『哲学国家 日本』の実現の為に
拝啓 日本国民の皆様へ
皆様は、哲学と言う言葉をご存知でしょうか。
勿論、ご存知ですよね。
それでは、どう言う意味でしょう。
「デカンショ、デカンショで日が暮れた♪」と言うように、デカルト、カント、ショーペンハウワー等々の哲学者の哲学文献を研究する事が哲学なのでしょうか。
勿論、それも哲学ですが、その時の哲学とは、あくまでも、学問、学科としての哲学です。
本来の意味での哲学とは、哲学の語源であるギリシア語に戻らなければなりません。
ギリシア語で哲学の事をphilosophiaと言いますが、これは智慧を愛すると言う意味です。
この智慧を愛すると言う事が、本来の意味での哲学なのです。
そして、この智慧を愛すると言う事は、本当の自分自身を愛すると言う事に他ならないのです。
私は『哲学国家 日本』を提唱していますが、それは智慧を愛するという意味での「哲学」、本当の自分自身を愛すると言う意味での「哲学」による、国づくりの事です。
『哲学国家 日本』とは、国民一人一人が、智慧を愛する事により、本当の自分自身を愛する事により実現する国家の事です。
哲学とはphilosophia、智慧を愛する事。
それでは『智慧』とは何でしょう。
それは理想を求める時に臨在するそれです。
それに求めれば、その理想に応じて、理想の言葉が下されます。
しかしそれは山のかなたに在るのではなく、自分自身の中に在るのです。
だから私は、それを本当の自分自身(本当の『私』)と呼んでいるのです。
しかしこの本当の『私』は、いつもの『私』とは違います。
この本当の『私』は、常に、いつもの『私』の一歩も二歩も三歩も先を行く存在なのです。
もし皆様が、この本当の『私』を追い求める術を知っていたら、この本当の『私』は皆様が求めるものを惜しみなく与えてくれます。
ですから、古今東西の聖人賢人哲人たちは、この本当の『私』を追い求め続けたのです。
そして、この本当の『私』にとびっきり上等なニックネームを付けたのです。
しかしほとんどの皆様は、この本当の『私』の事を知らないと思いますので、私が案内役となって、古今東西の聖人賢人哲人たちが、この本当の『私』をどのように考え、どのように愛したかを、彼等の言葉に従って示していきたいと思っています。
もし皆様が、この私の著書により、本当の『私』を知った時、その時から、この日本は『哲学国家 日本』へと向かう事になるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。
神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていだかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました。
羊も牛も、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。」(旧約聖書「詩篇」)
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは古代ヘブライ王国初代の王ダビデの言葉ですが、この言葉で大切な所は、「神に僅かに劣るものとして人を造り」と言うくだりです。
人は僅かに神に劣るものだから、人は神と言う理想を追い求める事が出来たのです。
その結果が現代です。
しかし現代日本においては、求める理想がなくなりました。
その為、この閉塞感があるのです。
智慧が先か、理想が先かと言う話がありますが、断然に智慧です。
もし、皆様が、智慧、即ち本当の自分自身に気付いた時、その時はどうしても理想を求めざる得なくなくからです。
その時の理想が、私の理想である『哲学国家 日本』であれば、どんなにか嬉しく思います。
さてそれでは、古今東西の聖人賢人哲人たちが、如何に智慧を考え、そして如何に智慧を愛したかを見て行く事にしましよう。
そしてそのニックネームについても。
先ずは「ソロモンの智慧」で有名なソロモンから見て行く事にしましよう。
ソロモンは智慧の事を智慧と呼んでいます。
「第一章 ソロモンの智慧」へ