第十五章 聖人君子もしくは哲学者に成ると言う強い意志を持つ事について
この日本が「哲学国家日本」と成る為には、
皆様が先ず、哲学者(智慧を愛する者)に成らなければなりません。
その次に、君子に成らなければなりません。
そしてその次に、出来る事なら、聖人に成らなければなりません。
皆様がこの道を進めば、
間違い無くこの日本は「哲学国家日本」と成ります。
「哲学国家日本」が実現する為には、多くの日本人の方が哲学者(智慧を愛する者)に成らなければならないのです。
しかしもうその布石は出来上がっているのです。
それが皆様方です。
皆様はもう哲学者です。
皆様は智慧の概念を掴み取りました。
この後、皆様に必要な事は、真の哲学者に成る事です。
すなわち古今東西の聖人賢人たちの智慧が皆様の智慧と成る事であり、
皆様の智慧が古今東西の聖人賢人たちの智慧と同じ様に成る事です。
その為には、皆様自身で古今東西の聖人賢人たちを直接訪ね、
皆様が「善し」と承認したものを、皆様の智慧の中に取り込んで行かねばなりません。
その様な作業を続ける事で、
古今東西の聖人賢人たちの智慧が皆様の智慧と成り、
皆様の智慧が古今東西の聖人賢人たちの智慧と同じ様に成って行くのです。
「では、どういうものが賢者を作るのか、とお尋ねですが。それは神を作るものです。」(「道徳書簡集」)
ここで皆様に大切な事をお伝えして置きます。
これから皆様は多くの聖人賢人たちの下を訪ねて行く事に成る思いますが、
その時一番大切な事は、
その聖人賢人たちの核心、すなわち『智慧』をこそしっかり見極めなければならないと言う事です。
もし皆様がその智慧をしっかり見極めれば、
その聖人賢人たちの智慧の体系は自ずから明らかに成って来ます。
そしてもし皆様が全ての聖人賢人たちに一つの同じ智慧を見出した時、
その時皆様は真の哲学者と成るのです。
その時皆様の智慧(愛)の体系と古今東西の聖人賢人たちの智慧(愛)の体系は何ら違いが無くなるのです。
その時、皆様は自分自身に自信を持ち、この世に打って出る事が出来る様に成るのです。
今回は代表的な十三人の聖人賢人を訪ねましたが、
聖人賢人と呼ばれる人は未だ山ほどいます。
どうか皆様自身で聖人賢人を訪ね、
そして彼らに共通する智慧を見出して頂きたいと思います。
皆様が彼ら全員に共通する一つの智慧を見出した時、
皆様は真の哲学者(智慧を愛する者)と成り、
哲学国家日本のリーダーと成るのです。
「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」(「論語」)
これが皆様が哲学者と成り、
哲学者から君子へ、
そして君子から聖人へと至る道です。
なお、この書における哲学者の定義は、智慧を愛する者の事です。
ですから哲学の初学者から聖人まで全ての者が、皆、哲学者(智慧を愛する者)です。
しかしここでは敢えて、聖人君子と哲学者に分ける事にします。
この事は、前の章から暗にその様に使い分けをして来ています。
今、何故その様に使い分けるかと言うと、
皆様に哲学者のそれぞれの段階をより良く理解して頂いた上で、
皆様には聖人君子と呼ばれる哲学者に成って頂きたいからに他なりません。
何故なら皆様が聖人君子と呼ばれる哲学者に成った時、
この日本が哲学国家日本と成るからです。
と言う事で、
この章以降における哲学者、君子、聖人の使い分けは次の通りにしたいと思います。
先ず哲学者ですが、
これについては、智慧を学ぶ事に志してから、
智慧を見出すまでの期間の哲学者と言う事にします。
すなわち古今東西の聖人賢人たちの智慧の中に自らの智慧を見出し、
自らの智慧の中に古今東西の聖人賢人たちに智慧を見出すまでの期間の哲学者と言う事にします。
次に君子とは、
その智慧を持って、この世に出て行った哲学者の事を言う事にします。
すなわち、その智慧と愛の世界をこの世に実現しようとの意志を持って、
この世に出て行った哲学者の事を言う事にします。
最後に聖人とは、
その智慧と愛の世界をこの世に実現させた哲学者の事を言う事にします。
「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」(「論語」)
孔子は、
十五歳で、智慧を愛する事に志し、
三十歳で、智慧において立ち、
四十歳で、智慧において惑わなくなり、
五十歳で、智慧の使者としての自らの使命を強く認識する様に成り、
六十歳で、智慧の命ずるままに行動する事が出来る様に成り、、
七十歳で、智慧のままに行動する事により、そこに自らの理想とする智慧と愛の世界を現出する事が出来る様に成ったのです。
「子曰く、聖人は吾れ得てこれを見ず。君子者を見るを得れば、斯(こ)れ可なり」(論語)。
孔子はその様に言っていますが、孔子自らも七十歳の時には、この聖人たちの仲間入りをしているです。
孔子で言えば、
十五歳から五十歳までの期間が、哲学者の時代であり、
五十歳から七十歳までの期間が、君子の時代であり、
七十歳以降が、聖人の時代と言う事に成ります。
皆様は今、どの段階でしょう。
皆様は皆、哲学者(智慧を愛する者)です。
しかしこの日本が「哲学国家日本」と成る為には、
皆様が皆、君子以上に成らなければならないのです。
とても難しそうですが、
それを簡単にする方法があるのです。
それが『哲学一貫教育』と『哲学広場』と言う事に成るのです。
なお、哲学広場も哲学一貫教育に含まれますので、
その方法としては、哲学一貫教育だけがあると言っても良いのですが、
哲学一貫教育全てを実現をさせると成ると、かなりの時間がかかりますので、
ここでは先ず、『哲学広場』を先行させようと考えています。
哲学広場とは、聖人君子哲学者たちが集う広場の事です。
この広場が全国津々浦々に展開される事に成り、
この広場に聖人君子哲学者に成ろう言う強い意志を持った人が集まる事に成り、
この『哲学広場』が『哲学国家日本』をリードする事に成るのです。
この哲学広場こそが、皆様が集う場所と成るのです。
この哲学広場の設置の為には、お金は1円もかからないのです。
ただ皆様のその熱意だけが必要なのです。
皆様のその熱意だけで、
日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、そして地区公民館に、
哲学広場が設置される事に成るのです。
この哲学広場から、
哲学国家日本をリードする聖人賢人哲学者たちが生まれて行く事に成るのです。
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