第十六章 哲学一貫教育

第十六章 哲学一貫教育について

 哲学一貫教育こそが、この日本を『哲学国家日本』へと導いて行く為のメッソドと言う事に成ります。
 哲学一貫教育とは、日本国民の全生涯に渡って哲学(智慧を愛する事)の機会を提供する事により、日本国民が哲学的に成熟して行く事を目指して行う教育の事です。
 この哲学一貫教育は、次の四つの柱から成っています。

 第一が、「小中高大学哲学一貫教育」です。
 第二が、「大学教育学部における徹底した哲学教育」です。
 第三が、「哲学読本大全(全百巻)の作成」です。
 第四が、「哲学広場の設置」です。

 先ず一番目の哲学一貫教育ですが、
 これは小中高校哲学一貫教育と大学の哲学教育に分ける事が出来ます。

 小中高校哲学一貫教育とは、
 小学校、中学校、高校に渡る一貫した哲学教育の事です。
 具体的には、
 小学校、中学校については、現在の道徳を廃止し、哲学とし、週二時間授業とし、かつ必修とし、小学校一年から中学校三年までの全ての学年において実施する事とします。
 高校については、現在の倫理を廃止し、哲学とし、週二時間授業とし、かつ必修とし、高校一年から高校三年までの全ての学年において実施する事とします。
 これにより、小学校一年から高校三年までの十二年間に渡る週二時間の哲学一貫教育が実現する事になります。
 この小中高校哲学一貫教育においては、「哲学読本」と「哲学ノート」と言う二つの教材を使用する事になります。
 哲学読本とは、各学年に相応しい三十(年間の授業を三十週と想定)の哲学テーマについて、それぞれの哲学テーマ毎に古今東西の名著の中の名文を五編程度集めて編集したものとします。
 哲学ノートとは、哲学読本の読書を契機に、その哲学テーマについて思索した結果を纏める為のノートします。
 授業の進め方は、週の最初の時間に哲学読本を読む事とします。
 そして週の最後の時間に、哲学読本の読書を契機に、その一週間、その哲学テーマについて思索した結果を、哲学ノートに纏める事とします。
 これにより、小中高校の十二年間の間に、
 三百六十の哲学テーマ(三十の哲学テーマ×十二年間)について、
 千八百の古今東西の名著の中の名文(三百六十の哲学テーマ×五編)を読み、
 三百六十の哲学テーマについて、作文を書く事になります。
 これにより、現在の高校卒業生に比べて、
 格段に読書能力、作文能力に優れた高校卒業生が生まれる事になります。
 すなわち高校卒業時に哲学者(智慧を愛する者)の卵たちが生まれる事になるのです。
 
 次に大学における哲学教育ですが、
 これについては、哲学を必修とし、大学一年から大学四年まで、毎学年通年で履修する事にします。
 単位数は、四単位×四年間の十六単位とします。
 大学一年と二年においては教養哲学とし、
 小中高校哲学一貫教育を更に発展させ、そしてそれの総括を行う事にします。
 大学三年と四年においては専門哲学とし、
 小中高校哲学一貫教育及び大学一年二年学んだ哲学を基礎に、
 それぞれの専攻における専門哲学を修める事とします。
 すなわち、法哲学、政治哲学、経済哲学、行政哲学、医療哲学、福祉哲学、商業哲学、農業哲学、工業哲学等々、
 それぞれの専攻及び進路に応じた専門哲学を修める事とします。

 これにより、小中高大学哲学一貫教育が完成する事に成ります。
 これにより、現在の学士に比べ、
 格段に哲学的素養に優れた学士が輩出される事となります。
 この学士たちが、それぞれの分野で活躍する事に依り、
 この日本に哲学的風土が生まれる事に成るのです。
 すなわち智慧に満ちた法律が生まれ、
 智慧に満ちた、政治、経済、行政、医療、福祉、商業、農業、工業等々が営まれる事に成るのです。
 
 哲学とはphilosophia、智慧を愛する事、
 それぞれの分野でそれぞれの人々が智慧を愛する事に依り、
 この日本に智慧と愛に満ちた世界が現出する事に成るのです。
 それが「哲学国家日本」と言う事に成るのです。

 次に二番目の大学教育学部における徹底した哲学教育ですが、
 国家の基礎は教育です。
 そしてその教育の基礎と成るのが教師です。
 哲学的素養に優れた教師を育成し、
 哲学的素養に優れた児童生徒を育成する為に、
 大学教育学部において徹底した哲学教育を実施する事にします。

 大学教育学部における徹底した哲学教育の目的は、
 哲学的素養に優れた教師を育成する事にあります。
 それは取りも直さず、智慧において優れた教師を育成する事にあります。

 智慧において優れた教師とは何者か。
 それは智慧の言葉を自由に操れる者の事、
 そして智慧そのものを自らに体現し得る者の事。
 その為に、大学教育学部における徹底した哲学教育においては、
 徹底して古今東西の聖人賢人たちの智慧の言葉に学ぶ事とするのです。
 
 古今東西の聖人賢人たちの智慧の言葉を理解する事が出来る様に成って始めて、
 智慧の言葉を操る事が出来る様に成るのです。
 古今東西の聖人賢人たちの智慧の言葉を理解知る事が出来る様に成って始めて、
 智慧の門を潜ったの言えるのです。
 この智慧の門を潜った者だけが、
 哲学の教師として、すなわち智慧を愛する者の教師として、
 この世に出て行く事が出来るのです。

 その為にも、大学教育学部における徹底した哲学教育においては、
 徹底して古今東西の聖人賢人たちの智慧の言葉を学ぶ事とするのです。

 カリキュラムを示すと次の通りです。
 一 日本思想史(四単位)
 二 東洋思想史(四単位)
 三 西洋思想史(四単位)
 四 宗教(四単位)
 五 哲学各論(十六単位)
 六 教科哲学(四単位)
 七 哲学随想集の作成(二単位+課外)
 八 哲学対話録の作成(二単位+課外)
 九 智慧と愛の哲学(二単位)

 一の日本思想史においては、
 日本を代表する二十人の哲学者(智慧を愛する者)について、
 その代表的著作において、
 その智慧と愛の体系(智慧と愛の言葉)を学ぶ事とします。
 例示すると次のとおり。
 聖徳太子・・・・・・・憲法十七条
 空海・・・・・・・・・十住心論
 親鸞・・・・・・・・・歎異抄
 道元・・・・・・・・・正法眼蔵随聞記
 西行・・・・・・・・・山家集
 藤原惺窩・・・・・・・惺窩文集
 本居宣長・・・・・・・直毘霊
 中江藤樹・・・・・・・翁問答
 山鹿素行・・・・・・・聖教要録
 伊藤仁斎・・・・・・・童子問
 石田梅岩・・・・・・・都鄙問答
 二宮尊徳・・・・・・・二宮翁夜話
 西郷隆盛・・・・・・・西郷南洲遺訓(「敬天愛人」)
 夏目漱石・・・・・・・「則天去私」の言葉が含まれている著書
 内村鑑三・・・・・・・基督教徒のなぐさめ
 西村茂樹・・・・・・・国民道徳論
 西田幾多郎・・・・・・善の研究
 鈴木大拙・・・・・・・日本的霊性
 和辻哲郎・・・・・・・倫理学
 ※1 哲学者については、智慧の概念の明確な哲学者を選定するものとします。智慧の概念の明確な哲学者においては、その智慧と愛の体系も明確であり、そこには、自ずから智慧と愛の言葉が溢れている事に成ります。
 ※2 著書については、代表的な著作一冊だけに限定するものとします。なお学生が後から読み易い様に、出来る事なら小著を選定する事とします。
 ※3 教師は、その代表的な著作の中から、智慧と愛の言葉をなるべくたくさん拾い出し、それを学生に提示するする事とします。学生は、その智慧と愛の言葉から、その哲学者の智慧と愛の体系を、その哲学者から直に学び取る事と成ります。
 ※4 「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」授業においては、道と一と二までを、対象とする事とします。すなわち、智慧と愛と、その智慧と愛から生まれるもう一つの愛(諸々の愛、諸々の徳、諸々の真偽善悪美醜等々の判断基準)までを対象とする事としますが、二については、概観程度に留め、あくまでも、それぞれの哲学者たちの、道と一(智慧と愛)を徹底的に学ぶ事とします。
 ※5 何故、智慧と愛に限定して、智慧と愛を徹底的に学ぶのか。それはその智慧と愛においては、全ての哲学者が同じだからです。全ての哲学者において、その智慧と愛が同じである事を学ぶ事に依って、その智慧と愛において、全ての人類が同じである事を学ぶ為です。ここで言う智慧と愛とは「神(智慧)は愛なり」と言う時の智慧と愛の事であり、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と言う時の智慧と愛の事です。それは表裏一体の智慧と愛の事であり、原初の智慧と愛と言う事に成ります。この原初の智慧と愛、すなわち道と一から、二、すなわち様々な愛、様々な徳、様々な真偽善悪美醜等々の判断基準が生まれて行く事に成るのです。そしてこの二から三が、そしてその三から万物が生まれて行く事に成るのです。この原初の智慧と愛を体得してこそ、そこに素晴らしい智慧と愛の世界が現出する事に成るのです。その為にも、その智慧と愛の言葉から、その原初の智慧と愛を徹底的に学ぶ事が必要なのです。
 ※6 原則として、一授業時間に一哲学者(一著書)を対象とする事としますが、重要な哲学者に二ないし三時間充てる事とします。

 二の東洋思想史においては、
 中国及びインドを代表する二十人の哲学者(智慧を愛する者)について、
 その代表的に著作において、
 その智慧と愛の体系(智慧と愛の言葉)を学ぶ事とします。
 例示すると次の通り。
 【中国】
 古代哲学者・・・・・・・・書経
 孔子・・・・・・・・・・・論語、大学、中庸
 老子・・・・・・・・・・・老子
 孟子・・・・・・・・・・・孟子
 荘子・・・・・・・・・・・荘子
 荀子・・・・・・・・・・・荀子
 墨子・・・・・・・・・・・墨子
 朱子・・・・・・・・・・・朱子文集
 王陽明・・・・・・・・・・伝習録
 馬鳴菩薩・・・・・・・・・大乗起信論
 菩提達摩・・・・・・・・・菩提達摩無心論
 臨済・・・・・・・・・・・臨済録
【インド】
 古代哲学者・・・・・・・・ウパニシャッド
 ブッダ・・・・・・・・・・真理の言葉(発句経)、般若心経
 ナーガールジュナ・・・・・中観
 クリシュナ・・・・・・・・バガヴァッド・ギーター
 ダゴール・・・・・・・・・ギータンジャリ
 ガンジー・・・・・・・・・ガンジー聖書
 
 三の西洋思想史においては、
 西洋を代表する二十人の哲学者(智慧を愛する者)について、
 その代表的著作において、
 その智慧と愛の体系(智慧と愛の言葉)を学ぶ事とします。
 例示すると次の通り。
 ダビデ・・・・・・・・・・詩編
 ソロモン・・・・・・・・・箴言
 イエス・・・・・・・・・・マタイ福音書、ヨハネ福音書
 パウロ・・・・・・・・・・ローマ信徒への手紙
 アウグスチヌス・・・・・・告白
 トマス・アクイナス・・・・神学大全
 エックハルト・・・・・・・説教集
 ルター・・・・・・・・・・キリスト者の自由
 プラトン(ソクラテス)・・・国家
 エピクロス・・・・・・・・メノイケウス宛の手紙
 キケロ・・・・・・・・・・ストア派のパラドックス
 セネカ・・・・・・・・・・道徳書簡集
 エピクテトス・・・・・・・要録
 マルクス・アウレリウス・・自省録
 プロチノス・・・・・・・・善なるもの一なるもの
 ボエティウス・・・・・・・哲学の慰め
 ダンテ・・・・・・・・・・神曲
 デカルト・・・・・・・・・方法序説
 ルソー・・・・・・・・・・サヴォワ助任司祭の信仰告白(エミールより)
 カント・・・・・・・・・・道徳形而上学原論
 ゲーテ・・・・・・・・・・温順なクセーニエン
 トルストイ・・・・・・・・人生の道
 
 四の宗教においては、
 キリスト教、仏教、イスラム経、神道について、
 その経典において、
 その智慧と愛の体系(智慧と愛の言葉)を学ぶ事とします。
 例示すると次の通り。
 キリスト教・・・・・・・・・聖書
 仏教・・・・・・・・・・・・経典
 イスラム教・・・・・・・・・コーラン
 神道・・・・・・・・・・・・祝詞
 ※1 宗教の経典においては、智慧と愛の体系が明確に述べられています。智慧と愛の体系を学ぶ最も近道は宗教の経典にそれを学ぶ事です。宗教の経典でそれを学んだ後、偉大な哲学者たちの哲学書にそれを学んで行けば、誰でも人類に共通して存在しているそれを見出す事が簡単に成ります。何故なら宗教の経典に書かれているそれは、人類に普遍的に存在しているそれから書き出したものだからです。そして哲学者(智慧を愛する者)たちはそれを追いかけているに過ぎないのですから。
 ※2 「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。」全ての宗教において、その原初の智慧と愛は全く一緒です。そしてその原初の智慧と愛から生まれる二もほとんど一緒です。宗教の授業においては、道と一と二までを徹底的に学ぶ事とします。道と一と二までを完全に理解する事が出来れば、全ての宗教を超えて、全ての人々と心から理解し合えるのです。
 ※3 ニルヴァーナ、恍惚、三昧、エクスタシー等々、これが宗教の奥義です。この中において、全てを理解し合い、全てを愛し合う事が出来る様に成るのです。天国、極楽、神の国もその延長線上にあります。自らにおいて、それを体感する事が出来る様に成った時、始めて宗教を理解したと言えるのです。勿論それは哲学の奥義でもあります。哲学宗教の奥義、それはこの至福を自ら味わう事であり、そしてその至福を共に分かち合い、共に味わう事なのです。
 ※4 宗教の授業は信徒を育成する為のものではありせん。あくまでも智慧を愛する為の手段です。ですから果敢に智慧の探求に努めなければならないのです。しかし決して宗教への尊厳は忘れてはならないのです。
 ※5 神とは何か、主とは何か、仏とは何か、天とは何か、そこに一つの智慧を見出した時、その宗教の授業は完成です。その智慧は、ニルヴァーナ、恍惚、三昧、エクスタシー、無心、無垢、虚心坦懐等々の中で見出されるものです。そしてそこに愛があるのです。その愛から諸々の愛(徳)が生まれて行くのです。

 五の哲学各論については、
 八十の主要な哲学テーマについて、
 古今東西の名著の中の名文から、
 その本質を学ぶ事とします。
 例示すると次のとおり。
 1 智慧について(英知、良知、般若)
 2 愛について(アガペー)
 3 勇気について
 4 忍耐について
 5 節制について(清貧、自足、知足)
 6 寛容について
 7 自由について(自分が自分で在ると言う自由)
 8 喜びについて(自分が自分で在ると言う喜び)
 9 平安について(心の平安・平静・平和)
 10 至福について(恍惚、三昧、エクスタシー、涅槃、ニルヴァーナ)
 11 神について
 12 仏について
 13 天について
 14 自分について
 15 自信について
 15 無心について(無垢、無我)
 16 良心について
 17 心について
 18 精神について
 19 肉体について
 20 感情について
 21 不安について
 22 悩みについて
 23 怒りについて
 24 執着について
 25 欲望について
 26 哲学について
 27 浄化について(カタルシス)
 28 悟りについて
 29 真について(真理)
 30 善について
 31 美について
 32 理性について
 33 意志について
 34 理想について
 35 正義について
 35 誠について
 36 人間について
 37 人生について
 38 男について
 39 女について
 40 結婚について
 41 家族について(家庭)
 42 親について
 43 子供について
 44 青年について
 45 大人について
 46 老人について
 47 聖人について(聖人、賢人、君子、バラモン、聖者、覚者、哲学者)
 48 友情について
 49 幸福について
 49 平和について
 50 宗教について
 51 道徳について
 52 教育について
 53 信仰について
 54 死について
 55 命について
 56 仕事について
 57 学校について(勉強)
 58 学問について
 59 芸術について
 60 音楽について
 60 文学について
 61 旅について
 62 遊びについて
 62 習慣について
 62 生活について
 62 社会について
 63 国家について
 63 法について
 65 歴史について
 66 世界について
 67 地球について
 68 宇宙について
 69 自然について
 70 環境について
 71 現代について(時代)
 72 科学について
 73 情報について
 74 大衆について
 75 都市について
 76 読書について
 77 作文について
 78 思索について
 79 対話について
 80 言葉について
 81 時間について
 ※1 原則として、一授業時間に、一つの哲学テーマを対象とする事としますが、重要な哲学テーマについては、二ないし三授業時間を充てる事とします。
 ※2 教師は、一つの哲学テーマに対して、古今東西の名著の中の名文中の名文をなるべくたくさん提示する事とします。なお古今東西の名著とは、経典、思想書だけでなく、当然に文学書等も含みます。
 ※3 哲学読本大全(全百巻)を積極的に活用する事とします。哲学読本大全(全百巻)とは、五百の主要な哲学テーマについて、それぞれのテーマ毎に、古今東西の名著の中の名文を百編以上集めて、編集したもの事です。
 ※4 学生は、教師から提示された名文や哲学読本大全(全百巻)に掲載されている名文を基に、それぞれの哲学テーマについて、その本質を学ぶ事に成ります。
 ※5 哲学各論は、小中高校哲学一貫教育における基礎となるものです。小中高校哲学一貫教育とは、各学年に相応しい哲学テーマについて、古今東西の名著の中の名文を読み、それを契機としてその哲学テーマについて思索した結果を、作文に纏めると言うものですが、児童生徒をそこに導く為の教師における基礎と成るものなのです。教師がそれぞれの哲学テーマに関して、古今東西の聖人賢人たちの言葉を知っていてこそ、始めて児童生徒をその世界に導いて行く事が出来る様に成るのです。
 ※6 哲学各論においては、常に智慧を念頭において考える事とします。すなわち智慧への帰納、智慧から演繹を、念頭においておくものとします。「古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致(きわ)む。知を致むるは物に格(いた)るに在り。物格りて后(のち)知至(きわ)まる。知至まりて后(のち)意誠なり。意誠にして后(のち)心正し。心正しくして后(のち)身修まる。身修まりて后(のち)家斉う。家斉いて后(のち)国治まる。国治まりて后(のち)天下平らかなり。」それぞれの哲学テーマが智慧との関連において秩序付けられた時、始めて智慧と愛の体系が完成する事に成るのです。
 ※7 全ての哲学テーマに、智慧を見出した時、哲学各論は完成です。その智慧を中心にして、全ての哲学テーマが一つの体系を為す事に成るのです。その体系こそが、智慧と愛の世界と言う事に成るのです。
 ※8 哲学各論においては、それぞれの名著の簡単な書誌についても、併せて学ぶ事とします。

 六の教科哲学については、
 各教科の教科及び主要単元の本質について、
 各科教科書及び哲学読本大全(全百巻)から学ぶ事とします。
 1 国語(言葉とは、言語とは、文字とは、文法とは、文学とは)
 2 数学(数とは、代数とは、関数とは、微積分とは、幾何学とは)
 3 日本史(日本とは、天皇とは、年代とは、文化とは、戦とは、政権とは)
 4 世界史(世界とは、西洋とは、東洋とは、文明とは、古代とは、戦争とは)
 5 地理(風土とは、民族とは、気候とは、宗教とは、都市とは、農村とは)
 6 倫理(哲学とは、倫理とは、宗教とは、人生とは、自由とは、喜びとは、幸福とは)
 7 現代社会(現代とは、社会とは、大衆とは、情報とは)
 8 政治経済(政治とは、経済とは、国家とは、法律とは)
 9 物理(力とは、運動とは、エネルギーとは、光とは)
 10 化学(原子とは、分子とは、物質とは、反応とは、酸化とは、還元とは)
 11 生物(生命とは、細胞とは、遺伝とは、進化とは、生態とは)
 12 地学(地球とは、大地とは、大気とは、宇宙とは)
 13 音楽(音楽とは、ハーモニーとは、メロディとは、リズムとは)
 14 美術(美術とは、光とは、色とは、形とは、絵画とは)
 15 技術(技術とは、木材とは、金属とは、機械とは)
 16 家庭(家庭とは、家族とは、生活とは、衣食とは)
 17 保健体育(保健とは、健康とは、肉体とは、体育とは)
 18 英語(読み書き聞き話すとは、コミュニケーションとは、外国語とは)
 19 情報(情報とは、コンピューターとは)
 20 道徳(智慧とは、愛とは、勇気とは、忍耐とは、節制とは、寛容とは、道徳とは)
 ※1 一授業時間において、一教科を対象とする事とします。
 ※2 教科哲学は、各教科の担当教師がそれぞれに担当する事とします。
 ※3 教科哲学においても、常に智慧を念頭に置いておくことおく事します。すなわち智慧への帰納、智慧からの演繹を念頭においておくものとします。
 ※4 全ての教科、全ての単元が智慧を中心に秩序づけられた時、教科哲学は完成です。その時全ての教科を統合した一つの大きな学問が生まれる事と成ります。それもまた哲学と呼ばれる事に成るのです。その哲学に依って、全ての教科、全ての単元に智慧の命が宿る事と成るのです。哲学は全ての教科の長です。哲学が全ての教科の長と成ってこそ、全ての教科は智慧ある学問として生きて来るのです。

 七の哲学随想集の作成については、
 卒業までに、各自に関心のある百の哲学テーマについて随想を作成し、
 哲学随想集として冊子に纏めた上で、
 卒業時に提出する事とします。
 ※1 小中高校哲学一貫教育においては、毎週一つの哲学テーマについて、児童生徒が作文を作成する事に成りますが、この哲学随想集の作成が、児童生徒の作文指導の基礎と成って行くのです。
 ※2 哲学随想集については、図書館等に哲学随想集文庫(コーナー)を設置し、開架図書として、一般の閲覧に供する事とします。この哲学随想集を通じて、新たな智慧の交流が展開される事と成るのです。この哲学随想集を通じて、一人一人に宿る智慧を再確認する事に成るのです。

 八の哲学対話録の作成については、
 卒業までに、様々な人々と百回の哲学対話を行い、その要録を、
 哲学対話録として冊子に纏めた上で、
 卒業時に提出する事します。
 ※1 日本全国の全ての小中高校に哲学広場(哲学対話室)を設置する事としています。この哲学広場(哲学対話室)には、哲学ボランティア‘ソクラテス’と言う者が常駐し、哲学広場(哲学対話室)を訪れた児童生徒と哲学的対話を行う事と成りますが、この哲学対話及び対話録の作成が、哲学ボランティア‘ソクラテス’育成の基礎と成るのです。
 ※2 哲学対話録については、図書館等に哲学対話録文庫(コーナー)を設置し、開架図書として、一般の閲覧に供する事とします。この哲学対話録を通じて、更に新たな哲学対話が展開される事と成るのです。
 ※3 哲学随想集と哲学対話録を一冊に編冊して、哲学随想・対話集としても良いと思います。その方が、一人の哲学者(教育学部卒業生:智慧を愛する教師)の魅力を十分に引き出せると思います。この哲学随想・対話集を通じて、新たな智慧の交流、新たな哲学対話が展開される事と成るのです。なお、この哲学随想・対話集は大学を超えて流通する事に成り、これを通じて、優秀な哲学者たちの新たなネットワークが出来上がる事と成るのです。

 九の智慧と愛の哲学については、
 十人の教師(教師、非常勤講師、哲学ボランティア‘ソクラテス’等)がそれぞれに、
 智慧と愛に関する連続講義を行う事とします。
 ※1 学生はそれぞれの教師の講義から、智慧と愛の本質を学ぶ事と成ります。
 ※2 「智慧と愛の哲学」の授業が全国の大学において成熟した暁には、「智慧と愛の哲学」学会を設立する事にします。智慧と愛は、全ての人の心に眠る真如(真理)です。「智慧と愛の哲学」学会においては、全ての偉大な哲学者(智慧を愛する者)にについて、それを見出し、それへの帰納及びそれからの演繹の過程を確認し、それらの事実を積み上げる事に依って、それらの事実を広く国民に啓発して行く事を目的とする事とします。

 以上が、大学教育学部における徹底した哲学教育の内容です。
 国家の基礎は教育です。
 教育の基礎は教師です。
 教師が智慧ある教師と成ってこそ、
 この日本が哲学国家日本として歩む事が出来る様に成るのです。
 その為に、大学教育学部における徹底した哲学教育においては、
 徹底して『智慧と愛』を学ぶ事とするのです。
 もし『智慧を愛』の本質を学ぶ事が出来れば、
 その学生は必ずや聖人君子への道を進む事に成るのです。
 もし百人の学生の内、十人の学生が、
 『智慧と愛』の本質を学ぶ事に成功すれば、
 この日本は間違いなく『哲学国家日本』へと進む事に成るのです。

 次に三番目の柱の「哲学読本大全(全百巻)の作成」ですが、
 これこそが、日本に哲学を浸透させる事と成るのです。

 哲学読本大全(全百巻)とは、
 日本国民に取って、大切であると思われる五百の哲学テーマについて、
 それそれの哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文を百編以上集めて編集したものの事です。

 体裁は、 
 A4版縦書きの二段書きとし、
 一段の文字数が、千六百字(四十字×四十字)程度、
 一頁の文字数が、三千二百字(千六百字×二段)程度とし、
 一巻の頁数は、千頁+α程度とします。

 また一つの名文については、二頁以内、六千四百字(三千二百字×二頁)以内とします。
 一つの名文の文字数が六千四百字以内程度ですので、
 そこには名文の起承転結が十分に織り込まれる事と成り、
 その名文の文意、真意は読者に十分に伝わる事に成るのです。

 その様な古今東西の名著の中の名文が、哲学読本大全(全百巻)の中には、五万編以上(五百哲学テーマ×百編以上)収められる事に成るのです。
正に世界の英知のエッセンスです。
 この哲学読本大全(全百巻)が全国の小学校、中学校、高校、大学、公民館、公立図書館の図書室、図書館に開架図書として備え付けられる事と成るのです。
 また哲学に関心のある家庭においても、その蔵書の一環として備え付けられる事に成ります。
 更にこの哲学読本大全のウェブ版が、インターネット上で無料公開される事に成るのです。
 これにより、哲学読本大全は、誰でも、何時でも、何処でも、自由に閲覧する事が出来る様に成るのです。
 これにより、哲学が日本国中の隅々までに浸透して行く事に成るのです。

 例えば、勉強の事で悩んでいた学生が居たとします。
 彼は哲学読本大全で、勉強に関する名文百編をむさぼる様に読む事に成るのです。
 彼はそこにおいて勉強に関する本質を知る事と成り、
 もう迷う事なく、勉強に専念する事に成るのです。

 例えば、友情の事で、
 例えば、家族の事で、
 例えば、恋愛の事で悩み続けていた若者が居たとします。
 彼は哲学読本で、それらに関する名文百編をむさぼる様に読む事に成り、
 そこおいて、それらに関する本質を知る事と成り、
 もう迷う事なく、自らにおいて得心した道を進む事に成るのです。

 例えば、神の事について考え続けていた者が居たとします。
 彼は哲学読本大全で、神に関する名文百編をむさぼる様に読む事と成り、
 更にはそれらの原典まで読み進める事に成るのです。
 そしてそこにおいて彼は、神の概念をしっかりと掴み取る事と成り、
 もう迷う事無く、その神の概念を追い求め続ける事と成るのです。

 例えば、友から愛に関して相談を受けたとします。
 その時、その友はこう言います。
 哲学読本大全を読んだ後、三日後にまた話し合おうと。
 彼らは三日後再会し、話し合い、そして心から得心し合う事と成るのです。
 彼らはそれ以降、智慧と愛の名において、固い友情を結び合う事に成るのです。

 この様にして、
 哲学読本大全は国民生活のあらゆる場面において、
 哲学(智慧を愛する事)を国民に浸透させて行く事に成るのです。
 そして、一人一人を哲学者(智慧を愛する者)として目覚めさせて行く事に成るのです。

 何故哲学読本大全にその様な力が有るのか。
 それは名文と言うものには、言霊(智慧)が宿っているからに他なりません。
 その言霊(智慧)が人を揺さ振り、人を奮い立たせ、そして人を智慧へと向かわせる事と成るのです。

 哲学読本大全には、一つの哲学テーマに関して、百の智慧が宿っているのです。
 それらの智慧が、その人の求めに応じて、その人を奮い立たせる事に成るのです。
 それはそれは物凄い力なのです。

 しかし哲学読本大全がもっともっと力を発揮する時が在るのです。
 それは哲学読本大全を媒体として、生身の二人が話し合った時です。
 その時そこには生きた智慧が臨在する事に成るのです。
 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」
 「子の曰く、我れ三人行えば必ず我が師を得る」
 「三人寄れば文殊の智慧」

 もし哲学読本大全を媒体に、生身の二人が同じ意見に成った時、
 そこにはイエスやブッダや孔子や老子やソクラテスやプラトンやエピクロスやセネカが
 彼らの智慧の名において『善し』と承認して呉れる事に成るのです。

 何故なら、哲学読本大全においては、
 既に彼らの智慧が一つの智慧と成っているからです。
 哲学読本大全を媒体として、二人の智慧が一つに成った時、
 そこに生きた智慧が臨在する事に成るのです。
 その智慧は古今東西の聖人賢人たちの智慧と全く一緒です。
 その智慧が如何に力が在るか、
 皆様はお分かりになると思います。

 その智慧の力を応用したものが、『哲学広場』と言う事に成るのです。
 哲学読本大全が完成すれは、
 哲学読本大全を媒体に、哲学広場が自律的に、全国に展開されて行く事に成るのです。
 そしてその哲学広場から、多くの聖人君子たちが生み出されて行く事に成るのです。

 哲学一貫教育には、「小中高大学哲学一貫教育」、「大学教育学部における徹底した哲学教育」、「哲学読本大全(全百巻)の作成」、「哲学広場の設置」の四つの柱があると言いましたが、前の二つは制度的なものがあり直ぐに実行する事は出来ませんが、後の二つは哲学者(智慧を愛する者)が集まりさえすれば、直ぐにでも実行する事が出来るのです。

 もし「哲学読本大全(全百巻)」が完成すれば、
 「小中高大学哲学一貫教育」と「大学教育学部における徹底した哲学教育」が無くても、
 哲学読本大全と哲学広場が両輪と成って、
 自律的に、この日本を哲学国家日本へと導いて行く事に成るのです。

 と言う事で、ここで皆様哲学者(智慧を愛する者)にお願いがあります。
 それは一緒に成って、「哲学読本大全(全百巻)」を完成させて頂きたいと言う事です。
 もし皆様の力に依って「哲学読本大全」が完成すれば、
 「哲学広場」は自律的に全国に展開されて行く事に成り、
 その哲学広場から多くの聖人君子が生み出され、
 そして日本は哲学国家と呼ばれる国へと変貌して行く事に成るのです。
 それはそう遠い未来の事ではありません。
 皆様が生きている間にです。
 それも皆様方哲学者(智慧を愛する者)の力でそう成るのです。
 とても素敵な事だとは思いませんか。
 その為にも哲学読本大全の作成に力を貸して下さい。

 それでは、これから哲学読本大全(全百巻)の作成方法について、説明して行きたいと思います。
 哲学読本大全の(全百巻)の作成方法はとても簡単なのです。
 哲学者(智慧を愛する者)が集まれば、直ぐにでも作成する事が出来るのです。

 しかしこの哲学読本大全は、日本における国民的歴史的知的財産と成るものですので、
 ある程度の準備を整えた上で作成する事とします。
 
 先ずはお金ですが、
 哲学読本大全の作成には、お金はそれ程必要ではありません。
 しかしお金が有れば、哲学読本大全の作成もよりスムーズに行く事に成りますから、
 ある程度のお金は集める事とします。
 そのお金については、国の補助金と民間の篤志家の寄付金で賄う事とします。
 それらの資金を集める事はそれ程難しい事では無いと思います。
 何故なら、哲学読本大全の作成は、官民共同の一大的国家プロジェクトとして実施される事に成るのですから。
 哲学読本大全は、国民的歴史的知的財産と成るものなのです。
 その事を説明すれば、誰でも間違いなく賛意を表して呉れると思います。
 
 次に哲学読本大全の作成に実際に従事する人々の事ですが、
 彼らは全てボランティアとします。
 しかし全てを手弁当と言う訳には行きませんので、
 お金の融通される範囲内で、実費弁償は行う事とします。

 これでお金と人の準備が出来ました。
 後は手順に従って作成して行くだけです。
 手順を示すと次の通りです。 

 先ずは、哲学読本大全作成委員会を設置します。
 この委員には、日本を代表する哲学者(智慧を愛する者)に成って頂きます。
 これにより、哲学読本大全はほぼ完成した事と成るのです。
 何故ならこれら日本を代表する智慧に、日本国中の智慧が集まる事に成るからです。

 次に、哲学読本大全作成委員会において、五百の哲学テーマを決定します。
 
 次に、この五百の哲学テーマに関して、それぞの哲学テーマ毎に、古今東西の名著の中の名文を広く募集します。
 募集ルートについては、主に次の三つとします。
 第一のルートは、小学校、中学校、高校、大学、公民館、図書館、学会等の教育学術機関ルートとします。
 小学校、中学校、高校、大学については、教師からだけでなく、児童生徒学生父兄からも広く募集する事とします。
 また公民館、図書館についても、その事務局からだけでなく、その利用者からも広く募集する事とします。
 更に、学会等についても、その事務局からだけでなく、その構成員からも広く募集する事とします。

 第二のルートは、出版社ルートとします。
 全ての出版社において、その出版社が出版している古今東西の名著の中から、それぞれの哲学テーマ毎に、有る限りの名文を推薦して頂く事にします。
 この出版社ルートによる推薦によって、哲学読本大全は充実したものと成るのです。
 何故なら、出版社の協力が無ければ、哲学読本大全は一歩も先に進まないからです。
 しかし出版社の協力があれば、哲学読本大全は、国民的歴史的知的財産として、数千年後まで生き続ける事が出来るものと成るのです。
 そしてこの現代においては、哲学に関するバイブル的なものと成って行くのです。
 ですので、出版社の方々からは最大限の御協力を頂く事とするのです。
 なお、哲学読本大全については、各出版社においては、各出版社が出版している名著の総合案内書的なものとして、理解して頂く事に依って、協力して頂く事と成ります。

 第三のルートは、一般国民(マスコミ)ルートとします。
 新聞、テレビ、雑誌、インターネット等を通じて、一般国民から広く募集する事とします。

 次に、哲学読本大全作成実行委員会において、
 上記の方法で集まった古今東西の名著の中の名文を整理編集し、
 哲学読本大全の原稿を作成する事とします。
 哲学読本大全作成委員会において作成する原稿は次の二つとします。
 一つが、インターネットオンデマンド印刷製本用の原稿であり、
 他の一つが、インターネットウェブ閲覧用の原稿と言う事に成ります。

 次に、哲学読本大全作成委員会の名において、
 上記の二つの哲学読本大全をインターネット上で無料公開する事とします。
 これで誰でも自由に無料で、インターネットオンデマンド用印刷製本原稿から、哲学読本大全(全百巻)を印刷製本する事が出来る様に成り、
 誰でも自由に無料で、インターネットウェブから、哲学読本大全を閲覧する事が出来る様に成るのです。

 次に、全国の全ての、小学校、中学校、高校、大学、地区公民館、公立図書館において、
 哲学読本大全(全百巻)をインターネット上のオンデマンド印刷製本用原稿から、印刷製本した上で、図書室・図書館等において、開架図書として、一般の閲覧に供する事とします。
 これにより、哲学読本大全が完成です。

 この哲学読本大全の完成により、
 哲学が日本国中の隅々にまで浸透して行く事に成るのです。
 何故なら、誰でも、何時でも、何処にいても、自由に哲学読本大全を読む事が出来る様に成るからです。

 何かに迷ったら、その人は哲学読本大全を読む事に成ります。
 また何かに迷っている人を見付けたら、その人は哲学読本大全を読んだらと勧め、その後その二人は、その哲学読本大全を基に話し合いを進める事に成るのです。
 その様にして、哲学読本大全を基に、日本国中に哲学が浸透して行く事に成るのです。

 哲学読本大全が、日本における哲学のスタンダードと成って行くのです。
 何故なら、哲学読本大全には、日本国民が必要とする全ての哲学が織り込まれている事に成るからです。

 「哲学読本大全」は日本の英知を結集して作成するものです。
 そこには日本国民の必要とする全ての哲学が収められる事と成るのです。
 その為にも皆様方哲学者(智慧を愛する者)の協力が必要と成るのです。
 どうか皆様の力で、『哲学読本大全(全百巻)』を完成させて頂きたいと思います。

 なお、哲学読本大全(全百巻)と言っていますが、
 実際にはもう一巻、別巻を作成する事としています。
 その別巻とは、「智慧と愛の巻」と言う事に成ります。

 智慧と愛に関する古今東西の名著の中の名文は、到底百編では収まり切りません。
ですので、智慧と愛に関しては、別巻「智慧と愛の巻」として、智慧と愛に関する古今東西の名著の中の名文を、それぞれ二百五十編以上づつ、合計五百編以上収める事とするのです。
 そしてこの別巻「智慧と愛の巻」は、智慧と愛に関する古今東西の名著の中の名文が全て収まるまで、毎年作成し続けて行く事とするのです。
 多分百年千年かけても、それは収まる事は無いと思いますので、別巻「智慧と愛の巻」は永遠に作成し続ける事と成るのです。

 この別巻「智慧と愛の巻」が、日本における智慧と愛の百科全書的バイブルと成って行くのです。
 何故なら、この「智慧と愛の巻」には、日本における全ての智慧と愛に関する名文が収められる事に成るからです。
 智慧と愛を求める人は、誰でもこの「智慧と愛の巻」から、その智慧と愛を手に入れる事が出来る様に成るのです。

 そこには無数の智慧と愛が在ります。
 しかしその本質は一つです。
 しかし多くの人はそれに気付いていません。
 しかしそれに気付いていない人でも、
 智慧と愛に関する名文を、百編、二百編、三百編、千編と読んで行けば、
 その智慧と愛の本質に気付く事に成るのです。
 その事に気付いた人の事を哲学者(智慧を愛する者)と言うのです。
 智慧を愛する事に気付いた人は、
 今度は隣人を愛せずにはいられなくなるのです。
 これが智慧と愛の神秘です。
 何故なら智慧に辿り着いた時、人は至福へと至る事に成るのです。
 この至福の分かち合い、それこそが愛なのですから。

 この様にして、別巻「智慧と愛の巻」は、日本人の多くの人を智慧と愛の世界に導く事に成るのです。

 哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)と哲学読本大全(全百巻)の関係は、太陽(恒星)と惑星の関係に似ています。
 哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)には、智慧の光と愛の熱が一杯に詰まっています。
 そして哲学読本大全(全百巻)は、その智慧の光と愛の熱を一杯に受けているのです。
 更に哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)はその引力に依って、哲学読本大全(全百巻)全体を秩序付けているのです。

 「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」により、人は智慧と愛の本質を知る事と成り、
 「哲学読本大全(全百巻)」により、人はその智慧と愛の形を知る事と成るのです。

 『帰納と演繹』。

 「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」により、人は智慧へと向かいます。
 人が智慧へと辿り着いた時、そこに愛があるのです。
 その智慧と愛から様々な愛が生まれ、
 そしてそこに智慧と愛の世界が現出して行く事に成るのです。

 「哲学読本大全(全百巻)」はその智慧と愛の世界の実証と成るものなのです。

 「哲学読本大全(全百巻)」には古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧と愛の世界が一杯に鏤められています。
 皆様の智慧と愛から生まれたその智慧と愛の世界と、
 古今東西の聖人賢人哲人たちの智慧と愛の世界が同じ様なものに成れば、
 その時皆様は真の哲学者です。
 「哲学読本大全(全百巻)」は、皆様の智慧と愛から生まれたその智慧と愛の世界を実証する為の参考書と成るものなのです。

 「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」と「哲学読本大全(全百巻)」が両輪と成って、
 皆様を哲学者(智慧と愛する者)へと導く事に成るのです。
 しかし残念ながら、皆様を聖人君子へとは導かないのです。
 皆様が聖人君子と成る為には、もう一つのシステムが必要と成って来るのです。
 それが『哲学広場』と言う事に成るのです。

 なお、「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」と「哲学読本大全(全百巻)」と併記するのは煩わしいので、
 今後はこの二つを纏めたものを「哲学読本大全」と呼ぶ事としますので御了解願いたいと思います。
 「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」は、古今東西の名著の中の「智慧と愛」に関する名文だけを集めて編集したものとし、毎年作成するものとし、永遠に作成し続けるものとします。
 日本における智慧と愛に関する百科全書的なバイブルとして作成し続ける事とします。
 なおここで言う智慧とは、この書においてこれまで見て来た智慧の事です。
 すなわち偉大な哲学者(智慧を愛する者)たちの中心概念と成って来た智慧の事です。
 ソロモン、ソクラテス、プラトン、エピクロス、セネカ、デカルトが智慧と呼び、
 ダビデ、イエス、パウロが主と呼び、
 孔子が仁と呼び、
 王陽明が良知と呼び
 老子が道と呼び、
 クリシュナがアートマンと呼び、
 ブッダが般若等々と呼んだその智慧の事です。

 「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」においては、古今東西の全ての偉大な哲学者(智慧を愛する者)たちの智慧と愛に関する名文を全て収める事とするのです。
 すなわち、日本における、智慧と愛に関する百科全書的なバイブルとして作成し続ける事とするのです。

 この「哲学読本大全(別巻:智慧と愛の巻)」と「哲学読本大全(全百巻)」が一体と成った『哲学読本大全』は、
 皆様を哲学者へとは導きますが、
 残念ながら皆様を聖人君子へとは導かないのです。
 皆様を聖人君子へと導く為にはもう一つのシステムが必要と成るのです。
 それが『哲学広場』と言う事に成るです。

 次に哲学一貫教育の四番目の柱である『哲学広場』について説明して行きたいと思います。

 この哲学広場こそが、日本を哲学国家へと導いて行く事に成るです。
 何故なら、この哲学広場から生まれた聖人君子たちが、日本を哲学国家へと導いて行く事に成るからですから。

 哲学広場とは、哲学を行う広場と言う意味ですが、実際には、哲学的対話を行う部屋、すなわち哲学対話室の事を言います。
 この哲学広場(哲学対話室)が、日本国中の全ての小学校、中学校、高校、大学、地区公民館に設置される事と成るのです。

 この哲学広場(哲学対話室)には、哲学ボランティア‘ソクラテス’と言う者が二名以上常駐し、哲学広場を訪れた者と哲学的対話を行う事と成ります。
 また、哲学広場を訪れた者同士で、哲学的対話を行う事に成ります。
 更に発展した哲学広場においては、、哲学講義や哲学書輪読会の実施、独自の哲学読本や哲学随想集や哲学対話録の作成、更にそれらを踏まえて様々な哲学的行為が実践される事と成るのです。

 そんな哲学広場が、全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、地区公民館に設置される事と成るのです。
 この哲学広場が、日本国中における哲学の拠点と成り、
 この哲学広場から生まれた聖人君子たちが日本を哲学国家へと導いて行く事に成るのです。

 なお、全国の全ての哲学広場の中心的な存在と成るものとして、『哲学広場日本』を置き、
 また各都道府県の哲学広場の中心的な存在と成るものとして、哲学広場都道府県を置く事とします。
 哲学広場日本及び哲学広場都道府県においては、全国の全ての哲学広場の活動を支援する事に成りますが、具体的には次の様な事を行う事とします。
 一 哲学ボランティア‘ソクラテス’の育成
 二 哲学読本大全の作成
 三 哲学広場の設置運営支援
 四 哲学講座の実施
 五 ホームページ「哲学広場」の運営
 六 機関紙「哲学広場」の発行
 七 哲学随想集の作成
 八 哲学対話録の作成
 九 哲学一貫教育の全面的支援
 十 「智慧と愛の哲学学会」の事務局
 十一 哲学専門学校(智慧と愛の学校:聖人君子養成施設)の運営

 それではそれぞれの哲学広場の設置方法について説明します。
 先ず小学校、中学校、高校に設置される哲学広場ですが、
 これは学校の研修室等を使用して設置する事とします。
 設置時間は、毎週金曜日の午後三時から午後五時までとします。
 次に、大学、地区公民館ですが、
 大学については大学図書館研修室等を、
 公民館については公民館研修室等を使用して設置する事とします。
 設置時間は、毎週土曜日の午後二時から午後五時までとします。
 これにより、日本全国の全ての小学校、中学校、高校、大学、地区公民館において、毎週一回哲学広場が開設される事と成るのです。
 これにより、日本国民は誰でも何処に居ても、毎週一回は、自由に哲学的対話を楽しむ事が出来る様に成るのです。

 次にその運営方法ですが、
 小学校、中学校、高校に設置される哲学広場においては、
 その学校の教師、父兄、地区住民、卒業者、一般市民等で哲学に関心のある者が哲学ボランティア‘ソクラテス’と成って、
 哲学広場の開設時間に常駐し、
 哲学広場を訪れた児童生徒と哲学的対話を交わす事に成ります。
 また哲学広場を訪れた児童生徒同士でも哲学的対話を交わす事成ります。
 更に発展した哲学広場においては、哲学講義や哲学書輪読会の実施、独自の哲学読本や哲学随想集や哲学対話録の作成、更にはそれらを踏まえて様々な哲学的行為が実践される事と成るのです。
 この哲学広場において、児童生徒は、哲学的素養のある大人と接する事と成り、真に哲学(智慧を愛する事)に目覚める事に成るのです。
 そして切磋琢磨の後、更には聖人君子への道を進む事と成るのです。

 大学に設置される哲学広場においては、
 その大学の教師、院生、学生、卒業生等で哲学に関心のある者が哲学ボランティア‘ソクラテス’と成って、
 哲学広場の開設時間に常駐し、
 哲学広場を訪れた大学の学生や一般市民等と哲学的対話を交わす事と成ります。
 その他については、小中高校と一緒ですが、
 哲学担当教授のいる大学の哲学広場は、その地区における人気のある哲学広場と成り、
 更に優秀な哲学担当教授がいる哲学広場は、全国的も有名な哲学広場と成り、全国からその哲学者を慕って集まる事と成り、自然発生的に日本における哲学の中心地とも成って行くのです。

 地区公民館に設置される哲学広場においては、
 その地区の小学校、中学校、高校、大学の教師や哲学に関心のある一般市民が哲学ボランティア‘ソクラテス’と成って、
 哲学広場の開設時間に常駐し、
 哲学広場を訪れた一般市民と哲学的対話を交わす事に成ります。
 その他については、小中高大学と一緒です。

 そしてこの哲学広場の基礎の基礎と成るのが哲学読本大全と言う事成るのです。
 例えば、夢や希望や理想や愛や、
 自由や人生や幸福や、
 その他様々な事を話し合うにしても、
 もし哲学読本大全に依って、
 それらに関してある程度の一致点を見いだしてからの対話であれば、
 それはそれは実りあるものと成ります。
 何故なら、そこには既に智慧が臨在しているのですから。
 しかしそれを一から始めると成ると議論百出と言う事に成るのです。
 それは対話ではなく、議論と成ってしまいます。
 時には争論に成ってしまうかも知れません。
 それでは智慧は離れて行ってしまうのです。

 哲学広場は、智慧を愛し、智慧に近付き、そして智慧と共に在る愛を確認する為の広場です。
 その為には、議論ではなくて、どうしても対話が必要なのです。
 その為にも、哲学読本大全に依って、智慧と愛に関するある程度の知識を得て置く必要があるのです。
 そこから出発すれば、誰でもいち早くその世界へと向かう事が出来る様に成るのです。

 哲学読本大全と哲学広場、
 これが車の両輪と成って、
 この日本を哲学国家日本へと導いて行く事に成るのです。
 その為にも、先ずは哲学読本大全を作成しなければならないと言う事に成るのです。

 哲学読本大全は、皆様を哲学者(智慧を愛する者)へと導き、
 哲学広場は、皆様を聖人君子(智慧と愛の世界を実現しようとする者)へと導くのです。
 哲学読本大全に依って、皆様は哲学者と成り、
 哲学広場に依って、皆様は聖人君子への道を進む事と成るのです。
 哲学読本大全と哲学広場が車の両輪と成って、
 この日本を哲学国家へと導いて行く事に成るのです。

 以上が哲学広場の概要であり、哲学一貫教育の概要ですが、
 ここでもう一度哲学一貫教育を整理する事とします。
 哲学一貫教育に次の四つの柱がありましたよね。
 第一が「小中高大学哲学一貫教育」であり、
 第二が「大学教育学部における徹底した哲学教育」であり、
 第三が「哲学読本大全の作成」であり、
 第四が「哲学広場の設置」でしたよね。

 この四つに依って、日本は世界に冠たる哲学国家と成るのです。
 一番目の「小中高大学哲学一貫教育」に依って、哲学的素養に優れた児童生徒学生が生み出される事と成ります。
 二番目の「大学教育学部における徹底した哲学教育」に依って、哲学的素養に優れた教師が生み出される事に成ります。
 この哲学的に素養に優れた教師が、哲学一貫教育の教師と成る事に依って、更に哲学的素養に優れた児童生徒学生が生み出される事と成ります。
 三番目の「哲学読本大全の作成」に依って、哲学が国民の隅々にまで浸透する事と成ります。
 四番目の「哲学広場の設置」に依って、真に優れた哲学者が生まれ、更には聖人君子が生まれる事と成るのです。
 これら四つが連携し合い、響き合って、日本は哲学国家へと向かう事に成るのです。

 この四つに依って、日本が世界に冠たる哲学国家に成る事については、誰も意を挟まないと思いますが、
 「小中高校大学哲学一貫教育」と「大学教育学部における徹底した哲学教育」については、制度的な制約があり、直ぐに実行すると言う訳には行かないのです。
 しかし「哲学読本大全の作成」と「哲学広場の設置」については、制度的な制約は何も無く、お金もほとんどかからないのです。
 哲学者(智慧を愛する者)が集まれば、直ぐにでも実行する事が出来るのです。
 ですから、先ずは「哲学読本大全の作成」と「哲学広場の設置」を先行させる事とするのです。

 哲学読本大全が作成され、哲学広場が全国的に展開する事に成れば、
 日本国中に哲学(智慧を愛する事)の概念が浸透して行きます。
 そこに哲学国家日本と言う概念が生まれて来ます。
 その国民の総意に依って、
 哲学国家日本の基礎ともなる「小中高校大学哲学一貫教育」と「大学教育学部における徹底した哲学教育」が実施される事と成るのです。

 その為にも、先ずは哲学読本大全の作成と哲学広場の設置を先行させる事とするのです。

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