第六章 孔子の智慧
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰わく、賜(し)や、女(なんじ)予(わ)れを以て多く学びてこれを識(し)る者と為すか。
対(こた)えて、曰わく、然り、非なるか。
曰わく、非なり。予れは一以ってこれを貫く。」(「論語」巻第八“衛霊公第十五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに孔子の智慧の秘密を解く鍵があります
孔子を貫いている一とは何か。
この一を読み解く事に依って、孔子の智慧の秘密を読み解く事ができるのです。
ところで孔子の中心概念は仁ですよね。
仁が一なのか。
この事を念頭に置いて置けば、孔子の智慧の秘密の理解が早くなると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「顔淵、仁を問う。
子の曰く、克己復禮を仁となす。
一日、克己復禮すれば、天下仁に帰す。
仁を為すこと己(おのれ)に由(よ)る。
而して人に由(よ)らんや。
顔淵の曰く、請う、その目(もく)を問わん。
子の曰く、禮に非らざれば視ること勿かれ、禮に非らざれば聴くこと勿かれ、禮に非らざれば言うこと勿かれ、禮に非らざれば動くこと勿かれ。(後略)」(「論語」巻第六“顔淵第十二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに仁の全ての秘密があります。
顔淵とは孔子が最も愛した弟子です。
何故なら理解が最も深かったからです
その顔淵が質問したのです。
仁とは何かと。
それに対する答えが上記です。
ここに孔子の智慧の秘密があるのです。
「克己復禮を仁となす。」
己を殺して、霊に還る。
己を殺して、神に還る。
己を殺して、智慧に還る。
これまで見て来た聖人賢人哲人たちの道ですよね。
勿論孔子もその道を歩んだのです。
何故なら、これこそが聖人賢人哲人たちがその名で呼ばれる所以なのですから。
「一日、克己復禮すれば、天下仁に帰す。」
克己復禮して仁と成れば、天下が仁に帰すのです。
仁とは物凄い存在ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、我れ未だ仁を好む者、不仁を悪(にく)む者を見ず。
仁を好む者は、以ってこれに加うること無し。
不仁を悪む者は、其れ仁を為す、不仁者をして其の身に加えしめず。
能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力の足らざるを見ず。
蓋しこれ有らん、我れ未だこれを見ざるなり。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力の足らざるを見ず。蓋しこれ有らん、我れ未だこれを見ざるなり。」
もし皆様が一日中、仁に在って、その力を尽くせば、皆様にできない事は何も無いのです。
尤も私たち凡人は、仁の中に一日中在り続ける事などできません。
私たち凡人が仁の中に在り続けられのはほんの僅かな時間です。
しかしほんの僅かな時間ではあっても、私たちはそこに大きなエネルギーを感じる事ができます。
孔子も言っています。
一日中、仁に在り続ける事などできないと。
少なくもと私はそう言う人は知らないと。
勿論孔子も一日中、仁の中に在り続けた訳ではありません。
しかしかなり長い時間仁の中に在り続けていたのです。
何故ならそれが聖人の所以だからです。
そしてそこで孔子は世界を掌中にしていたのです。
何故なら、天下が仁に帰すのですから。
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(「ヨハネ福音書」)
ところで、この仁は何処に在るのでしょうか。
山の彼方にでもあるのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、仁遠からんや、我仁を欲すれば、斯(ここに)仁至る。」(「論語」巻第四“述曰第七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁は遠くには在りません。
仁は直ぐそこにこそ在るのです。
何故なら皆様が仁を欲すれば、仁はもう皆様の所に至っている訳ですから。
「克己復禮を仁となす。(中略) 。仁を為すこと己(おのれ)に由(よ)る。」
ここに仁への近道が示されていますよね。
すなわち克己です。
己に克つ事です。(己を殺す事です。)
己に克てば(己を殺せば)、もうそこに皆様の禮が存在している事になるのです。
その状態が仁です。
ところで孔子の言う禮とは何なのでしょうか。
禮を礼と書くので、その本当の意味を知らない人が多いと思いますが、
禮とは心(示)の祭壇(豆)に豊かに降り注ぐものの事です。
心の祭壇に豊かに降り注ぐもの、それは智慧(霊)以外の何だと言うのでしょう。
だから「仁を為すこと己(おのれ)に由(よ)る。而して人に由(よ)らんや。」となるのです。
「禮に非らざれば視ること勿かれ、禮に非らざれば聴くこと勿かれ、禮に非らざれば言うこと勿かれ、禮に非らざれば動くこと勿かれ。」
禮とは他人様が皆様に教えた事ではありません。
皆様御自身の智慧が皆様に教えるものなのです。
智慧こそが禮であり、また仁の本質でもあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、仁に里(お)るを美(よ)しと為す。
択んで仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ、知なることを得ん。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁こそが真善美の基(もとい)です。
仁こそが、言の泉であり、智慧の泉なのです。
この言の泉、この智慧の泉から、皆様の素晴らしい世界が生まれていくのです。
「初めに言があった。・・・」(ヨハネ福音書)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、荀に仁に志せば、悪しきこと無し。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブッダはニルヴァーナへの道を勧めましたよね。
孔子は仁への道を勧めているのです。
何故なら仁へと志せば悪しき事はないのですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、人にして仁ならずんば、禮を如何。
人にして仁ならずんば、樂を如何。」(「論語」巻第二“八佾第三”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
禮も楽も心の現われ。
その心に仁が無ければ、その禮を何と言いましょう。
その楽を何と言いましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、人の過つや、各(おのおの)其の党(たぐい)に於いてす。
過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは人の過ちを観て、その人の仁の状態を知る事ができます。
それは国も時代も同じ事。
さて現代日本はどうでしょう。
私たちの理想とする仁の状態と比べてみてください。
もし何か奮起する事があれば、その時は哲学国家日本を目指しましょう。
哲学国家日本とは、国民一人一人が智慧を愛する事に依って、成熟して行く国家(日本)の事です。
さて、今回私は論語の中から仁と言う言葉が出て来る節を拾い出してみました。
少し長くなるかも知れませんが、それらに対して簡単なメッセージを加えていきたいと思います。
なおアトランダムになりますが、大きく次の三つに分けて説明していきたいと思います。
一 仁とは何か
二 仁へと至る道
三 仁を完成した人、すなわち仁者について
先ず、一番目の「仁とは何か」ですが、これについては、既出の「克己復禮を仁と為す」しかありません。
この世の私を殺して、智慧(本当の自分)へと還る、これが仁です。
その仁の力は「天下仁に帰す」であり、「能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力の足らざるを見ず」と言う事になります。
そしてその仁は何処に在るかと言えば、「仁遠からんや、我仁を欲すれば、斯(ここに)仁至る」と言う事になるのです。
何故なら仁とは皆様御自身の智慧の事ですから、皆様御自身の中にこそ在るのです。
そしてこの智慧は天と繋がっているのです。
孔子は五十にしてこの仁(智慧)と天の繋がりを知る事になります。(「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」)
もし孔子がイエスだったら、五十にして天命を知ったその時から、『天の国は近づいた』と宣(の)べて、教え始める事になるのです。
ここにおいてもやはり、『私と智慧と神』の原則が働いているのです。
所変われば名も変わる。
名称に囚われずに本質を見抜く力が必要です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。」(「論語」巻第八“衛霊公第十五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何故、仁については、師にも譲る事が無いのでしょう。
それは当たり前の事です。
弟子は仁に至る為に師についているのですから。
もし弟子が本当に仁に到れば、そこにはもう師弟関係は存在しなくなります。
そこに在るのは友です。
「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人が何をしているか知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」(ヨハネ福音書)
ここで言う私とはイエスの事ですが、それはまた天(神)の事でもあります。
天命を知る。
これが仁に至ると言う事です。
仁に到れば、イエスも弟子も一緒、すなわち友となるのです。
さて次に「仁へと至る道」ですが、これについては、孔子が辿った仁への道を見る事が一番分かり易いと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」(「論語」巻第一“為政第二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁とは克己復禮、すなわちこの世の私を殺して、智慧(禮)へと還る事です。
すなわち智慧を愛する事です。
智慧を愛し続ける事によって、私たちは神を知り、そして天命を知る事になるのです。
天命を知る事が出来て初めて、私たちは仁の人と成る事ができるのです。
しかしそれは完成された仁の人ではありません。
言わば、仁の初心者です。
そこから愈々人格の完成を目指す事になります。
孔子は五十にして、仁を体感した事になります。
そして六十七十と仁を完成させて行ったのです。
孔子の十五歳から七十歳そして死ぬまでの間は、これ哲学の道(智慧を愛するの道)だったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、(中略)
君子、仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。
君子は食を終うる間も仁に違うことなし。
造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、顛沛(てんぱい)にも必ず是(ここ)に於いてす。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
孔子の言う君子とは、我々凡人が目指すべき最高の人物像の事です。
その君子は食事をしている間も、造次顛沛(忙しい場合と躓き倒れる場合、転じて僅かな間)の間も常に、仁と共に、すなわち智慧を共に在りなさいと言っているのです。
それは中々に出来ないことですが、しかし目指すべき人物像ではあります。
孔子の最も著名な弟子の一人である曾子は、ですから次のように言っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「曾子の曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。
任重くして道遠し。
仁以て己が任と為す、亦た重からずや。
死して後已(や)む、亦た遠からずや。」(「論語」巻第四“泰伯第八”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何かしら、孔子の仁への道は悲壮感さえ漂っていますね。
しかし実際はそうではありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝に游ぶ。」(「論語」巻第四“述而第七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
孔子は仁に楽しみ、藝に遊びました。
しかし孔子は決して仁の楽しみを弟子に伝える事はありませんでした。
何故なら弟子たちが仁の楽しみに耽ると思ったからです。
智慧と愛、その中庸の中にこそ、仁の意義があると考えたのです。
それは士(もののふ)に取っては当然の事だったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「仲弓、仁を問う。
子の曰く、門を出(い)でては大賓(だいひん)を見るが如く、民を使うには大祭に承(つか)えるが如くす。
己の欲せざる所は人に施す勿かれ。
邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し。(後略)」(「論語」巻第六“顔淵第十二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仲弓は孔子が顔淵に続いて評価した弟子の一人だと思います。
その仲弓が顔淵に続いて「仁とは何か」と質問したのです。
ここにはもう智慧への道は説かれず、愛への道が説かれているだけです。
「己の欲せざる所は人に施す勿かれ。」
これは、人類全ての人の心に刻まれた、愛の不文律です。
孔子は徳(愛)によって、仁へと至れと叱咤激励したのです。
それはとても難しい道となりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、弟子、入りては則ち孝、出(い)でては則ち弟、慎みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行ないて余力あれば、則ち以て文を学ぶ。」(「論語」巻第一“学而第一”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先ずは愛を学びなさい。
そして仁と言う概念に親しみなさい。
そして余力があれば、文に仁を学びなさい。
そうすれば、そこに人類共通の仁(智慧と愛)を見出すだろうと。
しかし孔子は決して仁から智慧を切り離す事はしませんでした。
孔子は仁とは智慧と愛が一体になったものだと、顔淵以外の弟子たちには教え続けたのです。
ですから孔子の仁への道は、弟子たちにとってはとても遠い道のりとなったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「司馬牛、仁を問う。
子の曰く、仁者は其の言や訒(じん)。
曰く、其の言や訒、斯れこれを仁と謂うべきや。
子の曰く、これ為すこと難(かた)し。
これを言うこと訒なること無きや。」(「論語」巻第六“顔淵第十二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自ら行いたい事を自ら行う。
これが仁(智慧を愛する)の人です。
敢えて人に言う事など、何も必要ないのです。
これが「仁者は其の言や訒(じん)」の真意だったのですが、司馬牛に対しては、少し変化球を投げてみたのです。
貴方の心が貴方に命ずる事を行ってみなさい。難しいでしょう、と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「樊遅、仁を問う。
子の曰く、人を愛す。
知を問う。
子の曰く、人を知る。 (後略)」(「論語」巻第六“顔淵第十二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人を知り、人を愛す、これが仁(智慧と愛)の道です。
仁者であり知者であること、それが仁者です。
「択んで仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ、知なることを得ん。」
仁に留まれば、独りでに知者ともなるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子張、仁を孔子に問う。
孔子の曰く、能く五つの者を天下に行うを仁と為す。
これを請い問う。
曰く、恭寛信敏恵なり。
恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功あり、恵なれば即ち人を使うに足る。」(「論語」巻第九“陽貨第十七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
恭寛信敏恵の発心地は何処でしょう。
智慧(禮)です。
智慧(禮)に到達していなければ、純粋に恭寛信敏恵には成り得ません。
この世の私から出た恭寛信敏恵は、偽善へと流れて行く事になります。
「恭にして禮なければ則ち労す。慎にして禮なければ則ち葸(し)す。勇にして禮なければ則ち乱る。直にして禮なければ則ち絞(こう)す。」
ところで禮とは何でしょう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大廟に入りて、事ごとに問う。」(「論語」巻第五“郷党第十”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに禮の秘密があります。
その答えは次のとおりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子、大廟に入りて、事ごとに問う。
或るひとの曰く、孰(たれ)か郰人(すうひと)の子を禮を知ると謂うや、大廟に入りて、事ごとに問う。
子これを聞きて曰く、是れ禮なり。」(「論語」巻第二“八侑第三”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何故孔子は、大廟に入りて、事ごとに問うのでしょう。
それは祈りの為です。
禮を通じて天を知る、それが祈りであり、禮拝です。
禮拝とは、禮を拝して、禮を通じて、天を知る事。
禮拝は、本来は日々生活の中で刻々行うべきものです。(もしできれば)
では孔子は何故わざわざ大廟に入って禮拝を行っていたのでしょう。
それは偉大な御先祖様たちから、禮(智慧)を頂く為です。
「温故知新」、孔子は大廟の中で偉大な御先祖様たちと語り合い、学びあっていたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「克伐怨欲行われざる、以て仁と為すべし。
子曰く、以て難(かた)しと為すべし。
仁は則ち吾れ知らざるなり。」(「論語」巻第七“憲問第十四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
克伐怨欲を制する事はとても難しい事です。
克伐怨欲を制してその自分を殺せば、そこに智慧が臨在する可能性はあります。
しかかしまた、智慧への熱愛がなければ、智慧が臨在する事はないのです。
智慧への熱い情熱がなければ、仁は生まれ得ないのです。
「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」(ヨハネ福音書)
もし仁が生まれたら、仁が貴方のその克伐怨欲を食い尽くしてしまうでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「(前略)仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。(後略)」(「論語」巻第九“陽貨第十七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁への準備が出来たら、やはり学ばなければなりません。
学びの先に、仁の本質を視る事になります。
なお孔子は学ぶ事が大好きでした。
仁の解説が一通り終わったら、孔子の学びについても一言二言コメントしたいと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子夏が曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近くに思う、仁其の中に在り。」(「論語」巻第十“子張第十九”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは孔子の言葉ではありませんが、哲学(智慧を愛する事)の本質を突いているのでここに置いて置きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「曾子の曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。」(「論語」巻第六“顔淵第十二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今度は曾子の言葉です。
これもまた哲学の道(智慧と愛の道)ですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子貢、仁を為さんことを問う。
子の曰く、工、その事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利(と)くす。
是の那に居りては、其の大夫の賢者に事(つか)え、其の士の仁者を友とす。」(「論語」巻第八“衛霊公第十六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この現代日本に、賢者が増え、仁の友が増えれば、この日本もまた素晴らしい国家へと成長して行く事になります。
『哲学国家日本の実現の為に』、これがこの著書の著書名です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、如(も)し王者あらば、必ず世にして後に仁ならん。」(「論語」巻第七“子路第十三”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もし哲学国家日本が成熟すれば、哲学的王者(智慧と愛の王者)と哲学的国民(智慧と愛の国民)が生まれて来るのかも知れませんね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。
身を殺して以て仁を成すこと有り。」(「論語」巻第八“衛霊公第十六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
身を殺して、仁を完成させた人はいます。
孔子は殷の三仁を挙げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「微子はこれを去り、箕子はこれが奴と為り、比干は諌めて死す。
孔子曰く、殷に三仁あり。」(「論語」巻第九“微子第十八”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁の人の心境は次のとおりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く(中略)
仁を欲して仁を得たり、又た焉(なに)をか貪らん。(後略)」(「論語」巻第十“尭曰第二十”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「(前略)曰く、仁を求めて仁を得たり。又た何ぞ怨みん。(後略)」((「論語」巻第四“述而第七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「仁を求めて仁を得たり」、「仁を欲して仁を得たり」。
仁以外に何が必要なのでしょう。
仁(智慧と愛)と共に在る事、それが至福です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて仁についても愈々佳境に入ってきましたね。
「朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり」
その道は仁なのでしょうか。
「予(わ)れは一以ってこれを貫く」
一とは仁なのでしょうか。
実は答えが出ているのです。
それが次の一節です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、参(しん)よ、吾が道は一以ってこれを貫く。
曾子の曰く、唯(い)。
子出ず。
門人問うて曰く、何の謂いぞや。
曾子の曰く、夫子の道は忠恕のみ。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに答えが出ていますよね。
一とは忠恕だと。
忠恕とは何か、それは智慧と愛です。
忠とは自らの心に忠実である事。
自ら心の祭壇に降り注ぐ智慧に忠実であると言う事です。
恕とは愛そのものです。
忠恕とは智慧と愛、すなわち智慧への愛と隣人への愛の事です。
これもまた人類の全ての人の心に刻まれた愛の不文律です。
所変われば名は変わる。
イエスはこれについて次のように言っています。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二もこれと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ福音書)
あなたの神である主とは智慧の事です。
智慧を愛すれば、自然、神に通じて行くのです。
そしてそこに愛があるのです。「神は愛なり」
智慧を愛しなさい、そして隣人を愛しなさい。
これは人類全ての人の心に刻まれた愛の不文律なのですが、中々に実行できないのです。
特に隣人への愛が。
孔子はこの二つの愛を仁と言う一つの言葉に纏めてしまいました。
それが為、仁への道が途轍もなく遠い道程となってしまったのです。
イエスやブッダはこの二つの愛を切り離しました。
先ずは智慧を愛しなさい。
そうすれば隣人愛も生まれると。
正にその通りだったのです。
特に我々凡人に取っては。
だからイエスやブッダは持て囃され、孔子は消えて行ってしまったのです。
智慧を愛する、すなわちあなたの神である主を愛すると言う事については、物凄い快楽が伴います。
だから人は挙って智慧を愛したのです。
その熱情によって、人はこの世からかの世に渡る事ができるようになったのです。
そこは快楽の地でした。
しかし人はまた、そのかの世からこの世に帰って来なくてはならないのです。
そこにギャップが生じます。
このギャップを如何に埋めるか、そこにその人の哲学人生が生まれる事になります。
それはさておき、孔子はこの智慧への愛と隣人への愛を切り離しませんでした。
隣人愛によって、智慧への愛に到達せよと教え続けたのです。(顔淵を除いて)
それは途轍もなく遠い道のりとなってしまったのです。
ですから孔子生存中は、弟子は誰一人、仁へと到達できなかったのです。(顔淵はどうかは分かりません)
それが為、孔子は道徳先生と言われる事になってしまったのです。
しかし孔子自身は智慧への愛を十分に堪能し、そして楽しんでいたのです。
この孔子の隠された智慧への愛が、孔子の死後、僅かな弟子により伝承され、そして朱子により再発見され、そして更に王陽明において完成されたのです。
王陽明はそれを『良知』と呼んでいます。
王陽明の思想は、明治維新の起爆剤ともなりました。
西郷隆盛の「敬天愛人」にその思想の集約を見る事ができます。
貴方の主である神を愛しなさい。(第一の掟)
隣人を愛しなさい。(第二の掟)
この二つの愛を切り離す事によって、この二つの愛がより大きな愛と成ったのです。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけはない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタイ福音書)
天の父の御心を知らずして、どうして天の父の愛を全うする事ができると言うのでしょう。
先ず最初に智慧への愛がなければ、その者の行う愛は全て偽善となります。
本当の自分自身を愛せない者が、どうして隣人を愛する事ができると言うのでしょう。
さて最後に仁を完成した者、すなわち仁者について見て行く事にしましよう。
それは孔子自身の姿だと言って良いと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。」(「論語」巻第五“子罕第九”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが完成された仁者の姿です。
仁者は惑わず、憂えず、懼れないのです。
仁者は知者であり勇者なのです。
何故仁者は知者なのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、仁に里(お)るを美(よ)しと為す。
択んで仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ、知なることを得ん。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁におれば、自ずから知者となるのです。
それは当たり前の事です。
「克己復禮を仁となす。」
禮(智慧)に還る事が仁なのですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「(前略)曰く、未だ知ならず、焉(いずく)んぞ仁なることを得ん。(後略)」(「論語」巻第三“公治長第五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仁なる者は全て知なる者です。
しかし知なる者は全て仁なる者ではありません。
知者から仁者へ、そこには最短でも十年は必要とします。
「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。」
これが孔子が知者から仁者へと渡った十年の道のりです。
「知者は惑わず」ですから、孔子は四十にして知者と成ったのです。
そして「五十にして天命を知る」事によって、仁者へとなったのです。
更に「六十にして耳従う」事となり、「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」と言う事になるのです。
耳従うとは、天命に耳が従い、天命に身体が従えるようになったと言う事を意味しています。
もし「行け」と言う天命が下れば、直ぐに行く事になりますし、「言え」と言う天命が下れば、直ぐに言う事になります。
これが真の勇者です。
「心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」とは、心が天命(純粋な智慧)と同様に成ったと言う事を意味しています。
この世の私が無くなり、純粋な智慧が、その智慧のままに行動できるように成ったと言う事を意味しています。
ここに、私たちは理想としての孔子像を見る事ができるのです。
孔子の一生、それは哲学(智慧を愛する)の道だったのです。
孔子は七十にして、ようやく仁の道を完成させたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、徳ある者は必ず言あり。
言ある者は必ずしも徳あらず。
仁者は必ず勇あり。
勇者は必ずしも仁あらず。」(「論語」巻第七“憲問第十四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前後しますが、仁者は勇者なのです。
「仁者は必ず勇あり」と言う時の勇者と「勇者は必ずしも仁あらず」と言う時の勇者は異なります。
前者の勇者こそが真の勇者です。
真の勇者とは仁(智慧)のままに行動できる人の事です。
すなわち自らの心が自らに命ずるままに行動できる人の事です。
それは正に愛の人です。
仁者とは智慧と愛をその心のままに発現できる人の事なのです。
仁者は勇者であり知者でありそして愛の人なのです
私たちはそれを、孔子に、イエスに、ブッダに視る事ができるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、聖と仁との若(ごと)きは、則ち吾れ豈(あ)に敢えてせんや。
抑(そもそも)これを為して厭わず、人に悔(おし)えて倦まずとは、則ち謂うべきのみ。
公西華が曰く、正に唯だ弟子学ぶこと能(あた)わざるなり。」(「論語」巻第四“述而第七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子貢が曰く、如(も)し能く博く民に施して能く衆を済(すく)わば、如何。仁と謂うべきか。
子曰く、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。
尭舜も其れ猶お諸(こ)れを病めり。
夫れ仁者は己を立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。
能く近くを取りて譬う。
仁の方(みち)と謂うべきのみ。」(「論語」巻第三“雍也而第六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、君子の道なる者三つ。我れ能くすること無し。
仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。
子貢曰く、夫子自らを道(い)うなり。(「論語」巻第七“憲問第十四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、無為にして治まる者は其れ舜なるか。
其れ何をか為さん。
己を恭(うやうや)しくして南面するのみ。」(「論語」巻第八“衛霊公第十五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
孔子は聖人と仁者を明確に区別しています。
聖人とは仁の積み上げによって、名を成した人の事です。
孔子は、尭舜をその代表例に挙げています。
それでは孔子は聖人なのでしょうか。
勿論孔子も聖人です。
何故なら、孔子の仁が、私たちの心の中に堆く積もっているからです。
聖人とは、文によって、その仁(智慧と愛)の足跡を辿る事のできる歴史上の人物の事と言って良いでしょう。
孔子にとっては尭、舜、周公等々が聖人と言う事になり、私たちにとってはイエス、ブッダ、孔子等々が聖人と言う事になります。
聖人はそこに存在するだけで私たちを薫化します。
何故なら私たちはその仁(智慧と愛)を十二分に知っているからです。
何故、私たちは教会でイエスに祈りを捧げ、寺院でブッダに祈りを捧げるのでしょう。
それはイエスの智慧と愛を、ブッダの智慧と愛を頂く為です。
もっと端的に言えば、私たちの心の奥深く眠る智慧と愛を、イエスにより、ブッダにより引き出して貰う為です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、剛毅木訥、仁に近し。」(「論語」巻第七“憲問第十四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。」(「論語」巻第一“学而第一”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これも仁の一つの形です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。
水火は吾踏みて死する者を見る。
未だに仁を踏みて死する者を見ざるなり。」(「論語」巻第八“衛霊公第十五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もし私たちが仁において死ぬ覚悟ができたら、この日本はどれだけ素敵な国に成る事でしょう。
皆様は何の為に死ねますか。いいえ何の為なら生きられますか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、不仁者は以て久しく約に処(お)るべからず。
以て長く楽しきに処(お)るべからず。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。」(「論語」巻第二“里仁第四”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ、仁者は壽(いのちなが)し。」(「論語」巻第三“雍也而第六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす」
「知者は動き、仁者は静かなり」
「知者は楽しみ、仁者は壽(ことほ)ぐ」
仁者は知者でもあり、勇者でもあります。
仁者が動けば知者と成り、勇者と成ります。
仁者は全てを兼ね備えたオールマイティな人物像です。
皆様も死ぬ覚悟で、仁者を目指してみませんか。
皆様御一人御一人が仁者を目指せば、この日本は素晴らしい国家へと変貌して行くのです。
この日本を変えるのは皆様御一人御一人なのです。
もし皆様が孔子のような仁者を目指したいのなら、孔子はその答えを出しています。
その答えは学びです。
仁に関する孔子の言葉は後幾らか残っていますが、ここからは、学びに入りたいと思います。
学びが無ければ決して仁の人とは成り得ません。
孔子は学びによって、今の孔子像を得たのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、十室の邑、必ず忠信、丘が如き者あらん。
丘の学を好むに如(し)かざるなり。」(「論語」巻第三 “壅也第六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、黙してこれを識し、学びて厭わず、人を誨(おし)えて倦まず。
何か我に有らん。」(「論語」巻第四 “述而第七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「哀公問う、弟子敦(だれ)か学を好むと為す。
孔子答えて曰く、顔回なる者あり、学を好む。
怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふた)たびせず。
不幸短命にして死せり。
今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。」(「論語」巻第三 “壅也第六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
十軒の村にも、私のような忠信の者はいるでしょう。
しかし私のように学びを好む者はいないでしょう。
私がどうして学ぶ事を厭う事がありましよう。こんなに楽しいのに。
何故孔子は顔回を愛したのか。
それは孔子と同じように学びを好んだから。
学びを好むとはどう言う事か。
それは智慧を愛する事。
智慧を愛し抜く事によって、「怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふた)たびせず」と言う事も可能となる。
もう学びの本質に入ってしまいましたね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、学びて時に習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。」(「論語」巻第一“学而第一”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
論語第一巻第一章第一節の最初の言葉です。
「学びて習う」、ここに孔子の説(よろこ)びがあり、そして皆様の説びがあるのです。
さて何に学び何に習うのか。
勿論智慧にです。
習うは倣うに通じます。
智慧に学び智慧に倣う。
キリストに学びキリストに倣う。これをクリスチャンと言います。
仏に学び仏に倣う。これを仏教徒と言います。
孔子には一人の師もいませんでした。
孔子にとっては、古今の聖人君子たちが皆師だったのです。
孔子は古今の聖人君子たちの智慧に学び、古今の聖人君子たちの智慧に倣っていたのです。
それは正に今私たちが目指ざそうとしている哲学者(智慧と愛)の道です。
「温故知新」、これが孔子の哲学の道だったのです。
勿論、イエス、ブッダの哲学の道でもありました。
そして今、私たちが目指す哲学の道でもあるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。」(「論語」巻第一“為政第二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古今東西の聖人賢人哲人たちが綺羅星の如く輝いています。
私たちは彼らを師にする事ができるのです。
何と楽しみに満ちた事でしょう。
ソクラテスが、プラトンが、イエスが、ブッダが、孔子、老子が、その他諸々の聖人賢人哲人たちが皆様を待っているのです。
さあさあ、学びの道へと歩み出しましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」(「論語」巻第一“為政第二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これで三度目の掲出ですが、これこそが私たち哲学者(智慧を愛する者)の学びの道です。
孔子は十五歳で哲学(智慧を愛する)の道へ入りました。
皆様は今何歳ですか。
もう四十歳、学ぶには遅すぎる。
いいえ決してそんな事はありません。
学ぶには早いも遅いもないのです。
孔子の倍勉強をして、「五十にして惑わず」、「六十にして天命を知り」、「七十にして耳順い」、「八十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」でも良いではないですか。
哲学者(智慧を愛する者)の取り敢えずのゴールは「天命を知る」です。
天命を知れば、「朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり」と言う事に成るのです。
何故なら皆様が切に切に求めていたものが得られたからです。
皆様が切に切に求めていたもの、それは何か。それは本当の自分自身です。
本当の自分自身を得る事ができれば、それ以上何を求める事がありましょう。
「天命を知る」、それは本当の自分自身を知る事。
それ以後の「耳順う」、「心の欲する所に従って矩を踰えず」は、より完成された哲学者への道と言う事になります。
天命を知った後は、どうしても、愛の人と成らざるを得ないのです。
智慧と愛の人として何処まで到達できるか、それが天の国へ到った後の、後生と言う事になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、(前略)学べば則ち固ならず。(後略)」(「論語」巻第一“学而第一”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは智慧を学べば学ぶほど、この事を実感します。
何故でしょう。
それは皆様が一歩ずつ、本当の皆様に近づいているからです。
もし皆様が本当の皆様に成ったら、皆様を制約する何があると言うのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子の曰く、教えありて類なし。」(「論語」巻第八“衛霊公第十五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、性、相い近し。習えば、相い遠し」(「論語」巻第九“陽貨第十七”)と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様は孔子のようにも成れるのです。
もし皆様が死ぬ覚悟で仁(智慧と愛)を学べば。
しかし現状のままでは現状のまま。
その差歴然。
もし皆様が死ぬ覚悟で智慧を学べば、皆様は孔子ともイエスとも友に成れるのです
「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人が何をしているか知らないからである。
わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」(ヨハネ福音書)
その為にも、早く「天命を知る」必要があります。
「天命を知る」を目標として、死ぬ覚悟で智慧を学びましょう。
「天命を知る」事の方が早いか、それとも「皆様が死ぬ」事の方が早いか、皆様自身の中での競争です。
「習い性と成る」(「書経」太甲)
早く皆様の性が天命と成る事を祈っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、君子、博く文を学びて、これを約するに禮を以てせば畔(そむ)かざるべきか。」(「論語」巻第三 “壅也第六”)(「論語」巻第六 “顔淵第十二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この同じ言葉が論語で二回出て来ます。
この言葉を孔子が良く口にしていた事が伺えます。
この言葉こそ、「温故知新」の本質です。
私たちは古今東西の聖人賢人哲人たちについて文において学ぶ事ができます。
しかし文を読むだけでは決して哲学者(智慧を愛する者)とは成り得ません。
智慧を愛すると言う視点があってこそ、始めて哲学者足り得るのです。
「禮において約する」、これが哲学者の視点です。
もし全ての知識を智慧と言う一点に集約する事ができれば、その智慧は物凄い力を持つ事に成ります。
それは「アルファでありオメガである」(新約聖書「黙示録」)と言う事になり、「これを放てば則ち六合に弥(わた)り、これを巻けば則ち密に退蔵す。その味わい窮まりなし。」(「中庸」宋朱熹章句)と言う事になります。
その他同様の諸々の表現で言い表されているそれと言う事になります。
私たちは決して学びの域から出る事はできません。
しかしその学びが新たな形を成して私たちの前に現れて来るのです。
それが智慧であり、孔子の言う所の禮です。
禮(智慧)の形でこの世に出て来てこそ、その学びは本当に自分の物と成るのです。
その辺りの感慨が「アルファでありオメガである」と言う事に成るのです。
「初めに言があった。(中略)。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(「ヨハネ福音書」)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、学んで思わざれば則ち(くら)し、思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。」(「論語」巻第一“為政第二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、吾れ嘗て終日食らわず、終夜寝ねず、以て思う。
益なし。
学ぶに如かざるなり。」(「論語」巻第八 “衛霊公第十五”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
学んで思う、思って学ぶ、学んで思う、思って学ぶ・・・。
この弁証によって、私たちは天にも神にも近づく事ができるのです。
学ぶとは主に文に学ぶ、すなわち古今東西の聖人賢人哲人たちの文に学ぶ事です。
それにより、古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧が皆様の心の奥深くに沈潜して行く事になります。
すなわち皆様の智慧に密蔵されて行きます。
そして何かを思う時、その智慧が皆様の前に新たな形で出て来るのです。
それはもう借り物ではなく、皆様御自身の物です。
そこから更に哲学者(智慧を愛する者)として、新たな高みを目指す事となります。
智慧が智慧に密蔵され、そして新たな智慧が生まれる。
「温故知新」、これが学びの本質です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「達巷党(たっこうとう)の人の曰く、大なるかな孔子、博く学びて名を成す所なし、
子これを聞き、門弟子に謂いて曰く、吾れは何かを執(と)らん。
御を執らんか、射を執らんか。
吾れは御を執らん。」(「論語」巻第五 “子罕第九”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もし孔子が「射」と執っていたら、私たちは孔子までの偉大な文化と孔子以後の儒学の恩恵を受ける事がなかったのでしょう。
孔子が御を執ったからこそ、私たちはその恩恵を受ける事ができているのです。
孔子は偉大なる教師です。
孔子の真骨頂は「人に悔(おし)えて倦まず」です。
私たちはそんな孔子がその人毎にあった教えをその人毎に垂れている姿をよく目にします。
次もそんな一例です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、由よ、女(なんじ)六言の六蔽を聞けるか。
対(こた)えて曰く、未だし。
居れ、吾れ女(なんじ)に語(つ)げん。
仁を好みて学を好まざれば其の蔽や愚。
知を好みて学を好まざれば其の蔽や蕩。
信を好みて学を好まざれば其の蔽や賊。
直を好みて学を好まざれば其の蔽や絞。
勇を好みて学を好まざれば其の蔽や乱。
剛を好みて学を好まざれば其の蔽や狂。」(「論語」巻第九 “陽貨第十七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
由(子路)も勿論「仁知信直勇剛」を目指していました。
特に「直勇剛」には強い思い入れがありました。
しかし少しばかり学ぶ事が好きでなかった為、「愚蕩賊絞乱狂」と言う弊害に陥り易かったので、孔子は由(子路)を呼び止めて、対座の上、この教えを垂れたのです。
その後、子路がこの教えをどのように生かしたかは知りません。
皆様も「仁知信直勇剛」を好むのであれば学びましょう。
学べば少なくともその本質を知る事ができます。
後はそれをどう実行するかです。
しかしもしその本質を知らなければ、それをどう実行するかなど有り得ないのです。
「知至(きわ)まりて后(のち)意誠なり」(「大学」第一章)
私たちはその意味を知って始めて、それを意志する事ができるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、生まれながらにしてこれを知る者は上(かみ)なり。
学びてこれを知る者は次ぎなり。
困(くるし)みてこれを学ぶは又其の次ぎなり。
困(くるし)みて学ばざる、民斯(こ)れを下(しも)と為す。」(「論語」巻第八 “季子第一六”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「これを知る」、「これを学ぶ」と言う時のこれとは何でしょう。
勿論「智慧」です。
「生まれながらにしてこれを知る者は上なり」、この代表格はイエスでしょう。
勿論イエスとて、生まれながらに智慧を発揮した訳ではありませんが、
しかし母体にありながら、もう智慧の母体が出来上がっていたのです。
その神秘は聖母マリアです。
イエスは、マリアの胎内に在る時から、胎内教育により、智慧の母体が出来上がっていたのです。
「天使は、彼女のところに来て言った。
『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると天使は言った。
『あなたは身ごもって男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方の子を言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』
(中略)
マリアは言った。
『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』
そこで、天使は去って行った。」(「ルカ福音書」)
先ずは智慧がマリアに訪れたのです。
その智慧がイエスの智慧の母体となったのです。
マリアとその夫ヨハネは、イエスを大事に育てました。
夫ヨハネはイエスが生まれるまでマリアと関係する事はありませんでした。
その敬虔な家庭環境、そして地域の環境に守られ育まれて、イエスは自ら学ばずして、智慧を身に付けていったのです。
イエスがその智慧を最初に発揮したのは十二歳の時です。
「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれには気付かなかった。
イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問しておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。
『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜したのです』
するとイエスは言われた。
『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』
しかし両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。
母はこれらのことをすべて心に納めていた。
イエスは智慧が増し、背丈も伸びて、神と人とに愛された。」(「ルカ福音書」)
ここに私たちはイエスの家庭環境や地域の環境を読み取る事ができます。
「両親は過越祭には毎年エルサレムに旅をした」
ここに敬虔な家庭環境を読み取る事ができます。
この毎年の旅はイエスに取って見聞を広める良い機会でもあったのです。
「それから親類や知人を探し回った」
この都へと上る旅が、親族一同、地域一同であった事が読み取れます。
親族、地域の敬虔さが良く読み取れます。
「母はこれらのことをすべて心に納めていた」
言い合いをする事なく、これらの事を静かに心に納める。このマリアの賢さがイエスを育てたのです。
「イエスは(中略)、両親に仕えてお暮らしになった。」
ここに私たちはイエスの家庭環境をよくよく読み取る事ができます。
こんな家庭環境、地域環境の中で、「イエスは智慧が増し、背丈も伸びて、神と人に愛された」事になったのです。
孔子は十五歳で哲学(智慧を愛する事)に志しました。
イエスは多分十二歳で哲学に志したのだと思います。
「イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問しておられるのを見つけた。」
イエスはここにおいて、智慧の何たるかを知り、そして自らの意志で、聖書にそして世界に智慧を学ぶ事になるのです。
イエスは何故学ばずして智慧を知り得たのか、それは偏に胎内教育、家庭教育の賜物です。
私たち凡人は、平凡な家庭に生み出されます。
ですから「生まれながらにこれを知る者」、すなわち学ばずして智慧を知る者とは成り得ないのですが、もし皆様が智慧を知る者と成り、皆様の配偶者が智慧を知る者となれば、皆様のお二人から生まれるお子様は、「生まれながらにこれを知る者」と成り得るのです。
智慧の再生産、これによって日本は素晴らしい国家へと成長して行くのです。
この日本を変えるのは皆様御自身です。
皆様御自身が智慧を知る者と成れば、この日本は間違いなく素晴らしい国家へと変貌して行きます。
その実現は皆様の次の時代と言う事にはなりますが・・
さて、「生まれながらにこれを知る者」はこれ位にしておいて、次に「学びてこれを知る者」に入りたいと思いますが、これが皆様方と言う事になります。
もう皆様は十分に智慧を学んで、これを知る者、すなわち智慧を知る者と成りましたか。
失礼な言い方かも知れませんが、未だほとんどの方が智慧を知る者には至っていないと思います。
何故ならあの孔子でさえ、知者となったのが四十の時(知者は惑わず)だったからです。
孔子は十五で智慧への学びの道に志しました。
そして二十五年の修学の後、やっと四十で知者と成ったのです。
知者と成る事は中々に難しいようです。
知者の特徴、それは「知者は惑わず」です。
なおここで智慧への学びの道を整理する為に「学者」「知者」「仁者」と言う概念で整理したいと思います。
学者とは智慧を学びつつある者の事を言います。
知者とは智慧を学び、そして智慧を知る者と成った者の事を言います。
仁者とは智慧を学び、智慧を知り、そして智慧のままに行動する事ができるように成った者の事を言います。
さて皆様は何れでしょう。
皆様は少なくとも学者以上です。
知者の方も居るかも知れません。
しかし仁者はまず居ないでしょう。
ですから、孔子は自分の弟子については、誰一人として仁者であるとは言い切っていないのです。
孔子もまた自らは仁者ではないと言っている位ですから。
しかしそうは言う孔子ですが、その孔子も七十の時には仁者と成っています。
「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
これが完成された仁者の姿です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」(「論語」巻第一“為政第二”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
孔子は十五で学者と成り、四十で知者と成り、五十で仁者のスタートを切り、そして七十で仁者としての自らの理想を確立したのです。
孔子のこの智慧への学びの道は、私たちにとても参考になります。
さて孔子は如何にして智慧を学んだのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「子曰く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭わず、人を誨(おし)えて倦まず。
何か我に有らん。」(「論語」巻第四 “述而第七”)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここに智慧の学びの秘密があります。
それが「黙而識之」(黙識)です。
私が今回引用した本においては、これを「黙してこれを識(しる)し」と読ませていますが、私はこれを「黙してこれを識(し)る」と読みます。
こう読む事によって、孔子の智慧へ学びの秘密が読み取る事ができるのです。
「黙而識之(黙してこれを識る)」(黙識)
一体何を知るのか。
勿論智慧を。
どのようにして。
黙してと言う事になります。
「黙」の中にこそ智慧が在ったのです。
その智慧とは如何なるものであったか。
それについては「論語」の孔子は決して明らかにしませんでしたが、
「大学」や「中庸」の編者が、孔子のそれを明らかにしています。
それでは「論語」は一先ずここで閉じて、「大学」、「中庸」に孔子の智慧の秘密を見て行きたいと思います。
なお、大学、中庸を全編読んでいたら時間が幾らあっても足りませんので、「大学」第一章と「中庸」第一章を対象に、孔子の智慧を読み解いて行きたいと思います。
そこにこれまで見て来たイエス、ブッダ、ソロモン、ダビデと同じ智慧があるのか。
尤も論語の中でも一節だけですが、その智慧の表出はありましたよね。
『克己復禮為仁』(克己復禮を仁と為す)
この世の私を殺せば、そこは無の世界。そこに智慧が生まれる。
これが全ての聖人賢人哲人たちの智慧の世界であり、そして智慧の智慧たる由縁なのです。
さてそれでは「大学」第一章に孔子の智慧を見て行きましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しむるに在り、至善に止まるに在り。
止まるを知りて后(のち)定まる有り、定まりて后(のち)能(よ)く静かに、静かにして后能く安く、安くして后能く慮(おもんばか)り、慮りて后能く得。
物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し。
古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。
その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致(きわ)む。
知を致むるは物に格(いた)るに在り。
物格りて后(のち)知至(きわ)まる。
知至まりて后(のち)意誠なり。
意誠にして后(のち)心正し。
心正しくして后(のち)身修まる。
身修まりて后(のち)家斉う。
家斉いて后(のち)国治まる。
国治まりて后(のち)天下平らかなり。
天子より以て庶人に至るまで、壱(い)つに是れ皆身を修むる本と為す。
その厚かる所(べ)き者薄くして、その薄かる所(べ)き者厚きは、未だこれあらざるなり。
此れ本を知ると謂い、此れを知の至(きわ)まりと謂うなり。」(「大学」第一章)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで孔子の智慧の秘密が明らかになりましたね。
それが「至善」です。
これでダビデ、ソロモン、イエス、ブッダの智慧と孔子の智慧の根源が一つと成ったのです。
ダビデ、ソロモン、イエスはその「至善」を神と呼びました。
ブッダはその「至善」をニルヴァーナと呼びました。
そして今、孔子はそれを「至善」と呼んだのです。
ここにおいて、ダビデ、ソロモン、イエス、ブッダそして孔子の智慧の根源が一つになったのです。
所変われば名は変わる。
その本質を見抜く事が大切です。
その本質を見抜くとは人間自身の本質を見抜く事です。
人間自身の本質を見抜くとは皆様自身の本質を見抜く事です。
全てのものは自らとの相似の中で視れば明らかになるのです。
さてそれでは、「大学」第一章を逐条的に解説して行きたいと思います。
先ず最初の一行目の「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しむるに在り、至善に止まるに在り」ですが、これこそが古今東西の聖人賢人哲人たちが歩いて来た道です。
ここにあの愛の不文律があります。
イエスは次のように言っていましたよね。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二もこれと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ福音書)
「明徳を明らかにする」、これが「あなたの神である主を愛しなさい」と言う事になります。
すなわち明徳を明らかにする意志を持って、貴方の智慧を愛しなしさいと言う事になります。
「民に親しむ」、これについては余計な解釈はいらないと思います。
すなわち「隣人を自分のように愛しなさい」と言う事がこれに当たります。
さてそれでは「至善に止まる」は何れの愛に当たるのか。
勿論「あなたの神である主を愛しなさい」に当たります。
しかしこの至善と言うのは結果です。
皆様が智慧を愛し続けていると、或る時、物が豁然として開ける事があります。
そこに至善が存在するのです。
この至善こそが、古今東西の聖人賢人哲人たちが求めて止まなかったものです。
それではこの至善に至るにはどうしたら良いのでしょう。
「大学」ではその過程を懇切丁寧に示しています。
「古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。
その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。
その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。
その意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致(きわ)む。
知を致むるは物に格(いた)るに在り。」
これがそれです。
先ずは皆様は大志を持たなければなりません。
その大志とは「明徳を天下に明らかにする」と言う意志です。
それは自らが智慧を愛する者(哲学者)と成ると言う意志に他なりません。
もし皆様が智慧を愛する者に成ると言う意志を持てば、皆様は独りでに至善に至る事になるのです。
その過程は上記の通りです。
皆様が智慧を愛する者に成ると言う意志、すなわち「明徳を天下に明らかにしようと欲すれば」、皆様は国を治めようとするでしょうし、国を治めようとすれば、家を斉えようとするでしょうし、家を斉えようと思えば、心を正しくしようとするでしょうし、心を正しくしようとすれば、意を誠にするようにするでしょうし、意を誠にしようと思えば、智慧を愛する事になるのです。
「知致在格物」(知を致むるは物に格るに在り)
皆様が智慧を愛する事(知致)によって、皆様は智慧の根源としての智慧、すなわち物(至善)に格(いた)る事(格物)になるのです。
皆様が智慧の根源としての智慧、すなわち物(至善)に格(いた)った時から、世界は良い方向へと動き出す事となるのです。
その過程が次のとおりです。
「物格(いた)りて后(のち)知至(きわ)まる。
知至まりて后(のち)意誠なり。
意誠にして后(のち)心正し。
心正しくして后(のち)身修まる。
身修まりて后(のち)家斉う。
家斉いて后(のち)国治まる。
国治まりて后(のち)天下平らかなり。」
皆様が智慧の根源としての智慧、すなわち物(至善)に格(いた)れば、皆様の智慧は至(きわ)まります。
皆様の智慧が至(きわ)まれば、皆様の意が誠になります。
皆様の意が誠になれば、皆様の心が正しくなります。
皆様の心が正しくなれば、皆様の身が修まります。
皆様の身が修まれば、皆様の家が斉います。
皆様の家が斉えば、皆様の国が治まります。
皆様の国が治まれば、皆様の天下は太平となるのです。
「致知在格物、物格而后知至」(知を致(きわ)むるは物に格(いた)るに在り、物格(いた)りて后(のち)知至(きわ)まる。)
これが究極の哲学です。
皆様が智慧を愛する事に依って、智慧の根源としての智慧、すなわち物(至善)に格(いた)れば、皆様の意が誠になり、皆様の心が正しくなり、皆様の身が修まり、皆様の家が斉い、皆様の国が治まり、そして皆様の天下は太平となって行くのです。
とても素敵な教えですよね。
しかしこの教えは孔子の専売特許ではありません。
古今東西の全ての聖人賢人たちの教えでもあるのです。
イエスはこの教えの下、神の国を目指しました。
ブッダはこの教えの下、仏の国を目指しました。
そして今私たちはこの理念の下、哲学国家日本を目指しているのです。
哲学国家日本とは、日本国民一人一人が智慧を愛する事によって、実現されて行く哲学国家日本の事なのです。
「止まるを知りて后(のち)定まる有り、定まりて后(のち)能(よ)く静かに、静かにして后能く安く、安くして后能く慮(おもんばか)り、慮りて后能く得。」
私たちは止まる事によって至善に至る事ができます。
私たちは止まる事によってそこに深い智慧を視るのです。
「黙して之を知る」(論語)、ここにおいて孔子は、智慧の根源としての智慧、すなわち至然と馴染んでいたのです。
止まれば定まります。
定まれば静かになります。
静かになれば安からになります。
安からになれば深い思いへと入っていきます。
そしてその先に私たちは至善を視る事になるのです。
この至善こそ智慧の根源としての智慧であり、全ての智慧の源なのです。
「天子より以て庶人に至るまで、壱(い)つに是れ皆身を修むる本と為す。
その厚かる所(べ)き者薄くして、その薄かる所(べ)き者厚きは、未だこれあらざるなり。
此れ本を知ると謂い、此れを知の至(きわ)まりと謂うなり。」
全てにおいて「修身」が基本だと言っているのです。
当然の事ですよね。
天下国家をあれこれ言う前に、先ずは自分自身の身を修めなさいと言っているのです。
自分自身の身を修める方法、それは今習いましたよね。
すなわち心を正しくする事でしたよね。
心を正しくする為には、どうするのでしたかね。
そうですね。意を誠にするのでしたね。
意を誠にするにはどうするのでしたかね。
そうですね。智慧を愛する事でしたよね。
智慧を愛し続けて行けば、智慧の根源としての智慧、すなわち至善に至ります。
この事を何度も何度も経験して行くと、智慧の根源としての智慧、すなわち至善に対して確信を持つようになります。
このように成って人は始めて智慧を知る者、すなわち知者となるのです。
皆様御一人御一人が知者となる事によって、この日本は素晴らしい国家へと変貌して行くのです。
しかしここで水を注すような事はあまり言いたくないのですが、皆様が一気に智慧を知る者、すなわち知者と成る事は有り得ないのです。
あの孔子でさえ、十五で智慧への学びに志して、二十五年の修身の後、四十にして始めて智慧を知る者、すなわち知者と成ったのですから。
しかしまたこうも言っておきます。
智慧への旅、すなわち本当の自分自身を知る旅は日々新たであると。
日々新たであるからこそ、日々楽しいと。
「荀(まこと)に日に新たに、日々新たに、又日に新たに」(「大学」)
これこそが大学の道であり、哲学の道なのです。
さて、「大学」はこれ位にして、次に「中庸」に入って行きたいと思います。
「中庸」に私たちは孔子の如何なる智慧を見出す事ができるのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「天の命ずるをこれ性と謂う。
性に率(したが)うをこれ道と謂う。
道を修むるをこれ教えと謂う。
道なる者は、須臾(しゅゆ)も離るるべからざるなり。
離るるべきは道に非ざるなり。
是の故に君子はその睹(み)ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。
隠れたるよりは見(あら)わるるは莫(な)く、微(かす)かなるよりは顕(あら)わるるは莫し。
故に君子はその独を慎むなり。
喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。
発して皆な節に中(あた)る、これを和(か)と謂う。
中なる者は天下の大本(たいほん)なり。
和なる者は天下の達道なり。
中和を致して、天地位し、万物育す。」(「中庸」第一章)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
智慧の根源としての智慧。
そしてこの智慧から発せられる智慧。
古今東西の聖人賢人哲人たちは、皆この智慧に従ったのです。
孔子とてその例外ではありません。
「初めに言(ことば)があった。
言は神と共にあった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。」(「ヨハネ福音書」)
私たちは智慧の根源としての智慧は見る事も聞く事もできません。
しかしその智慧から発せられる智慧、すなわち言に依って、私たちはそれを知る事ができるのです。
「天命」と言う時、
天が智慧の根源としての智慧に当り、
天命が智慧の根源から発せられる智慧、すなわち言という事になります。
この天命に従うのが、君子の道であり、我々哲学者(智慧を愛する者)の道と言う事になります。
「天の命ずるをこれ性と謂う」
私たちは天がお空の更に向こうにあると考えがちですが、その天は皆様の中にこそ在るのです。
だから天命を性と言うのです。
性とは心に生まれるものです。
ですから天命とは、皆様の心から生まれるものなのです
その天は皆様御一人御一人に在りますが、また世界人類の御一人御一人にも在るのです。
この天によって世界人類が繋がっているのです。
この天を神と置き換えても何の支障もありません。
この天を知る方法、それはとても簡単です。
それはこの世の私をすっぱり捨て去る事です。
そうすれば、そこに天が存在します。
天の究極、それは無です。
無と言うと中々理解できないので、これを無心と解釈する方が良いと思います。
もしくは無垢なる心でも良いです。
ダビデもソロモンもそしてイエスもこの無垢なる心の事を盛んに言っていましたよね。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」(「マタイ福音書」)
「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。」(「マタイ福音書」)
「あなたに望みをおき、無垢でまっすぐなら、そのことがわたしを守ってくれるでしょう。」(「詩篇」)
ニルヴァーナもこの無垢な状態と言って良いでしょう。
この無垢なる心から発せられる智慧が、この世界を素晴らしい世界へと変えて行くのです。
この事を古今東西の聖人賢人哲人たちは言い続けているのです。
さて前置きはこの位にして、中庸第一章を解説して行きたいと思います。
「天の命ずるをこれ性と謂う。
性に率(したが)うをこれ道と謂う」
智慧の根源としての智慧、そしてその智慧から発せられる智慧に従う。
これこそが私たち哲学者(智慧を愛する者)の道です。
「道を修むるをこれ教えと謂う」
私たちは天を抱く素晴らしい存在です。
しかし私たちのほとんどの者はそれを知りません。
何故なら、誰もそれを教えてくれないからです。
教えと学び、この事が無ければ私たち日本国民は何時まで経っても無智なる国民のままです。
「道なる者は、須臾(しゅゆ)も離るるべからざるなり。
離るるべきは道に非ざるなり。」
哲学(智慧を愛する)の道は厳しいですね。
常に智慧と共に在りなさいと言っているのです。
それはまた常に無垢な心で在りなさいと言う事をも意味しています。
その状態が中庸の言葉で言えば「中」と言う事になります。
「是の故に君子はその睹(み)ざる所に戒慎し、その聞かざる所に恐懼す。
隠れたるよりは見(あら)わるるは莫(な)く、微(かす)かなるよりは顕(あら)わるるは莫し。
故に君子はその独を慎むなり。」
人が見ていなくても、私たちの事は私たちが良く知っています。
その良心の声を。
それが智慧です。
「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。
発して皆な節に中(あた)る、これを和(か)と謂う。」
これこそが「中庸」の核心です。
これこそが古今東西の聖人賢人哲人たちが言い続けている事なのです。
もし皆様が無垢なる心で在り続けられたら、その世界は、イエスの世界やブッダの世界や孔子の世界と何ら変わりなく、素晴らしい世界なのです。
「中なる者は天下の大本(たいほん)なり。
和なる者は天下の達道なり。
中和を致して、天地位し、万物育す。」と言う事になるのです。
中、和を往復する事、それが聖人の道です。
この「中」と「和」において、私たちは古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧を見る事ができるのです。
そしてこの中の「中」こそが、古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧の核心なのです。
この「中」こそが、大学の「至善」であり、ダビデ、ソロモン、イエスの言う所の「主」または「神」であり、ブッダの言う所の「ニルヴァーナ」なのです。
そしてまた「論語」の孔子が言う「克己復禮を仁と為す」と言う時の「仁」でもあるのです。
私たちはここにおいて、ダビデもソロモンもイエスもブッダも、そして孔子もその根源が一つであると言う理解できるのです。
私はそれを智慧の根源としての智慧と呼んでいます。
この智慧の根源としての智慧において、ダビデもソロモンもイエスもブッダも孔子も一つなのです。
この智慧の根源としての智慧から、智慧(言=ことば)が発せられる事になります。
「発して皆な節に中(あた)る、これを和(か)と謂う。」
これが古今東西の聖人賢人哲人たちの心境であり日常と言う事になります。
以上で、孔子の智慧を終わりにしたいと思います。
これでソロモン、ダビデ、イエス、ブッダ、孔子の智慧を一通り視てきました。
彼らは皆古代の人です。
これから更に、老子、ソクラテス=プラトン、エピクロス、セネカ、クリシュナの智慧を視ていきたいと考えています。
彼らもまた皆古代の人です。
何故古代の人にその智慧を視るのか、
それは古代に在っては智慧が智慧そのままに表出されているからです。
私たちは彼らの智慧を智慧そのままに受け入れる事ができるからです。
智慧を理解し易いからです。
しかしここでは古代の人ではなく、近世の人、王陽明を取り上げます。
何故王陽明なのか。
それは王陽明によって、私が智慧と言う概念に対して確信を持つようになったからです。
私が智慧と言う概念に目覚めたのは、ソロモンの「箴言」だったと思います。
それから智慧と言う概念の下に、古今東西の聖人賢人哲人たちの著書を読み漁りました。
私においては、「智慧」と言う概念の下に、古今東西の聖人賢人哲人たちが、一つである事を確信していました。
しかし誰もこの事を言い表す人がいなかったのです。
そんな時、王陽明の「伝習録」に出会ったのです。
王陽明は、儒教、儒学の世界の人です。
彼の前には、四書五経の世界が広がっていました。
またブッダや老子の世界も広がっていました。
彼はそれらを「良知」と言う一つの概念に纏めてしまったのです。
そしてその「良知」とは、私が言っている所の「智慧」に他ならなかったのです。
ここにおいて、私の智慧の概念と王陽明の智慧の概念が一致する事となったのです。
そして更には古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧とも一致する事と成ったのです。
「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいる。」(マタイ福音書)
「三人寄れば文殊の智慧」
と言う事で、ここからは王陽明の智慧について、「伝習録」に見て行きたいと思います。
なお、王陽明は、儒教、儒学の人ですので、ここ孔子の後に置きます。
「第七章 王陽明と智恵」へ