「哲学のすゝめ」出版計画

「哲学のすゝめに」に関する出版企画書


拝啓
 ●●様へ

 お手紙有難うございました。
 ●●様は、原稿の審査及び読み込みを担当なさっていらっしゃるとの事、私の「哲学国家日本の実現の為に」を読んで下さったのでしょうか。
 もしそうであれば、こんなにも嬉しい事はありません。
 何故なら、私の「哲学国家日本の実現の為に」の第一号の読者を得た事に成るのですから。
 その様な前提の下に、●●様のお手紙への返事を書いて行きたいと思います。

 私の関心事、それは哲学です。
 なお、私の言う哲学とは、philosophia、すなわち智慧(sophia)を愛する(philo)事です。
 哲学、すなわち智慧を愛する事が、如何に素晴らしい事か、私はその事を骨の髄まで知り尽くしています。
 だから日々、私は哲学(智慧を愛する事)に勤しんでいるのです。

 何故哲学が素晴らしいのか、
 それは先ず第一に、哲学がこの世の私の悩みを全て消し去って呉れるからです。
 「哲学は最高の浄化具である」
 この事について、私は一点の異論もありません。

 そして哲学はその無心無垢な心の中で、私が心から求めるものをそれこそ打ち出の小槌よろしく何でも出して呉れるからです。
 「哲学は最高の文芸である」
 哲学は私が心から求めるものを、言葉に結実させて呉れるのです。
 人は言葉に依って生きています。
 その言葉が私が心から求める言葉たちであれば、それが私を満足させる事に成るのです。

 「哲学は最高の浄化具であり、最高の芸術(文芸)である」
 だから私は日々哲学に勤しんでいるのです。

 無心無垢な状態、これこそが人に取って最も幸福な状態です。
 この状態の事を『恍惚』とも言います。
 また、涅槃、ニルヴァーナ、天の国、神の国、ブラフマンとも喩えます。
 この様な状況の中で、自分自身が心から求めるものが滾々と湧いて来るのであれば、それはその人に取って最高の状態なのではないでしょうか。
 哲学はその事を約束して呉れるのです。
 だから私は日々哲学に勤しんでいるのです。
 しかし多くの人がその事を知らない。
 だから、私は自分自身を哲学詩人と称して、その素晴らしさをこの世に紹介し続けているのです。
 勿論「哲学国家日本の実現の為に」もその為に書いたものです。

 この「哲学国家日本の実現の為に」は、大きく前編後編の二編に分ける事が出来ます。

 第一章から第十四章までが前篇と言う事に成ります。
 ここにおいては、ソロモン、ダビデ、イエス、パウロ、ブッダ、孔子、王陽明、老子、ソクラテス=プラトン、エピクロス、セネカ、クリシュナ、デカルトの偉大な十三人の哲学者(智慧を愛する者)たちの智慧について、彼らの言葉に従って、その智慧の事を説明しています。
 彼らがその智慧を如何に愛したか、そしてその智慧から如何に愛されたか等々を書いています。

 そして第十五章から第十九章までが後編と言う事に成ります。
 ここにおいては、「哲学国家日本」の実現方策の事を述べています。
 その実現方策が「哲学一貫教育」と言う事に成りますが、この哲学一貫教育の内、「小中高大学哲学一貫教育」と「大学教育学部における徹底した哲学教育」については、制度的な制約があり直ぐに実行すると言う訳にはいかないが、「哲学読本大全の作成」と「哲学広場の設置」については、哲学に関心のある有志が集まれば直ぐにでも実行出来るので、先ずは皆様において、哲学読本を作成し、哲学広場を設置して頂きたいと言う様な事を書いています。

 この「哲学国家日本の実現の為に」については、350部印刷し、国立大学教育学部と国立大学文学部と大手私立大学文学部の哲学担当教官様と、大手出版社、大手新聞社、大手放送社編集局の哲学担当編集長様と、文部科学省の関係機関の長様宛てに送付しています。

 大学の哲学担当教官様宛には、各大学でそれぞれに哲学読本を作成し、哲学広場を設置して頂き、多くの聖人賢人哲人と言う人たちを育成して頂きたいと言う様な趣旨の書簡文と共に送付しています。

 また、出版社、新聞社、放送社、文部科学省の関係者様宛てには、哲学、すなわち智慧を愛すると言う意味での哲学の概念を広く国民の間に広めて頂き、そして国民の間でその哲学に関する議論をする機会を作って頂きたいと言う様な趣旨の書簡文と共に送付しています。

 以上が、「哲学国家日本の実現の為に」の発行までの経緯ですが、その後、私は私自身でこの●●の地において、「哲学広場」を設置しようとの考えを起こし、その設置要領等を考えていた所だったのです。
 この哲学広場については、「哲学広場●●」と称する事とし、●●大学教育学部の道徳担当研究室と●●大学教育学部の学生と●●市道徳教育研究会と●●市内の小中高校の道徳担当教師を中心に、●●大学の学生や鹿児島市民、更には●●市を巻き込んで展開して行きたいと考えています。

 具体的なイメージについては次の通りです。
 開催日時:毎月第三土曜日の午後2時から午後5時まで。
 開催場所:●●大学総合図書館研修室。
 実施方法:○哲学広場(哲学対話室)には、哲学ボランティア‘ソクラテス’が二人以上常駐し、哲学広場を訪れた者と哲学対話を行う。
      ○哲学ボランティア‘ソクラテス’は産婆役に徹する事とし、質問や同意によって、哲学広場を訪れた者の関心のある哲学テーマについて、訪問者が自らにおいて答えを生み出す為の手伝いをする。
      ○訪問者は自らが生み出した答えに満足する事となり、それが評判を呼んで哲学広場は繁盛する事と成り、最終的には毎週土曜日の午後2時から午後5時に実施される事と成る。
      ○なお、「哲学広場かごしま」に併せて、「聖人君子学研究会」を設置する。
      ○聖人君子に関する古今東西の名著の中の名文を選び出し編集して「聖人君子学読本」を作成し、この読本等を基に、聖人君子について徹底的に研究する。
      ○聖人君子とは、智慧を愛し抜いて、智慧の真髄へと至り、その智慧の真髄から生まれた智慧と愛をこの世に実現しようとする者の謂いである事を理解する事と成り、多くの者が哲学ボランティア‘ソクラテス’を、更には、聖人君子を目指す事と成る。
 
以上の様な事を考えていた矢先に、●●様からのお手紙です。
 正に渡りに舟です。
 一緒に成って、この日本に哲学(philosophia=智慧を愛する事)を振興させましょう。
 哲学の振興は、●●社を大いに利する事と成るのです。
 何故なら『哲学は最高の文芸』だからです。(プラトン「パイドン」)

 智慧を愛する事(哲学)に目覚めた多くの人々が、その智慧を文に現わす事に成ります。
 そこに●●社の存在意義が生まれて来る事に成るのです。
 何故なら哲学は最高の文芸なのですから・・・

 先ずは、●●社に哲学プロジェクトを立ち上げる事としましょう。
 哲学プロジェクトでは、次の様な事を行う事に成ります。
 一 「哲学=智慧を愛する事)」の概念の普及(「哲学の勧め」の作成)
 二 「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成
 三 「哲学読本大全」の作成
 四 「哲学広場」の設置支援(「哲学広場 開設の勧め」の作成)
 五 「哲学エッセイ」の募集
 六  ホームページ「哲学広場」の開設
 
 この哲学プロジェクトを立ち上げるに前に、●●様にして頂きたい事があります。
 それは私の「哲学国家の日本の実現の為に」をもう一度読み返して頂きたいのです。
 全部を最初から丁寧に読んで下さいとは言いません。
 ただ一つの観点だけを持って読み返して頂きたいのです。
 その一つの観点とは、『智慧とは何か』と言う事です。
 そして『その智慧を愛すれば人はどうなるか』と言う事です。

 今回の「哲学国家日本の実現の為に」においては、十三人の偉大な哲学者(智慧を愛する者)たちの智慧に関する言葉たちを出来るだけたくさん拾い集めています。
 これらの言葉たちにより、彼らの智慧の真髄を理解して頂きたいのです。

 ソロモンの知恵と神。
 ダビデの主と神。
 イエスの聖霊と主と父と神と神の国と天の国。
 パウロの聖霊と主とキリストと神。
 ブッダの般若、涅槃、ニルヴァーナ、無心、悟り。
 孔子の仁と天、大学の至善、中庸の中。
 王陽明の良知と天。
 老子の道と恍惚と無為自然。
 ソクラテス=プラトンの知恵、ダイモーン、神、最高善。
 エピクロスの知恵、神、心の平静。
 セネカの英知、神、心の平静、最高善、本当の自分自身。
 クリシュナのアートマン(真の自己)、ブラフマン、静寂、神、主、等々。

 彼らは智慧の事を様々に呼んでいますが、それらは全て智慧なのです。
 そしてその智慧は究極的には本当の自分自身に他ならないのです。
 もしこの事を完全に理解すれば、古今東西の偉大な聖人賢人哲人たちの言葉が全ての自分自身の物に成ります。
 そして自分自身の言葉が、古今東西の偉大な聖人賢人哲人たちの言葉と一緒に成ります。
 これが全ての偉大な哲学宗教の奥義なのです。

 もし●●様がキリスト教の神に抵抗があるのであれば、エックハルトの「エックハルト説教集」(岩波文庫)を勧めます。
 エックハルトは、中世と言うキリスト教一色の世界の中に在っての、キリスト教の修道院長であり、また当時キリスト教会の最高の学府であったパリ大学神学部の教授でもあった人ですか、その人が、「神とは本当の自分自身に他ならない」と言う様な事を言っているのです。
 またアウグスティヌスを始め偉大な教父たちも同じ様な事を言っています。
 日本人がキリスト教の神に抵抗のある理由、それはその本質を知らずに、自分自身で勝手に作り上げたキリスト教の神のイメージに対して、自分自身で抵抗しているだけの事なのです。
 はっきり言って、日本人は神に対して無知なのです。
 
 ●●様は時間もそれ程無いと思いますので、先ずは私の「哲学国家日本の実現の為に」を読み、そして出来る事ならエックハルトの「エックハルト説教集」(岩波文庫)までを読んで頂きたいと思います。
 そうすればそれらが皆、本当の自分自身で在る事が、痛い程、分かる様に成る筈です。
 ●●様がそこまで完全に理解出来たら、●●社の哲学プロジェクトは間違いなく成功します。

 それでは●●社の哲学プロジェクトの進め方について説明します。
 ●●様が、哲学=philosophia=「智慧を愛する事」=「本当の自分自身を知り、本当の自分自身を愛する事」と言う概念を十分に理解したと言う前提でお話しします。

 先ずは、『哲学の解放』とか、『哲学とは智慧を愛する事、それは本当の自分自身を愛する事に他ならない!』とか、『哲学は皆様を幸せにする為に存在しているのです!』とか、『哲学は皆様を本当の自分自身に導く為に存在しているのです!』と言った様な少しセンセーショナルなタイトルで、「哲学=智慧を愛する事」に関する啓蒙の本を出版する事にします。
 その際、私の「哲学国家日本の実現の為に」を種本として使って頂ければ嬉しく思います。
 優秀なライターで、「哲学=智慧を愛する事」の概念を十分に理解して下さった方であれば、きっと売れる本を作って頂けると思います。
 何故なら、多くの日本の人々が本当の自分自身を求めているが、求められないでいるのですから。
 哲学(智慧を愛する事)以外に、本当の自分自身を求める方法など無いのです。

 次に、『哲学読本(智慧と愛の巻)』を出版する事にします。
 「哲学読本(智慧と愛の巻)」とは、百人以上の古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧に関する言葉を千編以上集めて編集したものです。
 一編の文章量は、起承転結がはっきり分かる程度の文章量(二千字前後?)とします。
 体裁は、「知恵蔵」とか、嘗て「夏目漱石全集全一巻」とか言った知恵蔵の様な体裁の本に夏目漱石の全集を一巻に収めたものがありましたが、あの様な形式の、あの様な廉価本で良いと思います。
 この「哲学読本(智慧と愛の巻)」が日本に大きな哲学のムーブメントを起こす事に成ります。
 何故なら、それらの言葉たちは、多くの日本の人々が心から求めていたが、求められなかった言葉たちだからです。
 なお、「哲学読本(智慧と愛の巻)」は、古今東西の智慧に関する名文だけを集めたバイブル的なものと成りますので、これの発行に併せて、『哲学読本(智慧と愛の巻)解説書』を発行する事とします。
 解説書については、『智慧とは何か』と言う事について、「哲学読本(智慧と愛の巻)」の言葉を縦横無尽に駆使して、なるべく多くの哲学者(智慧を愛する者)たちに、それぞれに書いて頂く事とします。私もそのお手伝いを出来れば嬉しく思います。
 また、「哲学読本(智慧と愛の巻)」と「哲学読本(智慧と愛の巻)解説書」発行後、『智慧とは何か』と言う事について、広く寄稿文を募集する事とし、これらを編集して『哲学読本(智慧と愛の巻)寄稿文』を発行しても良いと思います。
 これら「哲学読本(智慧と愛の巻)」、「哲学読本(智慧と愛の巻)解説書」、「哲学読本(智慧と愛の巻)寄稿文」の発刊に依り、日本に哲学(智慧を愛する事)の概念が定着する事に成ります。

 次に、『哲学読本大全』を作成する事とします。
 「哲学読本大全」とは、日本国民に取って大切と思われる百の哲学テーマについて、それぞれの哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文を五十編以上集めて編集したものとします。
 一編の文章量は、起承転結がはっきり分かる程度の文章量(二千字前後?)とします。
 体裁は、「哲学読本(智慧と愛の巻)」と同様のものとします。
 「哲学読本(智慧と愛の巻)」が千編で、一巻と言う事に成りますので、
 「哲学読本大全」は五千編(百の哲学テーマ×五十編)で、全五巻と言う事に成ります。
 「哲学読本(智慧と愛の巻)」と「哲学読本大全」が一体と成った『哲学読本』が、哲学広場における哲学的対話や哲学エッセイ作成の基礎資料と成り、更には、日本に大きな哲学ムーブメントを湧き起こして行く事に成るのです。
 
 次に、『哲学広場 開設の勧め』を出版する事とします。
 哲学広場とは、様々な哲学的対話を行う部屋の事です。
 この哲学広場が、日本全国の小学校、中学校、高校、大学、そして地区公民館に設置される事と成ります。
 この哲学広場において、児童、生徒、学生、院生、教師、父兄、市民、そして哲学者(智慧を愛する者)たちが、『哲学読本(智慧と愛の巻)』や『哲学読本大全』等々を基に、様々な哲学的テーマについて、様々な哲学的対話を交わす事に成り、更には、これらの哲学的対話に基づき、様々な哲学的営為が営まれる事と成ります。
 そして、これらの哲学広場が連携し、響き合う事に依って、日本はより哲学的に成熟した国家に成って行くのです、と言った啓蒙的な内容のもので良いと思います。
 この「哲学広場 開設の勧め」で哲学広場が開設される事に成れば、この日本に本格的な哲学ブームが起こる事に成ります。
 なお、「哲学広場 開設の勧め」の発行前に、二三の高校、大学で哲学広場開設の支援を行う事とし、それらをマニュアル化して、「哲学広場 開設の勧め」に掲載する事とします。
 その際は、私もお手伝い出来ると思います。
 何故なら、現在、私は、鹿児島大学に哲学広場を開設しようとしているのですから。

 次に、「智慧と愛」と「百の哲学テーマ」に関する『哲学エッセイ』をメールで募集する事とします。
応募のあった「哲学エッセイ」については全て、哲学テーマ毎に分類にして、ホームページ「哲学広場」に掲載する事とします。
 また、特に優秀な哲学エッセイについては、「智慧と愛」及び「百の哲学テーマ」毎に、それぞれ百編、集めて編集し、『智慧と愛に関する哲学エッセイ』(全一巻)及び『百の哲学テーマに関する哲学エッセイ』(全一巻)を作成しても良いと思います。
ホームページ「哲学広場」に哲学エッセイが集まれば集まるほど、哲学ブームが本格的に成って行く事に成ります。

 次に、ホームページ『哲学広場』を開設する事とします。
 ホームページ「哲学広場」には、次の様な内容を掲載する事とします。
 ① 「哲学=智慧を愛する事」の概念の普及に関する事
 ② 「哲学読本(智慧と愛の巻)」に掲載する古今東西の名著の中の名文の募集
 ③ 「哲学読本(智慧と愛の巻)」の掲載
 ④ 「哲学読本大全」に掲載する古今東西の名著の中の名文の募集
 ⑤ 「哲学読本大全」の掲載
 ⑥ 「哲学広場開設マニュアル」
 ⑦ 「哲学広場開催状況」
 ⑧ 「哲学エッセイ」の募集
 ⑨ 「哲学エッセイ」の掲載
 ⑩ 各種団体における様々な「哲学イベント」(学会、講演会、輪読会)のお知らせ等

 以上が、『哲学プロジェクト』の概要ですが、勿論これらの全てを同時に行うと言う訳ではありません。
 自から順番と言うものがあります。
 「哲学=智慧を愛する事」に関する概念普及が、勿論、第一番目に来る事に成ります。
 
 私は先程、その概念普及の書として「哲学の解放」とか「哲学とは智慧を愛する事、それは自分自身を愛する事に他ならない」とか「哲学は皆様は幸せにする為に存在しているのです」とか「哲学は皆様を自由に導く為に存在しているのです」とか言ったタイトルを挙げましたが、ここまで書いて行く内に素晴らしいタイトルを思い付きました。
 それはずばり、『哲学(智慧を愛する事)の勧め』です。
 福沢諭吉が「近代国家」開闢の時に『学問のすすめ』を著しましたが、それに倣って『哲学(智慧を愛する事)の勧め』とする事にします。

この『哲学(智慧を愛する事)の勧め』の発刊を哲学プロジェクトの第一弾とする事とし、全力を傾注する事とします。
 この『哲学(智慧を愛する事)の勧め』が成功すれば、哲学プロジェクトは更に先に進んで行く事に成りますが、
 この『哲学(智慧を愛する事)の勧め』が失敗すれば、哲学プロジェクトはそこで終了する事と成ります。
 ですので、●●社一丸と成って、この『哲学(智慧を愛する事)の勧め』の発刊を成功させる事とするのです。

 『哲学(智慧を愛する事)の勧め』については、中卒以上(十五歳以上)の者であれば、誰でも一日で簡単に読み切る事が出来る程度のものとします。
 体裁については、新書版の廉価版で二百頁程度とします。
 定価については、税込み千円以内とします。
 発刊部数については、
 初版で一万、
 二版で十万、
 三版で百万とし、
 最終的には五百万を目標とする事とします。

 何故『哲学(智慧を愛する事)の勧め』がそれ程、売れるのか。
 それは、全ての日本国民(少なくとも十五歳以上の日本全国民)が、心から『それ』を求めているが、『それ』が求められないままでいるからに他なりません。

 『それ』を得れば、全ての人が、今よりももっと『自由』に成り、今よりももっと『幸福』に成り、そして今よりもずっとずっと『本当の自分自身』に近付く事が出来る様に成るのです。
 もしそんな『それ』があれば、全ての日本人が『それ』を求める事に成るのです。

 『それ』とは何か、
 『それ』こそが、『智慧』であり、『本当の自分自身』なのです。
 極々簡単な事なのです。
 しかし多くの日本の人々はその事を知らない。
 だから『哲学(智慧を愛する事)の勧め』を発刊する事とするのです。

 『哲学(智慧を愛する事)の勧め』では、その事を、この日本において、あからさまに明らかにするのです。
 もしその事を三人の人が知る様に成れば、
 直に十人の人がその事を知る様に成ります。
 十人の人がその事を知る様に成れば、
 百人の人がその事を知る様に成ります。
 百人の人がその事を知る様に成れば、
 千人の人がその事を知る様に成ります。
 千人の人がその事を知る様に成れば、
 一万人の人がその事を知る様に成ります。
 一万人の人がその事を知る様に成れば、
 十万人の人がその事を知る様に成ります。
 十万人の人がその事を知る様に成れば、
 百万人の人がその事を知る様に成ります。
 この様にして『哲学(智慧を愛する事)の勧め』はミリオンセラーと成り、更に五百万部を突破する事と成るのです。

 この『哲学(智慧を愛する事)の勧め』が成功する為の条件が一つだけあります。
 それは●●社の二人以上の人がその事を知る様に成ると言う事です。
 ●●社の二人以上の人がその事を知る様に成れば、この『哲学(智慧を愛する事)の勧め』は成功する事と成ります。
 何故なら、私を含めて三人以上の人がその事を知る様に成ったのですから。

「また、はっきり言っておくが、どんな願いことであれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

 ここで言うわたしとは智慧の事です。
 勿論わたしの天の父も智慧の事です。

 哲学(智慧を愛する事)においては、全ての比喩を剥がして、智慧、すなわち本当の自分自身へと還元するのです。
 聖人賢人たちの智慧の言葉を、智慧、すなわち本当の自分自身に還元しようとする時、
 聖人賢人たちの智慧の言葉が、突如、勢いよく、自分自身の中に流れ込んで来ます。
 その時、人は『恍惚』を感じる事と成るのです。

 何故、人はその時、『恍惚』を感じるのか。
 それは、その時、その人が、その聖人賢人と一緒に成ったと感じるからに他なりません。

 そこからその言葉たちを基にして、更に新たな言葉たちが生まれて行く事に成るのです。
 無から無限へ、『恍惚』の中でその事を感じる事が出来る様に成るのです。

 人が愛し合って果てた時、人は無(恍惚)と成ります。
 しかしそこには命が宿っているのです。
 その命から素晴らしい子供たちが生まれて行く事に成ります
 哲学の原理もそれと全く一緒なのです。
 ですから哲学の事を、philosophia、智慧を愛する事と言うのです。

 人が愛し合って生まれる子供たちには限りが有ります。
 しかし人が智慧と愛し合って生まれる子供(言葉)たちには限りが無いのです。
 そしてその智慧は、神や仏とも呼ばれています。
 ですから、その智慧、その神、その仏と愛し合って生まれた言葉たちは、智慧の子とも、神の子とも、仏の子とも呼ばれる事に成るのです。
 こんな素晴らしい事が何処にあるのでしょう。

 哲学は比喩を読み解き、そして比喩で読み返す事です。
 
 「哲学は最高の芸術(文芸)である。」(プラトン)
 「芸術は長く、人生は短い。」(プラトン)

 哲学は、人を無へと導き、そしてその無から無限へと広がって行くのです。
 しかし、人生は短いので、その無限にも限りが有ると言う事に成ります。

 ●●社は、正に哲学の為に存在しているのです。
 
 『哲学プロジェクト』を成功させましょう。
 その第一弾としての『哲学(智慧を愛する事)の勧め』を大成功させましょう。
 その為にも同志が必要です。

 どうか、この書簡と『哲学国家日本の実現の為に』を同僚及び上司の方々に回覧して下さい。
 そして、その事を理解する人がいましたら、その人と共に『哲学プロジェクト』を立ち上げて下さい。

 なお、『哲学(智慧を愛する事)の勧め』については、腹案はありますが、未だ形を成していません。
 形が整ったら、また連絡したいと思います。

 以上、長く成りましたが、●●様への御返事とさせて頂きます。
 
 なお、私の言う哲学(智慧を愛する事)に興味がありましたら、下記メールアドレスにメールを下さい。
 メールで哲学対話が出来ればとても嬉しく思います。

 最後に、●●様のますますの御健勝を祈念いたしまして、結びの言葉とさせて頂きます。
                                        敬具

                                  平成25年8月14日
                                  哲学詩人 哲学哲男