するものとします。
 例えば、ここで1,000人の教師から、それぞれ100の名文の提出があったとします。
 そうすると、ここで100,000の名文(100名文×1,000人=100,000名文)が集る事になります。
 ここまでの段階で既に、150,000の名文(50,000名文+100,000名文=150,000名文)が集る事になります。

 次に、全国の全ての小中高校の教師(父兄を含めても良い、場合によっては児童生徒を含めても良い)を対象に、名文の募集を行います。
 例えば、ここで10,000人の教師から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
 そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
 ここまでの段階で、250,000の名文(50,000名文+100,000名文+100,000名文=250,000名文)が集る事になります。

次に、国民を対象に、名文の募集を行います。
 例えば、ここで10,000人の国民から、それぞれ10の名文の提出があったとします。
 そうすると、ここで100,000の名文(10名文×10,000人=100,000名文)が集る事になります。
 ここで最終段階と成りますが、ここまでに350,000の名文(50,000名文+100,000名文+100,000名文+100,000名文=350,000名文)が集る事になります。
 「哲学読本大全(全100巻)」では、この内の50,000名文だけを使用する事になりますが、後の300,000名文は捨てて良いのでしょうか。
 決して捨ててはなりません。
 これこそが国民の英知です。
 これを活用しなくてはなりません。
 募集を大々的に行えば、もっともっと名文が集るかも知れません。
 この英知を活用してこそ、日本にも哲学的土壌が生まれて来る事になるのです。

 それでは、どの様に利用するのか。
 それが、ウェブ閲覧用のファイルの作成とオンデマンド印刷製本用のファイルの作成と、この2つのファイルのウェブ上での公開です。
 先ずは、各委員、大学教育学部関係教師、全国小中高校教師、及び各国民が、それぞれにスキャナーで読み込み、そしてメールで送信して頂いた名文の写しを、全てテキスト形式に変換します。
 そして、それを500の哲学テーマ毎に整理して、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルを作成し、この2つのファイルをウェブ上で公開します。
 例えば、350,000の名文が集っていたとすれれば、単純計算をすると、1つの哲学テーマに700の名文がある事なります。
 例えば、知恵と言う哲学テーマについて、700の名文がある事になります。
 そして、それぞれは、国民一人一人が名文として認めたものです。
 その700の名文を読めば、日本人における知恵の概念を理解する事が出来ます。
 後は、それらを抽象していけば、日本人おける知恵とそして世界における知恵の普遍的概念に近付いて行く事が出来る事になります。
 何故なら、その名文は古今東西の名著の中の名文中の名文なのですから。
 しかし、上記の様な作業は、閑暇があり、哲学的思考に慣れた人でなければ、中々出来ない事です。

 そこで次に行う事が、その350,000名文を編集し直して、哲学読本の別版を作成する事です。
 勿論、別版と言っても、ウェブ閲覧用のファイルとオンデマンド印刷製本用のファイルの作成とその2つのファイルのウェブ上での公開版の事です。
 哲学読本の別版としては、次の様なものが考えられます。
 これにより、哲学読本がより国民にとって、より身近なものとなります。
 なお、公立図書館及び大学図書館においては、別版についても、必ず印刷製本し、哲学読本大全(全100巻)と共に、同じ書架に保管し、『哲学読本コーナー』を設置するものとする。
 これにより、『哲学読本シリーズ』は社会的に認知される事になり、ここを基として、『哲学一貫教育』が始まる事になるのです。
 なお、この哲学読本シリーズの成否は、偏に哲学ボランティアにかかっています。
 「哲学読本大全作成委員会」事務局の下に、「哲学読本大全作成グループ」を設置し、多くの哲学ボランティアに登録して頂くものとします。
 そして、この哲学ボランティアの方々に実際の作業(資料集の作成や原文とテキスト形式に変換した本文との読み合わせ等)を行って貰うものとします。
 哲学(知恵を愛する事)を愛する人であれば、決して労は厭わないと思います。
 事務局のある大学の、教師、学生、院生、卒業生、他の大学の教師、学生、院生、そして一般市民等、なるべく多くの哲学ボランティアを集める事により、この『哲学読本シリーズ』はひとりでに完成して行く事になるのです。
 そして、この「哲学読本大全作成グループ」及び「哲学読本大全作成委員会」が「哲学フォーラム日本」へと発展して行き、日本の哲学一貫教育の礎となるのです。
 「小学生の為の哲学読本」
 「中学生の為の哲学読本」
 「高校生の為の哲学読本」
 「大学生の為の哲学読本」
 「青年の為の哲学読本」
 「女性の為の哲学読本」
 「社会人の為の哲学読本」
 「高齢者の為の哲学読本」
 「哲学読本(西洋思想編)」
 「哲学読本(東洋思想編)」
 「哲学読本(日本思想編)」
 「哲学読本(聖典・経典編)」
 「哲学読本(道徳編)」
 「哲学読本(宗教編)」
 「哲学読本(社会編)」
 「哲学読本(自然編)」
 「哲学読本(人間編)」
 「哲学読本(科学編)」
 「哲学読本(教育編)」
 「哲学読本(幸福論)」
 「哲学読本(平和論)」
 「哲学読本(自由論)」
 「哲学読本(平等論)」
 「哲学読本(戦争論)」
 「哲学読本(芸術論)」
 「哲学読本(国家論)」
 「哲学読本(家族論)」
 「哲学読本(結婚論)」
 「哲学読本(自殺論)」
 「哲学読本(いじめ論)」
 「哲学読本(差別論)」
 「哲学読本(友情論)」等々必要に応じて作成
  以上が哲学読本大全の作成要領です。

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別稿
日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法

哲学フォーラム(哲学対話室)を始める為には、お金は必要ありません。
哲学に関心のある者が10名ほど集って『哲学フォーラム』と言うサークルを作り、公民館にサークル活動届けを出し、小会議室を週1回借りる事が出来れば、それで哲学フォーラム(哲学対話室)を開始する事が出来ます。

もし日本の全ての公民館に『哲学フォーラム』が出来たらどうでしょう。
私たちは旅をしながら、哲学フォーラムでその町の哲学者たちと対話を交わす事が出来ます。
 何と素敵な事でしょう。
日本を旅する楽しさが100倍にもなるのではないでしょうか。
全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)がある!!そんな素敵な日本!!

しかしこの事は決して自然発生的に生まれる事はありません。
誰かが音頭を取らなければなりません。
誰が音頭を取るのでしょう。
勿論、各都道府県にある、国立大学教育学部の哲学の先生方であるべきです。

と言う事で、日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法をこれからお示ししたいと思います。


『日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法について』

1 趣旨
 哲学フォーラム(哲学対話室)は、全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置する事を目指しています。
 しかし、小学校、中学校、高校については、学校教育法上の制約もあり、直ぐに設置する事は中々難しい状況にあります。
 しかし、公民館においては、有志が集れば直ぐにでも設置する事が出来ます。
 ここでは、日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法をお示ししたいと思います。

2 実施主体
 各都道府県に設置されている国立大学の教育学部の哲学教室が中心になって実施するものとします。
 各国立大学教育学部の哲学教室の先生を中心に、学生、院生、卒業生(小中高校の教師、社会教育、教育行政で活躍されている方々等)、哲学に興味にある方々で哲学フォーラム都道府県を組織するものとします。
【例:哲学フォーラム宮崎】
  
3 全ての公民館に哲学フォーラムを設置する為の方法
 ① 先ず、大学のある都市(一般的には県庁所在地)の中央公民館1箇所に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置します。設置日時は毎週土曜の午後2時から午後5時までの3時間とします。哲学フォーラム都道府県の会員の中の県庁所在地に住む十数名で『哲学フォーラム○○市中央公民館』を設置し、○○市中央公民館にサークル届けを提出するものとします。このサークルの中に、大学教育学部の哲学教室の先生も名を連ねるものとします。ここで2年間試行を行い、哲学フォーラム(哲学対話室)に関するノウハウを取得するものとします。
   【例:哲学フォーラム宮崎市中央公民館】
 ② 次に大学のある都市より車で1時間内で行ける、その都道府県の大きな地方都市3箇所を選び、その都市の中央公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものとします。設置日時は毎週土曜の午後2時から午後5時までの3時間とします。哲学フォーラム都道府県のその都市の近くに住む会員の中の十数名で『哲学フォーラム□□市中央公民館』を設置し、□□市中央公民館にサークル届出を提出するものとします。このサークルの中に哲学教室の院生(または有力会員)も名を連ねるものとします。ここで2年間試行を行い、更に哲学フォーラム(哲学対話室)に関するノウハウを取得するものとします。
   【例:哲学フォーラム都城市中央公民館、哲学フォーラム延岡市中央公民館, 哲学フォーラム日南市中央公民館】
 ③ ①②を通じて、すなわち県庁所在地の哲学フォーラム活動及び地方都市の哲学フォーラム活動を通じて、哲学フォーラム都道府県の会員を増やすものとします。会員にについては、小中高校の教師、社会教育や教育行政の関係者になるべく多くなって貰うものとします。
【例:哲学フォーラム宮崎の例で言えば100名以上に会員を増やすものとします。】
 ④ ①②を通じて得られたノウハウ、すなわち県庁所在地の哲学フォーラム活動及び地方都市のフォーラム活動で得られたノウハウを、都道府県哲学フォーラムの会員に伝授するものとします。また、学校教育関係者、社会教育関係者、教育行政関係者、一般県民等を対象に、哲学フォーラムに関する講演会・研修会等を県内市町村の各中央公民館で開催するものとします。当該講演・研修・広報活動を通じて、哲学フォーラムを社会的に認知して貰おうものとします。なお、当該講演・研修・広報活動は2年間試行するものとします。
   【例:哲学フォーラム宮崎の例で言えば1,200人以上を対象に研修会等を行うものとします(毎月1回×12月×2年間×50人=1,200人、述べ24公民館)】
 ⑤ 以上①から④までが各都道府県に設置されている国立大学教育学部哲学教室が中心と成って行う試行内容となります。6ヵ年計画で行う事となります。
  1年~2年目:県庁所在地中央公民館での哲学フォーラム活動
(1公民館:毎週1回×年50週×2年間)
  3年~4年目:3地方都市中央公民での哲学フォーラム活動
(3公民館:毎週1回×年50週×2年間)
  5年~6年目:各市町村中央公民館での哲学フォーラムに関する研修会
(24公民館:毎月1回×年12月×2年間)
  ※1 実際の活動は哲学フォーラム都道府県の有力会員に任すものとします。哲学教室の先生は、有力会員等の情報及び現場視察等に基づき、哲学フォーラムに関する研究論文を纏めるものとします。
  ※2 それぞれの試行後は、大学教育学部の哲学教室は手を引き、それぞれの哲学フォーラムの自主運営に任すものとします。
  ⑥ ①から⑤のモデル事業を呼び水として、各市町村の公民館に哲学フォーラムが設置されて行く事になります。なお、当初は各市町村の中央公民館に設置する事を目標とし,最終的には全ての公民館に設置する事を目標とする事とします。
   【例:宮崎県には約40の市町村があり、約90の公民館があります。当初の目標が40哲学フォーラムであり,最終の目標が90哲学フォーラムとなります】
  ⑦ 哲学フォーラムの理想形は毎日開設されている事ですが、当面は毎週土曜日の午後2時から5時までの3時間とします。すなわち、土曜日のその時間にその土地の公民館に行けば、その土地の哲学者と対話する事が出来る様な仕組みを組み立てるものとします。これにより、日本を旅する事が楽しみとなるのです。今日はどんな哲学者と会えるかな?
  ⑧ 哲学フォーラム(哲学対話室)は、その名の示すとおり、哲学に関する広場(対話室)です。そこでは誰彼と無く自由に哲学について対話をする場所です。その趣旨を最大限尊重するものとしますが、当面は次の様に運営するものとします。
    ア そこの公民館の哲学フォーラムの会員がソクラテスになるものとします。
    イ ソクラテスは哲学フォーラムが開設している時は常に3名以上常駐するものとします。
    ウ 一般市民は、自由に、勝手に、許可無く哲学フォーラムに入室出来るものとし、そこにいるソクラテスや一般市民と自由に哲学的対話が行えるものとします。
    エ 哲学フォーラム(哲学対話室)は簡単でいいですので。二つに仕切るものとします。一つの哲学対話室ではソクラテスと一般市民が一対一で対話を行えるようにして置きます。もう一つの哲学対話室では数人が一緒に対話を行なえるようにして置きます。
    オ 数人で哲学対話を行う哲学対話室では、先ずソクラテス等が基調演説を行い、その演説に基づき対話を重ねて行くものとします。
    カ 一対一の哲学対話室では全く自由にその時々のそれぞれの哲学テーマについて対話を進めていくものとします。
    ク 哲学フォーラム開設時間中には、数人による哲学対話が1組、一対一の哲学対話が2組以上同時進行で行えるような体制とするものとします。なお、多くの一対一の哲学対話が行われるようになればなるだけ、その哲学フォーラムの魅力が増す事になります。その哲学フォーラムに行けば、自分に関心のある事について対話が出来るからです。その為には、なるべく多くのソクラテスが常駐している事が必要となります。
    コ ソクラテス(その哲学フォーラムの会員)は、哲学に関する自らの考えを纏めた作文を(A4版,10頁以上)を作成するものとします。哲学フォーラムではそれぞれの作文を作文集として纏め、哲学フォーラムに備え付け、一般市民の閲覧に供するものとします。一般市民はその作文集を見て、対話の相手を決める事になります。
  ⑨ 哲学フォーラム都道府県は、全ての各公民館に哲学フォーラムが設置されるよう
の支援するものとします。
⑩ 哲学フォーラム都道府県では、全ての公民館の哲学フォーラムの情報(各哲学フォーラムの開設時間、ソクラテスの氏名及び作文等)を集約し、一般県民に提供するものとします。
⑪ 哲学フォーラム都道府県では、各公民館に設置されている哲学フォーラムの交流会等を行うものとします。
⑫ 哲学フォーラム都道府県では、哲学的対話の機運の醸成を図る為、簡単な『哲学読本』を作成するものとします。また講演会等を実施するものとします。
⑬ 全ての公民館に哲学フォーラムが設置された暁には、哲学フォーラム都道府県は、小中高校への哲学フォーラムの設置を試行するものとします。なお、小中高校への哲学フォーラムの設置は、哲学フォーラム都道府県と都道府県教育委員会が協力して行うものとします。
⑭ 全ての公民館に哲学フォーラムが設置された暁には、哲学フォーラム都道府県の全国的連携組織として『哲学フォーラム日本』を組織するものとします。
⑮ 『哲学フォーラム日本』では次の事を行う事とします。
 ア 公民館等に設置されている哲学フォーラム関する情報の国民への提供
   イ 哲学フォーラムの在り方の研究
   ウ 機関紙「哲学フォーラム日本」の刊行
   エ 『哲学読本大全(全100巻)』の作成
   オ 哲学一貫教育の研究
   カ 哲学的風土づくりの研究
  ⑯ 全国の全ての公民館に設置される哲学フォーラムについては、毎週土曜日の午後2時から午後5時までは必ず開設するものとします。それ以外の日時の開設は、各フォーラムがそれぞれ実情に応じて決めるものとします。
  ⑰ 全国の国立大学の教育学部に設置される哲学フォーラム都道府県(大学図書館の小会議室を利用する)についても、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで必ず開設するものとします。

4 日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が設置される事による効果
  ① 全ての国民に哲学への関心が高まる。
  ② 哲学フォーラム巡りが、一つの社会的な運動となる。
  ③ 哲学フォーラム巡りで、日本各地に哲学的友(知己)を作る事が出来る。
  ④ 哲学フォーラム巡りにおいて、若者が一生の師を見付ける事が出来る。
  ⑤ 哲学フォーラム巡りにおいて、若者は多くの哲学者(知恵を愛する者)を知る。
⑥ 哲学フォーラム巡りが、若者にとってのイニシエーション(通過儀礼)となる。
  ⑤ 哲学フォーラムに、優秀な哲学者(ソクラテス)が集る事になる。
  ⑥ 哲学フォーラムから、優秀な哲学者(プラトン)が生まれる事になる。
  ⑦ 哲学フォーラムが、若者の哲学的素養を育てる事になる。
  ⑧ 哲学フォーラムが、響き合い、哲学的風土が生まれる。
  ⑨ 哲学フォーラムが、若者の知恵比べの場となる。
  ⑩ 哲学フォーラムにおいて、世代を超えた対話が行われる事になる。
  ⑪ 哲学フォーラムにおいて、老人より若者への知恵の伝達が行われる。
  ⑫ 哲学フォーラムにおいて、以心伝心、口伝、秘伝が行われる。
  ⑬ 哲学フォーラムにおける一対一の対話により、多くの悩みが解決される。
  ⑭ 哲学フォーラムにおける一対一の対話により、哲学、すなわち知恵を愛する事の楽しみが国民に広がり、日本は哲学国家への道を歩む事となる。これが哲学フォーラムの最終目標となる。
________________________________________

別稿
小中高校に設置する哲学対話室について

 私は前稿、すなわち大学の教育学部の哲学の先生方に出す書簡文を書き終えた後、暫くそのままにして置きました。
 そして、今回それを形あるものしようと思った時、小中高校に設置する哲学対話室について、新たな可能性を見い出したのです。
 それは、この哲学対話室が、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちを救う最も有効な方法だと気付いたのです。
 しかし、前稿で述べたような方法ではその効果が全く出ないので、ここに新たな仕組みを提案する事にしました。

 前稿で述べた哲学対話室ついては、どちらかと言うと哲学的に優秀な児童生徒を育成する為のものでした。
 その仕組みは、プラトンの「饗宴」と同じです。
 すなわち、ソクラテス(哲学的素養に優れた哲学ボランティア)を中心に、様々な哲学テーマについて、数人でまたは一対一で、対話(弁証)を重ねると言う方法です。
 これにより、この哲学対話に参加する児童生徒の哲学能力は素晴らしいものに成って行く事は確かです。
 しかし、この哲学対話に参加する児童生徒は、元々哲学的素養のある児童生徒たちです。
 この哲学対話室には、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは参加する事はありません。
 何故ならあまりにもハードルが高いからです。

 私はここで思ったのです。
 いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは何に落ちこぼれているのかと。
 そして分かったのです。
 彼らが「ことば」に落ちこぼれている事が。

 哲学とは何でしょう。
 それはphilosophia、知恵を愛する事。
 それでは知恵を愛するとはどう言う事でしょう。
 それは「ことば」を愛する事。
 
 そうです。
 彼らは、「ことば」を愛する事に落ちこぼれているのです。
 原因が分かれば解決は簡単です。
 彼らに「ことば」を愛する術を教えて上げれば良いのです。
 その方法が哲学対話室と言う事になります。

 しかし前稿で述べた哲学対話室では、哲学的に優秀な生徒とあまりにも格差があり、一緒に遣って行く事は出来ません。
 ここに新たな仕組みが必要となるのです。
 その仕組みが、二つの哲学対話室です。
 一つは、前稿で述べた哲学対話室です。
 この哲学対話室では、勿論一対一の対話も行なわれますが、通常は数人が一緒に対話する事を想定しています。
 この哲学対話室の基本はフォーラム、すなわち広場です。
 すなわち誰でも自由に勝手にです。
 この様な中に、「ことば」を愛する術を知らない者は入って行く事は出来ません。
 彼らの為にもう一つ特別な哲学対話室を作って上げなければならないのです。
 その哲学対話室が一対一専用の哲学対話室です。

 「ことば」を愛する事に落ちこぼれている者は、どの様に「ことば」を愛して良いのか分かりません。
 先ずは、この一対一専用の哲学対話室において、哲学ボランティア‘ソクラテス’が今の彼の「ことば」を全て聴いて上げなければなりません。
 彼は‘ソクラテス’誘導の下に「ことば」を語り続けている内に、段々にその「ことば」が発せられる源泉の様なものに気付いて来ます。
 そして、今の「ことば」を全部語り終えた時に、その源泉から次々に新たな「ことば」が生まれて来る事に気付いて来ます。
 ここまで来れば、「ことば」を愛する方法、知恵を愛する方法が分かって来ます。
 すなわち哲学の何たるかを知るようになるのです。
 ここまで来ればもう立派な哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)と成るのです。
 
‘ソクラテス’は産婆役に徹しなければなりません。
 *彼らが次々に「ことば」を生み出すように。そして最後には真善美に溢れた「ことば」を生み出すように。
 一対一専用の哲学対話室は、哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)育成の為の予備校となるのです。
 ここで「ことば」を愛する術を知った者は、自ら「饗宴」、すなわち通常の哲学対話室に飛び込む事となるのです。
 
「饗宴」すなわち通常の哲学対話室におけるソクラテス(哲学ボランティア)はある程度哲学素養があれば良いのですが、一対一専用の哲学対話室における‘ソクラテス’は、知恵を愛する事、「ことば」を愛する事に優れた者でなくてはなりません。

以上が「小中高校に設置する哲学対話室」に関する新たな発想でした。


 
 ※「ことば」を愛する事に落ちこぼれていた児童生徒が、「ことば」を愛するように成った時、その児童生徒の学力は目覚しく伸びる事に成ります。
  何故なら、「ことば」は全てを愛するようになるからです。
  「ことば」を愛するとは「知恵」を愛する事。知恵を愛するとは哲学。
  哲学は根源へと向かい、その根源から世界を再構築する。

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別稿
哲学フォーラム(哲学対話室)の意義

哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
それは真善美に溢れたことばを愛する事。
これは全ての人の心の中にある欲求です。
しかし今の日本においてはこの事が等閑にされています。

それは何故か。
それは日本があまりにも軽佻浮薄の時代に泥んで来たからです。
真面目な事を話す事はうざい事。
これが日本の風潮です。

こんな時代にどうして、真善美に溢れたことばを発する事が出来るでしょう。
しかしそれでも多くの人々が真善美に溢れたことばに渇望しているのです。
しかし世に向かってそのことばを発する事は出来ない。
この事は、何時の時代でも程度の差こそあれ同じではありますが、日本はあまりにも酷い。

この世とかの世。
この世とは私たちが住んでいるこの現実世界、かの世とは私たちが思い描く理想世界。
この世とかの世と繋ぐのもまた哲学の役目です。
 すなわちかの世のことばをこの世のことばに翻訳し直す事です。
 その為にも哲学対話が必要なのです。

 一人では独善に成りがちです。
 二人で、三人でまたはもっと多くの人数でそれぞれの理想を語り合う。
 そこに共通のものも見い出す。
 それがその人の当座の普遍となります。
 その当座の普遍をこの世のことばに翻訳し直す、これも哲学の仕事です。
 その為にも哲学対話が必要となるのです。

 哲学フォーラム(哲学対話室)は、この世とかけ離れた別世界です。
 それでこそ、哲学フォーラム(哲学対話室)の意義があるのです。
 ここで彼らは理想の世界を語り合います。
 そしてその結果を、僅かかも知れませんが、この世に持ち帰るのです。
 勿論その為には、その世界に合わせて翻訳し直さなければなりませんが・・・

哲学フォーラム(哲学対話室)は、何ら恥じる事無く、真善美に溢れた言葉を語り合う場なのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)が増えれば増える程、日本は軽佻浮薄の時代から脱却していく事でしょう。
哲学フォーラム(哲学対話室)が日本中に展開されたその暁には、日本人の体質も変わっていると思います。
その時、日本人は『哲学の民』と呼ばれる事に成るのです・・・・?

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別稿
各都道府県教育委員会 小中高校教育担当課長宛 哲学教育提唱文    
各都道府県教育委員会 社会教育担当課長宛   哲学教育提唱文   
 ※この提唱文は、実際には提唱していません。

拝啓
 各都道府県教育委員会 小中高校教育担当課長┐ 
 各都道府県教育委員会 社会教育担当課長  ┘ 殿

 私は哲学一貫教育を提唱している者です。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟し行く事を目指して行う教育の事です。
 この哲学一貫教育は、5つの柱から成っています。
 
一つ目が、「小中高校哲学一貫教育」です。
 これは、文字通り、小中高校に渡って哲学教育を一貫して行うものです。
 具体的には、週2時間の哲学の授業を、小中高校の12年間に渡って実施します。
 週の最初の時間に、ある一つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編から5編程度黙読します。
 週の最後の時間に、その哲学テーマについて、その児童生徒が、その一週間に思索した結果を作文に纏めます。
 小学校低学年については、特別の配慮をしますが、単純に計算すると、小学校1年から高校3年までの12年間に、360の哲学テーマ(1年30哲学テーマ×12年間=360哲学テーマ)について、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、360の哲学テーマについて作文を書く事になります。
 これにより、世界に類例が無いと言う程に、哲学的に成熟した児童生徒が育成される事になります。
 なお、教材としては、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用します。
 哲学読本とは、各学年に相応しい30の哲学テーマについて、それぞれの哲学テーマ毎に古今東西の名著の中の名文中の名文を3編から5編程度集めたものです。
 哲学ノートとは、児童生徒が、哲学テーマについて、自ら思索した結果を纏める為のノートです。
 哲学テーマはそれぞれの学年に相応しいものを選択するものとします。
 例としては、知恵、勇気、忍耐、習慣、努力、いじめ、差別、自由、平等,平和、友情、勉強、学校、家族、国家、郷土、自然、季節、風、土、風土、命、環境、挨拶等々、様々な哲学テーマが考えられます。
 文部科学省学習指導要領「道徳」に定める、「主として自身に関する事」、「主として他の人とのかかわりに関する事」、「主として自然や崇高なものとのかかわりに関する事」「、主として集団や社会とのかかわりに関する事」の4つの分野からそれぞれバランスを取って選択するものとします。

二つ目が、「小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯にわたる哲学一貫教育」です。
具体的には、大学及び公民館等においても、哲学教育を一貫して行う事になります。
大学においては、哲学を必修として、1年から4年まで通年で、毎週1回、哲学の授業を受けるものとします。
1年及び2年は、教養哲学とし、小中高校で学んだ哲学を集大成します。
3年及び4年は、専門哲学とし、それぞれ学ぶ学科を哲学します。経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学、スポーツ哲学等々
公民館においても、毎週1回、通年で、哲学講座を開設するものとします。
なお、大学における哲学教育も、公民館における哲学教育も、俗に言う哲学文献をまなぶのではなく、大学生及び国民にとって、大事な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ事を基本とします。

三つ目が、「教育学部における徹底した哲学教育」です。
小中高校は全人教育です。
教師は、嘗て存在したソクラテス同様、知恵を愛する者(哲学者)でなくてはなりません。
教師が、知恵を愛する者(哲学者)であってこそ、児童生徒に知恵を愛する楽しさを伝える事が出来るのです。
しかし、現在の学校の教師には、この知恵を愛すると言う哲学的能力に欠けています。
この哲学的能力の無さが、現在の教育の荒廃を招いていると言っても良いと思います。
この哲学的能力を付ける為、大学教育学部において、徹底した哲学教育を行います。
なお、ここで言う哲学的能力、知恵を愛する能力とは、言葉を愛する能力と言い換えても良いと思います。
教育学部においては、哲学を必修とし、毎週3回、1年から4年まで通年で授業を受けるものとします。単位数で行くと48単位となります。
哲学の授業内容を例示すると次の通りです。
①西洋思想史・・・4単位(代表的西洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
②東洋思想史・・・4単位(代表的東洋思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
③日本思想史・・・4単位(代表的日本思想家の500編の名文中の名文から学ぶ)
④宗教・・・・・・4単位(代表的宗教の聖典の500編の名文中の名文から学ぶ)
⑤道徳・・・・・・4単位(代表的な徳に関する500編の名文中の名文から学ぶ)
⑥哲学各論・・・・16単位(哲学各論に関する2000編の名文中の名文,各論40編程度)
         「人生論」、「人間論」、「 自由論」、「平等論」、「平和論」、「幸福論」、「感情論」、「精神論」、「肉体論」、「生命論」、「死生論」、「男女論」、「青少年論」、「友情論」、「恋愛論」、「結婚論」、「家族論」、「生活論」、「習慣論」、「道徳論」、「国家論」、「社会論」、「宗教論」、「民族論」、「民俗論」、「時代論」、「革命論」、「戦争論」、「法律論」、「政治論」、「経済論」、「産業論」、「職業論」、「教育論」、「学問論」、「文化論」、「文学論」、「芸術論」、「文明論」、「科学論」、「時間論」、「自然観」、「歴史観」、「地球観」、「世界観」、「宇宙観」、「読書作文論」、「愛」論、「知恵」論、「言葉」論、「自分」論、「神」論 等々
⑦古代哲学講読・・4単位(古代哲学の古典中の古典10冊を学ぶ)
⑧教科哲学・・・・4単位(中学校の9教科を哲学する)
⑨哲学対話・・・・2単位(哲学対話の技術を学ぶ)
⑩哲学作文・・・・2単位(哲学作文の技術を学ぶ)
⑪哲学対話録作成・授業外(在学中に100の哲学対話を行いその対話録を作成する)
⑫哲学作文集作成・授業外(在学中に100の哲学テーマについての作文を作成する)

 四つ目が、「哲学読本大全(全100巻)」です。
 「哲学読本大全(全100巻)」は、小学校、中学校、高校、大学、公民館等々における哲学一貫教育の教材となるものです。
 また、日本国民における「知恵の書」とも成るものです。
 キリスト教国家においては「聖書」が、イスラム教国家においては「コーラン」が、国民を育てていきますが、日本においては「哲学読本大全(全100巻)」が、国民を育てて行く事になるのです。
 ですから、「哲学読本大全(全100巻)」は、国民の英知を結集して作成しなければならないと言う事になります。
 なお、「哲学読本大全(全100巻)」とは、国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を、それぞれ100編集めたものです。
 ここで言う、名著とは、哲学書だけでなく、聖典、経典、文学書(小説、戯曲、詩、物語、随筆、紀行文、日記等)、科学書等々全ての名著と言われるものを含みます。
 この「哲学読本大全(全100巻)」に、古今東西の偉大と言われる人々(哲学者、宗教家、教育家、文豪、芸術家、科学者、英雄等々)の知恵が凝縮される事になります。
 この「哲学読本大全(全100巻)」が哲学(知恵を愛する事)への入り口となります
 例えば、児童生徒が、『勇気』に関する、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編読んだとします。
 その児童生徒は、『勇気』関するある普遍的なものを予感するでしょう。
 そして、その中でも特に強烈な印象を与えた名文の原典を図書館等で借り、その原典を何度も何度も読む事になるのでしょう。
その中で、児童生徒は、その著者と『勇気』に関する哲学的対話を進める事になります。
 そして、自分なりに『勇気』に関する概念を身に付ける事になります。
 その概念を、哲学的に優れた人々との対話(この対話を行う場所がこれから説明する哲学フォーラム(哲学対話室)と言う事になりますが・・)により、更に深化させ、確信し、そして実践へと結び付けて行く事になるのです。
「哲学読本大全(全100巻)」は、日本国民に哲学(知恵を愛する事)の入り口を示すものとなるのです

五つ目が、「哲学フォーラム(哲学対話室)」です。
これは、日本中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すると言うものです。
哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的素養のある人(ソクラテス)と、小学生、中学生、高校生、大学生及び国民が、哲学テーマについて、対話をする場所となります。
また、小学生、中学生、高校生、大学生及び国民が、垣根を越えて、哲学的テーマについて対話する場所ともなります。
場所については、小中高校は空き教室等を、大学は大学図書館の会議室を、公民館は公民館の会議室を利用する事になります。
哲学フォーラム(哲学対話室)は、それぞれの哲学対話室に、哲学的素養のある人(ソクラテス)が常駐する事により、開設される事になります。
小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)については、課外活動として実施するものとし、毎週月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで開設するものします。
大学及び公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)のソクラテスについては、学校の教師だけでなく、哲学ボランティア“ソクラテス”を積極的に活用するものとします
大学及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)については、哲学ボランティア“ソクラテス”が十数人集り、『哲学フォーラム○○』を組織した上で、運営するものとします。

以上が『哲学一貫教育』の概要です。

この内の、一番目の「小中高校哲学一貫教育」ですが、これについては、文部科学省の学習指導要領を改訂しなければならず、哲学的成熟を待つ必要があります。

次に、二番目の「大学及び公民館における哲学教育」ですが、これについては、制度上の制約はありませんが、大学及び公民館における哲学教育の教師、講師体制が十分でないので、やはり哲学的成熟を待つ必要があります。

次に、三番目の「教育学部における哲学教育の徹底ですが、これについても制度上の制約はありませんが、教育学部における哲学教育の教師体制が十分でないので、やはり哲学的成熟を待つ必要があります。

次に、四番目の「哲学読本大全(全100巻)」ですが、これについても制度上の制約はありませんが、編集体制等についての国民的コンセンサスを得る必要があるので、やはり哲学的成熟を待つ必要があります。

次に、五番目の「哲学フォーラム(哲学対話室)」ですが、これについては、制度上の制約も、予算上の制約も、その他何の制約もありません。
設置しようと思えば、明日からでも設置出来るのです。

私は、平成20年2月3日付けの文部科学省初等中等局長宛を皮切りに、平成20年2月3日付で文部科学省生涯学習政策局長宛に、平成20年2月10日付けで内閣官房長官宛に、平成20年2月17日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛に、平成20年3月○日付で文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官宛に、平成20年4月○日付けで東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛に、それぞれ哲学一貫教育を提唱してきましたが、その中心となるのは、上記の一番目から四番目で、五番目の「哲学フォーラム(哲学対話室)」については、その付属的なものとして、提唱してきました。
 しかし、私は思ったのです。
 無理な事を言い続けても先には進まないと。
 それよりも、今出来る事から先に遣るべきだと。

 そう言う事で、今回、哲学フォーラム(哲学対話室)を一斉に大々的に提唱する事としたのです。
 その為に、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」を100部印刷し、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」送付先名簿一覧の100名の方々に送付しようと準備を進めていたのです。
しかし、その作業の最後の段階で思ったのです。
 哲学フォーラム(哲学対話室)の直接の指揮官たちは、各都道府県教育委員会の「小中高校教育担当課長殿」と「社会教育担当課長殿」でないかと・・。
 と言う事で、今回新たに、各都道府県の「小中高校教育担当課長殿」と「社会教育担当課長殿」宛に対しても提唱する事にしたのです。
 なお、各課長殿宛に冊子を印刷して送付するとなると相当に負担となるので、メールで送信させて頂く事にしました。

今回のこの各課長殿宛の提唱文も、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」に掲載する事といたしております。
 ですから、今回の提唱文ついても、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」送付先名簿一覧の100名の方々も知る事となります。
 つきましては、100名の方々とも連係を取り合い、是非哲学フォーラムの実現に向けてご尽力頂きたいと思います。

 それでは、「全ての小中高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法」と言うタイトルの下、哲学フォーラム(哲学対話室)の展開方法をお示ししたいと思います。
 なお、「全ての大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法」については、今回の冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の中で、国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生方に提唱している所です。
 その提唱の中で、国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生方には、各都道府県の哲学フォーラムの中心に成って頂く様にもお願いしている所です。
 つきましては、国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生方を中心に、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長殿と社会教育担当課長殿が協力し合って、全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂きたいと思います。
 もし、日本全国の全ての、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が設置される事になれば、日本は確かに哲学的に成熟していきます。
 この哲学的成熟の度合いに応じて、私がこれまで提唱してきた『哲学一貫教育』、すなわち
 ① 小中高校哲学一貫教育
 ② 一生涯に渡る哲学一貫教育(小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う大学、公民館、家庭等における哲学教育)
 ③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
 ④ 哲学読本大全(日本の『知恵の書』、百年・千年読み継がれる国宝的図書)
 も独りでに完成の方向に向かう事になるのです
 これにより、日本は世界に秀でた哲学国家と成るのです

 哲学、知恵を愛するとは、人間の根源的欲求です。
 哲学フォーラム(哲学対話室)で、その根源的欲求が開放されます。
 哲学の本質は、『汝自身を知れ』
 哲学フォーラム(哲学対話室)で、その素晴らしき自分自身を確認します
 哲学とは真善美を求める事。
 哲学フォーラム(哲学対話室)に、真善美の花が咲き誇ります。
 
 哲学フォーラム(哲学対話室)が、日本全土に展開される事により、日本国民は確かに哲学的成熟して行くのです。

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別稿
全ての小中高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法

1 趣旨
  各都道府県の全ての小中高校及び全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法を述べる。

2 哲学フォーラム(哲学対話室)連絡会
  各都道府県に設置されている国立大学教育学部(教育大学)の哲学教育の先生、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長及び社会教育担当課長並びに各都道府県公民館連絡協議会長の四者で「哲学フォーラム(哲学対話室)連絡会」を設置する。
  この連絡会は、審議機関的な存在とする。

3 哲学フォーラム都道府県の設置
  国立大学教育学部(教育大学)哲学教室を事務局として、哲学フォーラム都道府県を設置する。
  この哲学フォーラムは、大学教師、小中高校教師、教育行政関係者、公民館関係者、大学院生、学生、その他哲学教育に関心のある者の会員組織とする。
  哲学フォーラム都道府県では、次の事を行う。
  ① 小学校、中学校、高校、大学、公民館における哲学フォーラム(哲学対話室)の試行
並びに支援
  ② 哲学フォーラム(哲学対話室)のノウハウの研究
  ③ 哲学ボランティア‘ソクラテス’の育成
  ④ 哲学フォーラム(哲学対話室)と学校教育の連係
  ⑤ 哲学フォーラム都道府県のホームページの作成(フォーラムの様々な広報を行う)
  ⑥ 哲学一貫教育の総合的研究

4 全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法
 ① 県庁所在地の小学校、中学校、高校、各3校計9校に、哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。哲学フォーラム(哲学対話室)試行の開始。
 ② 哲学フォーラム(哲学対話室)は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設する。
 ③ 哲学フォーラム(哲学対話室)は、空き教室等を利用する。
 ④ 哲学フォーラム(哲学対話室)には、必ず二人以上のソクラテスが常駐するものとする。
 ⑤ 常駐するソクラテスの内訳は、一人がその学校の教師、他の一人が哲学ボランティアとする。なお、二人とも哲学ボランティアでも良い。
 ⑥ ソクラテスは、日替わりとする。曜日割り当てをする。哲学フォーラム(哲学対話室)を運営する為には、最低10名のソクラテスが必要となる。
 ⑦ 哲学ボランティア‘ソクラテス’については、特別の資格を要しない。哲学(知恵を愛する事)に興味のある者であれば誰でも良い。
 ⑧ その学校の哲学ボランティア‘ソクラテス’に成りたい者は、「哲学に関する児童生徒向けの作文」を学校長に提出し、受理され、かつまた学校長と哲学対話を行い、学校長が適性と判断した時、その学校の哲学ボランティア‘ソクラテス’に成る。なお、「哲学に関する児童生徒向けの作文」については、ファイルし、哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、児童生徒の供覧に供する。この作文が、哲学ボランティア‘ソクラテス’を選択する、一つの基準となる。おって、その学校の教師がソクラテスに成る時は、作文及び学校長との哲学対話は課さない。
 ⑨ 哲学ボランティア‘ソクラテス’については、哲学(知恵を愛する事)に興味があり、児童生徒と対話を通じて知恵(ことば)を伝えたい者であれば、PTAの会員、老人クラブの会員、青年クラブの会員、商工会の会員、農業クラブの会員、教師、学生等々、誰でも良い。多くの哲学ボランティア‘ソクラテス’が集まれば集る程、その学校の哲学フォーラム(哲学対話室)は活況を呈し、充実する事となる。なお、その学校の教師がソクラテスとなる時には、勤務(課外活動)として扱う。おって、哲学ボランティア‘ソクラテス’については、嘗てギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
 ⑩ 哲学フォーラム(哲学対話室)における哲学的対話を通じて、児童生徒が、哲学的素養のある様々な大人を知る事となる。これにより、児童生徒は哲学(知恵を愛する事、言葉を愛する事)において、成熟する事となる。
 ⑪ 哲学フォーラム(哲学対話室)開設当初は、哲学ボランティア‘ソクラテス’が集まらないと思われるので、哲学フォーラム都道府県の会員が強力なバックアップを行う。
 ⑫ この小中高校の各3校計9校の試行期間中、哲学フォーラム都道府県の会員は積極的に哲学ボランティア‘ソクラテス’と成り、その学校の哲学フォーラム(哲学対話室)で児童生徒と対話を行い、哲学フォーラム(哲学対話室)のノウハウを取得するものとする。
 ⑬ 哲学フォーラム都道府県の各会員は、哲学フォーラム(哲学対話室)の試行で得たノウハウを国立大学教育学部の哲学教育の教官に報告するものとする。また、教官も自ら哲学フォーラム(哲学対話室)で児童生徒と哲学対話を交わし、そのノウハウを取得するものとする。教官は、これらを纏めて、哲学フォーラム(哲学対話室)の在り方等に関する提言を行うものとする。
 ⑭ この試行期間は2年間とする。この試行期間で得たデータ、ノウハウ等を基に、全ての小学校、中学校、高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置していくものとする。
   教育委員会小中高校教育担当課長は最大限のバックアップをするものとする。
 ⑮ 小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)が成功する為には、どれだけ多くの哲学ボランティア‘ソクラテス’を集める事が出来るかに懸かっている。哲学ボランティア‘ソクラテス’は、上述した如く、哲学(知恵を愛する事、言葉を愛する事)に興味があり、対話を通じて知恵を伝えたいと言う思いがあれば誰でも良い。哲学ボランティア‘ソクラテス’を募集する場合は、そこに焦点をおかなければならない。哲学フォーラム(哲学対話室)を端的に表現すれば、それは良識のある大人と児童生徒が対話をする場所となる。これは、今の学校教育において、重視すべき事である。大人と子供の断絶!。哲学フォーラム(哲学対話室)が、大人と子供の架け橋となる。フォーラムとは広場。そこに大人と子供が集る。それは極めて自然な事。しかし日本ではその事が自然に行われていない。哲学フォーラム(哲学対話室)とは、その様な仕組みを整え、その仕組みの中で、大人と子供の対話を回復させようとするもの。勿論大人とは哲学的素養のある者=良識のある者。誰か哲学フォーラム(哲学対話室)に反対する者が居るだろうか?
 ⑯ 県庁所在地の小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)試行後、5年間で、全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものとする。具体的にそのスケジュールを示すと次の通りとなる。
20年度を大学教育学部及び教育委員会における準備期間とし、
21年度を哲学フォーラム都道府県の組織作りに充て、
22年度から23年度において「都道府県所在地の小中高校(各3校、計9校)」において試行を行い、
24年度から28年度おいて、計画的に展開し、
28年度末に全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を完了させる。
 ⑰ 各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長は、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開について、最大限の配慮を行うものとする。
 ⑱ 小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の開設者は学校長とし、運営については、その学校の“ソクラテス”グループが行うものとする。なお、“ソクラテス”グループの中に、その学校の教師が必ず2人以上入るものとする。また、学校長は、適宜それぞれのソクラテスと対話を行い、それぞれの“ソクラテス”の資質及び哲学フォーラム(哲学対話室)の運営実態を把握するものとする。
 ⑲ 小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)とその地域の公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は連係し合い、協力するものとする。児童生徒が、公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)に参加し易いような環境を作る。
 ⑳ 哲学フォーラム都道府県は、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開について、最大限協力をするものとする。なお、小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”については、なるべく哲学フォーラム都道府県の会員に成って頂くものとする。
 ○21 哲学フォーラムの展開については、文部科学省各課、各国立大学、各教育委員会、各新聞社、各放送局、各出版社等、主だった関係機関に対して、その支援をお願いしています。もし、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長殿と社会教育課長殿が連係して、一斉に旗振りをして下されば、この哲学フォーラムは一気に国民的運動へと発展して行く事になるのです。哲学フォーラムから真善美のお花が、日本全土に広がって行く事になるのです。どうか、そう言う日本の為に、お骨折りを宜しくお願いいたします。

5 全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の方法
 ① 県庁所在地の公民館3ケ所に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する。なお、その内の1ケ所は中央公民館とする。哲学フォーラム(哲学対話室)試行の開始。
 ② 公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)については、哲学ボランティア“ソクラテス”十数人で、サークル「哲学フォーラム公民館名(例:哲学フォーラム宮崎市中央公民館)」を組織し、公民館長にサークル届出を提出する事により設置される。
③ 哲学フォーラム(哲学対話室)については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設する。哲学フォーラム(哲学対話室)には、誰でも(日本国民はもとより外国人でも)、自由に、勝手に、時間に囚われずに入室出来るものとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重する。
 ④ 哲学フォーラム(哲学対話室)については、公民館の会議室を借りて行ものとする。
 ⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)には、必ず3人以上のソクラテスが常駐するものとする。
 ⑥ 公民館に設置する哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”と成る為には、サークル「哲学フォーラム公民館名」の代表者に、哲学ボランティア“ソクラテス”登録届けを行う事により、その公民館の“ソクラテス”と成る。“ソクラテス”と成る為には、哲学(知恵を愛する事)に興味があれば、資格は必要としない。ただし、登録届出と同時に、自らの『哲学に関する考えた方』を纏めた作文(A4版、5頁~10頁)を提出するものとする。この作文については、ファイルにして哲学フォーラム(哲学対話室)に備え付け、哲学フォーラム(哲学対話室)利用者の供覧に供する。これが、“ソクラテス”を知る最初の手掛りと成る。なお、哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗てギリシアに実在したソクラテスト同様、無報酬とする。
 ⑦ 哲学フォーラム(哲学対話室)においては、プラトンの「饗宴」にあるような数人における対話が1組、一対一の対話が数組、同時に行われる事が出来るような体制を整えた置くものする。一対一の対話が活発になればなるほど、そのフォーラムに多くの人が集る事になる。
⑧ 哲学フォーラム(哲学対話室)開設当初は、哲学ボランティア‘ソクラテス’が集まらないと思われるので、哲学フォーラム都道府県の会員が強力なバックアップを行う。
 ⑨ この公民館3ケ所の哲学フォーラム(哲学対話室)の試行期間中、哲学フォーラム都道府県の会員は積極的に哲学ボランティア‘ソクラテス’成り、その公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)で一般市民と対話を行い、哲学フォーラム(哲学対話室)のノウハウを取得するものとする。
 ⑩ 哲学フォーラム都道府県の各会員は、哲学フォーラム(哲学対話室)の試行で得たノウハウを国立大学教育学部の哲学教育の教官に報告するものとする。また、教官も自ら哲学フォーラム(哲学対話室)で一般市民と哲学対話を交わし、そのノウハウを取得するものとする。教官は、これらを纏めて、哲学フォーラム(哲学対話室)の在り方等に関する提言を行うものとする。
⑪ この試行期間は2年間とする。この試行期間で得たデータ、ノウハウ等を基に、全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置していくものとする。
   教育委員会社会教育担当課長は最大限のバックアップをするものとする。
 ⑫ 公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)が成功する為には、どれだけ多くの哲学ボランティア‘ソクラテス’が、その公民館の哲学フォーラムに集るかに掛かっている。哲学ボランティア‘ソクラテス’は、哲学(知恵を愛する事)に興味があり、対話を通じて知恵を伝えたいと言う思いがあれば誰でも良い。哲学フォーラム都道府県でその事の大々的なキャンペーンを張る。
 ⑬ 県庁所在地の公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)試行後、5年間で、全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するものとする。具体的にそのスケジュールを示すと次の通りとなる。
20年度をそれぞれの機関における準備期間とし、
21年度を哲学フォーラム都道府県の組織作りに充て、
22年度から23年度において「都道府県所在地の公民館3ケ所」において試行を行い、
24年度から28年度おいて、計画的に展開し、
28年度末に全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を完了させる。
 ⑭ 公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開については、哲学フォーラム都道府県は強力なバックアップを行うものとする。
 ⑮ 各都道府県教育委員会社会教育担当課長は、哲学フォーラム(哲学対話室)展開に対して協力を行うものとする。
 ⑯ 小中高校に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)とその地域の公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)は連係を図るものとする。
 ⑰ 公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)については、全ての国民に開放するものとする。これにより、哲学フォーラム(哲学対話室)巡りと言う、お遍路と同様な、社会的知的な楽しみが一つ増える事になる。
⑱ 哲学フォーラムの展開については、文部科学省各課、各国立大学、各教育委員会、各新聞社、各放送局、各出版社等、主だった関係機関に対して、その支援をお願いしています。もし、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長殿と社会教育課長殿が連係して、一斉に旗振りをして下されば、この哲学フォーラムは一気に国民的運動へと発展して行く事になるのです。哲学フォーラムから真善美のお花が、日本全土に広がって行く事になるのです。どうか、そう言う日本の為に、お骨折りを宜しくお願いいたします。

6 『哲学フォーラム都道府県』について
  哲学フォーラム都道府県については、「3の哲学フォーラムの都道府県の設置」の所で
概要を述べたが、この哲学フォーラム都道府県を中心に、各都道府県の小学校、中学校、
高校、大学、公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)が展開される事になるので、「哲学
フォーラム都道府県について」と言うタイトルで、もう少し詳しく説明を行う事とする。

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別稿 
哲学フォーラム都道府県について

1 趣旨
  哲学フォーラム都道府県は、各都道府県内の小学校、中学校、高校、大学、公民館に設置される哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”の会員組織とする。
 なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”に会員に成って頂くものとするが、全員加入ではなく、任意加入とする。

2 会員登録
  哲学フォーラム都道府県の会員に成りたい者は、哲学フォーラム都道府県の事務局に、会員登録届けと「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」(A4版5頁~10頁程度)を提出するものとする。この作文については、各哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”に登録する際に提出した作文と同じもので良い。事務局は会員番号を付与して、本人に対して、登録完了通知を行うものとする。なお、これらの遣り取りは全てメールで行うものとする。

3 会費
  入会費は0円、年会費も0円とする。

4 事務局
  事務局を、各都道府県に設置されている国立大学教育学部(教育大学)の哲学教室に置く。

5 事務局員
  事務局員は、事務局長以下、全て哲学ボランティア“ソクラテス”する。
  哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
  大学教育学部哲学教室に負担をかけない様、なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”に事務局員と成って貰う。
  
6 事業
 ① 各哲学フォーラム(哲学対話室)の支援
   特に各哲学フォーラム設立時においては、強力に支援するもとする。
哲学フォーラム都道府県の会員が、各哲学フォーラム(哲学対話室)の哲学ボランティア“ソクラテス”と成り支援する。
 ② 哲学フォーラム(哲学対話室)に関する調査研究及び提言
   特に最初の数年間(試行期間等)においては、徹底的に調査研究を行い、様々な提言を行うものとする。
 ③ 哲学ボランティア“ソクラテス”の育成
   定期的に哲学ボランティア“ソクラテス”育成講座等を開催する。
 ④ ホームページ『哲学フォーラム都道府県』の開設
   このホームページにおいて、哲学フォーラム都道府県の広報を行う。
   ホームページの内容については、次の通りとする。
   ア 全ての公民館及び大学の哲学フォーラムの紹介。
     ①哲学フォーラム名、②所在地、③電話番号、④“ソクラテス”の人員、⑤特色等  
     ※小中高校の哲学フォーラムについては、紹介しないものとする。
   イ “ソクラテス”(会員)紹介
     全ての“ソクラテス”について、会員登録の際に提出した「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」(A4版、5頁~10頁)をホームページ上に掲載する。なお、氏名については、ペンネーム、哲学名(例:哲学哲男)で良い。また、掲載を希望しない者については掲載しない。
   ウ “ソクラテス”の著作紹介コーナー
     “ソクラテス”の著作の紹介コーナーを設ける。
     これにより、それぞれの“ソクラテス”の全容を知る事が出来る。
   エ 哲学テーマに関する意見コーナー
     毎月、一つの哲学テーマを決め、各会員の意見を投稿して貰い、掲示する。
     これにより、会員の哲学に関する考え方を知る事が出来る。
     ※会員だけが意見を投稿出来るものとする。会員の考え方を広く知って貰う為のものとする。
   オ 哲学フォーラム都道府県及び各哲学フォーラムのイベント等の紹介 
     シンポジウム、セミナー等の紹介
   ※当該ホームページにおいては、会員以外からの、意見、投稿、メールは受け付けないものとする。あくまでも、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)とそれぞれの“ソクラテス”の紹介に徹する。実際の哲学対話は、このホームページの情報を元に、それぞれの哲学フォーラムにおいて、それぞれの“ソクラテス”と、目と目を合わせて行って貰うものとする。
 ⑤ 哲学一貫教育の調査研究及び試行
   ※「哲学一貫教育の調査研究及び試行」は哲学フォーラム(哲学対話室)が軌道に乗
った後、検討する。当初は俎上に上げない。二兎追う者は一兎も得ず。

7 哲学フォーラム都道府県の設立方法
  ① 教育学部哲学教室教官、都道府県教育委員会小中高校教育担当課長、同社会教育課長、都道府県公民館連絡協議会長の四者で「哲学フォーラム都道府県設立準備会」を組織する。
   この設立準備会の下に、設立準備会事務局を設置する。
   事務局員については、哲学ボランティア“ソクラテス”十数名(院生、卒業生、小中高校教師、教育行政関係者、哲学教育に関心のある者等)で組織する。
  設立準備会の実際の作業は、この局員たちが担当する。
② 設立準備会において、設立趣意書、会則、事業計画等の素案を作成する。
③ 事務局員は、これら設立趣意書、会則、事業計画書等の素案を基に、設立賛同者を募る。
④ 設立賛同者が百名に成った時、その百名の連名で、正式な「設立趣意書」を作成し、大々的に会員の募集を図る。
⑥ 哲学フォーラム都道府県の設立と同時に、事務局の中に「哲学フォーラム設立支援部」を設置する。なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”にこの哲学フォーラム設立支援部員に成って頂くものとする。哲学フォーラム設立支援の要請があったら、この部員が中心と成って設立の支援を行う。具体的には、その哲学フォーラムの哲学ボランティア“ソクラテス”と成り、各哲学フォーラムの設立当初の運営に協力する。

8 哲学フォーラム都道府県の展開計画
  日本全国に小学校が22,693校、中学校が10,995校、高校が5,313校、大学が短期大学を含めて1,190校、公民館が17,143館ある。
  これを47都道府県で割り、端数を大胆に整理すると、小学校が400校、中学校が200校、高校が100校、大学が短期大学を含めて10校、公民館が300館となる。
  これが各都道府県の平均的な学校数、公民館数である。
  全国の約半分の都道府県がこの範囲内に納まる。
  この学校数、公民館数を基に、哲学フォーラム都道府県のモデル的な展開計画を示す。
  なお、各哲学フォーラム(哲学対話室)には、10名の哲学ボランティア“ソクラテス”が必要となる。
  上記のモデルで行くと、各都道府県においては、10,100名(10名×(400校+200校+100校+10校+300館=10,100名)の哲学ボランティア“ソクラテス”(会員)が必要となる。
  この数字を基に年次計画を示す。
     会員数   哲学フォーラム数  
1年目   100名   1(哲学フォーラム都道府県の設立:大学1)
  2年目   200名 13(県庁所在地での試行:小3、中3、高3、公3、大1)
  3年目   400名 51(近隣市町村での試行:小20、中10、高5、公15、大1)
  4年目 1.000名 101(計画的展開:小 40、中 20、高 10、公 30、大1)
  5年目  2,000名 201(計画的展開:小 80、中 40、高 20、公 60、大1)
  6年目 4,000名 401(計画的展開:小160、中 80、 高 40、公120、大1)
  7年目 8,000名 801(計画的展開:小320、中160、高80、 公240、大1)
8年目 10,100名 1,010(哲学フォーラムの完成:小400、中200、高1000、公300、大学10)
※哲学ボランティア“ソクラテス”については、小学校、中学校、高校、公民館の哲
学フォーラム(哲学対話室)のソクラテスを出来るだけ兼務して貰うものとする。そ
れにより、ソクラテスの視野も大きくなり、哲学的対話の幅も広がる。この事により、
実際には、上記会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)の数は、半分以下で足りる事
となる。

9 哲学ボランティア“ソクラテス”について
 ① 哲学ボランティア“ソクラテス”については、哲学(知恵を愛する事)が好きであれば、如何なる資格も必要としない。
 ② 小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”に成りたい者は、それぞれの哲学フォーラムに「“ソクラテス”登録届け」と「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出する事により、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”に成る。
 ③ 哲学フォーラム都道府県の会員に成りたい者は、「会員登録届け」と「自らの哲学に関する考え方を纏めた作文」を提出する事により、哲学フォーラム都道府県の会員に成る。
 ④ 小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”は、なるべく哲学フォーラム都道府県の会員に成って頂くものとするが、任意加入とする。
 ⑤ 哲学ボランティア“ソクラテス”については、なるべく小学校、中学校、高校、公民館の哲学フォーラムの“ソクラテス”を兼務して貰うものとする。
 ⑥ 哲学ボランティア“ソクラテス”については、なるべく多くのご老人に成って貰う。ご老人の知恵を若者に伝達する。
 ⑦ 哲学ボランティア“ソクラテス”については、読書能力、思索能力、作文能力、対話能力そして徳の実践力のある事に越した事は無いが、しかし敢えてこれらの能力は問わない。唯一、問うのは、哲学(知恵を愛する事)が大好きである事である。

10 哲学フォーラム日本の設立
  哲学フォーラム都道府県がある程度成熟したら、哲学フォーラム都道府県の連係組織と
して、哲学フォーラム日本を設立する。
 この哲学フォーラム日本が、日本の哲学一貫教育のセンターと成って行く。

11 哲学フォーラムにおける『哲学』の意味
  哲学フォーラムにおける『哲学』とは、philosophia、知恵を愛する事。
  知恵を愛するとは、真善美に溢れた言葉を愛する事。
  それは真善美に溢れた本当の自分自身を愛する事。
  哲学フォーラムにおける『哲学』とは、決して、デカルト、カント、ショウペンハウワー等の哲学文献を研究する事ではない。
  この定義付けにより、全ての日本国民に哲学が開放されるのである。
  これにより、全ての日本国民が哲学者(知恵を愛する者)と成り得るのである。

  哲学フォーラムは、日本国民が哲学者と成る為の第一歩である。
  そして、哲学一貫教育の完成により、多くの日本国民が哲学者と成って行く。
 敬具

平成20年11月 日
哲学哲男

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別稿
東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛哲学一貫教育提唱文

拝啓 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官 殿

 私は哲学教育に非常に関心を持っている者です。
 何故なら、哲学教育により、日本が素晴らしい国家に成って行くからです。
 哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事。
 それは真善美を愛し、追求する事。
 それは本当の自分を愛し、追求する事。
 
もし日本の全ての人が哲学的に成熟したらどうなるのでしょう。
日本は劇的に変るのではないでしょうか。
私はその為の教育プログラムを開発しました。
それが『哲学一貫教育』です。

哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟して行く事を目ざして行う教育の事です。
そして、その中心となるのが『小中高校哲学一貫教育』です。

小中高校哲学一貫教育とは、文字通り、小学校、中学校、高校に渡って、哲学教育を一貫して行う教育の事です。
具体的には、小学校、中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、授業時間週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させます。

授業については、週の最初の時間(月曜日の1限目)に『哲学読本』を読み、週の最後の時間(例えば金曜日の6限目)に哲学読本の読書を契機とした自由作文を『哲学ノート』に書く事になります。
哲学読本とは、それぞれの学年に相応しい哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
具体的には各学年ごとに30の哲学テーマ(1週間で1哲学テーマとします)を設定し、それぞれのテーマについて、古今東西の名文中の名文を3編から5編程度集めたものです。

授業の進め方は次のようになります。
月曜日の1限目に、ある哲学テーマ(例えば勇気)について、『哲学読本』の中の古今東西の名文中の名文を3編から5編程度黙読します。
児童生徒は、この時間にその哲学テーマ(例えば勇気)について、様々に考えます。
また、金曜日の6限目までに、意識的、無意識的にその哲学テーマ(例えば勇気)について考えるかも知れません。
また、本などで、その哲学テーマ(例えば勇気)について、調べるかも知れません。
また、友達や両親やソクラテスと、その哲学テーマ(例えば勇気)について、語り合うかも知れません。
金曜日の6限目に、その哲学テーマ(例えば勇気)について更に考え、そしてその考えを『哲学ノート』に作文として纏めていきます。
これで、哲学の1週間の授業サイクルが終わりです。

また、小中高校哲学一貫教育においては、学校図書館に隣接して、学校の規模に応じて、1から5の哲学対話室を設置します。
哲学対話室は、午後の3時から5時まで開室するものとします。
哲学対話室には、哲学的素養のある教師や哲学ボランティア(ソクラテス)が常駐するものとします。
哲学対話室において、児童生徒は哲学的素養のある大人と知恵の火花を散らす事になります。

以上が小中学校哲学一貫教育です。
小中高校哲学一貫教育の基本は、読書と作文と対話と思索です。
この内の、読書と作文を授業で行い、対話は課外で行われます。
思索については、いずれの場合においても必然に行われる事となります。

小中高校哲学一貫教育はとても簡単な教育方法です。
しかしその効果は絶大なものがあります。
もし、自ら学び、自ら考える児童生徒を育成する事が教育の目標なら、この小中高校哲学一貫教育より、効果のある教育方法は無いと思います。
何故なら、哲学とはphilosophia知恵を愛する事、それは正に自らを学び自らを考える事なのですから。

小中高校哲学一貫教育はとても簡単な教育方法ですが、これが成功する為には二つの条件が必要です。
一つは優れた哲学読本であり、一つは教育学部における徹底した哲学教育です。
何故、優れた哲学読本が必要かと言えば、哲学読本により児童生徒の魂を揺さぶる事から、哲学教育が始まるからです。
何故、教育学部における徹底した哲学教育が必要かと言えば、哲学的に成熟した教師の下でこそ、児童生徒の哲学的能力(知恵を愛する能力、真善美を愛する能力)も伸びていくからです。

ここで、先生を含めて、東京学芸大学「哲学・倫理学分野」の6名の先生方にお願いしたい事があります。
それは、東京学芸大学において小中高校哲学一貫教育を試行して頂きたいと言う事です。
現在の所、小中高校哲学一貫教育を試行する能力があるのは、東京学芸大学だけだと思います。
もし、東京学芸大学の試行が成功すれば、その試行は全国の大学の教育学部に広がって行くと思います。
全国の大学の教育学部での試行が成功すれば、本格的な小中高校哲学一貫教育の実施については、それ程時間を要しないと思います。

当面行う試行の内容は、①中学生の為の哲学読本の作成と、②東京学芸大学付属中学校1年及び2年生を対象とした哲学教育の試行と、③教育学部における徹底した哲学教育の試行です。
下記に試案を示して置きますので、これを叩き台として下さい。
教育を再生すると言うのであれば、小中高校哲学一貫教育しか無いと思います。
そして、そのスタートは東京学芸大学以外に無いと思います。

どうか日本の明るい未来の為にご検討下さるようお願い申し上げます。
敬具

平成20年3月30日
哲学哲男


追伸
私はこれまで国の関係機関に次のとおり哲学一貫教育を提唱しています。
これらを同封して置きますので、ご参考にして下さい。
なお、現在の私の考え方を最も詳しく纏めたものは、4番目のものです。
今回の書簡では、「一生涯に渡る哲学一貫教育」の事については述べていませんが、これについても4番目の提唱の中に記載してあります。
①平成20年2月3日付け初等中等教育局長殿あて
②平成20年2月10日付け生涯学習政策局長殿あて
③平成20年2月17日付け内閣官房長官殿あて
④平成20年3月9日付け初等中等教育局教育課程課長殿あて
⑤平成20年3月18日付け●●学校教育官兼道徳教育調査官殿あて

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別稿
中学生の為の哲学読本の作成について

1 趣旨
 東京学芸大学付属中学校の1年及び2年生を対象とした哲学教育試行の為、「中学生の為の哲学読本」を作成する。
 なお、当該事業については、文部科学省の補助を受けて行うものとする。

2 作成主体
 「哲学・倫理学分野」の6名の教師を主体とする「中学生の為の哲学読本作成検討委員会」とする。

3 作成方法
 ① 中学生に学ばせたい60の哲学テーマを選定する。
 ② 東京学芸大学の全ての教師及び同大学付属学校の全ての教師を対象に、選定した60の哲学テーマに関する、中学生に読ませたい古今東西の名著の中の名文中の名文の本の写しを、一人当たり10編から100編、提出して貰う。
   一名文の文章量は、4000字以内とする。
   一名文の文章量は、その一文の中で起承転結がしっかりしており、その一文だけで大意がはっきり分かる程度の分量とする。
   なお、名著とは、哲学書だけでなく、文学書(小説、物語、随筆、評論、詩、戯曲)他、全ての名著に及ぶものとする。その哲学テーマに関して書かれてある、名文を切り取る。
③ 提出のあった名文をスキャナーでパソコンに読み込み、テキスト化処理し、それぞれの哲学テーマごとに、それぞれの名文を、A4、横書き、3段組、1頁に整理し収める。
   これで「中学生の為の哲学読本資料集」の完成である。
   この資料集については、可能であればウェブ上で公開する。
    なお、この「中学生の為の哲学読本資料集」については、試行の対象となる学級においては、オンデマンド印刷を行い、数冊備え付けるものとする。    
④ 「中学生の為の哲学読本資料集」を基に、60の哲学テーマそれぞれごとに、古今東西の名文中の名文を5編程度(1授業時間で黙読し熟考できる程度の分量とする)選定し、全ての本文にルビを付し、またそれぞれの名文ごとに簡単な書誌を作成し、更に巻頭言等を付して『中学生の為の哲学読本』を完成させる。
⑤ 哲学テーマ例としては、勇気、忍耐、節制、寛容、親切、協力、礼儀、自由、平等、平和、良心、道徳、義務、習慣、努力、勉強、仕事、人生、幸福、友情、家族、青年、大人、男女、人間、国家、郷土、伝統、文化、生活、法、社会、情報、科学、現代、時間、世界、自然、季節、天候、風土、地球、生物、生命、環境、愛、知恵、真善美、言葉、力、意志、自分等々が考えられる。中学生は中学生なりに自分の世界を見詰める必要がある。

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別稿
東京学芸大学付属中学校1年及び2年生を対象とした哲学教育の試行について

1 趣旨
     小中高校哲学一貫教育の実現を目指し、東京学芸大学付属中学校1年生及び2年生を対象に、哲学教育を試行する。
  当面は直属の付属中学校1校で実施するものとする。
  なお、当該事業については、文部科学省の補助を受けて行うものとする。  

2 実施主体
 「哲学・倫理学分野」の6名の教師を主体とする「中学1年生及び2年生を対象とした哲学教育実施検討評価委員会」とする。

3 試行の内容
  ① 哲学読本について
    ア 別記の「中学生の為の哲学読本の作成について」により、作成した哲学読本を使用する。
    イ 哲学読本については、中学校1年及び2年を通じて、同じ読本を使用するものとする。
    ウ 哲学テーマは、中学校1年及び2年を通じて、全部で60とする。学年ごとの哲学テーマ数は各30とする。    
     エ 一つの哲学テーマに関して、古今東西の名文中の名文を5編程度掲載する。
     オ 1授業時間に、一つの哲学テーマに関する古今東西の名文中の名文を5編程度黙読する事となる。
  ② 哲学ノートについて
    ア 哲学読本の読書等の契機とした、哲学テーマに関する自由作文を書く為のノートとする。
    イ 哲学ノートについては、中学校1年及び2年を通じて、同じノートを使用する。
  ウ 1授業時間に、一つの哲学テーマに関する自由作文を、哲学ノートに書く事 になる。
  エ 中学校1年及び2年を通じて、全部で60の哲学テーマに関する自由作文を、哲学ノートに書く事になる。
  オ エの哲学テーマとは別に、中学校1年の最初の授業時と、中学2年の最後の授業時に、「道徳について」のテーマで、哲学ノートに自由作文を書かせる。
    これにより、各自の言語能力、道徳性の発達の度合いを測定する。
  ③ 哲学の授業の進め方について
    ア 月曜日の1限目に哲学読本を読み、金曜日の6限目に哲学読本の読書等を契機とした自由作文を哲学ノートに書く。
    イ 授業時間における教師の役割は、授業の開始と終了の合図、及び授業時間の静謐の確保とする。
    ウ 授業時間においては、生徒の発言も許さないものとする。
    エ 哲学の授業時間(月曜日の1限目と金曜日の6限目)には、学校が静謐に包まれる事になる。
    オ 生徒は、静謐の中で、読書及び作文を契機として、自分自身を学び、自分自身を考える。
    カ 優秀な生徒たちは、哲学読本の読書を契機として、その哲学テーマ(例えば勇気)について、授業時間以外にも自分自身で考え、友達や両親やソクラテス(哲学ボランティア等)と語り合い、更には哲学読本資料集【一つの哲学テーマ(例えば勇気)について100編以上の古今東西の名文中の名文を集めた資料集】を読み、それらに基づき、その哲学テーマ(例えば勇気)について、自由作文を哲学ノートに書く事になる。これにより、毎週毎週、世界に類例のない優秀な作文群が創出される事になる。これにより、学校の中に哲学的風土(知恵を愛し、求める風土)が生まれる事になる。
    キ 哲学については、道徳、総合学習と同じく、生徒の評価は行わない。
    ク 教師は、作文を読み込む必要なない。作文を書いているか否かだけの確認で良い。勿論、全ての作文を読み込んで、生徒を理解する事が大いに結構な事だが、毎週30もの作文を読む事は物理的に難しい。哲学の授業の本質は自らを学び自らを考える事にある。なお、評価の所に述べているが、中学校2年の最終時に、生徒の道徳性及び言語能力の発達の度合いを測定する事になる。
    コ 哲学の授業における教師の役割は、生徒が自らを学び、自らを考える態度を育成させる事にある。その為には、哲学の授業の時間(月曜日の1限目と金曜日の6限目)に静謐を保つだけで良い。静謐が保たれれば、そして読書及び作文に打ち込めば、自らを学び、自らを考えない訳にはいかない。
    ④ 哲学読本資料集
    ア 別記の「中学生の為の哲学読本の作成について」により作成した哲学読本資料集については、試行を行う学級にはオンデマンド印刷により、数冊備えるものとする。予算的な制約があるのであれば、少なくとも1冊は必ず備えるものとする。
    イ この哲学読本資料集が、試行を行う学芸大学付属中学校を、世界に類例のない、哲学的に優れた学校に育てる事となる。
    ウ 哲学読本資料集は、60の哲学テーマのそれぞれ一つのテーマごとに、多分100以上の古今東西の名文中の名文が集る事になる。もし、大学の教師及び付属学校の教師それぞれ一人当たり、60の哲学テーマそれぞれごとに、古今東西の名文中の名文を1編提出させたら、一つの哲学テーマに関して、その教師の数だけの古今東西の名文中の名文が集る事になるのである。哲学読本資料集についてはその様な方向で作成するものとする。すなわち、全ての大学及び付属学校の教師にそれぞれの哲学テーマに関して1編以上を提出して貰う。
    エ 哲学読本資料集は世界の英知である共に、東京学芸大学の英知でもある。生徒はその名文の真意を確かめたい時は、その名文を選んだ教師に直接に問う事もできる。  
オ 哲学読本は、その学校の生徒の哲学的能力の底上げを図るものであり、哲学読本資料集は真に優秀な生徒を育成する為のものである。 
  ⑤ 哲学対話室について
    ア 学校図書館に隣接して、または空教室等を利用して、5つの哲学対話室を設置する。
    イ 哲学対話室は、午後3時から5時まで開室するものとする。
    ウ 哲学対話室には、哲学ボランティア(ソクラテス)が常駐するものとする。
    エ 哲学ボランティア(ソクラテス)としては、学芸大学の教師、学院生、学生、付属学校の教師、父兄その他哲学教育に関心のある者なら誰でも良い。
    オ この哲学対話室で、生徒と大人の知恵比べが展開される事になる。
    カ この哲学対話室で、真に優秀な生徒が育成される事になる。
    キ この哲学対話室で、生徒は尊敬する大人を見出す事になる。
    ケ この哲学対話室で、「知恵とは何か」、「自分自身を知れとはどういう意味か」等々をおぼろげながら知る事になる。
    コ この哲学対和室こそが、正に全人教育の場となる。
    サ この哲学対話室から、プラトンが生まれる事になる。
    シ この哲学対話室が、日本のアカデミア発祥の地となる。
    ス この哲学対話室が、・・・・・。切がありません。
    ソ 哲学対話室が哲学一貫教育の完成の場となる。
    タ なお、「一生涯に渡る哲学一貫教育」においては、小学校、中学校、高校、大学、図書館、公民館等々、様々な教育学習機関に哲学対話室を設置する事になっています。この哲学対話室で、大人と子供が世代を超えて、知恵の火花を散らす事になります。ここから、日本に哲学的風土(知恵を愛し、真善美を追求し、本当の自分自身を追及する風土、「汝自身を知れ」を知る風土)が生まれる事になります。
 ⑥ 哲学の授業時間の創出方法について
    ア 道徳の授業時間と総合学習の授業時間の一部を回して、週2時間の哲学の授業とする。
    イ 「哲学」の文言を使う事が、法令上許されないのなら、現行の「道徳」と「総合学習」の文言をそのまま使用して、上記の哲学教育を実施する。「哲学読本」と「哲学ノート」については、「道徳読本」と「作文ノート」としても良い。
      道徳の時間に「道徳読本」を読み、総合学習の時間に「作文ノート」に作文を書く。
  ⑦ 哲学教育の評価について
    ア 試行を行う学校では、中学校1年の最初の授業時と、中学校2年の最後の授業時に「道徳について」をテーマとした自由作文を書かせる。
      これにより、試行を行った学校の生徒の、言語能力及び道徳性の発達の度合いを測定する。
    イ 試行を行わない学校においては、中学2年の最後の道徳の時間に、「道徳について」をテーマとした自由作文を書かせる。
      これにより、試行を行った学校と試行を行わなかった学校の生徒の、言語能力及び道徳性の発達の度合いを測定する。    
  ⑧ 教育学部哲学教育との連携について
    小中高校哲学一貫教育を充実させる為に、教育学部において、徹底した哲学教育を行う。

教育学部における徹底した哲学教育の試行について           
省略

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別稿
文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛 哲学一貫教育提唱文

拝啓 初等中等教育局教育課程課長 殿

 現在、小学校学習指導要領及中学校学習指導要領に関して意見の公募を行なっているとの事、私も国民の一人として意見を述べさせて頂きます。

今回の学習指導要領の改訂で目指している事は、学力の向上であり、道徳教育の充実であり、言語教育の充実だと思います。
この内の学力の向上については、授業時間数の増加の割合に応じて、その効果は出て来ると思います。
もし現在の学力水準が世界10位であるのであれば、その授業時間数の増加割合に応じて、世界の8位か9位くらいにはなると思います。
しかし、道徳教育と言語教育の充実については、何も望めないと思います。
何故なら、現在の学習指導要領と何ら変りが無いからです。

道徳教育の充実と言語教育の充実の為に必要な事、それは良き教材と徹底した反復です。
しかし、今回の学習指導要領では良き教材は望めません。
何故なら教材の作成を現場に任せているからです。
良き教材は国民の英知を結集して作成しなければなりません。
良き教材であれば、児童生徒はひとりでに啓発されていくものなのです。

また、今回の学習指導要領では徹底した反復も望めません。
何故なら、道徳の授業時間数はそのままだし、言語教育を充実させる為の時間も特別に確保していないからです。
なお、主要教科において、言語教育の充実を図ろうとしているようですが、その効果はありません。もし主要教科において言語教育の徹底を図ろうとすれば、現場は混乱し、今回の一番の目的である学力の向上も覚束無くなります。「二兎負う者は一兎も得ず」です。何故なら、現在の各教科の教師にそれだけの言語能力がないからです。

それではどの様な方法があるのか。
『哲学一貫教育』です。
これにより、日本の学力水準は世界に飛び抜けて一位となり、日本人の道徳性及び言語能力は世界に羨望されるほどのものとなるのです・・・。

『哲学一貫教育』、
それは日本国民に哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民になる事を目指すものです。
この哲学一貫教育には二つの概念があります。
一つは「小中高校哲学一貫教育」であり、他の一つは小中高校哲学一貫教育を土台とした、「一生涯にわたる哲学一貫教育」です。
これらについては、下記1の「小中高校哲学一貫教育について」及び下記3の「一生涯にわたる哲学一貫教育」に詳述していますのでご覧頂きたいと思いますが、現在問題としているのは小学校及び中学校の学習指導要領ですので、ここでは、「小中高校哲学一貫教育」に限ってその概要を簡単に説明していきたいと思います。
なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美等を求める事と解して下さい。
この概念が哲学一貫教育を貫く概念となります。

それでは、「小中高校哲学一貫教育」について、箇条書きでその概要を説明していきます。
 ① 小学校、中学校の「道徳」を廃止し、「哲学」とし、授業時間を週2時間とする。
   高校の「倫理」を廃止し、「哲学」としかつ必修とし、授業時間を週2時間とする。
   これにより、授業時間週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
 ② 哲学一貫教育の対象は、「読書」と「思索」と「作文」と「対話」とし、この内、「読書」と「思索」と「作文」を授業の対象とし、「対話」は課外で行われるものとする。
 ③ 週の最初の時間に「読書」を行い、週の最後の時間に「作文」を行う。
   なお、「思索」はそれぞれの時間に当然に行われる。
 ④ 読書用として『哲学読本』を、作文用として『哲学ノート』を学年ごと作成する。   
 ⑤ 学年ごとに、それぞれの学年に相応しい哲学テーマ(知恵、勇気、忍耐、節制、寛容、愛、友達、勉強、人生、仕事、社会、環境、自然等々、哲学テーマ例については下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事)を30程度選択する。
 ⑥ 『哲学読本』は、一つの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度掲載したものとする。
   読書の時間には、一つの哲学テーマに関する古今東西の名文中の名文を3編程度読む事になる。
 ⑦ 『哲学ノート』は、哲学読本の読書を契機とした、その哲学テーマに関する作文を書く為のノートとする。なお、作文は読書感想文ではなく、そのテーマに関する自由作文とする。
 ⑧ 学校図書館に隣接して、学校の規模に応じて、『哲学対話室』を1から5設置する。
   哲学対話室おいては、児童生徒が哲学的素養のある教師や学校外の哲学的素養のある大人と哲学対話を行なう。
   児童生徒は自らの知恵の総力を上げて教師や大人に向かう事になる。
また、哲学対話室においては、学級、学年を超えた児童生徒間の哲学対話も行なわれる。
 ⑨ 哲学の授業において、教科や教科の単元や必要な場合には教科の単元の中の言葉や公式も哲学する。
   哲学教育と教科教育のすみ分けを行なう。
   教科教育においては徹底して正確な知識の伝授を行う。
   哲学教育おいて知恵(道徳、言語)を学ぶ。
   哲学教育と教科教育の両輪により、知恵と知識のバランスの取れた児童生徒を育成する。
 ⑩ 総合学習や特別活動は、哲学の授業で自らが学んだ概念の実験体験体感の場となる。この事は特別に位置づけをしなくても当然にそうなる。何故なら、哲学とは自らと自らの関係に関する全ての事を学ぶ事だからである。
 ⑪ 哲学一貫教育の目的は、自ら学び、自ら考え、自らにおいて真善美等を自らのものしようとする児童生徒を育成する事にある。

以上が「小中高校哲学一貫教育」の概要です。
 どうです。
 道徳性と言語能力に優れ、学習意欲の高い児童生徒が育成されたでしょう・・。

 小中高校12年間において、360(1年30テーマ×(6年+3年+3年)=360)の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、そして360の哲学テーマについて作文を書く事になるのです。
これにより、児童生徒の言語能力が如何に向上するか、敢えて言う必要は無いと思いま
す。
そしてその哲学テーマとは全て道徳性に絡むものです。
これにより、児童生徒の道徳性が向上する事についても、敢えて言う必要は無いと思い
ます。
    そしてまた哲学の授業では、教科や教科の単元や教科の単元の中の言葉や公式も哲学します。 
これにより、教科の知識は生きたものになり、児童生徒の学習意欲は高まる事になります。
更にまた哲学対話室においては、児童生徒は自らが尊敬する哲学的素養のある教師や大人たちと哲学対話を行ないます。
 これにより、児童生徒は本当の意味での道徳性と言語能力を身に付ける事になります。
    本当の意味での道徳性と言語能力を身に付けた児童生徒には猛烈な学習意欲が湧いてきます。
 ここにおいて、本当の意味での、知恵と知識に優れた児童生徒が育成される事になるのです。

 どうです。
    小中高校哲学一貫教育により、道徳性と言語能力に優れ、学習意欲の高い児童生徒が育成されたでしょう・・・。 

哲学一貫教育を徹底すればするほど、道徳性と言語能力に優れ、学習意欲の高い児童生徒が育成されていく事になりますが、教科教育(知識の伝授)も徹底しなければなりません。
 哲学一貫教育と教科教育のバランスが必要なのです。
 
上記の哲学一貫教育は、道徳または倫理の時間を1時間増やし、哲学と言う概念を取り入れるだけです。
 それだけでこんなに素晴らしい効果が出るのです。
 国家の大計は教育にあり。
 学習指導要領の大計は定まったなどと言わず、国家の大計の為に、是非この哲学一貫教育の概念を導入して頂きたいと思います。
 

哲学一貫教育の素晴らしさは分かった。
しかし時間的にどうしても無理だと仰るのなら、新しい学習指導要領の運用の中で、哲学一貫教育を導入して頂きたいと思います。
その為の方法をこれから述べて参りたいと思います。

哲学一貫教育はとても簡単な教育方法です。
それは「読書」と「思索」と「作文」と「対話」だけです。
この内、哲学の授業で対象とするのは、読書と思索と作文です。
しかも思索は、読書と作文に付随して行なわれますので、哲学の授業で直接対象とするのは読書と作文だけと言う事になります。

毎週、読書の時間を1時間、作文の時間を1時間確保して頂ければ、哲学一貫教育は実質的に完成するのです。

小学校、中学校においては、道徳の時間が1時間確保されていますので、後1時間確保すれば良いだけの話です。
後1時間の確保については二つの方法があります。
一つは、国語の時間の1時間を「読書、作文」の時間に充てる方法です。
他の一つは、総合学習の1時間を「読書、作文」に充てる方法です。
どちらでも良いと思いますが、後者の方がより柔軟に行なえると思います。

方法は次の通り行なえば良いと思います。
総合学習の時間は週2時間ですが、これを月8時間と捉えます。
そしてこの内の毎週1時間計4時間を「読書、作文」の時間に充て、残りの4時間を「体験学習」の時間に充てます。
体験学習は、午後の全ての時間を使って実施するものとします。
すなわち体験学習を月1回実施する事になります。

なお、体験学習は学校を出て、身近な自然や社会と接する機会とすべきだと思います。
体験学習は午後の全てを使って3時間ですので、残りの1時間については体験学習の予習や復習に使えば良いと思います。

以上で、小学校、中学校においては、週2時間の「読書」と「作文」の時間が確保された事とします。
後、高校ですが、高校についてはこれから学習指導要領を作成する事になっているようですので、週2時間の「読書」と「作文」の時間を確保して頂く事としましよう。
これにより、小中高校一貫して週2時間の「読書」と「作文」の時間が確保された事になります。
すなわち、小中高校哲学一貫教育の素地が整った事になります。

なお、ここまで来て分かったと思いますが、哲学一貫教育とは徹底した言語教育の事なのです。
そしてその対象が哲学テーマなのです。
なお、哲学一貫教育で言う所の哲学テーマとは、下記の2の「哲学テーマ例」を見て頂ければ分かると思いますが、それは学習指導要領の「道徳」で定める所の道徳テーマと全く一緒なのです。
哲学一貫教育とは、徹底した言語教育の事であり、徹底した道徳教育の事なのです。
これにより、今回の学習指導要領改訂で目的とした、言語教育と道徳教育の充実が如何に図れるか、敢えて言う必要はないと思います。
どうか、新しい学習指導要領の下、哲学一貫教育の充実を図って頂きたいと思います。

さて、小中高校哲学一貫教育の素地、すなわち週2時間の読書と作文の時間が確保できましたので、今度はこれの実際の運用について述べていきたいと思います。
なお、哲学一貫教育に充てる為の週2時間は、小中高校とも道徳の時間が1時間で、総合学習の時間が1時間と言う想定で話を進めていく事にします。

哲学一貫教育の授業で行われるのは、「読書」と「作文」だけです。
この内、読書については「哲学読本」を読むだけの事であり、作文については哲学読本の読書を契機にした、その哲学テーマに関する自由作文を「哲学ノート」に書くだけの事です。
哲学一貫教育の授業方法はとても簡単なのです。
週の最初の時間を読書の時間に充て、週の最後の時間を作文の時間に充てるだけで、哲学一貫教育は自動的に完成するのです。

今回の運用の中では、道徳の時間を読書の時間に充て、総合学習の時間を作文の時間に充てる事にします。
すなわち、週の最初の時間を「道徳」の時間とし、「哲学読本」を読む
週の最後の時間を「総合学習」の時間とし、「哲学ノート」に哲学テーマに関する自由作文を書く。
これで、新しい学習指導要領の下での哲学一貫教育の完成です。

もっと具体的に目に見える形で整理すると次の様になります。
月曜日の第一限目を「道徳」の時間とし、「哲学読本」を読む。
金曜日の第六限目を「総合学習」の時間とし、「哲学ノート」に作文を書く。
これで、新しい学習指導要領の下、哲学一貫教育の枠組みが出来上がった事になります。

何故週の最初と最後の時間に哲学の授業を持って来るのか。
それは哲学の授業を自省の時間とする為です。
学校が始まる時、自らを省み、学校が終わる時、自らを省みる為です。
なお哲学の授業の意義はこれから山ほど述べると思います。

さてここで一つ問題がありますよね。
「哲学読本」と言う言葉であり、「哲学ノート」と言う言葉です。
ここでは知恵を働かす事としましよう。
学習指導要領には、哲学と言う言葉はありません。
しかし道徳と言う言葉があります。
先程も述べた事ですが、哲学一貫教育で言う所の哲学と学習指導要領で言う所の道徳とはそのテーマに関しては何の違いも無いのです。
ですから、「道徳読本」と「道徳ノート」とする事としましよう。
「哲学読本」と「哲学ノート」と、「道徳読本」と「道徳のノート」には何の違いもありません。
名を捨て実と取る事としましよう。

「道徳読本」と「道徳ノート」の完成です。
この二つによって、新しい学習指導用要領の下、哲学一貫教育を実質的に進めて行こうではありませんか。
しかここでこう言う人々が出て来ると思います。
道徳の時間に「道徳読本」を読むのは分かるが、何故総合学習の時間に「道徳ノート」に作文を書くのかと。
それはある意味ご尤もです。

それではどうしましよう。
ここも知恵の働かせ所です。
道徳と言う言葉が引っかかるのですから、道徳と言う言葉を抜けば良いのです。
すなわち、「道徳ノート」ではなく、「作文ノート」とすれば良いのです。
そうすれば対外的にはとやかく言われる事はありません。

さてこれで新しい学習指導要領の下での、実際の哲学一貫教育の運用が定まりました。
すなわち、月曜日の第一限目を「道徳」の時間とし、「道徳読本」を読む。
金曜日の第六限目を「総合学習」の時間とし、「作文ノート」に道徳読本の読書を契機とした、哲学テーマに関する自由作文を書く。
これで、新しい学習指導要領の下での哲学一貫教育の完成です。

さて、哲学一貫教育に関する物理的条件が整ったので、愈々その内容に入って行きたいと思います。

なお、内容に入る前に一言述べて置きたいと思います。
何故道徳教育が人気がないのか。
それは道徳と言う言葉の為です。
道徳を哲学と変えて御覧なさい。
現場の教師の目の色が変ります。
国民の目の色も変わります。
その結果として、児童生徒の目の色も変わります。
その結果、日本国民は哲学の民となるのです。
哲学とは「汝自身を知れ」、本当の自分自身を知る事です。
哲学教育も道徳教育も目指す所は一緒でも、その情熱に天と地ほどの差が付くのです。
哲学教育では自らが学んだ事を実践します。
道徳教育では教えられた事を実践します。
そこには天と地ほどの差が付くのです。
しかしここで繰言を言っても仕方がありません。
新しい学習指導要領の下、哲学一貫教育の趣旨が徹底するよう、お互い頑張りましょう。

さて、哲学一貫教育ですが、この中で一番大切なものは、『哲学読本』(道徳読本)です。
何故なら、この『哲学読本』(道徳読本)によって、児童生徒を育てていくからです。

キリスト教国家においては、聖書によって子供を育てます。
イスラム教国家においては、コーランよって子供を育てます。
日本においては、『哲学読本』(道徳読本)によって子供を育てるのです。
しかし『哲学読本』(道徳読本)は1冊ではありません。
それぞれの教科書会社がそれぞれに出版します。
また一般の出版会社も競って出版します。
これらの『哲学読本』(道徳読本)がハーモニーをなして、日本の子供たちを育てていくのです。

『哲学読本』(道徳読本)は、学年ごとに作成します。
各学年に相応しい哲学テーマ(勇気、知恵、愛、忍耐、寛容、節制、勉強、友達、学校、仕事、自然、環境等々、哲学テーマ例については下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事)を30程度選択し、それぞれの哲学テーマに関して古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度掲載します。

何故、名文中の名文でなければいけないのか。
それは、名文中の名文と言うものは、時の練磨を経ており、一切の無駄が剥ぎ落とされ、そこに言霊が漂っているからです、
哲学一貫教育は、この言霊により、児童生徒の言霊を揺さぶる事から始めるのです。

何故、一つ哲学テーマに関して、名文中の名文を3編掲載するのか。
それは普遍を学んで貰う為です。
例えば慈愛について、イエスの慈愛の名文、ブッダの慈愛の名文、マホメットの慈愛の名文を3編掲載します。
ここから普遍の慈愛について学んで貰うのです。
この様な方法で、全ての哲学テーマに関して普遍を学んで貰うのです。

『哲学読本』(道徳読本)はイデオロギーを教える為の道具ではありません。
児童生徒が自らにおいて価値を見出し、自らにおいて価値を確立させていく為の道具なのです。
児童生徒が自らのアイデンティティを確立させていく為の道具なのです。
ですから、様々な分野から様々な言葉を与えて上げなければならないのです。
その為にも、国民の英知を結集して作成しなければならないのです。

『哲学読本』(道徳読本)は様々な分野の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
哲学の分野もあれば、文学の分野もあれば、芸術の分野もあれば、科学の分野もあります。
世界はこれまで、たくさんの偉人、賢人、哲人、聖人、英雄、天才芸術家、天才科学者等々を生み出してきました。
彼らの言葉により、児童生徒の心を掴み、その言霊を揺さぶる事から始めるのです。

例を挙げれば、
イエス、ブッダ、マホメット、孔子、老子、聖徳太子、空海、親鸞等々
 ソクラテス、プラトン、エピクロス、エピクテトス、セネカ、キケロ等々
 デカルト、ルソー、ロック、カント、ショウペンハウワー、西田幾多郎等々
 イソップ、ホメロス、ダンテ、シェークスピア、ゲーテ、夏目漱石等々
 レオナルドダビンチ、モーツアルト、ベートーベン、ピカソ、世阿弥等々
 ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、エジソン、湯川秀樹等々
 カエサル、アレクサンダー、ナポレオン、徳川家康、西郷隆盛等々
 ナイチンゲール、シュバイツアー、マザーテレサ、野口英世等々
 切がありません。
 彼らは決して逃げる事はありません。
 
『哲学読本』(道徳読本)により言霊を揺さぶられた児童生徒は、その名著原典に向かい彼らと対話します。
 そしてその対話が終わった時、児童生徒の中に彼らの言霊が宿る事になるのです。
 また原典に向かわずとも、一つのテーマに関して名文中の名文を3編読む時、児童生徒の言霊が揺さぶられ、その思考回路が物凄い勢いで回転し、新たなインスピレーションが生まれるかも知れません。
 また例えインスピレーションが起こらずとも、名文中の名文を3編も読めば、児童生徒に何らかの変化が起こります。それが名文中の名文、すなわち言霊の由縁なのです。

 さて、以上『哲学読本』(道徳読本)の素晴らしさをご理解して頂けたと思いますが、『哲学読本』(道徳読本)をどの様にして作成するか。
 ここが哲学一貫教育の成否の分かれ目となります。
 例え、『哲学読本』(道徳読本)が如何に高尚であろうとも、財源が無ければそれは日の目を見る事は出来ないのです。

 そうです。
 『哲学読本』(道徳読本)を無償にする事です。
 それでこそ、教科書会社は力を入れて、素晴らしい『哲学読本』(道徳読本)を創っていくと言うものなのです。

 現在日本は、道徳退廃国家への道を一途に進んでいます。
 道徳教育の充実、これこそが現在の政治上の第一課題です。
 『哲学読本』(道徳読本)を無償にする事について誰も反対する人などいません。
 法律改正については知恵を出し合って下さい。
 
 なお道徳は教科ではありませんので、検定を受ける必要はありませんが、やはり何らかの審査を受ける必要はあるのでしょう。
 国民の英知と言われる哲学者、文学者、芸術家、科学者等々で構成する「『哲学読本』(道徳読本)審査委員会等」で審査して貰っても良いでしょう。
 また縦覧に付す形で、国民全てに審査して貰っても良いのではないでしょうか。

 『哲学読本』(道徳読本)とは古今東西の名著の中の名文中の名文を集めたものです。
 誰がその内容に反対するのでしょう。

 さて、素晴らしい『哲学読本』(道徳読本)が出来上がりました。
 後はこれの教室での実際の運用です。
 これまで何度も言っていますが、週の最初の時間に読書を行い、週の最後の時間に作文を行う事になっています。
 ですから、週の最初の読書の時間にこの『哲学読本』(道徳読本)を読む事になります。

 さてここからが大切です。
 教師は授業の開始と終了の合図以外は何も言葉を発しないものとします。
 教師は児童生徒が読書と思索に専念出来るよう、静謐を保つ事とします。
 児童生徒からの発言も許さない事にします。
 この1時間は学級が静謐に包まれる事になります。
 
 読書は黙読とします。
 『哲学読本』(道徳読本)には、一つの哲学テーマに関して、古今東西の名著の中の名文中の名文が3編掲載されています。
 また、それぞれの3編の後には簡単な書誌と著者のプロフィールも載せてあります。
 『哲学読本』(道徳読本)には全てルビが付されています。
 児童生徒はそれぞれの言霊に触れながら、思索を深めます。
 児童生徒が如何なる思索を行うか、それに関して教師は一切関与してはなりません。
 それが哲学の哲学たる所以です。
 しかし善き言霊に導かれた思索は、良き方向へと必ず向かうものです。
 これが哲学一貫教育における所の基本理念なのです。

 さて無事、週の最初の読書の時間が終わりました。
 感想は如何ですか。
 教えたい、教えたい、教えたい・・と言う気持ちは山々分かりますが、週に1回はこの静謐の時間が必要なのです。
 しかし、この1時間に児童生徒は、名文を学び、そしてその著者を学び、そしてその書誌まで学んでいるのです。
 多分この内容を教師が授業と言う形で教えるとしたら、半日はかかると思います。
 
哲学の目的は知識を受け容れる事ではありません。
 自らにおいて自らを思索する事です。
 名文中の名文はその契機に過ぎないのです。
 しかし名文中の名文には言霊が宿っているので、児童生徒はその言霊に激しく揺さぶられる事になるのです。
 
一つの哲学テーマについて、聖人、偉人、賢人、哲人たちがあちらと思えばまたこちら、こちらと思えばまたあちらと引き回します。 
児童生徒の頭脳はフル回転せざるを得ないのです。
 ここにインスピレーションの湧く根拠があるのです。
 その名文中の名文は記憶する必要はありません。
 その場限りで良いのです。
 その名文中の名文は単に契機に過ぎないのですから。
 しかしもしその名文が児童生徒にインスピレーションを起こさせたら、その名文は児童生徒の記憶から決して消える事はないのです。
 何故なら、その児童生徒は繰り返し、繰り返し、その言葉に帰って行くでしょうから。
 もしそんな言葉が児童生徒の中で一杯になったらどうなるのでしょう。
 彼らはより聖人偉人賢人哲人たちに近付いていく事になるのではないでしょうか。
 例えそうではなくても、彼らの中でその言霊が輝き続けるのです。
それが言霊の由縁です。
 哲学一貫教育とはこの言霊を利用する教育なのです。
 
皆さんを刺激しようと思って言霊と言う言葉を繰り返し使っていますが、言霊とは人の心を力強く揺り動かす言葉と言った程度のものです。
 しかし、一旦人の心を強く揺り動かした言葉は、人の心の中に鎮座する傾向があるのです。
 その様な傾向のある言葉を譬えて言霊と称しています。
 ここでは言霊を次のように定義して置く事にしましよう。
 「人の心を強く揺り動かし、人の心に鎮座する傾向のある言葉」と
 そして哲学一貫教育では、この言霊を利用すると。

 人は言葉により動く動物です。
 であれば、言霊により教育する方法が一番手っ取り早いのです。
 もしその言霊が住み着けばどうなるのでしょう。
 その人はその言霊により動くのではないでしょうか。

 現在の国語の本にはそんな言霊はほとんどありません。
 市販の道徳読本も似たようなものです。
 市販の道徳読本の言葉は一過性において、人の心を動かす事はあるかも知れませんが、その授業限りです。
その原典を見つけようと思っても何処にもありません。
一夜の夢物語も見たような感じしか残りません。
しかし「哲学読本」(道徳読本)はそうではありません。
児童生徒は何時でも原典に向かう事が出来、そしてその原典の中でまた新たな言霊に触れるのです。

言霊には権威が必要です。
何処の誰が書いたか分からないような文章については、人は注意を向けません。
しかしこれこれの文章は、世界で最も著名な人が書いた文章なのですよ。
これだけで、児童生徒はその文章に集中するのです。
貴方方もそうではありませんか・・・。
何処の馬の骨が書いたか知らないようなこの文章は見る価値が無い。
そう言って、即座に雑件書類の中に入り、一年先は廃棄処分となる。
しかしもし、この文章に○○先生と言う署名があれば、その文章は永久保存ともなる。
哲学一貫教育では人間のそうした性向をも利用するのです。

これはちょっと話題からそれますが、最近高校の「現代文」を読んでみました。
そこには言霊はほとんどないばかりか(宮沢賢治の銀河鉄道の夜には言霊を揺さぶられましたが・・)、その文章を追えば追うほど憂鬱になります。
そこにはあるのは現代人の鬱屈した精神です。
「現代文」では、その現代人の鬱屈した精神を追えと言っているのです。
現代人だからそう言う事に成るのでしょうが、しかし学習指導要領で言う所の道徳に関しては一切育てる事は出来ません。
ですから、国語と道徳はきっぱり切り離す必要があります。

道徳においては言霊のシャワーを浴びせます。
国語においては国語の技術を身に付けさせる。
その第一番はやはり漢字の読み書きだと思います。
これは徹底する。その他色々な技術があるのでしょうから、そちらに特化すると言う事になるのでしょうか。
しかし私はやはり思います。
国語においても名著の中の名文中の名文をなるべくたくさん採用した方が良いと。
そうであれば、道徳と国語が相乗作用を起こして、更に一層早く、哲学国家への歩みを速めると。


すみません。
今ここで新たな着想が浮かびました。
それは、国語教育中でも言語教育と道徳教育を行なうと言う事です。
すなわち、すなわち国語教育の中でも哲学一貫教育を行うと言う事です。

その方法はこれまで述べてきた哲学一貫教育と全く一緒です。
すなわち、週の前半の1時間を読書に充て、週の後半の1時間を読書に充てます。
そして、読書の時間には名著の中の名文中の名文を読み、作文の時間にはその名文中の名文を契機とした作文を書きます。
勿論、国語教育の中で行なうので、哲学とか道徳とか言う言葉は使わない事にしますが、その実際は全く哲学一貫教育と一緒です。
すなわち、名文中の名文により、児童生徒の言霊を揺さぶる事から始めるのです。

具体的な運用としては、例えば国語の時間が週6時間であれば、その内の週2時間を哲学一貫教育、すなわち読書と作文の時間に充て、残りの4時間を通常の国語教育に充てるものとします。

哲学(道徳)教育の中での読書の時間には、一つの哲学テーマに関する名著の中の名文中の名文を3編程度読みますが、国語教育の中での読書の時間には一つの哲学テーマに関する名著の中の名文中の名文を1編読む事にします。
哲学(道徳)教育の中での読書は言霊を激しく揺さぶる事を主眼としますが、国語教育の読書においても勿論言霊を揺さぶる事が第一目的ではありますが、読解力の養成についても力点を置く事します。
その為長編の1編とする事とします。

読書は勿論黙読です。その為、ルビを付します。また簡単な著者の略歴や著書の書誌も付します。
国語教育の中での読書の方法は、哲学(道徳)一貫教育の中での読書の方法を全く一緒です。
相違点は、哲学(道徳)教育の中での読書においては一つの哲学テーマに関して3編程度読むのに対し、国語教育の読書においては一つの哲学テーマに関して1編だけを読むと言う事だけです。
そして、国語教育における読書の時間における教師の役割も、哲学(道徳)教育の中での読書の時間における教師の役割と全く同じです。
すなわち、授業の開始及び終了の合図と、その1時間、教室の静謐を保つ事だけです。
その静謐の1時間の中において、児童生徒は名文中の名文、すなわち言霊に激しく揺さぶられ、自らを深く省みる事になるのです。

次に、国語教育における作文のあり方ですが、未だ哲学(道徳)教育における作文のあり方について述べていなかったので、ここで一緒に述べたいと思います。
国語教育における所の作文の時間のあり方と哲学(道徳)教育における所の作文の時間のあり方は全く一緒です。
相違点と言えば、哲学(道徳)教育の授業の中で作成される作文においては、名文を契機とした自由な発想の作文が生まれる傾向があるのに対し、国語教育の授業の中で作成される作文においては、名文を契機とした著者との対話文、すなわち読書感想文が生まれる傾向にあると言う事くらいです。
何故なら、哲学(道徳)教育の読書の時間には一つの哲学テーマに関して名文を3編読むのに対し、国語教育の読書の時間には一つの哲学テーマに関して1編を読み込むからです。
しかし、両者の相違点を強調する事は全く必要ありません。
哲学(道徳)教育における作文においても、国語教育の作文の時間においても、何を書いて良いのです。
作文は自分を確認する為の道具に過ぎないのですから・・・。

 哲学(道徳)教育及び国語教育における作文の時間における教師の役割は、哲学(道徳)教育及び国語教育における読書の時間における教師の役割と全く同じです。
 すなわち、授業の開始及び終了の合図と、その1時間、静謐を保つ事だけです。
 この静謐の1時間の間に、児童生徒は言霊を契機として、自らを省み、そしてそれを文字として記録するのです。
 この文字に記録すると言う事が児童生徒の成長にとってとても大切なのです。

 言霊によって、児童生徒の言霊は激しく揺さぶられます。
 しかしそれはある意味でほんの一時的な事です。
 哲学(道徳)の授業が終わる頃には綺麗さっぱり忘れています。
 それはそれでも良いのですが、児童生徒の持続的な哲学的成長を望むのであれば、その言霊を文字として記録して置く必要があるのです。

 哲学とは自らのとの対話、すなわち自らを相手とした弁証です。
 その為には、自らの思想がその前に無ければいけないのです。
 しかし人間の記憶力はほんの微々たるものです。
 特に自らの思想については。

 自らの思想に関する記憶力がほんの微々たるものであること、それは貴方を実験材料にして実証する事ができます。
 さて、昨日、1時間前、そして10分前に何を思想したか、思い出してください。
 人間の思想に関する記憶力とはその程度のものなのです。

 思想とは、思い想う事。
 人は一瞬も休まず思想し続けているのです。
 人は思想を記憶する事など出来ないのです。

 貴方はここでこう言うかも知れませんね。
 一日前の事も、一時間前の事も、一分前の事も思い出したくないと。
 そうですね、何を思想するかがとても大切ですね。

 哲学一貫教育では、名著の中の名文中の名文、すなわち言霊を契機として、すばらしい思想が展開されます。
 それは貴方が一日前、一時間前、一分前に思想した事とは大違いですよね。
 それは記録に残すべき大いなる思想ですよね。
 しかしその児童生徒も一時間後にはその思想が綺麗に飛散霧消しているのです。

 偉大なる哲学者とは如何なる人の事か。
 それは自らの思想の文字を基に弁証した人の事です。
 
少し話が反れてしまいましたので、また国語教育に中における作文及び哲学(道徳)教育の中における作文のあり方に戻りたいと思います。 
 
 
教師は、作文を読み込む必要はありません。
 勿論、作文の内容を読み込んで、児童生徒を理解する事は大いに結構ですが、毎週30もの作文を、もし国語教育の中でも作文を行なうと言う事であれば、毎週60(30×2=60)もの作文を読む事は、物理的も時間的にも無理でしょうから。
 哲学の本質は自ら学び、自ら考える事にあるのです。

 尤も何も書いていない児童生徒に対しては、何でも良いから書くように指導する事は大切です。
 また、書き方が分からないと言う児童生徒には、個別に作文指導を行なう事も大切です。

 作文指導において、起承転結の4行文の指導はとても有効だと思います。
 1行ごとに改行し、4行で起承転結の文を完成させる方法です。
 4行の起承転結文が完了したら、1行空白を明けて、次の4行の起承転結文に移っていくと言う方法です。
 現在私が遣っているこの方法です。

 人の思考回路は起承転結の4行で完結します。
 その思考回路のままに作文を書くと言う技術を覚えれば、作文がとても楽になり、楽しみとなります。
 作文がどうしても書けないと言う児童生徒にはこの方法は有効だと思います。
 パソコン時代の新しい作文の技法として研究してみてください。(尤もソネットと同じです。(4行×3)+2行=14行)

 さて、壮大な哲学一貫教育が出来上がってしまいました。
 当初提唱した哲学一貫教育は、週2時間の哲学一貫教育だったのですが、途中から新たな発想が入って来て、週4時間の哲学一貫教育になってしまいました。
 当初の哲学一貫教育は、読書の時間が1時間と作文の時間が1時間の、合計2時間の哲学一貫教育だったのですが、最終的には読書の時間が2時間と作文の時間が2時間の、合計4時間の哲学一貫教育になってしまいました。

 この壮大な哲学一貫教育における所の、授業時間の内訳とその内容を整理すると次のようになります。
 ① 「道徳」の週1時間を読書の時間とし、「道徳読本(名文中の名文)」を読む。
 ② 「総合学習」の週1時間を作文の時間とし、「総合学習作文ノート」に作文を書く。
 ③ 「国語」の内、週1時間を読書の時間とし、「国語教科書(の中の名文中の名文)」
を読む。
 ④ 「国語」の内、週1時間を作文の時間とし、「国語作文ノート」に作文を書く。

 ①②が当初の哲学一貫教育であり、③④が国語教育の中の哲学一貫教育です。
 ここには哲学と言う文字は出てきませんが、①②③④の一連で徹底した壮大な哲学一貫教育になるのです。
 この壮大な哲学一貫教育により、日本の児童生徒の哲学的能力は何処まで伸びる事になるのか。
 小中高校の12年間に720(1学年30テーマ×2×(6年+3年+3年)=720)の哲学テーマについて名文中の名文を読み、720の哲学テーマについて作文を書く事になるのです。
 これにより、日本の児童生徒の哲学的能力は何処まで伸びる事になるのでしょう。
 
ここで皆さんに大事な事を言って置きます。
 哲学的能力とは、言語力の事であり、道徳性の事であり、学力の事なのです。
 哲学的能力が伸びるとは、言語力が伸びると言う事であり、道徳性が伸びると言う事であり、学力が伸びると言う事です。
 今回の学習指導要領の改訂の目的は何でしたか。
 言語教育の充実であり、道徳教育の充実であり、学力の向上だったのではないですか。
 であれば、何よりも先に『小中高校哲学一貫教育』を行なうべきではないですか・・・。
 
 既に学習指導要領案が固まっていますので、直ぐに『小中高校哲学一貫教育』を導入する事は出来ないと思いますが、上記の様な運用試行を行なった上、5年後を目処に正式な『小中高校哲学一貫教育』を導入して頂きたいと思います。
 なお、授業時間週4時間の正式な『小中高校哲学一貫教育』の概要を次に示して置きたいと思います。

 ① 小学校、中学校の「道徳」を廃止し、「哲学」とし、授業時間を週4時間とする。
   高校の「倫理」を廃止し、「哲学」としかつ必修とし、授業時間を週4時間とする。
   これにより、授業時間週4時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
 ② 週の2時間を読書の時間とし、「哲学読本」を読む。
   週の2時間を作文の時間とし、哲学読本を契機とした、哲学テーマに関する自由作文を「哲学ノート」に書く。
 ③ 授業時間の調整は次の方法で行なう。
  小学校、中学校においては、「道徳」の1時間と「総合学習」の1時間と「国語」の2時間の合計4時間を哲学に回す。
  高校においては、「倫理」の1時間と「総合学習」の1時間と「国語」の2時間の合計4時間を哲学に回す。
  (なお、国語と現代文は統合し、国語一本にした方が良いと思います。敢えて現代文を学ぶ必要は無いと思います。)

その他については、これまで述べてきた哲学一貫教育と同じとします。
なお、授業時間の時間割は次のようでは如何でしょうか。
月曜第1限目「哲学(読書)」
火曜第6限目「哲学(作文)」
木曜第1限目「哲学(読書)」
金曜第6限目「哲学(作文)」
児童生徒を哲学漬にして上げるのです。

ここで皆さんに念を押して置きたいと思うのですが、哲学教育の対象とする固有の分野があると言う訳ではないのです。
哲学教育の対象とするのは、自分自身に関する事、人間に関する事、社会に関する事、自然に関する事となりますが、これは言い換えると「国語」「社会」「数学」「理科」「美術」「音楽」「保健・体育」「技術・家庭」「外国語」「道徳」等々と言う事になります。
哲学教育と教科教育の対象とする分野は全く一緒なのです。
 ただ教育方法が違うだけです。

 教科教育においては、その分野の正確な知識を伝授する事が最大の目的です。
 哲学教育においては、その分野に関する知恵を学ぶ事が最大の目的なのです。
 そして知恵を学ぶ方法が、聖人、賢人、哲人、偉人、天才たちの言葉から学ぶと言う事なのです。
 すなわち彼らの言葉の相似を自らの中に見出す事、これが知恵を学ぶと言う事なのです。

 哲学とは自分自身を学ぶ事。
 「汝自身を知れ」
 自らの中にある素晴らしい世界、これを天才たちの言葉により見出しそして確立して行く事、これが哲学なのです。
 哲学教育とは言語教育以外の何ものでもないのです。
 ですから「読書」と「作文」を徹底しなければならないのです。
 勿論一人で。そして静謐の中で。
 哲学一貫教育における静謐の保持の意味を理解して頂けたでしょうか。

 哲学(philosophia=知恵を愛する事)は決して教える事など出来ないのです。
 何故なら哲学とは自ら学び自ら考える事なのですから・・・。

 
 哲学は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「実践」で完結していきます。
 この内の「読書」「思索」「作文」については、以上で取り敢えず説明した事にします。

 次に「対話」ですが、これが無ければ真の哲学者(知恵を愛する者)は育っていきません。
 「読書」により真善美に溢れた言葉を与え続ければ、「思索」「作文」もその方向には向うのですが、やはり独り善がりは免れません。
 「対話」により、その独り善がりを是正し、改善し、新たな真善美を確立して行ってこそ、真の哲学者(真善美を愛する者)が育って行くのです。
 ですから、対話の相手は、哲学的に素養にある者でなければならないのです。

 プラトンにソクラテスが居たように、
 曾子に孔子が居たように、
 十羅漢にブッダが居たように、
 十二使徒にイエスが居たように。

 哲学対話の為に、哲学一貫教育では特別な装置を設置します。
 その装置とは『哲学対話室』です。
 『哲学対話室』は学校図書館に隣接して、学校の規模に応じて1から5設置します。
 『哲学対話室』は午後3時から午後5時まで開室する事とします。

 哲学対話室には、哲学的素養のある大人が日替わりで常駐します。
 児童生徒は、この哲学的素養のある大人に、自らの知恵の総力を挙げて臨みます。
 ここに知恵の火花が散る事になります。
 児童生徒は、この哲学対話室において哲学修行をする事になります。
 そして、自らの尊敬する師を見付けて行く事になるのです。

 なお、「一生涯にわたる哲学一貫教育」の所で述べているのですが、哲学対話室は小学校、中学校、高校だけでなく、大学、図書館、公民館等様々な教育・学習機関に設置します。
 児童生徒が自らの学校だけでなく、他の小中高校や大学、図書館、公民館等々で哲学対話を行なう事を奨励します。
 すなわち、小学生、中学生、高校生、大学生、一般人が入り乱れて哲学対話があらゆる場で行われる事になるのです。
 これにより、日本に哲学的風土が形成されて行く事になるのです。

 哲学一貫教育が完成した暁には、全ての国民が哲学的に成熟していきます。
 あらゆる場で哲学的会話が交わされるようになります。
 その様な中で、真に哲学的に優れた者が生まれ育って行く事になります。
 彼らが日本をリードし、そして日本は哲学者(真善美を愛する者)たちが統率する哲学(真善美を愛する)国家となるのです。

 これで哲学一貫教育の完成です。
 哲学一貫教育は目的を果たした事になるのです。

 以上の様に「対話」がとても大切です。
 ですので、小中高校に設置する「哲学対話室」の運営は細心の注意を払わなければならないのです。
勿論哲学的素養のある教師が、哲学対話室において、児童生徒と哲学対話を行なう事になりますが、それだけでは十分ではありません。
外部の血を大幅に導入しなければなりません。
それでこそ学校も活性化します。
それでこそ児童生徒も自らの尊敬する師を見付ける事が出来るのです。

『週1回2時間の哲学ボランティア(ソクラテスを求む)』、これの大々的なキャンペーンを張ります。
哲学的に優秀な大人が入って来てこそ、学校にも哲学風土が生まれると言うものなのです。


 以上で、「対話」に関する説明を終わりたいと思います。
 最後に「実践」ですが、これは本人の意志に関する事であり、誰も強制する事は出来ません。
 しかし哲学一貫教育により、哲学的に成熟していけば、その実践もより容易になります。
 また、「一生涯にわたる哲学一貫教育」(下記3を参照の事)が充実していけば、日本国が哲学的風土(真善美を愛する風土)に包まれますので、その実践はより容易になるのです。

 なお、「特別活動」や「総合学習」は、哲学一貫教育で学んだ事の実践の場となります。
 その事は特別に位置付けをしなくてもそうなるのです。
 何故なら、哲学とは自らの事と自らに関係する全ての事を学ぶ事なのですから・・・。

 なお、「総合学習」は学校を出て、身近な自然や社会に触れる機会とすべきです。
 何故なら、今回の学習指導要領で定める学校内で行なう「総合学習」については、全て「哲学一貫教育」で引き受けるからです。
 
以上で、哲学一貫教育における所の、「読書」と「思索」と「作文」と「対話」と「実践」に関する説明を終わりたいと思います。


小中高校哲学一貫教育が成功する鍵は三つあります。
一つ目は、勿論、小中高校での正式な哲学一貫教育の導入です。
二つ目は、「一生涯にわたる哲学一貫教育」です。これについては、下記3の「一生涯にわたる哲学一貫教育について」に詳述しているので後ほどご覧頂きたいと思います。
三つ目が、大学教育学部における徹底した哲学教育です。

教育は教師によって行なわれます。
現在の教育の退廃、それは教師に哲学的素養が無いからです。
教育改革、それは大学教育学部における徹底した哲学教育から始まるのです。
その方法をこれからお示ししたいと思います。

なお、教育学部のおける哲学教育の目的は、ヘーゲル研究家やカント研究家を育てる事ではありません。
小中高校哲学一貫教育を充実させる為です。
その為にも、その教育方法は小中高校哲学一貫教育に準じたもので無ければならない事になります。
教育学部における哲学教育の方法、それもやはり「言霊」による教育となります。

教育学部の学生も言霊で徹底的に揺さぶります。
そこから自らの世界に入って貰います。

哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美を追求する事。
哲学とは「汝自身を知れ」、自らを深く追求する事。
哲学とは自らの中に真善美に溢れた世界を築く事。
教育学部の哲学教育ではその様な材料をふんだんに提供します。

哲学的素養のある者とは、知恵を愛する者、自らを深く知ろうとする者、この素敵な世界を愛する者。
教育学部の哲学教育ではその為のカリキュラムをふんだんに提供します。

さて、それではその哲学教育の内容をお示ししたいと思います。
先ず初めにお断りして置きますが、びっくりしないで下さいね。その授業時間の多さに。
しかし、この哲学教育を完全に実施すれば、世界に類例の無い教育学部の学生が養成されます。
その結果として、当然ですが、世界に類例の無い教師たちが誕生して行く事になるのです。

 ここでもう一度念を押しておかなければならないと思いますが、哲学教育だけを徹底しなさいと言っているのではありません。
 哲学教育と教科(専門)教育を両立させて、徹底しなさいと言っているのです。
 哲学教育と教科(専門)教育が両輪で回転してこそ、知恵と知識に優れた学生が育成される事になるのですから・・・。
 なお、教科(専門)教育については、これまでの教授法で良いと思います。

 それでは、教育学部における哲学教育の内容を説明していきます。
 先ず、哲学を必修とします。
 哲学の授業については、週3回とし、1年から4年まで通年で受講するものとします。
 哲学の総単位数は48単位(4単位×週3回×4年間=48単位)とします。
 なお、単位については、90分授業、全期、28授業時間を4単位と想定しています。
 半期、14授業時間は2単位となります。
 
授業内容は以下の通りです。


(省略)


 以上が、教育学部における哲学教育の内容です。
 膨大なようですが、教育学部の学生が学ぶべきものです。
 なお、最近は教育学部の学生でも最初から教師を志向しない者もいるようですので、そ
の様な者にまで、上記の哲学教育を徹底する必要な無いと思います。
 上記の哲学教育はあくまでも、教師になる為のものです。
 すなわち、教師=全人教育の当人=哲学的素養のあるべき人の為の教育ですので、上記
哲学教育については、教師の免許を取る為の必修科目とする事としましよう。
 上記の哲学教育を徹底すれば、言語能力に優れ、道徳性が高く、かつ学習意欲の高い教
師が生まれて来る事については、間違いありませんので・・・。

  
さて、非常に長くなってしまいましたが、今回の学習指導要領に対して私が言いたい事
を纏めると以下のゴッチクの通りです。
もし一言で言えば次の通りとなります。
『小中高校の学習指導要領の中に小中高校哲学一貫教育を導入して頂きたい。もし正式
に導入できないのであれば、運用の中で実施して頂きたい。小中高校哲学一貫教育とは小学校1年から高校3年までの12年間の哲学テーマに関する徹底した読書と作文教育の事である。この教育により、日本の児童生徒の言語能力及び道徳性は世界に優れたものとなる。』

小学校、中学校、高等学校の学習指導要領の中に、『小中高校哲学一貫教育』を導入して
頂きたい。
『小中高校哲学一貫教育』とは、週2時間の哲学の授業を小学校1年から高等学校3年
までの計12年間継続して行うものである。
哲学教育の内容は、読書と作文と対話とする。
この内、読書と作文を授業の対象とし、対話は課外において行われるものとする。

週の最初の時間を読書の時間とし、週の最後の時間を作文の時間とする。
読書の時間には「哲学読本」を読み、作文の時間には哲学読本の読書を契機とした自由
作文を「哲学ノート」に書く。
なお、「哲学読本」は一つの哲学テーマに関して、古今東西の名著の中の名文中の名文を
3編程度掲載したものである。
哲学一貫教育は、「哲学読本」の名文中の名文により、児童生徒の言霊を震わし、その言
霊の記録を「哲学ノート」に記入する事により、児童生徒の言語能力と道徳性と学習意欲を高めて行く事にある。
 
対話については、課外において、学校図書館に隣接して設置される「哲学対話室」において行われる。
 哲学対話室において、児童生徒は自らの知恵の総力を挙げて、哲学的素養のある大人に向かう事になる。
 これにより、本当の意味で、言語能力、道徳性、学習意欲に優れた児童生徒が育成される事になる。
 
言語能力と道徳性と学習意欲を高める為には、『小中高校哲学一貫教育』しかない。
 哲学一貫教育とは、徹底した読書と作文の反復の事である。
 そしてそのテーマが哲学(道徳)であると言う事である。
 哲学一貫教育とは、徹底した言語教育の事であり、徹底した道徳教育の事である。
 なお、『小中高校哲学一貫教育』を完成させる為には、大学教育学部において、徹底して哲学教育を行い、哲学的素養のある教師を育てていかなければならない。

最後に、小中高校哲学一貫教育の基本理念ともなるべき孔子の言葉を置いて、意見の陳述を終えたいと思います。
「學而不思則罔、思而不學則殆」(論語、巻第一、為政第二、第十五節)
敬具

平成20年3月9日
哲学哲男


追伸
 以下は、「小中高校哲学一貫教育について」及び「一生涯にわたる哲学一貫教育について」の実施要領並びに「分野別哲学テーマ例」です。
 併せてご覧頂きたいと思います。
 なお、小学校低学年においては、読書能力、作文能力が十分でないので、特別なカリキュラムを組んでいます。下記1をご参照下さい。

 参考資料
 下記1「小中高校哲学一貫教育について」
 下記2「分野別哲学テーマ例」
 下記3「一生涯にわたる哲学一貫教育について」

________________________________________


下記1
【小中高校哲学一貫教育について】


1 趣旨
  小学校、中学校、高校において哲学教育を一貫して行う。

2 方法
  小学校、中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とする。
  高校においては、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とする。
  これにより、小中高校における週2時間の哲学一貫教育を実施する。

3 哲学教育の基本的な考え方
  哲学教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を求める事とする。

4 哲学教育における目標
  自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものとし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する。

5 哲学教育における哲学テーマ
  現在の小学校・中学校学習指導要領の道徳のテーマと同じく、①自分に関する事、②他人との関係に関する事、③社会に関する事、④自然に関する事の四分野とし、それぞれの分野ごとに更に哲学テーマを設定する。(各分野における哲学テーマ例は下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事。)
  なお、各学年ごとにそれぞれに相応しい哲学テーマを設定する事とし、テーマ数は、各学年ごとに4分野合わせて30程度とする。

6 哲学読本
  各学年ごとに1冊作成する。
各学年ごとに設定した30程度の哲学テーマそれぞれ1つごとに、そのテーマに関する3編程度の読み物を掲載する。(授業1時間で読める程度の分量とする。)
なお、読み物は、名著の中から名文中の名文を選択する。
また、読み物は哲学書からだけでなく、広く文学書等(小説、随想、評論、、詩、科学論文等)からも広く採択する。
哲学読本は、黙読が原則であるので、振り仮名を付ける。
  
※何故読み物は名著の中の名文中の名文でなければならないのか。それはその言葉がその児童生徒が死ぬまで古くならないからであり、その言葉がその児童生徒が死ぬまで魔力を持ち続けるからであり、また児童生徒がその言葉に魅力を感じた時、何時でも原著に向かえるからである。名文中の名文とは時の練磨を経ており何時でも新しい。児童生徒が大人になっても常に新しく在り続ける。すなわちその言葉がその人の中で生き続けるのである。

7 哲学ノート
  各学年ごとに1冊作成する。
  各哲学テーマについて、児童生徒が書く為の作文ノートとする。(児童生徒は小中高の成長の軌跡を自らにおいて確認できる。)

8 授業の進め方
  授業時間は週2時間とする。
  週の最初の時間を読書に、週の最後の時間を作文に充てる。
  読書の時間には、哲学読本に掲載されている1つの哲学テーマに関する3編程度の読み物を読む。黙読とする。
作文の時間には、そのテーマについての自由作文を哲学ノートに書く。なお、作文は読み物に関する感想文ではなく、読み物を契機にした自由作文とする。

9 哲学教育における読書、思索、作文、対話のあり方
読書については週1時間、作文についても週1時間充てる。
思索については読書の時間及び作文の時間に当然に行われる。また読書時間と作文時間の間にも意識的、無意識的に行われる。
対話については課外に行われる事を期待する。
なお、哲学的素養のある教師が哲学サークルを作り、そこで哲学的対話が行われる事を奨励する。哲学的素養のある教師の下に多くの哲学サークルが生まれる事を期待する。(本来の意味での師弟教育、自らが選択した尊敬する教師の下での師弟教育が行われる事を期待する。アカデミア的な雰囲気が生まれる事を期待する。)

10 哲学教育における評価
  哲学教育においては、評価は行わない。作文についても、評価しない。
  なお、哲学は教科ではなく、現在の道徳と同じ様にただ単に『哲学』とする。

11 哲学教育における小中学校担任教師の負担の軽減
  哲学教育が小中学校の担任教師の負担とならないよう、担任教師の役割は作文が書かれているか否かの確認程度とする。(勿論作文の内容を読み込んで、生徒理解を深める事は大いに結構な事だが、毎週30名の作文を読む事には時間的な制約があると思われる。哲学の本質は自ら学び、自ら考える事にある。)
  哲学的対話は、哲学的素養のある教師の下での哲学サークルに期待する。

12 哲学の授業における静謐の確保
  哲学の授業の本質は、自ら学び、自ら考え、自らを確認する事にあるので、授業時間中は静謐を保つ事とする。
  静謐の中で自分自身を深く考える機会とする。

13 高校における哲学教育
  高校における哲学読本については、哲学者、思想家、科学者等の読み物を体系的に整理したものとする。なお、その場合でも解説書ではなく、哲学者、思想家等の原著の一節を切り出したものとする。
  なお、高校における哲学教育については、哲学専任教師が担当する。

14 小学校低学年における哲学教育
  小学校低学年においては作文能力が十分でないので、作文の時間は設けず、全て読書の時間とする。
  読書の時間においては、教師の読み聞かせと児童の発表で構成する。(割合は読み聞かせ3に対して発表1程度とする。読み聞かせであれば、少々高度な内容であっても理解できる。静かに聞く能力を育てる。耳学問の大切さを知らせる。哲学読本は作成する。)
  小学校低学年の読書の時間において、哲学の基礎的な問題を網羅する事とする。小学校低学年の読書の時間において、哲学的素養、哲学的素地を身に付けさせる。また、身近な自然についても哲学させる。
  嘗ては古老や大人が子供たちに話を聞かせたが、教師がその役割を担うものとする。教師は朗読能力を高めるものとする。教師は現代の語り部となる。

15 哲学教育と他の教科教育等との役割分担
  哲学教育において知恵を学び、教科教育において知識を学ぶ。
  哲学において、教科(国語、数学、理科、社会等々)を総括し、統合する。
  哲学において、教科の知識を生きた知恵に変える。

16 現代における哲学教育の必要性
  現代は知識偏重の社会であり、応用能力が低くなってきている。
  哲学教育により知恵を学ぶ事により、知恵と知識が共鳴する社会が生まれる。

17 哲学の本質
  哲学(知恵を愛する事、真善美を求める事)により、自分が素晴しい存在である事に気付き、それに伴い回りの人間もまた素晴らしい存在である事に気付き、それに伴い社会の大切さを理解するようになる。
  また、哲学により自然の美しさ、素晴しさを知る。
  哲学教育は、現在道徳教育が目標としている事を実現させる唯一の道である。

18 現在の道徳教育の問題点
  現在の道徳教育はあまりにも現場の教師に負担を求めすぎている。
  現在の教師の道徳的能力はかなり低い。
  その教師が幾ら道徳教育に力を入れても、道徳的能力は高まる事無く、更に低いほうへと落ちて行く。現在の道徳教育はこの悪循環を繰り返している。
  子供たちは、素晴しい教材があれば、自ら啓発されていくものである。

19 今回の哲学教育における成否のポイント・・それは哲学読本
  今回の哲学教育が成功するか否かは全て哲学読本にかかっている。
  哲学読本は、考えるヒントであり、産婆役である。
  哲学読本は、児童生徒の中に眠っている素晴しい存在を引き出す為のものである。
  児童生徒の中に眠っている素晴しい存在とは、勇気であり、忍耐であり、節制であり、美であり、善であり・・・下記2の「分野別哲学テーマ例」に掲げている全てである。

20 哲学読本の作成方法
  哲学読本については、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々の英知を結集して作成する必要がある。
  また、国民の英知も結集する必要がある。(児童生徒に読ませたい名文を広く国民から募集する等。)
  哲学読本の成否は、古今東西の名著の中からそれぞれの哲学テーマに関する名文中の名文を如何に集めるかにかかっている。哲学読本の成否が哲学教育の成否にかかっている。何故なら、哲学読本は児童生徒の中に眠っている素晴しい存在(勇気、忍耐、節制・・・)を生み出す為の産婆役だから・・・。
  哲学読本は、全ての教科書会社がそれぞれに出版するものとする。
  また、一般の出版会社が大人、子供それぞれの向けの哲学読本を出版する事を期待する。

21 哲学的対話
  嘗ては古老や大人たちとの対話の中から、子供たちの中に眠る素晴しい存在が引き出されていた。
  しかし現在はその機能が失われてしまった。
  今回の哲学一貫教育においては、学校内に哲学的素養のある教師を中心にその様な哲学的対話の場(サークル)が生まれる事を期待する。
  また、地域においても、哲学的素養のある人を中心にその様な場が出来る事を期待する。
  哲学(真善美等を愛する事)は、対話によって完成していく。
  哲学の授業で学んだ事を、対話で確認し、自分のものにしていく。
  その為の様々な哲学サークルが生まれていく事を奨励する。
  
22 一生涯に渡る哲学一貫教育との連携
  小中高校哲学一貫教育を土台として、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等における哲学一貫教育を完成させる。
  小中高校哲学一貫教育と大学、社会教育、家庭教育における哲学教育との連携を図る。
  具体的には、大学や地域の哲学的素養のある人々が小中高校に入ってきて、児童生徒と哲学的対話が行われる事を期待する。
  また、家庭内においても哲学的対話が行われる機運を醸成する。
哲学的対話は担任の教師ではなく、哲学的素養のある教師や哲学的素養のある地域の人々に期待する。なお、哲学一貫教育が成熟してくれば、全ての教師の哲学的素養は高まっていく。(哲学的素養の無い教師は採用されなくなる。採用試験においては哲学に関する筆記及び口実試験を課する。)
  なお、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等を通じての一生涯にわたる哲学一貫教育の実施要領については、下記3の「一生涯に渡る哲学一貫教育について」を参照の事。

23 大学教育学部における哲学教育コースの設置
  現在の教育学部における哲学の位置付けは、社会科コース及び教育学コースの一部である。
  哲学一貫教育を充実させる為、全ての教育学部に『哲学教育コース』を設置する。

24 自殺と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるかに気付く。
  この事により、自殺は激減する。

25 差別、いじめと哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか気付く。それにより他人もまた如何に素晴しい存在であるかに気付く。
  この事により、差別、いじめは激減する。

26 性教育と純潔教育と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか、また他人も如何に素晴しい存在であるかに気付く事により、自ら純潔を守るようになる。
  この事により、現在の過激な性教育(コンドーム及びピル教育=性交教育)は必要なくなる。

27 公衆道徳と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさを知る事により、社会の大切さを知るようになる。
  この事により、公衆道徳意識が高まる。

28 環境保護と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさ、社会の大切さ、自然の大切さ、美しさを知るようになる。
  この事により、環境保護意識が高まる。

29 教育基本法と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、教育基本法の精神に基づくものである。
  哲学一貫教育において、教育そのものを哲学する。

30 芸術文化振興基本法と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、芸術文化振興基本法の精神に基づくものである。
  哲学一貫教育において、芸術と文化を哲学する。

31 文字・活字文振興法と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、文字・活字文振興法の精神に基づくものである。
  哲学の授業時における360回(35回×(6年+3年+3年))の読書と360回(35回×(6年+3年+3年))の作文、これにより文字・活字文化は飛躍的に発展する。

32 子どもの読書活動の推進に関する法律と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、子どもの読書活動の推進に関する法律の精神に基づくものである。
  哲学一貫教育における読書は真の読書家を育てる。
  読書は、消費財の消費ではなく、生産財の生産であるべき。良書は無限の富である知恵を人の心の中に育てる。
  
33 国民の祝日に関する法律と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、法に定める国民の祝日を哲学する。これにより社会に対する理解が深まる。

34 法律と哲学一貫教育
  哲学一貫教育においては、全ての法律を哲学する事ができる。
  男女共同参画社会基本法、高齢者化社会対策基本法、少子化社会対策基本法、障害者基本法、消費者基本法、土地基本法、海洋基本法、エネルギー政策基本法、原子力基本法、環境基本法、科学技術基本法、食料・農業・農村基本法、森林・林業基本法、水産基本法、災害対策基本法、交通安全対策基本法、食品安全基本法、自殺対策基本法、ガン対策基本法、教育基本法、文化芸術振興基本法、食育基本法等、各種基本法の前文、目的、目標、理念等を哲学する事により、法の求めている精神を理解する事ができ、社会に対する理解が深まる。

35 憲法と哲学一貫教育
  憲法には、自由、平等、平和、戦争、人権、権利、義務、健康、文化、教育、勤労等々哲学の対象となるものが多く存在している。
  憲法を哲学する事により、法の本質を知るようになり、遵法精神が高まる。

36 教養と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、360の哲学的テーマに関する古今東西の名著を読み、またその360の哲学的テーマ関する作文を書く事になる。これにより、日本人の教養のレベルは現在と比較にならないほど高くなる。哲学一貫教育は日本人の教養のレベルの底上げを図るものである。

37 国際交流と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、日本人の教養、道徳レベルは高まり、草根の国際交流においても恥じる事はなくなる。

38 国際評価と哲学一貫教育
  海外より日本人は『哲学の民』と評される事になる。
  古代ギリシアの民と比較されるほどになる。

39 真善美と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、日本に真善美が溢れる事になる。これが哲学一貫教育の最終理想である。

40 道徳と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、徳(勇気、忍耐、節制、寛容等々)と呼ばれているものを全て哲学する。
  これにより、徳の概念を知り、自らを徳に導く。

41 自分と言う存在と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分が如何に素晴しい存在であるかを知る。
  ここから全てが始まる。
  自分自身が素晴しい存在であるとは、下記2の分野別哲学テーマ例に記載されてある全てが自分自身の中に素晴しい形で存在していると言う事に気付く事にある。その気付きから、それを引き出し、それを自分のものにしようとする。ここから哲学が始まる。この気付きが無ければ全ての哲学一貫教育は徒労である。この気付きについては、教師は決して教える事はできない。この気付きは児童生徒が自らにおいて気付かなければならない。この気付きを触発させるのが、古今東西の名著の中の名文中の名文である。言霊が言霊に触れて始めて、気付きが起こる。
  なお、気付きは、小学1年生、中学1年生、高校1年生それぞれで良い。
  おぼろげなるものからよりはっきりしたものへ、ここに小中高校哲学一貫教育の意義もある。

42 社会と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分自身が素晴しい存在である事に気付けば気付くほど、他人もまた同様に素晴らしい存在である事に気付くようになり、その結果、自分と他人との関係集団(家族、学校、国家等々)、すなわち社会もまた大切な存在である事に気付くようになる。更にその社会を取り巻く環境、そして自然もまた大切な存在である事に気付くようになる。

43 自然と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自然の美しさ、素晴しさ、そして自然の妙を知ようになる。
  特に小学校低学年においてそれらを気付かせる機会を多く持つものとする。
  例、季節、春、夏、秋、冬、朝、昼、夜、天気、晴れ、雨、曇り、雪、動物、犬、猫、牛、植物、草、花、木、森、海、山、川、太陽、月、星、体、目、口、鼻、耳、手、足、頭、土、砂、石、水、金等々
  何故なら、自分の中に存在する素晴しいものと自然は相似しているからである。
  児童生徒は素晴しい自然の具象の中に、自分自身の中に存在するそれと相似のものを予感する。

44 哲学読本の作成方法
  各教科書会社において、名著を1000冊選ぶ。そしてこの名著の中から名文中の名文を数千編選び、これを更に精選し、学年別、分野別、各哲学テーマ別に配して、各学年ごとの哲学読本を作成する。
  なお、小中高校を通じての哲学読本に掲載される名文中の名文は約1000編となる((30時間・テーマ×(6年+3年+3年))×3編=1080編≒1000編)
  これにより、児童生徒は独りでに訓化されていく。(教師が幾らごちゃごちゃ言っても馬耳東風。知恵は自らでしか学べない。)
  
45 何故一つの哲学テーマに名文を3編掲載するのか
  それは児童生徒に自らにおいて普遍を学んで貰う為である。
  例えば、慈愛について、イエスの慈愛の言葉、ブッダの慈愛の言葉、マホメットの慈愛の言葉を掲載する。
  この三つの言葉から三人に共通する普遍の慈愛を学んで貰うのである。
  全ての哲学テーマについて、この様な方法で普遍を学んで貰う。
  哲学一貫教育においては一切のイデオロギーから離れる。児童生徒が自らにおいて価値を学び、自らにおいて価値を確認し、自らにおいて価値を確立していく。アイデンティティの確立。

46 古今東西名著文庫及び哲学読本文庫
  哲学読本に掲載した名著原典については、必ず学校図書館に供えるものとする。
  また、全ての教科書会社が出版した哲学読本も、必ず学校図書館に供えるものとする。
  
47 哲学と教科の役割分担
  教科の役割は正確な知識の伝授。その評価は知識の量(正確な記憶の量)であるべき。その評価はまたテストであるべき。 
  哲学はそれらの知識の意義を考え、それら知識を統合し、そしてその知識を自らの生活の中に生かしていく事にある。
  現在の教育改革のもどかしさは、教科教育に哲学を求めている事にある。
  この役割分担を明確にすれば、効率的に知恵と知識のバランスのある児童生徒が育てていく事ができる。
  哲学一貫教育においては、教科を哲学し、教科の単元を哲学し、必要な場合に単元の中の言葉や公式をも哲学する。
  これにより、教科は数段面白くなり、児童生徒は積極的に教科を学ぶようになる。
  これにより、児童生徒の学力は飛躍的に上がる。世界に飛び抜けての学力国家となる。
  そしてその知識は全てぴちぴちと生きているのである。
  「哲学の民、日本人」の誕生である。
  ※哲学は教科とはぜず、現在の道徳と同じく「哲学」とする。なお、『哲学読本』は教科書に準じるものとする。(勿論無償とする。)

48 国語と哲学一貫教育
  哲学一貫教育における哲学の授業とは、読書と思索と作文である。
  これは国語教育と全く同じ事である。
  国語教育の中にこの哲学を組み込んでも良さそうだが、しかしそれでは哲学の機能は全く埋没し効果は0である。
  国語教育は他の教科教育と同じくその本質は教える事にある。
  しかし哲学教育の本質は、自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものにし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する事にある。その契機が読書であり、その発展が思索であり、その確認が作文である。(確立、確定は対話である。)哲学は決して教える事はできない。

49 現在の道徳教育の問題点
  現在の道徳教育の第一の問題点は、道徳を教えようとする事にある。
  第二の問題点は、その教える事が何であるかはっきりしていない事にある。教材が無い。
  第三の問題点は、教えるべき道徳を教師に求めている事にある。
  現在の教師の道徳能力は低い。この教師に道徳を求めても土台無理である。もし教師に道徳教育を強く求めれば、教師は混乱し、その結果として児童生徒も混乱する。現在道徳教育の様に、当らず障らずと言う遣り方は現場の知恵である。 

50 徳育と道徳教育と哲学一貫教育
  教育再生会議で徳育と言う概念が打ち出された。
  その概念については明確でないが、次のように規定するとする。
  徳育は、教科であり、教科書がある。(そしてテストもある。)
  もし徳育がその様な概念であれば、日本の道徳は現在に比べて比較にならない程よくなる。
  教師は、何の迷いも無くその徳を徹底的に教え、児童生徒は何の迷いも無くその徳を徹底的に覚え込む。
  これにより、日本の道徳は現在に比べて比較にならないほど良くなる。
  一種の教条主義者を育てる事であり、一種のイデオロギー教育だが、その教条、そのイデオロギーはとても良いものであり、私は大賛成である。
  しかし、哲学一貫教育における所の『哲学の民、日本人』を育てる事はできない。
  善良な教条主義者を育てるか、それとも「哲学の民、日本人」を育てるか、確かに判断に迷う。徳育は哲学一貫教育の道ならしにはなる。徳育を5年間試行し、その後哲学一貫教育に持って行くと言う方法も確かにある。

51 総合学習と哲学一貫教育
  総合学習は正に哲学教育の体験、体感の場である。
  哲学教育の授業、すなわち読書、思索、作文において、自分自身の素晴しさ、周りの人々の素晴しさ、社会の素晴しさ、自然の素晴しさを概念的に知る。
  総合学習においては、これら素晴らしきものを体験、体感する。すなわち人々との対話であり、社会との対話であり、自然との対話である。
  具他的には、身近な自然、海、山、川、森、田、畑、公園、公民館、他の小中高校、幼稚園、大学、役場、職場、老人クラブ、婦人会、福祉施設等々考えられる限りの自然、社会に飛び込み、それぞれとの哲学的対話を進める。学校を離れる。
  なお、総合学習の時間は月2回程度とし、午後の時間全てを大胆に充てる。(場合によっては昼食の時間も含める。授業時間は1回当たり4授業時間(コマ)とする。)

52 哲学的対話サークル
  哲学的素養のある教師が哲学対話サークルを設置する事を奨励する。
  また哲学的素養のある地域の人(父兄だけでなく会社、役場、教育機関、公民館等々勤務する人々を含む)が、学校内に哲学対話サークルを設置する事を奨励する。多くのソクラテスが学校入って来る事を期待する。アカデミア的な雰囲気が学校内に醸成される事を期待する。
  具体的には、図書室等に隣接して、哲学対話室を学校の規模に応じて1から5程度設置し、哲学的素養のある教師や地域の哲学的素養のある人々が、日替わりで児童生徒との哲学的対話に応じる。 
  児童生徒は自らの知識を総動員して、自らの尊敬する哲学的素養のある人々に向かう。ある意味では知恵の総力戦である。
  哲学対話サークルに通う事が、児童生徒のある意味でのステータスシンボルになる。   
  哲学対話サークルに通う児童生徒が、学級会活動、児童生徒会活動を牽引するようになり、学校に哲学的雰囲気が醸成される。
  彼らが卒業して、世の指導者となり、日本は哲学的国家としての道を進む事となる。
  なお、「一生涯にわたる哲学一貫教育」(下記3の要領を参照の事)において、大学、公民館、図書館等においても、それぞれ哲学的対話サークルが設置される事になるが、児童生徒が学校を超えてこれらの哲学的対話サークルと交流する事を奨励する。
  様々な哲学的対話サークルにおいて、哲学的対話交流を深める事に依って、真に哲学的に優秀な児童生徒が育成される。彼らが大学等で更に哲学を深め、世に出て指導者となる。これにより、日本は哲学的国家への道を進む事になる。

53 『哲学の民、日本人』、『哲学国家、日本』の誕生
  哲学一貫教育により、「哲学の民、日本人」が誕生する事になる。
  また、「哲学の民、日本人」の中の真の哲学者が世を指導する事になり、「哲学国家、日本」が誕生する事になる。

54 読書、思索、作文、対話、行為と哲学一貫教育
  哲学教育の授業において、読書と思索と作文が行われる。
  対話については、哲学的対話サークルにおいて行われる。
  行為は自らが行う。誰も行為を強制する事はできない。
読書において真善美等が想起され、思索において真善美等が深められ、作文において真善美等が確認され、対話において真善美等が確定確立され、行為によって真善美等が実践される。

55 哲学の意義と哲学国家日本 
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美等を愛する事。
  哲学国家日本とは真善美等の溢れる国家となる。
  しかし真善美は一つではない。
  日本国の真があり、日本国の善があり、日本国の美がある訳ではない。
  真善美は国民一人一人にそれぞれある。
  哲学国家日本とは、国民一人一人の真善美等がハーモニーをなす国家の事である。
  しかし、それら国民一人一人の真善美は一つのものに集約される傾向にある。
  それが日本人である所以であり、また人間でもある所以である。
  その一つとは知恵と言って良いのかも知れない。

56 哲学一貫教育の究極の基礎、それは『汝自身を知れ』
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
  知恵とは何か。それは究極の意味での本当の自分自身。
  その本当の自分自身を突き詰めて行くと、人類の普遍の様なものに突き当たる。
  そこから、猛烈な知識欲が湧き上がる。
  そこから、人間の素晴しさ、社会の大切さ、自然の素晴しさ、大切さを知るようになる。
  そこから、隣人愛、兼愛、慈愛、仁、惻隠、人類皆兄弟等々と言った思想が生まれて来る事になる。
  そこから、真善美等々と言った諸々の思想が生まれて来る事になる。

知恵とは何か。それは本当の自分自身。そこは無限の宝の宝庫。知恵の泉。打ち出の小槌。

  哲学一貫教育の基礎、それは『汝自身を知れ』にある。

57 結論
  哲学一貫教育の素晴しさを縷々述べてきましたが、未だ述べたりません。
  と言うよりも、哲学一貫教育の素晴しさにはきりが無いのです。
  哲学一貫教育は現代の全ての問題を綺麗さっぱりと解決して呉れる魔法のです。
  自殺、いじめ、差別、不登校、無気力、学力低下、道徳低下、性の乱れ等々、現代の全ての問題を哲学一貫教育は綺麗さっぱり解決して呉れるのです。
  その魔法の秘密は『汝自身を知れ』にあります。
  どうか皆さんも汝自身を知って下さい。
  そうすれば『哲学一貫教育』以外如何なる方法も無い事に気付く筈です。
  どうか哲学一貫教育を推進して下さい。

________________________________________

下記2
【分野別哲学テーマ例】

分野 字 哲学テーマ
参考 小
低 小
高 中学 高校
自分 私 私 自分、自己、自我、私、僕、俺 ○ ○ ○ ○
自分 感 感覚 五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、見る、聞く ○ ○ ○ ○
自分 感 感情 愛情、友情、喜怒哀楽、優しさ ○ ○ ○ ○
自分 感 感動 ○
自分 思 思想 思い想う事、人はいつも思想している ○ ○ ○ ○
自分 思 思索 ○
自分 知 知恵 ○
自分 知 知識 ○
自分 意 意識 ○
自分 志 志 ○
自分 心 心 ○ ○ ○ ○
自分 精 精神 ○
自分 理 理性 ○
自分 論 論理 ○
自分 喜 喜怒哀楽 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ ○
自分 意 意志 意志により精神・肉体が統一される ○ ○ ○ ○
自分 勇 勇気 ○
自分 忍 忍耐 ○
自分 節 節制 ○
自分 質 質素 質素、簡素 ○
自分 節 節約 節約、倹約 ○
自分 清 清潔 ○
自分 整 整理 整理整頓 ○
自分 元 元気 ○
自分 情 情熱 ○
自分 正 正直 正直、素直、率直 ○
自分 高 高潔 高潔、高尚 ○
自分 清 清廉 清廉潔白 ○
自分 廉 廉恥 廉恥、羞恥、 ○
自分 良 良心 ○
自分 冷 冷静 ○
自分 平 平常心 ○
自分 自 自制心 ○
自分 慎 慎重 ○
自分 丁 丁寧 ○
自分 忠 忠実 ○
自分 誠 誠実 ○
自分 堅 堅実 ○
自分 篤 篤実 篤実、篤行、篤志、篤学 ○
自分 分 分別 ○
自分 克 克己 ○
自分 決 決意 決意、決心、決断 ○
自分 信 信念 ○
自分 正 正義 ○
自分 中 中庸 ○
自分 柔 柔和 柔和、温和 ○
自分 敬 敬虔 ○
自分 信 信仰 ○
自分 祈 祈り 祈念、祈願 ○
自分 夢 夢 ○
自分 希 希望 ○
自分 理 理想 ○
自分 努 努力 ○
自分 練 練習 練習、訓練、練達、修練、練成 ○
自分 習 習慣 ○
自分 経 経験 ○
自分 積 積極性 ○
自分 学 学習 ○
自分 向 向上心 ○
自分 反 反省 ○
自分 探 探究 探究、研究 ○
自分 表 表現 ○
自分 創 創造 ○
自分 自 自分 ○
自分 自 自由 自由、自主、 ○
自分 自 自信 ○
自分 真 真 ○
自分 善 善 ○
自分 美 美 ○
自分 力 力 ○
自分 孤 孤独 ○
自分 畏 畏敬 ○
自分 言 言葉 ○ ○ ○ ○
自分 価 価値 価値論 ○
自分 人 人生 人生観 ○
自分 世 世界 世界観 ○ ○ ○ ○
自分 幸 幸福 幸福論 ○ ○ ○ ○
自分 読 読書 思想の契機 ○
自分 作 作文 思想の完成 ○
自分 勉 勉強 知識、知恵の統一 ○ ○ ○ ○
自分 哲 哲学 philosophia=知恵を愛する事。真善美等の探究 ○ ○ ○ ○

関係 学 学校 学校、小学校、中学校、高校 ○ ○ ○ ○
関係 人 人間 人間、人 ○ ○ ○ ○
関係 人 人類 ○
関係 家 家族 家、家族、家庭 ○ ○ ○ ○
関係 父 父母 父、母、親 ○
関係 兄 兄弟姉妹 兄、弟、姉、妹 ○
関係 伯 伯父・伯母 伯父、伯母、従兄弟 ○
関係 祖 祖父母 ○
関係 祖 祖先 ○
関係 子 子孫 ○
関係 子 子供 子供の日に寄せて ○
関係 誕 誕生 ○
関係 親 親族 ○
関係 大 大人 ○
関係 友 友 友、友達、友情、友愛、親友 ○ ○ ○ ○
関係 先 先生 ○
関係 先 先輩・後輩 ○
関係 男 男性 ○
関係 女 女性 ○
関係 老 老人 高齢者 ○
関係 青 青年 青年、青春 ○
関係 少 少年 少年・少女 ○
関係 偉 偉人 偉人、賢人、哲人、聖人、英雄 ○ ○ ○ ○
関係 愛 愛 ○ ○ ○ ○
関係 慈 慈悲 慈悲、慈愛 ○
関係 仁 仁 仁愛、仁徳、 ○
関係 博 博愛 ○
関係 道 道徳 倫理、人倫 ○ ○ ○ ○
関係 倫 倫理 ○
関係 礼 礼儀 礼儀、行儀 ○
関係 儀 儀式 儀式、儀礼 ○
関係 行 行為・行動 行い ○ ○ ○ ○
関係 親 親切 ○
関係 寛 寛容 ○
関係 従 従順 ○
関係 謙 謙虚 謙遜、謙虚、謙譲 ○
関係 献 献身 ○
関係 孝 孝行 ○
関係 奉 奉仕 ○
関係 協 協力 協同、協調 ○
関係 共 共感 共感、共鳴、共存共栄、共同、調和 ○
関係 切 切磋琢磨 ○
関係 尊 尊敬 尊敬、敬愛 ○
関係 尊 尊厳 尊厳、威厳 ○
関係 恩 恩 報恩 ○
関係 感 感謝 ○
関係 敬 敬老 敬老の日に寄せて ○
関係 勤 勤労 勤労感謝の日に寄せて ○
関係 品 品格 品格、品性、品位、品行 ○
関係 信 信用 信用、信頼 ○
関係 公 公平 ○
関係 公 公正 ○
関係 公 公共心 公徳、公衆道徳 ○ ○ ○ ○
関係 平 平等 ○
関係 秩 秩序 ○
関係 常 常識 日常、常識 ○
関係 冠 冠婚葬祭 慶弔 ○
関係 交 交際 ○
関係 挨 挨拶 ○
関係 対 対話 対話、会話 ○ ○ ○ ○
関係 会 会議 会議、協議、論議、討議 ○
関係 議 議論 議論、弁論、言論 ○
関係 意 意見 ○
関係 説 説明 説明、説得 ○
関係 集 集団 集団、集い ○
関係 約 約束 約束、契約、誓約 ○ ○ ○ ○
関係 義 義務 ○
関係 責 責任 ○
関係 権 権利 ○
関係 自 自立 自立、独立、立志、立身 ○
関係 旅 旅 ○

社会 社 社会 ○ ○ ○ ○
社会 生 生活 ○ ○ ○ ○
社会 衣 衣食住 衣服、食事、住居 ○ ○ ○ ○
社会 仕 仕事 ○
社会 職 職業 ○
社会 労 労働 ○
社会 産 産業 農業、林業、水産業、商業、工業 ○ ○ ○ ○
社会 国 国家 建国記念日 ○ ○ ○ ○
社会 文 文化 文化の日 ○ ○ ○ ○
社会 文 文明 ○
社会 平 平和 ○ ○ ○ ○
社会 伝 伝統 ○ ○ ○ ○
社会 環 環境 ○ ○ ○ ○
社会 地 地球 ○ ○ ○ ○
社会 地 地域 ○
社会 郷 郷土 ○ ○ ○ ○
社会 資 資源 ○
社会 土 土地 ○
社会 生 生産 ○
社会 道 道具 ○
社会 町 町・村 ○
社会 祭 祭 ○
社会 祝 祝日 それぞれの国民の祝日の意義を哲学する ○
社会 公 公園 ○
社会 図 図書館 ○
社会 博 博物館 ○
社会 道 道 道、道路 ○
社会 港 港 ○
社会 都 都市 都市、都会 ○
社会 安 安全 安全、安心、保安 ○
社会 福 福祉 社会福祉、援護、介護、看護、保護 ○
社会 制 制度 社会制度 ○
社会 体 体制 社会体制 ○
社会 集 集団 ○
社会 組 組織 ○
社会 国 国民 ○
社会 民 民衆 民衆 ○
社会 情 情報 新聞、テレビ、マスコミ、インターネット ○
社会 世 世界 現代世界、古代世界、世界情勢 ○ ○ ○ ○
社会 国 国際 国際化、国際交流 ○
社会 言 言語 ○
社会 民 民族 ○
社会 宗 宗教 ○
社会 法 法 法、決まり ○ ○ ○ ○
社会 憲 憲法 憲法記念日 ○ ○ ○ ○
社会 法 法律 ○
社会 政 政治 ○
社会 経 経済 ○
社会 地 地理 ○
社会 歴 歴史 ○
社会 教 教育 ○
社会 文 文学 ○
社会 科 科学 ○ ○ ○ ○
社会 芸 芸術 ○ ○ ○ ○
社会 学 学問 ○ ○ ○ ○
社会 国 国語 言(ことば)     教科を哲学する ○
社会 数 数学 数           〃 ○
社会 理 理科 理(ことわり)     〃 ○
社会 社 社会 社(やしろ)      〃 ○
社会 美 美術 美           〃 ○
社会 音 音楽             〃 ○
社会 技 技術 技(わざ)       〃   ○
社会 体 体育 体(からだ)      〃 ○
社会 時 時間 ○ ○ ○ ○
社会 時 時代 ○
社会 現 現代 ○
社会 古 古代 古代哲学者たちの素晴しさを知る ○

自然 自 自然 ○ ○ ○ ○
自然 季 季節 ○ ○ ○ ○
自然 春 春 春分の日に寄せて ○
自然 夏 夏 夏至に寄せて ○
自然 秋 秋 秋分の日に寄せて ○
自然 冬 冬 冬至の日に寄せて ○
自然 天 天気 天気、天候 ○ ○ ○ ○
自然 雨 雨 ○
自然 晴 晴れ ○
自然 曇 曇り ○
自然 風 風 ○
自然 天 天文 天文、宇宙 ○ ○ ○ ○
自然 太 太陽 ○
自然 星 星 ○
自然 月 月 ○
自然 空 空 ○
自然 朝 朝 ○
自然 昼 昼 ○
自然 夜 夜 ○
自然 気 気候 ○
自然 風 風土 風土、風俗 ○
自然 災 災害 天災、自然災害、地震、台風、大雨 ○
自然 生 生物 ○
自然 生 生命 ○
自然 動 動物 ○ ○ ○ ○
自然 犬 犬 ○
自然 猫 猫 ○
自然 牛 牛 ○
自然 鳥 鳥 ○
自然 虫 虫 ○
自然 魚 魚 ○
自然 植 植物 ○ ○ ○ ○
自然 花 花 ○
自然 草 草 ○
自然 木 木 緑の日に寄せて ○
自然 森 森 ○
自然 大 大地 ○ ○ ○ ○
自然 土 土 ○
自然 水 水 ○
自然 火 火 ○
自然 海 海 海の日に寄せて ○
自然 山 山 ○
自然 川 川 ○
自然 田 田・畑 ○
自然 色 色 ○
自然 体 体 体、身体、肉体 ○ ○ ○ ○
自然 目 目 ○
自然 耳 耳 ○
自然 口 口 ○
自然 鼻 鼻 ○
自然 手 手 ○
自然 足 足 ○
自然 呼 呼吸 ○
自然 心 心臓 ○
自然 脳 脳 ○
自然 命 命 ○ ○ ○ ○
自然 健 健康 ○ ○ ○ ○
※1 分野は、小学校・中学校学習指導要領「道徳」に定める4分野と同じである。
   「自分」は自分自身に関する事、「関係」は他人との関係に関する事、「社会」は社会に関する事、「自然」は自然に関する事である。
※2 「小低」とは小学校低学年の事、「小高」とは小学校高学年の事である。
   「小低」「小高」「中学」「高校」の○印は学ぶべきステージの単なるイメージである。
※3 「知恵」と「愛」については、毎学年において取り上げるものとする
※4 上記の哲学テーマは全て児童生徒の中に存在しているものである。哲学一貫教育ではこれらを教える事ではなく、これらが素晴しい形で自らの中に存在している事を気付かせる事にある。これらの存在を気付かせてあげる方法が名文中の名文と言う事になる。言霊が言霊に触れて、これらが自らの中に素晴らしい形で存在している事に気付いていくのである。


________________________________________

下記3
【一生涯に渡る哲学一貫教育について】


1 趣旨
  日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民になる事を目指す。
  なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を愛する事と解する。

2 方法
 ① 小学校、中学校、高校
   ・小中学校の道徳を廃止し、哲学とし、週2時間とする。
    高校の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、週2時間とする。
    これにより、週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
    哲学の授業においては、読書、思索、作文を対象とする。週の最初の時間に読書を、週の最後の時間に作文を行う。思索はそれぞれの時間に行われる。
    なお、小中高校哲学一貫教育の詳細については、上記1の「小中高校哲学一貫教育について」を参照の事。
   ・小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、学校内の教師、児童生徒だけでなく、大学や地域の哲学的素養のある人が入り込み、哲学的対話が行われる事を奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。    
 ② 大学
   ・哲学を必修とする。
   ・講義は週1回とし、1年から4年まで通年で受講するものとする。
   ・1年から2年までは教養哲学とする。小学校、中学校、高校で学んできた哲学を完成させる。なお2年次の最終学期には、自らの哲学体系を纏め、評価を受けるものとする。
   ・3年から4年までは専門哲学とする。それぞれの学部、例えば「経済」「経営」「法律」「社会」「教育」「工学」「医学」「理学」「文学」「体育」等、そのものについての様々な文献を研究し、それぞれに関する自らの哲学を確立する。自らの経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学、等々を完成させる。
   ・大学における哲学においては、「哲学―専門哲学―専門知識」に関する知恵・知識の有機的な体系を完成させる事を目的とする。(専門馬鹿にならず、哲学的素養のある科学者を育てる事を目的とする。)
   ・大学内に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、大学内の教師、学生だけでなく、他の大学の教師や学生、地域の人々、更には小中学校の教師、児童生徒が入り込み、様々な哲学的対話が行われる事を奨励する。 
  ④ 社会教育
    ・公民館、図書館に哲学講座を開設する。
    ・図書館の哲学関係図書の充実を図る。
    ・成人の日に際して、古今東西の名文中の名文を集めた哲学読本(一生涯を通じての座右の書となるよう読本とする。広辞苑サイズ)を財団等を通じて配布する。
    ・公民館及び図書館に哲学対話室を設置する。哲学対話室においては、地域の人々だけでなく、小学校、中学校、高校、大学の教師や児童、生徒、学生が入り込み、多くの哲学的対話が行われる事を奨励する。
 ⑤ 家庭教育
    ・結婚に際して、結婚、家族、人生等に関する名文中の名文を集めた哲学読本を財団等を通じて配布する。
    ・家庭内における哲学的対話が図れるような機運を醸成する。
・学校の哲学一貫教育と連携し、親子の哲学的対話の図れるよう機運を醸成する。親子で一緒に哲学読本を読み、親子で一緒に哲学テーマについて語るような機運
を醸成する
・第一子出産に際して、幼児読み聞かせ用の哲学読本を財団等を通じて配布する。読み聞かせ運動を展開する。
  ⑥ 哲学的対話(哲学対話室)
    ・小学校、中学校、高校、大学、公民館、図書館等に哲学対話室を設置する。
     これらの対話室では、小学校、中学校、高校、大学の教師、児童、生徒、学生、地域の人々が垣根を越えて哲学的対話が行われることを奨励する。
     特に、大学や地域の哲学的素養のある人が、小中高校に入り込み、学校内の対話室において児童生徒と哲学的対話が行われることを奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。
    ・様々な場において多くの哲学的対話が行われる事により、日本全土に哲学的な雰囲気が醸成される。

3 哲学一貫教育の役割分担
  哲学一貫教育は、読書、思索、作文、対話、行為によって完結する。
    この内の、読書、思索、作文については、小学校、中学校、高校の哲学の授業において徹底底的に行われる。また大学において更に深められる。学校卒業後は、それぞれのステージの生涯学習で行われる。なお、公民館講座、図書館講座等において、その様な機会を提供する。また。成人式、結婚、出産等に際して、それぞれのステージに相応しい哲学読本を財団等を通じて配布する。
 対話については、様々な場に設置される哲学対話室において行われる。
 行為については、自らの意志において行う。

※日本はかつて「言霊の幸ふ国」(広辞苑)と呼ばれていました。哲学一貫教育では再度その様な国創り(真善美に溢れた国創り)を目指します。哲学一貫教育とは言霊による国創りの事なのかも知れません。
 万葉集「言霊の幸ふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり」
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「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
各大学哲学担当教官宛て
平成20年11月作成(提唱せず)

哲学、倫理等の担当教官がいない大学については、学長等にお渡し下さい。
 長文ですが、最終的には、貴大学への哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を提唱しています。
 なお、返信は一切不要です。

拝啓
 各大学哲学担当教官 殿

 私は哲学一貫教育を提唱している者です。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟する事を目指して行う教育の事です。

 この哲学一貫教育は大きく次の5つの柱から成っております。
 ① 小中高校哲学一貫教育
 ② 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
 ③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
 ④ 哲学読本大全(全100巻)の作成
 ⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)の設置
 
 ①の「小中高校哲学一貫教育」とは、小中高校の12年間に渡って哲学教育を一貫して行うと言うものです。
 具体的には、哲学の授業を週2時間とし、週の最初の時間にある哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編から5編程度読み、週の最後の時間にその読書を契機とし、その1週間の間に、その哲学テーマについて思索した結果を作文として纏める事となります。
 これを小中高校の12年間一貫して行います。
 小学校低学年では特別な配慮をしますが、単純に計算すると、小中高校12年間の間に、360の哲学テーマ(1年30哲学テーマ×12年間=360哲学テーマ)について、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、360の哲学テーマについて作文を書く事になります。
 これにより、世界に類例が無いと言う程に哲学的に成熟した児童生徒が育成される事に成ります。
 
 ②の「小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う哲学一貫教育」ですが、これについては、小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、更に大学や公民館、家庭においても哲学教育を行うと言うものです。
 大学については、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で毎週1回哲学の授業を受講するものとします。
 なお、1,2年においては、教養哲学とし、小中高校で学んだ事を集大成します。 
 3,4年においては専門哲学とし、自ら学ぶ各学科を哲学するものとします。経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学、福祉哲学、スポーツ哲学、科学哲学等。
 公民館においては、週1回の通年の哲学講座を開設するものとします。
 家庭においても、哲学教育が行われるよう教材等の提供を行うものとします。

 ③の「大学教育学部における徹底した哲学教育」の実施ですが、これは哲学(知恵を愛する事)に優れた教師を育成する為に行います。
 教育学部において哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週3回の哲学の授業を受講するものとします。

 ④の「哲学読本大全(全100巻)」ですが、これは、小中高校哲学一貫教育、大学における哲学教育、公民館における哲学教育、家庭における哲学教育等、全ての哲学一貫教育における教材となるものです。
 哲学読本大全(全100巻)とは、国民にとって大切な500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編ずつ集めたものです。
 哲学読本大全(全100巻)は、WEB上でも、無料で公開するものとします。
 哲学読本大全(全100巻)は、小学校高学年でも読めるようルビを付すものとします。
 哲学読本大全(全100巻)は、日本における『知恵の書』と成るものです。

 ⑤の「哲学フォーラム(哲学対話室)の設置」ですか、これは、全国全ての小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置すると言うものです。
 哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事を言います。

 以上が、哲学一貫教育の概要ですが、これらの詳細については、今回添付しています、「冊子『哲学フォーラムと哲学一貫教育』メール送信用」をご覧頂きたいと思います。

 なお、上記の①から⑤の内、①から④までは、予算上の制約、制度上の制約等があり、直ぐに実行に移す事は難しい状況にあります。
 しかし、⑤の「哲学フォーラム(哲学対話室)の設置」については、何の制約もありません。
 もし、設置しようと思えば、明日からでも設置する事が出来ます。
 哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するのにお金は1円も要らないのです。
 ただ、哲学ボランティア“ソクラテス”の情熱だけがあれば良いのです。

 そう言う事で今回私は、哲学フォーラム(哲学対話室)に関係のあると思われる機関に対して、哲学フォーラム(哲学対話室)の設置を提唱しています。
 つきましては、貴大学においても、どうか哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂きたいと思います。
 下記に、参考までに、その設置要領をお示ししたいと思います。

『大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の要領』

1 趣旨
  大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の要領を示す。

2 哲学フォーラム大学名
  ① 哲学担当教官を中心に、哲学に関心のある教官、院生、卒業生その他で哲学フォーラム大学名(例:哲学フォーラム東京大学)を組織する。
  ② 代表は哲学担当教官、事務局は哲学担当教官の研究室とする。
  ③ 哲学フォーラム大学名が哲学フォーラム(哲学対話室)を運営する。
    哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的な対話を行う部屋の事である。
  ※哲学の担当教官が居ない大学においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある教官等を中心に哲学フォーラム大学名を組織するものとする。

3 哲学ボランティア“ソクラテス”
  ① 哲学フォーラム大学名の構成員は全て、哲学ボランティア“ソクラテス”となる。
  ② 哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者と哲学的対話を交わす事となる。
  ③ 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とする。
  ④ 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、知恵を愛する事(哲学)に熱心な者とする。
⑤ 哲学フォーラム大学名設置後は、なるべく多くの哲学ボランティア“ソクラテス”を募るものとする。

4 哲学フォーラム(哲学対話室)の開設
  ① 哲学フォーラム(哲学対話室)については、毎週土曜日午後2時から午後5時の間、大学図書館の会議室を借りて開設するものとする。
  ② 哲学フォーラム(哲学対話室)は、その大学の関係者だけでなく、日本国民全てにその門戸を開くものとする。
  ③ 哲学フォーラムの開設時間中は、『哲学フォーラム(哲学対話室)』の表示を行い,更にその下に、「誰でも自由に勝手に許可無くお入り下さい」「この部屋は誰もが気軽に自由に哲学的テーマについてお話をする為の広場です」等々の表示をするものとする。フォーラム(広場)の趣旨を最大限アピールするものとする。
  ④ 哲学フォーラム開設時間中には、必ず二人以上の“ソクラテス”が常駐するものとする。なお、訪問者が多い場合は、それに応じて“ソクラテス”の数を増やして行くものとする。
  ⑤ 哲学フォーラム(哲学対話室)において、“ソクラテス”と訪問者が一対一で、または数人で様々な哲学テーマについて哲学対話を交わす事になる。
    
5 各大学、各公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)との連係
  各大学、各公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)と、連携、交流を図るものとする。
  なお、全国全ての大学及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)は、必ず、毎週土
曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとする。
  これにより、『哲学フォーラム巡り』と言う新たな社会的な楽しみが生まれる事になる。
  若者を中心に『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』と言う合言葉も生まれる事にな
る。

6 小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)との連携
  大学の哲学フォーラムの“ソクラテス”は、なるべく多くの小中高校及び公民館の哲
学フォーラムの“ソクラテス”と成るものとする。
 特に、院生、学生は積極的に小中高校の哲学フォーラムの“ソクラテス”と成るもの
とする。

7 哲学ボランティア“ソクラテス”の誕生
  哲学フォーラム(哲学対話室)において、哲学ボランティア“ソクラテス”との哲学対話を重ねる事により、哲学に熱心な者の中から、新たな哲学ボランティア“ソクラテス”が生まれる事となる。
  この哲学ボランティア“ソクラテス”が、また地域で、学校で、家庭で哲学対話を重ねる事により、また哲学に熱心な者の中から、新たな哲学ボランティア“ソクラテス”が生まれる事になる。
  この様にして、多くの哲学ボランティア“ソクラテス”が誕生して行く事となる。

8 哲学フォーラムにおける『哲学』の意義
  哲学フォーラムにおける『哲学』とはphilosophia、知恵を愛する事。
  知恵を愛するとは、真善美に溢れた言葉を愛する事。
  真善美に溢れた言葉を愛するとは、真善美に溢れた自分自身を愛する事。
  哲学フォーラムにおける『哲学』の本質は、『汝自身を知れ』にある。
  
なお、真善美に溢れた言葉を愛する為には、真善美に溢れた言葉に触れなければいけない。
  この真善美に溢れた言葉を集めたものが、哲学読本大全(全100巻)である。  
  哲学読本大全により、真善美に溢れた言葉に触れる事により、その真善美に溢れた言葉が自分自身の中に存在している事を知るようになり、また哲学対話により、その真善美に溢れた言葉が相手の中にも存在している事を知るようになる。
  この様な事を繰り返して行く内に、その真善美に溢れた言葉が自分自身のものと成って行く。
  そして、その結果として、真善美に溢れた自分自身を知る事となるのである。

  哲学フォーラム(哲学対話室)は、素晴らしき存在としての自分自身を確認する場となる。

  哲学フォーラム(哲学対話室)は、必ずや、素晴らしき大学生を育てます。
  どうか、貴大学においても、哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して下さい。
   敬具

平成20年11月  日
哲学哲男

追伸

「冊子『哲学フォーラムと哲学一貫教育』メール送信用」を添付します。

当該冊子『哲学フォーラムと哲学一貫教育』は、これまで関係機関に提唱してきたて哲学一貫教育に関する提唱文を纏めたものです。
その一覧については、巻末の通りです。
それぞれの提唱の内容を簡単に示すと次の通りです。

1の文部科学省初等中等教育局長宛の提唱文が、哲学一貫教育に関する最初の提唱です。
この提唱では、主に小中高校哲学一貫教育の事を述べています。

 2の文部科学省生涯学習政策局長宛の提唱文は、教育振興基本計画の策定に向けて広く意見を募集しているとの事であったので、それに合わせて提唱しています。
 提唱の内容は、書き出しと結びを除いて、ほとんど1と同じ内容となっています。

 3の内閣官房長宛の提唱文は、教育再生会議の最終報告「社会総がかりで教育再生を」が出されたので、それに対する意見と言う事で提唱しています。
 提唱の内容は、書き出しと結びを除いて、ほとんど1と同じ内容となっています。

 4の文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛の提唱文は、文部科学省学習要領に関して広く意見を公募しているとの事であったので、それに合わせて提唱しています。
 なお、この提唱の中で、哲学一貫教育に関する考え方が飛躍的に発展しています。
 この提唱の中で、大学教育学部部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)を提唱しています。
 また、改定後の文部科学省学習要領の中での、小中高校哲学一貫教育の実施の方法についても提唱しています。
 「哲学読本大全(全100巻)」と「哲学フォーラム」を除く、哲学一貫教育の考え方が、この提唱の中でほぼ確定しています。

 5の文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官宛の提唱文は、哲学一貫教育の直接の担当者である学校教育官兼道徳教育調査官宛に、これまでの1から4までの提唱文を添えて、哲学一貫教育の実施に関して檄文的に提唱しています。

 6の東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛の提唱文は、東京学芸大学における哲学一貫教育の試行を提唱しています。
 試行内容については、「東京学芸大学付属中学校1年及び2年生を対象とし哲学教育の試行について」、「中学生の為の哲学読本の作成について」、「教育学部における徹底した哲学教育の試行について」と言う形で示しています。
 
 7の各国立大学教育学部哲学教育担当教官宛の提唱文は、これまでの哲学一貫教育に関する提唱の総まとめとして提唱しています。
 この提唱の中で、「哲学読本大全(全100巻)」と「哲学フォーラム」の概念が強く打ち出される事になります。
 それらについては、「哲学読本大全(全100巻)作成要領」、「哲学フォーラム実施要領」、日本の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する方法について」と言う形でその内容を提示しています。

 8の各国立大学教育学部哲学教育担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱文の中で、各国立教育学部哲学教室が中心と成って、各都道府県の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。

 9の東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 なお、この提唱の中で、東京学芸大学が、日本全国の全ての哲学フォーラムのセンターとしての『哲学フォーラム日本』の事務局の役割を担うよう提唱しています。
 
10の文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長宛の提唱文及び、
11の文部科学省初等中等教育局教育課程課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱の中で、両課長が中心と成って、日本全国の全ての小中高校に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。

12の文部科学省生涯学習政策局政策課長宛の提唱文及び、
13の文部科学省生涯学習政策局社会教育課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱の中で、両課長が中心と成って、日本全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。

14の文部科学省高等教育局高等教育企画課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱の中で、高等教育企画課長が中心と成って、日本全国の大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
 また、大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成)の重要性も提唱しています。
 更に、高等教育企画課長が中心と成って、全ての大学を結集して、『哲学読本大全(全100巻)』を作成するよう提唱しています。

15の内閣官房教育再生懇談会担当室長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、「哲学」による国創りを提唱しています。

16の(社)全国公民館連合会長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱の中で、日本全国の全ての公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。

17の北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の教育学部教育哲学担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱の中で、教育哲学における哲学の意義を提唱しています。

18の北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の文学部哲学担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、それぞれの大学の文学部の哲学教室が中心となって、それぞれの大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
この7大学の哲学フォーラムが、日本における哲学フォーラムの象徴とも成るような事も提唱しています。

19の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞の編集局教育担当部長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、哲学フォーラムの全国展開に協力支援して下さるよう提唱しています。

20の日本放送協会、日本テレビ、東京放送網、フジテレビ、テレビ朝日の報道局教育担当部長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
この提唱の中で、哲学フォーラムの全国展開に協力支援して下さるよう提唱しています。

21の岩波書店、講談社、小学館、新潮社、文芸春秋、角川書店、集英社、中央公論新社、NHK出版の編集局「教育・哲学書」担当編集長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の送付状として作成しています。
 この提唱の中で、各出版社毎に、『哲学読本大全(全1巻)』を出版するよう提唱しています。
 また、上記出版社だけでなく、多くの出版社が『哲学読本大全(全1巻)』を出版するよう、併せて提唱しています。

 以上の8から21の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の郵送の際の、送付状として作成しています。
 以下の22から24提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。

 22の各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長と社会教育課長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
 この提唱の中で、各都道府県における小中高校及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の具体的な展開方法を提唱しています。
 また、各都道府県の哲学フォーラムの中心となる『哲学フォーラム都道府県』についても、「哲学フォーラム都道府県について」と言う形で明確に提唱しています。

 23の各大学哲学担当教官宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
 この提唱の中で、それぞれの大学において哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するよう提唱しています。
 「大学に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する為の要領」と言う形でその具体的要領を提示しています。

 24の各新聞社編集局長及び各放送社報道局長宛の提唱文は、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信する際の、送付状として作成しています。
 この提唱の中で、各都道府県の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開について、積極的に協力支援して下さるよう提唱しています。

 以上が、哲学一貫教育に関する提唱の一覧です。
 この内、1から7までは、過去に提唱したものであり、8から24までは今回提唱するものです。
 これまでは、主に小中高校哲学一貫教育や大学教育学部における哲学教育を提唱して来ましたが、今回は哲学フォーラム(哲学対話室)を中心に提唱しています。
 小中高校哲学一貫教育や教育学部における徹底した哲学教育については、制度上や予算上の制約がありますが、哲学フォーラム(哲学対話室)については、制度上、予算上の制約は何もありません。
 日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するのにお金は1円も要らないのです。
 この事については,7から24までの提唱の中で繰り返し説明して来たので、もうお分かりに成って頂けていると思います。

 今回、哲学フォーラム(哲学対話室)に関係あると思われる全ての機関に対して提唱しています。
 つきましては、皆様方のそれぞれの場で、または関係機関と連係を取り合って、哲学フォーラム(哲学対話室)の全国展開の早期実現を図って頂きたいと思います。

 なお、そうは言いましても、全ての小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置するとなると、相当数の哲学ボランティア“ソクラテス”が必要となります。
 それら“ソクラテス”が一気に集まるとも思いません。

 と言う事で、当座は、全国の全ての大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置する事を目標とする事といたしましよう。
 そして開設日時も、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする事にいたしましよう。
 これにより、哲学フォーラム(哲学対話室)の全国的展開が現実味を帯びる事になります。

 大学の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”は、大学関係者(教官、院生、卒業生等)や哲学に関心のある者で十分に賄えるでしょう。
 公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の“ソクラテス”は、その地域の小中高校の教師や哲学に関心のある者で十分に賄えるでしょう。
 大学及び公民館での哲学フォーラム活動が十分に成熟し、そこから多くの“ソクラテス”が生まれたら、その時小中高校の哲学フォーラム(哲学対話室)を考える事としましよう。

 当座の目的はこうなります。
 「全国の全ての大学及び公民館において、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで哲学フォーラム(哲学対話室)を開設する。」と

 これで、“全国哲学フォーラム巡り”が可能になりますが、
 当座の合言葉はこうなります。
 『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』 お茶をとか

 どうか皆さん、そんな楽しみの為、哲学フォーラムに集結して下さい!


 今回の提唱は限がありませんので、これで終わりにします。
 どうか皆様よろしくお願いいたします。

 何時か何処かの哲学フォーラムでお会い出来る事を楽しみしています!
 哲学哲男

哲学一貫教育提唱一覧

提唱年月日 提唱文宛名 備考
1 H20.02.03 文部科学省初等中等教育局長 ☆
2 H20.02.10 文部科学省生涯学習政策局長
3 H20.02.17 内閣官房長
4 H20.03.09 文部科学省初等中等教育局教育課程課長 ☆
5 H20.03.18 文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官
6 H20.04.07 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官
7 H20.11. 各国立大学教育学部哲学教育担当教官 ☆
8 H20.11. 各国立大学教育学部哲学教育担当教官
9 〃 東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官
10 〃 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長
11 〃 文部科学省初等中等教育局教育課程課長
12 〃 文部科学省生涯学習政策局政策課長
13 〃 文部科学省生涯学習政策局社会教育課長
14 〃 文部科学省高等教育局高等教育企画課長 ★
15 〃 内閣官房教育再生懇談会担当室長
16 〃 (社)全国公民館連合会長
17 〃 北海道大学教育学部教育哲学担当教官
東北大学教育学部教育哲学担当教官
東京大学教育学部教育哲学担当教官
名古屋大学教育学部教育哲学担当教官
京都大学教育学部教育哲学担当教官
大阪大学教育学部教育哲学担当教官
九州大学教育学部教育哲学担当教官
18 〃 北海道大学文学部哲学担当教官
東北大学文学部哲学担当教官
東京大学文学部哲学担当教官
名古屋大学文学部哲学担当教官
京都大学文学部哲学担当教官
大阪大学文学部哲学担当教官
九州大学文学部哲学担当教官 ★
19 〃 朝日新聞東京本社編集局教育担当部長
毎日新聞東京本社編集局教育担当部長
読売新聞東京本社編集局教育担当部長
産経新聞東京本社編集局教育担当部長
日本経済新聞編集局教育担当部長
20 〃 日本放送協会報道局教育担当部長
日本テレビ放送網報道局教育担当部長
東京放送報道局教育担当部長
フジテレビ報道局教育担当部長
テレビ朝日報道局教育担当部長
21 〃 岩波書店編集局「教育・哲学書」担当編集長
講談社編集局「教育・哲学書」担当編集長
小学館編集局「教育・哲学書」担当編集長
新潮社編集局「教育・哲学書」担当編集長
文芸春秋編集局「教育・哲学書」担当編集長
角川書店編集局「教育・哲学書」担当編集長
集英社編集局「教育・哲学書」担当編集長
中央公論新社編集局「教育・哲学書」担当編集長
NHK出版編集局「教育・哲学書」担当編集長 ★
22 〃 各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長
各都道府県教育委員会社会教育担当課長 ★
23 〃 各大学哲学担当教官 ★
24 〃 各新聞社編集局長
各放送社報道局長 ★
25 〃 あとがき(または追伸) ◎最終結論
※1 1から6は提唱文、7から24は送付状兼提唱文。
※2 7から21の宛先には冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」を郵送。なお各大学には任意の1名の教官宛に1冊郵送。
※3 22から24の宛先には、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」の内容を電子メールで送信。電子メール受付窓口の無い機関には送信していない。
※4 ☆印の付いている、1、4,7は基本的な提唱文。
※5 ★印の付いている、14,18,21,22,23,24においては、基本的な提唱文で提唱していない新たな内容の提唱を行っている。
※6 提唱の内容は少しずつ変わって来ている。番号の大きい提唱が、現在の考え方と近いものとなる。
※7 25のあとがき(または追伸)が最終結論となる。すなわち
   『全ての関係機関が協力し合って、全ての大学及び公民館において、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで哲学フォーラム(哲学対話室)を開設する。』がこの冊子の最終結論となる。

○注 当該メールを送信する時点におきましては、冊子「哲学フォーラムと哲学一貫教育」は、未だ印刷しておらず、郵送もしていない事をお断りしておきます。

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「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
都道府県教育委員会小中高校教育担当課長宛て
都道府県教育委員会社会教育担当課長  
平成20年11月28日提唱

 電子メール受付担当者様へ
 当該メールを教育委員会の義務教育担当課長、高校教育担当課長及び社会教育担当課長にそれぞれに転送して下さいますようお願い申し上げます。
 なお、当該メールでは、小学校、中学校、高校、公民館等への哲学対話室の設置を提唱しています。

 拝啓
 
各都道府県教育委員会 小中高校教育担当課長 ┐
                      ├ 殿
 各都道府県教育委員会 社会教育担当課長   ┘

 私は哲学一貫教育を提唱している者です。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟する事を目指して行う教育の事です。
 この哲学一貫教育には、次の5つの柱があります。
① 小中高校哲学一貫教育
② 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
④ 哲学読本大全の作成
⑤ 哲学対話室の設置

これらの詳細については、下記を見て頂きたいと思います。
これらの内、①から④までは、予算面、制度面の制約があり、直ぐに実行に移す事は難
しい状況にあります。
 しかし、⑤の哲学対話室の設置については、予算面、制度面の制約は何も無く、実行しようと思えば直ぐにでも実行する事が出来ます。

 哲学対話室とは、文字通り、哲学的な対話を行う部屋の事です。
 ⑤の哲学対話室の設置とは、この哲学対話室を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置しようとするものです。

 小学校、中学校、高校の哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時まで、空き教室等を利用して開設するものとします。
 大学及び公民館については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、大学においては大学図書館の会議室を、公民館においては公民館の会議室を借用して、開設するものとします。

 この哲学対話室には、その開設時間には、必ず2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。
 この哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学対話室において、小中高校においては児童生徒と、大学及び公民館においては一般国民と、哲学的対話の相手をする事になります。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。

 哲学対話室とは、とても簡単な仕組みです。
 哲学対話室に、その開設時間だけ、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、その開設時間に、哲学対話室を訪れた者と、哲学的な対話を行う。
 唯、これだけの事です。
 そして、会場使用料は無償であり、人件費も無償です。
 ですから、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円も必要としないのです。
 唯、必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”だけと言う事になります。

 しかし、そうは言っても、日本全国に小学校が22,693校、中学校が10,995校、高校が5,313校、大学が1,190校、そして公民館が17,143館あります。
 これら全てに、一気に哲学対話室を設置するとなると、哲学ボランティア“ソクラテス”の絶対数が不足する事になると思います。
 そこで、私が提案したいのは、『先ずは全ての公民館に哲学対話室を設置する』です。
 
全国で公民館の数が17,143館です。
これを都道府県に換算すると365館(17,143館÷47都道府県≒365)となります。
また市町村に換算すると10館(17,143館÷1,782市町村≒10)となります。
 
 公民館に設置される哲学対話室は、週1回土曜の午後2時から午後5時まで開設されだ
けです。
 そして、そこに2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するだけです。
 ですから、1公民館に2人の哲学ボランティア“ソクラテス”が居るだけで良いのです。
 しかし、それでは、2人の哲学ボランティア“ソクラテスに負担がかかり永続性が担保されません。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は、余裕を持ちながら、哲学的対話を楽しまなければなりません。
 と言う事で、哲学ボランティア“ソクラテス”の担当を4週間に1回とする事します。
 そうすると、1公民館に8人(2人×4週間)の哲学ボランティア“ソクラテス”が居るだけ良い事になります。

 これを市町村に換算すると80人(8人×10公民館=80人)、都道府県に換算すると2,920人(8人×365公民館=2,920人)、日本全国に換算すると137,144人(8人×17,143公民館=137,144人)の哲学ボランティア“ソクラテス”が必要となります。
 これだけの哲学ボランティア“ソクラテス”が集まれば、日本全国の全ての公民館に哲学対話室を設置する事が可能となります。
 果たしてこの事は可能なのでしょうか。

 私に言わせれば、いとも簡単な事です。
 しかし、これを全国規模で行うとなると漠然とし、その実効性は薄いかも知れません。
 しかし、都道府県単位で行えば、いとも簡単に行えるのです。
 その仕組みが、『哲学フォーラム都道府県』です。

 哲学フォーラム都道府県とは、その都道府県内の哲学対話室の中心となるものであり、哲学ボランティア“ソクラテス”の中心となるものです。
 哲学フォーラム都道府県が設立されれば、そこに哲学(知恵を愛する事)に熱意のある者がたくさん集まってきます。
 彼らが、哲学ボランティア“ソクラテス”と成って、それぞれの公民館に哲学対話室を立ち上げ、彼らが自主的に哲学対話室を運営して行く事になるのです。

 哲学フォーラム都道府県を上手く立ち上げれば、2,920人だけではなく、10,000人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が集まる事にもなります。
 もし、そうなれば、その都道府県内の全ての、小学校、中学校、高校、大学、公民館に哲学対話室を設置する事も可能となるのです。

 それでは、これから、哲学フォーラム都道府県の立ち上げ方をお示ししたいと思います。
 この哲学フォーラム都道府県の中心となる人物は、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長と社会教育担当課長と各都道府県に設置されている国立大学教育学部の哲学担当の先生です。
 この三人が黄金の三角形を描く事で、哲学フォーラム都道府県は万全のものとなるのです。
 そして、その三角形の頂点には、いつも国立大学教育学部の哲学担当先生が居る事になります。

 それでは、その手順をお示ししたいと思います。
 先ずは、国立大学教育学部の哲学担当の先生と都道府県教育委員会の小中高校教育担当課長と社会教育担当課長の三者で哲学フォーラム都道府県の構想を練ります。
 次に、大学関係者、教育関係者、その他哲学に関心のある者10名程度で、哲学フォーラム都道府県設立準備会を組織します。
 この設立準備会の事務局は、国立大学教育学部の哲学担当の先生の研究室とします。
 研究室の院生、学生等が事務局の作業を担当するものとします。

 次に、設立準備会で、設立趣意書案、会則案等を作成し、設立発起人を募ります。
 設立発起人が100名に成った時、100名の連名で、哲学フォーラム都道府県を正式に設立します。
 設立発起人が中心と成って、1,000名を目途に、哲学フォーラムの都道府県の会員を募ります。
 哲学フォーラム都道府県の会員が1,000名に成った時、哲学フォーラム都道府県の会員が中心と成って、各市町村の中央公民館に哲学対話室を設置するものとします。
 後は、各市町村の中央公民館の哲学対話室と哲学フォーラム都道府県が連携して、都道府県内の全ての公民館に哲学対話室を設置して行くものとします。

 以上が、各都道府県の内の全ての公民館に哲学対話室を設置する為の手順となります。
 上手に行えば、5年間で日本国中の全ての公民館に哲学対話室を設置する事が可能だと思います。

 なお、哲学フォーラム都道府県の全国的連携組織として、『哲学フォーラム日本』を設立します。
 哲学フォーラム日本の事務局は、東京学芸大学「哲学・倫理分野」グループに設置するものとします。

 私は、今回、各都道府県教育委員会の小中高校教育担当教育課長及び社会教育担当課長に、この提唱をする前に、下記の通り、国立大学教育学の哲学担当の先生方に、今回と同じ様な提唱を行っています。

 哲学フォーラムの都道府県の中心は何と言っても、国立大学教育学部の哲学担当の先生方であるべきです。
 何故なら、彼らこそが、その都道府県のソクラテスであるべきであり、また彼らが新たなソクラテスを生み出す存在であるべきなのですから。
 彼らから近い内に、哲学フォーラム設立準備会の話が来ると思います。
 その時は、どうか協力して頂きたいと思います。
 なお、その時は、各都道府県の公民館連絡協議会の会長にも話をつけて頂きたいと思います。


 さて、5年後には、日本国中の全ての公民館に哲学対話室が設置される事になります。
 これが、如何に楽しい事か、哲学(知恵を愛する事)に興味のある人なら分かると思います。
 私たちは、毎週土曜日の午後2時から午後5時に、公民館に行けば、日本国中のソクラテスと会う事が出来るのです。
 これが、如何に楽しい事か、哲学(知恵を愛する事)に興味のある人なら分かると思います。

 さて、最後に哲学の秘儀をお示しして置きたいと思います。
 哲学とはpilosophia、知恵を愛する事。
 哲学とは、真善美を求める事。
 哲学の本質は、『汝自身を知れ』
 哲学とは、真善美に溢れた自分自身を愛し求める事なのです。
 決して、でかんしょ、すなわちデカルト、カント、ショーペンハウワー等の哲学文献を研究する事ではないのです。
 
 哲学対話室は、その機会を提供するものなのです。
 哲学、それは物心付いた子供から、死ぬ直前のお年寄りまで、行うべき事です。
 しかし、日本ではあまりにもその事が等閑にされています。
 哲学対話室は、その機会を提供するものなのです。

 『汝自身を知れ』
 もし日本人全てが、真善美に溢れた自分自身の存在を知ったらどうなるでしょう。
 現在の教育問題、社会問題は全て解決です。
 そして、その先には真善美に溢れた日本が存在するのです。

 哲学の深い意味をもう一度自分自身で考えた上で、どうか哲学対話室の全国展開にご協力頂きたいと思います。

 なお、『哲学(知恵を愛する事)』は秘儀ですから、あまり人に言いふらさないほうが良いと思います。
 自分自身に沈潜させた上で、どうか哲学対話室の全国展開にご協力頂きたいと思います。
敬具

平成20年11月28日
                                    哲学哲男


追伸
私は、これまで、文部科学省初等中等教育局長、文部科学省生涯学習政策局長、内閣官房長官、文部科学省初等中等教育局教育課程課長、文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育調査官兼道徳教育調査官及び東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官あてに哲学一貫教育に関する提唱文を書簡として送っていますが、それらを纏めて『哲学一貫教育と哲学フォーラム』と言う冊子を作成しています。
そのファイルも併せて添付しますので、ご参考にして下さい。


※ 下記は、平成20年11月16日付けで、国立大学教育学部の哲学担当の先生に宛てに、
メール送信した「哲学対話室設置に関する」提唱文です。
国立大学教育学部の哲学担当の先生と小中高校教育担当課長と社会教育担当課長が連
携をすれば、公民館への哲学対話室の設置はいとも簡単に行われるのです。
『土曜日の午後は公民館の哲学対話室で!!』
これが、日本国中の小学生、中学生、高校生、大学生、そして日本国民の合言葉に成
りますように。
この哲学対話室で、あらゆる世代の人々が哲学的対話を交わす様になるのです。
嘗ての古代ギリシアの『フォーラム』の様に

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※原文の当該箇所には、「平成20年11月16日付けの国立大学教育学部哲学担当教官宛ての提唱文」全文を掲載しているが、省略する。 なお、上記提唱文は、当該冊子の○○頁から○○頁に掲載されいる。(当該※印注意書きは、平成21年12月8日作成)
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「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
 都道府県教育委員会教育長
平成20年12月14日提唱

※1 国立大学教育学部 哲学担当教官宛送付依頼文
 電子メール受付担当者 様
 当該メールを、教育学部の「哲学・倫理」担当の先生に転送して下さいますようお願い
申し上げます。
 なお、当該メールでは、全ての小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室
を設置する事を提唱しています

※2 各都道府県教育委員会 教育長宛送付依頼文
 電子メール受付担当者 様
 当該メールを、教育委員会の教育長宛に転送して下さいますようお願い申し上げます。
 なお、当該メールでは、全ての小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室
を設置する事を提唱しています

 拝啓
 
国立大学教育学部 哲学担当教官┐
               ├殿
各都道府県教育委員会 教育長 ┘

 私は、哲学フォーラムを提唱している者です。
 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しようとするものです。
 哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行う部屋の事です。

 私はまた、哲学一貫教育を提唱しています。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供しようとするものです。
 この哲学一環教育は、次の五つの柱から成っています。
 一 小中高校哲学一貫教育
 二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行う一生涯に渡る哲学一貫教育
 三 大学教育学部における徹底した哲学教育
 四 哲学読本大全(全100巻)
 五 哲学フォーラム

 この哲学一貫教育の内、一から四までは、予算面、制度面の制約があり、直ぐに実行するのは難しい状況にあります。
 しかし、哲学フォーラム(哲学対話室)については、予算面、制度面の制約は無く、実行しようと思えば直ぐにでも実行する事が出来ます。

 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学及び公民館に、哲学対話室を設置するものですが、この哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”と言う者が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を交わす事になります。
 この哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て古代ギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とします。

 小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
 部屋については、空き教室等を利用するものとします。

 大学に設置される哲学対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
 部屋については、哲学対話室が開設されている時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとします。

 公民館に設置される哲学対話室についても、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
 部屋については、哲学対話室が開設されている時間だけ、公民館の会議室を一時借用するものとします。

 哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と部屋だけです。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は無報酬ですし、部屋の使用料も無償ですので、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に、哲学対話室を設置しても、お金は一円もかからないのです。

 なお、哲学対話室及び哲学ボランティア“ソクラテス”の、各都道府県のセンター的組織として哲学フォーラム都道府県を、全国的組織として哲学フォーラム日本を設置するものとし、事務局については、哲学フォーラム都道府県については、国立大学教育学部の哲学教室に、哲学フォーラム日本については、東京学芸大学の哲学教室に置くものとします。

以上、哲学フォーラム(哲学対話室)は、とても簡単な仕組みです。
 しかし、その効果はとても大きいのです。

 哲学フォーラム(哲学対話室)が、全国に浸透して行けば、哲学一貫教育に関する認識が高まってきます。
 もし、哲学一貫教育が全国的に展開される事となれば、日本は確実に哲学的に成熟した国家となります。
 そして、プラトンが目指した理想国家に近付く事にもなるのです。

 理想国家は別にしても、哲学フォーラム(哲学対話室)は、とても簡単な仕組みです。
 大学教育学部と教育委員会が連携をすれば、直ぐにでも実行する事が可能です。
 どうか、より良き日本の為に、大学教育学部と教育委員会が連携し合い、協力し合って、早期に哲学フォーラムを実現させて頂きたいと思います。
敬具
平成20年12月6日
哲学哲男

追伸
私は、これまで、文部科学省初等中等教育局長、文部科学省初等中等教育局教育課程課長、文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官、文部科学省生涯学習政策局長、内閣官房長、東京学芸大学哲学担当教官、国立大学教育学部哲学担当教官、各都道府県教育委員会小中高校教育担当課長及び社会教育課長宛に、哲学一貫教育の提唱を行なってきました。
 また、大手の新聞社、放送局、出版社、更には、各大学哲学担当教官(国立大学教育学部哲学担当教官を除く)にも提唱しようと思い、その素案を作成しています。
 そして、これらを纏めて「哲学フォーラムと哲学一貫教育」と言うファイルを作成しています。
 もし、ご希望があれば、メール送信したいと思いますので、ご連絡下さい。
 なお、私の書き送るものについては、全て著作権フリーです。
 大学においては、教官や学生に、教育委員会においては、教育行政担当者や学校関係者にメール送信するなり、コピーを配布するなどして、議論して頂ければ、有難く思います。
 おって、下記に「哲学一貫教育」の概要と「哲学フォーラム」の概要を示して置きますので、議論の材料として下さい。
 もし、意見や質問がありましたら、哲学ネーム等(例:哲学哲男)で結構ですので、ご連絡下さい。
 最後に、私は大学関係者でもなく、教育関係者でもありません。
 哲学(知恵を愛する事)を愛する一市民です。
 その様な者として、お見知りおき頂ければ有り難く思います。



________________________________________
哲学一貫教育について

1 趣旨
  日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する。

2 内容
 ① 小中高校哲学一貫教育
   小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行なう。
   授業時間については、各学年とも週2時間とし、週の最初の時間に、ある哲学テーマに関する、古今東西の名著の名文中の名文を数編黙読し、週の最後の時間にその読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を作文として纏める。
   教材として、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用する。
   哲学読本は、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの学年の児童生徒に取って、大切と思われる30の哲学テーマを選択し、それぞれの哲学テーマごとに、古今東西の名著の中の名文中の名文を数編集めたものとする。
   哲学ノートも、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を作文として纏める為のノートとする。
   1週間の間に、一つの哲学テーマについて、読書し、思索し、作文に纏める事となる。
   小中高校哲学一貫教育においては、自ら学び、自ら考える事を大原則とする。

② 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、大学、公民館、家庭においても哲学教育を一
貫して行なう。
○ 大学においても、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週1授業時間受講するものとする。
1年及び2年については、教養哲学とし、小中高校で学んだ事を更に発展させ、完成させる。
3年及び4年については、専門哲学とし、専攻する学科の学科、科目、単元等を哲学する。
○ 公民館において、通年で、毎週1回哲学講座を開設する。
国民に関心のある哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文等を素材として、講義を行なう。
○ 家庭においても、哲学的対話が行なわれるよう、対話の為の素材等を提供する。

③ 大学教育学部における徹底した哲学教育
哲学的素養のある教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して
行なう。
 哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週3授業時間受講するものとする。
 授業内容は次の通り。なお、1年通期4単位を25授業時間として想定している。
○ 西洋思想史(4単位、25授業時間)
西洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 東洋思想史(4単位、25授業時間)
東洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 日本思想史(4単位、25授業時間)
日本の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 道徳(4単位、25授業時間)
代表的な25の徳(勇気、忍耐、節制、寛容、正義等々)について、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの徳を対象とする。 
○ 宗教(4単位、25授業時間)
     キリスト教、仏教、イスラム教、神道、その他の宗教について、その聖典、経典の名文中の名文から、それぞれの宗教を学ぶ。
     授業時間については、それぞれ4~6授業時間程度とする。
○ 哲学各論(16単位、100授業時間)
主要な100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの哲学テーマを対象とする。
○ 教科哲学(4単位、25授業時間)
中学校で学ぶ9教科について、その教科書を素材として、その教科や教科の単元等を哲学する。
授業時間については、各教科2~3授業時間程度とする。
○ 古代哲学講読(4単位、25授業時間)
古代哲学の古典中の古典10冊を講読する。
例:論語(孔子)、老子(老子)、饗宴(プラトン)等々
授業時間については、1冊2~3授業時間程度とする。
   ○ 哲学対話(2単位:12授業時間)
     哲学対話の技術を学ぶ。
     10の哲学対話を行ない、その対話録を纏める。
   ○ 哲学作文(2単位:12授業時間)
     哲学作文の技術を学ぶ。
     10の哲学テーマについて、作文を書く。
   ○ 哲学対話要録作成(授業外)
     卒業までに、100回の哲学対話を行ない、その要録を作成する。
○ 哲学作文作成(授業外)
卒業までに、100の哲学テーマについて、作文を書き、それを冊子に纏める。

④ 哲学読本大全(全100巻)
国民に取って大切と思われる500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名
文中の名文を、それぞれのテーマごとに100編集めて、編集したものとする。
 1名文の分量は、4000字程度とする。
 哲学読本大全については、WEB上で、閲覧用及びオンデマンド印刷・製本用の、2種類のファイルを公開するものとし、誰でも、自由に、無料で閲覧及び印刷・製本が出来るものとする。
 なお、小学校、中学校、高校、公民館の図書室、及び大学の図書館、並びに公立図書館においては、それぞれにオンデマンド印刷用ファイルを利用して、印刷・製本を行い、必ず備え付けるものとする。
 哲学読本大全については、小学校高学年から読めるよう、ルビを付すものとする。
 この哲学読本大全が、全ての哲学一貫教育の基本教材となる。
哲学読本大全については、国民の英知を結集して作成するものとする。

⑤ 哲学フォーラム
日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置
する。
   哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
   哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行なう事になる。
   小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとする。
   大学及び公民館に設置する対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。

3 哲学の意義
  哲学一貫教育における所の哲学の意義は、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)
事。
 哲学とは、真善美を求める事。
 哲学の本質は、『汝自身を知れ』
 哲学一貫教育における所の哲学とは、真善美に溢れた自分自身を愛し求める事。
 哲学一貫教育における所の哲学は、デカンショ、すなわち、デカルト、カント、ショ
ウペンハウワー等の哲学文献を研究する事でない。

________________________________________
 哲学フォーラムについて

1 趣旨
 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館
に哲学対話室を設置するものである。
 哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
 哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者
と哲学的対話を行なう事となる。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て古代ギリシアに実在したソクラテスと同様、
無報酬とする。

2 小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室について
① 設置者は、学校長とする。
② 運営は、哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
  哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学(知恵を愛する事)に関心のある父兄、地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
③ 開設時間は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時までとする。
④ 部屋については、空き教室等を利用する。
⑤ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。児童生徒は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
⑥ 哲学対話室は、課外とする。

3 大学に設置される哲学対話室について
 ① 設置及び運営は、哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
   哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学担当教官を中心に、哲学に関心のある教官、院生、学生等々で構成するものとする。
② 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
③ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとする。
④ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。

4 公民館に設置される哲学対話室について
 ① 設置及び運営は、哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
   哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学に関心のある地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
② 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
③ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を一時借用するものとする。
④ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。

5 哲学フォーラムめぐり
  大学及び公民館の哲学対話室については、全て、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設し、全ての国民に開放するものとする。
  これにより、国民はどこにいても、毎週土曜日の午後には、どこかの哲学対話室において、哲学的対話を行なう事が出来るようになる。
  また、哲学フォーラムめぐりを目的として、日本国中を旅する事も可能となる。
  哲学フォーラムめぐりが活発になれば、哲学の輪が日本国中に広がる事になる。
  『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』が哲学に関心のある国民の間で合言葉となる。

6 哲学フォーラム都道府県
  哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の都道府県のセンター的な組織として、哲学フォーラム都道府県を設置する。
  事務局については、国立大学教育学部哲学担当教室に置くものとする。

7 哲学フォーラム日本
  哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の全国的組織として、哲学フォーラム日本を設置する。
  事務局については、東京学芸大学哲学担当教室に置くものとする。

9 国立大学教育学部と都道府県教育委員会の連携について
  哲学フォーラムは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものですが、哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と部屋だけです。
  哲学ボランティア“ソクラテス”は、無報酬ですし、部屋の使用料も無償です。
  ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円もかからないのです。
  国立大学教育学部と都道府県教育委員会(管内の市町村教育委員会も含む)が連携すれば、直ぐにでも、日本全国に、哲学対話室を展開する事が可能です。
  何故なら、学校教師は、本来“ソクラテス”であるべき人であり、大学教育学部は“ソクラテス”を生み出す機関なのですから。
  つきましては、国立大学教育学部と都道府県教育委員会が連携して『哲学フォーラムプロジェクト』を組んで頂き、先ずは国立大学教育学部と日本全国の全ての公民館に哲学対話室を設置して頂きたいと思います。
  心より 哲学哲男より。
  何故なら、私こそが、『哲学フォーラムめぐり』を一番に切望している者なのですから・・・。


※ ところで“ソクラテス”とは、何者でしょう。
  それは、知恵を愛し抜いた第一級の哲学者(知恵を愛する者)です。
  学校の教師は、哲学者(知恵を愛する者)でなければなりません。
  学校の教師が、哲学者(知恵を愛する者)であってこそ、児童生徒に知恵を愛する楽しさを伝える事が出来ます。
  哲学教育の第一歩は、教師が哲学者(知恵を愛する者)となる事から始めなければならないのです。

  ところで“知恵”とは何でしょう。
  美しき善き言葉の源泉。
  それは、私における所の一つの喩えです。

  知恵とは何か。
  それは、各自がそれぞれにおいて、答えを視い出ださなければならないのです。




「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て    
各都道府県教育委員会教育長     
各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長
各放送社報道局「哲学・教育」担当部長 
国立大学人文社会学部系哲学担当教官 
私立大学人文社会学部系哲学担当教官 
日本教育大学協会長        
日本教育学会長          
日本哲学会長            
日本倫理学会長          
日本道徳教育学会長        
全国公民館連合会長        
日本PTA全国協議会会長       
日本新聞協会長          
文部科学初等中等教育局長     
文部科学生涯学習政策局長     
文部科学高等教育局長       
内閣官房教育再生懇談会会長 
平成21年1月9日提唱

 拝啓
 国立大学教育学部 哲学担当教官    ┐
 各都道府県教育委員会 教育長     │
 各新聞社編集局「哲学・教育」担当部長 │
 各放送社報道局「哲学・教育」担当部長 │
国立大学人文社会学部系 哲学担当教官 │
 私立大学人文社会学部系 哲学担当教官 │
 日本教育大学協会 会長        │
 日本教育学会 会長          │
 日本哲学会 会長           ├ 殿
 日本倫理学会 会長          │
 日本道徳教育学会 会長        │
 全国公民館連合会 会長        │
 日本PTA全国協議会 会長        │
 日本新聞協会 会長          │
文部科学省 初等中等教育局長     │
文部科学省 生涯学習政策局長     │
文部科学省 高等教育局長       │
内閣官房 教育再生懇談会 会長    ┘

私は、哲学フォーラムを提唱している者です。
哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものです。
哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事です。

私はまた、哲学一貫教育を提唱しています。
哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供するものです。
この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。
一 小中高校哲学一貫教育
二 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
三 大学教育学部における徹底した哲学教育
四 哲学読本大全(全100巻)の作成
五 哲学フォーラム

この内、一から四までは、予算面、制度面の制約があり、直ぐに実行に移す事は難しい状況にありますが、哲学フォーラムについては、予算面、制度面の制約は無く、実行しようと思えば、直ぐにでも実行する事が出来ます。

哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものですが、この哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”と言う者が常駐し、哲学対話室を訪れた者とこの哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学的な対話を行なう事になります。
哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗てギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とします。

小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、空き教室等を利用するものとします。

大学に設置する哲学対話室については、毎週土曜日の、午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を、一時借用するものとします。

公民館に設置する哲学対話室についても、毎週土曜日の、午後2時から午後5時まで開設するものとします。
部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を、一時借用するものとします。

以上、哲学対話室は、とても簡単な仕組みです。
哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と哲学対話室として使用する為の部屋だけです。
哲学ボランティア“ソクラテス”は無報酬ですし、哲学対話室として使用する為の部屋の使用料も無償です。
ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円も要らないのです。

しかし、そうは言っても、一気に、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に、哲学対話室を設置する事には無理がありますので、哲学対話室の展開については、二期に分けて実施するものとします。
第一期において、全ての大学及び公民館に哲学対話室を設置するものとし、第二期において、全ての小中高校に哲学対話室を設置し、哲学対話室の展開を完成させるものとします。
なお、第二期については、第一期の哲学対話室の運営が十分に成熟した後、そのノウハウを積極的に活用して展開するものとします。

この内、第一期、すなわち、大学及び公民館への哲学対話室の設置は、とても簡単なのです。
先ず、大学への哲学対話室の設置ですが、大学には、哲学担当教官、その他教官、院生、卒業生、関係者等々、優秀な“ソクラテス”が大勢います。
彼らの内で、特に哲学(知恵を愛する事)に熱心な者で、哲学ボランティア“ソクラテス”グループを組織し、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、大学図書館の会議室で、哲学対話室を開設する仕組みを作れば、後は自動的に運営されて行く事になります。

次に、公民館に設置する哲学対話室ですが、公民館の地区内には、多くの小学校、中学校、高校があります。
学校の教師は、“ソクラテス”たるべき人々です。
勿論、哲学を愛する多くの市民もいます。
彼らの内で、特に哲学(知恵を愛する事)に熱心な者で、哲学ボランティア“ソクラテス”グループを組織し、公民館に自主活動グループとしての届出をした上で、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の会議室で、哲学対話室を開設する仕組みと作れば、後は自動的に運営されて行く事になります。

第一期、すなわち、日本国中の全ての大学と公民館への哲学対話室の設置が完成すると、日本は哲学的成熟への道を歩み始める事になるのです。
それが、『哲学フォーラムめぐり』です。
哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が、自らの師を求めて、または自らの友を求めて、日本国中の哲学フォーラム(哲学対話室)を巡る事になるのです。
嘗ての古代ギリシアのように!

『土曜日の午後は哲学フォーラムで!!』
これが、知恵を愛する者たちの合言葉となるのです。
毎週土曜日の午後、知恵を愛する老若男女が、哲学フォーラム(哲学対話室)に集う事になるのです。

大学及び公民館への哲学対話室の設置は、日本の明るい未来を切り開く、きざはしとなるのです。
どうか、皆様のご協力をお願いいたします。

その為に先ず、都道府県ごとに、国立大学教育学部哲学担当教官、都道府県教育委員会教育長、新聞社編集局「哲学・教育」担当部長、国立大学人文社会学部系哲学担当教官、私立大学人文社会学部系哲学担当教官、都道府県公民館連絡協議会長、都道府県PTA連絡協議会長等を構成員とする、「哲学フォーラム(哲学対話室展開)支援委員会」を組織して頂き、大学及び公民館への哲学対話室の展開について、積極的に協力支援して頂きたいと思います。

なお、「哲学フォーラムと哲学教育」の議論の場として、下記のとおり、ヤフー掲示板の「学校と教育」→「教育問題」→「全般」に『哲学フォーラムと哲学教育』と言う掲示板を立ち上げました。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1086165&tid=eaf3xa5ua5a9a1bca5ia5e0a4heaf3x650i&sid=1086165&mid=1&type=date&first=1
どうか、皆様の積極的な議論をお願いしたいと思います。

おって、私はこれまで、文部科学省初等中等教育局長、文部科学省生涯学習政策局長、文部科学省初等中等教育局教育課程課長、文部科学省初等中等教育局教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官、東京学芸大学「哲学・倫理分野」教官、内閣官房長官、国立大学教育学部哲学担当教官、各都道府県教育委員会教育長宛に、それぞれ、哲学一貫教育と哲学フォーラムに関する提唱を行なってきました。
それらを纏めて、下記のとおり、ホームページを作成しました。
http://www.geocities.jp/sophialover007/
ご参考にして下さい。
なお、私の著作物は、全ての著作権フリーです。
コピーを配布するなり、関係者に送信するなり、ホームページに貼り付けるなり、要約を機関紙に掲載するなり、自説の中に取り入れるなり、積極的ご活用頂き、どうか『哲学フォーラムと哲学一貫教育』の実現に向けてご協力をお願い申し上げます。
敬具
平成21年1月10日
哲学哲男

追伸
下記に、「哲学一貫教育」と「哲学フォーラム」の概要を示して置きますので、参考にして下さい。


________________________________________
哲学一貫教育について

1 趣旨
  日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する。

2 内容
 ① 小中高校哲学一貫教育
   小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行なう。
   授業時間については、各学年とも週2時間とし、週の最初の時間に、ある哲学テーマに関する、古今東西の名著の名文中の名文を数編黙読し、週の最後の時間にその読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間に思索した結果を作文として纏める。
   教材として、「哲学読本」と「哲学ノート」を使用する。
   哲学読本は、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの学年の児童生徒に取って、大切と思われる30の哲学テーマを選択し、それぞれの哲学テーマごとに、古今東西の名著の中の名文中の名文を数編集めたものとする。
   哲学ノートも、それぞれの学年ごとに作成するものとし、それぞれの哲学テーマについて、児童生徒が思索した結果を作文として纏める為のノートとする。
   1週間の間に、一つの哲学テーマについて、読書し、思索し、作文に纏める事となる。
   小中高校哲学一貫教育においては、自ら学び、自ら考える事を大原則とする。

⑤ 小中高校哲学一貫教育の基礎の上に行なう一生涯に渡る哲学一貫教育
小中高校哲学一貫教育の基礎の上に、大学、公民館、家庭においても哲学教育を一貫して行なう。
○ 大学においても、哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週1授業時間受講するものとする。
1年及び2年については、教養哲学とし、小中高校で学んだ事を更に発展させ、完成させる。
3年及び4年については、専門哲学とし、専攻する学科の学科、科目、単元等を哲学する。
○ 公民館において、通年で、毎週1回哲学講座を開設する。
国民に関心のある哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文等を素材として、講義を行なう。
○ 家庭においても、哲学的対話が行なわれるよう、対話の為の素材等を提供する。

⑥ 大学教育学部における徹底した哲学教育
哲学的素養のある教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行なう。
 哲学を必修とし、1年から4年まで通年で、毎週3授業時間受講するものとする。
 授業内容は次の通り。なお、1年通期4単位を25授業時間として想定している。
○ 西洋思想史(4単位、25授業時間)
西洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 東洋思想史(4単位、25授業時間)
東洋の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 日本思想史(4単位、25授業時間)
日本の代表的思想家25人について、その思想家の著作の中の名文中の名文から、その思想家の思想を学ぶ。
1授業時間に、1思想家を対象とする。
○ 道徳(4単位、25授業時間)
代表的な25の徳(勇気、忍耐、節制、寛容、正義等々)について、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの徳を対象とする。 
○ 宗教(4単位、25授業時間)
     キリスト教、仏教、イスラム教、神道、その他の宗教について、その聖典、経典の名文中の名文から、それぞれの宗教を学ぶ。
     授業時間については、それぞれ4~6授業時間程度とする。
○ 哲学各論(16単位、100授業時間)
主要な100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文から学ぶ。
1授業時間に、一つの哲学テーマを対象とする。
○ 教科哲学(4単位、25授業時間)
中学校で学ぶ9教科について、その教科書を素材として、その教科や教科の単元等を哲学する。
授業時間については、各教科2~3授業時間程度とする。
○ 古代哲学講読(4単位、25授業時間)
古代哲学の古典中の古典10冊を講読する。
例:論語(孔子)、老子(老子)、饗宴(プラトン)等々
授業時間については、1冊2~3授業時間程度とする。
   ○ 哲学対話(2単位:12授業時間)
     哲学対話の技術を学ぶ。
     10の哲学対話を行ない、その対話録を纏める。
   ○ 哲学作文(2単位:12授業時間)
     哲学作文の技術を学ぶ。
     10の哲学テーマについて、作文を書く。
   ○ 哲学対話要録作成(授業外)
     卒業までに、100回の哲学対話を行ない、その要録を作成する。
○ 哲学作文作成(授業外)
卒業までに、100の哲学テーマについて、作文を書き、それを冊子に纏める。

⑦ 哲学読本大全(全100巻)
国民に取って大切と思われる500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を、それぞれのテーマごとに100編集めて、編集したものとする。
 1名文の分量は、4000字程度とする。
 哲学読本大全については、WEB上で、閲覧用及びオンデマンド印刷・製本用の、2種類のファイルを公開するものとし、誰でも、自由に、無料で閲覧及び印刷・製本が出来るものとする。
 なお、小学校、中学校、高校、公民館の図書室、及び大学の図書館、並びに公立図書館においては、それぞれにオンデマンド印刷用ファイルを利用して、印刷・製本を行い、必ず備え付けるものとする。
 哲学読本大全については、小学校高学年から読めるよう、ルビを付すものとする。
 この哲学読本大全が、全ての哲学一貫教育の基本教材となる。
哲学読本大全については、国民の英知を結集して作成するものとする。

⑤ 哲学フォーラム
日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置する。
   哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
   哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行なう事になる。
   小学校、中学校、高校に設置する哲学対話室については、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとする。
   大学及び公民館に設置する対話室については、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。

3 哲学の意義
  哲学一貫教育における所の哲学の意義は、philosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事。
 哲学とは、真善美を求める事。
 哲学の本質は、『汝自身を知れ』
 哲学一貫教育における所の哲学とは、真善美に溢れた自分自身を愛し求める事。
 哲学一貫教育における所の哲学は、デカンショ、すなわち、デカルト、カント、ショウペンハウワー等の哲学文献を研究する事でない。

________________________________________
 哲学フォーラムについて

1 趣旨
 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものである。
 哲学対話室とは、その名の通り、哲学的な対話を行なう部屋の事である。
 哲学対話室には、哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐し、哲学対話室を訪れた者と哲学的対話を行なう事となる。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て古代ギリシアに実在したソクラテスと同様、無報酬とする。

2 小学校、中学校、高校に設置される哲学対話室について
⑦ 設置者は、学校長とする。
⑧ 運営は、哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
  哲学フォーラム学校名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学(知恵を愛する事)に関心のある父兄、地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
⑨ 開設時間は、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時までとする。
⑩ 部屋については、空き教室等を利用する。
⑪ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとする。児童生徒は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。
⑫ 哲学対話室は、課外とする。

3 大学に設置される哲学対話室について
 ① 設置及び運営は、哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
   哲学フォーラム大学名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学担当教官を中心に、哲学に関心のある教官、院生、学生等々で構成するものとする。
⑤ 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
⑥ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、大学図書館の会議室等を一時借用するものとする。
⑦ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、原則として、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。

4 公民館に設置される哲学対話室について
 ① 設置及び運営は、哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)が行なう。
   哲学フォーラム公民館名(哲学ボランティア“ソクラテス”グループ)については、哲学に関心のある地域住民、学校教師、学識経験者等々で構成するものとする。
⑤ 開設時間は、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとする。
⑥ 部屋については、哲学対話室の開設時間だけ、公民館の会議室等を一時借用するものとする。
⑦ 哲学対話室については、フォーラム(広場)の趣旨を最大限尊重するものとし、全ての国民に開放するものとする。
国民は、自由に哲学対話室に入室し、自由に“ソクラテス”と対話する事が出来るものとする。

5 哲学フォーラムめぐり
  大学及び公民館の哲学対話室については、全て、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設し、全ての国民に開放するものとする。
  これにより、国民はどこにいても、毎週土曜日の午後には、どこかの哲学対話室において、哲学的対話を行なう事が出来るようになる。
  また、“ソクラテス”を求めて哲学フォーラムめぐりが可能となる。
  哲学フォーラムめぐりが活発になれば、哲学の輪が日本国中に広がる事になる。
  『土曜日の午後は哲学フォーラムで!』が哲学に関心のある国民の間で合言葉となる。

6 哲学フォーラム都道府県
  哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の都道府県のセンター的な組織として、哲学フォーラム都道府県を設置する。
  事務局については、国立大学教育学部哲学担当教室に置くものとする。

7 哲学フォーラム日本
  哲学フォーラム(哲学対話室)及び哲学ボランティア“ソクラテス”の全国的組織として、哲学フォーラム日本を設置する。
  事務局については、東京学芸大学哲学担当教室に置くものとする。

9 国立大学教育学部と都道府県教育委員会の連携について
  哲学フォーラムは、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置するものですが、哲学対話室に必要なものは、哲学ボランティア“ソクラテス”と哲学対話室として使用する部屋だけです。
  哲学ボランティア“ソクラテス”は、無報酬ですし、哲学対話室として使用する部屋の使用料も無償です。
  ですから、日本国中の全ての、小学校、中学校、高校、大学、及び公民館に哲学対話室を設置しても、お金は1円もかからないのです。
  国立大学教育学部と都道府県教育委員会(管内の市町村教育委員会も含む)が連携すれば、直ぐにでも、日本全国に、哲学対話室を展開する事が可能です。
  何故なら、学校教師は、本来“ソクラテス”であるべき人であり、大学教育学部は“ソクラテス”を生み出す機関なのですから。
  つきましては、国立大学教育学部と都道府県教育委員会が連携して『哲学フォーラムプロジェクト』を組んで頂き、先ずは国立大学教育学部と日本全国の全ての公民館に哲学対話室を設置して頂きたいと思います。
  心より 哲学哲男より。
  何故なら、私こそが、『哲学フォーラムめぐり』を一番に切望している者なのですから・・・。


※ ところで“ソクラテス”とは、何者でしょう。
  それは、知恵を愛し抜いた第一級の哲学者(知恵を愛する者)です。
  学校の教師は、哲学者(知恵を愛する者)でなければなりません。
  学校の教師が、哲学者(知恵を愛する者)であってこそ、児童生徒に知恵を愛する楽しさを伝える事が出来ます。
  哲学教育の第一歩は、教師が哲学者(知恵を愛する者)となる事から始めなければならないのです。

  ところで“知恵”とは何でしょう。
  美しき善き言葉の源泉。
  それは、私における所の一つの喩えです。

  知恵とは何か。
  それは、各自がそれぞれにおいて、答えを視い出ださなければならないのです。




「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
国立大学教育学部哲学担当教官宛て
平成21年6月24日提唱

【哲学フォーラムと哲学教育】
 
拝啓 
各国立大学 教員養成学部 哲学担当教官 殿

 私は哲学に関心のある者です。
 そして、哲学によって、日本が素晴らしい国家に成ると思っている者です。
 私はその為に、哲学一貫教育を提唱しています。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する教育の事です。
 この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。

 ① 小中高校哲学一貫教育
 ② 大学及び公民館における哲学教育
 ③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
 ④ 哲学読本大全の作成
 ⑤ 哲学フォーラム

 先ず、①番目の小中高校哲学一貫教育ですが、
 これは小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行う教育の事です。
 具体的には、小学校及び中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、現在の倫理を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、小学校、中学校、高校の12年間に渡る、授業時間週2時間の哲学一貫教育を完成させます。

授業においては、読書と作文を行います。
教材としては、哲学読本と哲学ノートを使用します。
哲学読本とは、各学年に相応しい哲学テーマを35(1年間に授業可能な週の数を想定)選定し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度集めて、編集したものです。
哲学ノートとは、児童生徒が、哲学テーマに関する作文を綴る為のノートの事です。

 授業は次のように進めます。
 先ず、週の最初の時間に、哲学読本の中の一つの哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度読みます。
 次に、週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間の間に思索した結果を、哲学ノートに作文として纏めます。
 これを小学校、中学校、高校の12年間続けて行います。
 これにより、児童生徒は12年間の間に420(35哲学テーマ×12年間=420)の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、420の哲学テーマにについて、作文を書く事になります。
 これにより、児童生徒の哲学的素養が、自然に育つ事になります。

 また、小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置します。
 哲学対話室とは、児童生徒と哲学的素養のある大人が、1対1で、もしくは数人で哲学的対話を行う部屋の事です。
 哲学対話室は、課外とし、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
 この哲学対話室において、児童生徒は自らにおいて自らの師を見出す事になります。
そしてこの哲学対話室から、真に哲学的に優れた児童生徒が育って行く事になります。

 次に、②番目の大学及び公民館における哲学教育ですが、
 大学においても、哲学を必修とします。
 授業時間については、週1授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
 これにより、小学校、中学校、高校、大学の哲学一貫教育が完成する事になります。

 また、公民館においても、毎週1回哲学講座を開催するものとします。
 これにより、一生涯に渡る哲学一貫教育が完成する事になります。

 また、大学及び公民館においても、哲学対話室を設置するものとします。
 大学及び公民館に設置する哲学対話室については、広く国民に開放するものとします。
 これにより、哲学に関心のある人々が、大学及び公民館の哲学対話室に集まる事になり、日本に哲学風土が根付く事になります。
 なお、大学及び公民館の哲学対話室については、当分の間、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
 “土曜日の午後は哲学対話室で!”
 この合言葉の下、土曜日の午後に、児童生徒を含め、哲学に関心のある者が、大学及び公民館の哲学対話室に一斉に集まる事になります。
 これにより、大きな哲学的エネルギーが生まれる事になります。
 次に③番目の大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)ですが、
 国づくりの基礎は、教育です。
 教育の基礎は、教師です。
 哲学的素養に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行います。
 授業時間は、週3授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
 授業の内容は、小中高校哲学一貫教育と連動したものとなります。
 カリキュラムを示す次の通りです。

 ① 哲学
   古今東西の名著(哲学書)の中の名文中の名文を基に、哲学に関する主要なテーマを哲学します。
 ② 宗教
   キリスト教、仏教、イスラム教、神道、ユダヤ教、ヒンズー教等経典の中の名文中の名文を基に、宗教に関する主要なテーマを哲学します。
 ③ 文学
   古今東西の名著(文学書)の中の名文中の名文を基に、文学に関する主要なテーマを哲学します。
 ④ 社会科学
   古今東西の名著(社会科学図書)の中の名文中の名文を基に、社会科学に関する主要なテーマを哲学します。
 ⑤ 自然科学
   古今東西の名著(自然科学図書)の中の名文中の名文を基に、自然科学に関する主要なテーマを哲学します。
 ⑥ 憲法
   日本国憲法、アメリカ憲法、イギリス憲法、フランス憲法、中国憲法、韓国憲法等の条文を基に、日本国憲法の主要なテーマを哲学します。
 ⑦ 教科哲学
   中学校で履修する9科目について、教科書を基に、各教科及び各教科の主要な単元を哲学します。
 ⑧ テーマ哲学
日本国民に関心のあると思われる100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に、その概念を哲学します。哲学テーマ例としては、知恵、愛、勇気、忍耐、節制、友情、仕事、勉強、学校、国家、社会、家族、自然、環境等々
 ⑨ 芸術
   古今東西の名画、名曲の鑑賞を基に、芸術に関する主要なテーマを哲学します。
 ⑩ 日本思想史
   日本の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事によって、日本の思想の流れを哲学します。
 ⑪ 西洋思想史
   西洋の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事  によって、西洋の思想の流れを哲学します。
⑫ 古代古典講読
   古典中の古典10冊を講読します。なお、古典については、「論語」、「老子」、「マタイ福音書」、「バガヴァッド・ギーター」、「ダンマバダ(法句経)」、「饗宴」、「自省録」、「エピクロス『手紙』」、「エピクテトス『語録』」、「セネカの『道徳論集』の1編」、「旧約聖書『詩篇』、『箴言』」等々、半日または一日で読み切る事の出来るものを対象とします。
 ⑬ 哲学百章の作成
   自らに関心のある100の哲学テーマについて、自らにおいて哲学し、その結果を、哲学百章として、冊子に纏めるものとします。
 ⑭ 哲学対話百録の作成
   哲学対話を100回行い、その対話録を、哲学対話百録として、冊子に纏めるものとします。
 ⑮ 小中高校の哲学対話室への参加
   小中高校の哲学対話室に参加し、児童生徒と哲学対話を行うものとします。また、大学及び公民館の哲学対話室にも積極的に参加するものとします。
 
大学教育学部の哲学教育の目的は、児童生徒を生き生きとした言葉の世界に誘う事の出来る教師を育成する事にあります。その為にも、生き生きとした生きた言葉から学ばなければならないのです。

 次に、④番目の哲学読本大全の作成についてですが、
 哲学読本大全とは、国民に関心のある500の哲学テーマを選定し、それぞれ哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集めて編集した読本の事です。
 この哲学読本大全は、国民の英知を結集して作成するものとします。
 1編の文章量は、文庫本4頁程度とします。

 作成方法を示すと次の通りとなります。

 ① 哲学読本大全作成委員会(以下委員会と言う)を設置します。
 ② 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、国民にとって大切な哲学テーマを募集します。
 ③ 委員会において、500の哲学テーマを選定します。
 ④ 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集します。
   募集の方法は、名文の箇所をコピーして郵送等で送付して貰うか、名文の箇所をスキャナーで読み込み電子メール等で送信して貰う方法によるものとします。
 ⑤ 委員会において、募集のあった名文を全てスキャナーで読み込み、テキスト形式に変換した上で、哲学テーマ毎にパソコン上で整理します。
 ⑥ 委員会において、500の哲学テーマ毎に、100の名文を選定します。
 ⑦ 委員会において、それぞれの名文毎に、簡単な書誌を作成します。
 ⑧ 委員会において、⑤⑥⑦を基に、パソコン上において、哲学読本大全を作成します。
   哲学読本大全は、WEB閲覧用とオンデマンド印刷製本用の2種類を作成するものとします。
   WEB閲覧用については、誰でも自由に無料で、閲覧できるものとします。
   オンデマンド印刷製本用については、誰でも自由に無料で、これを利用して、オンデマンド印刷製本ができるものとします。(商用ベースは除く)
 ⑨ 都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室においては、オンデマンド印刷製本を行い、哲学読本大全コーナーを設け、利用者の用に供するものとします。
 ⑩ 哲学読本大全は、国内の出版社の協力を得て作成するものとします。
   哲学読本大全には、名文毎に、出典を記載するものとします。例えば「岩波文庫『論語』:(㈱岩波書店」と言う風に。
   哲学読本大全が、各出版社の本の紹介を兼ねるものとする事で、出版社の協力を得るものとします。
 ⑪ 哲学読本大全は、第1シリーズ、第2シリーズと言う風に、定期的に新たなものを作成して行くものとします。
   哲学テーマは、シリーズ毎に新たに選定する事としますが、重複しても構わないものとします。
   例えば、「愛」と言う哲学テーマについては、シリーズが10回続いたとしても、必ず10回全てに入って来ると思います。何故なら、「愛」に関する名文は尽きる事が無いからです。
 ⑫ 哲学読本大全作成システムが完成する事により、日本に言葉の花園が生まれる事になり、そして哲学的風土が根付く事になるのです。
   人生に悩む若者が哲学読本大全を開きます。
   そこには人生に関する名文が、100あるいは200あるいは300並んでいます。
   彼はそれを一つ一つ読んで行きます。
   そして彼は気付きます。(ある大切な事を)
   その様にして、一人また一人と、日本に哲学者(知恵を愛する者)が増えて行く事になるのです。

 次に、⑤番目の哲学フォーラムですが、
 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を開設し、それらの支援組織として、市町村に哲学フォーラム市町村、都道府県に哲学フォーラム市町村、全国的組織として哲学フォーラム日本を組織する事の総体を言います。
 この哲学フォーラムが、日本の哲学的風土作りをリードして行く事になります。


 以上が、哲学一貫教育の概要ですが、これら全てを直ぐに実行する事は難しい状況にあります。
 小中高校哲学一貫教育(授業)については、文部科学省の学習指導要領を改訂しなければならず、直ぐに実行する事は難しい状況にあります。
 また、大学及び大学教育学部における哲学教育(授業)についても、大学間におけるコンセンサスが得られるまでは、中々難しいと思います。  
 
 しかし、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が集まれば、直ぐに出来る事があります。
 それが哲学フォーラムです。

 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を開設し、それらの支援組織として、市町村に哲学フォーラム市町村、都道府県に哲学フォーラム都道府県、全国的組織として哲学フォーラム日本を組織するものですが、その概要を示すと次の通りとなります。

 先ず、小学校、中学校、高校、大学及び公民館に開設する哲学フォーラム(哲学対話室)ですが、これは全て同じ形式を取ります。
 哲学フォーラム(哲学対話室)の大きさは、小学校、中学校、高校の教室程度とします。
 場所については、小学校、中学校、高校は空き教室等を利用するものとします。大学については、大学図書館の研修室を、公民館については、公民館の研修室を一時借用するものとします。
 開設日時は、小学校、中学校、高校においては、毎週月曜日から金曜日までの午後3時から午後5時までとします。大学及び公民館においては、毎週土曜日の午後2時から午後5時までとします。
 哲学フォーラム(哲学対話室)の開設時間には、常時、2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。この哲学ボランティア“ソクラテス”が哲学対話室を訪れた者と哲学対話を交わす事になります。
 哲学フォーラム(哲学対話室)においては、1対1の対話と数人による対話が同時に進行できる体制を整えておくものとします。
 1対1の対話においては、哲学対話室を訪れた者と哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学対話室を訪れた者が対話したい哲学テーマについて、1対1で対話を行うものとします。
 数人による対話は、対話する哲学テーマを予め決めて置き、それぞれの哲学テーマについて、数人が古今東西の名著の中の名文中の名文を基に基調講演(数分程度)を行い、その基調講演を基に、参加者全員で対話を行うものとします。プラトンの「饗宴」のイメージです。ここで大切な事は、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に対話を進めて行く事にあります。自説を強調するディベートでは、勝敗を競う事で終わってしまいます。哲学対話室における対話の目的は、優勝劣敗を決する事にではなく、弁証、ダイアログ、昇華にあります。
 
 次に開設方法ですが、
 小学校、中学校においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その学校の教師、保護者、OB及びその校区内の住民等で哲学フォーラム○○小学校(中学校)を組織するものとします。哲学フォーラム(哲学対話室)に常駐する哲学ボランティア“ソクラテス”は、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その学校の教師、保護者、OB及びその校区内の住民等並びに哲学フォーラム市町村の会員等々とします。哲学フォーラム市町村の会員等が小学校、中学校の哲学ボランティア“ソクラテス”と成る事で学校の負担が軽減される事になります。また、これにより、児童生徒はより多くの哲学的素養のある大人と対話する事が出来るようになり、その視野が大きく広がって行く事になります。
 
 高校においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その学校の教師、保護者、生徒代表、OB等で哲学フォーラム○○高校を組織するものとします。その他については、小学校、中学校の哲学フォーラムと同様とします。

 大学においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その大学の教師、院生、学生、OB等で哲学フォーラム○○大学を組織するものとします。その他については、小学校、中学校の哲学フォーラムと同様とします。

 公民館においては、哲学(知恵を愛する事)に関心のある、その地域内の住民及びその市町村の市民で哲学フォーラム○○公民館を組織するものとします。その他については、小学校、中学校の哲学フォーラムと同様とします。なお、ここで言う公民館とは数小学校校区を対象地域とする地域公民館の事を言います。校区公民館、部落公民館、集落公民館等で呼ばれる、1小学校校区以下の地域を対象とする公民館について、当分の間、哲学フォーラム開設の対象からは外すものとします。なお、将来的には可能性大です。町の隅々から哲学をささやく声が聞こえてくれば、もう日本は哲学国家です。

 以上が、小学校、中学校、高校、大学及び公民館に開設する哲学フォーラム(哲学対話室)の概要です。
 次に、これらの哲学フォーラム(哲学対話室)の支援組織である、哲学フォーラム市町村、哲学フォーラム都道府県、哲学フォーラム日本の概要について述べて行きたいと思います。

 先ず、哲学フォーラム市町村ですが、
 これは、市町村内の小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラムの支援を行う事になります。
 具体的には、次の事を行います。
 ① 哲学フォーラムの広報
 ② 哲学フォーラムの開設支援(開設の為のノウハウの提供等)
 ③ 哲学フォーラムの運営支援(哲学ボランティア“ソクラテス”としての参加等)
 なお、哲学フォーラム市町村は、哲学(知恵を愛する事)に関心のある者が、個人資格で参加する会員組織とします。
 哲学フォーラム市町村の会員は、哲学ボランティア“ソクラテス”として、市町村内の小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)に参加するものとします。

 次に、哲学フォーラム都道府県ですが、
 これは、都道府県レベルで、小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラムの支援を行う事になります。その他については、哲学フォーラム市町村と同様とします。

 次に、哲学フォーラム日本ですが、
 これは、全国レベルで、小学校、中学校、高校、大学及び公民館の哲学フォーラムの支援を行う事になります。その他については、哲学フォーラム市町村と同様とします。


 以上が、哲学フォーラムの概要ですが、この哲学フォーラムを完成させるのにお金はほとんど要らないのです。
 何故なら、哲学ボランティア“ソクラテス”(哲学フォーラム○○の会員)は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬だからです。
 そして、それぞれの哲学フォーラムの施設使用料も、無償だからです。
 哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が集まれば、この哲学フォーラムは完成する事になるのです。

 しかし、そうは言っても、この哲学フォーラムが自然発生的に動き出す事はありません。
 何故なら、哲学フォーラム(哲学対話室)と言う概念が、国民に無いからです。
 この哲学フォーラムが動き出す為には、その初期段階において、哲学フォーラム(哲学対話室)の概念の普及と哲学フォーラム(哲学対話室)の開設の支援を行う組織が必要となってきます。
 それが、哲学フォーラム全国研究会(これが哲学フォーラム日本の母体となります)と言う事になります。
 哲学フォーラム全国研究会とは、各国立大学教員養成学部の哲学担当等の先生方で組織する、哲学フォーラムに関する研究会の事です。

 この哲学フォーラム全国研究会では、主に次の二つの事を行います。
 一つは、哲学フォーラム(哲学対話室)の概念の普及です。
 もう一つは、研究会の各会員(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)が中心となって、各都道府県所在地おいて、哲学フォーラム都道府県所在地(例:哲学フォーラム鹿児島市)の設立を支援すると共に、モデル的な哲学フォーラム(大学1校、高校1校、公民館1館)の開設を支援する事です。
 
 哲学フォーラム都道府県所在地(例:哲学フォーラム鹿児島市)が設立され、モデル的な哲学フォーラム(哲学対話室)が開設されれば、これらを基に、都道府県所在地における哲学フォーラムの展開が自律的に行われる事になります。
 都道府県所在地における哲学フォーラム(哲学対話室)の展開が完成すれば、これをモデルに、他の市町村へは、速やかに波及する事になります。
 これらの動きが、各都道府県で同時並行的に起これば、一気に哲学フォーラムが完成する事になります。
 この先導的な働きをするのが、哲学フォーラム全国研究会と言う事になります。
 
なお、哲学フォーラム(哲学対話室)については、大学、高校及び公民館を先行させ完成させるものとします。中学校及び小学校については、大学、高校及び公民館の展開が完成し、かつ十分に成熟した後、検討するものとします。
 以下に、鹿児島市(県庁所在地)における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの展開のモデルをお示ししたいと思います。
 なお、このモデルにおいては、大学、高校、公民館とも、哲学フォーラム(哲学対話室)は、週1回開設する事とし、開設時間については、大学及び公民館が、土曜日の午後2時から午後5時まで、高校が、平日の午後3時から午後5時まで開設する事を想定しています。
 また、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)には、常時2人の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとし、哲学ボランティア“ソクラテス”は、月に1回担当する事を想定しています。(1哲学フォーラム当たり、10人の哲学ボランティア“ソクラテス”(2人×5回=10人)を想定しています。)
 また、哲学ボランティア“ソクラテス”は、原則として全員が哲学フォーラム鹿児島市の会員になる事を前提としています。
 以上の前提の下で、鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの展開を,
5期で完成させるモデルを以下にお示ししたいと思います。
なお、鹿児島市には、端数整理をすると、大学が5校(短大を含む)、高校が20校、地域公民館が15館あります。
 
第1期:哲学フォーラム全国研究会の会員の先生(鹿児島大学教育学部の哲学担当の先生)が中心に成って、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者を会員とする、哲学フォーラム鹿児島市を組織します。

 第2期:哲学フォーラム鹿児島市が中心になって、大学1校、高校1校、公民館1館に
おいて、モデルとなるような哲学フォーラム(哲学対話室)の開設を支援するものとします
     モデルとしては、鹿児島大学、鶴丸高校、中央公民館を選定するものとし、それぞれ、哲学フォーラム鹿児島大学、哲学フォーラム鶴丸高校、哲学フォーラム中央公民館と称するものとします。

     それぞれの哲学フォーラムの開設方法は、次の通りとします。
鹿児島大学においては、哲学に熱心な大学内の教師、院生、学生、OB等10名程度で、哲学フォーラム鹿児島大学を組織するものとします。
鶴丸高校においては、哲学に熱心な高校内の教師、学生、保護者、OB等10名程度で、哲学フォーラム鶴丸高校を組織するものとします。
中央公民においては、哲学に熱心な鹿児島市民10名程度で、哲学フォーラム中央公民館を組織するものとします。
     それぞれの哲学フォーラムの会員は、哲学フォーラム鹿児島市の会員にもなるものとします。
  それぞれの哲学フォーラムは、当初は10名程度の会員でスタートするものとしますが、それぞれの哲学フォーラムの趣旨に賛同する者は、誰でも、それぞれの哲学フォーラムの会員になって頂くものとします。また、同時に哲学フォーラム鹿児島市の会員にもなって頂くものとします。
  それぞれの哲学フォーラムの会員が、哲学フォーラム鹿児島市の会員になるシステムを取る事で、哲学フォーラム鹿児島市の会員は自動的に増えて行く事になります。
  哲学フォーラム鹿児島市の会員は、自らが所属する哲学フォーラム(哲学対話室だけでなく、それ以外の哲学フォーラム(哲学対話室)にも、哲学ボランティア“ソクラテス”として、積極的に参加するものとします。
  このシステムにより、それぞれの哲学フォーラムは、より軽い負担で哲学フォーラム(哲学対話室)を運営して行く事が出来る事となります。   

  第3期:大学5校、高校5校、公民館5館を目標に、哲学フォーラムの開設を支援するものとします。
      この目標が達成された時点で、哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)は、150名(10名×15哲学フォーラム)以上となります。

  第4期:大学5校、高校10校、公民館10館を目標に、哲学フォーラムの開設を支援するものとします。
      この目標が達成された時点で、哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)は、250名(10名×25哲学フォーラム)以上となります。

  第5期:大学5校、高校20校、公民館15館、すなわち鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの完成を目標に、支援するものとします。
      この目標が達成された時点で、哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)は、400名(10名×40哲学フォーラム)以上となります。

 なお、第5期の鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムのシステムが完成した時の哲学フォーラム鹿児島市の会員は400名ではなく、1,000名にはなっている筈です。
 何故なら、400名とは、それぞれの哲学フォーラムの開設時の会員数の積算だからです。
 それぞれの哲学フォーラム開設後、それぞれの哲学フォーラムに賛同する者が、次々とそれぞれの哲学フォーラムと哲学フォーラム鹿児島市の会員になっていきますから、実際は400名ではなく、それ以上と言う事になります。
 その数は3倍を下回る事はないでしょう。
 ですから、少なく見積もって1,000名です。
哲学フォーラム鹿児島市の会員(哲学ボランティア“ソクラテス”)が、1,000名いると言う事は何を意味するのでしょうか。
 それは、それぞれの哲学フォーラム(哲学対話室)が、週1回でなく、週2回でも、週3回でも開設が可能になる事を意味します。
 特に、高校においては、週に複数回の開設要望が出て来ると思いますが、それにも対応する事が出来るようになります。(高校生たちは、学校に居ながらにして、知恵を愛する多くの大人たちと対話が出来るようになるのです。素晴らしい事だとは思いませんか。多分、毎日哲学フォーラム(哲学対話室)を開設しても、応じきれないような盛況になると思います。高校生たちは知恵比べのつもりで、または真剣に自分の求めるものを求める為に、哲学フォーラム(哲学対話室)に集う事になります。)

 鹿児島市における大学、高校及び公民館の哲学フォーラムのシステムが完成すれば、他の市町村には速やかに波及して行く事になります。
 この波及段階で、哲学フォーラム鹿児島県が組織される事になります。
 哲学フォーラム鹿児島県の会員は、哲学フォーラム各市町村の会員となります。
 ですから、それぞれの大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの会員=各市町村の哲学フォーラムの会員=哲学フォーラム鹿児島県の会員と言う関係が成り立つ事になります。
 全ての哲学フォーラムは、個人の資格として参加する事なります。
 哲学フォーラム鹿児島県が組織されれば、市町村を超えた哲学フォーラムの交流が行われる事になります。

 以上が、鹿児島における、大学、高校及び公民館の哲学フォーラムの展開モデルです。
 この展開モデルが、日本全国の各都道府県で同時並行的に行われれば、数年の内に、日本全国の大学、高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が開設される事になります。
 日本全国の全ての大学、高校及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)が開設される!
その最終形は、大学及び公民館においては、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、高校においては、毎週月曜日から金曜日の午後3時から午後5時まで開設される!
この最終形を想像してみてください。
日本にどのような変化が起こるのでしょうか。

これらは全て、各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方で組織される哲学フォーラム全国研究会の設立と、哲学フォーラム全国研究会の会員の方(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)が行う哲学フォーラム県庁所在地の設立支援と各県庁所在地におけるモデル的な哲学フォーラム(大学1校、高校1校、公民館1館)の開設支援から始まるのです。
なお、哲学フォーラム県庁所在地の設立の際に、モデル哲学フォーラムの関係者にも、会員になって頂き、モデル哲学フォーラムとその後の県庁所在地における哲学フォーラムの展開方法を示しておけば、後は哲学フォーラム県庁所在地が自律的に展開して行く事になります。
何故なら、人が誰もが哲学(知恵を愛する事)を愛して止まない存在だからです。

極端な事を言えば、哲学フォーラム全国研究会の会員の方(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)は、哲学フォーラム都道府県庁所在地の設立趣意書を作成し(させ)、都道府県所在地における哲学フォーラムの展開方法を作成し(させ)、哲学に熱心な者を十数名集め(させ)て、哲学フォーラム都道府県所在地の設立会を開催する(させる)だけで良いのです。
後は、哲学フォーラム県庁所在地が、自律的に展開して行く事になります。
哲学フォーラム全国研究会の会員の方(各国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方)は、その後は、象徴的存在(代表または顧問等)として、存在して頂ければ良いのです。


哲学フォーラムには、大きな可能性があります。
より良き日本の為に、どうか哲学フォーラムを御検討下さいますようお願いいたします。

哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。
この日本にもう少し哲学的風土(知恵を愛する風土)が生まれたら良いと思います。

最後に、先生方のますますのご清祥をご祈念申し上げまして、今回の提唱を終わりたいと思います。
敬具

平成21年6月24日
哲学哲男こと橋元隆志
〒891-3101 鹿児島県西之表市西之表6387-27
Mail:sofialover@nifty.com

追伸
当該提唱文は、別表の先生方に郵送しています。
別表は、各国立大学のホームページより、教員養成学部の哲学担当の先生方だと思われる先生方を選んで作成したものです。
どうか、先生方同士で、哲学フォーラムについて、御検討頂して頂きたいと思います。
より良き日本の為に。


追記

哲学フォーラムが完成し、更に哲学一貫教育が完成すれば、哲学教育の中心は、旧帝国大学文学部の哲学講座と各国立大学教育学部(教員養成学部)の哲学教育講座に二分される事になります。
旧帝国大学文学部の哲学講座では、現在と同じく文献哲学を行う事になります。
各国立大学教育学部の哲学教育講座では、本来の意味での哲学、philosophia、知恵を愛する為の教育が行われる事になります。
なお、各国立大学教育学部の哲学教育講座は、7名程度の教官(西洋思想史、東洋思想史、日本思想史、美学・芸術学、宗教学、倫理学・道徳教育、教育哲学等)で構成される事になります。
各国立大学教育学部の哲学教育講座では、小中高校の教師や哲学ボランティア“ソクラテス”の育成の他、各国立大学の共通科目としての哲学科目も担当する事になります。
旧帝国大学以外の各国立大学においては、哲学教育の中心が、現在の文学部から教育学部に完全にシフトする事なります。
 そしてまた、国立大学教育学部哲学教育講座が、各都道府県における哲学的センターとなって行くのです。




「哲学フォーラムと哲学一貫教育」提唱文
岩波書店編集局哲学担当編集部長宛て      
角川書店編集局哲学担当編集部長
新潮社編集局哲学担当編集部長
小学館編集局哲学担当編集部長
集英社編集局哲学担当編集部長
講談社編集局哲学担当編集部長
文藝春秋社編集局哲学担当編集部長
中央公論社編集局哲学担当編集部長
筑摩書房編集局哲学担当編集部長
河出書房新社編集局哲学担当編集部長
平成21年9月6日提唱

【哲学読本の作成について】
~哲学一貫教育実現の為に~
 
拝啓 
株式会社岩波書店 編集局 哲学担当編集長 殿

 私は哲学に関心のある者です。
 そして、哲学によって、日本が素晴らしい国家に成ると思っている者です。
 私はその為に、哲学一貫教育を提唱しています。
 哲学一貫教育とは、日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する教育の事です。
 この哲学一貫教育は、次の五つの柱から成っています。

 ① 小中高校哲学一貫教育
 ② 大学及び公民館における哲学教育
 ③ 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)
 ④ 哲学読本大全の作成
 ⑤ 哲学フォーラム

 先ず、①番目の小中高校哲学一貫教育ですが、
 これは小学校、中学校、高校の12年間に渡って、哲学教育を一貫して行う教育の事です。
 具体的には、小学校及び中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
高校については、現在の倫理を廃止し、哲学とし、かつ必修とし、授業時間を週2時間とします。
これにより、小学校、中学校、高校の12年間に渡る、授業時間週2時間の哲学一貫教育を完成させます。

授業においては、読書と作文を行います。
教材としては、哲学読本と哲学ノートを使用します。
哲学読本とは、各学年に相応しい哲学テーマを35(1年間に授業可能な週の数を想定)選定し、それぞれの哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度集めて、編集したものです。
哲学ノートとは、児童生徒が、哲学テーマに関する作文を綴る為のノートの事です。

 授業は次のように進めます。
 先ず、週の最初の時間に、哲学読本の中の一つの哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を3編程度読みます。
 次に、週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて、その1週間の間に思索した結果を、哲学ノートに作文として纏めます。
 これを小学校、中学校、高校の12年間続けて行います。
 これにより、児童生徒は12年間の間に420(35哲学テーマ×12年間=420)の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を読み、420の哲学テーマにについて、作文を書く事になります。
 これにより、哲学的素養のある児童生徒が育つ事になります。

 また、小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置します。
 哲学対話室とは、児童生徒と哲学的素養のある大人が、1対1で、もしくは数人で哲学的対話を行う部屋の事です。
 哲学対話室は、課外とし、毎週月曜日から金曜日までの、午後3時から午後5時まで開設するものとします。
 この哲学対話室において、児童生徒は自らにおいて自らの師を見出す事になります。
そしてこの哲学対話室から、真に哲学的素養に優れた児童生徒が育って行く事になります。

 次に、②番目の大学及び公民館における哲学教育ですが、
 大学においても、哲学を必修とします。
 授業時間については、週1授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
 これにより、小学校、中学校、高校、大学の哲学一貫教育が完成する事になります。

 また、公民館においても、毎週1回哲学講座を開催するものとします。
 これにより、一生涯に渡る哲学一貫教育が完成する事になります。

 また、大学及び公民館においても、哲学対話室を設置するものとします。
 大学及び公民館に設置する哲学対話室については、広く国民に開放するものとします。
 これにより、哲学に関心のある人々が、大学及び公民館の哲学対話室に集まる事になり、日本に哲学風土が根付く事になります。
 なお、大学及び公民館の哲学対話室については、当分の間、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。
 “土曜日の午後は哲学対話室で!”
 この合言葉の下、土曜日の午後に、児童生徒を含め、哲学に関心のある者が、大学及び公民館の哲学対話室に一斉に集まる事になります。
 
 次に③番目の大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)ですが、
 国づくりの基礎は、教育です。
 教育の基礎は、教師です。
 哲学的素養に優れた教師を育成する為、大学教育学部において、哲学教育を徹底して行います。
 授業時間は、週3授業時間とし、1年から4年まで、4年間通年で受講するものとします。
 授業の内容は、小中高校哲学一貫教育と連動したものとなります。
 カリキュラムを示す次の通りです。

 ① 哲学
   古今東西の名著(哲学書)の中の名文中の名文を基に、哲学に関する主要なテーマを哲学します。
 ② 宗教
   キリスト教、仏教、イスラム教、神道、ユダヤ教、ヒンズー教等経典の中の名文中の名文を基に、宗教に関する主要なテーマを哲学します。
 ③ 文学
   古今東西の名著(文学書)の中の名文中の名文を基に、文学に関する主要なテーマを哲学します。
 ④ 社会科学
   古今東西の名著(社会科学図書)の中の名文中の名文を基に、社会科学に関する主要なテーマを哲学します。
 ⑤ 自然科学
   古今東西の名著(自然科学図書)の中の名文中の名文を基に、自然科学に関する主要なテーマを哲学します。
 ⑥ 憲法
   日本国憲法、アメリカ憲法、イギリス憲法、フランス憲法、中国憲法、韓国憲法等の条文を基に、日本国憲法の主要なテーマを哲学します。
 ⑦ 教科哲学
   中学校で履修する9科目について、教科書を基に、各教科及び各教科の主要な単元を哲学します。
 ⑧ テーマ哲学
日本国民に関心のあると思われる100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に、その概念を哲学します。哲学テーマ例としては、知恵、愛、勇気、忍耐、節制、友情、仕事、勉強、学校、国家、社会、家族、自然、環境等々
 ⑨ 芸術
   古今東西の名画、名曲の鑑賞を基に、芸術に関する主要なテーマを哲学します。
 ⑩ 日本思想史
   日本の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事によって、日本の思想の流れを哲学します。
 ⑪ 西洋思想史
   西洋の代表的思想家30人について、その名著の中の名文中の名文を時代順に追う事  によって、西洋の思想の流れを哲学します。
⑫ 古代古典講読
   古典中の古典10冊を講読します。なお、古典については、「論語」、「老子」、「マタイ福音書」、「バガヴァッド・ギーター」、「ダンマバダ(法句経)」、「饗宴」、「自省録」、「エピクロス『手紙』」、「エピクテトス『語録』」、「セネカの『道徳論集』の1編」、「旧約聖書『詩篇』、『箴言』」等々、半日または一日で読み切る事の出来るものを対象とします。
 ⑬ 哲学百章の作成
   自らに関心のある100の哲学テーマについて、自らにおいて哲学し、その結果を、哲学百章として、冊子に纏めるものとします。
 ⑭ 哲学対話百録の作成
   哲学対話を100回行い、その対話録を、哲学対話百録として、冊子に纏めるものとします。
 ⑮ 小中高校の哲学対話室への参加
   小中高校の哲学対話室に参加し、児童生徒と哲学対話を行うものとします。また、大学及び公民館の哲学対話室にも積極的に参加するものとします。
 
大学教育学部の哲学教育の目的は、児童生徒を生き生きとした言葉の世界に誘う事の出来る教師を育成する事にあります。その為にも、生き生きとした生きた言葉から学ばなければならないのです。

 次に、④番目の哲学読本大全の作成についてですが、
 哲学読本大全とは、国民に関心のある500の哲学テーマを選定し、それぞれ哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文を100編集めて編集した読本の事です。
 この哲学読本大全は、国民の英知を結集して作成するものとします。
 1編の文章量は、文庫本4頁程度とします。

 作成方法を示すと次の通りとなります。

 ① 哲学読本大全作成委員会(以下委員会と言う)を設置します。
 ② 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、国民にとって大切な哲学テーマを募集します。
 ③ 委員会において、500の哲学テーマを選定します。
 ④ 委員会において、学識経験者及び国民を対象に、500の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集します。
   募集の方法は、名文の箇所をコピーして郵送等で送付して貰うか、名文の箇所をスキャナーで読み込み電子メール等で送信して貰う方法によるものとします。
 ⑤ 委員会において、募集のあった名文を全てスキャナーで読み込み、テキスト形式に変換した上で、哲学テーマ毎にパソコン上で整理します。
 ⑥ 委員会において、500の哲学テーマ毎に、100の名文を選定します。
 ⑦ 委員会において、それぞれの名文毎に、簡単な書誌を作成します。
 ⑧ 委員会において、⑤⑥⑦を基に、パソコン上において、哲学読本大全を作成します。
   哲学読本大全は、WEB閲覧用とオンデマンド印刷製本用の2種類を作成するものとします。
   WEB閲覧用については、誰でも自由に無料で、閲覧できるものとします。
   オンデマンド印刷製本用については、誰でも自由に無料で、これを利用して、オンデマンド印刷製本ができるものとします。(商用ベースは除く)
 ⑨ 都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室においては、オンデマンド印刷製本を行い、哲学読本大全コーナーを設け、利用者の用に供するものとします。
 ⑩ 哲学読本大全は、国内の出版社の協力を得て作成するものとします。
   哲学読本大全には、名文毎に、出典を記載するものとします。例えば「岩波文庫『論語』:(㈱岩波書店」と言う風に。
   哲学読本大全が、各出版社の本の紹介を兼ねるものとする事で、出版社の協力を得るものとします。
 ⑪ 哲学読本大全は、第1シリーズ、第2シリーズと言う風に、定期的に新たなものを作成して行くものとします。
   哲学テーマは、シリーズ毎に新たに選定する事としますが、重複しても構わないものとします。
   例えば、「愛」と言う哲学テーマについては、シリーズが10回続いたとしても、必ず10回全てに入って来ると思います。何故なら、「愛」に関する名文は尽きる事が無いからです。
 ⑫ 哲学読本大全作成システムが完成する事により、日本に言葉の花園が生まれる事になり、そして哲学的風土が根付く事になるのです。
   愛に悩む若者が哲学読本大全を開きます。
   そこには愛に関する名文が、100あるいは200あるいは300並んでいます。
   彼はそれを一つ一つ読んで行きます。
   そして彼は気付きます。(ある大切な事を)
   その様にして、一人また一人と、日本に哲学者(知恵を愛する者)が増えて行く事になるのです。

 次に、⑤番目の哲学フォーラムですが、
 哲学フォーラムとは、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を開設する事です。
 これらの哲学フォーラム(哲学対話室)が、連携し、響き合う事によって、日本に哲学的風土が根付く事になります。


 以上が哲学一貫教育の全体像ですが、これら全てを一気に実現させる事には無理があります。
 先ず、小中高校哲学一貫教育ですが、これを実現させる為には、文部科学省の学習指導要領を改訂しなければならず、相当の準備期間が必要となります。
また、大学における哲学教育についても、大学間のコンセンサスが得られるまでには相当の時間が必要になると思われます。
 しかし、哲学(知恵を愛する事)に熱心な者が集まれば直ぐに出来るものがあります。
 それが、哲学フォーラム(哲学対話室)です。

 哲学フォーラム(哲学対話室)とは、哲学的対話を行う部屋の事です。
 この哲学フォーラム(哲学対話室)において、1対1の哲学的対話や数人による哲学的に対話が行われる事になります。

 この哲学フォーラム(哲学対話室)が、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置される事になるのですが、その様式は全て同じです。
 先ず大きさですが、学校の教室程度を想定しています。
 この哲学フォーラム(哲学対話室)には、常に哲学ボランティア“ソクラテス”と言う者が2名以上常駐するものとします。
 哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者と哲学ボランティア“ソクラテス”が1対1の対話または数人による対話を行う事になります。
 哲学ボランティア“ソクラテス”は、嘗て実在したソクラテスと同様、無報酬とします。
 場所については、小学校、中学校、高校については、空き教室等を利用するものとします。
 大学については、大学図書館の研修室等を、公民館については、公民館の研修室等を一時借用するものとします。
 開設日については、当面は週1回開催するものとします。
 小学校、中学校、高校については、平日の午後3時から午後5時まで開設するものとします。(課外活動として行います。)
 大学及び公民館については、土曜日の午後2時から午後5時まで開設するものとします。

 以上が、当面の哲学フォーラム(哲学対話室)の概要です。
 この哲学フォーラム(哲学対話室)を、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に設置する事になるのですが、お金は1円も必要ないのです。
 何故なら、会場使用料は無償ですし、哲学ボランティア“ソクラテス”も無報酬だからです。

 しかしそうは言っても、これらの全ての哲学フォーラム(哲学対話室)を一気に立ち上げるとなると、無理があります。
 何故なら絶対数があまりにも多いからであり、また哲学フォーラム(哲学対話室)と言う概念が国民に認知されていないからです。
 そこで私は先ず、公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)から展開しようと考えています。
公民館での哲学フォーラム(哲学対話室)の展開のノウハウを利用して、次に大学、そして高校、中学校、小学校と言う順に展開しようと考えています。
 なお、公民館には、中央公民館、地域公民館、校区公民館、集落公民館等々様々な公民館がありますが、当面は、社会教育法第21条第1項に基づき設置される公民館(全国で17,143公民館)を対象とする事とします。

 公民館における哲学フォーラム(哲学対話室)の展開については、先ず全国の県庁所在地の中央公民館(47館)に設置し、次に全国の各市の中央公民館(783館)に設置し、更にその次に全国の市町村の中央公民館(1,775館)に設置し、そして最終的には全国の全ての公民館(17,143館)に設置しようと考えています。

 私はその為に、先ずは私の地元である鹿児島市の公民館(14館)において、哲学フォーラム(哲学対話室)を展開しようと考えているのですが、ここに大きな問題があるのです。
 それが、『哲学読本』なのです。
 
ここで公民館の哲学フォーラム(哲学対話室)の開設方法及び運営方法について、もう少し詳しく説明しておきます。

先ずは開設方法についてですが、
先ずは、公民館において、半年の哲学講座を開設します。
これには、国立大学の教育学部の哲学担当の先生方にも協力して頂きます。※1
次に、哲学講座の卒業生や哲学に関心のある市民で、公民館の自主活動グループとして「哲学フォーラム公民館名」を組織します。
この自主活動グループ「哲学フォーラム公民館名」が、毎週土曜日の午後2時から午後5時まで、公民館の研修室を一時借用して、哲学フォーラム(哲学対話室)を開設します。
以上が、開設方法です。

次に運営方法ですが、
哲学フォーラム(哲学対話室)の開設時間中は、常に2人以上の哲学ボランティア“ソクラテス”が常駐するものとします。
この哲学ボランティア“ソクラテス”を中心に、1対1の哲学的対話や数人による哲学的対話が同時並行的に行われる事になります。

1対1の哲学的対話では、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者と哲学ボランティア“ソクラテス”が、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者が関心のある哲学テーマについて、1対1で対話を行う事になります。
1対1の哲学的対話では、哲学フォーラム(哲学対話室)を訪れた者は、心行くまで
哲学ボランティア“ソクラテス”と対話を重ねる事が出来ます。
 哲学的視座さえ持っていたら、そのテーマは人生相談でも良いのです。
 哲学ボランティア“ソクラテス”が哲学的視座さえ持っていたら、それは、人生相談から、哲学的弁証、そして哲学的止揚へと発展して行けるからです。

数人による哲学対話については、あらかじめ対話する哲学テーマを決めて置き、各人がその哲学テーマ関して選んだ古今東西の名著の中の名文中の名文を基に3分程度の基調講演を行った後、それに基づき、数人によるまたはそこに居合わせた人々と対話を進めて行く事になります。プラトンの「饗宴」のイメージです。
この数人による対話のキーポイントは、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に行う事にあります。
何故、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に行うかと言うと、古今東西の哲学者(知恵を愛した者)の知恵の土台の上に、更なる哲学的弁証、哲学的止揚を目的としているからです。
古今東西の哲学者(知恵を愛した者)たちの知恵を借りて対話が始まりますが、それはお互いに取って、思いもかけない思想の発展を齎す事となるのです。それが、哲学フォーラム(哲学対話室)の真髄です。

もしある哲学テーマについてフリートーキングで行えば、それは自説の主張に終始し、対話とはならず、討論に終始してしまう事になります。
討論の目的は勝敗ですので、結局は後味の悪いものとなり、哲学フォーラム(哲学対話室)が存続し得なくなるのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)の目的は、あくまでも対話、弁証、止揚なのです。
評価の定まった古今東西の哲学者(知恵を愛する者)の知恵からスタートする事により、ある程度の客観性を保持したまま、更なる止揚へと発展して行く事が出来るのです。

ある哲学テーマについて、思索し、古今東西の名著の中にその言葉を捜し、そして更に思索を重ねた後、哲学フォーラム(哲学対話室)での対話に臨めば、その対話が如何に素晴らしいものになるお分かりになると思います。

ここで問題が発生するのです。
それが『哲学読本』なのです。

哲学フォーラム(哲学対話室)のおける数人の哲学対話においては、毎週、対話する哲学テーマが変って行きます。
読書量の豊かな人ならば、その哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を探し出し、それに熟考を重ねた上で、哲学フォーラム(哲学対話室)に望む事が出来ます。
しかし、普通の人は中々そこまで行き着く事が出来ません。
自然、哲学フォーラム(哲学対話室)は、多くの人に取っては縁の無いものとなって行きます。

私の目指す哲学は、市民哲学です。
市民一人一人が、哲学(知恵を愛する事)によって、哲学的に成熟して行く事にあります。
その為には、先人の素晴らしい知恵の言葉が必要なのです。

私の提唱する哲学一貫教育の中の『哲学読本大全』が存在すれば、公民館だけでなく、大学、高校、中学校、小学校においても哲学フォーラム(哲学対話室)は直ぐに立ち上がり、そしてそこでは哲学対話が活発に交わされる事になります。
何故なら、一つの哲学テーマに関して、古今東西の名著の中の名文中の名文が百も二百三百もあるのですから。
彼らはそれらを読み、その中から最も自分に適した名文を基に、哲学フォーラム(哲学対話室)に臨む事が出来ます。
そして、そこに彼らが予期しなかった、更なる弁証、止揚が待っている事になるのです。

『哲学読本大全』は、哲学フォーラム(哲学対話室)だけでなく、哲学一貫教育の基礎の基礎となるものです。
『哲学読本大全』は、日本国民の哲学的素養を育てる為の一大貴重図書なのです。

しかし『哲学読本大全』が実現するまでには、相当な時間が必要です。
そこで編集長様にお願いがあるのです。

それは、貴社独自で『哲学読本』を作成して頂きたいと言う事です。
貴社出版物の中には、それこそ古今東西の名著が山ほどあります。
これらを基に、貴社独自の『哲学読本』を作成して頂きたいのです。

なお、今回の提唱については、次の10社に対して行っています。
①岩波書店、②角川書店、③新潮社、④小学館、⑤集英社、⑥講談社、⑦文藝春秋社、⑧中央公論新社、⑨筑摩書房、⑩河出書房新社
つきましては、別紙「哲学読本作成要領」に基づき、それぞれ各社独自で『哲学読本』を作成して頂きたいと思います。

今回の『哲学読本』は、各社が独自にそれぞれ1冊ずつ発行して頂く事になりますが、規格及び発行時期を合わせる事によって、「哲学読本10冊1セット」の形を取る事にします。
そして、出版社及び哲学教育関係者等で「哲学読本推薦委員会」の様なものを組織し、これとの連携協力の中で、日本国中の全ての都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室及び公民館図書室に「哲学読本10冊1セット」を備え付けて頂くものとします。
その為には、「哲学読本10冊1セット」の価格は、出来るだけ安価に設定する必要があります。

なお、私は今回の提唱の前に、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方(別紙名簿)に、「哲学フォーラムと哲学教育」と言う標題で提唱しています。
この提唱では、先ず哲学一貫教育の概要を説明した後で、哲学一貫教育の5つの柱の内、志のある者が集まれば直ぐにでも実施できる哲学フォーラム(哲学対話室)について、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方が中心になり、多くの哲学(知恵を愛する事)に志のある者を集めて、「哲学フォーラム日本」を組織して頂き、日本全国で哲学フォーラム(哲学対話室)を展開して頂きたいと言うものでした。
お一人の先生からは賛同の意も頂いていますが、実際にはもっと多くの先生方に賛同して頂いていると思っています。
つきましては、別添名簿の先生方ともお話を進めた上で、是非「哲学読本10冊1セット」を実現させて頂きたいと思います。
何故なら、「哲学読本10冊1セット」があれば、哲学フォーラム(哲学対話室)は、いとも簡単に展開できるからです。

この「哲学読本10冊1セット」は、私の提唱する『哲学読本大全』のような絶大な効果はありませんが、それでも実現すれば、今の日本に、哲学の夜明けを齎す事にはなると思います。

私が何故、文学部の哲学の先生ではなく、教育学部の哲学の先生を対象にしているかと言えば、「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う事は、児童生徒学生そして市民の中に生きているものだからです。
教育学部はその哲学を生かす機会に恵まれていますが、文学部においてはそれが望めないからです。

哲学には、二つの概念があると思います。
一つは文献哲学であり、一つはphilosophia、知恵を愛すると言う事です。
文献哲学は、これまで通り、文学部に担当して頂ければ良いと思いますが、
「哲学=philosophia=知恵を愛する」と言う事は、あくまでも教育学部の所管なのです。
私はその為にも、教育学部に対して、哲学一貫教育を提唱しているのです。

今回の『哲学読本』の作成を機会に、私が提唱文を送った別紙国立大学の教育学部の先生方(別紙名簿)と哲学教育について、是非話し合ってみて下さい。
そうすれば、『哲学一貫教育』こそが、日本をより成熟した国家へと導くメソッドだと言う事が分かるようになる筈です。
なお、哲学一貫教育は、①小中高校哲学一貫教育、②大学及び公民館における哲学教育、③教育学部における徹底した哲学教育(哲学的素養に優れた教師の育成)、④哲学読本大全の作成、⑤哲学フォーラムの5つの柱から成っていますが、「哲学読本10冊1セット」を契機に次のように展開されていく事になると思います。

一 「哲学読本10冊1セット」を基に、公民館及び大学において、哲学フォーラム(哲学対話室)が展開され始める。
二 公民館及び大学の哲学フォーラム(哲学対話室)の展開に伴い、哲学読本大全の必要性が要請され、哲学読本大全が作成される。
三 哲学読本大全の完成に伴い、最初は高校に、次に中学校に、そして最後に小学校に哲学フォーラム(哲学対話室)が展開されるようになる。
四 哲学フォーラム(哲学対話室)の全面的展開により、教育学部における徹底した哲学教育が要請されるようになる。また、大学及び公民館における哲学教育も要請されるようになる。更には、小中高校哲学一貫教育が要請されるようになる。
五 一から四の成熟に伴い、文部科学省指導要領が改訂され、小中高校哲学一貫教育が実現する。
六 一から五の成熟に伴い、日本が愈々哲学的に成熟して行く。

以上、最後には夢見物語になりましたが、哲学一貫教育には日本と言う国が、夢を託すだけのものはあると思います。
そして、そのスタートが、「哲学読本10冊1セット」となります。
どうか、別紙「哲学読本作成要領」に基づき、哲学読本を作成して頂きたいと思います。

最後に、編集長様のますますのご清祥を祈念いたしまして、この提唱を終わりたいと思います。

平成21年9月5日 
鹿児島県西之表市西之表6387―27 
哲学哲男こと橋元隆志 
sofialover@nifty.com 



『哲学読本』作成要領


1 目的
  哲学とは、philosophia、知恵を愛する事、
  『哲学読本』は、国民一人一人が知恵を愛する為の参考書として作成する。

2 内容
① 国民に取って大切だと思われる100の哲学テーマについて、それぞれの哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文中の名文5編を選定して、編集する。(名文は、全部で500編となる。)
② 名文1編の文章量は、B5版、4段組(または5段組)、縦書き、2頁に収まる分量とする。名文1編の文章量は、4,000字程度か。
③ 名文1編ごとに簡単な書誌を付す。
④ 名文1編とその書誌を見開き2頁に収める。
⑤ 生存者の名文は選定しない。なるべく古典から選定する。

3 規格
① B5版、4段組(または5段組)、縦書きとする。
② 頁数は、1,200頁前後とする。
③ 印刷、製本、紙質は、最も安価なものとする。(なるべく多くの国民に流通する為に)

4 作成方法
① 編集局に哲学読本作成委員会(以下委員会と言う)を設置する。(委員長は哲学担当編集長とする。)
② 委員会において、編集局員等(社員や関係者等も含める)を対象に、国民に取って大切だと思われる哲学テーマを募集する。
③ 委員会において、100の哲学テーマを決定する。
④ 委員会において、100の哲学テーマそれぞれについて、編集局員等(社員や関係者等も含める)を対象に、自社出版物の中の古今東西の名著の中の名文中の名文を募集する。
⑤ 委員会において、それぞれの哲学テーマ毎に、5編の名文を決定する。
⑥ 委員会において、それぞれの名文毎に簡単な書誌を作成する。
⑦ 哲学担当編集長の下、編集、印刷、製本を行う。
 ※ 印刷については、既存本があるので、これをスキャナー等で読み込み、テキスト形式に変換して、印刷するなど、最も安価な印刷方法を採用するものとする。 

5 発行方法
岩波書店、角川書店、新潮社、小学館、集英社、講談社、文藝春秋社、中央公論新社、筑摩書房、河出書房新社の10社が、それぞれに『哲学読本』を発行するものとするが、発行時期、規格等を合わせる事により、「哲学読本10冊1セット」の形をとるものとする。

6 哲学読本推薦委員会                                       
  出版社及び哲学教育関係者において、哲学読本推薦委員会を組織し、この委員会推薦の下、日本国中の全ての都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室に「哲学読本10冊1セット」で備えて貰うものとする。また、日本国中の全ての書店において、『哲学読本』キャンペーンを行う。

7 哲学テーマ
  様々な哲学テーマが考えられるが、例示すると次のようなものが考えられる。
  愛、勇気、忍耐、知恵、節制、寛容、友情、家族、仕事、勉強、兄弟、学校、学問、哲学、科学、政治、経済、社会、国家、結婚、恋愛、道徳、自然、環境、地球、宇宙、力、文学、音楽、芸術、真、善、美、読書、作文、思索、対話、宗教、大人、子供、親、良心、青年、男、女、心、精神、肉体、自分、私、言葉、論理、感情、快楽、死、人生、命、神、克己、性、平和、自由、平等、瞑想、思想、夢、希望、理想、無、歴史、現代、古代、戦争、権力、権威、都会、聖人、英雄、人間、町、村、隣人、親族、関係、光、闇、不安、子孫、先祖、時間、永遠、誠、祭、道、天地(海、山、川、森、天、地)、行動、進歩、未来、過去、老い、病、健康、挫折、信仰、自信、伝統、日本、世界、風土、風俗、民族、言語、認識、常識、良識、知識、大学、教養、禁欲、欲望、少年、遊び、旅、少女、教育、志、季節(春、夏、秋、冬)、地位、名誉、富、感覚、天国、誕生、勤勉、幸福、正義、慈悲、運命、経験、観念、敬虔、畏敬、尊敬、苦悩、生活、朝、夜、食、眠り、法、喜、怒、哀、楽、労働、感動、記憶、創造、祈り、徳、中庸、普遍、習慣、文化、文明、文字、数、直感、意志、神秘、衝動、人格、他

8 哲学読本に掲載する古今東西の名著の中の名文中の名文とは
  哲学読本に掲載する古今東西の名著の中の名文中の名文とは、俗に言う哲学分野だけでなく、宗教分野(聖典、仏典、経典等)、文学分野(詩、小説、戯曲、随想、評論等)、社会学分野(地理、歴史、経済、社会、政治、人類学等)、自然科学分野(主に自然科学者の評論・随想等)、芸術分野(主に芸術家の評論・随想等)等々全ての分野の名著の中の名文中の名文を対象とする

9 何故古今東西の名著の中の名文中の名文なのか
  何十年、何百年、何千年と生き延びて来た文章は、一切の無駄が剥ぎ落とされ、研ぎ澄まされたものとなっている。言い換えればその文章に言霊が乗り移っている。この言霊により、日本人の言霊を揺さぶる。ここに『哲学読本』の真髄がある。

10 哲学読本の可能性
 哲学(知恵を愛する事)に慣れ親しんだ者に取って、哲学読本はその世界を大きくする。『聡明な人は瞬時の間、賢者に仕えても、直ちに真理を知る。――舌が汁の味を直ちに知るように』。哲学(知恵を愛する事)に慣れ親しんだ者は、短い文章の中に聖人賢人哲人偉人たちの真髄を知る。多くの名文中の名文を読む事によって、彼の中に、多くの聖人賢人哲人偉人たちの言霊が乗り移る。彼の魂はより大きなものとなる。また哲学(知恵を愛する事)に初学の人に取っては、一切の無駄が剥ぎ落とされた研ぎ澄まされた文章、すなわち言霊により、哲学(知恵を愛する)の門が開かれる。

11 哲学ブームと哲学国家への道
  哲学読本が浸透する事により、哲学を愛する者は更に哲学を愛するようになり、哲学に無知な者には哲学の大きな門が開かれる。これにより、日本に哲学ブームが湧き起こる。この哲学ブームにより、大手出版社がそれぞれにまた哲学読本を発行して行く。この相乗作用により、日本に一大哲学ブームが沸き起こる。この一大哲学ブームを契機に、日本は哲学国家への道を歩む事になる。その最終的仕上げは、『哲学一貫教育』により行う事になる。

12 哲学(知恵を愛する事)と哲学一貫教育
 哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。その方法は、「読書」「思索」「作文」「対話」そして「実践」。哲学一貫教育では、「読書」「思索」「作文」「対話」までを行う。「実践」は、自由意志で飛翔するしかない。しかしその為には知恵を愛し抜かなければならない。私の言う哲学とは、イエス、ソクラテス、ブッダ、孔子、セネカ、王陽明、ダビデ、エピクロス、エピクテトス、マルクス・アウレリウス、西郷隆盛等々の系譜に連なるものである。

13 国立大学教育学部哲学担当教官との連携
 「哲学=philosophia=知恵を愛する事」は、全ての国民の為のもの。「哲学読本」も全ての国民の為のもの。「国立大学教育学部哲学担当教官」も全ての国民を教育する教育者を育てる為に存在している。故に、哲学読本の作成については、国立大学教育学部哲学担当教官と連携しなければならない。

14 「哲学読本」は哲学国家への道しるべ
哲学(知恵を愛する)は、人間の全ての行動を真善美に導く為にある。現在の日本において、この哲学が如何に貧弱な事か。それは日本には精神的バックボーンがないからである。キリスト教国家においてはキリスト教精神(聖書)があり、イスラム教国家においては、イスラム精神(コーラン)がある。日本において、その代わりをするのが、『哲学読本大全』である。この『哲学読本大全』を中心とした、哲学一貫教育により、日本は世界に冠たる哲学国家となる。「哲学読本10冊1セット」はその為の道しるべとなる。

15 「哲学読本」は道徳教育の主要教材となる
  「哲学読本10冊1セット」は、道徳教育の主要教材となるものである。故に、日本国中の全ての小中高校の図書室に納入して貰う。この「哲学読本10冊1セット」により、哲学的素養に優れた児童生徒が育成される事になる。彼らにより、道徳教育から哲学教育への転換が図られる事になる。自ら学び、自ら考え、自らにおいて知恵を自らにした者でない限り、徳は決して自らのものとはならない。

16 道徳教育から哲学教育へ
  哲学教育も道徳教育も目指す所は同じである。すなわち自らの行動を真善美に導く為である。しかしその結果には天と地ほどの差が付く。道徳教育ではそれを教えようとする。馬耳東風、馬の耳に念仏。その教えは彼らに届く事は無い。しかし哲学教育ではそうではない。彼らは自らにおいて自らを学ぶ。自らに自らを学んだ事は決して忘れる事が無い。何故ならそれは自らだから。「汝自身を知れ」。哲学の究極の目的は自らを知る事。哲学教育の方法は、「読書」「思索」「作文」「対話」、それらの方法により、自らにおいて自らを学んだ事を、自らにおいて「実践」して行く。ここに哲学が完結する。



結び
 今回私が提唱させて頂いた10社の出版社の編集長様とそれから平成21年6月24日付で提唱させて貰った国立大学教員養成学部哲学担当の先生方(別紙名簿)と是非「道徳教育から哲学教育への転換」について御協議頂きたいと思います。
そうすれば、哲学教育こそが最善の道だと分かる筈です。
その際には、私が提唱した「哲学一貫教育」も考慮に入れて下さい。
哲学一貫教育のその先にあるのは、世界に冠たる哲学国家「日本」であり、世界に冠たる哲学の民「日本人」です。

カントを一生研究してもカント馬鹿、哲学馬鹿を育てるだけです。
しかしその人に中に、古今東西の聖人賢人偉人哲人たちの言葉が一杯詰まっているとしたらどうでしょう。それも日本人全ての心の中に。尤もそれを利用するかしないかは個人の自由意志の問題ですが。しかしその存在を教えて上げなければ、それらは全くの無です。

哲学読本は機会の提供です。哲学一貫教育では、日本人の一生涯に渡ってその機会を提供します。その機会を生かすか生かさないかは全く個人の自由意志の問題です。しかし幼い頃から食べ慣れた味は忘れる事が出来ないのです。私に取ってのカレーライスの様に、キリスト教国家の人に取っての聖書の言葉の様に、イスラム教国家の人に取ってのコーランの言葉の様に。

現在の日本は、精神的に貧弱な国家です。
この日本を再興する為には、哲学一貫教育しかないのです。
そしてそのスタートが、「哲学読本10冊1セット」となります。
 どうか「哲学読本10冊1セット」の実現に向けて御協力下さい。
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追伸
 株式会社岩波書店 哲学担当編集長様へ

 今回以上のように、10社の哲学担当の編集長様に提唱させて頂きましたが、多分残りの9社様においては、取り合って頂けないと思います。
 何故かと言えば、それ程、古今東西の名著のストックが無いからです。
 しかし貴社は違います。
貴社の岩波文庫を始めとする古今東西の名著の一群は、本当に群を抜け出しています。
絶版になっているものまで含めると一体何冊あるのでしょう。
千を超えて万に近くあるのではないでしょうか。
私たちはそれら全てを手にする事は出来ません。
例え、手にしたところで、それら全部を読む事は出来ません。

大学の哲学科、特に旧帝国大学系の哲学科においては、一人または数人の哲学者の著書の全てを最初から最後まで読む事を求められるのでしょう。
それこそが正に文献哲学だと思います。
しかし、私たち「知恵を愛する」(哲学)市民に取っては、そんな事は必要ありません。
私たち哲学(知恵を愛する)市民に取って、必要なものは、古今東西の聖人賢人偉人哲人たちの知恵に満ちた言葉です。
勿論、多くの本を読んでそれらを見出す事が一番良いのでしょうが、私たち市民にはそれほど多くの時間がありません。

はっきり言って、現在の多くの市民に取って、古今東西の聖人賢人偉人哲人たちの言葉は無いに等しいのです。

何故かと言えば、現在の日本においては、その様なものを求めようと思っても、その様なものが無いからです。
本文にも書きましたが、キリスト教国家には聖書があり、イスラム教国家にはコーランがあります。
それらの国家においては、幼い時から知恵を求められる様に躾けられ、そしてそこには聖人賢人哲人偉人たちの言葉に満ち満ちた「聖書」「コーラン」があるのです。

日本には宗教的制約が全くありません。
そこには大いなる自由があります。
知恵を求める自由と知恵を求めない自由です。
現在の日本はあまりにも知恵を求めない自由が勝ち過ぎていると思います。

この様な日本ですが、方法によっては、世界に冠たる哲学国家に成り得るのです。
嘗てのアテネの様に。
その方法が、哲学一貫教育です。
そして、その先鞭を付けるのが『哲学読本』です。

私の提唱する『哲学読本大全』が完成すれば、日本は一気に哲学国家への道を歩みます。
しかし『哲学読本大全』の完成が当分難しいと言うのであれば、それに変るものが必要となります。
それこそが正に貴社独自で発行する『哲学読本大全(全10巻)』と言う事になります。

私は今回貴社を含めて10社様に「哲学読本10冊1セット」の提案をさせて頂きましたが、多分何処からも何も反応が無いと思います。
もし、二三ヶ月経っても何も反応が無ければ、貴社独自で『哲学読本大全(全10巻)』を作成して頂きたいと思います。
キリスト教国家の「聖書」、イスラム教国家の「コーラン」に匹敵する様な『知恵の書』を目指して、どうか『哲学読本大全(全10巻)』を完成させて頂きたいと思います

何故「哲学読本1冊」では無く、『哲学読本大全(全10巻)』なのか。
それは日本に一大哲学ブームを湧き起こす為です。
日本国中の書店に、そして日本国中の小中高校大学公民館等の図書館・図書室に大型本10巻1セットの『哲学読本大全(全10巻)』が鎮座していれば、誰でも哲学について考えざるを得なくなります。
しかもその出版元が岩波書店と言う事であれば尚更です。

また、作成方法も、上記作成要領にあるようなちまちましたものであってはなりません。
多くの学識経験者、そして国民を巻き込んだ大々的なものでなくてはならないのです。
大々的に大キャンペーンを張ってこそ、日本に哲学ブームが沸き起こってくるのです。

この『哲学読本大全(全10巻)』には、例えば「愛」について、イエスの言葉もあれば、ブッダの言葉もあれば、マホメットの言葉もあれば、孔子、老子、ダビデ、ソロモン、ソクラテス、エピクロス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウス、王陽明、西郷隆盛、ゲーテ、シャークスピア、ホメロス、夏目漱石、カント、ヘーゲル等々、古今東西の偉人賢人哲人偉人たちの言葉が山ほどに詰まっているのです。
市民はそれぞれを読みます。
そして痛く感動する名文を見付けます。
そしてその市民はその書誌の案内に従って、岩波書店のその本を購入する事になるのです。
 『哲学読本大全(全10巻)』は日本に一大哲学ブームを湧き起こしますが、しかしそれはまた、岩波書店の本の紹介の本でもあるのです。

 私は、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」6名の先生方(栗原裕次、小林春夫、稲見正浩、小林久泰、井ノ口哲也、藤井健志、荒井洋一の各先生)に、平成20年4月27日付けと平成21年6月24日付で哲学一貫教育に関する提唱を行っています。
 平成20年4月27日付の提唱は、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方だけを対象にして提唱だったのですが、その内容は、東京学芸大学及び同付属中学校で哲学一貫教育の試行を行って頂きたいと言うものでした。
 平成21年6月24日付の提唱は、全国の国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方に同時に提唱したものですが、その内容は、国立大学教員養成学部の哲学担当の先生方が中心となって、哲学フォーラム(哲学対話室)を全国的に展開して頂きたいと言うものでした。)
 また、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方においては、次の様な研究を行っているようです。
東京学芸大学平成20年度重点研究費報告書『教育学部教育における哲学・倫理学の意義と役割に関する研究』(栗原裕次、小林春夫、稲見正浩、小林久泰、井ノ口哲也(代表)、藤井健志、荒井洋一)
 更にまた、栗原裕次、藤井健志、井ノ口哲也の先生方においては、次の様な研究も同時に行っているようです。
平成19・20年度東京学芸大学教育改善推進費(トップマネジメント経費)「特別開発研究プロジェクト」研究報告書『道徳に関する諸科学の成果を生かした「道徳の指導法」に関する研究』(山名淳(代表)、松尾直博、赤間祐介、高籔学、栗原裕次、藤井健志、井ノ口哲也、及川英二郎、大石学、小嶋茂稔、田中比呂志、清水保徳、和井内良樹)
 
 東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方は、私の提唱する『哲学一貫教育』について十分理解していると思います。
 また、今回貴社宛に提唱した『哲学読本大全(全10巻)』についても、十分理解して呉れると思います。
 先ずは、東京学芸大学の「哲学・倫理分野」の6名の先生方に相談してみてください。
 きっと良い方向に向う筈です。(渡りに舟なのかも知れません)

 『哲学読本大全(全10巻)』は文献哲学者の為のものではありません。
 全ての国民の為のものです。
 そして、(小学生、)中学生、高校生の為のものです。
 その様な視点に立って下さい。
 そうすれば、一家に1セット、100万セット販売も夢ではないのです。

 
最後に、『哲学読本大全(全10巻)』作成要領を示しておきます。
『哲学読本大全(全10巻)』は、哲学教育への道を開くものであり、日本を哲学国家へと導くものです。
どうか全身全霊を傾けて、古今東西の名著の中の名文中の名文を集めて下さい。
そうすれば『哲学読本大全(全10巻)』は、日本における『知恵の書』と呼ばれるようになります。

 『哲学読本大全(全10巻)』は、貴社でしか成し得ないのです。
どうか日本の良識として頑張って下さい。


『哲学読本大全(全10巻)』作成要領

1 目的
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
  日本国民に哲学(知恵を愛する事)に関心を持って頂く為に『哲学読本大全(全10巻)』を作成する。
  なお、岩波書店においては、この書を『知恵の書』として位置づけ、会社一丸となって取り組む。

2 内容
 ① 国民に取って大切と思われる100の哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を、それぞれの哲学テーマ毎に50編集めて編集する。
② 名文1編の文章量は、B5版、4段組(または5段組)、縦書き、2頁に収まる分量とする。名文1編の文章量は、4,000字程度か。
③ 名文1編ごとに簡単な書誌を付す。
④ 名文1編とその書誌を見開き2頁に収める。
⑤ 生存者の名文は選定しない。なるべく古典から選定する。

3 規格
① B5版、4段組(または5段組)、縦書きとする。
② 頁数は、1,200頁前後とする。
③ 印刷、製本、紙質は、最も安価なものとする。
 ※1 『哲学読本大全』には、4,000字程度の古今東西の名著の中の名文中の名文が5,000編(100哲学テーマ×50編=5,000編)掲載される事になる。もし通常の規格であるA5版にすれば、全100巻必要となる。それでは誰も購入出来ない。『哲学読本大全(全10巻)』は全ての国民の為のものである。また、日本国中の全ての都道府県立図書館、市町村立図書館、小中高校図書室、公民館図書室に備えて貰わなければならない。その為にも価格は出来るだけ低く設定しなければならない。印刷、製本、紙質等については、「知恵蔵」や「イミダス」程度とする。なお。販売目標は100万部とする。
 ※2 印刷については、既存本の名文の箇所をスキャナー等で読み込み、パソコン等でテキスト形式へ変換し、それをそのまま印刷原稿とするなど、最も簡易な印刷方法を採用する。旧仮名遣いのものは、そのまま旧仮名遣いのままとする。現代仮名遣いに直し、日本聖書協会が発行している聖書のように全てにルビを付せば小学生でも読めるが、その様な事をすれば膨大な経費がかかる。出来るだけ安価にして、多くの国民に流通する事を第一の目的とする。今回の『哲学読本大全(全10巻)』については、小学生は対象から外すが、小学校の図書室には納入して貰う。それは教師に読んで貰う為と極めて優秀な高学年の児童に読んで貰う為である。
 ※3 『哲学読本大全(全10巻)』のセット価格は、2万円をベストする。高くても3万円を超えてはならない。2万円のときは100万部を目標とする(2万円×100万部=200億円)。『哲学読本大全(全10巻)』は、岩波書店の本の紹介の本である事も考慮に入れる事。

3 作成方法
 ① 編集局長、学識経験者(哲学、宗教、文学、芸術、社会、科学、教育等々)、大学関係者、高校関係者、中学校関係者、公民館関係者、図書館関係者、読者代表等により、「哲学読本大全(全10巻)作成委員会」(以下委員会と言う)を設置する。なお、学識経験者の中には必ず、国立大学教育学部哲学担当教官を入れるものとする。
 ② 委員会において、『哲学読本大全(全10巻)』の方向付けを決定する。この際、100の哲学テーマも決定する。
③ 岩波書店において、学識経験者及び国民を対象に、100の哲学テーマに関する古今東西の名著の中の名文中の名文を、大々的に大募集する。書店、学校、新聞等を通じて大キャンペーンを張る。また関係筋の学識経験者からも大募集をする。
④ 岩波書店においても、独自に、翻訳者等の協力を得て、名文の発掘を行う。なお、その際、これまで発行した全ての名著を対象とする。
⑤ 委員会において、④及び⑤を基に、100の哲学テーマそれぞれごとに50編の名文を決定する。
 ⑥ 編集局において、5,000の名文(100哲学テーマ×50名文=5,000名文)について、簡単な書誌(著者略歴を含む)を作成する。また、委員長等に巻頭言を作成して貰う。
 ⑦ 岩波書店において、⑥を基に、『哲学読本大全(全10巻)』を発行する。
⑧ 日本国中の全ての、都道府県立図書館、市町村立図書館、小中高校大学公民館の図書館・図書室に購入して貰う。
※1 『哲学読本大全(全10巻)』には、解説は付さない。それぞれの哲学テーマについて、それぞれの名文を基に、それぞれに哲学して貰う。
※2 名文とは何か。それは美辞麗句の事では無い。1000年前においても、現在においても、1000年後においても、変る事の無いそれ(知恵)を宿している文章の事である。
※3 『哲学読本大全(全10巻)』は、100年後においても、1000年後においても、日本における『知恵の書』である事を目指して作成する。
※4 哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。5,000の名文は全て知恵へと向かう。知恵へ辿り着いた時、一人また一人と哲学者(知恵を愛する者)が誕生する事になる。編者は常に、知恵とは何かを念頭においておかなければならない。それで無い限り『知恵の書』は生まれない。
※5 古代古典には知恵が綺羅星の如く耀いている。古代古典からなるべく多く採択するものとする。
※6 編者は、知恵と知識の違いを明確に見極めていなければならない。知恵とは1000年前にも存在したし、1000年後にも存在するそれである。知恵とは何か。それに対する一番良い答えは、1000年前の聖人偉人賢人哲人たちに聞く事である。故に古代古典から多く採択しなければならない。
※7 何故名文の文章量は4000字程度なのか。それは4000字程度であれば、起承転結がはっきりとし、それだけで大意が分かるからである。これより短ければ起承転結が完結せず、様々に解釈されがちになるし、これより長ければ、冗長になる。見開き2ページで名文が完結すると言うのがこの書の売りである。この書は一般国民向けである事を常に念頭においておかなければならない。なお、起用転結がはっきりしていれば、短くても構わない。論語等々。その際は編集に工夫がいる。

4 哲学テーマ
  対象とする哲学テーマは、普遍的な哲学テーマでなければならない。何故なら、100年後も、1000年後も『知恵の書』として、在り続けなければならないから。
  哲学テーマとして次の様なものが考えられる。
  知恵、愛、勇気、忍耐、節制、寛容、友情、恋愛、結婚、家庭、国家、社会、政治、経済、仕事、勉強、兄弟、親子、大人、子供、男、女、老人、青年、哲学、読書、思索、作文、対話、実践、人生、死、命、幸福、快楽、地球、自然、宇宙、世界、時間、時代、歴史、文学、芸術、詩、音楽、肉体、精神、心、神、私、克己、自分、季節、気候、風土、言葉、力、富、名誉、隣人、道徳、宗教、真、善、美、健康、生活、衣食住、教養、知識、理性、悟り、瞑想、敬虔、経験、観念、感情、習慣、意志、信仰、自信、祈り、文化、教育、正義、運命、過去、未来、夢、希望、理想、良心、普遍、法、等々
  選択する哲学テーマによって、『哲学読本(全10巻)』の性格が変ってくる。あくまでも『知恵の書』を目指して哲学テーマを決定しなければならない。
  現代的課題は採択しない。何故なら、現代的テーマについては、古今東西の名著の中の名文中の名文が無いからであり、また普遍的テーマについての十分な理解があれば、その応用で全て解決できるからである。

5 古今東西の名著の中の名文中の名文の参考例
 ① 「エピクロス『メノイケウス宛の手紙』」エピクロス(岩波文庫)P65~p69 約4000 字
   人は誰でも、未だ若いからと言って、知恵の愛求(哲学の研究)を延び延びにしてはならず、また年取ったからと言って、知恵の愛求に倦む事があってはならない。何故なら、なにびととも、霊魂の健康を得る為には、早過ぎるも遅過ぎるもないからである。・・・・・・・・・・・。テーマとしては『哲学』

② 「エミール(中)」ルソー(岩波文庫)P172~P176 約4000字
   ・・・・・・・・・。 良心!良心!神聖な本能、滅びることなき天上の声、無知無能ではあるが知性を持つ自由な存在の確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を神と同じような者にしてくれるもの、おんみこそ人間の本性をすぐれたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。・・・・・・・・。テーマとしては『良心』

③ 「旧約聖書『箴言』第8章」ソロモン(日本聖書協会)約3000字
   知恵が呼びかけ、英知が声をあげているではないか。
   高い所に登り、道のほとり、四つ角に立ち、城門の傍ら、町の入り口、城門の通路で呼ばわっている。
   「人よ、貴方に向かって私は呼びかける。
    人の子らに向かって私は声を上げる。
    浅はかな者は熟慮することを覚え、愚かな者は反省することを覚えよ。
聞け、私は指導者として語る。
    私は唇を開き、公平について述べ、私の口は誠を唱える。
    私の唇は背信を忌むべきこととし、私の口の言葉は全て正しく、邪なことも曲がったことも含んでいない。
    理解力のある人には、それが全て正しいと分かる。
    知識に到達した人には、それが全てまっすぐであると分かる。
    銀よりもむしろ、私の諭しを受け入れ、精選された金よりも知識を受け入れよ。
    知恵は真珠にまさり、どのような財宝も比べることはできない。
・・・・・・・・・。テーマとしては『知恵』
※私は岩波書店が発行している聖書を持っていないので、聖書協会のそれを仮に充てました。

④ 「伝習録巻中『答顧東橋書』」王陽明(明治書院:新釈漢文大系)P262~P270
  ・・・・・・・。しかし私は未だ希望を捨てない。それは幸いなことに、全ての人の心の中にある天理は永久になくすることができないし、良知の明るさも万古一日のように変ることがないからであって、私の根本思想であるこの抜本塞源論を聞いたなら、世間には必ずや感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然として起ち上がって、大河の堤防を決って水の奔流するごとく突進し、これを停めることのできないような人のあることを信じて疑わないのである。・・・・・・テーマとしては『知恵』
   ※私は岩波書店が発行している伝習録を持っていないので、明治書院のそれを仮に充てました。なお、伝習録は良知のオンパレードです。良知とは知恵の事です。伝習録は中国近代における大いなる『知恵の書』なのです。なお上記の天理と知恵は同じ事です。参考までに伝習録における良知の書き抜きを添付しておきますので、参考にして下さい。

むすび
 最後に、『哲学読本大全(全10巻)』を作成する上において大切な事を一つだけ言って置きます。
 それは常に知恵から目を離さないと言う事です。
 知恵から目を離さない限り、『哲学読本大全(全10巻)』は知恵に輝く書となるのです。
 その為には、先ず、知恵とは何かを知らなければなりませんね。

 知恵とは何か、それは真善美を強く求めるその先に現れて来るそれの事です。
 ですから、真善美を強く求めない人には、知恵は現れて来ないのです。

 知恵とは何か。
 その第一の参考書が、旧約聖書『箴言』です。
 箴言は知恵のオンパレードです。
 先ずはここで知恵の概念を掴んで下さい。
 箴言はソロモンの言葉を集めたものです。
 ソロモンはソロモンの知恵で有名ですよね。

 次なる参考書は、王陽明の『伝習録』です。
 伝習録は、良知のオンパレードです。
 王陽明の言う良知とは知恵の事です。
 王陽明は儒教の人ですが、孔子、孟子等から良知と言う知恵の概念を引き出したのです。
 また仏教にも染まった時代があり、良知の事を仏心等にも例えています。

 次なる参考書は、旧約聖書『詩篇』です。
 詩篇は主にダビデの詩を集めたものです。
 ダビデはひっきりなしに、我が神よ、我が主よと呼び掛けています。
 その呼び掛けに応じて現れるのが、知恵です。
 
 次なる参考書は、新約聖書です。
 新約聖書は、イエスの言葉が中心ですが、その他にパウロの言葉「ローマ人への手紙他」やヤコブ「ヤコブの手紙」、ペテロ「ペテロの手紙」、ヨハネ「ヨハネの手紙」等々の言葉もあります。
 彼らの精神とダビデの精神は全く同じです。
 真善美を強く求めた!
 しかし時代が違ったのです。
 ダビデの時代は戦の時代。国を思わなければならなかったのです。
 イエスの時代はパックスロマーナ。ローマの平和。
 その真善美の中に、隣人愛と言う新たな概念が入り込んで来たのです。

 次なる参考書は、仏典。
 仏典は数限りなくあってどれを選択して良いか迷いますね。
 私は岩波文庫の「真理のことば(ダンマパダ)、感興のことば(ウダーナヴァルガ)」を推薦します。
 ここには哲学者(知恵を愛する者)としてのブッダが溢れています。
 ここでブッダの知恵を学ぶのが良いでしょう。
 しかしこの書においては、ブッダは上記の人々のように、知恵の概念を明確に打ち出していません。
 上記の人々は知恵に求めて、知恵を得ると言う方程式が成立するのですが、ブッダの場合は成立しません。
 上記の人々は直接的ですが、ブッダは間接的なのです。
 ブッダの知恵の秘密は、ニルバーナにあります。
 何も求めない、無になる。そこに知恵が湧き出すのです。
 
 次なる参考書は、『老子』。
 老子の知恵は簡単ですよね。
 そうです、道です。

 次なる参考書は、『孔子』。
 孔子は少し難しい。
 「我、一を以って之を貫く」

次なる参考書は、『バガバッドギター』
 知恵の人格神としてのクリシュナ。
なお、古代インド哲学におけるアートマンとは知恵の事。

次なる参考書は、プラトンの『パイドン』。
ここには、プラトン・ソクラテスの知恵及び哲学(知恵を愛する事)に関する秘密が隠されている。
「友よ、本当に哲学者であるならば、そう考えなければならない。と言うのは、あの世以外の何処においても、決して純粋な知恵に出会う事はないだろう、と彼は強く信じているからなのだ。」
どうです。神秘がかっているでしょう。あの世をニルバーナと考えて下さい。そこに純粋な知恵が生まれてくるのではないでしょうか。
この系譜を踏むのが、エックハルト等々の神秘家たちです。

瞑想の中にたくさんの知恵を見る。それが神秘家です。ここで言う知恵とは、その人に取って真善美に溢れた言葉の事です。

知恵には二つの概念があります。
一つは求めるその先の事であり、
もう一つはそこから降りて来た言葉です。
そこから降りて来た言葉とは、その人に取って真善美に溢れた言葉、只それだけの事なのです。
しかし、それがその人に取っては、この上ない至福を感じるのです。
只それだけですが、その人に取っては天国に居る様な平安な快楽を齎すので、知恵を愛する事を覚えた人は、知恵を愛し続ける事になるのです。

多くの哲学者(知恵を愛する者)たちは、その幸福感、すなわちその人に取っての真善美に溢れた言葉だけを味わうのですが、その真善美に溢れた言葉たちを実践しようとする人たちがいます。
それが菩薩です。

聖典仏典は比喩に満ちています。
比喩を知恵で解き解さない限り、聖典仏典はその人を縛ります。
「文字は殺すが、霊は生かす」
霊と言う知恵で聖典仏典を読まない限り、それらは楽しくないばかりでなく、害をも引き起こす事もあります。
しかし霊と言う知恵と共に読めば、聖典仏典ほど楽しい読み物は無いのです。
何故なら、それは脳内ホルモンを盛んに分泌させて呉れるからです。
少し話しが外れてしまったようですね。

さて、次なる参考書は、エピクロス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウスです。

次なる参考書は、全ての古代古典です。
古代古典(BC以前)には、知恵がぎっしり詰まっています。
古代古典をたくさん読めば、誰でも知恵を理解するようになるでしょう。

次なる参考書は、デカルトです。
「我思う、故に、我在り」
ここに近代の知恵が生まれました。

次なる参考書は、古今東西の名著です。
しかし私たちが読書に振り向けられる時間は、1日に1時間もありません。
たくさんの言葉たちは私たちを待っているのに、私たちはそこに辿り着く事が出来ません。
しかしそんな私たちに取って夢の様な書が、岩波書店から出版されるのです。
それこそが正に、『哲学読本大全(全10巻)』なのです。

「誰がこの大地を征服するのであろうか?誰が閻魔の世界と神々と共なるこの世界とを征服するであろうか?わざに巧みな人が花を摘むように、善く説かれた真理の言葉を摘み集めるのは誰であろうか?」(岩波書店「真理の言葉(ダンマパダ)第4章第45節」

それこそが岩波書店です。
岩波書店が日本の英知を結集して、善く説かれた真理の言葉を集めて、『知恵の書』としての『哲学読本大全(全10巻)』作るのです。

しかしその為には、編集者の人々が知恵の事を知り抜いていなければなりません。
先ずは、岩波書店編集局において、哲学テーマ『知恵』について、古今東西の名著の中の名文中の名文を集める事にしましよう。
もし、哲学テーマ『知恵』について、古今東西の名著の中の名文中の名文を500編(同じ著書から何編収録して良い)集める事が出来たら、『哲学読本大全(全10巻)』は完成したも同じです。
後はその線に沿って、国民の英知を結集させましょう。

『哲学読本大全(全10巻)』の名文5,000編(100哲学テーマ×50編=5,000編)は、全て知恵へと向かうものでなくてはなりません。
こう言えます。
5,000の目を通して、知恵を見るのだと。
もしその5,000の目が全て知恵に通じていたとしたら、私たちはこれまでのように、おぼろげではなく、もっとはっきりした形で、知恵を見る事が出来る様になるかも知れません。
それが『知恵の書』の所以です。

さあ!岩波書店の一大事業として頑張りましょう!


追伸2
ここまで来て、もう一つ提唱させて頂きます。
それは、正に『知恵の書』の作成です。
『知恵』に関してだけ、古今東西の名著の中の名文中の名文だけを1,000編集めた『知恵の書(全2巻)』を作成しましよう。
そすれば、『知恵』に関する大センセーションが巻き起こります。
その後で、『哲学読本大全(全10巻)』を作成しましよう。
この二つにより、日本に『知恵』の神が現れる事になるのです。

 そうすれば、日本は、哲学国家(知恵を愛する国家)への道を歩き始める事になるのです

 追伸3
 ここまで来たのですが、ここで本文の提唱を一部変更させて頂きます。
 それは、古今東西の名著の中の名文中の名文1編を、B5版、4段組(または5段組)、縦書きの見開き2ページに収めると言うものです。
 これが『哲学読本大全(全10巻)』の売りだと思ったのですが、実際に名文を充ててみるとかなり無理があるようです。
 勿論、基本的にはこれ位の文章量を確保しないと、起承転結がはっきりとせず、巷にある名言集の様にただ結論だけを述べてしまうのとなってしまいます。
 これでは古今東西の名人賢人哲人たちが如何に知恵を愛したか、その現場を押さえる事は出来ません。
 基本的には4,000字程度は必要です。
 しかしそうは言っても、100字から500字程度で完結してしまう、名文もまた一杯あるのです。
 その代表格が、『論語』です。
 論語の全ての文章は、「子の日わく」で始まる文章で全て完結します。
 短いものは、100字に満たないものあります。
 しかしそれらの文章のほとんどは、『哲学読本大全(全10巻)』に入れるべき、名文中の名文です。
と言う事で、名文中の名文1編を、B5版、4段組(または5段組)、縦書きの見開き2ページ(4,000字前後)に収めると言う制限は撤廃するものとします。
短い文章の名文、長い文章の名文、それぞれがそれぞれに知恵の光を耀き出す様な編集をして頂きたいと思います。
なお、『論語』の短い名文を数例上げておきたいと思います。

子の日わく、学んで思わざれば、則(すなわ)ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あや)うし。「『論語』巻第一、為政第二、十五節」(岩波文庫)」
テーマとしては「哲学」または「学問」。
学ぶだけで思わない者は専門馬鹿。思うだけで学ばない者は唯我独尊。思って学んで、学んで思って、その繰り返しが哲学、そして本当の学問。

子の日わく、故(ふる)きを温めて新しきを知る、以って、師と為るべし。「『論語』巻第一、為政第二、十一節」(岩波文庫)」
テーマとしては、「哲学」。
古典の中には知恵が一杯詰まっている。これを現代に生かす。それこそが哲学。

子の日わく、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こえ)ず。「『論語』巻第一、為政第二、四節」(岩波文庫)」
テーマとしては「哲学」または「人生」。
知恵を求めて七十年、それが孔子の哲学人生。

子の日わく、政を為すに徳を以ってすれば、譬うれば、北辰の其の所に居て衆星のこれに共(むか)うがごとし。「『論語』巻第一、為政第二、一節」(岩波文庫)」
テーマとしては「政治」。
政治の中心は徳。徳の中心は知恵。知恵を政治に生かす、これが哲人政治。哲学者(知恵を愛する者)の哲学者による哲学者の為の政治、これが哲学国家日本の理想。

子の日わく、詩三百、一言以ってこれを蔽う、日わく思い邪なし。「『論語』巻第一、為政第二、二節」(岩波文庫)」
テーマとしては「詩」。
詩の本質は無邪。現代の詩が如何に邪気に満ちているか。無邪の本質はニルバーナ。ニルバーナの中に知恵の花(詩)が生まれる。
 
子の日わく、我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。敏にして以ってこれを求めたる者なり。「『論語』巻第一、述而第七、十九節」(岩波文庫)」。
テーマとしては「哲学」。
ここで言う「これ」こそが、正に求めるものとしての知恵であり、知恵を求めた結果としての知恵(の体系)である。

子の日わく、賜(し)や、女(なんじ)予(わ)れを以って、多くを学びてこれを識(し)る者と為すか。対(こた)へて日わく、然り、非なるか。日わく、非なり。予れは一を以ってこれを貫く。「『論語』巻第一、衛零公第十五、三節」(岩波文庫)」。
テーマとしては「人生」または「哲学」または「知恵」。
一とは何か。正にそれが知恵。知恵を求め、知恵から齎された言葉の数々、そしてその実践、それが私の人生。知恵に彩られた人生の何と美しくてそして善に溢れている事か。プラトンは言いましたよね。本当の知恵には死んでからしか会えないと。それでは何の為の哲学(知恵を愛する事)か分からなくなりますよね。あなた方は神のことを知らないから勘違いしている。神とはアブラハムの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神である。神とは生きている神の事である。神はあなた方の心の中に生きている。それを如何に見出すか、その方法こそが哲学(知恵を愛する事)。知恵を愛せば、知恵が愛し返す。これが哲学の因果法則。上述のプラトンの死が本当の死を意味しているのか、それともニルバーナの譬えとしての死なのか。有余涅槃なのか、無余涅槃なのか。プラトンの思想はブッダの思想に近く、孔子の思想はイエスの思想に近い。孔子=イエス路線は、人生をエネルギッシュに生きる。


孔子の言葉は全て知恵から発せられています。
だから、千年、二千年、三千年経とうと古くならないのです。
孔子の言葉に如何に知恵を読み取るか。
先ずは編集者の人々はそこから勉強すると良いと思います。
「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」(『老子』講談社学術文庫)

 孔子はほとんど「道」の事は言っていません。
 「一」も少ないと思います。
 ほとんどが「二」か「三」だと思います。
 二や三から一そして道に帰って行く事が哲学です。
 そしてまた道から一、一から二、二から三と帰って行く事も哲学なのです。
 知恵を愛し、そして知恵から下される言葉の数々、これが哲学。

 求める対象としての知恵、そして知恵から下される言葉、
 これを最も象徴的に語っているのが新約聖書「ヨハネ福音書」の冒頭です。

 初めに言があった。
 言は神と共にあった。
 言は神であった。
 この言は、初めに神と共にあった。
 万物は言によって成った。
 成ったもので、言によらずに成ったものは何一つ無かった。
 言の内に命があった。
 命は人間を照らす光であった。
 光は暗闇の中で輝いている。
 暗闇は光を理解しなかった。

 この『言』は貴方の心の中で輝いているのです。
 この『言』を理解しなければ、『哲学読本大全(全10巻)』は、『知恵の書』とは成り得ません。
 
 この『言』はヨハネの言葉です。
 これはヨハネが象徴として選んだ言葉です。
 この『言』について、最も普通に使われている言葉は、『知恵』です。
 全ての聖人賢人哲人偉人たちの言葉の中にこの『言』としての『知恵』を見出す事、それが哲学なのです。
 その為には、知恵を愛さなければならないのです。
 「我が神よ」とか「我が主よ」とか言えば、日本人は誰も付いて来ないでしょう。
 しかしそれを『哲学(知恵を愛する事)』と言い換えて御覧なさい。
 誰も違和感は持たないでしょう。
そして格好良いと思う者も出て来るでしょう。

 この格好良さで、日本人を釣るのです。
 イエスも言ってましたよね。
 「貴方を人間を釣る漁師にしようと」

 さあ、日本の良識である、岩波文庫哲学担当編集長様、
 どうか日本人を『知恵』で釣って下さい。

 イエスが復活した後、湖に網を投げ入れたら、それこそ網が破れんばかりの大漁だったですよね。
 もしそれらの文章全てが、知恵から発せれた言葉であれば、きっとその様になります。
 それらは日本人の心を一掴みにするのです。
 そしてそれらの言葉は日本人の心の中に輝き続ける事になるのです。

 さあ、日本国における知恵の書を目指して、『哲学読本大全(全10巻)』を完成させましょう。
 さあ、さあ、日本国の救世主を目指して頑張りましょう。

 編集長様、後ずさりしては駄目ですよ。
 「思い邪なし」の激を飛ばしただけですから。

 ただ古今東西の名著の中の名文中の名文を集めれば良いのです。
 それが名著であり、そして名文であれば、そこには必ず知恵が宿っているのですから。 
編集長様は、それを集める為のシステムを作るだけで良いのです。
 すなわち、日本人の全ての人が、古今東西の名著の中の名文中の名文募集に応じて貰える様なシステムを作れば良いのです。
 後は、それら名文をそのシステムの中で編集するだけの話です。
 
 しかしそう言ってもやはり、哲学担当の編集長様には、常に念頭において貰わなければならない事が一つだけあります。
 それこそが、『哲学(知恵を愛する事)』です。

 知恵とは何でしょう。
 どうして古今東西の聖人賢人哲人偉人たちはあの様に知恵を愛したのでしょう。
 そしてどうしてあの様な大きな仕事が出来たのでしょう。
 ひょっとしたら、知恵がこの世に打って出た時、知恵が愛に変ったのでしょうか。

 知恵と愛、
 またもう一つのテーマが出て来ましたね。

 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、貴方の神である主を愛しなさい。」
 これが最も重要な第一の掟である。
 第二も、これと同じように重要である。
 「隣人を自分のように愛しなさい。」

 これで哲学が完結するのです。

 『哲学読本大全(全10巻)』では、知恵と愛、双方から攻めます。
 愛とは何か。
 それに対する最も素敵な参考書は、プラトンの「饗宴」です。
 プラトンの「饗宴」には、実に様々な愛があります。
 家族、友達、恋人への愛から、国家への愛、そして知恵への愛。
 そしてこの知恵への愛で、全ての愛が完結するのです。

神は愛なり
神は、good、GOD、善し。
愛とは、善しと認める事。
貴方の家族を、貴方の恋人を、貴方の日本を、貴方の地球を、貴方の自然を、貴方の宇宙を、そして貴方自身を、それは知恵とも呼ばれていますが・・
それらの全体系を愛する事、それが愛です。そしてそれらの全体系は神とも呼ばれるのです。
だから神は愛なのです。

神とは本当の貴方の事であり、その貴方が創り上げようとしている愛の全体系の事です。
『汝自身を知れ』、これこそが哲学(知恵を愛する事)そのものです。

さて、哲学テーマに、戻りましょう。
「私」を愛する。
「知恵」を愛する。
私の中の「世界」を愛する。
私の中の「地球」を愛する。
私の中の「国家」を愛する。
私の中の「家族」を愛する。
私の中の「仕事」を愛する。
私の中の「自然」を愛する。
私の中の「勇気」を愛する。
私の中の「寛容」を愛する。
私の中の「節制」を愛する。
私の中のこれらの全ての最高の理想の体系としての可能態としての「神」を愛する。
 
哲学とは、私と知恵との共同作業で、私の中のそれを愛する事です。
 ここで大事な事が唯我独尊にならない事です。
 その為に必要な事が、古今東西の聖人賢人哲人偉人たちの対話と言う事になります。
 先ずは、プラトンとの対話により、プラトンの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 次に、孔子のとの対話により、孔子の「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 次に、イエスとの対話により、イエスの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 次に、ブッダとの対話により、ブッダの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 次に、セネカとの対話により、セネカの「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 次に、老子との対話により、老子の「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 次に、西郷隆盛との対話により、西郷隆盛との「国家」の上に自分の「国家」を築く。
 この様にして、多くの聖人賢人哲人偉人たちと対話を進めて行けば、その「国家」は自らに取っては偉大なものとなります。
 また身近な人々と対話を進めて行けば(これが私の提唱する哲学フォーラム(哲学対話室)なのですが)、その「国家」は、より現実味を帯びた理想国家ともなるでしょう。
 そのようにして、私の中の「家族」「友情」「勇気」「節制」「寛容」「世界」「自然」「日本」等々を愛して行く事、それが哲学なのです。
 もし、私の中のそれと、世の中のそれが、あまりにも違いすぎると思い、それを是正する為に世の中に出て行く人があれば、彼らを知恵の使徒とか、菩薩と呼ぶのです。

 哲学は、「読書」、「思索」、「作文」、「対話」、そして「実践」で完結するのです。
 現在アメリカの大統領はオバマ大統領ですが、
 彼は実践する哲学者、知恵の使徒と呼んでもいいのかも知れません。
 彼は、読書、思索、作文、対話により、自らの理想を築き上げ、その理想と現実の狭間を埋めるべく、政治家に成ったと言ってよいのかも知れません。
 オバマ大統領の著書「合衆国再生~大いなる希望を抱いて~」を読めばその事が分かります。
 これまでどの大統領が、核廃絶の宣言をする事が出来たでしょう。

 私の提唱する哲学一貫教育は、勿論実践する哲学者を育てる事ですが、その為にはやはり自らの中に理想を築き上げなければならないのです。
 現在の教育システムには、その理想を築き上げるシステムさえないのです。

 『哲学読本大全(全10巻)』は、その第一弾です。
 この『哲学読本大全(全10巻)』により、日本国中の大学及び公民館で、哲学フォーラム(哲学対話室)が展開される事になります。
 この哲学フォーラム(哲学対話室)において、日本人に取って大切な哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文中の名文を基に哲学対話が盛んに行われるようになります。
 その中で、日本国民が知恵を愛する事に目覚めて行く事なります。
 そして、愈々『哲学一貫教育』が実現して行く事になります。

 哲学一貫教育のその先に在るもの、それは世界に冠たる『哲学国家 日本』です。
 どうか『哲学国家 日本』の為にお力添えを下さい。


 最後にこんな事を言えば失笑を買うかもしれませんが、『哲学読本大全(全10巻)』を一番切望しているのは、実は私なのです。
 もし、『哲学読本大全(全10巻)』が完成すれば、私の哲学能力は、今の倍以上にはなります。
 何故なら、『哲学読本大全(全10巻)』位なら、読み切る事が出来るからです。
 こんな事を言えば、更に失笑を招くかも知れませんが、私は名文の中に知恵を読み取る事が出来るのです。
古今東西の聖人賢人哲人偉人たちが、私の目の前で、自ら知恵のエッセンスを披露して呉れるのです。
こんなに嬉しい事はありません。
多分私の脳内ホルモンは出しっぱなしになると思います・・・

しかし駄文だらけだったら大失望です。
名文の選択には知恵を研ぎ澄まして望まなければなりません。
編集長様と日本人皆との知恵比べです。
決して奇を衒ってはいけません。
正攻法で行かなければなりません。
古今東西の名著の中の名文中の名文と言う事を念頭においておけば、ほぼ間違いありません。
そして更に古典中の古典と言う事を念頭においておけば、絶対に間違いありません。

この『哲学読本大全(全10巻)』の下に、哲学ブームを巻き起こしましょう。
私はこの『哲学読本大全(全10巻)』を基に、先ずは鹿児島で、そして段階的に全国規模で、大学及び公民館における哲学フォーラム(哲学対話室)を展開して行きたいと思っています。
また、この『哲学読本大全(全10巻)』を基に、更に、日本国中の哲学教育関係者に、哲学教育の必要性を提唱して行きたいと思っています。

どうか『哲学国家 日本』の為によろしくお願いします。


『哲学読本大全(全10巻)』は、自らが自らを考える為の参考書です。
その為には、一つ一つの文章が、知恵に輝いていなければなりません。
その為には、国民の英知を結集して作らなければならないのです。

例えば、「人生」と言う哲学テーマについて、名文を集める事にしましよう。
『哲学読本大全(全10巻)』では、一つの哲学テーマについて、50編の名文を集める事になっています。
先ずは編集長様ご自身で、「人生」に関する名文を集めて下さい。
何編集める事が出来ましたか。
10編も集める事が出来ましたか。
ふむふむ。??

さて、『哲学読本大全(全10巻)』では、国民の全てを対象に、また多くの学識経験者を対象に、古今東西の名著の中の名文中の名文を募集します。
何と、「人生」に関して、1000編もの名文が集まりました。
この中から50編を採択です。
どれもこれも知恵に満ちた名文ばかりですね。
これでこそ、『知恵の書』と言えるのです。

さてここでまた提唱です。
これは私が提唱している『哲学読本大全』の考え方でもあるのですが・・

「人生」に関して1000編もの名文が集まったのです。
それぞれの名文は、その人にとって名文です。
編集長様が選んだ10編も、編集長様にとっては大事な名文です。
これら残りの950編を捨てて良いものでしょうか。
決して、1編なりとも捨ててはなりません。
ではどうするのか。
それがインターネット上での公開です。

その作成法を簡単にお示しいたします。
これら全ての名文は、岩波書店発行の本の中に収まっているのです。
ですから、とても簡単なのです。

① 応募のあった名文の本の箇所をスキャナーで読み込みます。1000編ですので、1000回スキャナーで読み込む事になります。少し大変ですが、アルバイトの子にでもさせれば良いでしょう。これで「人生」に関する1000編の名文のストックの出来上がりです。
② ①で読み込んだ1000編の名文を、パソコン等でテキスト形式に変換します。文字の書式を統一し、読み易い様にする為です。後は、これを「人生」と言う哲学テーマの下に、パソコン上で並べるだけです。書誌その他は一切不要です。
③ ①、②の作業で、「人生」に関する1000編の名文集の出来上がりです。
  ここまでの経費は10万円位でしょうか。
④ 次に残りの99の哲学テーマについても、同じようにします。
  これにより、100の哲学テーマについて、それぞれごとに1000編の名文集の出来上がりです。ここまでの経費は100万円くらいでしょうか。
⑤ ④を基に、「WEB閲覧用の名文集」と「オンデマンド印刷用の名文集」を作成し、インターネット上で公開します。私の提唱する『哲学読本大全』は無料なのですが、岩波書店様は株式会社ですので、そう言う訳にはいかないと思いますので、有料にすれば良いと思います。なお、都道府県立図書館、市町村立図書館、大学図書館、小中高校図書室、公民館図書室等使用する場合は、無償に近いものとするものとします。何故なら、この名文集は、岩波書店の本の紹介でもあるのですから。この名文集により、岩波書店の名著の売り上げが倍倍増になるのですから、とても安いものだと思って下さい。これを、『哲学読本大全(全10巻)』と区別する為に、『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』と呼ぶ事にしましよう。

もし、『哲学読本大全(全10巻)』と、『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』の二つが完成すれば、日本は哲学国家への道をまっしぐらに進む事になります。

『哲学読本大全(全10巻)』は、その象徴です。
日本国中の全ての書店、そして日本国中の全ての図書館、図書室に、B5版の大型書籍全10巻がでんと居座っているのです。
誰もが哲学について考えざるを得なくなります。

そして、『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』が、哲学国家への実際の道を切り開いて行く事になります。
この『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』を基に、日本国中の小学校、中学校、高校、大学、公民館等において、哲学(道徳)教育が行われる事になります。
またこの『哲学読本大全集(全100,000編:パソコン版)』を基に、日本国中の小学校、中学校、高校、大学、公民館等において、哲学フォーラム(哲学対話室)が展開される事になります。
哲学教育と哲学フォーラムの両輪によって、日本は一気に哲学国家への道を突き進む事になるのです。

編集長様、栄誉ある仕事だとは思いませんか?!
是非、『哲学読本大全(全10巻)』と『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』の二つの仕事を、全身全霊を込めて完成させて下さい。
日本の精神的貧困を救う為にも・・・


※1 「追伸 株式会社岩波書店 哲学担当編集長様へ」については、他の9社様宛の提唱文の中にも、「この『追伸 株式会社岩波書店 哲学担当編集長様へ』は、岩波書店の哲学担当の編集長様に宛てたものですが、私の哲学教育、哲学読本、哲学フォーラム(哲学対話室)の考え方を熱く語っていますので同封します。失礼な事も書いていますが、お許し下さい。なお、各社共同で発行する「哲学読本10冊1セット」は、やはり無理があると思います。各社がそれぞれに競って「哲学読本」を発行して頂きたいと思います。その事によって、日本はより早く哲学国家への道を歩む事になると思います。おって、この事は岩波書店の哲学担当の編集長様にもお伝えしています。」の旨を付記して、同封していますので、ご了承下さい。

※2 国立大学教育学部哲学担当教官や小学校、中学校、高校、大学、公民館関係者等にこの『哲学読本大全(全10巻)』と『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』を大々的に宣伝しましょう。
   そして、日本国中の小学校、中学校、高校、大学及び公民館における哲学(道徳)教育の教材として利用して貰いましょう。
   また、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学及び公民館に哲学フォーラム(哲学対話室)を設置して頂き、この二つの教材を基に、児童生徒学生そして市民に大いに哲学対話を楽しんで貰いましょう。
   なお、『哲学読本大全(全10巻)』の販売目標は下記のとおりとします。
   『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』については、『哲学読本大全(全10巻)』販売との抱き合わせとし、その付随サービスとして、無償に近い形で使用させものとします。『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』を単独で使用する場合は、有償でも良いと思います。
   『哲学読本大全(全10巻)』の販売目標
    ① 小学校      40,000部(20,000校×2部:図書室用と指導教師用)
    ② 中学校      20,000部(10,000校×2部:図書室用と指導教師用)
③ 高校       10,000部(5,000校×2部:図書室用と指導教師用)      
④ 大学        3,000部(1,000校×3部:図書室用と指導教師用)
    ⑤ 公民館 17,000部(17,000公民館:図書室用)
⑥ 図書館 3,000部(3,000図書館:開架用)
⑦ 専門学校      4,000部(4,000校:図書室用)
⑧ 教育委員会 3,000部(3,000委員会:指導教師用)
    ⑨ 中学生      100,000部(一般読者)
⑩ 高校生      100,000部( 〃  )
⑪ 大学生      100,000部( 〃  )
    ⑫ 小中高大学教員  100,000部( 〃  )
    ⑬ 専門学高生    10,000部( 〃  )
    ⑭ 勤労青年 100,000部( 〃  )
    ⑮ 上記以外 390,000部( 〃  )
    合計        1,000,000部
 学校、学生、教員、若者等を主なターゲットとします。何故なら、彼らにより、「哲学国家 日本」が創り上げられて行くからです。
 また、「一家に1セット」ももう一つのキャッチとします。それでこそ真に日本が哲学国家への道を歩む事にもなるのですから・・。

※3 『哲学読本大全(全10巻)』及び『哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)』のコピーを小学校、中学校、高校、大学、公民館における哲学(道徳)教育並びに哲学フォーラム(哲学対話室)で使用する場合、著作権、出版権等は問わないものとします。何故なら、その為にこそ、上記二つを作るのですから。「哲学国家 日本」実現の為に、どうか日本の良識として許諾下さい。
 
※4 国立大学教育学部哲学担当教官、小学校・中学校・高校・大学・公民館・教育行政係者、市民並びに岩波書店哲学担当編集長等により、哲学教育研究会を組織し、季刊誌「哲学教育」や単行本「道徳教育から哲学教育へ」を発行し、哲学教育への機運を高める。本文にも書きましたが、道徳教育は教えるもの、哲学教育は自ら学ぶもの。いくら徳を教え込んでも馬耳東風、しかし自ら学び自らにおいて自らにした徳は、死ぬまでその人の心から離れない。哲学とは、philosophia、知恵を愛する事。それは本当の自分自身を知る事。『汝自身を知れ』、これこそが究極の哲学。
 自我が芽生えるまでは躾が大事。しかし自我が芽生えた以降、その人を育てるのは哲学(知恵を愛する事:本当の自分自身を知る事)しかない。「我思う、故に我在り」、これこそが自我が芽生えた以降の哲学なのです。

 哲学一貫教育提唱一覧
 
 1 平成20年 2月 3日付け 文部科学省初等中等教育局長殿あて
2 平成20年 2月10日付け 文部科学省生涯学習政策局長殿あて
3 平成20年 2月17日付け 内閣官房長官殿あて
4 平成20年 3月 9日付け 文部科学省中等教育局長教育課程課長殿あて
5 平成20年3月18日付け 文部科学省中等教育局長教育課程課学校教育官兼道徳教育調査官殿あて
6 平成20年 4月 7日付け 東京学芸大学哲学・倫理分野教官殿あて(6名の先生各位あて)
7 平成21年 6月24日付け 国立大学教員養成学部哲学担当教官殿あて(60名の先生あて)
 上記の提唱文は下記に掲示しています。
http://www.geocities.jp/sophialover007/

 私はこれまで、郵送で、上記の哲学一貫教育の提唱を行っています。
 郵送以外にメールでも提唱を行っていますが、それらについては、実際に届いたか確認できないので省略しています。

 1が、最初の哲学一貫教育の提唱です。道徳教育と哲学教育の比較で、如何に哲学教育が優れているかを説いています。
 2については、「教育振興基本計画」の策定に向けて広く意見を募集しているとの事でしたので、それとの関連の中で、哲学一貫教育の必要性を説いています。
 3については、教育再生会議の最終報告「社会総がかりで教育再生を」が出され、広く参画をお願いしたいとの事でしたので、哲学一貫教育こそが教育再生の鍵である旨を提唱しています。
 4については、現行の学習要領の中で、哲学一貫教育を試行する方法を説いています。具体的には、「道徳」の1時間と「総合学習」の2時間の内1時間を「哲学」の授業に充て試行すると言うものです。様々な技術的提言も行っています。
5については、哲学教育実施の鍵を握る学校教育官兼道徳教育調査官あてに檄文的な提唱を行っています。
6については、「大学での徹底した哲学教育(哲学的に優れた教師の育成)」の試行と東京学芸大学付属中学校での「小中高校哲学一貫教育」の試行について提唱しています。
7については、国立大学教員養成学部哲学担当教官が中心と成って、哲学フォーラム日本を組織し、日本全国で哲学フォーラム(哲学対話室)を展開して頂きたい旨の提唱を行っています。

1については、私の哲学一貫教育の思想の原点となったものですので、別添1として添付しておきます。
また、平成20年11月にメールで国立大学教育学部哲学担当教官殿あてに哲学一貫教育の提唱を行っていますが、その時その提唱の別稿として別稿「小中高校に設置する哲学対話室について」と別稿「哲学フォーラム(哲学対話室)の意義」を作成しています。
前者は、哲学対話室が哲学的に極めて優秀な児童生徒を育てるものであると共に、いわゆる落ちこぼれと言われている児童生徒を救う為のものであると書いています。何故そうなのか?読んでみて下さい。
後者については、哲学フォーラム(哲学対話室)の意義を畳み掛けるように説いています。
前者を別紙2、後者を別紙3として添付しておきます。
更に、7については、国立大学教員養成学部の60名の哲学担当先生宛に郵送で提唱しているのですが、その名簿を別紙4として添付しておきます。
どうか60名の先生方と、『哲学一貫教育』について、語り合って下さい。

なお、最後に哲学一貫教育の5つの柱を再掲しておきます。
1 小中高校哲学一貫教育
2 大学及び公民館における哲学教育
3 大学教育学部における徹底した哲学教育(哲学素養に優れた教師の育成)
4 哲学読本大全
5 哲学フォーラム(哲学対話室)

これらの基礎の基礎を為すのが、『哲学読本大全』です。
『哲学読本大全』の中に、小学生、中学生、高校生、大学生、一般市民に取って、必要な哲学読本が一杯詰まっていたら、これを基に、「小中高校哲学一貫教育」が展開され、「大学及び公民館における哲学教育」が展開され、「大学教育学部における徹底した哲学教育」が展開され、「哲学フォーラム」が展開される事になるのです。
私の提唱する『哲学読本大全』は、日本中の出版社を巻き込んで作成するものなのですが、その実現が当分難しいと思うので、次善の策として、岩波書店様にお願いしているのです。

この大事業を成し得るのは、岩波書店様しかないのです。
もし今回提唱したような『哲学読本大全』(「哲学読本大全(全10巻)」と「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」)が完成すれば、日本は必ず哲学国家への道を歩む事になります。

そして岩波書店様の『哲学読本大全』は、国民から常に『知恵の書』として仰がれる事になるのです。
私が編集長になれば、その様な書を作る事が出来ます。
しかし、その為には、国民の英知を結集しなければならないのです。

新聞、テレビ、学校を巻き込んで大々的大キャンペーンを張りましょう。
キャッチ
『貴方の知恵を(古今東西の名著の中の名文中の)名文に託して・・・!』

 応募のあった名文が、「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」に必ず掲載される訳ですから、国民の哲学への関心はいやがうえにも高まります。
 女子高校生が言います。
 次の哲学読本大全の募集はいつですか?と
 特等賞は「哲学読本大全(全10巻)」に選ばれる事、一等賞は「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」に掲載される事、空クジはないのですから・・・。

 自我の芽生えた幼児から100歳のご老人まで日本中を巻き込んで、大々的に大キャンペーンを張りましょう。


 ここで更に提唱です。
 「哲学読本大全集(全100,000編:インターネット版)」については、小学生編、中学生編も作成しましよう。
 これで、「哲学読本大全」が文字通り、国民みんなのものとなりました。
 
 「哲学読本大全」は、1期、2期、3期・・・と言う風に期を重ねて行く事にしましよう。
 それにより、「哲学読本大全」は、名実共に、国民財産と成って行くのです。
 何故なら、「哲学読本大全」の中に国民一人一人の知恵が織り込まれて行くのですから。

 さて、岩波書店の発行の名著の中にどれだけの名文中の名文が織り込まれているのでしょう。
 「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」

 岩波書店の中には、イエスだけでなく、ブッダ、マホメット、プラトン、孔子、老子、王陽明、親鸞、空海、西郷隆盛、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、カエサル、ゲーテ等々、数え切れない程の聖人賢人哲人偉人達人英雄文豪たちが居ます。
『私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。』と

とにかく先ずは、第1期を完成させましょう。
全てはそこから始まるのです!
別紙1

 拝啓 初等中等教育局長 殿

 私は現在の日本を憂えている者の一人です。
 しかしまた教育によって日本が素晴しい国家になると信じている者の一人でもあります。
 私はその為に哲学一貫教育を提唱します。
 哲学一貫教育とは、日本国民に対して、一生涯を通じて哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民をなる事を目指すものです。
 なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美を愛する事と解して頂ければ良いと思います。
 そして、この哲学一貫教育の中心と成るのが、小中高校哲学一貫教育です。
 その具体的実施方法については、下記1の「小中高校哲学一貫教育について」に詳述してありますのでご一読して頂きたいと思います。

 現在の教育に不足しているのは知恵の教育です。
 知恵と知識が相俟って、素晴しい人間が育っていきます。
 しかし、現在の教育はあまりにも知識に偏重し過ぎています。
 小中高校哲学一貫教育は、小学校、中学校、高校に渡って哲学教育を一貫して実施する事により、知恵と知識のバランスの取れた児童生徒を育成する事にあります。

 小中高校哲学一貫教育の目標は、自ら学び、自ら考える児童生徒の育成です。
 すなわち、自らにおいて真善美等を学び、自らにおいて真善美等を考え、そして自らにおいて真善美等を自らのものにしていこうとする児童生徒を育成する事にあります。
 その為の方法として、哲学一貫教育においては、読書と思索と作文と対話を実施していきます。
 具体的には下記1の「小中高校哲学一貫教育について」をご覧頂きたいと思うのですがが、概要を述べると次の通りです。

 小中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、週2時間とします。
 高校においては、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、週2時間とします。
 これによって、小中高校の週2時間の哲学一貫教育を完成させます。

 小中高校一貫教育においては、読書、思索、作文、対話を対象としますが、授業においては、この内の読書、思索、作文のみを対象とします。
対話については、課外において実施されるものとします。(詳細については下記1の「小中高校哲学一貫教育について」をご覧下さい。)

 哲学の授業は週2時間としますが、この内の最初の時間を読書に充て、最後の時間を作文に充てます。
 思索については、読書の時間及び作文の時間において当然に行われます。また、読書の時間と作文の時間の間においても、意識的、無意識的に思索が行われる事になります。
 
 読書の時間においては、『哲学読本』を読む事になります。
 『哲学読本』とは各学年ごとに作成するもので、各学年に相応しい哲学テーマを30ほど選択し、その哲学テーマに関する名文中の名文を古今東西の名著の中から3編程度掲載したものです。なお、名著については、哲学書だけでなく、広く文学書等(小説、随想、評論、詩等)も対象とします。
 読書の時間には、それぞれのテーマに関する名文中の名文を3編程度読む事になります。

 作文の時間には、読書の時間に読んだ名文中の名文を契機として、その哲学テーマに関する自由作文を『哲学ノート』に書く事になります。
 なお、作文は読書感想文ではなく、その哲学テーマに関する自由な発想の作文を尊重する事とします。線画等の併用も認める事にします。

 これを小中高校一貫して実施していきます。

 これが小中高校哲学一貫教育の概要です。
 何だ、それは単に『読書』と『作文』だけではないかと仰るかも知れませんが、確かにその通りです。
 しかし、読書量と作文量が違います。
 小中高校で360の哲学テーマ(30テーマ×〔6年+3年+3年〕=360テーマ)について、名文中の名文を読み、そしてその360の哲学テーマについて作文を書く事になるのです。
 これにより、児童生徒が如何に哲学的に成熟するかお分かりになると思います。

 なお、哲学テーマ例については、下記2の「分野別哲学テーマ例」をご覧頂きたいと思います。
 児童生徒の中には、これらの素晴しいものが確かに存在しているのです。
 しかし、ほとんどは眠ったままです。
 哲学一貫教育においては、先ずこれらを児童生徒に気付かせてあげます。
そして、気付いた後は、児童生徒が自らにおいてこれらを育てあげていきます。
 気付かせてあげる方法が哲学読本(読書)であり、自らにおいて育て上げる方法が哲学ノート(作文)なのです。
 これら素晴しいものの存在に気付いた児童生徒は、自らにおいてそれを考え、自らにおいてそれを学び、自らにおいてそれを自分のものにしようとします。
 人間にはその様な本性があるのです。
 その本性こそが哲学、すなわち知恵を愛すると言う行為なのです。
 哲学一貫教育は、その本性を目覚ます為の方法であり、その本性を育てる為の方法なのです。

 哲学一貫教育の成否は、偏に『哲学読本』にかかっています。
 何故なら哲学読本によって、児童生徒の中に眠る素晴しい存在を気付かせる事にあるからです。
 名文中の名文と言うものには、人を目覚まさせる力があります。
 その様な言葉の力で児童生徒の中に眠っている素晴しい存在を引き出してあげるのです。
 ですから『哲学読本』は、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々、更には国民の英知を結集して作成する必要があるのです。
 素晴しい言葉に触れれば、児童生徒は独りでに啓発されていくものなのです。
 
 現在の道徳教育の弊害は、あまりにも現場の教師に求め過ぎている事にあります。
 道徳(哲学)的素養の無い教師に、道徳(哲学)を求めても土台無理なのです。
 教師が熱心になればなるほど、自らの価値観を児童生徒に押し付ける事にもなります。

 これまで世界は、偉人、賢人、哲人、聖人、英雄、文豪、天才科学者等々を輩出してきました。
 これらの人々の『言葉』に触れれば、子供たちは独りでに啓発されていくものなのです。

 哲学教育は、『言葉』による教育です。
 それも取って置きの素晴しい言葉による教育なのです。
 「善く説かれた真理の言葉を摘み集めるのは誰か。」
 勿論児童生徒であるべきですが、児童生徒には未だその能力が十分ではありません。
 その為に世の大人たちが結集して、素晴しい言葉の範例を示してあげる必要があるのです。
 その為に『哲学読本』は、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々だけでなく、国民全ての英知を結集して作成する必要があるのです。

 キリスト教国家においては、聖書によって子供たちを育て上げます。
 イスラム教国家においては、コーランによって子供たちを育て上げます。
 日本においては、『哲学読本』よって子供たちを育て上げるのです。
 しかし、『哲学読本』は1冊ではありません。
 それぞれの教科書会社がそれぞれに出版します。また、一般の出版会社がそれぞれに競って出版する事も期待します。
 これら全ての『哲学読本』がハーモニーを成して、日本の子供たちを育て上げていくのです。

 『哲学読本』には、イエスの言葉もあって良いし、ブッダの言葉もあって良いし、マホメットの言葉もあって良いし、孔子、老子の言葉もあって良いし、レーニン、マルクス、毛沢東の言葉もあって良いし、聖徳太子、空海の言葉があっての良いのです。
 また、ソクラテス、プラトン、デカルト、カント、ショーペンハウワー、ルソー等々
 イソップ、ホメロス、ダンテ、シェークスピア、ゲーテ、夏目漱石等々
 カエサル、ナポレオン、徳川家康、西郷隆盛等々
 レオナルドダビンチ、ピカソ、ベートーベン、モーツアルト等々
 ガリレオ、ニュートン、エジソン、アインシュタイン等々の言葉もあるべきです。
 これらの言葉がハーモニーを成して児童生徒を育成していくのです。

『哲学読本』は、主義、主張、イデオロギーを教える為の道具ではありません。
『哲学読本』は、児童生徒にとっての“考えるヒント”なのです。
『哲学読本』を契機に、児童生徒が如何なる世界観、価値観を育てていくかは全て児童生徒に任せるべき事です。
 
『哲学読本』の言葉の採択基準は、知識ではなく知恵です。
知識は他の教科教育でその正しい知識を教えて行く事になります。
『哲学読本』では、それぞれの各分野の偉人、先人たちが、如何に「知恵を愛した」(哲学した)かを学ぶ事になります。
偉人たちが偉人である由縁は、彼らが知恵を愛しぬいた(徹底的に哲学した)所以によるのでしょうから・・・。

小中高校哲学一貫教育の最終目標は、児童生徒が哲学する(知恵を愛する、真善美を愛する)事を学び、そして自らが哲学する(知恵を愛する、真善美を愛する)ようになる事です。
もし高校卒業までに、哲学(知恵を愛する事、真善美を愛する事)の習慣が付けば、その人は死ぬまで哲学する事を止めないでしょう。
もし全ての国民に哲学の習慣が付けばどうなるのでしょう。
そうです。「哲学の民、日本人」の誕生です。
ここまで来れば御伽噺ですが、『小中高校哲学一貫教育』にはその様な明るい未来があるのです。
どうか、ご一考をお願いいたします。

なお、小学校低学年における哲学教育の在り方、高校における哲学教育の在り方、哲学教育における担任教師の負担軽減の在り方、哲学一貫教育の具体的な方法及び効果等について、下記1の「小中高校哲学一貫について」で詳述していますので、ご一読頂きたいと思います。

色々と長々と述べてきましたが、教育により日本を成熟した社会に導きたいのであれば、小中高校哲学一貫教育しかないと思います。
どうか、ご一考をお願いします。
なお、現在教育課程を研究されている、初等中等教育企画課長、同教育制度改革室長及び教育課程課長並びに同教育課程企画室長にも、同文を回覧、回送して頂ければ有り難く思います。
敬具

平成20年2月3日
哲学哲男sofialover@nifty.com


追伸
日本国民の一生涯に渡る哲学一貫教育についても、下記3の「一生涯に渡る哲学一貫教育について」で記述しています。
この哲学一貫教育は、小中高校哲学一貫教育を土台として、更に大学教育、社会教育、家庭教育等における哲学教育と一貫性をもたせたものです。
この哲学一貫教育の目標とする所は、正に『哲学の民、日本人』の育成です。
こちらについても、どうかご一読をお願いいたします。

参考資料
下記1「小中高校哲学一貫教育について」
下記2「分野別哲学テーマ例」(省略)
下記3「一生涯に渡る哲学一貫教育について」


下記1
【小中高校哲学一貫教育について】

1 趣旨
  小学校、中学校、高校において哲学教育を一貫して行う。

2 方法
  小学校、中学校においては、現在の道徳を廃止し、哲学とし、授業時間を週2時間とする。
  高校においては、現在の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、授業時間を週2時間とする。
  これにより、小中高校における週2時間の哲学一貫教育を実施する。

3 哲学教育の基本的な考え方
  哲学教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を求める事とする。

4 哲学教育における目標
  自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものとし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する。

5 哲学教育における哲学テーマ
  現在の小学校・中学校学習指導要領の道徳のテーマと同じく、①自分に関する事、②他人との関係に関する事、③社会に関する事、④自然に関する事の四分野とし、それぞれの分野ごとに更に哲学テーマを設定する。(各分野における哲学テーマ例は下記2の「分野別哲学テーマ例」を参照の事。)
  なお、各学年ごとにそれぞれに相応しい哲学テーマを設定する事とし、テーマ数は、各学年ごとに4分野合わせて30程度とする。

6 哲学読本
  各学年ごとに1冊作成する。
各学年ごとに設定した30程度の哲学テーマそれぞれ1つごとに、そのテーマに関する3編程度の読み物を掲載する。(授業1時間で読める程度の分量とする。)
なお、読み物は、名著の中から名文中の名文を選択する。
また、読み物は哲学書からだけでなく、広く文学書等(小説、随想、評論、、詩、科学論文等)からも広く採択する。
哲学読本は、黙読が原則であるので、振り仮名を付ける。
  
※何故読み物は名著の中の名文中の名文でなければならないのか。それはその言葉がその児童生徒が死ぬまで古くならないからであり、その言葉がその児童生徒が死ぬまで魔力を持ち続けるからであり、また児童生徒がその言葉に魅力を感じた時、何時でも原著に向かえるからである。名文中の名文とは時の練磨を経ており何時でも新しい。児童生徒が大人になっても常に新しく在り続ける。すなわちその言葉がその人の中で生き続けるのである。

7 哲学ノート
  各学年ごとに1冊作成する。
  各哲学テーマについて、児童生徒が書く為の作文ノートとする。(児童生徒は小中高の成長の軌跡を自らにおいて確認できる。)

8 授業の進め方
  授業時間は週2時間とする。
  週の最初の時間を読書に、週の最後の時間を作文に充てる。
  読書の時間には、哲学読本に掲載されている1つの哲学テーマに関する3編程度の読み物を読む。黙読とする。
作文の時間には、そのテーマについての自由作文を哲学ノートに書く。なお、作文は読み物に関する感想文ではなく、読み物を契機にした自由作文とする。

9 哲学教育における読書、思索、作文、対話のあり方
読書については週1時間、作文についても週1時間充てる。
思索については読書の時間及び作文の時間に当然に行われる。また読書時間と作文時間の間にも意識的、無意識的に行われる。
対話については課外に行われる事を期待する。
なお、哲学的素養のある教師が哲学サークルを作り、そこで哲学的対話が行われる事を奨励する。哲学的素養のある教師の下に多くの哲学サークルが生まれる事を期待する。(本来の意味での師弟教育、自らが選択した尊敬する教師の下での師弟教育が行われる事を期待する。アカデミア的な雰囲気が生まれる事を期待する。)

10 哲学教育における評価
  哲学教育においては、評価は行わない。作文についても、評価しない。
  なお、哲学は教科ではなく、現在の道徳と同じ様にただ単に『哲学』とする。

11 哲学教育における小中学校担任教師の負担の軽減
  哲学教育が小中学校の担任教師の負担とならないよう、担任教師の役割は作文が書かれているか否かの確認程度とする。(勿論作文の内容を読み込んで、生徒理解を深める事は大いに結構な事だが、毎週30名の作文を読む事には時間的な制約があると思われる。哲学の本質は自ら学び、自ら考える事にある。)
  哲学的対話は、哲学的素養のある教師の下での哲学サークルに期待する。

12 哲学の授業における静謐の確保
  哲学の授業の本質は、自ら学び、自ら考え、自らを確認する事にあるので、授業時間中は静謐を保つ事とする。
  静謐の中で自分自身を深く考える機会とする。

13 高校における哲学教育
  高校における哲学読本については、哲学者、思想家、科学者等の読み物を体系的に整理したものとする。なお、その場合でも解説書ではなく、哲学者、思想家等の原著の一節を切り出したものとする。
  なお、高校における哲学教育については、哲学専任教師が担当する。

14 小学校低学年における哲学教育
  小学校低学年においては作文能力が十分でないので、作文の時間は設けず、全て読書の時間とする。
  読書の時間においては、教師の読み聞かせと児童の発表で構成する。(割合は読み聞かせ3に対して発表1程度とする。読み聞かせであれば、少々高度な内容であっても理解できる。静かに聞く能力を育てる。耳学問の大切さを知らせる。哲学読本は作成する。)
  小学校低学年の読書の時間において、哲学の基礎的な問題を網羅する事とする。小学校低学年の読書の時間において、哲学的素養、哲学的素地を身に付けさせる。また、身近な自然についても哲学させる。
  嘗ては古老や大人が子供たちに話を聞かせたが、教師がその役割を担うものとする。教師は朗読能力を高めるものとする。教師は現代の語り部となる。

15 哲学教育と他の教科教育等との役割分担
  哲学教育において知恵を学び、教科教育において知識を学ぶ。
  哲学において、教科(国語、数学、理科、社会等々)を総括し、統合する。
  哲学において、教科の知識を生きた知恵に変える。

16 現代における哲学教育の必要性
  現代は知識偏重の社会であり、応用能力が低くなってきている。
  哲学教育により知恵を学ぶ事により、知恵と知識が共鳴する社会が生まれる。

17 哲学の本質
  哲学(知恵を愛する事、真善美を求める事)により、自分が素晴しい存在である事に気付き、それに伴い回りの人間もまた素晴らしい存在である事に気付き、それに伴い社会の大切さを理解するようになる。
  また、哲学により自然の美しさ、素晴しさを知る。
  哲学教育は、現在道徳教育が目標としている事を実現させる唯一の道である。

18 現在の道徳教育の問題点
  現在の道徳教育はあまりにも現場の教師に負担を求めすぎている。
  現在の教師の道徳的能力はかなり低い。
  その教師が幾ら道徳教育に力を入れても、道徳的能力は高まる事無く、更に低いほうへと落ちて行く。現在の道徳教育はこの悪循環を繰り返している。
  子供たちは、素晴しい教材があれば、自ら啓発されていくものである。

19 今回の哲学教育における成否のポイント・・それは哲学読本
  今回の哲学教育が成功するか否かは全て哲学読本にかかっている。
  哲学読本は、考えるヒントであり、産婆役である。
  哲学読本は、児童生徒の中に眠っている素晴しい存在を引き出す為のものである。
  児童生徒の中に眠っている素晴しい存在とは、勇気であり、忍耐であり、節制であり、美であり、善であり・・・下記2の「分野別哲学テーマ例」に掲げている全てである。

20 哲学読本の作成方法
  哲学読本については、哲学者、文学者、芸術家、科学者等々の英知を結集して作成する必要がある。
  また、国民の英知も結集する必要がある。(児童生徒に読ませたい名文を広く国民から募集する等。)
  哲学読本の成否は、古今東西の名著の中からそれぞれの哲学テーマに関する名文中の名文を如何に集めるかにかかっている。哲学読本の成否が哲学教育の成否にかかっている。何故なら、哲学読本は児童生徒の中に眠っている素晴しい存在(勇気、忍耐、節制・・・)を生み出す為の産婆役だから・・・。
  哲学読本は、全ての教科書会社がそれぞれに出版するものとする。
  また、一般の出版会社が大人、子供それぞれの向けの哲学読本を出版する事を期待する。

21 哲学的対話
  嘗ては古老や大人たちとの対話の中から、子供たちの中に眠る素晴しい存在が引き出されていた。
  しかし現在はその機能が失われてしまった。
  今回の哲学一貫教育においては、学校内に哲学的素養のある教師を中心にその様な哲学的対話の場(サークル)が生まれる事を期待する。
  また、地域においても、哲学的素養のある人を中心にその様な場が出来る事を期待する。
  哲学(真善美等を愛する事)は、対話によって完成していく。
  哲学の授業で学んだ事を、対話で確認し、自分のものにしていく。
  その為の様々な哲学サークルが生まれていく事を奨励する。
  
22 一生涯に渡る哲学一貫教育との連携
  小中高校哲学一貫教育を土台として、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等における哲学一貫教育を完成させる。
  小中高校哲学一貫教育と大学、社会教育、家庭教育における哲学教育との連携を図る。
  具体的には、大学や地域の哲学的素養のある人々が小中高校に入ってきて、児童生徒と哲学的対話が行われる事を期待する。
  また、家庭内においても哲学的対話が行われる機運を醸成する。
哲学的対話は担任の教師ではなく、哲学的素養のある教師や哲学的素養のある地域の人々に期待する。なお、哲学一貫教育が成熟してくれば、全ての教師の哲学的素養は高まっていく。(哲学的素養の無い教師は採用されなくなる。採用試験においては哲学に関する筆記及び口実試験を課する。)
  なお、小学校、中学校、高校、大学、社会教育、家庭教育等を通じての一生涯にわたる哲学一貫教育の実施要領については、下記3の「一生涯に渡る哲学一貫教育について」を参照の事。

23 大学教育学部における哲学教育コースの設置
  現在の教育学部における哲学の位置付けは、社会科コース及び教育学コースの一部である。
  哲学一貫教育を充実させる為、全ての教育学部に『哲学教育コース』を設置する。

24 自殺と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるかに気付く。
  この事により、自殺は激減する。

25 差別、いじめと哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか気付く。それにより他人もまた如何に素晴しい存在であるかに気付く。
  この事により、差別、いじめは激減する。

26 性教育と純潔教育と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、自分自身が如何に素晴しい存在であるか、また他人も如何に素晴しい存在であるかに気付く事により、自ら純潔を守るようになる。
  この事により、現在の過激な性教育(コンドーム及びピル教育=性交教育)は必要なくなる。

27 公衆道徳と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさを知る事により、社会の大切さを知るようになる。
  この事により、公衆道徳意識が高まる。

28 環境保護と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分自身の素晴らしさ、他人の素晴しさ、社会の大切さ、自然の大切さ、美しさを知るようになる。
  この事により、環境保護意識が高まる。

29 教育基本法と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、教育基本法の精神に基づくものである。
  哲学一貫教育において、教育そのものを哲学する。

30 芸術文化振興基本法と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、芸術文化振興基本法の精神に基づくものである。
  哲学一貫教育において、芸術と文化を哲学する。

31 文字・活字文振興法と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、文字・活字文振興法の精神に基づくものである。
  哲学の授業時における360回(35回×(6年+3年+3年))の読書と360回(35回×(6年+3年+3年))の作文、これにより文字・活字文化は飛躍的に発展する。

32 子どもの読書活動の推進に関する法律と哲学一貫教育
  哲学一貫教育は、子どもの読書活動の推進に関する法律の精神に基づくものである。
  哲学一貫教育における読書は真の読書家を育てる。
  読書は、消費財の消費ではなく、生産財の生産であるべき。良書は無限の富である知恵を人の心の中に育てる。
  
33 国民の祝日に関する法律と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、法に定める国民の祝日を哲学する。これにより社会に対する理解が深まる。

34 法律と哲学一貫教育
  哲学一貫教育においては、全ての法律を哲学する事ができる。
  男女共同参画社会基本法、高齢者化社会対策基本法、少子化社会対策基本法、障害者基本法、消費者基本法、土地基本法、海洋基本法、エネルギー政策基本法、原子力基本法、環境基本法、科学技術基本法、食料・農業・農村基本法、森林・林業基本法、水産基本法、災害対策基本法、交通安全対策基本法、食品安全基本法、自殺対策基本法、ガン対策基本法、教育基本法、文化芸術振興基本法、食育基本法等、各種基本法の前文、目的、目標、理念等を哲学する事により、法の求めている精神を理解する事ができ、社会に対する理解が深まる。

35 憲法と哲学一貫教育
  憲法には、自由、平等、平和、戦争、人権、権利、義務、健康、文化、教育、勤労等々哲学の対象となるものが多く存在している。
  憲法を哲学する事により、法の本質を知るようになり、遵法精神が高まる。

36 教養と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、360の哲学的テーマに関する古今東西の名著を読み、またその360の哲学的テーマ関する作文を書く事になる。これにより、日本人の教養のレベルは現在と比較にならないほど高くなる。哲学一貫教育は日本人の教養のレベルの底上げを図るものである。

37 国際交流と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、日本人の教養、道徳レベルは高まり、草根の国際交流においても恥じる事はなくなる。

38 国際評価と哲学一貫教育
  海外より日本人は『哲学の民』と評される事になる。
  古代ギリシアの民と比較されるほどになる。

39 真善美と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、日本に真善美が溢れる事になる。これが哲学一貫教育の最終理想である。

40 道徳と哲学一貫教育
  哲学一貫教育において、徳(勇気、忍耐、節制、寛容等々)と呼ばれているものを全て哲学する。
  これにより、徳の概念を知り、自らを徳に導く。

41 自分と言う存在と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分が如何に素晴しい存在であるかを知る。
  ここから全てが始まる。
  自分自身が素晴しい存在であるとは、下記2の分野別哲学テーマ例に記載されてある全てが自分自身の中に素晴しい形で存在していると言う事に気付く事にある。その気付きから、それを引き出し、それを自分のものにしようとする。ここから哲学が始まる。この気付きが無ければ全ての哲学一貫教育は徒労である。この気付きについては、教師は決して教える事はできない。この気付きは児童生徒が自らにおいて気付かなければならない。この気付きを触発させるのが、古今東西の名著の中の名文中の名文である。言霊が言霊に触れて始めて、気付きが起こる。
  なお、気付きは、小学1年生、中学1年生、高校1年生それぞれで良い。
  おぼろげなるものからよりはっきりしたものへ、ここに小中高校哲学一貫教育の意義もある。

42 社会と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自分自身が素晴しい存在である事に気付けば気付くほど、他人もまた同様に素晴らしい存在である事に気付くようになり、その結果、自分と他人との関係集団(家族、学校、国家等々)、すなわち社会もまた大切な存在である事に気付くようになる。更にその社会を取り巻く環境、そして自然もまた大切な存在である事に気付くようになる。

43 自然と哲学一貫教育
  哲学一貫教育により、自然の美しさ、素晴しさ、そして自然の妙を知ようになる。
  特に小学校低学年においてそれらを気付かせる機会を多く持つものとする。
  例、季節、春、夏、秋、冬、朝、昼、夜、天気、晴れ、雨、曇り、雪、動物、犬、猫、牛、植物、草、花、木、森、海、山、川、太陽、月、星、体、目、口、鼻、耳、手、足、頭、土、砂、石、水、金等々
  何故なら、自分の中に存在する素晴しいものと自然は相似しているからである。
  児童生徒は素晴しい自然の具象の中に、自分自身の中に存在するそれと相似のものを予感する。

44 哲学読本の作成方法
  各教科書会社において、名著を1000冊選ぶ。そしてこの名著の中から名文中の名文を数千編選び、これを更に精選し、学年別、分野別、各哲学テーマ別に配して、各学年ごとの哲学読本を作成する。
  なお、小中高校を通じての哲学読本に掲載される名文中の名文は約1000編となる((30時間・テーマ×(6年+3年+3年))×3編=1080編≒1000編)
  これにより、児童生徒は独りでに訓化されていく。(教師が幾らごちゃごちゃ言っても馬耳東風。知恵は自らでしか学べない。)
  
45 何故一つの哲学テーマに名文を3編掲載するのか
  それは児童生徒に自らにおいて普遍を学んで貰う為である。
  例えば、慈愛について、イエスの慈愛の言葉、ブッダの慈愛の言葉、マホメットの慈愛の言葉を掲載する。
  この三つの言葉から三人に共通する普遍の慈愛を学んで貰うのである。
  全ての哲学テーマについて、この様な方法で普遍を学んで貰う。
  哲学一貫教育においては一切のイデオロギーから離れる。児童生徒が自らにおいて価値を学び、自らにおいて価値を確認し、自らにおいて価値を確立していく。アイデンティティの確立。

46 古今東西名著文庫及び哲学読本文庫
  哲学読本に掲載した名著原典については、必ず学校図書館に供えるものとする。
  また、全ての教科書会社が出版した哲学読本も、必ず学校図書館に供えるものとする。
  
47 哲学と教科の役割分担
  教科の役割は正確な知識の伝授。その評価は知識の量(正確な記憶の量)であるべき。その評価はまたテストであるべき。 
  哲学はそれらの知識の意義を考え、それら知識を統合し、そしてその知識を自らの生活の中に生かしていく事にある。
  現在の教育改革のもどかしさは、教科教育に哲学を求めている事にある。
  この役割分担を明確にすれば、効率的に知恵と知識のバランスのある児童生徒が育てていく事ができる。
  哲学一貫教育においては、教科を哲学し、教科の単元を哲学し、必要な場合に単元の中の言葉や公式をも哲学する。
  これにより、教科は数段面白くなり、児童生徒は積極的に教科を学ぶようになる。
  これにより、児童生徒の学力は飛躍的に上がる。世界に飛び抜けての学力国家となる。
  そしてその知識は全てぴちぴちと生きているのである。
  「哲学の民、日本人」の誕生である。
  ※哲学は教科とはぜず、現在の道徳と同じく「哲学」とする。なお、『哲学読本』は教科書に準じるものとする。(勿論無償とする。)

48 国語と哲学一貫教育
  哲学一貫教育における哲学の授業とは、読書と思索と作文である。
  これは国語教育と全く同じ事である。
  国語教育の中にこの哲学を組み込んでも良さそうだが、しかしそれでは哲学の機能は全く埋没し効果は0である。
  国語教育は他の教科教育と同じくその本質は教える事にある。
  しかし哲学教育の本質は、自らにおいて真善美等を学び求め、自らにおいて真善美等を自らのものにし、自らにおいて真善美等を実践しようとする児童生徒を育成する事にある。その契機が読書であり、その発展が思索であり、その確認が作文である。(確立、確定は対話である。)哲学は決して教える事はできない。

49 現在の道徳教育の問題点
  現在の道徳教育の第一の問題点は、道徳を教えようとする事にある。
  第二の問題点は、その教える事が何であるかはっきりしていない事にある。教材が無い。
  第三の問題点は、教えるべき道徳を教師に求めている事にある。
  現在の教師の道徳能力は低い。この教師に道徳を求めても土台無理である。もし教師に道徳教育を強く求めれば、教師は混乱し、その結果として児童生徒も混乱する。現在道徳教育の様に、当らず障らずと言う遣り方は現場の知恵である。 

50 徳育と道徳教育と哲学一貫教育
  教育再生会議で徳育と言う概念が打ち出された。
  その概念については明確でないが、次のように規定するとする。
  徳育は、教科であり、教科書がある。(そしてテストもある。)
  もし徳育がその様な概念であれば、日本の道徳は現在に比べて比較にならない程よくなる。
  教師は、何の迷いも無くその徳を徹底的に教え、児童生徒は何の迷いも無くその徳を徹底的に覚え込む。
  これにより、日本の道徳は現在に比べて比較にならないほど良くなる。
  一種の教条主義者を育てる事であり、一種のイデオロギー教育だが、その教条、そのイデオロギーはとても良いものであり、私は大賛成である。
  しかし、哲学一貫教育における所の『哲学の民、日本人』を育てる事はできない。
  善良な教条主義者を育てるか、それとも「哲学の民、日本人」を育てるか、確かに判断に迷う。徳育は哲学一貫教育の道ならしにはなる。徳育を5年間試行し、その後哲学一貫教育に持って行くと言う方法も確かにある。

51 総合学習と哲学一貫教育
  総合学習は正に哲学教育の体験、体感の場である。
  哲学教育の授業、すなわち読書、思索、作文において、自分自身の素晴しさ、周りの人々の素晴しさ、社会の素晴しさ、自然の素晴しさを概念的に知る。
  総合学習においては、これら素晴らしきものを体験、体感する。すなわち人々との対話であり、社会との対話であり、自然との対話である。
  具他的には、身近な自然、海、山、川、森、田、畑、公園、公民館、他の小中高校、幼稚園、大学、役場、職場、老人クラブ、婦人会、福祉施設等々考えられる限りの自然、社会に飛び込み、それぞれとの哲学的対話を進める。学校を離れる。
  なお、総合学習の時間は月2回程度とし、午後の時間全てを大胆に充てる。(場合によっては昼食の時間も含める。授業時間は1回当たり4授業時間(コマ)とする。)

52 哲学的対話サークル
  哲学的素養のある教師が哲学対話サークルを設置する事を奨励する。
  また哲学的素養のある地域の人(父兄だけでなく会社、役場、教育機関、公民館等々勤務する人々を含む)が、学校内に哲学対話サークルを設置する事を奨励する。多くのソクラテスが学校入って来る事を期待する。アカデミア的な雰囲気が学校内に醸成される事を期待する。
  具体的には、図書室等に隣接して、哲学対話室を学校の規模に応じて1から5程度設置し、哲学的素養のある教師や地域の哲学的素養のある人々が、日替わりで児童生徒との哲学的対話に応じる。 
  児童生徒は自らの知識を総動員して、自らの尊敬する哲学的素養のある人々に向かう。ある意味では知恵の総力戦である。
  哲学対話サークルに通う事が、児童生徒のある意味でのステータスシンボルになる。   
  哲学対話サークルに通う児童生徒が、学級会活動、児童生徒会活動を牽引するようになり、学校に哲学的雰囲気が醸成される。
  彼らが卒業して、世の指導者となり、日本は哲学的国家としての道を進む事となる。
  なお、「一生涯にわたる哲学一貫教育」(下記3の要領を参照の事)において、大学、公民館、図書館等においても、それぞれ哲学的対話サークルが設置される事になるが、児童生徒が学校を超えてこれらの哲学的対話サークルと交流する事を奨励する。
  様々な哲学的対話サークルにおいて、哲学的対話交流を深める事に依って、真に哲学的に優秀な児童生徒が育成される。彼らが大学等で更に哲学を深め、世に出て指導者となる。これにより、日本は哲学的国家への道を進む事になる。

53 『哲学の民、日本人』、『哲学国家、日本』の誕生
  哲学一貫教育により、「哲学の民、日本人」が誕生する事になる。
  また、「哲学の民、日本人」の中の真の哲学者が世を指導する事になり、「哲学国家、日本」が誕生する事になる。

54 読書、思索、作文、対話、行為と哲学一貫教育
  哲学教育の授業において、読書と思索と作文が行われる。
  対話については、哲学的対話サークルにおいて行われる。
  行為は自らが行う。誰も行為を強制する事はできない。
読書において真善美等が想起され、思索において真善美等が深められ、作文において真善美等が確認され、対話において真善美等が確定確立され、行為によって真善美等が実践される。

55 哲学の意義と哲学国家日本 
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事、真善美等を愛する事。
  哲学国家日本とは真善美等の溢れる国家となる。
  しかし真善美は一つではない。
  日本国の真があり、日本国の善があり、日本国の美がある訳ではない。
  真善美は国民一人一人にそれぞれある。
  哲学国家日本とは、国民一人一人の真善美等がハーモニーをなす国家の事である。
  しかし、それら国民一人一人の真善美は一つのものに集約される傾向にある。
  それが日本人である所以であり、また人間でもある所以である。
  その一つとは知恵と言って良いのかも知れない。

56 哲学一貫教育の究極の基礎、それは『汝自身を知れ』
  哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
  知恵とは何か。それは究極の意味での本当の自分自身。
  その本当の自分自身を突き詰めて行くと、人類の普遍の様なものに突き当たる。
  そこから、猛烈な知識欲が湧き上がる。
  そこから、人間の素晴しさ、社会の大切さ、自然の素晴しさ、大切さを知るようになる。
  そこから、隣人愛、兼愛、慈愛、仁、惻隠、人類皆兄弟等々と言った思想が生まれて来る事になる。
  そこから、真善美等々と言った諸々の思想が生まれて来る事になる。

知恵とは何か。それは本当の自分自身。そこは無限の宝の宝庫。知恵の泉。打ち出の小槌。

  哲学一貫教育の基礎、それは『汝自身を知れ』にある。

57 結論
  哲学一貫教育の素晴しさを縷々述べてきましたが、未だ述べたりません。
  と言うよりも、哲学一貫教育の素晴しさにはきりが無いのです。
  哲学一貫教育は現代の全ての問題を綺麗さっぱりと解決して呉れる魔法のです。
  自殺、いじめ、差別、不登校、無気力、学力低下、道徳低下、性の乱れ等々、現代の全ての問題を哲学一貫教育は綺麗さっぱり解決して呉れるのです。
  その魔法の秘密は『汝自身を知れ』にあります。
  どうか皆さんも汝自身を知って下さい。
  そうすれば『哲学一貫教育』以外如何なる方法も無い事に気付く筈です。
  どうか哲学一貫教育を推進して下さい。

下記2 【分野別哲学テーマ例】(省略)

下記3 【一生涯に渡る哲学一貫教育について】

1 趣旨
  日本国民の一生涯に渡って哲学の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟した国民になる事を目指す。
  なお、哲学一貫教育における哲学とはphilosophia、知恵(sophia)を愛する(philo)事、真善美を愛する事と解する。

2 方法
 ① 小学校、中学校、高校
   ・小中学校の道徳を廃止し、哲学とし、週2時間とする。
    高校の倫理を廃止し、哲学としかつ必修とし、週2時間とする。
    これにより、週2時間の小中高校哲学一貫教育を完成させる。
    哲学の授業においては、読書、思索、作文を対象とする。週の最初の時間に読書を、週の最後の時間に作文を行う。思索はそれぞれの時間に行われる。
    なお、小中高校哲学一貫教育の詳細については、上記1の「小中高校哲学一貫教育について」を参照の事。
   ・小学校、中学校、高校に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、学校内の教師、児童生徒だけでなく、大学や地域の哲学的素養のある人が入り込み、哲学的対話が行われる事を奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。    
 ② 大学
   ・哲学を必修とする。
   ・講義は週1回とし、1年から4年まで通年で受講するものとする。
   ・1年から2年までは教養哲学とする。小学校、中学校、高校で学んできた哲学を完成させる。なお2年次の最終学期には、自らの哲学体系を纏め、評価を受けるものとする。
   ・3年から4年までは専門哲学とする。それぞれの学部、例えば「経済」「経営」「法律」「社会」「教育」「工学」「医学」「理学」「文学」「体育」等、そのものについての様々な文献を研究し、それぞれに関する自らの哲学を確立する。自らの経済哲学、経営哲学、法哲学、医療哲学等々を完成させる。
   ・大学における哲学においては、「哲学―専門哲学―専門知識」に関する知恵・知識の有機的な体系を完成させる事を目的とする。(専門馬鹿にならず、哲学的素養のある科学者を育てる事を目的とする。)
   ・大学内に哲学対話室を設置する。哲学的対話室においては、大学内の教師、学生だけでなく、他の大学の教師や学生、地域の人々、更には小中学校の教師、児童生徒が入り込み、様々な哲学的対話が行われる事を奨励する。 
  ④ 社会教育
    ・公民館、図書館に哲学講座を開設する。
    ・図書館の哲学関係図書の充実を図る。
    ・成人の日に際して、古今東西の名文中の名文を集めた哲学読本(一生涯を通じての座右の書となるよう読本とする。広辞苑サイズ)を財団等を通じて配布する。
    ・公民館及び図書館に哲学対話室を設置する。哲学対話室においては、地域の人々だけでなく、小学校、中学校、高校、大学の教師や児童、生徒、学生が入り込み、多くの哲学的対話が行われる事を奨励する。
 ⑤ 家庭教育
    ・結婚に際して、結婚、家族、人生等に関する名文中の名文を集めた哲学読本を財団等を通じて配布する。
    ・家庭内における哲学的対話が図れるような機運を醸成する。
・学校の哲学一貫教育と連携し、親子の哲学的対話の図れるよう機運を醸成する。親子で一緒に哲学読本を読み、親子で一緒に哲学テーマについて語るような機運
を醸成する
・第一子出産に際して、幼児読み聞かせ用の哲学読本を財団等を通じて配布する。読み聞かせ運動を展開する。
  ⑥ 哲学的対話(哲学対話室)
    ・小学校、中学校、高校、大学、公民館、図書館等に哲学対話室を設置する。
     これらの対話室では、小学校、中学校、高校、大学の教師、児童、生徒、学生、地域の人々が垣根を越えて哲学的対話が行われることを奨励する。
     特に、大学や地域の哲学的素養のある人が、小中高校に入り込み、学校内の対話室において児童生徒と哲学的対話が行われることを奨励する。多くのソクラテスが小中高校に入って来る事を期待する。
    ・様々な場において多くの哲学的対話が行われる事により、日本全土に哲学的な雰囲気が醸成される。

3 哲学一貫教育の役割分担
  哲学一貫教育は、読書、思索、作文、対話、行為によって完結する。
    この内の、読書、思索、作文については、小学校、中学校、高校の哲学の授業において徹底底的に行われる。また大学において更に深められる。学校卒業後は、それぞれのステージの生涯学習で行われる。なお、公民館講座、図書館講座等において、その様な機会を提供する。また。成人式、結婚、出産等に際して、それぞれのステージに相応しい哲学読本を財団等を通じて配布する。
 対話については、様々な場に設置される哲学対話室において行われる。
 行為については、自らの意志において行う。

※日本はかつて「言霊の幸ふ国」(広辞苑)と呼ばれていました。哲学一貫教育では再度その様な国創り(真善美に溢れた国創り)を目指します。哲学一貫教育とは言霊による国創りの事なのかも知れません。
 万葉集「言霊の幸ふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり」


別紙2
別稿「小中高校に設置する哲学対話室について」


 私は前稿、すなわち大学の教育学部の哲学の先生方に出す書簡文を書き終えた後、暫くそのままにして置きました。
 そして、今回それを形あるものしようと思った時、小中高校に設置する哲学対話室について、新たな可能性を見い出したのです。
 それは、この哲学対話室が、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちを救う最も有効な方法だと気付いたのです。
 しかし、前稿で述べたような方法ではその効果が全く出ないので、ここに新たな仕組みを提案する事にしました。

 前稿で述べた哲学対話室ついては、どちらかと言うと哲学的に優秀な児童生徒を育成する為のものでした。
 その仕組みは、プラトンの「饗宴」と同じです。
 すなわち、ソクラテス(哲学的素養に優れた哲学ボランティア)を中心に、様々な哲学テーマについて、数人でまたは一対一で、対話(弁証)を重ねると言う方法です。
 これにより、この哲学対話に参加する児童生徒の哲学能力は素晴らしいものに成って行く事は確かです。
 しかし、この哲学対話に参加する児童生徒は、元々哲学的素養のある児童生徒たちです。
 この哲学対話室には、いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは参加する事はありません。
 何故ならあまりにもハードルが高いからです。

 私はここで思ったのです。
 いわゆる落ちこぼれと言われる児童生徒たちは何に落ちこぼれているのかと。
 そして分かったのです。
 彼らが「ことば」に落ちこぼれている事が。

 哲学とは何でしょう。
 それはphilosophia、知恵を愛する事。
 それでは知恵を愛するとはどう言う事でしょう。
 それは「ことば」を愛する事。
 
 そうです。
 彼らは、「ことば」を愛する事に落ちこぼれているのです。
 原因が分かれば解決は簡単です。
 彼らに「ことば」を愛する術を教えて上げれば良いのです。
 その方法が哲学対話室と言う事になります。

 しかし前稿で述べた哲学対話室では、哲学的に優秀な生徒とあまりにも格差があり、一緒に遣って行く事は出来ません。
 ここに新たな仕組みが必要となるのです。
 その仕組みが、二つの哲学対話室です。
 一つは、前稿で述べた哲学対話室です。
 この哲学対話室では、勿論一対一の対話も行なわれますが、通常は数人が一緒に対話する事を想定しています。
 この哲学対話室の基本はフォーラム、すなわち広場です。
 すなわち誰でも自由に勝手にです。
 この様な中に、「ことば」を愛する術を知らない者は入って行く事は出来ません。
 彼らの為にもう一つ特別な哲学対話室を作って上げなければならないのです。
 その哲学対話室が一対一専用の哲学対話室です。

 「ことば」を愛する事に落ちこぼれている者は、どの様に「ことば」を愛して良いのか分かりません。
 先ずは、この一対一専用の哲学対話室において、哲学ボランティア‘ソクラテス’が今の彼の「ことば」を全て聴いて上げなければなりません。
 彼は‘ソクラテス’誘導の下に「ことば」を語り続けている内に、段々にその「ことば」が発せられる源泉の様なものに気付いて来ます。
 そして、今の「ことば」を全部語り終えた時に、その源泉から次々に新たな「ことば」が生まれて来る事に気付いて来ます。
 ここまで来れば、「ことば」を愛する方法、知恵を愛する方法が分かって来ます。
 すなわち哲学の何たるかを知るようになるのです。
 ここまで来ればもう立派な哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)と成るのです。
 
‘ソクラテス’は産婆役に徹しなければなりません。
 *彼らが次々に「ことば」を生み出すように。そして最後には真善美に溢れた「ことば」を生み出すように。
 一対一専用の哲学対話室は、哲学者(知恵を愛する者、「ことば」を愛する者)育成の為の予備校となるのです。
 ここで「ことば」を愛する術を知った者は、自ら「饗宴」、すなわち通常の哲学対話室に飛び込む事となるのです。
 
「饗宴」すなわち通常の哲学対話室におけるソクラテス(哲学ボランティア)はある程度哲学素養があれば良いのですが、一対一専用の哲学対話室における‘ソクラテス’は、知恵を愛する事、「ことば」を愛する事に優れた者でなくてはなりません。

以上が「小中高校に設置する哲学対話室」に関する新たな発想でした。


 
 ※「ことば」を愛する事に落ちこぼれていた児童生徒が、「ことば」を愛するように成った時、その児童生徒の学力は目覚しく伸びる事に成ります。
  何故なら、「ことば」は全てを愛するようになるからです。
  「ことば」を愛するとは「知恵」を愛する事。知恵を愛するとは哲学。
  哲学は根源へと向かい、その根源から世界を再構築する。


別紙3

別稿「哲学フォーラム(哲学対話室)の意義」

哲学とはphilosophia、知恵を愛する事。
それは真善美に溢れたことばを愛する事。
これは全ての人の心の中にある欲求です。
しかし今の日本においてはこの事が等閑にされています。

それは何故か。
それは日本があまりにも軽佻浮薄の時代に泥んで来たからです。
真面目な事を話す事はうざい事。
これが日本の風潮です。

こんな時代にどうして、真善美に溢れたことばを発する事が出来るでしょう。
しかしそれでも多くの人々が真善美に溢れたことばに渇望しているのです。
しかし世に向かってそのことばを発する事は出来ない。
この事は、何時の時代でも程度の差こそあれ同じではありますが、日本はあまりにも酷い。

この世とかの世。
この世とは私たちが住んでいるこの現実世界、かの世とは私たちが思い描く理想世界。
この世とかの世と繋ぐのもまた哲学の役目です。
 すなわちかの世のことばをこの世のことばに翻訳し直す事です。
 その為にも哲学対話が必要なのです。

 一人では独善に成りがちです。
 二人で、三人でまたはもっと多くの人数でそれぞれの理想を語り合う。
 そこに共通のものも見い出す。
 それがその人の当座の普遍となります。
 その当座の普遍をこの世のことばに翻訳し直す、これも哲学の仕事です。
 その為にも哲学対話が必要となるのです。

 哲学フォーラム(哲学対話室)は、この世とかけ離れた別世界です。
 それでこそ、哲学フォーラム(哲学対話室)の意義があるのです。
 ここで彼らは理想の世界を語り合います。
 そしてその結果を、僅かかも知れませんが、この世に持ち帰るのです。
 勿論その為には、その世界に合わせて翻訳し直さなければなりませんが・・・

哲学フォーラム(哲学対話室)は、何ら恥じる事無く、真善美に溢れた言葉を語り合う場なのです。
哲学フォーラム(哲学対話室)が増えれば増える程、日本は軽佻浮薄の時代から脱却していく事でしょう。
哲学フォーラム(哲学対話室)が日本中に展開されたその暁には、日本人の体質も変わっていると思います。
その時、日本人は『哲学の民』と呼ばれる事に成るのです・・・・?