第十八章 哲学国家日本

第十八章 哲学国家日本の実現の為に

 哲学国家日本とは、国民の一人一人が智慧を愛する事に依って成熟して行く国家日本の事を言います。

 智慧とは何か、
 それは古今東西の聖人賢人哲人たちの中心にある概念です。
 全てがそこから生まれ、全てがそこに収束して行く所の『それ』の事です。
 その智慧を国民一人一人が愛する事に依って、成熟して行く日本の事を哲学国家日本と呼んでいるのです。

 『それ』、すなわちその智慧は全ての人に平等に存在しています。
 しかし多くの人がその事について気付いていません。
 何故気付かないのか。
 それは誰もがその事を教えて呉れないからです。
 それを教える場所、それが哲学一貫教育と言う事に成るのです。
 そしてそれを育む場所、それも哲学一貫教育と言う事に成るのです。

 哲学一貫教育は次の四つの柱から成っています。
 一 小中高大学哲学一貫教育
 二 大学教育学部における徹底した哲学教育
 三 哲学読本大全の作成
 四 哲学広場の設置
 この四つの柱で、日本は世界に冠たる哲学国家に成るのです。
 それは間違いの無い事です。
 あのアテネをも超える事に成るのです。

 そこには多くの哲学者が居り、そして多くの聖人賢人が居るのです。
 その様な国家はこれまでありませんでした。
 何故日本がその様な国家に成り得るのか、
 それは日本に宗教が無いからです。
 全ての宗教を超えて、日本は哲学国家と成れるのです。

 そして日本はこれまでに無かった様な物質文明を経験しています。
 そして良識ある日本人はこうも言っています、もう物質文明はこれ位で良いと。
 そこに「言霊の幸(さきは)ふ」余地があるのです。

 全ての宗教の衣を脱ぎ去り、全ての物質文明を剥ぎ取った所に「言霊の幸ふ国」が在るのです。
 何故なら日本は元々「言霊の幸ふ国」だったのですから。
 「言霊の幸ふ国と語りつぎ言ひつがひけり」(万葉集)

 「言霊の幸ふ国」とは如何なる国の事を言うのか。
 それは智慧の王国の事。
 それは身も心も清く正しく美しくです。
「われわれの探し求むべきものは何かと言うに、それは抵抗し得ざる或る力の支配を毎日受けないもののことです。それは何でしょう。それは心ですが、それは正しい、善い、大きな心のことです。この心を、人間の肉体に宿る神という以外に何と呼ぶでしょうか。」
「では、どういうものが賢者を作るのか、とお尋ねですが。それは神を作るものです。」
「問うて曰く、和尚は既に一切処に於いて皆無心なりと云う。木石も亦た無心なり、豈(あ)に木石に同じからざるか。答えて曰く、爾我の無心は、木石に同じからず。何を以ての故ぞ。譬えば天鼓の如し、無心なりと雖復(いえど)も、自然に種々の妙法を出して衆生を教化す。又如意珠の如し、無心なりと雖復(いえど)も、善能(よ)く諸法実相を覚了し、真般若を具して、三身自在に応用して妨ぐる無し。」
「無心と言うは、即ち妄想無き心なり。」
「無垢であろうと努め、まっすぐ見ようとせよ。平和な人には未来がある。」
「あなたに望みをおき、無垢でまっすぐなら、そのことがわたしを守ってくれるでしょう。」
「わたしは主に無垢であろうとし、罪から身を守る。」

 哲学は皆様を清く正しく美しくして呉れるのです。
 哲学とは何と素晴らしい学問なのでしょう。
 皆様が清く正しく美しく成る為の条件、それが無心無垢無我の境地なのです。
 そしてそこに至るには哲学(智慧を愛する事)しかないのです。

 皆様は十二歳から十五歳の間に自我に目覚めます。
 イエスは十二歳で自我に目覚めました。
 孔子は十五歳で自我に目覚めました。
 そこから本当の自分とこの世の自分との戦いが始まったのです。
 彼らはこれらの戦いを全て戦い抜き、
 そしてこの世の私を制し、本当の自分自身に成ったのです。
 そこから彼らはこの世に出て行ったのです。

 皆様のこの世の自分と本当の自分との闘いはもう終わりましたか。
 皆様はここでこう言うのかも知れません。
 全戦全敗だ、もう戦う意欲さえ無いと。
 皆様が悪いのでしょうか、いいえこの世が悪いのです。
 皆様が今のこの日本に在って、聖人君子と成るのは、
 イエスや孔子の時代に比べて百倍も千倍も難しい事だと思います。
 何故なら彼らの時代には敬虔と言う素地がありましたが、
 今は全く無いのですから。
 皆様が清く正しく美しく生きると言う事は、イエスや孔子の時代に比べて百倍も千倍も難しいのかも知れません。
 しかし心配要りません。
 今福音が知らされているのです。
 それが皆様方千人の皆様方です。
 
 皆様方は「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成に依って、智慧を知り抜いています。
 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
 そこには千人の皆様が居るのです。
 そこにどんなエネルギーが在るのか。
 それが哲学国家日本なのです。

 皆様の力に依って、日本は哲学国家と成るのです。
 そして、そのスタートが「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」(仮本)の作成と「哲学広場日本」(仮称)の設置と言う事に成るのです。

 先ずは、哲学広場日本(仮称)のホームページを開設する事とします。
 そこに皆様方がそれぞれに作成した「哲学読本(智慧と愛の巻)」を掲載する事とするのです。
 「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」(仮本)の完成です。

 この「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」(仮本)の完成に依り、日本は一気に哲学国家日本へと向かう事と成るのです。
 
 皆様方は「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」(仮本)を貪る様に読む事と成ります。
 そして得心して『破顔微笑』する事と成るのです。
 哲学国家日本の始まりです。

 皆様はその「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」(仮本)を基に、
 今度は、千人の皆様方とそれぞれに哲学的対話を進めて行く事に成ります。
 そして皆様は直にその智慧において惑わなく成るのです。
 すなわち孔子四十歳の時の境地「不惑」へと至るのです。
 皆様が不惑に至った時、皆様は真の哲学者と成るのです(「知者は惑わず」)。
 千人の皆様方がそこまで達した時、もう哲学国家日本への道は誰も止められなく成ります。

 千人の皆様方がそれぞれの県庁所在地において、哲学広場県庁所在地を開設する事と成ります。
 すなわち、
 哲学広場鹿児島市
 哲学広場松山市
 哲学広場松江市
 哲学広場京都市
 哲学広場金沢市
 哲学広場横浜市
 哲学広場仙台市
 哲学広場札幌市等々が開設される事と成るのです。

 千人の皆様÷四十八都道府県≒二十人の皆様と言う事で、
 それぞれの哲学広場都道府県所在には二十人の皆様が哲学ボランティア‘ソクラテス’が張り付く事と成ります。
 その哲学広場都道府県所在地が成功しない訳がありません。
 
 四十八の哲学広場都道府県所在地がそれぞれに軌道に乗った時、
 哲学広場日本と哲学広場都道府県と哲学広場都道府県所在地が正式に設置される事と成ります。すなわち、
 哲学広場日本、 哲学広場鹿児島県、 哲学広場鹿児島市
         哲学広場愛媛県、  哲学広場松山市
         哲学広場島根県、  哲学広場松江市
         哲学広場京都府、  哲学広場京都市
         哲学哲学石川県、  広場広場金沢市
 哲学広場神奈川県、 哲学広場横浜市
         哲学広場宮城県、  哲学広場仙台市
         哲学広場北海道、  哲学広場札幌市等々が正式に設置される事と成るのです。

 そして哲学広場日本の正式設置と共に、『哲学読本大全』が作成される事と成るのです。
 (なお、『哲学読本大全』は、「哲学読本大全(全百巻)」と「哲学読本大全(智慧と愛の巻全百巻)」を同時に作成する事とします。先に「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」については、先ずは別巻を一巻出し、その後毎年発刊し続ける様な事を言っていましたが、そうではなくて一気に「哲学読本大全(智慧と愛の巻全百巻)」を作成する事とするのです。何故なら「哲学読本大全(智慧と愛の巻全百巻)」に依って多くの日本人が一気に智慧と愛の本質を知る事が出来る様に成るからです。「哲学読本大全(智慧と愛の巻全百巻)」が日本人に取って、智慧と愛に関するバイブル的なものと成り得るからです。そして哲学読本大全(全百巻)と哲学読本大全(智慧と愛の巻全百巻)が一体と成った『哲学読本大全』が日本における哲学のスタンダードと成るのです。)

 『哲学読本大全』の完成と同時に、日本は一気に哲学国家への道を進む事に成るのです。
 「哲学読本大全」と「哲学広場日本」と「哲学広場各都道府県」と「哲学広場各都道府県所在地」が一体と成って、一気に日本全国の各市町村に哲学広場が設置される事と成ります。
 そして更には日本全国の全ての大学、高校に哲学広場が設置される事と成るのです。

 「哲学読本大全」が作成され、「哲学広場日本」が設置され、
 そして全ての都道府県、全ての市町村、全ての大学、全ての高校に「哲学広場」が設置されて行くに従い、国民の間にいやがうえにも哲学に関する関心が高まる事に成ります。
 その国民の総意に依って、「小中高大学哲学一貫教育」と「大学教育学部における徹底した哲学教育」が実施される事と成るのです。
 「哲学一貫教育」の完成です。
 哲学一貫教育の完成に依って、
 哲学的素養に優れた多くの教師が生れ、
 哲学的素養に優れた多くの児童生徒学生が生まれ、
 日本全国の小学校、中学校、高校、大学そして地区公民館に哲学広場が設置される事と成り、
 その哲学広場において哲学読本大全等と基に様々な哲学的対話が行われ、
 更にはそれらを基に日本全国において様々な哲学的営為が営まれる事と成るのです
 この哲学一貫教育の完成に依って、日本は「言霊の幸ふ国」日本、「美(うま)し国」日本と成るのです。(「美し国そあきづ島大和の国は」(万葉集))

 言霊が幸ふ事に依って、日本は「美し国」と成るのです。
 「美し国」とは「言霊の幸ふ国」の事です。
 そしてそれは哲学国家日本の事でもあるのです。

 言霊の幸ふ国日本、美し国日本、哲学国家日本とはどの様な国家を言うのか。
 それは身も心も清く正しく美しくです。
 国民一人一人が、身も心も清く正しく美しくある国家の事なのです。
 そしてそれは言(言葉、言霊)に表徴されるのです。(真善美の言葉たちに表徴される事と成るのです)

 「初めに言があった。
 言は神と共にあった。
 言は神であった。
 この言は初めに神と共にあった。
 万物は言によって成った。
 成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。」

 哲学一貫教育においては、清く、正しく、美しい言葉を学ぶ事に成ります。
 清く、正しく、美しい言葉を学べば学ぶほど、その言葉の源泉すなわち言(智慧)を知る様に成るのです。
 これが哲学一貫教育の原理です。

 様々な場で、清く、正しく、美しい言葉を学ぶ。(真善美の言葉を学ぶ)
 そしてその言葉の源泉に思いを馳せる。
 それが哲学一貫教育です。

 言葉の源泉、すなわち言(智慧)とは何か。
それが本当の皆様の事なのです

 本当の皆様は本当に本当に素晴らしい存在です。
 その事を学ぶ事が哲学一貫教育なのです。
 皆様一人一人が素晴らしい存在だと分かれば、
 国民一人一人が素晴らしい存在なのです。
 その国民の総意に依って形成される国家、
 それが「言霊の幸ふ国日本」であり、「美し国日本」であり、
 そして「哲学国家日本」なのです。

 そしてそれは皆様がそれぞれに作成する『哲学読本(智慧と愛の巻)』から始まるのです。

 「哲学国家日本」の基本原理は、皆様がそれぞれに見出したその智慧と愛です。
 その智慧と愛に依って靱帯される国家、それが哲学国家日本です。
 その為にも先ずは皆様方がそれぞれにその智慧と愛を見出さなければ成らないのです。
 その為の作業が「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成と言う事に成るのです。

 どうか一日も早く「哲学読本(智慧と愛の巻)」を完成させて下さい。

 千人の皆様方がそれぞれに「哲学読本(智慧と愛の巻)」を完成させ、
 そしてそれらが「哲学読本大全(智慧と愛の巻)」(仮本)として、哲学広場日本(仮称)のホームページ上に掲載された時から、哲学国家日本が始まる事と成るのです。
 もう誰もその動きを止められなく成ります。

 「哲学国家日本」と言うと、何かしら宗教的、政治的臭いを感じると言う方がいらっしゃるかも知れませんが、そんな事とは全く無関係です。
 哲学国家日本とは、国民一人一人が智慧を愛する事に依って、成熟して行く日本の事を言っているのです。
 当たり前の事を、当たり前に言っているだけです。
 しかしそれが当たり前でない。
 だから少しだけ刺激的な言葉を使って、少しだけ声を高めて行っているだけの事なのです。

 哲学と言うと多くの人が胡散臭い顔をします。
 何故か、それは哲学の意味を知らないからです。
 哲学とはphilosophia、それは智慧(sophia)を愛する(philo)事。
 その様に正しく伝えたら、多くの人が哲学を熱心に求める事に成ります。
 何故なら智慧とは本当の自分自身の事なのですから。
 そして哲学とはその本当の自分自身を求める事なのですから。

 智慧=本当の自分自身、
 これは明らかな上にも明らかな事なのですが、
 多くの人がこの事を理解し得ていないのです。
 何故か、
 それはほとんどの人が本当の自分自身を熱心に求めた事が無いからです。

 本当の自分自身を熱心に求めて行けば、
 どうしても『それ』に突き当たる事に成るのです。
 『それ』については古今東西の聖人賢人たちが様々に表現していますが、
 それは皆様の智慧の事であり、そして本当の皆様の事なのです。

「盡(けだ)し、良知の人心に在るや、万古に亘り、宇宙に塞って、同じからざる無し。」
「良知の人心に在るは、聖愚を間(へだ)つる無く、天下古今の同じき所なり。」
「夫れ、良知は、即ち、是れ、道にして、良知の人心に在るは、但だに、聖賢のみならず、常人と雖も、亦、此(かく)の如からざるは無し。」
「這(こ)の良知は、人人、皆有り。聖人は、只だ、これを保全して、些(いささか)の障蔽無し。」
「良知良能は、愚夫愚婦も聖人も同じ。但(た)だ惟(た)だ、聖人のみ能くその良知を致して、愚夫愚婦は致す能わず。此れ、聖愚の分かるる所なり。」
「『惟だ、天下の至聖のみ、能く、聡明叡智を為す』と。舊(もと)は、何と玄妙と看しが、今看れば、原(もと)、是れ、人人に自有の的(もの)なり。耳は、原(もと)、是れ聡、目は、原(もと)、是れ明、心思は、原(もと)、是れ叡智なり、聖人は、只だ、是れ、一に、之を能くするのみ。 能くする處は、正に、是れ、良知なり。」
「聖人の気象は、何に由って、認めん。自己の良知は、原(もと)、聖人と一般なり。若し、自己の良知を体認して、明白なれば、即ち、聖人の気象は、聖人に在らずして、我に在り。」

 ここまで読んで下さった皆様方は『それ』の事を朧げながら掴んでいます。
 しかし未だ未だ朧げです。
 『それ』については、皆様自身で掴むしか無いのです。
 皆様が「哲学読本(智慧と愛の巻)」を完成させ、
 そして『それ』を自らに体感した時、
 皆様は『それ』をしかと掴んだ事に成るのです。

「今あなた方は朧げに見ているが、その時は目と目を合せてはっきりと見る事に成る。」

 皆様がそれをしかと掴んだ時、そこから哲学国家日本が始まる事と成るのです。

 日本には宗教がありません。
 その為に付和雷同です。
 何故なら信じるものが無いからです。

 そんな日本だからこそ、日本は哲学国家に成れるのです。
 哲学とはphilosophia、それは智慧(sophia)を愛する(philo)事。
 智慧を愛する事について、誰か異を唱える人が居るでしょうか。
 日本国中を探してもそんな人は一人もいません。

 だからこそ、その哲学を日本のど真ん中に据えるのです。
 譬えそれを日本のど真ん中においても、それに対して真っ向から異を唱える事の出来るの人は誰も居ません。
 何故なら智慧を愛すると言う事は、人間そのものだからです。

 「智慧を愛してはいけません!」
 そんな事を言う人は狂人です。
 誰もそんな事を言う人の事なんか相手にしません。
 何故なら人間とは智慧を愛する存在そのものだからです。
 
 「智慧を愛してはいけません!」
 そんな事を言う人は
 「人間で在ってはなりません」
 と言う事を言っているのですから。
 更には
 「清く正しく美しき人(真善美なる人)であってはなりません」
とも言っているのですから。
 誰がそんな事を言う人に耳を傾けるでしょう。

 だからこそ「哲学(智慧を愛する事)」を日本のど真ん中に据えるのです。

 それによって、多くの人が智慧を愛する事に成ります。
 そして、そこに多くのソクラテスが生まれる事に成るのです。
 『汝自身を知れ』
 ソクラテスは自分自身を知り抜きました。
 そして皆様も自分自身を知り抜く様に成るのです。

 哲学の本質は『汝自身を知れ』。
 皆様が智慧を愛すれば愛する程、
 皆様は本当の自分自身を知る様に成るのです。
 何故なら本当の自分自身とは智慧の事なのですから。

 それは体感すればはっきり分かる事なのです。

 皆様が智慧を愛すれば愛する程、皆様は『恍惚』と成ります。
 そこには何の煩いも有りません。
 そこにおいては皆様は、何処までも何処までも自分が自分です。
 それが本当の皆様の事であり、智慧の事なのです。
 その中において、皆様が心から求めるものが与えられる事と成るのです。
 「求めなさい、そうすれば与えられる」
 皆様が心から求めるもの、それは愛です。

 その智慧と愛のままに、この世に在り続ける事が出来れば、
 皆様は清く正しく美しい人(真善美なる人)に成る事が出来るのです。

 これが哲学(智慧を愛する事)の原理なのです。

 哲学(智慧を愛する事)は皆様を清く正しく美しい人、すなわち聖人君子へと誘う事と成るのです。

 智慧と愛の現人神、聖人、賢人(君子)、哲人(哲学者)、そして凡人。

 哲学国家日本の最高の理想像は、
 自我に目覚めた国民の半数が、哲人(哲学者)以上に成る事です。
 それによって、哲学国家日本(言霊の幸ふ国日本、美し国日本)は維持される事と成るのです。

 なお、自我に目覚めた国民の全てが、哲人(哲学者)以上に成る事は決してありません。
 そしてまた自我に目覚めた国民の半数以上が、哲人(哲学者)以上に成る事も無いのです。
 これが人類の定めです。

 皆様は皆、哲学者です。
 皆様に依って、哲学国家日本が維持される事と成るのです。
 皆様は皆、哲学者です。
 ですから皆様は聖人君子を目指さなければならないのです。

 皆様が一心不乱に聖人君子を目指し、
 そして聖人の中の聖人と成った時、
 その時、皆様の為に天が開かれる事に成るかも知れません。
 その時その天は、
 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言うのかも知れません。
 もしそんな時が来れば、
 皆様は智慧と愛の現人神と成って、
 この世に智慧と愛を振りまく事に成るのです。

 その事は傍らの人にもはっきりと分かります。
 智慧と愛の現人神と成った皆様とお話をする人は皆、
 微笑みに満たされ、そして恍惚へと誘われるの事と成るのです。
 そして別れ際には合掌してお別れする事に成るのです。
 「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた」
 智慧と愛の現人神と成った皆様は、
 言葉(言霊)に依って、悪い思いに満たされている人や心の病に病んでいる人を癒す事に成るのです。
 智慧と愛の現人神と成った皆様は、
 微笑みに依ってその人の心の中に入って行き、
 そして恍惚に依ってその人を天の国へと招く事に成るのです。
 その為の手段が言葉(言霊)なのです。
 ですから皆様は徹底して古今東西の聖人賢人たちの智慧の言葉を学ばなければ成らないのです。
 そしてその為の最初の仕事が「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成と言う事に成るのです。

 皆様は皆、哲学者(智慧を愛する者)です。
 一緒に成って、聖人君子を目指しましょう。
 皆様の位階が高く成れば成るほど皆様は至福に満たされる事に成ります。
 何故なら皆様の位階が高く成れば成るほど、皆様は智慧と愛に満たされる事に成るのでうから。
 そして皆様が智慧と愛の現人神と成った時、
 皆様は至福の中、
 日本国中に智慧と愛を振り撒く事に成るのです。
 何と言う至福でしょう。

 皆様!智慧と愛の現人神を目指して頑張りましょう。
 千分の一かもしれませんが、それでも頑張りましょう。
 千人が切磋琢磨すれば、それは可能かも知れませんよ。
 その為にも先ずは「哲学読本(智慧と愛の巻)」を作成しなければなりません。
 そしてその後は徹底した哲学対話です。
 この哲学対話に依って、心の底から智慧と愛の言葉に塗れましょう。
 そうすればそこに智慧と愛の現人神への道が見えて来るかも知れませんよ。
 兎にも角にも、「智慧と愛の現人神」を目指して一生懸命頑張りましょう。
 その為にも、先ずは『哲学読本(智慧と愛の巻)』の作成が先決です!!!

 哲学国家日本とは皆様の力で実現するのです。
「またはっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたの二人が地上で心を一つにして求めるならば、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まることろには、わたしもその中にいるのである。」(譬えですよ、言葉に囚われないで下さい。わたしとは皆様の真心(智慧)の事です。皆様の真心(智慧)が一つに成ればそこに天の国が生まれる事に成るのです。これもまた例えです・・・)

 皆様は一人ではありません。
 また二人でも三人でも無いのです。
 皆様は千人なのです。
 その千人の皆様の智慧が一つに成るのです。
 そこから哲学国家日本が始まるのです。

 哲学広場日本が正式に設置されるまでは、
 仮の哲学広場日本(仮称)の事務局を設置する事とします。

 『哲学読本(智慧と愛の巻)』が完成したら、その事務局宛にメールで送る事とし、
 それを哲学広場日本(仮称)のホームページの原稿上にどんどん張り付けて行く事とし、
 そして千人の皆様の「哲学読本(智慧と愛の巻)」がホームページ上に張り付けられた時、
 そのホームページを一斉に公開する事とするのです。

 なおそのホームページは極々簡単なものと成ります。
 そのホームページには唯、『哲学読本大全(智慧と愛の巻)』(仮本)だけを掲載する事とするのです。
 そしてその構成は次の様なものと成ります
 一  A様の「哲学読本(智慧と愛の巻)」
 二  B様の「哲学読本(智慧と愛の巻)」
 三  C様の「哲学読本(智慧と愛の巻)」
 ・
 百  X様の「哲学読本(智慧と愛の巻)」
 ・
 千 Z様の「哲学読本(智慧と愛の巻)」
 勿論A、B、C、X、Zの皆様の名前は実名では無く、ペンネーム等々と成ります。
 唯これだけのホームページですが、
 このホームページが日本を哲学国家日本へと変えて行く事に成るのです。

 何故ならそこに千人の皆様の智慧がいるのですから。
 そしてその智慧は皆同じなのですから。
 そして更にはその千人の皆様の智慧を通じて、古今東西の聖人賢人哲人文人たちの智慧をも知る事と成るのです。
 そしてそれらの智慧も皆、同じで在る事を了解する事に成るのですから。
 そこに物凄いエネルギーが発生する事と成るのです。

 千人の皆様がそれぞれにその智慧を求めて行きます。
 その智慧はどんどん膨らんで行きます。
 しかしその智慧は一つなのです。
 その智慧は無で在ると共に、無限なのです。
 その智慧が哲学国家日本を創る事に成るのです。
 「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」

 なおここで言う「無」(道)とは無心無垢無我の境地だと理解して下さい。
 「爾我の無心は、木石に同じからず。何を以ての故ぞ。譬えば天鼓の如し、無心なりと雖復(いえど)も、自然に種々の妙法を出して衆生を教化す。又如意珠の如し、無心なりと雖復(いえど)も、善能(よ)く諸法実相を覚了し、真般若を具して、三身自在に応用して妨ぐる無し。」
 ここで言う無心とはこの無の事だと理解して下さい。
 その無の中に、無限の力が潜んでいるのです。
 それは皆様が「恍惚」を体感すれば分かる事なのです。
 この無とも言われる智慧に依って、哲学国家日本が形成されて行く事に成るのです。
 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった。」
 ここで言う「言」も「無」であり、智慧の事です。
 この言とも言われる智慧に依って、哲学国家日本が形成されて行く事に成るのです。

 兎にも角にも、皆様が「哲学読本(智慧と愛の巻)」を作成しない限りは、
 哲学国家日本は一歩も先へは進む事が出来ないのです。
 どうか騙されたと思って、「哲学読本(智慧と愛の巻)」を作成して下さい。
 それはひょっとしたら「哲学国家日本」へは導かないかも知れませんが、
 皆様を確実に『幸福』へと導いて呉れるのです。
 何故ならその『智慧』とは皆様御自身の事なのですから。
 皆様はそれを知り、それに満たされる事に依って、至福へと至る事に成るのです。
 『本当の自分自身に成る事が限りない善なのです』

 なお「哲学読本(智慧と愛の巻)」については、百人百冊の様に事を言っていましたが、
 百人は無視して下さい。
 イエスやブッダは一冊では納まらないでしょうから。
 兎に角、百冊(千の文章)を目指して下さい。
 百冊(千の文章)なら、そんなに難しい事では無いと思います。
 また一冊の定義についても、一巻の本と言う事では無く、一冊の冊子と言う風に考えて下さい。
 例えば新約聖書は一巻の本として纏められていますが。
 そこには「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ヤコブの手紙」、「ヨハネの黙示録」等々二十七冊から成っています。
 これらの一つ一つを一冊の勘定するのです。
 そうすれば、百冊なんてとても簡単だと思います。
 ここまで読んで下さった皆様はこれまでにたくさんの本を読んでいると思います。
 それらの中から「神」とか「仏」とか「天」とか「如来」とか「ブラフマン」とか「善」とか「聖霊」とか「般若」とか「智慧」とか「良知」とか「アートマン」とか「本当の自分自身」とか「神の国」とか「天国」とか「極楽」とか「涅槃」とか「ニルヴァーナ」とか「無心」とか「無垢」とか「無我」とか「恍惚」とか「エクスタシー」とか「至福」とかそんな言葉を徹底的に集めて整理してみて下さい。
 そうすれば自然に「哲学読本(智慧と愛の巻)」が完成する事に成るのです。

 何の難しい事も無いと思います。
 その文章のある個所をスキャナーで読み込み、A4版様式に張り付けて行くだけの事です。
 それが千枚仕上がれば、荒原稿は完成です。
 後はそれを皆様がそれぞれに整理編集して行けば、それで完成です。

 皆様はこれまでに沢山の本を読んでいます。
 それらの中からそれらに関する文章を徹底的にスキャナーして、A4版様式に張り付けて行って下さい。
 これまでにたくさん本を読んでいらっしゃる方であれば、一か月位で完成すると思います。
 そしてそれを何度も何度も読み返してみて下さい。
 そうすれば、そこに皆様の智慧がくっきりと浮かび上がって来る事に成ると思います。
 そこにおいて皆様はもう、世間の「神」や「仏」には惑わされなく成る筈です。
 何故ならその時、その神やその仏が、皆様の神や皆様の仏と成っているのですから。

 「神」とは何か、「仏」とは何か。
 それを見極める事が皆様の最初の仕事と成ります。
 そうすればその先に、哲学国家日本が浮かび上がって来るのです。

 哲学国家日本が宗教を超えると言う意味は、宗教を無視すると言う事ではありません。
 全ての宗教をも取り込んで行くと言う意味です。
 イエスやブッダも勿論取り込んでい行くのです。
 全て善きものを取り込んで行くのです。
 それは宗教の無い日本だからこそ可能な事なのです。

 哲学国家日本においては、世界中の全ての善きものを取り込んで行くのです。
 それは宗教の無い日本だから可能なのです。
 そしてその最初の仕事が、皆様がそれぞれに作成する「哲学読本(智慧を愛の巻)」と言う事に成るのです。
 皆様がそれぞれに作成した「哲学読本(智慧を愛の巻)」に依って、日本は哲学国家日本へと向かう事に成るのです。

 何故なら哲学国家日本とは、その智慧と愛に依って靱帯される国家の事なのですから。
 哲学国家日本とは皆様一人一人の智慧と愛に依って靱帯されるその「智慧と愛の国家」の事なのです。
 ですから皆様一人一人が、皆様一人一人でその智慧と愛を見出さなければ成らないのです。
 その為の作業が「哲学読本(智慧を愛の巻)」の作成と言う事に成るのです。

 どうかどうか皆様、今日から「哲学読本(智慧を愛の巻)」の作成に取り掛かって下さい。
 皆様のその「哲学読本(智慧を愛の巻)」が皆様を幸せにし、
 そして日本を更には世界をも幸せにするのです。

「古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。
 その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。
 その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。
 その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。
 その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。
 その意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致(きわ)む。
 知を致むるは物に格(いた)るに在り。
 物格りて后(のち)知至(きわ)まる。
 知至まりて后(のち)意誠なり。
 意誠にして后(のち)心正し。
 心正しくして后(のち)身修まる。
 身修まりて后(のち)家斉う。
 家斉いて后(のち)国治まる。
 国治まりて后(のち)天下平らかなり。」

 皆様は皆哲学者(智慧を愛する者)です。
 皆様は古の明徳(智慧)を天下に明らかにしようと心燃えています。
 皆様は皆、心の中で、皆様の国を治め、皆様の家を斉え、皆様の身を修め、皆様の心を正し、皆様の意を誠にしたいと思っています。
 その為には古の明徳(智慧)を天下に明らかにしなければ成らないのです。
 その為には知、すなわち古の明徳を、自らに依って明らかにしなければならないのです。
 それが「知を致(きわ)むるは、物に格(いた)るに在り」と言う事なのですが、
 その具体的方法が今皆様が行うとしている「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成と言う事に成るのです。

 皆様が「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成により、智慧を極めた時、
 皆様は智慧の王国へと至る事に成るのです。
 すなわち「知を致(きわ)むるは、物に格(いた)るに在り」と言う事に成るのです。
 「物に格(いた)る」とは、皆様の智慧の王国、すなわち皆様の智慧の根源としての智慧、すなわち天の国や神の国や仏の国や道や仁や善やブラフマンやニルヴァーナや極楽やその他、様々に表現されている『そこ』に至る事に成るのです。
 皆様が『そこ』に至った時、そこから生まれる皆様の智慧は皆様に取ってこの上なく愛おしいものと成るのです。
 何故ならそこから生まれる智慧とは愛そのものだからです。
 「神は愛なり」、「この完全な理性が徳と呼ばれ、それがすなわち崇高なるものと同じです」と言う事に成るのです。
 すなわち、「物に格(いた)りて后(のち)、知至(きわ)まる」と言う事に成るのです。

 皆様が「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成により、智慧を極め、智慧の根源としての智慧に至った時、
 その智慧の根源としての智慧から生まれる智慧は、皆様に取ってこの上なく、愛おしいものと成るのです。
 何故ならその智慧は愛、すなわち「神は愛なり」と言う時の『愛』だからです。
 その愛に依って、皆様の意は誠になり、皆様の心は正しくなり、皆様の家は斉い、皆様の国日本が治まり、そして皆様の世界も平和に成るのです。

 皆様が「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成により、「古の明徳(智慧)を天下に明らかにした」時から、哲学国家日本が始まる事に成るのです。
ですからどうか今日から、「哲学読本(智慧と愛の巻)」の作成に取り掛かって下さい。
 千人の皆様方が、皆様の同士です。
 千人の皆様方が一斉に「哲学読本(智慧と愛の巻)」を作成した時、どうなるのでしょう。
 そこには世界中の神や仏や天やブラフマンや如来や主や道や仁や善や物や全てのその類のものがそこに集中する事に成るのです。
 そして千人の皆様方はそれが一つである事を、すなわちそれが普遍的な言葉で言えば『智慧』で在る事を了解する事に成るのです。
 その『智慧』から『哲学国家日本』が生まれて行く事に成るのです。

 皆様!!
 一緒に成って、その智慧を求めましょう。
 その智慧は皆様を幸せにし、皆様の家を幸せにし、皆様の国家、すなわち日本を幸せにし、そして皆様のこの世界を幸せにするのです。
 智慧こそが、世界中の全ての人が求めている『それ』なのです。
 何故なら『それ』とは、天や神や仏の事なのですから。

 それを宗教から解き放して、皆様のものとするのです。
 何故なら『それ』は元々皆様のものだからです。
 何故なら『それ』は元々皆様の心の中に存在しているのですから。
 そしてそれは世界中の全て人の心の中にも、同じ様に存在しているのです。
 ですから皆様は『それ』において兄弟と成り、
 それにおいて『その子』と成るのです。
 皆様は皆、神の子であり、仏の子であり、そして智慧の子です。

 そろそろ、ここらで、その事を理解して欲しいと思います。
 しかし私がいくら言葉を費やしてもそれは無駄な事です。
 何故ならその事は自らにおいて体感するしか、それを理解する方法は無いのですから。
 ですからどうか「哲学読本(智慧と愛の巻)」を作成し、
 それらの言葉に従って、それらを体感してみて下さい。
 そうすればそこに必ず『それ』が存在しているのです。
 何故なら『それ』とは本当の皆様の事なのですから。

 聖人賢人と言う人たちは皆、その道を示しています。
 百人、千人、万人の聖人賢人たちからその道を学んで下さい。

 皆様がそこに達し得ない限り、皆様は幸せには成れませんし、
 勿論『哲学国家日本』なども有り得ないのです。

 皆様が本当の自分自身を見出した時から、
 皆様が心から求めていた「世界」が現出する事に成ります。

 『汝自身を知れ』
 全ての聖人賢人と言う人たちがその方法を教えています。
 何故なら聖人賢人と言う人たちは、その本当の自分自身を見出した人たちの事ですから。
 そしてその本当の自分自身をこの世に実現した人の事を特に聖別して、聖人と呼んでいるのです。

 『汝自身を知れ』
 皆様は本当に本当に本当に素晴らしい存在です。
 何故なら皆様は『智慧の子』なのですから。

 皆様が智慧の子と成った時、
 皆様は智慧(至福)を実感する事と成るのです。
 そしてその智慧から皆様の『智慧と愛の王国』が生まれる事と成るのです。

 皆様の『智慧と愛の王国』の連合国家、それが『哲学国家日本』と言う事に成るのかも知れませんね・・・

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